渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

映画 『バブルへGO!!』

2013年10月31日 | 映画・ドラマ



映画『バブルへGO!!』を観た。
さらりと観たことはあったが、本腰を入れて観た。
かなり面白かった。
ただ、時代考証的には多少1年ほどずれている部分もあった。
六本木のシーンでは1990年初春当時のオープンセットを
作って撮影しているのが圧巻だ。なかなかやる。「くぅ~、効くねぇ」
というやつだ。

映画撮影時の2007年現在も残っていた六本木スクエアビルなどは
そのままビル一棟を借り切って撮影された。う~ん、バブリ~(笑
当時はほぼ全階がデスコだったよ、デスコ(笑
当時は六本木でもおいらも確かによく飲んだ。

私もバブル入社組(会社ではないが社会人になったという意味で)
世代なので、非常に懐かしく映画を観れた。

作品中、CGではなくロケで使われたビルがあった。
2007年から1990年に日本を救うため(というより母である薬師丸
ひろ子を救出する
ため)タイムスリップした広末涼子が、娘とは知ら
ない大蔵省
官僚でプレーボーイの阿部寛にナンパされて自宅に連れ
込まれる
シーンだ。
そこで、バブリーな生活を送る阿部ちゃんは、都心の一等地のビルの
最上階のテラスハウス形式のガラス張りのとてもお洒落な
住宅に
住んでいる。

(映画のシーンをキャプチャリング)


このタクシーは1990年当時の型式を描き込んだCGだが、風景は
2007年時点でのロケである。


映画のシーンから。










映画の映像情報から、このロケ地を私は特定した。
決め手は、広末が深々と腰掛けたソファの背景にある夜の首都高の
道路標識だ。
二股に分岐しており、左が「北池袋 銀座」となっている。
首都高環状線及び枝線でこのような地点は地図を俯瞰すると数ヶ所
ある。
ただし、カーブの形状等からアタリをつけたら2発目で的中した。

ここである。




俺、こういうの得意(笑
しかし、こんなことは簡単だ。映像に情報がてんこもりだから、場所の
特定などすぐにできる。
問題は、首都高環状線を挟んだ向かい側のどのビルの何階のどの
部屋からこのビル最上部の部屋を撮影したのか、ということだ。
この特定は難しい。スナイパーの狙撃ポイントを探すのに似ている。




地面としての場所自体の特定は結構簡単なのだ。x y の座標だけ
だから。そこに z が入るといきなり難易度が急上昇する。
地面たる土地の場所特定はそう難しくはない。

以前、西早稲田に住んでいた頃、近所は犬の散歩仲間が多かった。
向かいの住宅の歯医者さんも仲良い犬仲間で、あるとき犬の本を
貸してくれた。
そこには、犬との生活を綴った物語が書かれていた。
その中で「散歩コース」がイラストで描かれていた。
地名の固有名詞や場所を特定する名称は一切出てこない。
だが、私は場所を特定して、自分ちのワンコを連れてドライブ
がてらその家を見に行ってしまった。
「先週見てきましたよ。この本のワンちゃんもいた」と歯医者さんに
言ったら「え?場所とか書いてありました?」と不思議そうにしていた。
道路と信号とカーブが描かれていたら、大抵特定できてしまう。
武道の見取り稽古のようなものだ。いや、特殊軍事訓練所での「キムの
ゲーム」のようなものか。


また別な1990年代初期のある時、別な犬仲間と当時人気だった
『80番地の犬』というマンガの話題になった。
心温まる犬マンガなのだが、その中で主人公(著者がモデル)の
家の周辺を描いているシーンが出てきた。
家を探し当てて、車でドライブがてらワンコを連れて行ってしまった。
場所は横浜市内だった。


別にストーカー(という言葉は当時はなかった)行為でもなんでもなく、
単なるオリエンテーリングのようなものだ。
現代風に言うと「聖地巡礼」というやつか。

これも、描かれた道の曲がり具合や風景から場所はそう時間をかけずに
特定できる。認知と識別能力がある人間ならば誰でも簡単にできる。


こうしたことは特殊能力ではなくて、注意深く観察して「視たり」「聴いたり」
の情報を整理して繋げていけば特定に至るのである。
よく最近はギターなどで「タブ譜は?」とか「コード教えて」とか言うギター
弾きが時々いるが、音という情報があるのだから、耳でコピーしなよ、
とか思ってしまう。昔はみんな耳コピだよ(笑
多分私の場所特定力も、さして何でもない「昔の人」が普通に持っていた
一つの
能力なのだと思う。そう作業に時間はかからない。
動物には不思議な帰巣本能という能力があって、渡り鳥や鮭や鱒や鰻が
どうして方位を知覚して目指す場所に帰れるのか解明されていないでしょ?
本来は人間も彼らと同じような方位特定能力があったのだと思う。
そして警戒心についても、ネコ科の動物のようなものがあったのでは
なかろうか。
人に対しては、蘇らせよ!野性を!という感じが私はすごくする。
スギちゃんのようなネタ系のインチキワイルドではなく、本物のワイルドを。

ビリ玉仲間の友人に「異様に何年何月のいつ頃に何があったという
のを覚えてますよね」と言われたことがあるが、これも情報を整理して
記憶の抽斗に入れておくだけのことだ。
ただし、自分の中で必要な事項とそうでない事項は無意識のうちに
仕分けできているので、カレンダーの日付通りにすべてを記憶している
訳ではもちろんない。


この場所特定の方式で、フレデリック・フォーサイスの小説『戦争の犬たち』
で出てきた
襲撃国の「ザンガーロ」の地形および上陸地点から襲撃地点
までの
地形を自分で描いた白地図に引き直したことがある。
こうした「方位性の知覚」という能力の訓練は、ある状況においてはとても
必要になることがある。特にサーバイヴが絡むときには(笑
小説の中に出てきた上陸襲撃地点の地形から、これは「赤道ギニア」の
首都マラボをモデルにしていたことは容易に理解できた。


別な映画の『ハスラー』においては、出てくるビリヤード場6ヶ所について
すべて台と室内の配置を把握した。
『ハスラー』においては、「エイムス」と最初の店以外はすべてセットで
撮影したと思われる。シーンのカットによって室内設備の位置関係に
整合性がないことが
認められるからだ。

今でも、外食などで店に入ると、店内の配置と人の位置、人が何をして
どういう状態でいるかを瞬時に把握する。

ホテルなどでも非常階段や施設の廊下などの経路をまず把握する。
こうしたことはもう癖になってしまっている。
これらは映画ロケ地当ての趣味などとは違って、サ~バイヴのための
生活習慣になってしまっているようだ。
「脱出経路確認!」みたいな(苦笑

