マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

DIY園芸・・・和風庭と洋風庭 そして 『アブラハムの信仰』・・・『アブラハムは、自分の独り子である息子すら、神にささげることを惜しまなかった。』

2021-02-28 14:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月28日。日曜日。晴れ。

今日は、
4週間目毎のミサ出席の至福の午前でした。
そして、
心も体もゆったりと至福の午後でした。
気温が上がる前の『DIY・庭作り』のための
 『計画作り』です。


   一つは、和室の前・・・

               『和風モダン庭』
 
                                           こちらはネット上のお庭
          二日がかりで整えた我が家の庭・バックヤード。

    32年前に、庭師さんは、我が家の庭に、『二つの顔』 を持たせました。
        和室の前の『和風庭』 と 居間の前の『洋風庭』
           2部屋から見る景色がまるで違うのです。


この度のDIY・庭作りにあたり
今日は本をあれこれと調べました。

       『和風モダン庭作リ』 のポイントは 『シンプル・イズ・ベスト』 だそうです。
    『日本的な美しさ』は 『余計なものを取り除く』 ことでのみ生まれる美しさだそうです。
      シンプルな作りの方がより完成された 『和風モダン庭』 になるということです。
           なるほどね! と、私の『DIY魂』がスイッチONしました。
          私も、『和風庭』には『水瓶』 をいれることにいたしましょう。

  
   一つは居間の前・・・

            『パーゴラにつるバラを絡めた洋風庭』
 
                                   二階から眺めた庭 こちらもネット上のお庭      

         私も、『洋風庭』には『レンガ』を敷き詰めることにいたしましょう。
      今は葡萄が育つパーゴラに、つるバラも共存させることにいたしましょう。   


   今日は、植木屋さんに和風植木や洋風つるバラなどのご教授、 研究に出かけました。
         明日は、方眼紙に、『庭設計図』 を書いてみましょう。
     コロナ禍でSTAY HOMEの毎日、DIY園芸に目覚めた日々で・・・感謝!感謝!


そして。

今日は2月28日。四旬節第二主日。

『今日の入祭唱』

   『主は、お前に言われる 「わたしの顔を尋ね求めよ」と。
     主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。
  御顔を隠すことなく、怒ることなく、あなたの僕を退けないでください。』

         詩編 27章8&9節


『今日の第一朗読 アブラハムの試練』

   『その日、 神はアブラハムを試された。
        神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、
      彼が、「はい」と答えると、 神は命じられた。

       「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、
   
            モリヤの地に行きなさい。

 
            『モリヤの地』

   わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」

神が命じられた場所に着くと、
      アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べた。
  そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
   
      『アブラハムとイサク』        レンブラント28才の作品

 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。
      彼が、「はい」と答えると、 御使いは言った。

      「その子に手を下すな。 何もしてはならない。
    あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。
 あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」


        アブラハムは目を凝らして見回した。
     すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。

      主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。
            御使いは言った。

      「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。
  あなたがこの事を行い、 自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、
          あなたを豊かに祝福し、 
    あなたの子孫を天の星のように、 海辺の砂のように増やそう。

 

        あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。
    地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。
      あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」』

         創世記 22章1-2&9&10-13&15-18節


今日の『神の御心』を調べてみました。

    『アブラハムの信仰』は、試練によって、清められる必要があった。  

   神は、まさに未来の約束がかかっているイサクを、いけにえとして捧げるように要求し、
          アブラハムを試みられる。
      アブラハムは、独り子を惜しまずに、捧げようとする。 
    ところで、
  神は、みずからイサクの命を守り、そのかわりに羊を全焼のいけにえとして捧げさせる。


        この出来事は、
   アブラハムが、どれほど『深い畏敬』を神に対していだいていたかを表わし、
    とともに
  『神の計画』は、人間の死ではなく命を指向していることを啓示するものである。


     『神が死を造られたのではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。』
                      知恵の書 1章13節

           いつか死が敗北する日がくるとき、
       『イサクのいけにえ』にどのような意味があったかが、明らかになるであろう。 

    『アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。
        それで彼は、イサクを返してもらいましたが、
       それは死者の中から返してもらったも同然です。』
 ヘブライ人への手紙 11章19節


   『アブラハムの従順』は、『神の約束』を再確認するという結果をもたらし、
    アブラハム自身、この『約束』の実現の緒についたのをみるのです。


         『アブラハムは諸国の民の偉大な父であり、
        栄光において彼と肩を並べうる者はいなかった。』

                シラ書 44章19節  


    かくて、 『罪人となる人類の輪郭』が、
       罪を犯した人祖・アダムとエバの中に『予示』された。
 
          『原罪と楽園追放』   ミケランジェロ作品   
            
          そして、 『救われる人類の歩み』は、
       信仰の人なるアブラハムの中に『粗描』されているのである。
 
               以上。『聖書思想辞典』より


        アブラハムは、
        いかなる時も、『主の御言葉』を信じる 『人類の信仰の父』 であり、
    神による『人類救済』の出発点として選ばれ祝福された 『人類の先駆者』 なのです。
    『アブラハムのイサクの献供』 は 『神の独り子イエスの献供』 の型どりなのです。
          神は、私たち人類のために、御子をお捧げくださったのです。
              私の一人の恩師・ミッションの神父様はおっしゃいました。
         「神は御独り子を捧げて下さった。 そして 人間であるアブラハムも独り子を捧げてくださった。
             お二人の生き方に勇気を頂いて・・・
           人間である私にもできることと信じて、我が身を司祭として捧げる決心をしたのです」 と。



私たちも、
神を信じ、イエス・キリストを信じ、
『アブラハムの子孫・イエスキリスト』につながる
『神の家族』となりました。
今日のミサ司式司祭様は、
最後におっしゃいました。
『神に、犠牲的愛を捧げることができる「恵み」を
  願ってまいりましょう。』


『今日の祈願』

  『父である神よ、
     四旬節を過ごしているわたしたちが、
 キリストに従い、すべての人の救いのために働く者となりますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新しい一週間が、皆様にとって穏やかな日々でありますように。 お元気で!

