渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

めでたい

2016年05月29日 | 内的独白

新潟の東北日本居合道大会で、游雲会メンバーの高段者が
三位に入賞したとの由。ご本人から連絡貰った。
嬉しいね。めでたいね。

ということで、愛で鯛。


会社の若い衆がきょうサクサクッと自分の船出して釣って来た。
こういうのはウハウハ釣れるんだから、瀬戸内海最高!

でも潮の流れが川のように早いから、源平合戦のようなことが
起きたりする。
くじら君もいっぱいいるだよ。
先日、会社の人に海に連れて行って貰った時には、座布団より
でかいエイがジャンプしてたよ。エイってジャンプするのね。
知らなかった。

もうね、タイもタコもばっこばこに獲れる。瀬戸内、なかなかいいよ♪


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研ぎスターターキット

2016年05月29日 | 内的独白



友人に研ぎスターターキットを作ってコンテナボックスに入れて送った。


これも同梱しておいた。秘伝書(^0^)
びっちり書いて全25ページ。びっちりといっても本当に概略しか書いて
ないけどさ。一応、私の特殊なやり方が書いてある。
私が研いだ包丁やナイフを使った人は、プロの料理人含めてみなさん
「え?」と言うのよね。それはスプリットセカンドの理論を投入している
研ぎだから。普通の研ぎではない。まあ、好評のようでなによりです。


(一部抜粋)






これはコピーの白黒版だが、これのカラープリント版を送った。

うを新に研ぎガイドブックのことを話したら、ひでーんだぜ。
「私はいらないです。貰うと『自分で研げ』とか言われてもう研いで
くれなくなりそうだから」だってさ〜(^^;
研いでも使わないくせに(笑

おらが精魂込めて研いだんだから使ってけろよ〜(苦笑
包丁も肥後守もよぉ〜。

彼に渡した私が研ぎあげた包丁について彼は、「体感したことのない
異次元の切れ味」と言っていた。

うを新に渡した和式包丁。私が独自の技法で研ぎ上げている。
出荷時はサンドブラストかけられて、さらに刃もアマアマだった。
下地研ぎから手掛けてスーパーウルトラスペシャル仕上げにした。


彼は見た目に似合わず、毎日家では料理作ってるんだよ。
まあ、見た目といっても魚屋だけどね、見た目は(^0^)
「うを新」という屋号は結構気に入っているみたいです。
刀にまで号銘で切ってもらおうかと言ってるくらいで。
あと100年後の人たち言うだろうなぁ。
「何だ?この銘は?!」と(笑

ということで、游雲会山陰メンバーのご所望の肥後守を研ぐかな。


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盗用記事 袋井市議

2016年05月25日 | 内的独白

ひで〜。
この市議の記事、まるまる私のブログ(ココログ。すでに閉鎖)からの盗用だ。

この部分。


《美しい立ち姿勢》とは
 横から見た姿でチェックして『美しい立ち姿勢』とは、横から見たときに「耳」「肩の中心」「くるぶし」が一直線になっている状態(写真右)。ねこ背になったり背中を反り過ぎたりしないよう、頭の上がピンと糸で引っ張られているイメージです。

 後ろ側の脚に重心を置き、前にずらした脚を軽く折った立ち方は、正面から見た際に脚がキレイに映ります。O脚が気になる方にも効果的な立ち方です。

 最近の若い女性でハイヒールを履くのは良いんですが、{アゴが出て、腰が落ちて、ガニ又}で 歩いている。
そうです「ゴリラ歩き」が増殖しています。美人が台無しです。「ゴリラ歩き」といって、上体を前にかがめ、腕を体の前で横に振って歩く女性がかなり見られます。腕を前後に振るようにして、両手の小指を伸ばすように意識すると、正しい歩き方ができるようになります。

《本物とニセモノ「武士の作法、所作」》


 

 幕末、異人警護のために集う幕府旗本。(遣い手が集められた。)


 刀(脇差)の差し方にご注目下さい。柄頭が上を向く落とし差しにしている侍は一人もいない。そんな差し方をすると、鞘のこじりが床に当たるし、大刀を抜いて切り下ろした時に脇差の柄が邪魔になって刀を振れないため。なお、立ち上がって大刀を差した際も、剣術上級者はなるべく地面と平行になるようにカンヌキに大刀を差す。脇差もカンヌキならば大刀もカンヌキ差しにする。

《中村主水役の藤田まこと氏
 時代劇に出演する俳優たちは、侍の役をやるならば、役者で食っている本職のプロとして、ただそこにいるだけで本物の侍に見えるような役作りの勉強をしてほしいと思います。昔の時代劇俳優はきちんと役を身近に引き寄せて役作りをしていました。


