渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

本当の居合神社 ~続報~

2016年09月21日 | 文学・歴史・文化



うおお!
情報かたじけない!
これ、すごいことだ。
こういう働きかけというのは、本当の意味での伝統や
文化継承なんだと思うのす。
捏造ネッツィーの俺様大将自画自賛のインチキ創作では
ない、本物は何だろう、本当はどこだろう、ということ
を求める真実の人の探求の旅。


英信流宗家(本物)の河野先生の植樹かぁ・・・。
本物の居合神社への参拝が可能になる日を待ち望む。


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本当の居合神社

2016年09月20日 | 文学・歴史・文化



まるで「これは釣り物件か?」というくらいに私自身は食いつく話題だ。
こういうことは、事実を知っている人でないと皆目サッパリだ。
新造居合神社は、それはそれで再建物として意味はあるが、本当の
意味で居合神社に参拝するということは、ここに行かなければ意味が
ないように思える。
居合の聖地があるとするならば、まさにここではなかろうか。

でも、地図に載っていない場所をどうやって探すのか。
いや、探すことからすでに真実の歴史に向かう旅が始まってるのだろ
うな。
私にとっては、この地の存在は、かなり事件だ。


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しながわ 宿場まつり

2016年09月19日 | 文学・歴史・文化



2016年9月24日(土)~25日(日)、品川で「しながわ 宿場まつり」という
お祭りがあります。
フェスティバルです。
お近くの方は、行ってあげてくらはい。

公式サイト ⇒ こちら

時代劇の演劇もあるそうです。(殺陣は本格派)


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【驚愕】100年以上前に日本を騒がせた美男美女のレベルが凄い【貴重】

2016年09月19日 | 文学・歴史・文化

【驚愕】100年以上前に日本を騒がせた美男美女のレベルが凄い【貴重】


いつの時代でも美男美女はいるのは当たり前なのだから、
「驚愕」というのがわっけわからないのだが(苦笑
よくこの手の発言をする人は、「昔は今より(あらゆることで)
劣っている」とかいう発想に基づいてるんだよなあ。
それ、大きな勘違いですから。

ところで、これは、『野菊の墓』の聖子ちゃんでしょ?(笑


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未発見の古代製鉄遺跡について

2016年09月17日 | 文学・歴史・文化

1970年


現在


考古学の世界は物的出土史料が学説形成の根幹を成す。
学説で日本の製鉄開始が「5世紀以降」とされているのは、それ
は「
鍛冶道具の出土が5世紀以降だから」という理由による。
大切な鍛冶道具が土に埋まるものだろうか。
また、5世紀以前の日本の製鉄は、痕跡が残らないような形式
の製鉄炉を使用していたとしたら?
小型炉や小規模登り窯のような炉だったとしたら?

ただ、製鉄炉に関連しては「これは一体何だろう?」というような
炉らしき物も発掘されてはいるが、「日本の製鉄開始は5世紀
から」という前提を崩さないために、「使用方法不明」の物が多く
出土している。否、出土品を「不明」で片づけ流している。

太陽の塔の現在の姿しか見たことがない人は、ここが1970年
にはどのような状態だったかを知る由もない。
たまたま、文献や映像・画像記録が残り得る時代なので、46年
前往時の姿を現代人は知ることができる。
しかし、広島カープの優勝記念セールのように、「24年前のセール
の時の人間が一人もいないからセールのやり方が分らない」など
という人間の無能さも今タイムリーに露呈している。知恵が無い。

1970年の万博会場の太陽の塔の場所には、建設用具は残って
いないし、また、現在の緑地公園となった場所にも、1970年当時
の建築工具は残っていない。
残っていないからと、1970年のこの姿が無かったことにはならない。
だが、「無かったもの」としようとしているのが、現在の日本の製鉄
の歴史に関する学術界の姿勢なのだ。

災害被害でもない限り、大切な道具なんてそこに残したままには
しないでしょうに(苦笑)。

一応、日本の学説では、日本の製鉄の歴史は古墳時代中期の
5世紀以降、ということにされています。
ということで、鉄の加工は紀元前後の弥生時代に始まったことは
認めていますが、それらはすべて輸入鉄の「加工」であって、国内
製鉄は無かったもの、とされています。あくまで主流を占める学説
では。
しかし、鋳銅技術があったことが確認されているので、高温を得る
炉は国内で2世紀には存在していたことになり、類推としては弥生
時代には製鉄技術がの設備があってもおかしくないことが推定で
きます。

私は、弥生時代の大昔は赤土から鉄を作っていたと思うのですけ
どね。


参考 ⇒ 「弥生時代には製鉄はなかった?」(日立金属)


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ご縁の国しまね ~島根には本物がある。~

2016年09月17日 | 文学・歴史・文化


gooブログの広告にこんなのがあった。⇒こちら

期間限定観光キャンペーンのようだ。



ぐはあ。EXAIL !

