マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

『KIS会』例会・・・六甲全山縦走路・修験道・・・『観梅登山』 

2022-02-28 10:00:00 | 登山・ハイキング
2月28日。月曜日。快晴。

梅の開花時期。
今日は
今月二回目の登山です。

 鉢伏山山頂。

  眼下に・・・『明石海峡大橋』     山頂に・・・『梅』
  
    世界最長のつり橋  と  満開の梅の木   美しい。


   15年間続いた、三人の登山会:『櫻会』が、
   今年から、残念にも一人の脱会で、三人の登山会:『KIS会』に変更です。
     会の最若年のリーダーの名前を取っての『櫻会』でした。
     これからは、
     会の三人の名前の頭文字を取っての『KIS会』に変更しました。


   名前は『使命』を表すとも言われますよね。
   今まで、リーダーに頼り切っていた『櫻会』は、
   これからは、メンバー一人一人が、名前:『KIS会』にふさわしく、責任感を持つことになります。
      これからの登山は、自覚を持って、緊張感を伴って、
        楽しい登山になることでしょう。


私たちの登山会。
原則は、月一回の登山です。
ところが
今日は原則違反で、
3月2回目の登山です。
今日は『鑑梅登山』です。


   今日のコースは、
   スタートは、塩谷駅:『六甲全山縦走路』のスタート地点から、
    その後、
    『六甲全山縦走路』の7つの小さな山を登ったり降りたり
       超体力を必要とします。
   ゴールは、須磨アルプスの手前の路を『離宮公園』まで降りる。
          約10kmコースです。


9時。
JR塩谷駅出発。

  ①須磨浦山上遊園内の遊歩道を登る。
 

     出発時から、階段を、坂を、上る上る。
      息が切れる。 マスクが苦しい。

    今日の3人ともう一人の4人の『櫻会』メンバーで
     『六甲全山縦走路・56km』を完走したのは
        2010年、12年前のことです。
    あの時は息の切れることもなく、走りながら完走できました。
       年を重ねた12年間の差は大きいものですね。


  ②『鉢伏山』 246m          頂上からの絶景
 
  それでも、
  年を重ねた12年間は、
  美しさを感じる感性だけは、育ったはずです・・・。


 ③旗振山  253m   頂上から見る『須磨海岸』
 
    『旗振山』は、摂津(須磨区)と播磨(垂水区)の国境の山です。
     歴史の場所に立ち、心動かされます。感動します。

   コロナ禍のために2年間も遊泳禁止の続く、美しい『須磨・砂浜の海岸』
   砂浜の奥の『黒い棒状のもの』は、『海苔養殖のための棚』です。
     
 
  『旗振山茶屋』
 
 六甲山系最西端の『茶店』。 1931年(昭和6年)創業です。

 私たちは、
 『六甲全山縦走路』のを見ながら、給水後、前進あるのみです。
  一山登って降りて、次の山に登って降りて、と繰り返しです。


 ④鉄拐山  234m
 
   雲一つない『大青空』 と 大空の青色を写す『大海原』

   その神戸の大海原の奥に、東西に広がる全長56kmの、『六甲山』
       美しい神戸です。


 『おらが茶屋』あたりで・・・ 『コーヒー・ブレイク』
 
    持ち寄りのお菓子で、『一休み』

    『お茶タイム』で英気を養って・・・
    いったん、『下界・住宅街・高倉台 』まで降ります。
     高倉台は、
     人工島ポートアイランド造成のために
     必要な土のために山を削った跡に造成された市街地です。
    高倉台から、
    いよいよ本番:『本番・400階段』に向かいます。
      またもや登山開始です。


11時半。
 
    ⑤『400階段』
    
      通称『400階段』は、実際は349段だそうです。
       
      一気に登り切って後に、
      更にしばらく行くと・・・


     ⑥栂尾(とがお)山 274m
    
         
           『三角地点』

      

       スタート地点から6,7km
       今日の『登り』の終了です。

 最後に。

    登った高さを、
    違う路・須磨アルプスの下の路を通って、
         離宮公園まで降りました。

午後12時半。

 ⑦離宮公園   『梅園』         最終目的地です。
 
       『紅梅』
  
       『白梅』
 
  
        『蝋梅』
 

     満開の梅の、美しさと香りに癒やされて、登山終了です。

3時。
須磨の『天満宮』まで歩いて・・・
参拝。
ホトトギスの初音も聞いて♡♡
今日の『日程』の終了です。
遅い会食、昼食です。

    今日は、足の筋肉をフル回転、大変な道程でした。
    登山道は階段が多く、大変な登山になりました。

     なぜ山に登るのか?
     私は、山を登る この苦しい課程、修験道のような厳しさ、
         これが好きなのです。


    4月の例会は、『観櫻登山』と決めて解散でした。
      『計画』は人生が楽しくなります♡♡


     今日は、お陰様で、10km。6時間。27280歩。
                感謝!感謝!


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は、私の登山ブログにお付き合いくださりありがとうございました。
登山は、出会う人は少なく、山の中なので、コロナ禍時の息抜きになります。
皆様も、コロナ対策十分に、楽しく穏やかな日をお過ごしください。 お元気で!

御ミサと友情・・・『魂と心の糧』 そして 『人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。』

2022-02-27 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
2月27日。日曜日。晴れ。

今日は
私の『魂の糧』二つ。

一つ目の糧。
午前9時半~。
2ヶ月ぶり
御ミサに出席です。


 ミサ前・・・      『祭壇』
 
                     季節を語る『梅と菜の花』の献花。美しい。

       私が属する教会は信者数1400人ほどの大きな教会です。
          三密を避けるコロナウイルス対策で、
              信者を4班に分けて、
        月一回、各自の御ミサ出席可能日とされてています。

          他教会への御ミサ出席は許されないので、
       東京在住中の1月は、私の御ミサの出席は不可でした。

          今日は、母教会でのミサ出席です。
           母教会は良いものです♡♡
            ミサは魂の糧です♡♡


    『聖体の秘跡であるミサは、
     いつくしみの秘跡、一致のしるし、愛のきずなであり、
     キリストが食され、心は恩恵に満たされ、
     未来の栄光の保証がわれわれに与えられる復活の祝宴である。』
          『典礼憲章47』より

そして。

二つ目の糧。
ミサ後。
午前11時~。
2ヶ月ぶり
友人と再会でおしゃべりです。


   楽しい時間・・・    『一杯のコーヒー』
   
                 友人とはいつも同じ『香り高い』珈店店。おいしい。


       友人は私より少し年上です。
       そして、まるで姉妹のように、話が通じるのです。
       誕生地と成長地、結婚環境、老後環境、興味ある分野、等々、
             共通点が多く、
        話が、”うんうん” とわかり合えるのです。


        友人は、1月早々に、転居していました。
           ご夫婦の『終の棲家』
      80歳を迎えた夫さんと穏やかな友人の『理想郷』です。
      それは、私も”うんうん”と納得する、私の『理想の家』でした。


      姉妹のいない私にとって、
      穏やかで、小柄で、優しく、静かな友人は、
      姉のように平安を与えてくれる『心の糧』です。


         『永遠の命』を持つ『魂の糧』の二つ。
     今日は、私の力の源泉:ミサと友人、有り難く嬉しい時間、
          感謝の日曜日となりました。
              感謝!感謝!