 完璧なカンヌキ差しであり、本物の侍の刀の差し方である。役づくりには、こういう正確な「本物」の再現が不可欠です。「兵士・警官」らしく、また、「板前」は板前らしく、「夜の謎の女」ならば謎の女らしく・・・e.t.c

 役者を見て瞬間で「本物」と見えないならば、演技以前に俳優としての意味がない。プロの俳優が映画や舞台で演じるということは、仲良しこよしの学芸会ではないのだ。若手の2流役者が演じると例え『真剣』であっても【竹光】にしか見えないと思う。一流のプロは【竹光】を『真剣』に見せる凄みがある。

 最近はニセ役者・製作者が多すぎて、映画やドラマは観るに耐えない駄作が多すぎます。薄っぺらな不味いスープで満足できると思われてるとは、視聴者もナメられたモノです。


盗用記事 → こちら 


いやいいんだけどさ。私の文章や記述情報はしょっちゅう盗用されているから。
しかし、文章コピペ転載のみならず、画像までまるごといただきってさぁ・・・。
出典を明らかにしているのならば、いくらでも使ってもらっていいけど、まるごと
コピペしてそれを自分の文章かのようにするのって、さすがにどうよ?
こういうの、ほんとに多い。

小説『傭兵代理店』なんて、俺が主人公の藤堂になっていたしよ〜(苦笑)。
不埒者を木刀で成敗して骨折させる場面とその時の藤堂の細かい動作と台詞、
まったく丸ごと私の日記からの盗用だったし・・・。

「ラジオライフ」なんてのも出版物でまるまるまるごと私の「ベレーのかぶりかた」
(現在ドメイン更新手続き中で非表示)を画像ごとすべて盗用していたし。
また、『黄昏流星群』では、私の日記の描写がそのまま使われていて、私は
元全共闘の医師として登場していた(苦笑
他にも、週刊軍事図鑑で私のM16に関する記載がまるごと盗用されたり、
モデルガンの歴史を記載した私の解析と記述がネット百科で流用されたりとか・・・。
他にも、もう多すぎてさぁ(苦笑
信じがたかったのは私の歌詞が私が敬愛していたシンガーソングライターに
参考(?)にされてそれがTVドラマの主題歌になったりとか、俄かには信じがたい
ことがあったりとかしてさ(笑)。まさに「ありえない偶然」てやつでさ。


文章の転載はいいけど、さも自分が書いたようにというのはねぇ・・・。
やめてけろ。
自分の文章で勝負しようよ。自分自身が書いた文章で。いっぱしの男なら。
(引用はどんどんしてもらっても結構です。しかし、それをあたかも自分の創作
のようにふるまうのは、非常識以前に物を書く人としての良識の問題ですね)


(5月28日追記)
あ。削除してやがんの(≧∇≦)


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道場通い

2016年05月24日 | 内的独白



我が家では論語の素読と柔剣道が幼稚園年長組の頃から必須だった。
論語の素読などは、私は嫌で嫌でしかたなかったし、剣の打ち込みの
猿叫を聴いただけで幼き白井亨のように怖がって家に帰ると母に言い、
父に折檻されたりした。
論語も剣術も柔術も大嫌いだった。
成人して、古流土佐居合を始めた時、母方の祖母が涙して喜んだ。
私が本気になることが私が幼い頃から私の父の望みだったのだ、と。
父は私に剣とヤワラを身に着けさせたかったのだ。自身は講道館柔道
をやっていた。私は嫌々ながらも、剣道と柔道に近接する日々を送った。
嫌だから、学校の友人たちにも柔術剣術をやっていることは明かさなかった。
バスケットと水泳の選手でもあったが、柔剣道で練習を休む時には適当な
理由をつけて休んでいた。バスケも大好きだったが、水泳も好きで、小5
の時には横浜市で3位になっている。

私が通った柔道場は講道館柔道だけでなく古流天眞流を教えていた。
こちら本物(笑
うちの家は剣は一刀流の家だが、父の兄の代で失伝継承消滅している。
戦前、父の長兄と次兄は剣を嗜んだが、戦前には次兄が大学ではかなり
遣えたようだ。

長兄は陸軍少尉だったが、一応剣は嗜むものの「得意ではない」と後年
の生前に語っていた。文系が得意だったようだ。残された昭和初期の伯父の
愛読書だった思想書を読むと、時代なりの趨勢が見えて今でも面白い。
伯父は時局により学校卒業後は満鉄に入社
した後に陸軍に入り中支に赴任
した。戦後復員後は市職員で公務員をやっていたが、90いくつで他界する
まで、一切竹刀を握ることはしなかった。
大陸で何があったのかは私は知らない。


