マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

学問を大切にする者は、一般の人々の役に立ちうる人でなければならない。・・・『シラ書』・・・欲望のままにいきてはならない。

2019-02-28 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 今日は2月28日。年間第七木曜日。

     今日は『シラ書』の考察。 私はシラ書が好きです。


なんといっても。
『序文』の中で感じる、著者の優しさが好き。
祖父や父、イスラエルに対する『愛情』 そして 聖書や学問に対する『真面目さ』です。


『シラ書 序文』

『律法の書と預言者の書およびそののちに書かれた他の書物は、我々に多くの貴重な教えを残してくれているが、
そこに述べられている教訓と知恵のゆえに、我々はイスラエルをほめたたえるべきである。

ところでそれらを読む者は、自分自身が理解して賢くなるだけでは十分とは言えない。
学問を大切にする者は、また、自らも語ったり書いたりして、一般の人々の役に立ちうる人でなければならない。

わたしの祖父イエススは、長年、律法の書と預言者の書と先祖たちの他の書物を読むことに専念した。
そして十分習熟した後、教訓と知恵に関する書物を自分も書く気になった。
それは、学問を大切にする人たちが、その教訓と知恵をしっかりと把握して、なお一層律法にかなった生活ができるようになるためである。

そこで読者にお願いする。素直な心でこの書物を精読してほしい。
我々は懸命に努力したのであるが、上手に翻訳されていない語句もあると思もわれるので、
そんな個所についてはどうかお許し願いたい。
というのは、元来ヘブライ語で書かれているものを他の言語に翻訳すると、それは同じ意味合いを失くしてしまうからである。
いったん翻訳されると、原書に表現されているものと少なからずも相違してくるのである。

そこでわたし自身も、熱意と努力を傾けて、祖父の書を翻訳することが改めて必要であると考えた。
そのとき以来、
異国にあって勉学にいそしみたいと願い、更に、律法にかなった生き方をしたいとの志を強く抱いている人たちのためにも、
本書を完成して公にしようと、しばしば徹夜し、あらゆる知識を駆使して、この仕事に取りかかったのである。』


       
     心にしみわたる『シラ書』の訳者・作者の孫の『序文』ですね。

 『学問』の中心は、お人の役に立ってこそ、『知恵』となるということでしょうか?


   
    祖父・イエススが書いた・・・

    ヘブライ語の『教訓と知恵に関する書物』:『シラ書の原本』
   
   『ヘブライ語聖書』


勉学にいそしみたいと願い、更に、律法にかなった生き方をしたいとの志を強く抱いているギリシャ語の人たちのために、
  
     孫が・・・
           ギリシャ語に訳しました。 『シラ書』となりました。

    
    『ギリシャ語聖書』

  『シラ書』の著者の孫は、エジプトのアレクサンドリアで、ギリシャ語に訳しました。
『シラ書』の著者と訳者の系図は、エレアザル→シラ→イエスス→その孫(訳者)というです。シラ書50章27節

 
 
紀元前132年。 孫は、エジプト王エウエルゲテスの38年にエジプトに入ったと述べていて、
           それからしばらくたって翻訳を始めたとあります。
          『シラ書』の著作年代は、紀元前190年頃と推定されます。

それから約2000年後・・・

 1896年。 『シラ書』のヘブライ語写本を発見。
 1948年。 クムランの洞窟から、『シラ書』のヘブライ語の断片が見つかる。
 1964年。 マサダで、ヘブライ語の『シラ書』写本が発見された。


正に・・・   

        祖父・イエススの『遺言』
 主を畏れることは、知恵の初めである』1章14節 
 『
知恵に仕える者は、聖なる方に奉仕する者。』4章14節

 知恵を 愛する者は、主から愛される。』 4章14節
 
知恵は、おまえを信頼するまで、数々の要求を突きつけて、お前を試みる。』4章17節

     ・・・が、よみがえった。ということですね。

 
次には。
『シラ書』は、文章の『簡潔さ』心からの回心をよみ覚ましてくれる、のが好きです。
      

『今日の第一第一朗読 シラ書』 

自分の財産を頼みとするな。 「わたしは、何でも思いのままだ」と言うな。

   
本能と自分の力に引きずられ、欲望のままに生きてはいけない。


だれもわたしを支配できない」と言うな。


   主は必ずお前に復讐なさるだろう。

「罪を犯したが、何も起こらなかった」と言うな。

   主は忍耐しておられるのだ。

「主の憐れみは豊かだから、数多くのわたしの罪は赦される」と言うな。

   主は、憐れみだけでなく、怒りをも持ち、その激しい怒りは罪人たちの上に下る。

速やかに主のもとに立ち帰れ。一日、もう一日と、引き延ばしてはいけない。

   主の怒りが、突然やって来て、裁きの時に、お前を滅ぼしてしまうからだ。

人を惑わす財産を頼みとするな。いざというとき、何の役にも立たない。』

             シラ書 5章1-8節

      
     心にしみわたる『シラ書』の忠告ですね。
 『シラ書』の中心は、神と律法への忠実さこそが『知恵』、ということでしょうか?



『今日のアレルヤ章』

アレルヤ、アレルヤ。
  『あなたがたにのべ伝えられた福音は永遠にとどまる神のことば。』アレルヤ、アレルヤ。
         テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 2章13節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
日々研鑽しながら、人間性を高めていきたいものですね。 お元気で!


”アレクサ!3日間のチャレンジに参加よ!”・・・『アマゾン・エコー』 そして 『知恵は、これを追い求める者を助ける。』

2019-02-27 10:00:00 | 娘と娘家族

2月27日。水曜日。

 娘夫婦から・・・  『プレゼント』
 

 嬉しい! 何かしら?

