渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

古代製鉄と日本刀

2013年05月31日 | 日本刀

私が現代刀工に作ってもらいたいのは実は打刀でも脇差でもなく、
「鎧通し」だったりする。
鎧通しとは、別名馬手差し(めてざし)とも呼ばれる戦国時代の
甲冑着用時の近接戦闘用の短刀のことだ。
ただの短刀ではない。重ね(=厚みのこと)が1センチ程もあるごつい
短刀だ。
これを主に右腰に柄を下に向けて着装し、組み打ちの近接戦闘に
なった際に右腰から引っこ抜いて敵の首をかく。
太刀や刀は主に護身用の刀剣として存在したが、この鎧通しは
槍と同じく、完全に「殺傷のための武器」として存在した。存在自体が
かなりドラスティックである。
しかし、太刀や刀のように汎用護身武器ではないだけに、目的がはっきり
しているし、その目的に向かって一直線に形状や造りが特化されている。
こういう特化傾向をみると、「武器なのだなぁ」と強く感じてしまう。

現代刀工でも注文打ちなどでは「鎧通し」を作れる刀工がいるようだ。
槍作りに関しては、国内の現代刀工は槍を作れる人材は壊滅状態なの
ではなかろうか。
本来、「刀工」であるならば、素槍や十文字槍、はたまた薙刀や鎧通しを
作ることができるのが当然ともいえる本筋だが、短刀・脇差のみばかりで
「打ち刀」さえも作れない(=技術がない)刀工免許取得者が多いのだから、
もはや現代刀工たちは「刀工」や「日本刀作家」ではなく、「特定刃物鍛冶」と
でも冠した方がよいと私個人は思量する。権威筋が日本刀の武器性を忌避して
美術性ばかりを先行させて「布教」した弊害が技術の伝承と再現を阻害して
いると強く思わざるを得ない。現代日本刀における最後の十文字槍製作者は
岩崎航介先生の調査によると、熊本の故金剛兵衛盛高師だった。
「日本刀の伝統技法」を詠うならば、打ち刀や太刀ばかりを作るのではなく、
十文字槍や薙刀や鎧通しをこそ再現製作し、その研究成果としての技術を
次世代に伝えていくべきではなかろうか。
鎧通しは薙刀や槍と同じく、太刀や打ち刀や脇差よりも歴史的に「武器」
としての性格が色濃い存在だった日本の刀剣だ。



む。
銘は「弘邦 以喜望峰砂鉄作之 平成十六年二月日」。
南アフリカの砂鉄を使って日本刀を作っている。
約22センチと刃の長さはやや短寸だが、重ね1センチもある鎧通しだ。
日本の砂鉄以外を使用しも自家製鉄なら「和鉄」とみなし、OKということなのか。
お上が定める「和鉄」基準が曖昧過ぎてよくわからない。

銘に「以南アフリカ砂鉄」と切った別の現代刀工の作もある。
 
銘 「以南アフリカ砂鉄 甲斐國重光作 平成二十四壬辰年夏」


アフリカ(タンザニア)の製鉄炉遺跡

砂鉄を原料とすればよいのであれば、日本国内ではなく海外で砂鉄から吹いて
製造された鉄を日本刀の
材料とした場合はどうか。
たぶん製作認可は下りないだろう。

まったくもって、日本刀の原料として規定・規制している「和鉄」なる定義が不明瞭だ。
ただ、考えたら、地球外の隕鉄を使用しての日本刀製作もOKが出ているのだから、
地球上の砂鉄なら原料の産出国は問わないのだろう。

そうであるならば、東郷鋼や瑞典鋼ように海外洋鋼でもよさそうなものだが、
そこらあたりの判断
基準は私あたりの下々には理解が及ばない。
原材料を輸入した物ではいけないとするなら、輸入砂鉄を用いることもいけないの
ではなかろうか。砂鉄輸入がOKでインゴットとしての鋼輸入がいけないという
基準の意図がよく理解できない。

ただし、洋鋼や現代新鋼でも卸し鉄や混ぜ鉄にしたら理論上はOKの筈だし、
現実に
そのような工法で作っている現代刀工もいる。そうした製鋼法の位相は、
隕鉄使用とあまり差異はないように思える

