渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

窓開け

2017年01月20日 | 火と土と水、そして鋼


金剛・・・キリ
備水・・・筋違
改正・・・キリ
中名倉・・・縦(たつ)に突く
細名倉・・・縦(たつ)に突く
内曇・・・縦(たつ)に引く

これをやって地刃を見せないと登録できない。
東京都や埼玉県などは、また別な方法のようだ。

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刀の素材と造り方 〜源を辿る〜

2017年01月18日 | 火と土と水、そして鋼

(康宏鋼)

古鐡卸、自家製鉄、硬軟混ぜにアゲとサゲ。
いろいろあるが、結果としては出来た刀もいろいろある(笑
中国の刀剣は宗(960〜1279)時代以降は後の江戸期以降の日本の
包丁のような合わせ鉄だ。硬軟の二枚合わせのため、焼刃を形成
する刃文はなく、青紙割り込みの肥後守のようになっている。
丁度その頃に日本では湾刀である後世に日本刀と呼ばれる刀剣が
発生した。東北地方での平将門軍が東北在宅勢力の伝統刀剣を参考
に湾刀を製造し、騎馬と併用した圧倒的戦闘力で大いに朝廷軍を
悩ませた。
その平将門の蜂起から100数十年前には、やはり朝廷軍は東北
の雄阿弖流為(あてるい)を制するのに苦労した時に東北の在地勢力
の刀剣の頑丈かつ鋭利さを思い知らされた筈だが、何故かしら
大和中央では湾刀発生は見られなかった。
後の日本刀となる湾曲した刀剣は、東北「征伐」によって制圧
して捕らえた製造技術者である産鉄民による所謂「俘囚」の剣が
ベースとなって、やがて朝廷中央でも、大刀(たち)や横刀(たち)は
太刀(たち)へと変化していく。
日本国内で、朝廷の国内統一政権下で朝廷が武士を使って全国各地
の在地勢力を武力と謀略で封じていった。
(クマソ「征伐」の時代からヤマトは信用させておいて首を掻く
ような実に汚い騙し討ちを常用することで各地の在地の勢力を
制圧してきた。
裏を返すと、そのような手管を使って人を欺かないと抑え込めない
ほど各地の勢力は強く、また、ヤマト王権は強大な力もなかった
ということである)

武器としての日本刀の発生は、「俘囚の剣」に始まり、大和朝廷
とその朝廷に使われた新興武力階層である「武士」によって広まった。
(武士とは発生原初は国造や荘園領主などの自己権益保全を目的
とした勝手な私的武装自衛団。元々が野人であるため、狩猟での
弓馬や武器使用による戦闘技術に長けていた、朝廷からすると
人以下の下層民と扱われた集団。これに貴種降誕譚を付会させて
一定の権威をもたせた。在地を軍事力で守ることから「一所懸命」
という日本語が発生した。現在多く見られる「一生懸命」は誤用)

武士が常備したのは弓と馬と刀剣だったが、刀剣の製法も材料も
時代と共に変化した。
刀剣界では鎌倉古刀が最上とされる気風があるが、けだしそれは
ある面では私も大いに首肯できるところだ。
しかし、地鉄(じがね)としては、平安末期、源平の頃の刀剣
の地鉄に惹かれる。
義経の太刀に刃こぼれが見られるのは気にはなったが(苦笑

それでも、どの時代の刀剣も、私は嫌うことはできない。
よく、特定年代の刀を毛嫌いする向きが刀剣界には多い。
応永以降に刀無しとしたり、末古刀は下作ゆえ買うなとか。
(そういうことを刀屋がサイトで発信したりしている。文化破壊者
とは実はこうした者たちのことなのだろう。すべては、ゼニカネ
が第一義であるのだ。レクサスのみが車で軽自動車は車ではない
から買うな、みたいなことを平気で、しかも本気で言う。言う
どころか、それを高尚なことであるかのように広めようとして
いる。だが、実体は、こうした者たちによって、日本の真の歴史
には蓋をされ、人々の文化は破壊されていく)

