渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

研ぎ均し

2016年09月25日 | 刃物



砥石目を消し、研ぎムラを無くすべく研ぎ均す。


刀身断面はかまぼこ型に湾曲しているので、ソーメンが並んだように揃えて
線で研いでいくが、まっ平ら砥石でピシリと並べるのはなかなか難しい。


それでも、細かい線を並べて「面」を出して行く。道程は長い。


ひとつ高い1300番人造で均し下地研ぎ。
砥石1000番の砥石目はサンドペーパー1000番では消えない。
砥石の目は砥石で消す。


ソーメン流しを目指す。刀身を砥石に当てる角度は筋違だ。
貴重なプランクトンの化石である天然砥石で研ぐのはまだ先。



一方その頃・・・。
本職日本刀研ぎ師の町井勲氏は自身の差料の姿を整えていた。


日本刀の研ぎは、研ぎ師でないと研げない。
一般刃物で多少腕に覚えがあるからと素人が日本刀を砥石に
当てると、100%姿を崩すだけだ。
また、自称日本刀研ぎ師という者でも、確かな師匠に就いて、
きちんと技術を修めた者でないと、絶対に日本刀は研げない。
日本刀の研ぎは、「のようなもの」では赦されない技法の掟が
あるからだ。
これも、武術と同じで、威張ってる奴や自己自慢している者は
さして技術は持っていない。
そういうのぼせあがりは備後弁の方言で「タコのくそが頭にのぼる」
と言う。


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鉄と向かい合う

2016年09月23日 | 刃物



やはり、こういうことを復活させたい。
これは私の第一作目だ。平成7年(1995年)の作。
康宏刀残欠を分けてもらい、それを完全焼きなましを行なってから
部材として切断し、以降鍛造から火造り、焼き入れ、焼き戻し、研磨、
鞘作成まですべて私が手掛けた。
すでに康宏の刀となった時点で積み沸かしと折り返し鍛錬の工程は
当然経ているので、私は細かいチップ状にして積み沸かすことはして
いない。

表は一本突きである。


小柄小刀のことをよく知らない人がこれを見て、「なぜサンダーの
痕を残してるのですか」と言った。それ、違うから(^^;
また別な人は「これから仕上げるの?」とも言った。違います(笑)。
エッジを立てるように加工した目立て鑢で一突き一突きこうやって
仕上げるのが小柄小刀の本道なんです。


刃縁によく錵が付いているが、刃文は光に透かさないときちんと
見えない。

それでも、刃文は見える人には見えるし、見えない人には見えない。
研ぎは平成7年の研ぎ。



この裏側の研磨部分も、見た人で「なんで刃文がないの?刃文を
白く描けばいいのに」
と言った人がいた。
う~ん・・・。返答にとても困った。
地をやたら黒くして、刃を真っ白にペンキで塗ったような研ぎが
流行るはずだ、と思った。
刀というものが見えていない人が多すぎるからだ。
刀が見えないということは、つまり、鉄が見えない。鋼の変化、働き
が見えない。
鍛冶が鉄と向き合ってこの世に現出させたその世界を見ずして、
何を見ているのだろう。


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肥後守の研ぎ ~最終段階手前~

2016年09月23日 | 刃物





そろそろ最終段階手前である。

こちらのほうは、工程順序を変えているが、このあとにブレードの
背をベルトサンダーで落として再度全体のシェイプを整える。


どちらも、友人に贈る物だ。

金にまかせて高級なものを購入して箱出しで楽しむのではなく、
廉価な物でも手をかけて見違えらせて楽しむというこの美学。


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戦闘鎌 康宏作

2016年09月04日 | 刃物



短刀程の長さなのだが、研ぐのがとても大変だす(^^;
考えたらそうだ。
極小刃物のあの肥後守でさえ研ぎ上げて研磨するのにあれほど
時間がかかるのだから、打ち下ろしの日本刀などはどれほど手間
がかかることか。
モーターツールを一切使わないで仕上げる研ぎは、技術こそ別格
で大切
だが、基礎は一にも二にも根気と体力だ。

