渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

鍛造ナイフ

2014年03月31日 | 火と土と水、そして鋼



ナイフに銘はいらね~よ>俺


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でぶねこファクトリー ~ぐうたらしている猫~ 続編

2014年03月31日 | ポチたま



大食らいの新家族は、昨年外で死にそうになってて保護したときには
体重が1kgだったのが、現在は5kg近くにまでなった。

これ撮影した瞬間は、絶対に「もっと飯くいてーな~」とか考えてるに
違いない。
見事な太鼓腹である。
よしよし♪
共に気兼ねなく太ろう(笑


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でぶねこファクトリー ~ぐうたらしている猫~

2014年03月31日 | ポチたま

保護した夜には1kgしかなかった。
かなり衰弱していて死にそうだった。
すぐに医者に連れて行った。
夜だったけど、先住ぽちたまのかかりつけのお医者さんに連れて行った。

どうにか命は取りとめた。

体力が回復した頃、避妊手術をした。
食欲旺盛で、病気もなくどんどん成長した。
それまで家にいた先住者の犬と猫ともとても仲が良い。
私が家に帰ってくると、犬と一緒に迎えに来て、そして寝そべって
腹を見せてゴロゴロする。現在約1歳。

だがしか~し!
どうやら、わが家はでぶねこファクトリーになってしまったようだ。

今やこやつの体重は5kg近くにまでなった。
おなか見てよ。
こ、これはどう見てもタヌキ?



でもしあわせそうです♪

これからも、よろしくね♪
ずっとうちで暮らしてください。
いつか命が果てる時、その時には、ほんの少しでも「うちに来てよかったなぁ~」
と思ってくれるといいな。
最期まで一緒に暮らすため、俺も長生きしないとな。


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夜桜 ~犬の散歩の途中~

2014年03月31日 | 風情・季節・地球

これは昨夜日曜日の夜桜です。犬の散歩の途中で撮影しやした。
家の前には国立広島大学附属幼小中と市立三原小学校がある。
この桜は三原小学校の校庭に咲く桜です。本日19:00頃。


私が住む現代長屋へと続く坂の途中にある。


一方こちらは本日の同じ場所の桜である。
平日なので校庭にライトが点いている。
校庭はスポーツ振興に解放されていて、市民チームのサッカーやソフトボールの
練習がここで行なわれる。20:00頃。もう練習終了したのだろうか、誰もいない。
左のライトの裏側に三原城本丸の北端石垣がある。



校庭は段々形状で、競技が観戦できるような観客席になっている。
この造りは戦前からこうだったようで、私の父や伯母(父の妹)もそう言っていた。


昨夜と同じ場所で撮影。後ろに見えるのが坂の上の私の長屋。
分譲新築物件だったが、お父さん頑張っちゃって、昨年10年目で住宅ローンは
完済した。でないと今年から娘を大学にやれなかったから(苦笑
まだ文系だからどうにか進学+都内一人暮らしもさせられるけど、これが都内の
私大医学部に行きたいとなったら不可能に近かった。だって、医学部は6年間で
学費だけで5000万円くらい軽くかかるもの(^^;
親が子どもの進学希望をかなえられないというのは、かなり親として辛いものがある。



スマホからフラッシュなしで撮影するとこんな感じ。


でもって、フラッシュをたくと、花びらがハゲーショ・・・いや、ハレーションを
起こして
しまってうまく写らない。
ふと閃いた。
もうひとつのガラケーの携帯でライトを照射してスマホで撮影した。
左手にガラケー、右手にスマホ(笑)。


いつの間にか満開じゃん。
桜についてはよく知らないけど、これソメイヨシノなのかねえ。
武用刀や切り柄に使われた桜はソメイヨシノではなく山桜であるという
のは知っている。

おいらの武用刀の柄は山桜で作ってある(下)。上のは江戸期の柄。
下の新作柄(20年前製作)を柳生流に倣って逆目貫にしたのは失敗だった。
俺の手さばきにはあまりマッチしなかった。固定され過ぎちゃうのよ、手の中で。
俺、握りしめないでフワリと支えているだけだから。だけど逆目貫だと手の中で
位置が決まり過ぎて、自由自在に手の中で柄を転がせないの、あたしの場合。

しかも、下の柄の金具は新(あら)物だけどね。数ある刀装具で新はこれのみ。
刀屋さんからおこられちゃうかもしれないけど、基本的に金具はすべて時代物
を使う。下の柄は二代目康宏用だけど、現在はバリバリの時代金具を着けた
新調柄前を康宏用にしている。ただし、刀ともどもここ16年ほど鑑賞用になって
いる。
極上研ぎにかけたので、もう切らない(笑

黒い鋼鉄の目釘抜きがいいでしょ?
頂き物なのだけど、実銃の撃針です(^^)
折損して使えないからとハンターの先輩があたしにくれた。これが目釘抜きに
ピッタンコ!
刀の目釘抜きに銃の撃針使ってるやつぁそういないと思う。
銃の錆び付けってすごいよなぁ。どぶ浸けのガンブルーだろうね。
経年変化でなんともいえない色合いが出て来ます。
銃の表面も、使い込まれたやつれ感というのは、結構いい感じだものね。
これね、素人がガンブルーで表面変化させてもすぐハゲちゃうし、駄目なのよ~。
実銃はメーカーのノウハウがあるのでしょうね。

こちらは家で咲いていた今年の桜の花なり。でもサクランボなのです。


毎年サクランボが実りますが、これがですね~、うまし!


