渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

娘からの連絡

2016年07月24日 | 内的独白



娘から「マックがおる」とラインメールが来たので、「マクドナルド?」と
思ったらこの人だった。


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高所恐怖症

2016年07月24日 | 内的独白

妻は高所恐怖症である。
それも半端ない高所恐怖症で、ジャングルジムにさえ登れない。
運動神経は良いほうなのだが(卓球は私はかなわない)。

「よくバイクとか、後ろに乗ってて大丈夫だったね」と訊くと、
オートバイの速度は大丈夫なのだという。
ええ~と思った。峠でも結構寝かせていたよ、おれ(笑
峠であれはジェットコースターのようなもんだと思うけど・・・。

「それよりもスピードよく出すよね」と妻は言う。
「は?」と問い返すと、「二人乗りなのに〇〇バイパスで160とか
出してたじゃない」と。
「はて・・・。私は交通違反はしたことありませんが」と言うと、
「ふ~ん」とのことだった。

私も高いところは苦手だ。
ただ、不思議なもので、下が自然だとあまり恐怖感はない。
下が人造構造物だったりしたら、極度に高所恐怖症になる。
たとえば木登りなどは全然平気だし、登山での頂なども注意はするが
足がすくむことはない。
それが、下がコンクリートだったりすると一気に恐怖心を覚える。

それでも、こういうところに好んで行くやつぁ、ばかかと思うよ(苦笑





こういうのは完全に頭がおかしいとしか思えない(^^;




昔ね、キャンパスで真夜中にシュミレーションゲームをやったのね。
本物の命のやりとりではなくあくまでゲーム。体操みたいなもん。

H館という高層ビルがあって、おいらはそこの屋上に密かに登ったの。
まだ土の地面と植え込みがジャングルのようにあった時代のことだ。
下を見ると、そーっと木陰や地面に隠れながら移動している「敵兵」が
いる。
俺は
H館の屋上から暗闇の中に少年マガジンを投げ落としてやった。
あれ、バサバサバサーッと物凄い音がして落ちて行くのよ。
下の「敵兵」は、「うわぁああああ~~~!」と大声出しながらびっくりして
地面を這う
ように数名が散り散りに猛スピードで逃げて行った。
ひっひっひ。作戦成功。こういうのは一度しか使えない。

とか思ったら、下りのエレベーターの電源止めやがった。ゲリラってのは
やるね。

仕方ないから外付けの非常階段であの高層ビルを降りたけど、そこ、以前
非常階段から飛び降り自殺した奴
がいて、そいつの影らしき正体不明の物が
夜な夜な出ていたところなんだよなぁ・・・。

あと、図書館裏とかさぁ。夜には変な影がフワ~ッと動いているし、もっと
凄いのは孫悟空のキントウンのような薄青く半光りの塊が街灯の周りを
フワフワと漂ってたりとかね。
その変な雲は同志全員で見た。
図書館でも吹き抜けのところを動く歩道に乗ってるようにスーッと真横に
移動する白い服の女が窓の外から見えたりとか、Gホールという学生会館
は屋上に上がれない
筈なのになんだかおっさんがニューッと顔半分出して
下を見てたりとかね。

まあ、元海軍墓地だったから何でもあるだろうけど、あまりに出すぎるので
そのうち「またか」なんてことで、誰も怖がらなくなった。
元々おいら自身はそういうのに一切恐怖を感じたことはない。
なんというか、冗談ではなく「あまり出てきて惑わすと成敗するぞ」という
ような気持ちが子どもの頃から強くあった。突然出てきたら驚きはするが、
「せん滅しちゃうよ」という気持ちのほうが強かった。
でも俺が死んだら出てきて現世の人間をからかってやろうかと思ってる。


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DNAの記憶

2016年07月23日 | 内的独白



昔からなぜこの色に異様に惹かれるのか自分でも不思議だった。
あ!と気付いた。
血の記憶だったのだ。



紫でもない。青でもない。その中間色でもない。
溶け合った色ではなく、溶け合う色。
これは我が血に流れるファミリークレストマークの色だったのだ。




自然の中に見る竜胆色とはこういう色。


「竜胆色の空であった。」
これで一つの小説の出だしが書けそうだ。
いや、「竜胆色の風が流れていた。」のほうがいいかも知れない(笑)。
出だしってね、とんでもなく大切なのよね。

 


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シフトノブと雑感

2016年07月22日 | 内的独白



これ、使いづらいと思う(笑)

私が一番使い勝手が良いなと今でも思っているのは、小さな
ビリヤードボールのようなヘッドを持ったこのシフトノブだ。


私が四輪車の免許を取りに行った時、教習所の指導員が驚く。
「車の運転したことあるの?」
私は答える。
「いいえ、一度も。なぜですか?」
指導員は言下に言った。
「絶対嘘だ。すべて出来ている」

その通りだ。実は教習官が言うように嘘である。
私は12歳の時から車の運転が完璧にできた。理由は仕組みから
何まで「適正」に習ったからだ。

「あれ?車替えたの?」と父に訊くと「ああ」とだけ父は答えた。
「なんか変な緑色」と思った。



ソレックスツインのTE27が奏でる咆哮はそれまでの車と
まるで違って聞こえた。
これで運転を覚えたという小学生(違法です)。
ずっと後年、『頭文字D』が連載された時、「フフッ」と
思わず笑った。へ~。こんなことがあるんだ、と他人事の
ように。

翌年、1973年11月、アメリカのプレスオン・リガードレス・
ラリーでW.ボイスが、カローラ(TE20)で優勝を収め、
トヨタは初めてWRC(世界ラリー選手権)で優勝をもぎとった。


