渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

胴太貫(どうたぬき。≠同太貫)。ナンチャッテはナンチャッテ。

2016年06月29日 | 日本刀



我は拝一刀なり!
私は嘘ねつ造ではなく本物の広義解釈人なので、胴太貫と称してこれを
昨夜も居合の稽古で使った。

先週お休みだった指導者の先生が稽古終了後に「鞘の上、自分で茶色に
塗ったの?」と私に訊く。

私がよくいろいろな物を自作するのをご存じだから、鞘も自分で改造したと
思われたのかもしれない。



「これ、模擬刀です」と言うと、先生は「え?ええっ?」となった。
「真剣風模擬刀。自分で模擬刀を化粧研ぎしたんです。遠くから見ると真剣風に。
近くで見ると分かりますけど」と私が言うと
「見せて」とのことで手渡して見せると
「おう!(笑)」となって笑っていた。

道場長の先生は「ルール違反。五段以上の人は一応真剣を使用となってる(笑)」
と笑いながらおっしゃっていた。
げひょ~ん。来週から真剣差料に戻します(^^;
家での抜き差し稽古用なのですが、表ではやはり本物にしよう。
全剣連では、一応公的には五段以上は居合演武は真剣使用、とのことになって
います。(かつては三段以上が真剣使用必須だった)

ところで、最近自分としての最大の事件は、これだ。
私の差料の一つの時代拵付は、全然気にせずに居合や居合斬術に使っていたのだが、
どうやら、これ、もしかして薩摩拵?



肥後かと思っていたが、「刀屋うを志ん」によると、腰の高い肥後の縁はないとの
ことなので、たぶん薩摩金具なのではとのことだ。縁は42ミリもあるゴンぶと。

だとしたら、随分もったいないことをした。合わせではなく時代拵だったからだ。
青山の日本刀研磨師伊波さんのところで世話してもらい、さんざん初段前から
使い倒して柄巻きなどはボロボロになってしまった。金具も金象嵌がずいぶん
剥げた。刀身は末古刀備前物だ。

時代拵など実用に使うものではない。典型的な悪い見本ですね・・・・。
しかも、最初に着いていた鉄鍔は「なんだか脇差より小さくて質素でつまんない
鍔だな」とか思って、別な刀の拵に着けて、欲しいと言う人に刀ごとはいよと
譲ってしまった。
物を知らないというのは恐ろしい。


また、時代拵の脇差も二口差しでの刀法の際に私は帯刀していたけど、それも
また
あまり良いことではないように思える。美術品保存の観点からは。
しかし、そうなると、鍔も含めて時代物金具などは一切使えないことになるので、
そこらあたりの線引きが
難しい。
私の居合でつかうメインの刀は、刀身が古刀、金具類はすべて時代物だ。
鞘と柄下地と鮫皮・柄糸のみが新物(あらもの)。

(2年ほど前、何万円もする道明の下げ緒は形見でもあるし保存モードに切り替え、
6000円程の
廉価な正絹下げ緒に変更した私のメイン刀)


これも、考えたらもったいない話で、史料である貴重な刀に時代物の後藤系の赤銅
魚子地の金具、
美濃本歌の鍔を装着している。

江戸期の居合稽古などはまるで木刀のような質素な練習刀を居合修行者は使っており、
登城差し(フォーマル)や平常差し(セミフォーマル)のような上物は居合稽古には使って
いなかったのだが、現代人は江戸時代の人が武用稽古には使わなかったような高級
仕様の刀を日常稽古に使っている。
私自身のことも含めて、これまたどうかとも思わなくもないが、しかし、時代なりの趨勢を
画一的に否定するのも妥当性を欠くものだと私は思う。
だって、突き詰めたら、褌締めて稽古しないとならないもん(^^;
居合の時は眼鏡は私自身はあえてかけないけれど。

それに、現代人は着ている稽古着は化繊だったり現代マテリアルを使っているのだし、
あまりに画一的思考法というか頭が固い原理主義はよくないと私は思う。
弾力的な運用でよいのではなかろうか。


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刀のメンテナンス

2016年06月26日 | 日本刀



煤竹を削って目釘押しを作っている。
この後、目釘を作る。
目釘は本当は一度抜いたら廃棄する。常に新しい物を打ち込むのが本義
である。
だが、抜いた目釘の状態を精査して、再利用(あまりおすすめしない)が
可能ならば再び打ち込む。
竹目釘は皮側を刃側に向けて打ち込むのが原則だ。

日本刀というものは、武用で使う拵付の刀の場合は、使用者自身の己の差料
であるので、自分の差料は自分でメンテナンスするのが大原則だ。
特に居合や試斬などで刀を使用すると、どうしても鯉口が甘くなったり、微細な
クリアランスが広がったりしてガタツキが出てくることがある。
刀を完調にして状態を良好に保つのは刀を所持する者自身がやることで、
それをやる気がないのであれば日本刀などは所持すべきではない。
今回は、煤竹を所持していない友人のために、別な友人から頂いた煤竹を
使って自己メンテ用の部材を作ってあげている。
これを進呈する友人も一般竹で目釘等自作しているのだが、やはり煤竹が
貴重で入手し難いため、私が頂いた煤竹を少々進呈することにしたのだ。
これで自己メンテもバッチリだろう。
「改造鎚型トンカチの作り方も教えてくれ」というので、見本と云う訳ではないが、
私が新たに鎚型トンカチを作ってオマケであげることにした。
そのトンカチは、両端を砥石で研磨し、ガンブルー処理し、気化性防錆材を塗布
した。
私のような素人仕事ではなく、本職刀鍛冶の目釘抜き用トンカチを開発中
なので、それが出来上がったら購入してほしいなぁなんて思っていたら、本人は
「欲しい!」とのことだ。また一人希望者が増えた(^-^)

真剣、模擬刀にかかわらず、拵付刀は中古品の場合、鍔・切羽のクリアランス
および鯉口の緩みが生じていることが多い。
これは大抵は購入時からそうなっている。中古品なので致し方ない。
調整は自分でやるのが大原則だ。
gooなどの中古バイクや中古車販売情報を見れば判然とすることがある。
それは、中古車販売の時には別途「整備代」を申し受けるのが普通であることだ。
本体価格+登録費用だけではなく、整備代金が別途請求される。
これは中古車に限らず、道具などの中古販売においても当たり前のことだ。
本体価格は「原状」での価格というのは常識だ。
日本刀の中古の場合も、現状販売のため極度に割引低価格で販売している
刀剣店が多くある。
完品状態を中古刀に求めるならば、新規に研ぎを行ない、また拵と刀身の具合
も新品同様にしなければならず、そうなると販売価格はドドンとプラスになるのは
日本刀に限らず中古物件の常識である。
不動産の賃貸物件も、室内メンテ代は敷金という形で請求されるのは当然で
あるし、世の中の常識はそういうことになっている。
(敷金は退出時には大抵は戻っては来ない。追加料金が請求されることの
ほうが多い)

そして、特に日本刀の場合は、中古日本刀は格安だが、それは現状本体価格
であり、必要なメンテナンスは所持者本人が行なうことは日本刀を所持する上
での大前提なのであり、常識だ。

使用していて鍔が緩んだりすることは以下の理由が想定され、対策は以下が
予想される
 ・鍔と刀身の接触部分の微小クリアランスが増大した(責金の甘さ)。
  →責金を新たに打ち込み、刀身と鍔を密着させる(専門業者仕事)。
 ・目釘に傷みが生じた。
  →鍔の緩み、切羽の緩み原因は大抵はこれ。これは新品目釘を新たに
   打ち込んでがっちりと鍔と切羽を密着させて固定する(自分でやる作業)。
 ・総体的に各部のクリアランスが増大した。
  →切羽を増し足すか、厚みのある切羽に交換(自分でやる作業)。

切羽は時代拵の場合は本来表裏一枚ずつが理想である。
また、軍刀拵や太刀拵の場合は複数枚切羽となることもあるが、これも適宜
適合した厚みの切羽を組み合わせる。

日本刀を武用で所持するのは、他人ではなく自分であるので、調整は自分で
行なうことが当たり前なのである。
靴を履く時には自分で靴の紐は締める。それと同じであるのだ。他人の靴では
ない。自分が歩く自分の靴なのだ。
日本刀を武用で使うにあたり、自分の靴の紐が自分で結べないような者は
日本刀を持つべきではない。裸足で歩くのがよいだろう。
他人の刀ではない。自分の差料だ。自分の髭は自分で剃る。当たり前のこと
なのである。

私が居合で使うメインの古刀差料の本歌の鎺(はばき)と現代切羽。

鎺は銅地に金着せという時代物高級品であり、武用に供するには金は損耗
が激しいので現代物の銀無垢鎺を誂えで現代職人に作ってもらいそれを私の

差料には装着している。切羽も現代物金メッキの物を装着している。
この画像の一番右の切羽は現代物の厚物だが、切羽は何枚か厚みの異なる
物を用意する必要がある。現代物金メッキ切羽は1枚2000円ほど。

この画像の他にも金切羽数枚、銅切羽数枚を保持している。
これは刀を武用等で使用するにあたり、必要不可欠な備蓄である。

鍔を薄い物に替えたため、菊花金切羽の下に一枚だけ薄切羽を噛ませている。
これはあまり推奨できないが、どうしてもこの切羽とこの鍔を使いたいために
やむなく一枚増しにして調整した。こういう調整も自分でやるのが刀の常識だ。