そして。

今日は2月27日。年間第八主日。

『今日の入祭唱』

   『災いの日、主はわたしの支えとなってくださる。
  私を広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる。』
        詩編 18章19&20節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに、
   
       ※たとえ※を話された。

 「※盲人が盲人の道案内をすることができようか。
   二人とも穴に落ち込みはしないか。

  ※弟子は師にまさるものではない。
    しかし、だれでも、十分に修行を積めば、
       その師のようになれる。

  ※あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、
   なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
    自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
   『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、
                どうして言えるだろうか。

  偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
    そうすれば、はっきり見えるようになって、
     兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

  ※「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。
     木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。
       茨からいちじくは採れないし、
      野ばらからぶどうは集められない。

  ※善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、
   悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。

   人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」』
        ルカによる福音書 6章39-45節


    今日のイエス様は、
    『人の欠点を見ても、決して裁いてはならない』
         と、弟子たちを諭します

   
  私たちは、
  『二つの物差し』を持っているようです。
   お人のことと自分のことを、別々の『物差し』で測るのです。
     自分には甘く、お人に厳しい、ことがあります。
     自分の欠点は、小さく見えるのです。
     お人について、間違った判断をすることがあるのです。

  イエス様は、
  『先に自分の目に入っているものを取り除いて、
     はっきり見えるようになってから、
     お人を判断しなさい。』 と言われるのです。


       判断を邪魔する『目の中の悪いもの』は、
    うぬぼれ、自分の弱さを隠そうとする心、かもしれません。
   人を戒めるときは、自分の足りなさを思い出さなければなりません。

 
     神様は、私たちの弱さをよくご存じです。
     それでも、
     神様は、決して私たちを裁くことなく、
     慈愛の心で、弱い私たちを愛し続けてくださいます。


   私たちも、
   神の慈愛を知って、神様に倣う者となりたいものです。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたがたは命の言葉を保って、世にあって星のように輝きなさい。』
       フィリッピの信徒への手紙 2章15&16節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ禍の自粛生活にすっかり慣れましたね。
家の中を整理整頓して、住み心地良い家で楽しい日々を送りたいものです。 お元気で!

再生能力・・・『潜在能力』 そして 『子供のように神の国を受け入れる人でなければ、 決してそこに入ることはできない。』

2022-02-26 06:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月26日。土曜日。晴れ。

春の気配を感じて、
木々が新芽を出してきた。
生命力あふれる新芽です。


   生命力あふれる・・・  『シクラメン』
  

          昨年12月初めに購入してから3ヶ月。
       沢山の蕾が次々と花開き、まだ沢山の蕾を残して、
            美しく咲き続けてくれます。

    ”新芽やシクラメンの生命力の強さと美しさは、どこから来るのかしら?”
            と問う私に、
          穏やかで落着いた姿で
          私に語りかけてくる。


  今年も新芽が出て来た・・・   『バラの花』
  

    ”あせらない。迷わない。神にすべてを任せているだけよ。”


      『再生能力』は自分の内に内存されているのです。
           『潜在能力』ですね。
      それを引き出すのは、それを『信じる力』かもしれない。


      年を重ねた私も、
      あせらず、迷わず、柔軟な思考で、信じて、
      私に与えられた潜在能力を咲かせ、輝かせましょう。
                 感謝!感謝!


そして。

今日は2月26日。年間第七土曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは自分の息を送って彼らを創造し、   
      地の面を新たにされる。』
       詩編 104節30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスに触れていただくために、
       人々が子供たちを連れて来た。
   
   弟子たちはこの人々を叱った。
   しかし、
   イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。

   「子供たちをわたしのところに来させなさい。
        妨げてはならない。
    神の国はこのような者たちのものである。

      はっきり言っておく。
   子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
     決してそこに入ることはできない。」

      そして、子供たちを抱き上げ、
   
       手を置いて祝福された。』
        マルコによる福音書 10章13-16節


  今日のイエス様は、
  弟子の態度に憤って、教えられました。
  『子供たちがイエスの所に来るのを妨げてはならない。』と。

  
  イエスの時代。
  子供たちは、力もなく、役に立たないと、大事にされる存在ではありませんでした。
  それでも、
  イエス様の考え方は違っていました。
  神の前では、子どもも大人も同じ、価値ある存在なのです。
  すべての人が、神から愛される、価値ある存在なのです。


     それどころか、
     大人も、子どものように素直に神に信頼するなら、
       『神の国』に入ることができるのです。
     自分の力の足りなさを認める時、
       誰でも、『神の救い』を頂けるのです。

     神は、神の救いを希望する人の中で、お働きになるのです。


  私たちも、
  人から何も期待できないようなときがあるかもしれません。
  そのときこそ、子どものように、神からの助けを期待いたしましょう。
       祈りましょう。
  
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『天地の主である父よ、あなたをはたたえます。
 あなたは神の国のことを、幼子のような小さい人々に現してくださった。』
      マタイ福音書 11章25節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒さ暑さも彼岸まで。春はそこまで来ています。
まだ寒さ残る春前の今の季節を十分に楽しんでおきましょう。 お元気で!

聖書100週間・・・『わたしが来たのは、律法や預言者を廃止するためでなく、完成するためである。』 そして 『神が結び合わせてくださったものを、 人は離してはならない。』

2022-02-25 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
2月25日。金曜日。晴れ。


今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会、
オンラインクラスです。


     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
   
  
      オンラインで、クラスを続けられることは、
        ありがたいことです。

    オンラインクラスは、
    画面上であっても、毎週お顔を拝見でき、毎週同じ声を聞くことができ・・・
      ※お互いの仲間としての意識を、より意識することができます。
    ※また、聖書を読み続ける『恵み』を、なお一層実感することができます。

    そして、
    オンラインクラスを続けるためには、
    家族の協力がより一層に必要であると感じます。

    予習復習のための、家庭での『静かな時間』の確保のための協力だけでなく、
    更には、オンラインクラスの前後3時間ほどの家庭での『静かな時間』のためにも
       協力をおしまない家族です。


     『聖書1000週間』は、
      それに参加する者だけでなく、
      熱心に聖書を読み、毎週の集会に参加する家族の姿を見ているだけで、
        家族全員が『聖書1000週間』を共に歩いて行くのです。