日本刀材料の鉄作りは「たたら製鉄」に限定しておらず、「たたら吹き」であれば
よいとするものなのか、規制サイドの真意は不明である。

備前長船の故今泉俊光先生は昭和51年(1976)に、川崎製鉄が開発した
「新鋼K52」で日本刀を作り、それを銘に切っている。



銘 表:「備前國長船住藤原俊光 川崎製鉄新鋼K五二」
銘 裏:「美作國上斎原産以赤目砂鉄 昭和五十壱年八月日」

銘にまでアルファベット表記を恐れずに切っている。
岡山県北で採取した赤目(あこめ)砂鉄から現代製鋼法によって川崎製鉄が
作った鋼がK52である。現在の日立金属の白紙の
ような新鋼といえるだろう。
こういう鋼で日本刀を作ってもOKなのである。
ただし、現在日立白紙で日本刀を作ると「違反」と公式にはされているが、著名
刀工が出演する番組や映画や写真などで、鍛冶場に
大量にストックしてある
白紙のフラットバーや丸棒は一体何に使うのか。

高名な刀工もあまり公にはできないが日立の現代鋼白紙を「何か」に使って
いるのである。ナイフなど作らない作者の鍛冶場に
あるのだから、何に使うか
は推して知るべしだ。


1977年の島根のタタラ復活はそれはそれとして現代刀工の材料問題
解決に大いに役に立ってきた。1970年代中期には、
タタラ操業復活との
ことで、材料問題で苦労していた国内の刀鍛冶
ほぼ全員が支援し飛び
ついた。それまでは電解鉄を試したりいろいろ苦労を重ねて材料枯渇
問題に刀工たちは取り組んできていたからだ。
(当時、現代刀工にあっては、自家製鋼
は定式立てた手法として
成功してはいなかった)

だが・・・。
なぜあれから35年が過ぎ、自家製鉄に多くの現代刀工が踏み込まざるを
得ないのか、タタラ「玉」鋼生産者は一考してもらえれば助かるのだが・・・、
世の中そう円滑にはいかない。


永代タタラ製鉄を世界遺産にという発想も運動も良いことだろう。
あれはあれとして復元タタラ製法として保存継承していくこともとても大切だ。

ただし、それを「日本古来の製鉄云々」という虚言を並べて活動するのは如何な
ものかと私は思う。天秤フイゴの永代タタラは、たかだか江戸末期の工法だ。
日本古来の・・・ということになれば、当然古代製鉄のことを指すと思われる。
日本という名の「国」がまだなかった頃の古代製鉄の材料は砂鉄ではないと
私は思うのだ。私は
海人(あま)族である和邇氏(ワニうじ。小野氏の祖。和珥、丸邇、
丸、王仁とも)が神聖視して深く関与した「赤土」がその正体だと推察している。
和邇(ワニ)の
「ニ」は土のことを指す。赤土の朱は丹砂(辰砂)のことであり、
丹は不老不死の
薬の仙丹の丹ともされた。
土師氏と同じく土を扱い古墳埋葬者についての伝承を伝える役目の和邇氏
(小野氏の祖)は吉備氏とも密接な繋がりがあるのだが、金屋子神である

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)とも和邇氏は深い関係にあった。
鉄は土を食って生まれてくる。(この意味は製鉄者はよく理解できるだろう)
古代の人的関係だけでなく、土と製鉄は切っても切れない関係にあった。
「真鉄(まがね)吹く吉備の中山」で使われた古代製鉄の材料は、私は砂鉄では
なかったと推察している。九州阿蘇近圏に始まるこの列島の製鉄と古代王権と
繋がる朱塗り文化が数百年も継承された最後期の時代、製鉄の原材料は、
それはその時点のさらに
古代から継承された製鉄法で使う材料だっただろう。
すなわち、ベンガラ(弁柄、酸化鉄赤)の基となる酸化第二鉄を主成分とした
赤土、つまり「リモナイト」(これは商品名)である。
(ここらあたりの所見については、膨大になるためここでは割愛する。
いずれ別な機会に整理して述べたいと思う)


リモナイトによる製鉄は、大規模炉を用いずとも簡易に鉄を作り出せる。
当然、これまで「製鉄遺跡」と比定していたような大規模遺跡は残らない。
従って、炉遺構の発見も困難だろう。七輪ほどの簡易炉で鉄が作りだせて
しまうのである。これまで「ノロ」とされてきた鉄滓が、実は鋼として使える
素材であるということを再認識する段階に来ていると私は思量する。
また、現代の「古代」製鉄では捨てられているスポンジアイアンこそが、
古代製鉄における重要な幹を占めていると私は推察している。
また、褐鉄鉱であるリモナイトから生まれ出た「朱」という紅色の文化と
古代製鉄と王権が密接不可分の関係にあったことは論を俟たない。