家系で特徴的なことは、歴代、異様に手先が器用であるということだ。
もうこれは血のなせる業としか思えないほど。
代ごとに希釈されているだろうとはいえ、これはもうDNAに刷り込まれた
いにしえの血の遺産のように思える。
ヤットーはあまり得意ではない。私も剣術居合術は得意ではない。自分で
得意と言える程のものとは、超絶的な達人的領域にいる人たちが言うことだ。
私の剣技などは、児戯に等しい。

うちは軍略も得意ではなかったようで、鎌倉御家人の時代も、その後の城持ち
時代も、負けイクサばかりだった。
今の時代、普通の人になれて、幸せであると思っている。

現代社会に生きる私にとって、剣などは、単なる趣味の一つでしかない。
ルーツとしての血は切っても切り離せないとはいえども、現代社会で剣技など
は何の役にも立たない。
むしろ、「学ぶこと」、「学ぶ人の姿勢」に着目して何かを得て自分の人的形成
の未来に活かすことのほうが大切だ。剣技自体はまず直截には意味がない。
だからこそ、ニセモノや捏造ではない本物の求道(ぐどう)者の生きる姿勢から
学びたいと私自身は思っているのである。
ほなこれええからもろときまひょかのちょろまかしのええかっこしいは、私には
必要ないし無縁のことである。

他の人のことは知らない。人は人それぞれだ。私は存ぜぬ。

関連過去記事 → 柔道についての思い出


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吉田次郎氏によるD'Addario Nickel Bronze弦の特徴について

2016年05月20日 | 内的独白

吉田次郎氏によるD'Addario Nickel Bronze弦の特徴について


ニッケルブロンズ、キタ―ーーーーー!

俺の好きな弦はダダリオ。サスティーンが強すぎるけど。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/2a/fb2d35012eb0ccd03f62a2b0a6b54488.jpg?random=02fc57dc221fb292fb00898eac894486


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富士山見えず 〜きょうの東京〜

2016年05月20日 | 内的独白



きょうの東京の夕暮れ時。
シロシマの友人が東京に出張しているとのことで、スカイツリーから
撮影した画像をメールで送ってくれた。
あの東京タワーの下は愛宕界隈だが、私が以前勤めていた場所は
そこからすぐの虎ノ門だった。
江戸期には稲葉伊予守の屋敷があった。
現在は駐車場になっている(^^;

刀工小林康宏が生まれ育った場所はそこのごく近所だ。
旧町名を田村町といい、康宏は今では廃校になった明治10年創立の
新橋駅前の桜田小学校に通っていた。桜田小は生徒数の減少から
1991年に周辺小学校の統廃合により、長い歴史に幕を閉じて廃校と
なった。今は新設の御成門小学校に統合された。


新橋の桜田小学校跡地は現在は桜田公園となっている。
ここは江戸も江戸、江戸のど真ん中だ。ど真ん中は江戸城
だけどな(笑)。まあ、歩いてすぐ。


新橋駅前には烏森神社がある。日本の秋祭り発祥の地だ。


この神社裏の細い幾筋かの路地は、現在小料理屋が
ひしめき合っている。
江戸時代には花街、昭和の戦後は赤線地帯だった。
小学校の向かいが赤線(^^;
今でもその風情を残す建物がある。尾道の街中の遊郭街
に似ている。


ということで、東京は江戸なり。
なぜならば、戦災で丸焼けになったのに、道を多少拡幅
した程度で、道割はほとんど江戸期と変わっていない。
江戸-東京は江戸城を中心としてパリのように放射線状
に多数の道が伸びた街作りとなっている。
江戸時代には上水道のみならず下水道も一部地域では
完備されていた。
江戸市民は居住するのに無税。上下水道代も無料だった。
水道代は武士たちが負担していたからだ。

江戸時代の江戸って、医療が今ほど発達していなかった
ことだけ除けば、結構住みやすい街だったのではないか
なぁ・・・。

南方先生、これがペニシリンにござりまする。


江戸東京の街をゆっくりと歩くとね、こんな音が心に響いてくるんだ。
押尾さんの「約束」。
【HD】約束『Promises』PV☆ギター工房Odyssey☆押尾コータローCover


