マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

朝の目覚まし・・・『三度の念禱』 そして 『あなたがたに平和があるように。聖霊を受けなさい。』

2020-05-31 04:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月31日。日曜日。曇り。 主日。


 起床時の念禱

                  ✠ 『聖墳墓教会』 ✠
   
             イエスが処刑された所とその墓のある教会       
          『十字架の道行』 の ✠『第十五留』✠ 2018年巡礼時に巡礼仲間と共に。   


毎朝。
   額から肩にかけて、十字の印を切りながら・・・

           『 ✠ 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。 』

                 三度繰り返し、唱えます。

            三度唱えるうちに、心身が覚め、力がわいてきます。


 『起床時の念禱』
以前、修道会の神父様が私におっしゃいました。
「私のベットの足元の壁に十字架が掛けてあります。
私は目が覚めると、ベットの上で、
その十字架を眺めながら、
  ゆっくり、 三回、
十字をきりながら・・・
『起床時の念禱』 を繰り返し唱えます。」 


                聖テレジアは言われます。
          「念禱とは、私を愛しておられる神としばしば語り合う、
                友愛の親密な交わりです。」  


             誦することは大きな力を持つものですね。
              自分のすべてを集中させていきます。
              主日の今朝も、神父様の真似をして、
         十字を三度きりながら、 『起床時の念禱』 を三度、誦した私です。
                                 心も頭もスッキリ目覚めました。
  

そこで。

今日は5月31日。     『聖霊降臨の主日』
今日も、コロナ災禍でミサはなし。
自宅で、聖書朗読と祈りです。


『今日の入祭唱』

      『希望がわたしたちをあざむくことはありません。
         わたしたちに与えられた聖霊によって、
      神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。』

           ローマの信徒への手紙 5章5節


今朝は、『今日のミサの典礼』の
順序を取り替えました。

まずは。
復活後のイエス様の出現。

『今日の福音朗読 イエスの御言葉』


『その日、すなわち週の初めの日の夕方、
       弟子たちはユダヤ人を恐れて、 自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。
 そこへ、
               イエスが来て真ん中に立ち、 


       「あなたがたに平和があるように」 と言われた。
      そう言って、   手とわき腹とをお見せになった。  

               弟子たちは、主を見て喜んだ。


イエスは重ねて言われた。  「あなたがたに平和があるように。
              父がわたしをお遣わしになったように、
        わたしもあなたがたを遣わす。」


  そう言ってから、    彼らに息を吹きかけて言われた。

                「聖霊を受けなさい。
          だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。
        だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」』

               ヨハネ福音書 20章19-23節


    イエスは、復活された夕方、弟子たちの前に、
          鍵のかかった戸の家の中に、 突然、
          体を持った 『生きたイエス』 として、現われました。

        イエスは、 ”本当に前と同じイエスだろうか?”  と疑う弟子のために、
          ご自分の『聖痕』、 手とわき腹、 をお見せになりました。
        そして、 「あなたがたに平和があるように」 と二度おっしゃいました。


           イエス様が復活後に現われたのは、
              ●死んでも生きているイエスを信じる、
              ●復活のイエスは生前のイエスと同じ方であると信じる、
              ●復活したイエスは弟子といつも一緒にいると信じる、

           弟子たちの信仰が ●『確かな信仰』● になるためでした。


       イエスは、弟子たちに、
          『確かな信仰』 を与えた後で、
            『イエスの復活の証人』 となり、
              『事実』 を人々に広く伝える 『使命』 を与えたのです。
              『洗礼による罪の許し』 の 『権限』 を与えたのです。
   


そして。

『今日の第一朗読 聖霊降臨

『五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
     突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
            そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
               一人一人の上にとどまった。

       
                    『聖霊降臨』

         すると、一同は聖霊に満たされ、〝霊〟が語らせるままに、
               ほかの国々の言葉で話しだした。

さて、エルサレムには
       天下のあらゆる国から帰って来た、 信心深いユダヤ人が住んでいたが、
             この物音に大勢の人が集まって来た。
 そして、 だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。

人々は驚き怪しんで言った。
         「話をしているこの人たちは、 皆ガリラヤの人ではないか。
      どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。

        わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、
         また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
    フリギァ、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。
         また、ローマから来て滞在中の者、11ユダヤ人もいれば、
               ユダヤ教への改宗者もおり、
            クレタ、アラビアから来た者もいるのに、

       彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」』
              使徒言行録 2章1-11節


     聖霊降臨により、 マリア様はじめ弟子たちに、 『聖霊』、 が注がれました。
         この日から、 信じる者の共同体:教会、 が生まれたのです。


         イエス様は、ご自分の亡き後、弟子たちに、
           『宣教』:『福音の知らせ』 の 『使命』 を与えました。
    でも。 弟子たちは、 それをすぐに、まして自分の力で、 できるはずはありません。

    次に。  イエス様は、 弟子たちの導き手である『聖霊』、 を与えられたのです。


       『聖霊』は、 共同体の一人一人に働きかけ、 力を与え、
            共同体を一致させ、 成長させるのです。

     弟子たちの共同体は、 聖霊に導かれ、 『新しい道』 を歩み始めたのです。
     弟子たちの共同体は、 聖霊の導くままに、 『イエスの福音』 を告げ知らせていくのです。


     私たちも、 聖霊に導かれ、聖霊の導くままに、 『新しい道』 を歩み続けましょう。


『今日の祈願』

  『すべての人の父である神よ、
    今日祝う聖霊降臨の神秘によって、
    あなたは諸国の民を一つの聖なる教会に集めてくださいます。
        聖霊を世界にあまねく注いでください。
       教会の誕生によって行われた宣教の働きが、
   今も信じる民を通して続けられ、豊かな実りをもたらしますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日から6月です。多くの小学校は、コロナ災禍による休校を終え、学校再開になるようです。
事実上の 『入学式』、『新学期』ですね。 
子どもたちの健康が守られ、楽しい学校生活が続けられますようにと、お祈りいたしましょう。
私も、6月、4ヶ月ぶり、いよいよ動き出しましょうか!
  皆様の6月も楽しい月でありますように。  お元気で!

