渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

なんだか見たことあるアングルの画像

2017年04月11日 | アート



これは私がネットで使用した私のキューとケースの画像である。

↓こちらはオークションで最近見つけた画僧である。


う~む。クリのソツ太郎(笑
キューは上も下もヘルムステッター。
まるで私の日記見てるかのような(^^;
こういうアングルはネットでは見たことないので珍しい。


だが、甘い!
私は後日画像を加工してあったのだ。それがトップで紹介した
画像なのだが、元の画像はこれである。初期にアップしていた
画像はこのアングル。

これはしばらく公開していたがボツにして今の画像に差し替えた。



理由は、これでは躍動感に欠けるので、画像を寝かせて
安定度を欠くことにより見る者に緊張感と躍動感を
与える狙いを付与させたのだ。この初期画像はすべて
後日差し替えたのだ。

↓加工後が上掲のこれ。


こういうのは美術的なセンスというか表現技法の一つで、
シンメトリーというものは人に安定感は与えるが躍動感
は捨象される。
それを破調を投入することによって、ある種の不安感と
緊張感を呼び、それが脳のある領域を刺激して美的感覚を
人にもたらす。
それを狙って画像角度を回転させた物に差し替えたのだ。
ベレーが活き活きとして見えるのは、左右非対称だから。
なのでコックさんのような被り方は間抜けに見えるのよね。
ベレーのよさは外周部分で見る角度ですべて違う形に見える
ところだろう。
また、このシンメトリーをあえて崩すデザインはインダスト
リアル・デザインの世界でもよく採用されている。
バイクなどで典型的なのが、カワサキの左1本右2本出し
チャンバーのマッハシリースだった。
また、2気筒モデルでは右側2本出しなどはヤマハやスズキ
で採用された。本来左右1本ずつ出せば簡単なのにあえて
右側2本にしたのは、視覚的インパクトを狙ったことが強い
と思われる。
また、侍の二刀差しも、左に二刀あるから決まっているように
見えるのであって、左右に1本ずつ差していたとしたら、かなり
間抜けに見えることだろう。

こうした視覚的印象というものは、シンメトリーが持つ美とは
また異なるものだ。
戦闘機などが有している左右対象の美は安定度という必須の
条件を精神背景に描写させる働きから美しさという感覚を
引っ張り出すものであることだろう。
だが、その戦闘機の飛行写真においては、ただ真横や真上から撮影
したものは、ひとつも描画表現としては躍動感をもたらさない。

そういう破調の美の手法は一般的なシーンでも多く採り入れ
られるし、あえて狙ってそのように写真なども撮影する。
私が刀やナイフやキューなどを画面の斜めにまたがるように
撮影しているのはそのためだ。
真横から撮るなどという間が抜けた撮影アングルは採らない。
カタログじゃないんだから(笑
ただのスマホで撮影する写真一枚にしても、見る人の感性に
訴えかける撮影アングルを手探りするように私はしている。
ただのウェブ日記であるが、読者不在では成立しない。
やはり読み手の心に届くものでありたい。


P.S.
このオクの子持ち8剣のアダムの緑べニアは、長年ずっと私が
探していたキューだった。完全にオク見逃した・・・。
これは廃番キューで、1980年代末期当時、非常によく出来た
子持ち8剣で、とにかくグリーンのべニアが非常に綺麗なモデル
なのだ。今までに実際には2本しか見ていない。
てか、オクであろうと、これさえ買える余裕は今ないんだけどね。
うちは子どもが学校を卒業するまで一切余裕なしっす(^^;


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レベルが高過ぎる落書きの画像集

2017年03月15日 | アート

天才だろwwレベルが高過ぎる落書きの画像集


なかなかやる。
天才とは思わないが。


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根付展

2017年02月22日 | アート



康宏刀工友の会游雲会のメンバーに教えてもらった。
これにすごく行きたい。
在京タイミングと合うかどうか・・・。
刀を知るには刀だけを見ていては駄目で、刀剣にまつわる装具類
のみならず、
ジャンルを超えた美術的な事柄全般を広く知らないと
ならない。

とりわけ日本固有の匠が存在する伝統技法がある日本美術は、
美術的眼力を養う宝庫といえる。
また、純粋に作品そのものを堪能することも勿論大切だ。
音楽も伝統芸能も、アートの世界は素晴らしい。


首都圏にお住いの方はぜひどうぞ。

こちら ⇒  根付 ~江戸と現代を結ぶ造形~ 展 (三鷹市美術ギャラリー)


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侍百景 其の二

2017年02月03日 | アート


なんかこの女の子、カッコいいぞ。

女性を侍と呼ぶのかどうかは別として。

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侍百景 其の一

2017年02月02日 | アート


なんかこの異人さん、カッコいいぞ。
映画のワンシーンみたいだ。

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ストップ!!ひばりくん!