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映画『オイディプスの刃(やいば)』

2014年03月31日 | 映画・ドラマ



昨日、映画『オイディプスの刃』を観た。
人間の愛憎めぐる精神世界が一口の日本刀を介して展開する。

私はこれはと思う映画は何度でも観る。小説も何度でも読む。
映画『ハスラー』などはビデオが擦り切れるくらい観たし、DVDでも数限りなく観た。
台詞のほとんどを覚えてしまったほどだ。多分、25年間で100回は軽く観ていると
思う。(年間4回以上は確実に観ているので100回では収まらない)
だが、私が私的には地球上の全映画作品の中で一番と感じている
黒澤明
『七人の侍』はそれほど観ていない。30回も観ていないのではなかろうか。


『オイディプスの刃』は赤江瀑の原作である。
文学とはこれのことだろう。

映画『オイディプスの刃』レビュー(2007年1月28日)

小説『オイディプスの刃』レビュー(2007年7月3日)

映画『オイディプスの刃』に関して、刀の研ぎについての雑感(2011年12月21日)


映画『オイディプスの刃』において、オープニング間際に刀掛けに抜き身で

飾られている刀身は明らかに関物の近代軍刀刀身であり、「名刀」では
ないのだが、「この作品にふさわしくない」などという野暮な突っ込みをする
ことは避けたい。
また、大迫家の三男の少年が瀬戸内の海に面した大邸宅の庭で居合を抜いて
いるシーンも、見る者が見たらてんで居合になっていないということも解るが、
そうしたところを突っ込む類の映画でもない。
作中では実際に南北朝時代の古刀に見えるような作を何口か撮影に使って
いた。障子を叩っ斬るシーンやラストのシーンにもその古名刀を使ったのでは
なかろうかというような刀身の形状だった。
日本刀を観る場合、まず最初に「姿」を見る。姿によって時代が凡そ特定でき、
その後鉄味を観て街道筋を絞り込み、流派一門を絞り込み、細かい作柄から
刀工個人を特定していくのである。
この映画は、最初に出てきた関物以外は、それとなく南北朝時代の刀らしき
ように撮影されており、芸が細かい。
三島由紀夫亡き後の
三島系文学に触れたい方は、ぜひ映画『オイディプスの刃』を
ご覧になり、
赤江の原作もお読みになることをおすすめする。


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月刊『宝島』2014年5月号

2014年03月30日 | スポーツ・武道など



月刊『宝島』5月号を買った。

修心流居合術兵法町井勲宗家の特集記事が載っていた。
良い記事だ。
内容も興味深く読めたが、ライターがいい記事書くねぇ~。
取材は取材元如何で大きく掲載記事内容のニュアンスが変わる
ことが往々にしてある。良いライターにあたるかどうかなどは取材を
受ける側の取材先の人間は選択できないので、かなりリスクを
伴ったりすることもある。
週刊誌なんてのはデタランメの記事も多いしね(笑
今回のこの『宝島』の当該記事は町井宗家の理論についても触れられて
いたので、大変興味深く読めました。(3ページ、オールカラー)
気になる方は書店にてお買い求めください。596円ナリ。


修心流居合術兵法(外部リンク)


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日本刀の考察 慶長期の地鉄の変化

2014年03月30日 | 日本刀

非常に興味深い論稿が日本刀研究サイト「日本刀考」に掲載された。

日本刀地鉄が慶長期に変化した要因

日本刀は平安時代に登場したが、登場から安土桃山期までの刀を「古刀」、
江戸時代初期以降の刀を「新刀」と呼んでいる。
時代のはざかいは慶長(1596~1615)という豊臣政権から徳川政権に移行
する元号の時代だ。
なお、日本史としての安土桃山時代と刀剣などの美術史における安土桃山
時代とは年代的に差違があるので注意が必要だ。
日本史では安土桃山時代とは織田信長と豊臣秀吉が権力を握っていた織豊
時代の事を指すが、美術史では豊臣家滅亡の江戸期の慶長十五年(1615)まで
を安土桃山時代という。
さらに、刀剣の世界では慶長期の日本刀を「慶長新刀」と呼んで新刀の部類に
組み入れているが、美術史的な時代としては安土桃山時代の範疇にあり、
日本史的には江戸時代になる。
そもそもが、時代区分というものは後世の人間が、便宜上整理するために区分け
して分別したものであり、縄文時代と弥生時代の境目がどこであるのかなどを
年代で特定できないように、弾力的に歴史の流れはある。
明治維新にしても、「維新の年」などは無く、数年間にわたる内戦時代を「明治
維新」と呼んでいる。元号でいえば、明治以前にはじまり明治初期までにあたる。

