渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ラ・ムジーキ

2016年08月21日 | 音楽

Django Reinhardt documentary


ジャンゴ・ラインハルトは最高だぜ!

アメリカンジャズとは違う、なんというか、ヨーロッパの流れ者、
漂泊の民であるジプシーの哀愁メロディのような音の世界。
哀しさと楽天性が高次に融合している。
あたしゃ大好きですねえ。
高邁な音楽というのはどうも苦手だ。
なんとかコンクール入賞、誰々先生に師事、なんとか大学卒業
とかを肩書に据えないと演奏できないような音楽は俺は嫌い。

ジプシーってヨーロッパではものすごく差別されてたけどね。
だけど音楽は力を持った。
ジプシージャズは垣根を越えて多くの人々に愛された。
これは日本の芸能とその担い手の歴史にも通じるものがある。
為政者の権威に依拠したものではなく、民の側から生まれた魂
の咆哮たる音の調べとして人々の琴線に触れて来た。

よくジャンゴの子のバビクや孫のデビッドのことを指して、「ジャンゴ
の正統なサラブレッド、王家の紋章」とか言ってるわけわかめが
いるが、私はそいつは完全なバガヤロ様だと思う。ジプシーが置か
れてきた歴史性などを一切見ようとしていないし、よくいる権威主義
的な発想と視座を動員してジャンゴ・ラインハルトとジプシー音楽を
狭い自己枠の視点に嵌めようとしているからだ。タコだね、それは。
戦争と革命の時代20世紀が生んだ偉人、ジャンゴ・ラインハルト。
エディット・ピアフと共に私は大好きだ。
それは、彼と彼女が奏でる音楽が、世の俗人たちが好む権威主義的
な価値観とは乖離しているからである。
そこにフランスならではの「背徳の美学」を私は強く感じる。

このドキュメンタリーでは、46分頃からの哀愁のジャム・セッションで、
ジャンゴの孫の5歳くらいのデビッド・ラインハルトが嬉しそうにギター
抱えて映っているという貴重なフィルムだ。

かわゆい(^-^)


これは大人になったデビッド・ラインハルト。
ボニー・ヘブの名曲サニーを演奏している。グレッセの裏の取り
方が絶妙。ギターだけなら隣りのグレッセのおっさんのほうが
ずっと巧いけど、ジャンゴ味としてはやはりデイブのほうだ。
デイブはジャンゴとは別奏法なのだが、どことなくジャンゴ・テイ
ストが出る。
Rocky Gresset - David Reinhardt "Sunny"


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2016年08月16日 | 音楽

糸 平原綾香 Ayaka Hirahara


本家と比較するのは野暮だが、これ、すごくいい!


こちらは地元の友人が推すシンガーUruさんの「糸」
糸  中島みゆき  COVER by Uru



一番好きなのはこれかな。
番組企画で一般飲み屋のはしごでヘロヘロになっているEXILE
の ATSUSHI がノリで一曲歌ってる。

でも、酔っていながらも、心に響く。 
EXILE / ATSUSHI(あつし)「糸」街角LIVE 2016 [魂の歌声!]


ATSUSHIの笑顔がなぜかボクサー元世界チャンプ畑山の笑顔に
似ている(笑)

プロ、アマ関係なく、本物のシンガーかそうでないかは、人の心に
うたう歌が届くかどうかということ。
そして、プロの中でも本物は「上手く歌おう」などという人はいない。
上手いだとか下手だとか、そういうレベルの範疇にはいないから。
素人との違いはそれ。
表現者であるかないかで、うたうたいであるかないかの道が分かれる。
最近はやりのカラオケ点数番組やカラオケの無機的機械加算などは、
うたうたいがうたう「うた」の質性とは一切関係がない。
「点を取る歌い方」などはやろうと思ったら誰でもできる。私とても
ある曲では99.78点だった。感性や感情の発露などは関係なく、
音程を一切外さずに多くの作意的くすぐりを入れれば点は高得点に
なる。しかし、それは人が歌う「うた」ではない。本物の「うた」は機械
での点数などでは計り知れない。
なぜならば、本物の「うた」は人ありきの音楽だからだ。人間不在の
機械で人の歌を測ろうとしていること自体がくだらなく、道から外れて
いる。
ミュージックというよりも音の楽という日本語の響きが「うた」の本質
すべてを表している。

 


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【感動・神業】ギタリストの神演奏に観衆は感動!

2016年07月14日 | 音楽

【感動・神業】ギタリストの神演奏に観衆は感動!


一部、津軽じょんがら節が入っております(嘘

いいっ!( ̄▽ ̄)

つか、私にはこの人がイェスに見えてしかたない(^^;


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【大友康平伝説】カラオケで宇多田ひかるをハウンドドッグ大友節で爆唄!!