でもって、この康宏作というのは砥石に吸い付きすぎて、研ぎにく
いったらありゃしない(笑
康宏専属研ぎ師だった田村師が言う「まるでゴム板の上で研いで
いるような」という感覚はこれか、と。
よく練れているから刃はすぐにサッとつくのだが、いかんせん地部
が・・・。これも多分、細かい朝霧のような地沸とかびっしりとついて
いるのだろうなぁ・・・。
棟部には明らかに焼きが入っている。これは研いでいてすぐ判る。


ひぃ~。くたびれた。本日ここまで(こればっか。苦笑)。


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研ぎ押し

2016年09月02日 | 刃物



カマボコ状の砥石ではないのでなかなか難しいのだが、この
1000番の荒砥の砥石目は刀身を横にしてキリで矢印方向に
スライドして押した時
の砥石目だ。日本刀研磨師のように綺麗
に素麺を並べた
ようには揃っていない。
ただ、右上のほうの研ぎ溜まりは、刀身の厚みが均一ではない
ところを均しているため横一直線になっていないのであり、研ぎ
押しのズレではない。
尤も、日本刀の下地研ぎとは刀身と砥石目の向きが異なる
のだが。

左側の状態はかなり進んだ段階の砥石目。

この鎌がそうだったが、本来鍛冶押しとは、研ぎ師が押したら
サッと刃が付くくらいまでは鍛冶押しで研ぎ込むものだと私は
思う。
打ち下ろしは「打ち下ろし」であって、「打ちっぱなし」ではない。

日本刀研磨の「構え」と下地砥石。一般刃物の研ぎとはすべてが
異なる。


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二代目小林康宏製の鎌

2016年09月01日 | 刃物



風呂から上がって、押す。
ひらすら押す。

研ぎの段階の図。


汗だく。
研ぎ場に扇風機持って来ても汗だく。
はひ〜。

寝る前にまた風呂に入るど。
なんと非効率的な(≧∇≦)

まあ、風呂は朝も入るのだけどさ(=゚ω゚)ノ


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肥後守の肌 

2016年08月28日 | 刃物



肥後守に肌はないと思われるだろうか。
あるのである。
これは私の全鋼肥後守だ。

拡大。鋼の肌目に食い込むように熱変態による鋼の変化=景色が
出ている
。上側が刃先。刃先には糸刃を付けている。


肥後守でも、このように日本刀の地肌のような肌を起こすことは
可能である。
それは、研ぎ次第。
人造砥石では出ない。人造砥石は、言ってみれば、目の細かい
土ヤスリのようなものだからだ。
天然砥石ではなぜ鋼の地肌が起こせるかというと、それは天然砥石
の成分が鉄と反応して研ぎ汁に化学変化が生じて、それが鋼の研磨
面に影響を及ぼしているからだと考えられる。
天然砥石とは1億数千年前のプランクトン等の化石なのだが、それが
刀身に何らかの影響を与えているのだろう。日本刀が「天然砥石でなく
ば研ぐことかなわず」と云われるのは、こうした素顔の地肌が出せない
からだ。
天然砥石は、ただの「こすり石」ではないのである。
そのため、砥石の種類や質によって、地肌を黒く仕上げたり青く
晴れたように仕上げることが可能となるし、押し方、突き方、引き方
ひとつでこのように地肌=素顔を表に出すことも可能なのである。
無論、鋼の打ち刃物である限り、肥後守においても。

友人は私の肥後守を見て言った。
「なんすか?これは。これはまるで刀じゃないすか」

そうなのだ。
日本刀の研磨は一般刃物とは異なる技法を多く用いるが、刀を刃物と
みた場合、特段鋼の打ち刃物と変わる訳ではない。
特別なのは研ぎであり、折り返し鍛錬による「鍛え肌」が日本刀には
出ることだ。鍛え肌ではない「熱変態肌」は日本刀であろうと打ち刃物
であろうと、加熱して鍛造し焼き入れしている限りは出る。
ただ、一般刃物研ぎでは、そうした変態肌が伏せって出てこないような
荒研ぎで切れ味のみを求めているから肌が見えないだけなのである。
打った鋼である限り、研磨次第で熱処理により生じた地肌を起こすこと
は可能なのである。
なぜ、世間であまり見ないかというと、実用刃物にいちいちそんな刀剣
研ぎのようなことをするのは手間がかかるし、実用的見地からは意味が
ないのでやらないだけ。
一番の理由は、「そこまで手間暇かける刃物ではない」というスタンスに
いる人がほぼ99%だからだろう。
実際には私のようにして肥後守を研磨している人は見たことがない。
ツンツルテンのバフ研ぎとかは結構いるのだが。

