渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

掲額

2017年05月23日 | 文学・歴史・文化



我が藩の領内神社の奉納額の氏名を見ると、ほとんど我が藩士録にない
氏名ばかりだ。たまたまこれは士分でない者たち、あるいは士分でも役に
就かない部屋住みの門弟の武芸額なの
だろうか。
この額は天保14年の額だ。

私の過去記事では以下のように紹介した。

「『天保十四年(以下略) 奉懸 小野流 比山並右衛門 追ひ(および)一門』
とあります。

西暦1843年ですね。1843年の額と木刀ですよ、これ。沖田総司が生まれた
のが天保十五年で、土方さんが天保六年生まれで、近藤さんは天保五年生
まれです。近藤・土方が8~9歳の時ですから、今でいう小学校2~3年の頃。

う~ん、彼ら武州多摩の土手でツクシ取ってた頃かな(^^;
その頃の三原藩領の小野流剣術柔術の一門の額です。
ちなみに比山という名字は藩士録にはありませんので、浪人扱いか郷士か
あるいは家老の家臣=陪審またものである可能性があります。
もしくは、土方さんたちのように百姓階級だったか。
広島藩領でも武術が盛んで、特に三原支城領内では武術が本藩以上に盛ん
でした。武士だけでなく郷士や近在の百姓たちも武芸にいそしんだようで、
特に体術などは農民たちも盛んに学んだようです。武士がほとんどいない尾道
でも柔術や総合武術は盛んでした。
三原の「小野流」を修めた人物としては、三原藩士(本藩安芸広島浅野家家中
とは別に三原を藩と俗称して三原藩士と呼ぶことも通例としてあります)に
という武士がいました。小太刀・大太刀、二刀を用いる流派で、
門人に佐々木仲蔵為継・坂田弥四郎などがいました。

三原といえば槍の佐分利流が有名ですが、三原のほうが鍵槍の本伝を伝え、
広島本藩のほうは大長身槍を使うという変則になっており、本藩のほうが分派
系となっています。これ面白い現象。」

過去記事はこちら ⇒ 三原紀行 ~歴史散歩 「刀工正家と糸碕神社」~


三原藩士というものはおらず、三原在勤の武士たちは全員が広島本藩の
浅野松平安芸守の家中であった。便宜上三原藩とは呼べども、藩呼称
自体が江戸期には正式名称ではなく、藩というのはあくまで通称的な呼称
だった。三原の武士は広島藩士だが、広島藩とは通称で、本来は松平
安芸守家中が正しい。浅野家の家の臣であるから家臣で家中。家中の
家禄は浅野の殿様から頂く。


こちらは「佐々木某」の記名のある明治期の額。
広島藩士の小野流を納めた士族の佐々木氏関係者だろうか。
佐々木氏が小野流を納めた武士として藩士録にも記録にもある
のであるから、この明治期の佐々木某も江戸期の士分佐々木忠蔵
孝信もしくは佐々木忠蔵為継に連なる系譜かも知れない。
となると、明治期には佐々木氏が小野流を継いでいたことになる。
今は三原には残っていない。信抜流さえも三原には残っていない。
三原の地に残し伝えられた武術は皆無=ゼロである。
1970年の大阪万博の時には信抜流剣法の宗家が門下80名を引き
連れて演武をしたが、あれが最後の打ち上げ花火のようなものだった。
ん?
江戸期の信抜流の門下門人録を持っていたが、どこにしまったか・・・。
管理が悪い(^^;

私のことを「士分以外が武芸をやることを知らない無知。馬庭念流も知ら
ないんじゃね?」みたいなことを裏ネットで書きたてている自称武術研究者
たちがいるらしいが、馬鹿馬鹿しいし、自己唯一絶対脳というものは、
現実を現実として認識できず、自分が思い込んだらそれが社会的事実と
なるような脳の働きで、私はそれはキチガイであるとしている。結局は読解
力もないし、そもそも文章をきちんと読まずに表面だけの上っ面で目先の
ことしか判断できないまま他人を揶揄する事だけはどこかで覚えたのだろう。
それユトリの特徴であり弱点だから(苦笑)。オツムが隙だらけ(笑)。

昔実話でこういう経験をした。
昔ね、こういうことがあったのよ。自販機を前にして。

私「喉かわいた?なんか飲む?」
A「わたしオレンジジュース」
私「オレンジね。(自販機でガチャン) はいどうぞ」
A「なんでオレンジなのよ!」
私「え?だってさっきオレンジと言ったじゃない」
A「さっきはオレンジだったけど、今はリンゴジュースがほしいの!」
私「そう言われても」
A「たった今欲しい物をなんであなたは分からないのよ!ほんとに我儘な人ね。
  反省しなさいよ!」
私「それ無理でない?」
A「なんでよ?なんでなのよ!? わたしは今の今わたしが白だと考えたら白だと
  思ってくれる人じゃないと嫌なの!なんでそれが分からないのよ。反省しなさい
  よ!!」


これは実話である。
このAはキチガイなのだ。
「これはリンゴでありこれはミカンである」と明確に書いてある事実をまるで無視
して、自分の思い込みや脳内で作出されたことを唯一絶対真実として「リンゴも
ミカンも書いていない」とするのも、キチガイだからなのだ。
そして、さらにその脳内の出来事を基に他人を攻撃する。
こういう人間たちは措置入院が相当なのではなかろうか。
こうした連中が集団で真剣日本刀を所持している。非常に危険である。


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武士の人口

2017年05月23日 | 文学・歴史・文化



幕末の日本の人口約3,000万人。そのうち上士下士含めての
武士人口は約300万人。
現代人口1億2,700万人。単純比率で武士の末裔1,270万人。
人をランダムに集めたら、昔から10人に1人は武士だ。
だが、これは総じての比率であり、県庁所在地=かつての藩庁
がある現在の都道府県の都市=に行けば先祖が武士の比率は
一気に高くなる。
また逆に農村部や炭鉱町や漁猟町に行くと一気に激減する。
というか炭鉱町などは元武士ルーツの人口は1/100,000くらいの
比率になるの
ではなかろうか。場所や地区によっては元武士人口
がゼロになる所もざらではないだろう。

だが、国民総体おしなべると、10人に1人は武士のルーツを持つ。

こういう見方は考えると恐ろしいもので(笑
東京の人口は約13,686,000人。
つまり、日本人の9人に1人は東京人なのである(笑
日本人を9人集めたら1人は東京人なのだ。それが真実。

