渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

トマトつけ麺 〜ジョイフル三原店〜 三原雑感

2014年05月31日 | 外出・旅

むむむっ!
ジョイフルのトマトつけ麺が意外とウマイ!
これはなかなかいけます。
期間限定なのかなぁ。定番にしてほしいなぁ。
さっぱりしているのにコクもあって、いいよ、これ。




窓の外から国道2号線の西側を望む。
この店に臨んでいる国道というか、ここは江戸時代の初期には海!


2014年現在のマップではここ。赤矢印が上の画像の撮影方向。


江戸初期の正保年間(1644年頃)の地図に重ねるとこうなる。


三原の現在の市街地というのは、江戸時代初期までは完全に全域が海です。


航空写真だとこんな感じ。


「三原」という名称の由来は「わくはら」「こまがはら(こもがはら)」「にしのはら」の
三つの扇状地の原が海に面して広がっていたからといわれるが、疑問だ。
室町時代最末期までは入り組んだ海岸線が現在の三原地区の土地形状で
あったからだ。原っぱにさえならないような狭い平地を「原」と呼ぶのだろうか。

それはさておき、日本刀関連での大きな謎として、「備後国三原派」とりわけ
「古三原」派はどこで鍛刀したのかという問題がある。
刀剣書や一般認識では、戦国時代末期に毛利一門の小早川隆景が築城して
城下町を開いて以降の現在まで続く「三原」と比定しがちだが、これは大間違いだ。
今の三原という場所に陸はなかったからだ。中世はただの海辺の寒村である。
山陽道という街道でさえ、現在の三原市街地から離れた急峻な壁のような山の北側を
通っていた。現市街地の海岸線などは陸の孤島のような状態だっただろう。
万葉の頃から船泊まりとして栄えた尾道とは異なり、三原はただの海岸線で
あり、尾道からの陸路は海岸線の道は開かれていなかった。山を越えて三原と
後世に呼ばれた場所に出るしかなかった。
それはまさしく、駅家(うまや)と呼ばれる街道馬を常備した駅があった律令制で
整備された東西に延びる古代山陽道であり、南北に連結する出雲街道だった。
現今の三原と呼ばれる土地の中では、現在の三原市本郷町にあたる高山城、
新高山城にかけて古代山陽道は南下して現在の国道2号線(昭和30年代に開通)
と重なる。
この本郷地区は現今の三原市街よりも古くから栄えていた。中世の城の近辺で
あり、一定の平地もあったからだ。
また、沼田川(ぬたがわ)の中世末期の急激な堆積により、室町時代末期には
海の入江から渟田川(ぬたがわ)が形成され、デルタ地帯となってそこに市(いち)
が開かれていた。備前福岡の市のような様相を呈したことだろう。
従って、中世末期には現在の三原城近辺(戦国末期までは存在せず)ではなく、
本郷の高山城・新高山城寄りの地域が栄えていたのである。

(備前福岡の市)


鎌倉時代末期に存在したとされる「古三原」と呼ばれる正家などの刀工は、
現在の三原(=戦国末期の天正年間以降の)の地で鍛刀したとは考え
られない。地面がないからだ。三原という地名さえもない。三原という地名が
はじめて登場するのは、足利尊氏の書状に「備後国三原」と見られるのが
初見である。それのずっと以前の鎌倉時代などは三原という地名はなかった。
あるわけがない。「地」がないのだから海に地名をつけるわけにはいかない。
それでも足利尊氏が南北朝時代の観応元年(1350年)に佐伯荘の司に
送った文書に「備後国三原」とある(『伯耆志』)が、それは現在の三原と
同地であるのかは証明されていない。

「古三原」という名称自体がそもそもありえないおかしいことであるのだが、
これは弥生式土器と同じで、後世の地名命名というそういうことでもよい
だろうとは思う。
しかし、地面がないので、どこで鍛刀したのかとなると、当然内陸部もしくは
半島突端の海岸傍ということになる。
中世の海岸線は、この画像の緑の山の部分だと思ってもらえばほぼ間違い
ない。備後刀の刀工群の主だった地域も記載しておいた。
助国の国分寺付近も細分化すれば国分寺、東条、安那、三谷と別れるが
一括して国分寺付近を示した。また一乗も葦田、草上と別れるが別系の鞆
寄りに法華一乗と示した。
なお、下記記載地以外にも備後刀には相方、西条、地
毘、福山、馬乗、木梨、
貝、三次等の刀工群がいるが、割愛した。末三原では「三原住」を冠する刀工
は100名近くが確認されており、備後刀全体での刀工数は相当数に上るため、
備後刀は刀工数的には備前長船に匹敵する刀剣生産地だったことが分かる。


(クリックで拡大)
これはかなり地形関係を把握しやすい。

ちなみに、弥生時代の日本最古の小規模製鉄炉遺跡「小丸遺跡」は、
この航空写真で三原城の真北の中国自動車道の「八幡PA」とある場所
付近である。
発見直後は縄文時代末期かともいわれたが、その後弥生時代とされ、
さらに残念ながら、古代製鉄遺跡とは認めないことにされてしまった。
明らかに何らかの「政治力」が学術界において働いている。それらは
常に「古代製鉄は砂鉄タタラ製鉄」派によって遂行される。
しかし、現実の歴史の真実は、弥生時代製鉄は褐鉄鋼(ベンガラ)に
よる製鉄ではなかったのか。逆に備中(総社)の地では砂鉄製鉄痕が
まったくないのに、「砂鉄たたら製鉄の地」として確定的に比定してしまって
いる。
なお、備中では古代遺跡を解説する公的学術機関の学芸員が
「天皇家は渡来人で」と口頭説明している。いいのだろうか、公的学術機関
が一説の説を断定的なことであるように来訪者に解説して。
私は皇国史観に立つ者ではないが、一説を断定的な定説であるかのように
公的機関が外に向けて説明することには危機感を持つ。

