渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

機関誌

2016年03月22日 | アート



PCのフォルダを整理していたら、懐かしいのが出てきた。
89年頃、俺の部屋に遊びに来た学生時代の後輩が、そこらへんに
さりげなく
転がっている80年代初期のパンフ等を見て「なんでこの
部屋は
時間が止まってるんだよ」とか言ってたが、まあ読み捨てとか
あまりしない。
まして、自分が編集して記事書いた号ならなおさら(笑
表紙は俺の
ペン画だが、タッチはまるでMEIMU先生だよな(笑)。

ということで。

今はなき学生会館グリーンホールにてOB戦。仕事帰りに気砲遊戯。
(撮影:講談社FRIDAY記者K)


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お絵描き

2016年03月11日 | アート


(マルパー)

お絵描きは楽しす。
プロとしてやるのでなければね(笑

今更ながらのこちらの過去記事をどぞ → 描画のタッチ

お絵描きの基本。それはを真円に近く描けること。
他にも専門的なことがいろいろあるけれど、まずなんと
いってもでございます。
手塚先生なんて、何度描いても全く同じ大きさで真円に
近いが描けたらしいし。

魚屋うを新のイラストも、なかなかいいよ。なんだか笑える。


これは20年ほど前に描いたおいらの家族。



慟哭の画もありだけど、見て和む絵がいいよな。
ということで、また。

(ゲバラッチの頃のマルパーと俺。この日はパンキーなメットは無し)


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ピアフ

2015年12月09日 | アート


めちゃくちゃ観に行きたい。

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小島剛夕の部屋

2015年12月05日 | アート

ブックマークに「小島剛夕の世界」を追加しました。
時代劇画ファンにおすすめです。




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タッチの手業

2015年12月04日 | アート



公開されている某東北系のツイートから。

うっめ!(◎。◎)
なにこれ。
本物の
絵描きの人に上手いというのが失礼なことは重々承知しているが、
いいなぁ〜、こういう筆使いは。ほんとにいい。しみじみとそう思う。
なんというか、司馬遼あたりの小説の挿絵に欲しいところだ。


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こち亀

2015年09月14日 | アート



本日発売の「週刊少年ジャンプ」の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に
修心流町井勲先生が載ってます。

似てないけど(笑

読みたい方はコンビニ・書店にGO!で少年ジャンプのお買い求めを。
(立ち読みはダメよ)



これは秋本先生ではなく、スタジオのアシスタントの人の描画でしょうね、タッチが。
登場人物でも主人公たち以外や背景などはアシスタントさんが描くことも多いようです。


実際の映像。マンガのようには散ってません。



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iPhone写真

2015年09月08日 | アート

iPhone のラインメール機能というのは、画像がいろいろ加工できるね。
いろいろいじってみた。


原本


慶應2年(1866年)於江戸、ベアト撮影(嘘


幕末古写真に着色してそれがかすれた風。


でも、武士じゃないから、やっぱりなんだか目力がヌルいね。
武士のブでなくプといった感じ〜。←禁止コードどうにか抵触せず。

本物の武士はすげーぜ。これだもの。いかつぃ〜〜い(笑)
慶應2年(1866年)、ベアト撮影(本物)。


今の暴力団みたいのとも違うんだよなぁ。
なんというか、いわゆる寄らば斬るぞみたいなそんな感じともまた違う。
まあ、小指詰めくらいでは済まない腹切る覚悟をいつでもしていた連中
だからね。死線を越えたところに常に心はあるような、そんな雰囲気が
漂っている。

土方さんなんて、函館で売られてるブロマイドみたいな写真は大分
修正が入って柔和な表情に変えられているようだけど、原本に近い
写真なんて狼みたいだよ。壬生狼ね。ウルフよ、ウルフ。



幕臣の山岡鉄太郎さんもなかなかの面構えだぜ。新選組の前身の
浪士組を率いて京に上洛した頃はこんな面構えだったのだろうね。



浪士組を尊攘派で乗っ取ろうとした清川八郎は、命令で江戸に戻された。
京に残ったグループが京都守護職会津中将様御預りとなって、後の新選組
に改称する。
策士を自認していた清川は、江戸に戻った後、
麻布一ノ橋あたりで幕臣
佐々木只三郎、窪田泉太郎(2000石)ら4名により
斬殺された。
ちなみに窪田泉太郎は名を鎮章( しげあき)といい、父親は幕臣窪田鎮勝
(蒲池鎮克)だ。鎮勝は松田聖子(蒲池法子)さんの先祖の親戚ね。
聖子ちゃんは九州柳川藩立花家の家老格の家の出身で、150年前ならば
正真証明の御姫様〜〜〜つーわけだぁ〜。

