渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀のルーツ

2016年12月08日 | 日本刀




諸説はあるが、日本刀のルーツは東日本東北の蕨手刀でしょうよ。
ヤマト王権絶賛派は、日本刀のルーツが「俘囚の剣」であること
何とか否定したいみたいだが。
大抵そうした連中は、「大和民族」などと口にしたがる。そんな
民族は生物学的に地球上にいないっつーの。
そもそも、この列島の人間自体が、太古に南方や北方から大挙して
入植してきた人間たちによって構成されているのに、何かと原始人
の頃からの純血直系末裔であるかのように語りたがる。日本人の
ほとんどが混血人類であるのに、朝鮮人や中国人を毛嫌いしている奴
に限って、自分の中にも大陸・半島のDNAが存在していることに気づ
こうとしない。まるでウッホウッホの類人猿の頃から自分のみは日本人
であったかのようなことを言い出す。そこには「俺たちは土人とは
異なる」という選民意識が働いている。人に違いはないということ
ではなく、そもそもが日本人は混血であり「だからそれがどうした?」
というまっとうなことを認識できない。

日本刀についての見方も、まったく同じ傾向性がみられる。
なんとしても古代中央権力が作出した歴史を真実であるとしたがる。
軍事的「衝突」(今流行りの政府発表の表現)によって敗れた東北の
製鉄技術者たちは捕えられ、全国各地の鉄の産地に強制派遣された。
広島県でも大山界隈にはその地が残っている。
そして、中央権力に抗して徹底抗戦した誇り高き在地勢力の彼らは、
中央権力によって「賎」なる呼称とそれに基づく地名を付与されて
貶められた。
日本刀の歴史は、簒奪とおためごかしのまやかし捏造と、人民統治
の歴史そのものだ。
武を専らとした技術集団のみは権力者の防備のために「脱賎」させ
られたが、やがてそれが叛旗を翻して政権を独占するとは思いも
よらないことだっただろう。

私が捏造者を嫌うのは、人を踏みつけて喜ぶ権力者やその権力者に
尻尾フリフリの腑抜けのカスたちがそれをずっとやり続けていた
というこの国の歴史があるからだ。
まことの自立的で仲間と家族とクニを護るという武の心の原初は、
東北の蕨手刀にこそある。

よく歴史の中の日本刀を「権力者の象徴」として捉えることあるよね。
それは歴史事実としてはそうだった。
だが、そこにそれを推奨して「権力者は良いものだ」とする視点が存在
する時、私個人は「馬鹿か?こいつは」とか思うね。
刀剣は、人民支配者の象徴であったと同時に人民が権力の横暴から身を
守る物でもあった。
刀剣をことさらに権力サイド寄りに神聖視して偶像化するのは、極めて
暗愚なことであると私は思っている。
そういうのに限って、強い者の前ではヘーコラして、弱い者の前では
ふんぞり返ったりするんだよ。これガチ。
そういう意味では、日本刀は、それをどう捉えるか、どう見るかで、
人としての在り方を映す鏡でもあるといえる。

血脈とは関係なく武士に憧れる人が陥りやすいこととして、「強いもの
への憧れ」というものがり、これはともすると「自ら支配者となることを
望む」ということに繋がり、「人を見下して偉そうにしたい」ということ
を生みやすくなる。
事実、武士に憧れて武士の真似ごっこをしている人たちの大多数の深層
心理がそうした人としてのダークサイドに落ちている。
これも個人的には、「武士でもないのに武士に憧れる理由はそれか?
それなのか?」と、実にくだらないことに見える。
武とは誰を護るためのものであるのか。人を踏みつけて虐げるための武
などは、はたしてどれほどの輝きがあるというのか。
武に関与する人たちは、よくよく考えてみてほしい。


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新作康宏研ぎ上がり

2016年12月06日 | 日本刀





新作刀が一口研ぎ上がって来た。
広島の作戦コードネーム「ベアー・タイガー」の
差料だ。

検品者によると、刃文の出来は直刃調、ところ
どころ浅くのたれ小互の目、小乱れに足、葉が
入り金筋絡む、とのことだ。

まじですか?
私の康宏作より絶対いい(笑


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姿

2016年11月29日 | 日本刀


先日、友人二人の康宏作を見て鋩子が長いなあなんて思っていたが、帰宅
して自分の康宏作を見ると、私のも中切先伸びごころだっただわさ(≧∇≦)



鋩子の身は肉プリプリ系だけどね。
鋩子というより餃子みたいな(笑
研ぎは、打ち下ろし試斬研ぎ時も二度目の研ぎも田村慧師の手による。
二度目の研ぎは寸7500円の安研ぎではあるが、一応、並研ぎ以上の研ぎ
なので、砥石目は残っていない。

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康宏鑑賞

2016年11月27日 | 日本刀


旧鍛人の店内に似ている刀剣しのぎ桶川店にて、店長の康宏と游雲会の
友人の康宏を見せてもらった。
地景入り、刃縁小沸つき、全体に映り出る。
画像では光の関係でごつく見えるが、身幅は一寸強で尋常、棟重ね
薄く鎬は高い。
薩摩拵の康宏は武用刀で緑柄の康宏は美術刀剣仕立てだが、どちらも
頑丈な作りとなっている。