環境か?言語か?・・・『娘の誕生日』 そして 『彼のことが、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい。』

2020-05-30 20:18:40 | 娘と娘家族
5月30日。土曜日。晴れ。

娘が誕生日を迎えました。

   娘の花・・・           『スズラン』
  
           『スズランの花言葉:再び幸せが訪れる。純粋。』  


           娘が東京の日本赤十字病院で誕生を迎えた翌日。
            上皇后美智子様がまだ皇太子妃であられ、
       名誉総裁であられた日本赤十字病院の産科を お訪ねくださいました。
    私はお目通りはかないませんでしたが、お見舞いの『スズランの花』2本を頂戴致しました。
              それ以来・・・娘の花は『スズラン』です。


忘れられない娘の思い出があります。
娘は、多感な頃の高校時代、アメリカに留学をしました。
娘は、日本人に会うことないカトリック校で学び、2姉妹のアメリカ人家庭で生活をしました。
●帰国した娘を迎えに行った父親は、その変わりように、自分の娘を認識できませんでした。
当たり前に生活する日々でも、アメリカ人の環境の中で、すっかりアメリカ人の風貌になった娘でした。
●日本の高校に戻った娘は、これから、私は日本人で生きるの? アメリカ人で生きるの? と、
大きな戸惑いに巻き込まれました。
物事を考えるとき・・・英語で考えた時の答は、日本語で考えた時の答とは違う答となったのです。 
 
●人間を造り上げるのは、環境か? 言語か? それとも両方か? それとも別物か?●
      娘は、それを、 『生涯の研究テーマ』 にしました。


          人には、人生を大きく決定する出来事や出会い、があるものですね。
      私には、我が娘が我が子に産まれてくれたことは、計り知れない価値ある出会いです。

          私は、一人のお人と深く深く関わる楽しさを、娘の誕生で、知りました。
      娘が元気に誕生日を迎え、 『再び幸せが訪れた』、 親の私が感謝した一日でした。
                                         感謝!感謝!

そして。

今日は5月30日。復活節第七土曜日。

『今日の入祭唱』


  『弟子たちは皆、 婦人たちやイエスの母マリア、 またイエスの兄弟たちと
  
                     『聖霊降臨』 エル・グレコ作品 

           心を合わせて、熱心に祈っていた。』
              使徒言行録 1章14節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。
      この弟子は、 あの夕食のとき、 イエスの胸もとに寄りかかったまま、
   

          「主よ、裏切るのはだれですか」 と言った人である。

ペトロは彼を見て、   「主よ、この人はどうなるのでしょうか」   と言った。
イエスは言われた。 「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、
                 あなたに何の関係があるか。
             あなたは、わたしに従いなさい。」


   それで、   この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。
   しかし、   イエスは  、彼は死なないと言われたのではない。

    ただ、   「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、
               あなたに何の関係があるか」
  と言われたのである。

          これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。
             わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。


            イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。
  わたしは思う。 その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。』
                  ヨハネ福音書 21章20-25節


         イエスの弟子になったすべての人・キリスト者は、
             イエスがいつも共におられ、
            イエスから愛されているのです。



    ヨハネは、 いつもイエスの元を離れず、 いつもイエスのおそばにいる人でした。
        最後の晩餐の時は、イエスの隣の席で、イエスに寄りかかっていました。
         十字架の下でも、 他の弟子は逃げましたが、 
          イエスに愛された弟子だけがいました。
         
       『十字架の下の母マリアとマグダラのマリアとヨハネ』
       
      イエス亡き後、 イエスの要望に応え、 イエスの母マリアを家に引き取りました。
      復活されたイエスが弟子に現われたとき、弟子たちの中で一番にイエスだと分かりました。
      

    ペトロは、イエスに初めて出会った時、  『主よ』 と、どの弟子よりも早く、呼んだ人でした。
        イエスの苦難の時には、『私はこの人を知らない』と、 イエスを三度も否みました。
            イエスは、 そんなペトロに 天国の鍵 を預けて、
      
                 教会の頭となさいました。


     イエスは、 すべての人皆一人一人に、その人の『使命』をお与えになります。
       人は、 『あの弟子はどうなるのか?』 と尋ねる必要はないのです。
       人のことは 『あなたには関係のないことです』 とイエスはおっしゃいます。
               人は、人の使命をうらやむことなく、
           自分自身の使命・責任だけを考えればいいのでしょう。


      ヨハネは、 いつもイエスの元を離れない人で、 弟子の『見本』なのです。
      私たちも、 ヨハネの『見本』に倣い、 
              イエスにいつも愛されていることを信じ、
                 イエスのおそばを離れず、
              イエスに呼ばれた恵みに感謝していましょう。


『今日の祈願』

  『全能の父よ、
   復活節を通して、御子イエスの受難と栄光の神秘を祝ったわたしたちが、
    日々の生活の中で、その喜びに生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
すべての人が日々感謝と喜びの内に過ごせる世の中のために、祈ってまいりましょう。
  皆様の穏やかな週末をお祈り申し上げます。  お元気で!

職人気質・・・『揚げたて天ぷら屋』 そして 『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。』

2020-05-29 17:50:00 | 日々のこと。 世界のこと。
5月29日。金曜日。快晴。

外出自粛で客数が減ってしまったお料理屋さんたち。
客数の減少を、『テイクアウト』で店を盛り上げようと頑張る料理屋さんたちです。

      
       近所の料理屋・・・   『揚げたて 天ぷら屋』 
   

       注文を受けて、 客の目の前で揚げる、 揚げたてにこだわるお店です。
         それでも。   このご時世で、『テイクアウト』 を始めました。

      
          私も、 ”お店を応援しなくちゃ!”  と熱い思いです。
           電話で、 ”5時50分にまいります。”  と予約。
             冷めてしまっては、天ぷらは台無しです。
      車で店に向かえば・・・駐車場で車を出す時間が、天ぷらを台無しにしちゃいます。
     店の前に止められる自転車でなら・・・一気に帰宅できると、自転車で店に行きました。

      すると。 さすが。 なんと。 驚きました。
      5時50分に到着の私の姿を見てから、即座に、天ぷらを揚げ始めました。
        『揚げたて 天ぷら屋』 の 『名』 にこだわる 『職人堅気』 です。

       ”揚げたてですので、おいしくお召し上がりください”  ですって。
                               さすが! すばらしい!