私はオートバイよりも四輪車のほうの運転を先に覚えた。
オートバイの運転を覚えたのは中1の時だった。
これは法事で出かけた広島の家の敷地内で覚えた。
敷地内が宅地造成され、そこでホンダのスーパーカブを
後輪滑らしながら「おもしろい~」と乗っていたのだが、
警察官がやってきて「免許証を見せなさい」と言った。
「ない」と言うと歳を訊かれ、「13歳」と言うと「はぁ?」
警察官が言う。私は中2の始めに身長の伸びは止まった。
当時中1で174cm近くというのはとても背が高いほうだった。
中学ではバスケをやっていた(剣道部での活動は趣味程度)。
背が高かったので成人と思ったのかも知れないが、どうも
様子がおかしいぞということで警官は免許提示を求めた
のかもしれない。

すぐに叔母が出てきてその場で対応してくれて、自由に
出入りできる造作だが敷地内であることも告げて何とか
事なきを
得た。(本来は、塀で囲み外部と遮断された地面
の上でしか免許なしでは運転してはならないという法律が
ある)
しかし、中学の時にはバイクにはまった。

実際のリターンギア付バイクでの運転は先輩のヤマハのミニ
トレ
で覚えた。ペペンペンペンと可愛いバイクだった。
16歳になってすぐに「合法的」に自動二輪の免許を取りに
教習所に行った。


ここで困ったことが起きた。
完璧にシフトチェンジをリターン式で体に覚え込ませていたので、
教習所の一番最初の実技教習の時にロータリー式の教習車の
シフトアップと
ダウンを何度も間違えたからだ。
これには教習所に見に来ていた高校の仲間たちが大爆笑していた。
「お前、無免の時よりなんで下手になってるの?」と。
実技二時限目からはリターン式バイクに乗ったので何の問題も
なかった。

その後、ロードレース専用車に乗る時にまた困った。レーシング
マシンは、一般公道車とはシフトパターンが逆だったからだ。
リターン式で逆シフトパターンとなっているのがレース専用車だ。
これは深いバンク中にシフトアップする必要があるので、バンク中
にはシフトペダルの下に足を入れられないので踏み込みでシフト
アップする逆パターンとなっているのがレーサーの常識だったので
ある。

だから私はバックステップを装着した一般公道車はすべてシフト
パターンをレーサーと同じように逆にしていた。
実際に車を走らせると、頭でいちいち「ここでシフトダウンして」
などと考えてはいない。シフトダウンはシフトペダルを掻き上げる
ということが体に染みついている。
ヤマハのRZ350などは社外品バックステップを装着しなくとも
ギアロッドからシフトリンクロッドが伸びている方式なので、ロッド
の向きを逆にすれば
逆シフトパターンにすぐできてとても便利だった
のだが、スズキの
RGガンマはシフトペダルがギアロッドにダイレクト
装着だった
ので、社外品バックステップを新たに装着する必要があり、
スズキ
RGガンマの未完成さが現れていた。レーサーレプリカと
いっても、あくまで「のようなもの」の域を超えなかったのが初代
ガンマだった。タイヤもなぜ前輪だけミシュ
ランなんだよとも思ったが、
あれはあの16インチ前輪に合うタイヤ
がなかったのと、少しだけ
グランプリ風味を入れることで販売台数
向上を狙ったのだろう。

ということで、四輪車のシフトノブは、私は今でもあのキャン玉の
ようなカローラレビンのヘッドが個人的には好きである。コブラの
頭みたいな
形になって以降の物はタッチとしても好きになれなかった。

会社の若い衆がR33からR34に乗り換えた時、「へぇ~、いいね」と
少し峠を
走らせてもらった。
普通にヒール&トゥをして普通にクイックリーに走らせていたら
とんでもなく驚いていた。
きっとただのおっさんくらいに思っていたのだろう。
最近、ちょうど彼がその頃の私の歳になったので訊いてみた。
「どう?当時の俺と同じ歳になった感想は」と。
「いや、まったく中身は変わらないですね」と彼は照れたように
言う。


そうなのだ。肉体は衰えるが、脳は衰えない。
つまり、マインドはいつでも「当時」のままなのだ。
私などは28歳時から精神年齢はストップしている(苦笑
いや、カミユと出会った16歳の時からかも(笑
同級生の女友だちと飲むと今でもよく言われる。
「なんだか、生活感ないよね。若いよね~、気が」と。
分別臭いことをのたまわって、動きもじじくさいじじいになる
くらいなら死んだ方がいい。
あと、「家族サービス」とか馬鹿なこと言ってる連中ね。
ああいうのだけにはなりたくないし、なるつもりはさらさらない。
さんざん外で働いて稼いできて何が家族サービスか。休日には
骨休めしてこっちがサービスしてもらいたいくらいだ。
それに、「家族サービス」などと称してたまの休日に義務的に
家族とつきあうのか?
本気で、「ばっかじゃね?」とか思っている。
家族は常に共にあり、だ。
そして、私は、休日を妻子と過ごすことを「特別日」のように
要請するような者とは結婚していない。
妻との関係は、私がコースを走り、ピットでサインボードを出して
くれていたあの頃と何らひとつも変わっていない。
また逆に、妻が打ちこむことがあるのなら、全面的に支援したい。
たった今いる場所が違っても、夫婦は常に共にいる。
これは私が仮に外国航路の船員だろうと、南極隊員だろうと、海外で
戦闘任務に就く者だろうと、何ら変わらないことだろう。
家族はチームだ。特に夫婦は赤の他人同士が力を合わせて共に歩む
チームだ。
同じ目的を持つチームメイト同士で仲間割れなど起きようがない。
起きるとしたら、自分ひとりで何でもできるとどちらかが勘違い
しているからだ。一本の細い糸で吊り橋は支えられない。