2017年01月13日 | アート



昨夜は剣友と漫画・アニメネタで盛り上がった。
そうなんだよ。『ストップ!!ひばりくん!』の保存版
3巻は持ってるけど、完結編が収められた版は持って
ないし、まだ結末は読んでないんだよ。
白いワニが来たから先ちゃんは頭が真っ白になって
筆を持てなくなった。落としのプロだったが、ついに
断筆してしまったんだな、先ちゃんは。
数十年ぶりに完結編が製作されたとのことなのだが、
話の内容はネットでも検索したりしないようにして
いる。これは俺的には珍しいことだが、この作品だけ
は別格だ。
別段カマ漫画が好きということではないが、大空家の
中ではひばりくんのビジュアルが一番好きだった。
(姉二人、妹一人も同じ顔をしているのだが)

最後のオチは「実はひばりくんは女性だったのだ。
ゲヒョ~~~ン」というような結論を数十年前には
期待していたが、多分そういうことにはなっていない
だろう。

先ちゃんの絵のタッチは非常に好きだった。『すすめ!!
パイレーツ』の頃はまだほのぼの系だったが、『ストップ!!
ひばりくん!』からどんどこタッチが変化した。
そして、『すすめ!!パイレーツ』の頃に、千葉にプロ
野球球団ができることなど夢にも思わなかった(苦笑



断筆した筈の先ちゃんだったが、ある時デニーズに行ったら
メニュー見て「あ。これ先ちゃんの絵だ」と思った。女の子
の鼻を描いて可愛く見せるということで頭に白いワニが来た
り出て行ったりしていた頃なのではと思う。

『ストップ!!ひばりくん!』自体は他愛もないドタバタ青春
ラブコメなのだが、妙に面白かったし、学生の頃にはかなり
周囲でも人気があった。
どんだけ目が離れてるの?というひばりくんだったが、現実
のアイドルなどは離れ目系はまったく人気が出ずに「ブス」
とされていた離れ目ファン不遇の時代が80年代だった。
それから20年が過ぎ、今世紀に入ってやっと離れ目の女の子
が「かわいい」という市民権を得るようになった。
今のTVやネットに出て人気を博している女の子はほぼ全員
が離れ目であり、80年代までは「ブス」とされた顔なので
ある。

特においらがひばりくんの容姿が好きだった事を知っていた
友人などは、デニーズの向こうの席に女の子がいたら「あ。
かわいい子めっけ」と言い、おいらが「どうせまたガセだろ」
とメニューを見ていると「ほら、あんたの好きそうなひばり
くんみたいな感じ」とか言い、「なっ!」とおいらはメニュー
からそちらを見る、というような塩梅だった。
今のイメージとしては、佐々木希さんが私の中での当時のひばり
くん
に近い。彼女のような顔は80年代にはリアル社会ではマイナー
だったといえる。
それ以前にも相本久美子さんや浜美枝(ボンドガール)さん
などの離れ目スターもいるにはいたが、圧倒的な少数派だった。

だが、私は見抜いていた。実はハリウッド女優のほとんどが
離れ目なのである。日本人の両目は中央に寄り過ぎていてバラ
ンスが良くないのに、それを「美人」だとする風潮が長年続いて
いたのだ。
そして、私は「やがて日本文化の更なる西欧化に伴い、必ずや
離れ目女子がやがて市民権を得る」と1980年代に踏んでいた。
というよりも、私が当時可愛いと思っていた離れ目系女子は
あまりにも男からも女からも「ブス」とか呼ばれていて、
これは個人的主観の問題ではなくハリウッド系女優などの趨勢を
見ていると、妥当性を有する見解とは私には思えなかったので
ある。ナタリー・ウッドなどは典型的な離れ目系だ。日本では、
ひし美ゆり子さんが同系等の顔である。
だが、そうした人たちは、世間では「ファニーフェイス」などと
呼ばれていた。直訳すると「変な顔」である。ひどい(笑)
キャンディーズの蘭ちゃんなどもファニー・フェイスと呼ばれて
いたが、彼女も正統派離れ目系女子だった。
今やようやく「時代」は来た。スプリング・ハズ・カムなのだ。



