渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

宝塚記念 〜ゴールドシップ〜

2014年06月29日 | スポーツ・武道など









来たよ〜。ゴールドシップ!




横山ノリちゃん、いい顔してる。




それにしても美しい馬だ。美しい勝ち方が似合う。きょうはちゃんと走った(笑
圧倒的な強さだった。史上初の二連覇だ。本日、初めての記録が生まれた。





数年前、3連単で18万円当てて以来宝塚記念は買ってないが、きょうの
3連単は100円で251,440円がついた。

んなもん、当たるか!(笑
着順を人気順でいうと、ゴールドシップ(1番人気)−カレンミロティック
(9番人気)−ヴィルシーナ(8番人気)だ。
4着5着はヒットザターゲット(12番人気)−デニムアンドルビー(6番人気)。
え〜と、こんなの当たりませんね(爆
圧倒的多数の人たちの勝ち馬投票券は宙に舞ったことでしょう。

人間でさえ誰が来るのか確実には読めないのに、馬が走るのだから
どれが来るのか分かるわけがない。
だけど、それだから競馬は面白い。
というか、競争=レースは面白い。


次の大荒れは10月19日、秋華賞です(^^
ウリウリが来るよ〜(嘘)。

鞍上浜中。カッコイイ〜♪


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お薦め刀剣

2014年06月29日 | 日本刀

昨日、刀剣しのぎ桶川店に行った。
私が実物を見て「いいな」と思った刀剣があった。

これ。


磨り上げ物なので二尺一寸一分二厘(64センチ)という短寸だが、
状態頗る健全、出来も良い。
元々は二尺三寸五分程の長さだったことだろう。
元幅3.0センチ、先幅2.2センチ、元重6.5ミリ、先重5ミリ。
磨り上げ以外は健全で出来もいい。
とにかくね、鋼がいいよ〜。ねっとりと錬れて粘り強そうな感じで
潤いのある肌がプリプリとしている。活きの良い魚のような(^0^)

私個人は会津兼定と観た。
店長に言ったら「いい線ですね。幕末で美濃刀工はあまり活躍して
いないから、会津兼定極めはよいところに思えます。一見、肥前刀
かと見間違いますけどね」とのことだった。
最幕末ではなく、もう少し前の復古刀ルネッサンスの頃の作かも。
これ、鑑賞に居合に斬術に、まじでおすすめ刀だと思います。
新作拵付で25万。超格安の心意気一発提供販売価格だそうです。
二尺一寸前後をお使いの方や女性の方、いかがでしょうか。

こういうの、あんまし出てこないと思う。
長さが二尺三寸五分あったら私が欲しい。
刀剣しのぎの店長も、「もう少し長さがあったらお店に出しません。
私の差し料にしています」と言ってました。
本当におすすめです。
柄前はこだわって、構えた時に右掌からの目釘打ち込みの逆目釘
打ち込みの武用仕様にしてあります。拵は新品。金具は新物ですが、
鍔は武骨な時代鍔が着いています。


詳しくは→こちら


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刀の錆

2014年06月29日 | 日本刀

刀は今の時期が一番錆びやすい。
蔵刀の中でも鑑賞用になっている刀剣類は錆びない。
なぜならば、鑑賞刀は人口加工ではなく自然に形成された表面酸化
被膜で覆われており、錆にくくなっている。
その被膜の厚みは数nm(ナノメートル)という薄さであるらしい。
(1ナノメートル =0.000 000 001メートル)

居合等で使う刀は、常に納刀等で人体が刀身に触れ、擦れるため
この表面保護被膜が形成されても剥がれてしまう。
真剣日本刀は、ひどい時には稽古している最中でどんどん錆びて
くる。最初は赤く錆びる。
つまりこれは、化学的には人間の汗に含まれる塩化イオン(Cl )に
よって表面酸化鉄の水への溶解度が上がるために
刀身表面の不動態
皮膜が破壊されて皮膜による防錆作用が無効に
なるからだ。表面を
保護する酸化被膜(黒錆)が除去されることにより、
さらに錆びる
(赤錆)ということになる。

化学的特性の説明は省くが、酸化第二鉄に代表される赤錆が発生した
場合、刀身の腐食はいつまでも続く。
しかし、黒錆=四酸化三鉄(Fe3O4
は腐食が進行しない。

また、研ぎ直後の日本刀が極めて錆びやすいのは、刀身の肉眼では
見えない肌目に水気が残っているからだとされている。
そして、残念ながら、居合で使用する真剣日本刀で錆びていない刀は
存在しない。日本全国、居合人口が仮に100万人いたとしたら、100万口
の日本刀が錆びている。これは仕方がない。特に納刀の際に触れる棟の
部分がどの刀も必ず錆びている。刀とはそういうものだ。
ただし、錆は悪錆として進行しないように手入れをする必要がある。
研ぎ上げた鑑賞刀は錆がない。
だが、これも手入れを怠ると、やがてぼんやりと表面が曇ったようになり
(それはすでに錆が出ている)、いずれ錆が深くなる。手入れは大切だ。
鑑賞中は話などしてはならない。息がかかったり唾が飛んだりしたら、
それだけで錆を呼ぶ化学変化を起こさせるからだ。
研ぎ上げた刀身をパリッと真空パックにしたら(昔の免許証のように)、
錆びることは極度に少なくなるだろうが、それはあまりに味気なくなる。
(かつて真空パックされた1億円の現金を持ったことがあるが、子供銀行券
にしか見えなかった。笑)


私の居合用日本刀

全身研磨に出したのはちょうど20年前だ。434年前の天正8年製の刀である
が現役だ。ただし、手入れを怠ると、稽古しているさなかにどんどん錆び
てくる。
秋季〜冬季はまったく錆びないので、錆の原因は汗に含まれる塩化
イオンの
影響による化学変化であることがわかる。


やはり、汗の影響で錆びるという証左ともなろうが、棟の部分がよく錆びる。
油で洗い流すようにして、徹底的に錆を除去し、防錆剤含有の100%化学
合成油(YAMAHA管楽器バルブオイル・ビンテージ)を塗布して保管しておく。
(CRC5-56はベースオイルと有機溶剤の関係からお薦めしません)


