渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

鍛冶師の手

2017年02月12日 | 火と土と水、そして鋼





鍛冶師の二人。
刀工小林康宏二代目と江戸刃物師左久作三代目。
二人とも鍛冶師の手を持っている。

力技は使わない。剣術・居合術の練達者と同じだ。
腕の良い板前がそうであるように、手はふっくらとしている。
剣術や居合術でも、手にタコができるようではまだまだ半人前だ。
得物を使う練達者の手は、余計な筋肉ではない必要な筋肉と
いう「肉(しし)」がついてふっくらとしているのである。
ギタリストの手は違う。吉田たくろうの『7万5千円の右手』の歌詞に
ある「こんなに汚れてマメだらけ でもいいんだこのままで ギターを
弾くのだから」というのは少し違うと思う。練達のギタリストの手は
ピアニストのように細く長くシャープだ。
だが、できる鍛冶師と剣士の手は、ふっくらとしている。


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小林直紀の刀

2017年02月11日 | 火と土と水、そして鋼





ヤフオクに小林直紀先生の銘の刀が出ている。
見てすぐに直紀ではなく初代作と私は判ったが、昨日半日直紀先生と
一緒にいたので確認してみた。
親子合作である。自家製鉄。
実質的には、ほぼ100パーセントに近い割合で初代小林林康宏の作だ。
この時小林直紀は30代。刀工免許取り立てで、まだ刀工としては
覚束ない頃だったという。
「僕ぁ刀なんてまともに作れなかったから」と本人は言う。
このヤフオクに出品されている直紀の銘は正真だが、作刀時の肝心要
どこは初代康宏の手によると本人から昨日聞いた。
因みに小林直紀が二代目康宏を名乗るのは、初代康宏小林林先生が
鍛錬所で水垢離して心臓麻痺で亡くなった後の1988年からである。

初代康宏(本名 小林 林)

社員数百人を抱える会社の経営者だった
が、日本刀の魅力
に引き込まれ、残りの
半生を命がけで日本刀
製作に傾けた。
初代小林康宏は鍛練所で息を引き取った。
康宏の子息たちはお手伝いさんが何人も
いる裕福な家庭で育ったが、父が刀工に
転じてからは苦労も多かったという。


二代目康宏小林直紀。昭和19年東京都
芝区田村町(現港区新橋)生まれ。


二代目康宏は、初代の作刀技法にさらに独自の工夫を加えた。
「あのあれは初代のやり方ですか?」と私が訪ねたら、「はいっ!」と
手を挙げて「あれはワタクシが考えました」と直紀先生は言った。
笑顔が小学生みたいだった(^。^)

昨夜、河岸替えましょう、と街を左久作池上兄様と3人で歩いた。
池上兄様は身長190近くで長身だ。歩くのも早い。一方、直紀先生は
身長160ない位だ。池上兄の脚は私もやっとついて行くような速度だが、
遅れまじとする直紀先生の歩き方の足の運びが、とっとこハム太郎に
見えて可愛かった(≧∇≦)
信号待ちの時、「先生、一時期痩せたけど、また少し肥ってきました?」
と私が訊くと、「いや、最近また痩せてきた」と。
すると池上兄様は「そいつぁいけねえよ。そいつぁいけねえ」と。
私が「丸くないと小林直紀!て感じがしない」というと、池上兄も
「その通りだ(笑」と(^。^)
まんまるハム太郎が刀を作っている。
とっとこ歩く刀鍛冶72才。まだまだ作る。
話をしていると日大芸術学部の頃のままなのだろうか、まったくじじ
むさいところは一つもない。
何事に対しても偏狭な視点が直紀先生には一つもないとこが私は好き
だな。
私や池上兄様のように、この野郎!などと声を荒げて怒ったことなど、
多分、一度もないのではなかろうか。
だが、性格がまるで違うこの三人、妙にウマが合う(笑