レースというすべてを犠牲にしないと成立しないような過酷で熾烈
なモータースポーツの世界も、スポーツであることの健全さをレース
というものは強く持っているので、そうした「人と人がどうつき合うか」
という大切なことを教えてくれる。
武道や武術というのは、その点はスポーツ性を敬遠する傾向がある
だけに弱い。とても立ち位置が弱い。弱いことを知らしめるのが武術・
武道の世界なのに、それに気づかない人が多い。
武術・武道そのものが立ち位置が弱いことを知り、己の弱さを自覚して
克服することが獲得眼目であるのに、何を取り違えたのか己が強くなる
ことが武術・武道の目標であると大きな勘違いをしている人間が実に
多い。そうした発想をする時点ですでに心の弱さに負けている。
私はスポーツをやる人間よりも武術・武道をやっている人間のほうが
人間形成の道からかなり遠い位置にあると思う。物理的にそうなのに、
自ら望んでさらに遠い位置に自分を追いやろうと勘違いしている人
だらけであるという残念な現実が不思議でしかたない。
一般スポーツよりも、よほど人間的に中身がしっかりしていないと
人間が歪みやすいジャンルが武術・武道の世界だと痛感している。
でなくば、武術・武道の世界でこれほど「俺様大将」ばかりが
大挙して勢ぞろいで、人を陥れて自分の利を得ようとする者たち
ばかりなのか説明がつかない。
そもそもが武術などは他者撃滅により己が生き残ることが発生の
原初であるから、そうした自己中心のダークサイドに陥り易い構造に
あるのは容易に理解が及ぶが、それにしても心がすさんでいる人
たちのなんと多いことよ。
私ごときが偉そうなことは言えないが、私はそうした状況は「人、
これ未熟なり」と思う。

しゃっちょこばったことを考えずに、のほほ~んと楽しいことを
考えればいいのだろうにと思う。
武技といってもねぇ・・・。人間いつ石につまづいて死ぬかもわから
ないんだよね。そんなもん。
だから、いつ死んでも悔いなく生きて行こうぜ!てのが武術・武道
から学ぶ本旨なのではないかなぁ。

ただ、私個人が強く思うこととしては、人は人が死ぬ時に何を思うのか
ということだ。
人は人が生まれる時には皆笑うのに。
外的圧力によって人に死を強制することに対しては、私は一切拒否
する。
人に死を強制するところに一切の正義は存在しないと確信している。
人を殺してはいけないし、自分が自分で死を選んでもいけない。
そんな権利は人間には与えられていないと思うのだ。


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似たような人はいるものだ

2016年07月21日 | 内的独白



世の中、似た人というものはいるものだ。
刀工小林康宏友の会「游雲会」が出来る前からの友人がいる。
仮に名を「いがきち」としとこう。
彼は私の地元の撞球仲間の友人となぜかそっくりという偶然が
あるのだが、今回の話はそれではない。
そのいがきちも私同様、ガキンチョの時にはスラスラスイスイ~
とカートを走らせていたというのだ。
いるんだよなぁ、そういう人。

以下、送られてきたメールを紹介したいと思う。(本人承諾済み)

「日記にあったゴーカートの記事ですけど、おいらが小さいころも
近くのサンコーという3階建てのさいか屋みたいなお店の屋上に
やっぱりありました。渓流さんもそうだったみたいですが、私も
他の子供がガンガンとぶつかっている中を、スイスイ運転していた
ものです。保育園では、3輪車レースで一番速かったので、感覚が
発達していたのかも。(^o^)

そういえば前の会社にいたころ、もう6,7年前かな。バンコックへ
出張へ行ったんですが、その際にチームに分かれてゴーカートレース
をするという、「チームビルディング」と名打ったアクティビティー
がありました。
下記リンクがその場所。
 
おいらたちが乗ったのは、270ccでmax 60km/hでるという車
でした。
かなり速く感じましたよ。
 
最初は様子をみながらゆっくりめで走っていたのですが、オースト
ラリアのオフィスから来ていたダニー(仮名)っていうやつが、
なんでもオーストラリアでも同様な場所があるらしく、慣れていて
一番速く、後ろからスパっと抜いていったのです。各チーム4名で、
合計6チーム、各ドライバー3週づつ、それを3回ターンします。
抜かれて火がついたおいらは、2回目のターン2週目では車にも
コースにも慣れたので、そこからはアクセル全開、各コーナー後輪
を滑らし逆ハン切って抜けて行き、そのダニーと最速ラップを競い、
とうとうおいらの方がファステストラップ。終わったあとにダニー
(仮名)が握手してきて、日本でもやっているのかと言うから、
ゴーカートは子供の時依頼だといったらちょー驚いていたのを
思い出しました。あれは面白かったです。タイヤを滑らしなが
らコーナーを抜けていく感覚がたまらんかった。
フル装備なので、めっちゃくちゃ汗だくになったけど。
                       いがきち

おもろいす(^-^)
一発、見せてやったねい?