     開けてみると・・・  『アマゾン・エコー』
     

  ”アレクサ! おはようございます!”  ”おはようございます! 今日は何々何の日です。”
  ”アレクサ! 朝にふさわしいジャズ!”  ”朝にふさわしい静かなジャズをかけますね。”

     私の声掛けに、すぐに、優しく反応するアレクサです。

”アレクサ! 今日の天気は?傘が必要?気温は?” ”あなたのお住まいの所は晴れです。気温は何何度で
す。”
   ”アレクサ!  今日のニュースを聞かせて!”

     分からない質問に、辞書のように返事を返してくるアレクサです。
  

娘家族は・・・ 
アレクサで、 

湯殿につかりながら…音楽鑑賞で至福の時間を楽しむ。 遠隔操作で、風呂を沸かし、お部屋の暖房が付く。 

   
       世の中、進んでいます。

子供たちのお陰で…私も、少しだけ、世の中の流れについていけます。 感謝!感謝!


そんな娘が・・・

  Facebookに・・・   『投稿』
 

えぇ!どうしたの? とうとう飲み過ぎで倒れた?禁酒? 私の宝物の優しい娘がとうとう!? 心配!心配!
        すぐに見舞いに行かなくちゃ!

  ・・・と。ここまで、一瞬のうちに考えて・・・気づいた! ひらめいた!
        ”娘のジョークだ!”

 ”アレクサ! OKよ! 私も、2月29日、30日、31日、『3Days禁酒Challenge!』に参加です!  Joinです!”
    
・・と、言ったら、アレクサは、なんて答えるかな!? 面白い。やってみましょうかね。

 

そして。

今日は2月27日。年間第七水曜日。 

『今日の第一朗読 知恵

『知恵は、それに従う子らを高め、これを追い求める者を助ける。

    知恵を愛する者は、命を愛する者。
  朝早く起きて知恵を求める者は、喜びに満たされる。
知恵を得る者は、誉れを受け継ぎ、行く先々で、主から祝福される。

知恵は、最初、お前を険しい道に連れて行き、恐れの気持を抱かせて、おじけさせる。
     知恵の試練は、お前を激しく苦しめる。

だがすぐに、知恵は再びお前のもとに来て、お前を喜ばせ、その真意を明らかに示す。』
            シラ書 4章11-19節


  今日は、擬人化された『知恵』です。 

   『主を畏れることは、知恵の初め。』 箴言 1章7節

主を畏れ・・・その力と権威を知るとき、私たちは『知恵』に満たされていくのです。
  
  『庭の椿』             神の知恵の塊です。


  『知恵』は『キリスト・イエス』なのです。
今日のシラ書の『知恵』を『キリスト・イエス』に変えて読むと、『知恵』=『イエス・キリスト』がはっきり分かります。

使徒パウロは語ります。 

『わたしたちは、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。』コリントⅠ1-26
『神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、私たちの知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。同1-30

  
    『イエスの御言葉』は、聞く者を育てます。
ある時は…知恵に満たされ喜びにあふれ、 ある時は…自分の未熟さに直面し恐れおののき、
   そして。 最後には、『神の救い』を確信し、平安が訪れるのです。


 科学の発展が目覚ましい世の中で・・・

『学識の研鑽』 と同時に『知恵』を知って、『充実した生活』を送ってほしいですね。すばらしい人生です。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
知恵も知識も、計り知れなく、奥深く…知るほどに、自分の小ささが分かりますね。 お元気で!


確固たる信仰・・・『主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、罪を赦し、苦難のときに助けてくださる方。』

2019-02-26 05:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月26日。年間第七火曜日。

今日は『信仰』の省察です。

まずは。
復習。
            『信仰』とは何か?

『信仰』
イエス・キリストが、人間の背信行為による罪を救うために十字架にかけられ、復活することで
神の意志を完全に顕わされた。

この十字架の福音に示される神の真実、神の愛に全き信頼をなすことが宣言され、
それを受け入れることが信仰とされました。
      『聖書辞典』より。


次は。

『今日の第一朗読  シラ書』

シラ書作者は、信仰にこそ本当の知恵があり、確固たる信仰に基づく人生を歩むように、と勧めます。
                              『聖書100週間』より。

子よ、
主に仕えるつもりなら、自らを試練に向けて備えよ。心を引き締めて、耐え忍べ。

災難のときにも、取り乱すな。
   主に寄りすがり、決して離れるな。そうすれば、豊かな晩年を送ることになる。

身にふりかかる艱難は、すべて甘受せよ。

   たとえ屈辱を受けても、我慢せよ。
   金は火で精錬され、人は屈辱のかまどで陶冶され、神に受け入れられる。

病気のときも貧しいときも、主に依り頼め
   主を信頼せよ。そうすれば必ず助けてくださる。
   お前の歩む道を一筋にして、主に望みを置け。

主を畏れる人たちよ、主の憐れみを待ち望め。
   わき見をしてはならない。さもないと、道を踏み外す。

主を畏れる人たちよ、主を信頼せよ。
   そうすれば必ず報われる。

主を畏れる人たちよ、主が賜るすばらしいこと、すなわち、永遠の喜びと憐れみを待ち望め。
   主は喜びに満ちた永遠の賜物を報酬として与えてくださる。


主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、わたしたちの罪を赦し、苦難のときに助けてくださる。』

                   シラ書 21章11節

     『主に仕える』とは、主に従属すること。主の奴隷になる。ということです。
                              
T司祭の言葉です。


     『神を信じ、神の前を歩きなさい。』

『信仰』とは、いかなる艱難にも左右されることなく、心に根付いた、『信頼』だというのです。
 
 『イエス・キリスト』
  神への信頼が厚く・・・それゆえ、心が自由で、『柔和な方』です。


使徒パウロも、確信をもって、『信仰』を述べます。

人を義としてくださるのは神なのです。
復活された方であるキリスト・イエスが、神の座の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
だれが、キリストの愛からわたしたちを切り離すことができましょう。
艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