確かにご縁を感じるのは、この小林直己の風貌が若き日の
林邦史朗にそっくりで、名前もなんだかどこかで聞いたことが
あるような気がする名前というところだ(笑)。
林邦史朗の本名は小林だが、この法政大に通ってたEXAIL
三代目局長は邦史朗先生の御子息ということはないよね(笑

冗談はともかく、10月までの期間限定なので、これには行って
みたいと思っている。昔のたたら村のオープンセット。こらすごい。
         ↓





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レディ

2016年09月17日 | 文学・歴史・文化



なんだこれ?
めちゃくちゃかっこいい。
元祖『ケンタウロスの伝説』の元祖レディみたいなイメージだ。
このブーツだと絶対に運転はできないけど(^^;





ケンタウロスがいたから、私は育った横浜に帰り住んだ。

「スピードの中で精神は肉体を超越する」
(by アラビアのロレンス)


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太陽の塔 ~人類の進歩と調和~

2016年09月15日 | 文学・歴史・文化



太陽の塔がこのような状態であるということに、私は強い
違和感を覚える。

なぜならば、私が知る太陽の塔は、このような物だからだ。


















1970年の大阪万博に行った。太陽の塔も見た。
各パビリオンを見ていて
21世紀の未来というものはこう
いうものなのかなと
何となくイメージした。
1970年万博で初めて携帯電話が登場し、無人自動運転
の電車が走り、動く歩道が現れた。
1970年万博のテーマは「人類の進歩と調和」だった筈
だ。これは何の史料も見ずとも、46年後の今も覚えて
いる。小学生だった私は、横浜から母親と共に泊りがけ
で万博見物の旅行に行った。

万博会場は未来都市のようだったが、私はまったく違和感
がなかった。
その後、都市部ではようやく万博後20年ほど経つ1980年代
末期頃から都市改造が開始され、街の景観が一変し、70年
大阪万博のパビリオンのような建造物が多く建つようになった。
空港などでも随時動く歩道や自動エスカレーターが導入され、
そして、1980年代から携帯電話の実用化が開始され、1990
年代初期には一般普及するに至り、90年代末期に爆発的に
携帯電話が普及した。ファクシミリの実用普及は1980年代
初期だったが、通信回線が大幅に発達したのが1980~90年代
だった。

1970年大坂万博で一番注目したのはこれだった。


この前年、人類は史上初めて月面に着陸していた。そして
月から石を持ち帰り、それが日本の大坂万博で展示された。
私も見た。

ツアーでの見学旅行だったが、とにかく時間が足りない。
人が多く、人気パビリオンは長蛇の列で、入館までに数時間
待ちなどということも多かった。

1970年大坂万博の頃のこの景観は、当時の私にはまったく
違和感がなかったし、こうした景観がある街に住みたいとさえ
思った。

昭和末期、平成生まれの今の人はこの写真を見ても違和感が
ないことだろう。だが、これは約50年前の日本であるのだ。
水洗トイレさえ都市部を除いては一般普及していなかった
頃の日本なのである。

1970年(昭和45年)の新宿。都市部でさえ、空襲で破壊された
後の再建都市とはいえ、空襲以前の東京の景観とさして変わり
なかった。高層ビルというものも、日本国内で霞が関ビルただ1棟
しか存在しなかった。