             『揚げたて天ぷら』
        

             お店の天つゆ と ご飯。  そして 『獺祭』。
               濃厚なお味の両者はグッドマッチング。 
                 ”おいしく!” 頂きました。


        念入りな仕事に誇りを持つ・・・『職人気質』。  いいものです。
     私も、 『専業主婦』に誇りを持って念入りな仕事をしたい、 と、元気と勇気も頂きました。


そして。

今日は5月29日。復活節第七金曜日。

『今日の入祭唱』

         『イエス・キリストはわたしたちを愛し、
             御自分の血によって
      
            わたしたちを罪から解放して、
      御自分の父である神に仕える祭司としてくださった。』
            ヨハネの黙示録 1章5ー6節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』 

        『イエスは、  弟子たちにご自身を表され、  食事を共にされた。
   
       復活後・・・ 『弟子たちと、ガリラヤ湖畔で、今捕れた魚で、食事をするイエス』

  食事が終わると、   イエスは シモン・ペトロに、言われた。
   「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」 
          
             『ペトロの愛を確かめるイエス』     2018年巡礼時に 
                        ガリラヤ湖畔の「ペトロ召命教会」そばのモニュメント

  ペトロが、   「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」  と言うと、
  イエスは、        「わたしの小羊を飼いなさい」  と言われた。

二度目にイエスは言われた。  「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」 
   ペトロが、 「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」 と言うと、
   イエスは、   「わたしの羊の世話をしなさい」  と言われた。


三度目にイエスは言われた。  「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」   

   ペトロは、  イエスが三度目も、 「わたしを愛しているか」 と言われたので、 悲しくなった。
  そして言った。   「主よ、あなたは何もかもご存じです。
           わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」


 イエスは言われた。      「わたしの羊を飼いなさい。
          はっきり言っておく。
      あなたは、若いときは、 自分で帯を締めて、 行きたいところへ行っていた。
        しかし、
      年をとると、 両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、
              行きたくないところへ連れて行かれる。」


    ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、
              イエスはこう言われたのである。
            このように話してから、
       ペトロに、  「わたしに従いなさい」  と言われた。』 
                ヨハネ福音書 21章15-19節 

            
         イエスは、ペトロを愛し、ペトロを信頼していたのです。

   イエスは、 その生前に、 
           イエスの亡き後は、 ペトロを『弟子たちの長』とする、 と任命しました。

      その後。
 
   イエスは、 十字架の受難に向かう前、 最後の晩餐の後に、 ペテロに言いました。

     『私の行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついてくることになる。』
  するとペトロは、 『私はあなたのためなら命を捨てます。』 ヨハネ福音書13章36ー39節 と言いました。
   しかし。 その同じ夜に、ペトロは、『私はイエスを知らない』 ヨハネ福音書 18章25節
       と、 3回、 自分の命を惜しんで、  イエスを否んだのです。

      その後。

   イエスは、 受難と復活後に、 ペトロの前に現われて、食後、 ペトロに言いました。

         『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか。』 
    イエスは、3回、 ペトロの『イエスに対する愛』 を尋ねました。
 

   勿論。 イエスは、ペトロがイエスを愛していることを、よくご存じであったはずです。
     私は思うのです。 ここに 『イエスの愛』 が表われていると思うのです。
         三回、『イエスを知らない』 と、イエスを否んだペトロを
     イエスご自身の、三回の、愛を確かめる 『言葉』 をもって、
         事実上の 『許し』 となさったのではないでしょうか?
         

       『弟子たちの長』 になるための 『必要要因』 

  まずは。 誰よりも強い 『イエスへの愛』 です。
        ありのままの 弱い自分 がイエスに信用されたことを忘れることなく、
        いついかなる時も、他の弟子たちに勝る 『イエスへの愛』 を示さなければなりません。
  次に。 自らを誇ることがない、 『謙遜』 です。
        『長』のペトロは、自分のイエスへの否みの失敗を忘れることなく、『謙遜』が必要なのです。
  更に。 自分の『使命』に対する、『職人気質』 かもしれません。 
        他の弟子たちとの比較ではなく、謙遜に、自分の弱さを強さとして、 他の弟子たちを導くのです。 

    『長』は、 人の弱さを認めて 更に 許して、 初めて、人を導くことができるのです。

    
         私たちも、ありのままで、神に愛されているのです。
    そんな事実を感謝しながら、自分に与えられた『使命』を果たしていきたいものですね。


『今日の祈願』

    『いつくしみ深い父よ、
    わたしたちのささげものをみ旨にかなうものとして受け入れ、  
      聖霊を送って、わたしたちの心を清めてください。』 
   


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出自粛が緩和され、『WITH コロナ』の『新しい社会』、が始まりました。 
それぞれの立場で、互いに助け合い、協力し合い、すてきな新社会にしてまいりましょう。
   皆様の週末が穏やかな日々でありますように。 お元気で!

My Second Carはアメ車・・・『全アスリートへの訓告』 そして 『わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。』

2020-05-28 10:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
5月28日。木曜日。快晴。

  自称アスリートの私。

      My second carは・・・    『アメ車』

                 『SPECIALIZED  HARDROCK 』
          公認超アスリート・アイアンマンの息子からのプレゼントです。
                             

  緊急事態宣言の全国解除の翌日の昨日は、 待ってましたとばかりに、 走り出した私。
         そして。 今日は、 『My second car』 の総点検でした。

                何ヶ月ぶりかの My愛車点検。
            点検後・・・新緑豊かな田んぼ道を走り抜けました。

             この軽さ! このしっかりとした安定感!
          忘れていた感覚がよみがえって・・・どこまでも走れそう!
                 でも手入れを怠って、恥ずかしながらの錆錆。
                    自転車にも、送り主の息子にも、申し訳ないことです。 
                 STAY HOMEの間に磨き上げて、よみがえらせようと思いたったのです。

  そんな時。

      山仲間から、 ”ぼつぼつ登れるかしら?”  と希望のメールがありました。
          同時に。  
      日本山岳会から、 5月25日付け、 「自粛」要請解除後の要請がありました。 

              『登山愛好家へのガイドライン』    
 1. 近距離(100km圏内程度)でできるだけ都道府県を跨がない日帰り登山から始めましょう。
 2. 体調不良での登山は止めましょう。
    入山後にコロナ感染発症すると命に関わり、救助隊、収容先地元医療機関に多大の迷惑を及ぼします。
 3. 登山は、少人数で行いましょう。(パーティーは、当面5名以内で。)
 4. 自粛期間中、季節や地震による山容の変化、登山道の荒廃など思わぬ危険が潜んでいます。
    十分な登山ルートの下調べと地図、コンパスの持参、登山届けは必ず提出し、家族にも残しましょう。
 5. 登山中でもマスクを着用しましょう。
    マスク着用時は、熱中症及び脱水には十分留意し、こまめに水分摂取を心がけましょう。
 6. 登山でのソーシャルディスタンスを守りましょう。
     一般的には2メートル前後ですが、登山中の場合は、さらに距離が必要と言われています。
 7. 登山山域内での買い物や、下山後の呑み会等も地元住民への感染防止の観点から控えてください。
    食材、飲料、緊急食などは出発前に揃えておきましょう。
 8. 自粛中に衰えた 筋力、体幹を鍛えましょう。

              『全アスリートへの訓告』
      コロナウイルス第二波、第三波防止への 『対策』 としたいものです。


             夜明けの早くなったこの頃、
      私は当分、 お一人様で、 早朝ラン と 早朝バイクを、 楽しみましょう。

             束縛されない開放感って最高ですね。
           明朝は、ヘルメットをかぶってサイクリングです。
             自粛中に衰えた筋力、体幹を鍛えましょう。