それと、私は鉄道のホームでは絶対に最前列には並ばない。
最近でこそ地下鉄などは自動開閉の安全柵が設けられるようになったが、
それでも最前列には並ばずに、さらに周囲と背後に注意を払っている。
一番前に立っていて、ポンと押されたらアウトだからね。
通勤経路でさえ毎日同じ経路や同じ乗車口には乗らなかった。
身に染みついた習慣だが、「習慣化」こそが落とし穴なので、常に
ランダムにローテーションしつつ緊張は崩さなかった。
僻地での大敵は自然環境そのものだが、都会では人の海があるから、
その海に紛れての動きを察知できないことが一番危険だからね(笑
日本は海外に比べて安全すぎるが、そこに落とし穴がある。
「危険」がどこに潜んでいるかの弁別がすぐにつきにくいからだ。
平和であるからこそ、認知において危険度が紛争危険地帯よりも高く
なるという視点を持っていないと、簡単に「不慮の事故」でポンと死んで
しまうことになりかねない。
平和ボケという言葉は誤認誤用されていることが多いが、まさに、日常的
な危険の回避に対してこの国内で無頓着になっている現実こそが、「識別
力の低下」という点において平和ボケなのだと私は確信している。


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食事 ~晩御飯~

2013年10月31日 | 一般



昨夜は徹夜仕事で事務所泊りで仕事を片付けたので夕食は抜きだった。
この画像は何日か前の家での夕食である。(この家で漬けた5年物の
ラッキョウはかなりイケるのよ、いやマジで)
撮影し忘れたが、うちではこれに必ず椀物が付く。


普段はこんな感じの食事だ。
一膳飯屋の
定食屋か病院食のようだが、日常的に油物や肉はあまり食さない。
コッテコテのおフランスやロシア風やスペイン料理のようなのも家ではほとんど
食べない。
料理教室に通ったような奥様は、まるでレストランのような食事を毎回作られる
方もいらっしゃるようだが、私はそういのは多分耐えられない。
やはり白米とおみおつけとお新香が欲しくなる。
おかずは圧倒的に魚と野菜が多い。
塩での焼き魚が一番(結構難しいっすよ)だが、煮付や照り焼きも多い。
魚の煮付はかなり研究したのか、家内はかなり良い味を出してくれるように
なった。
(うちは食事の料理には一切白砂糖を使わない。日本料理の基本だと思う)

普段はこの画像のような簡素な食事をしている。

ただ、米はかなりこだわった物を買い求めて食している。広島の米ではない。
本家実家では母は市内の農家の友人の方から販売してもらった米を
精米して食しているようだが、実のところ三原の米はあまり美味くない。
どうしても西国の米は新潟や宮城などの米とは味が一段も二段も落ちる
ように思える。寒い国の米のほうが美味い。
美味いものは美味いし、美味くないものは美味くない。
地元贔屓で美味くないものを美味いと言うつもりは、私は一切ない。
「手前・身内・地元・自国自慢」というのが一番私の嫌いな感性だ。
凛とした矜持や誇りと、「なにがなんでも自分らが良」としたい村意識の感性は
まったく別次元にあるものだ。
私は、自分の家族自慢や身内自慢を人に対してするのは「恥ずかしいこと」で
あると思っている。
自慢ではなく客観的に評価して、好き嫌いの好みを述べることと「親バカ」は
まるで異なる。親バカ、身内贔屓ほど見苦しいものはない。

最近気に入っているのはこれ。


キュウリのタタキだそうだ。
キュウリを切るのではなく、包丁の平で叩いて潰し、特製のポン酢に似た
酸醤油(ちょい辛みあり)でまぶすようだ。

これがかなりサッパリして美味い。
ただし、キュウリは生もので出来不出来によって味がかなり異なるため、
1本ごとに味が大分異なる。それは織り込み済み
で食さないとならない。
このキュウリのタタキは最近出るようになったので、「美味い料理考えたね」
と妻に言ったら、「テレビで見たからやってみただけ」とのことだ。なるほど。


大根おろしも、おろし方ひとつで大きく味が変わるし、料理って面白いねえ。

広島県の剣道連盟居合道部にはかつて本職の料理人だった
高段者の先生がいらっしゃる。お顔もハンサムな男前だが、
来歴がなんだか江戸期の英信流宗家(土佐藩山内家藩主の
料理人の武士)のようでカコイイぞ。
そういえば、私の師匠の兄弟子の大師匠(範士、故人)も、佐賀県
唐津の呼子で旅館の板前で総料理長だった。
マンガ『包丁人味平』の父親はその大師匠がモデルなんだ。
サッと鯛をさばいて、頭と尾と骨だけの鯛が泳ぐんだよ。
嘘みたいなホントの話。
九州の古い居合人は知ってるよ~(^^)

ただ、大師匠は、包丁でそのような手さばきを見せたことにより「包丁人が
大道芸か」と大分非難されたらしい。
ご本人は「あくまで手慰み。魚の生命力の凄さを見せたまで」とのことだったが、
どの世界でも非難を旨としたがる人はいつの時代にもいるらしい。
一度大師匠は川崎の道場に佐賀から稽古をつけにいらしてくれたことがあった。
私も個人レッスンを受けた。
その日、道場では試し切りを門下生が行なっていた。
私も大師匠に私の二代目康宏での試斬をお願いした。固辞されたが、何度か
懇請してようやく一刀のみ切ってもらった。
大師匠が一閃した時、道場の皆が静まった。私も「えっ?」と思った。
我々のような者が振る刀の振りではなく、とてもしなやかに軽くスッと刀を振った
だけのように見えたからだ。2巻本巻畳表の切断面は一糸の乱れもなかった。
大師匠は「この刀はよう切れる。私が切ったことは、言うなよ」と言ってニヤリと
した。
何だか切り方が我々と根本的に違った。
その時、さすが元包丁人の板長、和の料理と居合を極めた者は手筋が違うのかと
思ったが、どんな業種業界でも「達人」というのは巷間溢れる手わざとは異なる
手筋をさりげなくやってのけるようだ。たった一刀だったが感じ入るものがあった。
私の餃子のような肉厚の康宏であのように薄刃物刀身のように切ることができる
というのは、明らかに技の違いだ。
大師匠が手掛けた料理を是非とも食べてみたかったが、もうすでに包丁人は
引退されていたので、その夢は叶わなかった。


料理は、なにも高級な料理を食することのみが食を楽しむことではない。
たったキュウリ1本からでも楽しみ方はある。
「胃に入れば何でも一緒」という感覚だと、「違い」が解らないことに
なってしまうし、ほんの少しの工夫で豊かになれるのに、それを
あえて捨ててしまうのは、けだしもったいない気がする。
箸置きひとつ変えるだけでも、なんだか心が安らいだりもすると私は思う。
豊かさとは、案外、素朴な中にこそあるのかもしれない。


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実名出しの捏造記事

2013年10月31日 | 内的独白

ブログだからと何を書いても赦されるということは決してない。

現在もタイムリーに長船刀剣博物館内工房にて活躍中の金工師の
実名を出して「現在行方不明」「刀剣界から不良人物が淘汰され」
「(自分のブログが)役に立てて幸い」などと例の揶揄中傷と名誉毀損
でしか文章を書けない件の人物は
書いている。しかも2011年の記事
に2013年10月
4日に追記してわざわざそれを書いている。
かなり悪質である。
事実としては、その悪質ブログで攻撃対象にされた金工師は昨日も
長船刀剣博物館のマスコットである猫を抱いた画像をネット上に
アップしており、真実は所在不明ではなく健在である。
件の悪質ブログ運営者は、自分がブログ上で行なっている名誉毀損が
あたかも正義の言論であるかのように確信している。自分が為している
行為は明らかな犯罪行為であるのに。(「犯罪的」ではなく「犯罪」)

