マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

再び首都圏・大阪、緊急事態宣言へ・・・『モヒート』 そして 『人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。ヨハネの弟子たちはイエスのところに行って報告した。』

2021-07-31 04:33:21 | 日々のこと。 世界のこと。
7月31日。土曜日。快晴。

昨日、
一日の日本国内コロナ新規感染者1万人を越す。
首都圏・大阪、緊急事態宣言へ。
再び全国に緊張が走ります。

我が家では・・・

  鉢いっぱいに育ちました 『ミント』
 
    いよいよ『モヒート』の準備完了です。

 更なる危機的状況となった、コロナ感染拡大の日本です。
 よりいっそうの一人一人の『忍耐』と『協力』が必要です。
 私は、徹底したSTAY HOMEで、協力です。
    

  私の大好きな文豪ヘミングウェイが愛飲した 
      『モヒート』
   
  ヘミングウェイが愛した
  1942年創業のハバナの老舗バー&レストラン
    『La Bodeguita del Medio』   


  私は、
  今日のSTAY HOMEで、家の大掃除を実行致しましょう。
  その後の、今夕の『カクテルアワー』は、
  自作の『ミント』を使って、
  今夏第一号の『モヒート・アワー』といたしましょう。
   

 今日もコロナ禍での楽しみを見つけてまいることに致しましょう。
                                

     
 今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月31日。年間第十七土曜日。

 『聖イグナチオ(ロヨラ)司祭 記念日』
 

1491年。スペイン北部の貴族ロヨラ家にまれる。
 幼いころから騎士道精神を身に付け、宮廷と軍隊での生活を送り、
   名誉を求めることを価値としていた。
1521年。30歳。 戦場で負傷。
 病床にあったイグナチオは、キリスト伝や聖人伝を読んで感銘を受けた。
 そしてすべてを捨ててキリストに従う決心をし、
 マンレサに退いて、祈りと苦行に専心した。
 祈りと苦行の時の霊的体験が、有名な著書「霊操」を生みだした。

 それから、ローマとエルサレムに行き、ヨーロッパに戻り、
 パリ大学で神学を勉強をした。
 学友の中から6人の同志を集め、パリのモンマルトル聖堂で、
 「より大いなる神の栄光のために」、また「すべての人のために」働くことを誓って、
    「イエズス会」を創立した(1540年・48歳に正式に認可)。

 著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行ない、
 その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。
 そのなかには、日本の最初の宣教師・フランシスコ・ザビエルもいた。

1556年。65歳。 ローマで死去。

 現在、イエズス会会員は、世界各地で、教育など多くの分野で活躍している。
 日本では、東京の上智大学をはじめ、鎌倉市、神戸市、広島市、福岡市などでの教育事業や、
 黙想指導、教会司牧、社会正義など、社会の中で人々の必要のために働いている。
      『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『すべての人の救いを望まれる主よ、
あなたは偉大な栄光を現わすために、ロヨラの聖イグナチオをお選びになりました。
    聖人の助けと模範に励まされて、わたしたちも悪と戦い、
     ともに勝利の冠を受けることができますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのころ、領主ヘロデはイエスの評判を聞き、
       家来たちにこう言った。
 「あれは洗礼者ヨハネだ。死者の中から生き返ったのだ。
    だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」

  実はヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアのことで
    ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。
     ヨハネが、
     
   「あの女と結婚することは律法で許されていない」
               とヘロデに言ったからである

   ヘロデはヨハネを殺そうと思っていたが、民衆を恐れた。
    人々がヨハネを預言者と思っていたからである。
 ところが、ヘロデの誕生日にヘロディアの娘が、皆の前で踊りをおどり、
     ヘロデを喜ばせた。 それで彼は娘に、
   「願うものは何でもやろう」 と誓って約束した。

      すると、娘は母親に唆されて、
 「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください」 と言った。
       王は心を痛めたが、
   誓ったことではあるし、また客の手前、それを与えるように命じ、
     人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた。
      その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、
     
       少女はそれを母親に持って行った。

  それから、ヨハネの弟子たちが来て、遺体を引き取って葬り、
     イエスのところに行って報告した。』    
        マタイによる福音書 14章1-12節


   洗礼者ヨハネは、
   『イエズスの道』を前もって準備する人、『最後の預言者』 でした。
   人々からの尊敬を受けていました。
   ヘロデ王は、
   ローマ皇帝よりイスラエル全般を任せられている『政治家』でした。
   ヨハネから自分の結婚が『違法』であると言われ、ヨハネを恨んでいたのです。
   ヨハネに復讐の機会をねらっていた時に、『機会』到来、『ヨハネの首』をはねたのです。
      後に、ヘロデは、ローマ皇帝の前で告発されて、追放されました。

   イエス様は、
   ヨハネの弟子たちから『ヨハネの最期』の報告を受け、御自分の『使命』を理解したのです。
   『神の言葉』を話しても、反対する者も多く、迫害されると知っておられました。
    そこで、
   『ヨハネが準備した道』を、死に至るまで、突き進まれたのです。

   イエスの使徒たちも、
   私たちキリスト者も、            
    イエス様の『犠牲』に勇気を頂き、『イエスの道』を、突き進むのです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
『義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちの者である。』
     マタイによる福音書 5章10節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
週末はSTAY HOMEで、コロナ感染から御自分をお守りください。
猛暑にも気をつけて、穏やかな週末をお祈り申し上げます。 お元気で!