そして。

今日は5月28日。復活節第七木曜日。

『今日の入祭唱』

    『憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、   
         大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。』

           ヘブライ人への手紙 4章16節


『今日の福音 イエスの御言葉』

        『そのとき、  イエスは天を仰ぎ、  祈って言われた。
    

           「彼ら(キリストの12弟子たち)のためだけでなく、
      彼らの言葉によってわたしを信じる人々(すべてのキリスト者)のためにも、
                  お願いします。


             父よ、 あなたがわたしの内におられ、
        わたしがあなたの内にいるように、
            すべての人を一つにしてください。


             彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。
      そうすれば、
        世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。

          あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。
              わたしたちが一つであるように、
               彼らも一つになるためです。
 
         わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、
              彼らが完全に一つになるためです。
 
          正しい父よ、世はあなたを知りませんが、
             わたしはあなたを知っており、
       この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。

            わたしは御名を彼らに知らせました。
             また、これからも知らせます。

            わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、
           わたしも彼らの内にいるようになるためです。」』
                    ヨハネ福音書 17章20-26節


『今日のイエスの御言葉』を読みながら、
 私自身のことを思い出しました。
    
私は、私の子どもたちが、 いよいよ自立して家を巣立つとき、
「世間様が皆、あなたに反対するようなことがあっても、私一人はいつもあなたの味方です。
  どんなときも、母は我が子の味方です。 忘れないでね。」 と。 
母の変わることのない愛を知らせました。一人、一人に、しっかりと伝えました。


        イエス様も、 最後の晩餐の席で、 いよいよ『神の時』が来て、
          もうすぐ『苦しみ』を受けることを弟子たちに知らせた時、 
           弟子たちに、何回も、何回も、しっかりと、言いました。

     「弟子たちが互いに一致するように、イエスはいつも弟子たちのために祈っています。
        イエスと御父・神は、 互いに愛し合い、 いつも一致しています。
        弟子たちも、 互いに愛し合うために、 いつも一致していなさい。
        弟子たちが、 互いに一致するとき、 神も弟子たちと一致します。
           神は、 どんな時も、 人間を愛しています。」 と。 
 
 イエス様は、お別れにあたり、
   たとえ見えなくて、 神とイエスと聖霊の人間への愛は変わることはない。 ことを知らせました。
   見える兄弟の一致において、 人々は神の見えない愛を見いだすことができる。 と教えたのです。    

      イエス様は、 何回も、何回も、 知らせ、教えました。
   そのイエス様のお姿に、イエス様の弟子たちへの愛の大きさ、深さが、 計り知れますね。
           


『今日の祈願』

       『聖なる父よ、あなたのことばに教えられたわたしたちが、
    聖霊の働きに心を開き、そのたまものを受けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
外出自粛の数ヶ月間で足腰が弱ってしまいましたね。
昨日より今日。今日より明日と。少しずつ歩行数を増やしたいものです。 
   明日も穏やかな一日でありますように。 お元気で!      

緊急事態宣言の全国解除・・・『濃厚な日常』 そして 『聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって 彼らを守ってください。』

2020-05-27 04:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
5月25日。水曜日。晴れ。

朝4時半。

     特別の日の・・・    『晴れやかな夜明け』
  
                                          我が書斎から

             緊急事態宣言の全国解除の翌日の夜明け
               同じ景色なのに輝いて見えます。

朝5時半。
    
      日常が戻って・・・    『朝ジョグ』
  

                2ヶ月ぶりだろうか?
              軽やかな心で、走り出した。


                私の日常が戻ってきました。
         封じ込められていた日常が、私の意のままの日常になりつつある。


            何事においても、 ”本当にこれって私に必要?” 
                と、問い続けながらの日常。
         不要不急ではない 『濃密な日常』 が始まる気がする。 

    
              今朝の日常が新鮮に見える。
          夜明けや花々や小鳥たちに笑われてしまいそう。
      ”人間 あなたって、当たり前のことに一喜一憂するのね!”  と。


そして。

今日は5月27日。復活節第六水曜日。

『今日の入祭唱』  

       『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
      神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。』


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

         『そのとき、  イエスは天を仰ぎ、  祈って言われた。     

     「聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって 
            彼らを守ってください。

         わたしたちのように、 彼らも一つとなるためです。

   わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。
      わたしが保護したので、 滅びの子のほかは、 だれも滅びませんでした。
              聖書が実現するためです。

       しかし、今、  わたしはみもとに参ります。
世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。

       わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。
      わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。

     わたしがお願いするのは、
     彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。

     わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
        真理によって、彼らを聖なる者としてください。
           あなたの御言葉は真理です。

    わたしを世にお遣わしになったように、 わたしも彼らを世に遣わしました。
        
             彼らのために、 わたしは自分自身をささげます。
         彼らも、  真理によってささげられた者となるためです。」』
                ヨハネ福音書 17章11-19節


 イエスは、 最後の晩餐の席で、 知っておられました。
    自分の『時』:『受難の苦しみの死』 がきたことを。
    この世での自分の仕事を、弟子たちが受け継ぐことを。

     そこで。

 イエスは、天を仰ぎ、 弟子たちのために、 神に祈られたのです。
   彼らが、 父と子と聖霊がいつも一致しているように、 いつも一致することができますように。
   彼らが、 イエスがそうであるように、 喜びにいつも満たされますように。
   世に属さず神に属する彼らが、イエスがそうであったように、世からの迫害に負けませんように。
   彼らを、 真理によって、 聖なる者としてください。
   彼らを、 イエスがそうであったように、 『真理』:『イエスの受難』 に身をささげる者にしてください。


      人は、 『真理』を通すときに、 多々、 理不尽な反対を受けることがあります。
            その理不尽がまかり通る世 を経験します。

   そんな時でも。

       キリストは、 ”私はあなたを、守り、力づけます!” と約束されるのです。
       キリストは、 ”あなたのために神に祈ります!” と約束されるのです。


     今もなお、 
       キリストは、 私たちの信仰を通して、  働き続けておられます。
       私たちも、  キリストの足となり手となり、  働くことを続けましょう。


『今日の祈願』

     『いつくしみ深い父よ、 あなたの教会を顧みてください。
          聖霊によって集められたわたしたちが、
    心と思いを一つにして、あなたに仕えることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
緊急事態宣言解除で、まず皆様は何をなさいましたか?
穏やかな日々をお楽しみください。  お元気で!

