渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ボーダー

2003年05月31日 | 内的独白

僕は、数を数えるのが苦手である。
世の中には二種類の人がいるらしく、何事にも数値化による順列をつける
ことを得意としてそれを好む人と、そうではない人がいるらしい。
僕は、数値化による順列については、アレルギー的拒否反応を示す。
嘔吐感さえ覚える。典型的な後者だ。
「競争」というものが嫌いであるのに、例外的にオートバイの「競走」だけ
は目の色を変えていたのが不思議だ。
どちらが先にゴールにたどりつくか、というのは数値化による順列付けとは
僕の中で別な概念なのかもしれない。
小中学校と駆けっこだけは早かった。
赤いレンガ色の選手用専用トラックで走るときも、学校の運動会でも、陸上
部の本職たちを尻目にそこそこ早かった。中1の終わりのとき50m5.8secく
らいだった。
だが、闘争心はあるのだが、競争心というものが希薄なので、勝負強くは
ない。
駆けっこで一等賞になってもビリになっても、実はちっとも嬉しくも悔しく
もなかったのだ。

先日、サバイバルゲームの帰りに親しいゲーム仲間と食事しているとき、
彼が言った。
「現代人と太古の人と、どちらが幸せなんだろう」と。
大昔は獲物を獲ってきても、最小単位の家族一族で分け合ったから、
「1-2-3-たくさん」で数を数えることは事足りた、それが「生産」が発
生してから、0の概念と数値化による種別の必要が生じていった、と。
なるほど、そう思う。
そして、ムラが形成され、となりムラとの境界線が引かれ出す。
やがては、境界線はボーダーとなっていく。
さらには、ムラの垣根の中でも、また持つ者と持たざる者が作られていっ
た。
ボーダーは内に向けても外に向けても作られていく。
「勝者」と「敗者」を必要とする社会。
誰もが「勝ち組」になりたがろうとする。
「勝者」は「敗者」を生み出すことによってしか勝者としては存在し得な
い。
生きている人全員が同一線上で生きられたら、勝者も敗者もないのに。

雨のあがった街に歩く猫を見ていて思う。
彼らは人間が勝手にこさえた垣根を自由に超えて生きている。
僕たちは人の世のあらゆるボーダーを死滅させることができるのだろうか。

「勝者」を唯一の正義とする強大な大国が、国境というボーダーを「自由に」
越えているのがなんとも皮肉である。


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永遠

2003年05月30日 | 内的独白

人の命が絶えるときがきて 人は何を思う
人の命が生まれるときには 人はただ笑うだけ

吉田拓郎の『イメージの詩』の一節だ。
7分を超える長いこの曲には、一節ごとに重い世界がのしかかる。

僕は思う。
何故、神は生き物に「生と死」を与えたのか、と。
聖書に書かれてる答えだけでなく、何故だ、と。
そして、神よ、なぜあなたは、生あるものは皆すべて他の生を奪ってしか生きな
がらえないように造ったのか、と。
光合成だけで生きていけたら、どんなにかよかったのに、と思う。

「死」は生きているものの背中にいつも影のように貼りついている。
「死」は日常的だ。
これを書いている5分後に僕はポックリと死ぬのかもしれない。
ひょっとしたら、長生きして、120歳まで生きるのかも知れない。
もしかしたら、病魔と闘いながら、数年後に死んでいくのかも知れない。
人殺しの戦禍に遭い、死んでいくのかも知れない。
人殺しを止めさせるために身体を張っている最中に、何者かに殴り殺されてしま
うかも知れない。撃ち殺されてしまうのかも知れない。
あるいは、階段から転げ落ちたりして死んじまうのかも知れない。
「死」は僕らの傍らにいつも転がっている。
どのみち、生きているものは、遅かれ早かれ、いずれみんな死んでしまうのだ。
100%、僕らには死が待っているのだ。

僕は「死」そのものに対する恐怖感はない。「死」は日常的だからだ。
あるのは、「生」を人の手によって奪われてしまうこと、奪ってしまうことへの
恐怖だ。
本人の生きたい希望とは別な、外的拘束力で生きることを「停止」させられるこ
と、させることへの恐怖だ。

