渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ショートホープの新パッケージ

2014年02月28日 | 時事放談

来たぜ!
かなり洗練された描写になっている。


開封すると、いきなりショッポらしいハードボイルドな決め台詞が!



「ガツンとキレのある吸い応え」。ショッポはこれだぜ。
ホントは蜂蜜のフレーバーが入ってる葉だから、
甘い香りなんだけどね(笑


粋なパッケージに変わって、路線は原点復帰だ。
ショッポは、これじゃないといけねぇぜ。
GJ!さすが専売公社!(違

34番というケヴィン・シュワンツのような番号はなぁに?


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新宿

2014年02月28日 | 内的独白

これは住んだ者にしか分からないが、首都高4号線から中央高速を抜け
日野市あたりの都下まで出て、夜に逆に新宿方向に帰ってくるとする。
高速道路から見る遥か向こうに建ち並ぶ新宿副都心の夜景といったら
格別だ。
「この道は まるで滑走路」とユーミンが歌う夜空に続く中央フリーウェイが
真っ直ぐずーっと伸びるその向うにビル群が見えた時、「ああ、あのビルの
下あたり
に俺が住む家がある。帰って来た」という感慨に包まれる。
(ネット上ではそのアングルからの画像は一つもない)

(多摩地区から臨む新宿副都心方面)



(クリックで拡大。
映画『汚れた英雄』(1983)で使われたブルー風に処理。
「キタノブルー」と後に呼ばれる演出を世界で初めて採用したのは
『汚れた英雄』でメガホンを取った角川春樹だった。
北野たけしは
角川春樹のこのフィルム手法を模倣した。
歴史にうずもれたこの事実を知る者は少ない)

新宿区はほとんどが住宅街だ。このようなビル群はJR駅の周辺だけ。
左下のネオンが明るいところは歌舞伎町、中上の暗い部分は新宿御苑、
右側の高層ビル群が新宿西口副都心だ。


映画『東京原発』では、「原発は安全だから西口公園に原発を作るのが
いいのではないか」という案が出されていたが、ここ新宿御苑のほうが
土地が広くていいのではないだろうか。是非とも東京に原発を作ってほしい。
使用済み燃料などの核廃棄物も安全なのだから、臨海副都心あたりに
じゃんじゃん垂れ流しで海洋投棄すればいいのではなかろうか。
なぜ国は福島第一原発周辺地域住民に避難勧告を出しているのだろう。
不思議だ。
安全なのだから避難の必要などないではないか。いっそ、国会議事堂と
自民党本部を福島第一原発用地内に今こそ建設してはどうだろうか。
安全なのだから、原発付近の牧場の国産牛も、どんどん出荷して、官庁
食堂用の牛肉として利用してはどうだろうか。
大丈夫。心配はない。国が安全だと太鼓判押しているのだから。
国が国民に嘘をつく筈がない。

しかし、原発無くとも明かりは灯る。

新宿はビルばかりというのは幻想で、実は住宅の区である。
児童の医療費は無料である。子どもが15歳になるまで補助制度が
適用される。住みやすい。新宿は本当に住みやすい区だった。
福祉面がかなり先進的に充実している。


しかし、私が子どもの頃は、この現在の新宿副都心もこんな感じだった。
淀橋浄水場跡地。というか、大阪万博があった1970年頃までは、新宿の
風景はこんな感じだった。「東洋一の超高層ビル」という虎ノ門の霞が関ビル
が国内でただ一棟出来たばかりだったのだから。



同じ場所の同じ角度の現在。様変わり激し過ぎ(笑
本当に、手塚治虫先生が1951年に『アトム大使』で描いていた
21世紀のようになってしまった。鉄腕アトムの誕生日は2003年
4月7日である。
良いか悪いかわからないが時代なりというもの。
これまた実は日本刀の歴史に似ている。