失礼を通り越して、情報を捏造してフレームアップして冤罪を造り出す
というのはこういう手口なのだなぁと改めて感じる。
賢明な読者の方々は読めば判断がつくでしょうが、詐欺のような手口の
ブログ文章を書いて人心を惑わす悪質な者には御注意ください。

ツイッターとかやらない(というか情報収集力が皆無=脳内の決めつけ
ですべて判断している)から、攻撃対象が現況どの状態にあるかも
正確に把握できないんだろうなぁ・・・。SNSをやらずとも、PCでリサーチ
すればすぐに分かるのに、自分中心でしか物事を判断できないから
情報処理が正確にできないのだろう。
まあ、そうした平和ボケだから、のうのうと他者の個人攻撃と名誉毀損
をしても平気でいられる神経なのだろうが、犯罪が犯罪であるという
認識が欠落するのは、いかにも社会規範に外れた者らしい。
曰く、軍刀研究者のことは「さかりのついたホモ」だから「気持ち悪い」の
だそうだし(苦笑
URLを掲載しての特定記載だから、単なる口汚い論いの粋を逸脱している。

そろそろ、その無法者には法的アクションで社会的制裁が必要かも。
ただし、「心神耗弱状態」もしくは「精神鑑定により健常に非ず」として裁け
ない可能性もある。


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トクサと刀鍛冶

2013年10月30日 | 日本刀

不思議な形をした植物。
さて、これは何でしょう?
これは「トクサ」です。
私が通ってた高校の向いにある小石川植物園で棲息していたトクサの
ようです。

江戸時代には療養所があった場所です。
小説やドラマでは赤ひげ先生が
いたところですね。

トクサとは呼び名の如く、砥石の代わりになる草です。
1980年頃までは天然砥石しかなく、人口砥石が普及したのは、日本
でも
80年代中期以降でした。
それまではこのトクサも磨き用の砥石代わりに使われていました。
特に日本刀の刀装具の鞘の磨きなどにはこれが欠かせません。
サンドペーパーで白鞘を削ると、どうしても細かい削り粉が残存します
ので、刀身に対して良い影響は与えません。鉋や鑿の刃物のみで削り
込んでつるつるにするのが本職鞘師の手筋です。そして、仕上げ研磨
には適切に加工したトクサを用います。




熊本の刀匠故谷川松吉氏(刀工銘 源盛吉)のお宅に
御子息の博光さん(刀工銘 延寿宣次)を尋ねてお邪魔
した時、庭先にトクサが植えられていました。
私が気付くと、盛吉刀匠の奥様が「よくご存じですね」と
ほっこりと笑顔を向けられたのが印象に残っています。
私が勤める職場の弁護士が谷川盛吉刀匠と年の離れた
イトコだったこともあり、私が無類の日本刀好きだということを
その職場の人間が知って知遇を得ての同行訪問でした。
(さらなる偶然は、その職場の弁護士は東大生の時に私と深い
接点があった)
偶然とは恐ろしいもので、さらには、私の家内の実家が熊本の
谷川刀匠のごく近所だったことも訪問のきっかけとなりました。
御近所では刀鍛冶だとは知られておらず、「研ぎ屋さん」だと
思っていたそうです。博光刀匠の弟さんは日本刀研ぎ師です。
「谷川さんが研いだ鎌はよく切れる」と評判だったそうですが、
日本刀研ぎ師だから、刀鍛冶だからと構えて人を見下すことを
せず、近所の
農家の方々とも隔てなくおつきあいされていた
ご家庭のようでした。


訪問した時にはあいにく延寿宣次刀匠は不在だったのですが、
故谷川盛吉刀匠の自家製鉄の様子を記録した映像や古い
作品を多く見せてもらいました。
また、鍛冶場を見学させてもらったのも大変勉強になりました。
谷川刀匠は沸かし用には「密封炉」を使っていました。
横座部分は深く地面を掘り下げて腰まで入る形式の仕事場に
設えてありました。
焼き入れ用の炉はオープン炉で、沸かしと焼き入れの炉の
形式を変えているのは小林康宏も同じで、いろいろ考えさせ
られるものがありました。
そして、とても印象に残ったのが、故盛吉刀匠の奥様も、ご子息の
宣次刀匠の奥様も、とてもよく御主人たちの仕事の中身を知って
いらっしゃることでした。刀工のように詳しく知っています。

1991年頃の
東京都のアマチュア映像コンクールの入選作品の
名作に『多摩の絆』
という自主製作映画があります。
その作品は刀工高野政賢(まさかた)と
奥様の貴子さんの夫婦相伴
の刀鍛冶のドラマをドキュメンタリー
で描いたものでした。
胸がしめつけられるような感動を呼ぶ名作自主映画なのですが、
その
作品では向う鎚を取る刀匠政賢師の奥様が実に素晴らしい。
そして、もう目が見えなくなりそうな政賢刀匠が、意を決した入念の
作に初めて「相鎚 貴子」と銘を切るシーンがあります。
これは、きっと奥様には知らせていなかったのでしょう。
鏨で長銘を切り始め、「相鎚 貴子」と切り進めたその時、ナカゴを
支える奥様の目から涙が静かに頬をつたいます。

山本兼一氏が書いた小説『いっしん虎徹』の中に出てくる虎徹の
妻の「ゆき」は、政賢刀匠の奥様の貴子さんがモデルではなかろうか
とさえ思えるシーンでした。山本兼一さんはこの映画を観たことが
あるのかも知れません。
そして、熊本の盛吉刀匠の奥様も、その子息の宣次の夫人である
若奥様も、『いっしん虎徹』のゆきさんや政賢刀匠の奥様の貴子さんに
重なる印象が強かった。今思うと。
「鍛冶屋の女房」というのは、本当に御主人を理解して、御主人の仕事を
理解して、とことん相伴する覚悟なのだなぁと感じ入るものがありました。
夫婦というものの理想のように私には思えました。