2016年06月10日 | 音楽

【大友康平伝説】カラオケで宇多田ひかるをハウンドドッグ大友節で爆唄!!


これはアカン(≧∇≦)


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反骨のロッカー

2016年06月06日 | 音楽



大学時代の親友のFBから。
キッカワさん、カッケー!


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ルパン三世のテーマ'78 エレキギター

2016年05月21日 | 音楽

ルパン三世のテーマ'78 エレキギター


ま、俺と同じくらいかな(嘘


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【亀田音楽専門学校】ゲスト講師は布袋寅泰

2016年04月08日 | 音楽



【亀田音楽専門学校10/2】①ゲスト講師は布袋寅泰



【亀田音楽専門学校10/2】②ゲスト講師は布袋寅泰


【亀田音楽専門学校10/2】③ゲスト講師は布袋寅泰


最高!


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必殺シリーズ 1970年代 主題歌メドレー

2016年03月21日 | 音楽

必殺シリーズ 1970年代 主題歌メドレー


歌いつがれている必殺!シリーズのテーマソング「荒野の果てに」は
「必殺仕掛人」のテーマソングとして藤田まことさんの次女
藤田絵美子さんも歌っていた。
1974年「必殺仕留人」のテーマソング「旅愁」は大ヒットした。
これを歌ったのは西崎みどりさんで、当時14歳だった。私と同学年。



昔の人ってのはね・・・、なんつーか中学生でも大人びていたもんです。
顔見ると中学生だなって感じはしますが、実際に話すことなどもしっかりと
していました。

俺、どう見ても今の中学生は小学生にしか見えない・・・(^^;

しかし、今「旅愁」を聴きなおして、「たぶん・・・じゃねぇのぉ?」とか思って

調べたら、やっぱり作曲は平尾昌晃だった(^^;
なんとなくわかるよなぁ、曲調って。
こういうの、創作アーティストとしては大切なことだと思います。
ユーミンの曲とか竹内マリアの曲とか大瀧詠一とかってわかるもんなぁ・・・。

だけど、この曲の大瀧詠一さんだけは、どうしても「風」時代の伊勢正三さんの
歌声と歌い方に聴こえてしまう(笑
特に、一番のサビの部分までね。曲まで「風」サードアルバム以降の「風」に
似ているよ(笑)。おいらと同世代の人にはわかるだろうけど。
大瀧 詠一 (Eiichi Ohtaki) - 君は天然色 (Kimiwa Tennenshoku) (1981)


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アミラ・ウィライアージ

2016年03月10日 | 音楽

Amira Willighagen - O Mio Babbino Caro - for English-speaking viewers


イタリアの友人から若きこの歌姫の存在を教えてもらった。
なんじゃこりゃ!
これが神の采配というものか。

感動しちゃったよ。
こんな子はめったにオランダ。


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若き歌姫

2016年03月08日 | 音楽

フランスのキャロライン・コスタさん。

caroline costa 2 titanic



審査員のフランス人、日本語で「かわいいー」って言ってる?

いわゆる喉を傷めた後の聖子ちゃんのようなキャンディボイス
というやつでしょうか。
巧い下手では測れない独特の世界を持っていると思う。
ある時はさかなクンに見えて、ある時は青江美奈に見えるという(違
ところが、こういう小学生を嫌う風潮もあるらしく、サムダウンをマーク
している人も多くいる。子どもらしくないからだろう。そういえば、美空
ひばりさんが登場した時も、「化け物のような子供」と揶揄されて嫌う
人も多かったという。
でも、そういうのもどうなんざんしょ。
キャロラインは活き活きとしている。メルシー!ボクゥ!と。

Caroline Costa I will Always love you


これは高校生の頃のキャロライン。今は19歳。
おねーちゃんになってしまいました。
Caroline Costa - Rolling in the Deep (Adele Cover)


マチューのようにフランス語で歌ってほしいなぁ・・・。
これはエディット・ピアフ以来のシンガーと呼ばれた19
歳の頃の
ミレイユ・マチュー。
Mireille Mathieu "L'Hymne a? l'amour" 1966]


ピアフとは違う良さがあると思える。
というか、レッスンでどうとかなるような世界ではない。
マチューのこれは天からの才。つまり天才。
この表現力に触れると、ピアフ再来と謳われたのがよくわかる。