古刀が再現できないのは、古刀の時代の作り方が失われたからだ。
和食の刺身にわさびは必須だが、わさびとは植物の山葵をおろし板で
すりおろす
ものであって、練りチューブから捻り出して「これが伝統的な
和食
です」というものではない。
練りチューブわさびを作ることのほうが、山葵を単にすりおろすよりも
ずっと「最新」の技術で難しいことをしている。
しかし、便利だからと練りチューブだけしか存在しなくなってしまったら、
おろし板と山葵を目の前に出されても何のことやら分らないだろう。
日本刀もそれと同じで、なぜ古刀製法が失伝したかというと、
ごく当たり前のことが時の流れと共に消滅していったからだろう。
現在の現代刀製作法の幕末の工法は、実に丹念な手のかかる工法を
採っている。
わさびの練りチューブと同じで、チューブの原材料、練りワサビの
製造、チューブへの装填、パッキング・・・数えきれない高技術の
工程を経て食卓に提供される。
だが、本わさびではない。
本わさびは、すりおろし方ひとつで見た目も味も変わるほどに繊細で
歩留まりも悪いものだが、本物だ。
しかし、便利な練りワサビしか存在しなくなったら、本わさびをする
方法さえも理解できなくなることだろう。否、理解する必要も無くなる
かもしれない。
そして、やがて近未来においては「これが伝統的な和食のわさびで
ございます」とチューブ入り練りワサビが当たり前のように和食に
添えられることになっていくかもしれない。
現代日本刀もそれに似ている。


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春遠からじ

2014年02月27日 | 風情・季節・地球



先ほど刀工と電話で話をした。
先週も電話で話をしたが、先週は大雪で鍛冶場に行けなかったので
様子を見ていたところ、今は気候が落ち着いているので、
明日から
一週間山に籠るという。

そろそろ活動再開だ。
ただ、本格的な受注体制完備はまだ。





夏には私も仲間と鍛冶場に行く。
東京に住んでいたら、いろいろお手伝いできるのだが・・・。



しかし、春遠からじ。
でも、職人の「仕事場」だから、物見遊山ではないんで、後片付けでも掃除でも
なんでもやりやすぜ。邪魔にならないようにして。


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一人暮らし

2014年02月27日 | 内的独白


娘は結局このあたりの町に住むのだろうか。

これは俺が高校の頃の界隈(笑
踏切でも、ここは一時停止したら駄目よ。
(一時停止はもちろん禁止。信号に従う環七)

このあたりは俺の学生の頃とまったく町のイメージが変わってない。


駅前大通りのほうはまったく違う。


駅のイメージは俺の頃とさして変わらず。てこともないか。大分明るい。


この界隈から新宿都庁を臨む。

まあ、東京というのは、ほとんどが住宅なんだよね。

アーバンシティの夜。


娘はこの街にずっと住むと言う。それがいいだろう。


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ショートホープの新デザイン

2014年02月26日 | アート



ホープ(10)の新パッケージデザインは、「SINCE 1957」の文字が入り、
弓矢の中にグラデーションが施されるという洗練された意匠に。
ノーマル以外のライトやメンソールは、途中変更されたデザインがノーマル
と同じデザインに変更され、むしろ「原点復帰」という形のものになる。