二日がかり垣根剪定作業・・・筋肉痛大歓迎。 そして 『あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。』

2021-02-27 20:01:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月27日。土曜日。晴れ。

今日は垣根のアイビーの撤去作業。
昨日は雨で一休み。
一昨日の5時間作業に続けて
今日の5時間半作業で完成です。
二日がかり、合計10時間半の撤去作業となりました。


  我が家は・・・        『サザンカの垣根』
 
       
         サザンカの合間に育った『アイビーの撤去作業』
           サザンカの合間に沢山の隙間ができた。
             足と腕の筋肉痛が起こった。

自称アスリートの私。
日々の練習で、
筋肉痛は当たり前です。

『筋肉痛』とは、
運動に伴って傷ついた筋線維を
修復する過程で炎症が起きる筋肉の痛みで、
新しい筋肉細胞が出来上がる前の痛みであると、
     大歓迎していました。


      今日は、運動ではなく、庭作業のための筋肉痛であるのがちょっと寂しいけど、
             筋肉の再生につながるので、大歓迎です。
         コロナ禍のためマラソンも登山もなくなり、ちょっと寂しい。

  それでも、
      できた垣根の合間を、サザンカを補充すべきか? 別花を植えましょうか? 
         楽しい悩みと痛み・・・
            今日も楽しい庭作業でルンルン気分です。
           筋肉痛大歓迎の一日でした。 感謝!感謝!
     


そして。

今日は2月27日。四旬節第一土曜日。

『今日の入祭唱』

   『主の律法は完全で、魂を生き返らせ、
  主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。』

        詩編 19章8節



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。
 

     「あなたがたも聞いているとおり、
        『隣人を愛し、敵を憎め』 と命じられている。
       しかし、わたしは言っておく。
        敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
         あなたがたの天の父の子となるためである。

       父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
 
     正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

      自分を愛してくれる人を愛したところで、
       あなたがたにどんな報いがあろうか。
     徴税人でも、同じことをしているではないか。

      自分の兄弟にだけ挨拶したところで、
     どんな優れたことをしたことになろうか。
    異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
     あなたがたも完全な者となりなさい。」』

        マタイ福音書 5章43-48節


      今日は、 二つの『聖書の言葉』、 の考察です。
  『隣人を愛し、敵を憎め』  『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』 


旧約時代。
   旧約聖書の中の『契約の書』の中に、『身体の障害と報復』 について書かれています。

  『人々がけんかをして、妊娠している女を打ち、流産させた場合は、もしその他の損傷がなくても、
その女の主人が要求する賠償を支払わねばならない。仲裁者の裁定に従ってそれを支払わねばならない。
      その他の損傷があるならが、
    命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、
     生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。』

             出エジプト記 21章22-25節

      「過剰な報復(復讐)を禁じる」  律法でした。
 何倍もの仕返しをすることを禁じ、「報復を最低限のものにとどめる」 という意図でした。
           つまり、
        『目には目を、歯には歯を』という法は、
     古代世界においては、高い水準を目指した『律法』であったということなのです。


時が過ぎ・・・
イエスの時代。
      イエス様は、『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』 と、
                          『報復』を禁止したのです。

    新約聖書の、『マタイ福音書』の中に、『報復の禁止』 について書かれています。

    『あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
        しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
        だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
       あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
     だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。
   求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。』

            マタイ福音書 5章38-42節


    イエス様は、『報復を禁止』 なさいました。
      「報復を最低限のものにとどめる」 のではなく 「報復そのものをしない」
           と、 イエス様は、『新しい掟』 を定めたのです。


      『新しい掟』 の実行は不可能のように思えますが・・・
           イエスに従う者は、

 悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださり、
     すべての人を愛し、 すべての兄弟に挨拶をする、
          『完全な御方・御父・神』に倣って・・・ 
             『完全な者』になりなさい、
             『愛深い者』になりなさい、
              とイエスはおっしゃるのです。 


私たちすべての人は、
神から『深い愛』を期待されているのです。
すべての人を隣人と思い、
特に人の助けを必要とする人たちに手をさしのべて、
『完全な者』となれるように勤めたいですね。
            

『今日の祈願』

   『永遠の父よ、 
      罪深い民をあなたに立ち帰らせてください。
    わたしたちが、ただ一つの必要なものを絶えず求め、
 愛のわざを通して、ひたすらあなたに仕える者になりますように。』

       

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
皆様の明日の日曜日が、穏やかな日でありますように。 お元気で!