人と人はたとえどんなに愛し合っていても、いずれ別れていく。死別という形で。
二世の契りを交わした仲でも、現世では別れていく。
例え、一緒に死んでも、ひとつにはなれない。
否、死をもって、心がひとつになることはない。
心がひとつになれるとしたら、今の「生」のこの時の中で溶け合ってひとつに
なるしかない。
今の時の中でこそ、「永遠」を掴み取れる。
生きよう。共に生きよう。
そして、死を見つめた時、僕は言いたい。
君に出逢えてよかった、と。

見つけた
何を?
永遠を
海と溶け合う太陽を
      (ランボオ)


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短い詩

2003年05月29日 | 内的独白

詩にはことばの向うに世界があると思う。
「ことば」だけを捉えていたら、いつまでたっても詩の心象風景は見えてこない。
以前「ことばはうつろな羽衣だ」と書いた。
言い代えれば、詩におけることばは、「ことば」の向うにある世界へ導く階段み
たいなものである、とも思う。
隠喩や隠しことば、隠れた意味を「ことば」のパズルから探し当てる。
詩の持つ「向うの世界」を感じ取ることとは別に、これが存外面白い。
詩を読む。
詩において羽衣であるところの「ことば」を探し迷いながら拾い集めて、探しも
のを見つけたとき、羽衣の絹ずれの音を聞くが如き甘美で魅惑的な悦楽感が
僕の中に生じる。
だから、思いを込めたことばの遊びは好きである。
そして、詩として体をなす以前に、短いことばにも「向うの世界」が潜むことがある。
短いことばひとつが、詩であることもある。

犬と暮らしていた。
子どもが死んで、犬を飼った。
犬は「いつまでも騎士たらん」との願いを冠された犬種名だった。
当時の住まいの近所には大きな公園があり、夜の決まった時間になると近所中の
犬と飼い主が集まって、人は談笑し、犬たちは互いにじゃれまわった。
妻も、夜鳴きする赤ちゃんの犬をまるでわが子のように育て、その犬が公園で仲
間たちとじゃれあう姿を見るのを毎日の楽しみとしていた。
犬は、普段は僕にとても甘えつくのに、公園で犬同士が喧嘩を始めると走って間
に割って入り仲裁をする、そんな性格の犬に育っていた。
ある日、二人目の子どもができた。
妻のお産手助けの間、極めて懇意にしていた犬の散歩仲間の好意で犬を一週間
だけ預かってもらうことにした。
しかし、預け先での不慮の事故により、その犬は冷たくなって我が家に帰ってき
た。
死後硬直で石のような体。鼻の骨が殴られて砕かれていて、破裂した内臓だけが
ブヨブヨしていた。
犬は呼び名をlukeといった。登録名でなく呼び名だ。ルカの福音書のルークだが、
僕は「騎士たれ」と、映画から名前をとった。

月日が流れた。僕はネットに親しむようになっていた。
ハンドルとアドレスが必要だった。
僕はいつまでもルークを忘れたくはなかった。
アドレスはそのままルークの名を使った。

だが、渓流詩人の「渓流」が、実はlukeの裏返しのkeluであることに気づく人は
ほとんどいない。


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風の中の雲

2003年05月28日 | 内的独白

晴天である。
(やっと日記らしくなってきた。笑)
五月ももう終わりだというのに、夏の初めのような、まあるい雲が浮かんでいる。
でも、上空では風が強いのか、かなりの速度で、雲は流れて行く。
まるで、風の中で戯れるように、雲は、重なったり、離れたりしながら向うの方
まで飛んで行く。

僕が曲ができるとき、歌詞とメロディが同時に浮かぶ、と以前書いた。
でも、これは歌詞の一番に限ってであって、当然二番の歌詞は情景をイメージし
ながら「詩を書く」ようにしていく。
だから、詩の言い回しとゴロや調子、ことば自体のリズム感に不協和音が生じる
ことがある。
それは、韻を踏んでみても、どうしても「ことば」自体がもつ旋律によって、詩
の流れが止ってしまうことがあるからだ。
いじくり回せば、いじくり回すほど、ことばの迷路に迷い込んだ心の旅人のよう
になってしまう。
詩はそれを書く瞬間の情念が自然とことばとして浮かんでくるので、その時、そ
の瞬間の思いによって、浮かぶことばが違うのだ。
だから、未完の詩を完成させようなどと大それたことを意図的に考える時には、
大抵迷路にはまり込んでしまう自分がいる。
そして、「こんなイメージをうまく表すには・・・」なんてことを考えてしまったりする。
詩は左脳では作れないのに。
だから、一番の歌詞はとても素直で、手直しすることがほとんど無い。
メロディーと同時にイメージ化されたものが、自然体のままで生まれてきたもの
だからだ。
今日も、迷路をちょっとだけ、さ迷った。
こんな時は、ハーブティーでも飲みながら、空を見てみよう。
この星の自然の息づかいに耳を傾けてみよう。
そして、それを見つめる気持ちになれれば、自然に詩を書くことができる。
そうしたら、きっと、眠っている僕のことを横で見つめていた風の囁きが、
頬を寄せて僕を起こしてくれるだろう。