鋼は研ぎ次第で素顔を見せたり隠したままだったりする。
私は素顔が見たい。
I want you just the way you are.
なのである。

 


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肥後守研ぎの面白さ

2016年08月25日 | 刃物

全鋼製の肥後守を研いでいると、途中のある段階で面白い現象に
毎回必ず出会う。









なんともピンが甘くて申し訳ないが、この個体の焼刃は
直刃ではなく、ずぶ焼きで出るような複雑な大乱れの
ようだ。

これも、研ぎ進めると見えなくなっちゃうのだけどね(苦笑


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刀工初代康宏の切り出し小刀 ~手慰み物~

2016年08月24日 | 刃物


友人は珍しい切り出しを持っている。
刀工初代小林康宏が作った切り出し小刀である。
刀工作なのでいわゆる「手慰み物」という趣味で
作った鍛造刃物だ。
これはなかなかかっこいい。

私は珍しい鍛造物を持っている。
折り返し鍛錬して手鎚で圧延した素材である。
非刀工作のいわゆる「手慰み物」という本気で
作った鍛造物だ。
これはなかなかかっこいくない。




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肥後守の研ぎ ~下地研ぎと最終段階手前の二つ~

2016年08月16日 | 刃物



肥後守の研ぎでは、箱出しのグラインダの砥石目を消すのが
一番大変かも知れない。
これは鎬地を人造で押している途中の画像である。

この個体は思うところあって、鎬地を荒仕上げでグラインダ目
を除去してから背部のカットで笹葉にしようと思っている。

こちらの個体は最終仕上げの少し手前。



鎬の甘い部分はすべてきちんと立てる。鎬を立てた後、研磨工程に入る。

少し合さを当ててみた。消えない。焼き刃が消えない。
全鋼であるのに、これはやはり面白い。



ただのベタ研ぎでも、砥石によって素顔を引き出すことができる。
これは人造でこすり研ぎしているだけではなかなか出てこない。
天然砥石と押しと引き方如何で成せることだ。
あと、途中のタツに突く段階
のやり方がかなり決め手になる。
内曇りも引きすぎてもよくないし、大切なことは、その個体の刃物
と対話しながら研磨することだ。
鳴滝の極小コッパでタツに研磨する際も、それなりの対応が必要
となってくる。


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天然砥石

2016年08月15日 | 刃物

天然砥石が好きだわぁ。
特に「青砥」が好きだね。
なんというか、硯で墨を磨っているような感じなんだよね。

青砥の段階に入る。




なんかやっぱり見えるなぁ。完全に焼き刃がある。丸で囲った部分は
天然砥石で下の人造の砥石目を消した部分。肌合いと共に薄っすら
と焼き刃が観察できる。こういうのが出てくるから肥後守は青紙割込
よりも全鋼物が面白い。これはまだ半分から先は砥石を利かせてい
ない段階。



こちら青砥はまだ。


少しだけ当てて中断。花火大会が始まったから(笑)。


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肥後守の研ぎ

2016年08月12日 | 刃物



御肥後守研處 早月堂でございます(笑)。

友人に進呈する肥後守2本を研いでいるのですが、なんだか
やっぱり出てきます。

見えるでしょうか。


全鋼の肥後守なのに、何がどうなっているかが見えるでしょうか。


別角度から。


こちらの角度のほうが分かりやすいかな。






荒研ぎの段階で出てきます。
これが何かというと、こちらのこれと同じです。

無垢造戦闘鎌(折り返し鍛錬作)。

研ぎが進むと見えなくなっちゃうんですけどね(^^;

さて、折り返し鍛錬の有無はともかく、なぜ全鋼肥後守でこうした
いわゆる焼き刃のようなものが見えるのか。
それは、明らかな鋼の変態(変化の急変バージョン)がそこに
存在しているからです。
これまでこのモデルは何本も研いだが、ある一定の段階で必ず
出てくる。
この肥後守はOEM製品だが、たぶん焼き入れは、焼き刃土を
塗った後、切先から真下に突っ込むのではなく、刃側から冷却
しているのではなかろうか、と私は推測しています。
焼き刃土に厚みの違いを持たせると冷却速度の違いから地刃に
変化が生まれ、また冷却液への投入による冷却の向きや速度や
投入位置や角度によって焼き刃には変化が出ます。
刃物は焼き刃土を使わないずぶ焼きでも鋼に焼刃形成が生まれ
るマルテンサイト変態を発生しますが、このような直刃を焼くには、
毛細管現象による冷却効率の向上を利用して、まずズブではなく
焼き刃土を塗っていると考えられます。