私は想う。
大型天秤フイゴの永代タタラ製鉄は明らかに江戸末期の産物であるのだから
それを「古代製鉄」などとは呼べない。古代鉄を求めるならば、そこから離れる
必要がある。
さらに、もう一つ。
自家製鉄においても、「砂鉄」から離れる必要があるのではなかろうか。
これは考古学的見地からのみの解析ではなく、文献史学や民俗学からの
アプローチとして、弥生時代に見られる「朱」の時代の黎明期が完結をみる
平安末期まで
は、「赤土」こそが古代製鉄と密接な関係にあったと思われる
からだ。

真鉄(まがね)とは、まさに褐鉄鉱のリモナイトから鉄を作ることだったのでは
とさえ
思うのである。


私の佩刀 銘「安芸國大山住仁宗重作 天正八年二月吉日」
これはタタラ鋼でしょうね。

古代鉄剣産地でもあった筑州の血を引く安芸國大山鍛冶の宗重が
「人」という字にあえて「仁」という文字を常用したのは、製鉄神である
金屋子神と密接な関係にあった
和邇の「ニ」が和邇坂の赤土をも表す
故事であることを知っていたのではなかろうか。
大山住宗重家の当時の苗字は「延道(のぶみち/えんどう)」だが、氏(うじ)
は定かではない。古代において和邇小野氏の血とどこかで交わっていない
か、個人的には興味がある。


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女性自衛官のベレー 'WAC' Woman's Army Corps

2013年05月31日 | ミリタリー



女性自衛官 SP 4/4 WAC Woman's Army Corps
 

こんなベレーのかぶり方でも、かわいいから全然オッケー!(あれ?)
それなりにかぶっていて、全くダサくない。
この人のベレーかぶりで不快感が湧かないのは、かぶり方に無頓着で
キノコになっているのではなく、自分なりの「こなし」を為しているのが伝わる
からだろうと思う。着装規定はともかく、これはこれでカタチになってる。
だけどバインダーまで内側に折り込むなんて、軍帽としてのセオリーを
完全に無視しているよ。根性あるなぁ(^^
幹部になるのと私生活では結婚が夢だって(^^)
元婦人自衛官だった同門の居合仲間が若年で結婚したから「早いね」と言うと、
「圧倒的に女性が少ない職場だから、どんなブスでも絶対にモテまくって引く手
あまた」と言っていたけど、この動画の女性のような方はどうなっちゃうんだろう(^^;
(言ってた本人はかわいい系なので、言ってることが小面憎かったけど)
動画のこのキャプチャの女性は言葉の発音からすると九州出身とみた。

というか、平成5年の映像だからもう18年も前の動画だよ、これ(笑
若き杖刀人の末裔たちも、もう若くはない。
九州の人だとしたら、杖刀人ではなく典曹人と言ったほうがいいかな。

ふと気付いたが、自衛隊というのは軍隊ではないから公式英訳は
Japan Self-Difence Forces なのだけど、女性陸上自衛官に
ついての略称(通称)では Army という単語を使っているね。


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自衛隊の尖閣防衛部隊

2013年05月31日 | ミリタリー

こちら本物、命がけ。

【自衛隊の尖閣防衛部隊】1/2


【自衛隊の尖閣防衛部隊】2/2




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フィールドゲーム

2013年05月31日 | アウトドア



そろそろ、こちらも復活したい季節。


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無銘の刀

2013年05月30日 | 日本刀



試斬用に数年前に購入した刀に購入時から刃こぼれがあったので、

研ぎに出したら見た目は綺麗になった。
以前の所有者はかなり斬りまくったらしく、購入した段階では小さな
刃こぼれと共に水漬け畳表の強烈なアク汚れが表面に付着していた。
打ち粉と油で丹念に拭ったが、ある程度綺麗になっても除去できない。
それに、妙な砥石痕もあったのでそれも除去するために「部分研ぎ」を
入選研ぎ師に依頼したのだった。

研ぎから返ってきたら綺麗になってるから斬り用に供するのはやめた(^^;
まあ、こういうのが何度もあったりするから、現在斬りに使える刀は
一口(ふり)しか持っていない。(ただし、その斬り用の刀は一番信頼を寄せて
いる一刀だ)





なんだかね、この刀、販売者では加州新刀という見立てがあったけど、
眺めていると、石堂のようにも思えてきたよ。
でも、地鉄と鍛えが明らかに大阪新刀風ではないんだよなぁ・・・。
鉄はかなり古い時代の種類の鉄のように思える。豊後という線も捨てがたい
気もするが、私には鑑定できない。
無銘刀は作者個人が特定できない。
どんな極めがついていても、「〜だろう」ということでしかないと思う。
大御所の鑑定でもAという大家とBという大家で作者特定の見解が
分かれたりする。公的団体が発行した鑑定書でさえ、数度鑑定依頼を
すると別作者として鑑定されたりもする。また、鑑定を巡って過去には
訴訟事件
にもなったりしていた。
係争案件でなくとも、佐藤寒山先生の極めに対して愛弟子の小笠原先生が
「違うと思う」ということを著書に記したりしているし、佐藤先生と本間先生で
極めが異なる場合もあった。

