マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

コロナウイルス陣中見舞い その④・・・『友の愛』 そして 『お前は自分の神と出会う備えをせよ。』 & 『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』

2020-06-30 06:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
6月30日。6月最終日。火曜日。大雨のち曇り。


激しい雨模様の一日の始まりの朝。
朝ジョグの休みで、休養日を与えて下さる神様です。

一方。

『ウイズコロナの時代』の到来。
世界全体では、収束傾向どころか、感染者急増。
等のニュースを朝刊で読む。
なお一層の自粛生活を!と呼びかけられる思いです。


      そんな今日。

         友から・・・   『コロナウイルス陣中見舞い 小倉あん』 
   
            かの有名店・コメダ珈琲店の 『特製小倉あん』
     珈琲店があん製造!? がいつもの私の謎。 調べりゃ良いのよね。 でもね、ミステリアスが楽しい。 美味。    
                         
                『愛のメッセージ』
          
            「顔と顔を合わせて、いっぱいお話ししたいです。
              心ではいつもあなた様を思っています。
              コロナに加えて梅雨のうっとうしい日々、
               甘いものを食べて元気いっぱい!
                元気でいらしてください。」

       優しい 『愛と心遣い』 をもらって、外出自粛も、今まで以上に頑張れます。
                                  感謝!感謝!

           本格的に 『ウイズコロナの時代』 の到来の宣言となった今、
                新たな『日常:生活様式』
                を模索しなければならない。


そして。

今日は6月30日。年間第十三火曜日。

『今日の入祭唱』

     『神よ、あなたは命の道を教えてくださいます。
         わたしは、御顔を仰いで満ち足り、
       右の手から永遠の喜びをいただきます。』

           詩編 16章11節



    『今日の第一朗読    アモスの預言』
 


    厳しくも、 反省を促す、 『預言』:『神の言葉』 です。


          『イスラエルの人々よ
   ――わたしがエジプトの地から導き上った全部族に対して――


     主がお前たちに告げられた言葉を聞け。


      地上の全部族の中からわたしが選んだのは、 お前たちだけだ。
         それゆえ、
         わたしはお前たちを、すべての罪のゆえに罰する


     町に災いが起こったなら、 それは主がなされたことではないか。
        まことに、 主なる神はその定められたことを
      僕なる預言者に示さずには、 何事もなされない。

       主なる神が語られる、 誰が預言せずにいられようか。


   かつて、神がソドムとゴモラを覆したように、わたしはお前たちを覆した。
      お前たちは炎の中から取り出された燃えさしのようになった。
         しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと
                主は言われる。



     それゆえ、イスラエルよ、 わたしはお前にこのようにする。
         わたしがこのことを行うゆえに
   イスラエルよ、 お前は自分の神と出会う備えをせよ。』
              アモス書 3章1-8節&4章11-12節



        神様は、 預言者『アモスの預言』を通して、 警告なさいます。
  愛する『神の民』だからこそ、 愛も期待も大きく、厳しく、率直に、 神は語ります。


         『あなた方は、私の意向、神の正義、をないがしろにして、
           自由奔放、飽食、おごり高ぶり、神への不忠実、貧し人々を圧迫、
               そんな日々を過ごした。

            もはや、神の怒りを逃れることはできない。
               主は、 諸国に罰を下す。

           人々よ、 お前は自分の神と出会う備えをせよ。

             神が民を訪れる日、 裁かれる日、 は近い。
            それぞれの行いにふさわしい報いが与えられる。』


       『アモスの預言』は、 
          当時のイスラエルの民に向けられただけでなく、
          過去、現在、未来を超えて存在する 『神の言葉』 であり、
          時代を超えて、現代の私たちへの 『警告』 でもありますね。


『神の警告』を聞くとき、
畏れ多く、頭を垂れるのみです。
自分はどうすれば良いのだろうか?
昔の人のように・・・
衣を引き裂いて、灰をかぶるか?
いえいえ。今は昔と違う現代です。
ではどうするか?

        イエスは答えます。  お聞き下さい。


『今日の福音 イエスの御言葉

       『そのとき、  イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
        そのとき、  湖に激しい嵐が起こり、  舟は波にのまれそうになった。

                
             イエスは眠っておられた。
       
            『ガリラヤ湖の嵐の中のキリスト』        レンブラント作品
              イエス様は最後尾から2人目です


弟子たちは近寄って起こし、 「主よ、助けてください。 おぼれそうです」  と言った。
  イエスは言われた。  「なぜ怖がるのか。  信仰の薄い者たちよ。」

  そして、      起き上がって風と湖とをお叱りになると、
      

               すっかり凪になった。

  人々は驚いて、   「いったい、この方はどういう方なのだろう。
               風や湖さえも従うではないか」
     と言った。』
                   マタイ福音書 8章23-27節

        イエス様は、 いかなる時も、 私を信じなさい、 とおっしゃるのです。

    ある日・・・
         ガリラヤ湖に、 船で漕ぎ出したイエスと弟子たちを、 突然の嵐が襲います。
              そんな中でも、寝ていられるという、
          イエス様はいかなる境地にいらしたのでしょうか?


    そんなイエス様に比べ・・・

        取り乱す弟子たちは、 「主よ、助けてください。 おぼれそうです」 と、
          私たちと同じような、普通の人々であったということですね。


     そんな時に・・・

        冷静なイエスは、 「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」 と、
          起き上がって、 風と湖をしかりつけられ、大なぎにしました。
               決して、弟子たちをしかりつけるのでなく、
           『弟子たちの願い』とおりに、 願いを聞きとげて、 くださるのです。
       


      レンブラントの作品の 『言葉を発するイエス』には、『光輪』が輝いています。
      信仰者は、 風や湖さえも従わせるイエスは、 神の子であると信じているのです。


         これから、イエスに代わって、イエスの仕事を続ける弟子たちには、
         その道中で、嵐が起こり、人々の大反対や迫害、に遭うことでしょう。
   
           教会も、 度々大嵐に遭う『船』 にたとえられます。
    私達の人生も、 度々度々大嵐に遭う『船』同様に、 不幸や災いに遭遇することがあります。
         どうしたらよいのか分かりません。


    そんな時・・・
       イエスが助けてくださると信じて、 
           『イエス様を起こす』、『イエスに頼り願う』  信仰が必要なのです。


         イエス様はおっしゃいます。
   『もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここからあそこに移れ』と命じても
        そのとおりになる。  あなたがたにできないことは何もない。』 
 マタイ福音書17章20節    


        私達の信仰は、 イエスとともに、  山をも動かすことが出来るのです。
          私達にとって一番怖いことは、 神への信仰を失うことなのです。    


『今日の祈願』

        『いつくしみ深い父よ、あなたの民の力となってください。
   わたしたちが、古い人を脱ぎ捨て、新しい命に生きることが出来ますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様のご当地は、大雨の被害はなかったですか?
日本列島全体が無事でありますようにと祈ります。 お元気で!