刀身を拭った油を浸したティッシュ。上の状態から一番下の状態に
なるまで何度もぬぐって錆を除去する。やはり、棟部分が一番
錆びてくる。

こちらは末備前長船の刀。試斬にも使うが、居合稽古ではしょっちゅう
使わないのでまったく錆は出ない。年代的には上の刀よりも20〜30年
古い天文年間の作だ。


一方、こちらの短刀は赤錆ではなく黒錆が発生しているため、
これ以上朽ち込んでいくことはない。





かつての所有者が棟でバンバン鉄板か何かを叩いたようで、刀身全体で
73か所のへこみ疵がある。
しかし、折れていない・・・ということは(^^)v
この鎬造りの寸延び短刀は、いずれ資金が準備できたら、刀を差別しない
プロの方に研いでほしいと思っている。なんとか刀としての原姿を復活させて
あげたい。

白鞘と鎺(はばき)も新調し、さらにその後は気の利いた拵も作ってあげたい
と思っている。大刀以外の拵については私はよく知らないので、現在勉強中だ。

棟。ひどいことするなぁ・・・。待ってろよ。いずれ蘇らせてやる。


焼刃は面白いと思う。備前か?


え〜、例によって下手な押し形です。これからは違うぜい。秘伝を伝授されたから。


これも黒錆の例。江戸期の小柄小刀(吉道、正真)


こちらの面も真っ黒だったが、これは私が少しだけ研磨して、
刃文が見える状態にまでした。本研ぎではないので、地肌
は見えない。


こちらの面は本当は研がない。鑢目仕立てのままが本来の姿だ。
ただ、昔は小柄小刀は実用ナイフでもあったので、こちら側も研いで
しまうこともあったようで、現存する作品は研がれている物も多い。
私は研がない。



現在の拵はかなり傷んでいるが、確実に侍がいた時代の合口拵である。
出し目抜きは脱落か。

これとまったく同じ拵を新規に製作したいのだが、もしかして、職人さんが
いなくてできないかも?
というか、再現するだけでン百万とかかかったりして(笑
刀装具の値段とかよく知らないからなぁ。

それでも、同じよく知らないのでも、悪い方向の無知よりはずっと
ましだと思う。
ネット上のコラムか対談でこんな感じの対談をしている「文化人」が
いて、その無知さというか見識の低さ加減に呆れたもの。ほぼ忠実に
再現すると以下だ。


文化人A「いまだに日本刀なんて作ってる人がいるらしいよ」
文化人B「日本刀は日本の伝統文化の一つということらしい」
文化人A「武器が国の文化だなんてこと言ってるのは恥ずかしいし、
     日本人は自ら野蛮人だと言ってるようなものだね」
文化人B「武術などで真剣の日本刀を使う人もいるらしいよ。刀って
     いくらくらい出して買うのだろう」

文化人A「武器が文化だとか馬鹿なこと言ってる連中だ。金に糸目は
     つけなかったりするかもな。1本10万円とか言ってたりして」

馬鹿ですね(笑
無知以前に見識が低すぎて話になりません。
こういう「文化人」が伝統文化を破壊していくのでしょう(苦笑
日本刀は野蛮人の象徴かぁ(笑
ま、それでもいいけどね。ハラキリの首狩り族の末裔なんだから(笑

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刀剣談義

2014年06月29日 | 日本刀

刀剣しのぎ桶川店に行ってきた。
やべ、蕎麦御馳走になっちまったよ。ごちそう様でした。
近所の美味い蕎麦屋さん、今年一杯で店閉めちゃうんだって。
とても残念す。新藤店長も消防団の先輩の店なので、なんだか
寂しそうです。

刀剣しのぎでは、刀の話全開で、すげ〜長居をしてしまった。
二人でいろいろ矢継早に刀の話をして、気づいたら6時間
店にいた(笑

刀も、店頭に置いてある作だけでなく、奥にしまってあるいろんなのを
見せてもらった。勉強になった。

今回のメインテーマは「錆」だったが、新藤店長と話していて面白い
のは、「これはこういうものだ」と固定的に断定することを彼はしない
ことだ。
このあたりはウマが合う。
俺、断定決め付け人間大嫌いだから(笑
いや、本当にかなり相当嫌いなんだよ。例えどんなことでも勝手に
決めつけて顧みることもしない奴は。「これはこういうもんなの」と
いう具合にね。
それと、自分を(よい方向に)変化させていかない奴。成長しようと
努力しない奴ね。「これはこういうもんだ」として人の意見を拒否
する奴もそうだね。
たとえば、料理でも「これ少ししょっぱい」と言ったら、しょっぱいから
しょっぱいと言ったのであって、それを「それはそういうもんなの」
とか「文句があるなら食べんでよろし」とか言うのは、俺は個人的
には最低だと思っている。
もっとも、しょっぱいの意味を解そうとはせずに、なんでも辛い-辛くない
で済まそうとする人は論外だが。

何作も刀を見せてもらい、都度、その作に関して、あるいは鑑賞上の
事に関して等、店長と意見交換した。
これがすこぶる面白い。
新藤店長も、一般的刀剣鑑賞上の定説に拘泥することはせずに、
独自の切り口で解析したりもする。深い。「なるほどねぇ」と唸ることも
多い。
逆に、私の所見についても店長が「そうか。そういう見方もあるのか」と
いう点もあり、そうした相互検証がすこぶる面白い。
なにが面白いって、それが与太ではなく、かなり大真面目な刀剣談義
だから面白い。
談義といっても、床屋政談のようなものではなく、互いに大真面目に
日本刀についての所見、知見を忌憚なく述べ合う。 いいぜ(^^)

沢山見せてもらった中で、今回の訪問は唸りまくりの作が多かったが、
この三原物は良作だった。

鞘師ってさぁ、すごいよね。
ツナギという本歌刀身と寸分たがわぬモックアップを作っちゃうんだから。
この三原物の短刀はなかなかでした。





広島県登録なので、ずっと広島の土地にあった作かも知れません。
広島藩士の持ち物だったかな?
「懐刀(ふところがたな)」という作でしょうか。
重ねはかなり厚いものがあります。

あとね〜。
「押し形」の採り方を教わったよ。
俺のやり方と全然違うんでやんの(^^;
あたしのも間違ってはないんだけどね。刀剣柴田で教わった方法だから。
だけど、しのぎ桶川の新藤店長のやり方は、これまた独自開発の
テクがあって、その別技を5点ほど教えてもらった。
以前から、しのぎ桶川の押し形はなぜあんなに丸写しのように
綺麗に取れるのか不思議だったが、なるほどなぁ・・・う〜ん・・・と
いう手法を使っていたのだった。目からウロコが5枚落ちた(笑
技は見取って頭に叩き込んだぜ!