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江戸時代の鉄 黒田公の鉄

2017年02月11日 | 火と土と水、そして鋼




江戸刃物師である左久作池上の兄様から、驚きの物を頂いた。
買おうとしても買えない。まず、市場には出ない。
伝統刃物鍛冶の鉄のプロだから手に入れられた江戸時代の釘である。
釘といっても短刀くらいの大きさがある。
これだけで武器になりそうな。
長さ9寸はある。
斬釘截鉄を禅語だと知らず、「普通の刀なら釘位どれでも切れるのに
こんな銘を入れて」と嫌味を言った刀工がいたが、江戸時代の屋敷の釘
とはこれだ。これがご自身の作で切れるとでも?
これでひっぱたいたら頭蓋骨陥没するような釘だよ。というかこれが釘。
だからこそ斬釘などと禅語でも言われた。簡単に切れる物を喩えには
使わないだろうに、二重の意味で物事が解ってない。
「斬釘截鉄」の禅語は「虎徹」と同じ原意で、「貫き通す意志の強さ」の
ことを表している。

これは、筑州黒田藩の藩主黒田公の御屋敷で使われていた江戸時代の釘だ。
建物解体の際に出たものを人を介して左久作池上兄様の所に来た物だ。
出処確か。鉄の質も頗る良い。
池上兄様は、一部を火花試験したが、「未知の鉄」とのことだった。
左久作工房は、国内で一番和鉄の保有量がある。日本で一番ということは、
世界で一番ということだ。
その池上兄様が「未知」という鉄。質は良い。だが、謎の鉄。
黒田の殿様の御屋敷に使われていたという稀少な来歴もさることながら、
鉄質がこれまでに見たことがないような鉄だという。
池上兄の所見は以下だ。
「慶長年間前後かと考えています。確固たる証拠があるではないのですが、
鉄肌がざっくりで穴のあけ具合に精緻さが無いのです。とにかく穴をあける
事に追われたって感じ。江戸時代になるどほとんどの穴は、スコーンと同じ
大きさに見事にあけられるようになり、なにかしらの技術革新が行なわれたと
推測できます」
鉄に関して池上兄の知見は信用できるので、識者の一つの所見としては、
やはり慶長あたりの鉄といえるのではなかろうか。

二つ頂いた。
一つは桐箱に入れて、黒田藩の家老を先祖に持つ方に来歴の添え書きを
して進呈しようと思う。
もう一つは、うちの家宝にする。


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鋼の育て方

2017年02月11日 | 火と土と水、そして鋼

私作の小刀

刀工小林直紀師と話していて直紀先生は言う。
「斬鉄剣て自分から言ってはいけないとあぁたにも釘刺されたし、
その通りだと思うからから、自分では言ってないからね」と(^_^;)
元々師匠は自分では言わなかったけどさ。
でも念押ししてたら、そう言われた(汗

まあ、他の人が評価的なニックネームで斬鉄剣の名称を冠するのは
問題ないが、自分から「斬鉄剣」との名を冠して他人に言うのは、
ちと僭越だし筋違い。
それは、刀工が自分で「刀匠」と冠して人に自己紹介する珍妙に
似ている。
また、自分で自分を名人と名乗ったりの奇怪なことにも似る。

私の小物の作も全て斬鉄試験クリアの物を人に進呈してきたが、私が
話の流れで斬鉄と言うことはあっても、「斬鉄剣を作りました」と
人様に言ったことはない。独白と対人口上は違う。
それと、小林康宏が作る刀が全て斬鉄剣ではない。これは作者本人も
言っている。

私が作る小作品が何故斬鉄しても康宏直紀師の斬鉄剣作のように
刃こぼれしないかについて、直紀師は私に昨夜ファミレスで言ってた。
「あぁたは、あたしと全く同じことやってるからだよ」と。
師伝は師伝だ。全く同じにやらないと師伝とはならない。これは、
当たり前田のクラッカーなのだ。
ただ唯一違うのは、鍛錬の場所が違うので、水と土が異なる。
これ、かなり大きなファクターではあるのだが、特定技法はどうやら
それを凌駕している。ある、特定結果については。

左久作の兄様からは、昨夜、水素爆発で火傷になりにくい方法を
教わった。
ああっ!
気づかなかった(≧∇≦)