ルーツが武士であるなどあり得ない、渓流も町井も家系捏造だ恥を
知れ!とか2ちゃんで騒いでいるのがいる。私に康宏日本刀の製作を
断られた者が精神病的な粘着で騒ぎ立てているが、事実は事実、真実
は真実。
東京人など見たことないからお前が東京生まれだと嘘をつくな、この
恥知らずの武士道をおとしめる馬鹿者め、的なキチガイみたいな難癖
つけは「はあ?」なのである。
作刀は断ってよかった。絶対に九州の某流関係者には康宏作新作は
作らない。これ正解。
取り囲まれたら日本刀で警察官を5、6人斬り殺して斬りぬけるという
ことをネットで公言していた人間だ。まさにナントカにではない。私は
断言する。それはキチガイに刃物だ、と。


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SAA リグ

2017年05月23日 | 文学・歴史・文化



友人が米国から取り寄せるコルトSAA用のリグは、やはり1880年代の
デザインの物
にしようかどうか悩んでいるらしい。
私自身は持っていないが、オールドスタイルが好きだな。
アメリカのサイトを見ていても、本場もんの本物はワクワクする。
たぶん、外国人が日本の本物の日本刀を見る時、こんな感じなのでは
なかろうか。
在日米軍の釣り仲間に、我が家の先祖伝来の刀を何口かキャンプ場で
見せたら感動していた。「うぉ!これが本物のサムライソードかぁ」と。
その時一緒にいた米国から遊びに来ていた弟さんなんて、おおはしゃぎで
写真撮りまくってたよ(^^; 丁度2001年のオハナシ。
「最後の侍時代の戦争は銃だったけどね」と言ったら笑いながらガックシ
来てたけど、「シヴィルウォーだから」と言ったら納得していた。
本当は戊辰戦争はシヴィルウォーではなくてウォーリアーズウォーなんだ
けどね(笑)。でも英語では南北戦争と同じくシヴィルウォーと言うみたい。
で、彼の苗字がペリーと言うので、幕末に日本に来たペリーさんと関係
あるの?と尋ねたら、よく知らないけど遠祖は親戚かもとか言っていた。
米国ではかなり広い綿花農場を持っているらしい。南部でのいろいろな
昔話を教えてくれた。それこそ開拓時代から伝わる話とか。
生に聴く話は結構ナマナマしい(^^;
うちにもナマナマしい話が伝わっているが、そういうのはネットなどでは
公開しない。

このホルスターは抜きやすいようにトリガーガードが外に出るようにクセ
をつけていることが判る。



こういうメキシカンループの物もなかなかカッコいい。


実際の西部開拓時代にはこのタイプのガンベルトは無かった。

このホルスターがベルトの下にぶら下げられるタイプは実際
には存在しなかった物が映画用に創られた物だ。
水戸黄門の印籠のようなもので、このタイプは西部開拓時代
には歴史上存在しない。撮影用の小道具だ。ハリウッドモデル
などとよばれる架空リグ。

本当のこの時代。




ワイアットアープ。OKコラルの決闘の頃。


晩年は自動車でご満悦。




アープ役はコスナーが一番似合ってたようにも感じる。




こういうところで、後ろからいきなりズドンとかってのは嫌だなぁ。


カナダ人がつい先日言ってた。
日本人って口で相手をすごくけなしたり悪く言ったりするよね。
日本以外の外国ではそういうことしないよ。そういうことすると
絶対にやりかえされるから。殺されるかもしれない。日本人は
甘いよ。相手になにかしかけたらそれは殺し合いまで覚悟して
るよ、外国人は、と。
これと全く同じことを昔米国人弁護士に言われたことがある。
個人に向けて口汚くののしるとぶん殴られることはかつての
日本、私が20代の頃までは普通にあった。
今のゆとり勘違い野郎みたいな不埒な礼儀知らずの物言いの
奴がいたら総タコ殴りだったことだろう。
友人のカナダ人は、今の日本を見て言ってるのだろう。
「日本に来てムカつくことある?」と訊いたら、車の運転でよく
煽られると。それがムカつくと。そして、車をギューッと止めて
降りて行くと大抵逃げるらしい。これまで6回あって4回逃げられ、
2回は逃げなかったのでドアコンコンで「お前今何やった?」と
言うとビビリまくって平謝りに謝るのだという。
おいらも最近あったなぁ。信号待ちで、横断歩道またいで前の
車が止まって横断者が困っていたので軽くプッと鳴らしたら降り
てきてゴルァとか何とか言うから、シート横に積んでる樫製の
「肩叩き」を出して自分の肩をポンポン叩きながら「あ"ぁん?」と
やったら何だかぼそぼそ言いながら引っ込んで行った。やり合う
気がねぇならすっこんでろ。てやつね。
今のゆとり野郎たち見てると、胸倉掴んで連続10連打とかやり
たくなる。
ちなみに私の普段の言葉遣いは極めて丁寧である。丁寧である
ようにつとめている。

リグの選択は難しいよなぁ。
ジョンウェインは意外とリアルなホルスターを好んだ。
右腰の後ろのヒップ側に回してグリップを手前側に傾けるのが
彼のオリジナルスタイルだ。

ジョン・ウェインのケツ。早撃ちは出来ないが、リアルなオールド
スタイルでもある。





「俺のを貸してやるから使え」


クリントイーストウッドのマカロニ三部作は、製作側に言わせると
三作の関連性はないとしているが、明らかに同一人物ともおもえる
金髪野郎が主人公で、その時代的な流れが繋がる。
時間軸としては、
続・夕陽のガンマン→荒野の用心棒→夕陽のガンマン
となる。
なぜ主人公ブロンディ(名無し。名前は作によりモンコ等)がポンチョ
を着ているのか。それは戦争で死んだ兵士が着ていた物を貰い受け
たのだ(「続・夕陽のガンマン」)。そして、葉巻もその時からだ。
死にゆく者からブロンディは二つの物を受け継いだ。それがポンチョ
と葉巻だったのだ。
現実世界のクリントはタバコが大嫌いで、このマカロニウエスタンでの
役作りには苦労したという。

ホントは役の中では葉巻というよりもシガリロみたなの吸ってるけどね。


西部開拓時代も、色っぽい女性は色っぽい(笑)


ワイアット・アープは3度結婚したが、最後の奥さんは人気の
踊り子さんだった。晩年は夫婦仲良く暮らし、アラスカに移住
した。


最初の奥さん。何かアープは美人好みなのかしらね。


何だかヤワラちゃんのおじいちゃんみたいな気がする・・・
ってこのネタももう古過ぎる物になってしまったか。


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流派の教え

2017年05月21日 | 文学・歴史・文化

英信流は殿中武芸ではない。
ただ、非現実的であることも多くある。これは流門にある者たちも
自覚している。

特に正座居合などは典型で、大刀一刀差しで正座で対座、などと
いうあり得ないことをやっている。
私や私の師は流派の伝として、これはあくまで練習業なのでと解して
いるが、英信流を学ぶ者で、本気で正座で大刀一刀差しで殿中で
対座の想定があると思っている者がいるとしたら、それはあまりに
勉強不足だ。
荒唐無稽を盲信するほど暗愚なることは他にない。捏造や詐欺を
信じる愚者の如し。


他流の者が偏頗な視点から他流を指摘するのは更にいただけない。
仮に何流であろうとも他流からそのような齟齬ある視点で偏った独断
的な指摘をされたら不愉快に思うことだろう。


正座大刀一刀差し居合などは、江戸期の実生活ではあり得ない。
だが、我ら英信流一門はやる。
それでもいいのではなかろうか。

しゃっちょこばったことをそこまで言うのならば、私もそのパターンで
ねじれた視点から言ってみようか?