こちら側は菊花金切羽一枚のみだ。


抜刀して構えた時にはこちら側が見える。鍔は安土桃山時代の美濃本歌、
山銅地赤銅覆輪金鍍金魚子地高彫鳳凰の図、鑑定書付。


居合で納刀抜刀を何万回も繰り返すと、そのうち必ず鯉口は緩くなってくる。
私の場合は、居合所作に基づいて、納刀の際にはそっと鯉口に納めるが、
パチーンと音を立てて刀を鞘にぶち込むような非武術的な不作法者の刀は
100%鯉口がスカスカになっている。
また、なったまま使用を続けていたりする。

通常使用でも鯉口は緩くはなるが、最初から鯉口が緩い中古刀を購入した
場合などは、鯉口をきつくする調整を自分で行なう。
それには「経木(きょうぎ)」を使用する。杉を紙のように薄く削った物で、
昔はこれにおにぎりやお惣菜を包んだ。

鯉口が緩い場合は、この経木を細く切って鯉口の内側の棟部分に貼るの
である。貼るのは米を練ったソクイよりも、水性木工ボンドが耐久性の面
でも適している。油性ボンドや瞬間接着剤はよろしくない。
経木を貼るには、ボンドを薄く一面に塗り、そして割り箸で押さえつけて
しばらくそのまま押圧しておく。完全に乾くまで刀身を入れてはならない。


これは万余を超える数の抜刀・納刀を繰り返した私の康宏の第一鞘。

内側には経木を貼って補修してあるが、私は抜刀においては英信流
トリサシを使うので、鞘を
割ったり鞘内を斬りこすり削ったりはまずしない。
居合をいくら抜いても、
稽古後に鞘を逆さにしてトントンとしても私の場合
は木くずも出てこない。

ただし、損耗により鯉口は多少緩くなってくるので経木で適宜補強する。


別な角度から。刃側の原木が残っていることで、いかに私が鞘をこすって
いないかが判断できると思う。鯉口の角がこすれているのは高速ぶっこみ
納刀時に水牛の角に切先が接触したミスの痕だ。数十万回の納刀のうち、
18回ほどミスっている。



ほぼ新品の鞘。居合を200本ほどしか抜いていない。


剣士が必ず左手で鍔に指を掛けているのは、あれは万一にも鞘走りしない
ようにしているのであるが、本来、鯉口はしっかりと鎺に密着していれば
刀は下に向けても刀身が鞘走ることはない。それが本来の姿であり、完調
状態である。
もし、刀が外装との兼ね合いで完調でなければ、他人の差料ではないので、
自分の物は自分で手を入れて調整するのが、とりわけ日本刀においては
常識なのである。
刀なのですから。自分の分身、自分の魂なのですから。

日本刀とは、その歴史的特異性から、自分で責任が持てない、自分の管理を
自分でできない者は持つべきものではない。
元来、主として所持したのは武士であったのが日本刀であり、居合などで使用
する刀は武家政権時代の武士の差料と同仕様の拵となっている。
所持している者が「自分の責任は自分で決する」ということが当たり前の
種族である武士であったのだから、己の武具に不具合があるのは恥であり、
己のことは己で決裁するという武士の精神性およびいつでも主命を果たせる
という具体的な実用的観点からも、武士は常に刀剣を完調の状態に置いていた。
そうした、物を大切にし、自分のことは自分で行なう、自己決裁するという現代に
おいても十分に活用できる大切な武士の文化を体現できない「武用で使おうと
思っている」人は、私は日本刀を持ってはいけないと思っている。
コスプレじゃないのだから。
己の刀に不具合なきよう常に点検整備し、周囲の危険回避に努めるのは
刀の所持者自身の責務である。
他人がやってくれることでも、他人に責を求め他者に不具合の矛先を向ける
ことでもない。
すべて、日常整備は自分で行なうのが日本刀を所持する大前提だ。
人は自分が刀を選んだつもりになることが多いが、実は刀を持つべき人か
否かは、選ばれているのである。


刀剣しのぎ桶川店の新藤店長が超格安(餃子定食2人前ほど)で譲ってくれた
私の模擬刀。真剣風刃取り研ぎは私。


この模擬刀を購入する際には鍔と切羽の隙間が5ミリほど開いていて
ガタガタだった。だが、「中古刀現状販売の原則」により、当然私は
文句も言わないし、「あら、ガタガタだねえ」と言って笑った。新藤店長
も、「あら。そうですか」とのこと。
これはごく普通の会話である。新作新品刀ではないのだ。
それに中古刀販売の原則を勘案せずとも、超格安で買った物に対して
販売者に難癖つける趣味は私にはない。中古品はノークレームノーリ
ターンだし、このような格安案件で文句を言ったら、ノーリターンではなく
言うほうがノータリーンということになってしまう。

所持者となった私が鍔緩みを押さえるべく目釘を新たに打ち込み、
ガッチガチに微動だにしないように固定した。
これ、常識なり。他人の刀ではないのだから。


居合で刀を使う人は、鯉口緩みを防止するために、納刀保管時には
鯉口緩み防止パーツの「鯉口くん」をおすすめします。

発明したの私です(笑)。製造卸プロデュースは私の先輩。
お求めは刀剣店でどうぞ。


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押形(おしがた)

2016年06月22日 | 日本刀









う~む。
かつて私がメンテしたこの刀がヤフオクで売りに出されているのを
発見した。所有者の手元にあったのは一年の命だった。
しかも、私がかなり気持ちと手を入れた個体だった。

ちょっとショック。でも、売りに出す何らかの事情があったのだろう。


入手当初切れないというので、ティッシュを丸めて刃を当てて引いて
みたらまったく切れない。だがそれは専門的な部分で指摘すれば、
戦闘モードの刃付けだった。
所有者の希望で寝た刃を合わせ、また刀身全体を私が清拭した。
寝た刃を合わせる前に私が試斬したら、ティッシュが切れない状態
あっさり切れた



本人希望により、私が寝た刃を合わせた後は、所有者も相当に
切っていた。切れ味最良とのことだった。彼は一切居合も抜刀
も経験がない。



その後、ヤフオクの説明によると、観賞の為に10万円かけて研ぎに
出して綺麗にしてもらったとのことなので、日本刀研磨師
にヒケ疵の
除去の研ぎを依頼して綺麗に仕上げたということなのだろう。

なぜヤフオクで売りに出されたのかは私は知らない。オクを見ると
即決価格は
30万円とのことだ。一回目の出品は入札なしで流れた。
拵に着いていた金具はかなり良い手筋の肥後鍔が着いていた。

知り合いに何人かいるが、新しい刀を購入してはしばらくしたら
手放してまた新しい刀を入手するという人がいる。よくあることだ。
私が相談されて、時間を割いてその刀工や作域について懇切丁寧に
調べ上げて個人的に解説し購入を決めたりするケースも多いのだが、
しばらくしたら飽きてしまうのか、車のように乗り換えようとする。
そういう人は結構いる。
私にはよく理解できないので、私とは別な世界に住む人たちなのだろう
と私は理解している。
そういう人たちの感性を犯すことを私はしない。そういう人たちは
ずっとそれを繰り返すからだ。親友の家庭の事情でどうしても上研ぎを
かけて試斬を引退させた魂のようにしていた愛刀斬鉄剣を断腸の思いで
売却を頼まれたので刀の素性と来歴と作域を別人に紹介したら、それは
欲しい、これは絶対に売らずにずっと持っておくとのことで買い上げて
もらったが、しばらくしたら事情があるとのことで転売された。そして
さらに別な刀を何本も購入するということがあった。
そういうことはこれまで、幾人かで何度もあった。
どういうことなのか真意が本当に私にはさっぱりと理解できないのだが、
ただ、私とは感覚が決定的に異なるという、それだけは確かなようだ。
だが、刀を転売したり質草にしたりすることは悪いことだとは私は
思わない。なぜならば、幕末の武士人口は卒まで入れると300万人以上
いたが、その300万人は幕末人口が3000万人なので現在の日本の人口
1億2730万人に対して武士の流れの人は単純比率で現在1273万人いると
いうことになる。1273万人がすべて家伝の刀を保持している筈がない。
刀は現在にあっては旧幕時代のように必需品ではなく、いつでも手放せ
て、いつでも新たに購入できる「商品」となっているのだ。
だから刀の売買も当たり前だし、自分が一口も刀を持っていなくとも、
それはごく当たり前のことであり、それが当世の常識なのである。
刀を手放すも新たにどんどん買い求めてトコロテン式に古い刀を放出
するのも、それは自由なのである。私は否定しない。だが、肯定もしない。


一方、最近仲良くなっている道場の後輩が真剣日本刀を求めていたので、
出来の良い刀を紹介した。私は業者ではないので、あくまで無料奉仕で
単に紹介して本人が気に入り、販売者との金額の折合いがあえば縁が
生まれるので、その橋渡しをしているだけだ。
だから、品物がピンと来なかったりしたら当然購入商談は成立しないし、
それでよい。当然のことだ。
ただ、現物を見て気に入ってくれたならば、金額の折合いがつけば
武具に関して橋渡しができたので嬉しい。
実際に、尾道の人も、私が紹介した地元尾道の郷土刀を何年も大切に
してくれており、それを居合で使うべく拵製作の準備をしているとの
ことで、そういう話を嬉しそうに聞かせてくれると、こちらも嬉しく
なる。
手数料を刀屋からもらっているわけでもないし、勝海舟の親父のように
アルバイトで刀剣斡旋をやっている訳でもない。
ただ、一般販売価格よりも割安で個人的なところで「商品」にする前
の物として私には個人的に刀屋うを新などは紹介してくれている。