ミニミニ・トレイルラン  そして 『聖ペトロ 聖パウロ使徒 祭日』・・・『あなたはペトロ。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。』・・・『今や、義の栄冠を受けるばかりです。』

2020-06-29 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
6月29日。月曜日。快晴。

5時半。

梅雨の晴れ間に心軽やかに・・・


          🎶ルンルン気分で・・・   『ミニミニトレイルラン』
         

                   ジョグ途中の公園内の山
        公園内の山といえども、 上っている人を見たことがない、 健脚を要する。
             
          西端から東端まで、 2往復、 上って下りて、上って下りる。
          木の枝から目を守るため、 サングラスが必須アイテムです。

                     私のジョグ道
           坂に向かって・・・ 階段に向かって・・・ 山に向かって・・・
                右へ・・・ 左へ・・・ 上って・・・ 下りて・・・
                    今日も変幻自在です。
                      感謝!感謝!


そして。

今日は6月29日。年間第十三月曜日。


            『聖ペトロ 聖パウロ使徒 祭日』
  
                                      エル・グレコ作品
   今日は、
    初代教会の中心的名指導者である 二人の使徒 を祝う祭日です。

          252年今日。 二人の祭日の最古の日とされる。

          二人は、 異なる使命をあたえられていたが、
           「キリストのもとに人々を一つに集め、
           信仰の証しのために、共に命を捧げ」

      ネロ皇帝による迫害の時代(60年代半ば)に、ローマで、殉教した。
              『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『福音のために働き、血の証しによって教会の礎となった使徒たちは、
         主の杯から飲み、 神の友となった。』



まずは一人。

               『聖ペトロ使徒』
  
                『天国の鍵』
              を右手に持つペトロ

        イエスは、 「あなたはメシア、生ける神の子です」 と答えたペトロに、
               『教会の全権者』  の役割を与えたのです。


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『イエスは、 フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、 弟子たちに、
       人々は、 人の子のことを何者だと言っているか  とお尋ねになった。

弟子たちは言った。 
       「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、 『エリヤだ』と言う人もいます。
       ほかに、 『エレミヤだ』とか、 『預言者の一人だ』  と言う人もいます。」

イエスが言われた。 「それでは、あなたがたは わたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、   「あなたはメシア、生ける神の子です」     と答えた。
  すると、
イエスはお答えになった。

             「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
       あなたにこのことを現したのは、 人間ではなく、 わたしの天の父なのだ。
  
               わたしも言っておく。 
   あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。 
              陰府の力もこれに対抗できない。
          わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。

           あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
           あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」』 
                マタイ福音書 16章13-19節


  イエスの復活後。
            使徒ペトロは、 復活されたイエスから、
             「わたしの羊の世話をしなさい」 ヨハネ福音書 21章16節  と言われ、
                        その生涯、ローマ教会を導きました。

  ペトロの生涯。
         ペトロは、 ローマの司教として33年間勤め、 その『使命』を全うしました。

    67年。  皇帝ネロによってキリスト教迫害が始まったとき、
              信者たちの勧めで、
           ローマを脱出しようとしたペトロは、
                 その道中で、
           十字架を背負ったイエスに出会います。


   ペトロが、 「クオ・ヴァディス・ドミネ」 (主よ、どこに行かれるのですか)  と尋ねると、
   イエスは、 「わたしは、ふたたび十字架につけられるためにローマに行くところだ」  と答えられたという。
       ペトロは、 『イエスの言葉』を聞いて・・・自分の『使命』を悟り、
                ローマにすぐに引き返し、進んで、  
               十字架に逆さまにつけられて殉教した。

                 ペトロが処刑された場所に
               『サン・ピエトロ大聖堂』 が建てられました。
     
                   正面入り口のドアには
        ペトロが 「私にはイエスと同じ形の十字架で殉教する価値はない」 と言ったとおりの
                  『ペトロの逆さ十字架の殉教の姿』    が彫り込まれています。

   使徒ペトロの死後。
            ローマの司教は、 『全教会の司教団の頭』:『教皇』 として、
              『ペトロの使命』  を受け継いでいくことになりました。
            そのため、 
             『教皇職』 は 『ペトロの座』  とも呼ばれているのです。


信仰:『あなたはメシア、神の子』
を宣言したペトロに、
イエスは『新しい名前』 と 『新しい使命』
を与えました。
『新名=ペテロ=岩』 と 『他の弟子たちの信仰を強める使命』です。
ところが・・・
イエスの十字架の受難の時、
ペトロは 「イエスを知らない」 と誓い、逃げます。
復活したイエスは、改めて、再び、そんな背信のペテロに
「私の羊を飼いなさい」 ヨハネ21-17 と『使命』を与えます。


            ペトロは、  自分のイエスへの背信の経験から、
      『弱い自分』 と 『自分が一番に神の赦しを必要とする者』  であることを学びました。
        自分の弱さを知った者こそが 『一番の指導者』 になれるということでしょうか。 
              『指導者の要因』 は 『謙遜』 ですね。

               

もう一人。        
                 『聖パウロ 使徒』
       
                                        エル・グレコ作
        『イエスの忠実な兵士であり、殉教のシンボルである剣』
               を右手に持つペトロ


『今日の第ニ朗読 使徒パウロの遺言

         『愛する者よ、 わたしは、既にいけにえとして献げられています。
                世を去る時が近づきました。

         わたしは、 戦いを立派に戦い抜き、 決められた道を走りとおし、
                 信仰を守り抜きました。
           今や、義の栄冠を受けるばかりです。


     正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
   しかし、
  わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

             わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、
             すべての民族がそれを聞くようになるために、
           主はわたしのそばにいて、 力づけてくださいました。
             そして、わたしは獅子の口から救われました。

