そんなにエピソードがないのです…
フェルディナント3世妃 マリア・アンナ・フォン・シュパニエン
1606~1646/在位
母はフェルディナント2世の妹マルガレータで、マリアとフェルディナント3世は
いとこ同士になります。
お得意の血族結婚ですね。
イングランドのジェームズ1世は王太子チャールズ(後の1世)と
マリアを結婚させようとしていて、チャールズはマドリッドを訪れてまでいますが
結局(プロテスタントの)議会が承認せず破談になりました。
しかしチャールズはその後、議会の反対を押し切って
フランスからカトリックのアンリエッタ・マリアを妃に迎えているんですけれどもね。
結婚のお祭り騒ぎは1ヶ月も続いたそうです。
さすがハプスブルク家同士!
ふたりの結婚生活は幸せだったそうで、マリアもフェルディナントのことを
とても気が合う相手だと言っていました。
しかしハプスブルク家は30年戦争のまっただ中で、戦況は良くありませんでした。
一家はリンツに避難し、マリアはそこで6人目の子供を授かりましたが
妊娠中毒症で亡くなります。
その時に生まれた娘はしばらくは生きていたのですが亡くなってしまいました。
マリアと名付けられた娘と母マリアは一つの柩に納められて埋葬されたそうです。
さらにエピソードがないのです…
フェルディナント3世妃 マリア・レオポルディーネ
フォン・エスターライヒ=ティロル
1632~1649/在位
マリアもフェルディナント3世の従妹で、ラインは違えど血族結婚です。
1648年に結婚し、翌年出産の時に亡くなりました。
1648年は30年戦争終結の年で、ハプスブルク家は大量に領土を失っています。
あまり良い時を夫と過ごせず、17歳で亡くなるとは… 可哀想すぎる人生ですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)
フェルディナント3世妃 マリア・アンナ・フォン・シュパニエン
1606~1646/在位
母はフェルディナント2世の妹マルガレータで、マリアとフェルディナント3世は
いとこ同士になります。
お得意の血族結婚ですね。
イングランドのジェームズ1世は王太子チャールズ(後の1世)と
マリアを結婚させようとしていて、チャールズはマドリッドを訪れてまでいますが
結局(プロテスタントの)議会が承認せず破談になりました。
しかしチャールズはその後、議会の反対を押し切って
フランスからカトリックのアンリエッタ・マリアを妃に迎えているんですけれどもね。
結婚のお祭り騒ぎは1ヶ月も続いたそうです。
さすがハプスブルク家同士!
ふたりの結婚生活は幸せだったそうで、マリアもフェルディナントのことを
とても気が合う相手だと言っていました。
しかしハプスブルク家は30年戦争のまっただ中で、戦況は良くありませんでした。
一家はリンツに避難し、マリアはそこで6人目の子供を授かりましたが
妊娠中毒症で亡くなります。
その時に生まれた娘はしばらくは生きていたのですが亡くなってしまいました。
マリアと名付けられた娘と母マリアは一つの柩に納められて埋葬されたそうです。
さらにエピソードがないのです…
フェルディナント3世妃 マリア・レオポルディーネ
フォン・エスターライヒ=ティロル
1632~1649/在位
マリアもフェルディナント3世の従妹で、ラインは違えど血族結婚です。
1648年に結婚し、翌年出産の時に亡くなりました。
1648年は30年戦争終結の年で、ハプスブルク家は大量に領土を失っています。
あまり良い時を夫と過ごせず、17歳で亡くなるとは… 可哀想すぎる人生ですね。
(参考文献 Wikipedia英語版)