マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書100週間・聖書通読会・・・『わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなた方の時はいつでも備えられている。』

2022-10-21 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
10月21日。金曜日。快晴。

今日は、
金曜日。
聖書100週間・聖書通読会です。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』
   

     今日の『聖書100週間・聖書通読会』クラスは、
      2018年10月19日に『説明会』を開催して、
        参加者10人が決定しました。

     その後、
     新クラスがスタートして、
         今日で3年10か月が過ぎました。
     途中からコロナ流行が始まり、『オンラインクラス』となりました。
     今日を含んで、残り3回で、全聖書完読となります。


        聖書完読の達成感の喜び、と共に
        仲間との最後が近く、さみしさでいっぱいです。


        4年近く、毎週金曜日には顔を合わせて、
           自分の思いや考えの丈を話す。
        それは、
        💕聖書全体の流れが理解でき、聖書の知識が深くなる日々でした。
        💕仲間との深い心のつながりを経験する日々でした。
        💕参加者一人一人の教会共同体意識も深まり、
          教会の『奉仕者』として成長する日々でした。

      
     今日も、仲間全員のお元気でお優しいお姿に、癒されます。
                感謝!感謝!


そして。


   今日の通読範囲は、『ヨハネによる福音書 7章~12章』です。

      
       『ヨハネによる福音書』の著者
      
        『福音記者ヨハネ』
   
   ヨハネは、
   イエスの最初の12人の弟子の中で、唯一人殉教することなく、
   長寿を全うしました。

   80歳近くなって、
   キリストの人格やキリストの使命、キリストの復活の意味などを
       相当深く悟っていました。
   そこで、
      それまで思いめぐらしてきた  
      『主イエスの受難、復活』
   についての考えを『ヨハネによる福音書』に書き遺しました。


     今日の通読範囲の冒頭で、
     イエスは語ります。ヨハネ 7章1-7節


    『ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた時、
     イエスを信じていない兄弟たち(親戚)が質問をします。

     「ユダヤに行き、あなたのしている業を見せてやりなさい。
      公に知られようとしながら、ひそかに行動する人はいない。」』と。

    そこで、イエスは兄弟たちに言われます。

      『「わたしの時」はまだ来ていない。
       しかし、「あなた方の時」はいつでも備えられている。』と。
     
      
     『仮庵祭』は、
      過越しの祭り、五旬節、に並ぶユダヤの三大祭りの一つでした。
      それは、彼らの先祖がエジプトを出た時、
         仮の庵、仮庵に住んだことを覚えるために、
      七日間、仮小屋か木の枝を張って造った天幕に住み、
         主の前で喜ぶように定められていたものです。

      「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、
        生き残った者はみな、毎年、
        万軍の主である王を礼拝し、
       仮庵の祭りを祝うために上って来る。ゼカリヤ14:16

    すなわち、
    メシヤがエルサレムから全世界を支配するようになる時、
       異邦人たちはメシヤを礼拝するために、
       この祭りに上って来るということです。


    そこで、
      イエスの兄弟・親戚の人たちが、イエスに、
      「仮庵の祭りの期間にエルサレムに上り、
       自分をメシヤとして世に示すように。
    自分がメシヤであることを示す絶好の機会になるのではないか。」
      と言ったのは、こうした慣習があったからです。


    その時に、
    イエスは答えられたのです。
      『「わたしの時」はまだ来ていない。
       しかし、「あなた方の時」はいつでも備えられている。』と。


         『イエスの時』とは、
        『神の御心』が成就される時。
       『人類の救い』の『十字架』の『時』です。
        
   

 そして。
  
     今日の通読範囲の最後で、
     イエスは語ります。ヨハネ 12章23-32節


     『人の子が栄光を受ける「時」が来た。
      はっきり言っておく。
      一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
      だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
       たしはこの「時」のために来たのだ。
       今こそ、この世が「裁かれる時」。』
  
      
        イエス様は、『時が来た』と、
     『死』:『十字架』に向かって、エルサレムに上られるのです。
   メシヤ・イエス様がエルサレムから全世界を支配する『時』が来たのです。


   それにしても、
   イエス様は、『御自分の時』の前に、

      『しかし、あなた方の時はいつでも備えられている。』
    『光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。』と。

       人々に、沢山の『神の働き』:『奇跡』を見せ、
           ”私を信じなさい!”と、
         人々に改心を呼びかけたのです。


   それでも。
   イエス様の一番近くにいた兄弟たちも、
     イエスは神、メシアである。とは信じられなかったのです。
   家族であればいつも一緒にいて、
   互いの言葉なり、行動というものをつぶさに見ています。
   ですから、
   彼らはイエス様のことを見て、よく知っていたはずなのに、
   信じていなかったのです。
   ユダヤ人たちも、
   多くのイエス様のなさる『しるし』を見ても、
     イエスは神、メシアである。とは信じられなかったのです。


   わたしたちキリスト者は、
   イエス様から派遣されたものです。
   イエス様に倣って、『神の愛』を示すことが求められています。
                祈りましょう。
   

     今日も、
     仲間と共に、聖霊に満たされて、
     聖ヨハネに示された『イエス様の時』を、嬉しく有難く読みました。
     正しく読み取ることができるように、励ましあいました。
                      感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
朝昼夜の寒暖の差が大きいこの頃です。
どうぞご自愛の日々で、穏やかな週末をお過ごしください。 お元気で!

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