これならば、なんとか納得できる。
昭和32年(1957年)の塩塚四郎氏の初期デザインが大きく崩れることはなく、
ノーマル(オリジナル)以外も原点に回帰となった。

塩塚氏とは専売公社の社内デザイナーで、多くのたばこパッケージの
デザインを描いた人だ。

1992年時点でのパッケージ。
一番右のロングホープは1964年から2002年まで販売されていたが、
現在は廃版となっている。デザインは垣内貞夫氏だった。

塩塚氏のデザインはレトロでありながらニューモードを感じさせる老舗
化粧品メーカーの意匠のような印象を受ける。








このハイセンスは本職の画家だね。

デザインというのは完全に「美」と直結するので、絵心がないと
仕事にならない。
私はこれは日本刀の刀鍛冶やビリヤードのキュー職人にもまったく
同じことがいえると思う。
いくら刀が好きで、それを作ることを仕事にしていても、絵心が
なくば、造形美を創出することは困難なのではなかろうか。
また、ビリヤードに関しては、かつてまったく絵が描けないキュー
職人の作ったキューを何本か見たが、やはりかなり素っ頓狂な
デザイン(要するにまとまりがないチンドン屋のような色使いと
デザイン構成)であったし、何よりも良くなかったのは、美的センスが
そうさせるのか、「仕事」がぞんざいだったことだ。
絵画と違って、こと「美」をも求められる「道具」というものは、実は隠れた
部分、目に見えない部分にまで、機能・性能を充実させるための隠し味
が丹念に入念に施されている。その職人は残念ながらそれがなかった。
結論としては、使用上も支障をきたす問題を惹起させた。

絵心と繊細な気配りの行き届き。
これを成せる真の日本刀鍛冶という職は、すごいことをやっていると
私は思うのである。
とりわけ、日本刀の場合は、機能を極限に昇華させた結果、あのような
美しい働きや形状を構成して行ったという歴史的経緯がある。
「まず美ありき」ではなく、徹底的に能力を追求した結果、美しさを具備
していったというプロセスがある。これは絶対に見逃せない。
あたかも、それは戦闘機やレーシングマシンのシルエットが、機能追求の
結果、一様に洗練された造形美に到達することに似ている。

ただ、芸術の世界においては、どのような作品に仕上げようとも、自分が
作家活動をする上で自分に関わってくれた周辺の人たちや、その他の
他人の悪口ばかりを書きつづったり放言したり揶揄しまくったりの雑言を
常とする性根の人間は、「美術」「文芸」「芸術」の如何以前に、社会・世界
から排除されていくのは当然の理だ。
人間は己だけで生きているのではない。社会の中に生きているからだ。
人間不在の人間が作る作品などというものは、存在価値さえないのである。

てなことを出版社の編集者あたりからだったか聞いたことがある。
芸大卒の「プロ」じゃないから、俺にはなんのことやらよく分らんけどね〜(笑


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映画『武士の献立』

2014年02月26日 | 映画・ドラマ

『武士の献立』予告篇


こいつを劇場で見逃したのは失敗だったかもしれない。

あれ?
これは『武士の献立』の一場面。


こちらは『武士の家計簿』の一場面。


同じ場所でんがな(笑

『武士の献立』の予告編観た瞬間に判ったけど、検証してみたら、
まったく同じ場所で撮影していることが判明した。


こういうのは、高度兵士養成訓練での「キムのゲーム」という
教程に似ている。
武道でいうならば「見取り稽古」というやつだ。
見て瞬時に「整合・不整合」のみならず「状況」を記憶・把握
しないとならない。
そうした能力は積極的に開発して行かないと、武人としての
戦闘力は向上しない。勿論現代剣士にも必須の学習過程だ。
猿の惑星のゴリラみたいなのが強いのとちゃうのよ(^^;

『武士の家計簿』はトホホな出来だったが、『武士の献立』はどう
なのだろう。
最近の時代劇で唯一良いところは、ロケなどやオープンセットが
しっかりしているところだ。
時代劇映画を見て「風景を楽しめる」というのは、時代劇の王道の
ような気もする。


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都を離れた城下町にて思うこと

2014年02月26日 | 文学・歴史・文化

うき〜っ!
またもや仕事で尾道の居合の稽古に行けなかった。
来週は東京主張なのでまた行けない(ショボ〜ン)。

ということで、大昔の仕事あれこれについて少し書いてみる。


ところで、古い城下の町並みを残している城下町というのはいいよねぇ。
何が良いというのは「武家屋敷」があるから良いのではなく、町がそのまま
でも現在も住居として利用できている都市作りという点において良いと思う。

昔からそこに住んでいて、現在も同じ場所に住んでいるご家庭もあったり
する。
これは古いたたずまいを残す地方の城下町などには多いが、東京でも
本郷・小石川・白山あたりの旧幕臣地では、江戸期からずっと同じ家に
住んでいる人たちも多い。
高校時代、私の高校の同級生が本郷に住んでいて、学校帰りに遊びに
寄ったら(高校から歩いて行ける距離)、昔は旗本で江戸時代からそこに
住んでいるということだった。
今思うと、「へ〜。ドラマ『仁 -JIN-』の橘家みたいなことがあるんだぁ
」とか
思ってしまう。
ただ、最近(ここ25年)は再開発で文京区本郷界隈も立ち退き
などが増えて
いるらしい。