才を得て魂を歌いあげる表現者って、好きだよ。
軽く歌い流さないんだよね。
魂を削るようにしてうたう。
なぜなら、うたうたいだから。





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徳永英明 / 輝きながら・・・

2016年01月19日 | 音楽

徳永英明 / 輝きながら・・・


うおぉお~。
1987年を想い出す。
いろいろありました・・・。

徳永さん、私と同学年です。


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ラジオ体操 第1 ジャズバージョン

2015年12月31日 | 音楽

ラジオ体操 第1 ジャズバージョン


笑った。これはいい(^0^
というか、もう亡くなってしまった銀座西五番街のおかまのマユミさんの
ピアノがこういう感じだった。

これはいやだ~。葬送曲みたい(笑
ラジオ体操第一を短調にしてみた【sm2504090】

これががいい感じ。
ラジオ体操 第1 サンババージョン


いろいろな人がやっているyoutubeのこの「もしも~」シリーズは
面白いよ。

こういうキテレツなことも実力があるからできる。おもれ~。
ひたすら移調しながらトルコ行進曲を弾いてみた


最高!
モーツァルトにポニョを弾いてもらった


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生きてることはただそれだけで 悲しいことだと知りました

2015年12月22日 | 音楽

♪赤ちょうちん♪cover

2008/07/17 にアップロード
4畳半ですねぇ~(懐)。


いい感じ。原曲の世界がよく伝わる。
ただ、よく「四畳半フォーク」などとよばれたが、ほんとは四畳半
ではない。
喜多條忠が暮らした早稲田界隈は四畳半の部屋などは贅沢で、
「三畳一間の小さな下宿」(「神田川」)が多くあり、それが一般的
だった。
私の義理の兄は40歳過ぎで病で亡くなってしまったが、早稲田と
中央大に合格し、なぜか早稲田には進まずに中大に通っていた。
ただし、住んでいたのは早稲田だった。三畳一間のアパートだった。
寝る時には狭いので、押し入れの襖を開けてそこに足を突っ込む
ようにして寝ていた。

「かぐや姫」は、セカンドシーズンメンバーである明学の南こうせつ、
明大の山田つぐと、千葉工大の伊勢正三の時に爆発的に売れた。
後に彼らが歌ったフォークは「四畳半フォーク」と呼ばれた。
「可能性の時代」「異議申し立ての時代」が権力の圧倒的暴力の前に
完全敗北し、若者は自閉的に外の世界での自己表現ではなく、内向的
に個人的な感傷にひたるのが一般的となるような時代に彼ら「かぐや姫」
は出た。
数年後に中島みゆきが「時代」で、もろに「異議申し立ての時代」の
回想によって完全敗北に打ちのめされている時代を超えて「前を向いて
生きよう」というメッセージを送るのであるが、あの曲を時代的世相を
無視した単なる「昔の思い出ソング」とすることなどは、中島自身の
来歴や「世情」などの同時期の曲、彼女の根底に流れる曲作りから
それをするのは安易に過ぎる。
そこには、明らかな「同時代性」があったからだ。

昭和を懐かしむのはたやすい。
だが、昭和という時代こそは、戦前・戦中・戦後を経験した、日本の中で
忘れ得ぬ時代だった。忘れてはならない時代、と置き換えてもいい。

ちなみに今は「戦後」ではない。
今現在は、「戦前」なのである。


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ハーモニカおじさん

2015年12月06日 | 音楽

このハーモニカのおっさんやべえwwwww


ここ数年で一番私的にウケたのは、トニー・エマニエルのギター
ではなく、このハーモニカおじさんだった。


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ドカンチ解析 ~赤いスィートピー~

2015年12月03日 | 音楽

松田聖子の名曲「赤いスイートピー」は"童貞マルチ商法"の歌

こいつら全然わかってねーね。
いけいけドンドン、カモン!エブリバディ!でロケンローだった
俺が高校時代に半年手を握らなかった彼女がいた。
ここで評論している奴らはてんで解ってないね。
純愛だとか経験値のゼロの有無だとかとは全く別世界の高度な
情況判断による「戦略的作戦」というものがあることを知らない。
アホか、っつーの。
手練手管ってのは、世の中あるんだよ。
でもって、むこうはそれも織り込み済みなの。
わかってねーなぁ、男と女の世界を。
「童貞」で一括りする馬鹿さ加減が話にならない。
また、戦略的高地にあっても、状況によっては男は常に童貞にも
成り得るということにも知見が及んでいない。
初体験があるかないかというところでしか区切りができていない
ところが実にあさはかだ。女性の破瓜と同じに男性を捉えている
点がそもそも男女関係における女性を冒涜している。これが今風
なのか。
ルビコンを渡るか渡らないかで男になるかならないかがあり、
それは男女関係においては、肉体関係の有無をも凌駕するので
ある。
こいつら、まったく解っていない。浅く、薄い。
女性の場合のような清水の舞台からというところは男性の場合には
ない。処女性のような透徹さを男に求めたり私的思いを重ねたり
するのはまったく意味がない。それは同時に男の童貞は女性の
処女とは比較にならないくらいに意味のないことであるという実相
から目を逸らしている。
男女関係は、肉体関係に踏み込む時、男と女ではまるっきり位相が
異なるのである。処女が非処女になることと童貞が経験済みとなる
ことは同列ではないのだ。
童貞であるかないかなどは大したことではないが、女性の場合は
常にリスクを背負わされるのであり、男と生理学的にも人体構造的
にも同列に置いて論じることはできない。
童貞ごときに処女性と同じことを求めるのは、女性に対する冒涜だ。
童貞であるか否かなどは、なんの意味も持たない。そんなことは
世の中の事とは一切関係がない。
だが、女性は常に肉体的構造から「受け身」なのであり、男性と同列
に置けはしない。男が童貞であるかどうかなどはくその価値もない
ことであるが、女性の場合はリスクヘッジ含めて、常に危険な状態に
置かれざるを得ない人間の肉体の仕組みになっている。
断言しよう。
童貞には神聖性も、童貞亡失後の開眼なども一切存在しない。
童貞か否かはまったく人間社会では意味のないことなのである。