特定日本刀のみを日本刀であるとするような視点は私には存在
せず、全ての日本刀を私は愛するが、それでも、好みはある。
私個人としては、肌物鍛えよりも小杢がつんだ青い肌が好きだ。
ごく細かい精緻な地錵がついたような。
かといって錵出来物では
ない。
そうした作が好きである。
あえて言うなら来(らい)だが、来は個人的印象では、ややチリチリ
した明る過ぎる感じを
受ける。
もっと、澄んだ水底に引き込まれるような深い作がよい。
私の理想は、直刃調小乱れの青江次吉、南北朝時代。
初めて博物館で観た時、その作の前で3時間、呆然と立ちつくした。

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鍛造刃物焼き入れ

2016年11月28日 | 火と土と水、そして鋼



東北の人士が東京に赴き、火と土と水そして鋼の体験会を開いたそうだ。
こうしたことはとても意味が深いと個人的に思える。
一般的には経験できないことが体験できる場の提供、ということ以上に
日本人として知っておいてもらいたいと思うことが私個人としてはあると
感じているからだ。素晴らしいことだと感じている。
奈良京都→東京の人間ではなく、東北の人が行なうというところに私は
個人的に大きな意味を感じ取る。


日本の製鉄の開始は、国定教科書などでは5乃至6世紀からとされて
いる。
果たしてそうか。
ヤマトは鐵を持ち得ていなかったからこそ、各地を「征討」していったの
ではなかったか。
そして、新時代の砂鉄製鉄技術を完全に掌握したのが5~6世紀では
なかったか。

私は、超古代製鉄を担ったのは、ヤマトではなく、エミシ、クマソ、ハヤト、
イズモ(のちヤマトに征圧され恭順)、キビ(のち
ヤマトに征圧され恭順)
の人々だったと考えている。
製鉄技術の担い手は、散々各地で騙し討ちを繰り返して権力を掌握した
ヤマトではない。(騙し討ちなどの汚い手を使わずば各地の在地勢力を
潰せない程、ヤマト一派自体の権力は本来薄かったのがこのクニである)


真の歴史は詳らかには分らないが、歴史の常として、「勝者によって書き
変えられた歴史」というものがいつも「正統」であるとして公式には権力者
によって伝えられ教育される。それは現代でも続いている。
しかし、そこに果たして、本当の歴史の真実がどれほどあるのか。

「勝者の歴史」に安住の地を求める嗜好性は、私にはない。
人を踏みつけてその上に立って得る物理的あるいは精神的な権益からは、
心の幸せを感じないからだ。
私の日本の産鐵に対する研究の視座はその軸をずらさない。
この国に君臨した中央王権の権力は、どのような歴史、どのような行為に
よって築かれたのかを知る時、どうして権力への尻尾振りのポチになど
なれようか。
私の中には、そうした視座が確実に生きている。それは血裁猛省などと
いうものとも異なる、もっと透徹したクニと人と父母、子たちとハラカラを
愛する心だ。
無論それは「大和魂」などとは異なる、もっと根源的な愛国心だ。



↓ こちらもご覧くだされば。

鬼の豆

古代産鐵をみる



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鍛冶鎚

2016年11月09日 | 火と土と水、そして鋼



鍛冶屋さんのトンカチは微妙にコンニチハしているのが特徴。
これは金床(かなじき)の上に載せた刃物を叩く時に金床の
上面とトンカチの打撃面が真っ平になる角度が計算されて
いる。
だから普通は鍛冶鎚は鍛冶屋さんが自分用を自分で造る。
鋼材はS55Cの太丸棒などがよく使われる。
鎚は超硬質でも駄目だし、柔らかすぎても駄目で、鍛造で使う
うちにわずかに変形する程度の硬度が良いようだ。