1933年(昭和8年)銀座。


ただ、人類は1970年には気づいていなかったことがある。
それは、日本もアメリカもソ連も、未来のクリーンエネ
ルギーとして原発神話を信用していたことだ。
ソ連館の展示で原発のジオラマ模型に私などは感動して
いた。
原子力については、核兵器には日本人の中でも反対して
いた人たちは多かった(というかほぼ全員が核兵器反対。
日本国家の方針も非核三原則だった)が、原子力発電に
ついては容認どころか推進を望む声も多かったのは確かだ。
反核平和主義者の手塚治虫が描いた鉄腕アトムでさえ、
核の平和利用の代名詞のようにアトムの動力源は核であり、
妹の名などはウランとまでされていた。
原子力発電が取り返しのつかない重大な問題を含む危険
極まりないということを人類が知るにはもう少し時間が
必要だったのが1970年当時だった。
被爆は忌避するが、被曝に関しては無知だったのが1970年
当時の日本人だった。
私は1979年に原子力発電の核廃棄物を日本が南洋で海洋
投棄している事実を知り、原発安全神話の嘘に気づいた。
安全な物であるならば、首都東京直近の東京湾にでも投機
すればよい。海流まで計算して他人様のところに行くように
核汚染のゴミ廃棄物を日本政府が捨てていたのはなぜなのか。
原発だって、安全ならば新宿公園や東京湾沿岸にでも造れば
よい。なぜ首都から離れた場所ばかり選ぶのか。
だが、勉強して真実を知れば知るほど、人類滅亡の道で
ありながら危険性を利権のために隠ぺいしている「力」と
いうものを実体として知ることになった。爾来、私は1979年
から「反原発」である。「脱原発」などというものではない。
「反原発」だ。実際に原発が稼働しなくとも電力の供給は
可能であるというように、「電力として原発不可欠論の大嘘」
は暴かれているし、現に皆さんも日々の生活でタイムリーに
たった今、現在進行形で経験している。
しかし、1970年当時は、世界中の圧倒的大多数の人々が
原子力発電は安全でクリーンなエネルギー発電だなどと
信じ込んでいた。小泉純一郎さんではないが、「俺は知らな
かった、真実を」というものだ。
原発が安全だという人は、福島第一に今すぐにでも防護服
無しで行って来てほしいと思う。安全なら何の心配もなく、
大丈夫だろう。そしてなぜ「避難」が続いていいるのか、その
疑問に答えてほしい。湧きあがる福島第一敷地内の地下水も
飲むといいだろう。原発が安全、安全、推進、推進と言う
人たちは、総理安倍も政府与党構成員も原発を支持する国民も
すべてのそうした人たちが、まず自分が福島で防護服無しで
現地入りして、地下水をごくごく飲んで、それを実行して
のたまわる安全性を証明してもらいたい。
気づかなかった1970年から今はもう半世紀近くが経っている。
気づかない振りではなく嘘で嘘を固めることをやりたいので
あるならば、原発推進者が福島第一の核汚染タンクにたまる
地下水を飲料水として飲んでから物を言ってもらいたい。


思うに、2016年現在の東京の湾岸地域は、この1970年
大坂万博会場にとても似ている雰囲気に思える。






だが、現在の太陽の塔を画像で見る限り、46年前のエキスポ70
大坂万博という未来を想像して建設された近未来イベント建築
エリアだったものが、すべて破壊されてなんだか緑の自然環境に
先祖返りしたようだ。それは時代に逆行のようにも思え、やはり
私には違和感がある。
なぜなら、それは、本当の自然ではなく、人造の自然だから、ま
るで整形顔のような違和感を覚えるのだろう。フェイクに対する
素肌感覚の違和感、というものかもしれない。

ただ、作者岡本太郎がイメージした太陽の塔の本当の姿は、本当
の緑の中にそびえる姿だったのかもしれない。そうした表現の
再生としての緑の育成であるとしたならば、この塔と周囲の風景
はマッチしているのかもしれない。
ただ、ゴルフ場はどんなに美しく見えてもネイチャーではなく人造
庭園であり、それは自然が放つ景観美ではないのと同じく、この
現在の太陽の塔の周囲の景色は、あくまで「人造物」である。
だが、「人類の進歩と調和」という1970年のテーマは、万博会場
がすべて緑の公園に造り変えられて、今のこの景色になった時、
初めてそのテーマの一つの完結をみたようにも私には思える。


