マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

11月最終日・・・『満月』&『人間として見事に完結してみせる親の後ろ姿』 そして 『聖アンデレ使徒 祝日』・・・『すぐに網を捨てて従った。』

2020-11-30 04:47:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
11月30日。月曜日。晴れ。 


午前4時47分

何かに引っ張られるような
誰かに呼ばれているように感じて
玄関を開けてみました。
真っ暗闇の中。

                 『満月』
 
             ただ一つで、静かな輝き を見せる。

            昨日から始まった『待降節』を象徴するかのようです。
 キリストの誕生・御降誕までの残り25日間の、『マリア様の産みの苦しみ』 が頭によぎりました。
             心静かに・・・静寂、深沈、 です。


それにつけても。
昨日の新聞の『一言』
忘れられない。頭から離れない。
私が毎週心待ちにしている
日曜日の新聞の『人生相談』の『回答』です。
T氏の『一言』です。
85歳・女性からの『お嬢様の相談』への『答』です。

こんな風でした。

       『お嬢様の状態、ご心痛のことと思います。
    けれども、その点に関しては、私にできるアドバイスはほとんどありません。
    残念なことですが、何よりも早く専門家に相談されるべきとだと思います。
      その上で、いくつか、申し上げたいことがあります。

     相談者の年齢を考えれば、残りの時間も多くはありませんね。
         ならばお嬢様のこと以外で、
        あなたのこれまでの人生の中の、
    気にかかっていること、やり残したことに始末をつけなければなりません。
      あなたの人生の責任をとれるのはあなただけなのですから。

    わたしたちはみんな、
    どこからかやって来て、この世という「仮の家」に住み、やがて出てゆきます。
    その「家」をきれいに片づけ、できうるなら、次に住む誰かのために、
      一つでもいい、何かを残して、去りたい。
        私はそう思うようになりました。

    お嬢様も苦しいことでしょう。
    これからの彼女を助けてあげられるのは、財産や具体的なサポートではありません。
        人間として見事に完結してみせる親の後ろ姿。
       それを、子どもへの最後のプレゼントとされますように。』



       年を重ねたとき、
       人生の現役から離れることにより、一人ひとりが持つしがらみを手放し、
              物事を少し引いて見る。
         そういう『境地』により、人は『悟り』を得るのでしょうね。


  私たちも、あれこれと悩む、大切な人たちへの『クリスマス・プレゼント』 
        何よりも素晴しいプレゼントは
    『人間として見事に完結してみせる後ろ姿』 なのですね。


      待降節の真っ最中の私たちは、
      若きも年を重ねた者も、皆で、
         ちょっと現実から離れる 『静寂な時間』 を持ち、
   『イエス・キリストの御降誕』の『準備』を怠らないようにしなければなりませんね。


      今日も、 『神の御言葉』や『識者の言葉』から、 学ばしていただきました。
                        感謝!感謝!
      



そして。

今日は11月30日。待降節第一月曜日。

        『聖アンデレ使徒 祝日』
      

        アンデレは、ガリラヤのベトサイダの出身。
   初めは、洗礼者ヨハネの弟子であったが、後にキリストに従う。

  兄弟ペテロをキリストのもとへ連れて行った。 ヨハネ福音書1章40-42節
  「イエスにお目にかかりたい」と申し出た異邦人・ギリシャ人の願いを、
       フィリッポとともにイエスに取り次いだ。 ヨハネ福音書12章22節
  イエスが五千人に食べ物を与える奇蹟を行う前には、「パン五つと魚一匹」
       を持っている少年をイエスに紹介した。 ヨハネ福音書6章8-9節

       アンデレは、 聖霊降臨の後、多くの地方に宣教をし、
     ギリシャ南部の町・アカイアで十字架につけられて殉教する。
               『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

 『イエスは ガリラヤの海辺で、漁師の二人の兄弟ペトロとアンデレを見て言われた。
     「わたしについて来なさい。おまえたちを人間をとる漁師にしよう。」

             マタイ福音書 4章18-19節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
     二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、
      湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。
 
            『ペテロとアンデレの召命』       ドウッチオ作品

 イエスは、
 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 と言われた。

      二人はすぐに網を捨てて従った。

そこから進んで、
      別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、
    父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、
          彼らをお呼びになった。
 
     この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。』
               マタイ福音書 4章18-22節


     ペテロとアンデレ兄弟も、 ヤコブとヨハネ兄弟も、
         イエスが呼ばれると・・・『すぐに従った』のです。

      彼らとイエスの出会いは、初めてではなかったでしょう。
 イエスのうわさを聞いて・・・『イエスの話』を2~3回は聞きに行っていたかもしれません。
     そして、イエスから呼ばれたときに、『すぐに従った』 のです。


私は考えてみました。

     『イエスに従う』 ということは、
        『新しい生き方』、『新しい考え方』
             を始めるということではないでしょうか?
        日々『改心』を続けながら・・・
          『イエスにすべてをゆだねる』 という生き方です。

私たちも、
すべての人が、
イエスに呼ばれて、
神から導かれているのです。
イエスに呼ばれるということは、
日々の『改心』となるのです。
キリストを中心に生きることができるためです。
一人ひとりが『新しい生活』を始めるためです。
毎日の生活をしながら、
聖書を読みながら、
イエスと出会って・・・
すぐに、『新しい生き方』、『新しい考え方』を始める。
イエス・キリストを忘れることがないように祈りたいですね。    


『今日の祈願』

   『救いの源である神よ、
 わたしたちが、聖アンデレの模範に励まされて、 日々キリストの死を身に受け、
        復活の命に生きることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
いよいよ明日から12月です。今年の師走は自粛ムードで例年とは一変しますね。
お風邪をひきませんように。 お元気で!