一見変わった姿のこの鍛冶鎚というものは、一般的なトンカチ
比べて、なんだかとても可愛い姿のように私には思える。


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北の剣士の焼き入れ会

2016年10月25日 | 火と土と水、そして鋼







(≧∇≦)

すげ〜。
いいなあ、焼き入れ会。
俺もやったなあ。
ツッパッてる奴がアヤつけたから体育館の裏に呼び出してボッコボコにし…(違

ツェーマンなら格安ではなかろうか。
おいらは山での飲み食い代出して貰って6本分チャラだったけど。
あと川崎の人の自宅庭での4本分の時も飯食わせてもらったし、他の山での
時も飯を…って、食う事ばっかじゃんか(≧∇≦)

これ、もはや日本刀だすな〜。
おいらのはここまで冴えが出ない。
おらのは眠くて匂い口が潤んで沈む。



と、昼休みに高速SAで書いてみるテスト

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刀工と打ち合わせ

2016年10月21日 | 火と土と水、そして鋼


二代目康宏と初代の伝記出版の打ち合わせ。

私の平成4年(1992年)には映りはさほど立たず地錵(じにえ)がビッシリだが、
最近の康宏作はどの作も映りがかなり出ている。
この作も、波のような映りの上にオーロラ状の映りが明瞭に出ている。
プログレッシブに高度が異なる状態を刀身に付与させており、極めて堅牢で
あろうことが推認できる。













先反りの強い段平(だびら)姿の武用専一作。
かなり以前に注文していたうを新本人の替え差しである。
これで、プロトタイプでもあった第1号刀の斬釘截鉄(ザンテイセッテツ)は
保存モードにシフトさせるという。
と、いうことは、うを新は使わないので、1本余る。
て、ことは、おいらがザンテイくんをロハでいただきマンモス、やったね
パパ!あしたはホームランだ!と。(1970年代の吉野家のCM)
いつでも所有権移転の書類は用意して、別途ご連絡をお待ちしております
ので、どぞよこしこちゃん>うを新


(追記)
連絡あり。
200万なら俺に売るそうです(≧∇≦)

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鋼を料理する剣士

2016年10月12日 | 火と土と水、そして鋼


これはすごい!
炉もそうだが、鍛造セットを作って出張何でも鍛造団をやってる!
この回転式吹子がいいね~。

この人、すごいね~。野外焼き入れ会はよく見かけるけど、こういう
フルセットをミニで本格的に作ってしまうのは国内でこの人だけ

ような気がする。おいらは、送風はドライヤー使ってたもの。

では電源は?となると、超なげーコードで引っ張って来てた。
それでは本当はダメじゃんねえ。
すべての居合の根源流派のこの人、ただもんじゃないす。
というか、本業はねぶた師なんだよなぁ。つまり、創造者でもある
わけです。


ツイッターはこちら ⇒ YAMAGEN(鍛造動画あり!)


だけどさあ・・・・。
おいらは予め作った物を山のキャンプ場に持ち込んで、それで
焼き入れをやっていたけど、現場で鍛造というのは、一晩置く
ことが必要な焼き鈍しの応力除去はどうするのだろう・・・。
焼き入れの前には必ず焼き鈍して鍛造応力を抜いてやる必要
があるのだけど、数時間置きくらいじゃ抜けないし、調質を経ない
刃物はとてもよろしくない質性になってしまうのだけど・・・。
無論、私などでも残留応力除去とオーステイナイト化には細心
の注意を払うのだけど、現場鍛造はデモとしてはいいけど、仮に
それをそのまま火作って土置きして焼き入れとなると、かなり
完成度が低いというか冶金的にアウトな工程になってしまう。
そのままだと、刃切れが出たり、焼きが入っても刃がポロリなんて
ことになりかねないのでは・・・。