風の中ではしゃぐような、五月の雲が、空にある。
着飾ったり、繕ったりせずに、あの雲のように、僕もありのままでいよう。
雲の隙間を縫うように、だんだん小さくなっていく飛行機を滑走路の横で
いつまでも目で追いながら、僕はそんなことを思っていた。


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渓流

2003年05月27日 | 内的独白

大気が不安定だ。
きょうはかろうじて曇りときどき晴れである。
雨が降るならどん!と降ってくれれば、渓流の水も増すのに。
最近は水量も随分減っているようだし。
かといって、降りすぎてもいろいろ問題が起きるのだけど。

渓流を歩くたびに、山は時間ごとに表情を変えることがわかる。
今、歩いている場所が晴天でも、川の流れに少しでもにごりが見つけられたら、
上流域ではかなりの降水があることがすぐわかる。
渓相というものは、なにもどのようなタイプの渓流であるのかを指すだけでは
なくて、時間ごとに刻々と顔色を変える川の流れを指すのでは、とも思ってし
まう。
同じ状態に固定的でないところに、渓流を見る楽しさがある。

樹木の息づく葉に生を感じる。
水かさの多さ少なさに空気の密度を知る。
流れの水の温度にその季節の本当の姿を知る。
山に咲く名も知らぬ花に目が止まる。
渓(たに)にせり出す木々の繁る葉の隙間から、空が見える。
思い切り空気を吸い込むと、ただひとつとして、時の中で同じ空気はないことを
知る。
まるで、すきっ腹の旅人に、渓は、気分の日替わりメニューを食べさせてくれる
みたいだ。

最近の僕は、昔と違って、がんがん数を釣りまくるタイプの釣り人ではない。
たった一尾だけ、僕の思いを乗せたフライに彼女が応えてくれて、その姿を僕
に見せてくれるだけで、僕は充分満足なのだ。
僕が、渓に降りて鱒と出会う時いつも思うこと。
清冽な流れと木漏れ日の陽の光の中で、山に棲む住人たちと出会う度に、僕
は自分が森にとって異邦人であることを感じてしまう。
せめて、仲間に入れてもらおうと竿を出す。
しかし、その行為自体が、既に森にとっては異邦人の所業であるのだ。
溶け合おうとすればするほど、森は僕を遠ざける。
僕は、孤独と自由を獲得するために川に立っていることを知らされる。
だから、たまには釣りを忘れて、竿を置いて、彼女が棲む水の流れと、谷川の
景色をそっと見つめるだけでいたいという静かな衝動にかられる。
そして、季節を肌で感じて、少しだけ感傷的になったりする。
僕は詩人のように、すべてを見守る人になれる。
木漏れ日の中で、渓の流れに身を寄せると、
誰もが、渓流詩人になるのかも知れない。


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「無くしもの」

2003年05月26日 | 内的独白

元来、僕は脳天気で、古い友人たちから「最終兵器」などと呼ばれていた。
かなりの緊張局面でも、僕を前面に出せば論敵の戦意喪失が図れるということが
まことしやかに仲間内で囁かれていたらしい。
僕は全然そんなつもりはなく、大真面目だったのだが、後年友人たちからそれを
聞かされて、さすがに僕もいささか閉口したことがある。
それまでは「ま、なんとかなるさ」が信条で、深く悲しんだりすることはあっても、
ウツ的に深く落ち込んだりすることがなかった。

