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神聖ローマ皇帝フェルディナント2世妃 マリア

2009-12-02 02:01:43 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
とりあえず・・・
フェルディナント2世妃 マリア・アンナ・フォン・バイエルン


1574~1616/在位せず

フェルディナント2世はガチガチのカトリック教徒でして
カトリック派を率いて30年戦争を戦った皇帝として有名です。

その最初の妃になったのは従姉にあたるマリア・アンナでした。
うーんと…家系図的にはにぎやかなんだが、彼女のエピソードは何も…
フェルディナントが皇帝になる3年前に亡くなっています。
      



               
国のために結婚したというのに・・・
フェルディナント2世妃 エレオノーラ・ゴンザーガ


1598~1655/在位 1622~1637

マントヴァではたぐいまれな美しさで名高かった少女エレオノーラは
フェルディナントが皇帝になって3年目の1622年に結婚しました。

     

すでに30年戦争は勃発していて、ドイツ国内の新教派
例えばプファルツ、ブランデンブルク、ザクセンなどの公女や
ヨーロッパ諸国の新教派である北欧、イングランドあたりから
妃を迎える状況じゃなかったのかもしれないね。
フランスはカトリックですが仲悪いしイタリアの取り合いをしているし…

しかしゴンザーガ家はこの結婚で恩恵を受けることはありませんでした。
1630年のマントヴァ継承戦争の際には同盟国であるはずの皇帝軍に
都市を破壊されてしまう始末。
故郷がそんな目にあうなんて、嫁いで来たエレオノーラはどう思ったことでしょうね。

エレオノーラは美しいだけでなくとても信心深い女性だったそうで
(中世では敬虔であるというのは美徳だったみたいですね)
グラーツやウィーンなどにいくつかのカルメル派修道院を設立しています。

夫の死後もオーストリアで暮らしていたらしく
1655年に亡くなるとカルメル派の修道院に埋葬されました。
1782年に聖シュテファン大聖堂に移葬されています。

国のために…と若い身空で異国へ嫁がされた各国の王女たちですが
故国との関係が上手くいくならまだしも、失敗に終わった時の後悔って…
想像するにあまりある哀れさですよね。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家史話』 Wikipedia英語版)

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