             主はわたしをすべての悪い業から助け出し、
             天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。
             主に栄光が世々限りなくありますように、 アーメン。』
                テモテへの手紙Ⅱ 4章6-8&17-18節

    当初。
               熱心なユダヤ教徒であったパウロは、
            イエスの新しい教えが神への冒涜であるとの信念から、
               徹底的にキリスト教徒を迫害していました。使徒言行録 9章 参照

 ところがある日。   キリスト教徒を捕らえるためにダマスコに行く途中、
              復活したイエスとの出会いによって、
            サウロは回心し、 何が信ずべき道であるのかを悟り
              「イエス・キリストこそ神の子である」
                と熱心に宣べ伝え始めたのです。

              
               イエスによって
 『異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器』
                                      使徒言行録9章 参照
               となったパウロは、
              宣教旅行に3回出かけ、
        小アジア、ギリシャ、ローマ、コリント、アテネに福音を伝えたのです。
                又、沢山の『書簡』などを書き、 
           
                『使徒パウロ』          レンブラント作品 

                  人々を信仰に導きました。


              多くの困難に遭いながら、
                苦しみの日々でも、
              ゆらぐことのない信仰によって、
            『キリストの愛』を伝えるために力を注ぎました。


   67年頃。
ネロ皇帝の迫害時代。
    ペトロが殉教したのと同じころ、ペトロ同様に、
                     ローマで捕えられて殉教しました。

          パウロはイスラエル以外の新しい地の人々に宣教したことから、
             『異邦人の使徒』 と呼ばれます。


『今日の祈願』

        『すべてを治められる神よ、
     使徒ペトロとパウロの殉教をたたえて祈ります。
     教会が、信仰の礎となった使徒の教えを受け継ぎ、
     その真理を世界にあかしすることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昨夜の月は輝いていました。今日の梅雨の晴れ間は得したような感じですね。
明日は雷雨の天気予報です。 お元気で!

3ヶ月半ぶりのミサ そして 『わたしよりも父や母を愛する者、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。』

2020-06-28 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月28日。日曜日。主日。曇り。

  
 3月1日の主日ミサ以来。
         
        私には・・・         『3ヶ月半ぶりのミサ』
    
                                       『福音テレビ』より拝借

                  『十勝カルメル会修道院』
                年間第13主日 2020年6月28日7時 

『ミサ』とは
『秘跡による救いの営み』です。

             
                     聖霊降臨の日、
                       
                      『聖霊降臨』    エル・グレコ作品

              聖霊を注がれた教会は世に姿を現しました。
         聖霊が与えられたことで、 『神秘の分配』の新しい時代 が始まります。

            それは、
         教会の時代であり、その間に、キリストはご自分の教会の典礼を通して、
            「ご自分が来られるときまで」その救いのわざを現し、
                現在化し、分け与えられるのです。

           教会の時代の間、ずっと、ご自分の教会の中で、また教会とともに、
             この新しい時代に固有な新しい方法で生き、働かれます。
                すなわち、諸秘跡を通して働かれるのです。

             それは、教会の「秘跡」の典礼の執行に際して
          
                キリストの過越の神秘の実り
              を分け与えることによって行われます。

                        『カトリック教会のカテキズム』より


我が教会の、今日の『ソーシャルディスタンス ミサ』
長椅子に一人だけの着席。
前の長椅子のお一人と、ずれずれに着席。
神父様とのミサの受け答は、声を出さず心の中で。
賛美歌はなし。
聞こえるのは、神父様と聖書朗読者の声のみ。
沈黙の中のミサは、
神様との交わりはより一層豊かですが
会衆者皆との交わりはなしでした。          感謝!感謝!


そして。

今日は6月28日。年間第十三主日。

『今日の入祭唱』

      『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
     神の向かって喜び歌い、叫びを上げよ。』

           詩編47章2節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスの弟子になる覚悟』
    それはきびしいものです。


         『その時、 イエスは  使徒たちに言われた。
    
    

    「わたしよりも父や母を愛する者は、 わたしにふさわしくない。
   わたしよりも息子や娘を愛する者も、 わたしにふさわしくない。



  また、 自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、 わたしにふさわしくない。
          自分の命を得ようとする者は、 それを失い、
       わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」』
             マタイ福音書 10章37-39節


     
       イエス様のおっしゃることは、 大変厳しいですが、 『真理』なのです。

          神は、 『十戒』 を、 
  
             必ず守るようにと、告げられました。
                出エジプト記20章

            Ⅰ:『あなたには、私をおいて他に神があってはならない。』
            Ⅴ:『あなたの父母を敬え。』



               神は、『永遠の命』 の与え主です。
               親は、『この世の命』 の与え主です。

                『両命』共に、かけがえのないものです。
            どちらかが、 いる いらない、 の問題にはならないのです。
              たから。
           父母を選ぶか、キリストを選ぶか、を決める必要があれば、
            神を選びなさい。 と、イエスは断言なさるのです。


            『神の御心』は、 分裂ではなく、 『平和』です。
                神を選ぶということは、
            『平和』 と 『交流』 が始まるということなのです。
               『対人関係』 が深まるということなのです。

               
            『神とキリストに従う』 ことに 『価値がある』 のです。
       キリストが、 私たちの力以上に、より両親を愛する力を、必ず、くださるのです。

           弟子たちは、父や母や息子や娘以上に、キリストを愛し、
              『キリストに従うもの』 の模範を示すのです。
                 信仰者の模範を示すのです。



『今日の祈願』

 『人の求めるものをすべて知っておられる神よ、
    真実の生き方を問い続ける力を私たちにお与えください。
     「自分の十字架を担ってわたしに従いなさい」
  という主の呼びかけのうちに真の光を見出すことが出来ますように。』




皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
神は、ミサで、『秘跡による救いの営み』を分け与えてくださいます。
私たちは、神の愛の応えて、お人に『愛の営み』を分け与えてまいりましょう。 お元気で!