      今は、『オンラインクラス』で
      コロナのためにより一層の協力をおしまない家族に感謝ながら・・・
      コロナ禍の終息の日を祈りあいながら・・・
         『聖書通読』を続けてまいりましょう。



     今日の通読範囲は、『マタイによる福音書 1章~6章』です。

『マタイによる福音書』は、
     西暦80年~90年頃・イエスの御昇天後50年ほどの頃、    
     ユダヤ教を良く知っているキリスト者のために、
            書かれたと言われてきました。

 著者・使徒マタイは、
  シリアとフェニキア地方のキリスト者の共同体に伝えられてきた
    『福音』を、まとめ、整理し、編集したようです。
      
      ユダヤ教からの改宗者が多かったので、
    旧約聖書や旧約時代のことが数多く述べられています。


   著者の使徒マタイは、
   『このすべておこったことは
    主が預言者を通して言われていたことが
     すべて実現するためであった。』 1章22節
     ・・・と、
   新約聖書は旧約聖書の実現である、
       との『言葉』を繰り返し述べます。


   イエスは、
   伝道を始めるのあたり・・・
   『わたしが来たのは、
    律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
     廃止するためでなく、完成するためである。』5章17節
       ・・・と、
     ご自分の来臨は旧約聖書の完成のためである、
        とはっきりおっしゃいました。


    『新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、
    旧約聖書は、新約聖書の中に現されている。』
      ・・・と、
    アウグスティヌスが、西暦400年頃に言ったことを、
  マタイは、西暦80年頃に自分の福音書で、すでに述べていたのです。
 
 
   今日も、心に響く、『マタイによる福音書』を読んで、
   仲間の皆様の「喜びの声」を聞くことが、とても楽しみです。
              感謝!感謝!



そして。


今日は2月25日。年間第六金曜日。

『今日の入祭唱』

   『心を尽し、知恵を尽し、力を尽して神を愛し、
     また隣人を自分のように愛しなさい。
 ということは、どんな捧げ物やいけにえよりもすぐれている。』
        マルコによる福音書 12章33節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、
   イエスはユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。

      群衆がまた集まって来たので、
    
    イエスは再びいつものように教えておられた。

     ファリサイ派の人々が近寄って、
    
     「夫が妻を離縁することは、
      律法に適っているでしょうか」
             と尋ねた。
      イエスを試そうとしたのである。

  イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」
                     と問い返された。
  彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」
                     と言った。

       イエスは言われた。
     「あなたたちの心が頑固なので、
     このような掟をモーセは書いたのだ。
      しかし、
      天地創造の初めから、
      神は人を男と女とにお造りになった。
  それゆえ、
  人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
   だから二人はもはや別々ではなく、一体である。

   従って、神が結び合わせてくださったものを、
     人は離してはならない。」

 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。
  イエスは言われた。
      「妻を離縁して他の女を妻にする者は、
       妻に対して姦通の罪を犯すことになる。

       夫を離縁して他の男を夫にする者も、
        姦通の罪を犯すことになる。」』
         マルコによる福音書 10章1-12節


    今日のイエス様は、
    ガリラヤ地方を立ち去り、エルサレムに向かいます。
    結婚や離婚について問うファリサイ派の人々に、
       『天地創造の初めから、
      神は人を男と女とにお造りになった。
    それ故に、結婚によって二人は結ばれ一体となる』
         と答えました。


      神の愛は、永遠に、変わらないのです。
      神は、神の似姿に造られた人間にも、
      「愛する心」をお与えになりました。

  
   夫婦は、
   結婚の時に「お互いの愛」を誓います。
   それが『本当の愛」なら、互いの至らなさを認め合って、
     日々の生活の喜びと悲しみを通して、
        夫婦の愛は成長し、
     夫婦は『一つの心』になるはずです。


        神は、『夫婦の愛』を通して、
     『神の愛』が証しされることを望まれるのです。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
  『主よ、真理によって彼らを聖なる者としてください。
      あなたの御言葉は真理です。』
       ヨハネによる福音書 15章12節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
もう2月も残すところ3日間となりました。
梅の花が満開の時期を迎えたようです。
この週末に、散歩がてら、観梅を楽しみませんか。 お元気で!

早朝ウォーキング&早朝自主トレーニング そして 『両手がそろったまま地獄に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。』

2022-02-24 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
2月21日。月曜日。快晴。


今朝も
早朝ウォーキング。
陽の出が少しづつ早くなってきて、
出発時にすでに少し明るくて、
テンションが上がります。
今朝も
自主トレーニングです。


 ウォーキング中間あたりで
               『公園』
 
  雲一つ無い快晴の空。  青草一つ無い冬の公園。  寒いせいかお人は3人だけ。
              冬景色もよいものです。


       私はここまでで40分ほど歩いているので
         ウォーミングアップは十分です。
       ここで※『自主トレタイム』※となります。

       『立て看板』に描かれた『体操絵』に合わせて
          8種類の体操を20回ずつ。
       低い方の石壁を片足でスクワットを兼ねて上って両足で直立して
          左右の足で10回ずつ。
       先にある小山の回りをらせん状に登りながら
            登山を2回。


コロナウイルスによる自粛生活が始まって・・・
もう3年目になります。
仕方ないと分かっていても、
登山、会合、まして海外旅行の楽しみも閉ざされています。
若い人たちは、
まだまだ先が長いので、これからも楽しみがいっぱい待っているでしょう。
年を重ねた私にとって、
残された先が短いので、一時一時が大切な貴重な時間なのです。


        そんな私は、
        お声をかけて頂いたら・・・
        登山であろうが、国内旅行であろうが、海外旅行であろうが、
           孫たちと遊園地であろうが、
        いつでも、”スタンバイOK!” ”行動開始OK!”
           の状態でいなくてはなりません。
        次のお声がけはないかもしれないのですから・・・。


        今までは
        健康というものを水か空気のように当然に感じていましたが、
        年を重ねて
        急にガタが来るかもしれないとの覚悟を持って、
        油断しないで、謙虚に、努力して体に向き合って、
        健康を保つようにしなくてはなりません。


  今日のウォーキングも終わりで

          『朝明けの太陽』
  
   家の近くで・・・

       早朝の『太陽のエネルギー』を全身で浴びます。
        太陽の光が全身に射し込んでくるようです。
          身も心も充電されます。

         
    今日も、年を取るほどに・・・自由になって、経験も増えて、
        私も頑張って生きていきたいものです。
             感謝!感謝!