この人の演奏は本人の演奏よりも好きだったりする。
作者押尾さんよりも、この人の演奏のほうが約束を感じる。
これが心の中に響き渡る。
東京の街を歩いていると。








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フジヤマ

2016年05月20日 | 内的独白


(今年五月山梨県北杜市から友人撮影)

フジヤマ、アカギ、アサマといっても非合法組織のコードネーム
ではない。
本物の富士山のこと。
私は関東生まれの関東育ちなので、富士山はいつも東側
から見て育った。
だから富士山の左側には宝永火口がありピョコンと裾野が
出っ張っている富士をいつも見ていた。
ところが富士山の北側に回ると富士のすそ野はくっきりすっきりだ。
きっと、江戸時代宝永年間以前の江戸市民たちが見ていた
富士山の形もこんな形だったことだろう。

幼い頃から富士山を見て育った自分としては、10数年前に
西日本に生まれて初めて引っ越してきた時、富士が見えない
ことにとても違和感を感じた。言い知れない寂しさを感じた。
その時気づいた。
「ああ。東日本と西日本の人間は古代から別種だが、決定的な
違いは富士を見ていたかいないかだ」と。
西日本でもし仮に富士山が見えていたら香具山が霊峰ではなく
富士が崇められたであろうか。
答えは否だと思う。
理由は香具山は「荒ぶる山」ではないからだ。
「荒ぶる」ものこそヤマトにとっては脅威であり、忌避・排除の対象だった
からだ。
だが、私にとってはフジヤマこそが日本であった。

東日本と西日本は今でも別種であることは両地域にそれぞれ
実際に居住してみれば痛いほどよくわかる。
日本はまだ統一されていない。
生前、三島由紀夫さんは良いことを言っていた。

「我々の戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、
ひたすら肉体
­の安全無事を主張するが、魂や精神の生死を問わない
である。
社会は肉体の安全を保障しょうとするが、魂の安全を保障しはしない。」

造られた「権威」を暴力的に破壊するという一点においては、ミシマと
反日共系全学連・全共闘は精神的同一地平を共に獲得していた。

三島由紀夫 『自決の日』一週間前に収録された最後の言葉より


1969年、カナダのテレビ局による、三島由紀夫の貴重なインタビュー





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謎の物体発見

2016年05月18日 | 内的独白



高級模擬刀なんてもんではない。超高級(というか超高額)模擬刀だ。
消費税入れて総額57万240円。
ひょえ〜。
製造原価は一般模擬刀とさして変わらないのに。

こんな額出して、真剣ではなくレプリカを買う人いるんだ。ほえ〜。
てか、この価格で売るつもりなんだ。
金具などは誂えといっても、金工師の作ではなく現代新(あら)物の
鋳物だし、刀身はダイキャストなのにのぉ〜。
でもって、刀身画像は出さないけど、細直刃と書いてあるけど、全然
細直刃でもないし、正国の作風でもない。って、メッキ物だから写し
もへったくれもないんだけどね(^^;

完ぺきに日本刀のこと知らないド素人向けの商品のように思える。
もっとも、刀を持ってれば素人ではないということではない。

6万程でヤフオクで落札した小柄小刀を20万円で刀屋に下取り
希望としたり、ヤフオク価格65万の刀を80万で刀屋に下取り希望
を告げたりするトンデモ野郎が世間にはいたりする。
海千山千の刀屋にそういうこと一方的に告げている時点で、絶対に
精神的な病気であること確実(認識不能の症例)なのであるが、
世の中ほんっっっとに変な奴が多い。
例えば、私はよく仕事で毎日のように高速道を使うが、トンネルでは
7割方の車両がライトをつけていない。無灯火。てめえが見えていても、
他人さまからはおまえのことは見えないのだよ、ということがまったく
理解できていないオツムとなっている。そういう奴らばっかりだから、
小学校のように「トンネル内はライト点灯」が法的に義務付けられて
いるのに、それでもライトをつけない。
てなことを数日前に、ハンズフリーにして電話で友人と話しながら
運転していて、「あ、トンネルだ。数えてみるね」と無灯火車両を数えた。
私の前後7台走行している車両のうち、ライトを灯火しているのは私を
除いて1台のみだった。
最近よく判ってきたが、人の世というのは約3割ほどがまともな人たちで、
あとの7割方は道を外したり自分ルールでしか生きていないような
正真正銘のホゲタラばかりだね。いや、これはほんとに。