コロナ禍自粛生活以来・・・4ヶ月半ぶりの登山

2020-06-27 10:00:40 | 登山・ハイキング
6月27日。土曜日。曇り。33度。真夏日

  
                4ヶ月半ぶりの登山
  

              『2月10日登山』 以来の今日の登山
      『日本山岳会』からのお達しで、『県を超えない近間の山の登山から始めるように』
             近間の『六甲山系の最西端:旗振り山』
            『櫻会』の仲間+仲間の夫さん=5人編成


2月10日の登山は、
コロナ禍の始まり頃で、
『大事』の意味もまだ分からぬままに、
奈良に向かう電車の中では、
マスクが当たり前にはなっていました。
あれから4ヶ月半の今日は、
電車の中も登山中もマスク姿です。


          月2回の登山が当たり前の日々を送っていたのに・・・
               当たり前がストップされた。
          『4ヶ月半』は、私にとって何を意味していたのだろう?
                神様のお考えは何?
              等々。考えながらの登山でした。



      曇り日の・・・    『明石海峡大橋』
 

               大橋も海も町も もやの中。
      無邪気には登山を楽しめない今日の私の心も、 まだまだもやの中です。



      下り道・・・     『須磨一ノ谷』
      

                 『竹藪の急坂』

         六甲山登山のメイン道路から外れた『往年のメイン道』
      時が流れ、見える姿も大きく変化するのが 『世の常』 かと納得する。

一ノ谷の中に。

 
     ひっそりと・・・  『和宮  親子内親王の像』
  
              
            日本の第120代天皇・仁孝天皇の第8皇女
            江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室

                1846年~1877年(31歳)

           六歳にして、皇族・有栖川宮熾仁親王と婚約。
           十七歳で、 婚約破棄。
                 徳川幕府第十四代将軍・家茂に嫁ぐ。


       人の世も、 人の生涯も、 計り知れないものに突き動かされるものです。
             それを受け入れ、計り知れない中で、
              更なる前進を意識して続ける。
        そんな中に。
            以前よりも自分がしっくりとくる という感覚。
            以前よりも自分に近づいている という感覚。


             コロナ禍の『すべての休止』によって、
                 得る事が出来たのは、
              こういう感覚だったのかもしれない。
           今日の登山で考えながら得た 『収穫』でした。
         それは外出自粛生活中に、色々考えて得た 『収穫』 でもあります。
              
          今日の登山総歩数:10時~14時:15545歩  

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
真夏日の33度、梅雨真っ最中の湿度は72%、の中での登山は暑い暑い  
明日は主日で神様と共にゆっくりと過ごす日です。 お元気で!    

是?非?that is the question。 そして 『主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります。』

2020-06-26 10:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
6月26日。金曜日。曇り。


       ご近所さん・・・    『開花真っ最中』
  
   
           お花は、 ソーシャルディスタンスは、 おかまいなし。
               くっつくのって良いね。 暖かいね。
         

世の中、外出自粛要請の解除で、大きく動き出した。
経済活動。 教育現場。 等等。
しかし新型コロナウイルスへの対策はこれからも本番です。
これは第二波ではありません。第一波が終わっていないのです
・・・未だ続いているのです。は、アメリカの知事の発表でした。
まだまだ青信号ではなく、黄色信号が点滅している状態でしょうか。
ウイルスに細心の注意を払いながら・・・
活動を再開させなければなりません。


        『思いやり距離』といわれる・・・   『ソーシャルディスタンス』
     

          ウオーキングでは4メートル。 ジョギングでは10メートル。
                 自転車では20メートル以上。
           適切距離を空けることを示唆する内容が伝えられています。


    今日。    山仲間が、 ”再開を!” と、 明日の近間登山を呼びかけてきた。
                  是か?  非か?
              参加したい。 参加すべきではない。
             To be or not to be,  that is the question.
     迷いながらも・・・
         明日は、 仲間と4メトールの間隔を保って、 4ヶ月ぶり登山です!


そして。

今日は6月26日。年間第十二金曜日。

『今日の入祭唱』

     『主はわたしの支えとなり、 わたしを広い所へ導き出し、
            助けとなり、 喜び迎えてくださる。』

                詩編 18章19&20節
                   

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、  イエスが山を下りられると、 大勢の群衆が従った。
      

     すると、  一人の重い皮膚病を患っている人が イエスに近寄り、 
   

                ひれ伏して、
   「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」  と言った。


             イエスが手を差し伸べて その人に触れ、
        

            「よろしい。清くなれ」 と言われると、
             たちまち、 重い皮膚病は清くなった。

イエスはその人に言われた。
             「だれにも話さないように気をつけなさい。
    ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。」』
                マタイ福音書 8章1-4節


 イエスの時代。

        大勢の人が、 イエスの言葉に感動して、 イエスについていきました。
                         本当の信仰はまだなく、迷っていました。

    そんな所へ・・・

        重い皮膚病を患っている人も、 イエスに治してもらえると信じて、      
                 『主よ!』と言いながら、 イエスのそばに近づいてきました。
                     彼には、 『主よ!』と呼ぶ本当の信仰、 が既に、あったのです。

当時は、 重い皮膚病の人は、
人々に近寄らないようにと、
世間から隔離されていました。
  『掟』によって、
重い皮膚病は『罪』とされ、
 病人さんは差別され、
世話をする人もなかったのです。

     
        イエスは、 その病人さんに、近づき、手を触れ、 
                 病人の信仰を見て・・・『清くなれ!』 と言われたのです。

        イエス様にとって、 
           『愛』は すべての『掟』に勝る、  のです。
           『掟』より 『困った人を助ける』、 ことが優先するのです。


     病人さんは、
       イエスに治していただき・・・司祭の所に行き 『完治証明書』 をもらって、
          『掟』と『病気』から解放され、 『自由人』 になりました。
                大手を振って社会に戻り、
               仲間と交わる生活に戻りました。
              『信仰』で『幸せ』を手にしたのです。


     神様は、 
       イエスを信じる人を・・・『罪』から解放して、『神の子の証明書』を与えて、
              『自由人』 にしたいのです。
             それが 『神の御心』 なのです。


     私たちも、
     偏見を取り除き、 イエス様のように、 困っている人と共に歩みましょう。


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、
   あなたはキリストによってわたしたちを贖い、 神の子どもとしてくださいます。
       あなたの愛を受けた民を顧み、御子を信じる人々に、
       真の自由 と 永遠の喜び をお与えください。』 



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日からの週末が、皆様にとって楽しい日々でありますように。 お元気で!

