渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ドラマ 『JIN -仁-』再放送 最終回

2013年03月31日 | 内的独白

TBSドラマ JIN-仁- の再放送最終回を観た。
感動してしまった。



初回本放送の時のレビューはこちら


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研ぎ 〜鋼の刃物〜

2013年03月31日 | 刃物

どうもなんだか気に入らないので、早朝早起きして青紙製肥後守を研いだ。


鋼の具合と地鉄の風合いがようやく見えた。
だが、これでもまだ気に入らない。


家庭用の砥石の一部。天然もあるが主に人造が多い。


荒砥から8000番まで。
小刀研ぎ用の天然砥石セットは今の家には置いてなく、本家に置いたままである。
しかし、家庭で使う包丁やナイフなどの研ぎはこれだけでも十分に間に合う。
木工職人や大工さんたちは天然砥石の極上仕上げ砥を持っていないと仕事に
ならないだろうが、一般家庭用は6000番位までで間に合う。
タッチアップの早研ぎの場合は、1300番位の中仕上げ砥だけでも充分に切れる。

外部リンク
各種砥石の仕上目安
天然仕上砥石について
天然仕上砥石について 二

天然仕上砥石について 三
砥石いろいろ
鋼の種類について


推奨動画(ギター製作者田中清人氏による刃物の研ぎ)
職人技 鉋研ぎ 小鳥砥と丸尾山産八枚


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鐡を作る 〜刀工上田祐定〜

2013年03月31日 | 日本刀

刀工上田(うえた)祐定氏のブログ刀鍛冶の日々の「卸し金の事」のページに
次のような記述があった。


「江戸後期迄は一部外國から銑を輸入して日本で脱炭して鋼として販売されていた。」

さすが祐定親方だなぁ。
きっぱりと古刀期にまで及ぶ舶載鉄の存在を認めている。
天秤フイゴによる高殿での大型タタラ製鉄によって得られた鉄を使用し始めたのは
江戸末期であり、現在の「日本刀の材料」とされている鋼はそれと同じ大鍛冶工法で
作られていることを知悉しているからだろう。
さらに、親方は現行のタタラ製鉄での鋼より良質な鋼を得るには自分で鐡を吹いて
作るしかないというところに行きついたのだろう。

だからこそ、「皆はその鋼使いゆうが、わしは自分で鐡作るがぜよ」とばかり迷わずに
自家製鉄を実行されているのではないか。餅鐡まで還元実験しながら。

それでも鐡は生き物だから、生まれる時に様々な性質を見せる。すべてが同じではない。
生き物を扱うからこそ命を宿そうとする人間の側も苦労する。

だが、祐定親方のブログを読んでいると、強引に無理やり強制的に鐡をどうにか
してやろうというのではなく、鐡と対話して鐡の声を聴くことに全霊をかけている。
まして、「この鋼を使うべし」という外圧には凛と抵抗する反骨心と気概に満ち溢れている。

私はとても好感が持てる。
そして、この親方、自作刀で切り試しするしね。
飛べない、翼がもげて墜落する1/1スケール模型の飛行機を作ろうとはしていない。
ナンチャッテでなく、名実ともに「日本刀」を作ろうとしている。
造形作家ではなく、本物の刀鍛冶だ。
今ほとんどいないんだよ。こういう本物の刀鍛冶。



今週の火曜のこと、道場の仲間が県内の現代刀工の作った刀を持って
きていた。

居合で使うには少々不具合があるので、その旨を作者の刀工に申し入れ
したんだって。

そうしたら、その刀工は「そんなことに刀を使ってもらっては困る」と言って
きたらしい。

「ならば刀はなんのためにあるのか」と持ち主が問うと、その刀匠先生は
「刀は見るためにある。居合などで使うためではない」と
答えたそうだ。
持ち主は呆れたと言っていた。
私が、「いや、現代刀の作家はそんなもんですよ。そういうのばかりです。
しかも、万が一切ったりしたら欠けたり折れたりします。危ないですよね。
ただ、居合にさえ使うなという刀というのは、本当に見るためだけの
見てくれだけに作者は価値を求めているのでしょう。車のカラーリング比べ
で喜んでいる
みたいなもんです。ブレーキもアクセルも付いていません。
エンジンというハートも」
と私が言うと、その持ち主は現実の現状をよく
知らなかったのか、さらに
呆れていた。
入選作家だから注文打ちしたとのことだが、刀を選ぶ前に、事前にその人物
なりをリサーチしないとね。刀工は刀鍛冶である限り、
その作品こそが刀鍛冶
としての全人格だから。

日本刀を利用して芸術表現したいだけのアイアンアーティストは造形作家
であって刀鍛冶ではないから、頼む相手を間違えたんだよ。だから、
製作の
依頼先を選び誤った注文主にも責任があるよ。
製作者に責任はない。
彼らは彼らなりに一所懸命に「見た目だけ」の鉄の焼き物を
作るのに日々努力
しているのだから。