ある精神科医がこう言ってたよ。
「人が7人いたら必ず精神病者がいる。貴方の周りを見回してみると
いい。6人思い浮かべて、その人たちが普通だったら、貴方が精神病だ」
ここでの比率は1/7で正常ではないとされているが、病気までいかなく
とも、完璧に「おかしい」奴の比率は人間7〜8人いたらだいたい一人乃至
二人がまともで他はまともではないという率になりそうに思える。ほら、
トンネルの無灯火の例のように。
「いや、それはないでしょ」とか思うでしょ?
そういう時は、上述の精神科医がいうところの貴方がそれに該当して
いるのかもしれないよ。「病認の不能」というやつでね。
なにがどうなっているのかは、人間社会を俯瞰して冷静に見るとよく
見えるよ。

妻が昔面白いことを言っていた。
「居合やっている人って、変な人ばかり」と。
いや、それ違うんだな。
居合やってる人が変なのではなく、変な人が居合やるんだな。
これが案外真理だと思うよ。
まだ居合なんてまともなほうだよ。居合以外のフルコン系武術なんて、
あたま逝ってる?というのみたいのばかりだもの。
「私には上杉謙信が降臨してきた」とか突然言い出して名前を謙信に
変えちゃったりとか、「私には見える(by 丹波哲郎)」みたいなのとか
そんなんばっか。
ほら、第一、剣術や武術の流祖って、たいていは「神託を得た」みたいに
神社に参内していたら突然天の啓示があった、みたいなことを言い出して
いたのばかりでしょう?
頭おかしいって。
あれはですね、何かを継続的にやりすぎてですね、脳内麻薬のベータ
エンドルフィンが出て幻覚や幻聴が起きてるのよね。ようするにキ印
状態なわけ。健常ではないの。
そんなのを流祖とするのが武術の系譜なのだから、まともな奴がいる
わけがない。
菩提樹の下で別部族のガキたちにスボコにされながらも悟りを得た
みたいなこと言って宗教を興したのが大昔にいたけど、所詮は人間
なのだから。神ではない。人間が朦朧として夢想状態で作り上げた
概念世界をさもそれが宇宙の定理のように説いているだけなのだから。

まあ、私は妄想的なオカルティックなことは一切信用しない。
ただし、現実に存在する事象については認めている。
わけわからん円盤とかは確かに飛んでいるし、私も何度も見たし、カメラ
にも収めた。現実に航空機が飛んでいるようにうじゃうじゃ飛んでいる
のだから、そういうことはある物はあるとして認識している。
ただね、デムパはあかんと思うのよ、デムパは。

航空機の中から私がカメラに収めた謎の発光飛行物体 → こちら



地上から私がカメラに収めた徳島空港上空の謎の発光飛行連隊 → こちら


クリックで拡大




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NASAが宇宙空間でカメラに収めた謎の飛行物体
 ↓ 現在地球の周りにウヨウヨ飛んでいるクラゲタイプ。


月面上空を飛行する謎の飛行物体。

 


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死後離婚

2016年05月17日 | 内的独白

昨日、会社の執行役員と同行出張の際、車中において役員が言う。
「最近、『死後離婚』というのが流行ってるんだって」と。
「?」と思った。
死後離婚という制度は存在しない。
配偶者死亡により婚姻関係は消滅しているのだから、離婚などは
成立しようがない。

しかし、婚姻関係の解消において、配偶者死亡の場合に生存配偶者
の意思の扱いについての規定が民法と戸籍法にあったなぁと思い出した。
(もうすっかり忘れてる。笑)

これのことですね。→ こちら

民法第728条(離婚等による婚姻関係の終了)
1.婚姻関係は、離婚によって終了する。
2.夫婦の一方が死亡した場合において、生存配偶者が婚姻関係を
終了させる意思を表示したときも、前項と同様とする。

戸籍法第96条
民法第728条第2項の規定によって婚姻関係を終了させる意思を
表示しようとする者は、死亡した配偶者の氏名、本籍及び死亡の
年月日を届出に記載して、その旨を届け出なければならない。

つまり、婚姻関係の終了原因についてのことですね。
「三親等内の姻族」に親族関係が発生することは民法第725条3号に
「三  三親等内の姻族」として規定がありますが、姻族関係が終了する
と、民法728条2項の規定により親族関係も終了するということです。
生存配偶者の意思如何ですが。

つまり配偶者(夫か妻)は配偶者遺族とは他人になる。
まあ、血族は血脈で「同族」ですが、配偶者の血縁関係は姻族であり
他人ですから(^^;
他人同士が親族となるのだから、夫婦というのは一緒にやっていくのが
大変なのよ。
いつでも「関係を絶てる」というのが前提にあるから。親子兄弟では
ないのだから。(親子でも特別養子など、一部完全に法律的な実親子
関係を絶つ方法はある)


