渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

12月8日

2016年12月08日 | 文学・歴史・文化



真珠湾攻撃のきょうの日、ジョン・レノンは殺された。


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ちゃぶ台

2016年12月08日 | 文学・歴史・文化



ちゃぶ台欲しいと言ったらかみさんに怒られた。
「どこに置くの!」と。

ちゃぶ台って置き場いらないのに。


ちゃぶ台は日本固有の折り畳みテーブルです。
昭和時代には、ほぼ全国民(一部超富裕層を除く)の家庭に
この木製折り畳みテーブルがありました。
椅子の生活が一般的になった現在も、メインではないにせよ
便利な折り畳み座敷テーブルとして使われています。


昭和30年代当時に内風呂とダイニングキッチンを備えた近代
文化住宅として大人気となり、都市部の庶民の高値の華だった
公団住宅団地においても、畳の間にはちゃぶ台があった。

団地の西欧式ダイニングキッチンは庶民の垂涎の的だった。
賃貸物件の抽選倍率が100倍を優に超える物件もあった。
ダイニングには椅子とテーブルがあったが、和室にはちゃぶ
台が定番だった。


まさにうちもこのようなダイニングキッチンだった。そっくり(笑)。
昭和30年代だが、トイレは洋式水洗だった。当時は洋式水洗は最先端
で、一般一戸建てのほうが都内でも古い戦前からの様式だった。つまり、
江戸時代と同じトイレ事情。うちは3DKだったが、よくポコンと抽選に
当たったと思う。そして都内目黒から湘南に引っ越した。(都内物件
は超倍率で、なかなか当選しなかったという)


私と同世代の当時の子どもたち。
この子たちは私の5歳ほど年上。現在還暦あたり。


その少し前、日本初のキャブバックのバスの設計図面には
これが使用された。設計者本人から私が貰った。それまでは
日本のバスはすべてボンネットバスだった。バスといっても
風呂ではなく人が乗るバスのほう。


公団団地を訪問する今上陛下と美智子妃殿下(当時皇太子ご夫妻)。

下着が干してある庶民の住宅に皇太子殿下ご夫妻が訪問するなど、
今では考えられない(当時も考えられない)ことを陛下はなさって
いた。
戦後昭和は、各方面で社会の垣根をなくす試みが実行されたよい
時代だった。あらゆる意味で「可能性の時代」だったといえる。

昭和30年代当時、大学進学率は15%程だったが、高等教育の普遍化
により、現在の大学進学率は50%を超えている。


だが、新たな格差社会が現在日本では深刻な問題となっている。
それの一端は、この国際進学率のグラフを見れば、よく見えて
くる。超絶格差社会の典型例が現在の韓国であり、学歴社会で
人が差別されることが当たり前の国に変質したのが韓国だ。
韓国の進学率の急上昇は、「学校教育の普及による国民の全体的
な教育水準の向上」とは別なベクトルの結果を生むことになって
いる。数が増えれば過当競争が激化する原理をも凌駕する推進力
として、国策としての教育の機会均等の普及政策は、本来の目的
遂行を完遂する力を持ち得ていないのである。
「水準を上げる」ということは単に数を増やして機会を広げると
いうマスプロ化だけでは成し得ない。日本の昭和時代の学園紛争
などは、まさにそうした教育の現場の荒廃が学生たちの危機感と
改革意識を育成して爆発したという歴史性があった。
こうしたことから、「国民の生活水準を上げる」ということは、
どのような部分に軸足を置くかで大きく結果が異なることが読み
とれる。