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「碇島跡」 ~三原市~

2016年09月15日 | 文学・歴史・文化

今までまったく存在を知らなかった新しい石碑を見つけた。


「碇島跡 古代三原湾内の島 江戸時代水哉盧」とある。


横には
「伝 神功皇后 朝鮮出兵時、軍船の碇をおろす。
 宮沖干拓(一七〇〇年)後、藩主の狩の休み所。」
とある。


裏には
「平成十二年建立
 みはら歴史と観光の会」
とある。その横は寄贈者個人名が刻まれている。








場所はここになる。


実に嘘くさい。この場所は確かに古代においては湾内で、
その後、中世末期に急激に沼田川の土砂が堆積して湿地
帯のようなデルタ地帯が広がり、江戸元禄期に干拓された
新開(しんがい)地ではある。
しかし、ここに島があったということは、現在は低地の
平地であるので、いつの時代にか平らに均したということ
だろうか。ここに碇島なる島が存在したということは、
何に基づくものか、史料を調査しないと判らない。
そして、「藩主」とは、この地においては正確には広島本藩
の浅野安芸守のことを指すところ、たぶん三原の家老城代の
ことを「藩主」と呼んで碑に刻んでいるのだろう。
だが、三原は広島藩の出城であり、「一国一城」の原則の
イレギュラーとして熊本県の八代と同じように家老居宅と
して城が取り壊されずに残されたものであり、あくまで藩主
というのは主城内の御殿にいる。安芸備後を治めた広島藩の
場合は藩主は広島城にあり。
この三原市宮浦にある石碑が三原三万石の家老の狩の際の
休息所の場所ということをいうのであるから、何らかの文献
史料等が残されているのかもしれない。
まさか、単に「そのような云い伝えがある」ということでは
あるまいが、何の根拠もなしに石碑等が建てられることは
とても多いので、これを即座に歴史的事実とすることは俄か
には措信しがたい。

三原市内には糸崎に「刀工三原正家の井戸」なる物もあり、
地元の観光協会の看板があるが、こちらも
実に嘘くさい。
こちらは、江戸末期に藩庁からの命令で調査がなされたが、
「伝承あり」のみの報告がなされている。しかし、明治大正
頃と思われる井戸垣が設えられて「正家焼き入れの取水井戸」
などとされてしまっている。江戸期の調査では「正家淬刃の
伝承のある清水があったとされる」との旨の報告のみがある
のに、清水がいつの間にか近代様式の井戸が造られて「ここ
が鎌倉時代の井戸」などと確定事項の歴史事実のような看板
設置がなされてしまっている。

これと同じように、尾道市内には、刀工三原正家の子孫を
自称する者が勝手に石碑を建てて、三原正家は天平年間の
人物であり、我が家はその子孫であり、これは事実だ、と
いうような公言をするに至っている。
尾道市の行政側は「学術的根拠はない」と明言している。

この手の類は地方を散策すると、実に多い。


地方の田舎に多い特徴の一つに、「貴種降誕」という奇譚
創作と、歴史事象での地元自慢というものが必ずある。
こうしたことはすべて時の権力者とどれほど自分たちの
土地が近しかったかというようなことを何の根拠もなく
でっちあげて自慢している。
三原に関しては、邪馬台国三原説という物まであったりする。
私はこれらの地元身贔屓のような感覚が虫唾が走る程に嫌い
である。
だが、そのような感覚でおらが自慢をしたがる人間はこの
日本にはごちゃまんといる。武術系などはそのような人たち
全員集合!という感じだ。

ところで神功皇后というのは、実在が確認されたのか?
「聖徳太子」のようなものではないのか。


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朝鮮式お辞儀に乗っ取られた日本

2016年09月10日 | 文学・歴史・文化



恐ろしいですね~。
冬から就活が始まる娘は秘書検定を取った。
先ほど
娘が語るところによると、秘書検定でも企業面接試験でも、
すべてこのお辞儀
でないと通らないそうです。
これが「一流の接客、礼儀です」とされて絶対力を以って講習されて
いるらしい。


