渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀剣談義 〜刀の価値に関する若干の私的思索〜

2013年11月30日 | 日本刀

昨日は午前中に会議が終わり、本社業務部にて残業仕事をした後、埼玉県
桶川の「刀剣しのぎ桶川店」へ。

店長の新藤トモさんが私のために取り置きをしてくれていた金具があるという。
9月に訪問した時には、同じように私のために店内に出さずに取り置きして
くれていた良品の鉄鍔があったが、たまたま千葉県から私のこの日記を読んで
しのぎ桶川に来店した方がいらして、「これも縁です。気持ちよくいきましょう」と
言われてポンと日本刀を一口ご購入されたので、その方の刀に格安で
着けて
あげるように店長に折衝した。私の日記の読者で、同じ刀剣感を持つ方とのこと
なので、値切らないようだったからだ。
私などと同じ普通の勤め人の方で、年も若かったので、きっと日本刀を購入する
ためにためたお金だと思う。
そういうお金を使って、お店をあえて選んで来てくださって刀を買ってくれるというのは
とてもありがたいことだと思う。

結果、私のためにトモさんが取り置いてくれていた鍔は、新規に刀剣お買い
上げのその方の御刀の拵に納まることになった。サイズもドンピシャでこれまた
良い偶然が重なった。福の神渓流詩人( ̄ー ̄)
少なくとも厄病は周囲にはあまりもたらさないことが多いように思える。私自身が
災いを一手に請け負うからか(苦笑
私本人はいつでも災難が多いのだが、いつもいつでも結果的には生還して生き
残り、
逆に転じてオマケまでついてくることが多い。
欲深い心根でいるとロクなことはないことを意識している訳ではないのだが、
欲に縛られずにあっけらかんとしていると、いろいろ良い方向に運んで行く
ことが不思議と多いようだ(あくまで私の場合)。命にしても「ああ、これは死ぬ
かもね」くらいに思っていると案外と生き残る。むしろ「死にたくない死にたくない」
とか逆に「死などなにするものぞ」とかの連中のほうがすぐに死ぬ。これは経験上
よくその末路の差異を見ている。目に見えぬ神の差配というものがあるのでは
なかろうか。ただ、神はときどき順番を間違っているように思える。先に召すべき
連中がいるだろう、と強く思うことが多い。

ただし、池の主の化身が出てきて、「池に落とした斧は、こちらの鉄かあるいは
こちらの金か?」と私が質されたら、私は迷わず正直に鉄であると言う。
なぜならば、正直である以前に、私にとっての「勘定」が働くからだ。
鋼は私にとっては金よりも価値がある。
私にも損得の判断基準はある。ただ、その損得は金銭交換の金勘定とは連動
していない、ということだけだ。
これは幼い時から全く変わらない。
ある時(たしか4歳になる前の冬)、池袋の親類の家で、「どちらが好きか。好きな
ほうをやる」と言われた。目の前には10円玉が5枚と百円玉が1枚あった。私は
10円玉のほうが好きだったので「こちら」と言った。だが、その提示者からは「こっちの
ほうが価値がある」と100円玉を示された(旧100円玉)。私にも額面が100円の
ほうが高いことは解っていた。ただ訊かれたのは「どちらが好きか」である。「飴を
多く買えるのはどちらか」とは訊かれていない。頑として譲らなかった。この一件は
今でもよく覚えている。好みを訊かれたのだから好みを答えたのだ。価額と好みは、
連動する人は連動するのだろうが、私には関係がないことだ。好きな物は好きであり、
それは金額がどうだからどうかではない。ここは今でも譲れない。
「金持ちでないと結婚相手にはちょっと」という女性が多い。
それは個人の趣味だからどうでもいいのだが(自分を顧みてから言えよ、とは思うが)、
金銭の多寡によって人間を量ろうとする心根はどうしても私には「いやしい」ことの
ように感じるのだ。加山雄三さんの奥様は、加山さんが親からの負債を受け継いで
破産した時に、生卵を一つ割って二人で分ける生活が続いても加山さんを見捨てずに
ずっと添いつづけて来ていることが素晴らしいと私は思う。大抵の世の中の金だけ
の関係の人たちは、金の切れ目が縁の切れ目とばかり離れていく。

新藤トモ店長が以前私を「もらい上手?」と笑っていたが、ねだらなくとも
いろいろしてくださる方々がいらして、とても感謝している。
そうした方々とは篤志の知己となることが多い。
もちろん、私が人のために動こうとして行動する時も、銭金勘定では一切
動かない。
目先のゼニカネの損得で動くと事態はロクなことにはならないというのは、人間50年
もやってるとだんだん解ってくる。

ケチが一番駄目で、ケチは打ち出しができない。経済的に締めるべきところと打って
出るところの区別がつけられないから、亀のように縮こまるだけでただただ緊縮を

吝嗇(りんしょく)として構成しているだけだ。そうした人生を続けていると、経済状況
のみならず、
心だけでなく人間自体がケチになる。数兆円の額面を自在に動かして
残すという
レベルなら話は別だろうが、たかだか数億の金を残すためにチマチマ生き
ていて、
死ぬ時になんの楽しみがあるのか。なんの豊かさがあるのか。
ましてや数千万や数百万の小銭を残すためにケチくさい全面緊縮人生を送って、
私個人は幸せだとは思えない。

そして、ケチな人生は、たいては金を使わずともちょっとした工夫で豊かな生活が
育めるということと無縁になることが多いように思える。
ケチは、包丁の切れ味を増すだけで食材が抜群に美味くなったり、必要な栄養の
摂取の効率性にも寄与するということに気づかない。「包丁研いで刀身が減るのが
もったいない」などと感じるのがケチなる心根の代表状態だ。
何についてもそういうように感じる心が「ケチ」を形作っている。

全方位についてもったいないなら、水道や電気を使うのはもったいないし、つき
つめれば肉体の内臓器官を動かすのは労力がもったいないから停止させれば?
とかも思ったりする。生きていることがもったいないよ、と。
ケチは清貧と無縁である、というのも世の中を見ていて定理のように思える。
結局は、欲深いからケチなのである。無論、倹約とケチは次元が異なる。
倹約をできる人は打って出る時には打って出ることができるから、長いスパンでは
浮沈はあれども財は蓄えられる。
例えば、宝くじは買わなければ当たらない。

ケチは「宝くじ当たればいいなぁ」とか「当たった人がうらやましい」とかは言うが、
宝くじを自らの身銭を切って買うことはしない。目の前の数百円、数千円、数万円が
惜しいからだ。

逆の立場でひどいのになると、書籍などを無償で譲ってくれる場合も「喜捨だ」と
する勘違いさんもいたりする。「いらないからあげる」とか「捨てるものだからやる」とか
平然と言ったりする。これはあげるほうも心根が「いやしい」。また、そうした態度で
接してきた者から金品を受け取る側も「いやしい」と私は感じる。
「大切なものだからこそ貴方に」というのが本来の人への心遣いではなかろうか。

カネに縛られると、いつしかカネを超えた領域まで蝕まれるということに気づくのは、
それこそ損得勘定ではないが、損はないだろう。
「ここの勘定は俺が持つ」などというものや「割り勘(自分の分のみではなく全体での
均等割り)」等の日本独特の慣習はゼニカネ勘定ではない関係を代表するものだ。
中国人などは「金を持っている者が払うのがあたりまえ」とする文化の人々であり、
支払った者に感謝さえしない。米国人などは自分の分の勘定しか払おうとしないし、
人の家に行ってドリンクをごちそうになっても「いくらか?」と支払おうとする(1960年代
まで)。
日本には日本人の独特の感覚があると思うのだが、それが明治以降加速度的に
崩れている現れが「金銭の額面如何での人間関係」というものではなかろうかと思うの
である。