この俯瞰写真を見ると、だいたいどこらあたりに「古三原」がいたのか
想像をめぐらすことはできる。木炭と製品運搬経路からしても、鍛刀地は
辺ぴな沿岸地域ではなく内陸部だったことだろう。仮に内陸部ではなく
海岸線だとしたら湧水地として存在した糸崎が古三原鍛刀地である可能性
が高いが、そうなると陸路が困難であるので木炭補給と製品供給に
困難が伴う。やはり糸崎は、古代からの海路でそうであったように、この周辺
地域にあっては単なる海路上の保水地として運用されていたとみるのが
妥当だろう。
これまでの佐藤寒山説では、備前から備後に移住した国分寺尼寺跡付近
(現福山市神辺町湯山。旧名東条)に住した助国から三原派は派生したと
されている。
しかし、これは戦後に佐藤寒山博士らが唱えて一方的に定説として
しまった説であり、人脈的に備前の流れの国分寺助国とその後の
法華一乗グループや鞆グループ、同時期の正家一門が系統的に
つながっているかどうかは一切証明されていない。
また、この地域では尾道が古代から栄えていたが、尾道に刀工群が
群生するのは南北朝時代からであり、備後刀主軸として繁栄するのは
末古刀期からだ。いくら江戸期の史書である『三原志稿』に三原正家-天平
との誤認に基づく記載があるからとはいえ、尾道其阿弥の末裔が自家の
先祖を正家につなげて天平時代まで来歴を宣するのは僭称も甚だしい。
しかも、主張をみると、自家自慢に終始しており、極めて恥ずかしいことで
ある。正家とは関係ない家の江戸末期鐔工の子孫が勝手に三原正家を
先祖にし、しかも天平時代に比定して「これは歴史の真実です」と公言して
いるだけだ。
江戸期にそのようなことをしたら厳重処罰の対象だったことだろう。
事実、江戸期に尾道其阿弥の人間は藩庁には「三代前以前はわかり
ません」ときちんと正直に届け出ているのが記録に残っている。
嘘やねつ造はいけない。まして、自家の来歴を自慢したいがため(ねつ造
だが)にありもしない古い時代に先祖を刀鍛冶として登場させるのは、
学術的根拠がない限り、犯罪に近い行為だといえる。
このような僭称とねつ造が大手を振ってまかり通るのも、三原派という
刀工集団の詳細が解明されていないのが原因だ。
学術機関の学究という行動そのものが、実は公正妥当の精神に立脚
してはいないので、如何ともしがたいものがある。
地元の広島大学等の研究機関が科学的に研究を進めればよいとは
思うが、広大の地元史等の研究グループが「古代製鉄は砂鉄による
たたら製鉄」とか言ってるくらいだから、まったくもってお先真っ暗(笑
今一度、日本の洗濯をするがぜよ、という学者が出てこない限り、公正な
学究は為されないだろう。
だけど、無理だね。
学者というのは保身の塊だから。
刀工もそういうのばかりだしね。

ということで、この業界、未来はありません(苦笑)。
学術界に風雲児って出てこないのか?

古三原の鍛刀地は、もしかすると三原市深(ふか)、あるいは現尾道市
美ノ郷(みのごう)あたりかもしれない。
あるいはさらに古代には交通の往路として栄えていた現尾道市御調町
(みつぎ総合病院付近)か。ここは古代山陽道と出雲街道が交差する
地点でもあり、「古三原」が刀剣生産活動する場所としても適している。
周辺山林から木炭の供給も受けやすい。(現在も周囲は異様とも思える
ほどの広大な松林の山林である)

で、またきょうも来た。トマトつけ麺食うよ。
いまジョイフル(笑
 


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おたっしゃ

2014年05月31日 | 内的独白

クラブ〜。



いつもありがとうございます。

毒吐く日記ですが、刀剣ネタを今後も豊富に取りそろえてまいります。
面白いネタ仕込んできましたので、のちほど。

きょうは暑いね〜。まるで夏だべ、こりは。


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おたっしゃクラブ

2014年05月31日 | 文学・歴史・文化



東京にも大阪風味を感じさせる場所がある。
それが巣鴨地蔵通りだ。大阪の空気全開という感じだ。
たぶん、浅草やアメ横と同じで、大阪の人が歩いてもまったく違和感ないの
ではないかなぁ。












おばあちゃんの竹下通りなどと呼ばれているが、道行く人の平均年齢は異様に高い。

私の高校が巣鴨のそばで、通学時にはJR巣鴨駅-都営地下鉄巣鴨駅を利用して
いたので馴染みも深い。
昔からジジババ大集合の商店街だった(^^
この商店街に家があるクラスメイトがいて(高校生なのにマーチンD35持ってたよ)、
学校帰りに家に遊びに行ったら「なんだ?この街は!?」というカルチャーショックを
受けた。


世界194ヶ国のうち、世界一の最長寿国はわれらが日本である。
日本は地球上で一番長生きの国なのだ。

昨年一時期スイスに抜かれたが、再び日本は世界一の長寿国となった。
平均年齢84歳!(^^)・・・すげっす。


まあ、なんつーか、皆さん、84歳まではおたっしゃで行きましょ〜(^0^)
東京の巣鴨地蔵通りからは、なんというか大阪のおばちゃんパワーみたい
なのをブリブリと感じるぜ。
ジジイは自分をジジイと認めて無理しないほうが長生きすんじゃないの?
自然体というか。
ババアのほうは大阪のおばちゃんパワーみたいなのが長生きしそうな
気がする。自然体でずうずうしいのが長生きの秘訣のような・・・。
生物学的な根拠はありませんが(^^;


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鎧通し

2014年05月30日 | 日本刀

今週の居合の稽古の帰りに道場の後輩と夕食を食べながら話していて、
彼が脇差を数年前に買ったということを聞いた。
「へえ。どんなの?」と訊くと言下に答えた。「鎧通し」と。
「うお!鎧通しかぁ」と思わず口にした。

日本刀の中で、太刀・打ち刀は佩用者、帯刀者である武士の護身武器
であって、武士の本分である戦場(いくさば)において主力の武器(=兵器)
ではなかった面もある。
歴史上、刀が戦闘の主力武器となったのは、海外の記録にみられるように
秀吉時代の朝鮮出兵の日本の武士団の戦闘と、幕末の京都においてのみ
という限定的
な事実があった。
戦場での主たる武器はまず飛び道具たる弓矢であり、
火器登場以降は鉄砲
であった。近接戦闘においては長刀(薙刀)や長巻
であり、槍が発明されてから
は槍が武士のメイン武器だったのである。

そして、イクサとは個人戦ではないので、軍略戦略戦術こそがイクサの
勝敗を決するものであって、近接戦闘の個人技などは屁みたいなものだった。
剣術という個人技が発達するのは、武士のイクサの世が終焉を迎える頃であり、
平和時代の到来とともに、護身用術として剣術はたしなみ的なものとして

登場したのである。
剣術に使用される刀というものは、歴史的事実にあっては、戦場での
主力兵器とはなっていなかった。あくまで護身用の補助武器であり、武士の
象徴的な装備という側面も強かった。

だが、鎧通しは違う。
これは槍や長刀と同じく、つまり弓矢や鉄砲と同じく、「兵器」である。
鎧通しの目的は、甲冑武者と組み打ちの際に、敵を組みふせて甲冑の
上から、あるいは隙間から敵を刺し貫いて殺し、そして首を掻くためにある。
鎧通しの目的は、明確に「殺」のためにあるのだ。そのために生まれた
刃物である。
ここらあたりが太刀・打ち刀などの属性とは大きく異なる。
刀というものは武士と共にあったので、ともすると戦闘のための武器のように
思われがちだが、現実的にはヌルイというか、「戦闘のみのための物」では
なかった。主力兵器とはならなかったことと、身分的な象徴としての側面も
あったからだ。
だが、鎧通しはそれとは異なる。「殺」こそが目的だ。
つまり西洋でのダガーナイフと同じような物で、目的はシンプルに殺傷目的
として槍や長刀と同質の属性といえる。

鎧通しは私は欲しいのだが、どうしても踏み込めないところがある。
買う気ならばとっくの昔に鎧通しを入手しているだろう。
ただ、その属性を知るが故、どうしても思いとどまらせる何かが自分の中に
あるのだ。一度渡ってしまったルビコンをようやく戻ってきたのに、また再度
渡るような、そんな言い知れない思いが私個人の中では鎧通しに対して
存在するのである。