でもさぁ、俺、松田聖子さん大好きだけど、高校時代の蒲池法子さんのほうが
ずっと好き
なんだよね(笑)
蒲池さん、最高!O脚の御姫様(^0^)


先日、TVに聖子さんが出てるのをかみさんと一緒に見てた。
かみさんは法子さんと同い年同学年だ。
「なんか、化け物みたいにまったく歳とらないよねぇ〜」とため息交じりで
俺が聖子さんとかみさんを交互に見比べていたら、「何よっ!全然あたしと
変わらないじゃない!」と聖子さんを指さしながら言ってた。
まあね。確かに同じだね、学年は(笑
あなたは樹木希林さんに進化しましたが。
あたしも、松村か塚地みたいになってるんで人のこと言えませんが(笑
あ、トップの写真は数年前のね(苦笑
ここ数年で加速度的に広角レンズ化してます。
最近腹にホラがつまっちゃってよ〜。ふくれてしかたないのよ。


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2015年08月30日 | アート
本家の手洗いの中に貼ってある絵。
水森亜土?


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2015年04月21日 | アート
関連グループ会社の本社取締役が退任退職を目前にして、愛用品を私に
くれた。
めちゃくちゃ嬉しい!



よーし!これからはカメ子になるぞー!!
て、それ違うし、使い方よくわからないし。
でも、勉強する。
徹底的にベンキョする。
これで心に感じた絵を収めたい。

何故だか、至らぬ私なのに、皆さん、本当に良くしてくださいます。
有難い事です。

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描画のタッチ

2015年03月07日 | アート

昨日、大昔の学友と電話で与太話をしていたのね。
こいつなんだけどさ。


ネットって怖いねぇという話だったのだけど、こいつは自分のブログだけ
でなく、フェイスブックにもおいらが31年前に描いた彼の似顔絵を使って
くれている。気に入ってるようだ。以前は名刺にまで印刷していた。
これは彼が学生の時にアジってる時のものを私が描いたものだ。今は完全
禁止になっちまったけど、80年代、バイク通学禁止を学内のライダーによる
運動で解除させ、通学用駐車場まで作っちまった男だ。正確には後輩が
サークルで主軸となって実現させたが、こいつがそのサークルの初代代表
だった。原画は
今でも私の手元にある。こいつのリングネームはマルパー
だった。
好きだったマルガリータを目黒の店でこぼしてパーになったからか、
マルクス研究会(統一協会原理研じゃないよ)
のパーなのか、丸という軍事
雑誌を好むミリオタ(宮崎駿のように反戦派はミリオタが多い)のパーなのか
は新聞会(原理研じゃないよ)の俺も取材不足で分からなかった。
きっと、キャラ的にまるでパーからきてると俺は踏んでる。略して「マルパー」
誰もが呼んだ。本人はマルチ・パフォーマンスなのだと自称していたが、まあ、
なんと
いうか一種の天才だった。パーと天才は紙一重というが、それを地で
行くやつだった。
俺が今まで知ってる奴でこやつ天才と思ったのは
高橋源一郎とこいつだった。
全方位的にパーなのではなく、求心力が異常に高いやつだった。
丸いパーというのは社会人になってからの彼の体型のことで、学生時代は
おいらと同じくスリムだったのであてはまらない。


で、マルパーはおいらが描いた似顔絵をいたく気に入って使ってくれて
いる。
するとだなぁ。プロのアニメや漫画の描き手の間で、この彼の似顔絵は
亡くなった漫画家の広井てつお先生が描いたものではなかろうかという
憶測が都市伝説のように一時期飛び回っていたというのだ。
う〜ん。おいら、広井先生のタッチが好きだったからね。ただ、女の子を
描く場合は内山亜紀かMEIMUのようなタッチになっていたし、バイクを
描く時はデビューしたばかりの貞本になっていた。『18Rの鷹』の頃のね。
でもって、俺が描くマルパーの似顔絵は広井先生のタッチだったという
が歴史の真実なのよね(笑)。

(描き手:私/病院のベッドで描いた。モロにデビュー当時の貞本タッチだ)


サッと描いても、インスパイア受けた作家のタッチに似るというのは
絵の描き手
の場合にはある。アシスタントをやっていて独立した漫画
家などにも元の
先生のタッチの影響が色濃く出るよね。