広島の三原に帰宅してから、早速道具を準備した。
明日は、明々後日の火曜に返そうと思っている尾道道場の仲間の
刀剣3口の押し形を採ろうかと思っている。
いや〜、俺と全く違うやり方のポイントだけで5点だよ。
目からウロコというのはまさにあれだった。


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書籍2冊

2014年06月28日 | 外出・旅
帰りの便で読む書を書店で購入した。
といっても、あっという間に広島に着いちゃうんだけどね(笑

『現代語訳 魏志倭人伝』

これは面白そうだ。
『魏志倭人伝』の原文は2000字ほどだ。つまり、原稿用紙5枚ほどしかない。
それをどのように1冊の書にまとめるのか、著者である学者のその手法を俺は
読み取りたい。
てか、20ページほどさっと読んだが、著者の先生はめちゃくちゃ文章が上手い。
展開が巧みで丁寧であり、かなりの説得力を持つ。
こういう上手な文章は櫻井よしこさんの語り口のように注意が必要で、論の
中身よりも、文章の展開如何で無意識に首肯させられる場合がある。
大切なことは、文調や文体や使用言語ではなく、論の内実である。
とはいっても、読み手に意思と論旨を伝達させるためのコミュニケーション
のツールとしての言語の使用態様が己の独りよがりや手抜きのはしょり
(人間性が不誠実な者に多い)を常とする書き手は、言語自体の使用に不自由で
ある以前に、相手に理解してもらおうということに努力をしないで自己中心的
なことにのみ忠実なので、論以前に人間社会での適応性にそもそも問題がある。
文筆は放尿脱糞行為とは異なるのである。
日記でない文章、とりわけ論を展開する文章においては、相手に如何に理解
してもらうか、相手にどれだけ正確に伝わるかが命であり、これに尽力する
気もない者は、論の展開などできないのだから、一切、文章など書かないことだ。
換言するなら、言語に不誠実な者は人に対しても不誠実なのであるから、人
とのコミュニケーションをとる能力が無い。
能力が無いということはできないということなので、できないことを誤魔化しても、
無理が生じて、諸方面でトラブルを発生させるだけだ。それは害悪である。
まさに論外というもので、話にならない。



次はこれ。
『駄作』

題名がインパクトあるね〜。
解説によると・・・
「ベストセラー作家だった親友ビルが死んだ。追悼式に招かれた売れない
作家プフェファコーンは、ビルの仕事場で未発表の原稿を見つけた。誘惑に
かられた彼はその原稿を持ち出し、自作と偽って刊行した。思惑通りの大当
たりで、一躍ベストセラー作家に成り上がったプフェファコーンだったが・・・」
とある。
これは!!
今ドンピシャで旬か?の剽窃流れ旅(笑



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式典

2014年06月28日 | 外出・旅


昨夜はパレスホテル大宮にてある式典に出席した。


10年前の式典は新宿の京王プラザだったが、今回は大宮だった。
大宮には小6から中3まで住んだことがある。あまりの西口駅前の様変わりに驚く。
市の名もなくなった(笑
大宮は男はガラッパチだが女の人はとても優しい土地柄だった。
相対としては底意地の悪い「嫌なやつ」はあまりいない土地で、人は良い。
大宮を基準に岡山に行ったら確実に死亡フラグ即立つけどな(笑

きょうの昼は桶川しのぎの新藤店長と蕎麦でも食うか。
で、仕事あっからとっとと広島に帰っぺ(^^)

ちなみに、埼玉では、大宮以北では方言があり、「はぁ、けえるんべ」となる。
群馬弁に近いね。
「はぁ」という合いの手が入る。不思議なことに、広島弁でも「はぁ」が入る。
隣国でも攻撃的な岡山弁と比べると広島弁は間伸びしたように聴こえる。
埼玉は武蔵の国で、南は神奈川県の川崎市までが武蔵の国だが、武蔵広しで、
場所によって言葉が全く違う。
東京西部の三多摩あたりに行くと、ベイベイ言うしね。
つながってる神奈川県の厚木あたりもベイベイ言う。中居君がそうだよね。
横浜言葉も、北部の鶴見区はジャンは使わないが、すぐ南の神奈川区から
最南端の戸塚まではジャンジャンとジャンを使う。
小学生の頃、横浜から埼玉の大宮に転校した時、ジャンと言ったら笑われたよ。
おめ、それどこの言葉だ?すかしてんじゃねーぞ、と。
すかしてるってなんだ?と、こちとら意味不明だった(笑
おいらの言葉は相州伝だから(笑
でも、小学校3つ、中学2つと転校が多かったから、小さい時から一箇所でなく
いろんな場所の文化に触れられて面白かったよ。
「どこでも一緒」てのは絶対にないね。
ただ、「たとえ離れていても変わらずに一緒」てのはある。
それは愛かな(爆
♪遠く離れてしまえば 愛は終わると言った(by チューリップ)
なんてのは、ホントはねーよ。
ふるさとは遠くにありて思うもの、とか言うじゃん。
人も同じだと思う。離れた瞳、いや、離れた場所にいても、気持ちは変わらないよ(^^)
エイドリア〜ン!(笑


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下町

2014年06月27日 | 外出・旅
朝一番の便で立ち、今都内にいる。


昼はこれだ。
駅構内で寿司が食える。

これがない寿司は俺は寿司とは認めない。
これを認めないトンチキは、呑み込むようながっついた早さで串揚げか
練り物でも食らってやがれ。


ホームからは東叡山忍岡あたりがみえる。

虎徹が住んだ所だ。

やはり、刀も人もこの地に限る。

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城のある町

2014年06月27日 | 文学・歴史・文化

これは備後福山城である。三原城の東隣りの城だ。
幕末には日米ポコペン条約を結んだ阿部家が治めた。


奥に見えるのが再建天守だ。
江戸期の天守は戦災で消失した。


三原城に次いで、駅から近い城全国二位だろうか。
全国一位は三原城だ。
何せ城の真上に駅がある。城址公園へは駅の構内からでないと入れない(笑

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予感 〜日本刀〜

2014年06月27日 | 日本刀


この刀、めちゃくちゃ切れそうな気がする。
研ぎで直刃に刃取っているのかと思ったが、詳細に見ると
小乱れの直刃調だ。
だが、映りの地斑(じふ)部分ような鋼の変化がすごい。