そして。

今日は2月24日。年間第七木曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
      あなたの教えを胸に刻みます。』
         詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
    
      「はっきり言っておく。
     キリストの弟子だという理由で、
   あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、
       必ずその報いを受ける。

      わたしを信じるこれらの小さな者の
       一人をつまずかせる者は、
      大きな石臼を首に懸けられて、
     に投げ込まれてしまう方がはるかによい。


     ※もし片方の手があなたをつまずかせるなら、
       切り捨ててしまいなさい。

  両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、
     片手になってもにあずかる方がよい。

     ※もし片方の足があなたをつまずかせるなら、
        切り捨ててしまいなさい。

    両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、
      片足になってもにあずかる方がよい。

     ※もし片方の目があなたをつまずかせるなら、
          えぐり出しなさい。

    両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、
     一つの目になっても神の国に入る方がよい。


    地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。

       人は皆、火で塩味を付けられる。
         塩は良いものである。
       だが、塩に塩気がなくなれば、
     あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。

       ※自分自身の内にを持ちなさい。
      そして、互いに平和に過ごしなさい。」』
        マルコによる福音書 9章41-50節



     イエスは、今日も、弟子たちを教えられます。
        『イエスの弟子』となる者は、
         奉仕の心をもってへり下り、
       離脱して仕える者になる覚悟が必要であると、
         『塩のたとえ』で教えます。


  💕イエスは、※『弟子たちの在り方』※について話します。

     人々は、
     弟子たちに、キリストの弟子だという理由で、
        一杯の水を飲ませてくれるなら、
        必ずその報いを神様から受け
         天国に行けるのです。
          弟子たちも同じです。
    一方
     人々が、
     イエスを信じる者をつまずかせるなら、
        必ずその報いを神様から受け
         地獄に行くのです。
            弟子たちも同じです。
       


   💕イエスは、※『弟子たちの覚悟』※について話します。
         
    人は、誰もが、
    『つまずき』となるものを持っているかもしれません。
      それに気づいた場合は、それを棄てなさい。
      それは、大切なもの=手や足=、かもしれません。
          それでも棄てなさい。
        そうすれば平和になれるのです。

   
    又、  
    💕イエスは、※『塩となりなさい』※ と話すのです。

     団体の中では、
       不和が生じることが多々あります。
       そのときは『塩』となるのです。
      『塩』はものを清めることができるのです。
     『塩』は、味を良くするために、姿を亡くすのです。
        『塩』は『犠牲』を表します。
      『犠牲』は、イエスの十字架の犠牲と同様に、
          平和を作るのです。

    
   私たちも、
   キリストの精神に倣って、
   小さな『犠牲』を持って『平和』をもたらすことができますように。
       祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたがたにのべ伝えられた福音は、永遠にとどまる神のことばです。』
      テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節参照  アレルヤ、アレルヤ。

    
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
それはいつ来るのか分かりませんが、
コロナ終息の日に希望を持って、心身を鍛えておきましょう。 お元気で!

上げ膳据え膳・・・『Tーfal 電気圧力鍋』 そして 『聖ポリカルポ司教殉教者 記念日』・・・『わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。』

2022-02-23 14:26:32 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
2月23日。水曜日。晴れ。

今日は
天皇陛下様62歳の誕生日です。
天皇陛下様は
皇居での記者会見冒頭で、
新型コロナでなくなった人に哀悼の意を表し、
医療従事者らをねぎらわれました。
新型コロナウイルスの長引く影響に苦しむ国民を
深く案じつつ、
「忍耐強く乗り越えていくことができると固く信じている」
と述べられました。
62歳のお誕生日・・・お元気で何よりでございます。
おめでとうございます。
末永くお元気で! とお祈り申し上げました。


我が家では
誕生日ではないのですが、

 娘夫婦から・・・   🎁『Tーfal 電気圧力鍋』🎁
 
                       プレゼントです。

     『年を取って・・・毎日の料理を楽してね!』
      『言葉』に添えて、贈られてきました。

        『クックフォーミー』
  内蔵された『レシピ』が、私に代わって、料理をしてくれるのです。
     正に・・・『私のためにお料理を!』です。
     

   準備に僅かの3分・・・ 『照り焼きチキン』
  
     料理をアシストする「内臓レシピ」を選んで・・・
  あとはクックフォーミーが教えてくれる「材料:肉や調味料」を鍋に入れ、

  待つことも僅かの8分。

   モニター画面に・・・ 『召し上げれ!』
  

      味わいも、仕上がりも、大満足なおいしさ💕💕
      料理の素晴らしい出来上がり、調理時間の短さは、
         どうなってるの!?
          驚きです。


     デザートは・・・  『かぼちゃプリン』
    
    準備は、かぼちゃの裏ごしがあるので、10分。
      そして、調理時間は2分。
      出来上がりは、大満足💕


    時代は、驚き桃の木山椒の木、変わります。
      本当に驚きです


     前菜、各種ご飯からメインディッシュまで
   デザートも、全部で150のレシピが内蔵されていて、
      モニターから、レシピと人数を選ぶと、
   食材と人数にあった分量がモニターに表示されるので、
      料理の食材・分量に悩むこともありません。


    長年の主婦のキャリアを越す能力、出来具合です。
    フランスで開発された「調理器具」だそうです。
     超簡単。超短時間料理。超うまい。
    働くパパやママを応援する「優れもの」ですね。

     料理が、娘の考えたとおりに楽になった高齢者の私。
     機械様による『上げ膳据え膳』です。
     空いた時間を何に使いましょうか!!??


    とリあえず・・・
     『Tーfal』ちゃんが料理してくれる
  メインディッシュの『頬肉の赤ワイン煮』と デザートの『ガトーショコラ』
        の夕食を楽しみに、
     今日は『台所のDIY』に精を出しましょう!
           感謝!感謝!


そして。

今日は2月23日。年間第七水曜日。

     『聖ポリカルポ司教殉教者 記念日』
   
     ポリカルポは使徒たちの直弟子であり、
     スミルナ(現在のトルコの近く)の司教でした。

  70年頃。キリストの誕生の70年後にまれる。

  彼は近くの教会の信徒たちに手紙を送り、彼らを励まし、
  また異端のグノーシス派と戦い、正当信仰の擁護に努めた。

  殉教の地に向かって旅行を続けたアンチオケのイグナチオを、
  スミルナであたたかく迎えた。
  後に、復活祭の日付の問題について教皇アニケトウスと話し合うために
  ローマに赴いた。

155年頃。85歳。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスのキリスト教迫害のときに捕えられ、
       信仰を捨てるように強いられたが、応じず、
       スミルナの闘技場で火刑により殉教する。
            『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』
  
  『万物の造り主である神よ、あなたは司教聖ポリカルポの奉献を受け入れ、
      殉教者の列に加えられる栄誉をお与えになりました。
    聖人の模範と祈りに支えられて、私たちもキリストの杯にあずかり、
      永遠の命に復活することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、ヨハネがイエスに言った。
     
       『使徒ヨハネ』  エル・グレコ作品

  「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
    わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」