ただ、惜しむらくは、鍛冶屋という仕事は、とても体力的にも過酷で、そして
視力喪失の職業病がいつもつきまといます。肺が真黒になるので、
肺病になって亡くなる方も多いようです。
「鍛冶屋の鼻黒」、「鍛冶屋の貧乏」と大昔から呼ばれてきたのが鍛冶職
です。フイゴ祭りの時などは「鍛冶屋の貧乏!」と子どもたちが囃したて、
鍛冶屋がミカンを投げて子どもを退散させる、という約束事の風習が残って
いる地方もあります。
広島県三原市では、城の近所の刀鍛冶の井戸付近に限って奇祭が残って
おり、それは子どもたちが「鬼の豆ちょうだい」と叫びながら各戸の扉を
叩いて巡回する祭りです。そして家家の人たちは子どもにお菓子をあげて
他の家へ移動させます。
子どもたちが口々に唱えるのは備後三原弁で「お~にのまーめつーかぁしゃ~。
くーれんうちはし~んしゅ」というものです。
標準語に直すと、「鬼の豆くださいな。くれない家は真宗」というものです。
備後地区は古くから大和の行政政策により大和管領ともよべる荘園が
存在しました。この大和寺院勢力の影響により、備後地区では古くから
真言宗が勢力を持ちました。天台宗や真言宗などの密教は鎌倉仏教の
ような「新興」宗教ではなく、遣隋使によって初めて日本にもたらされた
古仏教がルーツです。蘇我氏との絡みで、天皇家までが仏教に帰依した
程に国内で勢力を持ち、上宮王(かみつみやおう。別名厩戸皇子。後年
聖徳太子と呼ばれる)も仏教保護の観点から寺院を奈良に建立し、仏教
推進政策に積極的でした。
大和勢力の影響が強かった備後地区では、尾道を中心に大和派の
鍛冶職たちが移住して技術をもたらし、刀剣においても大和派の作刀伝法
が備後の刀剣に強い影響を残したとされています(異説あり)。
そのため、三原の町中のごく一部では「豆をくれなければ(=中央勢力
にひれ伏さなければ)、おまえの家は異教徒の新興浄土真宗であり、
大逆のふるまいだ」という意を含めての煽りたて言葉として子どもたちの
囃しが残されて来たものだと私は民俗学的ともいえる見地から推察して
います。
さらに、このことは「鉄と古代王権」と密接な関係にもある事象の残滓で、
私は、これは「フイゴ祭り」と何らかの深い関係がある風習ではないかと

思っています。
そもそも「豆まき」の豆は小型製鉄で出来た玉小粒の鉄で、
「フクはうち」
の「フク」とは「真鉄(まがね)吹く」の「フク」ではないかと
私は推察しています。
つまり、産鉄を掌握した中央王権に恭順するかしないかの突きつけとして
古代には「踏み絵」のように採り行われた行事ではなかったか、という問題
意識が私の中にはあります。注連縄や粽(ちまき。=血巻き)などもこれに
関連してきます。(参考『鬼の日本史』沢史生)

さて、鍛冶職で大金持ちになった人も、人一倍健康だった人も古今東西
おりません。
たまに長命な鍛冶もいるにはいますが、極めて希有です。

辛く苦しい仕事ですが、それでも鍛冶職は職方としての矜持を失わずに
鍛冶を続けます。刀鍛冶とて、これはまったく一緒です。
ただ、健康を害する比率がとても高い。
熊本の谷川盛吉刀匠は50代で亡くなってしまいましたが、長男の博光
刀匠
(延寿宣次)も残念ながら父上の後を追うように若くして病に倒れ
鬼籍に入られてしまいました。


現在、日本国内には刀鍛冶が300名前後いらっしゃいます。
どなたもお体だけは大切になさって、辛いことも多々あるでしょうが、
どうか、ほんの一日でも長く
そのご自身の入魂の作品と共にこの世に
在り続けてほしいと、私は心から
願っています。
炉で輝きを放つ炎にはすべてを清める清浄な魂が宿っています。
いつまでも、その炎のように。


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ネイキッドのバイク

2013年10月30日 | バイク・車



カウルのないネイキッドもいいなと最近思ってきた。

バイクについて「風を感じるから良い」などと言う人がいるが、それは
バイクの素人。たぶん、風圧による風を言っているのだろう。

だが、風圧なんてのはバイクにとっては障壁以外の何物でもない。
エアロカウルのフェアリングはあるに超したことはない。
バイクは走行に際して、たとえ30km/hだろうともシールドがなければ
裸眼のままでは走行に支障をきたす。塵芥や虫が眼球に飛び込んで
くるし、ヘルメットのシールド無しでは正確な運転さえままならないことは
バイクに乗る人間は知っている。アメリカンタイプでさえ、ゴーグルを
着用したほうがよい。
そして、カウルとスクリーンがあるほうが操安性の面からはさらによい。
カウルは空力のエアロパーツという意味以上のものがある。
一般道の安全領域の速度だろうが、レーシングエリアだろうが、カウルは
あったほうがバイク本来の特性を引き出せるし、安全
でもあるのだ。
バイクの動力特性の純化に近づくエクステリアのセットアップは、基本的に
安全性
も増すことに繋がるからである。
工業デザイナーのハンスムートがデザインしたスズキ刀(KATANA)が
発表されたのは今を去ること33年前の1980年だ。当時ドイツのケルンの
ショーで発表された時には「ケルンの衝撃」と呼ばれた未来的で斬新な
デザインだった。
それのマシンには、カウリングのスクリーンとも呼べない程のほんの小さな
バイザーが装着されていたが、単なるデザイン上の見てくれではなく、
実用性はかなりの効果があった。角度についても相当開発したことだろう。



これ以降、このマシンを超えるために、ライバル各社では本格的な
レーシングマシンに近いフルカウルが市販ロードマシンに設定されて
いく。
このムートのデザインは、21世紀を13年も過ぎた現在でも
古さを感じさせない。むしろフルカウルが廃れつつある現在、
KTMにしろ他のメーカーにしろ、このカタナに近づいたような
デザインとなってきている。

バイクは軽快性こそが命であり、「走る、曲がる、止まる」ことが
高次元で実現できなければならない。それが実現できてはじめて
安全マージンが担保される。

風などは感じないセットアップのほうがよいのである。
「バイクにのって風になりたい」とか言ってる奴が時々いるが、
そういうのに限って風ではなく土になる。
地球の呼吸である風は、バイクから下りて大地に佇んで感じ取る
ものだ。


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世界一の達人のミス ~オンボードカメラ~ ケニー・ロバーツ

2013年10月30日 | バイク・車



KENNY ROBERTS ONBOARD CAMERA: by ONBOARDCAMERA.IT


神に最も近い人間でも何度かミスをするということを知った。
どんなにバレンティーノ・ロッシが何度も世界チャンピオンを獲得
しようとも、私はケニー・ロバーツこそが今でも世界一の
王者で
神に最も近かった領域を走っていた人間だと思う。


ケニー・ロバーツの世界最速GP500マシンでのオンボード・カメラは
彼が何度かシフトミスをする様子を捉えている。
すぐにクラッチを切って対応しているが、やはり反応は0.3秒くらい
かかっている。
1983年のGP500世界戦におけるケニー・ロバーツとフレディ・スペンサーは
1977年GP350世界チャンピオンの片山敬済をして「彼らのみが神に近い
領域を走っている」と言わしめた。
1983年の最高峰GP500の世界選の全戦で、優勝したのはケニーか
フレディしかいなかった。