他の個体。


さらに他の個体。


その他の個体も同じ状態が出てくる。
丸焼きではなく完全に焼き刃がありますね、これは。
非常に廉価な値段で入手できるこのタイプの肥後守ですが、日本刀の
硬軟構造と同じで、かなり刃物として実用的に適切な状態を刀身内部
に存在させているということが看取できます。「物の良し悪しは金額では
ない」ということの一つの証明にもなるかと思います。
良い物は良い。良くない物は良くない。それの本質は、本質をきちんと
見るならば、金額の多寡には関係が無いということに理解が及ぶと思い
ます。

私作の小型サスガ風平造り庵棟小刀。折り返し鍛錬⇒焼き刃
土置き後の焼き入れ作。荒砥の段階で薄っすらと焼き刃と刃文
が確認できる。


これは日本刀(末古刀)の焼き刃。心鉄モナカ構造だが、外皮は
硬い鋼で覆われているので、外周部分は無垢と同じ状態となる。
心鉄構造が登場した意味は、原初的には貴重な鋼の節約、部材
作り置きの量産性確保のためだったことだろう。心鉄の有無は
日本刀の堅牢性には関係がない。


あくまで、状況から判断してのことですが、このモデルの肥後守は
刀身内部に刃と地の部分の硬軟状態が存在しているようです。

これは平地を研ぎ上げた状態。刃文も焼刃もほぼ見えなくなります。
鎬地は未仕上げ。鎬地はこの後、柾目に縦に突きます。


なんとな~く焼き刃は判るが、なんというか相州物のように
非常に判りにくい状態となる。日本刀の場合、古相州物や
則重などの系統の作はここから刃取りで描いて行く。
この個体の焼刃は低い直刃調だ。



私の肥後守の研ぎは、このように鋼の熱変態の表情が見える
ような研ぎであるので、日本刀のような仕上げをせずとも、これ
で十分と判断している。

これは下地研ぎが完了した状態。ここから研ぎから研磨段階に
入る。


見ようと思ったら見える人には焼き刃が見える。




これは合わせ鋼の個体。刃文のように見える部分は鋼と地鉄の
鍛接部分であり、刃文ではない。これは専門用語でカイサキと
いう。


ただ、この部分は日本刀研磨の手法を少し採り入れると面白い
状態になる。刃艶と地艶を利かせて、カイサキ部分を匂い口
締まった日本刀の焼き刃頭=刃文=匂い口のように仕上げる
こともできるのである。


最終仕上げ後は、自重で新聞紙一枚が切れて行く。これが私の研ぎ。


ちなみに、鉄の表情を出す研ぎで私が研ぐと、打ち刃物は
このような表情を見せます。
(目釘削り専用刃物ヒラマチ/三代目左久作製)



これは、天然砥石でないと、このような表情を引き出すことはできません。
人造砥石だと、残念ながらただのツルピカ君になってしまいます。
天然砥石だとなぜ鉄が持っている素顔としてのこうした表情を引き出せ
るのか。
それは、プランクトン化石が持つ海底から億年単位で隆起して形成され
た天然砥石の化学変化パワーなのではと私は思っています。
その砥石は地球上では日本の京都にしか存在しません。
なので、海外の刃物はこのように鉄の素顔を引き出す研磨技術はまった
く発達しませんでした。