ただし、日本刀の場合は、慶長期にある種の「変革」「激変」があったことは確かで、
日本刀の製作年代を見れば、比較的に日本刀に詳しくない者でもその差違に気
がつく。
いわゆる「鉄味」がまったく異なるのである。
まず、すぐに気づくのはまず色が異なる。
一般的に「新刀」を完成させたのは埋忠明寿(1558~1631)であるとされて
いるが、積み沸かしの際の「水挫し法(みずへしほう)」を考案したためとされる。
水へしは現在の工法でも継承されている。
たたらで作られた製品鋼を使用する際には必須の工程だ。
これはたたら製鉄でできた鋼は炭素量のばらつきが大きいので、加熱し
薄く伸ばして急冷して叩き割り、炭素量の差異や質性を肉眼で選別していく
「選鋼」をすることだ。さらに、積み沸かしの際に粘土汁をかけて藁灰に
まぶす。
この工程が現在の日本刀作成の「伝統技法」のように思い込まれているが、
粘土汁と藁灰は「新刀技法を発明」した埋忠明寿の技法上の考案では
なかったのか。斯界の趨勢として、肝心なところをなぜすっ飛ばして見ない
ようにするのだろう。(理由は明白。現代刀の概念が「古式」から外れることが
公になるからそれを恐れているのである。現代工法は製品鋼を使った新刀
特伝であることは明白であるのに、それに覆いをかけて「日本古来の」という
キャッチフレーズで喧伝したいからである。これは伝統や文化や歴史の捏造
行為であるともいえる)
「水挫し法」を考え出したのが明寿であるとするのは古くから斯界ではいわれ
てきたことであるのに、その技法をあたかも「古式」であるかのように思い込む
現代刀技法は、思考法としても整合性を著しく欠く。
敷衍すれば、現代刀の技法は悉く美濃伝を踏襲しているという面が否めない
のである。(失われた末備前工法も、美濃伝に近い物だったかもしれない)
一方で「新刀技法完成者は埋忠明寿で水挫し法を考案した」としていながら、
その水挫し法をそれ以前の時代に一般的だった工法であるかのように思い
込もう(込ませよう)とする。こんな矛盾はない。矛盾以前に論理が成立しない。
それは「日清・日露・第一次世界大戦・第二次世界大戦を戦った日本は第二次
世界大戦以降戦争をしていません。日本は明治以降ずっと戦争をしていなかった
のです」などと言うのに等しい。
歴史事実をまともに解釈せず、論理としてもおかしいことをおかしいと言わない
(言えない)状況が現代の日本刀の世界では蔓延している。
端的に乱暴に括ると、古刀と新刀は、材料が異なり、技法が異なるのである。
分りやすくいえば、量産工法が新刀工法であるといえる。
また、なぜ「選鋼」し、さらに接着剤である泥汁と藁灰が必要になったのか。
それはそのような新鋼が流通していたからだ。旧来は決して日本刀の材料とは
しなかったような鋼が。かなりの試行錯誤をして、当時タイムリーに流通しはじめた
鋼をどうにかまとめようと刀工たちは努力したことだろう。
新刀工法は、その新鋼に合わせて工夫された工法だっただけのことである。
「不純物(実は古刀期には鋼の質性として有用な物であった)」を嫌うその新工法に
より、「接着剤」が人為的に導入されることが必要とされ、刀身内部の組成として
組織が内部で結合することが希薄になっていく。
結果としては、純粋に鋼としては不純物が少ないが、内部が織物のような結合を
していない鋼のため折損しやすい結果を「新刀」は招いてしまった。量産工法の
悪しき面が現出してしまったのである。
現代刀において、どれほど入念な作を作ろうとも、それが新刀特伝工法である限り、
量産工法であることを脱することはできない。
また、新刀特伝を当時の先進現代産業として大成させた刀鍛冶の努力(結果として
性能的劣化はあったにせよ)に敬意を払わず、あたかも「日本古来の古式技法」と
いう看板をつけて伝統文化であるように宣伝する現代日本刀界は、根本的な姿勢に
おいて視点と姿勢が歪んでいるとのそしりを受けてもいたしかたない面が多分にある
と私は思量する。
そうした視点は、中華思想の影響を受けた日本の悪しき精神性を体現する自己唯一
絶対主義の脈流主義に依拠したものであり、長い歴史を持つ(持たせる)ことが権威
や崇高なものに繋がるという日本人独特の精神性に基づいている。
あまり褒められた姿勢・視点・思想ではない。
歴史の中でもがき苦しみ努力した人々の労を思いやることではなく、独善史観で
歴史を私して規定し、人間の歴史に蓋を覆い、我田引水の歴史解釈をも定説として
為さんとする行為だからだ。中華思想はすべてこれである。
そして、日本刀の世界に限らず、そうした行為は、大抵はあたかも「公的」な大義で
あるかのようなポーズをとりたがる。タチが悪い。

古刀。備前伝(国宝:小龍景光)


無銘新刀。


新刀と古刀は鉄の質性が異なるとはいえ、慶長八年(1603年)から始まる江戸
時代のうち、江戸期初頭の数十年間は国内の古刀期の鋼が残存していたのか、
見た目が古刀に紛れるような作柄の「新刀」も存在する。
見た目が異なるということは、鉄の質性が異なることの一情報であるので、
ここは見逃せない。(ただ、工法は新刀工法だろう)
しかし、総体として材料及び鍛法において慶長期に「激変」があっただろう
ことは確かで、江戸時代から「古刀」・「新刃(あらみ)」と呼ばれて区別されて
きた。両者は出来に現出する色・鉄味に違いがある。
この原因はなにか。