人生色々・・・79歳にして遊行・・・『西洋建築紀行』 そして 36歳で司祭叙階・・・『聖フィリッポ・ネリ司祭 記念日』

2020-05-26 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月26日。火曜日。曇りのち雨。

学生時代の同窓先輩が、
50歳にして、「建築画家」 に転身。
79歳にして、「西洋建築紀行」 の旅に出た。 
 
「建築紀行」の始まりは、昨年2019年10月9日、79歳、
    その①は、 『豊平館(札幌)』 でした。


       そして今日・・・    その 『(109)札幌ハリストス正教会』
       

       「西洋建築紀行」 の旅で、西洋建築を描き始めてから、約7ヶ月半。
           今日で、その 『西洋建築絵画』は109枚  になりました。
                 途中から、コロナ災禍事件です。
            それでも、 230回の予定の約半分ほどこなされました。
               信じられない程の先輩のパワーです。

  
北海道新聞掲載  2019年10月版記事
『10月9日より北海道新聞朝刊にて、『島口暉生様の画と文による連載』
「西洋建築紀行」 が始まりましたので、ご案内します。
   日曜日を除く平日の4〜5回、
全国各地めぐりを20回ほど繰り返し、計230回程の予定です。』


              『五島列島 青砂ヶ浦教会』
  
                                    さすが。 緻密な素晴らしい先輩の絵です。

         青砂ヶ浦教会は、 明治12年(1879年)頃、 小さな集会所で出発し、
         3代目となる現在の聖堂は、 明治43年(1910年)、 に完成しました。

             懐かしい・・・  私も訪問しました
            
                                   友人と。 2019年巡礼時に
         

      1614年~1873年の『禁教令』下で、259年間、キリスト教が弾圧されていたので
     隠れて信仰していた 『潜伏キリシタン』 の人々の信仰の証しである五島の教会です。


私の同窓先輩は
1940年、札幌生まれ。
東京で法学を学んだ後、札幌に帰郷。
親の後を継いで会社社長の傍ら、
函館などの西洋建築の細密な絵を描き始め、
1990年、50歳にして、『建築画家』 に転身しました。
そして、昨年晩秋、79歳にして、「西洋建築紀行」 の旅に出たのです。
先輩は、 絵画人生の集大成なのか? 人生の集大成なのか?  一歩、歩み出されました。
自宅と紀行先を20回往復して、一回に11~12枚描いて、230枚の「西洋建築」を描く予定のようです。


         五島列島・奈藦湾を見下ろす高台に厳かに・・・  『青砂ヶ浦教会』
        
                                     2019年巡礼時に


    同窓先輩画家は、 新しい『紀行画』の写真に 『手紙』を添えて、 メールで同窓の友人一人に送る。
      その友人は、 7ヶ月半の間、更に、 その友人たち、私にも 『西洋建築紀行』 を送ってくる。


      同窓先輩の絵に向かうバイタリティー と 半世紀にわたって続く同窓の友情
      この二つから学ぶ  『人間の持つ無限の可能性』  に、感動する私なのです。


そして。

今日は5月26日。復活節第七火曜日。

        『聖フィリポ・ネリ司祭 記念日』
     

 1515年。 イタリアのフィレンツェで、公証人の父と貴族階級の母の4人兄弟姉妹の長男として生まれる。
 17歳。  ドミニコ会がの学校で教育を受けた後、富裕な商人・伯父・ロモロ家を継ぐべく、養子に出される。
 18歳。   商売を学びつつも、 自分の一生をいかに生きるべきか悩み、 教会に通う日々が続く。
          そこで、 神への祈りに生きるべきであると確信し、 ローマに出た。

        聖アウグスチノ修道会にて学びつつ、青少年のために働き、
        病気に苦しむ貧者を助ける団体を作った。
        後に、 修道院での勉強に終止符を打ち、カタコンベで独り祈り、奉仕生活を始める。

 29歳。  聖セバスチャンのカタコンベにて、宣教活動を始める。

       信徒たちの集まりを組織し、教会の小祈祷所(オラトリオ)で集会を持ち、
           ともに、病院や救貧院に奉仕に出かけた。

1551年。36歳。  司祭の叙階。
       
       司祭となったフィリッポ・ネリは、信徒としてオラトリオで行っていた宣教活動を、
          さらに規模を拡大して進めていく。
       信仰生活についての講話、宗教音楽、慈善事業が行われる集会を組織した。
          それは、集まった集会から「オラトリオ」と呼ばれるようになり、
              『オラトリオ会』 に発展した。

  フィリポ・ネリ司祭は、 隣人愛、福音的な単純さ、喜びにあふれる神への奉仕、 に秀でていた。

1595年。79歳。  死の当日まで祈りとミサを奉げることに専念し、 穏やかにこの世を去った。
             喜びの聖人、 ローマの第2の使徒、  と称される。
                『毎日の読書』 より


      私たちは、 学校の先輩や教師、 そして 信仰の先人たち、
  多くの皆様の生き様から、学び、教えられ、 『自分の道』 を完成していくものなのでしょう。


『今日の入祭唱』

      『主の霊がわたしの上におられる。
  貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。』      
                      ルカ福音書 4章8節


次に。
          使徒パウロ  から学びます
     

『今日の第一朗読 パウロの言葉

     『その日、 パウロは ミレトスからエフェソに人をやって、 教会の長老たちを呼び寄せた。
     

         長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。

     「アジア州に来た最初の日以来、
      わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。
    すなわち、
         自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、
    また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、
              主にお仕えしてきました。


              役に立つことは一つ残らず、
       公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。
        神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、
         ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。


   そして今、  わたしは、〝霊〟 に促されてエルサレムに行きます。
          そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。

    ただ、   投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、
           聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。

    しかし、  自分の決められた道を走りとおし、
    また、
  主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、
            この命すら決して惜しいとは思いません。
   そして今、  あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。
             わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。

     だから、   特に今日はっきり言います。

            だれの血についても、わたしには責任がありません。
     わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。」』 

               使徒言行録 20章17-27節


    パウロは、 次のエルサレムに向かう前に、 エフェソ教会の長老たちに、 別れを告げます。

        『皆様に、もう二度とお目にかかることはないでしょうと、分かっています。
          私は、 あなた方の地で、 『神の計画』 のすべてを
             ひるむことなく、すべての人に、伝えました。

          私は、 あなた方の地で、『自分の道』:『宣教の道』 を、
       たとえ私の命を失うことがあっても、それを惜しいとは思わずに、走り通しました。
           そこで。
        私の話を聞いて、 それを信じるか否か?  新しい命を得るか否か?
               その責任は、私にはありません。』


       使徒パウロは、 『自分の道』:『宣教の道』 を見つけ、命がけで、前に進みます。
           確信がなく、迷いがあっては、できることではありません。
              パウロは何回も命を奪われそうになっても、
           迷いませんでした。 ひるみませんでした。 ぶれませんでした。

   最後に。
       パウロは、 エフェソの教会の長老たちに、 『言葉』 をかけて励まし、
            お別れの挨拶を終えました。

       『「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。
    わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い出して、
               目を覚ましていなさい。
        そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。」
       
