マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

コロナウイルス陣中見舞い その・・・⑥『友の愛』 そして 『この人は大工の息子ではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。』

2020-07-31 15:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
7月31日。金曜日。晴れ。

 いつものように・・・
 朝ウォーク&ジョグ。


   雑草がすっかり刈り込まれた・・・     『中央公園』
 

           しばし立ち止まり、 その美しさを堪能しました。


   中央公園の花壇は満開・・・   『マリーゴールド』
 

      
  そして・・・
  午後3時。
   

         友から・・・   『スポーツソックス と ハンドクリーム』
  
                             
      コロナ禍のために会うこともないままに何ヶ月も過ぎてしまった友からの      
           『コロナウイルス陣中見舞い』 でした。
    年を重ねた私の『朝ジョグ』が、友人に勇気を与えているそうです。 いとうれし。
        私も『友人からの愛』に勇気を頂いて、 明日からもがんばれます。
                            感謝!感謝!


そして。

今日は7月31日。年間第十七金曜日。

       『聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 記念日』
 

   カトリック教会の修道会:イエズス会の創立者の1人にして初代総長。
   『霊操』の著者としても有名で、対抗改革の中で大きな役割を果たした。


 1491年。   スペイン北西部のバスク地方の貴族ロヨラ家に生まれる。
              宮廷と軍隊での生活を送っていた。

1521年。30歳。 戦場で負傷し、病床にあったイグナチオは、
            キリスト伝や聖人伝を読んで感銘を受け、回心しました。
           そしてすべてを捨ててキリストに従う決心をし、
            マンレサに退いて、祈りと苦行に専心した。
          このときの霊的体験が、有名な著書『霊操』を生みだした。

 それから。 ローマとエルサレムに行き、 ヨーロッパに戻り、 パリ大学で神学を勉強をした。
          学友の中から6人の同志を集め、 パリのモンマルトル聖堂で、
      「より大いなる神の栄光のために」 また 「すべての人のために」 働くことを誓って、
             『イエズス会』 を創立。
       同志のなかに、日本の最初の宣教師であるフランシスコ・ザビエルもいた。 

1540年。49歳。 『イエズス会』 がローマで正式に許可される。
           著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、
           その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。

1559年。68歳。 ローマで死去。

 現在。   イエズス会会員は、世界各地で、教育など多くの分野で活躍している。
        日本では、東京の上智大学をはじめ、鎌倉市、神戸市、広島市、福岡市などでの
  教育事業や、黙想指導、教会司牧、社会正義など、社会の中で人々の必要のために働いています。

           以上。『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『天上のもの、 地上のもの、 地下のものがすべて、 イエスの御名にひざまずき、
すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、 父である神をたたえるのです。』

           フィリッピの信徒への手紙 2章10&11節


そして。 


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、 イエスは 故郷(ナザレ)にお帰りになった。
           会堂で教えておられると、
 
       『ナザレの会堂で教えるキリスト』 ヘルブラント・ファン・デン・エークハウト作品

人々は驚いて言った。

  「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。
         この人は大工の息子ではないか。

    母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
        姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。
   この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」

        このように、人々はイエスにつまずいた。

 イエスは、 「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」 と言い、
      人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。』
             マタイ福音書 13章54-58節


    今日は、 メシア・イエスに対する人々の疑いと拒絶の態度、 が描かれています。
         イエスは故郷ナザレで受け入れられませんでした。


イエス様は、ご自分の故郷ナザレに行かれ、皆に話をなさいました。

  『イエスの言葉』に、感嘆する人がいました。
    一方。
  『イエスの言葉』につまずく人がいました。
    「大工の子じゃないか。彼の兄弟姉妹は(従兄弟達)は私たちのご近所さんじゃないか。」
       一般家庭の出身者で、特別な人ではないのに、
         どうして、えらそうに話すのか?   と。


         イエスにつまずく人は、
     イエスの素性を良く知っており、 『人間イエス』をみているのです。
  『救い主イエス』 なら、もっと、神秘的な素性や姿であるはずだ、 と思ったのでしょう。

  
         心から耳を傾け、 イエスの話を良く聞くと、
     ただの『人間の話』ではない、 それ以上の『何か』を感じるはずです。


イエスは、 本当に信じたいと思っている人のために、
          信じる人になるために、 『奇跡』をなさるのです。


    イエスをもっと知りたいと思う人のために、イエスは『奇跡』をなさるのです。
    イエスを疑う人、イエスの話に耳を傾けたくない人には、
                      イエスは『しるし』をお見せになりません。

キリストは、今、私たちを訪れ、呼びかけておられます。
 
    私たちも、『イエスの御言葉』に耳を傾けて、一層キリストを知りましょう。



『今日の祈願』

   『すべての人の救いを望まれる神よ、
 あなたは偉大な栄光を現わすために、ロヨラの聖イグナチオをお選びになりました。
聖人の助けと模範に励まされて、わたしたちも悪と戦い、ともに勝利の冠を受けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ感染者が増え続けています。くれぐれも自粛生活を続けてまいりましょう。
互いに励まし合って、この難局を、乗り越えていきましょう。  お元気で!

夏目漱石・・・『思い出す事など』 そして  『世の終わりにもそうなる。良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てられる。』

2020-07-30 15:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
7月30日。木曜日。曇り時々晴れ。  


私の本の購入は
もっぱら「Amazon」からです。


     今日の買い物・・・   『夏目漱石 思い出す事など』
     

        1910年(明治43年)の『修善寺の大患』を、自ら描いた随想です。


私は好きな『テレビ番組』がいくつかあります。
好きな『番組』は、欠かすことなく録画しておき
後日に、ゆっくりと観るのが好きです。

一つは、以前にブログにも書いた
 『心の時代』

一つは、『100分de名著』です。
週1回25分で、月に4回の放送。
25分×4回=100分で、1ヶ月に一冊の『名著』を読み上げるのです。
私は、必ず、取り上げられる『名著』を買って読むのです。

          
          7月の『100分de名著』は、吉本隆明の『共同幻想論』でした。          
              今月の『名著』は難しい。 まるで分かりません。
        解説の先崎彰容先生の『指南』で、どうにか読み込んでいきました。


先生の『指南』・・・
現代社会は、極めて「多忙な時代」になっています。
その理由の一つが、インターネットやSNSの普及拡大による多忙です。
『民主主義のルール』
人々の対話と熟議を、なにより重視するもので、
本来、時間性を特徴とします。
時間をかけてでも、他者の意見を尊重し、すり合わせ、
最終的には、多数決の原則にしたがう、のが民主主義のルールです。
ところがSNSの普及は、民主主義の姿を変えてしまいました。
高速度化する現代社会は、
安定した人と人とのつながりが非常につくりにくいということです。
                 ・・・等々。

       
         吉本隆明は、 夏目漱石の随筆:『思い出す事など』 を用いて、
           『確信』に触れていきます。


  『平凡な生活がいかに奇跡的か、 当たり前に見える家庭がいかに必死に生きているのか。』
             を再認識するときに、
    人間は、『生き方の突破口』、『人が自立して思考する拠点』 を見つけるのです。
               と、先生は指南なさいました。


