渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

池田エライザ

2016年06月25日 | 内的独白



池田エライザかわいい!

いや、別に意味はないんですけど。


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剣士の素顔 ~町井勲氏のこと~

2016年06月25日 | 内的独白



町井勲(まちい いさお)さん。
友人である。
友人であるが、二人の時は私は「町井先生」と呼ぶ。
年は一回りほど下だが、社会人の常識として、一門を構え率い、後進の
指導にあたっている人なので私は
先生と呼ぶ。
流派は元々は同流別系(私は山本晴介系)だが、同じ土佐居合の流れ
にある。

彼は今は「守・破・離」の「離」の段階に入り、独立して新規に一派を
成した。名を「修心流居合術兵法」という。

そこでは彼のこれまでの研究と研鑽が集約されて伝授されている。(現在進行形)
多くの古い流派の研究や独自の研究により、自ら興した
修心流居合術
兵法にそれらを組み入れて行っているのであるが、
他流古流を研究参考
にすることはあっても、決して、まるまる剽窃して
「当流には江戸
時代から伝承されていた」などという
ねつ造行為で人集めをすること
などはしない。

そもそも、「新設の新派である」ということを自ら明言している。
この「新派である」という事実を正々堂々ときちんと公言している流派
意外と少ない。

仕事の上ではなく、個人的な名刺交換などで、やたらめったら名刺に
肩書きを列挙している人っているよね。
ああいう人たちは、自分ではなく肩書きで人に接しようとしている。
そういうところが歪んで進むと、肩書きや来歴や経歴を詐称したり
しだすのだろうなぁ、と思う。

三島由紀夫先生が存命の頃の盾の会のメンバーだった人が過日私に
言っていた。
「盾の会関係者を名乗るニセモノがとても多い」と。
うわあ、と思った。
武術界だけでなく、こうした社会運動というか任意団体までもカタリが
横行していたのか、と。
その方は人士として信のおける方だが、頂いた名刺にはなんの肩書き
もなく、氏名と住所だけが記載されていた。
これはカッコいいと思った。
その方の来歴、一部上場企業での職歴等私は知っているが、そうした
ことはおくびにも出さない。肩書ではなく「自分」で人と接している。
こういう人が本物だと私は思った。

町井氏とは日常よく会話する。
ご本人に対しては私は「先生」と呼ぶが、一般的記述においては厳密
には一般敬称が常識だろう。尊敬・献上・丁寧について咀嚼するならば。
私が記述において「町井先生」と記す場合は、職業としての「先生」と
してのニュアンスであり、ご本人に「先生」と言うのは敬語としての用法
だ。
どんな場面でも「先生」と呼称し、あまつさえ自分の先祖あるいは自派の
ルーツに座する師範筋や宗家に対して己が敬称を付してよそ様に対して
表現するのは日本語文化をないがしろにするものであることは論を俟た
ない。
他人に対し「私の父上は」とか「僕のお父さんは」言うようなことは恥ず
かしいことである。
不思議なことに、武術界には、そうした日本語崩壊現象がある。
とりわけ敬語の用法において伝統を無視していながら「伝統」を語る悪しき
傾向が武術界にはあるという残念な面が実在する。
眼前の他者を一番立てるのが日本文化の伝統である。相対して「弊社」と
「御社、貴社」を分けるのは当たり前であるし、「弊社の社長がこのように
おっしゃっています」などとは相手に対しては決して言わない。
だが、武術界ではそうした日本語の用法が崩れている現象が一部にある。
なんでもかんでも先生をつければ善しとする安直な考え方が蔓延し、さら
には自流派自己賛美の上で、自派なのに自派の者たちに先生付けで他者に
ウェブサイトで紹介したり、自派の賛辞を自ら成したりして公開したり
する傾向もある。
そういうのは「根本的に何かが怪しい」と見抜く必要があると私は思料
する。
例えば私は無双直伝英信流を学ぶが、長谷川主税助のことを長谷川先生
は・・・とは一般言語の用法として記述もしないし言いもしない。
まして、流祖として敬愛はすれども、その敬愛を人に「長谷川先生は
素晴らしい方で」などという類の形で表明したりはしない。
そういうことは、おかしいことだという私の中のセンサーが働いている
からだ。敬愛や尊敬とは別なネジの外れた回路がそうした日本語文化、
ひいては日本の伝統をないがしろにする行為を惹起せしむるのだと私は
考えている。
おかしいと思う現象を世間に見る時、それはおかしいだろうことが存在
するからおかしいと感知するのであって、まっとうならば何かおかしいぞ
ということは感じない。