でも、彼らは刀鍛冶ではない。
日本刀を利用して自己の美意識の表現をしたいだけの作家先生。日本刀とは
無縁な存在だ。日本刀とはまったく関係がない。
だから、呆れたり腹を立てるだけ損だよ。寿司屋だと思って店に入ったら、
実はそれらしい寿司屋の看板を掲げた立ち飲み屋だったくらいに思っておいた
ほうがいい。寿司屋でないのに寿司屋だと勘違いした自分が悪い。


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時代の変化 〜花見〜

2013年03月30日 | 時事放談

大阪の人とメールのやりとりをしていて、中国地区のみならず関西でも花見では
大騒ぎをしない
ということを知った。
だが、ネットで情報を調べてみて愕然とした。

東京でも現在は花見で大騒ぎという状況は「ない」という現実を知った。
私が東京を離れて15年。
米国型グローバルを小泉が推進し出したあたりから国内情勢は徹底的に
意図的に「変えられ」た。

各種法律改「正」がその現出として具体的にはみられるが、総体としては
国民の
「牙を抜くこと」が徹底化されている。
それは、「右傾化」などという矮小化された表現で表せる段階をとうに
過ぎており、社会現象としての「秩序化」が為されてきている。
警察庁警備局内に人民管理の秘密謀略組織(旧チヨダ→現I.S)が創出されて、
警察OBからも「いくらなんでも民主主義を逸脱しすぎ」と指摘されているが、
それも大きな流れの兆候の一現出にしかすぎない。

「自衛隊を軍隊に」とあの民主主義の基幹であった自民党さえもがそれ表明
することで票を集めるなどという
社会現象が、この国の風潮がどちらに向けられ
ているかというすべてを物語る。


今、東京の花見ではこのような状態になっている。




ラジカセ(死語)などの音響装置、バドミントンやフリスビーなどの遊具の持ち込み
も一切禁止だ。新宿御苑なら特別公園なのでまだそれとなくわからぬもないが、
どうやら他の公園でも同様の流れにあるらしいというのがかなり脅威だ。

そして、「手荷物確認中」という取り締まりがさも「当たり前」のようにまかり通っている。
国民はそれを「当たり前」のことのように受け容れて。

本当に、この国は「終わった」と感じる。
楽器の使用禁止(笑)
口笛も吹かないように口を閉じろとでも言うのだろうか。まるで物言わぬ地蔵のように。
そのうち国民全員が腹話術で話すことになるぞ(冷笑
こういうのを「秩序」とは呼ばない。
花見客の誰もが野球拳をやるわけではなかったし、逆に現状を「公序良俗」とは
決して呼べない。
今の方向性がどれほど「危険」なことであるのか、お上に従順な「良民」たちは
気づかないのだろうか。


新宿御苑(私が初めて二足歩行したのはここだった)


こちらは横浜根岸公園


代々木公園


いずれも飲酒はしていないようだ。
花見参加者のブログなどを読むと「誰もが騒がずに静かにく花見」している
のだそうだ。楽器を持ちこんだり、車座になって仲間で歌を歌ったりもしないらしい。
うげげっ。気持ち悪い。

しかし、すごい世の中、というか、とんでもない世の中になったようだ。
ほんと、「世も末」だね。
松本零士が『ガンフロンティア』で描いたアナーキーな暴力街が楽園とは思わないが、
ここまで管理社会が進行して、おとなしく黙っている国民。ニッポン、オワタ。
どこぞの春の歌会じゃねぇんだぞ。場所をわきまえろってんだ。花見で酒飲んで
友人家族と語り合い、歌を歌い、「ハレ」を楽しまないでどうする。「ハレ」の文化を
隠滅させることはニッポンを消滅させるということだ。
そのうち、首の裏筋に全員バーコード埋め込まれても文句言わない連中だけが
棲息する国になるぜ、間違いなく。

花の時代は過ぎにけり。
怖いね〜、虎子光秀一郎が目指すような世の中は。


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裏路地探検隊 〜姫路〜

2013年03月30日 | 外出・旅



一昨夜の3月27日夜、姫路での仕事一日目を終えてから東京本社の
取締役と姫路の街に
食事に出た。
これは店を探している時に見つけた姫路の路地裏だ。
まるで新橋の烏森口のお宮さん境内のロケセットのような路地だった
ので撮影した。
う〜ん。新橋のほうがレトロで映画のセットぽいかな。


ところで、地方に移住してから、花見の時に地方の人は騒がないことを知った。
東京の花見なんて・・・なんというか、祭りの喧嘩のような状態だしね(^^;
上野にしろ、芝公園にしろ、洗足池にしろ、あちこちで殴り合いやってるし(笑)
「花見は花をめでるもの」なんて気取ってる奴は家で生け花でも見てろいっ、
てなくらいの乱痴気騒ぎを東京の人間はする。
東京の花見の時には、あちこちで酔った時の釣りバカ浜ちゃんみたいな人が
一杯出没するから、なんというか、面白いけど。
ただ中国地方の人はノリが違うね。シレ〜っとしてる。