この動画は、神に最も近かったケニーも人の子であることを記録した
貴重な映像である。

伝説の1983年の世界戦はケニーとフレディだけが戦っていた感があった。
タイムリーに全戦を固唾を飲んで観ていたが、ヤマハとホンダのこの二人の
戦いはクール(カッコイイではなく冷静という意味で)な印象を受けた。
その約数年~10年後のケニーの弟子のウェイン・レイニーとスズキの
ケヴィン・シュワンツとのバトルは83年のケニーvsフレディよりもかなり
熱かった。最終ラップまで終始バトルを繰り返しながらの戦いが展開された。
83年のケニーvsフレディの戦いでは、観客はまるで讃美歌を聴くように
厳粛な気持ちになったが、その後のレイニーvsシュワンツの戦いでは、
身を乗り出さずにはおれないホットな戦いが何度も繰り広げられたのである。
よくケニーとフレディはフレンドリーに名前で呼ばれ、レイニーとシュワンツは
少しフォーマルに苗字で呼ばれていたのとは対照的だった彼らのレースの
現象が面白い。


世界チャンプのレイニーはレース中の不慮の事故により下半身不随に
なってしまったが、あの雄姿は今でも目に焼き付いている。
それを追い続けて生きたチャレンジャーのケヴィン・シュワンツの闘志も
瞼に蘇る。

また、レイニーがアクシデントに遭った際に、真っ先に病院に駆けつけ、
「レイニーの命が助かるなら世界チャンピオンの座などいらない」と言って
号泣していたケヴィンの心も忘れることはできない。
ケヴィンはレイニーがWGPを去った年に世界チャンピオンになったが、
翌年以降は心の隙間を埋められなかったのか、まだ若いのにその後の
シーズン途中で潔く引退している。


彼らは真の勇者たちだと私は思う。

KevinSchwantz versus WayneRainey- Epic Battles


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夜食にカップ麺 ~どん兵衛 鴨だしそば~

2013年10月30日 | 内的独白

残業や受験勉強などでは夜食にカップ麺という方も多かろう。
カップ麺の日本そばは大抵は美味くないと相場が決まってる。
だが、しか~し!

これ、結構イケまっせ。
以前のそばどん兵衛とは全然違う。


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位置関係 ~紀伊半島鳥羽→南紀白浜~

2013年10月29日 | 外出・旅

私のこの日記を読んでくださる方は国内は北海道から沖縄まで、
海外はアメリカ合衆国や南アやオーストラリアにまで及んでいる。

先週の一族会合での小旅行で移動した三重県鳥羽市から
和歌山県の西牟婁郡白浜町(にしむろぐん しらはまちょう)の
通称南紀白浜までの位置関係をマップでお知らせしてみる。

実は私は和歌山県に滞在するのは生まれて初めてだ。
船舶で紀州沖を航行したことはあるが、陸地は初めてである。

(これにより、日本国内で未訪問の都道府県は沖縄県のみとなった)

三重県鳥羽市と和歌山県南紀白浜とはこの位置になる。


三重県鳥羽から南紀白浜への移動は赤線のルートで移動した。
一旦京都付近まで北上し、大阪まで戻ってから南下するルートだ。
全線ほぼ高速道なので、緑ルートの一般道よりも時間短縮になるという。
それでも400km近く車を走らせた。途中混雑もあり、時間にして約4時間半。


私がドライビングしたのは、これだった。ズギューンと快調だった。


でも、500Eに比べるとボディが重たいかな。

今回の法要を兼ねた二泊三日の小旅行で、駆け足だったが
感動したのは、奈良の斑鳩(いかるが)だった。
高校の修学旅行以来なんと36年ぶり(笑
私の中学の修学旅行は京都・奈良だったが、高校は2クラス
ごとの自由選択旅行だった。
高2の時に修学旅行するのだが、生徒の希望を募ったら京都・
奈良になった。
京都も奈良も観光会社を使わずに、自分たちで小班に別れて
公共交通機関と自分の足を使って歩く、というセッティングに
した。(誰だ、企画したの・・・俺も一味か・・・)
奈良での徒歩はかなり面白かった。歩きに歩いたが、良い
思い出となった。
高2当時担任だった教諭には高校時代一番影響を受けた。
「僕の講義などを受けるよりも鎌倉にでも行って海を見ていた
ほうがずっとためになる」
と授業で話すので、翌日即行で授業をサボって、都内文京区の
高校には行かずに横須賀線に乗って鎌倉の海を見に行った。
「まさか、本当に実行する生徒がいるとは思わなかった」
と後年先生は言っていたが、教師は発言に責任を持ちましょ~(笑

結局、実は学園祭で上映する映画のロケハンも兼ねての下見の
意味もあったのだったが、事実、自主製作映画のロケは湘南の海で
行なった。
赤坂清水谷公園から走りだした主人公が、赤坂の住宅街の
坂を夕陽に向かって下って駆け抜けると、そこは日が沈む
湘南の海辺だった、というシーンで材木座海岸を使った。
その映画は我が高の学園祭のみならず、「高校生が面白い物を
作る」と赤門の大学生の目にとまり、東大の五月祭で期間中上映
された。
我々に多大な影響を及ぼした高2の当時のその担任は、後に
我が高を離れ、都内で一番東大進学率が高い男子校に転勤した。
後に学年主任から副校長になったようだ。
1980年代末期の10年ぶりの私的同窓会では、その教諭を
呼んで、映画製作仲間で大宴会を催した。
なぜかクラスではその教師と同じ都の西北の大学に進学する者が
多かったが、ほとんどが中退している。
まあ、中退が多い大学だからね(笑
大学辞めて陶芸家になったり、カメラ片手にアジアを放浪して子ども
たちの写真を撮ったりとか、変わった奴が多かった。

それにしても、あの高校2年時の京都・奈良旅行は本気で楽しかった。
在籍中に担任教師の家にも何度も招かれて食事をごちそうになった。
当然(笑)というか、「いけるクチだろ?」と酒までご馳走になった。
今では考えられない時代だと思う。旧制高校のような気風だったの
かも知れない。
その1969年都の西北大学入学の担任の影響で、私が大学でブンブンに
なったのは間違いない。進学前からやること決めてたもんね(笑
大学は軒並み落ちたけど(笑
センセは確か東大入試が中止になったから都の西北に行ったのだ
と記憶している。ただあの大学の学風はいかにも先生とマッチしたようだ。
「浪人させてあげてくれ。必ず私の後輩にするから」とその教師は私が
3年次に担任でもないのに広島に住む私の母に連絡したが、家庭の事情で
浪人はできなかった。
その先生も広島県の出身だった。(私は東京目黒出身だが、高1の時に
両親は父方本家を継ぐために広島に移住していた。私は親とは同居せずに
一人都内の高校に通った)
小学校1年から高校まで、記憶に残る教師は多いが、私の「生徒時代」で
一番の影響を受けた教師が現代国語担当のその高2の担任教師だった。