六府県・・・緊急事態宣言2月末で解除 そして 『まず行って兄弟と仲直りをし、早く和解しなさい。』

2021-02-26 19:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
2月26日。金曜日。雨。

 27日朝4時。

                『未明の月』
 
             人間の動きを冷静に見続ける月
             未明には沈んで・・・新しい朝を導く


              我が在所・兵庫県など6府県
          新型ウイルス感染拡大防止のための 『緊急事態宣言』 を
  3月7日の『解除予定日』を待てずに、7日前の2月28日、『先行解除』を政府は決定しました。

           私の中では、リスクのこわさに、益々の緊張感が走る。
       ”今まで以上に気持ちを緩めることなく自粛生活を続けましょう” と。
          それでも、
”12月から休会となっている『聖書通読会・聖書100週間』の再会をどうしましょう?” と早速に気が緩む。


        あらゆる生命に価値があり、あらゆる生命の多様性のために、
         今の私が取るべき『態度』を、私も決定しなくてはならない。
           今日も、思考の時間が流れます。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月26日。四旬節第一金曜日。

『今日の入祭唱』

    『神よ、悩む心を解き放ち、痛みからわたしを引き出してください。 
 御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。 どうかわたしの罪を取り除いてください。』

            詩編 25章18&19節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、  イエスは弟子たちに言われた。
 

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、
       あなたがたは決して天の国に入ることができない。

  
           『天の国の門』

あなたがたも聞いているとおり、
  昔の人は 『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』 と命じられている。
しかし、
わたしは言っておく。
      兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。
     兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、
     『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

      だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、
    兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、
    その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、
      それから帰って来て、供え物を献げなさい。

  あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。
    さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、
  裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。

はっきり言っておく。
   最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」』
        マタイ福音書 5章20-26節


律法学者やファリサイ派の人々は、
     『神の赦し』 を頂くために・・・
   『律法』を守り、神の御前で『正しい人・義』となる必要があると考えました。

 
  イエス様は、弟子たちに話されました。
    『天の国』 に入るために・・・
『あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければならない』 と。


  『律法学者やファリサイ派の人々の正しさ』に勝る『真の正しさ』とは何でしょう?
      『律法』を、律法学者やファリサイ派の人々以上に守ることでしょうか?


   イエス様の、『はっきり言っておく』と言われる、『義・真の正しさ』 は、
     何にもまして、 『兄弟と仲直りし、兄弟と和解する』 こと。 です。

   妬みや怒りは、 人の幸せの妨げになり、 神との関わりも乱れるのです。


  神は、 すべての人の『救い』を望んで、すべての人を『天の国へ迎える』ために、 
          神の御独り子・イエスを、 この世に派遣してくださいました。
イエスは、すべての人の『救い』を望んで、 ご自分の犠牲に於いて、 
          すべての人、罪ある人をも、 赦してくださいました。
私たちは、 『天の国』に参加するために、 自分の罪を認めて、
          神様と そして 兄弟と、 和解する必要があるのです。
                       ・・・これらこそ、 『義・真の正しさ』 なのです。


私たちも、
イエスが、神と人類の和解のために、
『十字架の犠牲』を払ってくださったように、
それが『犠牲』を要することであっても、
兄弟と和解しなければなりません。
そして皆一緒に、『天の国』に入りたいものですね。
         

『今日の祈願』

   『聖なる父よ、
  御子キリストの奉献によってわたしたちの罪を赦し、
     力強い愛のうちに救いの恵みをお与えください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は金曜日。ゆっくりと、穏やかな週末をお過ごしください。お元気で!

32年間の年月・・・すべては移り変わる。 そして 『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』

2021-02-25 09:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
3月25日。木曜日。晴れ。

今の住まいに越してきたのは32年前。
夫は東京単身赴任中。娘は米国留学中。
中学一年の息子との『二人生活』も2年目になる時でした。

その時、庭造りは、プロの庭師にゆだねました。
好みの花々の選択とその植え込みは、息子と私の二人でしました。

 
           かすみ草が、主役でありながら、華やかな花々を引き立てます

      息子の”一番好き!”というかすみ草 と 私の”凜々しさが好き!”なバラの花
       母と庭造りを楽しんでくれた息子も、今では自分の家庭の主となって久しい。
             32年間が過ぎ去った。 すべては移り変わる。

思い切って・・・

        この度、『私好みの庭』に、DIYで、作り変えることにしました。
    コロナ自粛で外出のままならぬ毎日・・・思索時間も労働時間もたっぷりあります。

            今日は、天候良く暖かい5時間・・・
            32年間の幸せを振り返りながら・・・
        アイビーのほとんどを撤去し、花のための場所を広げました。
        かすみ草を更に植えることにいたしましょう。 感謝!感謝!



そして。

今日は2月25日。四旬節第一木曜日。


『今日の入祭唱』

   『主よ、わたしの言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けてください。
   わたしの王、わたしの神よ、助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。』

           詩編 5章2&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

 『そのとき、  イエスは弟子たちに言われた。
 

        「求めなさい。 そうすれば、与えられる。
        探しなさい。 そうすれば、見つかる。
        門をたたきなさい。 そうすれば、開かれる。


だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

あなたがたのだれが、
    パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
     魚を欲しがるのに、 蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。

   まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。 
     だから、
   人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
          これこそ律法と預言者である。」』

              マタイ福音書 7章7-12節
             

      イエス様は、今日の福音では、
   イエスの教えに従って歩む 『わたしたちの生き方』 を示されました。


         その『鍵』は、
  『だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい』 ですね。


         すべての人は、「求め」、「探し」、「門をたたく」、 のです。
   そして、
       私たちの天の父は、求める者に、良い物をくださるのです。 
   だから、
         神様は良い物をくださるように、
     『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
                と、イエス様はおっしゃるのです。