地方にしろ江戸御府内にしろ、江戸時代の武家屋敷というのはいわば
「官舎」であって、貸与であるのだが、明治以降もそこに住めるというのは
どういう経緯をたどったのだろう。住人に払い下げたとしても、明治時代の
旧武士なんて困窮の極みだった筈だし・・・。

古い城下町がそのまま残っているというのは、なかなかありそうでない。
まして、そこに人々が今でも住んでいるというのは、何だか感じ入るものが
ある。正直言って、武士がどうのとかはどうでもいいのだが。
旧来の武家屋敷に今も住んでいる者でも、ろくでもない感性の人間もいる。
これの回答者のad851172などはその典型だろう。
その家に生まれたのは自分の力ではないのに、自分が偉くなったとでも
思っているところが勘違いも甚だしい。差別が文化だと。笑わせる。
負の「遺産」は継承存続すべき「文化」などではなく、改善・消滅のために
尽力すべしとする建設的自戒を持たないところが、典型的な「駄目侍」の
汚れた血を見事に受け継いでいる。
武家の子孫にも、このような救いようがない感性の持ち主もいる。
特性として持っているものとしては、武士の最たる最低の部分、武士階級の
恥ずべき部分を引き継いでいると見受けられる。こういう人間は未来永劫
死ぬまでその(高貴を装った)こ汚い性根という質性は変わらない。
まあ、質問者も質問者だが、回答者の圧倒的多数も、これはひどい、という
もの。このあたりが一般的な日本人の人権感覚の平均値なのかもしれない。
回答者の多くがすべて「他人事」。笑うところではないが笑ってしまう。

くだらない下劣な感性の武家子孫の妄言と差別容認主義者たちからは離れて、
「景観」としての武家屋敷が残る城下町を見てみよう。














城下町三原は、ほとんどこういう景色が壊滅してしまった。
唯一江戸期から残っている城下城内の建築様式はここだけだ。
浅野家三原城主典医真田家住宅。つい最近まで真田医院という
小さな病院が近所にあった。代々医者なのだろう。ドラマ「仁 -JIN-」
の橘家のようだ。


江戸時代は職業選択の自由がなかったが(町人にはあったようだから
町人が一番自由な民だったかもしれない)、もし自由に選べるとしたら

私などはヤットー専門よりもこのような仕事に就きたかったなぁ。
今の仕事も捉えようによっては「食」に関わる仕事ではあるのだが、
このような包丁人というのは何とも魅力を感じる。


この映画のキャプチャは藩主用の賄い方だから緊張の連続
だろうけどね。
学生の時、大学休んで割烹の追い回しで長らく臨時雇用で
働いていて、大学辞めて本気で包丁人になろうと考えたことが
あった。そこで本式の日本料理の味を覚えた。チェーン店の
居酒屋でバイトしていたらそうは思わなかったかも知れない。
しかし、その後は「夜の世界」へ(笑
夜の世界ではあったが「闇の世界」ではなかった(笑

江戸期の侍時代でも、仲間内での宴会では、結構リラックス
ムードで同僚同士が酒を飲んで語り合っている。

日本で食台=テーブルが普及したのはごく最近のことです。江戸時代
には藩の料理人の仕事や算用の仕事では今でいうところのテーブルを
仕事台として使いましたが、一般家庭や居酒屋や蕎麦屋などの飲食店
には一切テーブルはありません
でした。時代劇で出てくる居酒屋や飯屋
にテーブルがあるのは、大嘘です。

武士の食事というのは、日常においてはかなり質素だった。
このような膳は超豪華だったといっていいだろう。
一般的な中下級武士は御飯・御御御漬・一品・御新香という類だった。
江戸などではオカズなしで白米ばかり食すからカッケが流行したりした。
あれ?お椀の置き方が逆じゃん。(「武士の食卓」より)