緑柄は私の刀と同じ程度の柄周り寸法だが、薩摩拵は牛乳瓶?という
程に太い。
私はこれ程太かったら使えないが、流派拵なのでこれはうを新本人の
指定通りだ。鹿児島で作った。

緑柄の康宏の拵は気合の入った美術刀剣職方による柄巻きで、良い
仕事をしている。八寸五分。






眼福にござった。

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本物にかなうものなし ~時代金具~

2016年11月23日 | 日本刀



康宏友の会游雲会のメンバーが時代金具を手に入れた。
なんだか凄いのを新作康宏刀の外装具の金具として使用するようだ。
すべて本肥後物で揃えた。






葛菱もしくはヒトデ。
ひとでは天草地方では長寿をもたらすとされる生物のようだ。

海星とも書く。

こちらはまた可愛い目貫。


つまり、これですね(笑)






なんだか人気者みたい。


ところで、目貫金具図柄としては、「見ざる」はどこに?(笑)

自分のとっておきの愛刀には、やはり本物の時代金具を着けて
あげたい。(私の場合)
游雲会のメンバーも、刀剣しのぎ桶川店や刀心さんから時代金具
を購入したりしている。
また、ネットで時代物を探してくる人もいる。
武用専一という観点からのみ見たら現代金具(新物=あらもの)で
も十分なのであるが、やはり本歌には及ばない。

どういったらいいのだろう・・・。
現代物というのは、手作り品としても、カチッとし過ぎているんだよね。
崩しというか、絵心の遊び心というか、そういうものが感じられない作が
多い。
これは経年変化ということだけではない、言葉にはできない「崩し」の
美的要素が昔の時代工作からは強く感じる。
今の現代作は、楷書よりカッチリしすぎたまるで印刷の教科書体の
文字を見てるような印象を受ける。

登城差しや日常差しのような上等拵で居合の稽古などすることは
江戸期にはなかったが、日常的に刀を差すことが無くなった現代に
おいては、せめて自分の差料には本歌をというのは人情ではなか
ろうか。刀装具保存のためには問題を残すとはいえ。
ただ、保存保存と保存が第一義になってしまうと、真剣日本刀刀身で
物を切ったり、空気を斬る居合(居合でも確実に刀身は損耗します)に
さえも日本刀が使えないことになってしまう。
行きつくところは、ガラスケースに陳列して眺めるだけ、という存在に
なってしまう。
上質ミント状態の金具等は保存モードにして、一般武士用の作品は
やはり通常の差料に装着してもいいのではないかと私は思う。
本歌の時代金具を刀剣外装具に使用すると分かるが、愛着の度合
が一段と違うということは確か。

私は、模擬刀以外はすべて時代金具を着けている。
私の康宏作の1stバージョンの拵は現代金具だったが、2ndバージョン
の拵はすべて本歌時代金具で揃えた。居合用もすべて時代金具だ。
これらは、すべて「好み」の問題である。他人が口を差し挟むことでは
ない。
私個人は、「時代金具=実物=本物」という武士がいた時代の金具を
真剣日本刀には着せてあげたい。

とか書いているそばから、広島の游雲会メンバーから康宏作の拵使用
予定の金具の画像が届いた。
これまたすごい。

これはゼッケン1番、岩石オープンですね(チキチキマシンだ、そりゃ)。


目貫


頭(かしら)

縁(ふち)

なにか岩に染み入る蝉の声が聴こえてきそうな、夏の風物詩、といった
風情だ。センス良いまとめ方だと思う。

ということで、グレートタイガー迷彩服着用の西部3人組は、日本刀の
拵金具は時代物本歌を好む、というオハナシでした。


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時代金具を選ぶということ

2016年11月23日 | 日本刀



しかし、肥後金具というのは実にねっとりとしたよい味を
出しているよなぁ。古雅な気配があるのにガサついたところ
がひとつもない。まるで、「そこはつるんとしていた」(by
峰隆一郎先生)のような(笑