実際のところ、すべからく無銘刀というのは「作者は〜だろう」と思うべし、
というところなのだろう。
結局は、上(かみ)を見ての「当て鑑定(町目利き)」は、利鈍を精査する
武家目利きとは対極にあるものなので、私個人は「作者の工法の洞察」
という点を除いては作者当てには興味がない。
また、武家目利きは経験則を踏まえて出来から個体の是非と作者の到達点を
量るべきであって、作者銘を当てて善しとする次元のものではない。
利き酒(日本酒)や利きワインのような数寄者趣味とは別領域に武士の魂である
日本刀の真の鑑定があると私は確信している。









まあ、この刀は観ていて出来が面白いから、作者は誰でもいいや。
基本的に私は出来が面白ければ作者は誰でもよい。不出来な著名工作よりも
出来が面白い無名刀工作や無銘の方が私は好きだ。博物館に展示できる
ような著名刀工の最上作が欲しいとは別段思わない。一口で家が建つ刀よりも、
居合の稽古できる稽古場が欲しいよ(笑
将来的には、神奈川の上野貞紀先生や庄嶋師匠の大師匠である佐賀の
故日浦眞蔵先生や香川の故岩田憲一先生や故中山博道先生のように、樋の
ない刀を居合で使うのが夢なので、ゆくゆくはこれに拵を作ってあげて、いつかは
居合で使いたいな。
二重ハバキというのが居合向きではないところがネックかもしれない。
ほんの数ミリ普段使う刀より短いから、いっそ一重の新規銀ハバキで腰高に
して呑み込みを浅くしたのを作ってもらえば一石二鳥か。
いずれにしても、直近でなく、かなり先の事ですね。



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鯉口くん 〜日本刀鯉口緩み防止具〜

2013年05月30日 | 日本刀

あら。
ネットで武道具を検索していたら、楽天でも「鯉口くん」が売られている。




総販売元:濃州堂刀剣五十嵐
提供:私の昔の大家さん先輩

発明は俺。
「鯉口くん」よろしくね!(^0^)

あと2〜3新案があるけど、まだ未発表。


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居合道速報 〜平成25年 箱根八段戦〜

2013年05月29日 | スポーツ・武道など

わが情報部はエージェントより箱根八段戦の最新情報を入手した(笑)。









【大会結果】
優勝 小野一夫 先生(兵庫)
二位 品田峯雄 先生(新潟)
三位 古市典雄 先生(神奈川)



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スズキの長老会長の一言 〜アベノミクスに懸念〜

2013年05月29日 | 時事放談



1979年時点でやがて来るであろうヤマハ-ホンダ戦争を予見してスズキが体制を
整えたのはまさに先見の明があっただろう。
しかし、それはこの記事で書かれているように守りに入るための体制作りでは
なかった。
スズキの会長はかなり「先が見える」老獪な方であるので、この記事のような
1979年当時のスズキの動向に関する分析は一面的だ。

実際にスズキがやったことは、現実的には虎視眈々と超絶マシンの開発を進め、
ヤマハ-ホンダ戦争の間隙を
突いて世の中を一変させるバイクを1983年の年明け
に突如発表
したからだ。
その車の名はRG250Γ(ガンマ)という。
ガンマとはギリシャ語のゲライロ=栄光を意味した。
市販車なのにまるでレーシングマシンを公道用車両に改造したような驚愕の
仕様
だった。
1982年に世界グランプリ最高峰クラスの500ccクラスで世界チャンピオンに
なったスズキのフランコ・ウンチーニ(イタリア)が駆ったGPマシンのワークス・
カラーを身にまとって1983年新春に颯爽とRG250ガンマは登場した。



スペックはそれまでの車では考えられない新機構が盛り沢山だった。

・量産車としては世界初のアルミフレーム
・国内自主規制値最大の45psを発生させるパワーユニット
・同クラス最軽量の乾燥重量131kg、クラス最高出力により
 パワーウエイトレシオは驚異の2.911