でも、これは完全に私自身のタッチで描いた当時うちにいたワンコの
絵だ。
名前はルーク・ランドウォーカーという。私と妻が名づけた。

私の原画から原宿にオーダーメイド衣料品店を構える犬仲間の友人が
スタジアムコートの後ろに
大きく刺しゅうしてくれた。何万円もするコート
だったが、娘が生まれた時
のお祝いにと、赤ちゃん用品やオリジナル
Tシャツと共に私と妻に一着ずつプレゼントしてくれた。クリスマス直前
に娘が
生まれたのでサンタさんのような真っ赤な長いスタジアムコート
だ。

当時、アルバイトで私はちょっとしたイラストなども描いていた。
飲食店のメニューなどにそれが使われたりしていた。
1枚5,000円。稿料は安くはない。そこそここなすと、結構な実入りには
なった。
ただ、プロではない。素人だが、使ってくれるところがあった。
(1円でも金貰えばプロという話もあるが、正業ではないのでアマだ。
私が描く絵などはコミュケ販売の同人誌以下の物だ。本職のプロを
なめてはいけない。プロは私のようなのは遥かに及ばない本職の本業
の職人絵師たちなのだ)


こういうのも、素描で描いたものだが、完全に私のタッチだ。
(描き手:私/居合で世話になっている先輩/90年頃)


タッチが好きな作家に似るということについては、たとえば、今から20年
以上前、おいらは居合の師匠の話を一言一句もらさず頭に入れて、帰宅
してからはそれを「口伝集」としてまとめていた。


そこでは、分かりやすいようにイラストをサッと描いていた。

こういうのは江戸期の伝書などにもあるよね。さらに動きが分かり
やすいようにタッチも簡略化してアリンコのような骨格図のみにした
ものが歴史伝書には多いけど。

ただ、私はもっとマンガ的なタッチで描いたりした。これは誰のタッチ
でもなく、私自身のタッチだ。


しかし、明らかに内山亜紀先生の影響を受けていることが見て取れる。




ということで、バイクを描かせたら日本一だった広井てつお先生の
影響をモロに受けたタッチで私が1984年に学友マルパーの似顔
を描いたというのが真実なのだ。



日本には手習いという文化があるよね。
あれは習字でお手本を見ながらその通りに字が書けるようになること
から始める習い事のことだ。
だから毛筆も、お手本を見てタッチ=筆致を写し取るところから日本人
の文字書きは始まる。
やがて、自分の文字ができてくると、「守・破・離」の段階の破→離に
向かう。

そうなると、七草について調べて忘備録のように筆で走り書きしたメモ
書きでさえも、もはや個人的なアートになる。自書の花押さえも(笑)
(書き手:私)



そんでもって、刀剣研究家は日本刀という美術について触れているのである
からして、当然絵心を解さないとならない。

また、自分でもプロの専門職の絵師(画家、漫画家、イラストレーター、アニメ
作家等)とまではいかなくとも、そこそこに絵などの描写について筆が立たない
ならないと思うのだ。

さらに、刀剣研究者で自ら小物と言えども刀を打つ者は、焼刃土の置き方・
引き方についても、このようにフリーハンドですぐに自書で描画できないと
ならない。

(描き手:私)




ということなんです。
ですので、これを描いたのは私というのが真実。
「広井てつお先生ご本人にライターの小池氏は似顔絵を描いてもらったに
違いない。きっとバイク乗りの取材かなんかの時に」との業界プロ絵師たち
の憶測と噂と都市伝説の存在は、私個人としては光栄の至りです。
なんだか、稀代の偽銘切り師、刀工鍛冶平直光を超えた気がするよ(笑)

だったら、こんなことしたら、不二子先生本人が描いたと思われるのかな?(笑)
(描き手:私)


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まるでパリ

2015年02月28日 | アート

どっひゃ〜。こういうとこ住みてえ〜〜。







即日完売だったのだろうなぁ。

→ こちら

こういうコンセプト住宅というのは、立地条件もあるだろうが、
非常に魅力を感じる。まじもんで、住みたい。

「住まいは作品になる。生き方は風景になる。」

くぅ〜。これだよ、これ。

企画設計者の仕掛け人に脱毛、いや脱帽だ。
なんなんだよ、このセンス。
以前、ごく近所の西早稲田の外階段が螺旋階段の物件に長らく
住んでいたけど、この高田馬場のあたりもいいとこだよ。住宅地は
ちょっと道が狭いけどな。
まあ、交通の便は最高に良いところだ。
それにしても、好みの物件だ。
こんなに住みたいと心底思った物件はかつてない。

あ。俺は土だろうがアスファルトだろうが、地面でも眠れっけどね(笑


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この日記の自動広告から 〜ファッション〜

2015年02月21日 | アート

どっしぇ〜。
かっこいい!