今日から待降節・・・『4本のローソク』 そして 『わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。』

2020-11-29 09:30:00 | 待降節。クリスマス。降誕節。四旬節。聖週間。復活節。
11月29日。日曜日。晴れ。
 
今朝の教会の祭壇

              『クリスマス・バージョン』
 

              今日から『待降節』です。

               『待降節の祈り』
       『神よ、今年もまた、めぐり来る主の降誕の日を間近に控え、
 御力をもって、わたしたちの心を動かし、御子のために道を備えるように、励ましてください。
   罪のために闇に閉ざされたわたしたちの心は、光を求めて救い主の来臨を待ち望みます。
      わたしたちの希望を強め、終わりまでこの信仰を全うさせてください。』

               カトリック祈祷書 『祈りの友』より


          『待降節』 とはラテン語では 『アドベント』 
          『キリストの到来』を意味するラテン語です。 
          『二つのキリストの到来』を意味します。

      人間世界へのキリストの降誕:『キリストの誕生・クリスマス』 
          そして。
         キリストの再臨:『救済の完成』


               『待降節の4本のロウソク』
 
              今日は『紫色のロウソク』に点火。

  『待降節』は、 『4回の主日とその後の12月24日・イエス誕生の夜半までの期間』 で
           4回の主日のために 『4本のロウソク』 を用意します。


            『ロウソクの色』 にはそれぞれ『意味』があります。
    濃紫:『悔い改め』 薄紫:『希望』 桃色:『喜び』 白:『イエス・キリスト』


       主日を迎える毎に、火を灯すローソクを一本ずつ増やしていきながら・・・
            4週間後の4本のロウソクに点火の日まで
                 『主の御降誕』        をお待ちするのです。
 
                 『馬小屋』          祭壇上のマリア像前


      教会であるわたしたちは、
         「主イエス、来てください」 と切に祈りながら、
    神が万物において万物となる日、すなわち神の国の到来の日を待ち望みましょう。
                        『祈りの友』より  


そして。

今日は11月29日。待降節第一主日。

『今日の入祭唱』

  『主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み、 わたしの神よ、あなたの依り頼みます。
 どうか、わたしが恥を受けることがないように、敵が誇ることのないようにしてください。
     あなたに望みをおく者はだれも、決して恥を受けることはありません。』

                詩編 25章1-3節

  『今日の第二朗読    使徒パウロの言葉』
 
 『皆さん、
 わたしたちの父である神 と 主イエス・キリストからの恵みと平和が、
           あなたがたにあるように。


わたしは、 あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、
           いつもわたしの神に感謝しています。

         あなたがたはキリストに結ばれ、
 あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。


こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、
その結果、
        あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、
   わたしたちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。

   
            『荘厳のキリスト』   ゲロの聖書写本挿絵 10世紀半ば
 
       主も最後まであなたがたをしっかり支えて、
        わたしたちの主イエス・キリストの日に、
       非のうちどころのない者にしてくださいます。


          神は真実な方です。
この神によって、あなたがたは
神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」』
           コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章3-9節


   西暦50~52年頃。  パウロは、コリントに一年半ほど滞在し、
                 コロントにもキリスト者の共同体ができました。

 ギリシャの港町・コロントの人口は、当時五十万人くらいで、その2/3は奴隷であったと思われる。

56年頃。 パウロは、コロントの教会で起きている問題を聞いて、エフェソから手紙を書いたのです。
          イスラエルとは全く異なる社会環境や文化の中で、
              福音に従って生活する者が、
          色々の困難があってもくじけないようにと、
         確固とした信仰を持つようにと、強くなぐさめ励ますのです。
                『聖書100週間手引』より


              神は真実な方です。
      まず。 神は、人々に信仰と希望を与えてくださいます。
                その結果、賜物に何一つかけることなく
           私たちは、『主の現れを待ち望む』という強い『信仰』に生きているのです。
 次に。 『主イエス・キリストの日』=『天に上げられたキリストが再び再臨する日』には、
            キリストが、私たちを非のうちどころのない者にしてくださいます。

私たちも、
待降節を迎えた今日から
心を新たにし、
信仰を堅く保ちながら、
神のみ旨にかなう生き方を探し求めながら、
神の到来を待ち望みたいですね。

    
『今日の祈願』

   『神よ、 わたしたちを遣わしてください。
      あなたが与えてくださる希望と喜びを、
        日々出会う人に伝えることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げましょう。
キリストの誕生・クリスマスまで26日間です。
その日には、暗闇に輝く星を見つけましょう。 お元気で!

友との別れ・・・『レクイエム』 そして 『あなた方は、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。』

2020-11-28 11:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月28日。土曜日。晴れ。

今日は一日中。家中。
バッハの『レクイエム・鎮魂歌』
が流れる。

今日は・・・
                 『友とのお別れ』

              パンとぶどう酒の用意された祭壇

   ミサが大好きだった友は、聖体と御血を、祭壇の前の棺の中で見守っていたことでしょう。
    

     『いつくしみ深い神よ、この世からあなたのもとにお呼びになった友人を、
          お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。』



        若くして帰天なさった友に、『どうして?』 という疑問が湧いてきます。

神父様は『別れの言葉』でおっしゃいました。
 
    『どうして? と思うことがあります。 でも答は見つかりません。分かりません。
             でも、神様から離れないでください。
          祈りを諦めないでください。 祈り続けてください。』



聞こえる『レクイエム』
涙が流れてきます。
バッハも涙も止まらない。

     
     お知り合いになって以来、共に信仰生活を歩んできて、30年の年月が流れました。
               その間には彼の第四子の誕生もあり
        彼の御家族と私の家族は、家族同志のおつきあいの、楽しい年月でした。


           『なぜ? お別れの時が来るの?』
             答は見つけられない。 
     神様は沈黙を破るときがある。 その時は答が見つかるのかもしれない。
         ただ、今は、共に歩んだ素晴しかった30年の年月を
          彼に感謝しましょう。 神様に感謝しましょう。


              『死者のための祈り』
       『神よ、御子キリストは、わたしたちに約束されました。
  「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる人は死んでも生きている。
     わたしを信じて生きているものは、すべて永遠に死ぬことはない。」と。
   いつくしみ深い神よ、この世からあなたのもとにお呼びになった友人を、
      お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。
    すべての罪の絆から解放されて、永遠の光のうちに迎えられ、
  救われた人々とともに、復活の栄光のうちに立ち上がることができますように。

    すべての慰めの源である神よ、悲しみに沈むわたしたちを顧みてください。
         キリストの恵みに支えられて希望に生き、
 人生の旅路を終えて、ふたたび兄弟とまみえ、わたしたちの涙がぬぐわれますように。』

               カトリック祈祷書 『祈りの友』より


そして。

今日は11月28日。年間第三十四土曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。
 国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

         詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、   イエスは  弟子たちに言われた。
 
   放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。
 さもないと、
    その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。

  その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。
しかし、
   あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、
 人の子の前に立つことができるように、 いつも目を覚まして祈りなさい。」』

         ルカ福音書 21章34-36節


    『その日』 とは何の日でしょう?