只今。 
私は、夏目漱石の随筆:『思い出す事など』に
大いなる興味を持ち、購入した次第です。 
早速に、読書中です。 楽しいです。


そして。

今日は7月30日。年間第十七木曜日。

『今日の入祭唱』

       『全地よ、 主に向かって歌え。
 
    国々に主の栄光を語り伝えよ、 諸国の民にその驚くべき御業を。』

            詩編 96章1&3節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは  人々に言われた。


         「また、天の国は次のようにたとえられる。

         網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。
       網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、

 
       良いものは器に入れ、 悪いものは投げ捨てる。


            世の終わりにもそうなる。
      天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、
           燃え盛る炉の中に投げ込むのである。
       悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

        あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」

  弟子たちは、     「分かりました」   と言った。
そこで、
 イエスは言われた。  
            「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、
       自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」


       イエスはこれらのたとえを語り終えると、そこを去った。』
          マタイ福音書 13章47-53節


    今日も、イエス様は、 『天の国』 と 『最後の審判』   について話されます。


イエス様は話しました。

『天の国』は、
大漁の漁師が、魚を岸に上げてから、座り込んで、
良いものは器に入れ、 悪いものは投げ捨てる。
         のに似ている。
自分の倉から新しいものと古いものを取り出す
   一家の主人、  似ている。


   どういうことでしょう?
   私なりに考えてみました。

      漁師さんは、
        大量の魚の 『良い魚と悪い魚』 を見分けるときに、
         網から持ち上げて、すぐに、
             『悪い魚』 棄てるようなことはしない。
     家に持ち帰ってから、 『良い魚と悪い魚』 を区別するのです。
     急ぐことは間違いが多い。 ことを経験で学んでいるのでしょうか。


     神様も、
        この世の 『良い人と悪い人』 を見分けるときに、
                すぐには、
             『悪い人』 を裁くことはなさらないのです。
      『神の国』の働きは、 まだ終わっていないのです。
 『神の国』の統治者の神様は、 『悪い人』の『改心』 を待っていてくださるのです。
 神様は、 『神の裁き』 を、 『神の国の完成』の時まで、 お待ちくださるのです。


     弟子たちは、
       『イエスの説明』を、 『分かった』と言いました。
       神様と同じように、
   すぐに裁くことなく、 人に『改心』の時を与える必要があるのです。


     私たちキリスト者も、
        『イエスの説明』 が分かれば・・・
 私たちにも、最期の時まで『改心』のチャンスがあると分かり、感謝と喜びです。
    又。
        『裁きは神の仕事』 と悟り・・・
 お人を、 すぐに裁くことなく、 『共歩』 の道を探ってまいりましょう。


    イエス様は、弟子たちやキリスト者が、『神の国』を理解できたのを認めれば・・・
       ご安心なさって、 まかせて下さり、  立ち去られるのです。
                 責任重大です。 でも 感謝!感謝!   


『今日の祈願』  

   『万物を治められる神よ、
 わたしたちがまことの礼拝を捧げ、 永遠の幸せにあずかることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様は、本を読むのは、活字派ですか? それとも キンドル派ですか?
娘家族は全員、孫達もキンドルです。 私は、キンドルには慣れなくて、いまだに活字です。
読書で、自粛生活が満たされますね。楽しいですね。  お元気で!

梅雨明け そして キリスト教信仰の神髄・・・『イエスは復活であり、命である。』 & 『イエスは世に来られた神の子、メシア。』

2020-07-29 05:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月29日。水曜日。曇り。

 私の住まいのあたりでは、
  今日のニュースで
明日にでも梅雨明け宣言がありそうです。
 今朝の様子ではそれもありか?


     ラン途中の公園        『カンナの満開』
 

         最近は、明け方は涼しいので、6時のラン出発です。
                梅雨明けで
              出発は5時になります。 
           6時では、暑くてたまらなくなります
              いよいよ夏到来ですね。


そして。

今日は7月29日。年間第十七水曜日。

             『聖マルタ 記念日』
 
    『イエスの接待に立ち働くマルタと説教に聴き入るマリア』    フェルメール作品

     マルタは、ベタニアで、弟ラザロ、妹マリアと共に暮らした。
    イエスと親しく、 家を訪問するイエスをあたたかくもてなしました。
  又、イエスは、マルタの祈りにこたえて、 死んだラザロを復活させました。


中世頃より。 マルタは、プロヴァンス地方(フランス南部)で宣教したとする伝承がある。
 1187年。 マルタの聖遺物がタラスコン(フランス南部)で発見された。
             『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

   『イエスはある町にお入りになった。
  すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。』

        ルカ福音書 10章38節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


  『そのとき、 マルタマリアのところには、
         多くのユダヤ人が、 兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。

       マルタは、 イエスが来られたと聞いて、 迎えに行ったが、
 
マリアは家の中に座っていた。

 マルタは イエスに言った。
   「主よ、もしここにいてくださいましたら、 わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
 
          『ラザロの死を知り涙を流されるイエスとマルタ』

     しかし、
 あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、
              わたしは今でも承知しています。」


   イエスが、   「あなたの兄弟は復活する」  と言われると、
   マルタは、  「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」   と言った。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。
              わたしを信じる者は、死んでも生きる。
         生きていてわたしを信じる者はだれも、 決して死ぬことはない。

                       このことを信じるか。」

マルタは言った。   
「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、
          メシアであるとわたしは信じております。」』

            ヨハネ福音書 11章19-27節


    今日の福音は、 『キリスト教の神髄』 です。

イエスはおっしゃいました。

         『イエスは復活であり、命である。』
 『イエスを信じる者は、死んでも生きる。決して死ぬことはない。』

そして。

マルタは信じる者の代表者として、
           『信仰宣言』  をするのです。

    『イエスが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださいます。』
        『主イエスは世に来られた神の子、メシア(救い主)です。』


イエス様とマルタの『会話』があります。


  マルタ:『兄弟ラザロが、終わりの日の復活の時に復活することは存じております。』
  イエス:『生きていてわたしを信じる者はだれも、 決して死ぬことはない。』

          イエスを信じる者は、 この世に生きているときから、 
         『本当の命』を得て、すでに『復活』に参加しているのです。

        イエス様は、 マルタが信じた『終わりの日』 だけでなく、
             今でも『本当の命』を下さる方なのです。

以前。 イエスは言われた。
   『わたしの言葉を聞いて、 わたしを遣わした方を信じる者は、 『永遠の命』を得、
      また、 裁かれることなく、 死から命へと移っている。』 
ヨハネ福音書 5章24節


        イエスを知り、神を知ることが、 『本当の命』 なのです。

   私たちキリスト者は、 『信仰』で生きることが、 『永遠の命』を生きていることなのです。


『今日の祈願』

   『命の源である神よ、 私たちを、過ぎ行くものの誘惑からお守りください。
聖マルタに倣い、真心を込めて日々あなたに仕え、永遠の国であなたを仰ぎ見ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日本全国、大気の不安定な状態が続いています。
被害も大きく、どうぞお気をつけ下さい。 お元気で!