こっちも、イイ!



女性っていいよなぁ。
男物よりもいろいろバリエーションを楽しめるものなぁ。
スカートでもパンツでもいいし。
男はスカートはけねーしよー(笑
バリエーションがバリバリに野郎は少ねぇよ。

といっても、もう今ではファッションなんてどうでもよくって、
楽だから外出時はスーツだけどな。
家では麻の作務衣だしよ〜。


よくよく考えたら、男のネクタイってとんでもなく妙な格好だよな。
先日、本社の打ち合わせで周り見ていてそんなことずっと考えてた。
なんであんなもの首からぶら下げてるのが男のフォーマルな格好
なんだろう。何を何のために首からぶら下げているのだろう。

でも、俺は知ってるぜ。
あれはね、管理社会の首輪なんだ。


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茶杓

2014年12月28日 | アート


天正19年(1591)2月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、
自らこの茶杓を削り、最期の茶会に用い、古田織部に与えた。
その後、織部はこの茶杓用に長方形の窓をあけた筒をつくり、
その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。
茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに
薄作りにできている。(徳川美術館)

煤竹の目釘を削っていてふと思った。
茶杓を一心に削る心境というものは、如何なるものか、と。
戦国末期から江戸初期の武将上田佐太郎(1563〜1650)は、
元和元年(1615)大阪夏の陣の緒戦の泉州樫井の戦で味方全軍が
撤退し敵が迫ってくる中、竹藪に名竹を見つけたので小刀で茶杓を
一心不乱に作った。包囲した敵が呆れて手を出さなかったという。
私は茶の湯は嗜まないが、竹選びと茶杓作りというのはそれほど茶人を
して没頭せしめるものなのか。
関ヶ原で西軍だった上田佐太郎は、その後の戦功により徳川将軍家
からも出仕を促されたが、子を旗本にし、自身は後に浅野家に仕え、
広島藩家老として1万2000石(大名格)を拝領し、88歳で没した。
上田佐太郎重安が開いた茶道は武家茶道として現代まで命脈を
保ち、上田宗箇流として伝承されている。

茶の道の大家は千利休であるが、利休も茶杓を多く作っている。
ただ、権威を否定した利休が、己の手がけた茶杓1本が6000万円で
取引される現代を見たらどう思うだろうか。

このような茶杓が4500万円〜6000万円の値がする。

茶杓とは、言ってみれば大きな耳かき、できそこないの竹製の匙で
あるのだが、ここに桃山期に開花した「ゆがみ」の美意識が働き、
なんともいえない日本固有の美を形成している。
だが、竹のスプーン1本が6000万円である(笑
いくら美術的な製作物とはいえ、焼き物や日本刀より、比較にならない
ほど手はかかっていないただの竹の匙だ。
「芸術品」というものは、本来売買対象となり得ないのだが、欲する人
がいるためそこに利益が絡み、美的要素や出来栄えとは別次元での
付加価値を強制的に与えられる。だからこそ、ゴッホの絵が1枚数十億円
で落札されたりする。

ただ、芸術家で大富豪になった人間はいない。彼らはそんなことは
望んではいないし、富を得たいならば商人となっていただろう。
芸術家は
富を得る手段として己の創作意欲や意識の発露を作品に乗せる
ことは
しない。だから芸術家なのであり、美術に深くかかわる主体であり得る
のだ。職人と芸術家の違いがここにある。山下清などは典型的な芸術家
だったといえるだろう。


茶杓として、上掲の最期の作を「泪」と利休は名付けたが、桃山期に
開花した「歪みの文化」
を代表する「ゆがみ」という銘を冠された茶杓も
利休は作っている。


銘「ゆがみ」(千利休作/細川三斎所持/永青文庫所蔵)


細川殿の御大将も茶人であったが、その三斎自身の手による茶杓の
銘が面白い。

銘「ケツリそこなひ」(細川三斎作/永青文庫所蔵)


全然削りそこないではない出来なのに「ケツリそこなひ」という銘を
冠している。
本当に削りそこないだったら銘など書くな!と、外連味のある計算
づくというかあざとさがみられる三斎の遊び心に苦笑する。
一見とぼけた洒落というか洒脱のように感じる
が、それは三斎の
術中に既にハメられている。

銘に惑わされず、作として純粋に見ないと芸術は観られない。
外皮などどうでもよいのだ。作の心肝に心をこちらが迫らせないと
見えるもの
が見えてこない。作品との対話が成立しないからだ。