私は考えてみました。

     『その日』 とは、 『神に出会う日』 です。
      
      今日、私の友は、『死』によって、キリスト様に出会ったことでしょう。
      キリスト様が、神の国から,『再臨』 なさる日でもあります。
      イエスの誕生、宣教、死、復活によって始まった『救いの業』が、
           やがて、イエスの栄光に満ちた到来によって、『完成する日』でもあります。
      残り6日後に迎えるクリスマス。 そこでもイエス様・神様に出会います。

   しかし。
       イエス様は、生前、「私が見えなくなっても、いつもあなた方と共にいる」
         おっしゃったように・・・

     今この時にも、イエス様は、わたしたちを訪れておられるのです。
          イエス様は、いつの時も、わたしたちの支えとなりたいのです。
          特に、辛い人、苦しむ人、病人さんたち、と共におられるのです。


         色々の『イエス様と出会い』は、『明日』かもしれません。
            その時には・・・
    ”お待ちください。準備します。”  ”自分のお部屋と自分の心をきれいに片付けてきます。”
   ”友人と和解してきます。”  ”お人に優しくしてきます。” ”もう少しこの世にいさせてください。”
           等々。 何の弁解も願いも通用しないのです。

    そのために、
イエス様は、『あなた方は、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。』
                         と、忠告なさるのです。


私たちは、
習慣的な日々を送っているだけでは
イエス様の到来に気づかないかもしれません。
祈りの時に、
神を思い出し、神に出会い、
神の働きに気づくのです。
毎日の生活をしながら
神の訪れに気づいていられるように
目を覚まして、祈り続けたいですね。


『今日の祈願』

  『救いの源である神よ、
聖体のしるしによって示される救いが、私たちのうちに実現しますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
この世でお別れた人は、私たちの心の内に永遠に住んでいます。
実体がなくても、時空を超えて、自分の心の中に永く生き続けています。
祈りの中ではいつもお会いすることができるのです。  お元気で!   

夢はでっかく・・・『アメリカン住宅』 そして 『天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。』

2020-11-27 08:45:00 | 娘と娘家族
11月27日。金曜日。晴れ。

娘夫婦が
再び自宅を建てることを口にし始めた。
三度目のことである。

               『アメリカン住宅』
 
            徹底してアメリカンスタイルにこだわる娘夫婦です。    イメージ写真です
             自分たちの『生き方』に合っているのでしょう。


           娘は、背が高く、横にも大きく、ネイティーブ英語を話す。
       数年前。ハワイの店で『アメリカ人20%引き』の看板が立っていたとき
 娘は普通のレジに並ぶと・・・隣レジの人は『今日はアメリカ人のSale日よ。こちらに並んで。』 と言う。
娘は『私は日本人よ』と言うと・・・
隣レジの人は『本当? こっちの列に並んでいても誰も怪しまないからこちらにいらっしゃいよ。』 と言ったのです。


私と娘は似ている。そっくりです。
私は結婚後今までに13回の引っ越しをしました。
そのうち、3回自宅を買い変えました。
同じマンションの3階から4階に引っ越したこともある。
住み心地第一で、引っ越しの苦労は苦にならず、喜びなのです。
同様に
娘もすでに13回の引っ越しをしている。
住み心地第一で、引っ越しの苦労は喜びのようです。
そして、そのうちにと、
私と同じ・・・自宅建築第三回目が視野に入ってきたようです。


               『アメリカン空間』
  
            なんでもでっかいのが好きな娘夫婦です。       イメージ写真です


    二回目の自宅建設の時は、好きが高じて、建料を『自己輸入』して、家を建てた。
三回目の自宅建築があるとすれば、バイタリティーが高じて、自分で『家建築』をやると言いそうです。


私と娘は似ている。そっくりです。
しかし。
娘の行動力と好奇心と体力は、
私にそっくりを越して、私のはるか上をいくようになった。
それでも、好みは似ています。そっくりです。
私も、いよいよ、考えなければなりません。
    理想の『My終の棲家』

それは、やはり、アメリカで長年住んでいた、『アメリカン住宅』
   忘れられない私の第二の故郷の再現です。 My夢です。


     今日は、『理想の家』の間取り図をいろいろ考えて楽しい一日でした。 
              夢を持つのは楽しい!楽しい! 
          夢を持つことによって・・・ 
             思考がフラフラすることなく、
        一定方向に向かっていくのが潔くて、 好きです。 感謝!感謝!