夏山登山・・・『アウトドア用マットレス』  そして 『「この人は大工の息子ではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。』・・・

2021-07-30 10:30:05 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月30日。金曜日。快晴。


        夏だ~! 高山登山だ! キャンプだ!
  

      息子夫婦は、二人が『IRON MAN』、超アスリートです。
         夏休暇は、高山登山とキャンプを楽しみます。


        揃って7月に誕生日を迎えた息子夫婦への
           『誕生日プレゼント』
    
                        ネット上の2枚の広告写真です。
     OUTDOOR HIKERS 『アウトドア用マットレス』
       楽しさが、2倍にも3倍にもなります♡♡


       ごろごろの石の上にテントを張ると・・・
       寝るときも石の上で背中が痛い!痛い!

       最高クッションで、夏山登山準備OK!
   コロナ禍で、若者二人の今年の夏山登山はどうなるのでしょうか?

   私の夏山登山は、コロナ禍のため、今年で3回目のパスとなりそうです。
                    悲しい!悲しい!


      息子夫婦も私も、今年は、自宅の庭で、『キャンプ』かな?
 今年は、都会の大空に輝く星を、家庭に張ったテントから眺めることになりそうです。
      今年ならではの夏休みを楽しみましょう。 感謝!感謝!                 


     
  今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。



そして。

今日は7月30日。年間第十七金曜日。

『今日の入祭唱』

   『神よ、私を憐れんでください、御慈しみをもって。
    深いあわれみをもって、私のとがを赦してください。』
       詩編 51章3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは故郷にお帰りになった。
     会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。
 
  「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。
        この人は大工の息子ではないか。
  母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
     姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。
    この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」

       このように、人々はイエスにつまずいた。

      イエスは、
   「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」 と言い、
     人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。』
      マタイによる福音書 13章54-58節


    イエスは、
    メシアとして、子供達や群衆から歓迎されます。
    しかし、律法学者や祭司たちは、ますますイエスに反対します。
  更に、故郷・ナザレの人々は、『彼は大工の子じゃないか』と、イエスについてつまずくのです。
イエスの言葉に感嘆する人もいましたが、大部分の人は『イエスの生い立ち』を知っており、疑ったのです。


 人々は、イエスのことを十分に知っていると考え、自分の知識以上のことを知ろうとはしないのです。
  人々は、『人間イエス』の姿を見ているだけで、『神イエス・救い主』の姿を知ろうとしないのです。


  『イエスの話』を聞くと、
  普通の人間の話ではないこと、人間以上の話であること、を感じるはずです。気づくはずです。


  人々は、
  「大きなしるしを見せてくれたら信じる」と、信じないことへの『口実』を作るのです。
  イエスは、
  『イエスに心開く者』や『信じたいと願っている人』のために、『しるし』を見せるのです。
   故郷では、人々が不信仰だったので、あまり『奇跡・しるし』をなさらなかったのです。


私たちも、
今、現在も、
私たちにも呼びかけておられる
イエス様の『御言葉』に耳を傾けたいものです。
そして、『イエスの本当の姿』をもっと知るように
なりたいものですね。

         
『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
      『主の御言葉は永遠に変わることがない。
   これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。』
      ペトロの手紙Ⅰ 1章25節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
コロナ感染者の拡大で、首都圏・東京・神奈川・埼玉・千葉と大阪が緊急事態へ・・・。
『緊急事態宣言』:8月2日~22日、の延長や再発布となりました。
くれぐれもSTAY HOMEの夏休みで、我が身を守ってまいりましょう。 お元気で!



2輪草・・・『二人三脚』 そして 『聖マルタ 聖マリア 聖ラザロ 記念日』・・・『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。』

2021-07-29 05:30:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月29日。木曜日。快晴。

今朝も・・・

  世の中には・・・  『二輪草』
 
                                 ネットより拝借

   1本の茎から2輪ずつ、背高な花と低い花が揃って、伸びている。『二輪草』
      可憐で、名前通りにいつも二人で、嬉しい花です。
    
そして
今朝も・・・

            『親子の二輪草』
   

    
手をつないで、背高な息子さんと腰の曲がった母上、ゆっくりゆっくり、朝の散歩。『二輪草・二人三脚』
亀さんが歩くような早さ(もっと遅いかな?)で歩くお母様に合わせて一歩先を歩く中年男性の姿に、感動します。
ご自宅から大きな公園まできて、大きな公園を一周して、新鮮な空気を吸い、互いの存在を確かめ合い、帰宅です。


   息子さん・中年男性の姿を拝見していいると、
   『使徒パウロの言葉』 を思い出します。

    『わたしは、誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました。
     出来るだけ多くの人を得るためです。
     弱い人に対しては、弱い人のようになりました。
     弱い人を得るためです。
     すべての人に対してすべてのものになりました。
     何とかして何人かでも救うためです。』

      コリントの信徒への手紙Ⅰ 9章19-23節

          息子さんのお姿も、使徒パウロのお姿も、
          愛情ある『二人三脚』の『お姿』です。


 お人を愛するとは
 相手のすべてを受容することであり・・・相手を自分のペースに合わさせることではないですよね。

      
      今朝も、出会う人たちから、沢山学びます。
      私も、今日も頑張りましょう。 感謝!感謝!