朝ジョグの楽しみ  そして 『わたしの天の父の御心を行う者だけが、天の国に入るのである。』

2020-06-25 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月25日。木曜日。曇り時々雨。


今朝も5時半出発。

爽やかな空気に、心身が清められていく。
コロナ禍発生以来の、食品調達以外の、私の毎日の外出です。


朝ジョグにも楽しみがある。

       季節の変化を教えてくれる・・・   『街道の花々』
   

         『朝練』を本格的に始めたのは、第二子誕生後の、結婚4年目頃からです。
           家族が起きてくる前に、 『朝練』も『朝食用意』 も完了!
                        今は夫が朝食を作ってくれる。

             登山とテニスのための『筋力作り』で始めて以来、
        私のようなサボり屋が、ぶれることなく40年以上続いているのが、我ながら不思議です。
                         今は心身の健康維持のためですね。

40年以上の間に、
夫の転勤や何やらで、我が家の引っ越しは12回。
その度に、朝練の景色も雰囲気も、ご当地の特徴があり、
がらりと変わるのが面白い。たかが朝ラン、されど朝ラン。
たかが朝ランでも、忘れられない思い出がいっぱいです。


     ジョグ中の楽しみ。

           旬の服を教えてくれる・・・    『セレクトショップ』
        

     美しい店員さん・・・
       「朝ジョグの時に楽しみに見ているのよ」 と私。
       「嬉しいです。 これからも色々と旬をお届けしますね」  と店員さん。
                                コロナ前の会話。今も頑張っていらっしゃるでしょうね。

     その日のマネキン風の洋服スタイルで、 一日を過ごすようにしている私です。
          ちょっとしたこだわりからセンスが磨かれていくことを願って・・・
      年を重ねた者に似合う 『大人の馥郁とした魅力』  を目指している私ですが・・・。
                                ハードル、目標は高くですね。


そして。

今日は6月25日。年間第十二木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、 御旨を行うことをわたしは望み、
       あなたの教えを胸に刻みます。』

          詩編 40章9節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


    『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。



    「わたしに向かって、 『主よ、主よ』 と言う者が皆、
     天の国に入るわけではない。
わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。



     かの日には、 大勢の者がわたしに、
     『主よ、主よ、 わたしたちは御名によって預言し、
      御名によって悪霊を追い出し、 御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』
     と言うであろう。
     そのとき、 わたしはきっぱりとこう言おう。
         『あなたたちのことは全然知らない。
                  不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』



    そこで、     わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、

            『岩:神と聖書:不動の基盤の上に佇む家』

        岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
       雨が降り、 川があふれ、 風が吹いてその家を襲っても、 倒れなかった。
          を土台としていたからである。



     わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、

            
    『砂の上に家』 を建てた愚かな人に似ている。
       雨が降り、 川があふれ、 風が吹いてその家に襲いかかると、 倒れて、
       その倒れ方がひどかった。」


イエスがこれらの言葉を語り終えられると、 群衆はその教えに非常に驚いた。
彼らの律法学者のようにではなく、 権威ある者としてお教えになったからである。』
               マタイ福音書 7章21-29節


イエスの時代。
      イエスの話を聞いた人は、 ユダヤ人も異邦人も指導者も、 沢山いました。

   そして。
      
      イエスは、イエスの話を聞く中の一部の人たちを・・・
            「『砂の上に家』 を建てた愚かな人に似ている。」 とおっしゃるのです。

             『主よ! 主よ!』と言いながら・・・
        ある者は、 ユダヤ教の律法こそが大切であると、 耳を貸しませんでした。
        ある者は、 イエスの話を聞いても反省はなく、 すぐに忘れてしいました。
        ある指導者は、 イエスの話を伝えながら、 自分では守らない人もいました。

             イエスは、その人たちを、
      「最期の日に、 『あなたたちのことは全然知らない。』 と言う』 と言われるのです。
         『神の国』に入れてもらえない! ということですよね。 大変!どうしましょう!


 一方・・・

      イエスは、イエスの話を聞く一部の人たちを・・・
              「『岩の上に自分の家』 を建てた賢い人に似ている。」 とおっしゃるのです。

           雨が降り、 川があふれ、 風が吹くように・・・
        困難、 災害、 不幸、がその家を襲っても、 その人たちは倒れない。
          『 岩:神と聖書:不動の基盤の上に佇む信仰』
               を土台としていたからである。

                 と、言われるのです。

       「その人たちこそが、 『神の御心を行う人』:『互いに愛し合う人』 で、
              『神の国』 に入る人である。」
 
               と、イエスはおっしゃるのです。

 今の時代。

             イエスは、私たちにも同じことを、言われるのです。

          私たちの『信仰生活』にも、 『強い土台』が必要なのです。
      『強い土台』 は、 すべての人を愛される『神の愛』を  信じることです。

   
            私たちの信仰を強めるためには・・・

            『イエスの御言葉に耳を傾けて 心に留める』 
          『イエスの言葉を自分に向けられた言葉として 受け入れる
        『イエスの言葉の中に、すべての人を愛しておられる 神の愛を見出す
            更に。
          『イエスの言葉を聞いて反省し 『神の御心』を 実行する


         その時・・・
          イエスは私たちの『信仰』を、強めてくださいます。


       勿論、イエスの御言葉を受け入れ、実行することは、とても難しいことです。
          しかし、その自分の弱さは、自分の中に原因があると認めて、
                イエスの助けに依り頼むとき、
             イエスは私たちの信仰を強めてくださるのです。



『今日の祈願』

   『全能永遠の、神である父よ、
    わたしたちの行いが、いつも御旨にかなうよう導いてください。
    御子キリストのうちにああって、豊かな実りを結ぶことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様も長年続けておられる『こだわり』がおありですか?
それは、もう自分の『一部』ですよね。 お元気で!