『アンネのバラの教会』・・・『アンネ・フランク資料館』 そして 『耳のある者は聞きなさい。世の終わりに、不法を行う者どもと正しい人々は分けられる。』

2020-07-28 18:07:04 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月28日。火曜日。曇り。

 外出自粛期間ですが・・・
   いつの日か
  お訪ねください。
 

     お近くにお出での節に・・・   『アンネのバラの教会』
 

               世界の恒久平和を願って・・・

  世界記憶遺産:『アンネの日記』の著者アンネ・フランクを記念する世界初の教会です。
      アンネの父・オットー氏との親交から創設されたユニークな教会。


     教会に併設された・・・      『アンネ・フランク資料館』
  
              『アンネ・フランク ブロンズ像』


アンネの父オットー氏から託された『アンネのバラ』をはじめ、世界的に貴重な遺品や資料
         が所蔵されています。
           アンネの生涯 や ホロコーストを通じて、
     世界共通の願いである『平和』をつくり出す学びの場となっています。

          資料館公開日は土曜日。 ガイドは午後の1時と3時。
        西宮(0798-74-5911)にお出での節は是非お立ち寄りください。



『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式』
  8月6日(木)午前8時~8時50分
広島県広島市に原爆が投下されて以来75年目の今年の8月6日。


        皆様で 『世界の恒久平和』 をともにお祈りいたしましょう。  

     

そして。

今日は7月28日。年間第十七火曜日。

『今日の入祭唱』

  『神よ、あなたの御言葉は、 わたしの道の光、 わたしの歩みを照らす灯。』
            詩編 119章105節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


      今日、イエスは、
  『最後の審判・公審判』 について話されます。
又、 『最後の審判』をテーマにした芸術作品をお楽しみください。



    『そのとき、  イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。
        すると、 弟子たちがそばに寄って来て、

         「畑の毒麦のたとえを説明してください」  と言った。
 
 イエスはお答えになった。

 「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
               毒麦を蒔いた敵は悪魔、
              刈り入れは世の終わりのことで、
              刈り入れる者は天使たちである。

          だから、 毒麦が集められて火で焼かれるように、  
                 世の終わりにもそうなるのだ。

 
             『最後の審判』     ミケランジェロ作品 バチカン・システィーナ礼拝堂 


人の子は天使たちを遣わし、
つまずきとなるものすべて と 不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
          燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。
 

           『公審判』       ハンス・メムリンク作品 ウィーン美術アカデミー付属美術館  

          彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

そのとき、
      正しい人々は その父の国で 太陽のように輝く。

       『公審判』        フラ・アンジェリコ 作品 フィレンツェ。サン・マルコ美術館

        耳のある者は聞きなさい。」』
          マタイ福音書 13章36-43節


          世の終わりの 『最後の審判』 

   まずは。   「正しい者も正しくない者」も、 すべての『死者の復活』が、
               『最後の審判』 の前に行われます。

   その時。       キリストは栄光のうちに来臨し、
           すべての国の『復活した民』 がその前に集められるのです。

   次に。     悪に対する善の 『決定的勝利』 を実現されるのです。
             『最後の審判』 が行われるのです。


  最後の審判の席で・・・

           イエスは、 人の隣人に対する態度が、
  神の恵みと愛とを拒否したか、あるいは受け入れたか、 を明らかにされるはずです。

          イエスは、 次のように言われるのです。
     『わたしの兄弟である子のもっとも小さい者の一人にしたのは、
         わたしにしてくれたことなのである。』
 マタイ福音書25章40節


   この世で。  この『善と悪』とは、 畑の中の『良い麦 と 毒麦』のように、
             歴史の中で、 ともに育っているのです。         

   世の終わり。  『世の終わり』に、 『神の国』が完成するのです。

                  以上。『カトリック教会のカテキズム』より。

 私たちは、
 死を迎えるその時まで、回心を重ねながら、決して諦めずに、『良い麦』に育っていきましょう。
       お人の幸せのために、尽力いたしましょう。
 私たちの行いで、 お人が『神の愛』を知ることができるように、 祈りましょう。




『今日の祈願』

  『いつくしみ深い父よ、
       あなたはわたしたちを選び、光の子として下さいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、いつも真理の光のうちに歩むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
毎年8月になると巡り来る『広島平和祈念日』です。
忘れることなく『世界の恒久平和』を祈りましょう。 お元気で!

夏休み前の定期テスト そして 『わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。しかし、彼らは聞き従わなかった。』

2020-07-27 19:41:37 | 娘と娘家族
7月27日。月曜日。曇り。

 夏休み前。
 
     学生さん達は・・・       『期末テスト』
 
          
  孫娘が、コロナ禍で休校も多く中間テストもなく、今日から、いっきに『期末テスト』です。
             初めての経験の『期末テスト』

        昨夜に 「今日は8時間以上勉強したよ」 とメールがあり、
            孫娘の緊張度が伝わってきました。


私には忘れられない中学時代の友人がいます。
超美人。超スタイル良し。超性格良し。超優しい。そして超頭良し。
正に、非の打ち所のない、天才女性でした。
当然のごとくに
トップの都立高校入学。トップの大学入学。そして留学。
国会議員になられました。


       私には、その友人と私の『会話』で、忘れられない思い出があります。

     中学の『定期テスト』の時に・・・
     「どこが出ると思う? どこに山をかけて勉強する?」 と、聞いた私。
     『あら、山をかけるの? すべて覚えるのじゃないの?』 と、スラッと返事をした友人でした。

           私は、その時に悟ったのです。

        『何事にも優れている人』というのは・・・
        天才というよりは、
        落ち着いて、淡々と、黙々と、丁寧に、
        『今やるべきことをまじめにこなす人』 のことである。
        山を掛けて、一部だけの勉強で済ませようなんてことは、頭にもよぎらないのでしょう。


         『一部をいい加減にサボって、 その結果を満足できるのですか?
        全部をこなして後にこそ、 その結果に満足できるのではないのかな。』



              忘れられない中学生の『友人の言葉』
          今でも、私の人生の『あり方』に繋がっているのです。


              孫娘にも教えてある『友人の言葉』
       「やるべきことはやったわ。 これで安心して寝るね。」 と、昨夜の孫娘。
   「やるべきことが終わったら、自信となって、明日は大丈夫ね。」 と、私は返事をしました。

           
      人生には、 人の一生を左右する素晴らしい『出会い』、 があるものですね。
                                  感謝!感謝!