それと、こういうコースが日本でもあれば面白いのになぁとか
思う。
たしかバブルの頃は都内のどこだったか(都下だったか)に
あったが、あれも今はどうなったことか。

このいがきちとは妙に馬が合うというかソリが合う。
趣味などに関する好みも刀からバイクまで含めてほぼ共通して
いるという重なり。
ただ、私は彼ほど英語をネイティブ並みには話せない。
私のは、なんての?そう、ターザンのようなもんだ(笑
「ターザン、行く」みたいな(笑
地元の撞球仲間といがきちがよく似ているというのは、地元の
仲間も英語ネイティブ並み(その男のところに連れて行った
カナダ人が「僕より英語が上手い」と言ってた)なのだが、
それとは別に、話し方や仕草がクリソツなんだよなぁ。
イングリッシュのネイティブスピーカー並みという人は、
仕草が似てくるのかしらね。
でも俺は独自路線で行くよ。
「馳走になろう」みたいな(笑


(当社比)

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工作室

2016年07月19日 | 内的独白



犬2匹と猫6匹とカメを連れて妻子と共に実家を出た時、新築分譲マンションが
完成するまで
市内に一軒家を借りて住んでいた。
その一軒家の庭には、物置小屋というには豪華で、離れというには粗末な
ちょっとした小屋があった。
これは魅力だった。
私はそこを工作室にして、大いにいろいろな物を作った。主として工作機器を
ここに設置してのナイフ作りだったが。


庭付き戸建の借家だったが、他にもいいなと思ったのは、音楽室があったことだ。
扉も窓も完全防音になっている。
壁は昔の小学校の音楽室のように穴の開いたパネル(名称知らない)が貼られて
おり、天井の形状は音が集中(拡散?)するように平らではなく屋根型になって
いた。
この部屋はかなり気に入って、ここにピアノやギターなどを置いた。

短い期間だったが、この一軒家で家族3人+9匹で住んだ期間は、家族の歴史で
一番幸せだったように思える。
小学2年だった娘は、そこから大手門跡にある広島大学附属小学校までバス
に乗って一人で通っていた。

約1年後に学校の向かいにできたマンションに引っ越したが、娘は学校に通うのは
とても楽になったようだ。学校の隣りが家だから。
ただ、小学生低学年の時に、一人で公共交通機関を使って通学することが経験
できたのは、娘にとってはよかったことだと思っている。

しかし、借家の一軒家に住んでいた時、一番喜んだのは2匹の犬だったかも知れない。
少しだけ広い庭は完全に仕切られ、そこを自由に走り回れたからだ。

思い出した!
先日、家内に「三原でも試し切りよくやっていたじゃない」と言われて、とんと記憶に
ないと答えていたが、その戸建借家に住んでいた時に庭で切り稽古していたのだ。
いや~。歳とるといやだねぇ。記憶が断片的になることが多すぎる(笑

 


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見りゃわかる

2016年07月16日 | 内的独白



一番大切なことが抜けている。
それは「眼」だ。
眼は嘘をつかない。口ほどに物を言う。
詐欺師のような奴ほど魚の腐ったような眼をしており、これは
写真からでも判断できる。
実際に目の前で見ると、まず100%眼が泳いでいる。

武蔵が唱えた「半眼」は、眼の色を悟られないような工夫だった
のではとさえ思えるほどに、眼は真実を語る。

魚の腐れ眼注意。


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居合神社の御守り

2016年07月16日 | 内的独白



私は東北の方から頂いた居合神社の御守りを必ず差料の刀ケースに
入れて常に持っている。
自分の差料の一刀である二代目小林康宏を擦り上げ再登録した際の
なかご尻のカットした残部をお守りケースの中に入れて大切にいつも
持っている。

私は神仏に「御利益」は求めない。
宗教とは何か与えてくれることを望むものではなく、自分から向かう
のが宗教だと思っているからだ。宗教においておもらい根性は私は
完全に自分自身としては拒否する。
だが、日本の御守りという物は、「偶像崇拝否定」という清教徒たちの
心象のみでは語れないものがあるように思える。
それは、その御守りをわざわざ手に入れて渡してくれた人の心がそこに
投影されているからだ。
「人なくば」の世界がそこにあるように私には思えるのである。
だから私はいただいた御守りを大切にする。
この居合神社の御守りは、つねに私の差料と共にある。

私の工人銘は「康清」という。
これは「共に生きたし 安き世に」という私の願いをこめている。
人こそ世の宝だと私は信じている。



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試斬から入る法は無し

2016年07月13日 | 内的独白



東京オリンピックに向けて、最近国内で日本の伝統文化の再発見
や啓蒙が盛んになってきたのはよいことだと私は思っている。
テレビ番組でもそのような番組が組まれることが多くなってきた。
しかし、そうした流れに便乗して商売を拡大して利益を得ようと
目論む連中も活動を活発化してきている。
とりわけ、刀剣女子の爆発的ブームに便乗しようとする日本刀
業界の関係者たちにある種の特徴的な傾向がみられる。
武家文化や日本刀を正しく紹介してくれればよいのだが、どうにも
眉をひそめたくなるイベントが各地で行なわれている。
真剣日本刀で武術経験もない人たちを集めて物切りをさせるイベント
がそれである。


私見であるが、日本刀を使用した試斬や斬術実践稽古というのは、
あくまで「剣技研鑽の一過程における自己確認」のためにある。
それを、集客のために、まったく剣術・居合も研鑽していない
人たちに「体験」として真剣日本刀で試斬をさせるイベントが
各地で行なわれている。
大人気なのだそうだ。
あるところでは一回の参加費で数万円の会費で人集めをして、
プロカメラマンのスナップ写真付きというお土産を特典として
集客している。
またあるところでは刀剣女子や会社帰りの勤め人たちの興味体験
やストレス発散として真剣日本刀による試斬をさせていて、4ケタに
のぼるこれまでの参加人数を紹介して人気度をPRしている。