江戸刃物師の左久作のあにさまの所に行った時、目の前で私の
ための刃物を
サッと打ってくれたが、一番欲しかったのはこの焼き
鈍し用の
灰だった(笑)。
これはですね、とっても重要な物なんす。これをどう使うかで
刃物の
粘りが出るかどうかが決まる。斬鉄刃物になるかどうかは
すべては
熱処理(応力除去を含む)にある。斬鉄剣の最たるものはタガネだ
よね。鉄や鋼を切り開いて彫り物をしたりするのだから。
昔は超硬質合金などはなかったのだから、鋼で鋼を切っていたという
ことになる。つまり粘りがあって高硬度の鋼を鍛冶職が造り出していた
ということだ。すべては火加減と湯加減による。



しかし、それにしても東北が今熱い!
武術とこういう文化継承再現の実質行動は、東高西低という
感じがする。
おいらは東の生まれ育ちだが、なんだかんだいって、西に住む
時間がそろそろ今までの1/3人生ほどになってきた。
西にはどうしても土地柄や人柄が馴染めないところがあるが、
これはやむなし。
ただ、今でも西にいることは、「長期滞在」という感覚が払拭でき
ない。「定住」しているという感覚がほぼない。
これ、もしかすると代々かもしれない。先祖代々、一千年に亘り
各地を転々としていたから。

私自身も各地を転居してみて、あるいは仕事で全国を廻ってみて
強く感じるのが、「東日本と西日本はまったく別文化、別人が棲息
している」という確固たる現象だ。一見、同じ日本人のようだが、
まったく違う。
これはやはり、古代の歴史そのままのように思える。
あと、九州は九州で独立文化圏だね、あそこは。ある意味、古い
東北に似ている。
やっぱ、「ヤマト」と「それ以外」という図式が21世紀の現在でも
続いているのだろうなぁ。
沖縄の人は沖縄以外の日本人を「ヤマトンチュー」と呼んでいるけど、
実際には一括りではなく、大別すると「東西」でまったく別物なんだ
よなぁ・・・。ほら、東日本と西日本ではワット数からして違うしさ(違

閑話休題-
YAMAGENさんの鍛造刃物焼き入れ会は、これ多分参加者には
とても喜ばれたと思う。
おいらも何回かやったけど、参加した人たちは心から喜んでいた
みたい。
おいら、青森に行って、彼の実家のラーメン食べたいなぁ。死ぬま
でに(^^
青森、行きて~なぁ・・・。

つか、閉鎖炉にしてる~(^0^)

こちら閉鎖炉の典型。小林康宏のとこから独立して美作国に帰って
備前伝を打つ安藤師の炉。雪のカマクラみたいだね。おいらは勝手
にオバQ炉と呼んでるけど。

厳密には、オバQよりも弟のO次郎にクリソツなんだけどね。


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仕上げの捉え方

2016年10月04日 | 火と土と水、そして鋼


なかごをヤスリで仕上げていない刀身というものは、なんだ
かどうにもしまりがない。
本来は完全になかごを仕上げてから研ぐものだが、私のこの
自作小刀はあくまで「仮研ぎ」なので、これでよし。

鞘さえ仕上げていない削りっぱ。でもこれは保存用の入れ物
なので、中をきちんと掻いてあればそれでよし。




刃を白く刃取りするとこうなる。砥石での描き物なの
で非常につまらない。素顔が見えない。なので研ぎ戻した。


だが、このように白く砥石で描き出した部分を刃文だ
などと勘違いしている人は世の中に非常に多い。
普段居合で真剣日本刀を使っている人たちでさえ、描き
研ぎの部分を刃文だと思ったりしている人がかなりいる。
化粧騙しや整形顔が流行っているご時世なので、時代なり
なのかもしれない。

それと、これもかなりの数の人たちが誤認しているのが、
包丁などの合わせ鋼と地鉄(じがね)部分の堺目を「刃文」
だと思っている人たちがいる。
それ、刃文とはいいませんから(^^;

刀の直刃の刃文に見えるが、これは鋼と地鉄の堺目であり、
焼き刃の頭である刃文というものではない。

(包丁/藤次郎)