     
   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。



そして。

今日は7月29日。年間第十七木曜日。   

   『聖マルタ 聖マリア 聖ラザロ 記念日』 
  
   『イエスの接待に立ち働くマルタと説教に聴き入るマリア』
                         フェルメール作品

     マルタとマリアとラザロは兄弟でした。

     彼らは、ベタニアで主イエスを温かくもてなし、
     マルタは主に心を込めて奉仕し、
     マリアは敬虔に主の言葉を聞き入った。

   『イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。』
       ヨハネによる福音書 11章5節

   
      『ラザロの蘇生』      フアン・デ・フランデス作品

     そして、イエスは、二人の姉妹の祈りにこたえて、
     ラザロを復活させた。


『今日の集会祈願』

   『恵み豊かな神よ、 御ひとり子は、
 ラザロを墓から命へと呼び戻し、マルタの家でもてなしを受けられました。
 わたしたちが、兄弟姉妹のうちにおられる主に誠実に仕え、
 マリアとともに主のことばを深く味わうことによって養われますように。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスはある村にお入りになった。
     すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。

        彼女にはマリアという姉妹がいた。
    マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。
    
 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、
      そばに近寄って言った。

 「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、
      何ともお思いになりませんか。
   手伝ってくれるようにおっしゃってください。」


         主はお答えになった。
 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。
    しかし、必要なことはただ一つだけである。
   マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」』

     ルカによる福音書 10章38-42節


マルタとマリアは、どちらも、喜んで イエスを家に迎え入れます。
その歓迎方法は違っていました。
   
  マルタは、一生懸命にイエスの世話をなさり、忙しく働きました。
  マルタの信仰は、『イエスを「主=神」と呼ぶ信仰』、『真の信仰』を持っていました。
  マリアは、静かに、イエスのそばに座って、イエスの話に聞き入りました。
マリアの姿は、イエスが『善い方を選んだ』と言われる、『神の御言葉を最優先する』姿でした。


イエス様は、女性たちをどのようにお考えだったのでしょう。

  イエスの生前には、婦人たちはイエスたちに同行して、『イエスと弟子たちの世話をした』のです。
  しかし、
  イエスの復活後は、女性たちは、イエスの御遺体に香油を塗るために、墓に一番に駆けつけました。
    マリアは、一人で墓に行き、誰よりも早く、復活のイエスに出会いました。
  復活なさったイエス様は、女性たちに、『復活の事実』を弟子に伝える『使命』をお与えになりました。


       福音宣教は、復活したイエスが第一に女性に託した、『使命』なのです。

     なぜ? イエス様は復活後、一番最初に、使徒たちではなく、マリアに現われたのでしょうか?
                計り知れない『イエス様のご意向』に畏怖の念を抱きます。

私たちも、
現代社会に生きる者として、
男性、女性、と役割を性別で分担するのではなく、
それぞれに与えられた場で、
福音を述べ伝えることができるといいですね。
祈りましょう。
     


『今日のアレルヤ唱』


アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』
       ヨハネによる福音書 8章12節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
『良い知らせ:福音』は、口で伝える以上に、行動で証しするのですね。
年を重ねた母親をいつまでも『敬う息子さん』のお姿は、福音そのものです♡♡

毎日のささやかな営み・・・『二毛作の人生』 そして 『畑の宝を見つけた人は、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。』

2021-07-28 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
7月28日。水曜日。快晴。

今朝も・・・
『毎日のささやかな営み』の実行です。

 
 『毎日のささやかな営み』
  ウォーキング前後のストレッチで『貯筋運動』 & ウォーキングで『有酸素運動』


   人生が「上り坂」から「下り坂」へ転じ始める中年期から老年期に向かって
      人生を「二毛作」にして楽しむために大切なことは、
        『毎日のささやかな営み』だそうです。


    
    もう一つの
    『毎日のささやかな営み』
     朝起きたときに、顔や髪の毛を整えて、『丁寧に生きること』


         こうした『毎日のささやかな営み』が、
         いくつになっても、どんなときにも、
         人の心を支えてくれる。
         『自分の尊厳を守る』ことが大事なのです。
           以上。鎌田寛さんの『さあこれからだ』より。

もう一つ思い出します。

     『人間の幸福というものは、時たま起こるすばらしい幸福よりも、
       日々に起こる些細な便宜から生まれるものである。』

              『フランクリン自伝』より

私も、今日も、
『毎日のささやかな営み』:『貯筋運動』&『有酸素運動』&『丁寧に生きること』を続けながら、
     『自分の尊厳を守る』ことを大切にしたいものです。
    人生の下り坂を『人生の二毛作』の日々としたいものです。
                   感謝!感謝!


     
   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。



そして。

今日は7月28日。年間第十七水曜日。

『今日の入祭唱』

  『いかに楽しいことでしょう。主に感謝をささげることは。
      いと高き神よ、御名をほめ歌います。』

        詩編 92章2節


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、イエスは人々に言われた。

       「天の国は次のようにたとえられる。
          畑に宝が隠されている。
 
    
       畑の奥深くに実る『宝物』

    見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、
     持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。


       
       また、天の国は次のようにたとえられる。
          商人が良い真珠を探している


          高価な真珠を一つ見つけると、
      出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。』

        マタイによる福音書 13章44-46節


イエスの時代のユダヤ人たちは、
持っている『宝」を強盗から守るために、
金庫に隠すのではなく、自分の畑に埋め込んで隠くす方がいたそうです。
畑の持ち主に雇われた者が、畑に隠された『宝』を見出すことがあったようです。
雇われた者は、『宝』を手に入れるためには、
持ち物を全部売って、畑を買わなければならなかったようです。