さて、私がなぜ刃物研ぎをするのかというと、日本刀は日本刀のみとして
製法なり研ぎなりが独立したのはかなりの後代のことで、日本刀の技術
体系は一般刃物と同じ「鍛冶仕事」になりますが、私はその結節点を知り
たいからです。
刀剣製造も鉄器製造も鍛人(かぬち)がすべて行なう仕事でした。
しかし、日本刀の刀鍛冶が卸鉄方法を知らず、一般刃物鍛冶に戦後技法
を教わり再現したというのは、本来は憂慮すべき逆転現象でもあり、また、
日本刀鍛冶職が一般鍛冶職を現在のように睥睨し続けるゆえにか、主体
側の意識の上でも技術の分離と乖離が発生し、刀鍛冶がまったく冶金の
イロハを忘れてしまうことになる(なっている)という現実を嫌と言う程見て
いるので、その刀鍛冶と一般鍛冶の結節点たる鍛冶仕事そのものの筋道
を日本刀研究者として私自身が見極めたいからです。
それは研磨にも同じことがいえ、日本刀研磨は研ぎの技法として最高峰の
技法といえますが、鉄味を出す、日本刀の本来の持ち味を引き出すという
研ぎを忘れて、現代は地はただ黒く、刃はべったりと白く描いてまるで花魁
の厚化粧のような研ぎが流行しています。
本来は日本刀と一般刃物の間には極めて共通する研ぎがあったはずで、
それが完全に乖離してしまっている現代を見つめ直したいという問題意識
が私には働いています。
そのためには鉄の素顔をまず自分自身が見えるようにならなければなりま
せん。
そのために私は玉鋼、自家製鉄、卸鉄、現代鋼、利器材、ありとあらゆる鋼
を研いでみることにしているのです。
あらゆる研究において一番忌むべきは排他性と独善であり、日本刀において
もそれこそを私は内在的に存在させることを自分自身で排除するようにして
います。
私が研ぐ刃物はそれを使用する人たちに切れ味抜群との評価を頂いており
ますが、私の一般刃物の切れ味は、下地研ぎの造形をきっかりと仕上げる
中で、後付けでついてきたものです。
刃物は刃先だけを整えるだけでは本来の身そのものが持つ切れ味を発揮
できません。刀身という身の立体的な構造が使用に対しどのような影響を
及ぼすかということの考察抜きにしては切れ味がよく長切れする刃物に仕
上げることはできません。
タッチアップとしての刃先の刃付けを世間では「刃物研ぎ」というようですが、
私は少し別なアプローチで刃物の研ぎに向かい合っています。
すべては、「日本刀を理解することに肉迫する」ためです。
木だけを見ていては森は見えません。
そうした問題意識の下に、私は日本刀のみならず、あらゆる刃物に接して
います。

肥後守御研處早月(さつき)堂を宜しくお願い致します。
といっても、商売でやってるわけではなく、任意で友人の刃物しか研ぎま
せんが(苦笑)。


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砥石の面磨り ~研ぎ~

2016年07月24日 | 刃物



研いでいる途中でも砥石は適宜面磨りをして面一(つらいち)の
完全フラットを出す。
刀剣研磨と曲面刃物以外では砥石の表面は真っ平らになって
いないと研ぎはできない。
刃物を研ぐことで減るよりも面直しで減る量の方が多いのでは
なかろうかと思われるのが砥石である。

以前、「包丁が減るからもったいないので包丁は研がない」と言って
いる人がいた。
驚いた。
刃物の意味がない。モノサシで食材は切れない。
それに、包丁が減ることよりも砥石が減ることには思いが至らない。
車もタイヤが減るから乗らないのだろうか。
空気を吸うのは体力が勿体ないから、いっそ呼吸をしなければ
いいのに、とその時に思った。

包丁や一般刃物の研ぎは何ら難しいことはない。
角度を決めて、それを保つように正確に前後にストロークするだけだ。
研ぎに必要なことは高度な学識や他人情報ではない。
一に根気、二に根気、三四が根気で五に根気である。
それ以外は何もない。
あとは物事を「識別」する能力だ。
ダイレクトに伝わってくる砥石の状態、研ぎの状態、つまり「何がどう
なってどうすればどうなるか」ということが問われてくるが、これは常に
客観的に多角的な自己分析ができる人ならば自然と身について来る。

それと、ネット動画などでは、出鱈目な研ぎ動画が多く出回っている
ので、それに騙されないことだ。
シャカシャカと素早く前後させている動画が目立つが、楽器職人など
の刃物を使う本職の研ぎを見てみれば、速度よりも正確性を第一に
おいて一定のリズムでストロークさせていることが即座に判別できる。
私の場合は押す場合も引く場合も(砥石の番手や種類によって押す
場合と引く場合がある)、8ストロークを1単位として、それの2乃至4
セットというような組み合わせで正確に前後ストロークし、都度研ぎ面を
水(もしくは重曹溶液)で洗い流して研ぎ面を確認しながら研いでいる。
ネット動画に見られるような乱雑な前後運動などはしない。