そして。

今日は7月27日。年間第十七月曜日。


『今日の入祭唱』

    『主に感謝をささげ、 その名をたたえよ。
 主は恵み深く、慈しみはとこしえに、 主の真実は代々に及ぶ。』

        詩編 100章4&5節


そして。

『今日の第一朗読 神の警告』

   
        『主は わたし(エレミア)に こう言われる。
    
                『エレミア』    ミケランジェロ作品

     「麻の帯を買い、それを腰に締めよ。 水で洗ってはならない。」
わたしは主の言葉に従って、
       帯を買い、腰に締めた。
主の言葉が再びわたしに臨んだ。

         「あなたが買って腰に締めたあの帯をはずし、
     立ってユーフラテスに行き、 そこで帯を岩の裂け目に隠しなさい。」
    

そこで、わたしは主が命じられたように、ユーフラテスに行き、帯を隠した。
多くの月日がたった後、
主はわたしに言われた。
    「立って、ユーフラテスに行き、かつて隠しておくように命じたあの帯を取り出しなさい。」
わたしはユーフラテスに行き、
    隠しておいた帯を探し出した。 見よ、帯は腐り、全く役に立たなくなっていた。


主の言葉がわたしに臨んだ。 主はこう言われる。
     「このように、 わたしはユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。
        この悪い民はわたしの言葉に聞き従うことを拒み、
          かたくなな心のままにふるまっている。

      また、
    彼らは他の神々に従って歩み、 それに仕え、 それにひれ伏している。
         彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。

           人が帯を腰にしっかり着けるように、
    わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、
  わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った。

           しかし、彼らは聞き従わなかった」
  と主は言われる。』
             エレミヤ書 13章1-11節



       今日語られる『神の言葉』は、 誠に厳しい『告発の言葉』です。

当初。

 神は『ご自分の体を支える帯』のように、しっかりと、イスラエルを、『腰に巻き付けられた』 のです。
      主のお気持ちは、
     『わたしはイスラエルのすべての家とユダのすべての家をわたしの身にしっかりと着け、
       わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう、と思った』
 のです。

ところが。

 イスラエルの民は、
            神が『告発』なさるとおりに、
  『神の言葉に聞き従うことを拒み、 かたくなな心のままにふるまっている。
   また、彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏している。
      彼らは全く役に立たないこの帯のようになった。』
 のです。

 
   『イスラエルの使命』は、
     神の愛の応えて・・・
     神が肌身離さず用いられる 『主の腰帯』 として、生きることでした。

しかし。

    イスラエルの民は
        エレミヤが神の命じられた通り、岩の裂け目に隠しておいた帯が、
        数ヶ月後に・・・
        取り出すと、帯は腐り、全く役に立たなくなっていたように、
    『他の神々に従って歩み、それに仕え、それにひれ伏し
           全く役に立たないこの帯のようになった』
  のです。


      神は、
   『エレミヤの帯』の教訓から、
   『神の民イスラエルは、神の帯として全く役に立たない、腐った帯となっている』ことを、
          エレミアに明らかにされたのです。
     エレミアに、イスラエルの民に『背信』を告げ、『回心』を呼びかけるように、と言ったのです。


       神の『厳しい言葉』は、 『神の警告』 であったのです。

神の『警告』にもかかわらず・・・

紀元前627年~587年。
    エレミヤが活躍した時代に、 エルサレムは滅亡へと急速に転落していくのです。

  紀元前605年。 ユダの国はバビロンに、 征服され滅び去り、 掌握されたのです。
 
            『イスラエルのバビロン捕囚』

  紀元前587年。 エルサレムの滅亡をみたエレミアは、エジプトへ連行されるのです。


    それでも。
    『神の御心』は、いつも、変わることがないのです。
 『イスラエルの民(すべての人)を、わたしの民とし、名声、栄誉、威光を示すものにしよう。』
               ・・・と、お望みなのです。


      私たちは、
      心の弱い者であること、 神を離れては道に迷いやすいこと、 を自覚し、
         いつも 『回心』 を繰り返し、
      『神の帯』として、 あたえられた『使命』を
         落ち着いて、淡々と、黙々と、丁寧に、 果たしたいものですね。



『今日の祈願』

    『全能の神よ、
信じる人々が、あなたにふさわしい礼拝を捧げることができるのはあなたの恵みによるものです。
   わたしたちが、約束された国に向かってともに歩むことができますように。』



 
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
人にわずらわされることなく、人をうらやむことなく、自分の使命を果たしたいですね。
長雨にもめげずに穏やかな明日でありますように。  お元気で!

友の洗礼 そして ソロモン・・・『聞き分ける知恵』 パウロ・・・『復活されたイエス・キリスト』 イエス・・・『信仰』

2020-07-26 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月26日。日曜日。雨。

全国的に大雨が続く様子です。
十分に用心するようにとの
天気予報です。

コロナウイルス感染者も、
午後4時現在で346人です。
十分に用心するようにとの
ラジオのニュースでした。

    そんな中。

          今日のいい話・・・   『友人の洗礼式』
      
           8月15日:『聖母被昇天祭日』に洗礼を受ける友人。
         今日、洗礼式でかぶるベール、を友人と私で探してきました。
            当日まで私がお預かりです。 ぽぽちゃんがかぶってみました。

        「まだまだ学びたいことがいっぱいあるのに、洗礼になりました。
            洗礼後に、新たな学びができるのが楽しみです。」


            今日の打ち合わせでの、友人の「言葉」でした。
        なんて、新鮮で、美しい、そして謙遜な、 「言葉」なのでしょう!

           『新しく生まれる洗礼式』・・・今日のいい話でした。
                           感謝!感謝!


そして。

今日は7月26日。年間第十七主日。

私は、今日は一ヶ月ぶりのミサの参加でした。
  嬉しくなって・・・
『主日の典礼』の分かち合いを致します。 よろしくお願いいたします


『今日の入祭唱』

  『主は恵み深く憐みに富み、
   主を畏れる人に糧を与え、契約をとこしえに御心に留めてくださる。』

           詩編 111章4&5節


      今日の三つの『聖書の言葉』は、
   お三人が語る、それぞれ、三つの、 『宝物』についてです。



まずは。

『今日の第一朗読 ソロモンの宝物』

     『その夜、 はギブオンで  ソロモンの夢枕に立ち、

             『主と話すソロモン』
      
        「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」   と言われた。

ソロモンは答えた。

    「わが神、主よ、 あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。
     しかし、 わたしは取るに足らない若者で、 どのようにふるまうべきかを知りません。
          僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、
      その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。

どうか、あなたの民を正しく裁き、 善と悪を判断することができるように、
       この僕に聞き分ける心をお与えください。


    そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」

主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
  神はこう言われた。
      「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、
             訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
     見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。
            あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。」』

                列王記上 3章5&7-12節



紀元前973年。   ソロモンは、父ダビデ王から、イスラエル王国を受け継ぎます。

            ダビデ王は、人間の弱さによる過ちも多かったのですが、
            神に対する『単純な信仰』を失うことなく、神から評価されたのです。

            ソロモンは、王になった当初、神に『知恵』を求め、神に良しとされ、
            知恵に満たされた王として『正しい判断力』を持っていました。
紀元前950年。   ソロモンは、ダビデ王に代わって、エルサレムに『第一神殿』を建てました。
            神殿に『契約の箱』安置の時の、『ソロモンの祈り』は素晴らしい未来を預言したのです。
               『主よ、上は天、下は地のどこにもあなたに並ぶ神はありません。
                  いつか、異邦人も同じ神を拝むときが来る。』
列王記上8章参照