ところが、である。最近、大切なものをよく無くす。
もともと忘れ物は多いタチで、幼稚園のときはお弁当箱を毎日のように幼稚園に
置き忘れて来たし、横浜の小学校に通っていたときなどは学校に行くのにランド
セルが行方不明になったりした。
これが下校時なら、バスなど使わず、仲間と肥後の守を持って通学路の雑木林に
入り込んで「基地」作りに熱中していたので、そこに忘れることも考えられたが、
ランドセルがなかったのは登校時だ。
学校に着いてから、ランドセルがないことに気づき、通学バスの中に忘れたのか
どこに忘れたのか途方にくれた。
結局、ランドセルは家に置きっぱなしであったりする。
うちの母親などときたら、小学校の課題の「うちの子」とか何とかいう親が書く
作文で、それらをネタに発表して、父兄を交えたクラス中を爆笑の渦に包み、悦
に入っていた。
親からして、子をネタに笑いを取りに行くのだから救いようがない。
父は極めて厳格を地で行く人で、僕からすれば、無理偏に拳骨と書いて父と読ま
せるようなものだった。
6歳になったその日から、毎日正座させられて「論語」の素読をやらされた。
支離滅裂、最悪の家庭環境である。

さて、忘れ物が多いのは僕の証と思って、僕はへいちゃらを決め込んでいたが、
「無くしもの」については、さすがにこたえることを最近やっと知った。
随分と遠回りしたものである。
探しても出てこない「無くしもの」は、居たたまれない絶望感をもたらすことを
僕は知った。

僕がどんな戦争をも否定するその精神的根拠は、
「自分の意思以外の力で、自分の大切な人を、ある日突然奪われてしまう」
からだ。戦争反対の政治的な理由など後付けでよい。
僕は愛する人が、ある日突然、いなくなってしまうことに、言い知れない恐怖を
感じる。
それへの怯えを、僕は、正直に感じる。


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ほんとの空

2003年05月25日 | 文学・歴史・文化

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

自分の中に作った壁に押しつぶされて、自分の中に作った自己疎外の閉塞の中で
智恵子の精神は「世間」から離れていった。高村光太郎のこの『あどけない話』
の一節に、僕は空や望郷の念を論じるつもりは無い。またそれを論じるものでも
ない、と思う。
僕にとっての空は、薄よどんで今にも落ちてきそうな明日を感じさせない東京の
空が、空だからだ。
智恵子は空を見て空を見ていない。空の向こうを見ている。
智恵子の見たい「ほんとの空」は空のことではない。
なぜ、多くの人は、智恵子の見たい空のことを空と直裁に感じ取ることしかでき
ないのか。
なぜ、空の向こうを見ることをしようとしないのか。

15年ほど前、新宿の地下鉄の駅構内で、ひとりの高校生くらいに見える若い女性
が首にプラカードを提げて立っていた。
(私の詩集 買ってください)
地下鉄構内は、折からの夕方のラッシュ時で、首輪を首から提げた勤め人たちの
渦が彼女を押しのけるようにして通り過ぎて行く。
(私の詩集 買ってください)

ある紳士然とした勤め人が、彼女に近寄り、分別くさい表情で言った。
「こんなところで突っ立っていたら、人様の迷惑になるでしょう?
もっと端っこの邪魔にならないところに行きなさい」
女性はその童顔に困惑の色を浮かべながら
「あ・・・はい。すみません・・・」
と小さく答えて移動しようとした。
(私の詩集 買ってください)
僕は歩み寄って、詩集をください、と言った。
勤め人は、何か訳のわからない捨て台詞を残して去って行った。

当時では既に見かけなくなった珍しいガリ版刷りで作られたその詩集には、その
女性の簡単な自己紹介が書かれていた。
彼女は20歳で、72歳の詩人の夫と暮らしているという。
こうして、詩集を作って、駅で売って、日々のたつきを得ているという。
(私の詩集 買ってください)

僕には、人ごみの波の中に立つ彼女に、ほんとの空が少し見えた気がした。


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(番外編)

2003年05月24日 | 内的独白

最近、引越しをした。
そのとき、片付けていた荷物の中から、高校2年時の生徒手帳に乱れた文字で
書かれた詩篇の下書きが出てきた。
友人たちと作っていた同人誌に掲載しようとした作品の下書きだろうか。
はたまた、思いつくままに書きなぐったものだろうか。
多分、当時都営6号線と呼ばれた地下鉄三田線で神田神保町に向かう車輌の中
で書いたか、あるいは駿河台下の喫茶店で書いたか、もしくはよく出入りしてい
た明治大学の構内で書いたものか。いずれにしろ覚えていない。
また、それを見ると、途中まで書かれてあって、完結していない。
この詩の完結したものは、その後、たしか某大学の学生会館の部室の壁に大きく
書いた記憶があるが、その建物も既に消失している。
手帳にはこう書かれていた。