日本の礼儀、完璧にオワタ。
完璧に朝鮮文化に乗っ取られた模様。

朝鮮がどうのではなく、やはり、日本人自体がスカみたいな集団なのだ
と思う。
くだらねえ国。

でもって、こういうのを嘆く連中は朝鮮人たちに怒りを向けたりするん
だよな。スケープゴートとして在日朝鮮人を排斥したりとか。
それもまたスカだから。お門違いってやつ。
誰の国でもないてめえの国の文化荒廃の惨状を直視しろってんだ。
スカタン路線を推進しているのは日本人自身だ。
こんなナンチャッテ礼法を日本の「一流の挨拶」とかデッチ上げるくらい
ならば、いっそのこと初対面でもファーストネームで呼びすてにして、
「ハイ!ナイストゥーミーチュー」とか言ってシェイクハンドしているほうが
ずっといい。
「似て非なる物」を本物であるかのように人を欺罔してそれを正しいとする
潮流は、俺は度し難く赦せない。
どうせなら、食事の時も立膝でもすれば如何か。
もしくは、日本の文字はすべてハングルにするとか。
そういうことをこの礼法推進者たちはやっている。

 


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コンピュータをコンピューターと呼んだ時代

2016年09月10日 | 文学・歴史・文化



私がベーシックで信号機のプログラミングのバイトをしていた
30数年前の
学生時代の雑誌記事。
時代ですなぁ(笑)。


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これが本性?広瀬すず、隠しカメラで撮られた素の仕草にファンが大ショック!【放送事故】

2016年09月08日 | 文学・歴史・文化

これが本性?広瀬すず、隠しカメラで撮られた素の仕草に
ファンが大ショック!【放送事故】


イモが好きなんだろ。いいじゃん。
芸能人はマナー教室の先生じゃねーんだよ。

こんくらいで驚いたりなげいたりするなって。
爆笑問題の太田なんて、高田馬場の中華屋で見かけたときなんか、
ゲップを何回も天に向かって
「ガゴゲーーップ。カーッ!」と
やってたぞ。何度も。何度もだよ。

マネージャーと二人みたいだったが。
ものすごくうるさいし、こぎたなくて迷惑なのでよほど注意
してやろうかと思ったけど、
やめといた。
あと、明菜がマッチと○×▽の後、自殺から生還して、独り
ポンギの回転寿司でマグロ食ってた時には、やはり立て肘
つい
て箸進めてたぞ。雰囲気暗くて気の毒だったけど。


別段芸能人は作法教室の教授方じゃないんだから、世間の人間
勝手に幻想抱いて期待して、勝手に幻滅したりするのやめと
いたほうがいいと思うよ。マナーなんて身に着けてるもんかっ
ての。
あるベテラン俳優の「お宅訪問」みたいな住宅紹介番組では、
その男優は、ずっと玄関で靴を逆向きに脱いで、そのまま尻
から家の中に上がっている。それが礼儀だと思ってるのだろう。
このようなド失礼な行為を何十年も放送している番組自体の神経
を疑うが、ま、礼儀作法やマナーなんてそんなもんよ。
最近ではどこ行っても、施設やホテルや航空機や新幹線などでは、
女性は両手を前で組んでおじぎする朝鮮式がまるで日本式の礼儀
かのように蔓延しているでしょ?
マナー教室の講師からしてそれが正しい日本のおじぎだなどと
大デタラメを広報してそれを世間の人間たちはマルのみ信じて
いるのだから、今さらこの国にマナーも作法もへったくれも
ないよ。仕方ないけどね。いつまで経ってもねつ造が大好きな
精神土壌が日本人にあるのだから。


ただ、芸能人でなく、一般人でも、あの口あけてクチャクチャ
食う奴らどうにかなんないかね。
自分の家でなら知ったこっちゃないけど、他人もいるレストラン
や食べ物屋
でものすげー汚く牛みたいな音たててクッチャクチャ
と口あけたまま食ってるの結構いたり
する。
あれ、自分ではまったく気づいてないのだろうな。
知り合いにも何人かいるけど、さすがに言う気にもならない。
あれは、周囲の人間はとてもじゃないが愉快なものではない。
一度、友人だったから「おめ、クチャクチャ音出して食うなよ」
と言ったら「俺はそんな食い方していない」と逆切れされた
ことがあったから、あ、ダメだこりゃとそれ以来他人には言わ
ないが、あの食べ方は
よしといたほうがいいと思うけどなぁ。