神は勝手に人間を作り、蛇の入れ知恵で勝手に人間が知恵をつけたら、
神は勝手に「駄目だ、こいつら」と投げ捨てた。
だけど、人間だって苦労していろいろ考えてやってきた。
人間の人間らしいところは、神の言葉とは別に、人間が教え伝えること
からも学ぶことができる事だ。師匠、先達の教えは尊い。
それのみか、時に人間はニャンコ先生からも学んだりする。田舎っぺ大将の
風大左エ門のように。
ボブ・ディランが歌った「答えは風の中にある」とはまさにこのこと(違



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鍛冶屋の猫

2017年02月11日 | 火と土と水、そして鋼



江戸刃物師左久作-池上の兄さんの鍛冶場には、かわいい鍛冶屋の
招き猫がいる(^。^)

これは月島のセキレイ。


「何ですかー?」という感じでこちらを見る。


これは私のセキレイ差し。別名「水流し」とも古来から呼ばれる。


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笑う鍛冶屋

2017年02月11日 | 火と土と水、そして鋼


刀工小林康宏も左久作も実にいい笑顔で笑う。
そして、一緒に過ごしていると、親の血を引く兄弟よりも、というもの
を強く感じる。

とにかく、明るい笑顔がある人生てのは、悪くないと思います。
あたしも端っこに仲間に入れて貰って、もんじゃ食べました。


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小柄小刀之矩

2017年01月28日 | 火と土と水、そして鋼



一応、水心子正秀がまとめた小柄小刀之矩を載せておきますね。
必要な方は参考にしてください。
棟区のカクカクッとなったところがミソみたい。ヤスリで丁寧にどぞ。


(製作者 私)

直刃に見える部分は小丁子の出来。


クリックで拡大


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天然砥石で押す

2017年01月24日 | 火と土と水、そして鋼


天然砥石 備水(びんすい)/粒度#800~#1200

思うに、人造のアルミナ砥石をただの削り石として使用する場合と、
リン酸
カルシウムを主成分とするジュラ紀から三畳紀のコノドントの
微化石を天然
砥石として切り出して使用する場合では、研削という
研ぎ効果だけでは
語れない大きな違いが出てくることを知覚する。
だが、いわゆる荒砥石の場合は人造砥石でも十分かとは思う。
ただし、中半以降の研磨工程では天然砥石が欠かせない。
実用刃物である包丁においても、天然合わせ砥石で刃先処理した物
人造で刃先処理したものでは、使用の際に明らかに使用感が異なる
ことが判る。
人造は天然を超えられない。これは神の采配のように私には思える。
人が生物を造り出せないように、生物の化石も人は造り出すことが
できない。生物の化石によって作られた天然砥石は、神が人に与え
たもうた贈り物なのだ、と。


目の細かい備水により無駄に先だけ蛤刃にされた刃肉を整える。
本来は元から先まで施してあげたいが、試斬用に「きちんと刀の形に
戻してあげる」という成形なので、真ん中から先だけという複雑な思い
あり。昭和40年代初期の古研ぎがひどく、刀身全体を光に透かして
みると平地部分も刃部分も凸凹がひどくかなりうねっている。これを
完全に整えるのには刀身全体を荒研ぎまで戻して完璧に成形しな
ければならなくなる。


それと、今回の成形は、度重なる試斬の際の小刃付け寝た刃合せ
により先だけが異様な蛤刃になってしまって形を崩した刀身の刃肉
を適正にしてやるのが主目的である。

薬品を使って錆除去をしたであろうことによる刃中のケロイド状ただれ
荒れを完全に私が除去した部分。砥石目は残っているが、地刃を
軽く
引くと鍛えの素顔が見えてくる。本来はこの下地の砥石目は完全に除去
する。鎬を蹴ったり刃先の端を丸めないように気長に正確に研ぐのだ。
この部分に関しては刃部は適正な肉置き(ししおき)にした。肉を余分
に削ぎ落してペッタンコにはしていない。これでも十分に平地と刃部が
均整のとれたR平面の全体的な蛤状にしてある。