ここで
ちょっと道をそれて(出エジプト記3ー3)・・・
使徒ヨハネの豆知識です。
 『最後の晩餐』          カール・ブロッホ作品の一部です。

    イエスの肩に寄りかかるヨハネは、
 イエスの活動の最初から従っていた12人の弟子の一人です。
      弟子の中で最年少で、
  イエスが生きている間は、まだ十代でした。
 
    もともと洗礼者ヨハネの弟子でした。
兄の大ヤコブと共に気性が激しかったのか「雷の子」と呼ばれていました。
ペトロ、兄のヤコブと共に、イエスの特に地位の高い弟子とされました。

  イエスは、ゲッセマネにおける『最後の祈り』では、
  ペトロと大ヤコブとヨハネの三人だけを伴われました。(マルコ14ー33)
   
 『最後の晩餐』では、ヨハネはイエスのすぐ横に座り、
     ユダがイエスを裏切るとき、
 イエスはそれをヨハネにだけこっそりと教えました。(ヨハネ13ー25)

『イエスが愛された弟子』と自らを称したヨハネは、(ヨハネ13ー23)
   生涯、イエスに従いました。
最後:『イエスの十字架』の処刑時まで、唯一一人イエスに従いました。

イエスの昇天後、流刑となったバトモス島で『ヨハネの黙示録』を書き、
   島から解放された後に
『ヨハネによる福音書』『ヨハネの手紙』のⅠ、Ⅱ、Ⅲ、を書きました。

  紀元100年頃。12使徒の中で唯一殉教することなく、
    イエスの母マリア様と同居しながら、
     90歳の天寿を全うしました。


 ここで『今日の福音』に戻りまして・・・

      イエスは言われた。
     「やめさせてはならない。
     わたしの名を使って奇跡を行い、
    そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。
  わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」』
        マルコによる福音書 9章38-40節


     イエスは、理解できない弟子たちに教え続けます。

  イエスの時代。
  人の病気、不幸の原因は、悪霊の仕業だと思っていました。
  そこで、
  ユダヤ人の中にも、異邦人の中にも、悪霊を追い出す祈りをする人たちがいました。
  イエス様も、悪霊を追い出すことを度々なさいました。
     そんなイエスの評判は広がっていきました。
  それで、
  ある人は、『イエスの名前』を唱えれば、効果があると思ってか、
   イエスの名を使って悪霊を追い出していました。

  そんな時・・・

  ヨハネは、
  自分たちだけがイエスの弟子であり、
  自分たちだけがイエスの名前を語る資格があると考えたようです。
  ところが、
  イエス様のお考えは違っていました。
  『私の名をかたって善いことをする人が、後になって逆らう者ではない』と。


     イエスと一致する人が、イエスの味方なのです。
     イエスを離れてしまう人が、イエスの敵となるのです。

   弟子たちは、
   ※自分たちだけがイエスの味方である、と考えるのは間違いです。
   ※他の人が善いことをして成功するとき、嫉妬を起してはなりません。

   神様は、すべての人を通して、働き、善いことをなさるのです。
   今も、キリスト者でない方々も、
      社会のために良いことをなさる方が多くいます。
   そこに、神様は働いておられるのです。聖霊が導いておられるのです。


   私たちも、
   お人の『働き』を裁く資格はありません。
   お人の善い働きを認めることができるようになりましょう。
      祈りましょう。

       
『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは道であり、真理であり、命である。
  わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
     ヨハネによる福音書 14章6節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
時代はどんどん進歩していきますね。 そんな時代に十分についていくためには、
頭を柔らかくしていなければなりませんね。 お元気で!

12月と1月に飲んだお家ワイン・・・『No Wine  No Life』 そして 『聖ペトロの使徒座 祝日』・・・『あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。』

2022-02-22 04:32:04 | ワイン。おいしいもの。お勧めスポット。
2月22日。火曜日。晴れ。

年を重ねて・・・
熟成して・・・
何事も複雑なまろやかさが出てきます。
ボルドーワインしかり、
同様に私もそうありたいものです。


        『昨年12月に飲んだお家ワイン』
  
 
   12月のワインは、クリスマスと大晦日で、15本。

   その内訳は、
   オーストラリア イタリア フランス  チリ  アメリカ アルゼンチン
     2本     3本   4本   4本   1本   1本


   12月は、家族が帰省してにぎやかで、ワインが一層美味しくなる。
   手間暇かけた素敵な食事、季節の素敵な食器、心温まる素敵な会話、
        大好きな家族と行く年を振り返り、
          新しい年の希望を語る。
      楽しい時間で・・・15本を飲んでいました。


そして。

          『今年1月に飲んだお家ワイン』
    

      オーストラリア イタリア フランス の3本。

      1月は、
      1月9日~2月6日まで東京娘宅滞在で、
      神戸のお家には8日間のみでした。
      お家ワインも3本と少なくなりました。

      正月新年で、今年のお家ワインの始まりでした。
      今年も・・・
      一日の労働を終えて、ホッとして、『カクテルアワ-』。


          『No Wine  No Life』
          『ワインなくして人生なし』
      私の人生を、豊かに熟成させるために、必要不可欠ですね。


      今日も、私は、いっぱい歩いて、いっぱい労働して、
   一日の終わりには、健康に感謝しながら、ワインを楽しみましょう!
              

そして。

今日は2月22日。年間第七火曜日。
 
        『聖ペトロの使徒座 祝日』
 
                        サン・ピエトロ大聖堂 
    聖ペトロの司教座の記念日は、
    使徒ペトロを礎として建てられた教会の一致のしるしです。
    すでに四世紀にローマで祝われていました。

     12使徒の1人で、
     使徒の頭であった聖ペトロ
    
    『天の国の鍵を持つペトロ』 バチカン聖堂内
      サン・ピエトロ大聖堂 巡礼時に私が撮影しました。
      巡礼者の多くの人ががなぜるペトロの足はツルンツルンでした。

  キリスト・イエスから
  『あなたはペトロ。わたしはこの岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てる』マタイ 16.18
    と言われ、ペトロは教会の礎としての使命をゆだねられました。

  ペトロは、
  イエスの言葉に従い、教会の最初の司教としてアンチオキアに使徒座を置き、
  その後ローマへ宣教に行き、
      バチカンの丘に使徒座の基礎を築いた。
      
      『聖ペトロの使徒座』 バチカン大聖堂内  

    聖ペトロの使命は、
    今日まで代々の教皇(現在266代教皇フランシスコ)に受け継がれているのです。
          『毎日の読書』より

『今日の入祭唱』

 『イエスはペトロに仰せになった。
   「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。
  だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」』
       ルカによる福音書 22章32節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、
    弟子たちに、
    「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」
                   とお尋ねになった。
    弟子たちは言った。
      「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、
       『エリヤだ』と言う人もいます。
     ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』
                と言う人もいます。」