      イエス様が望まれることは、
         神さまは、誰かが求めているものを、お与えになる時・・・
            『私たちの手』を使われるのです。


   『求めているもの』は、 『探しているもの』は、 
          目に見えるかもしれません。 目に見えない愛情かもしれません。
     『門をたたく人』のため、 「閉ざされた扉」を開けるのは私たちです。

    『行動』を起こすのは、私の手、私の足、私の言葉、なのです。
       私たち、一人ひとりが、 『神の御心』 を働くのです。


       『律法と預言者』 は 『愛神愛隣』=『イエス・キリスト』 
                              に言い換えられるのです。


       イエスは言われます。
   『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。
        廃止するためではなく、完成するためである。』

             マタイ福音書 5章17節


私たちも、
「神の手」として働けますでしょうか。
誰かが求めているものを届けることができるでしょうか。
イエス様の『言葉』に従って、
『人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。』
という『生き方』ができるといいですね。


『今日の祈願』

  『全能の父よ、
 いつも正しいことを考え、 すすんで実行する力をお与えください。
     あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
   あなたの息吹によって生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私がああしたこうしたいと思うとき、お人も同じことを考えていることに心が回って、
今日も明日も明後日も、助け合いの日々でありますように。  

ミニバラ成長のしるし・・・二年毎の転居 そして 『しるし』・・・『ここに、ソロモンにもヨナにもまさるしるしがある。』

2021-02-24 19:51:51 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月24日。水曜日。晴れ。

2月も終わりになってきて、
暖かくなり、春の気配も近くなり、
花も、虫も、私も、何もかもが動き出す。

今日は、一昨日の庭の剪定に続き・・・
庭仕事、花の手入れです。

8年前の娘からの『母の日のプレゼント・ミニバラ』


  ♡『ミニバラ』♡ 今日は一回り大きな鉢に・・・      『二年毎の転居』 
 

         今年で、2年毎4回目の引っ越し鉢替えで、大きく成長しました。


             鉢を大きくするから・・・更に大きく育つ。
          大きく育つから・・・それ相応の大きな鉢が必要となる。
        花も、人も、成長を育てる『環境』が必要なのだと、実感します。

 
娘からのプレゼントの『ミニバラ』は、 2年後には『自立』、 『鉢植え』から『地植え』になりそうです。
      私も、結婚以来13回の転居で、次なる転居が必要なのでしょうかね。
     暖かい春を迎え・・・更なる成長をあれこれ考えるのは楽しい。 感謝!感謝! 


そして。

今日は2月24日。四旬節第一水曜日。


『今日の入祭唱』

 『あなたに望みをおく者はだれも、 決して恥を受けることはありません。
  主よ思い起こしてください、 あなたのとこしえのあわれみと慈しみを。
     神よ、すべての苦難から贖ってください。』

        詩編 25章3&6&22節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 群衆の数がますます増えてきたので、
 
         イエスは話し始められた。

       「今の時代の者たちはよこしまだ。
   しるしを欲しがるが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

    つまり、
       ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように、
      人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。


        南の国の女王は、裁きの時、
   今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。

      この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。
 
        『シバの女王の到着』       サミュエル・コールマン作品

     ここに、ソロモンにまさるものがある。

また、
        ニネベの人々は、裁きの時、
   今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。

        ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。
 
     『ヨナの語る「神の言葉」を聞いて、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、
         身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。』 ヨナ書 3章4&5節
 
        ここに、ヨナにまさるものがある。」
          ルカ福音書 11章29-32節

  
       人は、『しるし』を欲しがりますよね。 『証拠を見せて!』 なんてね。
 イエスの時代にも。
    イエスは、『神の働きの証拠を見せて!』 と、人々から 『しるし』 を求められたのです。

        
       イエスの御降誕以来・・・
             ソロモンやヨナにまさるしるし
          『イエス様の言葉と働き』 が 『しるし』 なのです。
          『イエスご自身』 が 『神の働きのしるし』 なのです。



  旧約時代。
       南の国の女王は、『ソロモンの知恵』 の噂を聞き、それを聞くために、
               ソロモンの所まで訪ねてきて、 
           『ソロモンの知恵』 に 『神のしるし』 を見ました。
       
       ニネベの人々は、 ヨナの『回心を勧める話』を聞き、 改心しました。
            ヨナから『特別なしるし』を見なくても、
          『ヨナ自身』 に 『しるし』 を見たのです。

  イエスの時代。
        ユダヤ人は、『イエスのなさっていること』をみれば、
                    そこに、十分な『しるし』を見るはずです。
          そして、反省し、改心するはずです。


         イエス様は、その生涯の間、『神の心』を生きる『宣教生活』で、
        自らが『しるし』となって、人々に『改心』を呼びかけられたのです。


            改心しない人々は、最後の『裁きの日』に、
        南の国の女王やニネベの人々が、 彼らを『罪』に定めるであろう。
             と、イエス様はおっしゃるのです。


私たちも、
聖書を読みながら、『イエスの生活』に於いて、
又、多くの人々の『献身的な生き方』を見ながら、
『神の働き』を見ることができるといいですね。


『今日の祈願』

  『すべての人の救いを望まれる神よ、
     あなたは、絶えず私たちを養ってくださいます。
 わたしたちが成長し続け、永遠の命をいただくことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
春は、入学式や入社式で若者が更なる成長をみせる、すてきな季節です。
皆で若者を応援していきましょう。 お元気で!