メールでは私はごく懇意な中でないならば文章中でも「○○様」と一般的には
書く。それが常識だと思っているからだ。
相手から「○○様ではなく『さん』でお願いします」と申し入れされれば
「さん」に言い換えるようにしている。
懇意にしている町井氏は私のことはメールや電話では「渓流さん」もしくは
本名にさん付けで呼んでいる。ごく自然な流れだと私は思う。

また、私は居合の大会場などでは流れのままにしているが、一般的なつきあい
では、道場でも同輩や後輩たちからも「先生」呼称はしないでほしいとお願い
している。段位が上がったから先生、というものではないし(公式場面では
先生呼称が運用される)、敬称は「さん」が自然な日本語の流れと思うからだ。
このあたりは私も使い分けていて、昔からの仲間としての友人が居合道において
超高段者になっても、プライベートで二人きりの時は「○○ちゃん」と呼ぶが、
人がいる居合の公式場面では「○○先生」と呼ぶ。
こういうものは「分別」というものだろうと思う。
もっと懇意ないわゆる親友同士になると、名前呼び捨てだったりあだ名で
呼びあったりする。
これは江戸期までの日本人の武士の慣習に似ている。「勝四郎」とか「大之進」
などと通称(イミナの実名ではない)で同輩が呼び合うのに近いと思う。

町井氏との会話で一番興味がある(たぶん先方も)のが、刀剣に関しての
対話だ。というか日常会話はほぼすべてこれ。刀の話ばかりだ(笑)。
かなりコアな刀についての対話をよくしている。
その中では、私が知らないことで彼が知っていることは私が教えてもらい、
またその逆もある。知悉していることだけでなく、所見も互いに交わす。
そうした相互交流が純粋に刀剣談話として純化されて交わされることが楽しい。
これはかなり面白いことであるし、切磋琢磨とはまた違う、相互研究の交差、
まさにクロスドードで出会うような感覚で、私は楽しい時間を彼から頂いて
いる。

武術的な事に関しては、技前などは私にとっては町井氏は一気に町井先生と
なるので、いろいろ分析や解析などの見解・所見を聴かせてもらったりして
いる。これは多いに私個人にも役立つし、何よりも、私自身の個人研究の
プラスにもなる。
ただ、私も一介の剣士ではあるが、経験値や別角度からの私なりの解析
等もある。
だが、これまたそうしたことを武術談義として意見交換することが面白い。
かなりコアで濃密でマニアックな内容になったりするのだが、互いの解析論
や技法についての討論は、端的に言うと実に面白い。
そして、互いの領域は犯さないし、「こうであるべき」として相手に自己見解
を強要することもしない。
また、史実に基づく歴史考証や有職故実などについては、私が一日の長が
あるだけに多少知るところもあり、いろいろ町井氏に所見伝達したりするが、
これもまた逆もありで、彼からもいろいろ知らない部分を教わったりしている。
第一、私は火縄鉄砲や戦国時代の武技周辺、関連武具の事はまるで疎いし。

町井氏は私のことを「剣友」としてブログ等に記載してくれたこともあったが、
剣で一手交わしたことなくとも、本当の意味で、剣の友だと私も感じている。
私と町井氏の関係は、剣の道において、健全だと私は思っている。
剣に対する邪(よこしま)な心は一切ない。