刀工康宏友の会游雲会のメンバーが、出来合いの現代金具
ではなく、時代物の肥後金具を康宏新作刀の拵に着けること
になったらしい。

日曜日に、自分より10歳年下の人が作る康宏作が、金具のみで
10数万円という本式仕様にする予定(購入済み)で、その画像
を実際に見たのが大きいのかも(^^;
その若いメンバーは、年若いのに日本刀が「見える」という
珍しい人で、かなり自分で勉強もしている。
珍しいよなあ、とか思うが、考えたら彼の歳の時に私もそう
だった。
彼も言う。「周りには同年代がまったくいません」と。
う~ん。刀好きって、いつの時代もそうみたい(笑)。
刀剣自体が安い物ではないから、手に入れられるのはどうしても
年齢が進んで経済的な余裕ができたという層が多くなるのかも
しれない。
そして、居合をやっていて日本刀に興味がない人たち(ほとんど
がこの層。高段者の一部のみが日本刀について造詣が深く、他は
ほとんど日本刀そのものに興味がない)は、まず一口の真剣日本刀
しか入手しない。
己の一刀にすべてを託す、といったら聞こえはいいが、内実として
は、模擬刀の延長線上で運動用具代わりに真剣を持っているだけ
という層が圧倒的に多い。
これは現実なので、嘆いても致し方ない。本人たちの自覚の問題
でしかないのだから。
日本刀に興味がないので、日本刀の歴史や手入れ方法や扱い方や
刀に接する作法さえにも興味がないために、とても無作法なこと
を居合人たちはしでかしたりする。
刀剣を拝見するのに一礼もせず、鞘から居合抜きのように刀身を
抜いて、しゃべりながら刀を見て、ひどいのになると居合納刀の
ような納刀で刀を鞘に納めようとする。
刀屋からしたら、「味噌汁で面ぁ洗っておとといきゃがれ」と
いうところだろうが、客商売なのでそういうことは言わない。
じんわりと刀剣の扱い方を教えたりするのだが、そもそも刀剣店
にやってきて(居合人は刀に興味ないので刀剣専門店には殆ど
行かないが。大抵は武道具屋で真剣を扱っている出店に行く)、
刀の取り扱いにも注意を払わないまま刀を手にしたがる。
これまたひどいのになると、刀を店内で構えたり振ってみたり
しようとするのもいる。
話にならない。
折角日本刀に接することをしているのだから、もっと日本刀や
刀装具や日本の文化や日本の歴史について興味を持てば、さらに
楽しいことが一杯待っているのになぁと、もったいないと思う。


私は、刀剣の取り扱い等については、誰に教わった訳ではない。
すべて、独学だ。独学といっても、好き勝手に自分でやって
いるわけではない。
刀剣店や研ぎ師の先生から心得については指導頂いたが、扱い
方自体はきちんとした人の刀の取り扱い方を見て覚えたのと、
文献等の熟読による。
そして、識者に「これでよろしいのでしょうか」と素直に尋ねた。
ティーンの頃から30歳ほどまでは、年若いのに日本刀に深く興味
があるとのことで、けっこう古老たちにかわいがられた。
第一、刀の観方自体が、小6の時からの読書で覚えたものだ。
(ただ、どうしても本当の映りと研ぎによる出し映りの区別が、
刀を実見しても、中2の頃までは見分けられなかった)
中学時代には現在の知識とほぼ変わらなかった。変わったのは、
知識ではなく「知見」であり、独自の解析ができる「所見」を
構成する思索と検証の精神活動の内実だ。
知識などというものは、ただの情報でしかないので、いくら知識を
多く持っていても意味は薄い。
重要な事は、そうした多くの情報を咀嚼して、取捨選択して、
己自身の理知において知見を構築しているかどうかだ。
知識のコレクターは知識のコレクターでしかなく、情報集積を
しているだけのつまらない薄っぺらなところにいるだけだ。
知見と所見がどうであるか、ということが刀剣観賞や鑑定に
は極めて重要な結節幹となってくる。

あともう一つ、まあ、若い時からはねっ返りではあったが、歳が
行って分かったことがある。
それは、見えることが見えなくなるという恐ろしい落とし穴が
ぽっかりと口を開けているということが判るようになってきた。
そのために、私はその落とし穴を回避するために、学術的権威の
存在は否定しないが権威主義および権威主義者、並びに権威主義
優先優越主義者は全否定するようにしている。否定というよりも
拒否が近い。
理由は、そういうことを嗜好する人間たちは、まず確実に備後弁
でいうところの「タコのクソが頭に上がる」という状態になって、
回復不能な人間的欠陥性を強固に保持し続けるからだ。
これは不治の病に近いもので、極めて恐ろしいことだ。人間の
理知の無限性はそこで完全停止する。

日本刀の世界は、一番楽しめるのは、「先人の技法」だ。
この肥後鍔の鉄ひとつとっても、どうやったらこういうことが
できるのか、と私は感服する。
日本刀とそれを取り巻く世界は、いにしえびととの目に見えぬ
出会いを求める心の旅のように私には思える。


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たつにつく

2016年11月21日 | 日本刀



「たつにつく」という日本刀研磨の言葉がある。
漢字は「縦に突く」と書く。
縦をタツと読むのは、元々は奈良地方の方言だ。
日本刀の研ぎの世界では、この奈良地方の方言を用いて
「縦に突く」を「たつにつく」と表現している。
しゃくりながら刀身を研いで行く、内曇砥で引く前の
名倉砥での下地研ぎの段階でこの技法を用いる。

(出典 『察刀規矩』竹屋正煕 天明4/『研記』窪田清音
 天保13/
『剣法略記』窪田清音 天保10)

私的所見では、元々は奈良の方言のようなので、奈良に
王宮があった上古時代から刀剣の研ぎの技術には「タツ
突く」という技法と表現があったのではないだろうか。
内曇以降の研ぎと研磨の工程は京都産砥石を使用するので
明らかに京都砥石の発見
以降、つまり中世から発達した
技法なのでは、と。
これは下地研ぎでは京都産以外の砥石を使うという事実が、
より古い時代には京都産の砥石を使った上研磨を施しては
いなかったという類推が成立することをも担保する。

一方、
対馬砥での拭い=差し込み研ぎは戦国末期には存在
した
状況文献等からの推定として明らかだ。
徳川実紀に家康は光るので拭いを嫌ったとあるから、家康
がいた時代には刀身を光らせる対馬拭いが既にあった
という
ことになる。