現代において居合で女が袴をはいて刀を差して居合を抜くのは、
あれは一体
何をやってるのか?と。
別式女の真似をしてるの?と。女がなぜ袴をはいて刀を差すの?と。
さらにもっと言う。
男でも、士族・武士の血脈にない者が刀を差して何やってるの?と。
武家の血脈でない者が何で武士の真似事をしているの?と。コスプレ
でしかないでしょう?それは、と。武士に
なりたいの?憧れてるの?と。
士族の血脈以外の者が大刀を差して袴をはくなどもっての外だ、と。
ところで、そこもとはいずれの御家中の血脈なのか、と。


杓子定規に我こそが正しいとして上から目線で物言いをするとそういう
ことになってしまう。現代環境や現代社会にはまったくそぐわない。
そんなことをまちがっても言ってはいけないのである。

だから、武芸のことについても、あまりしゃっちょこばったことを言っては
ならない、と私自身は心得ている。
女が居合してもいいじゃない、武士のルーツを持たない人が居合や剣術
をしてもいいじゃない、袴をはいて刀を差してもいいじゃない、と
私自身は
思っている。

武芸のある領域まで達した達人だからと、あまり上から目線で物言いを
するのであるならば、そこもとはいずれの御家中の子孫であるのか、
かような物言いをするには物言いをすべきしかるべき血脈者であるのか、
とさえ問いたくなる。


そういうね、俺様大将かますから江戸期から武芸者は「芸者」として
一段も二段も低く見られてたんだよ。
武士は芸者を格下に見ていた。

この事実の背景は、軍事においてのそうした武芸者に見られる個人
主義優先の思想は役に立たないどころか、軍陣にあっては弊害にさえ
なるからなんだよね。武士の武士らしい「我こそは」というのは、芸者
の「俺様大将」とは似て非なるものなんだよ。

もそっと、立脚点そのもの、本物の武士の精神性そのものを勉強されたし。

とは言っても、俺様大将気質というのは、絶対に変らない。
そうした気質で生きて来た者は、死ぬまで一生その性格は直らない。
私自身は、そうした者とは縁を持たないようにしている。
それは明確な愚の愚の愚者であるからだ。


ということを書くと、必ず暗愚な性根の悪いねらーが絡みついて来る
ことだろう。
唯一絶対、己の視点だけが正しいのだ、として。
その手の類は、人から指摘されても絶対に自分を見つめることをしない。
唯一自分のみが正しいとして言動を為す。
それらはすでに境界例等の類に属するものなのだが、まあ、自省は一切
しないし、自己客観視などもできない。
上司「3時までにこれ頼む。出来るかな?」
部下「やります」
上司「3時だ。え?まだ半分もできてない?どうなってるんだ」
部下「出来るなどとは僕は言ってません。僕は僕なりに精一杯やってるん
   です。それの何が悪いんですか」
というゆとり世代そのままドンズバのような自己中心自己唯一主義的
脳の働きしかできないようなネラーが絡みついてピーチクパーチク
ひきこもり特有の発言を繰り返すことだろう。

私はこの記事ではそういうことを言っている。そうした唯一絶対主義の
人としてのまずさを言っている。
どうせ読み切れないのだろうが。

愚者はアングラたん壺世界にすっこんでいなさい。そこが似合いの居処
なのだから。


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西部を征服した銃 ~コルト・シングル・アクション・アーミー~

2017年05月20日 | 文学・歴史・文化



1872年。スミス・アンド・ウエッソン社が持っていた金属薬莢と
いう世界革命的な弾薬のパテントが切れるのを待って、コルト社
が初めて世に出したのがコルト・シングル・アクション・アーミーだ。
この銃は1872年トライアルから1873年に正式に騎兵隊=米軍
に制式銃として採用され、同73年から7.5インチ銃身モデルが
一般販売が開始された。1886年には5.5インチ銃身モデルが
登場し爆発的人気となった。さらに、4.75インチの短銃身も登場し、
これは主として市民が携行して人気を博した(画像のモデル)。

とにかく、爆発的に売れた。
多くの西部開拓民はまだパーカッション式(シリンダーに火薬と弾頭
と雷管を詰め込む旧式連発銃)を使用しており、少し進んだ開拓民
はコンバージョンとよばれるパーカッション式を金属カートリッヂ式に
改造した拳銃を使っていたが、一時期を過ぎるとSAAが完全に
席巻した。
西部開拓における拳銃とは、殺し合いの撃ち合いのためではなく、
主として外出時の蛇撃ち等の護身用であり小動物の狩り用だった。
その西部の発展はすさまじく、ゴールドラッシュと共に鉄道が敷設
され、一気に開発が進み、多くの人が東部から西部にやってきた。
そして、銃も最新式のコルトSAAが大人気となったのである。
販売代理店がCMキャッチフレーズで使用した「ピースメーカー」と
いう呼称は、コルト・シング・ルアクション・アーミー=SAAモデルを
代表する呼称となり、世界中に知れわたった。
コルトSAAは当時地球上で最先端の最新式の革命的な銃だった
のである。

ピースメーカーは、初期銃器の黒色火薬時代のファースト・ジェネ
レーションモデルと、無煙火薬が開発されて以降のモデルがある。
どちらもファーストジェネレーションなのだが、のちにシリンダーの
軸ピンの固定を確実に頑強にとめる方式が出てきた。それが
セカンド・バージョンで、これが西部劇などでも多く使用されたモデル
である。
日本のモデルガンというものは世界で初めて作られたリアルレプリカ
ガンなのだが、日本のモデルガンのSAAは多くはセカンド・ジェネレー
ション以降をベースとしており、西部開拓時代の銃ではなかった。