鎧通しはその本質特性から、通常の刀や太刀などでは考えられないような
尋常ならざる形状をしている。
日本刀の厚みを表すのは「重ね」というが、その重ねが1センチほどもある
短刀なのだ。
理由は簡単。折れず刺し貫くためだ。何を?人間をである。
日本刀も戦国時代の太刀・打ち刀は重ねが1センチ近くあるが、長い物なので
折れ曲がりもすることもあるだろう。
だが、鎧通しは九寸五分程度の長さであり、折れにも強い。武器を超えて
軍略の中での兵器としての目的達成のためだけの形状となっている。
シュールというかリアリズムとしてかなりエグい。
刀身の断面形状はまるで三角錐のようである。


ハバキにしても、よくこんな形の物を作れるなぁと思うほどに異様な形だ。
刀身の身幅は狭く、刺し貫き易いように鋭い。

これはどのような使われ方をしたかというと、馬手(めて。右手のこと)で
組み打ちの際に引っこ抜いてブスリとやる。

この画では腰刀と呼ばれる鎧通しを右方向に柄を上向きに
帯刀しているが、柄を下にむけて逆に右腰に差す場合もあった。
組み打ちの際に引っこ抜き易いようにするためだ。
その逆差し用の物は拵もその用法に合った形状で作られて
いた。
こういう武器様式の発達は実戦に即している。
現代ハンドガン(拳銃)でも、グリップが上向きのホルスターも
あれば、この鎧通しの逆差しのように、アップサイドダウンという
グリップ下向きのホルスターもある。小型回転式スナブノーズの
拳銃などはアップサイドダウンのホルスターも多用される。
ちょうど背広などの上着で隠れるので法執行官などの携帯にも
よく用いられている。
馬手差しの鎧通しも現代ピストルの携行方法も、「実戦」を前提と
して発達してきたものだ。伊達や酔狂、格好つけでそうした形に
なっているのではない。抜き差しならぬ命のやり取りの中で生まれた
形状であるのだ。
ただ、現代の法執行官の拳銃は制圧用だが、鎧通しは異なる。鎧通しの
存在目的は、ただただ「殺」の一字だ。


鎧通しと普通の短刀がどれくらいの差があるというかというと、
こんな感じだろう(画像はイメージです)。

これは通常の包丁と出刃包丁だが、イメージとしては鎧通しは出刃と同じと
思ってもらえば遠くはない。出刃の目的とも似たようなものだ。

武者の世界っつーのはエグイですねぇ・・・。
首級という敵の首切りやってナンボですからねぇ・・・。
日本の侍というのは首狩り族ですからねぇ・・・。
腹まで切って腸まで自分で掴み出しちゃったり、もう無茶苦茶(^^;


戦国末期から江戸期に入り武士の装備が大小二本差しということが
形式化されてからは鎧通しを含む短刀の需要が事実上極度に薄れ
ました。
江戸期に入ってからは、ほぼ完全に短刀の製作依頼が途絶します。
それが復活するのは、やはり物騒な時代の幕末になってから。

現代では短刀は面白い方向性として追及されています。
それは娘さんの嫁入り短刀という形で現代刀が作られています。
これは文化としては武家時代からあった。
でもね、最近のは変なのよ。
「出戻り」しないで添い遂げるようにという気持ちが込められて、焼き刃の
切先の返しを焼かなかったのよ、本来嫁入り短刀は。嫁入り用は焼き詰め
鋩子にするのが一般的だった。

それがね、最近の現代刀はどういう訳か、普通の短刀のように返しを取って
いることが時々見られるのよね。
あれはなぜでしょう?謎。カムバ〜ックって、それはないようにも思えるが。

大層な理由を述べたりしていますが、焼き詰め鋩子は多少難しいので、
私は技術的なことが大きく関与しているのではなかろうかと踏んでいる。
刀剣界ではよくあることでね。嘘んこの理由をさも本当のように言ったり
するのは。
だって、嫁入り短刀だったら、返しがあるのは絶対におかしいって。
日本の刀剣の伝統を無視してるってば。
単純に「作れないから」だと思う。

なぜムツカシイかというと、マルテンサイトの膨張によって形をどうするか
というところが制御できていない面があるからだと思う。
短刀は直刀なので、逆反り(タケノコ)に設えてから焼きを入れないと
普通の反りが出てしまう。
かといって、返しを長く取ると、峰側のほうがマルテンサイト量が多くなる
からうつむきぎみになってしまうので、そこらをどう手中で料理するかが
難しくなってくる。
といっても、手筋がしっかりしている鍛冶職は自在にこなすのだけどね。
嫁入り短刀に返しを取るのは、どんなにそれらしい理由を口上しても、私は
解せません。
というか、日本文化たる日本刀を婚儀という日本文化の儀式に提供する際の
感性としてどうなの?
という感が強くある。
やはり、現代刀といえども、日本の伝統を守って、掟に従うことも大切なの
ではなかろうか。

私の結婚式の時は、家内は真剣短刀を帯剣したけど、おいら自身も真剣
前差しを帯刀したくてその旨を父親に述べたら、バガヤロ様扱いされた(笑
今時帯刀して婚儀に臨む男などいない、ということで。非常識はやめろ、と。
そりゃそうだ。男が結婚式で帯刀なんてやりすぎの自己満足だけになるよなぁ。
成人式に模擬刀持っていったアホちんと同じになるところだった。
女はいいよなぁ。正式場面で真剣を帯剣できてさ(^^;
一般的には形のみで中身は段ボールだったりするけど、おいらの結婚式では
ニョーボは真剣でした。本気だから真剣に真剣ということで。

(画像はイメージです)


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小説を読む 『戦争の犬たち』(フレデリック・フォーサイス)

2014年05月30日 | 文学・歴史・文化



原作は素晴らしいのに映画化したら駄作になってしまうことがある。
『戦争の犬たち』もその一つなのではなかろうか。
クリストファー・ウォーケンは独特な神経質な味を出していたけどね。
生き延びる傭兵とは、よく映画で描かれるようなゴリラのような男では
なく、繊細で非常に神経過敏で神経質だ。だが大胆でもある。

駄作とはいえ、原作を良く知る私は楽しく本作品を観ることができる。
回数はそれほど観ていない。20回くらいか。


冒頭の戦地からの撤退のシーンは、この映画ではAR15コマンド(ボルトフォワード
アシスト機構なし。米国の傭兵スクールではこのタイプの小銃が多い)を使っていて、
南米からの撤退となっているが、原作小説ではビアフラからの撤退であり、銃は
ベルギーのFAL小銃となっている。ここはどうしてもFALを出してほしかった。
その後のシーンでは敵方でFALがたくさん出てくるが、傭兵が持つFALと敵方では
意味が異なる。AR15では原作の持つ含みが消失してしまっている。



若き日のトム・ベレンジャーは本作品ではキャラを生かし切れていない。


雰囲気はいい感じなんだけどね。

何といっても、ウォーケンの病的な演技が良い。


どこかで、「あんな優男(やさおとこ)の傭兵などいない」とか書いている
レビューを読んだが、噴き出しそうになった。あんた傭兵知ってるの?と。
ウォ〜とかガォ〜とかエイドリア〜ン!みたいなのが傭兵とちゃうで。
ほんまもんは。



原作はかなり複雑で、かつ大作であるのだが、これも何度も読んでいる。
何度読んでも背筋が凍りそうになるが。

よく小説や映画で「その先のストーリー言わないで」とかいう人いるでしょ?
あれ、絶対に一回読んだら読み捨てだったり、映画もきちんと観ないで
細切れ観だったりするような人だと思う。求めているのはオハナシの流れ
だけなんだよね。細かい表現描写や映像技法はどうでもいい。