『ストップ!!ひばりくん!』の完結編はそのうち手に入れよう
と思っている。
『子連れ狼』(愛蔵版)と『ストップ!!ひばり
くん!』は秘蔵物ですね、私にとっては(笑

あと、望月先生の『夜明けのマッキー』だ。












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実写化の逆バージョン ~パーツ的聖地~

2017年01月13日 | アート



努力は買うが、肩甲骨から腰にかかる背中のよじれと、大切
な腰の反り感と、臀部のプリ感が全く描けていない。
この3点は原典の極めて重要なポイントであるのに、悉く
外してしまっている。

ネーム文字に至っては遠近法さえ無視されている。
これはかなりの部分でまるでダメポ的な絵だ。

やはり、創作世界であるのにリアル世界をも超えて見る者を
嫌がおうにも画の世界に引きずり込んだ最初の歴史的突破口
にして最後の到達点である電影少女
時代の桂正和を超える事
は、なんぴとたりとも不可能であるのか。

むしろエロ系の絵師のほうが最近は画力があったりして(笑





うむ、ダサくないよ。全然ダサくない。
ただね、電影少女の場合というか桂正和先生の場合は
違うんだよ。ファッションも可愛いのだけど、決定打
はバックヒップなのよね。この地球上において桂正和
を超える人はこの世にいない。
世界で初めて女の子の下着のシワを描き込んだのは
金井たつお先生だが、超絶描写力で一気に突き抜けた
のは『電影少女』での桂正和先生だった。これは今
でも誰も桂先生を凌駕していない。
とにかく少年週刊漫画連載なのに、画力に圧倒された。
物凄い絵を描く人がいるものだと驚愕した。
スクリントーンの遣い方も絶妙だが、そんなことではない。
とにかくラインの描画が物凄かった。
私は桂正和『電影少女』に学んだ。
エロは突き抜けるとエロではなくなり、もはやそれは
芸術さえも凌駕する聖域を構成するのだ、と。
ヒップレジェンド桂正和を語る時、多くの者はいわゆる
正和シワの金字塔的歴史上の位置に言及するが、尻神様
桂正和の真骨頂は造形描線にこそある。桂正和先生による
線の描画だけで描く質感の写実性は、単なる写し物
ではない本歌をも超える現実感を見る者にもたらす
のだ。そこにこそ、桂マジックの真髄がある。


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猫を散歩させる武者の図(実在)

2016年12月07日 | アート


「着甲武人猫散歩逍遥図」(室町末期)

<解説>
摂津国人の江古田兵庫智則は、猫好きで「ネコタ兵庫」とあだ名された。
江古田は愛猫「陀美」のために猫用の鎧を作ったが、複数の文献記録から
江古田の愛猫は黒猫ではなく銀に黒縞の銀鯖の陀美という名の猫である事
が確認されているのでこの黒猫は陀美ではない。
猫に鎧を着せようとしたが、猫が鎧など喜ぶはずはなく、鎧を嫌う猫に
対して、江古田は、「戦場に赴くに武具をも拒む武辺の心は、誠殊勝の
極みなり」と語ったと、江古田の家臣が記した『石崎源太覚書』にある。


え~と(笑)。嘘である。
徹底したパロディの「芸術的でっち上げ」作品を製作した造形作家の
野口哲哉さんの
作品の一つで、関連した同時展示の作ではこちらもある。


この作品は上掲の室町期に残された武人絵を基に製作したという
設定となっている。
武人画像の説明書きには、「箱書に『全道公 画像一幅』とあるが、
画面に賛はなく「全道」なる人物の来歴も不明である。武装した
人物が猫を連れて逍遥するという珍しい画像であるが、その姿が
近世の逸話集である「昌山記談集」の中に見る「猫田兵庫、大なる
耳の張掛けたる兜に黒糸の具足を着て、金の札たる物之具を着し猫
を傍らに置けり云々」や、「江古田兵庫、二つの山の連なりたる兜
の耳の如く作りたる」等との記述と一致する事から、古くから像主
を猫好きの領主として知られる江古田兵庫智則とする説がある。
描かれた猫について、一部にこれを江古田の飼い猫であった陀美と
する向きがあるが、陀美の毛色は銀色に黒島模様の銀鯖である事が
複数の記録で確認されており、黒猫である本像は陀美以外の猫で
あると考えられる。」とまでする念の入れようだ。

