今日は11月25日。日曜日。主日。
『王であるキリスト 祭日』
『王であるキリスト』
4日前・21日は、聖マリア様がその生涯を神にささげたことを記念する、『聖マリアの奉献記念日』でした。
そして。
今日・25日は、『キリストの十字架という形で表された愛の奉仕の勝利を記念する日』であり、
『世の終わりに王として来られるキリストを祝う日』、『王であるキリストの祭日』です。
『王であるキリストの祭日』は、
典礼暦で最後の日曜日に当たり、いよいよ、次の日曜日から『待降節』が始まります。
『神の子羊』の誕生を待ち望むのです。
『今日の入祭唱』
『ほふられた神の子羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。』
ヨハネ黙示録 5-12
今日。
私たちは、『キリスト様のお姿』を振り返ってみることで、イエス様を記念することにいたしましょう。
・・・イエス様を通して示された神の恵みをたたえ、来週から始まる『待降節』の準備といたしましょう。
まずは。
『十字架という形で表された愛の奉仕の勝利を得たイエス様のお姿』
『今日の第一朗読』
『夜の幻をなお見ていると、
見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り
『天の雲』は天国のことです。
「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み
権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続きその統治は滅びることがない。』
ダニエル書 7章13-14節
人の子・イエスは、
十字架の磔刑により死に勝利し、『天の雲』に乗り、『日の老いたる者・神』の前に来て、神のもとに進み、
『神の国』に属する者となり、
国々を支配する権限:『権威、威光、王権』を与えられるのです。
諸国、諸族、諸言語の民も皆、
世に勝利し、『神の国』に属する者となり、『神の国の国王:イエス』にすべてをゆだね、
主なるイエスの支配は、永遠に終わりなく続くのです。
更に。
『復活し、世の終わりに王として来られるキリスト様のお姿』
『今日の第二朗読 ヨハネの黙示』
『証人であり、誠実な方、
死者の中から最初に復活した方、
『復活のイエスと婦人』
『復活したイエスが、一番先に声をかけた人・婦人の行く手に立って、『おはよう』と言われたので、
婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。』マタイ福音書 28-9
『わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方、
わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方、
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。
「わたしはアルファであり、オメガである。」始めであり終わりである
ヨハネ黙示録 1章5-8節
サタンとも言われるローマ帝国に、最後の勝利をおさめた『神の子羊・キリスト』。
勝利のキリストは、「わたしはアルファであり、オメガである。」と宣言し、
すべてを新しくし、『エデンの園・神の国』の調和を回復されます。
最後に。
『十字架という形で表された愛の奉仕の勝利で、
『神の国の国王』を宣言されたキリスト様のお姿』
『今日の福音 イエスの御言葉』
『ピラトはイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
イエスはお答えになった。
「わたしの国は、この世には属していない。」
『INRI』と書かれた紙が十字架に張ってある『磔刑像』 米国シンシナティのカトリック教会
『NRI 』は、ラテン語の「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭字語。
日本語では『ユダヤ人の王、ナザレのイエス』
『キリストの磔刑』において、十字架の上に掲げられた『罪状書き』。
(イエスが自らを神の子でありユダヤ人の王であると称し、神を冒涜したとの罪状)
更に。
イエスは、ローマのユダヤ総督・ピラトに、お答えになります。
「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。
わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。」』
ヨハネ福音書 18章33-37節
イエスは、『私の国は、この世のものではない。』 と宣言します。
私たちは・・・
『イエスの王国』と聞けば、イエスを、この世の支配者と同じように考えてしまいます。
つまり。
私たちは・・・
キリストが、その力で悪を打ち負かしてくださる。そして、私たちも勝利者として君臨することができる。
・・・キリストを、この世の支配者と同じように考えるのです。
しかし。
実際には、
イエスは、
御自分の身分、ご自分の降臨の目的も明かさずに・・・
逮捕され、尋問され、蔑まれ、十字架刑を宣告され、苦しみと罵倒のうちに死んでいくのです。
・・・『無惨な敗北者の姿』をお見せになるイエスです。
しかしながら、
『無惨な敗北者のイエスの御姿』は、
『イエスの勝利と栄光の出来事・イエスが王として上げられた出来事』なのです。
毅然とした態度で、『自ら十字架』へと向かう者の姿です。
この『受難・磔刑像のイエスのお姿』こそが、
『キリストの王としての姿』であること、『この世には属さない国の王の姿』であること、の啓示なのです。
人の目には『究極の敗北の姿』としか映らない十字架の出来事こそが、
『神のみ旨に、十字架の死に至るまで従順でしたイエスの姿』フィリピの信徒への手紙2-8 なのです。
イエスの『王としての最高の姿』であり、『王としての勝利の姿』を意味するのです。
『神の国』とは、
力で支配することではなく、愛をもって互いに奉仕すること、自分の命までも捧げ尽くすこと。
それらを勝利であるとするのが、『神の国』なのです。
私たちもキリスト者も
このキリストの国に属する者として、王国の一員として、『神の国』の完成に尽力してまいりましょう。
まずは…出来る小さなことから頑張りましょう! ファイト!
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
3連休はいかがでしたか?『勤労感謝の日』にはターキーで、何を食卓に載せましたか? お元気で!