・フロント16インチ、リア18インチにミシュランタイヤを装着
・フロント・アンチノーズダイブサス
・リア・フルフローターサス
・クリップオンハンドル(アングル調整可能)
・フルカウルの初認可
・3000rpm以下の表示がないタコメーター
・タコメーターをレーサーと同じくセンターに配置
・オールアルミ製メーター類
・オールアルミ・ブレーキキャリパー(左右ダブル)
・レーサーと同じ多段テーパーチャンバー
・レーサータイプのタンクフューエルキャップ

驚愕とはまさにこのことだった。
それまで、ヤマハがRZ250を発表して「これはレーサーだ」といわれて
レーサーレプリカブームに火をつけたと思われていたが、真実レーサーに
保安部品をつけたような市販車を突然発表したのはスズキだった。
レーサーレプリカの本当の真打はスズキRG250ガンマの登場がそれだった。


私も即購入して乗った。
それ以前、ヤマハのRZ350(チューンド)に乗っていたが、ガンマはあらゆる
意味で別次元の造りの
車だった。
ただ、未完成な部分もかなりあった。
それゆえ、ロードレースをする玄人ライダーからはあまり歓迎されなかった。
コーナーの突っ込みでフロントのボトムを防止するアンチノーズダイブ機構は
当時の世界グランプリからの技術導入で、ヤマハのケニー・ロバーツなども
採用していたが、この機構は世界レベルのレースでさえ一過性の「トライ」だった。
さらに、旋回性を高めるための前16-後18インチタイヤの設定は、ホンダの
レーサーNS500で採用されたパターンだったが、走安性に問題を残して
いた。ホンダのフレディ・スペンサーのような前輪でコーナーを回るライダー用の
特殊な
仕様ともいえ、一般的にジオメトリーの関係から操舵に大きな問題を
かかえて
いた。
事実、スズキRG250ガンマは、操縦してみると「曲がらない」マシンだった。
定常円旋回でビタッと車体アングルが決まって、そこから抜け出せない。
低レベルなライダーが乗ると「上手くなった」ような錯覚を起こす。
しかし、そうした味付けはトラクションの感知をしにくい設定になっているだけで、
タイヤの初期滑り出しを
察知しにくいのは当時バイク界のインテリライター
根本健氏(元GPライダー)も「トラクション不足」として
指摘していたところだ。
私も操縦してみて「こ、これは・・・問題が多すぎるマシンだ」と即座に察知した。
パワーユニットの出力については、チューンしたヤマハRZならば同程度の
パワーはすぐに出せたし、市販車としての新規性で先進技術をすべて投入
したところにのみガンマの優位性があると思われた。
実際6000rpm以下が使えないのはRZ250についても同じであり、データ上の
パワー曲線のみならず、体感としても世間で言われるほど「ピーキー」ではない。
本当のピーキーというものは市販車ガンマレベルのものではない。
(RZの場合はトルク曲線に谷があるので「ピーキー」と勘違いされているが、
ガンマについても同傾向のことがいえた)

コーナーアタックにおいては、定常旋回区間をいかに短縮させるかがタイムアップ
につながるので、市販車RG250ガンマのようなハンドリングの味付けは一見
レーシーには感じるが、タイムを競うライダーとしては歓迎できるものでは
なかった。
実際に、ヤマハのマシンのハンドリングの方が旋回時のルート選択や走安性に
おいて遥かに優れていた。このあたりはホンダはさらにスズキよりも最悪のハンド
リングのマシンだった。
スズキのRG250ガンマについては定常旋回の区間において大きな問題を
かかえていた。
トレースするラインにビタッとレールを敷かれたようなコーナーリングとなり、
そのラインを容易に変更できない。低レベルなライダーはこれにより「上手く
なった」などと勘違いする。ヤマハのマシンは自在にラインを変えられた。
さらにガンマは接地感のなさを誘発した。だから、初期ドリフトを制御できずに
足元をいきなり足払いされたような滑り出しとなり、ハイサイドやズルゴケ
(いわゆるローサイド)をよく起こしていた。(私はフロントからの転倒は峠で1回のみ。
セットアップを変更してコースでも峠でも乗り方を変えて対処することで制御できた。
ただしFISCOではセッティングをシビアにしすぎ、エンジン焼き付きにより最終
コーナーで派手に
飛んだことがある。プライベートチューンは危険が伴う)
市販ガンマは筑波の最終コーナーではその2年後に出た市販レーサーのホンダ
RS250のような奇怪なチャタリングが発生した。
このチャターの発生については、柳沢雄造氏からアドバイスを得て、突拍子もない
セッティングだがユウさんの言う通りにセットしたらピタッとチャタリングが止まった。
さらに、マシンの設計上フロントステアを要求されるセットをヤマハのような
リアステアで操縦できるようなセットアップを折衷方式として試して行った。
こうしてどうにかRZと同等かかすかにそれ以上に走れるようにはなった。
データ上は驚愕的なスペックを誇って一世を風靡したスズキRG250ガンマでは
あった
が、現実的には市販車改造クラスのTT-F3レースにおいてもチューンされた
ヤマハRZ系の方がずっと完成度が高かった。