さて、刀剣しのぎに、良刀があった。
秋元昭友の作である。初代小林康宏とも関係があった刀工だ。


これは良刀だった。

新藤店長と近くのファミレスで打ち合わせのために店を出ようとしたら、トモ店長は
これを出してきた。「取って置いたけど、〜円でどうか」とのことだ。


痛いところを突いてくる。
新藤店長は私の日記も掲示板も読んでくれていて、鍔の画題についての話題を
興味深く読んでいたようだ。
この蛙は四本足なので蝦蟇仙人の蛙ではない。「蛙に柳」は花札にもあるが、
小野道風の逸話の画題だろう。しかも道風は先祖筋に連なる人物で私とも全く
無関係ではないところが
泣かせる。
ほしいと思った。

昨日は手持ち現金が少ないので、諦めたが、「金は後でよいからもってけ」との
ことだった。
買った(笑
手持ちが少なかったので代金は後日でよいとは言ってくれたが、半金のみ支払って
残りは広島に戻ってからとのことで了解を得た。

私は武具についてはあまり詳しくはない。
ただ、過日私の日記と掲示板で話題になった蛙の図柄の鍔は天法作であろうが、
刀剣柴田さんの『麗』の12月号で同様の画題の鍔があり、それを「蟹のような生物」
としていた。それは蛙である。私と同様の透かし彫は梵字の略体だったが「ほら貝
だろうか」と解説してあった。
こちらの鍔の画題はいずれ整理して、私の鍔について読者の「矢立」との意見も
併せて考察を試みて掲載したいと思っている。

私が少しだけ知っているのは日本刀のうち打刀と太刀のみで、槍や薙刀の長物に
ついては不勉強でよく知らない。金具についても南画などの日本画についても疎く、
その方面はサッパリだ。

ただ、刀の差し方と使い方は多少は知っている。
このしょこたんのように脇差を逆に、大刀の鞘を変な位置にというようなことはない(笑

さすがのコスプレ好きオタのしょこたんも、これはいけませんぜ(笑

しのぎ桶川店の新藤店長と近所のファミレスで居合や刀の研ぎなどの件で
いろいろ打ち合わせ。
あいや〜。桶川って、結構・・・イナカだったのね(笑
上りの終電が無くなるのが意外と早かった。
この日は蕨の伯母の家に神戸のイトコが狩猟行きの前々日泊で来てるので
泊まろうと思ったけど、行けなくなっちまった。
ホテルさがしたけど、どこも満室だすよ〜。
やっと見つかって、新藤トモさんがそこまで送ってくれた。
車はバリバリにいじったロードスターだった。いいね〜。
足回りもエンジンもいじってある・・・どころか、エンジンは載せ替えてあるってさ。
好きだね〜(笑

お世話になりました。

刀剣界には業界で触れてはならない実話裏話が沢山あるのだが、ひょんな
ことから新藤さんからもある事実を聞いた。私からその話題ネタを切り出す前に(笑
知る人は結構知ってる裏話なんじゃないのかなぁ?
触れちゃいけない
タブーってやつだね、あれは。
虚飾というのは実に空虚なものなりけり。
いくら手下のモノカキ崩れが悪口雑言を書きまくっても、実態知ってる業界の
人たちは真実を知っているからなあ(苦笑
いやはや、なんとも。トモさんが業界四方山話として切り出した時には私も驚いた。
まあ、巧言令色少なし仁てなことを裏付けるだけのことだけど、何事もあまり
威張らないほうがいいなぁ、と私個人も自戒しようと思った次第。
ま、権威なんてのは権謀術策なくして成立しないのだろうし、蟷螂の斧で
向かっても叩き潰されて冷遇されるというのが古い世界感を持つ業界では
常識みたいね。
刀関係で新たに事を成さんとするには、そのあたりの反対勢力からの外圧に
対してもどう冷静に対処していくかも考えていかないとならないなあと思った次第。


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青森リンゴのパイ

2013年11月28日 | 内的独白



食事会の後、様変わりした大宮駅構内の店で「青森リンゴ」のパイを食べた。
店の前に立つ女性店員さんが「本日届いたばかりの青森リンゴを使った
パイです〜」と紹介していたので誘われて店に入った。

幕末、青森弘前藩に菊池という武士がいた。五十石の軽輩であるが、学問が
できた。
彼は弘前城に桜を植えた。菊池は、維新後には城下の一般庶民にも城の桜を
花見
できるようにと願っていた。
だが、明治期の旧弘前藩の上級士族たちは「平民が桜で花見などとはけしからん」
と騒いで花見客との間で大きな暴力事件となった。
争議の結果、明治の新時代には階級の垣根を超えて誰でも弘前城の見事な
桜を花見で愛でることができるようになった。
現在、菊池が植えた弘前城の桜は、多くの人からも親しまれ、たくさんの観光客の
目を楽しませてくれている。

菊池の歴史的功績はもうひとつある。
それは「青森リンゴ」の発明者であったことだ。
明治期の殖産興業として、菊池はリンゴの開発に取り組み、青森リンゴとして
完成させた。現在日本で全国的に親しまれているリンゴは旧弘前藩士の学者で
ある菊池が作ったのである。
菊池の子孫で私と同世代の男は、私の高校時代に文学同人誌の同人だった。
彼はトム・バークレーズ・ブルース・バンドというバンドのメンバーでもあった。
2度ほど埼玉県内のスタジオでの練習を私は観に行ったことがある。なかなか
デルタ風味を出した味のあるバンドだった。
うちの高校の同じクラスの奴2名も参加していた。リードギターの奴は超絶テクの
持ち主だった。今から10年ほど前に同窓会のように都内スタジオを借りて忘年会
のようなことをやったことがあり、私も参加した。

私の高校時代のクラスメートの親友の一人は弘前藩士菊池の子孫と弘前時代に
幼馴染で、やはり文学同人で
バンドのメンバーだった。私の親友の父と菊池の父は
東京帝大卒業後は
弘前大の教授をしており、その弘前の官舎での幼馴染だったという。
私の親友のほうは青森弘前の地
から都内文京区の私の高校に転校してきた。
親友は不思議なことに標準語を話していた。
一方、
弘前城に品種改良で苦労して桜を植えて育て、青森リンゴを作った幕末の
武士である
菊池の子孫は、東北大学から東京大学大学院に進み、物理学者となった。
現在は大阪大学の
教授をしている。
最近では彼は「と学会」という私的団体をテキトーにでっちあげて文筆仲間と共に
トンデモ疑似ニセ科学を笑い飛ばす本を出版している。
この書は皮肉と風刺が利いていて、結構面白い。

今夜、青森リンゴのパイを食べた時、高校から現在までつきあいのあるクラスメート
だった親友と、
威張り散らす暴力ではない士魂で人々の幸せを願った幕末の弘前藩の
武士菊池の心根
、その子孫のマコトくんのことをふと思い出した。
青森リンゴはとても温かみのある深い味に感じた。
独りで食したが、口にしただけで思わず笑顔がこぼれた。
人を幸せにするというのは、簡単そうでとても難しいことだと思う。
それでも、人の幸せを願う一人の武士の思いが百数十年後も残っていて、それに接する
ことができたと気づいた時、人知れず心が和んだ。