老人と海・・・『そのためなら、十回唱えたっていい。』 そして 『主の祈り』・・・『だから、こう祈りなさい。』

2021-02-23 20:44:33 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
2月23日。火曜日。晴れ。

今日のテーマは『祈り』です。


   『祈り』といえば・・・   『主の祈り』
 
    私の祈りの原型・・・ ヘミングウエイの『老人と海』

『老人』は、
巨大な魚・カジキと熾烈な戦いをする最中で
  『祈り』を唱え始めるのです。

       『「おれは信心深い男じゃない」老人は言った。
  だが、この魚を捕まえるためなら、主の祈りを十回に、アベ・マリアを十回唱えたっていい。
コブレの聖母マリア様にもお祈りにいくさ、やつを首尾よくつかまえたらな。ああ、はっきり誓うぞ」
   老人は型通りに祈りを唱え始めた。
    そして、つけ加えた。
 「この魚が死ぬときにも祈ってやってください、マリアさま。 あっぱれなやつでございますから」』



       老人の『祈り』は、単純で、神とマリアへの信頼に満ちているのです。
                                素敵です。 感動します。

まずは、
老人は、 当面の敵の『カジキの捕獲』を願って、 『主の祈り』と『アベ・マリア』、 を十回繰り返します。
そして、そのすぐ後で、
   ”捕まえた敵・カジキの死のときにも祈ってください!”  と、
                 マリア様に、『カジキの平安の死』 を願って祈るのです。


        老人の『祈り』は、自分の為に祈り、
          更には、 他者(あるときは敵)の為に祈ることをも忘れないのです。

                                素敵です。 感動します。


   『祈り』は、 神への『信頼』であり、 神への委託による『心の平安』であり、
         『愛神愛隣』の『信仰宣言』 である。 
            と『老人』から学びます。


  今日も、私も老人の一人で、朝・昼・夕に、『主の祈り』と『アベマリア』 をひたすら唱え、
        『心の平安』を頂きました。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月23日。四旬節第一火曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、 あなたは代々にわたしたちの宿るところ。
  山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、
     代々とこしえに、あなたは神。』

       詩編 90章1&2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、  イエスは弟子たちに言われた。
 

    あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。
      異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
        彼らのまねをしてはならない。

    あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
       だから、こう祈りなさい。


          『天におられるわたしたちの父よ、 
            御名が崇められますように。
              御国が来ますように。
         御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
           わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
         わたしたちの負い目を赦してください、 
           わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
              わたしたちを誘惑に遭わせず、
              悪い者から救ってください。』

                   『主の祈り』


  もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
  しかし、
  もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」』
         マタイ福音書 6章7-15節


      イエス様は、
       神に向かって、『我らの父よ』 と祈りなさい。
               神は、すべての人の父なのです。
        単純に、『主の祈り』 を唱えなさい。 
             多くの言葉で、くどくどと祈る必要はないのです。
                ・・・と、すべての人に教えました。

私たちも、
イエス様の教えの通りに、
自分自身のために祈るだけでなく、
神はすべての人の父で、私たちは皆一つの家族なのですから
お人のためにも祈ってまいりましょう。
神は私たちの必要をご存じで、必ず必要な恵みをくださる方ですから
神に感謝の気持ちを祈ってまいりましょう。


『今日の拝領唱』

  『呼び求めるわたしに答えてください 
        わたしの正しさを認めてくださる神よ。
 苦難から解き放ってください。 憐れんで、祈りを聞いてください。』

         詩編 4章1&2節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も祈り続けましょう。
  
   『いつくしみ深い神よ、
新型コロナウイルスの感染拡大によって、 今、大きな困難の中にある世界を顧みてください。

  病に苦しむ人に必要な医療が施され、 感染の終息に向けて取り組むすべての人、
     医療従事者、病者に寄り添う人の健康が守られますように。

亡くなった人が永遠のみ国に迎え入れられ、尽きることのない安らぎに満たされますように。
   不安と混乱に直面しているすべての人に、支援の手が差し伸べられますように。

    わたしたちが感染拡大を防ぐための犠牲を惜しまず、
世界のすべての人と助け合って、この危機を乗り越えることができるようお導きください。』
       『新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り』より

春到来・・・庭の木々の剪定 そして 『聖ペトロの使徒座 祝日』・・・『わたしは長老の一人、また、キリストの受難の証人』

2021-02-22 06:00:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
2月22日。月曜日。晴れ。

最高気温が16度の暖かい一日。
春の気配に、じっとしていられない。

夫は、待ちに待った季節到来で、
3日前に続けて今日もゴルフ。
私は、庭の春準備で・・・    

             『木々の剪定』
 
           刈り込まれた木々の庭

        金木犀、もみじ、ぼけ、梅、桜、マユミ、月桂樹、桃、
           小さな我が庭に育つ木々。

      冬に葉を落としていた木々が、春到来で新芽を芽吹きだしてきて
        それぞれの生命で、美しい庭全体を創リ始めました。

         新緑の木々が、例年のようにその生命を輝き出す。
        その『神の不思議』に酔いしれる日が本当に楽しみです。


朝6時~11時。
脚立に乗って、のこぎりでギコギコ、
伸び放題に伸びている枝枝を切り落としました。
5時間で、大きなゴミ袋7つ分の
木々の剪定でした。

働いた♡ご褒美♡・・・

      『バラの新芽』                      『鰻一匹とワインの昼食』
   
  昨年秋に刈り込んだバラの開花が始まる♡          5時間労働で失った体力補充です♡


         木々も花々も人間も皆同じ、神から生命が吹き込まれているのですね。
     『神は、命の息を吹きいれられた。こうして生きるものとなった。』 創世記 2-7参照
         今日は、好きな庭いじりで、私の生命力Upでした。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月22日。四旬節第一月曜日。