        このように話してから、パウロは皆と一緒にひざまずいて祈った。
             人々はパウロを船まで見送りに行った。』
                使徒言行録 20章28-38節 参照
   
    
      私たちも、 『我が道』 を歩むとき、
          ”これで良かったのだろうか?”   と不安がよぎりますよね。
           パウロが言うように、  ”私は成すべき事をなしました”
                『人事を尽くして天命を待つ』
        できる限りのことをしたら、 あとは焦らずに、 その結果は
      『神(御父)とその恵みの言葉(イエス)にゆだね』 ればいいのでしょう。


『今日の集会祈願』

  『救いの源である神よ、
      あなたを信じて従う者を、 聖徳の輝きで高めてください。
  フィリポ・ネリを燃やした同じ聖霊の火が、 わたしたちの中に燃え上がりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
世界中の人々が、『我が道』と信じる道を歩むことができる、そんな世界実現のために祈りたいものです。
どなたにも、人生は一回。 すべての人生は 『貴重な人生』 ですからね。 お元気で!

土起こし・・・『夏野菜の苗付け』  そして 『パウロは、イエスの名によって洗礼を授けた。』

2020-05-25 17:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月25日。月曜日。晴れ。

今日、『緊急事態宣言』 の全国解除となりました。 嬉しいことです。
一ヶ月ほどの 『日本全国一致団結』、外出自粛の実行は、貴重な経験でした。
『新しい社会』の始まりにも、 ”やってみせる!”  と自信にもなりました。

そこで。
今朝は、『宣言』以来初めての、ホームセンターへ。
待ちに待った 『夏野菜の苗』 と 『野菜用土』 の買い物。
  ぶどう用の肥料も買いました。
  嬉しい、心弾む一時でした。
    

      数日前から・・・    『野菜畑の土起こし』
 
昨年の土と鉢底石をふるいにかけ、不要物を取り除き、土と石に分け、 さらに 石はきれいに洗って、
               好天の続いた二日間の天日干し、消毒でした。


         私の野菜作りは、地植えではなく、大型プランター栽培です。
    やっと今日。
         今年も、古い土に新しい『野菜用土』を足して、苗植え終了です。

                 ミニトマト。キュウリ。ナス。シソ。
              大きくなってね。 夏の収穫が楽しみです。
                 日常が戻って、感謝!感謝!
   

そして。

今日は5月25日。復活節第七月曜日。

『今日の入祭唱』

     『あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
 そして、エルサレムばかりではなく、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』

                 使徒言行録 1章8節


『今日の第一朗読 パウロの言葉

       イエスの弟子たちだけでなく、
   その後の信仰者も、豊かな聖霊を受けました。

  
         『アポロがコリントにいたときのことである。
     パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、

   彼らに、 「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」 と言うと、
   彼らは、 「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」 と言った。

   パウロが、 「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」 と言うと、
             「ヨハネの洗礼です」 と言った。

    そこで、

  パウロは言った。 「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、
               悔い改めの洗礼を授けたのです。」


         人々はこれを聞いて 主イエスの名によって洗礼 を受けた。

           パウロが彼らの上に手を置くと、
    
               聖霊が降り、
         その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。


           この人たちは、皆で十二人ほどであった。』
              使徒言行録 19章1-8節


      パウロは、エフェソで、 『ヨハネの洗礼』 を受けた人々に出会います。
         そこで。
       パウロが、 『イエスの名によって洗礼』 を授け、手を置くと、
         ヨハネの洗礼受洗の人々も、豊かに、聖霊に満たされたのです。



では。
『イエスの名による洗礼』とは何か?
調べてみました。

      『洗礼』は、キリストにおける 『新しいいのち』 の誕生です。

         洗礼の実り、あるいは洗礼の恵みの効果は素晴らしいもので、
      原罪とあらゆる自罪のゆるし、新しいいのちへの誕生などが含まれています。

         この誕生により、
      人間は、 御父の養子、キリストの肢体、聖霊の神殿、 となります。
   受洗者は、キリストの体である教会に結ばれ、『霊的な家』になるための『生きた石』となります。
      洗礼によって キリストの祭司職、預言職、王職 にあずかります。


      『洗礼』は、 人の霊魂に消えないしるし、 『霊印』 を刻みます。

       この霊印によって、受洗者はキリストに似た者され、聖化されます。
        キリスト者は、教会の聖なる典礼にあずかりながら神に仕え、
           聖なる生活 と 実践の伴う愛のあかし とによって
           洗礼による司祭職(恵み)を果たすことができる者とされ、
            またそうする義務を負わされているのです。
               以上。 『カトリック教会カテキズム』より


       難しい難しい。 要するに。
       洗礼とは・・・洗礼によって聖なる者となり、神の子、イエスの兄弟となり、
       神の国では「永遠の命」を頂けるが、この世では「愛神愛隣」に努めなければならない。
                                  ということでしょうか。


『今日の祈願』

     『聖なる父よ、聖霊をわたしたちの上に注いでください。
    日々の生活の中で、いつも御旨を行うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
神様の願いは、『虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること』 と聖書に書かれています。
正に、コロナウイルスの災禍は 『虐げられ、くびき』 のようでしたね。
これからも、知恵を働かせ一致団結、コロナウイルス災禍を封じ込めましょう。 お元気で!

先輩の遺品&父の遺品・・・『ミニ聖書』 そして 『主の昇天 祭日』・・・『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。』

2020-05-24 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日は5月24日。日曜日。快晴。

 主日の今朝、思い出したこと。
   
        会葬御礼・・・   『ミニ聖書』
   
                                     
    その昔。
    何十年も前。


          私の父が大変尊敬する先輩が亡くなって、ご葬儀がありました。
     父は、
          私が洗礼を受けたイグナチオ教会でご葬儀ということに、大変驚きました。
            又。
          尊敬する先輩がカトリック信者であることを初めて知って、大変な驚きでした。

         
            先輩は、ご自分の御意志で、 葬儀の 『会葬御礼』 として 
              会葬者全員の手元に 『ミニ聖書』 を遺されました。



        私の父は亡くなる前に・・・
         『お前の信じる神の言葉をずっと読んでいたよ。』 と私に言った。

                                    私は知りませんでした。


       尊敬する先輩、 そして 自分の娘、 が一番大切にする『聖書』
         父は、通勤の背広のポケットに『ミニ聖書』を必ず入れて、
              通勤道中に読み続けていたのです。


         父の死後・・・
             私は、 『赤線の引かれたミニ聖書』 を見て、 涙しました。
             私は、 父の心の有り様を垣間見て、 涙が止まらなかった。