「見ないと見えない」というのはこういう部分のことなり。


偽名(ぎめい)ものだが、上(かみ。なかごから上の刀身部分)が
上出来の作
だからこそ偽名が切られる。
ニセモノとは呼ばずにギメイってのが、なんとも刀剣界の便法では
あるの
だけど、偽名物でも良いものはかなりある。
この作などはザングリとした肌が好みが分かれるだろうが、真面目な作だ。
刀剣選びは、出来を取るかブランド名を取るかの違いだろうと感じる。
私の場合は圧倒的に前者なのだけど、偽名は偽名で毛嫌いは
していない。奈良のお土産刀以外は上がそこそこの出来であることが
多いからだ。
刀剣には位列・番付というのがあり、金員の動きが絡むから偽銘は
下位ではなく上位作の銘を切られてきた歴史がある。無名の鍛冶の銘などは
普通はまず切らない。

ただ、私個人としては、作者が判らなくされてしまうのが一番
「待ってくれ〜」とか思う。
しかし、偽名というか後銘でも肥前の御倉刀(城の常備刀)なんて、
出来が似てるから誰の作か分らないけど間違いなく抱え刀工の
肥前刀なので、偽名=偽物と一概には括れない。
そして、それほど、偽名は毛嫌いするようなものではないと個人的には
思うけどなぁ。俺が銘をまず気にしないからかもしれないけど。
でも、俺みたいに銘は気にしない、重要視するのは出来のみ、と
いう連中ばかりになったら偽銘施工者はアガったりだろうね(苦笑

偽物製作者は江戸時代の話ではなく現在でも存在します。
偽物の凄いとこは、稚拙な切り銘などはすぐに看破できるけど、
どう見ても正真というような巧みなことやらかすケースが多いん
だよなぁ。それでも見識ある人が見たらほとんどが見抜かれるけどね。
でもって、いじるのはほとんど全部ナカゴだから、ナカゴ気にせずの
人には目的が通じなくなる。
例外的なこととして、繕いで上の刃を描いたりすることはある。
しかし鋩子が無いのはアウトで、登録OKの刀剣とは認められいない。
とはいっても、戦国期などはかがり火に切先突っ込んで焼きを戻した
と思われる刀も多くあったりするので、線引きが難しいとこだよなぁ。

ひとつ思うのが、最初から無銘の作に後から誰かの銘を切られる
のはともかく、自作銘を消されて別人の銘を切られるというのは、
これは作者としては嫌だろうなぁと思う。
仮に古刀上位作者にされたとしても、嬉しくはないと思いますよ。
ブツだけかすめ盗って作者本人はまるでいなかったように扱う仕儀だもの。
まあ、刀だけでなく、別な事でもそういう奴らは今でもいるけどね。
大抵は善人面してかすめ盗る。
でも、世の中、剽窃・ねつ造・窃盗・強盗の類はいつの時代もなくならない
からねえ。人間てのは嘘つきが多いから。
釣った魚の大きさを騙るというような、ニヤリとさせるホラや大風呂敷は
まあわかるとしても、嘘はホラや大風呂敷とは違うからなぁ。
嘘・ねつ造・剽窃の類に共通するのは、「ごまかして自分に利を
得ようとすること」だろうね。
刀の場合、刀がかわいそす(・_・)

ナカゴの錆つけにしても、ギブツ作り屋さんは巧くやってるんだよなぁ。
よ〜く見ないと古い錆と見分けつかないくらいの錆をつけるもの。

これはギブツ作りのためではなく、ある目的のために出錆の経過を
観察しようと
家でやっている「試し」なのだが・・・。

ただの工業用板材を切断機で切った検体。


約2年、軒下屋外放置した状態。


なぜ、圧延材なのに、このような日本刀の肌目のように錆が
出るのだろう。

そろそろ、部分的に塩水を塗ってからの反応を見てみようと思う。
気の長い話だ(笑
イラチはダメあるよ。
いろんな意味でろくなことにならないのをこれまで多く見てきたから(笑

なかごネタでは、先日、刀屋さんと話していたら面白いこと言ってた。
それは偶然私のかねてよりの初見と同じだったのだけど、それに
ついてはまた次回に書きますね。
予告編的としては、この俺の作った小刀の画像で、どぞ。
大したネタではないんですけどね(^^;


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豪刀

2014年06月27日 | 日本刀



刀は豪壮な造りのほうが丈夫なのはわかってるけど・・・
康宏作と雖も、かような豪刀は拙者自在には使えませぬ。
それに、なんだ、この鐔の厚みは(^^;
「鞘払い1.6キロのコ〜ス小幡君、群馬県出身(水泳の呼び出し風)」
というような感じだろうか。


真剣道主宰として現在米国で活躍中。
合気道塩田剛三先生のお弟子さんだった。剣術は新陰流を
柳生延春先生から学んだ。他にも多くの武術を修めている。
小林康宏刀の試刀家でもあった。

それにしても、両刀とも康宏作だろうが、腰に差している
脇差は脇差とも呼べない長さだすよ(^^;
新選組方式なのだろうか?