意味のないことをさも意味がある戦略配置で作られた楽曲のように
この紹介したページでは解析を試みているが、切り口が上滑りなので、
深部に切り込んでいかず、表面を刃先がツルンと滑るだけだ。
しかも、この曲の作詞は松本隆、作曲はユーミンだ。すべて計算ずく。
「マルチ商法」という視点は惜しかったが、切り込みの中身がてんで
なってない。スカ。

商業楽曲おそるべし、ってところが本質なのだが、「童貞マルチ商法」
という読み方はかなり本質とは違う。
「織り込み済みの予定調和」こそが松田聖子を「商品」とした場合の
基本構造であるのだ。戯作の世界なんだよ。

仕掛け人たちのただものではない戦略と戦術が読みとれるか。
この下の二つの動画の微妙なタイムラグにおける松田聖子の変化を
正しく読みとれるか。
そこなのだ。
だが、ファンたちは「あえて」「乗せられる」ことを楽しんでいたのであり、
くどき落とせそうで落とせないのに口説きつづける飲み屋のおねーちゃん
へのアプローチをただ楽しむだけ、というような予定調和が松田聖子にも
あったのである。
これは自然発生的なものではなく、ごくごく意図的に作出されたものだ。
松田聖子を語る場合、「お約束」を前提とした作り手と受け手の調和が
厳としてあり、そこを背骨とする戦略構造を見切らないと松田聖子は
語れない。


松田聖子  赤いスイートピー

Seiko Matsuda (松田聖子) - Akai Sweet Pea (赤いスイートピー)


松田聖子は、状況と情勢に合わせて、完全に演じきることができる。
プロ中のプロなのだ。
だから、松田聖子の曲は、別人が歌っても松田聖子にはならない。
松田聖子を演じられるのは蒲池法子だけであり、他には世界に二人と
いないのである。
そして、作り手と演者の戦略と技法がバシッと決まり、唯一無二の
「アイドルの中のアイドル」という彼女だけ突出した世界を歴史的に
作出できたのである。
松田聖子の前に松田聖子なし。松田聖子の後に松田聖子なし。
なのである。

圧倒的声量で歌い上げる時期から、喉がやられてしまいウィスパー
ボイスの歌唱法に転換して聖子は見事に成功した。その歌い方は
「キャンディボイス」と呼ばれてファンに受け容れられた。実態は声が
出なくなったのにだ。
やむなくその歌い方になったのは1981年10月発売の『風立ちぬ』
からであり、次の曲である翌年1982年1月の『赤いスイートピー』で
その新しい歌唱法は完成された。
上掲の二つの動画は、その端境期、まるで慶長新刀のような貴重な
歴史的動画なのである。「前期に属する前期最末期、次代への過渡期」
と「その後、後期から現在まで」を示す二つの動画なのである。
最初の動画で歌手としての聖子の揺れる心の苦しさが伝わるだろうか。
否、感じとれるだろうか。前期の歌い方から脱却し切れていない歌唱法
で歌いきろうとするが、どうしても体の状態がそれを赦さない。
二つ目の動画は、新歌唱法で完全に乗り切った後の動画である。
激流に耐えて育ったニンフは亜成虫であるダンを経て、妖精のような
透き通るメイフライになった。

このような歌唱の移り変わりと、作り手と演じ手の戦略構想を現実化
させるべく歌を聖子がうたっていた時代にタイムリーにいられたことは、
私にとってはとてつもない僥倖であった。それは、松田聖子的な面で
松田聖子を超える歌手の存在を知らないからだ。
別枠ではいくらでも実力者はいるが、松田聖子は松田聖子なのである。


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