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刃こぼれと刃まくれ

2013年03月29日 | 刃物



最近の車というのは、かつて常備だったカーライターが付いていない。
当然、灰皿も付いていなくてね。
いつも車の中ではコーヒーなどの空き缶を灰皿として使っている。
缶の口を広げるのはナイフを使う。
普段は特殊合金SUS材のナイフを使う。
汎用の使用法を想定しているナイフというもののの使い方などは
そういうものだ。缶詰さえナイフで開けられないとならない。

この缶は肥後守で穴をあけてみた。
鋼で缶を切るのは初めてだ。

切先を立てて柄尻を平手でトントンと叩いて上蓋を打ち抜いて切って行く。

ナイフのSUS材の場合ほとんど刃こぼれもないのだが、やはり鋼の場合、
刃先がかなり傷んだ。

ただ、切先は欠けていない。まくれとなっている。
ブレードの刃先部分も刃こぼれではなく細かくまくれている。
刃物としては鋼の熱処理の結果がこのような状態になることが望ましい。

包丁やカミソリは刃先が欠けやすいのだが、実用刃物としては刃こぼれ
でなく、刃まくれが起きるような粘りが求められる。

刃まくれという状態から、この個体は熱処理が適切だと判断できる。


研ぐことにした。
私は砥石を使えるところまでとことん使う。(これは荒砥)


長年使い込むと、薄さはこれくらいにまでなる。


研ぐ。まだ刃まくれが残っている。


さらに研ぐ。


どんどん研ぐ。


まだまだ研ぐ。


まだ研ぐ。


まだまだ研ぐ。


もっと研ぐ。


最終的には鏡面まで。

洗濯糊を使わなかったので、研いで行くそばから錆びてくる。鎬地の
細かい点々は研ぎの際に発生した錆である。


最終段階経過。
犬の鼻が映っている(^^)
刃先はキンキンに立っている。うぶ毛も剃れ、切れ味完全復活!
バフがけなどしていない。砥石だけでここまでもっていく。


9種類の砥石を使い、研ぎ上げた。

鋼の刃物は研いで使う。
使った後に研ぐのでなく、使う前に研いでおく。
刃物はいつでも使えるように刃を研ぎ上げておくのが基本だ。
使う前に研いでおくのだが、包丁などは「使う直前に研ぐ」
のではない。砥石の匂いが食材に移るからだ。
包丁は使い終わったら、次に使う時に備えて研いでおく。
「使う前に研いでおく」ということには変わらないが、時期を誤ると
食材の味にかかわる。注意が必要だ。

本日の研ぎ時間、映画の釣りバカ浜ちゃんが始まって終わるまで。
研ぎ始めの時にTVで映画が始まり、研ぎあがった時に気づくと映画が
終わっていた(^^;


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小鎚

2013年03月28日 | 日本刀



ジャカジャ〜ン!
おいら鍛冶屋さんじゃないから作れないもんで、名人の作を入手したよ(^^;

手さばきの良い小鎚。


鈍く光るクロガネの色が凛々しい。

使う前に保護コーティングのラッカーを除去しないとね(^^)
今は面の部分に特に濃く塗布されている。
鍛造専用。これで釘を打つことは絶対にない。


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「布都御魂の剣」(ふつみたまのつるぎ)

2013年03月27日 | 文学・歴史・文化


「布都御魂の剣」(ふつみたまのつるぎ)の木製レプリカ

同期の剣友がフツミタマノツルギ」について自身のブログに書いている。
ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトが使ったとされる聖剣だ。
「オロチカラノサビ」ということは、日本国内の韓鍛冶(からかぬち)が
作った鉄剣との伝承ということになる。韓鍛人は考古学的には倭鍛冶
(やまとかぬち)とは決定的に製鉄法が異なる。倭鍛人系はリモナイトや
湖沼鉄などを原料として製鉄をし、鋼を作っていたのではなかろうか。
倭鍛冶にしろ韓鍛冶にしろ、大元のルーツは外来であることは確か
だろうし、古代の初期においては舶載鉄がメイン材料だったことは
有力視されるのだが、そのあたりの弥生時代の製鉄の件は考古学会に
おいても諸説もろもろなのが現実だ。
そして、学者同士のつまらぬナワバリ争いのチンケな意識が学術の
発展深化を阻害しているという厳然たる事実が我々の眼前に
屍のように横たわっている。
実態を知るとね、もうね、学者ってのはホトホト頭がよろしくないよ。
自己利益ばかりを優先させることにしか興味がない連中というのが
実体だよ。勝手に内ゲバに明け暮れてろっての。未来つぶしの連中が。
♪包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる
(by 中島みゆき)