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中世までの三原の海岸線

2014年06月26日 | 文学・歴史・文化

中世までの三原の海岸線を見てみる。

これは三原市施設に掲示されていた中世までの海岸線の図である。


この海岸線を基に広島県立民俗歴史博物館に展示してあった遺跡地図に海岸線を引く。

すると、ほぼ「旧石器時代」「弥生時代」「古墳時代」の遺跡の位置と
ぴたりと符合する。
つまり、縄文時代を除くこれらの遺跡は、海沿いに面して何らかの
人の活動の痕跡があるということだ。その理由は?
生活用水としての河川の淡水資源と海路との関係性があったこと
だろう。
縄文時代は縄文海進があったので、この海岸線よりももっと内陸部
に遺跡がみられる。

これを基に現代地図に大まかに海岸線をざっくりと引くと以下になる。


つまり、三原は戦国時代末期まで海だった。
さて、ではなぜ戦国時代に急激に沼田川(ぬたがわ)の土砂が堆積
してデルタ地帯→肥沃な穀倉地帯と化したのだろうか。
縄文海進は自然現象だが、戦国末期に河川に土砂が堆積してして
いった理由は、人為的な何らかの上流部での掘削によるものではないか。

河口部における埋め立ては、江戸期に入ってから盛んに行なわれた。
しかし、これは河口部周辺である(現在の市街地)。
もう少し数キロ西の現在の田園地区が海から陸地に変化したのは
何に起因するのか、私はそこに着目したい。

余談だが、縄文海進といえば、関東のモデル図がよく出てくる。
そういえば、小学校のときに習ったよなぁ。

ネットで見つけたシュミレーションのモデル図がある。
これが、海面0m、つまり現在の姿。


縄文海進の平均値10mでのシュミレーションではこうなる。すげぇな、こりは。


これが、最大の14m海面上昇だとこうなってしまう。あうあう。


をひ。
房総半島は島だよ、島(笑

シュミレーションは →こちら
結構面白い(^^)

ちなみに、富士山のふもとの沼津市はこのようになるらしい。
(現在)


(縄文時代)


ふんがぁ〜・・・。


ところで、ここでもう一度広島県三原市の中世の海岸線の図を出す。


これは縄文海進ではなくその後海面が下降した時代の海岸線を斜線で
示した。
縄文海進について引用したのは、「三原=大昔から陸地としてそこにあった」
という前提に立っている刀剣研究者がほとんどなので、「昔は海だった」という
ことをイメージ化して空間で把握してもらいたいためだ。
瀬戸内海が生まれたのは今から7,500年前の縄文時代とされている。
この図は、そうした縄文時代のことではなく、海面下降が安定しての縄文時代
以降の戦国時代末期までの海岸線を描いている。縄文海進が終了しても、
現在の三原地区は海の中だったのである。

ということで、鎌倉時代末期から南北朝にかけて存在したとされている
「古三原」の刀鍛冶はどこにいたの?
というのが私の命題なのよね。
今の戦国末期の城がある三原ではないことは確実なのだが、いたと
したら、現三原市糸崎の古代名「長井の浦」の海沿いか、あるいは
もっと内陸部のどこかでしかない。
はたまた、全然ここらあたりではなく現尾道市や福山市のどこかだったり
してね。
「三原」という地名(陸がないのだから地名はなし)が存在しなかった
時代にいた刀鍛冶を称して「古三原」と呼称するのは、名称としても
概念としても絶対におかしいように思える。その頃の三原って海だし。

これが長井の浦。古代においては、西に向かう海路の給水地だった。


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冷やし中華と夏

2014年06月26日 | 風情・季節・地球



三原市内には冷やし中華がめっぽう美味い店がある。

これなんかダブルだよ、ダブル(笑
200円プラスで二人前になる。
画像では分かりにくいが、器はかなりでかい。



西日本では「冷麺」と呼ぶのが一般的なようですが、最近は
「冷やし中華」とも呼ぶようです。
そういえば、三原市内も高校生の頃に喫茶店に行ったら、
「アイスコーヒー」という言葉が存在しませんでした。
どの店も「冷コ」(笑
あと、ピラフという言葉も存在しませんでした。
関東で言うところのピラフはすべて「焼き飯(めし)」です。
本当はピラフと焼き飯は少し違う気もするが、ピラフという
呼び名はなかった。チキンピラフなんて言ってもまったく
通じず「鶏焼き飯」なら通じた。(1970年代)

以前、「オシンコ」という言葉が存在しなかったことは紹介
しましたが、段々東西で食べ物の呼び名は共通するように
なってきているみたいね。

それでも、魚の名前はまだまだ東西ではその呼び名が顕在の
ようで、関東でいうところのクロダイは西日本ではチヌとなり
ます。
関東だと以前は江ノ島のある町に住んでいたから、子どもの
頃は毎週父と江ノ島に釣りに行きました。
江ノ島で釣れるクロダイがいつもおかずだった(笑
考えたら、うちほとんど魚買ったことないような気もする。
父は某メーカーのライターもやってて、半プロのような釣り師
だった。そこそこできた。180メートルくらい普通に投げてた。
広島にいた10代の頃から釣りをしたのかというと、以外にも
釣りにハマったのは東京に出てからだという。
そしたら、もう・・・給料全部ぶっこむ勢いの釣り師になった。
釣り師とJazzマンてのはよくないね。ロクデナシてやつだ。
これで文士が加わったら、三大ろくでなし3バカ大集合だ。
と思ったら、オヤジ、Jazzギター弾きで、ライターでもあった(笑
ただ子どもからしたら無理編に拳骨と書いて父と読ませるような
人だった。
字もろくすっぽ読めない5歳のガキを毎週正座させて論語の
素読をさせるなんてなぁ、よくねぇと思うけどなぁ。
着せ替え人形買ってくれっつったらスボコにしっぱたくしよぉ(笑
もっとのびのび行きたいもんだよ人生は(苦笑
「釣りは武術だ」とか言って、釣りを俺に勧めてたけど、俺が
子ども自分にハマったのはヘラ釣りだけだったな。
そういえば、広島県ではほとんどヘラ釣り場がない!
外来種といえばヤモリもクサガメも外来種だしなぁ。何を以て、
いつからを外来種とするのか決まっているのだろうか。
んなこといったら日本人だって倭国以前は全部外来種だ(^^;
うちら白人じゃないもの(笑)。大陸から陸地歩いてきたんでしょ?
日本海が湖だった頃に。


(江ノ島)


向こうに見えるは茅ケ崎か。


(江ノ島の図)


(←クリックで拡大)

クロダイはこれからの季節がガッツリ来ます。夏がいいね、クロは。
回遊魚で季節によって食性というか食いが変わるんだよね。

江ノ島のクロ。若いからリリースサイズだけど、いい色してるね〜。
鋼色だ。しびれる。


先日、埼玉の人と電話で話をしていて、おいらが横浜から
埼玉県に引っ越した時、なにが寂しかったって、富士山が
小さくなっちまったのが寂しいと言ったら、神奈川県で見る
富士山のイメージがわかなかったそうだ。

こんなだぜ。ま、望遠だから余計でかく見えるけど、肉眼でも
まあこんなイメージ。とにかく近くだからでけーよ。
(江ノ島と富士山)