   イエスが言われた。
    「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
   シモン・ペトロが 
   
   「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
   すると、
   イエスはお答えになった。
     「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
      あなたにこのことを現したのは、
      人間ではなく、わたしの天の父なのだ。

      わたしも言っておく。
   あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
      陰府の力もこれに対抗できない。
     わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。
  
       『イエス ペトロに教会の鍵を渡す』

   あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。
    あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」』
              マタイによる福音書  16章13-19節


  今日のイエス様は、
  ペテロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と宣言するのを聞いて、
      ペテロを『共同体の礎、岩』と宣言なさいます。


  イエス様が、各地を回って、一年ほど、宣教をしても、
  人々は、イエスを理解できずに、信じる人は少なかったのです。
  イエス様は、
  弟子たちは、一般の人たちよりも、理解があるでしょうと思っていたのでしょう。
  弟子たちに、『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』と尋ねました。

  ペトロは、
  弟子たちの代表者となって、
  『あなたはメシア、生ける神の子です。』
  イエスは普通の人間ではない、神から遣わされた方、と宣言しました。
  すると、
  イエス様は、
  信仰がまだ浅く、理解も不完全なペトロに向かって、
   『あなたにこのことを現したのは、わたしの天の父なのだ。』
    神がくださった『恵み』なのです、と宣言なさいました。

  その上で、
  イエス様は、
  信仰を宣言したペトロに、新しい名前と新しい使命、を与えました。
   
    ペトロは、教会の礎として『岩』となり、
    他の弟子たちの信仰を強める『使命』を、頂きました。
    ところが、
    ペトロは、自分の弱さゆえに、『イエスの受難』の時、
      「イエスを知らない」と言い切ったのです。
    そして、
    ペトロは、
    自分の裏切りの失敗を通して・・・
    自分の弱さを知り、自分の信仰の浅さを知り、
    イエスの助けなしには『岩』となることができない、と認めたのです。

        復活なさったイエス様は、
        自分の弱さを認めたペトロを信用して、
        ペトロを『頭』となさったのです。


   私たちも、
   自分の弱さを認め、神からの力を願い、
   イエス・キリストの力を信用するようになりたいものですね。
      祈りましょう。
   

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『あなたはいわお・ペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。
    地獄の門もこれに勝つことはできない。』
      マタイによる福音書 16章18節  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様にとって、これぞ私の楽しみ、これなくして私の人生なし、という楽しみは何ですか。
人生を楽しみましょう。 お元気で!

愛の行為・・・『隣人愛』 そして 『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』

2022-02-21 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
2月21日。月曜日。快晴。

今朝も
早朝ウォーキング。

         『夜明け前』
  
                            美しい。

      昇ってくる太陽の明かりが『今日の始まり』を告げます。

           ”今日も頑張ろう!”
         一日の始まりのエネルギーをもらいます♡♡


  歩きながら・・・
  ラジオで聞いた『出来事』
  ずっと思い出していました。

     
        『半世紀・50年以上続く愛の行為』
         どこの県の市役所の出来事かはうろ覚えです

    52年前に、市役所の福祉課宛てに『封筒』が送られてきました。
      何が入っているのかと、用心して開封してみると・・・
      『福祉のために使ってください』との肉筆の手紙とともに
          『1000円』が入っていました。

     一番最初は、
       ”どういうことでしょう?” くらいの軽い気持ちで、
         市役所は『封筒』を軽視したそうです。
     ところが、
     それから後・・・
         現在に至るまで、毎月一回、半世紀・50年間以上、
         必ず、休むことなく、
     同じ筆跡の『福祉のために使ってください』の『言葉』を添えて
          『1000円』が送られてくるそうです。


      その『愛の献金』の合計は、
      💕1000円×12ヶ月×52年=62万4千円になったそうです。
      市役所は、
      💕そのすべての封筒を、大切に保管しているそうです。
      💕そのすべての献金を、大切に福祉のために使っているそうです。


     私は考えました。
        62万円を一度に献金なさる方もおいででしょう。
           素晴らしい方たちです。
     そして、
     62万円を、毎月『1千円』ずつ『愛の応援メッセージ』とともに、
       52年間、献金を続ける御方は、どんな御方なのでしょうか!
         どんなにか素晴らしい御方に違いありません。


       ”手紙の筆跡はしっかりしていることから判断して、
         ご厚意はまだ続くと思います”
         との役所の方の”言葉”でした。

更に、
歩き続けると、

 公道に・・・ 

   春の訪れを告げる・・・  『菜の花』
   

     幹線道路に沿って 『花壇』 季節の花を咲かせます。

      こちらも、一人の御主人様によって続いている
         『愛の行為』です。


       目立つこともなく、人々に喜びを与え続ける、
           💕『隣人愛』💕

         
    今日も、世の中のあちこちにおいでの義人の皆様の手本に倣って、
        私も頑張って生きていきたいものです。
             感謝!感謝!


そして。

今日は2月21日。年間第七月曜日。

『今日の入祭唱』

  『新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。
    右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。』
            詩編 98章1節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは三人の弟子とともに山を下りて、
      ほかの弟子たちのところに来てみると、
       彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、
      
        律法学者たちと議論していた。

      群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、
       駆け寄って来て挨拶した。

      イエスが、「何を議論しているのか」
                とお尋ねになると、
      群衆の中のある者が答えた。
      「先生、息子をおそばに連れて参りました。
      この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
         霊がこの子に取りつくと、
        所かまわず地面に引き倒すのです。
        すると、
         この子は口から泡を出し、
       歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。
   この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、
          できませんでした。」

         イエスはお答えになった。
       「なんと信仰のない時代なのか。
    いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。
   いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。
     その子をわたしのところに連れて来なさい。」

   人々は 息子をイエスのところに連れて来た。
   霊は、イエスを見ると、
       すぐにその子を引きつけさせた。
     その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。

     イエスは父親に、
     「このようになったのは、いつごろからか」
                とお尋ねになった。
     父親は言った。
        「幼い時からです。
        霊は息子を殺そうとして、
      もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。
   おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」

   イエスは言われた。
   「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
   その子の父親はすぐに叫んだ。
    「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」

   イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、
      汚れた霊をお叱りになった。
  
   「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、
        わたしの命令だ。
       この子から出て行け。
      二度とこの子の中に入るな。」

   すると、
   霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。

      その子は死んだようになったので、
   多くの者が、「死んでしまった」 と言った。
   しかし、
   イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。

      イエスが家の中に入られると、
  弟子たちはひそかに、
  「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
                     と尋ねた。
  イエスは、
  「この種のものは、
   祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」
                     と言われた。』
              マルコによる福音書 9章14-29節