高3の時の担任も大好きだった。気骨ある人で、やはり都の西北大学出身
だった。授業中に話す学生時代の麻雀の話は特に面白かった。古文を
担当している先生だったが、生徒をグッと引きつけてから本題の授業を
進める人で、生徒の学力はグングン上がった。きっと麻雀も強かった
ことだろう。
ただ、その高3の時の担任教師は、私が高校を卒業した翌年に、見知らぬ
小学生が海で溺れているのを助け、自分は沖に流されて死んでしまった。
小学生は幸い助かった。
安全地帯にいてただ見てるだけだった人間たちは、誰もその教師をなじる
資格はないと私は思う。
先生の冥福を心から祈る。


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美術刀剣の登録証記載内容

2013年10月29日 | 日本刀

美術刀剣(真剣日本刀)には登録証がついています。
美術刀剣は取得してから20日以内に名義変更届を
登録証記載の教育委員会に所定の書式で提出すれば
誰でも所有することができます。

ただし、当該美術刀剣と登録証の記載が異なる場合には
再登録もしくは登録記載事項変更手続きをしなければ
なりません。
登録証に記載されている内容と異なる寸法(長さ・反り・目釘穴
の数)の刀剣を所持している場合、それを知っていたならば
善意の第三者とはならず、取り締まり法令に抵触しますので
ご注意ください。
現代刀でも、目釘穴を増やしたり、磨り上げした場合には、
再登録手続きが必要になります(手数料別で凡そ7,000円程)。
再登録しないままの所持は法令違反ですので、美術刀剣は
適法に所持するよう心がけてください。
特に、登録時に「備後」と「備前」を読み間違えて登録してしまったり、
「三年」を「二年」と読み間違えて登録証を作ってしまったりの
登録審査委員の手違いによる記載ミスもあります。
この場合でも、記載事項変更手続き料金は発生します。
面倒くさいからと、そのまま美術刀剣を所有していて、移動中等で
警察官から職務質問を受けて、登録証と刀の現寸が異なっていたら
それだけで逮捕されることもあります。
重ね重ねご注意ください。

現代刀などは製作時のままならば登録証もそのままでOK。


磨り上げ加工や後銘切りをするには再登録が必要。
(磨り上げ前)



磨り上げをしたら、長さ・反り等が変わりますので、新たに
再登録をする必要があります。
後銘などを入れた場合も、再登録が必要となります。

(磨り上げ、後銘入れ、再登録後)



美術刀剣は合法的に楽しみましょう。
特に現行法制下では、日本刀は美術刀剣という「美術品」で
あるとはいえ、「銃砲刀剣類取締法」で規定されている刀剣
にあたります。
所持者は、美術品だからと普通の陶器書画骨董と同じとは
考えずに、所有管理に違法行為がないようにことさらに自戒
する必要があります。
美術品である美術刀剣が単なる美術品ではないことは、
すべての登録内容が警察にも通知されていることからも
明らかです。古い刀も発見をしたら、すぐに最寄りの警察署
に「発見届」を出さなければなりません。
こうした法規制は日本刀が単なる美術品ではないことを示
しています。
日本刀は古い時代の物でも元来が武器ですので、今もいつでも
武器にもなりうる物であることを所持者はわきまえて、一つも
違法行為がないようにすることが日本刀を保存し未来に残し
伝えて行くことからも大切でしょう。


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くろがねの色

2013年10月29日 | 日本刀

450年を過ぎた刀の中心(なかご)の錆色というのは、
なんともいえない味わいがある。
二字銘数打ちとてこのような黒紫の良い錆が着いている
ので、入念作などはさらに深い紫色の錆が着いていること
だろう。(刀は天文年間-1532~1555-の作)

本来は二つ目釘穴だが、数百年前に埋め鉄されたのか、
中心と同化し判別できないくらいになっている。精査すれば
下の控え穴の位置が見えるが、中心鉄と同化しているので
かろうじて「穴があったらしき痕跡」のみとなっている。
登録証は目釘穴一つとなっている。(昭和34年登録)


よく鍛えられた入念作では、江戸幕末あたりの作でも
よい色の錆が着いている。
手入れも入念に行われてきた結果もあるだろうが、
鉄が良いのか、変な錆が着いていない。
まさに「鉄(くろがね)」の色である。
(刀は嘉永二年-1849-の作)




ちなみに、被服において「真っ黒」という色は染料では現代でも
作ることができない。かつての日本の和服でも本当の意味で「黒」は
存在しなかった。濃い紫が肉眼では真っ黒に見えたので、黒色の生地
というのは紫を肉眼で紫と判別できないくらいに濃く染めたものだった。
現在でも太陽光線に透かせてみると、黒色の喪服なども真黒色ではない
ことが判るが、通常肉眼では判別はつかず、黒に見える。
現代においても、黒色は顔料は存在するが染料は存在しないのである。
すべて
紫色を濃く染めて黒のように見せている。
紫色の材料の貝類が希少だった時代には、紫が希少であるので、それを
濃くする黒色の被服も高貴な色とされた。
ただし、その希少で高貴な色は「黒」と呼ばれた。
江戸初期から武士が着用した「黒羽二重」なども色を「黒」と認識している。

現在最礼式の羽二重だが、夏などは絽や紗で仕立てた着物もお洒落だ。
先日、高知大会に一緒に行った尾道の指導の先生が絽の小袖紋付を
着ていた。スマートで粋な着こなしだった。
絽は風が通るときにラジエター効果で体温を下げるという実用性がある。
ストローハットなども同じ効果を狙ったものだ。
絽の着物がお洒落である被服デザイン上のひとつに、遠目にはそれと判らず、
近づくと絽だと判ることが挙げられるだろう。江戸小紋のような「粋」がある。

そういえば、今プロ野球では日本シリーズが開催されている。
読売巨人軍のビジターユニフォームは灰色なのだが、アップになると
ストライプであることが判る。遠目には灰色一色だ。
これはなかなか粋で洒落ている。江戸の気風を東京読売ジャイアンツが
体現しているところがなかなか面白いと思った。昔の広島のビジター
ユニフォームにも同じようなストライプがあったけど。
「どうだ、これを見たか!覚えたか!」という六方者のようなのは、実は
全然粋ではないし、サッパリとした小粋さを好んだ江戸人のスマートな
センスとは合わない。
刀もそのような気がする。
大阪新刀のような華麗な作よりも、シンプルでスラリとしたセンスの武を
感じさせる作風が江戸では好まれた。
江戸は人口の六割以上が武家であった武士の町=城下町であったとは
いえ、江戸町人文化も上方のようなコッテコテの派手さを好まなかったところは、
江戸の妙味として興味深い。
今でも豹柄のおばちゃんは東京では流行らない。
むしろたびたび出された奢侈禁止令が、「遠目には分からずとも近くに寄れば
それと分かる」という江戸小紋や裏地のファッション文化を生んだのかも知れ
ない。
そうした意味では、江戸小紋はささやかな抵抗文化の象徴のようで面白い。


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ワイン Ch.Batailley (シャトー・バタイエ) 1989年

2013年10月28日 | 職人技

いとこの姉貴からこれをもらった。
旅行中、部屋で開けてみんなで飲もうと思ってたらしいが、皆飲み
疲れでそれぞれ
部屋で早めに寝る毎日だったので開けなかったらしい。
NYでの新聞記者時代の1990年に買った一品とのことだ。
おお!これは!ボルドー!