金肌拭いは、刀剣愛好家の皆さんもご存知の通り明治から。
これは本阿弥家が新規に考案した新しい観賞の為の研磨の
技法だ。


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タツに突く

2016年11月21日 | 日本刀





改正を終えて名倉砥でタツに突いた段階。
本当は内曇砥を引くところまで持って行きたかったが、時間切れの
ため、研師町井勲から剣士町井宗家に変身しての挑戦としては、
このままでギネスの新記録に臨むらしい。

名倉砥石にもいろいろ段階がある。
最終的には細名倉で仕上げた後に内曇砥で引くのだが、内曇砥
さえも日本刀の研ぎにおいては「下地研ぎ」の段階なのである。
日本刀の研ぎは、一般刃物の研ぎとはまったく異なる技術が駆使
される。それは下地研ぎの段階から専門職の技術が投入される。
そうして日本刀は見事に変身する。

変身!


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刀の命

2016年11月19日 | 日本刀



応仁年間の刀である。
あまり上手な上研ぎではないが、古研ぎなので、私はこの
まま状態を維持するように努めている。

小学生の時の歴史の教科書で習った応仁年間は戦国戦乱
の時代の幕開けとのことだった。
しかし、その後、詳細に調べると、源平以降、日本国内は
ずっと江戸幕府成立後の大坂両陣までは戦乱が続いていた
ことを知る。
一応教育的には戦国時代の開始とされる西暦1467年を
「1467=人の世むなし、応仁の乱」で覚えた人も多い
ことだろう。
1467年は今から449年前である。
なぜそんな古い時代の刀が現代でも光っているのだろう。
それは、「刀剣研ぎ」という日本固有の研磨技術があり、
研ぎ上げられた刀を数百年にわたり私たち日本人が大切に
状態を保ってきたからだ。
来年でこの刀は生誕550周年となるが、あと一年以内に
古墳出土刀のように朽ちさせるのは簡単な事だ。抜き身で
屋外に放置していればすぐにただの鉄クズとなってしまう。
だが、この刀は449年間残って来た。
今はもうこの世にいない多くの日本人によって、これまで
大切に保存されてきたからこうして幾星霜を駆け抜けた現代
にあっても輝きを失わずに命を保っていられる。

鋼という物は自然界には存在しない。人間が鉄に炭素を吸わ
せて造り出した物だ。鉄に一定量以上の炭素が含有された物
を鋼と呼んでいる。
鋼は鉄がそうであるように、人間の手によって無理やり造ら
れた物質であるので、大気と結合して自然に還ろう還ろうと
常に動いている。
日本刀の命を焼き刃の命だとすると、学術的には焼き刃は
数万年でマルテンサイトがオーステナイトに戻ると云われて
いる。つまり、焼き刃は数万年で消滅する。
その頃は人類が生存していたとしたら地球には住んでいない
だろうが、鋼の焼き刃に命があるとしたら数万年ということ
だろう。これは良い状態で保存してのことだ。
だが、刀の刀身を朽ちさせるのは簡単だ。
露天に放置したらすぐに朽ちて行く。

屋内保存にしても、日本刀は特別な扱いをしないとすぐに
錆びる。
地球には大気があるので、気温の変化ですぐに空気中の水分
が刀身に付着する。鉄や鋼は本当にすぐに錆びる。
古い時代の日本刀が現在でも輝きを失わないのは、歴代の
所有者が保管に気を遣い、保存に努めて来たからだ。
日本刀が単なる人殺しの武器であっただけならば、そのように
何百年も人殺し道具を磨きあげて保存するなどということは
あり得ない。刀は単なる武器という位相を遥かに超える物と
して日本人の中に存在していたからこそ、日本刀の刀身は
現代においても輝きを失わないのである。

一口(ひとふり)の古い刀を眺めていると、どれほどの多く
の人がこの刀に携わって来たのだろうという思いが湧く。
どんな物語がこの刀を巡ってあったのだろうと想像する。
それは現代を生きる私には分からない。
ただ言えることは、目の前の刀は今も輝きを失わずに生きて
いるということだ。
刀を次世代に伝えるということは、物体としての刀を後世に
遺すということだけでなく、その刀の保存に努めた見知らぬ
多くの歴史の中を生きて来た人々の心を受け継ぐということ
でもある。

刀は心だ。人の心なくば、刀は生き残れない。
人は死んでも刀は残る。
せめて、人は刀の命に較べたら芥子粒ほどに小さく短い今ある
自分の限られた時間の中で、刀を次の世代に伝えていくことを
してあげたい。
私自身は、日本刀は私の個人的な所有物ではなく、長い歴史の
中でほんの一時期の時間帯だけ私が預かっている、という感覚
を持っている。
この感覚は一般社会ではなかなか理解されにくいが、先祖伝来
の日本刀が仮に一口でもあれば、それに接している人たちは
容易に理解できると思う。
何百年も先祖から遺し伝えられて保存されて来た日本刀を
自分の代で勝手に朽ち果てさせることがどうしてできようか。
このことは、先祖伝来の刀でなくとも、実はすべての古い日本刀
について同じことがいえる。
家に伝えられたのはたまたまであり、市場に出回って「商品」
となっている刀もたまたまであるというだけのことだ。
すべての刀には残そうとする人の心が込められていた。
日本刀について「文化」があるとするならば、刀を保存して残し
伝えたという先人たちの心と行ないこそが引き継がれるべき文化
なのではなかろうか。