ただ、予算と家庭事情を聴いて、無茶苦茶割安値段で刀屋が個人的に
提供してくれてその刀をある人に渡し、拵製作についても特段の事情を
呑んでひと肌脱いでくれた拵製作業者の協力で出来上がって納めた刀が、
その後ぞんざいに扱われていたことを知った時、私はとことん人を見る
目がないね、と自分自身で思った。
事情を知った別な刀屋は、「私が言い値で買い取るからそういう人には
日本刀を持ってほしくない。なんとか連絡つけて買い取り交渉の段取り
してくれ」と言ってはいたが、私は嫌気がさして縁を切ったので連絡など
取るつもりはないのでその申し入れは立ち消えとなった。

最近、尾道道場で有段者となった後輩が真剣を探しているとのことで、
良刀を紹介した。長銘15文字の元禄新刀だ。出来はすこぶる良い。
本人は現物を見て気に入り、即決で話を決めた。
彼は刀が来たその晩は5時間くらい眺めていて、しかも、いつの間
にか、刀と一緒に眠ってしまったという(笑)。
解る、それ。私もそうだったし、うを新の新藤氏もそうだった。
(知り合いの女性に、ビリヤードのキューが来て嬉しくて一緒に
寝たら、翌朝シャフトが折れていたという人もいた。刀の場合、
裸身でそれをやったら、翌朝は自分が血だるまで冷たくなって
いる可能性アリ。刀は鞘に納めましょう)

その刀を預かり、詳細に見た。観るのではなく精査した。
本当に出来が良い。
この流門の特徴である蟹の爪についての製作上の技法の推論も
仮説として立てられるに至った。
数時間観賞していて、いろいろなことがこの一口(ひとふり)から
見えてきた。
蛙子(かわずこ)丁子のそれぞれ一つ一つに表情があり、また、
並び方のグループにもある特徴と表情があった。接していて楽しい。
通常、現代刀にも繋がる幕末工法では刃を上にしての最後の加熱
においては、火口の影響で差し裏が激しく変化する。
これは山浦清麿などにも顕著にみられる特徴だ。
だが、この元禄新刀は、差し裏ではなく差し表のほうが明瞭な熱
変態がみられた。工法が幕末新新刀や現代刀とは異なるということ
を示している。

一つの刀からでもいろいろなことが見えてくる。
結局私も数時間眺めていることになった。
この刀は、本人が購入しないのならば、私が欲しかったほどだ。
真面目すぎるほどに真面目で、上作である。

押形(おしがた)を採って、解説をつけてそれをA3全面にコピー
して所有者に渡した。
本人はとても喜んでいた。押形を採るのは夜中に3時間ほどかかった。
差し表の丁子の頭の数は134あった。
刀は粗見しただけでは見えない。詳細に精査するのだ。
一般観賞の際は、それを短時間に行なう。(数分)
そのためには押形を採れるのならば押形を採る習慣をつけたほうが
刀の勉強のためにはよい。
私は刀剣柴田から押形の採り方を習ったが、本格的な技法は刀剣
しのぎ桶川店の新藤店長から伝授された。新藤店長(通称うを新)
の押形は、まるで写真を印刷したような精密な押形だ。
新藤店長は得能先生から押形の技法や要諦を直に習っている。
私の押形などは、新藤店長の精密リアル描写に比べたら、落描きに
近い。
それでも努力しながら押形は採るようにしている。

(新藤店長が私の学習教材として超短時間で採ってくれた押形/水心子)


(私が採った後輩の元禄新刀の押形。線がずれているのは採取が下手だから)




気に入った刀で、手に取って観賞ができ、押形を採らせてて
くれる作品は押形を採るようにしているが、刀は一度見たら
人の顔や声と同じで記憶にインプットされる。
ただし、記憶から消去したい刀もある。そういう作は数秒
しか見ない。いわゆる粗見というものだ。
ただし、粗見といっても、興味のない作域だったり、私が

否定的に思っている刀工の作は、見せてもらってもスッと
一瞬見ただけで鞘に納めて「眼福でした」と返す。

つい先日も、ある刀工作を見せてもらったが、数秒で鞘に
納めて「眼福です」と申し述べて返した。
「もう終わりですか?!」と言われたが、見てすぐ判る。
なぜ、新作美術刀剣であるのにあんなに刃引きをしているのか。
刃こぼれ丸しか造れないのに「俺様の刀はよく切れる」という
刀工の気色ばんだ色が作品にも出ていて、見た瞬間に気分が
悪くなったのですぐに鞘に納めたのだ。私個人にとっては見る
価値はゼロどころかマイナスで、「嫌な物を見た」という領域
に入ってしまう。また、私は包丁正宗をコピーしたようでまるで
写しにさえなっていない不細工なナイフに数十万円を出す趣味は
ない。
そもそも、戦闘モードでの意図的な刃引きではなく、研ぎ師が
砥石をあてられないからしかたなく刃を定規のように引かざるを
得なかったという事実を刀工はどう受け止めているのか。
こういう現代作家はかなり多い。
いくら彫り物が巧くとも、いくら長寸の刀を作れようとも、根幹が
駄目なので話にならない。

ちなみに、道場の後輩が入手した元禄新刀は、刃がキンキンに立って
いる。それだけで、充分に粘る鋼にこの一刀を作った刀鍛冶がまとめ
ていることが見て取れる。
コピー用紙を本人と二人で切ってみた。
左手で空中に保持したコピー用紙を、シャッコシャコに数センチ
刀身を振るだけで紙が任意に切断できた。
本人もいたく気に行っていた。
これに拵を作るのだが、それについても、新藤店長は信じがたい超
スーパー格安価格で提供してくれた。
私は金額交渉や金員のやりとりには関与しないので、本人同士で
それはしてもらった。
かなり粋な時代金具をまとった拵が夏過ぎにはお目見えすることと
思う。楽しみだ。
それを腰にして、後輩が生き生きと希望に燃えて良い居合を抜く。
こんな嬉しいことはない。
その人、ずっと大切にしてくれると思う。たぶん。わからんけど(笑)
現在は私と同じ外来種の三原人とはいえ、元々彼の生まれはモッコス
の国だ。しかも、先祖はうちと同じくシーブーときてやがる。
刀を転がし転売などはしまい。
レーシングライダーだったしな。期待してるよ。

転がすのは二輪だけにしとけ(笑

 

 


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同田貫(どうだぬき)

2016年06月21日 | 日本刀

私の同田貫(どうだぬき)。どうだ?





実は模擬刀(≧∇≦)


それを研ぎで刃取りして本物っぽくしたんだよ~ん(^0^)v
あまりにモギモギしているのはカッチョコ悪いから。


でも鍔は本物を着けた。この鍔だけでこの模擬刀が8本買えてしまう。
この鍔はかなり前にうを新で分けてもらった。





目釘をしっかと叩き込んだので鍔に一切緩みなし。ガッチガチだ。
切羽も金の本物に替えて、ハバキも色あげしちゃうもんね(笑

縁頭も色染めする。
まあ、模擬刀もカスタマイズすれば楽しくなるって寸法よぉ。
もっとも、模擬刀をここまでやる人見たことないけどさ(笑
たとえレプリカだろうと、手をかければ面白くなる。
でも、他の人って自分でやらないんだよな。何でも業者任せで。
居合とかやってる人もガンプラ世代が多いのに、なぜ自作カスタム
しないのか不思議。
おいらはガンプラ世代じゃないけど、一応、小学生の時からモデラーでも
あった。
まあ、模擬刀刀身をこのようにするのも、魔改造の一種だよね(違

なんだか、鍔が妙に似合ってるなぁ。
この鍔の画題は熊坂長範ですね。   解説過去記事 → こちら


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書籍『日本刀の歴史 古刀編』

2016年06月20日 | 日本刀



なんだか学説なども古いなあ、てかあれ?読んだことあると思っていたら、
これ、70年代初期に出版された『日本刀の研究と鑑定』の焼き直しでしょ?

『日本刀の研究と鑑定』は、「古刀編」と「新刀編」があり、確か私が
大学2年の頃に再版もされた。
私は中学の時に初版を読み漁った。
私の刀剣研究は新刀から入ったが、新刀特伝などのイレギュラーな新工法を
勉強してもダメだということに気づいて、中2からは五カ伝から勉強し直し
た。

『日本刀の研究と鑑定 新刀編』



また、入門編としては、これもよく読んだ。


今回、あれ?と40数年ぶりだが気づいたのは、中身と体裁が40数年前
の書籍と同じだったからである。
何故古いかというと、古刀期の安芸国の刀工が空欄になっているでしょ?