日本のモデルガン(CMC金属。1968年型ベースの1973年製)。


1960年代初期は日本には渡航制限があった。誰でも海外に行く
ことが出来たのではない。仕事であるとか留学であるとかの正式
な理由がなければならず、預金残高証明も必要だった。
今のように自由に海外旅行が出来るようになったのはかなり後年
の事なのである。
このCMCのピースメーカーもベースは1960年代後半製作で、完璧
に資料不足によるものであることが細部を見れば判明する。
一番リアルさに欠けるのがグリップ周りのフレームの大きさで、これ
は当時写真資料しかサイド側面の全体像資料がなかったため、
写真の魚眼効果で横端が広がってしまい、それをそのまま寸法取り
したため、日本製モデルガンのSAAはグリップが実銃よりも大きい
ことになってしまった。特に六人部氏デザインの中田やCMC製は
そうなってしまい、これはのちに型を引き継いだ現ハートフォードも
そうなってしまっている。
逆にウルトラリアルなSAAの大きさを再現していたのは、実銃から
採寸してモデルアップした世界初のモデルガンメーカーのMGC
(モデルガンコーポレーションの略が社名の原初)だった。
しかし、日本人の多くは実銃と同寸のMGCのグリップを小さなオモチャ
然としたものと思っていたようだった。
ただ、MGCのSAAはシリンダーやトリガーガードやトリガーなどの
細々した
形状を見ると1stジェネレーションの物であり、もしかすると
部品
チャンポンの実銃SAA(これが実銃では実に多い)を採寸ベース
として
しまったのかもしれない。そのため、MGCはシリンダーピンの
ヘッドの形状を
実銃とは異なる物にしてあり、これも何だか謎チャンポン
をベースに
しているからかも知れないという推測が成り立つ。

MGCの1971年銃刀法規制以前の1964年型のSAA。とても貴重だ。


法に従い、銃膣を完全閉塞し、本体を黄色に塗っている。
1971年の横浜の小学生の時の断腸の思い。製品を破壊する
ことを強要する新法を憎みながらも、アウトローになるわけにも
いかず、本当に涙を流して泣きながら合法加工したのを今でも
よく覚えている。
本体の色は「白または黄色」に塗ることが義務付けられたが、
黄色についてはゴールドメッキや金色が黄色同類として認諾
された。だが、シルバーのクロムやニッケルメッキは実銃にも
存在したため、シルバーメッキ仕様は法律違反扱いとなった。
このモデルガンの白色黄色塗りは世界に類を見ないチンドン銃
とすることで実銃と見分けがつくようにしたものだが、実銃に
白と黄色でペイントして検問をあざむいてズドンとやるシーンが
当時タイムリーにTVアクションドラマ「キィハンター」で描かれて
いた。


このシリンダーピンスクリューがフレームサイドにあるタイプは
1896年登場の無縁火薬時代以降のモデルであり、黒色火薬
の西部開拓時代の銃ではない。
だが、ハリウッドウエスタンムービーとマカロニウエスタンの多く
(ほぼすべて)は、無縁火薬モデルを使用している。時代的には
存在しなかった嘘ガンベルトと共に。
こうしたことは、日本でいうならば、戦国時代や江戸初期柳生
物語に幕末の突兵拵が出てくるくらいにあり得ないことであり、
本来はやってはならないことだ。
しかし、アメリカ映画で時代考証がきっちりとなされた西部劇が
描かれ始めたのは1990年代に入ってからである。唯一、銃器
に関してはクリント・イーストウッドがリアル感にこだわって製作
を続けていた。彼のアプローチを多くの人が認識するようになった
のは90年代に入ってからだ。以降急激に「時代考証」がアメリカ
映画ではなされるようになった。94年前後には西部劇が矢継ぎ早
に発表されている。

ただ、イーストウッドとても、ローハイド以降に世に出る作となった
スパゲッティ・
ウエスタンの『荒野の用心棒』では、クリントの自前
の3rdジェネ
レーションのポスト戦後モデルのSAAをイタリアと
スペインに持ち
込んでの撮影だった。ビンテージの1stモデルは
撮影で使うのは
もったいなかったのだろう。というか、代用品の
無煙火薬モデル
を使用するのが西部劇のほとんどのやっつけ
手法だった。

それでもまだ日本の鞍馬天狗がダブルアクションのS&Wを持って
いる日本映画よりはずっといい。日本映画の銃器描写はひど過ぎ
ることがず~っと続いていた。どんなにクロサワがリアル主義に
こだわり抜いても、一般映画やドラマは虚像捏造全員集合だった。
そして日本では水戸黄門が人気を得て、あれが本物の本当の
時代を描写したのだと思い込むようなトンチキばかりになった。

1968年キャスト型タイプからネジの1本はギミックとなったが、
これの画像の個体64型なので
3スクリューともライブのタイプで
MGC製品としては超貴重なごく初期
モデル。


日本のモデルガンのハンマーは、初期物は太いハンマリングピン
だった。これは当時、実銃のセカンドバージョンの写真を見た人
たちは、モデルガンのそれをリアルではないと感じていたこと
だろう。

だが、しかし!

前述したように、日本のモデルガン作りは、古い時代のちゃんぽん
モデルがベースとなっていた。
セカンドバージョンにあの日本のモデルガンの太いハンマリングピン
(カートリッヂの雷管を叩くハンマー凸部)はおかしいことはおかしい
のだが、実際の実銃ビンテージ1stジェネレーションは、ピンが太い。
実に太いのである。クレヨンを削ったみたいに太い。

上:セカンド・ジェネレーション無煙火薬モデル
下手前:1884年製ファースト・ジェネレーション黒色火薬モデル

モデルガン(マルシン金属)。カートを面で打撃するタイプなので
ハンマー打撃部の先端がフラットに造形されているが、この太さ
自体は実銃と同じだったのだという事実。だが研究が未発達の
1960~70年代はこの形はリアルではないと多くの日本人は
思っていた。


廃番マルシンSAA。これもチャンポンモデルで、シリンダーの形状は
ファースト・ジェネレーションをかたどっている。


重量は実銃なみの1060グラム。私の康宏刀とまったく同じである(笑)。
というか、実銃はロングバレルの砲兵モデルで1048グラムなのだから、
カートを入れた金属モデルガンは実銃のカートなし重量よりもかなり重い。
これは、鉄の比重7.8に比して亜鉛合金が6.7~7.13程度で軽量なの
だが重いということは、銃膣閉塞によるモデルガン独自の重さということ
なのだ。そのためバランスも前バランスになり実銃とは異なる。豚鼻の
CMCや1971年規制以前のモデルが実銃に近いバランスだっただろう。

ここで登場してもらう、ヒコック45のおっちゃん。
ピースメーカーのクリック音が風鎮のように澄んでいて快感。
Colt 45 SAA 1884 Vintage


実銃でも「技あり」の人はどんなことをしちゃうかというと、これ。
自分で射った矢や投げたナイフを自分で抜き撃ちで射撃して命中させる。
なんだか凄すぎ。特に矢の距離というのはかなりあり、その距離で抜き
撃ちで中るということかと驚く。
Knife Throw vs. Fast Draw - Cisko Master Gunfighter