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街の変貌 〜大宮〜

2013年11月28日 | 外出・旅

本社会議の後、大宮のホテルにて60名ほどで食事会。


JR大宮駅西口があまりに変貌していたので驚いた。かなり驚いた。


駅だけでなく、駅前も大都会になっていた。
40年位前にこの町に私は4年ほど住んだことがある。
青葉園という大きな霊園のそばの1970年代当時新しい住宅街だった。
高校は第一志望の都内私立高を落ち、第二志望の都内私立高も落ち、
滑り止め第一の埼玉県立高校も落ち(笑)、仕方なく滑り止め第二の都内文京
区の私立高校の特進に進学した。補欠合格だった海軍軍服と同じ濃紺の蛇腹
詰襟制服で水泳授業が赤褌の都内私立高には進学しなかった。
(海城、城北、巣鴨、県立蕨受験は北辰テスト170〜160点成績の中学生の
定番だったように思える。もう少しできるやつらは開成か早稲田高等学院か
慶應か県立浦和を受けていた)


大宮駅は東口が古くから開けており、高島屋をはじめいくつものデパートが
ならぶ街だった。
ところが西口などは私が大学生の頃の1980年代初期でも、訪ねてみると
こんな感じだった。

まるでうら寂しい東京都内の東急池上線あたりの私鉄沿線駅である(笑

現在の変貌具合がどれほど違うか、おわかりだろうか(^^;
私が知っている大宮駅東口はこの一番下の画像のような駅である。


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最新自販機

2013年11月28日 | 一般

液晶モニターで製品を示す新型自販機(於 上野駅)


その裏には旧式自販機。現物サンプルにて製品表示。


デジタル表示のほうのメリットは何だろうと考えてみたが、
自販機としてのみならば、費用対効果としても旧式のほうが収益性が
高いように思える。
デジタルのメリットは自販機が自販機としてのみではなく、CM動画も
別ウインドで流れるようになっており、文字通りの広告塔としての
役割を果たしているところか。


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喫茶店探訪シリーズ 〜カフェ・ド カプチーノ〜 広島県三原市

2013年11月27日 | 外出・旅

ということで、本日の昼食は職場の近所の「カフェレスト カプチーノ」に行って来た。
教会のとなりにあるちょっとオサレな建物で、いかにも喫茶店ですという感じだ。


入り口は喫茶店の王道、重いドアを開けると「カランカラン」とカウベルが鳴る。
この角っちょに入口がある店というのは、個人的には大好きだ。



店内入り口横には煙草の自動販売機があるが、当然にしてタスポなどという
個人情報ダダ漏れマシンではない。ショートホープが置いてあるのがキモだ。


喫煙者でショッポ好きが多いことを無視している最近の飲食店の店内自販機
などはまるで喫煙事情大外しだと私は確信している。経営者のセンスの問題かと。
日本の長い喫煙の歴史の中で、日本初のフィルター付タバコであるショート
ホープは、味がとても良い。国産最高の味は両切りピースだが、ショッポ愛好者
もかなり多い。特徴としてはショッポを好む人は他の銘柄に替えないことが
挙げられる。ズドンと太く短い。私もショッポ一本やりである(一時期、ショッポが
手に入らない場所では外産銘柄に甘んじた)。バーボーンはJTSブラウン、
タバコはショッポ、ブルージーンズはLee、これ定番。赤いスウィングトップも
必須だぜ(違


店内はカウンターを除いて32席。ご主人のマスターと奥さんの二人でやっている。マンガあり。


なかなか落ちつける。


先に紹介した三原のレトロな喫茶店「まきしむ」は、極めて残念なことにマッチが
置いていない。在庫切れの後作っていないのだという。
だが、しか〜し!
このカプチーノさんは偉い!
「マッチありますか?」と尋ねたら、ブックタイプのマッチが置いてあった。
もちろん、メニューには喫茶店定番のピザトーストにナポリタンもある。
先日、TVで純喫茶の条件を並べて「今どきこのような純喫茶は存在するか」
という企画物があったが、ここなどは完ぺきなんじゃない?


だけど、表の学園通り沿いの標識看板には「カフェレスト カプチーノ」とあって、
このマッチには「カフェ・ド カプチ〜ノ」とある。正式名称はどちらなのだろう?(笑

ちなみに、高校の時によく行った喫茶店はここ。神田神保町の「さぼぅる」。

マニアック喫茶店の王様。だが、名古屋の「マウンテン」のようなゲテモノではない。

ところが、高校の時にバイトしていたのは、この「さぼぅる」の裏にあった喫茶店
「ローラン」だった。今はない。

私は高校の時、すべて自分で稼いだ金で免許を取り、自分のバイクを買った。
忘れもしないデブチンのラッキールーラが28頭立てダービーで9番人気なのに
優勝した年もその喫茶店でバイトしていた。
初めてMartinを弾いたのは高一の時の神保町のカワセだった。
自分ではMartinは持っていなかったが、学園祭でのコンサートでは
ステージでクラスメイトのMartin D35を借りて使っていた。
マニアックなところでは、あの頃、ギャラガーがメリハリのある良い音出してたよ。


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マッチを知らない子供たち

2013年11月27日 | 文学・歴史・文化

マッチをすれない子どもが増えているという。マッチ自体を知らないのだ。
ゲヒョ〜〜〜ン!

これはちとカルチャーショックだ。
鉛筆をナイフで削れない子どもが多いというのは知っていたが・・・。
てか、うちの娘も数年前私がマッチで火をつける(葉巻はマッチに限る)
のを見ていて、「私にもつけさせて」と言っていたが、あれ、もしかしたら
娘はあの時マッチで火をつけたのは生まれて初めてだったのではなかろうか。

実は私はマッチ好きだった。
別に近藤さんが好きなわけではない。火を灯すマッチが好きだったのだ。
これは多分ガキの時にハマった西部劇が影響している。
西部劇で定番のロウマッチもよく小学生仲間で自作した。
湿らせた茶色い擦り台の薬品をマッチの軸先に慎重にこすりつけて
それを乾かすのだ。摩擦で発火すると危ないので箱入れは厳禁だった。

そのマッチで木の柱などでこすって発火させてダイナマイトを模した
爆竹に着火して投げて遊んだのだ。
現在では考えられないが、爆竹をほぐし(これ厳密には法律違反です)、
一つのでかい爆薬を巻いて作って、それに導火線をつけて地中に埋めて
ドカンというのをよくやった。1960年代当時の小学生などどこでもそんな
ことをやっていた。2B弾よりも迫力もあったが危険性も高かった。
100円ライターなどこの世に存在しなかったから、日常の着火用具もマッチが
定番だった。
遊びで火も火薬を使うから、それらの危険性は十分に子どもたちも解っており、
ワルサで火を使ったりすることは自ら戒めていた。
ナイフだってそうだ。使って危険性を知っていたから、ナイフを人に向けたり
喧嘩に使ったりするガキはほとんどいなかった。
道具を子どもから取り上げ始めた時代以降、本来の使い方を知らないガキどもが
使い方を野蛮な方向のみに純化させて悪用するようになった。


私は実は中学生の時から喫茶店のマッチを集めるのが趣味だった。
高校3年までで実に段ボール箱2箱ぎゅうぎゅう詰めの喫茶店のマッチが
集まった。
今思うと、それはエンスーなアイテムとして取っておけばよかったのだが、
大学入った時にすべて処分してしまった。う〜ん。今思うともったいない。
1970年代当時はファーストフードの店などほとんどない(マクドナルドが出始め
たばかり)というのが日本の国内状況だったので、学校帰りや出かけた先で