人間五十年。下天(500年)のうちにくらぶれば、いかにも儚い。
せめて人の手によってあえて刀を朽ち果てさせることだけはしない
ようにしたい。
刀が多くの先人の心を受け継ぐものとしてあるように。


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「日本刀研磨」 ~本職の刀職による啓蒙動画の紹介~

2016年11月18日 | 日本刀

(動画の字幕より)
日本刀研磨は素人に簡単にできるものではありません。

なぜなら、日本刀には平肉、刃肉と呼ばれる肉置き(ししおき)
があるからです。
平らに見えるかもしれませんが、日本刀の刃は丸みを持たせて
研がれているのです。
丸みを持たせながら研いでありますので、当然ながら横手を
一直線に研ぐにはそれ相応の技術が必要となります。
その技術が拙い研師によって、無駄に横手付近の肉を削ぎ落さ
れてしまった刀は数知れずあります。
一度落としてしまった肉は当然ながら再生することはできま
せん。
そのため荒い砥石を使って横手を立てる研師は少なく、余程
の腕と自信がなければ、荒砥での横手処理はできません。

では、金剛砥#120での下地研磨の様子をご紹介します。

(以下、是非動画をご覧ください。本職日本刀研磨師に
よる啓蒙動画は少ないかと思います。専門職以外の人が
日本刀に砥石を当てることにより日本刀が形を崩すこと
がとても多く発生しています。他の刀職の方々も、専門職
以外の一般の方々が日本刀を生半可な知識や興味本位でいじ
くって壊さないように、啓蒙活動と広報活動
されることを
私は期待します)


日本刀研磨 (研磨・解説 御刀研師 町井勲)




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上手な下地研ぎ

2016年11月18日 | 日本刀



上手な下地研ぎだと思う。 ⇒ こちら

砥石は改正だから、下地も下地、下研ぎの前の下地研ぎ
のような段階だ。まだ名倉はこの後である。下地最後の
内曇りなどはずっと先だ。この改正は本当に下地研ぎの
さらに前の下下地研ぎというような段階なのである。
改正は押しが強く利きすぎて身減りしたり形を崩したり
しやすいので、備水(びんすい)の砥石目取りの際には
かなり精神集中しないとならない初期段階の研ぎ工程だ。
この改正は、研ぎ始めの金剛砥から3~4番目の工程であり、
ごくほんの最初の超下地段階の研ぎなのである。

まさか、この画像や動画を見て日本刀の仕上げの研磨後
である「磨き」
であるなどと脳内妄想の思い込み勘違い
をして偉そう大将で人様に物言いしたりするド素人
などは、
よもやこの世にはいないとは思うが。

案外、日本刀について無知蒙昧の脳味噌筋肉族あたり
そんなこと言うのがいたりして(笑)。
それはないか。
日本人って、そこまでのこっぱずかしい種族ではないだ
ろう。日本人なら、たぶん(苦笑)。

いや、いるかも知れない。
小柄小刀の表を見て、「グラインダーで削ったの?」とか
(目立てヤスリの一本突きだよ、ばかたれ)、「なぜこちら
側はヤスリ目のままなの?これから研ぐの?」とか私に訊いて
きた人たちもいたから。しかも居合やってる人たち。
大体からして、日本刀を帯びて刀法を使う居合剣士からして、
日本刀には興味がない人間ばかりだから、日本刀に関して無知
蒙昧が全開フルスロットルだ。模擬刀の延長の体育用具くらい
にしか日本刀のことを考えていないから、日本刀について勉強
しよう、刀の事を知ろう、などという気はさらさらない。
これはこのまま経年するから、そのまま高段者になってしまう
という構造がある。つまり、居合道の高段者が軒並み日本刀
について無知蒙昧なまま剣士であると胸を張る。

なので、上掲の日本刀の研ぎのリンク動画についても、あれを
下地の下地、大下地研ぎであるとは理解できずに、揶揄中傷する
理知・理性・知性とは無縁の脳味噌筋肉の種族が何か言いだす
かもしれない。

小柄小刀の定式。これは水心子正秀の著による「小柄小刀ノ
規矩」に基づいて寸法通りに私が打ち上げた。規矩(きく)は
モノサシであるので、文字通りこの作は日本の伝統を踏襲して

いる。




不思議に思う。
なぜ「日本」を知らない奴、日本の文化・歴史・伝統について
無知極まりない奴に限って、あたかも自分こそを大和魂の
所有者ぶって、偉そうに日本の伝統について「間違った事」
「不見識な事」を人に表明して横柄に振舞うのだろう。
こっぱずかしい日本人だと思うよ。少なくとも私はそう思う。
私自身は知らないことは知らないとして「どうなのかな」と
言う程度だし。
私も当然誤っていることもある。
しかし、その私の疑問提示に対して鬼の首を獲ったように、
「恥をかきましたね。ブログの記事も消した方がいいですよ」と
わざわざ私のサイト掲示板に書き込んでくる人間もいる。
恥ずかしいのは、そういうことやってのける厚顔無恥な態度で
あってね(苦笑)。
どうせ心置けない友人など一人もいなくてネット弁慶の引きこ
もりのクチだろうが、鬱陶しいから世の中に出てこないでいた
だきたい。
というか、私のところにそういうのが来ても、すべて、オール
カットだから。
わかってないのかねえ。