そして。

今日は11月27日。年間第三十四金曜日。

『今日の入祭唱』

  『わたしたちの神は来られる。 黙してはおられない。
     神は御自分の民を裁くために、 
   上から天に呼びかけ、また、地に呼びかけられる。』

          詩編 50章3&4節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは  弟子たちに  たとえを話された。
 

     「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。
  葉が出始めると、それを見て、既にの近づいたことがおのずと分かる。

それと同じように、
      あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、
         神の国が近づいていると悟りなさい。


はっきり言っておく。
    すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。
   天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」』
         ルカ福音書 21章29-33節


    春が来て・・・樹木が芽を出し新緑となる。 が近いことが分かります。
  イエスが来られて・・・病人や罪人を癒やされました。 『新しい時代』が始まったのです。
エルサレムの滅亡で・・・ユダヤ人と異邦人の区別がなくなりました。 万民に及ぶ『神の救い』が始まったのです。


    旧約時代。 神は、人類の『救いの約束』 の『言葉』をおっしゃいました。
  新訳時代。 神は、イエスの誕生と復活によって、 『神の言葉』を実現なさいました。

        『神の約束の言葉』は 今も力があります。
   『神の言葉』は、過ぎ去ることはなく、最後の時まで滅びることはないのです。


私たちも
花が咲き、春の近いことを知るように・・・
私たちの行いをみて、
お人が、神のおられることを信じるようになると良いですね。
そのためには
私たちがまず自分の弱さ、足りなさを知り、
どんな苦境にであっても、
自分が神様から強められる必要を痛感しなくてはなりませんね。


『今日の祈願』

  『神よ、『御言葉』の力によってわたちたちを悪への傾きから解放し、
    正しい行いに導いてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
毎朝の楽しみの朝ドラの『エール」が終わってしまいましたね。さびしいですね。
音さんの萎えた足が、夫さんに支えられて、走り出す、『最後にシーン』には涙が出ました。
 『そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。』 イザヤ書 35章6節
  正に、『わたしの言葉は決して滅びない。』 と言われる 『神の言葉』の実現でしたね。
   『神の国・天国』で飛び跳ねている古関夫婦の姿は幸せそのもの、素敵でした。
       週末の皆様の日々もお幸せでありますように。  お元気で!

手作りクリスマス・プレゼント・・・『一年分の雑巾』 そして 『その時、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。』

2020-11-26 08:00:00 | 娘と娘家族
11月26日。木曜日。晴れ。

我が家の垣根
びっしりと咲き出しました。

                  『山茶花』
 
                                            美しい。癒されます。
           「困難に打ち克つ」  「ひたむきさ」
 サザンカの「花言葉」は、寒さが強まる過酷な季節にも負けずに花を咲かせる姿に由来しているとか。
           花が少なくなって寂しくなった庭に彩りを添えてくれます。
             11~1月に見頃を迎え、2月頃まで咲いてくれます。

もうすぐ12月。
12月を迎えると・・・

          『クリスマスプレゼント』 の準備がぼつぼつ始まりますね。

       孫娘の学校では、二つの『学園』に、毎年、『クリスマスプレゼント』を贈るそうです。
       12月になると・・・
   学校内に、二つの大きな『箱』が設置されて、二つの学園への『プレゼント』をいつでも受け付けOK!
             『自分のプレゼント』を『箱』に入れていくそうです。
        何でもOK! どちらの『箱』に入れるのもOK! いつでもOK! だそうです。
     孫娘は『My貯金』で、素敵なプレゼントを用意したいな。 何が良いかな? と迷っています。


二つの『学園』の一つは
『東京サレジオ学園』
孫娘が通っていた小学校の隣にある学園です。
知っている学園なので
いっぱいのプレゼントを『箱』に入れたいそうです。

  
   12月のある日・・・

         孫娘の中高一貫の学校生徒全員で・・・
                  一日:『運針Day』
  
           皆で 『雑巾』 を縫って・・・二つの『箱』に入れるそうです。
学校全員の『運針作業』なら、『学園一年分の雑巾』 が出来上がるのではないかしら♡♡♡


   孫娘の通う学校の「クリスマスプレゼント」の方法は、なんと素晴しいのでしょう。
        生徒達に、『隣人を大切にすること』=『隣人愛』、 を体で教えます。


         『おばあちゃんの雑巾』 も『箱』に入れてもらおうかな♡♡
         今日は、私は雑巾運針の一日でした。 感謝!感謝!


そして。

今日は11月26日。年間第三十四木曜日。

『今日の入祭唱』

   『新しい歌を主に向かって歌え。 全地よ、主に向かって歌え。
   国々に主の栄光を語り伝えよ。 諸国の民にその驚くべき御業を。』

          詩編 96章1&3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

        『そのとき、 イエスは  弟子たちに言われた。
 
   「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

      そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
      都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。
       田舎にいる人々は都に入ってはならない。

     書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。

     それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
   この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。
    人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。
   異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。

       それから、太陽と月と星に徴が現れる。
 地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。
 人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。
       天体が揺り動かされるからである。

   そのとき、
      人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、
 
   人々は見る。
   このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。
       あなたがたの解放の時が近いからだ。」』

            ルカ福音書 21章20-28節

   
ルカが、ルカ福音書を書いたのは、
ローマ軍によるエルサレム滅亡の時(63年)以降の
80年代といわれます。


イエスは、『エルサレムの滅亡の時』 と 『イエスの再臨=世の終わりの時』、について話されました。


     『エルサレム滅亡の時』は、
     ローマ軍により神殿も町も破壊され、 『神の裁きの時』 のように見えました。
      しかし。
     それは、すべての終わりのように見えても、『世の終わり』 ではなかったのです。

           『新しい時代』 の始まりだったのです。

    すべての破壊後には、
    ユダヤ人に約束された『神の救い』が、すべての人、異邦人にも与えられたのです。
          イエスからの『救い』が成就するのです。


 いつの時代にも、全世界が揺れ動くような『大きな出来事』が、世界中で、多々起こります。
       そんな時こそ、
     イエスの示す『新しい道』を歩む者たちは
            信仰に揺らぐことがないように。
        『神の救いのわざ』を、 信仰の目で見つけるように。
        イエスに従う『覚悟』を、 日々、常に、持つように。
              と、イエスは要求なさるのです。
         
            

    『イエスの再臨=世の終わりの時』は、   
         必ず来ます。 それがいつのことかは分かりません。
      ただ、
         すべての人の救いを望まれる『神の愛』を信じて、   
            すべてを『神の計らい』に任せて、
        人々は『確固とした信仰』の日々を送くりなさい。
             と、イエスは励ますのです。

私たちも、
世界を揺れ動かすような危機の到来にも
『信仰』を揺らがすことなく
身を起こして頭を上げていることができますように
と祈りたいものですね。    


『今日の拝領唱』

    『見よ、わたしは万物を新しくする。 事は成就した。
 わたしはアルファであり、オメガである。 初めであり、終わりである。  
    渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。』

          ヨハネの黙示録 21章5&6節


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今年も心のこもったクリスマスプレゼントを用意したいですね。
少しずつ、頭と手を動かして準備を始めましょうか。 お元気で!