ところで、う〜む。
レプリカ見る限りでは、「環頭大刀(かんとうだち)」だな、これは。
国産鉄剣ということになると、古墳時代まで下り、かなり「新しい」
時代ということになる。
尤もオロチ伝説をみると、スサノオの剣は鉄剣ではなく青銅剣である
可能性もあるのだが、神話はともかく、実体は考古学でもよく分かって
いない。
実際のところ、国内が完全に統一されるのは大和王権以降であるし
なあ。神話が事実のなんらかの事象が伝説化されたとするならば、
案外、オロチ伝説はかなり後代のデキゴトではなかったろうか。
製鉄の関係からしても。
(最近、学校の歴史では「大和朝廷」とは呼ばないのが一般的。
なぜなら、研究が進み、ヤマトができた頃は、朝廷と呼べるような
単独独裁国家ではなく、連合王国のような政治統治体制であった
ことが判明してきたので、「大和王権」もしくは「大和政権」という
呼び方に最近変わった。大和朝廷として確固たる体制が確立する
のは大化の改新以降である)

それでも、実際に日本の歴史を文字にして残したのは和銅五年の
712年だから、それ以前の文献というのは、はっきし言って確かな
物は国内には存在しない。西暦712年だよぉ。大陸や西欧と比べたら
どれだけ遅れていたことか。「〜の国」という各国割りが開始された
のもその頃だから、卑弥呼の時代から500年も後の時代にようやく
日本が統一整備されてきたことになる。
意外と、我が国の統一国家の歴史はイメージしているよりも浅いのよね。
大化の改新(乙巳の変/いっしのへん)が開始されたのが645年。
それから何十年も国内の政権は揺れていた。

首チョンパ!(大化の改新=乙巳の変/江戸時代に描かれた)
江戸時代のイメージは、やはり首カットなんだろうなぁ・・・。
しかし、エグイ絵だ。
皇極天皇は十二単を引きずり急いで退避している。


日本国産の鉄刀が「日本刀」として成立する湾刀となるのは歴史上では
平安時代末期とされている。
平将門の乱(935)や藤原純友の乱(939)の頃は直刀だった。
(ちなみに、将門の乱は「久美子も悲しむ将門の乱」、純友の乱は
「臭くはないか、藤原純友」と私は覚えていた。意味分からん(笑))

「日本刀」成立以前には古い時代から、銅剣→鉄剣→鉄刀→大刀(たち)→
横刀(たち)→太刀となって「日本刀」になった。
環頭大刀の頃は「大刀(たち)」であり、これはまだ「日本刀」という範疇とは
されていない。
しかし、正倉院御物の直刀である大刀(たち)を現代刀工が製作する場合には
「日本刀」として行政によりカテゴライズされる。学術的体系と行政政策は必ず
しも一致しない。なぜなら、すべての行政政策はアカデミックなものとは関係が
なく「人民統治」のためのツールとして存在するからだ。銃刀法がよい例である。
その規制は国の伝統文化保全とも時には対立する。

ところで、不思議なのは、後代に描かれた将門の乱の絵画の
殆どが直刀ではなく、反りのある「太刀」を描いている点だ。
(大刀(たち)と太刀(たち)は異なるので注意)

成敗された平将門の首。たたるぞぉ〜〜〜。
この装束は・・・源平の頃でしょう、これは・・・。

この現象はなんざましょ?
まあ、表現だからいろいろあるのだろうが・・・。
上に掲げた「大化の改新=乙巳の変」の絵にしても、どうも描いた
時点の時代のイメージが強調されているようだ。
江戸期の絵画の特徴は、江戸時代の風俗などを描いた物は正確
なのだが、過去の事象に関してはイメージ画(参考図)程度に考えた
ほうがよいようだ。後世の画というのはえてしてそういうものだろう。
決定的なのは聖徳太子(実在したのか?)の肖像画で、太子がいた
頃にはあのヒゲはないってば。
誰だ、描き足したのは(苦笑

古い絵で一番おもしろかったのがこれだ。

「石山寺縁起絵巻」

第二巻だから鎌倉時代を描いた当時の絵なのだが、ナギナタを振り回す
下郎の様子が、まるで現代のマンガやがな(^^;
これはなんだかとても可笑しかった。
赤塚先生のマンガで走る時の足の表現みたいで笑えた。
でも、これも後から描き加えられたものだとしたら、なんだかなぁ。
タイムリーな絵師のセンスであったと思いたい。
なんか全体的に登場人物の表情も生き生きとしているしね。
 


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大きな刃物と小さな刃物

2013年03月27日 | 刃物



♪ワタリ〜 ワァタァリィ〜

オーッホッホッホ!