       神は、 ソロモンの『願い』を、 お喜びになったのです。
                ソロモンのように、
           『自利』ではなく、 『他利』を求める人、
               真心から、主に、『他利』を祈り求める人を、
             神は、必ず、祝福なさるのです。


     『他利』こそが、 『情けは人の為ならず』、 自分の『宝物』になるのです。


次に。

『今日の第二朗読 使徒パウロの宝物』

   『皆さん、神を愛する者たち、 つまり、御計画に従って召された者たちには、
    万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

        神は前もって知っておられた者たちを、
     御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。


  それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。

          『復活されたイエス・キリスト』

       神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、
           召し出した者たちをとし、
      義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。』

         ローマの信徒への手紙 8章28-30節福音朗読


     パウロは、 『宝物』=『福音』=『復活されたキリスト』  を伝えます。
      
私たちは、洗礼によってキリストと結ばれて、罪と死の支配から解放されて、『義人』とされ、
               『聖霊の宿る神の子』 となるのです。
             『神の長子』であるキリストと『兄弟』になり、
       栄光のキリストと共に、『神の遺産』=『永遠の命』を受け継ぐのです。


      私たちは、ソロモン王の預言どおり、『異邦人も同じ神を拝むときが来る』と、
           『福音』=『宝物』 を手に入れたのです。


最後は。

『今日の福音 イエスの御言葉』
   
   『そのとき、イエスは人々に言われた。

            「天の国は次のようにたとえられる。 
               畑に宝が隠されている。

  
          見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、
            持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

           また、天の国は次のようにたとえられる。
              商人が良い真珠を探している。


    高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」』
               マタイ福音書 13章44-46節


その昔。   
ユダヤ人の習慣があったそうです。



      ユダヤ人は、持っている『宝』を、強盗から守るために、
      一番安全な方法として、自分の『畑』に隠したそうです。
      ユダヤ人に雇われた人が、畑を耕し、『宝』を見つけます。
      雇われ人は、『宝』を得るために、『畑』全部を買わなければならなかったそうです。
      『宝』を見つけた人は、『畑』を得るために、持っているものを、全部売り払うそうです。

   
      イエス様は、『神の国』は、『畑の中の宝』に似ている、 とおっしゃるのです。
            『神の国』は『神の救い』です。
     

    『神の救い』は、畑の中に隠れているように、見つけにくいものであります。
        『神の救い』は『神の人類への愛』です。

      神から『愛』されていると信じる『信仰』は、 私たちの『宝物』です。
          『信仰』は見つけにくいものであります。
    幸いに『信仰』を見つけた私たちは、『宝物』である『信仰』を失わないために、
        私たちも持ち物を手放す必要があるときもあるでしょう。
             『殉教者』は、キリストに倣って、
        自分の『信仰』を守るために、 自分の『命』すら手放すのです。


     それでも、 『信仰』のある者は、 恐れる必要はないのです。
 『万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っている。』のですから。



『今日の祈願』

   『神よ、日常の生活の中で、まことの宝を見きわめる知恵をお与えください。  
   わたしたちが、あなたのことばにためらうことなく従う者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
続く雨模様、収束する兆しの見えないコロナ禍、の日々が続きます。
自粛生活の中でも、一日に楽しいこと一つ発見で・・・お元気で!

聖ヤコブの墓地への巡礼・・・『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』 そして 『聖ヤコブ使徒 祝日』・・・『あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。』

2020-07-25 20:27:24 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
7月26日。土曜日。曇りときどき雨。

コロナ禍で
旅行はお預け。
旅行再開の日を迎えたら、
行きたい所に
優先的に行っておく方が
良いのかもしれませんね。

  私が行きたい所は。

      キリスト教三大巡礼地・・・『サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』
 
        私が歩きたい道は  『トゥールーズの道』

     世界中からの巡礼者が、 年間35万人、1500kmの巡礼路、 徒歩で歩くのです。
     フランスからピレネー山脈を越えて、 スペインの巡礼の拠点の街を目指すのです。
   私は、 自分の信仰生活とアスリート生活の集大成として歩きたいと、 長年の願いです。


巡礼は、聖地への旅の過程において、人々は「神との繋がり」を再認識し、信仰を強化するのです。
      幸いに、私は、キリスト教三大巡礼地の二つを訪れ、
      『神との繋がり』を認識させていただきました。
   最後の一つ:サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼で、三つを制覇して、
      『神の存在』を確信して、自分の信仰を現実として確信するのです。



     目的地は・・・   『サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂』
 
               『聖ヤコブの墓』

42年頃。 聖ヤコブは、ユダヤ人の歓心を買おうとしたヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、
               エルサレム殉教
殉教の771年後。
  813年。
  ヤコブの遺体が、遥か遠くスペインの、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地
         ”奇跡的に発見された”。 これを記念してその墓の上に大聖堂が建てられた。


旅を重ねてきた私だったが、
 コロナ禍のお陰で、
1月早々の東京旅行を最後に
6ヶ月間の外出自粛生活である。

ある日突然に
日常の茶飯事が終わるときが来る
と思い知らされました。

          
          私の場合の自粛の日々は、
          コロナ禍に限らず、 年を重ねる現実が、
          今までの日常の茶飯事に終わリを告げるとき、が突然に来る。
          老齢なりの使命に恥じない日々にシフトしていくとき、が必ず来る。
              と納得する、大事な時間となっています。


       神様の御心なら・・・
       私は、私の長年の『夢』がかなえられ、『トゥールーズの道』 を歩むことでしょう。

           
          皆様! 素敵な、格好いい老人、になりたいものですね。
                     がんばりましょう。

      皆様は、老人にはほど遠くお若いお方なら、沢山の旅を楽しんでください!


そして。

今日は7月25日。年間第十六土曜日。


        『聖ヤコブ使徒 祝日』
  
            『ヤコブ』     エル・グレコ作品

  ゼベダイの子ヤコブは、イエスの使徒の一人で、
    使徒ヨハネの兄弟である。


         ヤコブは父ゼベダイ、兄弟ヨハネと共に
     ガリラヤ湖畔の漁船の中で網の手入れをしていたところをイエスに呼ばれ、
         そのまま父と雇い人を残して、ヨハネと共に弟子になった。
         彼ら二人は「ボアネルゲス」(雷の子ら)とよばれた。

        ヤコブは キリストが大切な奇跡を行う場に居合わせ、
        エルサレム教会において中心的な立場を占めていた。

  44年頃。  ヘロデ・アグリッパ1世によって捕らえられ、殉教した。



『今日の入祭唱』

   『イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、
       船の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
 
        彼らをお呼びになった。
  この二人はすぐに、 船と父親とを残してイエスに従った。』

       マタイ福音書 4章18&21-22節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


     『そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、
               その二人の息子
 と一緒に
           イエスのところに来て、
 
        ひれ伏し、 何かを願おうとした。

    イエスが、    「何が望みか」   と言われると、
   彼女は言った。 「王座にお着きになるとき、
この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」