日本人で実弾射撃での抜き撃ちNo.1は国本圭一氏だ。
この人が日本でコルト・ガバメント・ブームを創った。元々はSAAの人。


でもって、なぜか国本氏本人が使っていた彼のモデルガンSAAを
私は持っている(下)。これは宝物。


この国本圭一さんのSAAには私は本当に大切なことを勉強させて
もらった。
これね、
外見はまったくノーマルなのに、内部はフルチューニング
されてるの。
作動が一般売りの製品とはまるで次元が違います。
これには感服した。シリンダーストップボルトが上るタイミングまで
チューンされている。
このトイガンに詰まった姿勢は大いに学ぶところありと痛感したの
でした。
世の中って、
ハデハデしいハッタリかましほどニセモノが多いんだよね。
かといって何も羊の皮をフェイクで狼が被る必要はない。本当にごく
普通の
ノーマルに見えて、実は超高性能の能力を持つ。人も物も、そう
いうのが凄いと私は心底感じる次第にて。

見たところなんの変哲もないノーマルガンなのに、この国本さんのSAA
手にして、私は
本当に心底驚いた。
大事なことを勉強させてもらいました。

私にとっては、ピースメーカーについて研究し、考察し、触れ合って
いる時が一番楽しい時間だよ。
一番くだらないのが武術屋たちのこきたない性格を見た時ね。
あれは世の中であれほど汚い心根があるのかと思える程に小汚い。
ice-kみたいなの大集合なのが武術界だから、あんな武術のような
ことをして人間的な人格などは万が一にも形成されはしない。カスが
集まりカスが好んでやるのが日本古武術だ。
何かね、勘違いしてるんだよね。古流をやってる奴は偉いんだ、みたい
な大きな勘違い。そしてそれゆえか慇懃無礼か横柄な人間たち大集合。
タコのクソが頭にのぼってるような連中ばかりなんだよね、本当に。
あれ、きっと武術には人間の精神を根本から腐らせる何か未発見の
要素があるのでしょうね。
結構クリーンだと思っていた全日本剣道連盟でも最近何か不祥事が
発覚したみたいね。それは「露見」であって、元々ずっとそういう汚濁
システムというのは存在したのだろうけど。まあ、全剣連みたいな武術
ならぬ武道の世界も、公的にはクリーンに見えても、医学の世界と全く
一緒で、どす黒くて汚い政治の世界があるみたいよ。


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幻の50ccロードレーサー ~ヤマハ ~

2017年05月15日 | 文学・歴史・文化


ヤマハ ワークスレーサー RF302 50cc(1969)

世界戦を走ることが無かった幻のヤマハの50ccワークス
レーサー

これに私の指紋が着いている。もうとっくに消されただろう
けど(笑)
なぜならば、高校時代の       
には、これ(この個体)
が置いてあり、私は
毎日触っていたからである(笑)。
ハニービーの三井さんやヨシモトの三原さんたちとも仲が良かった
し、
ロードレースのプライベーター業界のお歴々になぜかとても
可愛がられた時代。(いつも別ジャンルでも年上の同性にやたら
可愛がられた。いや、女性も年上が非常に可愛がってくれた(笑)。
学校の教師も小学校から高校まで特に目をかけてくれたりした
ことが非常に多かった。優等生ではなくワルだったのに、小さい
頃から年上には素直だったからかもしれない)

一つの時代の空気として、1970年代当時、首都圏でロード
レースをやる人たちは全員がまるで戦友のように仲がよかった。
キャリアだけでいったら、平忠彦さんと私はほぼ同期だが、
本気度の違いで一般人とワークスライダーの違いになった(笑


あ。いろいろな世界で嫌な野郎というのはどこでも多いけど、
ロードレースの世界はあまりいなかった。というかお目にかか
らなかった。1980年代中期までは。


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惜しいなあ

2017年05月12日 | 文学・歴史・文化

某創設者さま、熱烈連投ツイートありがとうございます。懐かしく
拝見しました。ここ見てるんですね〜。てか、検索ですか?
ただ、四ターネタはあくまでネタでして。
別段、あの方は土竜さんだったよと本当は言ってるのではないのでして。
貴殿が「これからはこれぜよ」の画像をかつて出していたように、
あくまでネタですから。
捏造じゃないよお〜。
接点は、勿論、公安の記録上でガチですね(笑

以前から申し上げておりますように、私のウェブ日記は半分冗談で
半分与太ですから、嘘を嘘と見抜けない人は読んでもドツボなだけ
なのですが、流石の先輩がまさかドツボにはならないで、あなた
お願い、行かないで!というやつでして。

ええと、コメント欄は設けてません。
ブログではなく、一方的な独白日記ですから。
すんませんが、ご理解を。

現代野試合、私は大賞賛です。
まさに私がやりたかったことを現実世界で成し遂げてくださった。
昔のように江戸村での江戸期設定での斬り合いや、カブでの槍突撃も
面白いですけどね。
やはり、東北のあの祭りのような集団でのしばき合い合戦試合がワクワク
ですわ。
今では野試合そのものがかなりメジャーになったようで、憧憬とともに、
心から嬉しく思っています。
兵站まで再現しての大構想は面白いですね。スケールがでかい!
そういうのって、いいすね。
心が明るいよ。

あと、リンクも貼ってくださった件の私の与太記事は、文章の一番
最後の段だけが本気の真実書きのつもりですから、よろしこ。
パイセンのオトボケぶりは勘兵衛というよりも平八みたいですが(≧∇≦)
昔からその人を食ったところが大好きで、ファンでした(笑

ほんとのこと言うと、巨大風車のシマシマ塗ったの俺なの(≧∇≦)

と、西暦2000年頃のネットムーブメントを知らない世代は何のこと
やらちんぷんかんぷんの噺でございます。

あ。
俺、「第四インターネット」って創ろうかなあ(笑

そうそう、野試合記事、創設者の段は捏造だっつーこと、一番最後に
追記しときました。
どうお、すいあせん。

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太刀・刀について

2017年05月12日 | 文学・歴史・文化



私ね、思うのですけどね。
太刀・刀(打ち刀)というのは、武器としては著しく
不完全でまともなものではないシロモノのように思える。
なぜならば、使うためにはかなりの特殊な技術が必要で、
誰でも使える武器ではないから。
木刀やこん棒ならば、どのように振っても打撃すれば
誰でも相手にダメージを与えられる。
ところが太刀・刀については、それなりの技術を習得
しないとまともに効果が発揮できない。
槍は突けば威力を発揮する。薙刀や長巻は振れば斬切
できる。石も投げて中れば大ごとだ。中りどころに
よっては死亡する。(戦国時代の合戦の死亡例の大かた
は投石と弓によるもの)

日本刀のうち、武器として誰が使っても効果を発揮する
のは、薙刀、槍、長巻、鎧通しなどで、太刀・刀は実に
不甲斐ない。武器として完成されていない。
扱うのに特殊技術者でないと扱えない武器というのは
集団武器として未完成と言わざるをえない。
刀は現代戦ならば歩兵の自動小銃にあたる面もあるが、
特殊な癖を覚えて特別な撃ち方をしないと射撃できない
小銃など歩兵武器にはならないからね。まさに刀がそれ。