不思議なことに、俺はどういう訳か夏バテをしない。
夏になるとクロダイのように食性が高くなるからかも(笑

これ以上食ってデブってどうすんだ。


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ヤモリ

2014年06月26日 | 風情・季節・地球

職場の窓にヤモリくんが登場です。守宮と書いてヤモリと読む。
虫食ってくれるから建物が傷まないからでしょね。


フラッシュをたいてみた。これはニホンヤモリかな。
秋田より南にいるヤモリくんらしい。人間の身近に
棲息していて、ミニ恐竜(なんだそれ)みたいなのに
原生林にはいないという。変なの。原生林には虫も
たくさんいるだろうに。


明りに寄ってくる虫を食べようとしているのでしょう。
必死に窓にへばりついています。


じーっと見てたらサササッと逃げていきました。


またね〜(^^)
鳥さんに食われないようにね〜。


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映画『蘇るヒーロー 片山敬済』

2014年06月25日 | 映画・ドラマ

蘇るヒーロー 片山敬済(1984年8月25日公開)


youtubeは→ こちら

このドキュメンタリー映画の中で、片山さんが世界チャンピオン
フレディ・スペンサーはじめグランプリライダーたちと話をしている
シーンが好きだ。

ホンダワークスのチームメイトと。
片山さん、ロン・ハスラム、フレディ・スペンサー。
片山さんが怪我をして、新開発の背骨プロテクターについてフレディに
尋ねたら、フレディは予備があるからいつでも使ってくれと言う。


フレディは普段から早口でまくしたてるような喋り方はしないが、
このシーンを観て、彼があえてさらにゆっくりとはっきりと
話して意思疎通をしようとしているのが判る。フレディにこんな
気遣うところがあったとは驚いたが、GPライダーがみんな
「相手に分かるように話す」という特徴があることがこの後の
シーンで判明する。
マシンとコミュニケーションできる能力がある人は人に対しても
「対話」ができなければならないという基本中の基本を彼ら世界の
トップライダーたちに見ることができる。
一方的に早口で自分の言いたいことだけをまくしたてて、コミュニ
ケーションを成立させないような人間はグランプリシーンにはいない。

これは、かつて世界チャンピオンを何度も取った、イギリスのバリー・
シーンだ。サーの称号を持つ。

ここでもバリーは片山の怪我の具合などを気遣っている。
そして、ゆっくりと穏やかに話している。
若くして病気で亡くなってしまったのが悔やまれる。
ドナルドダックが大好きで、ヘルメットのデザインはドナルドの
絵が描かれていた。チャンピオンになってもゼッケンは7を
使い続けた。成績を無視して自分のナンバー7を使ったのは
彼が初めてで、現在MOTO GPではケビン・シュワンツの34番
と共に永久欠番となっている。私も大好きなライダーだった。
とにかく、紳士だった。タバコはヘビー・スモーカーだけどね。



片山さんはカメラを自分で持って、どんどんパドックのレーシング
ライダーを取材する。

アメリカのランディ・マモラ。日本でもファンの多い人だ。
すんでのところで毎年チャンピオンになれず、無冠の帝王と
の異名がある。アグレッシブな走りの彼は、GPの中で一番
陽気な人だった。日本4社、イタリア1社というGPワークスすべて
に乗ったのは世界広しといえども彼だけだ。


片山さんとのやりとりも陽気だ。














誰もがフレンドリーである。
国を超えて、国境を越えて正々堂々と戦う彼らは、たとえ対戦者で
あっても、レースを終えたパドックにおいては家族のようなもの
だった。スポーツマンの心をごく自然に有している人たちの姿が
そこにある。

それは、世界グランプリが「コンチネンタル・サーカス」と呼ばれた
ように、モーターホームやテントでサーキット内で集団生活しながら
世界各国を転戦していたからだろう。

だが、1990年前後から「コンチネンタル・サーカス」は消滅して
いった。
サーキットに寝泊まりせず、ホテルに宿泊したり、他の者とかつての
人たちのように交流をしようとしないライダーが増えていった。
人の意識も生活様式も移り変わっていったのだった。
F1にしてもオートバイの世界GPにしても、コースの安全性などに
ついて、ドライバーやライダーは真剣に討議して主催者に交渉
したりしていた。
ところが、だんだんと抜け駆けで和を乱すような選手も出てきた。
豪雨で危険なためボイコットを呼びかけたのに、ポイントがほしいが
ために和を乱して参加したり、あるいはレース場面でも、ライバルの
ポイントを潰すためにわざと突っ込んで転倒させたりとかする
ライダーも出てきた。
それまでもラフファイトはあったが、それは互いの正々堂々とした
競技の駆け引きの中で行なわれていたのだ。だが、やがてそれらも
消滅し、安全性も放棄して、己のことだけを考えるGPライダーも
出てきたのである。『バリバリ伝説』のタコ根沢のようなのが現実に
出てきたのだった。
時は流れた。遠い彼方へ。

コンチネンタル・サーカス−
それは、遠い昔の熱く温かく、そして冷徹な勝負の世界に生きる
者たちが帰って行く故郷のようなものだった。
今は、もうない。
この映画は、かつて30年前には存在した、現在は失われたひとつの
「空気」を今に伝える貴重なドキュメンタリー作品だと私は思う。


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バリ伝知らずにバイクに乗るな

2014年06月25日 | バイク・車



とまで俺は言いたい。

なぜならば、『バリバリ伝説』(しげの秀一作)は、単なるバイク漫画
じゃないんだよね。
『巨人の星』、『あしたのジョー』と並ぶ日本の歴史の中の金字塔とも
呼べる作品であって、社会現象を引き起こした稀有な漫画作品の
一つだからだ。
読売ジャイアンツの原監督も江川卓さんも「『巨人の星』があったから
こそ野球をやった」と熱く語っていた。
『あしたのジョー』に至っては、ボクシングファンのみならず、倒れても
倒れても立ちあがるジョーに多くの人が心を熱くした。1970年前後
には大学生の卒論テーマで「ジョーは死んだのか」についての考察
を取り上げるのも流行ったりした。特に「倒れても立ち向かう」という
ジョーの姿は、当時の若者の世相を反映して爆発的な人気を得た。