内容や細かい表現描写について後に尋ねても大抵は覚えていない。
アメリカチックだよね。読み捨てポイのペーパーブックスのような。
「もう観た」とか「もう読んだ」とかで、二度と同じ作には触れようとしない。
日本刀鑑賞の趣味など絶対になさそうな感じがする。
なぜなら、日本刀は何度も何度も繰り返して眺めて楽しむものだからだ。
古美術全般がそうだよね。使い捨てポイ捨て感覚とは対極にある。
大量消費文化のような使い捨てポイはとてもアメリカ的だと私は感じる。


日本というのは少し違うような気がする。
読み捨てのような小説ブックスであっても、きちんとしたカバーがついた「文庫」
という文化がある。使い捨てポイ、用済みポイ、というのは日本にはあまり
なかった感覚なのではなかろうか。
まあ、俺のように気に入った映画や小説を何度も見たり読んだりするのも
どうかと思うが、『ボディガード』のケビンコスナーの役どころもそういう男
だった。

『戦争の犬たち』は、作戦決行前の周辺環境、世界情勢、地理的位置、
人間関係等が複雑だ。だが、読みごたえはたっぷりある。大人の小説だ。
不明瞭な点やわからない点があったらメモを取ればよい。
こんな感じで。(相関図まで書いてる。笑)


ガッコのベンキョもこれくらい身を入れて真面目にやっていたら、
もうちっとはできただろうにねぇ(笑
これは「整理のための学習」としてこういうことをやっている。
ただし、作品に登場するような本戦状況では、メモは一切取っては
ならない。すべて頭の中に入れる。
日本刀鑑賞もそうで、刀を観てメモを取ってはならない。
これは佐藤寒山先生が研究者たちに残した教えだが、ある意味
「実戦的」であると思う。

フォーサイスの『戦争の犬たち』−
これは人生の中で、一度は読んでおいてもよいだろう小説だ。
まったく「女性受け」はしない作品だろうが(苦笑
あとね、映画作品で「これは・・・」と思ったのは『ブラッドダイヤモンド』
だよ。
あれは洒落にならない。ウルトラくそリアルすぎて(苦笑
エグゼクティブアウトカムズ社やデビアスの恐ろしさというのはですね、
あれは経験してみないと解らない。
日本の国家警察でさえ、アンタッチャブルなんだから。いやほんとに。
事実は小説より奇なり、てなぁ、本当にあるもんだよ。
日本のヤクザの抗争なんて運動会程度に思えてくるもの。


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くるま

2014年05月29日 | バイク・車



昔のサバゲ仲間がファクトリーに遊びに来た。
酒屋の若旦那だ(^^
今はコンビニも経営して店長やってる。
以前、従業員の研修の時など、足として俺のバンを貸してあげたりしてた仲だ。
人柄が丸いのでいいよ(^^)

「面白そうな車だね」と言うと「ちょっと乗ってみる?」と言ってくれたので
軽く乗らせてもらった。

とりあえず、速い。308馬力。
意外と下がスカスカだったが、6000rpmからが面白い。


エンジンは回る。回らないエンジンは車としてカスなので、回るエンジンは
回して
乗るのが正しい乗り方だろう。
直線ばかりの高速道路ではなく、
中高速コーナーが続く箱根をこれで走って
みたくなった。

この手の車の当たり前のことだが、ペダルポジションも良いのでヒール&トゥ
もやりやすい。

ただ、この型式になってから馬力は上がったがオイルクーラーが無くなった
ので油温の上昇が気になるか。
コーナリングを検証できなかったが、この車は面白そうだ。
俺個人はR34より、こっちのほうが好きだな。


平成19年式スバル・インプレッサ。


いや〜、久しぶりにおもろい車のステアリング握ったよ(^^)
持主は元々はYAMAHAのRZ乗りだった。
いかにも、2ストバイク乗りが選びそうな感じの車だ。マル(^^)
6000rpmあたりから7600rpmあたりが面白い。
いわゆるドッキューン加速系の下はスカスカで、なかなかマニィ
味付けをしている。
パワーバンドに入ってからも、スイーッと回転だけが伸びるのではなく、
ぐいぐいと持っていく感じだ。

こういうの好きだよ。
もう少し、街中常用領域の3000rpmあたりのトルクがあってもいいかとも
思うが、あまりエンジン特性がフラットになりすぎて使いやすくしても、味が
損なわれる
ように思えた。
この車はこれでよいのではなかろうか。


バイクでも車でも何でもそうだが、味のないのはダメよ。
凡庸こそが重畳なんて、ジジイじゃないんだからさ。
40代50代になっても、こういう個性が強い物と接していたいと思う。
とっつぁんバイクのようなスクーターが流行るような今のご時世だと、
なかなかこういう俺らみたいな種族は時代遅れのマイノリティなのかも
知れないけどね。
仕事ではプリウスを使っているけど、「くるま」ではなくて、単なる移動の
手段だね、あれは。面白くもなんともない。単なる空間移動の物体だ。
未来において、あんな車ばかりになったら、まったくつまらん世の中に
なると思う。
でもって、みんな人間も背番号登録されて、首の後ろにバーコード
埋められたりとかね。SFの世界ではなく、結構本当にそうなるかもよ。
やだねったらやだねぃ(by 氷川きよし)

でもね〜。違うんだよ。
俺が四輪車で乗りたいのはこういう車なの(笑)

不二子ちゅわ〜んはもういいけどな。
おなか一杯(笑


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マイピュアレディ

2014年05月29日 | 音楽

 

思うに、俺の離れ目好き原点はこの人のような気がする。

資生堂 マイピュアレディ CM /小林あさみ(1977)

1977年2月。尾崎亜美の『マイピュアレディ』が発売された。
すぐにシングルを買った。
季節はもうすぐに春だった。
その時、高校1年だったが、当時の彼女と二人でよくこの曲を聴いた。
資生堂のCMに使われたのは3月頃だったろうか。
ちょこっと勉強ができる彼女は女子大附属校に通っていた。
二人でいろんなところにでかけた。中学の時のバスケ部の同級生だった。
可愛い人だった。顔も可愛いが、心が綺麗だった。

1976年の高校1年から2年の終わりの1978年までが、人生の中で
一番楽しい時期だったように思える。

13の時から弾いていたので当時ギターはすでにそこそこ弾けたが、
このマイピュアレディはボサのリズムで簡単ではない。
それでもコピーした。タブ譜などはまだこの世に存在しない。
すべて耳コピーだ。
だが、これは弾きながら歌えなかった(笑
今でこそ山崎の『セロリ』を弾きながら歌うようなリズムを刻めるが、
1970年代当時はこの『マイピュアレディ』のようなリズムはそれまでに
あまり無いような感じで新鮮だった。少し前の古いおフランスのボサ・
ノヴァの
感じとも違って、音階そのものがピュアだった。尾崎亜美の
センス
にしびれた。

マイピュアレディ/尾崎亜美(1977年2月発売)

実は世の中に存在するすべての曲の中でこの『マイピュアレディ』が
一番好きだ。
ただ、弾きながらは歌えない(笑
俺にとっては「聴く曲」だ。
俺の中でこの曲のイメージは原宿表参道のけやき通りだ。


そういえば、高校1の時の彼女とも原宿には行きまくった。
まさか、その何年も後に、原宿からほど近いところに住んで、
休日のたびに犬を連れてカフェで一人でお茶をするような生活
になるとは思ってもみなかった。
原宿は表参道に車が停められて、すぐ横でお茶が飲める。
オープンカフェはもちろん犬連れOKだった。
車のすぐ横でゆったりとお茶が飲めるのが良い。
犬はケヤキ並木の木漏れ日を浴びながらのんびりと寝そべっている。
落ち着いたよい時間が流れていた。



こういう曲、俺もつくってみようかなぁ・・・。これはヨコハマのイメージ?