そして、指先に神経を集中させ、砥石の針気や鎬の蹴りがないように
注意する。指先と耳がセンサーとなってどんな些細な「変化」も逃さない
ようにしている。
これはナイフにおいても包丁においてもそうだ。
ネット動画のように乱雑にただ素早く前後運動させるような研ぎ方では
繊細な変化を掴み取ることはできない。
そのような研ぎをくれると、刃物は正直で、必ず研ぎ面を光に透かすと
凸凹になっており、また刃道も整わないし、第一鎬付の刃物(和包丁や
肥後守等)などはまず絶対に研げない。

私の研ぐ速度は、ショートストロークの短距離前後運動の速い速度でも
これくらいの速度である。
大瀧 詠一 (Eiichi Ohtaki) - 君は天然色 (Kimiwa Tennenshoku) (1981)


ネット動画などではこれくらいの速度でせわしく刀身を前後させるものが

多いが、これでは正確な角度の保持や微細な砥石からのタッチ=砥石の
声を掴み取るのは困難なの
ではなかろうか。
米津玄師 MV「MAD HEAD LOVE」



私の研いだ刃物がなぜ尋常ならざる切れ味を示すか。
それは正多面研ぎという技法を投入しているからだ。
山田浅右衛門流の寝刃合わせの理論を別アングルから応用し、
切った際の摩擦係数を可変的に変化させるような特殊研ぎにして
ある。単なる小刃付けや糸刃付けや、あるいは蛤刃やフラット刃
などにはしていない。
江戸期の試刀の失伝した技術を研究する中で現代に活かせること
を見出して、クサビ理論を摩擦係数との関係で刃物に具現化させる
ことで「比類なき切れ味」を実現させている。

刃物を「良く切れる」ように研ぐのはとても簡単なことだ。
根気さえあれば小学生でも「良く切れる」刃物に研ぐことができる。
面倒くさがらずに、砥石の面出しをきっちりと都度行なって、あとは
研ぎ汁をしっかり出して、砥石の上で正確
なストロークを行なって、
刃返りをちゃんと出してから除去して適切な手法で刃をつければよい。
これだけで「良く切れる」刃物は研ぎあがる。

だが、私はその先を目指している。
私は「切れ味」ではなく、「切り味」の実現を獲得目標にしている。

砥石の面出しは研ぎの途中でも都度定規等で確かめ、必ず砥石
の上面は
平面を出す。平面ではない凹形にすり減った砥石で刃物
の研ぎは
できない。


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立ち研ぎ台

2016年07月21日 | 刃物

動画サイトなどでナイフ等の研ぎの動画を見ていると、
目を覆いたくなることが多い。
砥石がグラグラしたまま適当に前後に速く刃物を動かして
刃角も何もグッラグラに動いたまま講釈を垂れている人の
動画が多いからだ。
大抵は動画の構成がJP Sika Hunter先生の物真似動画なの
だが、研ぎに関しては初心者以下のやり方なのに講釈師と
なって分かったようなことを言っている人が多い。

刃物を砥石で研ぐ場合、砥石は動いてはならない。でないと
刃角を決められないし、適正な刃も表面研磨もできる道理が
ない。任意の刃角を決められる摂理が物理的に存在しない。
砥石は自重が重たい大きな砥石ならば濡れタオルの上でも安定
するが、それ以外の場合は砥石が安定する設置方法の実行が
絶対に必要で
ある。これは絶対だ。
ステンレストレーの中に砥石を入れて、そのステンレストレー
を台所ステンレスの上に置いてグラグラずりずりさせながら
ナイフを
研いだりしている人の多いこと・・・。
根本的に物事の原理も道理も理解していない。