空飛ぶ雀 そして 『洗礼者ヨハネの誕生 祭日』・・・『この子の名はヨハネ。』

2020-06-24 07:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月24日。水曜日。晴れ。

  朝7時。   
               『電線に群がる雀の一群』
  
                                       我が2階の書斎から

       まだまだ続く電線に、 雀の一群もまだまだ続いて、 止まっていました。

            "いいな! 雀のように、自由に空を飛んでみたいな!”
                 雀を眺めながら一瞬思ったことでした。


コロナ禍で・・・
飛ぶどころか、歩くのもままならなかった数ヶ月でした。
人生には思いもかけないことが起きると、
人生の『機微』を経験したのでした。
決して忘れてはいけない。


                雀は、 えさを求めて、 次の場所に飛んでいく。
        美しい庭の花々も、 永遠に存続は出来ない、 新たな開花のために準備を始めた。
                   野菜も、 成長する。
      
                『実を付けたミニトマト』


         私も、 無い物ねだりで、雀をうらやんでいては、 何事もはじまらない。
         コロナ禍がもたらした 『新たな出発』 のために準備を始めなくちゃ!
              ”時間がもったいない!”   な~んて、私に考えさせた雀たちでした。

             只今、『新たな出発』のために、大幅『断捨離』実行中です。
                面白く実行中です。 感謝!感謝! です。
               
             

そして。

今日は6月24日。年間第十二水曜日。

             『洗礼者ヨハネの誕生 祭日』


                  『洗礼者ヨハネの誕生』    ヤコポ・ダ・ポントルモ 作品

  イエスの誕生のちょうど6カ月前の今日、
             教会は、『洗礼者ヨハネの誕生』 を祝います。
       洗礼者聖ヨハネは、 『イエスの先駆者』 として位置づけられています。
         洗礼者聖ヨハネは、メシアであるイエスを指し示したために、
            最大の預言者、旧約最後の預言者、  と言われます。


      イエスが、 『燃えて輝くともし火』 ヨハネ福音書5章5節 と呼ばれたヨハネは、
          荒れ野で 『悔い改めの洗礼』 を宣べ伝え、
          救い主キリストを迎える準備をしたのです。
                『毎日の読書』より

        
『今日の入祭唱』

     『神から遣わされた一人の人がいた。 その名はヨハネである。
         彼は 『光』 について証しをするために来た。
     また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。』

              ヨハネ福音書 1章6&7節
  

そして。

『今日の福音 洗礼者ヨハネの誕生の次第』

         『さて、 月が満ちて、 エリサベトは男の子を産んだ。
     
                  『洗礼者ヨハネの誕生』            

       近所の人々や親類は、 エリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。

 八日目に、     その子に割礼を施すために来た人々は、
         父の名を取ってザカリアと名付けようとした。

 ところが、  母は、  
         「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」  と言った。
    
         『父ザカリアに ヨハネの名を告知する天使』

  しかし、 人々は、 「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」  と言い、

       父親に、 「この子に何と名を付けたいか」 と手振りで尋ねた。
             父親は字を書く板を出させて、 
   
                『ヨハネの命名』     FraAngelico 作品

            
               「この子の名はヨハネ」
                と書いたので、人々は皆驚いた。

    すると、  たちまちザカリアは口が開き、 舌がほどけ、 神を賛美し始めた。

                近所の人々は皆恐れを感じた。

         そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。

  聞いた人々は皆これを心に留め、 「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」 と言った。
             この子には主の力が及んでいたのである。』
                ルカ福音書 1章57-66節


      赤ちゃんの誕生はいつでも嬉しいですよね。
         洗礼者ヨハネの誕生を喜ぶ、 人びとの姿。
         「ヨハネ」 と命名して喜ぶ、 両親の姿。  嬉しいですね。

         
      洗礼者ヨハネは、アブラハムとサラの子の誕生と同じように、老夫婦に授けられた、
            『約束の子』 なのです。
          「ヨハネ」 の名の意味は、  「神が授けたもの」。 
     ヨハネには、 『預言者』として、 誕生の時から特別に 「主の力が及んでいた」 のです。



     『名前』は、 その人自身を表わし、更に、 その人が持つ『使命』 を意味するのです。


     生まれたヨハネに、 慣習を無視して、 『ヨハネ』 と命名されたということは・・・
             そこには『神の力』が及んで、
        『救い主の新しい時代』  の始まりを意味したのです。

         洗礼者聖ヨハネは、 『イエスの先駆者』 であり、
         ヨハネの両親は、  『信仰者の見本』 なのです。   


       私たちも、 
         今までの慣習を大切にすることは大事なことではありますが、
               私たちの生活においても、 
               ヨハネの両親に倣って、
        『神の呼びかけ』 、『神の働き』 を見出していきたいものですね。


『今日の祈願』

   『すべての人の救いを望まれる神よ、
          あなたは洗礼者ヨハネを遣わし、
       人々に救い主キリストを迎える準備をさせてくださいました。
    あなたの民を信仰の喜びで満たし、救いと平和の道に導いてください。』 
  


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
雀は人間がどこまでも歩けるのをうらやましく思って、眺めているかもしれませんね。
自分の持ち味を十分に生かして、楽しみたいものですね。 お元気で!

『ひまわり』2種 そして 『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』

2020-06-23 05:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は6月23日。火曜日。晴れ。


  庭に咲き出した・・・   『ひまわり』
  
 
             花々の、無欲で、しかも忠実な姿に、惹かれる。
    若かりし頃には見逃していたものへの気づきが生まれる、年を重ねた今の私。 楽しい。


  壁の絵も掛け直して・・・   『ひまわり』
  
                             孫娘の絵画教室で、同伴者の私も走り描き。 5年前のスケッチ。


   庭仕事をしながら・・・

        無欲な花々を咲かせる神の『意志』と、 年を重ねた私の『心』
           一致していることに、 気づきが生まれるこの頃。

               飾り立て・・・ 加工して・・・
                つくろっていたものを
               すべてはぎ取っていくときに、
                  最期の時。
      『意志』と『心』の、 完全な一致を体験し、 『悟り』を得るのであろう。 と想像する。


               その体験は、まだまだ先でいい。 
        それでも、今日も、『学びの場』である庭仕事に、精を出す私です。 楽しい。



そして。

今日は6月23日。年間第十二火曜日。

『今日の入祭唱』

         『新しい歌を主に向かって歌え。
   
     主は、右の手、聖なる御腕によって、救いの驚くべき御業を成し遂げられた。』
              詩編 98章1節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

  イエスは、 昨日に続き、 今日も、
  『神の国』に入る心構えを語ります。



          『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    
      
    人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
                これこそ律法と預言者である。


          狭い門から入りなさい。
     滅びに通じる門は広く、 その道も広々として、 そこから入る者が多い。

    しかし、    命に通じる門はなんと狭く、 その道も細いことか。
                それを見いだす者は少ない。」』
                  マタイ福音書 7章6&12-14節


      今日の『イエスの忠告』は、
    『人にしてもらいたいと思うことは何でも、 あなたがたも人にしなさい。』 です。

 同時に。

      イエスは述べます。

          「私の『忠告』は どんなに難しく、 どんなに『狭き門』 であることか!」 と。


        皆様にとって・・・『人にしてほしいこと』 とは何ですか?