またいろいろ、互いに諫言したり諭したりもする。
言い争うことはないが、互いに「何を~?!」みたいな感覚は生まれない。
互いに素直に相手の言葉に真剣に耳を傾ける。そして自問したり自省したり
する。
私は私と町井勲氏の関係は健全な関係だと思う。
こうした関係が作れるというのは、とても貴重であり、友は財産であると
私は思っている。

ただ、彼には一つ欠点がある。
彼は人が良すぎてよく人に騙される。これでもか、という程に騙される。
これは酸いも甘いも社会の表から裏の裏まで知り尽くしたような私だから
思うのではなく、客観的に観て、彼は人が良いと思う。
本当は店舗構えの商人稼業などは向いていないのではとさえ思う。
彼と刀剣しのぎの新藤店長から学んだことがある。
それは、「刀好きは刀屋はできない」ということだ。
この意味、おわかりだろうか?(笑)


私は町井氏のこういうところが好きである。
    ↓

町井勲@IsaoMachii

僕も武家が台頭していた時代を見ていないので、誤認や誤伝を伝えて
しまっていることがあるかもしれません。疑問に思ったことは安易に
答え
を求めず、一つ一つ調べていくことが大切です。


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殺虫剤

2016年06月24日 | 内的独白



生物化学兵器は恐ろしいね(苦笑
ブ~ンと蚊が飛んでたのよね。
ほんの軽くシュッとひと吹きしたら、ヘロヘロになって死んで
しまった。
殺虫剤は強力だが、明治末期に蚊取り線香が発明される以前の
江戸時代とかの人たちは大変だっただろうなぁと思う。




腕に停まった蚊を逃げられずに叩くには、止まって血を吸おうと
した瞬間に拳を握る。するとどうあがいても逃げられない。
そこをパン!
でもかゆいのは避けられないのでおすすめできませんが(笑
飛んでいるのを片手でよく掴んだりもするけど、やはりパン!
だよな(苦笑

てかね~。ワンコは一カ月に一回フィラリアの薬を飲ませた
ほうがいいすよ。でないとまず罹患してしまいます。
一度罹患すると大変す。

人間のほうは、マラリア蚊が日本の内地にはいないからまだいいよ。
あぁた、東南アジア・オセアニアなんて、戦闘で死ぬよりマラリア
で死ぬほうがやばかったりする。配給錠剤なんて効かねーしよー。
アフリカでは日本の蚊帳(かや)がだいぶマラリアで死亡する人
たちを助けてるようだけど、日本文化がまじもんの人助けになって
るというのは、なんだか嬉しいね。そういうの本当に嬉しい。

 


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連絡

2016年06月23日 | 内的独白

特定流派宗家から私の居合師匠の職場あてに直に電話およびFAX
等で
抗議が来たため、私は当該特定流派の名称を直に日記に記載
する
ことは一切していませんでしたが、本日、一部過去記事を削除
しました。

また、その当該流派をこれは流派名をあげて私が賞賛していた記事
も同時に
削除いたしました。

この日記は私の独白日記ですが、付属リンクの掲示板に記載なり
の方法で、活動上の仮名ではない本名を明かして直に私に抗議を
する等ではなく、本名さえ名乗らず偽名のまま直接私の師匠あて
に抗議を寄せ
られたという手法を採られたことは大変遺憾に感じ
ます。

なお、当日記の記載内容については、歴史事実ねつ造に関する
虚実について私見を記載したものでしたが、揶揄表現を含めて
いたと感じられたという点についてはお詫び申し上げます。

ただし、今後は裏からではなく、直接私に物言いされることを
希望します。
掲示板で普段お使いの芸名でも仮名でも結構ですから、投稿名に
メール
アドレスを記入すれば連絡が着きますし、私のメアドも
掲示板
から判るはずです。
直接抗議ではなく、無関係な周辺関係者にクレームをつけたり
する示威行為ともとれる圧力行動は今後一切ご遠慮願います。