一時期、バブルの1980年代末期の頃だったか、プロポーズの言葉
として「一緒に墓に入ろう」というのがあった。これ、結構流行ったみたい。
私はそのような言葉を妻にはかけなかった。
だってねぇ・・・。おれ、考えたらプロポーズしてないし(笑
知り合ったのは互いに10代の頃だったので、友人のままそのまま
ずっと今まで来ているような感覚が互いにある。
ただ、コースを走っている時、ピットからサインボード出してくれていた
時は、その時、その瞬間、その頃には何も感じなかったけど、今考えると
それはとても嬉しいことだ。
互いの関係性の原点はそこらへんにあるように思える。
パートナーだ。同じ船に乗り込んでいる。
それがアルカディアかどうかは解らないが。
泥の船だったりして(苦笑

まあ、死後のことは生きてないので認識できない。
不知、てやつだな。
生きていればのものだね、だねってね。
夫婦と親子は仲良くやっていくのが一番いい。
うまくやっていけるかどうかというのは、人間性の問題だと思うよ。
特に夫婦の場合、自己主張や自己欲求、自己の要望ばかりを相手に
求めるとまずうまくいかない。うまくいかない原因は大抵はこれ。
とことん膝詰めで「話し合う」ことができなかったり、話さずとも互いに
認め合ったりする素地がないと夫婦関係なんてのは継続できない。
まあ、しゃっちょこばらずに、気楽に自然にやっていけないとね。
うちの場合、夫婦関係でも、親子(私と私の子)の場合も、押し付け的な
「厳格さ」や「自分の勝手な希望」は一切拒否している。

ただし、子に躾はした。私が父から為された正座をさせて論語の素読を
させるというような方式は一切否定した。小学校低学年なのに剛速球を
投げて取れなかったら打擲しながらも取らせる、というような私の父の
方式はすべて否定した。
娘が剣道の試合で対戦者に足を踏まれて(わざと足を狙って何度も踏んで
くる相手)、相手に「この野郎!」と怒鳴って突き飛ばした時、武道館の
指導者に一筆書いて、剣道稽古を数か月停止させ、謹慎させた。
彼女は大好きで命だった剣道をやれないことが辛かっただろうが、自分の
言動如何によって制裁的措置が下されることがあるということを社会の
構成員としてローティーンの彼女には教える必要があった。
そして、剣持つ者の在り方として自己検証させるべく、反省文を書かせて、
自己批判と自己総括をさせた。「なにがどうであるのか」を話し合って
理解してもらった。訓戒の押し付けではなく、あくまで「話し合い」で自分
の頭で考える、ということをしてもらった。なぜだ、どうしてだ、と。
あくまで刃が自分に向く形で。
謹慎解除後の彼女は試合でもどんどん勝てた。姑息な手段で勝ちを
収めるのではなく、勝つ為にはルールを無視してもよいとする潮流
には乗らないことで、彼女は澄んだ「剣道」を行なうことによってどんどん
勝った。
気付くと、県代表で北ノ丸日本武道館での全国大会に2年連続出場で
出場していた。
20歳になった時、娘が「今まで育ててくれてありがとう」とメールを送って
来た。娘がそんな言葉を発するのは初めてだったが、社会的な責任性を
法的にも問われる成人となり、思うところがあったのだろうと思う。

人は、「乗る船」がどれかの問題だと思う。




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ウインドブレーカー

2016年05月15日 | 内的独白



ヤマハ純正のこれ、なんだかとてもカコイイ。
と思ったら
定価11,000円(^^;
ほげ〜。買わない、てか買えないっすですよ〜だ(笑

おいらのお気に入りの980円のウインドブレーカーと
かなり金額違うなぁ(≧▽≦)
でも、気に入ってるからこれでいいのさ。

直紀先生がちっこいのではありません。20センチ以上の坂の下にいるんです(^^;


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謎の痛・・・

2016年05月14日 | 内的独白
すげーの見かけた。


これはただのイタ車の系統とも違うぞ。
車から降りてきたのは、あたしより明らかに年上の60がらみのおっさん
だった。
しかも、車と同じ柄をプリントしたヨレヨレのTシャツをベローンと着て
寝起きのように髪があちこち逆立っていた。
表現の自由が認められた世界にはいろんな人がいる(^_^;)