そのことについて、日本の刀剣界だけを見る視点ではなく、日本の歴史の中で
の流れを押さえて、その総体的傾向性から別ジャンルの技法が日本刀にどの
ような影響を与えたかを検証する試みをしているところがリンク先論稿は面白い。
近視眼的な解釈を継続すると、どうしても独善的視点になったりするからだ。
すると、研究の本来の目的が消失し、いろいろな「捏造」を行なわないと「主張」が
構成できないようなことも発生する。
そのような「まず答えありき」の姿勢や権威を得ようとして売名を一義とする功名心
に駆られたりすると、例として最近のSTAP細胞発見の小保方ユニットリーダー
と研究グループの研究者たちが行なったようなことが起きたりするのである。
そういう人間たちは研究者ではない。「創作者」でありオハナシの作り手だ。
少なくとも立脚点や己の向かうところにおいて、学問の真理探究というアカデミズム
とは無縁の存在だ。
日本は米国に比べて非常にそのあたりの学術研究者のモラル意識が薄すぎる。
関係機関のチェック機構も不十分だ。

日本刀の研究にしても、「日本の美しさ・日本人の素晴らしさ」を宣伝したい心根が
まず第一にあるとしたら、それは学究の道を見誤る。
「なにがどうなっているのか」「なにがどうだったのか」を極めて冷徹に客観的に
諸情報から解析していくことが学術的な取り組みの健全な姿勢であることは論を
俟たない。
そうした真摯な態度は、決して愛国心と乖離するものでもなく、また反日的な
立場に立つものでもないが、政治的思惑を離れて、自立的見地に立って中立性を
確保しなければ学問の健全さは保全できない。
なぜならば、日本刀は一部の恣意的な者たちだけの私的所有物ではなく、日本人
全体の、ひいては世界人類の遺産の一つであるからだ。


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娘の旅立ち

2014年03月29日 | 内的独白



朝5時に起き、広島発羽田行の朝一番の便に娘が乗るため空港まで送る。
娘は大学に入学するため、きょうから都内で一人暮らしが始まる。

ぬぁんと、娘は携帯電話を三原の家の自室に忘れたとのこと。
すぐに梱包して宅配便で送ろうとしたが、インターネット購買の消費税増税前の
駆け込み
発注のため、宅配業者がパンク状態で、3日前に発送した便もまだ
都内に到着
していないとの由。
郵便局本局に行き、旧郵政省のゆうパックの集配状況を確認したら、明日午後
には都内に着くとのことで、宅配便はやめて郵便局から発送した。

しばらく空港付近のコンビニ駐車場で休憩してから市内に戻る。
市役所駐車場に車を停めて、土曜も業務をしている市役所窓口にて廃車手続きの
ための住民票取り寄せ。

昼食のために駅前に徒歩で向かう。
途中歩くルートは、旧三原城西之築出(にしのつきだし)という出島のような城内だ。
江戸期にはそこに住んでいた。
これはその海側突端。


時計がある場所には、広島藩三原城勤めの家士のための藩校があったところだ。
「吾往館」という。

この看板表記内容については手前味噌全開でイタい。
回国武芸者がたんなる語呂合わせで「朝の間(浅野)」「三日(三原)」と
言っただけなのに、自己美化で解釈している。
こういうのを世の中では「我田引水」という。
ただし、武張った城下町であったことだけは確かなようで、これは複数の
古老から聞いている。

本丸方面に向かう。

とって着けたようなというか、モロとって着けた行政が勝手に命名した
三原市内の通りの名。まったく100%市民には定着していない。
私の実家の前の道などは「学園南通り」だ。誰もそうは呼ばない。
行政の施行は市民の声不在というのがよく分かる。

三原城本丸跡。JR三原駅が本丸の真上を通っている。
向こうに見えるは桜山。鎌倉期に山名氏の城があった場所との
伝承あり。私のマンションも頭だけ見える。


本丸跡地には天満屋デパートがあったが、業績不振で撤退。建物解体。
現在は広場になっている。



城は悉く解体しているので、江戸期の面影はない。

午後、車の廃車手続きの書類作成で友人の車屋に。

無料ですべて書類を作成してくれた。
サービスフォロー、良好。

遅い昼食を港の前の安い定食屋で取る。
コシヒカリを使っているとのことで、米が美味い。
丼3杯飯を食う。
おかずはコイワシ、ホウレンソウのおひたし、ヒジキ、キャベツサラダ。
おみおつけは油揚げの細切りとワカメが具だった。


日本の良いところ。

これ、中国・韓国、東南アジアや南米や北米や南部ヨーロッパやロシアだったら、
絶対にお金は獲られてるだろうと思う。ただ、泥棒がやたら多い三原なので、
これも夜になったら盗まれるだろう。閉店前にコインを回収すると思われる。
誰も手を付けないところは、昔の日本の姿を見る思いがするのだが・・・。
単に日中だからというだけのことだろう。
まあ、日本にも再選泥棒というのは大阪に・・・・違った、賽銭泥棒だった(笑)。
いたみたいだけどね(苦笑


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遠距離走行

2014年03月28日 | 外出・旅

朝4時に出立の七つ立ち。
8時に鳥取市内で仕事。

本日の夜明け。


途中濃霧発生。
なぜ太陽は見かけの大きさが月と同じなのでしょうか。

鳥取→姫路に。
その後帰還。

本日の日暮れ。18:00ジャスト。

本日の走行724Km。
ちょっと疲れた(笑

娘が最後の広島の夜なので、食事会を予定していたが、
ぬぁんと体調を崩し中止とのこと。
武道館にだけ母親と挨拶に行く。
晩御飯は家でおかゆ(笑
私もおかゆつきあいました(^^