<癒しカフェ音楽・BGM>ボサノバ調カフェミュージック(ギター・オリジナル音楽)

リードギターがアタック感が強すぎるのがちょっとあれかな。
もう少し緩急というかメロウな感じも入れれば、メリハリがついて
もっと良くなるのにと思ったりする。

こちらもどうぞ。全部オリジナル曲みたい。
けっこうすんなりと俺は聴ける。
カフェミュージック風アコースティックギター音楽(オリジナル)


小林あさみさんって、今風の顔だよね(笑


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通り魔

2014年05月28日 | 時事放談



やはり模倣するタワケモノ(というかキチガイだが)が出た。
池田小のようなことにならずに本当によかった。

キチガイなのだろうが、精神鑑定をして責任能力なしとなるのだけは
やめてほしいものだ。
殺人未遂だが、一生塀の中に入っているべきだ。死刑でもいい。
どうせ出てきても再犯するに決まっている。
法的整合性からいくと、殺人を罪とする法律が人を殺すのはおかしいことでは
あるのだが、私は死刑廃止論者ではない。死刑制度については冤罪の危険性は
あるが、明白な殺人犯はどんどん死刑にすればよいと思っている。
これは法律を学んだとしてもそう思っている。日本国内において、人を殺した者は、
日本国の法律に則って殺されるべきだと思っている。

過去、国内では2回ほど「犯罪者」を実力制圧したことがある。
一度は凶器を持った外国人犯人と警察官がもみあいになっていて、警官が
横たわって押さえ込まれていた(新宿区内)。その犯人を私が血だるまにして
制圧した。危険なことであるが、あのままでは警察官のけん銃が奪われていた
かもしれない状況だった。その時は抵抗力を消滅させる制圧のみで過剰防衛
ではなかったと自分では判断している。Pカー到着まで抵抗力は完全に消滅
させて脅威は排除した状態に置いたが。

一番怖いのがキチガイで、これは次の動作が読めないので非常に危険だ。
気が違っているのは気狂いであるので、差別がどうのとか平和ボケの
アホなことをかましていたら、とっとと人は簡単に刺し殺されてしまう。
北海道でヒグマが街中を徘徊していて、それを射殺したら「クマを殺すなんて
かわいそう」とか言っている人間が結構いたが、刃物を振り回すキチガイの
前に出て説得してみるがいい。口先だけでなく。
俺は正直なところ、殺されるべきはそういう「平和主義」を装うような自分は
安全地帯にいて能書きを垂れている連中だと思う。いや、まじで。
溺れている子がいて救出しようと飛び込んで死んでしまった人に対して、あるいは
踏切で救出しきれずに死亡してしまった人に対して、自分は安全地帯にいながら
「素人が救出などするな」とか「愚か」とか能書き垂れているサムライごっこ好きの
ニセモノも、そういう人間こそさっさと死ねばいいと俺は本気で思っている。
そして、口先だけでなく、実行で示してほしい。人間も刃物を振り回すキチガイは
言葉が通じないヒグマと同じだ。
武力制圧による脅威排除を否定する者は、これを「ヨシヨシ」と説得してみせて
ほしい↓


見て見ぬふりするのがサムライを語るのは笑止すぎるよ、そこなおっさん。
刀振り回して侍ごっこするのはやめときなよ、みっともないから。
でもね、「平気でうそをつく人たち」の「邪悪な人たち」は、絶対に自省する
ことはない。絶対にだ。こういう人間に対してこそ暴力による実力行使が
本当は必要なのだということをこれまで生き延びた経験則で私は知っている。

三島由紀夫さんも東大全共闘との討論会で自ら語っていたようだが、私も
生まれてこの方、暴力を否定したことはただの一度もない。
暴力を制するのは言論ではない。
暴力を制するのはそれを上回る暴力である。


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半着(はんぎ)

2014年05月28日 | 文学・歴史・文化

埼玉の剣友と居合の衣装について話をしていた。
全日本居合道大会の範士控室で範士の着替えを手伝うと驚く
ことがある。
全日本剣道連盟範士八段の方々が着ている紋付は、半着の
居合用紋付ではなく、本式の黒羽二重で、桐箱に入れて持参
されているのだ。そうした方々が何名もいらっしゃる。

そもそも半着というものが江戸期にあったのだろうか。
たしかに下級の者(中間や小者、奴など)が半着を着ることは史料に
見られる。
しかし、士分以上の者が作務衣の親戚のような
半着というものを着た
のだろうか。よく分からない。


幕末の有名な生麦事件の場所(現在の横浜市鶴見区)での写真が
残っている。ベアトが撮影したものだ。
そこに写っている武士は半着を着ていると剣友が言うので確認
してみた。

私が家内と初めて住んだのは、このごく近所だった(笑
この写真撮影の約120年後のことである。

たくしあげのように見えるが、よく見ると半着を着ている。


いくら階級制が乱れた幕末とはいえ、下駄をはいて傘を差している。
下郎ではあり得ない。下級であろうが武士階級と思われる。
しかし、袴を着けずに股引に半着の二名は二本差しているが、
この二名は中央の裁付(たっつけ)袴の旅装の武士(乗馬状態のように
鞘を
逆に反りをうたせて差している)の供侍なのではなかろうか。
確かに両脇二名は半着を着用している。
しかし、旅装で下駄はおかしいし、乗馬状態のように刀を天神に
差しているのも不自然だ。もしかするとベアトお得意の「やらせ」の
写真かもしれない。

このあたりは、和装の歴史を詳細に研究してみないとよく分からない。
しかし、高下駄をはいて旅というのは無理があるので、この写真は
撮影用装束である可能性もある(ベアトには多い)。

この紋付は居合用の半着であり、本式の和服ではない。
いわゆる「洗える着物」の正絹風というもので、上はせいぜい5〜6万円
くらいの物だ。本物のキモノではそんなに安いものはあり得ない。



こちらの紋付羽織は正絹の本物で、帯まで含めて上から下までの
衣装のフル装備(刀は別)だと軽自動車新車が買えてしまう。

この紋付で正月に居合を抜こうとしたら、母親にどやされた(笑
汗まみれになるからやめろ、とのことだ。そりゃそーだ(^^;
親父から受け継いだ紋付だ。父は父で別物を持っていたので、父なき
以降は、本式紋付が二着になっている。私に男子はいないので、私が
着るしかない。
けど、冬によく着る普段着の和服は、ウールのが楽で好きだよ。
大島もあるけど、あんまし着ない。
なんつーか、着る物はあまりこだわらないけど、一番着ている時間が
長いのは背広だ。あれ、作業着だから(^^
背広が楽っす〜。いつもよれよれのコロンボ刑事状態だけどさ(^^;