買っちゃった。
ヤフオクにて¥1,800で落札。
やっすう〜(◎。◎)
どえりゃあ年季が入っとるでよぉ。
これは土佐打ち刃物だ。本職が使っていたのだろうなぁ。

なかなか渋い!刃が完全に死んでいるので時間作って研ぎあげてあげよう。

「井」の彫り物があるが、井上さんか井藤さんか井本さんかどなたかの
持ち物だったのだろう。かなり使い込まれている。重さ1.5キログラムくらいか。

一方、シルエットがノーマルで気に入らなかった全鋼の肥後守なのだが、
ブレードの背を例によって落とすことにした。

火花試験。なるほど・・・。それくらいの炭素量なわけね・・・。


多分、鋼は青紙だと思うが、これで十分に切れる。ワークナイフとしては
青紙までも要らないように思える。そもそも「高級品」の肥後守というのが
意味分からない。
この全鋼の肥後守は製造直売でなく、サードパーティーからのリリースで
ホームセンター販売で648円だ。

卸値は一体いくらであるのか。仕入れ値は価格の6掛けとして1本388円。
更に6掛けで
1本238円とういう額でこれを作ってやっていけるのか。やはり、
やっていけないというのは
額面的に考えられる。
しかも、使い物にならないナイフではなく、この全鋼打ち抜きのタイプで十分に
切れるのだ。青紙をサンドウィッチ
にした利器材使用のタイプは、使用者サイド
の利便性からのみ考えると
必要ないようにさえ思える。
しかし、「ハイランク」的な物を作らないとやっていけないのだろう。
だが、本来肥後守ナイフは文具として求めやすい価格であるのが本旨で、
それこそがフラッグシップモデルだったのだが。

ブレードの背を落として戦前の旧タイプのシルエットにした。


これでようやく似た者同士。

どちらもよく切れる。

一つは会社のデスクに、一つは家での梱包開けに使うことにしよう。
こういうのがデスクの横にあると便利だよ〜。
刃を中性洗剤で洗って・・・

果物ナイフとしても使えます。

見た目は今一つでも、広島の柑橘類はべらぼーに美味い。
このネーブルも甘くて豊潤で、かなりおいしいっす。
6個入りがスーパーで250円(^-^)


しかし、何の根拠もないのだが、『ワタリ』がそのうち実写映画化されそうな
気がする・・・。何の根拠もないのだが、勘として。
もし実写化されるのなら、大昔の1965年の作のようなのでなく、CGばんばんの
作にしてほしい。65年版は当時としては最新の特撮だったのだが。
子役はどっこい大作ではなく、原作ワタリに似てる子を使ってほしいな。

こちらは『仮面の忍者 赤影』。真ん中の彼が1965年版ワタリ役をやったが、
その後『どっこい大作』に出ていた。


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居合の稽古 〜尾道〜

2013年03月27日 | スポーツ・武道など



昨日は、新人さんが一名初参加。
赴任でこちらの地方にいらした教師の方だ。
また教職が増えたぁ〜(笑)
うちの道場、異様に教育関係者というか教師が多かばい。
どぼぢて?

昨日の居合稽古は、試合形式の稽古をした。
このパターン久しぶり。
なんだか、精神的な空気入れがうまくいかない。
コンセントレーションというのも、力のうちだなぁ。未熟なり。
適度ないい意味での緊張というのは必要かもしれない。
ただ、集中はするにはするよ、勝負の前とかモゴモゴの前とか。
勝負って、一体何の勝負かって話もあるけどさ(^^;
集中力と注意力を欠かさずに行動、というのは状況によってはある。

だけど、本日の居合はてんで駄目だ、こりゃ、だな。
内面的な問題だから、自分の精神面で解決しないとならない。
課題ですな、これは。
朝陽を見るとシャキーンと体内時計がリセットされるように、生理的な
何かがないとならないと自覚する。何かが何であるのかを見つけないと、
と自覚する。
昨夜、それを認識した。
だらけてるのとは違うんだけどね。なんというか、空気パンパンに入って
気合充満、気力充実、というところに意識的に持って行けてない未熟を
痛感した。
何かを変えないと駄目だ。


昨夜は、どういう訳か、いろんな人が所蔵刀を持ってきていた。
俺も一口、武用刀を持って行った。満身創痍の武用刀。
しかし、みなさん、好きだなぁ。刀一杯持ってるのね(^^;

同僚が無銘の所蔵刀を一口、研究のためにと好意で貸してくれた。
(この人、昨夜の稽古直前、私の紹介で別な古刀大刀を一口お店から
買ってます。その場で即金、スパッと決めてニコニコ現金払い。刀は
こうでなくっちゃ)
貸してくれた刀は、わざわざ私に見せてくれるために持ってきてくれたそうだ。

なかなかの刀で、家に帰ってから稽古着も脱がずに見入る。
勉強になる。
大永年間(1521〜)の作かなぁ。

気づいたら、飯も食わず、4時間近く片時も離れず見ていた。
アホや、おれ・・・。


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焼き入れ 〜変態〜

2013年03月26日 | 刃物


(折り返し鍛錬4回。硬軟合わせの康宏鋼。小沸出来)