(市販車改造ヤマハRZR250-F3レーサー)

さらにガンマのアルミフレームは、剛性と足回りのセットアップがうまく行ってなかった。
これはヤマハのクレードルフレームによるコーナーでのGをフレームの「しなり」に
よって逃がす設計とは対極にある設計思想だった。
ヤマハは純市販レーサーTZ250でも85年まで鋼管フレームを使っていた。
その後、タイヤのラジアル化やサスの設計変更により、80年代中期〜90年代
末期まではフレームを「ガッチガチに固める」方向性が一般化する。
ただし、近年のモトGPマシンではかつてのように「力を逃がすしなり」という設計
思想が復活しているようだ。

スズキRGガンマは未完成のマシンだった。
だが、出来の悪い子であっても、魅力にあふれる車でもあった。
完璧な製品はユーザーが手を入れる隙がない。
未完成ながらもあちこちセットアップすることで完成に近づく楽しみがガンマにはあった。
今のお手軽時代には絶対に流行らないバイクだろう。
そしてRG250ガンマは、その未完成さにもかかわらず、爆発的に売れた。
かつての「曲がらない、止まらない」バイクの代名詞だったカワサキのマッハシリーズの
ように。
世の中の若者は「過激」を求めていたのだ。優等生よりも突き抜けた存在を。

1983年、スズキが発表したRG250ガンマにより、日本国内は全面的な「レーサー
レプリカ」というレーシングマシンもどきの一般市販車が爆発的に売れる時代に
突入した。この状況は乗り遅れたカワサキまで巻き込み、レーサーレプリカブームは
1990年代末期まで続いた。
スズキの会長は語録をも残す経済界の長老だが、先見の明には定評がある。
今回の発言はかなり慎重に読んで行きたいものとして私は捉えている。


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けさの風景 〜広島県三原市〜

2013年05月29日 | 風情・季節・地球



梅雨入りである。


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居合の稽古 〜尾道〜

2013年05月28日 | スポーツ・武道など

火曜の夜は尾道東高武道場で居合の稽古。

新しい道着をおろす。
本日は、思うところあって、抜きつけ、切りつけ、納刀のみを
集中的に2時間半繰り返して稽古した。
夕方、東京の大家さん先輩から電話で稽古法のアドバイスをもらって
いたので、それを試みる。

途中休憩を3回取り、集中力を切らさないようにした。
ほんの少しだけ、得ようと思っていた感触が見えてきた。
しかし、まだまだ全然駄目だ。狙ったイメージにピシャリと重なって
いない。
沈思黙考−
うちの道場は、稽古始めと終わりに「黙想」があるのだが、途中でも
イメージトレーニングのために自主的に黙想した。
まだ光は見えない。

(家伝新刀)


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カナダからの手紙

2013年05月27日 | スポーツ・武道など

♪ラ〜ヴレターフロムカナァダ〜

男同士でラブレターというのはあるのかもしれないが、俺は嫌だ。
たぶん、俺は戦国・江戸時代に生まれていたら、耐えられなかった
だろう。
九州、とりわけ九州南部ではわらべ歌にも「かわいい稚児をつけて
やるからね」みたいのが残っていて、昔から男色が普通に行われて
きた地方だというのが読み取れる。
ただ、男色は大昔から武士の世界では全国的に常識だった。
今でもみみっちい男のことを「○○の穴の小さい奴」などと云うが、
あれはモロそのことを肯定的に受け止めていた比喩である。
俺はイヤだぁああ〜!
幕末にも新選組内で男色が流行して困るということを近藤勇が
故郷への手紙に書き残している。
私個人が何とも気色悪いのは、武士の世界の男色が女形や今でいう
オカマ・オネエの類ではなく、擬似異性ではない「男として」男を
性的な肉体関係も伴って愛する点がどうにも受け付けない。切腹した
三島もそうだが、マッチョ系男同士がその世界に入るのだから、なんと
いうか、文字通り私には想像を絶する。
野郎同士の友情というものも、私には大いに理解できるのだが、
絶対にそっち系は私の中には存在しない。
また、母性偏愛というマザコンが男が女を愛する精神世界の源泉という
分析も私個人はかなり気色悪いし、いい年したオッサンやジジイが
「母が、母が」というのもかなり気色悪い世界だと思う。
だが、考えるに、そうした精神世界はどちらも同根のような気がする。
両者には自他の区別という「自我」を超えた「依存」や「対象幻影化」と
いう共通項が強烈に存在するように思えるからだ。結局、好きなのは自分、
相手を愛好する自分が好きなだけ、という気がとてもする。