素晴しい戦いをしてくれた全野球選手に感謝・・・『ソフトバンク2020年日本一決定』 そして 『忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』

2020-11-25 20:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
11月25日。水曜日。曇り。

             『ソフトバンク2020年日本一決定』
 
            史上初! 2年連続『日本一決定戦』の4連勝


             日本シリーズ第4戦 ソフトバンク4-1巨人
       25日。 4年連続11度目の日本一を決めたソフトバンク。(南海、ダイエー時代含む)
           2年連続・4勝0敗での日本一決定は史上初。
   工藤監督(57歳)と選手団一同の『ワンチーム』は、素晴しい実力の試合を見せてくれました。
       お見事でした。 おめでとうございます。 感動をありがとうございました。


           今年のプロ野球は、コロナ禍のため約3ヶ月遅れの開幕。
            途中で、数球団の選手たちがコロナ感染の危機もあり、
              試合数も短縮し、オールスター試合はなし
                   観戦者数も大幅縮小
    コロナ禍の中で頑張る選手たちは、日本中の野球ファンに、 『勇気』を与えてくれました。
   コロナ禍の中での試合は、STAY HOME自粛生活の日々に、 『楽しみ』を与えてくれました。


    『今シーズンは苦しい始まりだったが、そんな中でリーグ戦に優勝してくれたことで
               4連覇が現実味を増した。
          こんな素晴しい戦いをしてくれた選手に感謝している。』

       工藤監督の『優勝コメント』をもって今年のプロ野球の終わりとなりました。
       国民的スポーツの野球が終わると、今年も終わり、来年への始まりです。

       受験勉強に邁進する子供達に遠慮して、イヤホンのラジオで大好きな野球を聞いていた父親を偲んで、
     今日はラジオのイヤホンで観戦した私です。 典型的東京人の父は天国で巨人の惨敗に苦笑いしていることでしょう。
             『野球』=『父の思い出』で、野球観戦の大好きな私です。


             今年のすべての球団の選手たちに 感謝!感謝!
            
           
そして。

今日は11月25日。年間第三十四水曜日。

『今日の入祭唱』

 
     『主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、
      主の戒めは清らかで、目に光を与える。
主への畏れは清く、いつまでも続き、主の裁きはまことで、ことごとく正しい。

          詩編 19章9&10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

         『そのとき、 イエスは弟子たちに言われた。
 

      「人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、
        わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。

      それはあなたがたにとって証しをする機会となる。

  だから、
        前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。
      どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、
          わたしがあなたがたに授けるからである。

       あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。
           中には殺される者もいる。
     また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。

 しかし、
        あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
      忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」

           ルカ福音書 21章12-19節


   今日のイエスは、
      弟子たちに、『イエスを証しする』ことについて話されました。

   
   イエスの生活は、人から理解されず、反対されて、最後には十字架上で命を奪われました。
     同様に。
   イエスの仕事を続ける弟子たちも、人々から反対されて、イエスと同じことが起こるのです。
       『人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、
        イエスの名のために王や総督の前に引っ張って行く。』 のです。


   『反対され、迫害を受けるときこそ、それは弟子たちにとって証しをする機会となる。』
                               と、イエスはおっしゃるのです。

私は考えてみました。

       弟子たちは、
         どんな迫害を受けても・・・
    『必ず、イエスが一緒にいてくださり、助けてくださる』
               という『信頼』において、イエスを証しするのです。
    『どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、
           必要なときに、必ず、イエスが授けてくださる』
         というイエスへの『信頼』と、弟子たちの『素晴しい弁明』によって、
                  イエスを証しするのです。
    『いつも、どこでも、イエスは共にいてくださる』
              と、新しい宣教地で堂々と『働く姿』で、イエスを証しするのです。
    『あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
           忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。』
             との『イエスの励ましの言葉』『信頼する姿』で、
             最後は、イエス同様に命を奪われる時が来ても、
                 イエスを証しするのです。


  反対され、迫害を受けるときこそ、それは弟子たちにとって証しをする機会となったのです。


私たちは、
今の時代にも信仰のために苦しむ人たち
が沢山おられることを知っています。
その方たちが最後まで
神に信頼し・・・、忍耐して・・・、
神を証しすることができますように
と祈りましょう。
          

『今日の祈願』

   『全能の神よ、いつくしみをもってあなたの民をお守りください。
       御言葉によって力づけられたわたしたちが、
    日々の行いににおいて御旨を果たすことができますように。』


皆様!
御訪問に感謝いたします。
今年のプロ野球シリーズが終わりました。皆様は野球観戦はお好きですか?
私たちも野球選手のようにお人に勇気と喜びを与えることができるといいですね。 お元気で!

道をそれて・・・『原風景』 そして 『聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者 記念日』・・・『一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。』

2020-11-24 06:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
11月24日。火曜日。晴れ。

コロナ禍のため家に引きこもる毎日。
早朝は引きこもり脱出です。

    今日のウォーキングは・・・    『田園地帯』
  
               里山風景。 原風景。       美しい♡♡

        今朝は、住まいから、いつもの街中方向でなく、 『道をそれて・・・』 出エジプト記3章3節参照
     モーセが神に出会ったように、『道をそれて、不思議な光景』 を探しに出てみました。
               そこは、心洗われる『原風景』でした。
            穏やかな人々に守られ続けている『里山風景』でした。


          今日は、 聖霊に導くままに、 道をそれてみました。
             そこは,人の作った人工的美しさの発見の場所ではなく、 
         『わたしはある』という御方『神』 に出会う場所でした。
                        感謝!感謝!