     
        『神の国』は、『畑に隠された宝』に似ているのです。
 『神の国』=『神の救い』は、見えることではなく、人の目には隠されていることが多いのです。
  神は、私たちが『神の国』を見出すように、私たちを導いてくださっているのです。


    私たち一人一人が神から大切にされているという『信仰』は、真の『宝』なのです。
       『信仰』は、すべての宝物にも勝る、価値ある『宝』なのです。
        他のすべてのものととりかえる程に価値あるものなのです。
         その『宝』を見出す人は幸いです。

         『宝』=『信仰』を見出した者は、
     畑の奥深くではなく、心の奥深くに留めて、大切にしなくてはなりません。


私たちも、
信仰が出来るまでには、
農作物を作るように、
時間がかかる人もいらっしゃいます。
それでも、信仰を見つけると、
私たちの生活が生き生きとしたものになります。
『信仰』を、大きく育つように、大切にしたいものですね。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
  『わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
   父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。』

       ヨハネによる福音 15章15節 アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申しあげます。
オリンピックの選手の日常は、決して揺るぎのないのない『毎日のささやかな営み』の連続なのでしょう。
選手の皆様のその立派な姿に、頭の下がる毎日です。 健康に恵まれ、選手たちの五輪が完結しますように!

『蝉の合唱』・・・夏景色・・・『空海の風景』 そして 『毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなる。』

2021-07-27 05:30:00 | 大学。大学院。本。コンサート。ラジオ。映画。
7月27日。火曜日。快晴。

 朝早くから・・・
 
                          蝉一匹 確認できますか?

 雲一つない快晴の青空に・・・ 『短い命を楽しむ蝉』 ・・・声たかだかに鳴いています。

     蝉は、土の中での幼虫期間は5~6年ほど。
     そして成虫になってからの、地上での寿命は『1週間』 といいますよね。
     1カ月くらい生きることもあるとか。

          夏の大空のもとでの短い命 はかない命
          ♡♡声高らかに、満喫してください♡♡

 
     私が自分に課した『夏休みの挑戦』は『司馬遼太郎作品の読破』です。
             何冊読めるだろうか?
         只今はまだ一冊目。 『空海の風景 上』です。
   
         あくまで「小説」であるという司馬遼太郎だが、
     司馬氏の本に、「歴史」の学びの楽しみを覚える、 歴史好きの私です。

         空海幼少期から恵果阿闍梨と出会うまでが上巻。
       幼少期以前の、空海の先祖佐伯氏の話まで遡って、始まります。
         私の一番の興味の対象は、『空海と最澄の対比』です。


       なかなか難しい本であるからこそ『夏休みの挑戦』です。
         今日も、挑戦後の『達成感』を味わうために、
    オリンピック選手たちの『挑戦後の達成感』を想像しながら、読書です。
                        感謝!感謝!


     
   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月27日。年間第十七火曜日。

『今日の入祭唱』

  『あなたの御言葉は、わたしの道の光。
     わたしの歩みを照らす灯。』

       詩編 119章10節


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。
 
       すると、弟子たちがそばに寄って来て、
     「畑の毒麦のたとえを説明してください」 と言った。

         イエスはお答えになった。
       「良い種を蒔く者は人の子、 畑は世界、
     良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。
          毒麦を蒔いた敵は悪魔、
    刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。

     だから、
        毒麦が集められて火で焼かれるように、
        世の終わりにもそうなるのだ。



          人の子は天使たちを遣わし、
  つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、
       燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。
      彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
 
          『最後の審判』    ミケランジェロ作品

     そのとき、
     正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。


         耳のある者は聞きなさい。」』
         マタイによる福音書 13章36-43節


       今日は、『毒麦のたとえ話』 です。
お百姓さんが、畑に、『良い種』を畑に蒔いたのですが、その中から『毒麦』も現われたのです。
神は、全世界を、導くのですが、世界中には『良い人』もおれば、『悪い人』も現われるのです。

       
     神様は、忍耐深く、『悪い人』の改心を待ち続けてくださるのです。
     人間は、一人残らず『悪い人』で、改心を必要とする者なのです。
        神の忍耐深さに感謝をするのです。
     人間は、神の忍耐深さに支えられて、『この世の命』を終えるのですが・・・
        全員が『世の終わり・最後の審判』の時を迎えるのです。


     『世の終わりの時』に、
     『つまずきとなる者すべてと不法を行う者』は、
       毒麦が集められて火で焼かれるように、そのようになるのです。
     『正しい人々はその父の国で太陽のように輝く』のです。


私たちも、
神が私たちに忍耐深い御方であるように、
お人に忍耐深く、お人と互いに許し合いながら、
『正しい人』となるように、精進致しましょう。
まずは、神の『愛・忍耐』を知ることから始まりですね。
祈りましょう。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『種は神のことば、蒔く人はキリスト。キリストを見いだす人は永遠に生きる。』
                         アレルヤ、アレルヤ。

皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
東京は朝から小雨だそうですね。気温が、オリンピック開会以来、少し低いそうです。
ホッとしますね。オリンピックの選手の健康が守られますように! 実力を発揮出来ますように!