そうした領域は、もはや精神病の領域に入っているのではないかと
さえ思えるが、私は医学を学んでいないのでよく分からない。
とにかく、生理的にファザコン、マザコン、男色については、私自身は
受け付けない。(それが好きな人は好きにすればいいとは思うが、
それらの領域の感性で私に近づくことは、男女を問わず私は断固として
拒否する。依存型精神病域の女性が接近することも拒否したい)
以上については、あくまで私個人の自己意識についての事柄であり、
そういう人たちの嗜好が公序良俗に反しない限り、他人が否定すべきもの
でもないと私は思う。(但し、近親愛は婚姻という形態においては、日本では
法的に規制されている。生物学的な支障が判明していない古代にあっては、
やんごとなき階級においても近親婚姻が励行されていたが、現在は
何ぴとにおいても法的には認められていない)

それはそれで、10年前のきょうは忘れてはいない。



さて、前置きが長くなった。
剣友というよりも昔からのポン友が先週カナダに行った時の写真を
送ってくれた。


これは凄い。
海って、ずっと先はこうなっているんだよね(笑

実は友人は全剣連高段者のお供でカナダへの居合道講習会に参加していたのだ。
居合の本家ジャパンからの渡航伝達講習会である。



演武は東京の八段畠中篤美先生でしょうか。


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ウルトラセブンと手塚治虫の時代 〜平和への願い〜

2013年05月27日 | 内的独白



ウルトラセブン ULTRA SEVEN  ジ・エコーズ カバー  The Echoes 1967



私もカッコイイと思っていたウルトラセブンの番組中の挿入歌だ。
youtubeアップ主は耳コピで再現してアップしたらしい。やるな。
感動もの!


こちらオリジナル。
ULTRA SEVEN(1968)


私の強烈な思い出としては、「アンヌ隊員」というよりもひし美ゆり子さん本人に
直に私の名を呼ばれ、紹興酒を注いでもらったことだ。
そして、「これは私からのオ・ゴ・リ」と言われた。
ドッキ〜ン!(笑
とても美しい奥様でした(^−^)
中国人(台湾)のご主人の料理も美味かった!
新宿南口バラック街のある夜のひと時、台北飯店というお店でのことだ。

そういえば、不朽の名作『ウルトラセブン』で、初登場したモロボシダンは
「名前?そう、モロボシダンとでも言っておきましょう」と言った。
セブンは地球人薩摩次郎の体の形を借りたのだ。
薩摩次郎って・・・ベタな名前(^^;
さらに『ウルトラマン』においても、科特隊の隊員から「あの宇宙人の名は
何と言うんだ?」とハヤタ隊員が訊かれて、「そう、ウルトラマンと
でも
言っておきましょう」と言っている。マムシさんは「ウルトラマン〜?」と
いぶかしがる。
ウルトラマンの名付け親はハヤタ本人であり、
そしてモロボシダンの名付け親は
地球人の形に変身したウルトラセブン
本人だ。
この逆転の妙が面白い。
『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』において、視聴者に製作者側を含めて
人間疎外の自省を促す問題提起のテーマが多かったのは、金城監督の
影響もあった
と思われる。
モロボシダンのダンとはカゲロウの亜成虫のことだ。
幼虫でもないし成虫でもない。
そして、カゲロウは、成虫となってからは水も飲まず食物も取らず死んでいく。
そもそもカゲロウの成虫には摂餌器官が備わっていない。子孫を残して死んで
行くだけなのだ。
カゲロウは、汚れなき身のまま、清らかな渓流の水面(みなも)に落下して
死んでいく。透き通るような視覚的な身の美しさだけでなく、真実汚れないまま
餌を口にせずに死んでいく。
そのカゲロウの亜成虫である「ダン」という名の悲哀にこそ、戦争を経験した
製作者の思いが凝縮されている。ダンはやがてカゲロウという名の成虫の
メイフライとなり死んで行くのである。人々の「生」を残すために。