そして。

今日は5月24日。復活節第七主日。

                    『主の昇天 祭日』         
 

私の教会では、3月8日以来主日ミサがなくなって約3ヶ月。今日もミサ中止です。


『今日の入祭唱』

      『ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
        あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、
   天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。』

              使徒言行録 1章11節

   
今日は、『主の昇天 祭日』 です。

第一朗読、第二朗読、そして 福音の順番、を取り替えて、読んでいきたいと思います。
                           よろしくお願いいたします。

まずは。

『今日の福音 イエスの御言葉

   『そのとき、
      十一人の弟子たちはガリラヤに行き、 イエスが指示しておかれた山に登った。

     そして、
                イエスに会い、   ひれ伏した。
   

              しかし、疑う者もいた。


イエスは、近寄って来て言われた。

          「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 
    だから、
         あなたがたは行って、 すべての民をわたしの弟子にしなさい。
            彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
         あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。

          わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
               マタイ福音書 28章16-20節


              イエスは復活の後・・・
             約束の場に、 現われました。
           弟子たちは、イエスの出現に畏れ多く、イエスの前にひれ伏しました。 
              しかし、ある弟子たちは、イエスかどうか疑いました。

       そこで、
          復活したイエスは、弟子たちに、イエス亡き後を託したのです。
              イエスは、 『イエスの時代』 が終わって、 
           これからは 『教会の時代』 になることを教えたのです。


       イエスは、弟子たちを派遣するにあたり、言われました。
           「あなたたちに、 『私の権能』 を与えます。」    
 
                『福音・良い知らせ』 を告げなさい。
            信じる人に 『洗礼』 を与えて、弟子にしなさい。
         あなた方に 『命じたこと』 をすべて守るように、教えなさい。
               苦しむ人たちを、訪ね、癒しなさい。

      もう一つ。

      イエスは、弟子たちを派遣するにあたり、『励ましの言葉』 を与えました。

          『わたしは、世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。』


      弟子たちは、 『イエスの言葉』に、 勇気を与えられました。
        その後。
      弟子たちは、 『聖霊』を受けて、 自信もできました。

         弟子たちは、 イエスの霊、聖霊に導かれ、 宣教に励みました。
    それは、最後にはイエスのために自らの命を捧げ殉教する程の、 確信だったのです。


       今の私たちも、キリストと結ばれ、聖霊に導いて頂きながら、
       教会の発展のために力を出せるようになりたいものですね。

     
次に。

『今日の第一朗読 使徒言行録 イエスの昇天


         『イエスは苦難を受けた後、
        御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、
          四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。

   そして、
         彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。

      「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
   ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。


         あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。
     そして、 エルサレムばかりでなく、 
          ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、
              わたしの証人となる。」


        こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、
       

           雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。

        イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。
    すると、   白い服を着た二人の人がそばに立って、  言った。
   

        「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。
         あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、
     天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」』

              使徒言行録 1章1-11節


   いよいよ。
      弟子たちの共同体は、イエス亡き後、 『新しい道』 を歩み始めます。


        最後の晩餐で、
        弟子たちは、イエスから愛し抜かれ、イエスから励ましを受けていました。
         『私は去る。しかしすぐに聖霊を送り、いつもあなた方と共にいる。 
            恐れることなく、大胆に、宣教を始めなさい。』
 と。
                 『教会』 の始まりです。

          弟子たちは、聖霊に導かれて、『教会』 を築いていくのです。


最後に。

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉 神の偉大な力

   『皆さん、 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、

あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、
        心の目を開いてくださるように。

そして、
    神の招きによってどのような希望が与えられているか、
聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。

また、
わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる
     神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように

神は、この力をキリストに働かせて、
     キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、
     すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、
    今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。


神はまた、
           すべてのものをキリストの足もとに従わせ、
キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。


         教会はキリストの体であり、
   すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。』

           エフェソの教会への手紙 1章17-23節


            使徒パウロは、エフェソの教会の人々に、
        『イエス・キリストにおいて、すべての人の救いは実現しました。』 
  『救いの恵みは、すべての人に及び、すべての人は神の民となり、キリストの体を構成するのです。』 
     『キリストは、すべてを治める主であり、皆がキリストにおいて一つになるのです。』
 と
         パウロが確信する 『キリスト教福音の神髄』 
            を書き送くり、勇気を与えたのです。



『今日の祈願』

  『全能永遠の神よ、  
    地上を旅するわたしたちは、天に上げられたキリストに結ばれて、
       いつも永遠の国を目指すことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ、残りの1都3県北海道も明日の解除が決まり、『緊急事態宣言』の全国解除の予定となりました。
街に沢山の人が出てきた映像を拝見し、嬉しいことと感動します。
苦しかった『緊急事態宣言』中に学んだことを無駄にすることなく、『新しい社会』を造ってまいりましょう。
  すてきな幕開けの穏やかな新しい週をお祈り申し上げます。 お元気で!

『冬、凍えたキューピッド』・・・『断食』・・・『プリスキラとアキラは、アポロを招いて、もっと正確に神の道を説明した。』

2020-05-23 20:28:57 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月23日。土曜日。快晴。


          ミレー作品・・・   『冬、凍えたキューピッド』 
     
 
               我が家にかかる 『絵画』
     『冬、凍えたキューピッド』 『落ち穂拾い、夏』 『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』
           我が家には、3点のミレーの作品がかかっています。
      いずれも、私の両親の家にかかっていた『絵画』を、私が受け継いだものです。


家にかかる『絵画』は、
小さいときからそれを目にする者の心に、
  『潜在意識』 を
知らず知らずに築くものである。
と、学んだのは結婚した頃です。

”そうなのか!” と妙に納得して、
私は母になったときから、両親に似て、
家に多くの『絵画』を飾るようになりました。

それを学んだのは・・・
ある小説の殺人事件を読んだときです。
その殺人原因を調べていくと・・・
殺人犯が小さい頃から眺めていた
家にかかる『絵画』に行き着くという、
小説を読んだ時です。


          『ミレーは、連作『四季』を3回描きました。
              『冬、キューピッド』は
      紀元前6世紀から前5世紀に活躍した古代ギリシャのアナクレオンの叙情詩
           から着想を得ているといわれています。
   夏の間遊びすぎて帰る家を忘れてしまったキューピッドが、雪の中で寒さに凍えてしまい、
    農民に扮した詩人(アナクレオンといわれている)の家族に救われる場面を描いています。
           家の中へ迎えられ、 暖まったキューピッド。
       キューピッドを抱く女性 はハートの模様のついた衣装を身につけています。
    アナクレオンと思われる農民の家族は、愛と優しさと芸術に満ちあふれていたのです。
         この暖かい家庭は幸せなミレー自身の家庭だったのでしょう。』
                『ミレーと出会う』 より