茶の湯を嗜まない私だが、茶器については非常に惹かれる。
焼き物も解さない、茶道具も素人ゆえまったく解らないのではあるが、
茶道具そのものが持つ何とも名状しがたい観る者に迫る世界という
のは、一体なんなのだろう。
素人なのでよく解らないが、茶杓も節上の出来よりも、雉股の造形に
こそ妙があって、それが折だめや櫂先や露の造形美と一体化して
一つの世界を醸し出しているように私は感じる。
それを感じる時、茶杓は単に茶杓としての単品の造形物ではなく、
人によって空気と一体化する息を吹き込まれた世界観の体現物と
なっているように思えるのだ。


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筆致

2014年08月01日 | アート


宮本武蔵『枯木鳴鵙図』


すばらしいと思う。武蔵恐るべし。この尾なんて描けないよ。

俺なんて、デッサンが全然できてないんだよなぁ・・・。
鉛筆画のフリーハンドで描くと、なんか歪んでるし。


これまた古いね〜。今時こんな修正液ないよ(笑)

なんか変だしよぉ。刀はいい線行ってると思うけど。


途中で「これはなんか違う」と思うと投げだしちゃうし(苦笑


やっぱ、こういうタッチのほうが自分でも合ってるように思える(笑


それとか、こんなのとか。これはパロだけど。



なんかを批判するときに皮肉で描いたんだっけな。

サラッと描いたほうが自分でも気に入ったりする。

この時の頭の中でのBGMはZARDの
  ♪揺れ〜る〜想い〜 体じゅう感じて〜
という曲だったな。
これは早かった。透過絵具の色塗りのテストだったから、
2分くらいで描き上げた。


でも、残せる物もある。
これはおいらの原画を友人がでっかい刺繍にして
スタジアムコートの背中にド〜ンと貼り付けてくれた。

  (コートの背中を撮影)

うちのポチ1号のルークだね。
ルークのlukeをアナグラムにするとkeluに
なるんだよ(^^)

うちは今まで4頭のキャバリアがいました。
どいつも可愛かったよ。
って、まだ2
歳のポチ3号の三毛キャバが元気でいるけどさ。

これはポチ1.5号の「くるみ」どす。(新宿区戸山公園にて)


しかし、武蔵というのはただもんじゃないよなぁ・・・。
一芸に秀でている人は、ほかのジャンルでも勘どころというか
キモを押さえるのに長けているのだと思う。
武蔵はおいらのような凡人と違って武芸も強かったはずだよ。
トホホ。

あ、一つだけ俺にも才能があった。
それはキャブレターとタイヤとサスと対話ができた(笑
資金続かなくて夢は潰えたけど。
苦労かけて辛い思いさせて、かみさんごみん。


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おしり

2014年07月03日 | アート



なんて美しいおしりなのだろう。

オートバイは、この角度が一番美しいと私は感じる。
こうしたスポーツマシンの造形は空力特性が第一義
なのだが、デザイン性にも秀でていないと、一般用
市販車は売れない。
レーシングマシンは走行性能重視なので、どうしても
各社とも形が似てくるが、市販車では差異を設けない
とユーザーの心を掴めない。
私個人は、テールからの眺めがそそらないバイクは、
触れる気も起きない。

この車のリヤビューは、本当に美しいと思う。
ホンダNSR250Rの後ろ姿も美形だったが、この年の
各社のマシンのこの角度からのシルエットは、スズキの
ガンマが
一番美しく感じる。
ガンマ=ゲライロ。ギリシア語で「栄光」という意味だ。

現代日本刀も、オートバイが各社でまったく味付けが
異なるように、作柄を観てすぐに「あ、誰誰の作だ」と分る
ような個性があればいいのにと思う。
現代刀の場合、結構、金太郎飴で、なかごを見ないと
誰の作だか判別がつかないことが多い。
造形的には日本刀は自由度が狭いとはいえ、観る者を
引きつける魅力的な強烈な個性が作者ごとに欲しいところ
だ。
それは例えば備前伝にしろ相州伝にしろ、その伝法の
中にあっても、各人の個性が出せるはずだ。かつての
すべての日本刀がそうであったのだから。
現在の現代刀の多くは、一部の作者を除き、なかごを隠した
ならば、鑑定による作者特定などできないのではなかろうか。
アーティスティックな面を追及している現代刀だが、なぜか
どれも同じように観えてしまう作品が多いのが、とても
もったいないように私には思える。


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