         『聖ペトロの使徒座 祝日』
 
          『聖ペトロの使徒座』         バチカン大聖堂内 

        4世紀。 聖ペトロの使徒座の記念日は、
    使徒ペトロを礎として建てられた教会の『一致のしるし』として 
        すでに四世紀にローマで祝われていた。
          『毎日の読書』より

       イエスの12使徒の1人で、使徒の頭であった聖ペトロは、
イエスから、『あなたはペトロ。わたしはこの岩(ペトロ)の上にわたしの教会を建てる』
                                  マタイ福音書 16ー18
        と言われ、『教会の礎』としての『使命』 をゆだねられました。

      ペトロは、
        教会の最初の司教として、アンチオキアに使徒座を置き、
      
            『天の国の鍵を持つペトロ』  
     御像はバチカン聖堂の中にあり、私もですが、沢山の巡礼者がペトロの足をなぜるので、
                                       足がツルンツルンでした。

        その後ローマへ宣教に行き、
          バチカンの丘に使徒座の基礎を築いたのです。

      カトリック教会ではペトロを『初代のローマ教皇』とみなします。
    これは『天の国の鍵』をイエスから受け取ったペトロが権威を与えられ、
    それをローマ司教としてのローマ教皇が継承したとみなすからである。

 聖ペトロの『使命』は、今日まで、
     代々の教皇(現在266代教皇フランシスコ)に受け継がれている。


『今日の入祭唱』

     『主はシモン・ペトロに仰せになった。
 「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。
  だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」』

        ルカ福音書 22章32節


     『今日の第一朗読 使徒ペトロの言葉』
    
        『初代教皇ペトロ』     ルーベンス作品

  『愛する皆さん、
わたしは長老の一人として、また、キリストの受難の証人、
         やがて現れる栄光にあずかる者として、
         あなたがたのうちの長老たちに勧めます。

    あなたがたにゆだねられている、 神の羊の群れを牧しなさい。
    強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。
       卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。


    ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。
        むしろ、群れの模範になりなさい。

       そうすれば、大牧者がお見えになるとき、
   あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることになります。』
          ペトロの手紙Ⅰ 5章1-4節


『ペトロの手紙』は、ネロ皇帝の迫害が始まる前の西暦64年頃ローマで書かれました。
   この手紙は、パウロの宣教によって始まった小アジアの緒教会に送られたもので、
           ペトロが緒教会の責任者であったこと、
     ペトロとパウロが一致して宣教活動をしていたことを証明しています。


   ペトロ自身は、ネロ皇帝の迫害の時に、殉教したと思われます。
 当時の小アジアの信徒たちは、異教徒の間で彼らとは異なる生活をしていたので、
       違う目で見られ、嫌われていたようである。
       その信徒たちを励ますための手紙である。
            以上。『聖書100週間手引』より


イエス・キリスト様は、
私たち人類の罪の責任を引き受け、
十字架の苦しみを受けて命をささげ、『復活の栄光』に入られました。
私たちも、
使徒ペトロの『勧め』を受け入れ、
日常の苦しみを乗り越え、謙虚に、身を慎み、献身的に生き、
主と共に栄光に入る希望と喜びをもって、
毎日を暮らしたいものですね。


『今日の拝領唱』


  『ペトロが答えた。 「あなたはメシア、生ける神の子です。」
   すると、イエスはお答えになった。
      「あなたは幸いだ。 私も言っておく。
    あなたはペトロ。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」』
            マタイ福音書 16章16&18節 

 
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
寒い冬の後の春の到来は、嬉しいですね。
今しばらく自粛生活を続けて、嬉しいコロナ終息の日を迎えましょう。

大河ドラマ・『青天を衝け』・・・『徳川家康です』 そして 『イエスは荒れ野で、四十日間、サタンから誘惑を受けられた。』

2021-02-21 20:00:00 | 大河ドラマ。テレビ。ラジオ。新聞。映画。
2月21日。日曜日。晴れ。

日曜日の楽しみの一つは
歴史好きの私には
『大河ドラマ』です。
ドラマの作者が
私たちの良く知る歴史上の人物を
どの角度から、どのような人間として、
描き出されるのかが、とても楽しみです。
なるほどね!と、
私の中で人物像が膨らんでいくのも、とても楽しいのです。


               『青天を衝け』

      『徳川家康です』                 『徳川家康 遺訓』

        『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
  不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
           堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
        勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
             おのれを責めて人をせむるな。
            及ばざるは過ぎたるよりまされり。』


    
     今回の大河ドラマは、毎回、 『徳川家康です』の『言葉』 で始まりますね。
             私の父の書いた『徳川家康 遺訓』
            我が家の和室の床の間に掛けてあります。


    今回の大河ドラマでは、家康様のお陰で、亡き父のことが思い出されます。
    私の父は生粋の関東人で、『巨人・大鵬・卵焼・そして 家康』 でしたから
          家康様と私の父が、私には重なるのでしょう。

   晩年の父が、『人の一生は・・・』と筆で書く時、何を考えていたのでしょうか?
         そんな話をしておけば良かった。
     『家康の遺訓』を書いた頃の父と今の私、年が同じになりました。
         
       年は同じでも、父と私の成熟度は、比べものになりません。
 『徳川家康・遺訓』を『掛け軸』にするほどに、その精神を生きた父だったのでしょう。
       父と母の教えがあっての今の私です。 親を乗り越えるのは至難の業です。
            父母の成熟度に到達が、私の一生をもっての挑戦課題です。



『急ぐべからず。不自由を常と思え。いかりは敵。負くること知れ。人をせむるな。及ばざるがまされり。』
     今日も、『父の家康の遺訓』を読みながら、襟を正した次第です。 感謝!感謝!