これは、筑州左の流れ(自称)とされる安芸国大山鍛治が記載されていない
ので「古い」と断定できる。
つまりそれは、五カ伝至上主義による「脇物排除」の視点が刀剣界にどっ
しりと君臨していた頃の出版物であるということの証左でもあるからだ。
だが、そうした中央エリート主義は古代中世から日本には存在していた。
だからこそ、「由緒」や「家格」を捏造したりしてハク付けしたがる連中
が古今東西、あとを絶たない。
それは現在でも継続しているあちこちに転がっている嘘まみれ自己宣伝を
みても首肯できるところである。

また、こうした自己美化の自己宣伝には、「貴種降誕奇譚」が必ず付随
する。
安芸国大山鍛治の左の血脈と自称するのもそうだろうし、また、多くの
武士たちが己の血筋を源平藤橘に結びつけるのもそうだ。
武士は天皇親政を破壊して政権を簒奪し続けた種族だが、その武家政権を
破壊した長州閥が、実は恐ろしい大逆を幕末に犯していたとしたらなんと
しよう。

一つ確かなことは、「歴史は勝者によって書き換えられる」という事だ。


盾の会1969年入会の三次メンバーだった人と、三島先生について、かなり
突っ込んだ対談をした。
タイムリーに、三島由紀夫ではなく平岡公威をよく知る人だ。門下なの
だからよく知るどころではない。
当時、民族派は国内情勢の中では圧倒的なマイノリティだったという。
しかし、ふと私に疑問が湧いた。
もし、信じていたものが、虚構であったとしたら・・・。
維新時大逆の一件は、46年前には全く知られていなかったがゆえに、右も
左も「何者か」に踊らされていた、ということが、歴史の真実だったと
したら・・・。

悪魔に魂を売り渡さないと己を自己規定して、歴史の中で傷つきながらも
何度打ちのめされても立ち上がって生きた、あるいは死んで行った者たち
は、虚構の嘘ごとのために翻弄されたとあっては浮かばれない。

数十年ぶりに読む復刻新丁の刀剣書を手に、ふとそんな思いが胸をよぎった。


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鉄目釘5 ~検品~ 

2016年06月14日 | 日本刀







私が仕上げた鉄目釘が「刀剣しのぎ桶川店」に届き、検品の上
OKが出た。
新作の康宏作完成品の注文主は、まさか私が作るとは思って
いなかったようだ。
鉄目釘など誰も業者は作ってはくれない。作るかもしれないが、
それはテーパーピンをカットしただけだったりする。
抜け防止の旋条痕を切り刻むのは「日本刀探究舎 鍛人(かぬち)」
の発案であり、その特製鉄目釘が1990年代初期の康宏作には
標準装着されていた。
だが、手間がかかりすぎるからか、その後はテーパーピン採用だった
ようだ。

私は焼きなました丸棒から削り出しにより作成した。
しかも、抜け防止の噛みこみ条痕は、ただの線だとつまらないので、
そこに意匠を施した。これは対抗方向からのテンション止めにも
役立っており、実用と美を兼ね備えた物として息吹を吹き込んだ。
誰もこのような鉄目釘など作らないだろう。日本で、いや地球上で
私だけではなかろうか。見た目が無機質だとつまらないので、私は
鉄目釘に笹をタガネで切り彫った。鏨枕は部分的に立てている。
笹を彫るのに中や久作のような笹葉銘のタガネ使いとはちょいとした
シャレだ。



この鉄目釘を主目釘-控目釘用に各々2本、合計4本を製作した。
さらに、防錆のために赤錆発生を抑えるべく黒錆付け加工をした。
これも、実銃ガンブルー補修のノウハウを投入して実行した。

勘違いしてもらうと困るのは、必ずしも「業者=プロフェッショナル」では
ない、ということだ。
手間暇のコストという面だけではなく、どこまで「かゆい所に手が届く」
物作りをやれるかやれないか、という問題が横たわるのである。
刀屋や刀剣団体所属の者でも刀が見えない人がいるように、その道
の「プロ」と呼ばれている人たちの行為が、その立場性を超えて中身
として内実あるのかどうなのかという問題は、実質的な質性の客観的
評価とは別次元にある事柄なのである。
私は刀職ではない。ただの勤め人だ。
だが、私にしか表現できないもの、私にしか作り得ないもの、私にしか
発想でき得ないもの、というものがある。
例えば私が書く詩も曲も私でなくば生まれ得ない。歌詞だけでなく和歌に
してもそうだ。私の脳内ですべて発生するし、また、それを物理的に形
にまとめることを実行するのも私である。
「私」がどうであるのかが私の実行行為の具現として世に現出している
のであり、これは他の誰のものでもない。
学生時代の特殊業界における専門誌紙掲載の派としての情勢分析論文
をはじめ、具体的物品としても多くの独自生産物があるが、それは「私」が
成した私のものである。

それで飯を食っているのを「プロ」と呼ぶようだが、こと工作物に関しては、
自己主張のお仕着せは駄目で、使い手のことを常に念頭に置いた物作り
を実行しないと、現実的な成果も評価も出ない。
特に「ただ見るだけ」の物とは違う実用品においては、コンマミリ以下の
集合体としての造形に至るまで心が行き届かないと、ただの何の役にも
立たない自己満足作品にしかならない。
芸術作と実用の実力を備えた工芸品との違いがそこにある。
実用品は芸術作品よりも過酷で冷徹な眼に晒される。厳しく、隙を赦され
ない世界に実用品の物作りは置かれている。

私の工作物は一応厳しい眼の検品はクリアした。
所有者の人にも満足してもらえれば幸いである。

同梱した物に、私が発案して江戸誂え刃物鍛冶の左久作師に打ってもらった
「日本刀目釘削り専用刃物 ヒラマチ」の新藤店長分を入れた。

(これは私個人の物)


柄を私とまったく同じ仕様にして、白柄部分を紙でラッピングし、
別製の桐箱に入れて送った。
本人はいたく満足していた。
研ぎは、初期出荷の研ぎでも充分すぎるほどに充分なのだが、
さらに私「早月流御研處」の手法で仕上げて送ることにした。
(研ぎ名は渓心)


私が研ぐとこのようになる。元々が極上切れ味の左久作製なので、
切れ味は極上のさらに上を行く。


プロであるかアマであるかは「それを業としているかいないか」である。
しかし、技法がプロフェッショナルであるか否かは、いわゆる業としての
プロであるかアマであるかとは関係がない。
できる奴はプロ・アマかかわりなくできるし、できない奴は、たとえプロ
の看板を掲げていようができない。
このことはビリヤードのタップ交換一つをとってみても私は痛感している。
ビリヤード場を経営していたりプロの選手でも手作業で完璧にタップ交換
をして仕上げられる人は驚くほど少ない。

私は「タップ交換」ができる。しかも、完璧に。
こういうのは「手先が器用」とかの問題ではなく、実効性のある手法を
見極める着眼点の問題だ。

10年以上前、タップ交換のノウハウを伝授するまとまったウェブサイトが
皆無だったので、私が作成し、技法を公開した。
大反響だった。
以降、似たようなサイトがわんさかと登場した。
ミリタリーベレーに関するかぶり方の解説についても同様である。「本職」
たちまでもが海外派遣の際には大いに参考にしていた。
難しいことではない。
私が「できる」こと(=他人ができていないこと。あるいは未着手のこと)
を公開し、それがたまたま世界初だったことが何度かあるだけのことだ。
別段偉くもなんともない。

ただし、世の常か、文章を含めて、本当によく各方面で剽窃される。
まるまる私のウェブサイトのままを雑誌に記事として掲載されたときには
さすがに「ここまでやる?」と閉口したが、自分の中でも一番大笑いした
のが、人気傭兵小説の主人公に私がなっていたことと、有名劇画の
短編作の主人公で私が登場させられていたことだ。
これには古くからのつき合いの友人たちも大笑いしていたが、なんというか
「よくやるわ」という感じがする。
小説『傭兵代理店』なども、私が私の経験を書いたくだりのそのまんまの
状況をまるごとまる写しで記述して、しかもセリフまでまったく私のセリフの
ままだった(苦笑
(現在その私の日記記事は、ドラスティック過ぎるという諸般の事情から
アップ記事を下げています)


オリジナルで勝負しようよ。
私も良い物は参考にして採り入れて行くから、「参考」や「採用」はいい
けどさ。

さも自分(たち)が最初に考えたとか、古くから自派に伝わっていました、
みたいに
嘘つくのはやめようよ。
まあ、やるのは勝手だけど、それって、権利がどうのよりも、何よりも
カッコ悪い。
ダッセ~てやつ?
俺はそう思う。
真似はいいのよ、真似は。良い物だと思ったらどんどん真似するのは。
だけど、それを自分(たち)のオリジナルとして発表して、それによって
金員を得ようとするのってね、それアカンす。
ダイハツの車のデザインもそうなんだよなぁ・・・。他メーカーの人気車種
にクリソツなデザインばかりの車を新車で売りに出す。
それってなぁ・・・。いくないす。

というこで、だいぶ前にかみさんに買ったこの真っ赤なフィアットは
かわいいと思う(笑)。


真っ赤の嘘というのは昔よく辛酸を舐めさせられて経験したが、
真っ赤な嘘というのはどういうのだか私はよく知らない。
この車、本家からのクレームがあったのか、2年待たずに
フェイスのデザインを変えてしまいました(笑



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刀の魂 彼方の魂

2016年06月14日 | 日本刀



例によって他者を放送禁止にかかる程の語句を用いて口汚く
罵るモノカキ崩れは、最近は藤安刀工のことさえも「下賤」
罵倒しているが、藤安師の作が「下賤」ならば、小林康宏などは

どうなってしまうのだろう(笑)。

私の康宏作。(平成六年-1994年作/撮影2016年5月)


1994年の二代目小林康宏直紀。(撮影私)


