渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

渓流カフェ日記

2016年08月21日 | 内的独白



賛同者も批判者も、両者が読んでる渓流カフェ日記。
気に入らないなら見に来なけりゃいいのに、結局、気になる
から見に来て、アングラネットで悪口を投稿してうさ晴らし(笑


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スマホ交換

2016年08月20日 | 内的独白

スマホをクローン作って交換した。
地元の友人が全部やってくれた。ありがたい。深謝。

割烹で蛸づくしのお昼を一緒に食べただよ(^。^)
三原って蛸が半端なく美味くてラッキー!

友人は今まで使った携帯のほぼすべてを保存している。
なんだかすげっす(≧∇≦)


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建勲神社 船岡大祭 平成28年10月19日(水)11:00~

2016年08月20日 | 内的独白




平成28年10月19日(水)、京都市北区の建勲神社(たけいさお/
けんくん じんじゃ)
の船岡大祭において、修心流居合術兵法の
奉納演武があります。
当日、お近くにお越しの方は建勲神社の
船岡大祭にぜひ足をお運びください。
修心流の奉納演武は正午頃からの予定のようです。






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食欲の夏

2016年08月15日 | 内的独白



友人のフェイスブックから。

食いすぎじゃねぇか?
俺も人のこと言えないけど( ̄▽ ̄)


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古書の読み込み ~歴史を知覚すること~

2016年08月13日 | 内的独白











まあ、私も研究者のはしくれなんで、これらの蔵書は読み込んだりもするのです
けどね・・・。

人の書いている物はあくまで「人が書いている物」として読まないとならないと
いうところがかなりある。
大切なのは「自分の視点を持つ」ということで。


特に水心子については、幕末騒乱時代直前当時に蔓延していた国内の美術刀
一辺倒史観に対して気を吐いて喝を入れたという功績はあるが、実際のところ
では、彼が日本刀の製法を分らなくしたという面は多分にある。
それと、かなり底意地の悪い人だったというのは、いろいろな彼の行状から垣間
見えてくる。特に人をあざ笑うのがお好きなようで、貧すれば鈍するではないが、
金銭的に困窮して弟子に金を無心するくらいなので、人としての根性がひねくれ
がってしまったのかもしれない。
視点においては偏頗な独善と独断が多く、水田国重を毛嫌いしていたのか、
これでもかというくらいに水田国重の悪口を書き連ねている。
彼以前のある研究者が「水田国重に折れやすい作と折れにくい作があるのは、
これは水が合う合わないなのか、本国打ちは折れにくく、江戸打ちは折れやす
い」という卓見を示しているのだが、水心子正秀はそうした客観性を全否定する。
とにかく水田国重は折れる刀というキャンペーンを貼る。かなり恣意的だ。

だが、幕末騒乱時代において、いわゆる後に「志士」とされた某氏の回顧と
して、「水田国重は折れやすいというが、俺の国重はさんざん斬ったが刃が
細かくこぼれはすれどまったく折れる様子はなかった」というようなことを言って
いる。水心子のいう事を真に受けて藩士に所持を禁止した薩摩藩は早計だった
のではなかろうかとさえ思える。
水田国重の全個体を試すことは不可能だが、現実に我が家の歴史の中で山城
大掾源国重正真作二尺二寸の大刀を折ることがあった。
これは、昭和17年に軍(というより将校)に供出を命じられた私の祖父が、私の
父の目の前で供出を拒んで折ったもので、父の証言によると、タガネを打って
折ろうとしたがいくら曲げても折れず、最後には回転砥石で切れ目を入れて
ようやく3本に折ったというものである。うちにあった家伝国重二口のうち一口の
大刀はそうした運命となった。
長男が満鉄勤務から志願して中支に従軍していた将校であったのに、時勢を
鑑みると祖父は何という「非国民」であったかとは思うが、それまで軍に散々
供出していた物がすべてその窓口担当将校が私物化していたという事実を
知って祖父が憤怒の限りであったというのを父から聞いた。家伝の大刀を国賊
将校に私物化させないためには、せめてもの抵抗だったのかも知れないと父は
私に生前語っていた。