刀はそもそもが戦争のための道具=武器として作られて
こなかった登場当初からの歴史を持つので、これは本質性
からして刀は戦闘
武器足り得ないのかもしれない。
赤軍派の連中にしても「百名の抜刀隊で国会包囲」とか
わっけわからん戦術を1969年に主張していたが、荒唐無稽
を通りこして頭がイカレた連中の集団夢遊病としか思えない。
いかに赤軍派という「軍」を名乗る連中が武器に精通して
おらず、日本の軍事史に暗かったかということを表している
馬鹿丸出しの主張なのだが、刀がアナクロということとは
別に、存外現代剣士たちも「刀は戦争には使えない」という
ことを知覚していないのではないか。ブント赤軍派の連中
が「刀最強~~!」とか勘違いしていたように。ポンと銃で
撃たれておしまいなのに。そんなことは鳥羽伏見で新選組
が散々味わったのだし、実のところは信長の時代から戦争の
趨勢を決する武器は刀剣ではなく銃器である、ということは
分かり切っていた。
刀は戦争の戦闘では使えない道具なのだ。
新選組などは、京都の狭い路地で人斬りに使えたからと勘違い
した百姓たちだったのだろうが、実のところ、倒幕派志士を
斬った数よりも隊内粛清で暗殺した人数のほうが多いという
新選組の実体これあり、でしてね。ろくなもんじゃない。
だが、彼らが、刀こそ唯一のサムライの武器、だなどと今で
いう中2病のように狂信的に盲信したのは事実だっただろう。
隊内では意外と洋式化も進んでいて、銃器配備もあったの
だが、やはり、土方にしろ、切羽詰まって五稜郭という
局面以前にとっとと剣士を銃士に変換させておくべきだった
ろうと思うよ。
安芸広島藩は戊辰戦争のずっと以前に、藩士全員を剣士から
銃士に編成しなおした。全員だよ、全員。上士下士関係なく
全員。
要するに家臣たる武士は兵団でもあるので、その編成を完全
に銃隊に組み替えた。
これってかなりの英断のように思える。一応刀は帯びるが
刀そのものが副え物であって、メインは小銃だ。広島藩は
幕末にすでに近代化兵装に転換を図っていた。
ただ、記録を見ると、かなり銃器が不足して困っていたみた
いですね。薩長のようにはいかなかった。


江戸期に「藩」という正式名称は無かったが、松平安芸守
浅野広島藩の
武士は士卒含めて明治維新時に32,582人いた。
42万6000石という大藩なので大所帯だ。銃器は常に不足
していた。


未完成の武器、太刀・刀。
戦争にはまったく(に近い「ほぼ」)使えない武具。
なんじゃ、こりゃあああ~~~!

戦時中の海軍士官の短剣のように、太刀や刀は武器という
よりも武士の象徴的なアイテムという側面が強かったので
しょうね。




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武士の約束

2017年05月12日 | 文学・歴史・文化



武士同士は面白い約束事がある。
誓うと決して破らない。
それを「金打(キンチョウ)」という。
これって・・・武士同士でないと解らないだろうなぁ・・・。
今は武士はいないからね(苦笑




お約束ですので(笑


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負けイクサの歴史

2017年05月11日 | 文学・歴史・文化

ある友人がある家系の資料を見せて「渓流さんも世が
世なら
ですね」と言った。
何を言ってるのか意味分からなかったが、資料を見て

噴き出しそうだった。
「それ、書かれているの、うちのことだから」と答えた。
「ええ?まじっすか」となっていたが、事実は事実。
歴史の真実、嘘言わない(笑
まあ、タイムマシンに乗って行って実見したわけではないから
本当かどうか分からないけどね〜。まあ、家伝だけでなく
世の文献史料上ではそうなってる。


ホントに負けイクサばかりの歴史だった。
三千騎を引き連れ駆けつけた遠く鎌倉のこれも。


百日戦争のこれも。


髷を落とす以前の時代の唯一の勝利が戊辰戦争だった
ようだが、あのイクサは
後味が悪い。

本当は戦争屋なんて稼業は世の中から無くなるにこした
ことはない。
だが、なかなかそうはならないようだ。
しかし、生まれながらの戦争屋システムが無くなった事
は大いに喜びたい。今の時代は本当に良い。


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現地調査

2017年05月11日 | 文学・歴史・文化



ワンダーフォーゲル部の合宿はぜひこちらで(笑)。

なぜ私がいろいろ歴史的な業界情報に詳しいかというと、
前職の職務で取り扱っていたからだよ。
この時は大菩薩嶺の現地調査だった。
仕事で登山。
かぁ~。たまらんぜ。
好きな山登りして給料もらえちゃう(^^;

ここはまだいいけど、山岳ベース調査は心が痛い。


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現代野試合

2017年05月11日 | 文学・歴史・文化



老朽化・・・・。
そんな歳月が流れたのかと、我ながらとことんガックシくる。
まさにOrnという感じ。


できたばっかの時はこうだった!










包囲!突入!占拠!!
管制塔は第四インターナショナル、戦旗共産同(日向戦旗)、
プロレタリア青年同盟の赤ヘル3派が突入占拠し、空港開港
を実力で阻止した。

その他カクマルを除くすべての新左翼と労農学数万人が空港
を包囲して各所で機動隊と激しく衝突を繰り返した。(ただし
1972年第二次強制代執行で戦力にダメージをくらった中核派
は、カクマルとの殺し合いの内ゲバに忙しく、組織温存のため
1985年のマスコミPR用肉団突撃まではただのカンパニア集会
しかしない党派となり下がっていた。つまり何もしない。管制
塔突撃の際も、ムニャムニャ。ただし労戦はゴッリゴリに気合
が入った筋金入りの闘争を中核派は展開していた。動労千葉や
国労の中核派部隊の職場や現場での行動は目を見張った。藤井
フミヤは80年代初期当時、国労の中核派の闘士だった)
三里塚3.26戦闘では、取り締まり当局からはガス銃水平射ち
だけでなく、実弾の拳銃の水平発砲もなされた。実弾は反対
同盟支援側のガソリンタンクに着弾し、漏れたガソリンが引火
して学生が死亡、その他混乱の中で火炎瓶落下で学生が死亡。
機動隊は数年前に一個大隊が東峰十字路で壊滅させられ、警察官
三名が同時死亡していた。その後、報復もあってか機動隊は数
メートルの距離からノーヘル学生をガス銃ランチャーで狙い射ち
にして頭蓋骨陥没で死亡させていた。
1970年代~1980年代初期にかけての千葉県北総台地三里塚とは
そういう場所だった。


第四インター(トロツキーが作った世界組織)の
革命的
ジャンプ面!(だけど使い方間違ってるよ。
鉄パイプは突く物である)