グアムの実銃射撃ツアーのような感覚なのだろう。
もしくはゴルフの打ちっぱなしのような。
ゴルフのほうはまだ良い。打ちっぱなしは、ゴルフをやる人が
練習のために行くところだからだ。
海外の実弾射撃ツアーもまだ良い。実銃は撃つために作られた
ものだからだ。
では日本刀は?
巻き畳表(巻き藁ではない)を切るために日本刀は作られたのでは
ない。
その主目的とは異なることを刀剣未所持の素人さんたちにやらせて
そこで何を得ようとしているのか。
「はぁ~。すっきりした」という快楽達成のために日本刀を利用する
のか。その人たちのためを思って。
実は全然違う。
日本刀や日本文化を知ってもらい、大切に文化や伝統を守って行く
ことを考えてもらうこととは真逆の方向性のアプローチをそうした
物切りイベント開催者たちは実行している。
目的は集客による金員だ。

私も真剣日本刀を居合に使用している。
居合といえども真剣を使えば損耗する。指にこすれるだけで年月が
経てば横手などは擦り減って無くなるし、何よりも居合で使用すると
真剣は確実に錆びる。白鞘に入れて保存している美術刀剣とは異なる
過酷な状況に刀剣を置くことになる。
また、手の内や剣技の冴えの確認稽古のために真剣にて物体を切ると
最初の一太刀から確実に刃先は鈍る。切れば切る程、どんどん損耗
する。いくら切っても切れ味が変わらないということは物理的・科学
的にあり得ないことで、減らないタイヤが地球上に存在しないように、
刃物は使った瞬間から損耗が開始される。
そうした実用に真剣日本刀を供することは、私も文化的遺産の保護の
観点からは忸怩たるものがあるのだが、代用品の日本刀型ロングナイフ
が日本国内の法律では所持さえも認められていないので、武技の稽古
に真剣日本刀を用いるしか道は無く、やむなく真剣日本刀を空気を切る
居合や畳表切りの居合斬術に使用している。
やむなく真剣日本刀を使用しているが、私個人としては忸怩たるものが
あるというのが本当の本音の正直なところだ。


だがしかし。
自己弁護するつもりはまったくないのだが、これらは日本の伝統武術
研鑽のためにしているのであり、猟奇的な興味本位で精神がハイ状態
で日本刀を振り
回して楽しんでいるのではない。
例えるならば、「これ切ったらどうなるだろう」などというところで
刀で石を切ったり、硬物を切ったり、刀身にボウガンの矢を射ったり
しているのではないし、それらは私個人はすべて否定する。
しかるに、剣術・居合の未経験者にいきなり真剣日本刀で物切りを
させる目的は果たして何であるのか。
剣術や居合の研鑽者たちの稽古会に初参加して、たまたま「切って
みますか」となったのではない。最初から素人に真剣日本刀で物を
切らせることを前提として人集めしているのだ。
「金を払えば客」という構造がそこにある。
つまりこれは「商売」であるのだ。商い。
無論、詐欺商法でもなんでもなく、法律にも抵触しない。そこで得た
収入をきちんと税務申告しているのであれば、商業活動として成立する。
(業としてやる場合は法人の目的欄にその趣旨が登記されていなけ
れば法的には大いに問題があるが)
人様の商売に他人がとやかく口を挟むことでないことは重々承知して
いる。


しかし、私はこの試斬目的の人集めは、グアム射撃体験ツアーなど
よりもずっとタチが悪いと考えている。
いや、比較はできない。グアム射撃体験ツアーはまともだからだ。
銃は撃つために存在するから。(運用としては撃たないためにも)
何がタチが悪いかというと、
墨を擦るのは書を書くためであり、墨を
擦ることを体験してみたい
という好奇心で集客して利益を得るという
ことは、私自身は間違った
ことであると認識しているからだ。
まして、真剣日本刀である。
それを、身分証は提示させるとはいえ、どこのだれだか分からない
どんな犯歴やどのような精神的疾病に罹患しているか分からない者に
真剣日本刀を持たせて物切りをさせるのである。あたかもそれが
「日本文化に触れあう」ことであるかのように装って。
果たして、これをおかしいことだと思う私がおかしいのだろうか。

刀を物切り道具と見立てて、モグラ叩き体験のハンマーのように
使用するのはやめてほしいと私は願う。
そうしたことは日本文化の継承や触れ合いとは一切関係がないし、
擬態を装っているだけ非常に悪質だと私は感じる。
しかし、現行のこうした商売の流れは止められない。
刀剣ブームと共にどんどん各地でイベントが増えている。
こうしたことは、日本の伝統武技を研鑽・紹介するために行なわれて
いる良心的な武術系イベントとは別方向にベクトルが向いていると
いうことをどうか多くの方々に見極めてほしいと願うが、如何とも
しがたい流れが一部で発生し、そこに多くの人が集まっていることは
事実だ。
だが、「数が正しい」という定理はこの世にない。

私個人としては、刀の握り方も、抜き方も差し方も、振り方も全く
知らない人にいきなり刀を持たせて物切りをさせる?
ひぃ~~!という感じがすごくする。
やめてけろ、それは、と。
免許持ってない人にいきなり公道で車を運転させますか?貴方。
運転免許は法律で規制されているが、日本刀の保持は法的資格が
要らないからと(実銃は資格がないと触れて保持することさえ
法律違反)、誰にでも刀を持たせてそれを振って物を切らせる。
私は間違っていると思います。
そうしたことに参加する人たちだけでなく、それを主催している者
たちの行為が道を踏み外していると私は思う。
商売の邪魔をするつもりはありませんが、日本文化との触れ合いで
あるかのように装っているところがまた悪辣だと思う。
何よりも、刀曲げたり、折ったり、地面叩いたり、膝を切ったり
の怪我したりしたらどうするの?
スポーツ保険でも適用対象外だろうし、日本刀をそういう集客
収益のために利用することはやめてほしいと願うのです。