鋼は焼き入れによりマルテンサイト変態して膨張する。
上の画像で反りがうつむいてしまったのは、切先側の刃部の厚みより
鋼の厚みが厚い棟部のほうがマルテンサイトの部分が多いからである。
これは硬軟の鋼を細かいチップ上にして詰み沸かし、鍛造により圧延して
から4回折り返し鍛えた物を火造りして焼きを入れ間(あい)をとった
私の小柄小刀だ。
鋼は大きく熱変態により体積を変える。この際に、圧縮と膨張に耐えられ
なかったらピキンと歯切れができたり、焼き戻しまでの間に割れが出たり
することがある。
この小刀は粘りある鋼から無垢=丸鍛えで作ってあるので焼き割れや
歯切れはできなかった。
しかし、鋼の薄板と地鉄(包丁鉄)を料理包丁のように鍛接して小刀を
作っている人たちは、どうやって変態によるよじれ反りに対処している
のだろう・・・。
普通に考えるとA1変態点以上に熱してから水冷すると鋼側が縮み、
約550度前後以下に下がるマルテンサイト変態の瞬間にグーンと
体積が膨張するので、鋼側が逆側に反ってしまうと思う。しかも根元と
切先側
では体積が異なるからよじれながら。
間を取った後に叩いたり万力で挟んだりしてねじれとよじれを補正する
のだろうが、あまり刀身にとって良いことではないように思える。
割り鋼や甲伏せや三枚や無垢では左右均等だからヨジレねじれは
貼り合わせ構造よりは少ないと思われる。
しかし、料理包丁のように鋼と地鉄を貼り合わせた構造で真っ平の真っすぐに
作るのは、なんだかとんでもなく難しそうな気がする。
私の場合、小刀(こがたな)は真上から真下に舟に突っ込むが、それをやっても
張り合わせ構造だと平方向の横に反るのではなかろうか。

私は無垢でしか作ったことがなく、貼り合わせ構造で作ったことがないから、
実際のところよくわからないのであるが・・・、理屈ではそうなりそうな気がする。
みなさん、どうやっているのだろう・・・。


焼き入れが成功した作で面白い現象としては、水をかけると焼き刃と
地の部分に水がはじけて分離するので焼き刃がよく判る。
こちらは、日本刀のような研ぎの工程を経ずにナイフ研ぎしてあるので、
肉眼ではつんつるてんに見えて刃文は光に透かさないとよく見えない。
しかし、何度水をかけても、同じ形に水がはじける。刃と地が形成されて
いるからだ。
刃部はニコルソンのヤスリが全くかからない。ロックウェルで60以上は
出ていると思われる。康宏の硬軟錬り鋼の場合、ピタリと焼き入れが
決まるとロックウェルで67程度の数値を示す。だが刃こぼれしにくい。
砥当たりは、まるで硬質ゴムを磨っているようで研ぎにくいが、ある頃から
砥石に吸いつくような感触になる。



熱処理の温度管理にかなり神経質にならなければならないが(かなり低温で焼く。
変態点を少し超えたあたりで保持する。
保持時間大切。しかも火は絶対に見続けない。
幻惑により温度を低く誤認感知してしまい、温度を上げ過ぎてしまうからだ)、
歩留まりはさほど悪くはない。

ただ、研いでいる途中で疵が出て「オゥ!ノォ〜!」となることは、ままある。
このナイフは幸い疵がまったく出なかった。焼き入れもうまくいったようだった。
ただ、刃部を幅広にしすぎたかな・・・。返りは小丸に土を置いたが、火焔鋩子のように
なってしまった。これは失敗。
棟部まで深く返しを取ったのは、これは考えるところあって意図的にこのように焼いた。
この作は素延べで打ち延ばす時には一丁がけ、私が先手となり横座は父親が座った。
火造りは私である。コミはタガネで打ち切り、ヤスリで仕上げている。


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漫画『カナヤゴ』

2013年03月25日 | 日本刀



夕方、出張帰りに本屋に立ち寄り買った。
読んだ。

う〜む。
やっぱり、作者はありきたりの作られた作為の日本刀感を以てこの作品に
臨んでいる
ようだ。
各話の間にイラスト入りのコラムがあるのだが、「日本刀の作り方」
として、現在「これが伝統。これが古式」と誤伝されている幕末工法
日本刀の作り方として紹介している。

日刀保系から情報を得ただけだとこうなるのだろうなぁ・・・。
小説『いっしん虎徹』は、作者においてよく研究されていて、安芸国の
鉄山師が自分のところの「良い」鋼を使えと虎徹に迫るが、虎徹は
それを拒否してオロシガネに行きつく。
それでも、江戸に向かう途中に備後国と備中国の国堺で見た野鍛冶
が小さな野ダタラで作った鉈のあの青く晴れた鉄が忘れられない。
あの小説は、虎徹がもっとさらに深い領域を目指すところで終わって
いる。ラストシーンも秀逸で、心うたれた。