(肥後守)


刃文のように見えても、これは刃文ではない。
あくまで鋼の露出部分である。


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ザ・メイキング ~ばねができるまで~

2016年09月26日 | 火と土と水、そして鋼

自動車用ショックアブソーバスプリングの製造


冶金なので、熱処理に関しては基本的には日本刀の
作り方と仕組みは同じだ。
鍛造工程で鍛打はしないが、圧延鍛造をする。
鋼はバネ鋼であろうと、炭素鋼であろうと、特定温度以上
に加熱して変態させ、特定温度の冷却液に浸けて急冷し
て焼きを入れ、特定温度で焼き戻しをして靱性を与える。
鋼の処理は鋼種によらず、すべて同じ。
ただ、その保持温度や時間、温度管理が異なるだけの
ことである。

原理は簡単だが、適切な処理は鋼種それぞれによって異
なるので、かつてはそれを見つけ出すまでが大変だった。
日本刀など古からの刃物は鋼の適正処理を職人の経験則
によって見つけ出してきたのだが、近代以降は科学的分析
によって解析するようになった。

ただ、日本刀の場合は、材料について「不完全な鋼」を「適切
な鋼」に変えてやる加工工程が必要で、それはとりもなおさず、
鍛冶職の処理方如何で鋼自体が変るということになる。
つまり、鋼を生かすも殺すも鍛冶職次第、ということだ。

日本刀の靱性は高く、明治維新後に刀剣が無用物となった
一時期、人力車や馬車のスプリングに日本刀の刀身が使用
されたりした。名刀とされた加賀の清光などは、「さすが清光、
調子が良い」などと板バネとしても評価されたという笑えない
現実もあったりしたようだ。
日本刀の復活は軍用刀身がサーベル型西洋軍刀から日本式
軍刀に復活するまでまたなかければならなかった。
戦後は完全に鑑賞用として日本刀が造られるようになった。
鋼のオブジェなので、そこでは実用性は一切、100%考慮され
ていない。「折れず曲がらずよく切れる」とは公式な口上としては
言うものの、それは嘘である。「折れてよく曲りまったく切れない」
物品を作っている。
これは口先だけでどのように言おうが、現実がそうなので致し方
ない。目の前の現実は雄弁に真実を物語る。
だが、実は刀剣界におけるこうした傾向性はなにも今に始まった
ことではなく、戦前にもあったことだし、江戸期にも大いにあった。
歴史は繰り返しているだけのことだ。


さて、14分50秒から16分7秒までのギターの機種はなんで
しょうか。特徴的だからすぐに判る(笑)。


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刀工の年齢

2016年09月25日 | 火と土と水、そして鋼

47歳の25年前。


72歳の現在。


この身振り手振りは、親方の昔からの癖なんすね(^^;

四半世紀のつきあいになるが、親方はあまり変わったとは思えない。
おいらも、直紀師と出会った時の直紀師匠の年齢の10歳近く年上に
なってしまった。
話し出したらとまらない刀工の熱い語り。これは昔から。
ただ、最近、マシンガントークに拍車がかかってるんだよなぁ(^^;


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鎌研ぎ

2016年09月22日 | 火と土と水、そして鋼





小林康宏作「鎌」。
研ぎは全工程の1/20ほど終了でしょうか。
しかし、これ研いでどうすんだべ、俺。
鎖鎌の術を知ってる訳ではないし、鎌より刀のほうがぜってーに
つおいし・・・。
かといって、鑑賞用ということでもない。

まあ、あれですね。赤鰯だったから光らせたい、というやつですかね。
これ、作るの結構大変だったみたいだし。
埋もれているよりは、蘇らせてあげたほうがいいように思う。