(余談だが、芸能人で物凄く綺麗な食し方をする人を私はほとんど、
というかまず知らない。みなさん・・・なんつーかアレですわ。芸能の
世界って、そんなもん。つか芸能人千人いたら一人か二人くらい
じゃない?きちんとした礼儀作法で食事ができる人。むしろ一般人
より汚い食べ方の人が多いですよ。芸能人に何か「聖なるもの」
「秀逸なるもの」を期待する方がどうかしている。芸能人は規範
教導者や生活文化代表者ではないのだから。あくまでも芸能を業
とする関係者というだけなのだから。
芸能人ではないが、有名人としては町井勲さんとは何度も食事して
いるが、あの人の食べ方、非常に綺麗です。普段からとても着る物
も身綺麗にされてますが、食事のしかたが品よく、綺麗。間違って
も、稽古の時にガムくちゃくちゃ食いながら挨拶もなしに道場に
入って来て、始まりの礼も終礼もしないで宗家でございと名乗って
いるようなねつ造流派のねつ造マンとは違うな、と思った次第にて。
やはりねつ造集団はねつ造メンで、こ汚いダマシ常套のところには
綺麗な日本の伝統礼儀作法は不存在なのだなとよく判るということ
で。サイトで書いてあることはすべて大嘘。これは現実が真実を
暗黙のうちに語っている)


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かごんま

2016年09月06日 | 文学・歴史・文化



おいどんは、今、かごんまでごわんど。じゃっどじゃっどぉ~。
って、埼玉県人だけどさ(^0^
嘘ねつ造ではない、本物の示現流を本日から魚屋さんは鹿児島
まで習いに行ってるようだ。

俺も自分の正絹紋付羽織着ると思うのだけど、江戸期よりも
だいぶ房紐の環の位置が今の着物は下なんだよね。
あと二寸程上に設置してくれれば、江戸期の武家羽織と同じ
位置になって、刀に干渉しないのだが・・・。

今夜はかごんまで魚屋は夜の暴れん坊将軍なのだろうか。
つか、酒一切飲めない飲まないのに、場の空気になじめる
のでせうか(^^;

ひどい話があって、私が土佐英信流を学び始める時に、「君は
酒が飲めるか」と先生に尋ねられた。
相当飲めることを告げると「ならばよい」と。
土佐では、酒が飲めるか飲めないかで、てんで扱いが違うのだ
そうだ。
これは、ひで~話だと思う(^^;

あと、飲める者を評価する地方というのは全国各地にあるが、
なんというか、そういうのってねぇ・・・。
結納の時に、こちらも紋付で正装して行ったら、まるで自宅
結婚式かのようにひな壇に座らされて、親戚縁者一同が新郎
の前に正座して列を作る。
杯を差し出されるので、注げというのかと思ったら、それを
取ってその人からの酌を受けて飲み干せということらしい。
その人の後ろにはずらっと一列に杯やコップを持った人が
正座して並んでいる。
おいらね、ビール焼酎の他に日本酒を二升以上飲まされて、
さすがに酒に強いと思っていても、結納の終了直後に死んだ
っす(笑)。
あれ、よくないよ。アルコール分解酵素が少ない人は、まじ
もんで死んじゃうよ。よく大学の新歓コンパのイッキで死者
が出たように。

家内は一滴も飲めないが、娘はかなりいける。
グダ~とならずに、いくら飲んでもシャキッとしている。
これはこれで、一緒に飲めるのでなかなか楽しかったりする。

ただ、酒は楽しんで飲むものであって、酔っぱらうのが目的で
飲むのではない。酒自体が各地の名産料理と同じで実にうまい
のである。
酒を嗜まない人はここらあたりがご理解いただけないようで、
ドラッグのように人は酔うために酒を飲むのかと思ってるよう
な感じがある。
違うんだよなぁ。マグロだけでなく、かんぱちやエンガワも
食いたいじゃない。それと同じなのよね。
まして、コハダの握りように、職人の技が発揮されているような
酒に出会ったら、あぁた、そいつはやっぱり至福というものよ。


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古代製鉄 ~弥生時代~

2016年09月06日 | 文学・歴史・文化




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日立金属のサイトから ⇒ こちら

弥生時代の製鉄炉が自然通風の小たたら炉であったならば、遺跡は
残りようがない
と思うのだが。
2世紀=西暦100年代には大型銅鐸を生産する能力は持っていた。
また、ガラスを製造する技術があるということは、鉄の溶融さえ
も可能な温度まで加熱できる「炉」を有していたということだ。
古代製鉄=砂鉄製鉄と捉えている限り、日本の製鉄の歴史はヤマト
王権が大和朝廷となった時期に国内製鉄の開始を比定させようと
する恣意的操作からは脱却できない。
日本の製鉄の開始が6世紀頃以降なんてことは、まあ、状況証拠
からするとあり得ないのだが、日本の国定教科書では日本の製鉄
の歴史は6世紀頃からということになっている(苦笑)。