日本刀研磨の場合は、踏まえ木という弓型の木で上から砥石を
しっかりと押さえつけて固定させている。
また、ナイフの研ぎの場合も砥石の固定は必須事項だ。

刀工小林康宏の立ち研ぎ台を略図で紹介する。
焼き入れ・焼き戻し直後の焼き刃の確認や小物の研ぎなどは
これを使用する。
この方式は東京都墨田区の小林康宏第二工房の鍛人(かぬち)
においても特別シンクのところに設置されていたが、山梨の
本鍛錬所にも同様の設備が設置されている。シンクは大きな
石製だが。上方に水道の蛇口があり、左横には水桶が置かれ、
周囲は無数の砥石が置かれた砥石棚がある。



流しの上下に厚い板をわたし、そこに砥石を載せて固定させる
ストッパーの木片が取り付けられている。
下側は直接砥石の手前側の側面部がストッパーに密着し、
向こう上側は三角形のクサビを両サイドから木槌で打ち込んで
隙間をまったく無くす。これにより砥石はガチガチに研ぎ台の
上に固定される。
クサビは何種類か用意してあり、木槌と共に手元に置かれている。

ただしこの図は略図であり、実際には研ぎ台は向こう側が高く、
こちら手前が低くなっており、研ぎ台の板は傾斜させてある。
向こうが高く手前が低いのは日本刀研磨方式だ。
包丁研ぎ屋などはこの逆で、向こう側を低くすることが多い
ようだが、私などはそれは非常に研ぎづらい。

ここまで専用場所を取る本格的な研ぎ台はなかなか一般人には
設置できないが、大切なことは、「砥石は動かないように固定
させること」である。これ、研ぎの常識、大前提なり。

2年ほど前、高校の時に住んでいた東京の家に出張で泊まり、
朝家を出ようとしたらお向かいさんが刃物を研いでいた。
専用簡易研ぎ台を設えて、砥石はまったく動かないように固定
させていた。
「趣味ですよ」とはおっしゃっていたが、研がれた刃物(切り
出し小刀)を見たら素人仕事ではない研ぎだった。
小さなシャコマンで作業の邪魔にならないように砥石にあて板を
かませて研ぎ台に完全密着させてがっちり固定していた。できる。




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塩害 ~海辺で炭素鋼の刃物使用は要注意~

2016年07月20日 | 刃物



一昨日、海辺で肥後守を使った。
使ってすぐにその場で真水で洗ったのだが、家に帰って
しばらく放置していたら真っ赤な沈金錆が粉をまぶした
ように発生していた。
これは・・・よろしくないですよ、と。

合わせ砥石で研磨した。




これは研磨後に油を引いた画像だが、この先も出錆が予想される。
毎日入念にチェックして、研ぎ減らさないように仕上げ砥石で
研磨する必要がある。
(この画像を見てもまだ錆が完全に除去できていない)



恐るべし、海の潮風!
海辺に住む人の車とかって、すぐにボロボロになると聞くものなぁ。
しかしなぁ・・・。
鎌倉時代の鎌倉武士とかって、刀剣のメンテとか大変だっただろう
なぁ。

鎌倉幕府があった神奈川県鎌倉市。

私が入学した小学校から自転車で走るとすぐに鎌倉市に入った。
鎌倉は相模国だが、この画像
でいうと緑の地帯の上の地域はもう
武蔵国である。右上の湾は武州金沢六浦藩があった横浜港あたりだ。
横浜は武蔵国である。私はこれまで武蔵、相模、備後その他の国に
住した。馴染み深く愛しているのは武州横浜だが、相模国は幼い頃
に育ったので言い知れない郷愁がある。湘南への思い入れは強い。
ただ、江の島の弁天橋を堺に東が鎌倉市、西と北方が藤沢市なの
だが、鎌倉市は湘南ナンバーではないので、鎌倉市民は憤慨して
いるようだ。どうやら内陸部の相模原あたりの議員が無理やり我田
引水で内陸部を湘南ナンバーに加えて、江の島や鎌倉を「湘南では
ない」と勝手に新たに定義づけたようである。
「湘南」自体が行政地名ではないので、明確な線引きがなかったとは
いえ、なんとも違和感は残る。由比ヶ浜はともかく、江の島の海が
湘南ではないとはどうにも解せない。

鎌倉の海、由比ヶ浜。






鎌倉武士が起居した鎌倉。
武具などへの塩害はひどかったことだろう。
まあ、それを言ったら、三原城なんてのは海の上にあったからね。
三原の武士は刀剣の手入れがさぞかし大変だったことだろうと思う(笑)。

(三原城古写真)






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