    今日のイエス様は、
    悪霊に取り付かれて者を言えない子を癒やすことができない
      弟子たちの不信仰を、指摘します。


   それぞれの信仰が
   対照的に際立ちます。  
     ※イエス様のお力 と 弟子たちの無力さ。
     ※律法学者や群衆や弟子たち と 病気の子どもの父親。


     『信仰』とは、
     イエスが持っておられる『神の力』を認めることです。


   ※イエスの言葉を聞く群衆も、律法学者も、弟子さえも、
      イエスの言葉を理解できないのです。

   ※弟子たちは、
      『悪霊を追い出す力』をすでにイエス様から頂いているのです。
      しかし、
      『悪霊を追い出す力』を発揮するためには、
        それは、『自分の力』であると勘違いすることなく、
        あくまで、『神の力』が発揮されますようにと、
           祈る必要があるのです。        
   ※病人の父親は、
      自分の信仰は弱いと認めながらも、
      父親の『信じます』との信仰ゆえに、
      『イエスの力』を引き出したのです。
       息子の病が癒やされたのです。


   私たちキリスト者も、
   イエスの仕事を続ける『使命』を受けています。
   それでも、
   私たちの『使命』は自分の力ではできない、と認め、
   祈りの内にうちに、イエスと結ばれ、『神の力』を頂き、
     小さくても『愛の行為』:『隣人愛』を
       実現させていきましょう。
        祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしたちの救い主キリストは死を滅ぼし、
   福音を通して不滅の命死を現してくださいました。』
      テモテへの手紙 1章10節  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
見渡せば、世の中、沢山の方々の『愛の行為』がいっぱいですよね。
私たちも『愛の連鎖』の一員になりたいものですね。 お元気で!

映画:『ベン・ハー』・・・『感性』の成長の恵み そして 『イエスの姿が彼らの目の前で変わった。』

2022-02-19 14:00:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
2月19日。土曜日。曇り時々雨。

穏やかな土曜日。
ゆっくりした土曜日。

1959年のアメリカの叙事詩的映画
『ベン・ハー』を観ました。
222分・3時間42分の一大スペクタクル映画です。
11部門のアカデミー賞の史上最多受賞作品です。


  イエス・キリストの誕生・・・  『占星術の学者たち』
  

     映画は、
     タイトルがでる前に・・・
     『イエス・キリストの聖誕』が描かれます。
     
     空一面の暗闇の中で、
     『栄光の星』が、『救い主の誕生』:『馬小屋』のもとへと動きます。

     『そのとき、
      占星術の学者たちが東の方から来て、言った。  
      「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
       わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」』
                マタイによる福音書 2章1&2節


     映画の始まりは、『イエスの誕生』に始まり・・・
     映画の終わりは、『イエスの処刑・十字架』と『イエス復活』で終わりました。


   帝政ローマの時代。
   国を失ったユダヤ民族に生まれた、裕福なユダヤ貴族の青年:ベン・ハー。
   イエスの誕生と同じ頃に生まれたベン・ハーが、
   イエスの『霊の道』とは正反対の『この世の道』を歩くその人生の遍歴において、
         苛酷な運命に巻き込まれ、
    ある時は復讐に燃え、ある時は絶望に陥りながらも、
  
      『戦車競争』    旧友であり仇敵 のメッサラ と戦うベン・ハー(右) 

       神・イエスがなす『業』により、
   ベン・ハーの人生が『再生・復活』する迄の『軌跡・奇跡』が描かれます。

      その姿を顕わされた救世主:イエス・キリスト  ベン・ハー 
           が絡められて描かれます。

    
素晴らしい映画を観ながら・・・
考えさせられました。
私が初めて『ベン・ハー』を観たのは?
いつの頃だったろうか?
若い頃の私には、
映画『ベン・ハー』を理解する『感性』
まるでなかった。欠けていました。
・・・と考えさせられました。

    初めて『ベン・ハー』を観た若い私は、
    この映画の深い意味を、全く理解していなかったのです。
    今日、同じ映画を観ながら、
    イエスとベン・ハーの『人物』を理解でき、映画の意味も理解でき、
       そのことに、感動しました。

      私は、一回目の『ベン・ハー』を観て以来、
      何十年もかけて、
       私の『感性』は育てられていたのです。
        この気づきに、涙が出て来ました。


       平凡な私の人生も捨てたものではない
         と感動しました。
     沢山の人と出会って、沢山の本を読んで、沢山の映画を観て、
       それらの中で『素晴らしい人たち』に出会った
           長い『年月』は、
       確実に、私の『感性』を育てていたのです。
       人としての深みが育てられていたのです。


    私は、今日は、長い年月の『恵み』に感謝した次第でした。
           感謝!感謝!


そして。

今日は2月19日。年間第六土曜日。

『今日の入祭唱』
 
  『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽して神を愛し、
    また隣人を自分のように愛する」ということは、
    どんな捧げ物やいけにえよりもすぐれている。』
      マルコによる福音書 12章33節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、
        高い山に登られた。

      イエスの姿が彼らの目の前で変わり、
    
         服は真っ白に輝き、
   この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。

       エリヤがモーセと共に現れて、
      
        イエスと語り合っていた。

      ペトロが口をはさんでイエスに言った。
  「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。
       仮小屋を三つ建てましょう。
 一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

    ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。
      弟子たちは非常に恐れていたのである。
    すると、
      雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。
      「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

    弟子たちは急いで辺りを見回したが、
    もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。


    一同が山を下りるとき、
    イエスは、
       「人の子が死者の中から復活するまでは、
       今見たことをだれにも話してはいけない」
                と弟子たちに命じられた。

    彼らはこの言葉を心に留めて、
    死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。
    そして、
    イエスに、
    「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」
                    と尋ねた。
    イエスは言われた。
     「確かに、まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
      それなら、人の子は苦しみを重ね、辱めを受ける
       と聖書に書いてあるのはなぜか。
      しかし、言っておく。
      エリヤは来たが、彼について聖書に書いてあるように、
      人々は好きなようにあしらったのである。」』
          マルコによる福音 9章2-13節


   今日のイエス様は、
   三人の弟子とともに、山に登るのです。
   『イエスの神秘』が三人の弟子に示されるのです。
   
   弟子たちは
    『イエスの変容』の姿を見て、非常に恐れると、
    ※神の、『彼に聞け』と声が聞こえるのです。
    ※イエスは、『見聞きしたことを内緒にするように』と命じるのです。


    イエスは、
    ご自分の『使命』は、エリヤやモーセと同じように、
    『苦しみの道』であることが分かっていました。
    ところが、
    弟子たちは、
    変容するイエスの姿を、又、エリヤやモーセと話されるイエスの姿を、
    ただ喜ぶだけで、その意味は全く理解ができていませんでした。

              そのとき、
              神の存在を現す『雲』の中から、神の声が聞こえたのです。
                    『これはわたしの愛する子。これに聞け。』
   

                  イエスの神秘を理解できないで弟子たちへの
                         『返事』が『神の言葉』でした。

              弟子たちは、
              山から降りて、日常に戻って、
             イエス様を理解できなくても、
     『イエスの言葉』を信じて、イエスに従っていかなければなりません。 
     後になって、
               『イエスの受難と復活』を目にして、
       初めて『イエスの神秘』が理解できていくのです。
       弟子としての深みが育てられていくのです。


              私たちも、
             理解できないことが沢山ありますが、
                 『成功には苦しみが伴う』ことを学びつつ・・・
                  『イエスの言葉』を聞きながら・・・
              理解できる『時』を辛抱強く待ちましょう。
         祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『天が開いて父の声が響いた。「これは私の愛する子、彼に聞け。」』
     マルコによる福音書 9章7節  アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
身近なことに感動しながら、素敵な週末をお過ごしください。 お元気で!