今朝10時は28度、24日10時は30度。 そして 『天の国はからし種に似ている。どんな種よりも小さいのに、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。』

2021-07-26 05:00:00 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月26日。月曜日。快晴。


       皆様! 暑中お見舞い申し上げます。
 

     只今朝10時、 蝉が鳴き、 温度はすでに28度。
     くれぐれもご自愛下さり、お元気でいらして下さい。
     早朝ウォーキング、私は今朝は早々に切り上げました。


      オリンピック選手を襲う酷暑と高湿度

   24日午前10時の「テニス男子シングルス」試合中時点の温度は30度。
      「今までの試合で最悪の暑さだ」
   猛暑日が続く中、選手たちから「夕方開催」を求める声が出ました。
   IOCのマルコネ競技部長の返事は、「対策に全競技統一のルールがない」 でした。
   選手の希望は問題外。却下でした。

   23日。ロシアのアーチェリー女子・ゴムボエワ選手が、試合中、
   熱中症のために一時意識を失った。
   「このようなことは初めて。
    ここに来る前に練習していたウラジオストクでも同じような気候だったが、
    ここでは湿度が影響した。」と、コーチのポポフ氏は述べた。


   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月26日。年間第十七月曜日。

      『聖マリアの両親 聖ヨヤキムと聖アンナ 記念日』
  
  二世紀に由来する伝承によれば、
     聖母マリアの両親の名前は、ヨヤキムとアンナであった。

  アンナは40歳頃にマリアを産み、マリアを女性として申し分なく教育した。
    
    『聖アンナと聖母子』  レオナルド・ダ・ヴィンチ作品 ルーブル美術館

  ヨアキムとアンナはイエスが誕生したときまで生きていたといわれる。
  聖なる孫イエスがエルサレムの神殿で奉献された直後に亡くなったと言われている。

  アンナに対する崇敬は、
  すでに六世紀に、東方教会においてみられ、十世紀に西方教会にも広まった。
  ヨアキムに対する崇敬がさかんになったのは、近代からである。
      『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』

 『信じる者の父である神よ、
 あなたは聖ヨヤキムと聖アンナによって、救い主の母マリアを世に与えてくださいました。
 聖人の祈りを聞き入れ、あなたの民に約束された救いをわたしたちのうちに現わしてください。』



『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、イエスは、別のたとえを持ち出して、人々に言われた。

       「天の国はからし種に似ている。
     人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、
         成長するとどの野菜よりも大きくなり、
        空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」



         また、別のたとえをお話しになった。
          「天の国はパン種に似ている。
    女がこれを取って三サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる。」

     


     イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、
       たとえを用いないでは何も語られなかった。
    それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。


         「わたしは口を開いてたとえを用い、
        天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
(詩編78章2節)       
          マタイによる福音書 13章31-35節


 イエス様は、『天地創造の時から隠されていたことを告げる』 ことが 『使命』でした。
 しかも、
 この『福音』を告げる仲間に、僅か12人の使徒を選んだのです。

    宣教に携わる弟子は人数的にも僅かですし、『イエスの話』は難しく、
       『福音』は広がっていかないように思えました。


    しかし、
    イエスは、『天の国の広がりは、からし種の生長と似ている』 と
        『たとえ話』をなさるのでした。


    イエス亡き後には、
    初めの頃は、『福音』を信じる人は少なかったのですが・・・
    段々と、異邦人の中にも信仰者が多くなり、ローマ帝国へまで広がっていったのです。
    弟子たちは、『イエスのたとえ話』を思い出して、
    イエスがおっしゃったとおり、『神の国』がどこにでも働いておることを知って、
       『神に不可能はない』 と確信して、
    宣教の結果は神にゆだねて、宣教にすすまれたことでしょう。


私たちも、
今の社会の中で、
『神の働きの結果』がなかなか見えないことも多いのです。
それでも諦めないで、『からし種』のように小さな『種』を蒔き続けましょう。
私たちの『小さな働き』を『大きな木や大きなパン』にしてくださるのは、
神様なのです。
祈りましょう。
    

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『御父は、御心のままに、真理のことばによってわたしたちを生んでくださいました。
   それは、わたしたちを、被造物の初穂となさるためです。』

        ヤコブの手紙 1章18節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
コロナ対策そして熱中症対策と、二重の対策を十分に、お元気にお過ごし下さい!

『最大の祝日』・・・『キリストの復活の日・主日』 そして 『イエスは座っている人々に、パンも魚も魚も欲しいだけ分け与えられた。』

2021-07-25 09:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月25日。日曜日。晴れ。

今日は主日。

  
           『今日・主日ミサ後の祭壇』

      『今日こそ主の御業の日。 今日を喜び祝い、喜び躍ろう。』
           詩編 118章24節


       イエスは「週の初めの日」に、死者の中から復活なさいました。

キリストの復活の日は、
「初めの日」としては、世界創造を想起させます。
安息日の後の「八日目」としては、キリストの復活によって開始された新しい創造を示します。
キリスト者にとっては、
あらゆる日の中の『最大の日』、 あらゆる祝日の中の『最大の祝日』『主日』となりました。


       『主日』を祝うということは、
       「神がすべての者に共通に与えてくださる恩恵について考え、
             目に見える形で神を崇拝する」

       という人間の心に刻まれた倫理的掟を自然に守るということです。

             以上。『カトリック教会のカテキズム』より


          私にとって『主日のミサ』は信仰生活の中心です。
            『キリストの復活』の追体験であり、
             信仰のすべてともいえるのです。


     コロナ禍のために、毎週日曜日の『主日の喜び・ミサ』の出席はかなわず、
     今日は、私は、第四日曜日のみ参加可能とされた『主日の喜び・ミサ』
     に参加してまいりました。
     これで、信仰生活の一ヶ月分の『心の糧』を頂戴することが出来ました。
                       感謝!感謝!