そのかなり独断と偏見で時の人となった水心子の発想や着眼点をベースに
成瀬本は構成されている面が強い。
「実用的な刀剣の模索」という視点においては水心子と成瀬の立ち位置も私は
個人的に首肯できるのだが、冷徹に著作を読み込むと、かなり客観性を欠いた
断定的な視点が随所に見られて、どうにも違和感は払拭できない。
成瀬の文体は、他者を口汚くこけおろして自分の立場を保全するという手法しか
知らない
現代作家くずれあたりの家賃滞納を繰り返している売文家が書く品性
下劣な文章の類
ではないことだけは確かだが、実際に従軍して実見したデータ
から考察するの
ではなく、まず予断を抱いて実証データを主張のために用いる
という点において、
やはりあの「おかしい時代」の恣意性を強く認めざるを得ない
のである。


水心子の水田国重折損性のフレームアップについては、現実に当家に伝来
した水田国重のケースではまったく該当しないことはたとえ一例としても実際に
実証されている。
では、成瀬が水心子から受け継いだ「無垢造脆弱論」についてはどうなのかと
いうと、実際のところ強靭堅牢さを確保している小林康宏が作る刀剣は無垢鍛え
である。

しかも、成瀬の言うような様態とはまったく異なる現象を現実に示している。
小林康宏作は、硬すぎず、柔らかすぎず、まるでスプリングのような粘りと弾力性
を確保し、折れるよりも曲がる刀となっている。これは現実問題として。
こし餡かつぶ餡かというステレオタイプではなく、それの両者が適性を得るべく
混ざったらどうなるかという問題があるのだが、それはここでは割愛する。


成瀬『戦ふ日本刀』に続く『実戦刀譚』においては、ややニュアンスが前書よりも
異なっていることが見て取れる。ここは見逃してはならない。

さらに、やはり昭和18年という時局は、美術刀剣の大御所である本阿弥家の
当主光遜にさえも実用刀剣論の著を記すことをさせている。
だが、この書を読む限りにおいて、本阿弥は時局の中でなんとか実用刀論を
書かされてはいるが、本音としては「旧来の製法の日本刀こそが本来の姿で
あり、美的要素のない物は刀ではない」という一点を堅持しようと躍起になって
いる面がかなり強く出ている。
本著の中では、当時の近代刀の製作法や構造まで明記してその実用性に
ついて紹介しているのだが、満鉄刀については戦時の軍事機密と明言して
その構造を紹介することを避けている。
本阿弥がこの著を書いたのは、たぶん軍部からの圧力によるものだろう。
軍部からの圧力というよりも、時局がそうさせたのだろう。
この本阿弥の著作を読むと、不本意ながら実用刀剣論を書かされている美術
刀史観の大家宗家までもが国家総動員法によって「画一的に」精神までもが
招集されている時代だったことが読み取れる。

まさに国家戦争のおそろしさはそこで、肉体と精神が自分の物ではなくされ、
国家に命まで含めて思想や身体が簒奪されることこそが「戦争」なのだという
ことがよく解る。
人は死亡率100%だ。いつどこで死ぬかはわからない。
だが、その殺生与奪権が国家によって牛耳られ、人の命をどうにでも使われる
だけでなく、そのようにするために、人の感性や思いや感情までもが奪い取られ
るのが戦争遂行のための国家総動員体制なのである。
国内には密告体制を作り、軍警察が監視し、少しでも疑問を持っている人間は
片っ端から検挙拘束して拷問で殺す。
実際に私たちの国、日本がそういうことを「正義」の名の下で行なってきたと
いうことを決して忘れてはならない。