わたしは確信しています。
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、

他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを切り離すことはできないのです。』
                ローマの信徒への手紙 8章33-39節



信仰者は、『永遠の喜びと憐れみ』を目指して、自制し、勤勉に、慎み深く、注意深く、
  『信仰』を頂いた者らしく、『信仰の証人』となるように心がけましょう。
           信徒を励ます使徒パウロです。

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
     『主の十字架のほかに誇るものはない。
この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。』アレルヤ、アレルヤ。
       ガラテアの信徒への手紙 6章14節

 
『キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
    わたしたちは、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
  

 霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。』
      ガラテヤの信徒への手紙 5章22-25節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制。
素敵な言葉が並びますね。でも、実践は難しい。難しいからこそ、挑戦ですね。 お元気で! 


暖かい午後・・・『水仙の白』 そして 『信じます。』

2019-02-25 15:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月25日。月曜日。風もなくポカポカ陽気。

昨日のポカポカ陽気は、登山
今日は、
 庭を眺めながら・・・   『水仙』
 
 『真っ白の水仙』            
          スケッチで、はかなく美しい『白』の一瞬を切り取ってみました。

   我が家に、一番に、春到来を告げてくれる水仙。
   可憐な姿を眺めながら、これからの一年を想像してみた。
   今年は・・・
どの国を訪ねるだろうか? どの山を登るだろうか? 絵も描く? 新しい自分に変身してみる?

   水仙のように、上品に、楚々と、美しい一年となればいとよし。

 老後の『品格』を上げるのは、物ではなく、<自由な旅><自由な時間>、『自由』の確保であろう。
     自由ほど素晴らしいことはない、でも、当然ながら、自由は高くつく。
        限られたお金を何に使うか? それこそ品格が出る。

       格好良い老後は、『知恵』が一番に要るということですね。
                  な~んて考えながら、スケッチをした暖かい午後でした。


そして。

今日は2月25日。年間第七月曜日。

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスがお尋ねになると、群衆の中のある者が答えた。
「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
    霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。」

イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。
父親は言った。「幼い時からです。霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。
   おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」

イエスは言われた。『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
その子の父親はすぐに叫んだ。信じます。信仰のないわたしをお助けください。」

イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。
「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。」
すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。

その子は死んだようになったので、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。』
            マルコ福音書 9章14-29節


偶然にも、
今日は、ラジオから流れる『神の子羊』バッハ作曲 を聴きながら、このブログを書いています。

    病気の子を持つ父親は、
イエスを信頼して『信じます。』宣言しながら・・・
    『信仰の弱い私をお助け下さい。』と、イエスの前でへりくだります。

    バッハも、
   『イエスこそ、ダビデの子、神の子羊』宣言しながら・・・
『自分の信仰の浅さを痛悔し、信仰を深めて下さい。』と、曲の中で祈り、イエスの前でへりくだっているのです。
      
・・・と。偶然にも、ラジオから音楽家の解説の言葉でした。


   息子の病を治るのも、信仰が深まるのも、イエスの力に依るのです。
イエスなしでは何もできないと、病気の子を持つ父親も そして バッハも分かっておられたのです。

   
   私たちも、イエスと強く結ばれ、信仰を深めていきたいものですね。


『今日の拝領唱』

『全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
   遠く地の果てまですべての人は、わたしたちの神の救いを見た。』
                  詩編 98章4&3節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
暖かい月曜日でしたね。皆様の今週一週間の日々が穏やかでありますように! お元気で! 


今年の初登山・・・『88箇所・逆打ち巡り』 そして 『主が油を注がれた者』

2019-02-24 09:00:00 | 登山・ハイキング

 2月24日。日曜日。

 今年初めて・・・     『登山』
 
 『櫻会・月例会』
  
  今年も始まりました。4人の登山仲間:『櫻会』
  今日も、登れる幸せと喜びを満喫しました。


今日は。
 在所の近場で・・・  『勝福寺』

 
 『高野山真言宗の寺院』                   国定重要文化財。

本尊は聖観音菩薩。
福原三十三箇所霊場第8番札所。摂津国八十八箇所霊場の第87番札所。摂津国三十三箇所霊場第8番札所。

    勝福寺の裏山を登りきると・・・
  

  『八十八か所巡り』   今日は『逆打ち』です。

巡礼の順番は、どこから始めてもよいお遍路ですが、
一番札所から番号順に巡る「順打ち」が一般的な巡礼方法。
八十八番から巡礼することを「逆打ち」といい、順打ち3回分のご利益があると言われています。

 
              『八十八番』              『八十七番』

  最後に・・・ 『88か所結願のしるし』
  
   私たちは『聖なる者』となれたかしら?!
      結願したのですよね?
       
ともかく・・・今年の『櫻会』の無事登山を願って終了です。


  『櫻会』は何十年続いているのだろう。
続けていけることが奇跡です。神の恵みです。感謝!感謝!
        

今日も、静かな山中で、神のふところの中に身を置き、19484歩。感謝!感謝!