そして。

今日は2月21日。四旬節第一主日。

『今日の入祭唱』

  『彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、
 苦難の襲うとき、彼とともにいて助け、彼に名誉を与えよう。
  生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。』

        詩編  91章15&16節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 〝霊〟は イエスを荒れ野に送り出した。
 
          『キリストの誘惑』

      イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
  その間、
   野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

   ヨハネが捕らえられた後、 イエスはガリラヤへ行き、
        神の福音を宣べ伝えて、
  「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」
                 と言われた。』

         マルコ福音書 1章12-15節


    イエスの生涯において、 洗礼者ヨハネを欠かすことはできません。
    
         『鶸(ひわ)の聖母』
     幼児として描かれた洗礼者ヨハネはイエスよりも六か月年長です。ラファエロ作品  

    主イエスが人々の前に現れて救い主としての働きを始める前に、
      洗礼者ヨハネが『先駆者』としての働きをしました。

    『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。
       わたしよりも先におられたからである』

        と、ヨハネは言って、救い主の現れを予告しました。
          ヨハネ福音書 1-15

   又。

    ヨハネは、 「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」 を宣べ伝えていました。
イエスは、宣教活動を始める前に、まずヨハネのもとにやって来て、ヨハネから洗礼を受けられたのです。

       イエスは、洗礼を受けられた後、“霊”によって、荒れ野へと送り出され、
        荒れ野の厳しい状況の中で、サタンの霊的な誘惑の力にさらされ、
         また野獣に象徴される身体と命の危険に囲まれて、
            同時に、神の力に囲まれて、
            40日を過ごされたのです。
 

      イエスは、大祭司であられ、
   『わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、
罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。』

             ヘブライ人への手紙 4章15節


    洗礼者ヨハネは、『民衆に福音を告げ知らせた。
   ところで、領主ヘロデは自分の行った悪事について、ヨハネに責められたので、
          ヨハネを牢に閉じ込めた。』 ルカ福音書 3章18-20節 のです。

      イエス様も、荒れ野での『試練』の後に、
        『”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られ』 ルカ4-14
             ガリラヤで伝道を始められたのです。
   
私たちも、
人生において、
イエスが悪魔の誘惑を受けられたように、
神に服従しようと生き始めたそのときから、
周囲からのさまざまな力が脅威として
襲いかかってくることがあります。
そんな時、
霊と天使たちによって、主イエスを守ってくださったように、
神は、わたしたちを守ってくださるお方です。
主を信じて、日々、信仰に生きていきたいものですね。

                
『今日の叙唱』

  『主キリストは四十日の断食によって、
 四旬節の務めを行うわたしたちに模範を示されました。
    悪霊のいざないを退けられた主は、
 わたしたちが罪の力に打ち勝ち、復活の喜びを迎えるように導かれます。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も皆様の日々が穏やかでありますように。

黄金色の夜明け  そして  『わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』

2021-02-20 06:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
2月20日。土曜日。晴れ。

朝6時半。
一瞬、足が止まりました。

             『夜明けの太陽』
 
            
      光り輝く夜明けの太陽の光で、世界中が輝き出すような不思議な『光景』です。

              ”この黄金色の景色って何なんだろう!!” 
        外気温度と太陽熱が複雑に関わり合った『光景』だったのでしょうか?
         ”コロナ終息が近くありますように!” 思わず手を合わせました。

しばらくすると
いつもの朝の空色に戻りまして・・・
私の研ぎ澄まされた感覚も普通に戻りまして、
又、ジョグの再開です。

       今朝も、 一瞬の『感動』に胸ときめかせながら、 朝練ができました。
                               感謝!感謝!

そして。

今日は2月20日。灰の式後の土曜日。

『今日の入祭唱』

    『恵みと慈しみの主よ、 わたしに答えてください。
   あわれみ深い主よ、 御顔をわたしに向けてください。』

            詩編 69章17節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、 イエスは、 レビという徴税人 が収税所に座っているのを見て、
 
        「わたしに従いなさい」 と言われた。

      彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。
     そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。
 

    そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。

ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。
    「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」
イエスはお答えになった。
     「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。
      わたしが来たのは、
 正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」

              ルカ福音書 5章27-32節


     今日は、対照的な人たち の姿が描かれます。

     徴税人のレビ。 罪人といわれる、人のお金を徴収する仕事人です。
ファリサイ派の人々やその派の律法学者たち。 旧約聖書に長ける人たちです。


    レビは、
イエスに呼びかけられ、仕事中にもかかわらず、何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従ったのです。
以前にイエスの話を聞き、反省し、自分の仕事と生き方の良くないことに気づいていたのでしょう。  
  『回心』のできた喜び一杯と感謝の気持ちで、 沢山の人を招き、 『宴会』を開きました。

一方。
    ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちは、
罪人といわれる人たちの『宴会』を見て、つぶやいたのです。
     『なぜ、イエスや弟子たちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか』 と。
しかも、イエスにつぶやきたいにもかかわらず、
     イエスに向かって言うのではなく、イエスの弟子たちにつぶやいたのです。