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焼き割れ

2016年09月22日 | 火と土と水、そして鋼



ぐはあ!
あたしが研いでいたら、焼刃縁に沿って焼き割れが出てきた。



まあ、斬鉄剣ではよくあることで(^^;
これが注文刀ならば、売り物にはならない。


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北の達人の鍛冶炉

2016年09月19日 | 火と土と水、そして鋼



おおっ!さすが!
北の剣の達人の鍛冶炉、改良バージョン。

おいらもね、山に持って行って、到着してあんなにアガガガの
状態になるのを知っていたら、なんか対策しただよ(^^;
焼き入れ会で山で待つ仲間たちを前に「持って来たよ~」と車の
中に積んでいた炉を見たとたん、「げひょ~~~ん」となりました。

モロ、こんな感じ↓


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小型炉

2016年09月14日 | 火と土と水、そして鋼



ブラボー!
大昔、私が作った小型炉に似ている。
90年代から都度改造しては壊しを繰り返してきた。
でも一番笑えたのは、密封炉にして、入り口からの送風で炉内温度を
上げる方法が一番小型刃物には良い結果が出たことだ。あれは何だか、
「今までの苦労はなによっ!」と思わず苦笑した。

私は、炭は勿体なくとも、火ムラが出ないように細かく小割りして、
さらに、焼き入れ用は私は消し炭を作って作業する。
焼き入れは完全田楽だ。先が溶けないように注意する。


気をつけなければならないのが、耐火粘土を使った炉はあくまで設置用
であり、
私のように車に積んで「ひゃっほ〜!」などとウキウキ気分でキャンプ
場などに行くと、着いたら炉がバラバラ破砕していた、なんてことにな
る。
外出用は、使い捨て覚悟で、箱型七輪等に送風機という物がおすすめ。

それと、炉は沸かしも鍛えも焼き入れも密封炉のほうが良いように思え
る。
酸素を必要以上に送り込まないことと、オープンにして、多少なりとも
煙突効果が出てしまうと、炉内温度が上昇し過ぎて制御が困難になる。
皆さん、プロでも勘違いしてるのではなかろうかというのは、炉内温度
を短時間で瞬時に上げることは容易だが、炉内温度を瞬時に下げること
は困難であるということだ。
このことは、実は結構重大かつ重篤な結果に結びついたりする。
これ、日本刀だけでなく、小物刃物にも当てはまるので、私は注意をして
いる。

それと私は趣味鍛冶でも、金屋子さんに手を合わせる。
私は敬虔なキ印(プロ系)ではないので、別宗教を否定しないし、状況に
よっては手を合わせて頭を垂れる。いつもいつでもバプバプ言っても
しかたない。
鍛冶の成功は自分の力だ。金屋子さんの力ではない。
だが、見守っていておくれ、という気持ちがある。
それを含めて見つめている存在は、遥か天空にいるのだが。
でも、金屋子さんには手を合わす。
もしかすると、1世紀に技術と共に列島に来た先祖かも知れないし。

いつの時代も、鍛冶の炉の炎は清廉である。
炉の中には浄化された魂がある。
それと向かいあう。
それが、鍛冶。それが鍛人(かぬち)。
自らの心清らかにせずして清涼な刀は作れない。


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オバQ炉

2016年08月31日 | 火と土と水、そして鋼



なんだか凄いの作ってるぞ。

岡山県無形文化財、刀匠広清(本名安藤幸夫)さん。

初代小林康宏の弟子で、地元作州津山に帰り独立、備前伝を
世に伝える。

広清刀匠の閉鎖密封炉。ダブル火口は初代康宏の工夫らしい。


閉鎖炉で堀下げ式の仕事場。
これは熊本の延寿の流れの刀匠故谷川盛吉・故延寿宣次親子の
仕事場もこうであった。
康宏と盛吉は密封炉と開放炉の両方を使うが、広清刀匠は密封炉
で仕事をこなすらしい。




こちらは康宏の密封炉と開放炉。あともう一つ田楽炉がある。


刀工小林直紀康宏。


密封炉は中までじんわり沸く。かなり・・・意味がある。


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