なお、ビニール傘しか持たない者にいきなり十文字槍で実質的な
暴行に近い接触を以て威嚇攻撃をするなどという宗家筋による
行為も社会人として今後一切お控えいただきたい。






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頭文字(イニシャル)K

2016年06月23日 | 内的独白



私の戸籍上の名字の頭文字の字源は甲骨文字ではこうなる。
現在は制度上では姓も諱も戸籍には登録しないから、「氏名」が
日本人の
名となっている。名字・苗字という言葉さえ正式な法律
用語ではなく
なった。苗字を現在正式には氏という(元来の氏とは
別な意味)。
現在の苗字は400年ほど名乗っているが、それ以前の負けイクサ
連続の頃は位置を表す形式で、さらに以前は地名由来がいくつか
続いた。鎌倉期は完全に地名由来の苗字であり、それ以前は苗字
登場前の姓(せい。カバネではない)が名乗りとなっていた。
さらに遡るとナントカノカントカノミコトとなる。


私の苗字の一字目のこの字は表意文字であり、原意は個人的には
興味深い。

それは上部の△とんがり君は「斧などの刃物」を表し、下部は
「口」
を意味し、「めでたいことを祈る言葉」を表している。
めでたいことを祈る儀式で刃物をまじないとして置くことを意味
して
おり、転じて「よい(すぐれている・めでたい)」、「幸い」、
「幸せ」を意味するこの漢字が成立していったらしい。

また、この字は 「とじこめる」という意味もあるとのこである。
辞書によると、甲骨文では先のとがった刃物・金文は士(小さな
マサカリ)を口サイ(うつわ)の上に置いた形と説明されている。
めでたいことを祈る言葉を書いた文書をいれた器(口サイ)の上に
呪いとして刃物やマサカリを置いた形、とのことだ。
刃物やマサカリを器の上や回りに置くことは、器を守る意であり、中
の祝詞(のりと)の内容が確実に神にとどく呪いであったとされる。
この漢字は、こうすることによって神にめでたい言葉が届くことから
「よい」「
めでたい」の意となるのだそうだ。
また、この字は刃物やマサカリを置いて器を防御する形であり、外
から
みると器の中に「とじこめる」イメージとなる、ということ
らしい。


ひっひっひ。おいらは、名が体を表すじゃないけど、存在が武器・
霊器と
密接な関係にあるっつー寸法よお(笑)。
知らんけど。

どうりで、ガキの頃からなぜかやたらと斧に惹かれると思ってたよ(違
属性が斧だったんだな。斧と古代姓の小野は関係ないが。戦国・江戸期
は姓が源だったんだから、けっこーテケトー。


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メガネ

2016年06月20日 | 内的独白


メガネが出てきたよ。
食事会主催者の先輩が参加者に問い合わせてくれた。
突然知らない番号から電話があったので出たら、「酔い過ぎて間違えて
先生の眼鏡を持って帰ってしまいました」とのことでした。

なんでも、家に帰ってから奥様に「随分洒落た眼鏡だけど、女性の持ち物
では。どこで女性と接触したのか(笑」と言われたとのこと。「いや、美人
のご婦人も多くいらしてたので(笑」と冗談交じりに奥様に言って笑ったとの
ことですが、持ち主は四捨五入で60のおっちゃんですから(笑

「先生今どちらですか?」と問われたので「広島です」と言うと、「ヒロ
シマ!?」と驚いてらした。
結局、御礼を申し上げて広島県の自宅まで郵送してもらうことにしました。
ま、肌身離さずでなかった私の責任なので、こちらこそ迷惑をおかけしま
したと謝りますた( ̄▽ ̄)