捏造もここまで徹底するとアートになる。
中途半端な悪意ある泥縄ねつ造は、ほころびさえも稚拙なので人の
感動を呼ばない。巧妙なニセ札や精巧な贋作日本刀には職人魂が投入
されて
いるように、贋物は真贋究め難いから贋物を超える正真との
錯誤を
人をして惹起せしめるのだ。
その正真に迫る贋物に出会った時、人は「してやられたり」とある種
どこかでそれを許容する柔和な心が生まれる。
だが、稚拙で推参かつ傲慢であったとしたら、軽佻浮薄な者たちはいざ
知らず、実ある人々からは即座に見向きもされなくなることであろう。









「俺、とりあえずビール」とでも言いだしそうだ。






こうした作品は、エッシャーのだまし絵と同じく、アートなのである。
しかし、いくらコスプレを「我らには伝わっており実在した」として
リアル社会ででっち上げを行なっても、それはアートにさえならない。
痛々しさから滑稽で哀愁を誘うマンガにはなるかもしれない。

作者の野口哲哉さん。武将江古田智則の愛猫陀美とはこれだったか。


野口哲哉と名乗っているが、実はそれは世を忍ぶ仮の名で、
本当の正体はさかなクンである。


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教科書の落書きに対する海外の反応が凄い!漫画大国の実力

2016年12月04日 | アート

【日本人天才だろw】教科書の落書きに対する海外の反応が凄い!漫画大国の実力





最高!(≧∇≦)


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信長Tシャツ

2016年10月22日 | アート





深謝!
ヒデキ感激!

『バリバリ伝説』『頭文字D』を描いている人からすごいの
貰っちゃったよ。

スマホ画像だとよく見えないけど、このプリントなんだか
凄いよ。

最近の塗装技術なのか、実物は本物の金箔みたいに
見えるのさ。こりはなんだべ?


なんだか、ダブルの意味でもったいなくて、着られねぇ~(^^;


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審神者(さにわ)とレイヤー

2016年09月19日 | アート



審神者(さにわ)の抜刀者に腕ある者あり。審神者とは古代に
転じて琴奏者のことを指すようになったが、これなる遣い手は
作句素奏者なりし哉。

というか、レイヤーが居合抜刀しているのではなく、居合抜刀
できる人がコスってるだけなんだけどね。

5秒見れば判断がつく。
お上はなんでもお見通しであるぞ!(笑
揺れるのは刃道のレールが脱線しているから。速いが切れてない。
ファストドロウができても、敵ではなく下向けて撃っては中らない。
ドロウだけではダメなのである。

と10数年前にナマダにハマっていた私が言ってみるテスト。
まあ、コミケとかいろいろあるけど、日本のコスプレとカメ子は
ナマダが先駆者だ。特にコスを流行らせたのはメタボギアの
ナマダだと言っても過言ではない。
アングラのサブカルの世界をセミオープングランドまで引き上げ
たパイオニアがナマダだった。


離れ目ナマダは未来永劫かわいい。離れてるのは目だけではない
というアニオタにとってはとても重要なポイントもあるのだが。

すっぴんの素顔は多部未華子ちゃんに似ている。
しゃべり方は酔っぱらった桃井かおりみたいで、何言って
るか
よくわからないが。
もう、ナマダは結婚しちゃったけどね。
ナマダの本職はナースだ。

「スカートの中は宇宙である」。彼女はレイヤーというより
アーティストである。
では、「宇宙の中には何があるの?」と尋ねたくもなるが。
ナマダは最近復活した。



昔のナマダ。


どうだ。後年のカタチのみの追従者たち。彼女の宇宙が掴めるか。




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画題 ~梅~

2016年09月09日 | アート


梅には様々な画題があるが、それ以前に梅には多くの別名がある。

・百花魁(ひゃっかのさきがけ)
・暗香(あんこう)
・疎影(そえい)
・香雪(こうせつ)
・清友(せいゆう)
・好文木(こうぶんぼく)
・春告草(はるつげぐさ)
・風待草(かぜまちぐさ)
・木の花(このはな)

宋の詩人林逋は多くの梅の詩を作ったが、「疎影」と「暗香」については
「疎影横斜水清浅」
「暗香浮動月黄昏」
の二詩が文人には知られている。

梅が出てくる画題では「四君子」がまず筆頭だろう。
四君子とは蘭、竹、菊、梅を草木の四君子として称える捉え方だ。
君子とは徳と学識、礼節を弁えた人を指し、文人は諸人が君子になる
ことを目指したが、これはのちに武人たる武士の生きる心得としても
武家精神の中心幹に置かれた。
文武両道の概念が定着した江戸期以降は、武士は武技だけが秀でて
いても駄目で、徳と学識と礼節に深くなければならなかった。
それゆえ、武士の剣は君子の剣たることこそ求められ、蛮族のそれ
とは一線を画すという精神土壌が江戸期に培われ、それが現在までも
日本人の精神文化として継続している。