刀身全体の凸凹のうねりを完全に除去してあげたいのだが、
そうなると本研ぎとなってしまい、本職の研ぎ師以外では困難
であろうと思う。
今回の目的は刀身全体の本成形ではなく、あくまで試斬刀と
しての適切な刃肉にするというところにある。
下手な刃付け=シャープニングばかりを刃先に施されて大きく
形を崩した刀身の上半分を適正な本来の刃肉形状に整形=
ホーニングしてあげるというのが今回の主目的だ。
本当ならば、つまらぬごまかしの化粧研ぎなどいらないから、
きっかりとした下地で形をきちんと整えてあげたいというのが
本当の本音。

いくら地艶刃艶で研磨して拭いをよくかけて刃取りで誤魔化しても、
下地ができていない刀身は光に透かすとすぐに凸凹の光の反射
でばれてしまう。昭和40年代初期の刀剣ブームの頃の早研ぎが
いかに表面だけの化粧騙しであったかがよく判る。ただ表面上を
つんつるてんに磨いて光らせているだけだ。これを果たして研ぎと
呼べるのか。

刀自体は戦国実戦刀であり、大切れで有名なために戦国武将たち
が好んで求めた刀工群の刀だ。数打ち量産品ながら実用刀剣と
しては良刀である。むしろこちらこそが本来の日本刀だ。
いわゆる「脇物」だからか、「この程度」という感じで化粧騙しの研ぎが
古研ぎで為されていた
ことが非常に悔やまれる。
これは下地がきちんとできる日本刀研ぎ師に本研ぎに出して、ビシッ
と成形してもらえばちゃんとした本来の日本刀の形に全体を復元できる。
本当ならば、試斬などには使用しないで、腕の良い研ぎ師に依頼して
きちんとした姿に戻してあげたいほどだ。
だが、昭和40年代、高度経済成長期の戦後第一次刀剣ブームは、
日本刀本来の姿にするのではない、見た目だけの表面上の研磨を
施して「商品」として横から横に流すこのような研ぎが多くみられた。
残念なことである。
取りあえず、刀身のうち半分のみは刃部に関してのみ適性形状に
戻すことをしてあげた。平地まできちんと押してあげたい欲求を抑え
ながら。


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窓開け

2017年01月20日 | 火と土と水、そして鋼


金剛・・・キリ
備水・・・筋違
改正・・・キリ
中名倉・・・縦(たつ)に突く
細名倉・・・縦(たつ)に突く
内曇・・・縦(たつ)に引く

これをやって地刃を見せないと登録できない。
東京都や埼玉県などは、また別な方法のようだ。

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刀の素材と造り方 〜源を辿る〜

2017年01月18日 | 火と土と水、そして鋼

(康宏鋼)

古鐡卸、自家製鉄、硬軟混ぜにアゲとサゲ。
いろいろあるが、結果としては出来た刀もいろいろある(笑
中国の刀剣は宗(960〜1279)時代以降は後の江戸期以降の日本の
包丁のような合わせ鉄だ。硬軟の二枚合わせのため、焼刃を形成
する刃文はなく、青紙割り込みの肥後守のようになっている。
丁度その頃に日本では湾刀である後世に日本刀と呼ばれる刀剣が
発生した。東北地方での平将門軍が東北在宅勢力の伝統刀剣を参考
に湾刀を製造し、騎馬と併用した圧倒的戦闘力で大いに朝廷軍を
悩ませた。
その平将門の蜂起から100数十年前には、やはり朝廷軍は東北
の雄阿弖流為(あてるい)を制するのに苦労した時に東北の在地勢力
の刀剣の頑丈かつ鋭利さを思い知らされた筈だが、何故かしら
大和中央では湾刀発生は見られなかった。
後の日本刀となる湾曲した刀剣は、東北「征伐」によって制圧
して捕らえた製造技術者である産鉄民による所謂「俘囚」の剣が
ベースとなって、やがて朝廷中央でも、大刀(たち)や横刀(たち)は
太刀(たち)へと変化していく。
日本国内で、朝廷の国内統一政権下で朝廷が武士を使って全国各地
の在地勢力を武力と謀略で封じていった。
(クマソ「征伐」の時代からヤマトは信用させておいて首を掻く
ような実に汚い騙し討ちを常用することで各地の在地の勢力を
制圧してきた。
裏を返すと、そのような手管を使って人を欺かないと抑え込めない
ほど各地の勢力は強く、また、ヤマト王権は強大な力もなかった
ということである)