お茶したりするのはすべて「喫茶店」だった。
高校でも学校帰りに喫茶店に
集まって友人同士話したり、勉強したりするのも
普通だった。

池袋西口の大型喫茶店などは、コーヒーを頼むとトーストが食べ放題で、
まじめな子からツッパリ君まで色とりどりの高校生や中学生が客として喫茶店
を利用していた。もちろん大学生や社会人なども多かった。
旅行したり、バイクでツーリングしても、休憩するのは喫茶店だった。
そして、どこの喫茶店にも「マッチ」が置いてあった。
マッチは広告の役目も果たし、喫茶店に限らず、あらゆる飲食店や旅館ホテル等
人が集まる店舗の必須アイテムだったのだ。


友人のブログでは「喫茶店(古っ!)」とあったが、三原にはなんと
「ザ・喫茶店」というような喫茶店がまだ残っている。開店40年以上に
なる。
その名も「まきしむ」(いかにもベタ)。








喫茶店の定番は「サンドウィッチ」と「ピザトースト」だよね。
あと「ナポリタン」も欠かせない(笑

喫茶店が1970年代の町中の日常に欠かせない風景だったことは
厳然たる事実なのだが、TVドラマや漫画の中でもよく出てきた。
『仮面ライダー』で立花のオヤジさんがいたのは「スナック」だったが、
実質は喫茶店だったし、『ナナハン・ライダー』で高校生の主人公たちが
たむろするのは喫茶店「ピットイン」だし、『ワイルドセブン』ではイコちゃんの
経営する「ボン」がメンバーの憩いの場所だった。(バイクネタばかりだな)
当時ファミレスは多くあったのだが、ドリンクバーシステムがなかったので、
当時の若者は「喫茶店」でくつろぐのが定番だったのだ。
そして、喫茶店には「なじみ」の店があって、そこで長居しても嫌な顔ひとつ
されなかった。
さらに、そこに行けば顔見知りの仲間が誰かしらいるという感じで、喫茶店は
ひとつのコミュニティゾーンとなっていたのである。まさにサロン的な。
そういう意味では昭和の戦前に流行った「カフェ」とは様相を異にする。

喫茶店文化って面白かったけどね。

ちなみに、1960年代〜70年代には、バイクの市販車をレーサー(レーシング
マシン)のように改造して喫茶店に乗りつけて、店の前にズラッと停めてバイク
談義をすることがフランスやイタリアで大流行した。
それらの車はいつしか「カフェ・レーサー」と呼ばれるようになった。
バイク乗りにとっても喫茶店は万国共通で無くてはならない存在だったのだ。
仮面ライダーには喫茶店が必ず出てくるでしょ?

あとですね〜、コアなところではJazz喫茶だな。
これも高校時代によく行ったなぁ〜。学校が駿河台に近かったからね。
学生街には必ずいくつものJazz喫茶があった。
横浜ケンタウロスの裏のミントンハウスも好きだったけどね(^^;

煙草吸うことが社会悪のように言われるトンチキな世の中になっち
まったから、今マッチは激減している。
ひどいのは、最近実に多いが、「喫茶店」なのに店内禁煙の店があることだ。
名前変えなよ。「茶店(ちゃみせ)」あたりに(笑

ところで、煙草を吸うことが社会悪のように言ってる連中が、茶道で
喫煙するのは、あれぁ一体なんなんだえ?(苦笑
茶道以外の一般的場面で嫌煙気取ってんじゃねぇよ、とか思うよ(笑

「分煙」てのはいいことではあると思うよ。
ただし、煙草を吸う人間を悪人のように思い込む風潮は、それこそ
危険なことのように思えるけどね、おいらは。

「純喫茶」よ、永遠に!

ところで、おいらはマッチは今でも片手で箱から出して片手で擦って点けるよ(笑
パチンカーには必須技(手打ち限定。笑)


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小林康宏の槍

2013年11月27日 | 日本刀

さる方からご連絡いただいて注目しておりましたが、小林康宏の昭和60年作の
槍がオークションに出されていて、昨日、即決価格で落札されたようです。
江戸期の拵付の康宏作の槍で、康宏の槍自体がとても珍しいかな。

よく康宏は三流工のように言われたりもしますが、槍が作れる刀工というのは
あまりいないような気も・・・。というか、皆さん需要がないから作らないのか(^^;
十文字槍などはほぼ皆無に近いものなぁ。
江戸期から続く十文字槍の製作法を護っていた最後の鍛冶は熊本の盛高名人
だと村上考介氏は著書に書いていたが、長船でも現在十文字を打つ刀鍛冶は
いるようだ。
ただし、圧倒的に需要がないのだろうなぁ。
それに、薙刀などに至っては、新作刀の注文はゼロなんじゃないかなぁ、ゼロ。
アキバ系の妙な物でなく、薙刀や大身槍や十文字槍や長巻や大太刀など、
日本刀全般を造る技術を保存伝承・宣伝していったほうが日本刀文化の保全の
ためにはいいのに、と私は思う。そちらがまっとうで健全に思えるのだけど・・・。
大山祇神社所蔵の国宝の大太刀を研いだ人間国宝の小野光敬先生は、大太刀が
巨大すぎて、どうやって研いだらよいものか思案して、ロープで吊って研いだと
知った時にはぶったまげた。

私も太刀・打刀のことはある程度知っているけど、槍等についてはまったく不勉強で
サッパリだものなぁ(汗
だめだ、これでは。勉強しないと。

ところで、十文字槍って、どうやって焼き入れするのでしょう?
普通の槍は、加熱の際も、今泉刀匠のようにデンガクを利用すれば左右均等に
全面を赤めることができる。片口火口のオープン炉では困難だが、密封炉だと
槍も失敗なく焼けるだろう。
真っ直ぐな槍は刀と違い、真っ直ぐに船に入れるというのも分かる。
だけど、十文字槍は?
急冷の際の歪みとかのフォージングエフェクトの対処はどうやって?
う〜ん・・・。
もしかして、超難易度高くない?
というか、造るのもそうだけど、研ぎなんて、十文字槍の研ぎの技術とか伝承
されているのだろうか。

(十文字槍)


(鍵槍)

わが藩槍術の佐分利流ではこのような鍵槍を使う。
曰く、「槍は斬る物、刀は突く物」との伝があるらしい。
甲冑武術の佐分利流の槍術と近接居合抜刀術の信抜流居合剣法(新陰流系)は
併伝されていたようだ。
江戸時代、藩の槍術指南役の佐分利流宗家のおうちはご近所さんだったのです(^^)
今は佐分利さんの御屋敷跡には焼き鳥「大吉」がある(笑)
槍術というのは、私は学んだことないけど、なんだかいいよなぁ。



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居合の稽古 〜尾道〜

2013年11月26日 | スポーツ・武道など


(稽古にいそしむ道場仲間)

尾道東高校剣道場で居合の稽古。
この剣道場は改築のため、来年の3月末までしか使えません。
その後、完成までの期間はどこで稽古するのかは未知。

数か月前、下げ緒を数年ぶりに換えました。
許可をもらって尾道の代表の先生と同じ色の物にした(^^)


かなりこの色、気に入ってます。
光の具合で薄紫に見えたり、薄蒼に見えたりします。
和名では「薄花色」というのでしょうか。渓流カフェの色(笑)


ずっと大切に使っていた道明の下げ緒はこの方から頂いた。

(これは1988年全日本居合道大会-五段の部、神奈川県代表)