江戸幕末には半着があったことは写真から確実だが、はたして
現在の居合道着のように半着を剣術稽古以外でも着用したか
どうか、筒袖ではなく留袖の半着を中士以上の武士が着用
したかどうかは調べないとよく分からない。

現代人は江戸期にないことを時代劇の影響などであったものだと
思い込むことが結構ある。
日本の和服には実は「黒」はなかった。
現在でも染色で純粋な黒色は作れない。
過去に黒色の代用として使われたのは非常に濃い紫なのである。
なぜならば黒そのものが作れなかったからだ。黒を否定したから
ではない。
今でも、正絹和服を光に透かして見ると、真っ黒ではないことが
判る。
事実上「黒」と呼び、黒羽二重と呼んでいるのだが、彩色としては
厳密には旗織物に黒は存在しない。

侍時代に存在した物、しない物、それはきちんと歴史考証しないと
うかつなことは言えない。
時代劇は信用してはならない。あれはエンターテイメントだから。

↓昭和の戦後に地球上で初めて発生した「少林寺拳法」が江戸時代に
↓出てきてる(笑
↓馳走になりましたっ(≧▽≦)
Sleepy Eyes of Death - The Chinese Jade<眠狂四郎 殺法帖>


よくある時代劇の嘘は、江戸城だよね。
時代劇で江戸城としてよく出てくるこの城。


これは姫路城ですから(^^;
江戸城の天守は3度建築されましたが、明暦三年(1657年)の明暦の大火
(振袖火事)で全焼し、以降は建築されていません。
八代将軍吉宗の時代に江戸城天守がある訳がないのです。
NHK大河は本当の皇居江戸城の櫓を江戸城シーンでは登場させたりして
意外とリアルですが、他の時代劇は結構デタラメです。
まあ、そういうのは多い。「ニンジャ」という言葉(昭和に小説家が発明した
単語)を時代劇で使ったりとかね(^^
でも、それを言ったら、時代劇自体が話すことばが現代口語ですからぁ〜(^^;
まあ、エンターテイメントではあるけれども、建造物や着装は時代考証は
きちんとするに越したことはないと思う。腕時計している八丁堀がいたら
おかしいでしょう?ま、つまりそれですわぁ(´ー`)

紋付は刺しゅう紋が略式、染め紋が正式です。
着物はそれぞれの場面での格式があるので、知っておいたほうがいいかも。
今は洗える正絹風の生地がありますので、便利になりました。
あとですね〜、便利な半着といえども、袴の横から脚が見える程短いのは
やめましょう。みっともないよ、それ。なんかイメージとしてはハレンチ学園の
マカロニ先生みたいに思える(古いっ)。


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居合稽古と友人からの頂き物

2014年05月27日 | 日本刀

本日の居合稽古は二人向かい合っての木刀による基本稽古。
木剣での稽古導入は尾道道場は初めてなのかもしれない。
居合を木刀で、ではなく、剣道剣術系の基礎稽古だ。
目的は「間合い」の習得にある。
現代は一人居合が多い。土佐英信流なども、昔は相対稽古が基礎に
あったが、現行は一人抜きの居合が主流となっている。

一人抜きすると、どうしても一人で自己完結になってしまうきらいがある。
とりわけ、「間合い」についての感覚もつかみにくく、どこを切っているのか
不明瞭になるケースもある。
木刀による対峙稽古はそれを防止し、「間合い」と呼吸について習得
するために尾道道場では導入された。
個人的には無茶苦茶嬉しい。
木刀での稽古は実に20年ぶりだ。
かつては日本剣道形や無双直伝英信流太刀打之位を散々やったが、
ここ20年ほどは、理合学習で木刀を使う以外は真剣使用の居合ばかり
だったように思える。
本日以降の稽古は木刀必携となりやした。重畳なり。こういうのがしたかった。

ただ、剣道やったことない人の共通項として、カツンと木刀の剣先をほんの軽く
合わせると手がガッチガチなんだよね。木刀握りしめちゃってて。こういうのは
剣先を軽く横に押さえてから下にスッと抜くとフワッと剣が横に流れるからすぐに
真向を斬り込むことができる。だめだ〜め。手の内はどんなときでも柔らかくだよ。
それと、突きとか面とかの声を発する時、私などは道場に響き渡るくらいに
大きく高い声で伸ばして発するけど、剣道やったことがない人はボソッと
止めるように言うだけなんだよね。「めん」とか「どう」とか小さい声で。
それ駄目っす。
剣道形の「ヤア・トウ」でも伸ばして大きな声で(高音で)元気よく発声して
ちょんまげ。


マイ木刀3種。

真ん中の自作赤樫木刀ではなく、本日は一番上の白樫の反り強き一刀で。
一番下は二天一流用の木刀ですね。

稽古の帰りに尾道で後輩と一緒に食事した。
稽古場のスポーツセンターの山を下りてすぐのところにある。
ビリヤードとダーツの店のおなじみのテラットだ。



唐揚げプレート。これ美味し。


食後に「何か甘いの作ってよ〜」と頼んだら、メニューにはない特別な
これを作ってくれやした。ミントは自宅で採れた物らしい。
(『男たちの大和』での海岸シーンロケ地がマスターの実家。蒼井優ちゃん、
ロケ中はマスターの実家
に寝泊まりしてた。笑)

当然、別腹っす(^^)
うまし!!
サンキュー、ますた〜。

家に帰ったら、先々週呑みに行った六本木の友人ジョーイ近藤氏から
贈り物が届いていた。
感謝、感謝どすえ。

犬も興味津々なり。

アンティークの香炉だよ、香炉。
こりゃいい!

コマイヌ!
これはいい!

近藤さんが送ってくれた『日本刀物語』は持ってなくて、読みたいなぁと
思っていたから
これまたうれしす。
てかね〜。もらった本めくってビッツラ、この書の中には貴重な情報が書か
れている。

それは、羽山円真が壮年期に熱田神宮宮司の家に数年起居していて、
その際だろうが、円真は草薙の剣を見たとされているのよ。
それの遺されたイラストが載っているの。
ほえ〜。これが!いわゆる三種の神器の一つなのね、と驚いた。
三種の神器は八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙剣(くさなぎのつるぎ)なのだけど、
草薙剣は熱田神宮の御神体でもある。
皇族のみならず天皇でさえ実見がなされていないとされているその御神体
たる草薙剣をどうやら羽山円真は手入れのために見た経験があるらしく、
それが書きとめられていた。
ちょ〜貴重。
私もその図を見てびっくりした。
こ、これは・・・今までの古剣の概念にはなかった形状の剣だと思った。
大正9年に羽山円真は草薙剣の模造を製作しているが、その時に手本と
なった本歌は当然熱田神宮の本物の草薙剣だったとされている。
ただ、本書の著者もいいこと書いている。
「(羽山円真は)検分した本歌についての説明を口外することを避けた」
「熱田の宮の御神体として深く崇拝し、余計な詮索をしないことが大切では
なかろうか」と。
だが、羽山円真の本歌写し図を掲載している(^^;
両刃の剣なのだが、総体として不思議な形状になっている。
私自身は、ちょっと衝撃的だった。
なぜならば、総体の構成が蝦夷の俘囚の剣との類似性が著しかったから。

日本の刀剣。
神秘なるかな。


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お知らせ

2014年05月27日 | 一般

This is an automatically generated Delivery Status Notification.
Delivery to the following recipients failed.