私の現在の日常的な食事はこんな感じ。これに椀物が必ず付く。
朝は漆塗り盆だが、夜はこのように小学校給食のような樹脂トレイ
なのよ〜。ビンボくせ〜(笑
決して「飽食」ではないとは思う。箸は黒檀の八角江戸箸を愛用。




幕藩体制時代には幕府にしろ地方の藩(藩は正式名称ではないが)にしろ、
様々な職制があった。
作事方などは建設普請部門を担当するのだが、大工などの建築関係の
職方を統率する役目もあった。

幕府旗本の大工棟梁などは、このような仕事もしていた。




幕臣旗本家に伝わる墨壺というのは凄いですね〜。なんだか大工道具と
いうよりも、献上漆器みたいな感じだよ。

柏木家の前任者の大工棟梁の家は、この頃は江戸城西之丸切手門番頭
(官位は従五位下、布衣=ほい)に移籍していたんだけどね。

通称を與惣左衛門(与惣左衛門)といった。作事方から番方に移籍だから
ヤットーが結構できたのかもしれない。維新後は逓信省に出仕
して北品川
に住んでたよ。拝領屋敷は維新後お召し上げの口だろうね。


三原城などというのは、明治の初めにぶっ壊されたから、このような
武家屋敷の町並みは一切残っていない。


残念だと思うけど仕方ないね、現実だから。



幕府の作事方の仕事はデーク仕事の監督だけでなくて、いろいろな
建築デザイナー的な職務もあった。
内装(インテリア)や細かい外装(エクステリア)に関しても作事方が
受け持ったが、畳については御畳方(おたたみかた)が担当していた。
特に大奥向けの江戸城本丸建築関係の仕事なので、守秘義務などは
徹底されていたことだろう。城造りの時には、請け負った大工人足たち
を皆殺しにして城郭の造りの秘密を守ったりした藩も一つや二つでは
ないほどにあったくらいで、なんだかなぁ〜と思う。悲しいことだなぁ。

本当に武士などというのはエゲツナイの極みであって、そうした面を
直視せずにやたらと武士を美化するのは、現実逃避の冥想願望でしか
ないように私には思える。あるいは武士たちの末裔の自己美化か。(キモイ!)
自画自賛の自己美化は人として恥ずかしいことだと武士の子孫は親から
習わなかったのかねえ。習わなかったんだろうなぁ。まあ、逆に言うと
武士なんて今は一人もいないということの証左でもある。
実際に武士という存在は現代では在りません。勇者・賢者はいても、それは
武士という血脈的階級とは無関係。知勇備えた者がイコール武士ではないの
よね。武士とは、あくまでも歴史の過去上存在した武装せる武門の一族のこと
です。ルーツが武士だった人は現在もいますが、武士はいません。当然侍も
いない。妙ちくりんな憧れマンは多いけど。
ただし、剣士は現代でもいる。侍おらずも剣士ありとはこれいかに。
でも、そういう時代なのだから仕方がない。そこはきっちりと現認しないと、
現実と隔絶した妙な精神主義的な領域に自分が行ってしまう。危ないよ。

これは江戸城の御畳方の御用向きの帳面。
御畳御用の伊阿弥家に残っていた記録で、江戸城大奥の畳縁のサンプル
が添付されている。
御本丸大奥御畳方御用雛形帳




記録って残ってると学術的にも貴重だよねえ。

こちらは幕府作事方の仕事のひとつ。
江戸城内本丸の建物に設えられる飾り金具のサンプルデザイン帳だ。
幕府作事奉行が御勘定方、御目付方、御吟味方に承諾を得るために作成
された上申文書とのことである。宛先は勘定奉行クラス(将軍直下の地位)
だろう。
江戸城本丸建築金物絵本

さすがに、デザイン用紙には直接書かずに、別紙に口上を記載して
貼り付けているね。墨文字というのは消しゴムで消せないからね。
完成したデザイン用紙に直接書いて失敗したら台無しになってしまう。