そして。

今日は11月24日。年間第三十四火曜日。

      『聖アンデレ・ジュン・ラク司祭と同志殉教者 記念日』
 

1625年~1886年。 241年の間に、ベトナムで、117人が殉教しました。          
         そのうち96人が、ベトナム人の司祭、カテキスタ、第3会員。
     その他外国人の21人は、ドミニコ会やパリ・ミッション会の、司教、司祭だった。

1838年。 スペイン人のドミニコ会士、イグナチオ・デルカド司教、ドミニコ・エナレス司教は
           50年間ベトナムで働き、逮捕された。
        監禁された後、飢えと渇きに苦しみ、斬首された。

1839年。 アンデレ・ジュン・ラク司祭は、捕らえられ、激しい拷問を受け、斬首された。44歳。
       ラク司祭は、ベトナム北部のバックニン省の異教徒の貧しい家庭で1739年に生まれる。
       12歳の時に家族とともに移り住んだハノイ市で、カテキスタと出会い、信仰教育を受けた。
       28歳で司祭に叙階された後、国内各地で、多くの人に洗礼を授け、信徒を励まし、司牧した。
       44歳の時、斬首刑に処せられて殉教した。

1847年。 17人殉教。 17人のなかには9歳の子どももいた。

1988年。 117人全員が列聖されました。
                       『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

  『諸国民の父である神よ、 ベトナムの百十七殉教者は、
自らの血によって御子の十字架に最後まで従う信仰を証ししました。
    殉教者の取り次ぎを祈る私たちも愛を隣人に伝え、
     神の子どもとして成長できますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、
イエスは言われた。
       「あなたがたはこれらの物に見とれているが、
  一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」


そこで、彼らはイエスに尋ねた。
      「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。
    また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」

イエスは言われた。
        「惑わされないように気をつけなさい。
 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、
          ついて行ってはならない。
      戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。
 こういうことがまず起こるに決まっているが、
        世の終わりはすぐには来ないからである。」

そして更に、言われた。
       「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。」』
               ルカ福音書 21章5-11節


      イエスは、『神殿の崩壊』 の到来について預言されました。
  それは、『新しい信仰』、『新しい時代』、の始まりの預言でもあったのです。

   当時のユダヤ人にとって、
        『神殿』は、 神が共におられる、『しるし』でした。
     神殿は、 神の言葉を聞き、神への祈りと捧げ物をする、『場所』でした。
      『神殿の崩壊』は、『世の終わり』のような悲しいことでした。


  イエスは、『そのことはいつ起こるのですか?』 との質問には答えませんでした。
    実際に、
 西暦70年。 ローマ軍団によって、エルサレムの大部分と第二神殿、が破壊されました。


      神殿の崩壊によって、『世の終わり』 は来ませんでした。
  『神の現存』の『しるし』であった神殿はなくなっても、『神の現存』は続きました。


      『神殿の崩壊』は、『新しい時代』 の始まりとなったのです。
   『神の神殿は聖なるものです。あなたがたはその神殿なのです。』コリントⅠ 3章10ー23節
     神を信じる者一人ひとりが、神の霊が住む、聖なる『神の神殿』 となったのです。

     以前は、人々は、神殿の中で、『神への供えもの』を捧げていました。
      しかし。
 『新しい時代』は、私たちは、『自分の心』、『毎日の生活』、を神に捧げるのです。


   『あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
    あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
       代価を払って買い取られたのです。
     だから、自分の体で神の栄光を現わしなさい。』

       コリントの信徒への手紙Ⅰ 6章19&20節


      現代の社会でも、地震、飢餓、疫病、コロナ禍、と起こります。
        それらは、『世の終わりのしるし』ではなく、
       この世はまだ、不完全で、未完成である、『しるし』 です。
    そんな時も、いつも、神は、私たちと一緒におられ、助けてくださいます。
          

私たちは、
世に起こる数々の災いに対して、人間の弱さを感じながら、
その時にこそ、
神につぶやくのではなく
神に助けを願いたいものです。
私たちは絶えず祈りながら、
祈りの香のただよう神の神殿でありたいものですね。


『今日の祈願』

    『いのちの源である神よ、殉教者の信仰を記念し、
    あなたの愛のうちに一つに結ばれたわたしたちが、
  永遠の喜びに入るまで、力強く歩み続けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日も思い切って散歩をして、STAY HOMEを乗りきりましょう。 お元気で!

♪ああ、長崎の鐘が鳴る♪・・・『長崎の鐘』 そして 『貧しいやもめは、乏しい中から持っている生活費を全部賽銭箱に入れた。』

2020-11-23 04:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月23日。月曜日。勤労感謝の日。晴れ。

今日は
一日中我が家に『長崎の鐘』が流れます。

      『なぐさめ、はげまし、長崎の、ああ、長崎の鐘が鳴る』


         『長崎の鐘(浦上天主堂のアンジェラスの鐘)』
       

              『被爆75周年に寄せて』
         『戦争、とくに原爆ほどむごいものはありません。
ありとあらゆるいのちを消滅させ、壊し、傷つけ、人々が貧しい中から数十年かけて築き上げ、
 心のよりどころとして何よりも大切にしていた美しい祈りの家を一瞬のうちにがれきと変え、
        強い信仰心を砕きました。
 このような悪のわざを人間はどんなことがあっても二度と繰り返してはなりません。
世界中の人々と共に戦争ではなく、平和を求め、つくる努力を続けていきたいと強く思っています。』
      高見三明カトリック長崎大司教『きょうも鳴り響く平和の鐘』より
           高見大司教様は『被爆75年』にあたって、
     一人でも多くの方々の益になればと思われて、『本』を書かれました。

        

          今年4月から始まったNHK朝ドラ『エール』
作曲家古関裕而氏は、戦後の傷ついた人々の心を音楽で癒やし、日本を明るくすることに力を注ぎました。
         その一つが、古関氏の代表曲:『長崎の鐘』です。
    『エール』の素晴しさに、大いに涙し、大いに笑い、楽しませていただきました。


     今日は、『長崎の鐘』を家中に流しながら、平和を切に願いました。
       今月27日まで残り4回の『エール』に感謝です。 感謝!感謝!