死魚の腐肉を食らう僕らは
まだ蒼ざめた馬を見ることもせずに
呪われた背徳の泉の中で
もがき苦しみながら
その川を渡るのを ためらっている・・・


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クリエイティブな堕落者たち

2003年05月24日 | 内的独白

「生活臭がないね」とよく言われる。
よく考えると変な話だ。
明日を信じて政治的言辞を振り回して見果てぬ未来を追いかけていた学生の頃や、
その後の刹那的な独身時代の暮らしぶりと違い、今は立派に更正(笑)して社会
人としてまっとうに暮らしているつもりだ。
だが、よく言われる。
確かに、仕事柄家を空けることが多い。生活破綻者の代名詞の釣り人でもある。
しかし、100%仕事人間ではない。断言できる。いくら社会的地位を得ても、賃労
働のために自分の時間や自分の世界を捨て去るなんてまっぴら御免だ。「失うも
のは鉄鎖だけだ」なんて、あれは嘘だ。あれは、資本主義的生産関係下での一定
の構造的側面のことを限定して指しているだけだ。
しかし、僕は職務においては持ちうる限りの力を発揮しようとはしている。
僕が「変な話」と考えるのは、「生活」てなによ?ということなのだ。
「娘さんや奥さんを大切にして、日曜日には家族サービスしたほうがいいですよ」
と言われる。
それが「普通」で「幸せ」というものだそうだ。
大きなお世話だ。
僕にとっての幸せは僕が判断することであり、娘にとっての幸せは娘が判断する
ものだ。他人が規定するものではない。
むろん、最大限娘や妻を気遣うことを忘れたくはないし、できうる限り互いを認
め合って互いの希望を叶えるように配慮はする。
が、それがどうして「日曜日の家族サービス」なる摩訶不思議なものに直結する
のか。実に陳腐だ。
「生活とはそういうものだ」とも言われる。そうか?そうなのかも知れない。
しかし、「世間」の生活一般が「普通」であるように、僕にとっては僕の暮らし
方が「普通」なのだ。

過日、気の置けないモノカキの古い友人と話をしていて、彼が気にとまることを
言った。
「悲しみも嬉しさも、過ぎ去った後に、すべて自分の糧にしてしまう。結局は
自分の世界が第一義なんだ。だから、文士(含む:クリエイティブな者たち)に
は娘をつきあわせるな、とか言われちまうんだよな」
ほう、と思った。僕は彼に答えた。
「ならば、俺は文士の王道を行くよ」と。
文士たちが世間一般でいわれるところの「クリエイティブな堕落者」であるならば、
僕は喜んでそこに列席させてもらおう。
なにもひねくれてニヒってのことではない。極めて自然体でそこに名を連ねたい。
いとしきクリエイティブな堕落者たちに。


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ことばの向う

2003年05月23日 | 音楽

詞のついた曲を聴くとき、まず詩から感情移入するだろうか。
それとも曲からか。あるいは同時だろうか。

僕はフランス文学が好きなくせに、学生のときから、からきし勉強というものが
苦手で、フランス語がよく解らない。
けれど、エディットピアフを聴くと涙が出るのは何故だろう。
高校のとき、カミユの『異邦人』の原文をすらすらとフランス語で話す友人がク
ラスメートにいたが、彼なら彼女のうたを聴いて、歌詞から世界を掴むのかもし
れない。
『愛の讃歌』(Hymne à L'amour)は1949年に発表された。それをうたうピアフ
は、その年の10月28日に最愛の人セルダンを飛行機事故で亡くしてしまう。
セルダンはピアフの夫ではなかった。
夫でない人をピアフは愛した。恋多き女性であったピアフは多くの男に恋をした。
彼女の生き方そのものがシャンソンだとよく言われる。
だが、ピアフの最愛の人セルダンは、彼女の『愛の讃歌』を聴かないうちに、
突然、彼女に「永遠」をプレゼントして、彼女の前から消えてしまったのだ。

日本では越路吹雪や美輪明宏が『愛の讃歌』をうたうが、日本語の歌詞は岩谷
時子の訳詩が多くうたわれる。
けれども、ある友人が僕に言った。
「『愛の讃歌』こそ原曲と原詞を知れ」と。
「岩谷時子さんの訳詞は美しすぎる。世界を敵に回していない」と。
岩谷時子の歌詞だとこうなる(越路吹雪は「私」を必ず「あたし」とうたう)。