1994年の小林康宏直紀。












2013年新春。


2013年秋。


2016年さつき。


私は刀に「下賤な刀」というのは存在しないと思う。
存在するとしたら、それは人が脳内で個人的に決め付けた
勝手な夢想の産物だと思う。

ただし、人の場合は「下劣」というのはあるだろう。
娘が三歳の時に私は娘に言われたことがある。
「パパ。人のことを馬鹿と言う人が馬鹿なのよ」
三歳の人間に、はっと気づかされた。
これは核心だと感じた。
人を下賤下劣と揶揄攻撃して悦に入る人は、その発想を脳内に
発生させる時点で、すでに自分が人品高潔とは乖離し始めて
いるのではなかろうか。

刀に下賤も高貴もない。
見る人、持つ人の心根と人間性の在り方如何だと私は思う。

「これで大根切れるかなぁ」


康宏作は大根を切るためにあるのではないけれど、刀は
ただ刀であるだけだ。
刀は持つ人によって捉え方如何であり、その人に活力も与え
れば
ダークサイドに人の心を陥れることもある。
だがしかし、それは「本人が人としてどうであるか」ということが
大前提として
ある。
康宏作を自ら所有し、それで大根切れるかなぁと口にした
桃ちゃんを「下賤」だなどと思ったことは私は一度もない。

私はこういうことにも康宏作を使ってきたが、はたして「下賤」なの
だろうか。



刀には下劣も高尚もない。
特定の感情は見る者、持つ者の心の中に生まれるものだ。
私は古い刀も新しい刀も、作った作者にいつも思いを馳せる。
作った作者の彼方の魂の行方はいずこであるのかと思いを寄せる。
刀の魂を知ろうとすることは、彼方の魂との接点を求めることだ。
私にとって刀は、その魂と魂を繋ぐ結節点であるのだ。
と私は思っている。

他の人は知らない。
刀も刀の作者も貶して唾吐きかける者もいれば、必要以上に霊器と
崇め奉って神格化する者もいる。
人それぞれだろう。
よそは知らない。私は私のことなので、私は私の思いで、淡々と刀に
接するだけのことである。


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包丁(一般刃物)鍛冶の銘と刀鍛冶の銘の違い

2016年06月13日 | 日本刀

「肝に銘じろ」とは現在も使われる言葉だが、これは日本刀
の作者銘を刀身の茎(なかご)に切りつけることからきている。
和式包丁にも作者もしくはブランド銘が切られることがある。

しかし、刀鍛冶が刀に切る銘とはまるで鏨(たがね)使いが
まるきり異なる。

包丁の銘。包丁や和式刃物の銘は「切る」のではなく「彫る」
ことが多く行なわれる。この個体は「切り」と「彫り」の併用だが、
直線の伸び部分は刀鍛冶の手法とはまったく別物だ。





刀鍛冶が日本刀に切る銘。














包丁銘と刀銘では、鏨(たがね)の運びが全く異なることに
お気づきだろうか。

刀鍛冶はごく一部を除き、鏨で銘を「彫り込む」ことはしない。
鏨の刃で刀身を蹴り分けるようにして銘を「切る」のである。
なので、日本刀の場合は「銘を彫る」とは表現しない。
「銘を切る」というのである。
一方、包丁や一般和式刃物の場合は「銘を入れる」と表現
されることも多い。鏨の使い方は、打ち込むようにして、彫り
下げる。
根本からして、刀工の銘切りと包丁鍛冶の銘入れは、手法と
技法が異なるのである。

現実に目の前にある包丁と日本刀の銘の違いを判読すれば、
技法が異なることは感知できるが、百聞は一見にしかずだ。
実際の包丁の銘入れと日本刀の銘切りの様子を見れば、
いかに鏨使いが異なるかが即読み取れる。

包丁の銘入れ


刀鍛冶による銘切り(10分23秒から)


日本刀の場合は「なかご千両」と言われる。
上(かみ/刀身の区(まち)より上の部分)のうち「日本刀の顔」
とも呼ばれているのは、横手より上の鋩子部分であり、別名
切先(鋒/きっさき)とも呼ばれる部位だ。
ここは刀工自身の技量が出ると同時に、複雑なRを崩さずに
横手をきっちり立ててなおかつ鋩子の平肉を落とさないように
する超難易度の高い技術が研ぎ師に問われる部分でもある。
なので、いくら化粧研ぎが上手くとも、横手の研ぎ(ナルメと
呼ばれる)がきっかりとできていない研ぎ師は、そこに技量が
如実に現れてしまう。

そして、日本刀のもう一つの「顔」は茎(なかご/中心)である。
その茎に切られる銘がその刀のもう一つの顔となる。
銘は日本刀製作の最後に切られることが多い。
多くの刀工が、銘を切る前には何度も何度も筆で下書きをし、
前の晩は眠れない程に緊張するという。
刀工をしてそう言わしむる程に、日本刀の銘切りとは神聖かつ
厳粛な儀式であるのだ。
まさに、画竜点睛の一点が、日本刀製作における銘切りなの
である。

ド素人の門外漢である私でさえ、銘を切る時にはちょいちょいとは
切れない。物凄く集中するし、外部の音は一切聞こえない。
たった二文字切っただけでもぐったりする程に精神を集中させて
鏨で銘を切る。入魂させて切るのである。
私は素人だが、銘切りというのはそういうものではなかろうか。


これは練習していない。私はこれまで生涯で銘切り鏨を手に取って
通算20回も銘を切ってはいない。20数年ぶりに銘を切った。

しかも、専用鏨ではなく、折れたドリルの刃をサンダーで削った
即席鏨に慎重に刃付けをした物を使った。ドリルは鉄を切削する
ものだから、斬鉄できるだろうとのことで流用してみた。
かつて昔のように鍛造はしていない。
私は本職ではないので、自作小型刃物への銘は5口しか切って

いない。他の30口はすべて無銘だった。
ただ、15センチ以下の合法品とはいえ、紛れもない私のかつての
作が上研ぎされて別人刀工銘(康宏ではありません)を切られて
売却のために刀剣店に持ち込まれた情報を確認した時にはさすがに
閉口した。持ち込んだのは私が自作を進呈した人だったからだ。

これは鍛冶職が作った銘切り専用鏨を用いて、包丁や一般刃物の
銘のように「彫り」で鏨を打ちこみ、また刀銘のように「切り」を併用
させた技法で笹の文様を切った鉄目釘だ。


本職の刀鍛冶の方が見たら、私の銘などは「てんで駄目」な銘で
あることは私自身分かっている。
ただ、それでも、それとなく「それっぽく(刀銘っぽく)」見えるという
のは、それには理由があると思う。
それは、私は現物の日本刀の刀銘を多く見ているのだ。
そこから銘切りについても、「定法」と「オリジナル」の糸口が見えて
くるものがある。
刀は数多く見ないとだめである。
また、銘切りに関しては多くの刀鍛冶が言う。
「習うより慣れろだ」と。
これは筆書きもそうで、日常的に墨をすり、筆を取らないと毛筆書きは
できない。
こちらも、多くの書体を何度も見て、基本の運筆についてしっかりと
監察することが必要だろう。
そして、慣れることだと思う。
まず、「写す」ことから始めないと、絵画にしてもそうだが、アートの
世界の扉は開かない。まず、我を殺し、写し取ることから芸事は
進展すると私は感じている。
銘切りも、「守・破・離」の道程を歩むと私は確信している。

一方、音楽をやっている時に、私には理解不能なことに、自作の
楽曲の創作活動をするポップス系等の音楽ジャンルであるのに
「○○氏に師事」などということを自己履歴に書く「アマチュア」が結構
多い。
「お習い事の域を出ようとする気がないのだなぁ」と思うと同時に、
譜面やギタータブ譜などがなくても「耳コピー」で音を解析するという
ことができない人にそれは多いことに気づく。
音楽シーンにおける「耳コピー」というのは、観察によって把握する
「見取り稽古」の音バージョンであり、まさに文字通りの「聴き取り」だ。
そうしたことというのは、存外地の力をつけるものである。

日本刀の場合は、とにかく数を見ないとならない。
いくら文献書籍で知識を詰め込んでも、錵(にえ)と匂い(におい)の
違いは実際に刀を見ないと読み取れないし、鉄の色や鉄味(味覚では
ない)も現実に日本刀を間近で見ないことには脳が理解を示さない。
刀はどんな刀でも多く見てください。
そして、できることならば、「名作」といわれる刀を少しでも多く見たほうが
いい。
すると、作者の位列に捉われない、その刀自体の出来不出来も見えて
くると思います。
私は小学校高学年から刀を見始めたから、かれこれ40数年が過ぎて
しまった(笑)。
それでもまだ見えないことだらけだし、判らないことだらけです。
だから面白いのだけどね、日本刀の世界は。底が浅くないから。

とにかく、「観察」が大事です。
小学校の時の理科や社会科の授業と同じように、「実際に見て、感じて、
何がどうなのかを掴み取る」というのが日本刀へのアプローチのうちの
一つだと思います。
昆虫や動物の観察って、私は小学生の時は楽しかったよ。
思うに、刀もその延長線上にあるようにも思える。日本刀はいつまでも
見ていても、まったく私は飽きないもの。

うちの娘が幼稚園の頃、園内で園児や先生たちが一緒にみんなで
育てていたウサギさんがすべて盗まれてしまいました。そういうのは
ほんとにやめてほしい。どれだけ園児たちがショックだったことか・・・。
刀の世界も、ともすれば心が曇っているダークサイドに魂が陥る危険も
あるので、心の健康をまず第一に、澄んだ目で日本刀を見てほしい。