1988年 全日本居合道大会


うちの尾道の代表の先生と同期の方だ。(この1988年次には
広島の先生は五段の部広島代表で準決勝まで進んだが、
準決勝で東京代表の方に敗れた)
神奈川のこの先生はプライベートでも随分私を目にかけてくれた。

残念ながら数年前に鬼籍に入られた。
16年前、神奈川から広島に私が転居する際に
餞別として頂戴した
下げ緒は形見となってしまった。
「餞別は何がいい?」と尋ねられたので、「今お使いのその下げ緒」と
言ったら「新品の道明にしようか?」と言われたが、「いえ、お使いの
それを是非」と申し出ると、その場で鞘から外して私に下さった。
今は息子さんが居合剣士となっている(最年少で六段に昇段)。

本日の稽古は、居合業そのものよりも、操刀法についての講義でした。
自分で工夫研鑽するためのエッセンスについての稽古内容で、基本的
ですが、かなり大切なことを教わりました。
尾道道場の先生の指導は実に理論的で解り易い。
しかし、指導にもありましたが、モノにするのは自分の稽古次第です。
効率性もあるけど、技術というのはやったもの勝ちよ。稽古しないで
上達する人はいない。
きょうの講義でのポイントはいろいろありましたが、「心のありかたが
技前に出る」という部分が最重要ポイントだと私は感じました。

これは心に刻みたい。
尾道道場。いいぜ!

正座しての終礼の時、9月の昇段試験の証書授与がありました。
これで、新入会員の中学生以外は全員が有段者となりました。
よく稽古に出てくるメンバーは、七段2名、六段2名、五段5名、四段1名、
三段2名、二段1名、初段3名、段外1名。
仕事が忙しくて出てこれない人もいるけど、経験則からいうと、継続こそ
力なんだよなぁ・・・。
稽古不足というのは、てき面に出ますから(^^;

私個人の課題としては、全剣連所属の無双直伝英信流剣士は広島県では
私だけだから、古流稽古を今後どうしていくか計画しないとならない。
全剣連居合は全国共通だからどの都道府県でも習えますが、自分が属する
流派の習いはその古流の先生につかないと自己流になってしまいますので、
なんとかしないとならないのです。
四段までの時期に徹底して(ともすれば全剣連居合をそっちのけで)師匠に
ついて直伝英信流をやり込んだその遺産でどうにか今やっているようなもので、
時が経てばどんどん「あれ?」と心もとなくなってくる(苦笑
書籍や動画などからは絶対に学びきれないものが古流にはあるからです。
どうにかしないとならないけど、これは今後私の課題。
「太刀打之位」も自分の中で大分あやふやになってきているし、そろそろ
焦りが出てきているのですよ、と。


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花と木のある家

2013年11月25日 | 風情・季節・地球

部屋の中には君子欄。


外を見るともみじ。


手作りのデッキを突き抜ける杏の木。


花咲く季節には色を楽しませてくれる藤棚。


数えきれない花も家の周りに植えてあり、夏には毎年揚羽が
飛んでいる。


町中の住宅街なのに、ほんの少し庭に木があるだけで多くの野鳥が
立ち寄ってくれる。
キジバトも巣を作ったりもする。
夏には、電話の会話が聴き取れないほどに蝉が鳴く。
娘は新宿区の聖母病院で生まれたが、2歳からこの家で育った。
この季節を感じられる家で育った。
娘は来年にはこの土地を離れて、東京で一人暮らしを始める。
もうこの先広島には帰ってこないと本人は言う。
それもいいだろう。彼女は生まれた場所に還るだけのこと。
それでも、どの場所で暮らそうとも、空は同じ空でつながっている。
「東京には空が無い」と言ったのは智恵子だが、ほんとの空は空の向こうにある。

(上のリンク先の私の文章の新宿駅での情景は、日記を記した半年後、
さる漫画家の『〜流星群』にそのまま無断で使われてしまいました。
そこでは、私は元全共闘の医者になっていました。笑。
また、公的には差し障りがあるので、つい先日削除したある日の日記の記載の
状況描写は、まるまるある作家の小説『傭兵〜店』に無断で使われました。
そこでは、私は主人公の傭兵となっていました。描写のみならず、私が実際に
放った台詞までまったくそのままでした。笑。
他にも多くの文章が何名かの方に剽窃されたりしてきましたが、プロの文筆家や
表現者であるならば、他人の文章表現を無断借用するのではなく、自分で「創作」
してもらいたい。
尤も、私の文章群は創作ではなく、実話が中心ですが)


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剪定 〜刃物を使う〜

2013年11月24日 | 刃物

昨日、家の庭のカナディアンメープルの剪定を頼まれたので、久しぶりに
木登りして、研ぎ上げた鉈で枝打ちをしました。

切り過ぎではなかろうか(^^;
ツルッパ(笑


庭先にレモンが成っていた。


こちらはハッサク。


昨日は蒼井そら、いえ、青い空でした(^^)
ハッサクとレモン。

杏の木の落葉樹に対して柑橘類は常緑樹なので、葉は緑のまま。

これは石灯篭。天辺は私が日本刀で抜き打ちに切断した(嘘

ほんとは13年前の芸予地震により倒壊したのです。真ん中のロウソクを
立てる部分は粉砕されてしまいました。

サクランボの木のそばに添うように生えている茶花。名は知らない。


使用後には次回に備えて刃を研ぎ上げておく。
今回も入念に研いだ。
ついでに、二階に住む友人の家庭の職人用包丁と私の母親の包丁を
3丁ほど研ぎ上げた。かなり鋭く切れる。
ナタはハマグリに研いだ。
蛤刃は決して丸い刃ではなく、細い直線が多角で刃先に向かって集合して
いる研ぎ方であり、結構気を使う。刃先に向けて丸める丸刃研ぎは蛤刃の
研ぎではなく、刃物を鈍器にしてしまうだけだからだ。


午後、神戸からイトコの兄が到着。
昨夜は二人で市内五軒を飲み歩きましたとさ。
いや〜、久しぶりに痛飲した。ちと飲み過ぎ。

本日夜は三原本家にて、また一献やりました。
酒はゴールド賀茂鶴を用意しておいた(^^)v

神戸の兄貴は今度関東のベンツ仲間(特定年代のオールドベンツを愛する
車仲間)にハンティングに誘われているとのことです。北関東まで行くらしい。
私は兄貴には世話になっているので、私のとっておきのナイフを2丁あげる
ことにしました。
大型シースナイフとケース付小型フォールディングを1丁。
ことのほか喜んでもらえたので、よかった、よかった(^^)
本当はガットフック付が良いのだろうけど、持ってないからセミカスタムの
大型シースとG.サカイのニュー・フォールディング・ハンターを。

G.サカイ製 ニュー・フォールディング・ハンターS
鋼材:ATS-34 ハンドル:ココボロ 刃:ホローグラインド
全長:155mm ブレード長:73mm 重量:70g 刃厚:2.5mm

たぶん、こちらの小型のG.サカイのほうが活躍しそうな気がする。
大型カスタムのほうは汎用キャンピング用に刃付けをちょいと鈍角
にして耐久性を持たせているが、こちらはメスのような切れ味に私が
仕上げてある。2丁とも鋼材はATS-34で硬度も粘りも十分で、用途
によって刃付けを変えているのは定番のセオリーといったところか。


初めての銃猟同行とのことなので、楽しんできて下さい(^^)
初心者だからゲームのスキニングはやらせてもらえないかも知れないけど、
それぞれ各地のチームによってスタイルがあるから、何かと勉強になると
思います。