サングリアにしようかと私が言ったら「もったいな~い」と言われた(^^;
このワイン、サンクス。
保管があれなんで味の保障はできない、とのことだったが、そのうち
開けて飲むとしよう。

シャトー・バタイエのヴィンテージの1989年は、まあまあのようだ。
お店で飲むと3万程度でしょうか。格付けランクは5。
こちら。

3万ほどでランク5なのだから、ワインてのは天井知らずだよね。
1本数十万なんてのザラだし。
普段私のような庶民が楽しむのは酒屋売価4~5千円クラスの物でしょうか。
ワインだきゃあ金額と比例するというのはあるなぁ・・・。
安くておいしいワインもあるにはあるが。
毎年秋に騒ぎ出す丸ノ内オバカOL好みの新酒ワインは、きぶくて俺は
ちっとも美味いと思えない。あれ、営業戦略に乗せられたクチでしょ(苦笑
新酒解禁の意味と味わい方間違ってるような気もするが、まあなんでも
流行りもんが好きなのが日本人だから仕方ないね。
デ・ビアスの戦略に騙されてダイヤを婚姻時に買わされたりしているし(笑
炭素というのは魅力だが(笑)、あれはただの血にまみれた石ころだぜ。



酒屋のウンチクによると、バタイエ(バタイィ)は以下の通りだ。

「よくバタイエとオー・バタイィは比べられますが、昔からバタイィの方が
評価は上
とされています。
また、バタイィはポイヤックのスタイル、オー・バタイエはサン・ジュリアンの
スタイルと言われており、味わいも違います。
バタイィは、がっちりとした骨格と豊富なタンニンを有する、ボルドー
らしい伝統的なスタイルのワインを造り出す
ことで知られています。


残念なことにバタイィは市場に出る数が非常に少ないことから、格付け
シャトーの中でも過小評価されがちなシャトーです。
バタイィはオープンマーケットが基本であるボルドーにしては非常に珍しく、
全てのワインがオーナーのカステジャ(ボリ・マヌー社)の手によって
販売
されている為、入手できるルートが非常に少なく、あまり市場に出回ら

ないのです

そんなバタイィですが、今回は特別に数量限定で入荷することができました!
今回入荷したのは、史上最大のブドウの収穫量を誇る、
魅惑的な1989年ヴィンテージ。

樽香、チョコレート、熟成したカシスなどの香り。
若い内には、しっかりとしたタンニンに充分な酸を感じる味わいでしたが、
20年以上の熟成を経てまろやかな味わいに変化しています。
稀少ワインの飲み頃ヴィンテージをどうぞご堪能下さい。

飲み頃:~2018年


とのことだ。
おいら素人なんで、なんかよくわからんが(笑
ただ、大学の時、一般教養の社会学(だったと思う)か西洋史(だったかも)
だかの科目で、絶対にCかD(不可)しか成績評価を出さないともっぱらの
評判の教授の授業の論述試験で、俺はBを取ったことがある。
「ワインについて記せ」(制限時間90分)とだけある問題だった。
書いたね~、知識のコレクターみたいなこと(←こういうのはアカデミックなこと
ではありません)をつらつらビッシリと。所見(←学術はこういうのが問われます)
も含めて(笑
シャレで文末に「しかし、未だ幻の『ブリジット・ボルドー』は発見されていない。」と
井上ひさし氏の小説のパロ書いたら、答案用紙の裏に「それはどのようなワイン
ですか?」と教授が書いてきた。当時はインターネットなどないからね。ネット
検索もできない。象牙の塔に生きる生真面目な教授は悩んだことだろうよ(^^;
今は明学のセンセになった小説家の高橋源一郎が親友の親友なんで、昔
初めて一緒に飲んだ時に「もしかして隆明さんの御親戚ですか?」と俺に訊く
から、「ええ。彼は叔父です。彼は自身を『詩人』としていますが、彼の詩は実に
つまらない。感性の発露をまったく感じない。詩心も下部構造に規定されると
勘違いしてるのではなかろうか
」と言ったら、「そうですか。甥御さんですか」と
真に受けてたから「な~んちゃって!」と言うと怒って向うの席に行っちまった。
竹中直人さんの笑いながら怒るおじさんの真似まではしなかったのに、源一郎
ともあろうものが、シャレの分からんやっちゃ。さんざん自分が人を食うことやっ
てんのに、馬券と同じく大凶という当たりを自分でポンと引いたら構えちゃうん
かしらね。大学のセンセになったの知った時、いよいよシャレが分からん世界に
行くのかと思った。ま、娘のマリがICUの学生の頃、バイトでうちの法律事務所に
来てた時、可愛かったからいいや。許す(違
まあ、おいらの場合は、授業もろくすっぽ出ないテンプラら学生が試験でウンチク
展開して、それで文部省認可の1教科4単位を取得。いいのかね、こんなんで(苦笑
てか、こんなんばっかだったが(^^;
一般教養の法学(原論だったか?)なんかもしどかったもんね。一度も授業
出ないで、これまた「CとDしか出さない」と「悪評」(笑)の高い教授の試験で、
事前に判例と学説覚えまくりでダーッと書いて成績「B」。これまた文部省認可
1科目4単位取得。
3問あったうち2問しか時間切れで書けなくて、答案用紙の裏に教授が「3問目は
どうしました?」と書いて試験後に返された。その教授がそんなコメント書くことは
珍しいことらしく、学部の人間が「ほんとかよ?」とか言ってたが、まあ、文系学部
の答案用紙なんてギッチギチに理論を論理で整理してダーッと物量書いたもん
勝ちよ(笑
『バイトくん』という当時はやった4コママンガで、大学教授が学生の答案用紙を
壁に貼って、濃く書かれている答案用紙にダーツ投げて当たったら「成績A」とか
にしてるシーンがあったが、実際もそれに近いもんがあったんじゃないのお?(笑

イトコの姉貴、1990年にNYで買ったのを結婚して帰国する時に日本に持って
帰ったんだよね。
姉さんはちょっとワイン通。
いいものもらっちった(^^)

俺のオープナーはこれ。

高い物ではないが、ずっと使っている。
これもワイン好きな人からの貰い物なんだ。
使い勝手がとても良いし、気に入ってるのさ。
これからも大切に使わせてもらうよ。
♪さよなら大好きな人~ってね。違うか(笑


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けさの涼しさ ~広島県三原市~

2013年10月28日 | 風情・季節・地球

爽やかな朝です。

邪悪なものに触れると邪気が移りますので、ネガティブなことは払拭して、
晴れ晴れしく前向きに本日も行きたいと思います。

紀州から帰ったら、日本刀愛好家仲間からメールが届いていました。
なんでもロンドンから帰国させた相州伝の古刀が真っ黒の錆身から
研ぎ上がり、手元に来たそうです。
今夜はそれを抱いて寝るとありました。
みなさん、風邪というか、もう病気ですね(^^;
でも、こういうのは爽やかな良風を運んでくるようにも思えます。
画像を拝見するに、小田原北条氏とも関係のある刀工の作で、
なかなかの出来のように見受けられます。
海外に流出していた日本刀を帰国させ、上研ぎに出して再生させて
あげましたね。
どうか、大切になさってください。