三里塚闘争では、これまで支援学生側、取り締まり当局側で
複数の死者が出ている。文字通りの血みどろの闘いだった。
しかし、1978.3.26開港阻止され5.20出直し開港した三里塚
空港だが、時は流れ、反対同盟(農民)の支援派に占拠された
管制塔も「老朽化」により取り壊しである。

今思うに、羽田空港を沖合にこれほど拡張して再度国際線を
開通させるのであるならば、無理やり強引に政府が一方的
強圧的に国民の土地を強奪して強制開港した成田空港という
のは、
一体なんだったのだろうと思う。
とにかく暴力的に政府は力押しでコトをすすめた。機動隊の
暴力を前面に出し、反対を叫ぶ農民の女子供老人たちを徹底的
にスボコにすることで事を進めた。まるで1980年の韓国光州
で全斗煥軍事クーデーター部隊が光州市民に行なった虐殺に
近い事を権力機動隊は成田の地においてやっていた。社共は
反対農民を助けない。体を張って農民を助けたのは新左翼だけ
だった。
まるで「七人の侍」のように。


今、「現代野試合」というものがある。
エアガンを使ったサバイバルゲームの刀剣侍バージョンなのだが、
政治色はサバゲと一緒でまったく無い。
そして、
今の若い人たちは歴史を知らないことだろう。
その野試合の創始者は、トロツキーの弟子たるこの第四インター
の人だった(苦笑)。知らなかったでしょ?

こちらはオアソビではなく、抜き差しならぬ本チャンの画像。

まあ、今は単なる趣味の合戦ごっこのようになってしまった。
おいらにはよく分かるけどね(笑
だって、老朽化で取り壊しなのだから(苦笑

え〜。野試合の創設者が四トロというのは真っ赤な嘘で真っ赤の嘘。
赤は嘘が得意なんで、ここまで読んだ人、サーセン(≧∇≦)
でも野試合は七人の侍のような人が始めた物、というところ
は押さえといて。
ここ、試験にでるからな~。ノート取っとけよ~。


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崩壊する日本語と日本文化

2017年05月08日 | 文学・歴史・文化



武芸者は相撲取りではない。
出稽古とは、先生が出張教授して「くださる」こと。
己が出向いて稽古をつけてもらう事を出稽古とは言わない
ところが、最近の傾向として、先生がいらしてくれる
(敬語の用法としては「いらしてくださる」とは言わない
その場合は「来てくださる」となる。さらに物品下賜では
ないので「下さる」は使用しない)ことを出稽古と言う
のでなく、単に自分が参加することを出稽古などと言う
人間がとても増えている。

本当に人格のコア部分から恥ずかしいコトだと思う。
なぜならば、事と次第によっては、非常に失礼にあたる
ケースが出てくるから。

まるで桐野利明=人斬り中村半次郎の「(貴藩)を弊藩、
(自藩)を尊藩」と呼んでいた無知蒙昧のようなことで。

でも仕方ないかもしれない。
なぜならば、自分の妻のことを人に対して「うちの奥さん」
とか、父親のことを「うちのお父さんは」とか平気で言う
若いの
ばっかりだから、今の世の中は。
特に芸能人、スポーツ選手のほとんどがそのように両親を
他人に対して呼ぶ。日本語にはなっていないし、日本文化
などには興味がない。つまり日本を愛してはいない。ない
がしろにしている。

たぶん敬語についても、丁寧語・尊敬語・謙譲語の区別も
識別もできていないで言葉をしゃべっていることだろう。
恥ずかしいなぁ・・・・。

武芸者や求道(ぐどう)者が一手ご指南願いたいと訪問して
の稽古付けを願い出ることを「出稽古」とは呼ばない。
なのになんでもかんでも出張参加稽古のことを出稽古と
今の若い連中は読んでいる。
それね、ほんまに恥ずかしいことなんよ。
たぶん・・・・上下関係とか長幼の序とか、日本文化の
古典的な美的部分が希釈されてきている時代なので、正しい
日本語もどんどんないがしろになって踏みつけられて消えて
いってるのだと思う。

すげーのがね、出稽古についてそれとなく指摘すると、反発
するように言い返す人が多かったりするんだよね。
これはこうですよ、と相撲の例を出したりして。
おまいさん、いつから相撲取りになったのさ?
はぁ~、どすこい、どすこい、と。




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バイクの公民権運動

2017年04月30日 | 文学・歴史・文化

PC内からこんなん出てきた。
歴史のひとコマ。
これはフライデーに載った記事だ。1985年か。



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これは編集部から貰った写真。


この編集部への就職を朝日ジャーナルの元編集長が私に斡旋して
くれたが、私はそれを断った。
すると同級生のMPが「その話、私にくれませんか」と申し出て就職。
そのまま記者を今も彼はやっている。
この写真の俺の隣りのラーメン食べてる小池さんがパンキーになった
みたいな小池さんがそれ(笑)。名前も小池。別名マルパーという。
俺はプータを経た後、法律事務所に正職員として就職した。

バイクは社会悪、のように言われていた時代で、行政的にも非常に
差別的措置がなされていたという、今では考えられない時代の頃。
1万人のライダーが起ち上がって。世の中のワンシーンを変えたと
いう歴史が日本にはかつて1980年代にありました。

結論としては、29人乗りのマイクロバスと1人乗りのバイクの高速
料金が同じという状態は改善されたからね。まあ、成果はあった。
本当は、高速料金全線無料が秘密の最終目標だったが、それは
段階的に狙おうとしていたが、中座した。
数十年後にどっかの党がそれを選挙公約で掲げていた。よく言うよ。
1980年代中半はこうした国民運動を全政党が冷やかに扱っていた
くせに(笑)。

政治家や政党や特定新左翼党派のヒモつきではないところで運動を
したが、それがよかった。
当時のバイクに乗る芸能人や著名人の多くがこの運動に賛同し、
主体たるライディングハイに入ってくれたり、原告団に名を連ねて
くれた。
文字通り、ライダー一人一人の力で勝ち取った現況(当時)の改善
改革だった。
おいらはライディングハイの事務局の書記長だった。
お金なんて出ないよ。全部全員メンバーは自腹だよ。
社会活動というのはそういうもの。街宣車右翼団体のようにどっかから
金が出るなどということは一切ない。

まあ、今の高速料金体系があるのは、30数年前にうちらが運動した
から、というのは厳然たる事実としてある。
右翼も左翼も関係なく問題を提起して活動を進めた、というところが
大ヒットで多くの人の賛同を得たという決定打だったと思う。
思想とかではなく、ライダー全員の問題なんですよ、という本質を
アピールしたのが正解だった。