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左久作製 日本刀目釘削り専用刃物 ヒラマチ

2016年06月12日 | 日本刀



私が考案した左久作製の日本刀目釘削り専用刃物ヒラマチだが、
実によく切れる。
よく切れるだけでなく、検討に検討を重ねたので、使い勝手もすこ
ぶるよい。プロトタイプの有志モニターからの報告もまとまり、ほぼ
改善点は見受けられない。すでに刀身自体は完成領域にある。
この私が手掛けたヒラマチは、一般市販品の平彫刻刀や鑿(のみ)
などとは形状・厚み・構造等
が異なる。鋼の巻き方については左久作
師本人からの提案考案もあり、それを採用した。サイドエッヂで荒削り
が出来るような構造になっている。
これは私の依頼による左久作が手掛ける私のオリジナル刃物であり、
製品化して刀剣店を販売代理店として近日中に一般発売する。
(現在、最終トライアル中)








左久作製の刃物がよく切れるといっても、鉄を斬ってしまうというのは
普通ではない。正倉院修復はじめ、楽器作家など国内の多くの「道具
使いのプロ」たちが求めて注文打ちをしてもらう意味もよくわかる。


 

左久作は初代から「切れ物」鍛冶として名を馳せたが、現在は三代目に
あたる池上喜幸(のぶゆき)氏が名跡を継いで切れ物誂え刃物を造って
いる。
昭和30年(1955年)生まれの喜幸氏は東京の大学卒業後に商社に勤務
したが、自らの強い意志で江戸誂え刃物鍛冶の家業を継いだ。
実家であり仕事場でもある鍛冶場は東京のど真ん中の中央区月島にあり、
そこで今も鎚を振るう。



工場生産時に鋼と地鉄をあらかじめ合わせてある「利器材」などは使わない。
すべて鋼と地鉄を選別して手打ちで鍛着させ、自由鍛造により打ち鍛えて
刃物の形にしていく。
扱いにくいとされる現在は廃版になった日立白紙1号も常用する。
鍛造技術のみならず、温度管理において鋼に精通しており、打ち鍛える刃物
は低温鍛造と焼き入れ焼き戻しでことのほか粘る鋼にまとめられていく。
だから、左久作製のクリ小刀は斬鉄剣として世に生を受けるのだ。

とにかく、左久作が作る刃物はとてつもなく切れる。
一般的にも直接注文で買うことができます。

左久作製刃物(左久作サイトより) → こちら

でも、日本刀目釘削り専用刃物ヒラマチは私(たち)のオリジナル刃物なので

直に注文しても無理っす(^^;
お買い求めは、販売代理店の「刀剣しのぎ桶川店」でお願いします。
現在、最終調整打ち合わせ段階なので、近日中に発売します。

なぜ右ではなく左なのかというと、三代目本人の説明によると以下の通りだ。
「本来、右と言う字も左と言う字も人を助けるという意味があります。
しかし右には上から助けるという意味が含まれ、左には横から助ける
と言う意味が含まれている違いがあります。
鑿(のみ)鍛冶は大工さんを上から見下ろして助けるのではなく、横から
助ける、つまり良い鑿を造って同じ目線でそばから助けると言うことで
左の文字を頭に付けたと聞いています」(ネットから)



「売れるのかねえ」と左久作師は言っていた。
確実に売れる。1本は(笑)。
なぜならば、うちの尾道の道場の人が「製品化できたら言ってください。
必ず買います」と言ってくれている(^^;
注文手打ち刃物なので、2~3千円で買える文房具店においてある
彫刻刀とは価格帯が違うが、これ1本あれば一生物だし、目釘削りだけ
でなく、一般工作にも十分に使えるし、平彫刻刀の代用にもなる。
下手したら、叩かない突きノミの代用さえできる程だ。
(ただ、本職の職人は切る物によってすべて専用刃物を揃えている)

左久作のあにさん。売れると思います。確実に1本は(≧∇≦)
それでも、この日本刀目釘削り専用刃物ヒラマチは、「変った専用刃物の
注文をこなす」という「曲物(くせもの)」鍛冶の面目躍如という感じがする。

真面目な話をすると、工場製品のように量産はできないので、10本ごとの
刀身の打ち上がりが済んだら、外装を着けて、パッケージングしての販売
案内になると思います。
ネット通販も併用する予定です。
よろしくお願いします。


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鉄目釘 その4

2016年06月11日 | 日本刀



鉄目釘、できた~。

これを黒く染めやした。


竹目釘を作るのが一番時間かかるだよな。(んなことたぁない。鉄目釘の旋盤も
旋条痕タガネ彫刻も黒染めも時間はかかる)

竹目釘も作ったろ~、てなことで作るだす。てか、作った。
ちょっとだけ太目に作っておいたので、打ち込みには現場で微調整

してもらうことにする。竹は煤竹を使用した。


目釘完成後は、目釘押しも煤竹で製作した。
これを目釘にあててトンカチで叩く。金属ピンで叩くよりも竹目釘には適している。
また、竹目釘のみならず、鉄目釘の打ち込みにも使える。私も似たような物を
使っている。


名前書いてみた。


こういう下手な銘を竹に掘り込むわけにもいかない

これは切り銘ではなく彫り銘を練習しようとけさ方トンカチ握ったが、
む、むつかしい!(^^;

目釘材料の煤竹も目釘約10本分ほどつけたげよっと。


なんか、ヤバい物の押収物みたいになってきましたよ、と(笑)。


オマケは以下。
 1.私製煤竹目釘(主・控) 各1
 2.私製目釘押し(煤竹製)
 3.目釘材料の煤竹 5ピース(目釘約10本分)

私からの贈呈ということで。

しかし、それにしても、この左久作製の目釘削り専用刃物「ヒラマチ」が
恐ろしく切れる。背筋が寒くなるほど切れた。成形も巧いが、熱処理が
抜群だ。さすが正倉院や著名木造建築物修復の宮大工さんや家大工
さんたちのプロが好んで左久作を選ぶ筈だ。まじで凄い。




よく切れる=安全&作業効率飛躍的アップ。
刃物はよく切れてナンボだよなぁ・・・。痛感する。
この製品の寸法や角度については検討し切った感があるので、手前味噌
ではなく本当に使い勝手がよい。

ヒラマチ製品化の時には、箱ではなく、この袋を作って付けることにしよう
かなぁ・・・。

俺、布から自分の遊びで使う帽子を自作したりもしていたのさ(笑)。

これは汚く見えるが、自分で染めた迷彩パターンだ。元は白い綿布である。
汚く見えても洗いたてで清潔だ。あえて汚れたような迷彩パターンにしてある
のである。

これは10年ほど前に作ったものだが、こうしたパターンは当時は世界中の
軍隊には存在
しなかった。
ところが、近年、最新迷彩としてとても似た物が米軍等に採用されている。
現実の軍隊も、それまでにはなかった「汚れ」を迷彩に採用してまとって
安全性を高める迷彩服とするという発想に至ったということなのだろう。
それまでの迷彩は「背景と溶け合う」という発想だった。
この私のパターンで灰色を強くすれば、都市迷彩にもなる。
「影」が意外と目立たないように、「汚れ」というものは目にとまりにくいのだ。

この自分で染めた布を使ってブッシュハットを作った。

すべてただの布から作っている。
少し離れると、ボンヤリしてなにがなんだかわからない迷彩パターンだ。
だが、それでいい。それが狙いだからだ。
光を反射せずに吸収する素材だとなおよいのだが、これはあくまでも
ただの綿布からの製作なので多くは望まない。


一時期、私が縫製した袋をプロのバンブーロッドビルダーが買ってくれて、
その作家の作品のフライロッドが入れられて販売されていたことがある。
結構な数の袋を私は卸した。
市販の布製ロッドケースは数千円するところ、市場に出回っている物と
まったく同じような物(市販品よりも気が利いた作り)を1枚1700円で
作って卸した。
ある所である人が「新作バンブーロッド買ったんだ。いいでしょ?この布
ケースもなかなかだよなぁ」と私に見せたのが私が作った布ケースだった(笑)。
「ぶっ。そのケース俺が作ったやつ」と言ったら「え?うっそお~ん」としばらく
信じてもらえなかった(苦笑
今はこういう事はできない。中国製と東南アジア製の縫製品が幅を利か
せる世の中になったからだ。
三原市内の近所にかつてそこそこの歴史ある縫製工場があった。だが、
今世紀に入り、中国・東南アジア製縫製品の進出によって廃業となった。
そこの息子は私とおない年で、大阪の大学を卒業後に家業を継いだが、
経営困難となり会社は潰れた。今は自分でお好み焼き屋を経営している。
気立ての良さと味の良さで客足は多い。お好み焼き屋だが、居酒屋も兼ねる
店で、魚料理も出す。私はその彼が店で使う包丁を専門に研いでいる。広島
県人はお好み焼きの味にうるさいが、本場広島市内の友人が彼が作るお好み
焼きを食べた評価は「美味い」だった。