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SUBARUの印象的なCM

2016年06月12日 | 内的独白

SUBARUの印象的なCM


エグイ!(≧∇≦)
これがアメリカ人の気風(笑)。

マフラーから出てくるのはこれだったりしたほうがシャレが
利いているのだが、シャレが利かないマジもんのブチキレ
てるところがいかにもアメリカ人。野蛮だわぁ(笑


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診断結果

2016年06月09日 | 内的独白

面白そうなのでやってみた。

→ こちら

結果・・・。




おかしいなぁ。
こちとら本気で潰そうとしていたんだけどね(違

ちなみに本名を入れて診断してみた。



うむ。納得にござる(笑

さらに、現行戸籍上の苗字と戸籍上の名ではない実名=イミナを入れて診断してみた。



そりゃ、うちの鎌倉時代の苗字だ(^^;

妙に関連性がありそうなところが何ともシュールである。

つか、やり方間違っていることにふと気づいた。てか発見。
これは総文字数によっては苗字(名字)と名の間にスペースを
入れるんだよ。
まあ、「いません」の場合にスペースを入れたら回答が出るという
パターンを見ての類推適用だけど。

すると、私の本名で診断したらこう出た。


ここでも、うちの鎌倉末期の苗字が三番目に出てきてる・・・。
というか、この苗字の人たちはすべて知り合い(というよりかなり
深く知っている関係)にあるというこの現実(笑
「渡邊」が二度出てきている理由は不明(^^;

とかね、おいらを四六時中監視している霞ヶ関の人。これを見て
関係者の名前割り出そうとしても無理だからね。
おいらの日記は、半分法螺で半分嘘だから。
でも、この表示した上から10番目に出てきてる人などは、深くて
やばい関係にあることは確かかも知れない。まだ時効が成立して
いないから。

て、数えた貴方。
純だね。
騙されるよ。


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木刀最強伝説

2016年06月09日 | 内的独白



形稽古や組太刀稽古用ではないこれ。
これが実際の場面では最強だと思います。経験上。
実銃やスタンガンという科学武器以外ではこれに限る。
滑らないように、柄に細いタコ糸を巻けばなお良。

という話を人から聞いたことがある。

まあ、実際のところ、刀や刃物は必要なくて、薩摩流儀のように
「まず撲殺ありき」のような流派もある。
それ、すごく合理的。
武蔵が決闘で木刀を好んだのも、下手な刃筋を立てたり細かい
刀法を駆使しないとまともに働かない日本刀というものを忌避
して、とにかくどんな向きでも殴り倒すという目的に特化した得物を
選択した結果が
、「木刀」なのだと思う。
だから、棒や杖というのもかなり武器としては優れているとは思う。
こん棒をカッと刀で切断したりするのは、あれは映画ドラマの中
だけのファンタジーだから。
現実には「棒」というのはかなりの武器になる。
鉄パイプは駄目よ。あれはすぐに曲がるから。インチのパイほどの
太いのでも一打ちで曲がる。テッパイはですね、「突く」武器です。
先を斜めカットにして。滑り止めのために表面は錆びさせて。
手さばきよくサブロクくらいに短くして背負えるように両端結んで紐を
着けるという方法もあるが、あれは突入決死隊の仕様であって、
一般的な武器としての鉄パイプの仕様ではない。

という話を人から聞いたことがある。


伝宮本武蔵自作木刀。
滑り止めのために手貫緒を通して手に絡めるための穴が柄頭にあいている。


上:一般市販の小刀木刀
下:自作小太刀木刀。イメージは武蔵作の短寸化(刀を受けた痕跡あり)


上:頂き物の薬丸どんの御流儀の木刀(四尺二寸)
下:組太刀稽古用の木刀


上:頂き物の薬丸どんの御流儀の稽古木刀
下:尾道の居合の先生から頂いた御手製稽古用振り棒


こういうことは、私は戦闘技の鍛錬としてやっているのではない。
私はこういうのは「いにしえの伝統武技の研究」の一環としてやっている。
袴をはいて日本刀を持ち出しての戦闘などは現代においてはあり得ない。
こういうことは一切現代戦には役に立たない。勘違いをしてはいけない。


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Muhammad Ali - Stand By Me

2016年06月06日 | 内的独白

Muhammad Ali - Stand By Me


アリよ、永遠に!