貴方の燃える手で 私を抱きしめて
ただ二人だけで 生きていたいの
ただ命の限り 私は愛したい
命の限りに 貴方を愛するの

ピアフのうたう原詩はこうだ。

Le ciel blue sur nours peut s'effonderd
青空が私たちの上に落ちてくるかもしれない
Et la peut bien s'ecrouler
地球がひっくり返るかもしれない
Peu m'importe si tu m'aimes
大したことじゃない あなたが愛してくれるなら
Je me fous du monde entier
世の中すべてのことはどうでもいい
Tant qu' l'amour inondra mes matins
恋が私の毎朝を満たしてくれれば
Tant que mon corps fremira sous tes mains
私の体があなたの手の下でふるえているかぎり
Peu m'inporte les problemes
重大問題も大したことじゃない
Mon amour puisque tu m'aimes
あなたが愛してくれるのだから

やはり、フランスは、激しくも甘美な背徳の匂いがする。


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名辞以前の世界

2003年05月22日 | 内的独白

名前というものがある。
「名は体をなす」という。本当だろうか。
独身の頃、米国人の友人と二人で飲んでいる時に、「名前の意味」という話題に
なった。
僕は、その時、彼に
「将来、女の子ができたら名前を『奈都(なつ)』にしたい」
と語った。
すると、彼は「おお!それはよしたほうがいい」と言う。
なぜかと問うと、人差し指をこめかみの周りでくるくる回しながら「ナッツ!」
と言った。スラングでよくない表現に当るからやめろ、というのだ。
僕は思わず苦笑してしまった。
実証主義哲学の教授を父に持つ米国人の彼にも言霊信仰に似たものがあるのか、
と少しだけそのとき思った。

現在、厳密には絶対ではないが、一般的には戸籍名は自分では選択できない。
ところが、江戸期までは、名前は自由に変更できた。
武士などはころころと名前を変えた。苗字さえも変えた。ひどいときには姓さえ
も変えた。
名も幼名、通称、実名(イミナ)などが用いられた。しかも、幼名以外は自分で
選択したりすることもあった。
明治以降はどれでもひとつだけ登録してよく、中には桂小五郎→木戸孝允のよう
に全く違う名前を登録する者もいた。
名前は固定された。僕らに選択権は与えられていない。親が勝手につけるだけだ。

インターネットの普及でハンドルネームというものが定着した。
それまでのペンネームやあだ名、そういったものが一般的化した。
名前の選択の自由を僕らは得た。
登録名自由な国会議員や作家だけの特権であったものを僕らは手にした。

だが。
僕自身にとっては名前など、どうでもいいのだ。
僕自身は山田太郎であろうが、谷川次郎であろうが、どうでもいい。
名前以前に、僕は僕なのだ。
まして、詩には本来名辞以前の世界があって、その符丁と世界はことばや名とい
う外皮をたまたま借りて表現されているだけなのだ。
外皮は所詮うつろな羽衣だ。
羽衣は脱いだり着替えたり、盗まれたり利用されたりする。
芸術とはそうした外皮とは別の名辞以前の世界にあるもので、日常とは相容れな
い。
だから、名辞以前の世界を得れば得るほど、どんどん日常からは離れ、日常から
さげすまれ、足蹴にされていく。
でも、芸術てそういうもんだ、と僕は思っている。
君は君であって、名前が別な名前でも、君は僕にとって君なんだ。

「薔薇は他の名前で呼ばれてもかぐわしい」(シェークスピア)