聖書100週間・・・『神の武具を身に着けなさい』 そして 『わたしのため、また福音のために命を失う者は、 それを救うのである。』

2022-02-18 14:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
2月18日。金曜日。晴れ。

今日の金曜日も、
聖書100週間・聖書通読会、
オンラインクラスです。

東京から神戸に戻った私も、
今日から
神戸の地で、皆様のお仲間入りです。



     『聖書100週間・聖書通読会 オンラインクラス』 
  
 
    オンラインで、クラスを続けられることは、
        ありがたいことです。
    でも、
    一時も早いコロナウイルスの収束を願うばかりです。
      『対面クラス』の再開が待ち遠しいです。
      ・・・以上は、先回の金曜日にも私が書いたことです。
    

今日は、
『対面クラス』を待ち望まれる
大学教授がテレビで語っていたことを
書き出してみます。


    『安全』は、 医療などに技術によって、与えられる。
     しかし、
    『安心』は、
      人と人との信頼によって、人との関係によって、与えられるものである。
    『自信』は、 自分の自らの行動によって、生まれるものである。


    コロナ禍の続く中で・・・
    ※ワクチンや薬が生まれ、医療従事者の皆様のご努力によって、
      『安全』が守られるようになってきました。
    しかし、
    ※喜怒哀楽をともにする仲間、身体で信頼し合って行く
      『ふれあいの欠如』が生まれています。
      そんな中で、経済力の困窮や抑鬱状態で、
      大学生の自殺率が2020年以降急に増えているのです。

    
     人にとって『人と人とのふれあい』は必須 です。
     人間は、社会性の生き物で、一人では生きていけない。
     人間は、社会の中で、進化してきたのです。進化するのです。


なるほどね。
先生が話されるとおりに
コロナ禍が続き、
すべての年代なりの
行動の制限へのストレスが生まれています。

      それでは、
      続くコロナ禍のもとで、どこにストレスの逃げ道を見つけましょうか?
       『人間は一人では生きていけない』
         という事実を認識しながら
     『新しい日常生活』を模索していかねばなりませんね。
 
   私たちのオンラインクラスでは、
   それぞれが、一週間の間に『感動したこと』を発表し合っています。
    ”毎日がSTAY HOMEの一週間で変わったことはなかったですよ”
     と言いながらも、発表してくださる一人一人の『感動』
   聞く者は、感動し、そして 楽しい生活のヒントをもらっています。

     やはり、人間は、人々の中で進化していくのですね。
         実感します♡♡

      今は、『オンラインクラス』に感謝して、
    オンラインで喜怒哀楽を皆で分かち合いながら・・・
       コロナ禍の終息を祈りあいながら・・・
     コロナ禍のストレスを乗り越えていきましょう。


  今日の通読範囲は、
  『コロサイの信徒への手紙 & エフェッソの信徒への手紙』です。


    使徒パウロは、
    
    両手紙で、
     正しいキリスト教を理解せず
     その理解において争いを起す信徒たちに、
    『キリストの福音の集約』を述べ伝えます。

『キリスト教の真髄』を教えた後で、
パウロは更に述べます。

 『あなた方は、キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、
     真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。
     だから
     悪魔の策略に対抗して立つことができるように、
        『神の武具』を身に着けなさい。
    

       『真理』を、帯として腰に締め、
       『正義』を、胸当てとして身に着け、
       『信仰』を、盾として取りなさい。
    
    両所の信徒たちへ『励ましの言葉』を述べるのです。
     分断や争いではなく、
     信仰によって互いに愛し合いなさい、と。
 
 
   今日も、心に響く、『パウロの手紙』を読んで、
   仲間の皆様の「喜びの声」を聞くことが、とても楽しみです。
              感謝!感謝!


そして。

今日は2月18日。年間第六金曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
      あなたの教えを胸に刻みます。
         詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは
   群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。
  
  『山上の垂訓』  カール・ハインリッヒ・ブロッホ画 

    「わたしの後に従いたい者は、
   自分を捨て、自分の十字架を背負って、
      わたしに従いなさい。

  自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
  わたしのため、また福音のために命を失う者は、
     それを救うのである。

    人は、たとえ全世界を手に入れても、
   自分の命を失ったら、何の得があろうか。
  自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

     神に背いたこの罪深い時代に、
    わたしとわたしの言葉を恥じる者は、
 人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、
       その者を恥じる。」

     また、イエスは言われた。
     「はっきり言っておく。
    ここに一緒にいる人々の中には、
   神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、
     決して死なない者がいる。」』
       マルコによる福音書 8章34節-9章1節


   今日のイエス様は、
   『イエスの道』は、イエスに従う人々の道でもあることを告げ、
    弟子たちに、人生に対する『価値観』の転換を求めるのです。


     『自分の命を救おうと望む者は、それを失う』
        とイエス様はおっしゃるのです。

 どういうことでしょう?

      『自分自身は自分で救うことができる。
         神様は必要ない。』
        と考えるなら、
      『本当の命』は得ることができません。
    

    ※自分の将来、自分の命さえも、神に任せることができるなら、
       本当に生きることになるということでしょう。

      ※自分の成功、自分の生活だけを考えるなら、  
      『命』の本当の意味、『命』の本当の価値は、
          分かることがないでしょう。


      ※日常生活の『十字架』を担うことによって、
        本当に自由になれます。
       素晴らしい生活を送れるようになります。
        ・・・と、イエス様はおっしゃるのです。


   私たちキリスト者は、
   そんな風におっしゃるイエス様の弟子であることを、恥じてはなりません。
   私たちの生活で、辛いことの出会う時、十字架を担うとき、
   神様が私たちの救いであることを信じることができますように。
       祈りましょう。
       

『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせ、
    あなたがたを友と呼ぶ。
     ヨハネによる福音書 15章15節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は花金。 お勤めに学校にと一週間お疲れ様でした。
土曜日お仕事や学校もある人もいますね。
皆様の週末が良い週末になりますように。 お元気で!