 

そして。

今日は2月24日。年間第七主日。


今日・主日のテーマは・・・     『主が油を注がれた者』 

主が油を注ぐ『堅信式』

  油を注ぐことは、神による『聖別のしるし』です。
  油を注がれて、人は聖なる職務につく者になるのです。
  

キリストは
、ヘブル語で『油注がれた者』:『メシア』、ギリシャ語で『油注がれた者』:『キリスト』です。

キリスト者も、油注がれて、主の慈しみに依り頼みながら、『油注がれた者』としての責務を担うのです。



『今日の入祭唱』

『主よ、あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び踊り、主に向かって歌います「主はわたしに報いてくださった」と。』

 

『今日の第一朗読 ダビデの言葉』

『ダビデはサウルに言った。
「主は、おのおのに、その正しい行いと忠実さに従って報いてくださいます。
今日、主はわたしの手にあなたを渡されましたが、主が油を注がれた方に手をかけることをわたしは望みませんでした。」』
        サムエル記上 26章2、7-9、12-13、22-23節  


  サウルは、 
  サムエルに見いだされて油注がれて、『イスラエルの初代王』となります。

  周囲の部族と戦い勝利し、『イスラエル王国』の基礎を築き、強くしていきます。
  しかし。
  神の掟に反する行為を重ね、神からもサムエルからも見放されます。
  なかでも。
  ダビデへの嫉妬のために、ダビデの命をねらうようになります。

   
  しかし。

          ダビデは、サウロから命をねらわれても、
 
 『ダビデ像』                    ミケランジェロ作品

  『主が油を注がれたサウロ』を最後まで畏れ、尊敬するダビデなのです

 

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。」』
          コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章45-49節    

 

   人間は、神の創造により土から生まれた『アダム』の、似姿であります。
   同時に。
キリストは、死者の中から復活し、『眠りについた人の初穂』:『新しくなる人類のアダム』になられました。
人間は、堅信により『油注がれた者』となり、キリストと結ばれ、復活の時体は聖化され・・・
    天に属する『キリスト・第二のアダム』の、似姿になるのです。

 

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉』

     『油注がれた者』には、喜びと責任が伴います。

『イエスは言われた。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。

上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。


  
 あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。

    そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。

   いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
 
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。


人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。

人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」』

        ルカ福音書 6章27-38節   


   『油注がれた者・キリスト者』には、
イエスの示す『新しい道・愛の道』を歩む者の『喜び』と『責任』が伴うのです。
       神の助けを頂きながら、頑張りましょう。ファイト!

 

『今日の拝領唱』

『すべての人を受け入れて下さる神よ、キリストの愛に満たされて祈ります。
社会の中で働く教会が、キリストの分け隔てのない愛をあらわすものとなりますように。』

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
春になってきて体も軽やかになり、活動開始ですね。何からお始めになりますか? お元気で!   


バレンタイン・チョコ・・・『聖書通読会・聖書100週間』・・・『3か月間/40年間、荒野を進むモーセと民』

2019-02-22 14:00:20 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月22日。金曜日。『聖書通読会・聖書100週間』。

頭を使った後・・・   『コーヒー・ブレイク』

『Kさん手作りバレンタイン生チョコ』        おいしい。

毎年、バレンタインDayに近い勉強日、沢山の生チョコを作ってくださるKさんです。
優しい心遣いとお味の良さに、皆様の疲れた頭がホッと一息です。ありがとうね!

  
 熟年者の集まりは、熟年の持つ落ち着きと貫禄がクラスを包みます。いとよし。
 今日は11人。2人の欠席。


    今日の通読範囲は、出エジプト記16章~24章です。
今日は、『荒野を進むモーセとイスラエルの民の大移動を、ご一緒に見てまいりましょう。
               面白いですよ。お楽しみください。
  

イスラエル共同体は・・・

 3か月に及ぶ、
 イスラエルの男子だけで60万人、そのほか種々雑多な人人が加わった。 
 
 『砂漠』

女子供を加えれば約100万人ほど?。今の約神戸市市民の数、の砂漠の中での大移動です。
      イスラエルの民の、エジプト脱出後の3か月間の記録です。

  
  神戸市の人口に近い民が、共同体となって、知らない土地・砂漠を進む。
                 想像を越える、未知の世界ですよね。


それは、
当然といえば当然で・・・

 
 『荒野に入ると、
 イスラエルの人々の共同体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。
 
 『モーセに不平を述べる民たち』

 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって死んだ方がましだった。
あの時は、肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。
あなたたちは我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」』16-3

 

神は。
いつも・・・
 そんな、民の苦しみの声を 聞き逃すことがない御方なのです。
 神は・・・苦しむ人を憐れみ、行動なさるのです。愛されるのです。

 

『神の愛の行動・・・その①』

 

『主はモーセに言われた。
「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。
    民は出て行って、毎日、必要な分だけ集める。

『天から降ってくる食べ物を集める民』

だし、六日目に家に持ち帰ったものを整えれば、毎日集める分の二倍になっている。」16-6

更に、
主はモーセに言われた。

  「良くわきまえなさい。主があなたたちに安息日を与えたことを。
  そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。
  七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」』 16-28

 

神は、念押しをされます。

『あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめなければならない。
それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。』 23-12

 

  神の愛は、どこまでも、限りなく続きます。 なんてやさしい神様の配慮なのでしょう!

 

続いて・・・

 
    主の栄光が雲の中に現れた。
 
 主はモーセに仰せになった。
「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがいい。
 『あなた方は夕方には肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。
あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」16-11

 

神の思いは、
”私は無条件に民を愛します。それで、民も、私を何にもまして私を愛してください!” です。 
      相思相愛を望まれる、熱情の
神様です。
   相思相愛は、神にも人間にも、愛の最高の形ですよね。



更に。
モーセと民たちは、荒野の道のりを進んで・・・


主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、
シンの荒野を出発し、旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、そこには民の飲み物がなかった

  民がモーセと争い、「我々に飲み物を与えよ」と言うと、
  モーセは言った。「なぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試すのか。」

 