今私はインターネットでこのようなことを書いているが、これは昭和大戦後に
日本に民主的な世の中が明治維新後初めて訪れたからできることなのだ。
「弁注!」どころではない。昭和大戦の
戦時中ならば、私は即行で特高警察
に確実に検挙されて拷問で殺されている。

そして、国事の為にと挺身した徴兵された軍人が家族に書いた遺書さえも
検閲されるのが昭和大戦での国の実態だった。
現行日本において、そうした時代を「美」であり、「正義」であると思い込もう
とする人が増えている(特に若い世代に)ようだが、人が人でいることを
否定される、ありとあらゆる思想信条、感情、宗教の自由を抑圧される世の
中が美しく正義だと思っているほうがどうかしていると私は思う。
命が奪われる以前に、まず感情さえも一片の人間性さえも奪われて蹂躙され
るのが戦時体制なのだということを多くの人は今もう一度かみしめる必要が
あると私は思う。
ドイツ人は自国の歴史的な誤りを厳粛に反省している。日本人はどうか。
どこまで日本人は俺様大将で自己美化という醜悪な姿をさらしたがるのか。

ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の日と8月15日だけ戦争を思い出す日本人。
日本人とは、自らに刃を向けて自問自省できるのが日本人だったのでは
なかったのか。
ホントに己に刃を向ける勇気を持った武士の魂というものは日本には消滅
したのだなぁとつくづく感じる。
侍語りや日本刀語りをする口先だけで武士ごっこをしたがる連中に圧倒的に
己の先祖たちの過誤について自省の心なしの連中が多いことがそれを示して
いる。

人が人でいられないそんな世の中が良い世の中のわけがない。
私は国家戦争には命がけで反対する。徹底的に最後の最後まで抗する。

私の亡父が生前私に語った逸話を一つ紹介したい。
父は世間によくいる子どもたちと同じく熱血愛国軍国少年だった。「お国の
ために」戦う軍人さんと国家が遂行している皇軍の「聖戦」を信じて疑わな
かった。
ある時、父の通う学校の校庭で軍事教練があった。
国防思想に燃えていた少年は、国民軍事教練を見学していた。
その時、ある年配者が直立不動の状態で何かもじもじしていた。
すると、年若い教練教官の軍人がすっ飛んできて「きさま!▼■×●△#!」と
怒鳴ってその年配者の男性を殴りつけた。殴られても年配者は直立不動だった。
でも、どうしてももじもじする。
また、教官が飛んできて、今度は思い切り何度も殴りつけた。
その時、耐えられなくなった年配者が帽子を取った。
すると、一匹の蜂が年配者の頭から飛び去った。
年配者は蜂に刺されていたのだ。
その時、愛国少年は、非常に違和感に包まれたという。
なぜならば、普段、年上を敬え、お父さんお母さん老人たちを敬えと学校では
厳しく大人たちから教わってきた。
しかし、自分の親ほども年の離れた老人を若い軍人教官は怒鳴りながら目の
前で殴っていた。
そして、参加していた学校の教師も軍人に同調して年配者を叱りつけていた。
なぜだろう。何かが変だ。これはなにか得体の知れないことが起きている。
とにかく何かがおかしい。
少年が初めて今やっている戦争の「正義」について、深く疑問を抱いた瞬間
だった。
そして、戦争に負けた時、教師たちはこれまでの態度を一変させて、ケロッと
した顔で今度は平和と民主主義を同じ口で言い出した。ほんのつい一カ月前
まで戦争を賛美していたのに。
少年はその時以来、教師も大人も信じられなくなった。そして、初めて「自分
の頭で考え、自分の感性を確認する」ことの大切さを知った。戦争に国民が
動員されてきた中で国家に奪われてきた精神の自立性をこの時初めて取り
戻したのだった。
そして、少年は青年になった頃、強く戦争反対の意志を持って、断固として
朝鮮戦争反対、安保改定反対、ベトナム戦争反対の行動に自ら実際に傷
つきながらも起ち上がって行くのだった。口先だけの平和を唱えるのではなく。
左翼でも右翼でもない。学歴も職業も関係ない。一人の人として。