イエスはお答えになった。 「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。
             このわたしが飲もうとしているを飲むことができるか。」

    二人が、          「できます」   と言うと、
  イエスは言われた。  「確かに、あなたがたはわたしのを飲むことになる。
          しかし、わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。
             それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」


ほかの十人の者はこれを聞いて、  この二人の兄弟のことで 腹を立てた。
   そこで、
イエスは一同を呼び寄せて言われた。
            「あなたがたも知っているように、
    異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
            しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。


    あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
       いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。


             人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、
     また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

            マタイ福音書 20章20-28節


          世の母親は、子どもの出世を願うものなのかもしれませんね。
            ヤコブの母の気持ちもわからないではないような・・・。
   でも。 上司のイエス様に、 息子の出世を直接に談判に伺うとは、 なんと!
更に。 ヤコブ兄弟以外の12人の弟子は、ヤコブの先駆けを許せないとばかりに、二人にいきどうります。
            考えられないような・・・場面です。

   ところが。  
    当然。
 イエス様のお考えは別です。


       イエス様は、以前に、弟子たちに3回も、 『お話し』 していたのです。
           『私は、苦しみ=杯 を受けることになる。』 と。

       弟子たちは、 イエス様の『お話し』を理解することはできず、
        イエスは、 『偉い人』、『王』 になると考えていたのです。
      そこで、 ヤコブ兄弟は、イエスのそばの『特別席』を頼んだのです。

     イエス様は、この際に、弟子達に、
        ご自分 と 弟子たちの これからを詳しく『話』をなさいました。


   イエス自身が、先に苦しみを受けて、苦しみを通して、 『栄光』 に入る予定である。
    同様に。
    弟子たちも、同じように、先に苦しみを受け、苦しみを通して、『栄光』に入るのである。』



            イエス様は、 御父に従順で、
       御父が望まれたとおりに、 『十字架の苦しみ』 を果たされて後、

     
           『栄光』 に入られたのです。

同様に。 弟子たちも、イエスの従順に倣って後に、 『栄光』 の席に着くのです。


     弟子たち全員は、 イエスのそばで、 『偉い人』になることを望んでいたのです。
      イエスは、 そんな弟子たちの気持ちが分かり、 『忠告』をしたのです。

        『あなたがたの中で偉くなりたい者は、 皆に仕える者になり、
          いちばん上になりたい者は、 皆の僕になりなさい。』
 


            イエスご自身が、神の身でありながら・・・
       『この世の民に仕えるために』 御父・神から、この世に派遣され、
         人々に棄てられるまで、 『人に仕える者』 であられたのです


    
       弟子たちは、 イエスの『話』を聞き、 イエスの『十字架』を見て・・・
           初めて、『イエスの話』を理解することができました。
         イエスのために、『苦しみ』を受けることができました。


   
          私たちも、イエスの復活を知っているので、
 『苦しみ』においても、 イエス様が共に支えてくださると、 『苦しみ』を乗り越えていきましょう。


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、御子イエスが受けられた苦しみの洗礼によってわたしたちを清めてください。
  殉教したヤコブを祝うわたしたちが、み心にかなう供え物を捧げることができますように。』



     
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍が終息したら、何をやりましょう!と、『希望』を持っていましょうね。
『希望』は、何をも我慢できる、『力』です。 お元気で!

登山?それとも ランニング?・・・『第三の登山』 そして 『御言葉を聞いて悟る人は、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。』

2020-07-23 10:00:00 | 登山・ハイキング
7月23日。木曜日。海の日。

 10時。スタート。

                  『六甲山 登山』
     
   
              行ってきました。 『新登山仲間』との登山。
              それは、 初めての経験の、 『別世界』 でした。

       頂上からスキーで降ってくる登山、 『第二の登山』 がありますよね。
          今日の登山は、走りながら、 頂上を目指してそして降る
               『第三の登山』でした。←私の命名です
  

                『六甲山 トレイルラン』
    
 
昨年度フルマラソン記録『3時間27分23秒』の『超アスリート』男性が、今日のリーダーです。
       リーダーの『ランニング練習場』となっている『登山コース』でした。

              なだらかな道に出れば・・・
     リーダーの歩く速度は、 私には『トレイルランニング』の早さになります。
             なんて新鮮な経験の山登りでしょう!


              『六甲山 岩登り』
              
              『観音山への岩場』

           岩場が続きます。 
         私は、リーダ^についていくために、走り登りました。

  
           『池田備中長家 家紋』 の刻まれた大石
           
  大阪城築城のために、御影石でも有名な土地柄、このあたりの岩を多く切り出しました。
           その積み残りの石が保存されていました。

      
       登山計画は・・・「14kmほど、登山 兼 トレイルラン」でした。
        実際には・・・  18,5km  33225歩  登山でした。
 正に『超早足ランナー』との登山は、初めての経験で、その『新鮮さ』に感動でした。 超楽しかったです。


    私が、自分の経験だけで、 私流のゆっくり登山こそが『登山』である、 と考えることは
                               実は、そうではないのです。
             登山にも、 色々の方法があるのです。
        登山に限らず、何事も・・・
           自分の経験だけで、判断、断定するのは危険である。
              そんなことを学んだ、今回の登山でした。


     私は、最初から最後まで歩くことなく、ついて行けたのは、嬉しかったです。
         新しい経験は、心が豊かになり、楽しいことでした。
                            感謝!感謝!


そして。

今日は7月24日。年間第十六金曜日。

『今日の入祭唱』


  『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
     あなたの教えを胸に刻みます。』

         詩編 40章9節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


         『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

        「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。
   
                『種をまく人』      ミレー作品
            種まく人は、『御言葉』をまくイエスです。


だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、

   悪い者が来て、 心の中に蒔かれたものを奪い取る。

    道端に蒔かれたもの とは、 こういう人である。

         石だらけの所に蒔かれたもの とは、
御言葉を聞いて、 すぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、
しばらくは続いても、 御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。


         茨の中に蒔かれたもの  とは、
御言葉を聞くが、 世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、 実らない人である。

           良い土地に蒔かれたものとは、
         御言葉を聞いて悟る人であり、

   あるものは百倍、あるものは六十倍、
           あるものは三十倍の実を結ぶのである。」』

            マタイ福音書 13章18-23節


    イエス様は、生前には、大勢の人々に、 『話』をなさいました。
       それでも、 『本当の信仰』 ができる人は少なかったのです。
       それどころか、 反対されて、 迫害を受けることもありました。
       ある人からは、 「宣教は無駄ではないですか?」 とも言われました。


   弟子たちは、イエスの復活後、 『イエスの御言葉・福音』を携えて、 宣教に出かけました。
       やはり、 信仰する人も少なく、 迫害を受けることもありました。

      そんな時には・・・
     
    弟子たちは、イエスの、 『種まく人』の『たとえ話』  を思い出すのでした。


          『良い土地にまいた種』は・・・
                 無駄になる種もありますが、 
      『神の働き』によって、 根も張り、年ごとに収穫も増えて、 成功するのです。
            『イエスの御言葉』 を信じる人が増えました。


               信じる人において、 
        『神の働き』は、 すばらしい『結果』をもたらすのです。
        『神の働き』は、 無駄になることなく、必ず、 『成功』をもたらすのです。
              
               信じる人において、
            『まかれた種』は、 何倍にも増えるのです。


      宣教もしかり。 子育てもしかり。 野菜作りもしかり。
      何事も、種をまいて、肥料を施し、あとは信じて待つ。
          信じることで、実がなるのでしょう。
 山登りも人生も同様です。 つらいのですが、信じて一歩づつ、必ずゴールに到達するのです。



   昔も。今も。
        『神の隠れた働き』を信じる、  信じる人になりたいものですね。


『今日の祈願』

   『信じる者の力である神よ、
  あなたを愛し、人々に仕える熱意を、わたしたちの中に燃え立たせて下さい。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
昨日は、梅雨の合間の雨なしの一日、更に、コロナ禍の中で登山者ゼロの一日、でした。
皆様の連休が穏やかな日々でありますように。 お元気で!