弥生時代には製鉄はなく、国内鉄器は全部輸入品?
んなバカな(^^;
赤土から鉄を作ってたんでしょ、きっと。


それと、学術界では決定的に欠落している視点がある。
それは、技術集団は突然天から降って来て地から湧いた
ということはあり得ないということを見定める視点だ。
数百年後に日本刀を作ることになった鍛冶職たちは、元々
倭国時代に鉄器を生産していた鍛人(かぬち)たちの系譜
にあったことだろう。
産鉄地区の周辺に古墳群が存在しているのは何を意味する
のか。
そして、そのことは、後世の刀工の出現と、また差別政策
まで含めた人民統制史とどう有機的に結合しているのか。

こうした視点を大きく欠落させたまま、学術界というのは、
古代炉の火口の大きさの比較とか、そのようなミクロ視点の
ことばかりに時間を費やすことが「研究」だと思い込んでい
るフシがある。

日本最古の製鉄炉の一つとされる三原小丸遺跡


ここで3世紀に製鉄が行なわれたその600年後の大同年間(801~)
以前に、すでに山陽道には50駅以上の駅家(うまや)が設置されて
いた。

このエリアの山陽道沿線は、砂鉄製鉄以前の製鉄原料ソブの宝庫である。

真良(しんら←新羅と関連ありか?)付近の地区のソブ


三原市八幡町の小丸遺跡がある地区は、古代山陽道のうち
駅名不詳の駅家(うまや)があったであろうと推定されて
いる場所であり、奇しくもそのエリアは、私が「元ミハラ」
であったであろうと推定している地区である。
備後三原鍛冶の起こりは、仮に三原正家がミハラという地域
に存在したとしたら、この付近ではなかろうか。
小丸遺跡の付近の小字は八幡町美生(みのう)という。
遺跡発掘現場は宮内という小字であり、これが古代からの地名
と関与しているのであれば、なぜ聖域としての名が付いたのか
も調べる必要があるように思える。


いずれにせよ、日本史における「空白の四世紀」が解明されない
ことには、日本の古代前期と古代中期が繋がる反証が得られない
のであるが(笑
ただ、後世に残っている技術・伝統系は突如突然パッと発生する
ものではないので、繋がりの解明はとても重要だ。
歴史の真実を解き明かすことにおいて、いかにねつ造行為が学術
的にも文化史的にも、犯罪的であるかが窺い知れる。
歴史事実のねつ造は、人間の知性の行使に対する冒涜であり、重篤
な犯罪であるのだ。

発掘現場に石器を埋めていたねつ造おいさんのような明らかな犯罪
が日本武術界の中では横行しているが、ねつ造はねつ造であり、
嘘は嘘なのである。石器埋めの類を行なっている自称武術家などの
行為は、そこには真実も誠の心も微塵も無い。
(どんどん新しい嘘業が毎日のように「実は当流では」と新たに飛び
出してきているのだから、いい加減に嘘デタラメの創作であると気づけ
よと多くの人には思うのだが、世に詐欺商法が無くならないのと同じで、
騙されてしまう人間はいつの時代も幾人かはいるものらしい)



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エヴァンゲリオンレーシング 世界耐久選手権への挑戦

2016年09月06日 | 文学・歴史・文化



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俺ね、こういうのはいいと思うのよ。どんどんやってほしい。
また、日本人GPライダーでイタバイク仕様で世界戦に乗り
込んだライダーも、世界中から注目を浴びた。アニメキャラ
をバイクのカウルに描くことはさすがのフランス人でも発想
しなかったそうで、これは大いに受け注目された。
四輪車もバイクも、レースの世界は、スポンサーの広告塔と
してのポジションもあるために、成績が第一だが、「目立って
ナンボ」ということが非常に大きな意味を占める世界だ。
広告こそは目立たないとならない。その企業のPRとなり、製品
が売れるために広告を出す。レーシングマシンのボディのフェア
リングが広告だらけで
あるのはそのためだ。