**********@docomo.ne.jp


携帯・スマホからメールを送信されている方々にお知らせします。

頂いたメールに返信しても、着信拒否で送信不能になる場合があります。
私のkelu-cafe@のWebアドレスにメールを送られる方は、大変お手数
ですが、PCからの受信もOKなように設定してください。
よろしくお願いいたします。

もしくは返信希望のメールについては、PCのアドレスからのメール送信
にてお願いいたします。

結構いらっしゃるのよ。
頼むよ〜。

なお、これはhotmail のメーラーの設定ではなくサーバー処理の問題
でしょうが、私のアドレスに送信してもエラーが出るケースが何件か発生
しております。
その際は、「返信」ではなく、新規送信先入力で送信できるようです。
たぶんバグだとは思いますが、こちらもお手数ですが、hotmail に対して
送信エラーが出た場合は、新規送信先入力での送信をお願いいたします。

                                        渓 流


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刃文の模様

2014年05月27日 | 日本刀

尾道辰房則行の刀を見ていて「あ、そうか」と思った。
普通の互の目ではなく、波のようでもなく、雲のようでもない。
これはなんだろうと考えていたが、これは備後地区の山影だ。
ニョキッと出たトンガリ山に連なる山頂が平たん部の山を描いた
刃文なのではなかろうかと思いが至った。

この高山城、新高山城のあたりの風景にそっくりだ。
備後地区の山って面白い形しているでしょ?
関東あたりでは見かけない山の形だよね。
あの刃文の形状は、備後瀬戸内地区にいないと思いつかない
形なのではないだろうか。



高山城。


高山城。


新高山城。


ということで、新所有者さん向けに資料を作った。A4印刷版。
スマホの撮影では、コピー用紙の白色が撮れない(笑



私の忍法帖にも押し形をいただきますた。




あっがーす♪(^0^)


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握手会の危険性

2014年05月27日 | 時事放談

俺ね、昔から思っていたけど、「握手会」というのはとても危険だと
思うのよね。
大昔は無かった。1980年代から「握手会」が登場したのではなか
ろうか。いや、それ以前から「サイン会」(基本的に握手は禁止)が
あったから危険度は同じか。

1990年代以降、「無差別殺人」をやろうと思っている人間が街中を
徘徊する
ことが多くなった。時代的に社会的な何かがとぎれて消滅した。
それまでも殺人事件は多くあったし、新宿バス放火のような無差別
殺人事件もあったが、通り魔殺人のようなことがここ20年ほどで非常に
増えている。
とにかく、一番危険なのが「人が集まる場所」なのだ。
「握手会」などは、アイドルなどの芸能人と周囲の人間が狙い撃ちに
される場所のように思える。
握手会は仮に私設SP配置や厳重警備が講じられていたとしても、暴漢から
の攻撃は防ぎ
ようがないと思う。事実今回は多くの警察OBなどが警備を
担当して厳重に対策を講じていた。
しかし、かなり危険だ。芸能人は見知らぬ人に手を預けてしまうのだから。

芸能人を守るためには、不特定多数の人が並んで誰でも握手できるような
システムを今後は取りやめることしかないと思う。
もしかすると、今回のAKBの被害以上のこと、つまり殺人事件の完遂が
「握手会」で
起きるかもしれない。
今後が重要だ。
こうした刑事犯罪は模倣犯が必ず出るからだ。
今回の犯人には殺意があった。
大阪の池田小のような惨事が「握手会」で起きる可能性は極めて高い。
「握手会」関係者は今後の安全確保の対策を講じる必要があるだろう。


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刀剣鑑賞 〜備後刀〜

2014年05月27日 | 日本刀



押し形を取った。本日、新所有者に刀を受け渡すからだ。
尾道辰房に関する研究メモ書きとこの押し形写しを付けてあげようと思って
いる。
私は刀屋ではないが、刀剣商も刀剣お買い上げいただいた方にその刀の
押し形を付けてあげると、お客様に非常に喜ばれるのではなかろうか。
ちょっと至れり撞くセリ(それはキャロムビリヤードだっ。セリー撞きとは四つ玉
もしくは三つ玉において、的玉で三角形を作り、それを崩さないようにレール
際をトントン撞いて行く超高度な技法。別名レールナース。セリーが完成すると
対戦者は一切順番が
回ってこない。セリーに失敗しない限り1キューで数百点を
撞き抜かれてしまう。
これを防止するために特設エリアをテーブル内に設ける
ボークラインが生まれた
が、ボークラインでも1キュー撞き抜きの猛者が何人も
現れた。キャロムビリ
ヤードは技術を持つ者と持たない者の差が歴然と出る競技
で、その差はポケット
ビリヤードの比ではない。名人・達人級はそこそこ撞ける者
たちとは雲泥の差が
ある。バンキングで負けたら回ってこない。かろうじて回って
くる競技はスリー
クッションだ。キャロムビリヤードこそが「ビリヤード」と呼ばれる
物であり、穴に
落とすポケットビリヤードは正しくは「プール」と呼ばれる。だから
米国の店では
BILLIARD & POOL という看板が多い。さらに英国式ポケット
ビリヤードは
スヌーカーと呼ばれる)・・・尽せりが過ぎるかな。
まあ、新所有者が喜んでもらえることなら、受け渡し人としても嬉しいものだ。
末永くこの刀を愛してもらえたら幸いである。

全体を鑑賞しながらなので、これだけの押し形を取るのに2時間かかった(笑
刀身の全身押し形は丸一日かかると聞くが、よく解る。
押し形を取りながら鑑賞すると、細かいところがよく見えてくる。
この作、写し取れない細かい働きがかなりあって、すごく見応えがある。

それにしても帽子の焼刃の返りが長っげ〜(◎。◎)
やはり備後刀三原派の特徴なのかねえ。末三原物は返りが長い作が多い。
戦場刀の実用的見地からだろうね。
鎬地の幅は備前物のように狭く、しかし棟にかけて肉を落とされている。
そういう鍛え方なのだろう。これも尾道刀の特徴の一つだ。鎬地は棟にかけて
下るが、相対的に鎬高になり、強度を落とさずに軽量化に成功している。
いろいろ細かいところを試行錯誤しながら、備前伝と大和伝の良いとこ取りで
構成して開発されて来たのが三原派の特徴かも知れない。89式小銃みたい(^^

この刀の特徴として、淡く映りが立っている。鎬線近くが白けごころ
(これも三原の特徴)で、平地を真横から見ると拇印のように斑紋状の
薄い映りに伴う暗帯が見えるのだが、刀身を横にして光に透かすと、
オーロラのような映りが鎬線を越えて棟まで無数に立ち上がっている。
それは刃文の山の稜線から必ず立ち上がって棟まで突き抜けている。
最初見た時に研ぎの歪みかと思ったが、詳細に光の反射で確認すると
歪みではない。研ぎはピシッと緩みなく面を出している。
それに、この研ぎは古研ぎで、ところどころ曇りも出ているが、この研ぎ
自体がかなり上手い。下地研ぎがきっちりしているし、細部においても
上手(じょうず)である。上手物(じょうてもの)を多く手掛けた研ぎ師である
ことが見て取れる。だからこそ、古研ぎのままで多少曇りが出てもその
ままにしているのではなかろうか。
無論、地方産で疵も出ている安価な刀剣であるので研ぎ代をかけないと
いうこともあるだろうが、最近はやりの下手糞な研ぎなどに出すよりも
この研ぎのままのほうがよい。差し込み風であるのもまた良し。