武器としての日本刀の発生は、「俘囚の剣」に始まり、大和朝廷
とその朝廷に使われた新興武力階層である「武士」によって広まった。
(武士とは発生原初は国造や荘園領主などの自己権益保全を目的
とした勝手な私的武装自衛団。元々が野人であるため、狩猟での
弓馬や武器使用による戦闘技術に長けていた、朝廷からすると
人以下の下層民と扱われた集団。これに貴種降誕譚を付会させて
一定の権威をもたせた。在地を軍事力で守ることから「一所懸命」
という日本語が発生した。現在多く見られる「一生懸命」は誤用)

武士が常備したのは弓と馬と刀剣だったが、刀剣の製法も材料も
時代と共に変化した。
刀剣界では鎌倉古刀が最上とされる気風があるが、けだしそれは
ある面では私も大いに首肯できるところだ。
しかし、地鉄(じがね)としては、平安末期、源平の頃の刀剣
の地鉄に惹かれる。
義経の太刀に刃こぼれが見られるのは気にはなったが(苦笑

それでも、どの時代の刀剣も、私は嫌うことはできない。
よく、特定年代の刀を毛嫌いする向きが刀剣界には多い。
応永以降に刀無しとしたり、末古刀は下作ゆえ買うなとか。
(そういうことを刀屋がサイトで発信したりしている。文化破壊者
とは実はこうした者たちのことなのだろう。すべては、ゼニカネ
が第一義であるのだ。レクサスのみが車で軽自動車は車ではない
から買うな、みたいなことを平気で、しかも本気で言う。言う
どころか、それを高尚なことであるかのように広めようとして
いる。だが、実体は、こうした者たちによって、日本の真の歴史
には蓋をされ、人々の文化は破壊されていく)

特定日本刀のみを日本刀であるとするような視点は私には存在
せず、全ての日本刀を私は愛するが、それでも、好みはある。
私個人としては、肌物鍛えよりも小杢がつんだ青い肌が好きだ。
ごく細かい精緻な地錵がついたような。
かといって錵出来物では
ない。
そうした作が好きである。
あえて言うなら来(らい)だが、来は個人的印象では、ややチリチリ
した明る過ぎる感じを
受ける。
もっと、澄んだ水底に引き込まれるような深い作がよい。
私の理想は、直刃調小乱れの青江次吉、南北朝時代。
初めて博物館で観た時、その作の前で3時間、呆然と立ちつくした。

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鍛造刃物焼き入れ

2016年11月28日 | 火と土と水、そして鋼



東北の人士が東京に赴き、火と土と水そして鋼の体験会を開いたそうだ。
こうしたことはとても意味が深いと個人的に思える。
一般的には経験できないことが体験できる場の提供、ということ以上に
日本人として知っておいてもらいたいと思うことが私個人としてはあると
感じているからだ。素晴らしいことだと感じている。
奈良京都→東京の人間ではなく、東北の人が行なうというところに私は
個人的に大きな意味を感じ取る。


日本の製鉄の開始は、国定教科書などでは5乃至6世紀からとされて
いる。
果たしてそうか。
ヤマトは鐵を持ち得ていなかったからこそ、各地を「征討」していったの
ではなかったか。
そして、新時代の砂鉄製鉄技術を完全に掌握したのが5~6世紀では
なかったか。

私は、超古代製鉄を担ったのは、ヤマトではなく、エミシ、クマソ、ハヤト、
イズモ(のちヤマトに征圧され恭順)、キビ(のち
ヤマトに征圧され恭順)
の人々だったと考えている。
製鉄技術の担い手は、散々各地で騙し討ちを繰り返して権力を掌握した
ヤマトではない。(騙し討ちなどの汚い手を使わずば各地の在地勢力を
潰せない程、ヤマト一派自体の権力は本来薄かったのがこのクニである)