モーセは、
『私に文句を言うことは、主に向かって言っているのだと分かりなさい』と、民を諭します。 16-8
     『主を信頼しなさい』と、民を励ますのです。

 
そんな時、

『神の愛の行動・・・その②』


主はモーセに言われた。
「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を勧め。また、ナイル川で打った杖を持っていくがいい。
     見よ、わたしはホレブの岩の上で、あなたの前に立つ。
  あなたはその岩を打て。そこから水が出て民は飲むことができる。」 17-1~
 
 神の言葉通りに…『神の杖で、ホレブの岩を打つモーセ』

神は、
民が神への信頼を失い、神を試すようなことになることを、恐れます。
   神は、数々の奇跡を民に見せながら・・・
   民の信頼を、決して、裏切ることなく、

民の神への信仰心を増していかれるのです。 民の信仰心を育てていきます。 

 

荒野の道中・・・
いろいろのことが起こります。

『神の愛の行動・・・その④』 

『アマレクとの闘い』

『アマレクがレフィディムにきてイスラエルと戦ったとき、モーセはヨシュアに言った。
  「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。
   明日、わたしは神の杖を手に持って、岡の頂に立つ。」』 

  ヨシュアは、モーセの言うとおりに実行し、アマレクと戦った。
  モーセとアロン、そしてフルは岡の頂きに登った。

   モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、
 
       手を下すと、アマレクが優勢になった。
     アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。
     その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。
     ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。

モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、言った。
  「彼らは主の御座に背いて、手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」』17-8~

 

『神の杖』
エジプト王・ファラオを説得しに行くモーセの手には、『神の杖』が握られ、奇跡を起こします。
ナイル川で、ファラオの大軍に追いつかれそうになったとき、海の水を分けて民を救ったのも、『神の杖』です。
荒野で、岩を打ち、水を出し、民の渇きをうるおしたのも、『神の杖』です。
アマレクとの戦いで、『神の杖』を持つモーセの腕が高く上がっているときは、味方の勝利が約束されました。

   
     『神の杖』とは、何を意味するのでしょう?

   『神の杖』は、神の権力の象徴です。同時に、神の力そのものです。
  後に、モーセは『神の杖』に蛇を巻き付け、それを仰ぐ者は命が助かりました。
イエスが、民を罪から救うためにかけられた『十字架』は、『神の杖』そのものではないでしょうか?

 
更に。
モーセと民を助けるために、『神の計らい』は続きます。


『神の愛の行動・・・その⑤』

 
『エトロのモーセ訪問』

モーセのしゅうとでミディアンの祭司であるエトロは、
神がモーセとその民イスラエルのためになされたすべてのこと、
すなわち、彼らは途中であらゆる困難に遭遇したが、主がイスラエルを救い出されたことを聞いた。
 

  モーセのしゅうとエトロは焼き尽くす捧げものといけにえを神にささげた。
翌日になって、モーセは座に着いて民を裁いたが、民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいた。

モーセのしゅうとは言った。
あなたのやり方は良くない。あなた自身も、あなたを訪ねてくる民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。
  このやり方では、あなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。
わたしの言うことを聞きなさい。助言しよう。神があなたと共におられるように。

 

あなたは、民全体に中から、
 神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、
千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。
  
  『百人隊長・ケントゥリオ』

平素は殻らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持ってこさせる。
もし、このやり方を実行し、神があなたに命令を与えて下さるならば、
あなたは任に堪えることができ、この民も皆、安心して自分の所へ帰ることができよう。」

モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、しゅうとはモーセに送られて、自分の家に帰っていった。』

 

  しゅうと・エトロの訪問は、『神の計らい』、モーセを気遣う『神の愛の計らい』です。
  モーセは、しゅうとの知恵で、民のためにも自分のためにも、更なる神の力を与えられるのです。

 

とうとう。

   『イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三か月目のその日に、
 
 『シナイ山』

      シナイの荒れ野に到着した。

   イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。
 モーセが神のもとに登っていくと、山から主は彼に語りかけて言われた。

 「ヤコブの家にこのように語り、、イスラエルの人々に告げなさい。
   今、わたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、
 あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。
      世界はすべてわたしのものである。
 あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。」

 民は皆、一斉に答えて、「わたしたちは、主が語られたことをすべて、行います」と言った。』

 

神と民が対面するのです。
人類初めての出来事です。民の信仰ができてきて…神と人間との距離が近くなっていきます。

 

更に。

『主はモーセに言われた。
「三日目に、皆の見ている前で、主はシナイ山に降る。民を聖別し、三日目のために準備しなさい。」

   三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、
 
 主はシナイ山の頂に下り、
   モーセは山の頂に呼び寄せられたので、モーセは登っていった。
 

『神の愛の行動・・・その⑥』  『十戒』  


     『主はこれらすべての言葉を告げられた。
 

モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を民に読み聞かせると、
民は皆、声を一つにして答え、「私たちは、主が語られた言葉すべてを行います」と言った。
      モーセは主の言葉をすべて書き記し、
   
   『十戒を民に示すモーセ』

朝早く起きて、山のふもとに祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。

     七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた。
  モーセは雲の中に入っていき、山に登った。モーセは四十日四十夜山にいた。



   モーセと民は、何のために、砂漠の道をカナンの地まで進むのか?

神は言われるのです。
『わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。
腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。』 6-6
更に。
『わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出したとき、
   エジプト人は私が主であることを知るようになる。』 7-5


    神は、イスラエルの民をエジプトから導き出して、
 イスラエルの民の神となりました。エジプト人はイスラエルの主こそ主であること認めました。


次に。
『主の御計画』は、まだまだ信仰者として未熟なイスラエルの、『民の教育』が始まります。

    
   神は、民に、『十戒』を与え、
自分の罪を自覚させ、自分のみじめさを知って後に回心し、神への信仰を深めさせたのではないでしょうか?