もう、なんつーか、デザイナーの仕事ですね、こうなると作事方の仕事も。
才能がないとできないような気がするけど、自分で意匠発案をせずとも
誰かに発案させて統括してればいいのか?
よく分からんが(笑
まあ、こういうのは、これはこれで面白い仕事だったかとも思う。


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映画『湾岸道路』

2014年02月25日 | 映画・ドラマ



『湾岸道路』(1984) 片岡義男


「元気でいろよ」
草刈正雄がカッコイイ〜!
樋口可南子もカワイイ〜!
でも映画はツマンナ〜イ!(笑





(クリックで拡大)


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映画『もっとしなやかに もっとしたたかに』

2014年02月25日 | 映画・ドラマ



『もっとしなやかに もっとしたたかに』(1979年にっかつ)

AmazonからDVD発売の宣伝メールが来た。
いや〜、森下愛子さんがとてつもなく大好きなのだけど、
奥田瑛二がとんでもなく大嫌いなので
買わないと思う(苦笑
奥田は明学での闘基同と彼との反目の絡みがどうのとかではなく、
とにかく嫌いなのだ。
(闘基同とは闘う基督者同盟=旧ブント・マル戦系前衛派のシンパ。
闘争の時には部隊で赤ワインを注いだワイングラスを掲げて
飲みほし、そのワイングラスを地面に叩きつけて割ってから
機動隊に突撃した。ヘルメットは銀、前面に黒マジックで「闘基同」
と縦長目に大書き。ゴリゴリのセクトではない闘基同にさえ参加
できない
キリスト教大学の日和見学生が、静かな団結の意思一致
の気炎を
上げる闘基同部隊の横を素知らぬそぶりで通り過ぎよう
としていた
ことは、小柳ルミ子の替え歌で「闘基同 くぐり抜け
見上げる
夕焼けの空に 誰が歌うのか籠り歌 私の浄化待ち」と
戯れ歌で
学内では歌われた)

しかし、本作は79年に劇場で観て以来観てない。
まあ、激動の60年代末期を過ぎて70年代に入った自己閉塞の
時代の最末期の1979年に公開されたしょ〜もないオハナシ
なんだけどね(笑
79年は俺個人の人生の生と死をかけた転換点でもあったのだけど、
現実的には時代性としてはこの作品が1979年に公開されたのは
5年ほど遅かったと思う。78年以降は、時代は地下水脈のように流れ
続けたかつてのような「動き出した得体の知れない何か」が爆発寸前で、
再び激動の季節の胎動が開始されていたからだ。
この映画は「秀作」とされているが、『俺たちの朝』のドロドロバージョン
のようなものと思えば遠くはない。しかも季節がずれたものとして。
作品劇中設定は79年の9年前の時代がキーポイントになっている。
ここにもひとつの「敗北の季節」の青春譜がある。
「さらば!!飛べない鳥たちよ」というのがキャッチフレーズだった。


もっとしなやかに もっとしたたかに (1979年 にっかつ) - 予告編


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テレビドラマを観る猫

2014年02月25日 | 映画・ドラマ



よそ様のお宅の猫もテレビを観るようです。
うちのと違って、かなり集中力がある模様(笑

大河ドラマ『八重の桜』をなぜか真剣に見る猫


『八重の桜』は幕末騒乱の予兆の頃と会津戦争のあたりまでが
面白かったけどね。
明治に入ってからは安物のメロドラマみたいになって今一つ
だった。

八重役の綾瀬さんには、スペンサーライフルの射撃では是非とも
「反動」を再現してほしかったが、番組の演出家はなにして
たんだ
ろう。仕事してんのかなぁ。
綾瀬はるかさんはレーザーガンの無反動銃みたいに撃っていた。

射撃のシーンは頬付けはできていたが、反動に関してはまるで演技
になっていなかったのが実に惜しい。(日本の俳優陣では銃の反動を
表現していたのは松田優作や石原軍団と草刈正雄だけという寂しさ)
スペンサーライフルは
口径.56-56(0.56インチ56グレイン発射薬)と
いう大口径
ライフルなので、無反動である訳がないのです。