1990年代末期から2000年代初期にかけて、国内縫製工場の多くが廃業
に追い込まれた。中華人民共和国で生産を行なう分野が多くなった。
いくら中国を心情的に嫌っても、日本もアメリカ合衆国も中国との貿易
なくばやっていけないのが本当のところの実情だ。
レプリカではない日本の自衛隊装備の被服は「Made in China
」であるし、
そのような小さいシールが貼られていたりする。また、米軍全軍で採用された
ブラック・ベレーは紛れもない中国製である。
ちなみに、日本の「さぬきうどん」のほぼすべてが海外製のうどん粉であり、
畳表はほぼ全域が中国製に取って変わる段階で、熊本のイグサ農家は
イグサ製造が継続できずに別な農業穀物を生産して糊口をしのぐしか手が
無い状態になっている。
TPPなどを推進したら、国内第一次産業のみならず国内製造業界は軒並み
壊滅するだろうし、そうしたことを現自民党と公明党は目指している。
自民党などは先の総選挙の前に「TPP断固反対!軸のぶれない自民党」
と選挙公約して農業生産者の得票を大幅に獲得したが、とんでもない大嘘
だった。自民党は民主党以上に嘘っぱちの大風呂敷を広げて政権に返り
咲いた。そして、国内矛盾を見抜く国民の目を「祖国防衛」を利用して海外
に向けさせて、軍事力行使を可能ならしめる法制化を推し進めようとしている。
歪んだ経済政策の矛盾からくる国民の目の矛先を軍事権益確保に国民意識を
総動員させることでしのごうとしている。描かれた絵はすでに実行に移されて
いる。実行の完結は簡単なことだ。見える人が増えないように「教育」を改変
して、見えない人間をさらに増やせばよい。

そのうち、近い将来、日本の内地米もすべて消滅するだろう。
日本から農業や林業や漁業は消滅するかもしれない。「日本からコメが無く
なる」。これは絵空事ではなく。
そして、原材料だけでなく、製品さえも海外輸入にすべて頼る国となり、その
輸入を外国に掌握され、それを止めればキュッと日本の首が絞まる構造に
なるだろう。今、自民党はそれを目指している。戦後55年体制の時代とは
異なるニュー・ポチ政策で、国民に多額の借金をしながら海外に円借款で
金をばらまき続けないと外交関係が築けないという犬外交はさらに強化
せざるを得ない政権が続くことだろう。
これはどの政党が政権与党となろうとも、「日本の体制構造」なので変わら
ない。
根本から根底からガラリと変えて日本が本当の自主独立をしない限り、この
尻尾フリフリのご機嫌うかがい外交と対外関係は変わらない。
こういう状況下で、馬鹿な日本人は日本を守るために外国人企業を排斥
したり、外国人労働者を排斥したりしようとする発想を短絡的に思うことが
多いようだ。
現在の日本の状況は海外企業や外国人のせいではない。日本人の為政者
の政策によって推進されている。
だが、頭があまり良くない人たちは、思考回路が単純なのか、己の国の失策
を見抜いて為政者を指弾することはせず、大抵は右傾化に短絡させて保守
反動に心象が傾き、外国人を攻撃すれば事足りるとしようとすることが多い。
頭の悪いのに限って、己に刃は向かず外国人のせいにして排撃すれば問題
が解決すると短絡思考に走る。ネトウヨに代表されるような反動的な「市民意識」
の形成土壌は「短絡思考」の蔓延、「ものを考えない人民」の大量生産が成功
した結果だが、すべて自己権益を得んとする為政者の思惑が成功していること
の指標ともなっている。
現象としては、国の行く末、国土の行く末を見ようとしない人智不明の人たちは
思考や指向が右(ニセの右)に走る、という傾向がある。自分でものを考えて
自分で改革し、自分(たち)で何かを作り出していく、ということがおっくうだから
だ。国さえも自分で作ろうとはしない。与えられた物を食うだけの鎖で繋がれた
飼い犬のような国民性に自分がどっぷり浸かっていることさえも気づこうとは
しない。


縫い物も料理も工作も面白い。創作物は面白い。詩と曲を書くのさえ面白い。
(私は曲と歌詞が同時に頭に浮かぶ)
物を作ることは楽しい。
ただ、私は湘南爆走族の江口くんのように、編み物はできない(笑)
日本文化の一つ、編み物。
今、女性でもなさる方が少なくなり、絶滅一歩手前なのだそうだ。
あれね、バブルが女を駄目にしたね(笑
あのバブルによって、手編みのセーターやマフラーのプレゼントという
ものが消滅したもの。
1986年12月に開始し(実質は1988年)1991年2月に崩壊したバブル
経済の時代は、ゼニカネ第一のほんとにバッチイ女ばかりになった。
でも、男も浮かれてたよ。
おいらも給料うなぎ上りだったし、おいらだけでなく周囲も派手だった。
事務職なのに、フツーに30数万のスーツとか通勤着で着てたしなぁ・・・。
私も原宿の分譲ワンルームマンションを600万で購入を持ちかけられたけど
買わなかったのね。そしたら翌月からバカスカ値上がりして、結局10倍の
6000万円でポンと売れてた。
そういう時代だった。
良い悪い別にして、まあ、バブルだ虚像だといわれつつも、景気は最高潮
に潤っていたよ。
バブルが終わり、戦後55年体制は崩れ、自民党は分裂した。キリギリス君
はやがて食うに食えずに困り果てたが、これまた自分のせいだ。私を含めて。
運命共同体という国家の中で、圧倒的大多数の国民は翻弄される。
ただし、しっかりと権益を確保して悠々自適なことを「狙い通り」に実現させて
いる者たちもいる。それは「狙い通り」に国家を動かせる部分の者たちだ。
つまり、「資本」である。金融資本の独占こそが国家の財布の紐を緩めたり
引き絞めたり、自由自在に行なえる。その力を握っている者たちが国民の
生活全般にまでおよぶ殺生与奪の力を実質的に握っている。
それを「権力」という。

棒二本と毛糸だけで服作っちゃう手編みの編み物というのは、すごい文化
遺産だと思うのだけどね。
あ~、うちのかみさんは駄目っす。家事全般はやってもらってますが、縫い物
はあたしが全部やってます。ボタン着け一つでも。かみさん、針を指に刺し
ちゃうような人だから(笑
料理は昔はよく一緒にやったけど、最近はお任せコースだな。洗い物は
おいらがいるときはおいらがやっている。学生の時、割烹でのバイトは
追い回しだったから(笑)。
いや、本当は学生時代は別なものに追われていたのかも(笑

つーことで、例によって余計な話になったが、康宏刀用鉄目釘が完成したので
あす刀剣しのぎに送付することにしやす。
鉄鉱石から作られたSS材の丸棒以外は工場での量産品ではないすべて
手作りです。タガネのひと打ちひと打ちさえ入魂で作りました。
国内の伝統的日本文化の衰退という現況に対するささやかな抵抗として、
いにしえにあった日本人の魂の一端を些少なりとも製作物に投入しました。
この目釘を入手される方は、完全研ぎ上がり拵完成の小林康宏作日本刀と
共に到着まで今しばらくお待ちください。

私の工銘である「康清」は、師である刀工小林康宏にも「刀工を目指す
本弟子ではないのであくまで個人的に」というところで認めて頂いた銘
ですが、この銘には「共に生きたし 安き世に」という願いが込められて
います。
物は単に物としてだけでは存在しない。物は作った人がいる。それを使う人
もいる。多くの人が携わって一つの物が出来上がる。モノヅクリは人なくば
成り立たない。
まず人ありき、だと私は思っています。


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鉄目釘 その3 ~黒染め~

2016年06月11日 | 日本刀



灰皿にあるのは吸い殻ではありません。鉄目釘です。
これを黒染めします。
黒染めといっても、塗装ではなく、表面に黒錆(四酸化三鉄/Fe3O4
をつけて赤錆(酸化第二鉄/Fe2O3)を防止することです。赤錆は一気
に広がり鉄を腐食させ組織を崩壊させ
ますが、黒錆は表面に形成された
保護膜により赤錆を抑えますので
鉄内部の保護になります。

職人技を駆使したこの鉄目釘を黒染めしていきます。
抜け防止の滑り止め旋条痕がただの線ではつまらないので、対抗方向
からのテンションにも耐えるように逆タガネを切り込んで「笹」を彫りと切り
で施し、実用と美を融合共存させた。


鉄目釘加工方法の発案と施工者はこいつ。

俺だよっ(笑)

染めてはスチールウールで磨くの繰返しを何度も何度もやります。
塗った瞬間に大気中の酸素と水分と結合して化学反応でサーっと色が
変わります。



染めたらヒートガンで加熱して定着、さらにスチールウールでこすり落とす
ように磨いて、またブルーイング処理。



染めてまたスチールウールで丹念にこすって磨く。これを何度も繰り返す。


また染める。


ヒートアップしてスチールウールで磨く。


また染める。


また加熱し、冷えたら磨く。そして、また染める。


これを延々と繰り返しますが、黒錆が安定して来るとそれでおしまい、
ということではなく、黒錆化が不充分な部分は赤錆が発生してしまい
ますので、
完全に黒錆を定着させるために最終段階では気化性防錆
剤に漬けこむことをします。


私が使うのはこれ。


ということで、しばらく漬け込んだ後、オイルポリッシュしてから完成出荷予定。

私が使用したブルーイング液はこれ。これ、世界最強です。
つか、国際特許(もう切れてるけど)。このガンブルーは凄いです。
私が小学生の頃からありましたけど(笑)。これを少量だけ詰め替えて高額
販売している国内メーカーも1970年代初期にはありましたが、よくやるなぁ
という感じでした。上野アメ横が戦後焼け跡闇市パチもん街だった頃のまま
のやり口(笑)。
この輸入ブルーイング液は1ドル360円の頃から日本のモデルガンマニア
御用達だっただけでなく、当然実銃用ですからスチール製品にはどんな物
にも使用できます。亜鉛合金やアルミ用の物はスチール用の後に開発販売
されました。今回使用しているのはスチール=鉄用。
薄いサラサラの化粧水のような半透明の水色の液体ですが、強烈な劇物
なので直接手で触れると皮膚がただれます(上掲の写真にあるように既に
指先がやられてます)。ご使用の際はゴム防護手袋を使用する等ご注意くだ
さい。今回は染める対象物を素手で触らず、小物のため取り出し取り置きは
ピンセットですが、染めの時のティッシュでこする時は素手で作業をやってい
ます。そういうのはよくありませんので、真似しないようにしてください。