反りが深い関係だろうか。
私の天正八年作安芸国大山住仁宗重(この則行とほぼ同寸)よりも
手持ちで軽く感じるのに、重量を計測したら遥かに重たかった。
尾道辰房則行、なかなか良い。
銘鑑にもあまり載っていない地方に埋もれた田舎刀工なのに、結構出来が
良い作を作る。
正直言って、この刀を詳細に視たら、「ごめんなさい」という気持ちになった。
私の長船則光や大山宗重を視てもそんな気持ちにはならなかった。
なぜごめんなさいかというと、こんな作は俺には作れない。細かいところの
働きが凄い。匂い深く、砂流しかかり、刃文は雲の中に火山が噴火して
噴煙を吹いてそれが風にたなびくような働きを見せている。
なによりも、透かさないと見えない刃文の稜線から棟まで幾筋にも突き抜け
ている映りだ。これは鋼の変化が硬軟の焼きで上から下まで縞模様に横に
入っていることになる。強度確保の意味では理想的だろう。横に抜ける硬軟
映りに縦の焼き刃が交差する。かなり強靭な刀身であることは想像に難く
ない。実用性充分の戦場刀であるのに刃中の変化の働きも鑑賞していて
楽しい。地は板目が詰み、ところどころ柾がかって流れるがその柾も詰んで
いる。強靭性という日本刀の絶対条件を具備しながら鑑賞にも耐える。
これがザ・日本刀だ。

このような作、鑑賞にも適し、実用性でも申し分ない作を、仮に短い物としても
私ごときが造れる筈がない。参りました。
現代刀でも、古刀でも新刀でも、私がこのように参ったと思う刀はかなり少ない。
不遜なようだが、実際に参らない刀が多いのだから仕方ない。

この則行には、正直言って参った。「うう〜ん」と唸らされた。
だからこそ、多少疵気はあるにせよ、450年以上も残されて来たのだろう。
こういう刀こそ良い刀だと思う。
最近の現代刀、果たして450年後まで残るのだろうか。
でもなぁ、戦後以降の現代刀は「再現刀」だからなぁ。武士が消滅して以降の。
本当の武士が日常的に刀剣を帯びていた時代のタイムリーな作とは、位相に
おいて大きく異なる。これは致し方ない。
だが、日本刀の本質性まで否定して見た目のみを追いかけて形を似せた物が
果たして日本刀と呼べる物なのかどうか・・・。
武士がいなくなった時代だからこそ、なおさら武士がいた時代に造られた本物
に肉迫することを目指すべきだと思うのだが。
口先だけの「鎌倉古刀の再現」ではなくて、中身そのものの希求というか・・・。
刀が本物でないなら、当然作る刀鍛冶が本物ではないということになる。
せめて、心根だけは、芸術作家先生などではなく、本物の刀鍛冶になってほしいと
私は強く願うのだ。




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刀工試験

2014年05月26日 | 火と土と水、そして鋼

作刀技術保存研修会 平成26年5月27日日(火)〜6月3日(火)

刀鍛冶になるための刀工試験実施のため、上記期間は長船刀剣博物館
敷地内のおさふね刀剣の里の鍛刀場と
工房への一般見学はできない。
(博物館、今泉記念館、お土産屋=物産館には入場できます)
※おさふね刀剣美術館に訪問される方で、今泉刀匠記念館に未訪問の
方がかなりいらっしゃるようですが、長船刀剣博物館に行って今泉記念館
に行かないのは、野球を観に行ってグラウンドのスタンドに座らずに
廊下をうろうろしているようなものです。いや、寿司屋に行って寿司を食わずに
ガリだけ食ってお茶飲んでいるようなものか。
現代長船の灯は今泉俊光という
刀工がいたからこそある。あの人がいなけ
れば長船の灯は消えていたし、
もしかすると現代刀そのものの灯も先細りで
消えてなくなっていたかも
しれません。
是非とも今泉記念館に足をお運びください。刀剣博物館の入り口向かいの
建物がそうです。館内には今泉刀工の鍛練場がそのまま移築再現されて
います。
過去の功績を「今泉刀匠記念館」で、刀剣全般を「博物館」で、現代刀職の
仕事ぶりを展示公開している「工房」で、お土産は「物産館」でお楽しみ
ください。全部回らずのつまみ食いは非常にもったいない。


今年の刀工試験受験生は8名らしい。
5年間の実技学習の成果がの一週間で試される。
途中で折れるか、最後まで切りぬけるかは、ひとえに刀鍛冶になる実力が
あるかないかに
かかっている。
ただし、ここでの実力とは、決められた指定工法で決められた鋼を使用して
それが
こなせるかどうかということだが、これは仕方ない。
大学受験でも、その大学の試験問題が解けない者は入学が許可されない。
合格となるには、その大学の問題が解ける必要がある。センターでも同だ。
国が出す問題を解けなければ希望大学には合格できない。
誰のせいではない。すべては己の実力次第。
刀工試験の場合、
ある程度試験で使われる鋼の質性は事前に解っているの
だから、甲伏せで指定通りの造り
込みで、手際よくこなせればよい。
試験内容がどうだからではない。
どんな試験内容でも、自分がそれをできるかできないかだ。
世の中の試験という試験はそういうものだ。問題ができるかできないかの
一点にかかっている。
ただし、できても合格しないという別なファクターも世の中の試験では横行する。
それは試験と実力という関係性とは別次元の問題だ。


今年は何名が最終まで残るのか。

ある受験生は私に言った。
「3回受験して合格しない者は100回受けても受からないと思っている」
本人の決意もあるだろうが、現実問題として深いところを突いているようにも
思える。
今年初めての受験で、もちろん一発合格を目指しているというが、それでも
自分の中では3度の受験までが区切りで、3回目が不合格なら刀工になるのは
きっぱりと諦めると私に語った。
真剣勝負の世界は、そういうものなのかも知れない。
刀剣鑑定の世界とは大きく異なる。
刀剣鑑定は、何度も申請を出して「お布施」をすれば、どんどん位が上がる。
実に妙な話だ。Cという刀がやがてBになりAにまで位列が上がるのである。
刀剣鑑定に真剣勝負はない。
それは見ている目線の先が真剣を帯びる者とは別物だからだろう。

しかし、刀工試験受験者は現代刀工だ。
ある意味、そうした美術的位列や業物位列とは無縁の立場に立てる。
コンクールはあるけどね(苦笑
かつて、さる宮様が新作名刀店をご覧になって「この中で切れる刀がどれほど
あるのでしょう・・・」とおっしゃったが、焼き物展覧会の様相を呈していた状態を
嘆かれてのことだと思う。

それでも、とにかく刀が造れる立場は、これほど素晴らしいことはない。
誰でも彼でも刀は造れないからだ。認められた者だけが造ることを許される。
それは炭切りに始まり、鍛冶押しまで進む。最後には銘切りだ。
その時、刀工が肝に銘じるのは果たして何か。


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