店構えて商売やっている人たちは、大変だと思うよ。
これは私の説だが、世の中、人間が10人いたら、まず8~9人は
とんでもない嫌な野郎たちばかりだと思って間違いないから。
それが7人だったら、まあ一人減ってラッキーだったね、という
程度のもので。
でも人口の三割が善良で心根がクリアな人たちというのはあり
得ない。
クリーンじゃないよ。クリアだよ。
クリーンなんてのは、偽装でいくらでも誤魔化せるから。政治家
のように。
だが、クリアというのは、真実がどうであるかしかそこにはない。

刀を澄んだ心で見れば、見えるものが見えてくるのに、濁った心
で日本刀を品定めしようとしたりするから、肝心なところが見え
なくなってしまう。
このことに気づいていない人は・・・やはり、人が10人いたら
8~9人は気づいていないのかもしれない。


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日本刀の保管および運搬 ~白鞘~

2016年11月16日 | 日本刀



悪いこと言わないから、日本刀の保管と運搬用に白鞘を作って
あげてほしいと思います。
休め鞘としての白鞘は、幕末から明治以降に一般化した日本刀
の独自の文化なのですが、白鞘というものはかなりのスグレモノ
です。出錆したならば割って掻いて再利用が前提ですし。

刀剣が実用本位から観賞本位に以降する時代に登場しましたが、
朴木を用いた白鞘は先人の英知が詰まっているといえるかと。
日本刀の保管において、これ以上の物はない。(あるとしたら、
刀身全体を完全に沈められる大きさの舟に油を満たしてどぶ浸け
による保存)


白鞘は数万円で作ってもらうことができます。
多少外食を抑えるとか、勤め人でもお小遣いを貯めるとかすれば
手が届く金額なので、是非ともご一考くだされば。

居合や武用の稽古の際に、都度柄を外すと緩みが大きくなって
くるので柄外しはおすすめしませんが、鞘だけは稽古への運搬
でも休め鞘
に入れての運搬を私はおすすめする次第です。

そして、道場に着いたら、すぐに本塗り鞘に入れ替えるのですが、
その際にも、私はかならず刀身は清拭するようにしている。
これは、私および神奈川の人たちの四半世紀以上前からの方式
ですが、日本刀にとって決して悪い
ことではないどころか、むしろ
望ましい方法です。

休め鞘としての白鞘製作をぜひおすすめします。

それと、刀に水を振りかけたら錆びます。アルカリイオン水はその
アルカリイオン水の中に刀身全体を没入させると錆びないのですが、
ボトルなどで刀身にシュッシュとやったら大気と反応しますのでまず
錆びます。水ですから。
別な化学的防錆素材を盛り込んだ溶液ならばともかく、浄水器で
作った塩素とカルキを抜いただけの洗浄水を刀身に噴き掛けたら
確実に錆びます。
これは、現在もとりわけ武用刀剣界に大きな誤認を植え付けた商品
が出回っていますが、初期出荷生産者を私はよく知っていたので、
製造方法も知っています。家庭でも簡単に作れます。ただし、その
水を炭素鋼に掛けると確実に錆びます。ご注意ください。
製造した大元の本人は「駄目だ。〇〇水では取れないや」と手脂除去
には打ち粉を多用していたのですから、ニセ医者が製造卸をしていた
悪辣商品には騙されないようにしてください。

錆防止溶液としては、研ぎ師が使用する専用ソーダがありますが、
家庭用としては重曹溶液が研ぎの際の防錆には役立ちます。キッチン
用のシンクなどの洗浄に使う物ですが。
ただし、防錆効果のある洗浄液といっても、刀身に振りかけたらどんな
ことになるか・・・。包丁や日本刀を研ぐ時には出錆を抑えるために
使用はしていますが。一般刀身清拭用には未知数なのであえて私は
刀身に「水」をかけることはおすすめしません。
(綺麗なボトルに詰まっていると、それだけでまともな製品かと勘違い
しちゃうんだよなぁ・・・。ただの浄水器通しただけの水道水でも)

防錆効果のある洗浄液である重曹溶液をボトルに詰め替えて「刀閃水」
とか、防錆剤が添加されたバルブオイルを製造メーカーとコラボして別
ボトルに詰め替えて「刀健油」とか銘打って販売することも可能でしょうが、
私はそういうことはしません。
でも、とりあえず、アルカリイオン水を鋼の刀身に振りかけるのだけは、
よしておいたほうがいい。
 
そりゃ汚れは多少は落ちます。工業界でも使われているアルカリイオン
洗浄水
なのですから。ただし、鉄に水を振りかけたらどういうことになる
か・・・。想像力を働かせて
ください。