『信仰者の系図』 そして 『雅歌』・・・『わたしは恋い慕う人を見つけました。』 & 『聖マリア・マグダラ 祝日』・・・『わたしは主を見ました』

2020-07-22 14:06:10 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月22日。水曜日。晴れ。

 人には『家系図』があります。

     アブラハムから始まる・・・   『信仰者の系図』
 
      アブラハムの子孫は、
      ①イシュマエルに続き、アラブ民族となり、イスラム教が広がっていきました。
      ②イサクに続き、その子のヤコブの12人のうちユダの子がアブラハムから全部合わせて
           42代目のキリストに続き、キリスト教へと広がっていきました。

         家系を見ると、家系のアイデンティチーが明白になりますね。
         私たちキリスト者は、アブラハムのアイデンティチー、信仰を受け継ぐ者です。

       ちなみに、私の父方の家系は教育者、
       そのアイデンティチーは代々の子孫から我が娘に至るまで引き継がれて、学校の先生です。 環境ですね。




そして。

今日は7月22日。年間第十六水曜日。

今日も祖先の信仰を学びます。

      今日は、   『聖マリア(マグダラ) 祝日 』
        
            『十字架の下のマリア』   アリ・シェフェール作品 

         マグダラのマリアはキリストに従う人たちの一人。
         キリストが十字架上で亡くなられたときはそばに立ち、
       
       『十字架の下の聖母、聖ヨハネ、聖ジェローム、聖マリア・マグダラ』
          マリアは、イエスの遺体に塗るために『香油』を持っており、
           翌朝に墓を訪れた時に持っていることから『携香女』の称号も持つのです。


 イエスの磔刑後の三日目の朝早く、 復活したイエスに最初に出会った人です。 


エルサレム・ガリラヤ湖沿いの町・マグダラ
の裕福な家に生まれ、 幼くして両親を失う。
兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らした。

自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しみ、
人々から「罪の女」というレッテルをつけられて疎まれるようになった。
そのときに、 イエスと出会い、 悪霊からも解放され、
『真の愛』を知って回心し、 徹底して『信仰の道』を歩みました。

復活したイエスが最初に現われたのは、このマリアにであり、
彼女が、他の弟子たちにイエスの復活を告げました。

イエスの復活後は、
使徒たちの宣教活動を助けて、
兄ラザロとともに南フランスに流され、
     洞窟の中で、

隠遁生活のうちに生涯を送ったといわれます。


『今日の入祭唱』

    『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、
 また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る。』

             ヨハネ福音書 20章17節


『今日の第一朗読 雅歌』


        《おとめの歌》
   『夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても、求めても、 見つかりません。
        起き出して町をめぐり、 通りや広場をめぐって、 
            恋い慕う人を求めよう。

        求めても、 あの人は見つかりません。
        わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
    
     「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」

      彼らに別れるとすぐに恋い慕う人が見つかりました。』
              雅歌 3章1-4節


 紀元前5~3世紀。 

        『雅歌』は、 ソロモン王の詩もいくつか含まれて、
     色々の時代のいろいろな地方から詩が集められて、まとめられました。

         『雅歌』 は 『愛の詩』 です。

  『雅歌』は、男女の愛情の尊さを示しています。
男女の愛情は、 創造主なる神は人を男と女に創造され、 神に祝福されて美しいものである。
男女の愛情は、 二人を結ぶ絆であり、 時間をかけて育てていく努力が求められるのである。
愛し合う男女は、 互いに強制・束縛されることなく、 同等の立場にあり、平等である。

  同様に。

  『雅歌』 は 『神の愛の啓示』 です。
      神の愛は、 恋人同士の情熱的な愛で示され、 最も優れた『愛の神秘』です。
      『主なる神』 と 『選ばれたイスラエル』 との『愛の交流』をたたえる歌とされます。
         神は愛によってイスラエルを選び、イスラエルの不忠実には触れず、
              神とイスラエルの深いつながりを強調します。
        今も、 この『神の愛』に、 私たちが応えるように求められるのです。

   
  同時に。

  『雅歌』は、
       『キリストと教会』 又 『キリストとキリスト者』 との

           『愛の結びつき』をたたえる歌なのです。

         『教会』 は 『キリストの花嫁』 なのです。
キリストは、 教会(私)を愛し、 教会(私)の望みをすべて満たしてくださるのです。



そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』


   週の初めの日、 朝早く、まだ暗いうちに、 マグダラのマリアは墓に行った。
         そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

  そこで、
シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って
   彼らに告げた。
 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
  そこで、
         ペトロともう一人の弟子は、外にで当て墓に行った。
           それから、この弟子たちは家に帰って行った。


       マリアは墓の外に立って泣いていた。
          泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、


      イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
        一人は頭の方に、 もう一人は足の方に座っていた。
     天使たちが、 「婦人よ、なぜ泣いているのか」 と言うと、
    マリアは言った。
             「わたしの主が取り去られました。
         どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」


             こう言いながら後ろを振り向くと、
        

            イエスの立っておられるのが見えた。
           しかし、それがイエスだとは分からなかった。


イエスは言われた。  「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
マリアは、園丁だと思って言った。
    「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。
          わたしが、あの方を引き取ります。」


       イエスが、 「マリア」 と言われると、
彼女は振り向いて、ヘブライ語で、 「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

イエスは言われた。
    「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。


    わたしの兄弟たちのところへ行って、 こう言いなさい。
        『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
     また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』
 と。」

          マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
       「わたしは主を見ました」 と告げ、
            また、主から言われたことを伝えた。』
               ヨハネ福音書 20章1-2&11-18節


   『雅歌』では、
    恋い慕う人を求め探す乙女は、町をめぐる夜警に出会い・・・

       「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
 と、夜警に言って、別れると、すぐに、『恋い慕う人』 が見つかりました。

 同じように。

   『福音』では、
    マグダラのマリアが、墓の中にいなくなったイエス様を捜し求めるときに、天使に出会い・・・
        「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
          どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」