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テンパーカラー

2016年05月14日 | 内的独白


魚屋うを新とゆんべ話していて彼は言った。
「テンパーカラーなんて、久々に聞いた」と。
彼は現在は太刀魚を専門に売る魚屋だが、刀が好きで脱サラして刀の世界
に入った。前職は金属屋だ。それもブリネルやヴィッカースやロックウェル
等々の単語とは切っても切り離せないバネ鋼の検査員をやっていた。結構
大きな会社で、そこで大切な製品の検査を任されていた。
鉄絡みで日本刀を生業とする世界に入ったのではなく、元々日本刀が大好き
でしかたなかったクチなのだという。
病コウコウに、というやつだろう。

フォージドのカラーとテンパリングのカラー。
金属加工に温度管理は欠かせない。
日本刀においても、焼きなまし、焼きならし、焼き入れ、焼き戻しを正確に
行わないと刀にならない。
カタチだけ日本刀に似せても、適切な熱処理を行わない造形物は刀とは呼べ
ない。

俺の天パーカラーは茶褐色だった。
洗い髪だと髪がクルクルパーの鳥の巣なので、高校の時にはロケンローな
生き方とは別にしてグリースが欠かせなかった。天然パーマの上、髪が赤
過ぎるからだ。油をさせば黒くなる。
これがホントのテンパーカラー(笑

それと、よく世間には「俺の目が黒いうちは」なんて言葉があるが、俺の
目、黒くないし(≧∇≦)
他の人よりアンバーであるだけでなく、肉眼で近くで見てもらうと判る
が(女性限定)、瞳の周りは青い。
日本人の東北地方の人の中にたまにいる瞳が白人と同じ全青とまでいかなく
とも青みがかっている。


瞳自体が明るいアンバーカラーの人というのは日本人の中にも時々いる。
三島由紀夫先生も極端なアンバーアイだった。しかも天パー(^_^;)


アンバーシャダイは血筋が良い駿馬だったが、人間の場合、明るいアンバーアイ
だからと血筋や素行が良いとは限ら
ない(笑


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辿りつけなかった俺

2016年05月14日 | 内的独白


仕事で四国からの帰り、家まであと数キロという地点で猛烈な睡魔に
襲われた。
眠気を覚まそうと、映画ワイルドギースのDVDを流して大音量で銃撃シーン
を車内に響かせたが駄目だった。
走行が危うくなったため、かろうじて海沿いのコンビニ駐車場に滑り込み、
銃撃音を枕に2秒で眠った。

夜明け後に起きたら、コンビニ裏の海では小型船舶が沢山釣りをしていた。


なるほどねー!
ここ、釣り場だったのね!
今度、朝まづめの潮見計らって、このコンビニ裏から竿投げたろ。
何が釣れるのか。やはり鯛か?

三原の海では江戸時代から鯛と蛸が湧くように取れました。一時鯛が全く
獲れなくなりましたが、四国で放流している鯛が定着繁殖して、三原沖まで
回流し、往古のように現在では大量に鯛が獲れます。
会社帰りに30分だけ船で竿出ししただけで、過日も6尾の真鯛が揚がったり
しています。
私個人は本物正真天然物のためクロダイが好きなのですが、地元の方は
クロダイと真鯛ではクロダイなどは雑魚として扱っているようです。

でも、味でいったら、私は一番好きなのはカサゴかな。
釣りの面白さでいったら、攻める釣りのアイナメだ。
鯛釣りってね、どちらかというと馬鹿釣りみたいで、ただ落とせば釣れ
ちゃうのよね。技術も何もない。
まだ、春先の埠頭からのルアーでのメバル狙いのほうがテクが要るから
面白いよ。
そして、一番釣れない釣りが渓流でのフライフィッシングなので、私は
フライフィッシングだけは別格に捉えている。
私は釣り全般が好きでその中にフライがあるのではなく、渓流でのフライ
フィッシングだけは独立して別物と捉えている。
よく云われる。
エサ釣りの釣果を10とすると、ルアーは6でフライは3だ、と。
それほどフライは釣れない。
ただ、私は釣る。エサマンより釣る。
フライフィッシングというのは、戦略と戦術の粋なので、徹底的に研究と
正しい実践を重ねることによってエサよりも釣れるようになる。
私の年間釣行回数は80日だった。
初めからシングルホールを無意識で使っていたが、訓練によりダブルホール
をすぐにマスターしてフルラインキャストができるようになった。
訓練は公園の芝生の上で7番ロッドにフックの無いフライで始め、徐々に番手
を落として定番手でもフルラインキャストができるようになった(物理的限界
から4-5まで)。
また、ありとあらゆるキャストを訓練でマスターして、ロッドアクションを
自在に操る「刀術」を身につけた。
そしてマスの生態と、地形と地質と毛鉤による摂餌との関係性を実践を通し
て徹底的に研究した。釣れない訳がない。
気づくと、いつしか人が釣れなかったポイントでも魚がいれば必ず釣り
揚げる竿抜け練達の域に達していた。