Muhammad Ali surprises Sylvester Stallone On stage. Funny


Muhammad Ali -"This is your
Life"



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めでたい

2016年05月29日 | 内的独白

新潟の東北日本居合道大会で、游雲会メンバーの高段者が
三位に入賞したとの由。ご本人から連絡貰った。
嬉しいね。めでたいね。

ということで、愛で鯛。


会社の若い衆がきょうサクサクッと自分の船出して釣って来た。
こういうのはウハウハ釣れるんだから、瀬戸内海最高!

でも潮の流れが川のように早いから、源平合戦のようなことが
起きたりする。
くじら君もいっぱいいるだよ。
先日、会社の人に海に連れて行って貰った時には、座布団より
でかいエイがジャンプしてたよ。エイってジャンプするのね。
知らなかった。

もうね、タイもタコもばっこばこに獲れる。瀬戸内、なかなかいいよ♪


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研ぎスターターキット

2016年05月29日 | 内的独白



友人に研ぎスターターキットを作ってコンテナボックスに入れて送った。


これも同梱しておいた。秘伝書(^0^)
びっちり書いて全25ページ。びっちりといっても本当に概略しか書いて
ないけどさ。一応、私の特殊なやり方が書いてある。
私が研いだ包丁やナイフを使った人は、プロの料理人含めてみなさん
「え?」と言うのよね。それはスプリットセカンドの理論を投入している
研ぎだから。普通の研ぎではない。まあ、好評のようでなによりです。


(一部抜粋)






これはコピーの白黒版だが、これのカラープリント版を送った。

うを新に研ぎガイドブックのことを話したら、ひでーんだぜ。
「私はいらないです。貰うと『自分で研げ』とか言われてもう研いで
くれなくなりそうだから」だってさ~(^^;
研いでも使わないくせに(笑

おらが精魂込めて研いだんだから使ってけろよ~(苦笑
包丁も肥後守もよぉ~。

彼に渡した私が研ぎあげた包丁について彼は、「体感したことのない
異次元の切れ味」と言っていた。

うを新に渡した和式包丁。私が独自の技法で研ぎ上げている。
出荷時はサンドブラストかけられて、さらに刃もアマアマだった。
下地研ぎから手掛けてスーパーウルトラスペシャル仕上げにした。


彼は見た目に似合わず、毎日家では料理作ってるんだよ。
まあ、見た目といっても魚屋だけどね、見た目は(^0^)
「うを新」という屋号は結構気に入っているみたいです。
刀にまで号銘で切ってもらおうかと言ってるくらいで。
あと100年後の人たち言うだろうなぁ。
「何だ?この銘は?!」と(笑

ということで、游雲会山陰メンバーのご所望の肥後守を研ぐかな。


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盗用記事 袋井市議

2016年05月25日 | 内的独白

ひで~。
この市議の記事、まるまる私のブログ(ココログ。すでに閉鎖)からの盗用だ。

この部分。


《美しい立ち姿勢》とは
 横から見た姿でチェックして『美しい立ち姿勢』とは、横から見たときに「耳」「肩の中心」「くるぶし」が一直線になっている状態(写真右)。ねこ背になったり背中を反り過ぎたりしないよう、頭の上がピンと糸で引っ張られているイメージです。

 後ろ側の脚に重心を置き、前にずらした脚を軽く折った立ち方は、正面から見た際に脚がキレイに映ります。O脚が気になる方にも効果的な立ち方です。

 最近の若い女性でハイヒールを履くのは良いんですが、{アゴが出て、腰が落ちて、ガニ又}で 歩いている。
そうです「ゴリラ歩き」が増殖しています。美人が台無しです。「ゴリラ歩き」といって、上体を前にかがめ、腕を体の前で横に振って歩く女性がかなり見られます。腕を前後に振るようにして、両手の小指を伸ばすように意識すると、正しい歩き方ができるようになります。