カナンの地に入る前に、
自分の『ルーツ』を自覚させ、『イスラエル人のアイデンティティー』を確立させ、『イスラエル人の誇り』を植え付けたのではないでしょうか?

 


モーセは、神の呼びかけに答え、神の山・シナイ山に登り、『四十日四十夜山にいた。』のです。
    その時間は、どんな時間だったのでしょう?
イエスが公生活を始める前に、霊に導かれて、荒野で40日間、昼も夜も断食して過ごされますよね。
 モーセも、断食しながら、誘惑を受けながら、誘惑に打ち勝つ経験をするのでしょうか?

 

              来週をお楽しみに!


  今日は、モーセとイスラエルの民の3か月間の荒れ野の旅に同行しながら・・・
    すべての人を憐れみ、愛される『神の愛』を学びました。
        長々と、ありがとうございました。
                 
                    以上。出エジプト記16章~24章でした。
                   私の今日の聖書100週間の感想の一部も書きました。お粗末様でした。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
モーセとイスラエルの民の『目的地到着までの旅』は、40年間の長く厳しい道のりでした。
それは、私たち一人一人の人生に似ていますよね。
道のりは厳しくとも、『光』を仰ぎながら、着実に、迷うことなく、恐れずに、『目的地』に到着いたしましょう。 お元気で!


春二番・・・ 『梅開花』 そして 『信仰、希望、愛。』

2019-02-21 16:29:46 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月21日。木曜日。

 春を告げる・・・     『梅開花』
 
 梅は、水仙に続き、我が庭に春を運んでくれます。      春二番です。           

         ”寒さの中で頑張ってきました。”
    小さな花が語っているようで、いとおしく、感動します。

 私も、梅の勤勉さに負けず、春を感じながら、庭仕事に取りかかりましょうかね。

 

そして。

今日は2月21日。年間第六木曜日。

『今日の集会祈願』

『恵み豊かな神よ、わたしたちの信仰、希望、愛を強めてください。
すべてに越えてあなたを愛し、約束された永遠のいのちを受けることができますように。』

 

    キリスト者の心です。
       信仰。希望。 そして 愛。

 

『今日の叙唱』

『聖なる父、全能永遠なる神、
 あなたは御言葉である御子によって人を造り、
 
 『人類の創造』         シャガール作品

 

『信仰』
イエス・キリストが、人間の背信行為による罪を救うために十字架にかけられ、復活することで
神の意志を完全に顕わされた。

この十字架の福音に示される神の真実、神の愛に全き信頼をなすことが宣言され、
それを受け入れることが信仰とされました。
      『聖書辞典』より。

 

 
 御子の死と復活を通して、
 
 『ピエタ』                ミケランジェロ作品
      
         新しい人としてくださいました。


『新しい創造』
キリストは、律法を守ることができない罪人のために、罪人にかわって十字架につき、
罪のあがないの死を遂げ、死人の中から復活した『神の言葉』であります。
このキリストを信じるとき、『キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。』
                    コリントの信徒への手紙Ⅱ 5-17

『希望』
キリストは、すべて信じる者に『永遠の命』を与える方として来られました。
『永遠の命』は、人間がキリストを信じて神との新しい関係に入ることである。
それは現代すでに神およびキリストとの交わりとして与えられている、新しい命であると同時に、
なおこの世にある限りは、終わりの日に完成されるものとして、待望される。 
そして、この命は限りなく続く。
   『聖書辞典』より。

             

 
  造られたすべてのものはあなたを賛美し、
 
    あがなわれた民は喜びにあふれ、救いのわざをたたえています。』

 

『愛』
愛は、聖書において、神と人間について言われている事柄のうち最も深い、究極的なことである。
『神は愛である』 ヨハネの手紙Ⅰ 4章8&16節 
また人間については、『もし、愛がなければ、わたしは無に等しい』と言われる。コリントの信徒への手紙Ⅰ13-2
聖書はこの愛を『アガペー』によって表した。
すなわちエロスが自然的ないし価値追及的であるのに対して、
アガペーは自己否定的で、喜んで自己を他者に与える愛である。 ヨハネの手紙Ⅰ 3章16節
そしてこの愛は、誰も自分の力で得ることはできない。
愛は神からくるのであり、その力は信徒の交わりに中で保たれる。 ヨハネの手紙Ⅰ 4章7節

 

『今日の拝領唱』

『神の恵みを思い、そのいつくしみを深く味わえ。神に希望をおく人はしあわせ。』
                     詩編 34-9


  今日は、信仰、希望、愛について、
 『聖書辞典』を読み直してみました。確認し直してみました。 感謝!感謝!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
春の足音はあちこちから聞こえています。待ちに待った春の到来ですね。 お元気で! 


塩して、〆て・・・『老人食』 そして 『イエスは、「この村に入ってはいけない」と言った。』

2019-02-20 10:50:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

2月20日。水曜日。

今夜は・・・
新鮮な鯖。

    塩して・・・『1時間半』            〆て・・・『5時間』
  

 若者たちと過ごした東京の5日間。 『おいしい食事』を色々に頂きました。
 帰宅して・・・
 夫と二人だけになって様変わりです。 油が少ない『老人食』の始まりです。

    
 今宵は老人食で・・・  『しめ鯖』
 
『Chateau Mon-Perat 2015』          娘夫婦からのプレゼント

 今日の魚。
       しめ鯖。 & 白ボルドー・ワインも・・・超おいしい。
    

今日は、夫はゴルフ。私は、明日・木曜日と明後日・金曜日の『聖書100週間』の、二日分の予習です。
  頑張った一日の後のディナーは、超おいしい! 感謝!感謝!