エヴァンゲリオンレーシングチームも、アニメ作品とのコラボ
として大いにヱヴァという作品をPRするためにこうした活動
セッションを行なうのは、プロモートとしては大いに歓迎すべき
ことだし、心から拍手を送りたいと思う。元々貞本自身が峠の
ライダーだったことは関係なしとしても。


ただ、伝統工芸文化として存在する日本刀の世界でヱヴァ人気
に便乗してのあの日本刀ヱヴァ展はないわぁと思う。
正直言って、あのお祭りで大はしゃぎしていた、よく他の写真で
は腕組みしてラーメン屋のおやじのように偉そうに写ってるおっ
さんとかは、「これはアカンわ」と思った。かなり期待していた
人だったが、コンクールで入賞ごとにどんどん偉そう俺様大将の
天狗病になって昔の青年時代の謙虚さが消失し、態度が変わって
来たのを見ていた。
その心根の変化を長年タイムリーに追うよう
に見てきて、正真の武家の流れの同族としても、ちと悲しくなっ
たりもした。内に秘める武家の矜持と俺様大将根性を混同したか。

コラボといっても、もっと他にやりようはないのか。
真剣日本刀にわけわからん汚いプラスティックのベベ着せて喜んで
いる人たちの神経を疑う。
例えばレースの世界で日本刀とのコラボと称して、日本刀を車の
スプリングとして使うとか、パーツとして流用するとかやってい
たとしたら、それはふざけるなとなる。そうしたことをあの日本刀
ヱヴァ展はやっていた。何が「新たな挑戦」だ。お戯れのご乱心も
甚だしい。


いっそのこと、茶道の世界、歌舞伎の世界、落語の世界、雅楽の
世界、クラシック管弦楽団等々もヱヴァの連中とのコラボを採り
入れ
たらどうだろうか。管弦楽の楽器や雅楽の楽器にもあのヱヴァ
のベベ着せて、茶道の茶器もヱヴァだらけというのはどうだ?
連中はそういうことを日本刀にやったのだから。
皇室行事などは両者PRとして最適かも知れない。総理がマリオに
なるくらいだから、今上陛下にもコスってもらって、「初号機発進!」
とかの御言葉をいただくとか。


しかし、あのくだらない下の下の下の日本刀ヱヴァ展はこうした
「あり得ないこと」をやってしまった感がある。
日本刀をナメてるのか!と私は言いたい。

現在若者受けしている物ならば便乗できることなら何でもいいと
いう、あの主催者の思慮の
浅はかさは計り知れない。
あれのコンセプトは、私個人は全否定する。完全否定だ。
ふざけるな、とヱヴァ展の誘いを断って刀匠会を抜けた刀工もいたが、
骨のある態度だと私は思う。
会場に行ってみて、この目で実見してみて明確に私は判断した。
あれは日本刀の歴史上、史上最低の催しである。

刀剣乱舞=とうらぶ仕掛け人は鋭い。
実存する日本刀にターゲットを絞って、擬人化することでそのギミック
をゲーム中に展開することにより爆発的日本刀ブームをまさに「創出」
した。下世話な便乗商法ではなく、自ら新路線で作り上げた。
底の浅い安直な日本刀ヱヴァ路線とは、内実において、大きく明暗を
分けている。
とうらぶは、原初段階の導入アプローチを引っ張り出す導線において、
実存を一切否定していない。
実存は本質に先立つのである。
中身において、とうらぶの勝利は火を見るよりも明らかだ。
そして現実は雄弁に真実を物語る。
日本刀ヱヴァ展は、観客動員の中身として「ヱヴァ」を観に来る人間を
集客したが、とうらぶは「本物の日本刀」をこの目で見たいと人を行動
に立つことを実際に波及力として惹起せしめている。多くの女性や若者
まで、真実の「本物の日本刀」を見たいために博物館や展示場に足を運
ばせている。それは、とうらぶが背中を押している。
ヱヴァ展ではしゃいでいた主催者たちは、ヱヴァ展とのこの決定的な
違いの冷厳かつ揺るぎない現実が意味する中身を理解できるのだろう
か。
ヱヴァ展は日本刀文化の波及のために企画したというその気持ちは買う
が、冷徹に、路線は失敗であり誤謬であったと、主催者および関係者は
総括すべきではないだろうか。


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