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「サブリミナル」 東幹久

2016年08月07日 | 内的独白

「サブリミナル」 東幹久


これ、めっちゃ面白い。
でも、これはフィクションではないよ。
こういう時代が来る。


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海外ドッキリ1 死者との交流 -Channeling the Dead-

2016年08月04日 | 内的独白

海外ドッキリ1 死者との交流 -Channeling the Dead-



これまた人が悪い(^^;
つか一緒に遊べよ(笑
縄跳びとかして。
あれ?一人足りない・・・てな感じで。


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歩道橋

2016年08月02日 | 内的独白



世の中から歩道橋がどんどんなくなりつつある。

大昔、待ち合わせの場所は歩道橋の上だった。


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日本軍がオーストラリアに真珠湾以上の空襲をしたって知ってた?

2016年07月30日 | 内的独白

日本軍がオーストラリアに真珠湾以上の空襲をしたって知ってた?


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追突事故遭遇

2016年07月29日 | 内的独白



昨日、広島駅近くの交差点で停止していたところ、後ろからドゴンされた。
現在、私の車は入院中。
警察を呼んで物損事故処理してもらい、自走できるから昨日と本日の仕事
はこなせた。
私もドゴンした人も怪我はなし。よかったす。人身にならなくて、私も
加害者となってしまった人もよかったよ、ほんとに。
向こうの人も対物保険入ってなかったら大変だぁ。修理代結構かかるよ。
過失相殺10対0案件なので、すべて相手方の保険で修理代処理方の予定。
代車レンタカー代入れて50万円台くらいか。
つか、歩行者とかはねなくて、ほんとよかったす。

皆さまも交通事故にはご注意ください。
交差点で停止していて後ろからドゴンは避けようがないけど。
トラックとかに突っ込まれて凄惨な事故も多いので、車が損害受けただけで
なんら命に別状ないのでラッキーでした。




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娘からの連絡

2016年07月24日 | 内的独白



娘から「マックがおる」とラインメールが来たので、「マクドナルド?」と
思ったらこの人だった。


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高所恐怖症

2016年07月24日 | 内的独白

妻は高所恐怖症である。
それも半端ない高所恐怖症で、ジャングルジムにさえ登れない。
運動神経は良いほうなのだが(卓球は私はかなわない)。

「よくバイクとか、後ろに乗ってて大丈夫だったね」と訊くと、
オートバイの速度は大丈夫なのだという。
ええ~と思った。峠でも結構寝かせていたよ、おれ(笑
峠であれはジェットコースターのようなもんだと思うけど・・・。

「それよりもスピードよく出すよね」と妻は言う。
「は?」と問い返すと、「二人乗りなのに〇〇バイパスで160とか
出してたじゃない」と。
「はて・・・。私は交通違反はしたことありませんが」と言うと、
「ふ~ん」とのことだった。

私も高いところは苦手だ。
ただ、不思議なもので、下が自然だとあまり恐怖感はない。
下が人造構造物だったりしたら、極度に高所恐怖症になる。
たとえば木登りなどは全然平気だし、登山での頂なども注意はするが
足がすくむことはない。
それが、下がコンクリートだったりすると一気に恐怖心を覚える。

それでも、こういうところに好んで行くやつぁ、ばかかと思うよ(苦笑





こういうのは完全に頭がおかしいとしか思えない(^^;




昔ね、キャンパスで真夜中にシュミレーションゲームをやったのね。
本物の命のやりとりではなくあくまでゲーム。体操みたいなもん。

H館という高層ビルがあって、おいらはそこの屋上に密かに登ったの。
まだ土の地面と植え込みがジャングルのようにあった時代のことだ。
下を見ると、そーっと木陰や地面に隠れながら移動している「敵兵」が
いる。
俺は
H館の屋上から暗闇の中に少年マガジンを投げ落としてやった。
あれ、バサバサバサーッと物凄い音がして落ちて行くのよ。
下の「敵兵」は、「うわぁああああ~~~!」と大声出しながらびっくりして
地面を這う
ように数名が散り散りに猛スピードで逃げて行った。
ひっひっひ。作戦成功。こういうのは一度しか使えない。