私の祖父は、戦前に当時では珍しくセッターとポインターを1頭ずつ猟犬
として飼っていて、スポーツハンティングを趣味でやっていました。
しかし、娘たち(伯母と叔母)の話によると、あまり射撃が上手ではなかったらしく、
「いつもキジが『ヘタヘタヘタ〜』と言いながら逃げて行った」とのことです(笑


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妖怪考 〜製鉄神と日本人〜

2013年11月23日 | 文学・歴史・文化

先日、居合の試合の帰りに道場の同僚と福山城博物館に寄ってみた。
本丸天守博物館では「武家のよそおい −武芸と学問−」という特別展
を催していた。歴代藩主の武具や備後福山藩の学問に関する書籍を
展示してあった。
その中の江戸期の書で「妖怪」について解説した妖怪図鑑のような書が
あり、大変興味深く観ることができた(書名失念)。
日本人と妖怪は精神世界を司る伝承として古くから密接な関係がある。



「相馬の古内裏」(そうまのふるだいり)
歌川国芳/弘化期(1844-47)/大判錦絵。
「大宅太郎」とはダイダラボッチのことである。


日本において妖怪は「もののけ」「あやかし」などと呼ばれて古い時代から
日本人の中に根付いていた。妖怪について多くの歴史書が記載をなし、
古くは『続日本紀(しょくにほんぎ)』(772年)に「宮中にやたら妖怪が
いるのでお祓いをした」という記述もあり、平安から江戸期まで日本人は
妖怪について書いた物を多く残している。
ある時には「恐れ」の対象である妖怪であるが、状況如何では転じて福の
神のような存在になることもある。
また、長生きしたもの、古く残る物には「憑き神」ともののけが宿るという
発想が日本人には古くからあり、現在に至るも、そうした感性は日本人の
精神性の一部を形成しており、日本人を理解するためには日本の歴史の
中での「妖怪考」が欠かせない。

妖怪は怨霊とも無関係ではないのだが、一般的な「幽霊」とは違い、時に
人々に警鐘を鳴らし、おどかかして戒めたり、警告したりする。
そして、ともすれば「いたずら」のようなことを多くする。
妖怪である河童にしても天狗(烏天狗)にしても、どこか滑稽でひょうきんな
ところがある。

刀鍛冶が神と崇める「金屋子さん」という金屋子神は別名「天目一箇神(あめ
のまひとつのかみ)」と呼ばれ、日本神話においては製鉄・鍛冶の祖神とされて
いる。
この天目一箇神は妖怪のダイダラボッチ(国土を造った大巨人の妖怪。柳田國男
はダイダラボッチは巨人を表す「大太郎」と「法師」が合体した語としている)とも
密接な関係にあるといわれている。
古代製鉄のみならず、江戸期までの製鉄には膨大な数の「木炭」が必要であり、
そのため山が丸剥げになるくらいで、製鉄のためには拠点を転々を移動しつつ
山々を渡り歩く必要があった。私はその物理的事実と出雲の国造り神話とが合体し
ダイダラボッチの概念の一部を形成したと感じる。
出雲がヤマトに狙われたのは「鐡」を作る技術と豊富な産鉄原料の独占確保の
ためだっただろう。
九州から東征するにあたり、九州以東を押さえるためには、産鉄地である出雲国と
やはり産鉄地の吉備国は外せなかった。
古代において九州は日本国内のほとんどを占める鉄器製造地区だったが、
ベンガラにもなるリモナイトなどの製鉄原料は歩留まりが悪く、やはり製鉄には
砂鉄や鉄鉱石が適している。(神社に白系と赤系があるのは、赤系はベンガラに
通じるヤマトによる被制圧系の外来-もしくはヤマトより先行渡来-の神々を祀る社で、
伊勢神宮などの白系は元来はヤマト派系であったろうと私は推察している。
神社の白と赤はベンガラ=弥生時代の古代製鉄=と古代王権の関連性を示す
ものであるという仮説を私は立てている)
出雲と吉備、
この二ヶ所は軍事基盤の確立(武器原料の調達)と稲作普及と食物
確保という経済基盤確立(鉄器による農作物増産、同時に稲作文化に根差す王権
文化の精神性の外部注入)のためには、ヤマトにとっては絶対に支配下
に置く
べき重要制圧拠点地区であった。
だが、出雲も吉備も古ヤマト王族とは別な先住在地勢力が
地方の「王」として君臨
していた。ヤマトは出雲と吉備を掌中に収めるためには、
軍事力で攻めざるを
得なかった。

紆余曲折あったが、結果としてはヤマトは出雲から国の統治権を得て、吉備に
おいても古代大和王権に服従させることに成功し、やがて大和王権は神話の時代を
過ぎて大陸から律令制を導入して大和朝廷をゆるやかに作って行くことになる。

神話時代の古代において、アマテラスが岩戸に隠れた時に鍛冶をしていたという
『古事記』(いにしえのことのふみ)に出てくる天津麻羅(あまつまら)は天目一箇神と
同神であるとされる。
マラとは男性器のことでもあり、丸や麻呂の語源でもある。火床(ほど)は女性器の
語源であるホトを表している。古来、日本において男根は卑猥な物ではなく、鍛冶職と
密接な「神々しい物」として祀られる風習があった。男根を形どった物を象徴として
祀る祭りは全国各地に残っている。それらは「かなまらさま」と呼ばれている。

(神奈川県川崎市の金山神社)


金山神社にある金床(かなじき)


川崎の金山神社では毎年「かなまら祭り」が行なわれる。
男根を模した御神体を神輿に担いで川崎大師近辺を練り歩く大きな祭りだ。






巨大なポコちゃんが練り歩くだけの卑猥な奇祭であるとか考えてはならない。
これは「国譲り」と「産鉄」と「安産」いういずれも「産み」の歴史を崇める国家国土
安寧を願う古来からのマツリなのである。
昔の男子の名の「丸」や「麻呂」は「マラ」から発生しており、製鉄=権力を司る
男子たれとの思念を託した名であった。
また、マラ自体の原意は片目を意味する「目占(めうら)」から来ているという
説もある。(私はオロチと同じく古代モンゴル語で鍛冶を表すマウラからだろう
と考えている。それが金属加工技術と共に古代日本に入り「マラ」という日本語
となっていったのだと考える)
川崎のかなまら祭りは江戸期の川崎宿の飯盛女の腰掛けに端を発したと伝わるが、
私は土着信仰と合体した古代製鉄神を奉じる祭りだと推察している。

それでなくば、なぜ鍛冶火床を祀り、ひょっとこ(火男)を持ち出すのか、まったく
説明がつかない。さらにその祀る神社がなにゆえ「金山」神社であるのか。
すべて古代製鉄と密接な関連があるはずだ。飯盛女からの起源説こそ後世の
付会であろう。
山陰の「ドジョウすくい」においてヒョットコ(火男)の面を被ってザルで土をさらうのは、
あれは泥鰌(どじょう)をすくっているのではない。土壌をすくっているのだ。
つまり、鉄の原料を採取する行為なのである。その産鉄活動の様だけが現代に残り、
ヒョットコ面と土をさらう様のみが滑稽化されて伝承されているのである。
ヒョットコ(火男)がなぜ口を突き出しているのかは、南方系ウーツ古式鍛治のような火吹きの様を
表したものからきているのだろう。
ちなみに、ヒョットコは必ず片目である。