また、日本の武道・武術で試斬から入るということは一切存在
しません。
空手だってそうでしょう?
いきなり瓦割りから体験させるということはないでしょう?
合気道でも、いきなり試斬を体験させてそれから合気道の世界に
目覚めさせるなんてのはないでしょう?
ところが、真剣日本刀を扱う人たちほど、なぜかしら道を誤って
いる人たちが多い。
日本刀に興味がおありの方々は、冷静によくよく見られることを
おすすめします。
「真剣の刀を手に持ってみたい」「切ったらどれくらい切れるの
だろう」という興味は分かりますが、よくよく冷静にお考え頂き
たい。
そうした興味を満足させるために日本刀は存在してこなかった
のです。それが日本の歴史の中での日本刀です。
何度も言いますが、日本刀はゲームセンターのもぐら叩きのハンマー
ではないのです。


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歴史の謎

2016年07月12日 | 内的独白

とりとめもないことではあるのだが・・・。

本紋ではなく、ほぼ隠し紋であるかのように代々うちに伝わる替え紋の
「花菱」なのだが・・・。



ふと思ったが、これ、もしかして小野氏の紋の「唐木瓜」からきている

のではなかろうか・・・。



個人的な思いで言えば、村上源氏の印であるこれに戻したいくらい
なのだが・・・そういうことは個人の一存で勝手にはできない。



ようするに、替え紋でひっそりと残っているということは、家としては
小野系であることを残し伝えたということか。

本当は小野氏なのに、江戸期には源氏を名乗っていたりとか結構
いい加減。(和仁-春日-小野氏は後代に村上源氏と血縁になったと
されるので源氏ではあるのだが。事実鎌倉方であったし)
まあ、昔のことは、当人に会ったことないのでよくわがんね(笑
今の時代、源氏も平家もねーだすよ。
平氏の人たちとも仲良くタッグ組んでるし、俺(笑

ところで、源氏は一般的には「源氏(げんじ)」と呼ばれるが、なぜ
平一族は「平家(へいけ)」と「平氏(へいし)」の両方が慣用的に
使われているのだろう。「源家(げんけ)」というのは一般的ではない
ものなぁ。
それと、日本で最初の武家政権は平家だと思うのだけど・・・。
そこらあたりもどうなんでしょか。


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鈴木タバコ店の看板犬

2016年07月11日 | 内的独白

Japanese dog runs this cigarette store
- 鈴木タバコ店の看板犬


柴にしてはたいそう愛想のいい犬だ(´ー`)


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UFO

2016年07月11日 | 内的独白



外国人に話して「ユーフォー知らなかったよ」という知人あり。
ええと・・・。これね。

これはUFOです。
ユー・エフ・オーです。ユー・エフ・オー。
アンアイデンティファイド・フライング・オブジェクト、
略してユー・エフ・オー。
そら、外国人が知らなかったのでなく、おまいが正確な読み方
知らないだけだってば(≧∇≦)


「1980年すでに人類は地球防衛組織シャドーを結成していた」
というナレーションで始まる1970年に日本で公開されたイギリス
TVドラマの『謎の円盤 UFO』では、きちんと正確に「ユー・エフ・
オー」と発音していたし、その後も日本人は正確な呼称を口に
していた。
ところが、1976年に日清が即席麺のやきそばで「U.F.O.」
(うまい、太い、大きい)をユーフォーと呼び、ピンクレディ
が1977年に「ユッフォ!」とやって以来、
どいつもこいつも
ユーフォー、ユーフォー言いやがって
よお。
日本でしか通じない俺様ルールぶっこいてUFOのことを呼んで
やがる。

未確認飛行物体はユー・エフ・オーですから、そこんとこ
ヨロシク。
CIAのことシアとか、FBIのことエフビとか言わねえだろ?
マクドじゃねえっつーの。CAはキャーかよ?
そもそもスッチーとか意味不明な省略をするのが日本人の
悪い癖だけど、なんだかなぁ、なんだよ。
そういうのって、世界標準からするとイモくさいんだよな。
とりあえず、UFOはユーフォーじゃねぇから。たのむぜ。


 


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体内清掃

2016年07月03日 | 内的独白

47時間絶食した。

別に何かあったからという訳ではないのだけどね。
ただなんとなく、過ごしていたらこうなった。
体調はすこぶる快調である。
人間って、もしかして、時々絶食したほうが健康の
ためにはよかったりしない?
しらんけど。

昔、ある状況下でまるまる7日半絶食していたことが
あった。水は摂取したが、体はなんともなかった。
まあ、人間なんとかなるもんだ。


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走るためだけの車 レーサーの事 ~目的の純化と内実のピュアさについて~

2016年07月01日 | 内的独白



ヤマハのレーサーTZは美しい。そして速かった。
この写真は後に日本人と結婚したアメリカ人、世界チャンピオン
キングことケニー・ロバーツの若き日の一枚。
後に最高峰クラスで世界王者となる彼の世界戦デビューはヤマハ
のTZ250でのミドルクラスへの参戦だった。