とか思ったら、下りのエレベーターの電源止めやがった。ゲリラってのは
やるね。

仕方ないから外付けの非常階段であの高層ビルを降りたけど、そこ、以前
非常階段から飛び降り自殺した奴
がいて、そいつの影らしき正体不明の物が
夜な夜な出ていたところなんだよなぁ・・・。

あと、図書館裏とかさぁ。夜には変な影がフワ~ッと動いているし、もっと
凄いのは孫悟空のキントウンのような薄青く半光りの塊が街灯の周りを
フワフワと漂ってたりとかね。
その変な雲は同志全員で見た。
図書館でも吹き抜けのところを動く歩道に乗ってるようにスーッと真横に
移動する白い服の女が窓の外から見えたりとか、Gホールという学生会館
は屋上に上がれない
筈なのになんだかおっさんがニューッと顔半分出して
下を見てたりとかね。

まあ、元海軍墓地だったから何でもあるだろうけど、あまりに出すぎるので
そのうち「またか」なんてことで、誰も怖がらなくなった。
元々おいら自身はそういうのに一切恐怖を感じたことはない。
なんというか、冗談ではなく「あまり出てきて惑わすと成敗するぞ」という
ような気持ちが子どもの頃から強くあった。突然出てきたら驚きはするが、
「せん滅しちゃうよ」という気持ちのほうが強かった。
でも俺が死んだら出てきて現世の人間をからかってやろうかと思ってる。


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DNAの記憶

2016年07月23日 | 内的独白



昔からなぜこの色に異様に惹かれるのか自分でも不思議だった。
あ!と気付いた。
血の記憶だったのだ。



紫でもない。青でもない。その中間色でもない。
溶け合った色ではなく、溶け合う色。
これは我が血に流れるファミリークレストマークの色だったのだ。




自然の中に見る竜胆色とはこういう色。


「竜胆色の空であった。」
これで一つの小説の出だしが書けそうだ。
いや、「竜胆色の風が流れていた。」のほうがいいかも知れない(笑)。
出だしってね、とんでもなく大切なのよね。

 


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シフトノブと雑感

2016年07月22日 | 内的独白



これ、使いづらいと思う(笑)

私が一番使い勝手が良いなと今でも思っているのは、小さな
ビリヤードボールのようなヘッドを持ったこのシフトノブだ。


私が四輪車の免許を取りに行った時、教習所の指導員が驚く。
「車の運転したことあるの?」
私は答える。
「いいえ、一度も。なぜですか?」
指導員は言下に言った。
「絶対嘘だ。すべて出来ている」

その通りだ。実は教習官が言うように嘘である。
私は12歳の時から車の運転が完璧にできた。理由は仕組みから
何まで「適正」に習ったからだ。

「あれ?車替えたの?」と父に訊くと「ああ」とだけ父は答えた。
「なんか変な緑色」と思った。



ソレックスツインのTE27が奏でる咆哮はそれまでの車と
まるで違って聞こえた。
これで運転を覚えたという小学生(違法です)。
ずっと後年、『頭文字D』が連載された時、「フフッ」と
思わず笑った。へ~。こんなことがあるんだ、と他人事の
ように。

翌年、1973年11月、アメリカのプレスオン・リガードレス・
ラリーでW.ボイスが、カローラ(TE20)で優勝を収め、
トヨタは初めてWRC(世界ラリー選手権)で優勝をもぎとった。