さらに四君子の画題は、春=蘭、夏=竹、秋=菊、冬=梅という季節
表現としても中世頃から用いられてきた。
そして、梅については、画の表現としての題は「如月朝もやくらきを
さいて光る梅のこころ」という一語に尽きる。寒中、百花にさきがけて
咲く力強さを表現するものとして梅が画法の表現世界ではよく用いられ
るようである。

私の画像で四君子を説明すると以下の通り。
竹だけは、庭に矢竹を植えているのだが、撮影してないので別物で(笑)。
すべて私の家にあったものである。

春は蘭。


夏は竹。


秋は菊。


冬は梅。


オマケ。桃ちゃん(笑)。わが栄光の桃ちゃんは永遠に不滅である!


やはり、梅より桃だな、桃だよ、桃!(笑)。
地球上で一番かわいい桃ちゃんよ、永遠に!


かつてサユリストという種族が日本にはいた。
私は、モモイスト原理主義者である!(キッパリ)


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小林健二さんのポストカード

2016年09月08日 | アート

刀工小林康宏師の御弟子の方からハガキで手紙をいただいた。
それは過日の五月の連休中に私たち康宏友の会有志メンバーが
康宏日本刀鍛錬所の工房を訪ねた時の御礼方の内容だったが、
こちらこそ大変お世話になり通しだった。恐縮する。

その文がしたためられたハガキは康宏の実弟のアーティストの
小林健二さんが描いた
アートのポストカードだった。





作品の下にはこの言葉が印刷されている。


黄色文字が読みにくいかもしれないので、画像加工で自動調整
するとこうなる不思議。サンスクリット語は私は解さない。
まして、般若心経などは、漢字で書いてあっても意味が理解
できないという私の超ウルトラ・ネガティヴ現実これあり(苦笑
だから画像をネガったという訳ではないのだが。



ただ、一応それらしく私なりのナンチャッテ解説をすると、これは
「ルーパム シューニヤター シューニヤタイヴァ ルーパム
 シューニヤターヤー ナ プリタク ルーパム」と読む。
これは般若心経の「色即是空 空即是色 / 色不異空 空不異色」
の部分であり、和訳で意訳すると「この世では物質は空性であり、
空性とは物質に他ならない。物質なるもの、それは空性である。
空性なるもの、それは物質である。」という意味を表している。

学のない私には、言ってることは紐解けても、原語が非常に複雑
で難解であり、言語学的に学識を有しないと、サンスクリット語
あの独特な語の変化がどのような表現意図とリンクしているの
かを理解
することはかなわない。中身が理解できなければ物事を
理解したことにはならない。

そして、何よりも、宗教というよりも、かなり哲学の深淵領域
に入り込むので、簡単にサクッとは理解するのは困難なのである。
それは、マルクスの理論を表面上知っていても意味がなく、ヘーゲル
の弁証法哲学をどのような内実で批判的に継承したのかに理解が
及ばなければマルクス主義を理解できないのと同質の世界がある。

ということで、あくまでも私の上記解説は、ごくごく表層部分
の上っ面ダダすべりなので、あまり参考にはならない。


刀工小林直紀康宏の実弟、アーティストの小林健二さん。


う~む。描く世界もアバンギャルド。
しかも男前。
天は二物を与えることがたまにあるようだ。

ちなみに、ハガキをいただいた康宏師の御弟子(厳密には
先代の先生からの御弟子の製鉄研究者)さんも、これまた
男前すぎるほどに男前なのである。しかも、出身大学も
現本職も超インテリ。
天は二物のみならず三物、四物をも与えることがたまにある
ようだ。

これまでルビコンジャンプの繰り返しだった私とはあまり縁
がないような方々との縁が広がっている。
跳べと誰かが言う気がする。ここがロードスなのかも知れない。


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風景画 ~横浜~

2016年09月04日 | アート



横浜、日本大通り。
「にちだい通り」ではない(笑

この場所、水彩で描きたい。


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好きなカット ~バリバリ伝説~

2016年08月30日 | アート



不朽の名作『バリバリ伝説』(1983~1991/しげの秀一)で、
全編を通じて一番好きなカットはこれだ。


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