         それは・・・ 愛。 理解。 親切。 許し。  ですよね。
         それは・・・ すべての人にとって、 『狭き門』 です。
                 分かっていても、実行が難しいことばかりです。
         それは・・・ 人に 『犠牲』 を求めることなのです。

 それでも。

         『狭き門』  だけが、こそが、  『命に通じる門』 なのです。
    
          イエスによる  『愛。理解。親切。許し。』  の成就です。
                イエスによる  『律法と預言者』  の成就です。


      それは・・・人のために 『犠牲』 を払うことを求める 『狭き門』 なのです。
      それは・・・信仰によって、 『イエスと共に』生きる、 『命』に通ずる『門』なのです。


          私たちは、
          時々 『イエスの忠告』 を思い出して・・・反省し、
              
             イエスと共に生活しながら・・・
                 イエスの模範に倣いながら・・・

                  イエスの愛を信じて・・・
   
             『天の門』 に到達いたしましょう。


『今日の祈願』

     『信じる者の力である神よ、
    あなたの恵みに生かされて、永遠の救いにあずかる者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
STAY HOMEの数ヶ月の間に・・・
つつじ。さつき。あじさい。そして ひまわり。
次々に咲いてくれる花々に癒されましたね。
皆様のひまわりに続く日々が穏やかでありますように。 お元気で!

夫は山に芝刈り&妻は町に芝刈り。 そして 『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。』

2020-06-22 08:57:07 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月22日。月曜日。晴れ。


       育ってきました・・・    『紫蘇』
       

                外出自粛中に植えた紫蘇。
                 他にも3株あります。
                 納豆の薬味にも大活躍
                  有り難いことです。


『外出自粛要請』 が緩和されて、
今日、約3ヶ月半ぶりの、『外出』となりました。

夫は、友人と、山に『散策』に出かけました。
妻は、一人で、町に『散策』に出かけました。


          私は、久しぶりの近所のデパート散策で、『夏靴』 を購入しました。
          長かった外出自粛分を補うための、 『旅行準備計画』 です。
                                足元の準備ができました。
           次は。
          3ヶ月半の外出自粛分を補うための、 『旅行計画』です。
       県をまたいだ移動が全面解除といえども・・・どこから始めるかな? 考えるのが楽しい。


      『自粛生活』は長かったですが、  私たち夫婦には『良い時間』 でもありました。
            益々年を重ねて外出が出来なくなったときの
               『シュミレーション』のようでした。

          
          夫婦は、 『STAY HOME』 が苦になりませんでした。
       『外出自由の時間』 を持てることが、 どれだけ幸せなことか、
        自分に与えられた時間は、 『かけがえのない時間』 であること、
           そして、
 それぞれの年代に与えられた時間には、 それぞれが果たさなければならない『使命』があること、
              ・・・等等。 大いなる『学びの時間』 となりました。 感謝の時間でした。


そして。

今日は6月22日。年間第十二月曜日。

『今日の入祭唱』

        『主は平和を宣言されます。
      御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、
       彼らが愚かなふるまいに戻らないように。』
   
            詩編 85章9節 



『今日の福音 イエスの御言葉』  

イエスは、 人は人を裁く前に、
   「まず自分の目から丸太を取り除きなさい。
    人を裁く権利は人にはないのです。」 と。
      優しく言い渡されます。



         『そのとき、  イエスは弟子たちに言われた。
     

              「人を裁くな。 
         あなたがたも裁かれないようにするためである。

      あなたがたは、 自分の裁く裁きで裁かれ、 自分の量る秤で量り与えられる。
  あなたは、 兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、 なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。

      兄弟に向かって、  『あなたの目からおが屑を取らせてください』  
                           と、どうして言えようか。
           自分の目に丸太があるではないか。

 
         偽善者よ、  まず自分の目から丸太を取り除け。
    そうすれば、 はっきり見えるようになって、 兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。」』
                      マタイ福音書 7章1-5
          

         イエス様は、 神様と同じように、
           『裁き』ではなく、 『平和』を、・・・と宣言なさったのです。
              『裁き』 は 『愚かな振る舞い』 なのです。 と。

           
       イエスは、おっしゃいました。
   『わたしは、 世を裁くためではなく、 世を救うために来た。』 ヨハネ福音書 12章47節
   『互いに愛し合いなさい。 わたしがあなたがたを愛したように。』 ヨハネ福音書 13章34節
    
    
      イエス様は、 『互いに愛し合いなさい』 と 『新しい掟』 を語られた後・・・
         十字架上で、
       
            人に裁かれて、 世の罪を背負って、 殺されたのです。

      イエス様は、 ひたすら沈黙を保って、 人間の目の中にある『丸太』を背負って・・・
                   人間から裁かれたのです。



    イエス様は、 人々に、忠告なさいます。
    『自分の目の中の丸太』 は、気にせずに・・・、気づかずに・・・、 
           『人の目の中のおがくず』 を気にするのです。
    人の欠点には すぐ気づきますが、
           自分にはもっと大きな欠点があっても、 気づきにくいのでしょう。
    お人の欠点を思う時には、
           イエスの『十字架の模範』 と 『イエスの慈悲深さ』 に照らし合わせて、
               自らの、 いたらなさを反省する。 のがいいのかもしれません。


   この頃の世界でも・・・
   人々が裁くことによって、 『平和』でなく『分断』 が生まれています。 恐ろしいことです。
                


        神は、 人を無条件で愛するお方です。 すべての人を愛するお方です。
        私たちも、 お人の痛み、苦しみ、悲しみ、呻き、 を理解しながら、 
          すべての人と仲良く、 神に裁かれることのないように、
           神を賛美しながら、 過ごしてまいりましょう。 


『今日の祈願』

   『命の源である神よ、
    主のうちに結ばれたわたしたちが、
       平和と一致のために働くことが出来ますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
自由な行動、皆と仲良い行動・・・
どちらも十分な配慮で実行しながら、楽しみたいですね。 お元気で!