「愛すること」はすべてを受け容れることだと私は思います。
罪科憂いを取り去り給う慈しみ深き友なる御方、のように。
私は教えに背いていますので、業火に焼かれるのは必至ですが。
それでもどの者にも等しく差別なく、きょうも日は昇ります。
たとえ、きょう、ママンが死のうとも。

 


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今度は

2013年10月28日 | 内的独白

例の某下品なモノカキ崩れは太字加筆までして、症例の揶揄雑言せずには
おれない感情発露を
為しております。
今度の攻撃対象はチタン絡みに追記して「試し切りマニア」さんたちだそうで(笑
日本刀とは呼べないチタンメッキした「刀剣」が「彼ら」の幼稚な願望を満たす
玩具にふさわしいそうでして。

笑えます。
空想で勝手に「想定」を設定して、それを基に揶揄をするという下手(げて)が
このじいさんの定石ですが、もっと別な目を引くやり口はないのかと(苦笑
(「口撃」パターンがワンパで語彙が貧弱なのも笑える。単に性格が悪い単細胞
馬鹿であって、実は高等な底意地悪い婉曲な暗喩で揶揄ができない人物では
なかろうかとさえ思える。存外「良い人」なのかも。←それはない。笑)

そんな「刀」もどきの「道具」は要らない。
日本刀で骨も鉄も充分に斬れるからだ。
尤も、日本刀はそんな切りごっこのためにあるのではない。
日本刀は戦闘刃物という道具であったとしてもただの道具ではない。武人の存在
の象徴そのものである。
単なる武器という「道具」の位相を超えて侍う人と共に生きた神器でもある。
刀は政争の道具でも論争の道具でも人を揶揄中傷して己の優位性を示さんと
するために利用する道具でもない。
そうした「道具」として「利用」し、刀についての論を展開すること自体が日本刀を
冒涜している。
そうした類の族と私が住む精神世界は異なる。


それにしても、私の燃料投下に即座に脊髄反応しているようで、釣られ易い下魚
ですねえ。

どうしても感情的に激高するのを抑えられないのでしょう。
ほんとに「おまえのかーちゃん、でーべーそ」の湯気噴出状態のようで、
失笑とはまさにこれですがな。
おバカちんだなぁ(笑

数日前に私が述べたように、攻撃対象を設定して揶揄中傷することによって
自己の存立を得ようとするというのは、品性が下劣以外のなにものでもないの
です。
いい歳して、赤いチャンチャンコが似合わないよね(苦笑

ま、確かに試し切りマニアは日本刀の文化伝統を重んじる人間とは差別化
されていくだろうけど、あいにくこちとら「試し切りマニア」ではないんで。
お門違い。
観の目強く見の目弱くを知らぬ者は視野狭窄以前にモノが視えないから
事物も森羅も理解できない。愚か者は己の愚行に気付かない。
人の世の定理を見るようで、なんだか最近面白いよ。
言えば言うほど、書けば書くほど、己の絶対矛盾を増幅させる。
悪党にさえなり切れない。
見苦しい。

というか、自分が絶対に書けなかっただろう小説『いっしん虎鉄』でも読んで、
禊でもしたほうがいいよ。


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南紀白浜→高野山→斑鳩の里、法隆寺

2013年10月27日 | 外出・旅

宿泊したホテルのエレベーターはケーブルカーのような珍しい構造でした。
斜めに移動するエレベーターなのよね。エスカレーター式ケーブル。


吹き通しの上の階をみるとこう。
断崖に建てたようなホテルなので、フロントが8階で、私が泊まった1階部分でも
かなり高い場所にあります。



さて、移動。本日は高野山へ。江戸表の一族の法事なのです。
私は国許方別家の名代として出席。



龍神峠を抜けます。かなりの高地。


う~、懐かしい峠の走り屋。いいね~。


まだ上ります。山越えです。すでに紅葉していました。


ワインディングは気持ちいいねぇ。バイク乗りてー。




南紀白浜から数時間走って、ようやく高野山へ30キロ圏内に。


午前11時、到着。高野山南院です。
拝一刀、波切りの太刀!なんちて。

控室。


お茶を頂いてから法要です。


ついたて。視覚的パーテーションなのでしょうが、こういう日本文化がいい。


本堂。伊勢神宮御正殿を撮るのは憚られましたが、ここはよいでしょう。


うちの一族は真言宗ですが、分家した者は曹洞宗に宗旨替えしたりした家もあります。


法要を終え、近所の料理屋で食事をします。
お、家紋がわが家の替え紋と同じ(^^)
家紋は3つほどあり、現在メインで使用しているのは別な紋です。


大変おいしゅうございました。


こちらの料理人の料理は昭和天皇皇后両陛下もお食事されたそうです。


使われた食器類が展示してありました。


侍従長の書。


さて、一路奈良へ移動します。本日はかなりの行程です。


高野山入口。


走り込んだらいつのまにか斑鳩(いかるが)へ。


信貴山が見えてきました。斑鳩はすぐそこです。


着いた。16:10。拝観時刻は17:00まで。ぎりぎり(笑


法隆寺南大門です。『火の鳥』に出てきそうな鬼瓦があります。これは室町時代に再建。


南大門をくぐり、五重の塔がある西院伽藍へ。西院しか時間的には観られません。


写真撮っていたら「早く~」とイトコの奥様が呼んでいます(^^;)


西院伽藍を見学、堪能し、帰路につきます。


この通りはなんだか、寺院というより、城内武家地みたい。
江戸期の三原城西築出の武家地もこんな感じだったのではなかろうか。


東京組とは一旦別れ、私と神戸のイトコは一路神戸へ。
イトコは明日京都で東京組と観光旅行をするそうです。


大阪の街に入ります。もうすぐ左側に通天閣。


一気に大阪を駆け抜けます。東に消える大阪の街。


高速五号線を神戸へ。


ではまたね、と別れて、新神戸で新幹線に乗り換えて私は帰還。

新幹線の駅の柱に粋な広告があったのでパチリです。
ハーレーはこういうのがカッコイイ。
ヤカンタンクの
トッツァンハーレーは乗りたくねぇなぁ、おいらは。
オヤジでも所ジョージさんのような感じがいいよ。


ということで、二泊三日の小旅行でした。
ホテルと食事が良かったね。
東京組は本日は京都に泊まって明日神戸組と合流だそうです。
四泊五日の行程だそうですが、私は二泊三日のみの合流。
明日から仕事に戻ります。
ではまた。


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ぐっもに

2013年10月27日 | 外出・旅

夜明け前。



窓からテラスに出ると、目の前にジェットコースター!


滑走路と海。
サファリランドの猛獣の咆哮がすごいっす。
恐竜の鳴き声もあんな感じなのだろうか。ジュラシックパークみたい・・・。




昨夜も部屋でもよく飲んだ(笑


(つづく)


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