    今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
             ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月25日。年間第十七主日。

『今日の入祭唱』

 『主は恵み深く憐れみに富み、契約をとこしえに御心に留めてくださる。』
       詩編 111章4-5節


『今日の福音 イエスの御言葉』

  『そのとき、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。
           大勢の群衆が後を追った。
       イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。


      イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
         ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
        イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、
フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、

          こう言ったのはフィリポを試みるためであって、
       御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。


フィリポは、
「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
  
     弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
     「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。
 
     けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

       イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。
         そこには草がたくさん生えていた。
       男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。

       さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、
        座っている人々に分け与えられた。
   また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。


 人々が満腹したとき、
              イエスは弟子たちに、
      「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」
                             と言われた。

           集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、
         なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。


         そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、
        「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」 と言った。

   イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、
           ひとりでまた山に退かれた。』
            ヨハネによる福音書 6章1-15節


今日の司式司祭様のお説教の一部を
思い出しています。

        今日、私たちは、『与えてくださる神』に出会うのです。

         人々はそれぞれに、求めるものは違います。
         あれもこれもと求め、あるときには争いも起こります。
 そんな時、私たちは、神がすべての人に『おしげなく与えてくださる方』であるのを知って、反省するのです。

         ある人は、不安から、ため込むことがあります。
         ある人は、強欲から、ため込むこともあります。
そんな時、私たちは、神はすべての人が『満ち足りるまで与えてくださる方』であることを思い出し、反省するのです。


     今日、私たちは①無駄をやめ・・・②『おしみなく与えて下さる神』に出会いましょう!

    日々の糧を不足としている人たちもいる中で、 必要以上にため込むような無駄をやめてみましょう。
      おしみなく与えてくださる日々の糧を喜んで受け取りましょう。
      旧約時代にはエリシャが与えました。(今日の第一朗読 列王記 4章42-44節)
      今の時代はボランティアの人々も与えます。
      私たちも、少しの犠牲が必要です、お人と分かち合いましょう。
       

 今日、私たちは、『すべての者に共通に必要なものを与えてくださる方』が神であるという信仰を持ちましょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
   『大預言者が我々の間に現われ、神は民を訪れてくださった。』
      ルカによる福音書 7章16節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
連休も終わりです。明日からの新しい週が穏やかでありますように お元気で!


熱中症・・・『小鳥の埋葬』 そして 『刈り入れまで、麦も毒麦も、両方とも育つままにしておきなさい。』

2021-07-24 06:00:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
7月24日。土曜日。晴れ。

午前10時。すでに、気温30度。

 
                              散歩途中の『むくげ』

        熱中症にくれぐれも注意を致しましょう。
     水分補給と十分な睡眠を忘れないように致しましょう。


   今朝、早朝散歩に行くために、玄関を開けると・・・
   かわいそうに、土間に小鳥が死んでいた。熱中症だろうか?
   涼しい木陰に、埋葬しました。 棕櫚の葉を添えました。
   
   二年ほど前にも埋葬した小鳥の隣に埋葬しました。
   二年前の棕櫚は、枯れてはいたが、残っていました。
   埋葬された隣同士でおしゃべりして、寂しくはないでしょう♡♡ 
                     ホッとします。


     小鳥の声が聞こえました。
    『ありがとう。 
     あなた様も昨夜の五輪開会式鑑賞で睡眠不足だから、無理しないでね。」


        私も熱中症予防です。
        小鳥の助言に従って、今朝は散歩を早めに切り上げました。
                    感謝!感謝!


   今日も、すべてのオリンピック選手の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
          ひたすらお祈り申し上げます。


そして。

今日は7月24日。年間第十六土曜日。

『今日の入祭唱』

   『わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み、
     あなたの教えを胸に刻みます。』

        詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。

         天の国は次のようにたとえられる。
   
          ある人が良い種を畑に蒔いた。
   人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。
       芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。

          僕たちが主人のところに来て言った。
     『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。
         どこから毒麦が入ったのでしょう。』

          主人は、『敵の仕業だ』と言った。

           そこで、僕たちが、
       『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、
            主人は言った。
     『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。
       刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。

           刈り入れの時、
   「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、
       刈り取る者に言いつけよう。』」
         マタイによる福音書 13章24-30節


   今日のイエスの『たとえ話』は、『良い麦と毒麦』 のたとえ話です。

毒麦
一年生草本で、小麦によく似ており、
穂が出て初めて区別がつく。
毒は種の中に寄生する菌類によって生じる
麻酔性のアルカロイドに起因する。
ローマの律法では、
復讐の目的で他人の畑に毒麦を蒔く者を処罰した。
  『聖書辞典』より



   イエスは、この『社会の畑』に、『良い麦=神の言葉』を蒔かれました。 
     『神の福音』を伝えておられました。


  そんな時、
        イエスの働きに、反対する人たちが多くいました。
        その『反対の働き』は、『毒麦』のようなものでした。


  弟子たちは、
  良い麦の中に生える毒麦を抜き取るように・・・
  反対する人たちを、イエスが厳しく裁かれる方が良いのではないか? と考え、
  『では、行って抜き集めておきましょうか』 と言うのです。