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淀川 ~川と人の文化と鉄~

2014年03月27日 | 文学・歴史・文化



う!・・・・・・
淀川が琵琶湖から流れてる河川というのさっきまで全く知らなかった。
俺って、ほんとにモノを知らんなぁ・・・(^^;
つーか、大阪の土地勘はまるでゼロだし。大阪は道頓堀界隈しか
知らないし(笑
川にしても目黒川と多摩川と荒川と横浜の鶴見川しか知らんわい(笑
嘘。
広島県内の川という川はほとんど知ってますし、島根の一部と
兵庫の一部と宮崎と熊本も踏査しています。

個人的な予想としては、広島県内の川から餅鉄が採れそうな

気がする。
吉備の国というのは備前(後に備前と美作に分割)・備中・備後の
3国のことで、現在の県でいうと、兵庫県(西部)、岡山県、香川県
(島しょ)、広島県(東部)の地域にあたる。
「まがねふく吉備の中山」というくらいに吉備地方は古代製鉄が
盛んな土地だった。
でもって、あたしゃ砂鉄以前には餅鉄が製鉄原料だったと踏んでる。
製鉄単体でみた場合、砂鉄よりも餅鉄のほうが歩留まりは良いので
あるが、餅鉄はドジョウ(土壌)すくいのように採取し尽くしてしまうと、
その場所を離れないとならない。
まるで砂金でゴールドラッシュとなって栄えても、やがてゴースト
タウンとなっていった西部開拓時代のアメリカの金鉱のようなことに
なってしまう。
そうしたピンポイント採取よりも、ドワッと土砂を流して比重選鉱に
よって得る砂鉄のほうが、製鉄効率は悪くとも原料採取という総体的
な視点では産業的に有利に働いたから砂鉄が順次製鉄の主力に
なっていったのではなかろうかと私は読んでいる。
でもって、広島湾は土砂でうまり「広い島」のデルタ地帯ができたのだし、
実は三原もまったく同じような状況で中世末期に土砂が一気に堆積
してデルタ地帯ができていった。
でもですね、おかしいのよね。中世末期に一気に土砂が堆積する
なんてのは。古代から長い年月をかけてやがて陸地ができました、
というのではなく、戦国末期に一気に陸地ができるほどの河川の
土砂堆積が発生している。
これは人為的なんらかの行為によるものではないか。
実際広島は鉄山操業によって土砂が急激に堆積したことは判明して
いるし、事実、広島湾に流れ込む数本の河川上流では製鉄が行なわれ
ていたことが遺跡や資料から判っている。
ところが三原の場合は河川上流に現在のところ砂鉄採取による製鉄
遺跡はないとされている。
本当にないのかなぁ。
刀剣界では最近忘れられがちだが、鑿や鉋鍛冶では常識の材料に
「三原鉄」なる古い時代の製品鉄がある。
これってどこで生産したのだろう。名前からすると現在の広島県の三原
だよね・・・。
沼田(ぬた)川上流および流域には、絶対に製鉄原料が眠っていると
俺は踏んでいる。
こんなのもあるし・・・。

なぜ石が赤い。それはそこに鉄があるから。


そして、三原地区の古代遺跡を俯瞰するとこのようになる。


古代文化、後代王権あるところ、必ず製鉄ありなんでしてね、
日本という国は。
鉄製産地を権力者は押さえて、管理が容易な近隣に王族の
文化圏を形成する訳ですわ。
それからすると、三原の沼田川上流域には絶対に製鉄原料が
眠っている筈、と私は読んでいるのです。しかも、砂鉄以前の
餅鉄かもしくはリモナイトが。
古代鉄器はリモナイト(ベンガラ。赤色の文化)、その後に餅鉄、
その後に砂鉄というような変遷を経たというのが私の所見です。


ただですね・・・
鉄穴流し(かんなながし/かんながし)で砂鉄を集めるわけですが、
こうした砂鉄にはいろいろな物も混じっていた訳でして・・・・
現行のような磁石にひっついた砂鉄とは成分が絶対に違うと思う。
となると、この仮定を前提とすれば、たたら製鉄にしても、江戸期の
砂鉄から作ったのと同じような鋼はできないだろうことが十分に
予想されてですね、つまり江戸期のたたら鋼にさえとも異なる鋼を
現在のたたら製鉄は作っているのではなかろうか、と。
広島県の製鉄有志が比重選鉱による砂鉄採取をして日本刀の
製作にアプローチしてますが、製鉄方法にもよるけど、たぶん
磁石で集めた砂鉄とは異なる結果が出るのではなかろうか。

でも分からない。
それほど現代玉鋼と変わらない鋼になるかもしれない。
どのみち、一度リセットしちゃうからね、製鉄から精錬の過程で。
古刀時代の鋼とは違うでしょう。