研究し、何がどうなのかを見極めない者にフライフィッシングはできない。
釣りにならないからだ。
原因と結果と対策を分析解析できない者に、魚影の薄い渓流でのフライ
フィッシングは無理だ。できない。
自己満足の自己中心的な思考回路しか持たない者にはフライフィッシング
は不可能なのである。
せいぜい、マスに見切られて全く相手にされなずにみじめな結果となるのが
オチだ。
マスに相手にされない者は、大抵人間社会でも相手にされない。
それは、己こそ唯一絶対正しいとして傲岸に振る舞い、自己検証を厳格に
行なって思考と行動とを改める人としての知的能力が欠落しているからだ。
誰もそんな人間は相手にしない。

ただ、フライフィッシングというのは釣り上げたマスの数を競うものでは
なく、釣りそのものを楽しむスポーツフィッシングなので、釣果という
ものは、「自分がどれほど満足できたか」だ。
私などは日によっては1尾釣れたら満足して釣り揚げるのをやめ、鉤のフック
を折った物に巻いたフライで魚に遊んで貰ったりさえしていた。
釣り揚げるのも私は常に鉤のカエシのないバーブレスを常用していた。
通常、釣りといえば魚がバレないように鉤にカエシのある物を使う。
私はバレ易いカエシなしの鉤であえて釣っていた。そのほうが難しいし、
高度な技術が必要だからだ。
魚を獲るのが目的ではない。自分で巻いた疑似餌である毛鉤で、知能の
高いマスたちと駆け引きをするのが目的だからだ。
だから、私にとってフライフィッシングは魚との試合のようなものだった。
それゆえ、マスには最大の敬意を払った。
獲って殺して食うのが主目的ではないので、私のアプローチは本当の意味
でのスポーツフィッシングだったと思う。

ただし、殺して食うという人間の行為から目を逸らすのは誤りだ。
また、「釣ったら必ず食え。それが供養だ」というのも誤りだ。
人は人の都合で行為を為すだけである。
釣ったら必ず食え論ならば、ヘラブナや金魚も食えと言いたい。
また、フグや小サメも釣れたらすべて食えと言いたい。向こうは命がけ
なのだから、こちらも命がけですべて毒魚も食ってみろ、と。
結局、釣ったら絶対に食え論者は毒魚は食わないのであるから、捨てる
なり逃がすなりしている。
要するに、人間の都合で判断して行為を為している。
それゆえ、資源確保と己の楽しみのために魚に遊んで貰っているリリース
を軸に置くスポーツフィッシングを批判したりはできないという論理構造
の中に「釣ったら絶対に食え」派もいる。
そうした自己矛盾に目をつむって他人に歪んだ自論を強要する欺瞞に満ちた
偽善者たちが私は大嫌いなので、「釣ったら絶対に食え」論の奴とは私は
口をきかない。
そして、まず大抵は、「釣ったら絶対に食え」と言う奴らは釣りを自ら
しない。自らエサに触れたり、毛鉤を巻いたり、暑い日中に沢を登ったり、
寒風の中海に出たりはしない。
すべては、安全地帯に自分の身を置いて何かを分別顔でわめいている。
それは外野の雑音でしかない。
仮に釣りをしていてそのようなことを言っているとしたら、15センチ以下
の魚は放流すべしとの内水面漁協規則さえ知らないか、知っても獲って
いる密漁者である。
つまり、世の中には「要らない」人間たちであるのだ。


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同志との別れ(笑

2016年05月12日 | 内的独白


あの川西の牛シャブ屋で、あの新橋の焼鳥屋で、あの六本木の
バーで、「全日本10分の1トン倶楽部」の名誉会員になろうと
堅く
誓い合ったのに、スマートなあちらの世界へ戻って行って
しまった同志M。


くっそ〜。
俺はもっと食ってやるんだぜっ。
もっとまんまるになって、アドバルーンみたいになってやるっ。


「満腹になるために食うのではない。戦闘力を維持するために食う」
ですって?
誰ですか?そんなこと言ってたのは?(^^;
忘れたわい。


 


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とんこつ醤油ラーメン

2016年05月12日 | 内的独白


これ・・・。店舗は明かさない。
広島市内の遊山のほうが100倍美味い。
何が違うのか。
これは、マー油入りといっても、広島の遊山とは全く似て非なるもの。
比較はよくないとはいえ、良い物を知ると至らない物は即座にわかる。

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