       と、言うと、すぐに、『恋い慕うイエス』 が後ろにいらしたのです。


       愛する乙女達の『望み』を、 神様はすべて満たしてくださるのです。
                           素敵な神様ですよね。


イエスの磔刑の後の主日が開けた後、
マグダラのマリアだけが
『まだ暗いうちに』墓に行きました。
   暗いうちで、まだ見えない・・・
それは、まだ、世には、
  『信仰の光』がなかったのです。

『イエスの復活』が分からないので、
イエスを探しに行ったのです。

『復活の信仰』ができるために
イエスを『生きている方』として迎えない限り、
  『本当の信仰』はできないのです。
イエスとの『直接の出会い』が必要なのです。


     復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『信仰』へと導かれるのです。

        マリアは、天使から復活のメッセージを聞いても、
         イエスのお姿を見ても、分かりませんでした。

  復活のイエスは、マグダラのマリアを、個人的に、『マリアの名前』でお呼びになったのです。
        マリアは、初めて、イエスだと分かりました。
          イエスから呼ばれたことを認めて、『信仰』ができたのです。

    復活のイエスは、『信仰』を持つことができたマリアに、
          「わたしにすがりつくのはよしなさい。
        まだ父のもとへ上っていないのだから。」
 と言いました。

           マリアは、 今まではでイエスを見、でイエスを感じたのです。
       復活後は、そういうことにすがりつき、こだわっては、イエスを見失うのです。
           見えないイエスと、 個人的出会いを重ねて、 信仰を深めるのです。
           

   復活のイエスは、 マリアの『本当の信仰』が生まれたことが分かり・・
       復活の訪れを弟子たちに、『復活のイエス』を告げるために、遣わされたのです。


         マグダラのマリアは、 初期キリスト教父たちから、
       『使徒たちへの使徒』 と呼ばれ、今日に至っているのです。


          神様は、見えないお方です。
      イエス様も、復活して神の世界に入り、お姿が見えなくなりました。
  イエスは、その後、わたしたちと一緒におられるために、聖霊を送って下さいました。
      聖霊は、見えないお方ですが、私たちの中にいて、愛する力を与えて下さいます。



『今日の祈願』

        『わたしたちの父である神よ、
  マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
  聖所の祈りと模範に支えられて、わたしたちも復活されたキリストをのべ伝え、
      その栄光を仰ぎ見ることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から4連休です。コロナウイルス感染が再び広がる日本列島です。
くれぐれも自粛生活で、穏やかな連休でありますように。 お元気で!

六甲山トレイルラン・・・『新登山仲間結成』  そして 『主は再び我らを憐れみ、我らのすべての罪を海の深みに投げ込まれる。』

2020-07-21 18:53:02 | 登山・ハイキング
7月21日。火曜日。晴れ。

 
『新登山仲間結成』
お呼びがかかりました。

                『六甲山 トレイルラン』
 
                                
     長年。 私は、 3歳年上の大ベテラン『山レディー』 と 『登山相棒』 となり、
           日頃の登山と、夏山の縦走登山と、楽しんできました。
      ところが。 悲しいことに、 何十年と続いた相棒の引退の日が来ました。
    その後。 ”あの縦走登山をもう一度!” と、新しい『相棒』 を探し続けていました。


     幸いなことに、 『相棒』引退後は、 二つの『登山会』に所属することができ、
         この10年ほどは、 
              『相棒』との 『二人登山』 ではなく、
      『4人』 と 『10人』 の、『仲間と一緒登山』 を楽しんでいます。

     
           『六甲山 登山』
 
                                    
      6日前。 そんな私に、 偶然のお声かけがあり・・・
        『新登山仲間』 結成の機会が訪れました。

 ところが。

     新仲間は・・・
     二人の、昨年度フルマラソン記録『3時間27分台』の『超アスリート』男性と、
          男性の奥さんの『山レディー』のお一人です。
     登山計画は・・・
     「コロナ禍の時期ですので、 近間の六甲山で、14kmほど、
          登山 兼 トレイルランを致しましょう」 とのことです。


  ええ!
    これってな~に!


           私が、今更、トレイルラン?  無理でしょう。
      神様! これが、 私に対してお与えくださった、『答』なのですね。

           ともかく、 新仲間からお声がかかってから、6日間。
         歩きました。走りました。ストレッチしました。 準備をしました。
            明後日・23日が、本番です。
      超アスリートの男性達とのトレイルランは、どうなるでしょう。 
         私の実力は、皆様についていけるのでしょうか? 楽しみです。



そして。

今日は7月21日。年間第十六火曜日。

『今日の入祭唱』

 『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、 主の戒めは清らかで、目に光を与える。
  主への恐れは清く、いつまでも続き、 主の裁きはまことで、ことごとく正しい。』

           詩編 19章9&10節


そして。

『今日の第一朗読 ミカの預言』 

  預言者ミカは、 昨日に続き、
  今日は『神の新しい約束』を預言します。



     『主よ、 あなたの杖をもって、 御自分の民を牧してください。
 
               『夕暮れに羊を連れかる羊飼い』   ミレー作品。我が家にかかる『絵』。
            イエスは、杖を持って、ご自分の羊の群れを牧します。

 
              あなたの嗣業である羊の群れを。
            彼らが豊かな牧場の森にただひとり守られて住み
        遠い昔のように、バシャンとギレアドで草をはむことができるように。
    お前がエジプトの地を出たときのように、 彼らに驚くべき業をわたしは示す。


          あなたのような神がほかにあろうか
           咎を除き、罪を赦される神が。
神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない
           神は慈しみを喜ばれるゆえに。

主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。


    どうか、ヤコブにまことを、 アブラハムに慈しみを示してください
         その昔、我らの父祖にお誓いになったように。』
        ミカ書 7章14+15&18-20節


    
   預言者ミカは、 
   昨日は、 神の呼びかけを聞こうとしない民に、 『神の嘆き』を訴えました。
   そして。
   今日は、 ”あなたのような神がほかにあろうか!” と、感謝し、
            民に、 『神の新しい約束』 を伝えます。

  
     主なる神こそ、 『民の牧者』であり、 民を救ってくださる。
   神の代理者として立てられる、 『イスラエルを牧する者』 が、
              ベツレヘムから、ユダの民族から、 出る。
   その『牧者』は、 残りの者を呼び寄せ、 『新しい国』を造り、
              民を一致させ、 『新しい時代』 となる。
   神は、 人々の罪を取り除き、 ゆるしてくださる。
   神は、 人々をあわれみ、 いつまでも怒りを保つことはない。
   神は、 人のすべての罪を、 海の深みに投げ込まれる。


    今の私たちにも、
    『神の新しい約束』 は、信じることによって、有効なのです。
         神の代理者・イエス様によって、 『約束』は成就したのです。
                              感謝!感謝!
    

『今日の祈願』

    『恵み豊かな神よ、 あなたを仰ぎ見る民の、心からの願いを顧みてください。
わたしたちが何をなすべきかを知り、 果たすべき使命を全うすることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新しい仲間ができることは、どんな方達だろう?、嬉しいことですね。
梅雨明け前から、真夏日が続きます。 お元気で!