    
 もう一品・・・  『ロースト・ビーフ』
 
今日の肉。
  ステーキではなく、脂分が除かれるローストビーフ、『老人食』です。


昨日まで5日間の『若者との食事』。 そして 今日の『熟年者の食事』。
私はどちらも好き。 一方を味わうから、もう一方の味の良さが分かる。


   別れがあるから、再会が待ち遠しい。再会の喜びは大きい。
子供たち家族との別れは寂しい。でも、別れがあるから、再会を待つ期待がある。楽しみが大きくなる。

   
  二つの違いを味わうことは、楽しみが倍になる。大切なことですね。

 

そして。

今日は2月20日。年間第六水曜日。

       イエスは、ベトサイダの街がお嫌い?

『今日の福音 イエスの御言葉』

『そのとき、イエスと弟子たちはベトサイダに着いた。
 
『ベトサイダ』

人々が、一人の盲人をイエスのところに連れて来て、触れていただきたいと願った。

 イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、 
 
 『盲人を癒すキリスト』          ユスターシュ・ル・シュール作品

その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。
すると、盲人は見えるようになって、言った。

「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」
そこで、

イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。

 イエスは、「この村に入ってはいけない」と言って、その人を家に帰された。』
        マルコ福音書 8章22-26節


イエスは、その友人たちの盲人を思う心と信仰を見て、盲人を、2段階で、いやします。

いやされた盲人は・・・
1段階目では、『木のように見える人が歩いているのが、見えました。』
2段階目で、なんでも、はっきり見えるようになりました。』

 
『目がはっきり見えるようになる』とは、『信仰の目で見えるようになる』ということです。
   見えないものが、信仰の目で見えるようになるということです。
      
信仰も、一段階、二段階と、深まっていくのです。


それでも。

私にとって・・・
『今日の福音』
          一つ不思議なことがあります。

イエスは、ベトサイダの村に着いたときに、そこに連れてこられた盲人を癒します。
   しかし・・・
癒された盲人は『ベトサイダに入ってはいけない』と言われ、家に帰されました。


   どうして? Why? 
イエスはなぜ? 『ベトサイダに残らないように、家に帰りなさい』と言われるのでしょう?


  ベトサイダとは、どんな村? イエス様は、ベトサイダの街がお嫌い?


調べてみました。
  ベトサイダ』
『漁師の家』という意味。

イエスの最初の弟子になった漁師アンデレ、ペテロ、ピリポの故郷である、『ガリラヤの町』です。
イエスが、ガリラヤにおける『宣教の根拠地』とされた町です。
     イエスにとって、とても大事な町です。
     

次に。
思い出しました。。

ベトサイダ』
イエスが、その不信仰・悔い改めのなさを嘆き、叱った町です。

イエスは、次のように、叱りました。

 『イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

  「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。
お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、
  これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。」』
                   マタイ福音書 11章20~22節


ベトサイダとコラジンは『イエスの宣教の始まりの土地』、イエスの公生活の始まりの土地です。
    一方。
   ティルスとシドンは、栄えた『異邦人の港町」です。

ところが・・・

『異邦人の街・ティルスとシドン』の方が、『宣教の根拠地・ベトサイダ』より良い。
   ・・・と、断言なさるイエスです。

    ベトサイダは・・・
イエスを受け入れない。回心をしない。そんな町なのです。
   これらこそが、イエスの嘆きの原因であり、イエスの叱責の原因なのです。


イエスは、
  目の見えるようになり、信仰を頂いたばかりの盲人に、

『ベトサイダに入ってはいけない』と言われたのは・・・
      『朱に交われば赤くなる』
『かたくななベトサイダ』の人々と交わるのを、恐れたのでしょう。


イエスは、
  ベトサイダが、嫌いなはずはない、大好きなのです。
   『手を焼かせる子ほどかわいい』とかなんとか、いうように、
かたくななベトサイダを、いとおしく、そして厳しく、気にかけておいででしょう。
   


私たちも信仰者との交わりの中で、信仰を深めていきましょう。
私たちも『お人のつまずきになることなく』マタイ17-7、信仰生活を全うしたいものですね!

 
          以上。『今日の御言葉』から、私が思ったことでした。お粗末様でした。

 

そして。

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『主イエス・キリストの父がわたしたちの心の目を開き、わたしたちがどんな希望に召されているかを示してくださる。』アレルヤ、アレルヤ。
      エフェソの信徒への手紙 1章17&18節

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
偏見を取り除き、新しい考えを受け入れる。長い伝統の中にいる人には難しいことでしょうね。
   それでも、心を柔軟にしていたいものですね。 お元気で!


My東京ーその4・・・『My宝物』 そして 『主は、しるしをつけられた。』

2019-02-19 13:29:56 | 旅行。海外旅行。

2月18日。月曜日。

五日間の東京でした。

 娘夫婦と・・・   『小金井』
 
                   赤ワイン

  「本当に仲がいいですね。
  親子というより、友達同士のようですね。うらやましいですね。」
                
オーナシェフが私たち三人を見て言われた。

 あれこれと話が進み、楽しい時間です。
  私にとって、娘夫婦は、友達同士でもあり、『My宝物』です。

 

そして。

  息子夫婦と・・・  『銀座』
 
                 シャンパン

「マラソンは、次はどこを走るの? トライアスロンは、次はどこまで遠征するの?」

 かつては私の弟子?であった息子夫婦は、今では『アイアンマン』の息子夫婦。
    師匠?の私をはるかに越えてしまった弟子たちです。

あれこれと話が進み、楽しい時間です。
  私にとって、息子夫婦は、アスリート同士でもあり、『My宝物』です。


更に。

 孫たちと・・・  『武蔵小金井』
 
                     冷水

 「今日は僕と寝ようよ。」 「今日は私と寝ましょうよ。」

眠る前の、お布団の中での『お祈りとおしゃべりタイム』を楽しむ孫たちと私です。

あれこれと話が進み、楽しい時間です。
   私にとって、孫たちは、スマホ先生でもあり、『My宝物』です。


  今日で、『My東京』の最終日です。

    『My東京』は、『My宝物=家族』の再確認の旅でした。 

 