私はオートバイよりも四輪車のほうの運転を先に覚えた。
オートバイの運転を覚えたのは中1の時だった。
これは法事で出かけた広島の家の敷地内で覚えた。
敷地内が宅地造成され、そこでホンダのスーパーカブを
後輪滑らしながら「おもしろい~」と乗っていたのだが、
警察官がやってきて「免許証を見せなさい」と言った。
「ない」と言うと歳を訊かれ、「13歳」と言うと「はぁ?」
警察官が言う。私は中2の始めに身長の伸びは止まった。
当時中1で174cm近くというのはとても背が高いほうだった。
中学ではバスケをやっていた(剣道部での活動は趣味程度)。
背が高かったので成人と思ったのかも知れないが、どうも
様子がおかしいぞということで警官は免許提示を求めた
のかもしれない。

すぐに叔母が出てきてその場で対応してくれて、自由に
出入りできる造作だが敷地内であることも告げて何とか
事なきを
得た。(本来は、塀で囲み外部と遮断された地面
の上でしか免許なしでは運転してはならないという法律が
ある)
しかし、中学の時にはバイクにはまった。

実際のリターンギア付バイクでの運転は先輩のヤマハのミニ
トレ
で覚えた。ペペンペンペンと可愛いバイクだった。
16歳になってすぐに「合法的」に自動二輪の免許を取りに
教習所に行った。


ここで困ったことが起きた。
完璧にシフトチェンジをリターン式で体に覚え込ませていたので、
教習所の一番最初の実技教習の時にロータリー式の教習車の
シフトアップと
ダウンを何度も間違えたからだ。
これには教習所に見に来ていた高校の仲間たちが大爆笑していた。
「お前、無免の時よりなんで下手になってるの?」と。
実技二時限目からはリターン式バイクに乗ったので何の問題も
なかった。

その後、ロードレース専用車に乗る時にまた困った。レーシング
マシンは、一般公道車とはシフトパターンが逆だったからだ。
リターン式で逆シフトパターンとなっているのがレース専用車だ。
これは深いバンク中にシフトアップする必要があるので、バンク中
にはシフトペダルの下に足を入れられないので踏み込みでシフト
アップする逆パターンとなっているのがレーサーの常識だったので
ある。

だから私はバックステップを装着した一般公道車はすべてシフト
パターンをレーサーと同じように逆にしていた。
実際に車を走らせると、頭でいちいち「ここでシフトダウンして」
などと考えてはいない。シフトダウンはシフトペダルを掻き上げる
ということが体に染みついている。
ヤマハのRZ350などは社外品バックステップを装着しなくとも
ギアロッドからシフトリンクロッドが伸びている方式なので、ロッド
の向きを逆にすれば
逆シフトパターンにすぐできてとても便利だった
のだが、スズキの
RGガンマはシフトペダルがギアロッドにダイレクト
装着だった
ので、社外品バックステップを新たに装着する必要があり、
スズキ
RGガンマの未完成さが現れていた。レーサーレプリカと
いっても、あくまで「のようなもの」の域を超えなかったのが初代
ガンマだった。タイヤもなぜ前輪だけミシュ
ランなんだよとも思ったが、
あれはあの16インチ前輪に合うタイヤ
がなかったのと、少しだけ
グランプリ風味を入れることで販売台数
向上を狙ったのだろう。

ということで、四輪車のシフトノブは、私は今でもあのキャン玉の
ようなカローラレビンのヘッドが個人的には好きである。コブラの
頭みたいな
形になって以降の物はタッチとしても好きになれなかった。

会社の若い衆がR33からR34に乗り換えた時、「へぇ~、いいね」と
少し峠を
走らせてもらった。
普通にヒール&トゥをして普通にクイックリーに走らせていたら
とんでもなく驚いていた。
きっとただのおっさんくらいに思っていたのだろう。
最近、ちょうど彼がその頃の私の歳になったので訊いてみた。
「どう?当時の俺と同じ歳になった感想は」と。
「いや、まったく中身は変わらないですね」と彼は照れたように
言う。