真の歴史は詳らかには分らないが、歴史の常として、「勝者によって書き
変えられた歴史」というものがいつも「正統」であるとして公式には権力者
によって伝えられ教育される。それは現代でも続いている。
しかし、そこに果たして、本当の歴史の真実がどれほどあるのか。

「勝者の歴史」に安住の地を求める嗜好性は、私にはない。
人を踏みつけてその上に立って得る物理的あるいは精神的な権益からは、
心の幸せを感じないからだ。
私の日本の産鐵に対する研究の視座はその軸をずらさない。
この国に君臨した中央王権の権力は、どのような歴史、どのような行為に
よって築かれたのかを知る時、どうして権力への尻尾振りのポチになど
なれようか。
私の中には、そうした視座が確実に生きている。それは血裁猛省などと
いうものとも異なる、もっと透徹したクニと人と父母、子たちとハラカラを
愛する心だ。
無論それは「大和魂」などとは異なる、もっと根源的な愛国心だ。



↓ こちらもご覧くだされば。

鬼の豆

古代産鐵をみる



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鍛冶鎚

2016年11月09日 | 火と土と水、そして鋼



鍛冶屋さんのトンカチは微妙にコンニチハしているのが特徴。
これは金床(かなじき)の上に載せた刃物を叩く時に金床の
上面とトンカチの打撃面が真っ平になる角度が計算されて
いる。
だから普通は鍛冶鎚は鍛冶屋さんが自分用を自分で造る。
鋼材はS55Cの太丸棒などがよく使われる。
鎚は超硬質でも駄目だし、柔らかすぎても駄目で、鍛造で使う
うちにわずかに変形する程度の硬度が良いようだ。

一見変わった姿のこの鍛冶鎚というものは、一般的なトンカチ
比べて、なんだかとても可愛い姿のように私には思える。


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北の剣士の焼き入れ会

2016年10月25日 | 火と土と水、そして鋼







(≧∇≦)

すげ〜。
いいなあ、焼き入れ会。
俺もやったなあ。
ツッパッてる奴がアヤつけたから体育館の裏に呼び出してボッコボコにし…(違

ツェーマンなら格安ではなかろうか。
おいらは山での飲み食い代出して貰って6本分チャラだったけど。
あと川崎の人の自宅庭での4本分の時も飯食わせてもらったし、他の山での
時も飯を…って、食う事ばっかじゃんか(≧∇≦)

これ、もはや日本刀だすな〜。
おいらのはここまで冴えが出ない。
おらのは眠くて匂い口が潤んで沈む。



と、昼休みに高速SAで書いてみるテスト

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刀工と打ち合わせ

2016年10月21日 | 火と土と水、そして鋼


二代目康宏と初代の伝記出版の打ち合わせ。

私の平成4年(1992年)には映りはさほど立たず地錵(じにえ)がビッシリだが、
最近の康宏作はどの作も映りがかなり出ている。
この作も、波のような映りの上にオーロラ状の映りが明瞭に出ている。
プログレッシブに高度が異なる状態を刀身に付与させており、極めて堅牢で
あろうことが推認できる。













先反りの強い段平(だびら)姿の武用専一作。
かなり以前に注文していたうを新本人の替え差しである。
これで、プロトタイプでもあった第1号刀の斬釘截鉄(ザンテイセッテツ)は
保存モードにシフトさせるという。
と、いうことは、うを新は使わないので、1本余る。
て、ことは、おいらがザンテイくんをロハでいただきマンモス、やったね
パパ!あしたはホームランだ!と。(1970年代の吉野家のCM)
いつでも所有権移転の書類は用意して、別途ご連絡をお待ちしております
ので、どぞよこしこちゃん>うを新


(追記)
連絡あり。
200万なら俺に売るそうです(≧∇≦)

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鋼を料理する剣士

2016年10月12日 | 火と土と水、そして鋼


これはすごい!
炉もそうだが、鍛造セットを作って出張何でも鍛造団をやってる!
この回転式吹子がいいね~。

この人、すごいね~。野外焼き入れ会はよく見かけるけど、こういう
フルセットをミニで本格的に作ってしまうのは国内でこの人だけ

ような気がする。おいらは、送風はドライヤー使ってたもの。

では電源は?となると、超なげーコードで引っ張って来てた。
それでは本当はダメじゃんねえ。
すべての居合の根源流派のこの人、ただもんじゃないす。
というか、本業はねぶた師なんだよなぁ。つまり、創造者でもある
わけです。


ツイッターはこちら ⇒ YAMAGEN(鍛造動画あり!)