ライディングハイの学生メンバーは同じ視点で学内では反原発なども
提起していたが、こちらはそういう主張は当時としては「ある一部」が
主張しているだけと見られる時代だった。
原発でいつか事故が起きて国民が甚大な被害をこうむったら、とんでも
ない悲惨なことになるのですよ、原発が安全だというのは嘘なんですよ、
と。
30数年前に俺たちが言っていたことは悲惨な現実として国民の災禍
となって降りかかってきた。
右や左やの問題ではない。原発問題も国民の問題なのに。

原発が無くとも国民生活になんら問題はないことがバレてしまった今も
原発を再稼働しようとしている国はあきらかに国民の安全確保など
無視している。
それと国民も国民だ。フクシマ原発の取り返しの柄内事故によって
避難している人たちをいじめたり差別したりするのは、とにかくすぐやめれ、
そういうの。


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漫画『トップウGP』

2017年04月28日 | 文学・歴史・文化




歴史的金字塔『バリバリ伝説』の逆を行くオープニングである。
18歳の少年がMOTO GPの世界チャンピオンを決めるか否かのスター
ティンググリッドにいるシーンから物語は始まる。
そこで「姉ちゃん 見てるかなあ」と空を見る主人公。
ここで、すでにその「姉ちゃん」は死んでいることが感じ取れる。

そして7年前の主人公11才の時に時間軸が戻って物語が開始される。
姉ちゃんとは、女子高生レーシングライダーの真音(まいん)であり、
主人公の小学生トップウとは隣り通しの幼馴染だった。
トップウは子どもながらも真音に恋心に似た憧れを抱いており、レース
界でアイドル的存在ながら実力No.1の真音は、トップウを可愛い弟の
ように愛おしんでいた。



トップウは、バイクに乗ったこともないのに、一度見たことは忘れない
という天才的な感性で、真音の走りを筑波サーキットで見て覚えた。
生まれて初めて乗ったバイクの運転がいきなりレースという荒唐無稽
な展開はマンガならではだが、このあたりのエッセンスは1985年の
超マイナーなレース漫画『キラーボーイ』からいただきのような感じ
がする。幼いパンパースちゃんとも呼ばれる少年が天才的な走りを
するロードレース漫画だったが、空前絶後のバイクブーム時代の中で
あまりに現実味がない展開で人気が出なかったからか、打ち切りになった。

さて、久しぶりにバリ伝以来の面白そうなロードレース漫画と私は
期待している。
オープニングの手法は、映画『ハスラー』などにみられる「まだ
見ぬ未来を見せて観客を引きつける」という手法が採られている。
作者は『ああっ女神さまっ』『逮捕しちゃうぞ』の藤島康介だ。


藤島氏は、バイクや車をディフォルメを交えながらもリアルに描く
稀有な漫画家の一人であるのだが、今回この期待している作品を
取り上げたのは、全面賛辞をするためではない。
彼でさえやらかしてしまった圧倒的大多数の漫画家がやらかしている
大失敗について指摘したいからである。

主人公トップウにレースで悪辣でアンフェアないじめを仕掛けたライダー
がいた。これはバリ伝のタコ根沢からのいただきのようにも思えるが、
そのライダーに対して、別カテゴリー(改造オープンクラス)で、
真音がトップウの敵討ちをするのだ。
それは本来の健全なライダーの走りではなく、コーナーで真横に
張り付いてプレッシャーを相手に与えて自爆ミスを誘うというもので、
スポーツマンシップに反する危険行為にあたる。
途中で、これはよくないと真音も気づいて本来の健全な全力走行に
戻って優勝するのだが、その般若走りの時に、象徴的なアイテムと
して日本刀を相手の首筋に突きつける描写が出てくる。
その日本刀が例によって、やらかしているのである。





だからね・・・・。
非常に多くの漫画家さんがやらかしてますが、日本刀はこういう
造形ではないのだってば。いつまで経ってもずっと日本の漫画家
さんたちはこれをやらかしやがりますけど。
ひどいのになると、時代劇劇画でさえこのような切先にしてしまう。
犬夜叉の鉄砕牙かっつーの!
きちんと物体の姿をよく見ろ!と言いたい。

それでも、漫画家たちのことは言えない。
自称「俺は何でも知っている」という刀剣研究家と自分で言う仁が
私に言ったことがある。
「なぜ、切先方向にかけて帽子の棟側が反り返っている刀が多い
のだろう」と。

よく話を聞いていると、この光っている部分が日本刀のサイドビュー
のシルエットだと思い込んでいることが判明した。こういう写真などの
陰影を見て「切先だけが反り返ってる刀が多い」と思い込んでいたの
である。


実際の日本刀はこのような形になっている。




目の前の自称刀剣愛好家がそのような勘違いをしていると気づいて
私は愕然となった。
だが、この手の大きな勘違いは、結構、刀に接している人たちの間
にもあるようだ。典型的な例が、研ぎ師が描いた白い部分を刃文だ
などと思いこんでいる人が多い事が挙げられる。
信じがたいようだが、そうした誤認があることは事実で、つまり刀
に接しながらも刀のことを見ていない、ということになる。
そもそも居合をやる高段者でさえ、日本刀について無知蒙昧な人間
大集合なのだから、日本刀の形のことを普段接していながらも見て
いない人などは大勢いる。

日本刀の形状に関しては、簡単なことなのだ。
「よく事実を見る。凝視して見る」、これ以外には存在しない。
圧倒的大多数の漫画家が、リアル作品の漫画家であろうとも、バイクの
ハンドルがフロントフォークの延長がハンドルであるというようなあり
得ない
ことを日本刀の描写においては実行する。
それがこれ。


アシスタントが描写について前後不明なのかも知れないが、作者名
で作品
を発表していて、最終チェックをしている限り、こうした描写の
出鱈目
な点は漫画家本人の責任だ。

こういうのはですね、日本刀の常識からすると、自動車のタイヤを
四角く描いているのと同じなのですよ。
てんでコミックの絵師たちはプロではないなぁと思う次第。

俺、不思議に思うのだけど、絵の基本の写生とかしないのかね、
漫画家という絵師たちは。刀を描くのに刀を見ることはしないの
だろうか。たとえインターネットの画像ひとつにしても。
人の口が鼻の上にあったらおかしいだろうに。
だが、日本刀に関しては、非常に多くの漫画家たちがそのような
ことをしている。
よく物をきちんと見ていないのでしょうね。それ、プロとしてアウト
なのでは。

何度も書きますが、有名なのが『ドーベルマン刑事』ね。
シングルアクションのリボルバーのシリンダーが横にスイングアウト
しちゃったの。これは伝説的な大事件として歴史に名を刻んだ。
それどころか、バイクよ、バイク。
フロントフォークの延長がハンドルというのを例によってやらかして
やがった。すごいですね~、あの作品。

まあね、新幹線が空を飛ぼうと車が海の中を走ろうと、そういうのは
空想活劇だから設定としてはどうでもいいのですけどね。
だけど、鼻の上に口があるようなのを描いてはだめだと思いますよ。


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