私は考えてみました。

   
        『罪』とは、
 『理性や真理、そして正しい良心に背く過ちです。
    また、ある者へのよこしまな愛着による、神や隣人に対する真の愛の欠如です。』

             『カトリック教会のカテキズム』より

    とすれば・・・

  徴税人・レビは、
余分な額の徴税により私腹を肥やしていたレビは、正しさに背く過ちを犯し、罪人です。 
 ですが、イエスの呼びかけで、一気に、『回心』をした、 善人です。

  ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちは、
まじめに、旧約の『律法』に忠実であろうとすることは、善人なのでしょう。
しかし、『律法』への忠実心が、自分の反省にとどまらず、人を裁くことこととなり、
       自分たちはイエスから癒やされる必要はないと思っていることは、 罪人です。
さらに、「イエスのやリ方は律法に背いている」というイエスへの自分のつぶやき・文句を、
    イエスの弟子に言うことは、イエス様に向き合う姿ではなく、罪といえるのかもしれません。


   イエス様は、
 『わたしが来たのは、
    正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。』 
     『健康な人ではなく病人が助けを必要とするのです。』
 と言われ、
        人々の『改心』を、何よりも喜ばれました。


私たちも、
自分の何もかもが、
自分一人の力でできているのではなく、
人々の助け、そして
キリストからの助けと癒やしでできていると、
謙虚になって、
回心ができるといいですね。
  


『今日の祈願』

  『聖なる父よ、 あなたをいつも敬い愛する心をお与えください。
   あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
大阪なおみさんの、努力の結晶、2年ぶり2度目の豪州OP優勝、おめでとうございます。
私たちも、コロナウイルスの終息を願い、今しばらく自粛生活を頑張りましょう。
私たちの努力の後の成功・コロナ終息の喜びも一段と輝くことでしょう。 お元気で!

友の決断・・・『高齢者住宅』 そして 『花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。』

2021-02-19 10:00:00 | 日々のこと。 世界のこと。
2月19日。金曜日。曇り。

季節は流れていく。
時代も流れていく。

   今を盛りに・・・       『咲き誇る百合の花』
  
                          若さの満喫? 美しい!

            人も老いていく。
      共に働き、共に笑い、共に学んだ、教会の友人夫婦が、
子を育て、孫を迎えた自宅を離れて、『高齢者住宅』に移る決断をなさいました。


     人は皆、それぞれの年齢にふさわしい心構えと知恵を持ち、
      それぞれの年齢にふさわしい難しい選択を迫られる。


        庭で花を育て、料理で家族を喜ばせた友に、
         それらに終わりを迎える時が来た。
      すべてが過ぎ去るのではなく、すべての形が変わる、
      新たな季節と新たな時代へと、 新たな開始である。

御夫婦が、堅実に沈着に積み重ねた年月が、今なお一層際だって、思い出されます。
   先輩の友の落ち着きと温かさが、別れを悲しむ私を慰めてくれます。

  私にもいつか訪れる『その時』を、友のように静かに受け入れたいものです。
        それまでは、花を育て、家を愛しながら、
 別れと新たな開始のために、今を感謝のうちに過ごしながら、準備をしていこう。


そして。

今日は2月19日。灰の式後の金曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、 耳を傾け、 憐れんでください。
   主よ、 わたしの助けとなってください。』

       詩編 30章11節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、  ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、
 
       「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、
           なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」
 
                             と言った。

イエスは言われた。
   「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。
     しかし、
        花婿が奪い取られる時が来る。
     そのとき、彼らは断食することになる。」』

         マタイ福音書 9章14-15節


    イエスの到来は、旧約時代の考え方を完成させる、『神の国の到来』 でした。

 イエスはおっしゃったのです。
  『わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、 と思ってはならない。
      廃止するためではなく完成するためである。』 
マタイ福音書 5ー17

       『新しい考え』をもたらしたイエス様の考え方は
     律法を大事にするユダヤ教徒との間で、考えの相違が起こり、
       キリスト者の共同体とユダヤ教の人々との間で、
        対立や衝突が生じるようになったのです。


  すべての信仰者は、
  『断食』の実行により 、『主・救い主の来臨』、の時まで、  
       主の恵みに心を完全に開いた生活が保持できるように努めるのです。


イエスの時代。

  ユダヤ人は、
    イエスの到来を、『救い主の到来』、と認めることができず、
       『主・救い主の到来』を願って、 断食を続けていました。

    一方。

  イエスは、ご自身が『神の子・救い主』であるので、
          ご自身を『花婿』にたとえられて、
      『花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。』
          ・・・と、イエスが生きている間は、『断食』は不用であると説いたのです。 
               
     しかし。
      『花婿・イエスが取り上げられる十字架上の死の後には、
        キリスト者は、『イエスの再臨』を願って、断食を始める。』
                      とおっしゃったのです。


        『真の断食』とは、信仰に基づく断食であり、
        ”愛する方”、 ”花婿” =救い主 を奪われた者が、
         花婿を捜し求めながら行うものなのです。

私たちも、
四旬節の間、
救い主・イエスキリストの姿を探し求めながら、
回心し、善行に励みたいものですね。
    
     神は言われました。
  『わたしの選ぶ断食とは、悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて
    虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。』

       イザヤ書 58章6節参照


『今日の祈願』

  『神よ、 四旬節の典礼に生きるわたしたちの供えものを受け入れてください。
   あなたの民が御心にかなう者となり、 節制に励むことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
新しい開始に年齢は関係ないですよね。毎日が新しい開始でありますように。
皆様の明日からの週末が素晴しい開始の日々でありますように。