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日本刀の錆

2016年11月16日 | 日本刀

日本刀は錆びる。
炭素鋼で作られているのだから、地球上にある限りは必ず錆びる。

錆びやすい要素には以下の三点が挙げられる。

1.居合等で刀身に触れた後
 (不動態被膜を手で除去してしまうので錆びやすくなる)
2.外気温の差がある季節や環境下に置いた場合
 (夏場に冷房の利いた車内から外に出た瞬間、冬場で外から室内
  に持ち込んだ瞬間。これらは必ず結露しているのですぐに刀身を
  清拭しないと、必ず、確実に100%出錆する)
3.研ぎ上がった直後
 (刀身の肌目に目に見えない水分が残っており、大気中の酸素と
  結合して出錆しやすくなる)

この出錆原因の3点は、真剣日本刀を所有するにあたっては常識
中の常識なのだが、居合などで模擬刀を使用していた人たちは、
模擬刀感覚で真剣を取り扱ってしまい、思わぬ出錆をさせてしまう
ことが実に多い。
居合の人たちは、どういう訳か、刀身の清拭さえも、古い油を浸み
込ませた汚れたネルで刀身に付着した手脂とともにこねくり拭って、
それで手入れ終了と思い込んでいる人たちばかりだ。確実に錆びる。

また、気を付けなければならないのが、気温に差がある場所を刀剣
を往復させた場合で、寒いところから暖かいところに刀を運ぶと、
鞘内にある空気は必ず水滴化する。
冬に外から室内に入ると眼鏡が曇る、室内でも眼鏡使用でラーメン
やうどん等を食べると眼鏡が曇る、夏場に冷房を利かせた車内から
外に出たら眼鏡が曇る、等々の経験をされた人は多いことだろう。
日本刀も、たとえ鞘に入っていても、同じことが起きている。鞘の中
には空気があり、その空気は眼鏡の曇りと同じ現象を刀身に起こ
しているのである。
なので、気温に差がある場所に真剣日本刀を持ち込んだ場合は、
すぐに鞘を払って油で清拭しなければ出錆してしまう。
居合の稽古などでも、夏場と冬場は特に注意を要するし、観賞刀
でも、外から持ち帰った時、あるいは外に持ち出した時等は、即座
に刀身表面を油で正式する必要がある。

さらに、日本刀の適性な手入れ方法を熟知しておらず、清拭のやり方
も知らずに、脂落としの洗浄水などを刀身に掛けたり(絶対に錆びる)、
保存油をきちんと刀身表面全体に被膜形成させてから鞘に納めたり
していない場合は、まず錆びる。
居合をする者たちで、模擬刀から真剣日本刀に切り替えた人たちは、
模擬等感覚のままで真剣日本刀に接していて、まず錆びさせている。
それでなくとも、時代刀などは、梅雨時期に居合稽古をしていると、
稽古しているそばからみるみる錆びてくるほどであるのに、適宜適切
な処理をしないと、真剣日本刀の刀身はどんどん出錆してしまうのだ。

運搬にも注意を要する。
前述したように、地球上にいる限り、大気があるので、気温変化により
錆が出やすいので、神経質なほどに真剣日本刀の刀身には気を使って
やる必要があるのだ。
日本刀が錆びないのは、無酸素の宇宙空間だけだ。地球にいる限り
炭素鋼は錆びることによって自ら元の姿に還ろうと常に動いているの
であるから、造形として姿をとどめるためには、人間が手をかけてやる
必要が絶対不可欠なのである。

これらのことを知らない人たちは、刀は光っているのでそう簡単には
錆びないと勘違いしているようだ。
刀は特定状況に置くと、すぐに錆びる。数十分で錆は発生する。
特に不注意から気温変化に対処せずに細かい点々の錆が出た刀身は
研ぎにより出錆を除去してあげないと錆は取れない。放置しておくと、
それはいわゆる「沈金錆(ちんきんさび)」と呼ばれる悪質の錆となり、
あばた状に刀身が朽ちていく。
日本刀研磨師の専門家に補修研ぎを出す前に、せめてできることは、
上質の内曇砥で造られた打ち粉をよく揉んだ最上質ティッシュの上に
大量に振り落とし、そこに油を垂らして拭い紙を作り、それで丹念に
出錆部分を拭ってやるくらいのことしかできない(錆の進行の阻止)。
これで、赤い錆が灰色に変化すればかろうじて錆の進行はある程度
防げるが、一度錆が出たら、完全に除去するためには、専門刀職が
研ぐしかない。

真剣日本刀を所持される方、特に、初めて真剣を持たれる方は充分
にご注意いただきたい。

このような南北朝時代の刀でも、この状態が保たれているのは、人が
この状態を保つように手を入れているからだ。

志津(正真)

この刀にしても、所有者は常に「管理」をしている。
人体の健康管理と同じく、気を付けるところを気を付けなければ、日本
刀はすぐに朽ち果てる。人体は生理的に自己管理自己回復力自然治
癒力があるが、むしろ、無機物である日本刀は、人体の健康管理以上
に人間が意識的に管理してやらないとならない。
ただ油を適当に塗って鞘に納めておけば刀は錆びないと思っていたと
したら、それは大間
違いであるので、充分に注意してほしい。 
現在、多くの数百年以上前の時代刀がこの世に残っているのは、それは
先人たちが細心の注意を払って保存してきたからだ。
差し料であろうと、鑑賞専門保存刀であろうと、真剣日本刀であるならば、
心血注いで真剣日本刀に接してほしいと願う。
真剣には真剣に接する。世界中の他の刀剣類とは異なる接し方を日本人
が実行してきたからこそ、今も歴史的な過去の日本刀がこの世に存在で
きている。世界中でこうした例は稀有であるのだ。
どうか、刀の命を断ち切ることはしないように、十分に気を遣ってあげて
ほしい。