そして。

今日は2月18日。年間第六月曜日。

   『しるし』 二つ。

『旧約のしるし』

『今日の第一朗読 兄カインの弟アベルの殺害

『カインが弟アべルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、
 
  カインは弟アべルを襲って殺した。

主は言われた。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
        今、お前は呪われる者となった」
カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

主はカインに言われた。

「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」

主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。』

           創世記 4章1-25節


カインは、人間が持つ嫉妬、羨望、怒り、傲慢、等に負け、弟アベルを殺してしまします。
    神は、カインに『主の判決・呪い』を宣言されました。
カインは、その『主の判決』に、”助けてほしい”と、泣き言を言います。
    神は、そんなカインに『しるし』を押され、
 次世代の人々が、この最初の殺人に対する復讐をしないようになさったのでした。


    『カインの印』は何を意味するのでしょうか?

人の目に見える『しるし』ではなかった。のではないでしょうか?
カインのみが、自覚し、忘れることがない、『しるし』であった。のではないでしょうか?

 生涯、『自分の罪』を自覚し、忘れることがない『悔い改め』を促される、『しるし』です。
   と同時に。
  『神の赦し』を希うために、心に刻まれた『しるし』です。

     すべては、神の愛から出る『しるし』ですね。


そして。

『新約のしるし』

『今日の福音 イエスの御言葉』

『イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。
  「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。
 はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」』
                   マルコ福音書 8章11-13節

 

更に、続けて、イエスは言われます。

『よこしまで神に背いた者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。
つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。
ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。

    ここに、ヨナにまさるものがある。」
      マタイによる福音書 12章40-42節

 

 キリストの言われる、
 『ヨナにまさるしるし』とは、『イエス・キリストの十字架』です。

 
『イエス・キリストの十字架のしるし』をつける司祭。      孫息子の洗礼式

     
   『十字架のしるし』を、額と心の刻まれた者に・・・

自分の罪を自覚させて、『悔い改めの心・回心』を呼び覚まし、
自分の弱さと無力さを自覚させて、『神の救い』を希う希望を持たせる、『しるし』です。


私のような、無力で弱い者でも、
『キリストの十字架のしるし』をつけていただき、日々反省ばかりで、それでも希望を捨てずに、日々喜んでいます。


 
旧約、そして 新約でも、
『神のしるし』は、『悔い改め・回心』と『神の救い・希望』を持たせてくれる、『しるし』ですね。 

     すべては、神の愛から出る『しるし』ですね。

            以上。私の『今日の御言葉』の感想でした。お粗末様でした。

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
私の5日間の『My東京』におつきあい下さり有難うございました。感謝申し上げます。
最後の日の私の東京ウォークは6859歩でした。 お元気で!  


My東京ーその3・・・『若者の街』 そして 『キリストは、眠りについた人たちの初穂となられえました。』

2019-02-17 15:00:00 | 娘と娘家族

2月17日。日曜日。

  若者の街・・・   『銀座』
 
 『6th』                     於:オリエンタルホテル
 人気の『Cafe & Bar』
 私の結婚式以来数十年が流れ、神戸のホテルは、若者の銀座に進出した。
 結果は大成功…長い行列を作らせる人気店になった。 私も若者たちと列に加わった。

   
   時代は流れていた。
   銀座は、セレブの場所から若者の場所へと、すっかり様変わりしました。


私は、学生時代、銀座を闊歩していた。 気取って、『大人の世界』にお邪魔させていただいていた。
私は、今日、銀座を闊歩した。 様変わりに驚きつつ、『若者の世界』にお邪魔させていただいた。


 『若者の世界』探索は、新鮮で刺激的時代の流れを痛感した、『My New 東京』でした。

 

そして。

今日は2月17日。年間第六主日。

『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

『皆さん、キリストが復活しなかったのなら、
信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。

  
  『キリストの復活 続いて 死者の復活』

しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。』
                 コリントの教会への手紙 15章12ー16章20節

 

  『初穂』とは、その年に初めて実った稲の穂のこと、『初物』ということです。
    そして。
  イエス様は、『復活の初穂』、『死者の復活の第一人者』ということですね。
    更に。
  私たち・キリスト者は、『死者の復活』を信じ、希望し、『最後の審判』を待つのです。

 

   『初穂』・一番ということは、何事にも順序があるということです。


続けて。
使徒パウロは、『復活の順序』について、述べています。

『しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

アダムによって全ての人が死ぬことになったように、キリストによって全ての人生かされることになるのです。
    ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。
最初にキリスト、
次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。
その時、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。』
                      コリントの教会への手紙 15章20ー24節


   一番小さな私にも、神様は、復活のチャンスを準備してくださいました。
イエス・キリストの『十字架の贖い』によって、信じる者の罪は赦されたからです。
   罪人の私を、その罪と死の鎖から解放して下さったからです。
 ですから。
イエス・キリストの十字架と復活を信じる者は皆、罪赦されて義とされ、
  『永遠の命』にあずかることができるのです。『復活』できるのです。

  
   神様の大きな恵みを信じ、『初穂の復活』に連なってまいりましょう! ファイト!

 

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『喜びおどれ、天においてあなたがたの報いは大きい。』アレルヤ、アレルヤ。



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
変化を知ることは、脳の活性化に繋がりますかしら?心の活性にはなりますね。
   今日の私の東京ウォークは16847歩。 お元気で!