それでも、固定的観念に拘泥せずにいろいろ試してみるのは
英知の現出のように私には思える。
硬いのは鉄だけでいいよ。
頭が硬いのは人間助かんねぇから。

ということで、今年の夏はウェーダーをはいて、広島の川で餅鉄探しを
しやす。

ちなみにこれは昭和初期の目黒川。おいらはこの川のほとりの病院
(東急東横線中目黒駅裏)で生まれたのですが、かつての目黒川は
清流でした。


おいらが生まれた目黒は、昭和の初めは江戸時代と変わらぬ風景ざんす。


ところが、さすが東京ですね。
目黒でも表通りにでるとしっかりと帝都です。(昭和3年)
俺の親父でさえまだ生まれてないよ(笑



現在の目黒川に落ちると死にます。
道頓堀川といい勝負くらいの汚染ですから(笑



鉄に関する三原の古代については、こちらの過去記事もどうそ。


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S&W オート

2014年03月27日 | トイ



個人の車を1台廃車するので車内を整理していたらこんなのが出て来た。
(なにかと物入りで、個人所有で数台の車両を維持するのは無理っぽくなってきた)

S&W パフォーマンスセンターのオートだ。







東京マルイのオモチャだけどね。かわいいっす。
めっさ中るのです。おもろい♪(^0^)

でもって、こちらは実銃。カッケ~!


でも、もっとゾクッと来るのはこっちだった利する(実銃)。
カッケ~!
似てるのを4丁ほど持ってるけど俺のはオモチャだよ(笑




ブラック&ホワイトというのは美的にもいいねぇ。
まるで、映画『ワイルド・ワイルド・ウエスト』でジム・ウエストが使っていた
コルト1860アーミーのカスタムのようで。




だけど、あの映画で俺が一番好きなのは、このコルト1862ポリスだったりする。




もうね、全体的なシルエットが美し過ぎて漏らしそう(笑)。
リチャーズ・メイソンのカートリッヂ・コンバージョン・モデルだぜ。
たまらん。
映画『ワイルド・ウエスト・ウエスト』で使われていたのはシリンダーにフルートが
あるタイプだ。
現在のリボルバーはほぼ100%近くがシリンダーにフルートがあるのが
一般的だが、このコルト1862ポリスはカートリッヂタイプが世の中に登場する
黎明期だということがわかる。
意味は、日本刀の樋と同じで軽量化なのです。
でも、質量が減るので、総体的に耐久性は低下します。これも日本刀と
同じ。樋のある刀は樋なしよりも強度的には劣ります。
1862ポリスが日本国内で古式銃としての在庫がほぼ皆無なのは、多分
米国で実用銃としてほとんどがカートリッヂタイプに改造されたからだと
思う。
黒色火薬+雷管のパーカッション式で1867年以前に日本国内に持ち込まれた
拳銃は古式銃として登録ができて、誰でも所持で斬るが、カートリッヂ式は
今でもドンパチできちゃうからアウト。銃刀法で規制されています。
コルトネービーあたりの古式銃相場は1丁150万円~250万円くらいの模様なり。

ウィル・スミスのジム・ウエストが使っていたのはタイプとしてはこちらのシリンダーだ。
1862ポリス。かっけ~!
これを日本でモデルアップしてくれないかなぁ。クラフトアップルさん。

これはですね、東部の保安官などの法執行官の間で人気だったんだってさ。
日本の侍と同じで、合衆国の保安官も武器は自弁だったから大変だよな。
西部を征服した銃としてはコルト1873 シングルアクションアーミーが有名
だが、一般開拓民はなかなか買えないので、1890年頃までもパーカッション
(黒色火薬+雷管式)のリボルバーのカートリッヂコンバージョンを使って
いたらしいよ。資料によると。
西部劇のように、出てくる人全員がピカピカのピースメーカーを使っている
なんてのはありえないんだってさ。
それでも、ピースメーカーがなぜ流行ったかというと、ソリッドフレームが
頑強だったからなんだよね。
上の画像見れば判るけど、シリンダーの上側にはフレームがないでしょう?
これ、何発も撃っていたら、フレームの締め込みが緩んできちゃうんですって。
S&Wも坂本龍馬が使ったようなモデル1.5やモデル3まではシリンダーの
上に何もなかったけど、その後のバージョンはソリッドフレームでシリンダー
を上下とも被うような構造に変更になった。当然コルトもそれになって、
そして1873年にSAAが登場して軍用試験に合格して騎兵隊正式銃と
なったのよね。一般人に販売が開始されたのは1876年あたりから。
世界初のカートリッヂという薬莢はS&W社がパテントを押さえていたので、
コルトはそのパテントが切れるまでじっとがまんしてたのよ。
それでも、そのままでは会社が成り立たないから、変化球として、社内に
ガンスミスを招聘して、既存のパーカッション式をカートリッヂバージョンに
改造して販売したのよね。
カート・コンバージョンが実は西部開拓時代には一番親しまれた銃だったの
ではないかと俺は思う。
そして、販売数においては、資料によると、S&Wよりも圧倒的にコルト、そして
周辺のサードパーティーのコピーモデルが多かった。S&Wは多少高かったしね。

コルト1862ポリスは、コンパクトでなかなかの銃だった。
映画『バッドガールズ』では主人公のコディが使っていたね。
あれは時代が1890年代なので、その時代でも旧式パーカッション式を
改造したカート・コンバージョンを使用しているという正確な時代考証を
していて、見応えがあった。