《本物とニセモノ「武士の作法、所作」》


 

 幕末、異人警護のために集う幕府旗本。(遣い手が集められた。)


 刀(脇差)の差し方にご注目下さい。柄頭が上を向く落とし差しにしている侍は一人もいない。そんな差し方をすると、鞘のこじりが床に当たるし、大刀を抜いて切り下ろした時に脇差の柄が邪魔になって刀を振れないため。なお、立ち上がって大刀を差した際も、剣術上級者はなるべく地面と平行になるようにカンヌキに大刀を差す。脇差もカンヌキならば大刀もカンヌキ差しにする。

《中村主水役の藤田まこと氏
 時代劇に出演する俳優たちは、侍の役をやるならば、役者で食っている本職のプロとして、ただそこにいるだけで本物の侍に見えるような役作りの勉強をしてほしいと思います。昔の時代劇俳優はきちんと役を身近に引き寄せて役作りをしていました。


 完璧なカンヌキ差しであり、本物の侍の刀の差し方である。役づくりには、こういう正確な「本物」の再現が不可欠です。「兵士・警官」らしく、また、「板前」は板前らしく、「夜の謎の女」ならば謎の女らしく・・・e.t.c

 役者を見て瞬間で「本物」と見えないならば、演技以前に俳優としての意味がない。プロの俳優が映画や舞台で演じるということは、仲良しこよしの学芸会ではないのだ。若手の2流役者が演じると例え『真剣』であっても【竹光】にしか見えないと思う。一流のプロは【竹光】を『真剣』に見せる凄みがある。

 最近はニセ役者・製作者が多すぎて、映画やドラマは観るに耐えない駄作が多すぎます。薄っぺらな不味いスープで満足できると思われてるとは、視聴者もナメられたモノです。


盗用記事 → こちら 


いやいいんだけどさ。私の文章や記述情報はしょっちゅう盗用されているから。
しかし、文章コピペ転載のみならず、画像までまるごといただきってさぁ・・・。
出典を明らかにしているのならば、いくらでも使ってもらっていいけど、まるごと
コピペしてそれを自分の文章かのようにするのって、さすがにどうよ?
こういうの、ほんとに多い。

小説『傭兵代理店』なんて、俺が主人公の藤堂になっていたしよ~(苦笑)。
不埒者を木刀で成敗して骨折させる場面とその時の藤堂の細かい動作と台詞、
まったく丸ごと私の日記からの盗用だったし・・・。

「ラジオライフ」なんてのも出版物でまるまるまるごと私の「ベレーのかぶりかた」
(現在ドメイン更新手続き中で非表示)を画像ごとすべて盗用していたし。
また、『黄昏流星群』では、私の日記の描写がそのまま使われていて、私は
元全共闘の医師として登場していた(苦笑
他にも、週刊軍事図鑑で私のM16に関する記載がまるごと盗用されたり、
モデルガンの歴史を記載した私の解析と記述がネット百科で流用されたりとか・・・。
他にも、もう多すぎてさぁ(苦笑
信じがたかったのは私の歌詞が私が敬愛していたシンガーソングライターに
参考(?)にされてそれがTVドラマの主題歌になったりとか、俄かには信じがたい
ことがあったりとかしてさ(笑)。まさに「ありえない偶然」てやつでさ。


文章の転載はいいけど、さも自分が書いたようにというのはねぇ・・・。
やめてけろ。
自分の文章で勝負しようよ。自分自身が書いた文章で。いっぱしの男なら。
(引用はどんどんしてもらっても結構です。しかし、それをあたかも自分の創作
のようにふるまうのは、非常識以前に物を書く人としての良識の問題ですね)