オキナワ。
私には、おいそれと「観光」などの遊び気分では沖縄には行けない。
今もオキナワには一度も行っていない。私には心のつかえがある。

『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』には、終戦後に本当の平和を願った
人々が製作に携わっていたという背景があのような名作を生む原動力に
なっていたように私には思える。
そして、手塚治虫先生にも、同じ精神的背景が色濃く存在していた。
『私が愛したセブン』も私にとって名作だ。
この国の人は、戦争により、ボロボロになって気づかされたのに、いつから
「勝者の論理」を押しつけることを好むようになったのだろう。

こちらの動画もぜひご覧頂きたい。
元ゼロ戦パイロットが語る戦争の真実 - Zero Fighter pilot's testimony


リアルに戦争・戦後を知らない世代が、今大量に「エセ国粋主義者」として
わいている。リアル感を喪失したというよりも、リアルな戦争を知らない世代が
好き勝手な瞑想で歴史観まで歪めようとしている。
隣りの家のためと称して土足で人の家に上がって殴ったり犯したり殺したりして
どんな言い訳を言えば「正義のため」と言えるというのか。
自分にだけ都合のよい言い訳を言いたがる傲岸な連中は、
戦争準備を賛美し、
周辺諸国との関係を自省なき傲慢な態度でふるまおうと
する。一体、誰こそが
国を滅ぼすのか。

他国排外主義の戦争賛美者の若者たちには、「大馬鹿野郎」と私は言いたい。
「英霊のおかげで今の日本がある」とする大馬鹿な視点も、物事の本質から目を
逸らすための言い訳でしかない。

戦争という国家レベルの本物の殺し合いがどんなことかわかっているのか。
人を殺したら讃えられ勲章がもらえる。
それを狂っていると思わないほうがおかしい。狂っていることがあたりまえだと
言うのなら、その世の中そのものがおかしい。
おかしいことをおかしいと言えなくなる世の中がおかしいと思わないのか。
心のセンサーを失うことの恐ろしさ。キカイダーに備え付けられた「良心回路」は
現実世界では製造されていない。狂った集団ヒステリーが「正義」のマントを
着て横行するとき、そこには悲劇しか生まれない。

女を犯し、子どもも殺し、そして勲章をもらう。
これが「正義」で「名誉」というのならば、私個人はそんな「正義」と「名誉」など
いらない。

こちらもご覧いただければ幸いだ。

http://www.youtube.com/watch?v=R4Z1avRGWiU

彼ら良心を持つ勇気ある人々を信じたい。
国を守るための軍隊が、いつの間にか侵略戦争をする。
彼らは従軍し、それに気づいた。

私は、私が反戦への願いと祈りという旗色を鮮明にすることで、
毎日私のブログ日記にいらしてくれている1000人超の訪問者が、
たとえ10人になったとしても、それはそれでもいいと思っている。
私はどんな戦争(侵略戦争も革命戦争も)にも反対なのである。


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南沙織 哀しい妖精

2013年05月27日 | 音楽



南沙織 哀しい妖精



何度も何度も削除された動画。
1976年12月20日の南沙織。
『哀しい妖精』は、このテイクが一番いいと私は思う。
南沙織さんの息遣いをリアルに聴くことができる。
この曲はジャニス・イアンが彼女のために作った。
この映像はとても南沙織さんらしい。
ローラ並に芳村真理さんという大御所に対してタメ口だが、それほど
不快感は感じない。

なお、この日、この番組にピンクレディーが初登場した。

哀しい妖精 英語版

これらの動画もいずれすぐに削除されてしまうだろう。
お早めに。


こちらは作詞作曲丸山圭子だが、シンシアが歌うと竹内まりやの曲に
思えてくる。
『木枯しの精』南沙織


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けさの広島県三原市 〜夜明け前〜

2013年05月27日 | 内的独白



けさの夜明け前の風景。
また新しい一年が始まります。

昨夜、濃州堂五十嵐から新しい居合道着上下が届いた。


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第44回広島県居合道大会 〜全日本居合道大会予選〜

2013年05月26日 | スポーツ・武道など

本日は広島県居合道大会でした。


(これは閉会式開始前)



尾道道場からの県大会出場選手の結果。
七段の部 優勝
四段の部 三位
二段の部 三位
段外の部 優勝、準優勝

皆様、おつかれさまでした。

私は五段の部で、三位になった女性に初戦で2-1で負け(^^)
試合後、いろいろご指摘を大会審判長の範士八段の先生はじめ、
道場長の先生、指導担当の先生からいただきました。
次なる課題として、心して精進するようにします。

試合を見ていなかった普段道場で指導をいただく高齢の先生の指摘。
「あんたの居合は人斬りの居合」
・・・・。
むう。それでいいと思ってはいたが、さにあらず。考えが浅かった。
このあたりから脳内セッティングを変更していかないとならない。


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