製鉄文化は古くからの「日本」そのものを形取る文化である。
そして古代製鉄から作出され発展した鉄器の完成形である
日本刀は、日本人
とは切っても切れない関係にある。

いにしえより、この我らの国では、鉄器・鉄剣・鉄刀は武器としても祭器としても
「くにづくり」と密接不可分
であったからだ。

そして、妖怪の一つ目小僧も鍛冶神の親戚、というより鍛冶神の一部だったのだと
考えると
なんだか愉快になってくるではないか。
このひょうきんな妖怪小僧が日本刀の歴史と深く関係した存在だったというのが
私はなんとも面白く感じる。


人に悪さはしない。ただおどろかすだけ、という一つ目小僧。
悪さをすると「入道さま」に叱られるのではなかろうか。



幽霊・妖怪の類は恐れるべき対象ではなく、親しむべき対象であるのだ。
そう考えると、幽霊・妖怪を恐れる気持ちは霧散して行く。
鍛冶の象徴でもある男根は「かなまらさま」であるので、国を作り、人を生む
源であり、怖がる対象ではない。
昔、学生の頃の宴会芸で、TVアニメのキングコングの替え歌(戯れ歌)を
歌いながら
一升瓶を股間から突き出して
「♪ウッホウホウホ ウッホッホー
大きなマラ〜をひと跨ぎ キング〜サイズがやって来る
怖くなんかないんだよ〜 キング〜サイズは友達さ」
と腰を振り振り会場を練り歩く芸があったが(大阪のピン大の学生が宴会で
やってた)、まったくあれと同じだ。(違

キングコング(1967)


しかし、こうした卑猥ネタでサゲとせずとも、キングコングが「大きな山をひと跨ぎ」
というのであれば、ダイダラボッチとも繋がり、つまり山を跨いで木炭製造で伐採
移動していく製鉄と通じ、それは製鉄神のマラとも繋がってくる。
う〜ん。深い(笑

勝川春章・勝川春英画『怪談百鬼図会』より「大入道」。
ダイダラボッチのイメージに近いものと考えられている。

なるほど!
だから一つ目小僧は仏門の「入道」と関係がある「小僧」に
変化して
いったのか。神仏習合の文化が形成された時代に。

う〜ん。深い(笑


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心霊写真

2013年11月23日 | 内的独白

心霊写真なのだそうです。
心霊写真サイトから拾って来ました。

ずいぶん、根が正直な幽霊ですね(笑)


笑えないこととして、今から37年ほど前、誰かの何回忌だったか、広島の
本家の法事で
親族が本家の家に40名ほど集まった時があります。
その時に全員の集合写真を撮りました。
数年前の法事の時に、その写真が1枚出てきました。
ネガの所在は不明だったので「懐かしいからデジタル化して大きく伸ばして
焼き回し
プリントしてみんなに配ろう」ということになり、大きく引き伸ばして
みました。

すると・・・
全員が並んで写った後方の本家の建物の窓から誰かが覗いています。
集合写真には全員が写っています。
さて・・・、誰?
デジタル化するので、私は「すまんけど消すよ」と画像処理でその部分を
消しました。


我が家の写真と似たような写真をネット上で見つけたので紹介します。
これ。

 


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そろそろお隠れ 〜本当はホンダ好き〜

2013年11月22日 | バイク・車



かみさんからのお下がりのおいらの足。
12年以上乗ったけど、そろそろ引退の様子なり。
三菱の車はあまり良くないね。ミッション弱し。
この車は出た時に新機軸が結構あったのでかみさん用に購入した
けど、結構渓流専用車のようになっていた。室内に竿ネット設置
してたし(笑
当時まだ普段はローバーミニに乗っていたからホントはこれはかみさん
専用だったのだけど。

(都内と違って、田舎は車は一人1台ないと移動がまったくできません)

ダイハツが良いよという車屋の友人のすすめもあって、先年ダイハツの
新車(ミラココア)を買ってかみさん用にしたけど、その時におさがりで
完全においらに
回って来たのがこれだった。
でも、そろそろオシャカのようです。

ダイハツはいいね〜。エンジンが。
トヨタの子会社というのがとてつもなくイヤだが。
(私はトヨタの社長が大嫌い)

好き嫌いと性能の善し悪しは別なので移動手段ではしかたなく単なる
足としてダイハツでもトヨタでも乗るが、楽しみたい世界ではトヨタ系の
車など俺は絶対に買い求めない。豊田社長が嫌いだからだ。
2TGエンジン・ソレックスツインのGTは良かったけどね・・・。
でも、あれのエンジンはヤマハだ。ボンネット開けると、エンジンヘッドに
YAMAHAの浮き彫りが入っていた。
ヤマハもバイクは操安性がすばらしいが、どうしてトヨタ系列のメーカーは
上から目線であんなに偉そうなのかと思う。ヤマハもかなり偉そうだしね。
ホンダと大違い。
車の善し悪し抜きにすれば、レーシングチームでも社風でもホンダが
企業体として最高だと、宗一郎さんが亡くなった今でも思う。
おいら、偉そうにしてるやつが一番嫌いなんだ。

オヤジさんには面白いエピソードがある。
ネットで見つけたので抜粋紹介しよう。

 本田技研の創業者、本田宗一郎が天皇陛下から勲章を賜ることになった。
 が、「技術者の正装は白いツナギ」と、工場に居るのと同じ服装で参内
 すると言い出した。

 「オヤジさん、やはりモーニングでないと」
 「じゃあ行かねぇ」
 最終的には周囲の懸命の説得に折れ、周囲と同じ正装に身を包んだ。
 1980年代半ば、F1でターボエンジンに対する規制が始まった。ルノーや
 BMW、ポルシェが勝っている間には何も言われてはいなかったのに、
 ホンダが勝ち始めた途端に規制が取り沙汰されるようになり、言わばなし崩し
 的にターボエンジンの段階的廃止(燃料・過給圧の制限を経て、1989年から
 自然吸気エンジンに移行)が決められていった。

 こうした動きに憤慨した現場の責任者は、ホンダは抗議の撤退をすべきでは
 ないかと思いつめ、宗一郎に面談を申し入れた。いわば直談判であった。
 が、オヤジさんは応接室に入るなり、
「F1でターボが禁止されるらしいが、これは
 ホンダだけが禁止なのか? ん? 違うのか。バカなやつらだ。ホンダにだけ
 規制するというのなら賢いけど、同じルールで一からやり直しだって言うん
 なら、ホンダが一番速くて最高のエンジンをつくるに決まってるのにな。
 
で、何だ、話ってーのは?」

 「あ、いや、すいません。何でもないです」
 責任者たちはすっかり嬉しくなってしまったという。その後ホンダは、宗一郎が
 鬼籍に入る1991年まで毎年チャンピオンを獲り続けた。
 副社長として本田技研を経営面から支えた藤沢武夫は風流人として知られ、
 着物姿で出社することも珍しくなかった。ある日、やはり着物で社内をうろついて
 いたところ、掃除のおばさんに「関係者以外は立入禁止だよ」とたしなめられた。
 藤沢は笑顔で、「これでもここの社員なんですよ」と答え、おばさんがこの顛末
 を上司に報告すると、「バカ、それは副社長だ」ということになり翌日慌てて謝りに
 行くと、「いやいや、こんな格好でふらふらしてる私の方が悪いんですよ」と答えた
 という。そして、そのやりとりを見ていた作業服を着た老人がゲラゲラ笑いながら
 「俺もネクタイしめた方がいいかな」などと藤沢に語りかけていたので、誰だろうと
 思っていたら、そのじいさんが本田宗一郎であったと、おばさんは後で知ったという。