書き忘れましたが、日本刀をケースに入れていても、車の中に置きっぱ
なしにしていたら、やはり刀身はとんでもないことになってしまいます。
冬でしたら、下車したならばエンジンを切りますから車内は冷える。
そして、乗車してヒーターをかけたら車内は温まる。
夏場でも同じで、夏場は逆の現象が起きてクーラーを切った瞬間から
室内温度は上昇していきます。
これらも大気中の外気温の異なる場所に瞬時に刀身を曝すのと同じ
ことになりますので、充分にご注意ください。本当にすぐに錆びますよ。
真剣日本刀は、細心の注意で自己管理してください。




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刀剣好き女子の特徴

2016年11月15日 | 日本刀

今のような刀剣女子という種族が存在しなかった頃の話だ。
女性に請われて参宮橋の刀剣博物館に何人かの女性を連れて
いったことがある。友人、知人の女性たちなのだが、日本刀
が観たいと言うので、より良き刀が揃って観ることができる
刀剣博物館に案内することになる。

そこでは、面白い一つの現象がみられた。
刀剣博物館でじっくりと日本刀の名刀に見入る女性たちに
共通の行動がみられたのだ。
それは、直刃仕立ての刀の前でずっと立ち止まって動かない
のだ。特に青江の刀(太刀)の前では誰もが佇む。

博物館を出る時に尋ねてみる。
「どの刀が一番気に行ったか」と。
すると、どの女性もが、直刃の刀が好きだったと言うのである。
これは大変興味深い現象だった。
私が案内したどの女性もが直刃の刀が好き、と口にするのだ。

ちなみに、私の家内も、いろいろ刀を見せていると、南北朝の
いわゆる「古三原」の刀が一番好きだと言う。
(南北朝時代には三原という土地は存在しなかったので、別地区
で打たれた刀だが、便宜上「古三原」とここでは呼ぶ。正確には
「古備後」が正しい)

不思議な事に、私が日本刀を紹介した女性の方たちは、何故だか
相州伝のような派手派手しい物ではなく、しっとりとした、落ち
着きの中に存在感がある一輪
差しのような直刃の古刀を好むと
いう傾向性があった。


こういう私の乱れ刃も、これはこれで結構イケてると思うのだけ
どなぁ(笑)。これは初期新刀。


でも、私が知る女性たちはこういうのがお好きなようだ。(古刀)


こういうのとか。(現代刀)


直刃を指して「冷たい感じがする」と例える人もいる。
人の感じ方は人それぞれなのだが、私は「冷たい」と
感じたことはない。
私が直刃の刀に感じるのは、「凛とした静謐さ」だ。
The sound of silence を感じるのである。
そして、直刃は青く澄んだ地鉄によく似合う。

そういう感じを備後弁では「よう映りょうてよ」と言う(笑)。
これは「お似合いのカップル」という意味でも使われる。


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刀職来三

2016年11月15日 | 日本刀

先々週の土曜日のこと。
母から連絡があり、日本刀研磨師が三原に来て、駅前ビルで
何とかの歴史展とかで、研ぎの実演をしていたらしい。
母は友人たちと見学していたとのことだ。「行ってみれば」と
言われて、「へ~」とか思っていたが、家で読書していた(笑
うちからそこまでは歩いて300メートルほどなのだが(^^;
長船からいらしていたようだ。



これは兵庫県の日本刀研磨師。

充分に巧いと思うけどね。これを「上手いとは到底思えない」と
居丈高に言ってた自称研ぎ師がいたが、どこに目を着けてるんだ
ろうかと思う。

「なぜ刀職というのは、刀職であるというだけで偉そうに勘違い
しているのばかりなんすかねぇ?」とこの画像の研ぎ師に個人的
に訊いてみた。「職人としての矜持とプライドというものを、
なぜか誤解して意固地に偉そう大将決め込む人が多いように
思えます」と。
返って来た返事は、「僕も気をつけないと」というものだった。
こういう素顔はあまり知られていない。
そして、悪口雑言を口を突けば出てくるような自称「人格者」ばか
りが日本刀の周辺には多い。
まさに自分がそうした有象無象の日本刀の周辺部分を形成している
一人であるという自覚は無論寸毫たりとも無い。

性根がねじ曲がってるのが多いよ~、この世界(笑)。
俺は関係ないけどね。俺は俺だから。俺のことが嫌だったら付きあっ
たり接触しなければいい。
いちいちごちゃごちゃつついてくんじゃねーよ、うっとーしいから。
まさに「うっさいわ!ハゲ!(関西弁)」というやつだな。
関西人って、相手をけなすときにハゲって好きなの?
特に神戸界隈出身のモノカキ崩れの奴とか。


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