そして1980年代は『バリバリ伝説』だ。
これが単なるバイク漫画・レース漫画だったら『キラーBOY』のように
一部のマニアに受けただけの作品で終わったことだろう。
同時期の人気漫画で『ふたり鷹』(新谷かおる)というバイク漫画が
あったが、こちらはフィクション風味全開で、それは新谷ワールドで
面白いことは面白いのだが、あまりにもリアルさに欠けた。
『バリバリ伝説』が他の作品と異なっていたのは、登場するマシンの
ディティールの正確さ、走行シーンのリアルさと共に、主人公巨摩郡
(こま ぐん)を中心に登場人物の成長を克明に描いた点だった。
傷つき倒れ、そして立ち上がり新たな境地を自らの手で切り拓いて行く。
若者は熱狂した。
1983年から週刊少年マガジンに連載が開始された当初、主人公グンは
高校2年生17歳だった。私が22歳だから、タイムリーな同世代としては
5歳年下ということになる。
そして、連載終了の1991年はグンは25歳のグランプリライダーと
なっていた。
この漫画の特筆すべき点は、グンと恋人や友人の成長記を描いて
おり、多くの作品がその途中で未来を見つめて終了する作が多い中、
世界グランプリの頂点、世界チャンピオンになるところまでをきっちりと
描いていることだ。一般的な作品では含みを持たせて終わらせるケース
が多い。
それでも、一つの(しかも余人には掴み得ない)頂点に達したとはいえ、
さらにグンの挑戦はこれから始まる、というラストにしている。
最大限の期待に応え、そしてさらにそれ以上の希望を読者に持たせる。
これが人気がでない筈がない。
爆発的人気のまま足掛け9年、実質8年間にわたり連載が続けられた。
むさぼるように読んでいたのは若者だけではない。
当時、昼休みに喫茶店などに行って昼食を取ると、サラリーマンのおじさん
たちも食い入るように『バリ伝』を読んでいた。私よりも年が6歳も10歳も
上の人たち(=『あしたのジョー』世代)が食い入るように読んでいた。
間違いなく、『バリバリ伝説』は時代を作った金字塔とも呼べる作品だった。

『バリ伝』が社会に及ぼした影響はすごいものがあった。
おりしも、世界中、つまりこの地球上では全世界(といっても先進国)に
おいてグランプリレースの人気が沸騰しつつあった。
ヨーロッパを中心として各ラウンドごとに各国を転戦するオートバイの
ロードレースである世界グランプリは世界最高峰に位置するバイクの
レースだった。
そして、その世界選で戦われるトップを走るマシンは、すべて日本製
だったのだ。
日本は日本刀の国、バイクの国である。
だが、何人もの日本人がこれまで世界GPに挑戦しても、単独ラウンドで
優勝することはあっても、世界チャンピオンになった日本人は一人も
いなかった。1977年に日本からのエントリーで片山敬済が350ccの
世界チャンピオンになったが、片山選手は帰化手続きをしておらず、
国籍は韓国のままだった。

(ホンダワークスマシンNS500のポジション合わせに余念がない日本代表
の片山選手/1984年 世界GPパドックにて。最高峰W
GP500ccに全戦フル
出場の日本選手は1977年の
350cc世界チャンピオンの彼だけだった)






劇画の世界とはいえ、『バリバリ伝説』の主人公グンは1991年(作品中
では年代をあえて不明にしている)に世界最高峰WGP500ccクラスの
世界チャンピオンになった。
その2年後、まるでグンのように、原田哲也という若者が世界グランプリ
全戦初参戦の年に250ccクラスの世界チャンピオンを獲得した。

ここに歴史上、初めての日本人チャンピオンが登場したのである。
その後は各クラスで何人も日本人のチャンピオンが出た。
ただ、惜しむらくは、世界最高峰クラスでチャンピオンになった日本人は
一人もいない。
一番可能性があったと思われたのが、歴戦の世界チャンピオンを後ろに
従えて鈴鹿を誰よりも早く走って転倒した阿部典史選手だったが、成績
不振でWGPの最高峰クラスからスーパーバイククラスに転向を余儀なく
され、活動を続けている中、一般道での交通事故で残念ながら亡くなって
しまった。
現在、MOTO GPと名前を変えた世界グランプリだが、歴代チャンピオン
獲得数の世界記録を塗り替えている現役GPライダーのイタリアのバレン
シーノ・ロッシは子どもの頃に阿部選手にあこがれてレースの世界に
没頭した。阿部の大ファンで「ろっしふみ」とひらがなでヘルメットに
ペイントしてWGPを走ったりしていた。
阿部選手も『バリバリ伝説』の大ファンだったことは有名だ。
彼だけでなく、バイクのレースをする選手ライダーはすべて『バリ伝』を
読んでいたといっても過言ではない(どころでなく全員が読んでいただろう)。
バイクに乗らない人も乗る人も、日本人の多くが『バリバリ伝説』には心を
奪われた。
そして、私もその一人だった。

『バリ伝』の作品の中では好きなカットがいくつもあるが、意外と
ほのぼのしたところで、オリジナルコミック15巻カバーに使われた
この絵は私は気に入っている。


この雰囲気、とても親近感があるからだ。

そして、マイナーなカットだが、この絵もかなり気に入っている。

マニアックな『バリ伝』ファンならば「あ、どこどこのどの時のシーンの
カット」とすぐに判るだろう。
この時のグンの様子というのは、コースを走っていた人間には
とてもよく理解できるカット割りだ。言葉はいらない。
この絵を見ただけで「うっ」とこみ上げるものがある。

ただ、私の中で、グンの恋人の一つ年下の伊藤歩惟(あい)ちゃんの
イメージはやはりこれ

が強いので、二人の成長を描いているとはいえ、WGPに
行ってから時を追うごとに「女性」になって行く歩惟を見ていると、
なにかどんどん遠くに行ってしまうような寂しさを覚えた。
(梅井のそれとは違うけどね)

こういう「女」になった歩惟ちゃんは、私の中ではなかなか
受け容れられなかった。


といっても、登場人物でいうなら、俺は個人的好みでいったら
絶対的に一之瀬美由紀のほうが伊藤歩惟よりもいいけどね(^^;