夏至の日&父の日 そして 『わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。』

2020-06-21 07:05:02 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
6月21日。日曜日。晴れ。

今日は『夏至の日』 
一年中で、昼間が一番長い日。
夏至をすぎると,太陽の通り道は,すこしずつひくくなり,


「明日から、毎日、畳一目分奥まで、太陽の陽が家の中に入るのよ」
と、亡き母がよく言っていた。 測ったのかしらね!?
「夏至は、暦とは逆に、いよいよ夏本番ね」
と、夏衣の準備をする亡き母を思い出す今日は『父の日』です。


   そして。

         今日は亡き父を偲ぶ・・・  『父の日』
       
                      『フランス郊外』

            亡き父が集めた、フランスの『絵画』の一枚。
     眺める度に、異国フランスのアパートで、週末を、ただ一人で、過ごした父の心を忍ぶのです。
             ”セーヌ川のほとりを散歩したものだよ”
       言葉少ない父のフランスの話に、単身赴任の父の寂しさを感じたものでした。
                       『絵画』を見る度に、”父は強し!” と涙を抑える私です。


今日は『父の日』
父に感謝を表す日。

アメリカのドッド夫人が『母の日』にならって、
父親に感謝するために、『白いバラ』を、父親の墓前に飾ったのが始まりだそうです。
『花言葉』は『あなたを想う』
1909年。ドッドさんが、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、
教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけとなり、
始まった『父の日』。 始まりの話がすてきですね。 アメリカでは国の祝日です。
      

         無条件に娘を愛し、無条件に娘を支えてくれた、私の父。

          『神よ、わたしに親への感謝の心をお与えください。
            あなたの愛で、
     わたしの愛の足りなさを優しさといたわりに変えてくださいますように。』

             『祈りの友』より


そして。

今日は6月21日。年間第十二主日。

今日もコロナ対策のために、3月8日主日以来、主日ミサ出席はなし。
教会の、そして信仰生活の、いのちの源泉、頂点である『御聖体』。
約4ヶ月間、拝領していない。 寂しい限りです。

   そこで。

          今日も・・・自宅で、『御言葉朗読』 です。
             ご一緒に、よろしくお願いいたします。


『今日の入祭唱』

   『神よ、お救いください、あなたの民を。
   祝福してください、あなたの嗣業の民を。 とこしえに導き養ってください。』

                詩編 28章9節


『今日の第一朗読 預言者エレミヤの嘆き』

               『エレミヤ   は言った。
            
                                ミケランジェロ作品

      「主は、恐るべき勇士として、 わたしと共にいます。 

           それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき
        勝つことを得ず、成功することなく甚だしく辱めを受ける。

    正義をもって人のはらわたと心を究め見抜かれる方よ。
       万軍の主よ、わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします。

            主に向かって歌い、主を賛美せよ。
       主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。』
            エレミヤ書 20章10-13節


 紀元前627年~587年頃。 

         神は、 エルサレムが、 滅亡へと、急速に転落していくのを御覧になり・・・
                  預言者エレミアを立て、
       『民の不信仰』 と バビロン帝国から迫る危機を伝える『神の言葉』、を告げます。

    そんな時。

   エレミヤは、 
   エレミヤが告げる『神の言葉』を聞きたくない民から、激しい反発と迫害を受け、更に、からかいの的になります。
   エレミヤとは異なる言葉を告げる他の預言者からは、どちらが正しいのか? との、争いが生まれました。

            エレミヤは、神に向かって、嘆き、訴えるのです。
    『なぜ、私は母の胎からでて労苦と嘆きに遭い、生涯を恥の中に終わらなければならないのか。』
                                   エレミヤ書 20章18節

  結果は・・・  
  紀元前598年。
  エレミヤの預言通りに、イスラエルの一部は『バビロンの捕虜』 となり連れ去られます。
  それ以降。    イスラエルの人々は、エレミヤを『真の預言者』と認め、尊敬するのです。

       『神の民・イスラエル』は・・・
            『バビロン捕囚』の間に、
    この地上の者に頼るのではなく・・・神に頼ることを、学んでいくのです。
    『バビロンの捕囚』ですべてを失ったイスラエルの民は・・・
         国や土地を持たなくても、『信仰』さえあれば、『神の民』として存在できることを、学んでいくのです。 

       私たちも、神の民です。 イスラエルの民の学びから、学びましょう!


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


            『そのとき、イエスは使徒たちに言われた。
       

    
             「人々を恐れてはならない。
           覆われているもので現されないものはなく、
       隠されているもので知られずに済むものはないからである。


       わたしが暗闇であなたがたに言うことを、 明るみで言いなさい。
         耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。


         体は殺しても、 魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
     むしろ、 魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

       二羽の一羽さえ、 あなたがたの父のお許しがなければ、 地に落ちることはない。
         あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
              だから、恐れるな。   
         あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

   だから、
        だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、
        わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
   しかし、
           人々の前でわたしを知らないと言う者は、
          わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」』
               マタイ福音書 10章26-33節


     イエスは、 エレミヤのことを思いながら、 ご自分の弟子たちを励まされたのでしょう!

  恐れるな! 弟子たちの働きに悪口を言う者があっても、驚くことはない・・・
                 必ず、『真実』は現われます。
  恐れるな! 弟子たちに伝えた『イエスの言葉』を、屋根の上で、皆に伝えなさい。
  恐れるな! あなた方のすべてをご存じの神の前で、多くの人に、『真実』を語りなさい。
  恐れるな! 人々に『イエスの証人』として働くなら・・・ 
               イエスのように殺されるかもしれません。 
               しかし『真実=福音』は残り、あなたは『永遠に神と共に』生きるのです。
  恐れるな! いつも神があなたがたを守り、あなたがたが神に捨てられることはない。

     イエスは、弟子たちこそ、『自分の家族』、『自分の兄弟』であると、励ましたのです。
      私たちも、弟子たちと同じように、イエスに励まされているのです。 頑張りましょう!


『今日の祈願』

   『ともにいてくださる神よ、
   キリストに結ばれたわたしたちが、信仰を力強く宣言して生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は、父の日。
この世に命を与えてくれた、父とそして母にも感謝いたしましょう。 お元気で!