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ポケットの中のポケット

2003年05月21日 | 内的独白

「ああ、また穴あいちゃったぁ」
友人が叫んだ。
スーツの右ポケットの中にある小さな袋状のポケットに穴があいたそうだ。
このポケットは便利で、小銭から家の鍵から小さいものを納めるのにはもってこい
の体裁である。
しかし、それは本来の使い方ではない。
ここは、本来小さなナイフが入れておかれるべきところなのだ。
スーツの国英国では、ポケットの中のポケットに紳士たちは誰もが小さなナイフ
を忍ばせた。
無論、護身用などという野暮なものではない。
その小さなナイフは、あるときはレターオープナーとしてポケットから何気なく
取り出され、あるときはさりげなくご婦人にケーキを切って差し上げる紳士の道具
として変身する。
そのため、本場のテーラーメイドの紳士服の右ポケットの中は、とても丈夫に作ら
れている。
しかし、日本では刃渡り6センチ以上のロック機構のあるナイフは常時携帯するこ
とが法律で禁じられている。
それ以前に、小さなナイフを持つ習慣など廃れてしまって、紳士服の右ポケットの
中はペラペラに作られてしまっている。
日本でも、江戸時代には、英国紳士の小型ナイフと同じようなものがあり、武士の
必携アイテムだった。
刀の鞘の内側には「小柄小刀」と呼ばれる独特の形をした小型ナイフが納められ
ていて、これは書状を開封したり、茶菓子を切るのに使われたりした。
小柄小刀だけではない。
刀の鍔(つば)の外側には「笄(こうがい)」と呼ばれる髪の乱れ直しが納めら
れた。笄の先には驚くことに耳掻きまであしらわれている。
そして、正式登城の礼装としての刀の拵えには、かならず小柄小刀と笄をつけなけ
ればならなかった。
武器にエチケット用品をつけなければならない。しかも、それが義務とされる。
こんな国あったのだろうか。
でも、その国も変わってしまった。
刃物を持つこと自体を「悪」みたいに思い込もうとする。

僕は常にBack社の極めて小さなナイフを身につけている。
これが、オフィスでも出張先でもことのほか便利だ。
僕が寸鉄帯びないときは、飛行機に乗るときか、入浴するか、寝るときくらいだ。
しかし、これを持つ意味と利便性はなかなか世人には理解されない。
きょうも病院で服を脱ぐ時、ドクターに尋ねられた。
「それは何?」
「小さなナイフです」と僕が答えると、先生は、
「ああ。護身用?」
違うんだけどなぁ。


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無垢の強さ

2003年05月20日 | 日本刀

刀が好きである。
子どもの頃から好きだった。チャンバラ好きの少年が誰しも刀を好きだった以上
に、ずっと刀が好きだった。
小学生の高学年の頃には、将来日本刀の研究者になって博物館に勤務したい、
などと考えていた。
「研究者になれば沢山の刀を見ることができる」などという、今考えると他愛も
無い子どもじみた動機だった。

刀を見ると、肌と鉄色と焼き刃の具合と・・・作者の人間的性格までが刀身に映
し出されていように思える。
作品を通して作者と歴代の所有者のことを僕は想像する。
魅入られた刀ひとふりを見つめていると、知らず知らずのうちに数時間が過ぎて
いることがよくある。

ここにひとつの刀がある。
「備中水田住 山城大掾源國重」と銘がある。元禄12年(1699)に死亡した
名を吉本新兵衛知閑(ともしず)という人の差料だったらしい。
だが、この刀は三つに折れている。
戦時中にオクニへの供出を拒んだ祖父が、いよいよ抗いきれないと判断して、
もはやこれまでと、当時小学生だった僕の父の目の前で刀身に何回も何回も鏨
をうがち、30センチくらいずつ三枚にしてしまったという。赤子たるもの何という
「非国民」(笑)。

デパートのガラスケースの平安期の則宗(菊一文字)や鎌倉期の貞宗を見たとき
は、目が釘付けになった。
南北朝の一文字を手に取って見たときは、涙が溢れ出てくるのをどうにか堪えた。
幕末の清麿を見たときは、気絶しそうになった。

僕は、懇意にしているある刀匠に折れた國重の物打ちから先の切っ先部分の整形
を依頼した。短刀にして残すのだ。僕も手慰みで短刀や小刀を作るが、國重は師
匠にお願いした。
刀の芯に炭素量の少ない鉄を混ぜる「甲伏せ」などの製法でないこの刀は、研い
でも研いでも芯まで鋼だ。いわゆる「真鍛え」である。「無垢」とも呼ばれ、弱
い鍛えと権威者たちでさえ深く誤解している。
刀は完成すると「窓あけ」といって、刀身の一部分のみ最終段階までの研ぎを施
して出来を見る。
窓あけが済んで、刀匠が國重を僕に見せた。
國重の原作品の本来の出来を見て、凍りついた。

刃縁をふんわりと包む深い匂い(におい)、谷間に散る沸え(にえ)、金筋が流
れて、砂流し(すながし)が刃中に掃き清められた古寺の庭砂のようにかかる。
僕は、死んでしまいたくなった。

刀は実は無垢鍛えが本当は一番強い。
人の心も同じだろうか。


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音痴て何?