実銃スペンサーカービンの射撃
Armi Sport 1865 Spencer Carbine.mov

射撃達人のこんな巨漢が撃っても、どうにか技術と体重で押さえこんで
いる感じです。カメラ目線にしたときに排莢したチンチンに熱いカートが
顔に当たっているのが可笑しいけど(^^


『八重の桜』の番宣ポスターはめちゃくちゃカッコよかったけどな〜。
衣装、装備、ポーズ、表情、どれをとっても最高だ。
地下鉄のホームでこのでかいポスターを見た時、「うわっ!これほしいよ」
と思ったものですよ、と(笑


この上掛けは、生地がただの海棠色(かいどういろ=濃いピンク)の
無地じゃないんだぜ。

沙綾(さや)模様が織ってある生地なのよ。
これはカッコいい。


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日本の刃物

2014年02月25日 | 刃物

女性用の日本の刃物?
ありまんがな、でんがなまんがな。
これですやん。


使い方はこんなの↓




外部リンク→こちら

先日テレビでやってたけど、日本剃刀で顔剃りするとツルッツル
になるみたいよ。
なんたって、髪の毛が縦に何本にも剃れちゃうくらいの切れ味
なんだから。
女性が使うというか女性のためにあるような刃物ではあるが、

男が酒焼け、いや、サカヤケを沿ったのもこうした剃刀だった
ことだろう。
以前の職場に日蓮宗の坊主にして弁護士、スキンヘッドにしていた
空手マンがいたが、
「ひげそりなんて軟弱な物は使わない。毎朝日本剃刀だ」
と言ってた。
自分で頭剃るの?ひょぇ〜。グサリとやりそうだよ。
ちなみに、江戸時代は武士のサカヤケを剃るのは男の役目だった
そうです。

日本剃刀は最強やで(^^

刀工二代目康宏先生は、工房ではペティナイフで無精髭を
剃ってたけど(笑
まあ、俺もナイフで爪を切るから人のこと言えないけどさ。

昔、撞球仲間の医学部出身の奴と居酒屋で飲んでる時、
爪が割れたからナイフでクリクリッと切ってたら、「危ないから
やめなさいって」とか言ってた。メス使うの下手なのかも?
思うんだけどさ〜。医者にとって絵が描けることは必須の
資質なんだけど、絵はともかく、いくら勉強がずば抜けてできても、
不器用な医者ほど怖いものはないよな。
都内の有名大学病院でもいたよなぁ・・・。縫合が超ヘタクソで、
看護師たちから陰で「ボンドちゃん」とか呼ばれてた医師が。
縫合できないから、ぜんぶ瞬間接着剤(シアノ)でくっつけて
ごまかしてるんだって。恐ろしや・・・。
医療過誤でニュースになってたけど、いくら医師の家系だったり
勉強がよくできても、手先不器用な人は絶対に医者になるべきでは
ないように思えるよ。うん。


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きょうのポチたま

2014年02月24日 | ポチたま



「さかさまつげ」の矯正中だそうです。
ワンコにもあるんですね。
生まれたばかりのワンコですので、そのうち目ん玉が大きくなって
皮膚も張ってきたら自然に治るそうです。


風の日記。

一方、うちの連中は・・・

友人とスマホでメールしてたら、ネコが膝の上に乗ってきます。


すると犬が「そこどけや、ゴルァ」という感じで押しのけてやってきます。


ネコ、「なにすっだよ!おまいはっ」という感じになります。


その間、おばちゃんネコは別室のクローゼットの中に自分の寝床を
設えて我関せずを決め込む。

大抵はこういうパターンが続いています。


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ちょうど一年前の記事

2014年02月24日 | 一般
 
音の違いと旋律の世界

【三人の侍2002】気絶するほど悩ましい (Char・奥田民生)珍しいCharの指弾き。こういう控えめなアタック感のCharのギターもいいね。【LIVE】 Char : 20t...
 