かつて、ミニクーパーがラリーで勝ち過ぎるのでレギュレーションが変更されて
ミニ潰しが行なわれたように、レースの世界は必ずしも公明なものではなく、
政治的な圧力が露骨に加えられる。特定メーカーを叩いて自分らに有利な
状況を作ろうとする勢力がかならずいる。レースは競技といえども、企業体が
絡む以上、正々堂々としたものではなく、どす黒い高圧的な圧力が加わる。
表に裏にネガティブキャンペーンまで繰り広げたりする。
だが、本物のモノ作りを目指す技術者は、そうした圧力に対しても決して挫け
ない。己の力への自身も自負もある。唯一ないのは、圧力を加える側の者が
強く持つ傲慢さだけだ。
そして、どんな服だろうが機能重視の上で身綺麗にすることと形式的な「正装」
は別次元のことであり、形骸化された様式に従順になることのみを善しとする
ことがいかに人として本当は空虚なことであるか。
上のエピソードの副社長の「着物」とは和服ではなく、作務衣か甚兵衛のような
服だったのかもしれない。あるいは茶人のようなスタイルか。だが、人は中身だ。
ホンダ、最高である。
バイクはハンドリング悪くてどうしようもないけど(^^;
直線では速い(笑

でもね〜。
ホントいうと1989年式のフェスティバが欲しいのだけど、国内にタマ数が
極端に少ない。
(フェスティバ)


だったら1989年式のこれが欲しいのですよ、と。
(マツダ キャロル)

ほとんどスタイルのみで選んでるけど(笑
どうせ乗るなら、タウンビークルだとしても、好きな車に
乗りたいじゃない、ねえ。


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映画『風俗行ったら人生変わったwww』

2013年11月22日 | 内的独白



なんだこれ?(笑
10年ぶり第二の『電車男』か?(苦笑

かわいいだけの佐々木さんは演技ができなくてほぼすべてのドラマから
下ろされ、機転が利かずしゃべれないから人気の昼バラエティ番組からも
下ろされた。この映画ではどうだろう。

台本読めない、台詞も覚えられない、というのでは女優さんという職業は
厳しいと思うのだけどなぁ・・・。
ただ可愛いだけで、あたしにもプロの女優の仕事ができるのよと思っている
としたら、大きな勘違いなんだけどなぁ。なんだか字を読むのが得意では
ないらしく、長い台詞はほとんど覚えられないみたいだし。

「佐々木さんのNG回数が、とにかく多いんです。同じところで何度も噛むし、
長いセリフを覚えられないのか、彼女専用のカンペまで用意されているん
です。また、台本を理解していないのか、ジョークの要素が強いシーンなの
に、シリアスな口調で話してしまい、監督だけでなく共演者まで呆気にとら
れてしまったことも。最近では『ちょっとおかしいな』と思うシーンでも、監督も
諦めてしまったのか、OKが出るようになっています」(フジテレビ関係者)

『風俗行ったら人生変わったwww』公式サイト


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ふるさと 〜切符のない旅〜

2013年11月21日 | 内的独白

私が通った幼稚園。大きいす。


空から。


スクールバスでの行き帰り、このトンネルが怖かった4才の頃(笑
オバケトンネルとか呼んでたなぁ。この丘の土手には防空壕の痕が
沢山あった。

全く50年前と変わっていない。今でも灯りを灯していない。

この広場が2才から9才までの私の遊び場。
噴水が無くなった以外は50年前とまったく変わっていない。
右側の茶色い建物の場所には、かつてマーケットがあった。

弟が生まれそうな時、お袋が極度に具合悪くなって救急車に乗った。
後で人から聴いた話だが、俺は掃除機を抱きかかえて「僕が掃除する
から
死なないで」と泣きながらこの坂道を走って救急車を追ったそうだ。
取り囲んで見ていた近隣の人たちの涙を誘ったらしく、後年大きくなって
人から教えてもらった。そ
のことは記憶にはなかった。
4才年下の弟は死んでしまった。お袋はかろうじて助かった。
今の医療だったら両方とも助かっただろう。

(そん頃の俺)

四人兄弟だが、一番出来が悪くて活きがよい
二番目の俺だけが生き残った。

江ノ電に乗って少し行くと、ワイハ〜♪のような江の島。
いいねぇ、湘南は。海きったね〜けど(笑



一方、こちらは小学生の時の横浜の家のそばの遊び場の森。
森の上の方の広っぱはアメリカです(笑
この先に米軍の住宅がある。
アメリカ人の同世代の友だちが何人かできた。
フェンスあって基地内には入れないけどね。
でもフェンス越えて、この広っぱで一緒に遊んだのさ。
言葉は一切通じなかったけど、意思は互いに通じた。


この森はカブトやクワガタ、ヤマカガシがウジャウジャいた。
ヤマカガシは毒蛇ではないなんて教わっていたが、あれ
大嘘だったんだね(苦笑


学校の通学路の途中にあった巨大な森は整備されて公園になっている。
この森で、少年たちは肥後守を手に学校帰りに「基地」を作って遊んだ。
肥後守は小学生たち必携だった。私が最後の肥後守世代だ。

小学校中学年の時に鉛筆削りが普及して、PTAの刃物撲滅運動が
推進されてナイフ所持禁止となった。だが、まだ学校に肥後守を持って
行っても「文房具」として教師たちからも黙認されていた。
この森では弓矢を作ったり、ツタを谷に渡してターザンごっこをしたりした。
しかし、やはりナイフを振り回すのは危険で、一度教室で振り向いた瞬間、
後ろ向きで振り上げた級友の肥後守が眉間にグサリと刺さったことがある。
「グサリ」って本当に音がするんだよ。
出血大サービスで、当然救急車に搭乗だ(笑
だけど幸いにしてドタマの骨が硬くて助かった。
別件で頭蓋骨骨折ということもあったが、どうにかそれでも助かった。
その後の人生でも、骨盤粉砕骨折右ひざ粉砕靭帯断裂や、刃物や爆裂
金属片を体に食らう味を何度も味わったりしたが、あまり気持ちいいもん
じゃないね。
ま、どうにか生き残っているのはもっけの幸い。
すっぽんぽんになると身体じゅう傷だらけで、ゴル〜ゴみたいだよ(笑
前歯なんてぶち折れて全部無いし、両手の小指は骨折で両方とも折れ
曲がったままになってる。左右で別の時にパンチで損傷した。
視力はずっと2.0以上(3.0くらいあったのでは)だったが、右目にヒットてな
もんで網膜はく離しかけてどんどん視力が下がって外傷性近視になった。
お笑い草だよ人生は。
他にも沢山あったが、ま、生還できただけもっけの幸い(意味違う気もするが)。


あやふやな部分もあるが、50年以上前の記憶というのも結構覚えている
もんだね。
というか、俺、1才の時の記憶がある(笑
目黒の青葉台のいつも割烹着を着ていた隣りの家のおばさん、出っ歯
だった(笑


これは生まれた時に住んでた目黒の家。
今でもこのまま残っているというのがなんともすごいね。
それでも、ふるさとは遠くなりにけり。


あ、考えたら昨夜から煎餅数枚食っただけだ。
きょうは飯食うの忘れてた。
「空腹を満たすためではない。戦闘力を維持するために食うのだ」
なんて、今どき流行らないよ。兵士じゃあるまいし(苦笑
すきやにでも行ってシャケ定食あたり食うか(笑


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