漫画『カナヤゴ』は、まあ漫画としては面白い。
だが、やはり、小説『いっしん虎徹』で描かれていたような、刀鍛冶興里虎徹が
求めた「武用専一」という日本刀の存在意義そのものの根幹、そして後から
ついてくる「美」と「晴れ渡る地金」という到達点に今後『カナヤゴ』は触れる
のだろうか。
今のところ、出発点からして、見た目だけの日本刀の領域を出ない感性
のどうどう巡りのように思える。
こればかりは、作者が日本刀に対してどのような視座を有しているかに
かかっているので、先行きはなんだか暗雲が立ち込めているように感じる。
それは「作られた固定概念からの脱却」が出来ないだろうことが十分に
予想されるからだ。
主人公の女子高生かなみが弟子入りを希望する刀鍛冶の清音親方の
「正宗、一文字を超えた刀を作りたい」という気概は解るが、作者において
日本刀の作り方が幕末工法を紹介している時点で、ありきたりの領域を
超えることはないように思える。
清音親方にしても、正宗がまさか現代の鋼と同じような鉄を使って「甲伏せ」
で作っていたとは思っていないだろうし、仮に作者にあっても、その鋼の問題
を避けて通るとしたら、清音親方は正宗を超える日本刀は絶対に作れない。
作中、いろいろな弟子たちの気概だけが空回りしているが、この先、ぬるい、
ぬる過ぎる感情先行の単なる熱血ドラマとなるのではないかという危惧が
かなりある。(第1話の出来はよかったのだけど)
人間国宝だった永山光幹先生でさえ「幕末工法を捨てよ」と警鐘を鳴らして
いたのに、現代刀工は誰も捨てやしない(苦笑)。
誰もが、炭素量の違う単一鋼材をペタンと貼り合わせる工法を「伝統」だと
してやっている。
誰も硬軟の鋼を互いに織物のように相互に細かく潜り込み合うような造りには
しようとしない。


出てくる清音親方は弟子3名による三丁がけで古式鍛練をしている。
第1巻(第2巻は今年秋発売)ではスプリングハンマーは出てこない。
だが、現在の現代刀工で、スプリングハンマーを使用しない刀鍛冶は
一人もいない。弟子を養うほどの経済的余裕がないからだ。

なんだか、この漫画作品、日本刀が単なる見た目芸術路線になりそうな
予感がする。
たしかに、日本刀を観て気絶しそうになることはある。
私も高1の時、学校帰りに1976年のボストン美術館里帰り展を上野松坂屋に
観に行ったとき、虎徹の出来を見て、失神しそうだった。細かい織物を幾重にも
重ねて、折り目がまるで両手の指を丸めて交互に重ね合わせて、そこに地沸が
びっしりと鱗のようについている虎徹の地鉄を見た時、本当に気絶しそうになった。
その虎徹はそれほど衝撃的な鉄に仕上げられていた。上の晴れやかな出来とは
裏腹に、下のなかごに切られた銘の線は繊細ながらも躍動感にあふれていた。
研ぎは藤代先生か永山先生か小野先生か本阿弥先生かは分からない。
ただ、十分に虎徹の虎徹らしい虎徹に研ぎ上げていた。
また、古備前のある太刀を見たときには、失神ではなく失禁しそうになった。
そういうことは確かにある。


『カナヤゴ』にあるように刀を観て「景色」を感じたり、卒倒しそうになることは
私も何度か経験している。

赤江瀑の小説『オイディプスの刃』(角川により映画化されている)で登場した
南北朝時代の備中国青江次吉も、そうした刀が持つ力を描いた作品だった。
人の感情を揺さぶり、常ならしめぬ刀というものは確かにある。
また、実際のところ、凡作をいくら見ても、まったく感動しない、心がひとつも
動かない、という現象も現実にある。

だが、そうした日本刀が人に与える心のゆさぶり、小説『いっしん虎徹』で
描かれていた「揺れている」という日本刀が持つ力というものは、「見た目」
のみだけからは絶対に生じない。日本刀が人の心に揺れを惹起せしめる「何か」
というのは、表面的な見た目ではなく、その向こうに「生と死」が存在するからだ。
だから、見た目が一見それらしい物でも、観る者に「迫る」ものがなくして
それは生まれえない。
「命懸けで刀を作る」と『カナヤゴ』は説く。
しかし、ひとつの命を奪うということは同時にひとつの命を守るということでも
あった。
そして、それは、見た目を追ったものでは絶対に到達できない領域にあった
ものとして日本刀が存在した。
「武用専一」。
日本刀の存在意義はこれしかない。