  イエス様は、
  『刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。』 
  『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。』
   と、『敵の働き』をすぐに滅ぼしてしまうことは、なさいませんでした。

   
     イエス様は、いつも忍耐深く、
     すべての人が改心なさることを望み、その時が来るのを待たれのです。
     毒麦の人をも迎え入れるために、待たれるのです。 忍耐なさるのです。
     弟子たちは、イエスの『忍耐深さ』を、宣教の時の『模範』としたことでしょう。



イスラエルの人々の歴史の中で、
イスラエルの人は、度々、神から離れることがありました。
それでも、いつも、
神は、忍耐深く、イスラエルの民の改心を待つのでした。
今の社会の中でも、
良い人も、良くない人もいます。
私たちの心にも、良い心と良くない心が同居します。
まずは、忍耐深く、自分の良くない点を直していきましょう。
すると、社会が変わっていくはずです。
私たちも、自分に忍耐し、お人にも忍耐することを、実行したいものですね。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『立派な善い心で神の言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人は幸い。』
       ルカによる福音書 8章15節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
3連休をいかがお過ごしですか? お幸せな3連休でありますように。
この3連休は、今年だけの五輪『開会式と閉会式』のための『特例』だそうですね。 

『2020東京五輪』 そして 『御言葉を聞いて悟る人は、実を結ぶ。』

2021-07-23 11:02:10 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月23日。金曜日。スポーツの日。晴れ。

今日は、
            『2020東京五輪』
      

            無観客の『東京オリンピック開会式』

       選手の皆様の健康が守られ、実力を発揮出来ますように!
            ひたすら、お祈り申し上げます。



そして。

今日は7月23日。年間第十六金曜日。

『今日の入祭唱』

 『わたしの神よ、御旨を行なうことをわたしは望み、
    あなたの教えを胸に刻みます。』

       詩編 40章9節


『今日の福音 イエスの御言葉』

     『そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
 
     「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。

     だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、
    悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。
    道端に蒔かれたものとは、こういう人である。

       石だらけの所に蒔かれたものとは、
     御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、
     自分には根がないので、しばらくは続いても、
  御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。

        茨の中に蒔かれたものとは、
   御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、
          実らない人である。

        良い土地に蒔かれたものとは、
          御言葉を聞いて悟る人であり、
   あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」』
         マタイによる福音書 13章18-23節


イエスの復活後・・・
弟子たちは、福音宣教に出かけました。
大勢の人が話を聞いてくれたのですが、本当に信仰を希望する人は少なく、
迫害まで経験をしました。
そんな時、
弟子たちは、生前のイエスの『播いた種』の『たとえ話』 を思い出しました。
信仰に興味を持たない人 十字架につまずく人 信仰生活は辛いだろうと思う人
更には 人からの迫害を畏れる人 それでも 信仰にはいる人 等々。
いろいろの人たちです。との、イエスの『たとえ話』を思い出したことでしょう。 
イエスの『たとえ話』に元気づけられたことでしょう。


  イエス様の活動も、弟子たちの活動も、同じなのです。
  無駄になる種も多いのですが、
   良い土地に落ちた種は、どんどん増えて、100倍もの実を結ぶのです。
  信じない人も多いのですが、
   信じる人において、神の働きはすばらしい結果をもたらすのです。   


  イエスの『たとえ話』は、神の働きに無駄はない、必ず成功する、と教えます。
  弟子たちは、『たとえ話』を思い出すと、勇気と希望を見出し、
  福音宣教を続けることが出来たことでしょう。


私たちも、
何事でも、
今は芽が見えなくても、
神の隠れた働きの結果を信じて、
芽が出てくる時を信じることができるといいですね。
祈りましょう。      


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人は幸い。』
       ルカによる福音書 8章15節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
オリンピック選手の皆様は、その青春の多くの日々を厳しい練習についやされたことでしょう。
大会中が天候に恵まれ、鍛えあげた持てるすべての力を出せることをお祈り申し上げます。

1964年と2021年の『東京オリンピック』 そして 『聖マグダラのマリア 祝日』・・・『イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」』

2021-07-22 14:36:31 | スポーツ・ランニング・自転車・水泳・ゴルフ・散歩・・・
7月22日。木曜日。晴。

今日も又、
社会では、ソーシャルディスタンスを保つ日々が続きます。
オリンピックでは、無観客のフィールドでの試合が続きます。


 
       自宅で・・・  『オリンピック観戦』

思い出すのは・・・

    前回の『第18回オリンピック 東京大会 1964年10月25日~15日間』
                             57年前。昭和39年。

         『裸足のマラソンランナー・アベベ』 
       
   都心の町を走り抜けるアベベを、一目見ようとする沿道の大声援の大観客。
       若い私も、人垣をかき分けながら、一目見ました♡♡
   アベベと大観客が一体となった『あの時』が懐かしい。すばらしかった。

        
はだしの選手アベベ氏は、マラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、2個の金メダルを獲得しました。
      日本でのアベベ選手の記録は『2時間12分11.2秒』

アベベ氏は、アフリカの青年たちにも、私たち世界中の若者にも、勇気と希望を与えてくれたのでした。
アベベ選手の地道な努力の勇姿が、私のアスリート魂に火をつけてくれ、私の人生の方向性を決めたのでした。
私は、目の前に見たアベベ氏の勇姿に力と勇気をいただき、それ以来、Myアスリート人生が始まったのです。
        アベベ氏にそしてオリンピックに感謝!感謝!
    