現代でも、いかつい黒いシャツなど着ないで、ダークなブラックスーツで
真っ白のシャツに銀色のタイなんてのは、けっこう恰好いいじゃない?
コントラストを出すというのは、ヴィジュアル的にも映えるように思えるよ。
コンビの靴は俺は嫌だけどね(笑
日活無国籍映画に出てくるヤクザみたいで(苦笑
男はやっぱり、ビシッとドカンで決めて髪はアイパーだろう(違
そりゃ、大昔の俺だ(笑

しかしですなぁ。
日本刀とか銃とかって、なぜあれほどに恰好よく見えるのだろう。
たぶん戦闘機のシルエットがカッコイイと思えるのに近いものが
あるのではなかろうか。


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陰陽(いんよう・おんみょう)

2014年03月27日 | 日本刀



姿体配は似れども似て非なる二口。
上は古名刀了戒であり、下は戦国時代末期の備前数打ち刀である。
ただし、下の刀は実用においては私は全幅の信頼を置いている。
研ぎ減った古刀が脆弱だなどと誰が言い出したのか。
一面的にしか事実を見ていないと思う。
この末備前には矢を受けた痕、棟への切り込み疵等がある。
450年という時を超えて現代にまで生き残った剛剣だが、当時としては最低
ランクの実戦実用戦場刀である。
だが、性能面においては一般的な戦後現代刀を遥かに凌駕する(比べ物に
ならない)。
換言すれば、刀剣本来の存在意義に照らし合わせれば、現代刀は戦国時代の
数打ち刀にさえも及ばないということだ。

古刀といっても範囲が広いので「古刀」のみで一括することはできない。
大宝時代の韓鍛人部が手掛けた直刀の上古刀を「日本刀」の範疇に加えるか
どうかは説が分かれるところだが、平将門の乱の頃から直刀は消滅しはじめ、
平安末期の武家の台頭時代には完全に反りのある湾刀が登場し、「日本刀」
としての形状の完成をみるに至る。
日本刀は形状が完成以降、11世紀の平安末期から現在まで、一千年もの間、
多少長さや重ねや反り具合などに時代的変化はあったとはいえ、基本形状は
現代までまったく変化していない。平安末期にすでに完成の域にあったのだ。
ただし、古刀期は10世紀後半から17世紀初頭と、約600年以上の期間に亘る。
一言で「古刀」としては括れない。鉄質と鍛法が各時代によって確実に異なる
からだ。

上掲の二口(ふり)にしても、数百年の時間の流れがある。上の刀が古く、
下の刀が新しい。
これは画像上の了戒の肌である。美しいことこの上ない。



一方こちらは私の末備前(鎬地に錆が出ていてごめんなさい)。
いわゆる荒れた肌物である。これは末備前長船全般の特徴でもあり、
横山、中山家を中心とした祐定一門もこのような肌である。


なぜこうした違いがでるのか。
それは化学組成としては解明されているが、「それがなぜ」「それをなぜ」と
いうことは皆目分かっていない。
学者たちは、科学的な機器を用いて現象を観察してただ「状態を示す」だけで、
それがどうしてそのような構造になっているのかを説明しようとはしない。
ともすれば、後世の時代に造られて喧伝された創作的な説をあたかも古い
時代の常識であったかのように流布したりする。
日本刀に関するそれの典型が「たたら製鉄」、「玉鋼」、「心鉄構造」である。
これを日本刀の三種の神器のようにして上げ奉っているが、実際のところの
本当の真実は、悉くその三種は古代から古刀全盛期にはあてはまらないと
考察せざるを得ない科学的、歴史的な事実ばかりが発見されている。
そもそも、江戸時代の幕末工法で作られた鋼と、戦国時代の大量生産用に
開発された部材分け作業の延長にある新刀特伝工法では鎌倉古刀は再現
できない。

鎌倉・南北朝時代とは原材料と工法がまるで異なるのであるから、当然と
いえば
当然だろう。
しかし「玉鋼」こそが清純で唯一素晴らしい鋼だと思いこみたい人間は未だに
かなり存在する。
たしかに、素晴らしい鋼だろう。
多くの人たちが努力して苦労して作り出した鋼なのであるから。
しかし、古刀で使われた鋼ではない。これは明らかだ。
大型送風機で風を大量に送りこんで、磁石にくっついた磁鉄鉱(砂鉄)を
原料として作った鋼は清純過ぎるのだ。
金属において、「清純であること=鍛造刃物として冶金学的に良質の鋼」とは
いえないことに多くの刀鍛冶は気づいている筈だが、いろいろ諸般の大人の
事情があり、声を大にして意見は言えない。

古刀の原料に含まれていた介在不純物こそが折り返し鍛着材の役目を果たし、
その頃にあっては糊の役目としての泥汁や藁灰をまぶすこともしなかったと
私は推察している。自然釉のような役目を果たす物のみで鎌倉古刀は鍛錬され、
後年手法のカリウムの化学変化による意図的な助成作業を経てはいなかった
と考えている。

さらに現代においては硼砂さえも使用される。
硼砂を揶揄したり忌避したりする現代刀工は、糊としての藁灰や泥汁も使用
すべきではないと私は考える。他人を揶揄する前に襟元を正せ。
己がただ単に幕末工法を踏襲しているだけなのに、それを以て日本古来の伝統、
古伝技法などとは笑止を超えて捏造の類だ。