見た目の美しさは後からついてくる。
どんなに、見た目が美しく、「感動」を呼びそうな刀でも、その本当の姿が
簡単に切先が折れたり
刃こぼれしやすい刀であったなら・・・。
日本刀は試さないとわからないという辛い現実はあるが、実はほんの少し前の
上位現代刀工は皆切り試しを自ら行っていた。
今の現代刀工の多くはしないのだろう。
してみて、自分の作の現実がどうであるのかを自覚する必要があると私は思う。
でないと、本当に日本刀を地鉄の焼き物、鋼をキャンバスに見立てて絵を描く
如しの精神領域の産物にせしめてしまうと思う。
そうなると、刀鍛冶は日本刀の存在を利用した美術作品作家となってしまう。
日本刀を利用して、自分の美意識をそこに表現したいだけの造形作家に
なってしまう。

それでいいのか。
いいわけがない。
武用に耐えられない日本刀は日本刀ではないからだ。翼がもげて墜落する飛行機だからだ。
そして、武用に耐えてきた鎌倉時代の刀はどうか。
それらはとてつもない美しさを備えている。

まず「武」だ。それが日本刀だ。
鋼の焼き物展覧会のために現代も日本刀があるのではない。
自作の刀が組太刀であっけなく折れて愕然とし、しかし、翌日には鍛冶場に
こもって研究を続けて組太刀に耐えられるような刀の本質を取り戻すことに
粉骨した松田次泰刀工のような刀鍛冶は私は立派だと思う。
「自分の存在を全否定されたようだった」と松田刀工は『日本刀21世紀への挑戦』
で語る。
だが、彼は日本刀の本質を見失わずに、本物の世界に戻ってきた。
そして、松田刀工が作る刀は、美しい。
きっと命をすり減らす思いで現在に至ったに違いない。

私は刀鍛冶を尊敬する。
しかし、現実問題としては、現代の刀鍛冶に本来の日本刀の本質を求めるのは
無理なのかも知れない。日本刀の鉄の芸術は「武」があってこそであることを
どれほど現代刀工が自覚しているのか、信がおけないことばかりだからだ。
まず、簡単に折れ欠ける鋼ではなくしてから芸術や美を語ってほしいと思うが、
現代にあっては、私のこのような考え方そのものが「異端」であるのだろう。
だが、上善如水とはいうものの、流れに沿うことだけが清流の煌きではないと
私は思うのである。


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カナヤゴ

2013年03月24日 | 日本刀



刀に魅入られた女子高生が大学受験を辞めて刀鍛冶をめざす

『カナヤゴ』。
第一話は、立ち読みができます。
こちら→ カナヤゴ

第一話読んだけど、結構本格的だよ、これは。
これまでの日本刀漫画とは全然違う。
コミックス買おうっと(^^)

「景色が見える」
いいなぁ。
観たら気絶しそうになったりすることあるものなぁ。
あと、俺の場合、魅せられた日本刀を観たらグッタリする。
しばらく何もできないくらい。
手に取らず、博物館などでも、一口(ひとふり)の前
で40分くらい
じっと見入ったりする。
家でも一口を5時間くらい観続けていたりすることもある。
日本刀、すごいっす。
女なんてね、どんなに別嬪さんでも、そんなに長時間見てらんないよ(笑)。
でも中防の時、ギター10時間弾き続けとかあったなぁ。玉撞きも
最高28時間寝ずに撞き続けたことがある。
基本、アホだからハマったらドップリのタイプなのだろうが、日本刀は
その中でも別格だ。別格というか、次元が違う。

高見國一刀工が漫画『カナヤゴ』に協力しているようだ。
そりゃ本格的な筈だ。
この非凡な刀工の処女作の太刀の名は「名残雪」。
鏡に映った貴方の姿を見つけられないのか・・・。
切ない名前だ。
落ちては溶ける雪を見ていたような刀なのかもしれない。


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散歩とサヨウナラ福山競馬

2013年03月24日 | ポチたま

駅前まで散歩した。


南口の方まで来るのは珍しいのか、興味津々といった感じだ。




物珍しくて目むいちゃってるもんな(笑

表情が違うぜ(^^)
たまには別コースもいいかも。

きょうで福山市営競馬が幕を閉じた。
行ってきた友人の話だと、最後のフィナーレで市長が挨拶に立ったが、
「ゴルァ!続けんかい!」と観衆に野次られていたそうだ。
でもなぁ。大赤字だからなぁ。
これで、またひとつ、地方競馬の火が消えた。
寂しい限りだ。浦和競馬はなくならないでほしいなぁ。

(福山競馬場)

大昔、競馬場になる前、ここのトラックではダートのオートレース
選手権とかやってたんだよなぁ。
おいらの東京の居合の先輩が若い時選手だった頃(戦後)に走った
ことがあったらしい。
私の周りの居合人は、どういう訳かバイク乗りばかりだった。
これ不思議。
圧巻は、ノートンのファクトリーライダーになってマン島の世界グランプリを
走った神奈川の居合のS先生だよ。これは日本のバイク史にも出てこない
実話の裏話だ。
こういう表に出てこないことって、いろいろな方面であるのだろうなぁ。

 


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いぬの定位置

2013年03月24日 | ポチたま



パソコンに向かっていると、かならず足元に来て寝る。
お、重い・・・。


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