そうなのだ。肉体は衰えるが、脳は衰えない。
つまり、マインドはいつでも「当時」のままなのだ。
私などは28歳時から精神年齢はストップしている(苦笑
いや、カミユと出会った16歳の時からかも(笑
同級生の女友だちと飲むと今でもよく言われる。
「なんだか、生活感ないよね。若いよね~、気が」と。
分別臭いことをのたまわって、動きもじじくさいじじいになる
くらいなら死んだ方がいい。
あと、「家族サービス」とか馬鹿なこと言ってる連中ね。
ああいうのだけにはなりたくないし、なるつもりはさらさらない。
さんざん外で働いて稼いできて何が家族サービスか。休日には
骨休めしてこっちがサービスしてもらいたいくらいだ。
それに、「家族サービス」などと称してたまの休日に義務的に
家族とつきあうのか?
本気で、「ばっかじゃね?」とか思っている。
家族は常に共にあり、だ。
そして、私は、休日を妻子と過ごすことを「特別日」のように
要請するような者とは結婚していない。
妻との関係は、私がコースを走り、ピットでサインボードを出して
くれていたあの頃と何らひとつも変わっていない。
また逆に、妻が打ちこむことがあるのなら、全面的に支援したい。
たった今いる場所が違っても、夫婦は常に共にいる。
これは私が仮に外国航路の船員だろうと、南極隊員だろうと、海外で
戦闘任務に就く者だろうと、何ら変わらないことだろう。
家族はチームだ。特に夫婦は赤の他人同士が力を合わせて共に歩む
チームだ。
同じ目的を持つチームメイト同士で仲間割れなど起きようがない。
起きるとしたら、自分ひとりで何でもできるとどちらかが勘違い
しているからだ。一本の細い糸で吊り橋は支えられない。

レースというすべてを犠牲にしないと成立しないような過酷で熾烈
なモータースポーツの世界も、スポーツであることの健全さをレース
というものは強く持っているので、そうした「人と人がどうつき合うか」
という大切なことを教えてくれる。
武道や武術というのは、その点はスポーツ性を敬遠する傾向がある
だけに弱い。とても立ち位置が弱い。弱いことを知らしめるのが武術・
武道の世界なのに、それに気づかない人が多い。
武術・武道そのものが立ち位置が弱いことを知り、己の弱さを自覚して
克服することが獲得眼目であるのに、何を取り違えたのか己が強くなる
ことが武術・武道の目標であると大きな勘違いをしている人間が実に
多い。そうした発想をする時点ですでに心の弱さに負けている。
私はスポーツをやる人間よりも武術・武道をやっている人間のほうが
人間形成の道からかなり遠い位置にあると思う。物理的にそうなのに、
自ら望んでさらに遠い位置に自分を追いやろうと勘違いしている人
だらけであるという残念な現実が不思議でしかたない。
一般スポーツよりも、よほど人間的に中身がしっかりしていないと
人間が歪みやすいジャンルが武術・武道の世界だと痛感している。
でなくば、武術・武道の世界でこれほど「俺様大将」ばかりが
大挙して勢ぞろいで、人を陥れて自分の利を得ようとする者たち
ばかりなのか説明がつかない。
そもそもが武術などは他者撃滅により己が生き残ることが発生の
原初であるから、そうした自己中心のダークサイドに陥り易い構造に
あるのは容易に理解が及ぶが、それにしても心がすさんでいる人
たちのなんと多いことよ。
私ごときが偉そうなことは言えないが、私はそうした状況は「人、
これ未熟なり」と思う。

しゃっちょこばったことを考えずに、のほほ~んと楽しいことを
考えればいいのだろうにと思う。
武技といってもねぇ・・・。人間いつ石につまづいて死ぬかもわから
ないんだよね。そんなもん。
だから、いつ死んでも悔いなく生きて行こうぜ!てのが武術・武道
から学ぶ本旨なのではないかなぁ。