そして。

今日は11月23日。年間第三十四月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主よ、あなたは自分の息を送って、
   彼らを創造し、地の面を新たにされる。』

      詩編 104章30節


『今日の福音 イエスの御言葉』

       『そのとき、   イエスは目を上げて、
     金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。
 
   そして、   ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、
   言われた。
       「確かに言っておくが、
        この貧しいやもめは、 だれよりもたくさん入れた。
        あの金持ちたちは皆、 有り余る中から献金したが、
     この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」』
                 ルカ福音書 21章1-4節


    『献金』について。
     元来、金銭だけでなく、自らの収入、所有物のうちから、物品などを    
      神への『感謝・奉仕』の精神をあらわすために捧げることを意味しました。
     神の恵みの賜物と仕手の収入・所有物のうちから、
      その与え主である神に、『感謝』として自発的に神に返しささげるものをさす。
     10分のⅠの規定(創世記14:20,28:22)が古くから定められ、
      これが信仰の健実さの『しるし』として考えられてきた。
              『聖書辞典』より


    貧しいやもめは、
    額は少ないが、生きていくために必要な金を、おしみなく全額、献金しました。
        大きな犠牲となっています。
    金持ちたちは、
    額は大きいが、有り余る中から、献金しました。
        犠牲は小さく、簡単なことでした。


別の『キリストの御言葉』
思い出しました。

      あなたは私に足を洗う水もくれなかったが、
          この人は涙でわたしの愛をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。
       あなたは私に接吻の挨拶もしなかったが、
          この人はわたしの足に接吻してやまなかった。
       あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、
          この人は足に香油を塗ってくれた。
      だから言っておく。
この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。
      赦されることが少ない者は、愛することも少ない。』

           ルカ福音書 7章44-47節


     この人(罪深い女)は、
     以前に、イエスの話を聞いて、理解して、イエスから罪の赦しを頂いたので、
        感謝の気持ちがいっぱいでした。
        イエスが自分にとって大切な方だと示すために、イエスの足に高価な香油を塗りました。
     あなた(あるファリサイ派の人)は、
     自分には罪はないと思い込んで、赦しを願うこともなく、イエスから何も期待することもなく、
        許しを受ける喜びも経験したことはなく、感謝の気持ちもありませんでした。
      
  
     お人への愛の大きさは、その人のために払う犠牲の大きさで計れるのですね。


私たちは、
自分の罪を自覚して、改心しているでしょうか。
赦しは、『神様の業』、『神の愛』、である
とイエスはおっしゃいます。 
私たちは、
自分の罪を自覚して、
神に自分の心を開いて、神の慈しみを信じ、
神様を我が心にお迎えしたいものです。  


『今日の祈願』

  『神よ、感謝の祈りをささげます。
    キリストに結ばれた人が聖霊に導かれ、
  正しい道を歩み続けることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日も互いに愛し合って過ごしたいものです。 お元気で!     

年間暦最後の主日ミサ・・・『王であるキリスト 祭日』・・・『王であるキリスト』&『屠られた子羊・キリスト』&『牧者・キリスト』&『死者の中から復活したキリスト』&『最後の審判者・キリスト』

2020-11-22 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月22日。日曜日。晴れ。

今日は主日ミサ。
コロナ禍のため
私の教会では
月一回のミサ参加を許されています。


              『聖体拝領』
 
         ミサの頂点である『御聖体』の拝領に向かう信徒たち。    今朝のミサ

          私の教会はとても信者数が多いため
    全教会員を4グループに分けて、1グループが月一回のミサ参加のみで
        コロナ禍のための『三密対策』をしています。

     大きな長机に1つか2つ貼られた『祈りの席』のシール前に着席。
              隣席者と間隔をあけます。
          今朝は『61家族』のミサ参加者でした。
    『7・5・3・祝会』もありましたが、祝別と祝い品贈呈のみです。


          ミサ後のお茶もおしゃべりもなし。
 ないないづくしのミサですが、マスク下の笑顔で月一の再会の喜びの確認です♡♡
     今日も、 信仰共同体の有り難さの再確認でした。 感謝!感謝!
        


そして。

今日は11月22日。年間第三十四主日。 『王であるキリスト 祭日』

  今日は、『王であるキリスト』の、色々の御姿を検証してまいりましょう。


一つ目:  『王であるキリスト』  の御姿。
     
          『イエス・キリストのイコン』
       6世紀頃。シナイ半島。聖カタリナ修道院所蔵。
  
    今日、全教会は『王であるキリスト』の祭日を祝います。
              
  一年間、全教会は『キリストのご生涯』を記念し、祈ってきました。
      そして、今日は教会暦・年間暦最後の主日です。
          『王であるキリスト』をたたえ、
 すべての人の救い主であるイエス・キリストを待ち望む『待降節』へと
              つなげていくことにより、
          教会の典礼が年間をしめくくるのです。
             『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

二つ目:   『屠られた子羊・キリスト』 の御姿。
   

   『天使たちは大声でこう言った。
         「屠られた子羊は、
    力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美
       を受けるにふさわしい方です。」』

          ヨハネ黙示録 5章12節


     『屠られた子羊』 の姿は、 『十字架上のイエス・キリスト』 の姿です。
  イエスは、御自分の命を十字架上で捧げ・・・その流された『御血』 によって、
        人類の罪の代価となって、人類の罪を償い、
  人類は、 『神の国・天国への帰還』 又 『永遠の命』 を 許されたのです。



『今日の第一朗読 エゼキエルの預言』

三つ目:  『自分の群れの世話をする牧者・キリスト』 の御姿。
  
  『まことに、主なる神はこう言われる。
   「見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。

牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、
     その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。
わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
  わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、 と主なる神は言われる。

    わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、
      傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
       しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。

      わたしは公平をもって彼らを養う。

お前たち、わたしの群れよ。
主なる神はこう言われる。
      わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。』
         エゼキエル書 34章11-12&15-17節