私はTZ250は1983年製が一番完成されていたように思える。


最悪は1985年製でね(笑。某ヤマハサテライトチームの有名ライダー
から「もうね、捨てたくなりますよ」と笑いながら言われたが、
まじもんで整備性の悪さにぶったまげた。細かいところではもっと
いろいろあり、85TZは完全な「失敗作」だっただろう)。
さすがに見直すところが多くあったからか、たった一年でヤマハは
85タイプをポイした(苦笑
翌年1986年製の市販レーサーTZ250はワークスマシンのような
アルミフレームとホイールと心臓を持つ車になってしまった(笑)。
価格はたった15万円上がっただけだった。
レーシングマシンは価格そのものは200万以内で買えたが、消耗パーツ
代、オイル代、遠征費が年間その数倍かかった。大卒初任給12万円、
年収200万円の時代にマシン本体は140万円ほどで購入できたが、
年間活動費は勝つためにはノービスでも300万~500万ほど必要だった。
かといって金持ちだけがレースをやっていたのではない。ほぼ全員が
食費を削り、命を削り、走らない時は昼夜すべて高額な危険仕事等で
働いて資金を捻出していたのだ。
だが、1985年型TZで1986年も走ろうとしていたノービスライダー
などはまったく勝負にならない年になったのが1986年だった。
長らくミドルクラスへの参戦を休止していたホンダも2サイクルの
レーシングマシンを投入してきた。それがRSだった。85年頃のRS
は自殺マシンのような不出来さだったが、ホンダの開発技術力は
ヤマハを遥かに凌駕し、年々どころか日々秒単位でどんどんマシン
は進化向上した。ハンドリングでヤマハにはかなわないという
傾向は持続したが、圧倒的なエンジンパワーをホンダは叩き出して
いた。

ただ、やはり私個人は、250レーサーはヤマハTZへの思い入れがある。

モリワキの宮城君は、なぜあの日の筑波最終コーナー立ち上がり
で常に半クラを使っていたのだろうと今でも疑問だ。タイムリーに
筑波でつぶさに見ていたが、これは33年経った今も解明できない。
まあ、ぶっちぎりだったからよかったが半クラ多用して1レース
クラッチがもつわけないのに、どうしてぶっちぎりで勝てたのか・・・。
半クラ自体はギアレシオのセッティングに起因するということが
推測できるが、もっと別の何か新しい走法を彼は試していたように
思える。
私ね、劇画『バリバリ伝説』の主人公グンの乗り方の原形イメージ
は宮城光選手だったのではと思う。作者の先生は宮城選手をどこか
イメージしていたのではなかろうか。
そして、バリ伝といえば、容貌はヤマハの若獅子、町井邦夫さんが
主人公グンにそっくりだった。

ヤマハのレーシングマシンTZについてはこちらの記事が凄い。
雑誌とかでも間違いというものはかなり多いのだが、それを
ドンズバと指摘している。 ⇒ こちら

ドンズバ指摘というレベルではない。きちんとした見識で、しかも
かなり当時の状況に詳しい。私がロードレースの世界の内側の人間
になったのは1976年だが、このサイト記事の記述者の記載内容は
100%正しいと私自身は認識できる。
正しいか正しくないかはインサイドに己がいないと分からない。
筆者は語る。
「とはいっても、認識不足、間違いだらけの記事は雑誌屋のお家芸
である。この記事の最も大きな問題点は全体の構成にある。当時の
全体像をよく知るライター氏 不在で、メカニックの思い出話、TZの
開発に携わった技術者のインタビュー、コレクター紹介記事を寄せ
集めただけの記事で、TZがどんなマシンだったか理 解しようとして
も無理である。」
その通りだ。
この秀逸かつ良質な資料サイトのメインメニューはこちら
  ⇒ 日本のファクトリーモーターレーシングサイクル

バイク専門誌の編集部でバイトしていたことあるけど・・・
かなり雑誌記事というのはテケトーなことも多いからね。
某オカルティックな武術雑誌でも、昔、刀工小林康宏は薪で
刀を鍛えるとか編集者が何を勘違いしたのか書いたりした。
薪で刀を鍛えられるわきゃねーだろっつーの。炉の温度管理
保温の時に炭節約で薪を使うのと鍛錬焼き入れで岩手産の
炭を使うのを混同したんだな、編集執筆者は。
しかし裏を取らずに雑誌記事を真に受けた小説家森雅裕氏は
作品中でそれを以て小林康宏を揶揄中傷する記述を為したりした。
編集者も駄目ならモノカキもダメダメじゃんとか思う。
そのモノカキの彼はバイク乗りだったが、昔クールスが言って
いた「バイク乗ってる奴らはよぉ、いい奴ばかりだからぁ」ての
は、あれは嘘だな。いい感じの奴もいれば、嫌な奴もいる。
何かをやっているから、その人は良い人だなどと思い込むのは
まったくの見当違いだろう。
特に武術をやっている人間で人品高潔にして聖人君子のような
人間には私はとんとお目にかかったことがない。たま~にいるが。
それは武術というものの根源的なところに触れると、権謀術数、
裏技から毒殺までなんでもあり、というのが「武」の世界である
ということと密接不可分ではあるまい、と個人的には思ったりする。
武術の本質に近づけば心は汚れる。だが、本質をはぐらかすと
おためごかしの美辞麗句を並べる健康運動になる。
昔の武術求道者がどんどん武術をつきつめてくると、今度は精神
的な「徳」を希求しだしたのは、あれは武の本質がものすごくエグ
くてドラスティックであることが見えてきたからだろうと思う。
そして、大抵は当時は仏教が国内の宗教だったので、武術をやる
人間は仏教坊主と繋がりを求めたりした。禅などの仏教用語が
多く流派の思想や術名に援用されるようになった。
でも、「殺」は「殺」でしかないから。私はそう思っている。
殺の技術習得から人品高潔になり人格形成が成されるということは
ありえない。
人格形成は親からの躾と教師からの教えと本人の自覚によって
生まれるものだ、と私は思う。武術やったから人格形成される
とか野球やったから礼儀正しくなるとか、そういうことは一切
ない。現実的に世の中を見回せばいい。一切ない。