おもしろい考察をしているブログをみつけた。

→ 『バリバリ伝説』を実写化するなら・・・

おお〜。伊藤歩惟ちゃんのイメージは、確かに大昔の
この人だとイメージに合うかもしれないけど、ノダメの
印象が強すぎて難ありかな(笑


それに、最近は実写化流行りだけど、コケる作ばかりなので、
『バリバリ伝説』の実写化だけはしないでほしい。
期待した『ワイルド7』においても、主人公飛葉のキャラクタが
まるで別人になっていて、原作者望月先生の飛葉の銃ウッズマン
へのてこ入れがあった映像化とはいえ、あまりに飛葉が飛葉で
ないのでかなりガックリきた。メンバー自体もまるでチンピラの
集まりみたいで、原作の「リーダー飛葉に絶対の信頼を置く」
という一番大切なところがズッポリと抜け落ちていた。
『バリバリ伝説』については、
1980年代のGPマシンでの実写など
まず不可能であるし、
現行MOTO GPの4ストマシンでの実写化
などはグンのマシンの
「シマザキスペシャル」やグンの走法その
ものを再現できない。

タイヤが暴れ出したら「カレーライスにして食っちゃうぞ」という
のがグンなのだから(笑
原作のディティールやキャラクタを活かさない実写映画化ほど
駄目な映画作りはないと思う。


ただ、スライド・ドリフト走法については、1984年の段階で
かつての世界チャンピオンだった片山敬済氏のメカニックを
勤めた経験を持つ
柳沢雄造氏本人が私に語っていた。
「これまではフレームのしなりでよじれさせながらグリップを
得る走法が主流だった。スライドがあったとしても慣性スライドだ。
だがタイヤのサイドウォールとフレームの剛性を上げて、あえて
滑らせてそれをコントロールする走法が今後出てくるのでは
ないだろうか。だが、現段階ではそれをすると転ぶだろう。トータル
としてのとしてのセッティングがまるで雲をつかむような段階だ
からだ。いや、たぶんまず転ぶね。フレディが使いつつあるが、
まだ他の者は完成されていない」と。
雄さんが俺用にシリアルナンバーではなく俺の名を刻印した
チャンバーをくれる数年前の頃の話だ。


『バリバリ伝説』が連載されている頃は、街中は主人公グンの
レプリカヘルメットであふれた。いわゆるグンヘルだ。グンヘル
だけでなく、レーシングライダーのオリジナルデザインのレプリカ
は人気があった。
(グンヘル)


ただし、俺は俺であるので俺は俺のオリジナルデザインに
ペイントしたヘルメットを被っていた。
コースを走る者は、例えノービスだろうと世界チャンプだろうと、
すべて同じ土俵に立つ者という意識があったからだろうか、コースを
走る者は、全員が自分のデザインのヘルメットを被っていた。
そこには、ある種の独立心という「走る者」の矜持があったように思う。
本気でコースに出る者どもは、誰かの真似でレースをやっているの
ではない。己自身をかけて己がレースに臨んでいた。仲間と共に。
ケニーロバーツ・レプリカやフレディ・スペンサー・レプリカなどを
被っている者でレースをやる人間などいなかった。はぁ?なにあれ?
と思われるのがオチだ。サーキットを走る者は、コスプレでレースを
やっているのではない。
一度こういうことがあった。
1977年か78年か失念したが、富士スピードウェイで某漫画家が
コースを一定時間借り切って独占し、自分の四輪車で走行しようと
していた。ボンネットには大きく「サーキットの狼」と書かれていた。
別ピットにいた一般レーシングライダーや関係者たちは「はぁ?」と
声をもらした。
「どれ、幻の多角形コーナリングを見せてもらおうじゃないか」と
パドック裏から直下のヘアピンを眺めた。
そのロータスヨーロッパは超遅かった。大八車が走っているのかと
思うくらいに遅かった。

ただし、スポンサーや広告としての関係から他者のデザインヘルを
公式レースでライダーが被ることは例外として時たまみられた。
グンヘルにしても、雑誌「ベストバイク」のオサ坊のヘルメットであった
のだが、『バリバリ伝説』で主人公のグンのヘルメットとして有名に
なってしまった。まあ、しげの先生とオサ坊の関係が劇画原作者と
アドバイザーという関係だったからデザインを劇画の中で使われたの
だと思うが、いつの間にかグンのオリジナルというように世間では定着
してしまった。これはフレディのヘルメット・デザインは実はフレディが
考えた物ではないというのに似ている。
このあたりをくすぐるエピソードとして、グンが大学に入ってから、
グンヘルを被っていたら、それをグン本人と知らない学生から
「君もグンヘルを真似たのか。でもちょっとラインが違うんだよね〜」
みたいに言われて、グン本人がずっこけるシーンが描かれている。
ちなみに、清水国明氏は鈴鹿4時間耐久のレースに出るときに、
赤色部分を水色に変更したグンヘルを着用していた。

そういえば、唯一の最大の謎として、『バリバリ伝説』には、当時の
実在GPライダーが多く登場するのだが、この不世出の世界チャンピオン
だけは登場しなかった。
あたかも実在しないかのように全くこの男、フレディ・スペンサーを
作品内に登場させなかったのは、走りがあまりにもグンと被るからかも
しれない。



わが青春の『バリバリ伝説』。

レジェンドは私の中でまだ続く。

RIDE FREE!
だけど、皆さんもオートバイは安全に乗りませうね。



ちなみに、ピットでサインボード出してくれていたのが
今の俺のかみさんになってる(笑)
ただ、あまりに辛いことが多かったので、当時のことを
振りかえることは二人ともあまりない。
本気でレースをやると、ピクニックや「みんなでワイワイ」
とかいうのとは全く違う世界になるからだ。
コースにはボロボロのつなぎを着て、日々カップラーメンで
かろうじて命をつなぐ亡霊のような連中が多くあふれていた。
それが現実だ。

1991年、島田紳助は『風、スローダウン』というほろりと
良い映画を作った。ほろ苦く悲しい映画だけどね。


この映画作品の中での五十嵐いづみがとても良かった。
仮に『バリバリ伝説』を実写化するならば1991年だった
ならば可能だったことだろう。それはグランプリシーンが
タイムリーに原作と重なる時代としても、いくばくかの可能性
はあった。
そうすれば、『バリ伝』の「みぃ」こと一之瀬美由紀のイメージは
五十嵐いづみがぴったりだったように思える。


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