(5月28日追記)
あ。削除してやがんの(≧∇≦)


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道場通い

2016年05月24日 | 内的独白



我が家では論語の素読と柔剣道が幼稚園年長組の頃から必須だった。
論語の素読などは、私は嫌で嫌でしかたなかったし、剣の打ち込みの
猿叫を聴いただけで幼き白井亨のように怖がって家に帰ると母に言い、
父に折檻されたりした。
論語も剣術も柔術も大嫌いだった。
成人して、古流土佐居合を始めた時、母方の祖母が涙して喜んだ。
私が本気になることが私が幼い頃から私の父の望みだったのだ、と。
父は私に剣とヤワラを身に着けさせたかったのだ。自身は講道館柔道
をやっていた。私は嫌々ながらも、剣道と柔道に近接する日々を送った。
嫌だから、学校の友人たちにも柔術剣術をやっていることは明かさなかった。
バスケットと水泳の選手でもあったが、柔剣道で練習を休む時には適当な
理由をつけて休んでいた。バスケも大好きだったが、水泳も好きで、小5
の時には横浜市で3位になっている。

私が通った柔道場は講道館柔道だけでなく古流天眞流を教えていた。
うちの家は剣は一刀流の家だが、父の兄の代で失伝継承消滅している。
戦前、父の長兄と次兄は剣を嗜んだが、戦前には次兄が大学ではかなり
遣えたようだ。

長兄は陸軍少尉だったが、一応剣は嗜むものの「得意ではない」と後年
の生前に語っていた。文系が得意だったようだ。残された昭和初期の伯父の
愛読書だった思想書を読むと、時代なりの趨勢が見えて今でも面白い。
伯父は時局により学校卒業後は満鉄に入社
した後に陸軍に入り中支に赴任
した。戦後復員後は市職員で公務員をやっていたが、90いくつで他界する
まで、一切竹刀を握ることはしなかった。
大陸で何があったのかは私は知らない。


家系で特徴的なことは、歴代、異様に手先が器用であるということだ。
もうこれは血のなせる業としか思えないほど。
代ごとに希釈されているだろうとはいえ、これはもうDNAに刷り込まれた
いにしえの血の遺産のように思える。
ヤットーはあまり得意ではない。私も剣術居合術は得意ではない。自分で
得意と言える程のものとは、超絶的な達人的領域にいる人たちが言うことだ。
私の剣技などは、児戯に等しい。

うちは軍略も得意ではなかったようで、鎌倉御家人の時代も、その後の城持ち
時代も、負けイクサばかりだった。
今の時代、普通の人になれて、幸せであると思っている。

現代社会に生きる私にとって、剣などは、単なる趣味の一つでしかない。
ルーツとしての血は切っても切り離せないとはいえども、現代社会で剣技など
は何の役にも立たない。
むしろ、「学ぶこと」、「学ぶ人の姿勢」に着目して何かを得て自分の人的形成
の未来に活かすことのほうが大切だ。剣技自体はまず直截には意味がない。
だからこそ、ニセモノや捏造ではない本物の求道(ぐどう)者の生きる姿勢から
学びたいと私自身は思っているのである。
ほなこれええからもろときまひょかのちょろまかしのええかっこしいは、私には
必要ないし無縁のことである。

他の人のことは知らない。人は人それぞれだ。私は存ぜぬ。

関連過去記事 → 柔道についての思い出


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吉田次郎氏によるD'Addario Nickel Bronze弦の特徴について

2016年05月20日 | 内的独白

吉田次郎氏によるD'Addario Nickel Bronze弦の特徴について


ニッケルブロンズ、キタ―ーーーーー!

俺の好きな弦はダダリオ。サスティーンが強すぎるけど。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/2a/fb2d35012eb0ccd03f62a2b0a6b54488.jpg?random=02fc57dc221fb292fb00898eac894486


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