2003年05月19日 | 内的独白

半年前のことだ。
新宿の行きつけの店で、友人と二人で男同士鍋をつついて話をしていた。
まあ、色気のないことこの上ないが、話す内容も実は色気は全く無かった。
にも拘わらず、話題は多岐に渡り、中身も濃く、とても僕にとっては魅惑的
な時間だった。
それは、その年上の友人の人を惹きつける話術によるところも大なのであるが、
話す「ことば」を通して、その友人の知性と感性と人柄と今まで生きてきたひと
りの男の思想がひしひしと僕に伝わったからだ。

そして、その飾らないことばの渦で僕の右脳と左脳をがんがん貫いて翻弄した
友人は、音楽の話になったら急に自分に懐疑的になった。
聞くと「僕は音痴なんだ」という。「音階をたどれない」という。
はた、と僕は考え込んでしまった。「音痴ってなんだろう」と。

一定の「枠」を設けることで保たれている世の中のあらゆる秩序、それのもたら
す人間疎外について二人で解きほぐしていたそれまでの話題の流れからいくと、
「音痴なんだ」で躊躇することのその不条理に僕の方がとまどってしまった。

僕は、はたとその時思った。音律は戒律である、と。
この知の具現者である彼をも縛る戒律である、と。
一定の西洋音階から外れたものが「音痴」であるとされるならば、まさにその
秩序を外れたものはその疎外の対象とされてしまうのか。
しかし、である。考えてみよう。
アフリカンをルーツにもつJAZZの音階などはどうだろうか。
「一般的」音楽論では、人間は長調によって心の安寧感を得て、短調によって
ブルーな心象をもつとされる。
そして、JAZZの音階は5つくらいあるアフリカの現地音階の影響を受けて、3度
と7度の長音が半音からクォーターの間ほど下がる。
これにより、長音に近づきたいとの無意識の作用が脳に働き、独特の緊張感を醸し
出す。いわゆるブルーノートだ。
バップの頃には更に5度の長音も下がる。

音階は西洋式音階で固定的に規定することなく、「ずれた」とき、それは未知の
存在の発見が潜んでいるのではないか。くだらない「一般常識」から「ずれる」
ことで、新しい世界が広がるのではないか。
音階だけでなく、固定観念での「律」としてくくることからくる安寧だけが、
人が人らしい生を感じる棲家ではないはずだ、と僕は思索する。
ブルーノートは、3度7度が長音に近づかないことで存在するのだ。


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時間旅行

2003年05月18日 | 内的独白

昨夜は「もしも」についてとりとめもなく考えを巡らしたが、もしも時間を引き
戻すことができるなら、僕らはなんとするだろう。
「逢うことは僕にはわかっていた。それがいつであるかはわからないけれど、
僕らがやがて出逢うことを、まだ互いを知らない28年前から僕はわかっていた」
伊勢正三さんは、映画「なごり雪」の大林宣彦監督との出会いをこう語る。
「まだ見ぬ君」の存在を自分の中に強く認めるということは、あるのだ。

夜空の星を見るたびに僕は思う。そして、自分の「今」との距離を思う。
1光年離れていたら1年、30光年なら30年、150光年なら150年、
星の光が僕らに届くまで地球での時間が過ぎる。
今、たった今、僕らが見ているあの星たちは、ひょっとしたら、今はもうない
のかも知れない。
僕らは、過去の時を今見ているのだ。
星を探しに出かける旅は、時空を越えて、過去を見つけに行くことかも知れない。

僕の中でカミユとサルトルの確執が始まる17才より以前、僕にとっての弁証法
と実存主義の謎解きの対象は、その後出会うヘーゲルやマルクスではなく、イエ
ズス会の異端審問を批判しつつデカルトの無神論的懐疑論に反対した「人間は
考える葦である」のパスカルであった。

ストレイシープである僕は、昨夜は確率論について意地悪く思ってみたが、
円錐曲線論と確率論で有名な彼の遺稿ノート「パンセ」に、「今の時」について
心にとまる記述があるので、今夜はそれを思い出してみよう。

僕らは、少しも現在の時に落ち着かない。
僕らは、未来のことを、来るのがあまりに遅すぎるかのように、
歩みをせきたてるためであるかのようにして、待ち望む。
また過去を、去るのがあまりに早すぎるので、
足を引き止めるためであるかのようにして、思い返す。
知恵の浅い僕らは、僕らの所有でないところの時の中を迷い、
僕らのただひとつの所有であるところの時のことを思わない。
むなしい僕らは、もはや時のことを思い、
今あるただひとつの時を、
無反省に見逃してしまう。
                           (パスカル) 


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