ウタダヒカルさんがやっぱりいいわ♪(^^)


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愛を感じる動画 〜バイク〜

2014年02月24日 | バイク・車

RGV250Γ復活!


なんだかいいな〜。マシンに対する愛を感じる。


こちらはRGV '90ガンマの発表当時の貴重映像。
SUZUKI RGV250Γ デビュー秘蔵映像(1990)


パラレルツインの1型ガンマは深いところでは問題が多くて最悪だったが、
このVツイン'90ガンマは完成度がかなり高い。
この時期のスズキは往年の世界王者(70年代後半〜80年代初頭)
の時期のスズキの元気さが感じられてよい。
また、1990年前後は世界グランプリでもホンダ、ヤマハ、スズキで
真っ向勝負で鎬を削っていた時期で、市販車においてもレーシング
テクノロジーが満載だった。
今思うに、本当に夢のような時代があったのだと実感する。
車としての最高テクノロジーと極限性能を市販車にも搭載したという時代。
やはり、「夢」の時代だった。
速く、安全で、そして美しい。
世界最高峰の動力性能の実力持っていながら、美しさも備えている。
こういうマシンが「一般的」だった時代にタイムリーに接することができて、
心から幸せだったと思う。

そして、これがこのスズキの250cc市販車にフィードバックさせた1989年式
世界グランプリマシンRGVガンマ500の貴重な走りの映像。
'89 Kevin Schwantz's RGV-γ(XR-75) No.1

乗り手はもちろんスズキ・ファクトリーのケヴィン・シュワンツ(米)だ。
とりわけ1989年の後期型ガンマは、ホンダやヤマハよりも頭一つ抜きん
出た
性能を持つに至っていた。
1989年、平成元年。ここが一つの世界グランプリシーンの頂点だった
ように思える。
また、世界史的にも、この時期あたりが繁栄の頂点だった。
この後、世界はベトナム戦争以降戦争をせずに平和な時代を過ごし国力を
蓄えた米国が主導するオイルマネーを奪取するための戦争の時代へと
再び突入して行った。

この日本経済も頂点であり文化も花開いた1989年こそ、本当に四半世紀が
経つ「過ぎ去った過去」のことになってしまっている。
今の時代、本気でつまらん。


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来訪御礼

2014年02月24日 | 内的独白

gooブログからブログ管理メールが届いた。



7日間で訪問者数が10,577人で、総計43,923プレビュー。
平均1日あたり1,511人が来訪ということになる。
著名人ではなく、一般人のブログ形式の日記としては、まあ
ボチボチ多いほうなのだろうか。よくわからないが。
芸能人などは1日で万、百万単位のアクセスなので、そういう
のと比較しても詮無きこと。

gooブログではアクセスを増やすために読者登録してみましょう
すすめているが、私は一切そういうことはするつもりはない。
私は人を呼び込むためではなく自分が読みたいブログには読者
登録するし、集客目的で
何かをするつもりは毛頭ない。
趣くままに自由に、ただ自由に、だ。
当然、記述内容には賛否両論あるだろうし、それも運営者としては
織り込み済みだ。


ここを読まれている方で、商業ブログ以外の個人ブログを運営
している方は、「どうやったら集客できるか」という算段からは
一度離れて、心を解き放てば、自然と読んでくれる人は増えて
行くと私は思う。
私はペタ的なものやアメンバーだけ閲覧許可のチラ見せ的な
ことをしたり、SNS利用で人を呼び込むことは一切していない。
ただし、自分がいいなと思った人様のブログには拍手等をクリック
したりしている。
自分の日記については、
自身の思いをつづっているだけのことだ。
だから「何言ってんだこいつは」というご意見もあれば「うむ、もっとも」と
思う方もいるだろう。
ただ、
人を呼ぼうという「あざとい」ところが見えたら、人は逆に引き
まっせ(^^;

ということで、昼休みはそろそろ終了なり。
さ、仕事に戻っるぺ(笑

(プライベートPCからアクセス)


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