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鉄目釘 その2

2016年06月05日 | 日本刀



ただの滑り止めの旋条痕をタガネで切るだけというのはつまらない。
たとえ鉄目釘ひとつでも、日本刀の部品であるならば、実用と美を
兼ね備えさせてやりたいという想いが私にはある。

滑り止めタガネ目には笹を彫って表現した。
これは私のオリジナルであり、日本刀に対する感性の発露である。


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鉄目釘 その1

2016年06月05日 | 日本刀



旧日本刀探究舎鍛人(かぬち)製の鉄目釘のコピー品を造った。

これは私の康宏用の鉄目釘である。現在は使っていない。

ただの鉄目釘ではない。
テーパーのあり方、両サイドのブルー防錆仕上げ、噛み込むための
ライフリング状の鏨目。ありとあらゆる創意工夫が投入されている。
一般的に売られている単なるテーパーピンの「鉄目釘」と称する物
とは大違いである。

一般的に市販されているテーパーピンをカットしただけの鉄目釘。

この市販品は目釘抜き小槌で軽く叩いたら飛び出すようにポン!と
抜ける。

こんなものは日本刀の目釘にはなり得ない。
美術刀剣の白鞘用のテーパーの強い目釘はヘラで押すだけでポンと
抜けるが、あれは保管用の目釘だからであり、戦闘用の刀身外装の
目釘ではない。
よく理解されていない方が多いので、外装用目釘と鑑賞刀白鞘目釘は
目的も構造もまったく異なるのだということを知っていただきたい。

鍛人製の鉄目釘についても、あれは鍛人の番頭だった故栗原氏が
鉄目釘にこだわっていたから1990年代当時の康宏刀の標準仕様と
していただけのことである。
拵に着ける目釘は粘りある竹が一番適している。これは刀身製作者
である小林康宏自身も主張している。
私自身は粘りある煤竹を好む。大切なことは硬いだけでは駄目で、
目釘穴にがっちり噛み込んで、そして折れないことである。
(切り柄を使用した試刀においては鉄目釘を使用する)

そして、本当のことをいえば、本来竹目釘とは一度外したら廃物だ。
新たなきつい目釘を打ちこむのが本来の心構えである。

刀工康宏復活プロジェクトでの小林康宏新作刀の販売においては
竹目釘を標準仕様としている。
これは、刀工康宏、私、販売代理店店長新藤の三名で刀剣製作仕様
打ち合わせ会議において、三者合意の上決定された。
鉄目釘の取付け
オプションはない。

そもそも、替え目釘とは本来日本刀をたばさむ者本人が
自分で作るものだ。
武士は毎日刃物を使った。超上級武士においては、月代(さかやけ)は
従者(男子に限る)に剃らせたが、一般武士は自分でカミソリを毎日あてた。
現代人の勤め人が毎日髭を剃る身だしなみと同じだ。
江戸期には現代T字型のカミソリなどは存在しない。日本剃刀だ。刃は
自分で付ける。だから武士は刃物を自分で研げたし、毎日研いだ。
物書く物が、その都度硯で墨を擦るのと一緒である。
武士が刃物を研げて刃物を扱えるというは常識であったのだ。
そして武具自弁の原則からも、武士は己の差料の目釘は自分で作った。


不本意な仕事だが、どうしてもお願いしたいと懇請されたので、4ピース
2セットを現在
製作している。
手間は物凄くかかるが、手間暇がかかることが不本意なのではない。
日本刀使用上の安全性や刀身負担に関する私の時間をかけた説明が
理解できないのではなく、理解しようとしないからだ。ゼニカネの問題では
ない。不愉快とかそういうのではない。不本意なのである。

だが、受諾したからには徹底的に完璧な物を造る。康宏第二工房だった
日本刀探究舎鍛人製以上の物を造る。

しかし、今回造る鉄目釘4本以降は、仕事としては受けない。

(私がドローした図)


精密旋盤で丸棒を削り出し、センターの突起部はダイヤモンドヤスリで
職人技的に削ってフラットにする。




ヤスリ目を消すために#2000で研ぎ上げてヘッドとボトムをツルツル
にする。


この後、タガネで周囲に旋条を切り、完全脱脂してから両端を
ガンブルー仕上げにし、オイルアップして完成。

戦闘外装である日本刀の拵に鉄目釘は私個人はおすすめしない。
ただし、近代兵装としてはシュナイダーボルトのような目釘は抜け
易ささえ防止すればアリかもしれない。
しかし、やはり時代拵の日本刀の目釘は竹製が最適であると私は
考えている。

滑り止めと称して日本刀の柄にラケットのグリップゴムを巻いたりする
人は「居合人」や「抜刀人」に多いが、江戸時代にゴムグリップが
あり
ましたか?
現代ゴムグリップを使った滑り止めで手さばきの未熟をごまかしている
のに、
なぜ袴をはいて江戸期の格好をしているのですか?
いっそ、汗止めのリストバンドなども手首に巻いて、汗が目に入らない
ように演武の際にはヘッドバンドも着けたらどうですか?

足も滑るといけないのでバスケットシューズなどはいかがですか?

私は私自身が「おかしい」と思う整合性のないことは自分ではやらない。

(私が造った竹目釘)


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押形(おしがた)

2016年06月03日 | 日本刀




さて、上野大掾祐定の押形も採らないとな。
なかなかの出来だから慎重にやる。
横山系というのは、作風はどれも似ているね。ぱっと見ですぐに
判るのも系統ならではかと思う。
ただ、上野大掾祐定(横山平兵衛)の作は、同時代同系作と比べ
ても、反りが幾分強い作が多いように思える。


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『日本刀を二度蘇らせた男 栗原彦三郎昭秀全記録』

2016年06月02日 | 日本刀







刀工小林康宏師からこの書を頂いた。
初代康宏と二代目康宏に編者より贈呈された二冊のうちの貴重な一冊
(未開封もの)をくださった。

この書籍は、先月康宏日本刀鍛練所でさらりと読ませてもらい、
最後まで熟読したいと思って探しまくったが、古書店でも置いて
おらず、諦めて
いたところ突然二代目康宏直紀師匠から電話があり、
「一冊だけ読まずに
保管しておいた私の分があるから、貴方に送る
から。私の分は親父の分があるからそれを読むから」とのこと
だった。
恐縮至極です。
刀剣書は発行部数が少ないことと、一度入手した希少本は刀剣
愛好家はよほどのことがない限り古書店に売却などは
しないので、
専門的な著述になればなるほど、初版出版を逃し
たら入手しにくくなる。

一部記事を書き写したものを紹介する。
一体、刀工小林康宏とはどのような系譜に連なるのだろうと
疑問に思われている方も多いかと思う。
私個人は知っていたが、もしかすると、康宏作を所有している方
も詳しくは知らないかも知れない。
現代刀工は、ほぼすべて系譜を辿ると幕末の川部儀八郎水心子
正秀に繋がる。
初代・二代康宏も、ルーツを辿ると水心子にたどりつく。
書き写しには、系譜が掲載されている最初の頁をほぼすべて書いた。
この最初のページから何ページにもわたり、弟子系統の系譜図が
書かれているのだが、それは割愛した。



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事実としては、二代目康宏小林直紀師は金子三代太郎先生にも
師事している。だが、それはこの系譜図には出ていない。
しかし、雑誌はともかく、出版書籍で「小林康宏 直紀」と印刷されて
いる物は、この書籍以外に私は経眼していない。

この系譜図は、出版された平成12年(2000年)当時のものである。
ちなみに初代康宏の本名は「小林 林」という。「こばやし はやし」だ。
とても変わった名前であるが、生粋の日本人である。
本名ネタとして世間で知られていないこと、あるいはネット百科などで
誤認されていることで、故林邦史朗先生の本名がある。林先生も生粋の
日本人で江戸っ子だが、本名は小林という。そして、林先生の殺陣師と
しての弟子の佐賀出身の車邦秀先生の本名が林だ。この事実は東京
下町の鍛人(かぬち)で車先生から聞いたのだが、その場で小林康宏を
交えて「なんだか林、小林が八時だよ!全員集合!みたいだ」と談笑した。
そういえば、私がお世話になった東京都剣道連盟の重鎮だった柳家
小さん師匠も、本名は小林だった。今思うと、小林だから「小さん」だった
のかと。

初代康宏小林林の子息二代目小林康宏直紀師は、普段の日常会話では
父親のことを「親父」と呼ぶが、鍛刀場に入ったら初代康宏を指すときには
「先生」と呼んでいる。これは初代康宏が亡くなった後も、弟子たちと作刀
について会話をする際には初代のことを「先生」と今でも呼んでいる。
父ではあるが師匠である父のことは刀鍛冶という立場の場面では先生と
呼ぶ。一つの気風だろう。
私は二代目康宏師のことは「直紀先生」と呼び、故初代康宏のことは
「先代の先生」と呼んでいる。
三代目康宏は、現在のところまだいない。


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