    
                 私は、 この 『冬、キューピッド』の『絵』 を眺める度に
                 聖書・イザヤ書の語る 『断食』 を思い出します。


     先日の5月14日。

       教皇フランシスコからも 『呼びかけ』 がありました。
             
             『5月は 『聖母月』 であり、
          5月14日(木)を 『祈り』 と 『断食』 の日とし、
              共に祈りましょう。
         可能な範囲で 『愛徳の業』 に努めましょう。』


紀元前720年頃。
預言者イザヤは 『神の言葉』:『断食』 を告げました。

『葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくこと、
それを、お前は断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。
虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、
裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。』
      イザヤ書 58章5-7節



            ミレーの描いた 『冬、凍えたキューピッド』 は、
              凍えたキューピッドを家に迎え入れ、
         パンを裂き与え、衣を着せかけ、助けを惜しまない農民家族。
            正に、 神の求める 『断食』  の姿なのです。


そして。

今日は5月23日。復活節第六土曜日。

『今日の入祭唱』

  『あなたがたは、選ばれた民、祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。
   それは、あなた方を暗闇の中から光の中へと招き入れて下さった方の
      力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。』

           ペトロの手紙Ⅰ 2章9節

そして。

『今日の第一朗読 プリスキラとアキラ夫妻の断食

         『パウロはしばらくアンティオキアで過ごした後、
  また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。

    さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、
                エフェソに来た。

        彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、
          正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。
            このアポロが会堂で大胆に教え始めた。


           これを聞いた プリスキラとアキラ は、
    
          『聖アクラとプリスキラの家に滞在するパウロ』  
         作者不明。ベルギー、アントワープのPlantin-Moretus Museum蔵。

           彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。
   それから、  アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、
              兄弟たちはアポロを励まし、
        かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。


       アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。
          彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、
           激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。』
                使徒言行録 18章23-28節


      アクラとプリスキラ夫妻は、
 
   パウロが、ローマからに来たとき、
        パウロを家に迎え入れ、パンを裂き与え、一緒に仕事をしながら、
      

              パウロの宣教活動を支えました。

  そして今回。

   聖書に詳しいアポロという雄弁家がエフェソに来た時も、
            アポロを迎え入れ、パンを裂き与え、
        『メシアはイエス・キリストである』と 正確な『神の道』 を伝え、
           アポロを励まし、アポロを新地に送り出し、

            アポロの 『宣教活動』 を支えました。


             神の選ぶ『断食』とは
       『虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
   更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、
       裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。』


               アクラとプリスキラ夫妻の生き様は、
             自分たちの住む地に来た人を家に迎え入れ、
         パンを裂き与え、衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまない姿。
            正に、 神の求める 『断食』  の姿なのです。



『今日の祈願』
  
      『恵み豊かな神よ、
        あなたの民の供え物を聖霊によって尊いものにして下さい。
     わたしたち自身も、あなたへの永遠のささげものとなりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様はお家に絵を飾るのはお好きですか?
STAY HOMEの続く週末、お家をよりすてきに、居心地のよい場所にしましょう。
  穏やかな週末をお過ごし下さい。 お元気で!

自粛緩和ムード・・・『夏の模様替え』 そして 『その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。』

2020-05-22 21:29:24 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
5月22日。金曜日。晴れ。

昨日の42府県の『緊急事態宣言』の解除により
日本中に、ほっとした、自粛緩和ムードが生まれました。
それでも、まだまだ不要不急の外出禁止は続けたいです。


      緩和ムードで・・・   『夏バージョン』
  

             家中の調度品を夏向けに取り替えです。

     毎年は、 学生さんたちの夏服衣替えの時期に合わせて、 6月1日に実行します。
     今年は、 『緊急事態宣言』の解除による緩和ムード始まりをもって、 今日実行しました。


       
       涼しげに透き通る     『ガラス花』       作家さんの手作り作品です

              装飾品もガラス製品に取り替えました。
         うちわを出して、ランチョンマットも竹製に取り替えました。


            3ヶ月間ほどのSTAY HOMEの心に、
     開放感が満ちあふれました。 明日への希望が満ちあふれてきました。
                             衣替えはいいものですね。
     


そして。

今日は5月22日。復活節第六金曜日。

『今日の入祭唱』

      『主は、御自分の血で、神のために人々を贖われ、
      
    彼らを私たちの神に仕える王、また、祭司となさった。』

             ヨハネの黙示録 5章9-10節


そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

        『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
  

    「はっきり言っておく。

       あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、 世は喜ぶ。
           あなたがたは悲しむが、   その悲しみは喜びに変わる。


女は子供を産むとき、苦しむものだ。自分の時が来たからである。
しかし、
子供が生まれると、
一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはやその苦痛を思い出さない。

        ところで、 今はあなたがたも、 悲しんでいる。
        しかし、  わたしは再びあなたがたと会い、
              あなたがたは心から喜ぶことになる。

     その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。    

     その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねない。」』
               ヨハネ福音書 16章20-23節


       とうとう、 イエスが御父のもとへ移るべき時が来ました。
         イエスも弟子たちも、悲しみにうちひしがれます。

       その時、 
      『イエスは、弟子たちを愛して、このうえなく彼らを愛し抜かれました。』 ヨハネ福音書 13章1節

      それは、
   『私は御父に至る道である。』 そして 『私が去った後に聖霊を与える。』
                          ・・・との 『約束』でした。

      また、
   『わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。』
                          ・・・との 『復活の後の再会の約束』 でした。



       イエスの受難の時に弟子たちは悲しむでしょうが、
         復活したイエスに出会うとき、
  

     弟子たちの悲しみは喜びに変わる。 その喜びは弟子たちから消えることはない。
     弟子たちは、イエスの生前の時のように、イエスに色々を尋ねる必要もなくなる。 
                         ・・・とイエスはおっしゃるのでした。


  もう一つ。

   イエスは、別れの時が来たときに、
      弟子たちに与えた 『最後の言葉』 は、
         『私は、あなた方をみなしごにはしておかない。』 ヨハネ福音書 14章18節
      『私は復活後、必ず、いつも、一緒にいる。』 
                         ・・・と  『約束』 なさったのです。


    イエスは、弟子との別れにあたり、
       変わることのない 『神の愛』 を示されたのです。 約束なさったのです。


   今も、神は私たちと一緒におられます。 それは私たちの心強い『喜び』であります。


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、救いの恵みを受けた人々を、いつくしみをもってお守り下さい。
      御子イエスの死によってあがなわれた者が
     その復活の喜びに生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私たちより先にこの世を終えた愛する人たちが、霊において今もいつも一緒にいると思うと、
おもわず話しかけたりしますよね。 皆様にはお返事は聞こえますか?
  心の中に、 ”ず~と愛していますよ!”  聞こえますよね。  お元気で!