TZの雑誌記事は記者の誤認だが、居合や武術の公開演武などは
「ある理由」により隠して部分的に本物ではないことをやること
がある(古流の場合はこれまじで多い。香取などもそうだが)。
それを見抜けずに表面面だけで批評などすると・・・。
まあ、不見識というか「見抜けない」ことを曝すことになるので、
あまり技前についての批評を分かったような口で言わないほうが
いいように思える。
私はどんな動画等を見ていても「何か裏にあるかも」という感じで
いつも熟視している。
たとえば武術だけでなく、レース動画(これはほぼ三味線はなしの
ガチンコ)などでも、チェンの動きやサスの動きから「何がどうな
のか」ということを掴み取ろうとしている。
それでも見抜けないことが多い。

それと、昨夜、複数名から連絡もらって教えてもらったURLの某
アングラ裏ネット大通りを見たけど、なんだかひどいこと書くね、
ああいう人たちというのは。ゆんべ見て驚いたよ。私の師匠の
個人名まで出して非難してる。私が自分の日記で自分の師匠の名を
書くのと2ちゃんで「こいつどうよ?」みたいに晒して投稿するの
とは意味が全く違うだろうにそれも認識できない人が中心になって
わめいている。やり口が典型的な2ちゃんねらーというものだが、
俺のこと虎の威を借りるキツネとか、そりゃ文字通り自分の自己紹介
だろっつーことで笑えた。
たぶん、てめえ一人の力で人と殴り合ったこともないのだろうなあ、
と思う。少林寺や空手のようなものではなく、本物のやくい状況で。
虎の威云々の発想自体が如実に示している。僕ちゃんなのかねえ。
なにも、砲撃の中、銃弾にも当たらずに生還できた経験を持てとは
いわないが、なんてのか、てんで話にならない。一発ぶん殴られたら
泣いちゃうのではなかろうか。
まあ、それはともかく、昨夜読んでみて、そこで書いている人たちの
人間性と思考方法は凡そ理解できた。
およそまともな人間ではないことは見てとれ、いわゆるあれでは
実社会では話にならない。
やはり、ああいう悪意の溜まり場のような裏物ネットやそれを
心の拠り所にするような連中には関わり合うもんじゃないね。
放置が最適。オタきもし。てか、自称武術家なんてのはあんな
もんよ。
俺、書いてねーし(苦笑)。
どこまでねつ造すりゃ気が済むんだよ(笑

ロードレースは嘘も裏もない。そこが面白い。
てか、レーシングライダーの良いところは、まっしぐらなのよ。
くだらんことをごちょごちょ陰で言ってる暇はないし、ライダーは
そういうことに興味もない。
そして、1980年代~1990年代当時のマシンの開発者は、寝る時間
もほとんどないほどだったことだろう。
それでも、人の心はピュアだった。
今の時代はピュアではなくプアだ。

全剣連の居合選手は自称古武術家たちからは馬鹿にされたり揶揄
されたりすることがあるけど、全剣連の居合道の試合選手はとても
いいとこがあるよ。
それは裏ネットやくっだらない自称古武術家たちの嘘偽りで塗り
固められた俺様自慢の世界とは無縁であるということだ。
そんなことに時間を割く暇もなければ興味もない。
居合選手を目指す人たちは、サーキットを駆けるレーシングライダー
に似ている。
自称古武術家たちからスポーツだと馬鹿にされることがなんだと
いうのだ。
せこい人間大量生産の古武術よりもスポーツマンシップを重んじる
スポーツのほうがずっと人の心が澄んで精神が豊かになる。
嘘偽りと他者攻撃を繰り返してふんぞり返る汚い人間性を醸造する
ことになる古武術など、人の生涯のなんの足しになるというのか。
居合道はスポーツ、それで結構。だが、スポーツは正々堂々とした
クリアな世界の住人がやることである。
居合道=スポーツ論はまったくもってその通り。それでよろしい。
「殺」を目的とした古武術とは根源から異なる。
(「殺」を目的としていれば人間が汚くもなるよなぁ・・・)



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1987 RR WGP 250cc アルゼンチンGP

2016年07月01日 | 内的独白

1987 RR WGP 250cc アルゼンチンGP

2010/11/02 に公開

BUENOS AIRESサーキットでの一戦。清水雅広、初表彰台を獲得。
動画中では言及されてませんが、レース中のファステストラップも
記録(しかしなぜかmotogp公式サイトでは無視されてます)。

この1987年の清水雅弘選手はとても速かった。
この世界GPのアルゼンチンラウンドは歴史に残るレースだった
何度トップが入れ替わったかわからない。
最後まで目が離せない世紀の名勝負だった。

もう29年も経つ。
時の流れは早い。
モーターサイクル・ロードレースの名勝負は1983年の世界GPでの
ケニー・ロバーツ(米)とフレディ・スペンサーの一騎打ちだが、
この1987年アルゼンチンGPの250ccも本当に素晴らしいレース
だった。

世界のトップを走る清水選手(No.45)。コーナリング中でもカウルに
頭をうずめる。フルバンクの際には頭を少し傾けるのが特徴だった。


国内線、筑波サーキットのS字から第一ヘアピンの進入時の清水選手。
いわゆる「平乗り」という平忠彦選手が始めたリーンアウトで次の
左ヘアピンに備える独特の走行テクニックだった。



世界グランプリに参戦する前に1987年日本チャンピオンに
なった清水選手の筑波での走りの動画。
88型ホンダワークス、他車との差があり過ぎ(笑)。ブッチギリ。
筑波のタイムが58秒54というのは、どれほど早いことか。コースで
3秒違うととんでもないほど早さが違うのだ。1984年の段階で、
日本人は筑波で1分を切れなかったが、フィレディ・スペンサーならば
58秒台だと言われていた。58秒台というのは、感覚としては、歩行と
自動車の追い抜き程の速度の差を感じる。それほど、「超高速」に
思える領域だったのである。
1987年全日本ロードレース選手権 第9戦 筑波大会 国際A級 250決勝






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