他人を非難することはしたくないが、他人を非難することによって己の位置を
保とうとする勢力に対しては「批判」したいと私は思うのである。
特に「たたら製鉄」「玉鋼」「心鉄構造」を唯一絶対とする勢力は、「客観的に事実
解明をしよう」とする者たちに対して異様なほどに攻撃性を見せる。
ときには組織内部で強権を発動したり、あるいは匿名の陰に隠れて名誉毀損を
繰り返したり、陰に日向に暗躍して、日本刀の原料と技法解明を研究しようと
したり従来の作られた「定説」に疑問を持つ者たちを弾圧する。本当ならば抹殺
したいのだろう。
これは玉鋼-心鉄構造絶対主義者たちのひとつの特徴でもある。
時には口汚く他人を排撃することのみを生涯の支えとする小説家崩れの売文家
さえも使って、日本刀研究者たちを排撃させる。
また、売文家は、未必の故意的に自分が利用されていることにも気づかない。

日本刀の周辺は実におどろおどろしく、まさに百鬼夜行そのものなのである。
「清純」で「清良」な玉鋼を信奉する者たちがそうした「清潔」なことをやっている
ところが何とも可笑しくて、吉本新喜劇より面白い。
実はそうした斯界の既存の権威筋とそれの腰巾着たちそのものが、酒天童子
なのではないかと思ったりもする。



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渓流詩人の徒然日記 週報

2014年03月27日 | 内的独白



週報です。
いつもありがとうございます。
なんの訪問者倍増ツールも使わずここまで来れました。
これも読者のみなまさのおかげです。御礼申し上げます。
当日記はアフェリを設置しての商業広告等は一切使用していません。
当日記は集客して広告により収入を得たり、何かを売る目的ではないからです。
読者の方が任意にここにいらしてくれたことを私的利益誘導の商用目的に転化
することは今後も私はいたしません。
今後もよろしくお願いいたします。


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われ脱力派

2014年03月26日 | スポーツ・武道など



私が習った英信流においては、「力を入れろ」ということは一切習って
いない。
どの流派でも、同じ流派の中でも、先生方によって教え方はまちまちだろう
が、私が習ったのは脱力によるしなやかな体転と運刀の俊敏さだ。
「究極は奥にあり」とも。
奥伝の教えの一つに「格を崩してでも速く」というものがある。
これ、かなり難しいことで、「まず速度ありき」ではなく、いろいろなことを
踏まえた結果として速度が出ることを意味していると思われる。
そこに至るプロセスこそが大切で、ある種の「要諦」に関する事項のように
思える。

そして、丹田に「気を込める」とは習ったが、「力を入れろ」とは習っていない。
むしろ「力は一切、どこにも入れるな」と習った。
しかも、かなり深い部分のキモとして。
未だに難しくて何が何だかサッパリなのではあるのだが。

完全脱力といっても、何もタコ踊りのようにグニャグニャになればよい
というものではなく、しなやかにしてキュッキュとしたクイックリーな動き
というものはできるし、またそうでなくてはならないと思っている。戦闘
武技というものは。
ただ、「力み」は「居つき」であり、武術において一つもいいことはない
ように私には思える。

ただし、力んで力を入れずとも、ピッとするべきところは隙なくピッと
することが自由格闘には必要で、居合というのは決められたカタチを
抜くのではなく、本来は近接戦闘武技であるのだから、グニョグニョでは
だめで、シャープなキレ、冴えというものがとても重要になってくる。

「力」ではなく別な「何か」を。しなやかにして力強い別な「何か」を。
これ、特に古流居合を抜く場合にはかなり大切な要諦のように思える。
事実、私は師匠からそう習って来た。

「気」を否定する人もいるけど、「気」によって血流が変化するんだよね、
人体って。
科学的には人体機能に大きく関与する電気信号の一種なのではと
私は推量している。
ただし、猫パンチのような動作で人に触れずに人をすっ飛ばすという
よくあるあれ(よくありはしないか・・・マレか)については、私はどうかと
思っている。
経験していないから、あれについては何もわからない。
ただ、猫パンチの気で戦おうとする人は、私でも瞬殺できるような気がする。
刀なしで。
互いに触れ合わずに離れたまま猫パンチばかり繰り出していたりして。
んな馬鹿な(笑


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別なネズミ

2014年03月25日 | 時事放談



マウスまで別のマウスにしてたの?
駄目じゃん、小保方ユニットリーダー・・・。
いい加減にもほどがあるな~。
脳内捏造を実地に下すというのがまかり通ると恐ろしいなぁ~・・・。


「武術家」(カッコ付)でもそうですが、仰々しかったり妙な格好をして自己表現
している
人は、「何かおかしい」と思ったほうよろしい。
異形の恰好したりコケ脅しの装束を身にまとっている人は、ほぼすべてが
いかがわしいと思って間違いないという事実これあり。
知っておいて損はないと思います。
騙されないように。

例外は戦国期の武将のみかな。
あれは時代の中での強烈な「我こそここにあり」という自己主張だから。
現代でそのパターンは、「傾奇」にさえなっていません。
そもそも「傾奇」は反骨の反抗という背骨があったのですが、それ無き
恰好だけの異形は別な目的があるからです。
現代「武術家」では注目させて金儲けというのが目的です。
術の伝承とかは本質的に眼中にはない。自派宣伝して自分への見返り
のみが目的です。
各々方におかれても、お気をつけあそばれたし。


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