 『キリストの姿』、『神の御心』のために民に仕える、『まことの牧者』の御姿です。
       『神の御心』は、 『民の一人も失われないこと。』
  イエスは、「神の御心」の実現のために、
    一匹の失われた子羊をどこまでも探しに行ってくださる、 牧者なのです。
        『人よ、どこにいるのか』
 神を見つけられない人々は、
 神の言葉を無視して、従わず、エデンの園を追放されたアダムと同じように、
    『どこにいるのか』 創世記3章9節 と神から問われているのです。


『今日の第二朗読 使徒パウロの言葉』

四つ目:  『死者の中から復活したイエス・キリスト』 の御姿。

『皆さん、
 キリストは死者の中から復活し、 眠りについた人たちの初穂となられました。

死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。
       つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、
       キリストによってすべての人が生かされることになるのです。

ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。
         最初に キリスト、
      次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、
          次いで、世の終わりが来ます。
      そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、
          父である神に国を引き渡されます。


        最後の敵として、死が滅ぼされます。
 すべてが御子に服従するとき、
    御子自身も、すべてを御自分に服従させてくださった方に服従されます。
    神がすべてにおいてすべてとなられるためです。』
         コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20-26&28節


『キリストの再臨の時』は、この世の支配、力、苦しみ、・・・から、『解放される時』です。
  このような『神の訪れの時』が、この世において、すでにはじまっている。
       と、生前のキリストは、ご自身の言葉と行いで、告げ知らせました。
   『キリスト全生涯』は、神のみ旨とその支配の、見える『しるし』 だったのです。



『今日の福音 イエスの御言葉』

五つ目:  『最後の審判の席に着くイエス・キリスト』 の御姿。
 
             『最後の審判』           イコン バチカン美術館 11世紀
  『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

       「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、
            その栄光の座に着く。

         そして、すべての国の民がその前に集められると、
   羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。
         『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
    天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。


  お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、
   旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、
       牢にいたときに訪ねてくれたからだ。

はっきり言っておく。
    わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
 
        わたしにしてくれたことなのである。

はっきり言っておく。
    この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。
   こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」』
         マタイ福音書 25章31-46節 参照


    『最後の審判』の時、
     私たちは皆、私たち一人ひとり、『生前の生活』 について、裁かれるのです。

     イエスは、私たちの『模範』として、 神からこの世に遣わされたのです。
 私たちは、イエスを知り、イエスと『似た者』となり、イエスの『模範』を『行う人』になるはずです。
イエスを知らない人たちは、 私たちキリスト者の『模範』をみて、弱者のお世話をするようになるのです。
   

私たちキリスト者は、
困っている方々のお世話をするはずです。
ところが
キリスト者でない方々の『模範』を見て
我が身を反省することばかりです。
反省の後の
回心した私たちの『行動』を見て、
人々にキリスト様をお知らせする
ことができますようにと祈ります。


『今日の祈願』

     『恵み豊かな神よ、
  ミサを通して、きょうも私たちは主キリストに結ばれました。
    この集いから派遣される一人ひとりが、
   助けを必要としている兄弟の中にもキリストを見いだし、
   共に苦しみを担い、支え合うことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
もうすぐ12月。一年の締めくくりの時期になりますね。
キリスト者は、イエスをお迎えするための心を整える『待降節』に入ります。
師走に入る前の3連休が穏やかでありますように。 お元気で!

コロナ禍がもたらした確信・・・『幸せな暮らし』 そして 『聖マリアの奉献 記念日』・・・『キリストは死を滅ぼし、福音を通して永遠の命を現わしてくださいました。」

2020-11-21 19:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
11月21日。土曜日。曇り時々晴れ。

りんごの季節の到来。


    家庭の味・・・     『アップルパイ』
 

              今秋初の『アップルパイ』の『デザート』
          『真っ赤なりんご』 は 『平和の象徴』 に思えますね。

         コロナ禍でSTAY HOMEが続き、一年ほどになります。
 カボチャパイやりんごパイを焼いたりと、『ささやかなこと』に喜びを見いだす一年でした。

          ゆったりとした気分で、『ささやかなこと』の繰り返し。
             『幸せな暮らし』を送る『秘訣』のようです。
           コロナ禍がもたらした『確信』です。 感謝!感謝!


そして。

今日は11月21日。年間第三十三土曜日。

        『聖マリアの奉献 記念日』
   
             『受胎告知のマリア』  アントネッロ・ダ・メッシーナ作品
   中世後期の作品で、
   マリアは神聖な雰囲気のある家の内部を背景として描かれました。

543年11月21日。 エルサレムの神殿のあった場所近くに新しく建てられた
              『マリア聖堂』の献堂式が行われました。

毎年・11月21日。 『無原罪の御宿り』のときから『恵み』に満たされたマリアは、
                聖霊の働きによって、
            子どもの時から自分自身を神に捧げました。
   
            『両親と共に祭司の前に小さいマリアの奉献』

         『マリアの奉献』を毎年この日に祝うのです。
            
    『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』
                               ルカ福音書1章38節
        という『言葉』に表現されているマリアの『神への全き信頼』は、
             その生涯を貫くものでした。
               『毎日の読書』より


『今日の入祭唱』

     『しあわせなかた、聖マリア、
  代々、天地を支配される王が、あなたからお生まれになった。』



『今日のアレルヤ唱』


    『今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって
       明らかにされたものです。
キリストは死を滅ぼし、福音を通して永遠の命を現わしてくださいました。』
  
       テモテへの手紙Ⅱ 1章10節


     近く死刑になることを予測し覚悟をした使徒パウロは、
 
       獄中から、愛する弟子テモテへ手紙を書いたのです。
  
    パウロは、テモテがキリストの兵士として、『信仰の確信』を持って、
           イエスやパウロの先人たちと共に
       苦しみを耐え忍ぶようにと励まし、勧めたのです。


『今日の祈願』

  『喜びの源である神よ、
 御独り子の母マリアを祝ったわたしたちが恵みに満たされて、
   救い主の喜びを味わうことができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
コロナ感染者がますます増加するこの週でした。
今日からの3連休を穏やかに過ごされ、楽しいことがありますように。 お元気で!