だけどさあ・・・・。
おいらは予め作った物を山のキャンプ場に持ち込んで、それで
焼き入れをやっていたけど、現場で鍛造というのは、一晩置く
ことが必要な焼き鈍しの応力除去はどうするのだろう・・・。
焼き入れの前には必ず焼き鈍して鍛造応力を抜いてやる必要
があるのだけど、数時間置きくらいじゃ抜けないし、調質を経ない
刃物はとてもよろしくない質性になってしまうのだけど・・・。
無論、私などでも残留応力除去とオーステイナイト化には細心
の注意を払うのだけど、現場鍛造はデモとしてはいいけど、仮に
それをそのまま火作って土置きして焼き入れとなると、かなり
完成度が低いというか冶金的にアウトな工程になってしまう。
そのままだと、刃切れが出たり、焼きが入っても刃がポロリなんて
ことになりかねないのでは・・・。

江戸刃物師の左久作のあにさまの所に行った時、目の前で私の
ための刃物を
サッと打ってくれたが、一番欲しかったのはこの焼き
鈍し用の
灰だった(笑)。
これはですね、とっても重要な物なんす。これをどう使うかで
刃物の
粘りが出るかどうかが決まる。斬鉄刃物になるかどうかは
すべては
熱処理(応力除去を含む)にある。斬鉄剣の最たるものはタガネだ
よね。鉄や鋼を切り開いて彫り物をしたりするのだから。
昔は超硬質合金などはなかったのだから、鋼で鋼を切っていたという
ことになる。つまり粘りがあって高硬度の鋼を鍛冶職が造り出していた
ということだ。すべては火加減と湯加減による。



しかし、それにしても東北が今熱い!
武術とこういう文化継承再現の実質行動は、東高西低という
感じがする。
おいらは東の生まれ育ちだが、なんだかんだいって、西に住む
時間がそろそろ今までの1/3人生ほどになってきた。
西にはどうしても土地柄や人柄が馴染めないところがあるが、
これはやむなし。
ただ、今でも西にいることは、「長期滞在」という感覚が払拭でき
ない。「定住」しているという感覚がほぼない。
これ、もしかすると代々かもしれない。先祖代々、一千年に亘り
各地を転々としていたから。

私自身も各地を転居してみて、あるいは仕事で全国を廻ってみて
強く感じるのが、「東日本と西日本はまったく別文化、別人が棲息
している」という確固たる現象だ。一見、同じ日本人のようだが、
まったく違う。
これはやはり、古代の歴史そのままのように思える。
あと、九州は九州で独立文化圏だね、あそこは。ある意味、古い
東北に似ている。
やっぱ、「ヤマト」と「それ以外」という図式が21世紀の現在でも
続いているのだろうなぁ。
沖縄の人は沖縄以外の日本人を「ヤマトンチュー」と呼んでいるけど、
実際には一括りではなく、大別すると「東西」でまったく別物なんだ
よなぁ・・・。ほら、東日本と西日本ではワット数からして違うしさ(違

閑話休題-
YAMAGENさんの鍛造刃物焼き入れ会は、これ多分参加者には
とても喜ばれたと思う。
おいらも何回かやったけど、参加した人たちは心から喜んでいた
みたい。
おいら、青森に行って、彼の実家のラーメン食べたいなぁ。死ぬま
でに(^^
青森、行きて~なぁ・・・。

つか、閉鎖炉にしてる~(^0^)

こちら閉鎖炉の典型。小林康宏のとこから独立して美作国に帰って
備前伝を打つ安藤師の炉。雪のカマクラみたいだね。おいらは勝手
にオバQ炉と呼んでるけど。

厳密には、オバQよりも弟のO次郎にクリソツなんだけどね。


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