そして。

今日は7月22日。年間第十六木曜日。

       『聖マグダラのマリア 祝日』
     
       マグダラのマリアへの崇敬は、
       特に十二世紀から西方教会に広まった。


 今日は、『信仰の模範』のマグダラのマリアの人生を考察いたしましょう。
 よろしくお願い致します


  マリアの人生の前半。

    エルサレムの裕福な家に生まれ、幼くして両親を失い、
  兄のラザロと姉のマルタといっしょに暮らしていたといわれる。
  
   『イエスと姉マルタとマリア』  
       イエスはラザロとマルタとマリアの家を時々訪問なさったようです。

    自由奔放な生活をし、やがて7つの悪霊につかれて苦しむ。
     そのときに、イエスと出会い、悪霊からも解放され、
        真の愛を知って回心する。
 
       『悔悛するマグダラのマリア』      エル・グレコ作品

  マリアの人生の後半。

          徹底して信仰の道を歩んだ。

   キリストに従う人たちの一人となり、 
     キリストが十字架上で亡くなられたときにそばに立ち、
      
        『十字架の下の
      母マリアとマグダラのマリアと使徒ヨハネ』


   三日目の朝早く、        
        復活したイエスに最初に出会った。
   
               マルコによる福音書  16章9節

     マリアは他の弟子たちにイエスの復活を告げた。

  その後は、
  使徒たちの宣教活動を助けて、兄ラザロとともに南フランスに流され、
  隠遁生活のうちに生涯を送ったといわれる。
    『毎日の読書』より


『今日の集会祈願』

   『わたしの父である神よ、
 マグダラの聖マリアは、復活の喜びを伝える最初の人となる恵みを受けました。
 彼女の祈りと模範にささえられて、私たちも復活されたキリストを宣べ伝え、
   その栄光を仰ぎ見ることができますように。』




『今日の福音 イエスの御言葉』

   『週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。
        そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
  そこで、
  シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ
         走って行って彼らに告げた。

 「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

       マリアは墓の外に立って泣いていた。
       泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
   イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。
  
      一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。

     天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、
         マリアは言った。
      「わたしの主が取り去られました。
      どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」


      こう言いながら後ろを振り向くと、
      イエスの立っておられるのが見えた。
   
    しかし、それがイエスだとは分からなかった。

        イエスは言われた。
   「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」
        マリアは、園丁だと思って言った。
       「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
         どこに置いたのか教えてください。
         わたしが、あの方を引き取ります。」


      イエスが、「マリア」と言われると、
    彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。
         「先生」という意味である。

        イエスは言われた。
 
  「わたしにすがりつくのはよしなさい。 まだ父のもとへ上っていないのだから。

    わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。
     『わたしの父であり、あなたがたの父である方、
また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』
と。」

      マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、
       「わたしは主を見ました」と告げ、
      また、主から言われたことを伝えた。』
       ヨハネによる福音書 20章1-2&11-18節


   イエスの受難の三日目の朝の出来事です。

   マグダラのマリアは、誰よりも早く、一人で、イエスの墓に行きました。
    イエスの復活は分からないので、イエスの体を探しに行ったのです。
    墓が空なのを見て、マリアはイエスの体が盗まれた、と考えたのです。
   そこで、大急ぎで、弟子たちにそれを知らせに行きました。

   又、再び、イエスの墓に戻ったマリアは、『復活したイエス』に出会うのです。
    マリアは、いつも、真剣に、イエス様を捜し求めるのです。
    イエスは、そんなマリアを、個人的に、信仰へと導かれるのです。


   『信仰』が出来るためには、イエスとの個人的な『出会い』が必要なのです。
 イエスを『生きておられる方』として迎え入れないかぎり、『本当の信仰』は出来ないのです。


   
   マリアは、天使たちの『イエスの復活のメッセージ』を聞いても、理解できません。
    イエスの姿を見ても、庭師に間違えて、イエスを認識できませんでした。


    マリアは、イエスから『名前』を呼ばれた時に、初めてイエスだと解りました。
     マリアは、自分がイエス様に呼ばれていることを、認めたのです。
       マリアに『信仰』が生まれた瞬間でした。


 マリアも弟子たちも、これからは、イエスを目で見ることも、触ることも、できないのです。
    生前のイエスの姿にすがりつくなら、
      イエスが、御父の所に戻って、『聖霊』を派遣できないのです。
      誰も、聖霊の導きがなければ、『福音』は伝えられないのです。



     イエスは、復活後は、『新しい方法』で、すべての人と共におられるのです。
     イエスは、聖霊をとおして、私たちと一緒におられ、導いてくださるのです。



私たちも、
イエスがマリアに呼びかけられたように、
一人一人の名前で、イエスに呼ばれているのです。
イエスは、聖霊を通して、一人一人を導いていてくださるのです。
そのイエスの呼びかけに応えることができるといいですね。
祈りましょう。

『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
 『キリストは復活された。勝利の王、キリストよ、あふれるいつくしみをわたしたちに。』
                       アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
ご訪問に感謝致します。
アベベ氏もマグダラの聖マリアもいぶし銀のように輝く先人たちです。輝く光は、回りを明るくしますね。
私たちも、自分の場所で輝いていましょう。 お元気で!