ただ、私個人が強く思うこととしては、人は人が死ぬ時に何を思うのか
ということだ。
人は人が生まれる時には皆笑うのに。
外的圧力によって人に死を強制することに対しては、私は一切拒否
する。
人に死を強制するところに一切の正義は存在しないと確信している。
人を殺してはいけないし、自分が自分で死を選んでもいけない。
そんな権利は人間には与えられていないと思うのだ。


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似たような人はいるものだ

2016年07月21日 | 内的独白



世の中、似た人というものはいるものだ。
刀工小林康宏友の会「游雲会」が出来る前からの友人がいる。
仮に名を「いがきち」としとこう。
彼は私の地元の撞球仲間の友人となぜかそっくりという偶然が
あるのだが、今回の話はそれではない。
そのいがきちも私同様、ガキンチョの時にはスラスラスイスイ~
とカートを走らせていたというのだ。
いるんだよなぁ、そういう人。

以下、送られてきたメールを紹介したいと思う。(本人承諾済み)

「日記にあったゴーカートの記事ですけど、おいらが小さいころも
近くのサンコーという3階建てのさいか屋みたいなお店の屋上に
やっぱりありました。渓流さんもそうだったみたいですが、私も
他の子供がガンガンとぶつかっている中を、スイスイ運転していた
ものです。保育園では、3輪車レースで一番速かったので、感覚が
発達していたのかも。(^o^)

そういえば前の会社にいたころ、もう6,7年前かな。バンコックへ
出張へ行ったんですが、その際にチームに分かれてゴーカートレース
をするという、「チームビルディング」と名打ったアクティビティー
がありました。
下記リンクがその場所。
 
おいらたちが乗ったのは、270ccでmax 60km/hでるという車
でした。
かなり速く感じましたよ。
 
最初は様子をみながらゆっくりめで走っていたのですが、オースト
ラリアのオフィスから来ていたダニー(仮名)っていうやつが、
なんでもオーストラリアでも同様な場所があるらしく、慣れていて
一番速く、後ろからスパっと抜いていったのです。各チーム4名で、
合計6チーム、各ドライバー3週づつ、それを3回ターンします。
抜かれて火がついたおいらは、2回目のターン2週目では車にも
コースにも慣れたので、そこからはアクセル全開、各コーナー後輪
を滑らし逆ハン切って抜けて行き、そのダニーと最速ラップを競い、
とうとうおいらの方がファステストラップ。終わったあとにダニー
(仮名)が握手してきて、日本でもやっているのかと言うから、
ゴーカートは子供の時依頼だといったらちょー驚いていたのを
思い出しました。あれは面白かったです。タイヤを滑らしなが
らコーナーを抜けていく感覚がたまらんかった。
フル装備なので、めっちゃくちゃ汗だくになったけど。
                       いがきち

おもろいす(^-^)
一発、見せてやったねい?

それと、こういうコースが日本でもあれば面白いのになぁとか
思う。
たしかバブルの頃は都内のどこだったか(都下だったか)に
あったが、あれも今はどうなったことか。

このいがきちとは妙に馬が合うというかソリが合う。
趣味などに関する好みも刀からバイクまで含めてほぼ共通して
いるという重なり。
ただ、私は彼ほど英語をネイティブ並みには話せない。
私のは、なんての?そう、ターザンのようなもんだ(笑
「ターザン、行く」みたいな(笑
地元の撞球仲間といがきちがよく似ているというのは、地元の
仲間も英語ネイティブ並み(その男のところに連れて行った
カナダ人が「僕より英語が上手い」と言ってた)なのだが、
それとは別に、話し方や仕草がクリソツなんだよなぁ。
イングリッシュのネイティブスピーカー並みという人は、
仕草が似てくるのかしらね。
でも俺は独自路線で行くよ。
「馳走になろう」みたいな(笑


(当社比)

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