とりあえず、「飯が食えて」「学びたい者が学べる」という世の中の
実現は、口八丁では実現できない。
そして、一番の卵が先か鶏が先かの問題として、国策の舵取りをする
者を選ぶのは国民であるという現実がある。
だが、国民が愚策に同意する愚民であったならば、選ぶのは愚策を
立てる者しか選べない。
しかし、これは選ばれた者たちが権力と蜜月となってあえて愚民政策
を執ったことにより生まれた国民だったとしたら、まさに卵か鶏かの
話が現実に起きていることになる。
日本においても、リーマンショックの頃には、「勝ち組、負け組」と
いう認識が社会全般に「意図的に」流布されて、その意識に乗せら
れて他者を蹴落として生き残ることが美徳であるかのような傾向が
醸造された。列に並んで商品を買うのではなく、バーゲンセールの
早い者勝ちのように、他人を突き飛ばして自分がそれにありつくこと
がまるで美であり勝ち組ステータスであるかのような感性を教育を
含めたありとあらゆる現場意識において醸造させることに支配者たち
は成功した。
国民の意識性の中で秩序の崩壊を支配者は成功させたのである。
本質的には秩序を崩壊させていることが、さも「競争原理」で自由
主義の原則であり正道であるかのようなまやかしをやってのけた
のであった。
真実としては、共生ではなく断裂へ、共存ではなく専有へ、共和では
なく個別的独占を求める意識が意図的に国民の中に普及させられた。
国民同士がいがみ合い、ねたみ合い、憎しみ合うことを支配者はあえて
政策として支配圏周辺機関や人材を駆使して巧妙に推進してきた。
そして、昭和時代に見直されて来ていた、いわゆる差別や格差社会
というものの解消を希求する国民意識は完全に途絶し、「いい学校」
「いい会社」「いい家柄(=血脈ではなく資産保有の多寡)」という
ものを求めることが正道であるかのような人間性の意識が、点火爆発
しそうな圧縮空気として注入されたのである。それに乗った(現実は
生活はよけい苦しくなる)意識の国民は多い。「うちだけは」と思い
つつ、大局から見れば決して裕福でもない生活であるのに、上下意識
のみを軸足とする国民が経済危機とともに大醸造された。
すべては、国策経済危機の中で、御用経済アナリストたちによって
発信して国民操作されたことだった。
特に識別能力が未熟なゆとり若年層にそうした他者排撃意識は多く
無批判に受け入れられ、それを狙った大人たちに「将来的戦果」を
もたらすこととなった。

さしあたっては、自分の頭で世間をよく見て自分で考えて自分で判断
できるという最低限のところに国民が立たないと、国民が権力者に
よって手玉に取られるということになりかねない。
重税あたりはまだ回避できる対抗打開策はあるとしても、国民のあら
ゆる自由意思や生命の殺生与奪の権利まで国が自由にできるように
なってしまったら、もうどうしようもなくなる。その後に突き進む
道は見えている。
国民が忘れてならないのは、今は「戦後」ではなく、「戦前」である、
ということだろう。


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貨幣

2016年12月06日 | 文学・歴史・文化


(額面が分かりやすいようにコインの裏側を表示)

日本国発行の貨幣をすべて足すと 666 
ダミア~~~ン!
になる。

全然脈絡のないオハナシですが。

ちなみに、紙幣は国ではなく日本銀行が発行する
銀行券ですので、同じカネでも扱いがまったく
コインとは異なります。
って、ここまでは当たり前のことで知られているが、
なぜそうなったかはよく知られてはいないようだ。
おいらもさわりしか知らない(笑)。
まあ、薩長新政府がやった多くの泥縄策で起きた国内
混乱の一つをどう始末付けるかみたいなものだろう。



この映画、結構面白かった。


まるで、「ルパン三世」誕生のネタ元となった『黄金の七人』
のニセ札(実は本物)を印刷、みたいな面白さ。
ただ、物語ではどちらも成功していない。
成功した例は・・・現行では某共和国のニセ札と、戦時中に
某アジアの軍事大国が国家ぐるみで行なったニセ札作りだけ
だろう。
とはいっても、今でも米ドルなどの現行紙幣のニセ札はかなり
出回っているのではなかろうか。


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スコットランド人の英語がまったく通じないという件

2016年12月04日 | 文学・歴史・文化

so funny in glasgow lift


11階に行きたいスコットランド人の二人は、音声認識エレベーター
に向かって ELEVEN と話しかけるが、まったく通じない。

そのうちぶち切れて、「スコットランド!スコットランド!フリー
ダム!」
と騒ぎ出す。

ほとんどドリフのコントみたいだが、これってかなり忠実な現実
だそうで、笑えない現実なのだが笑ってしまう。
音声コンピュータが、また小憎らしいほど冷静で笑いを誘う。


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2016年12月03日 | 文学・歴史・文化


ある映画の一コマから(1981年)

三里塚の北総台地に立つ男も、当時は若者だった。


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善と悪

2016年11月29日 | 文学・歴史・文化

あるツイートから。

黒いほうは正直そうで分かりやすいが、袈裟を着ているほうは「ごめんちゃい」
してるので、心にやましい事がある偽善者の悪人であることがよく判るという
世の中の仕組みを示す図。


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デザインは思いつき

2016年11月29日 | 文学・歴史・文化


游雲という名の漂う雲と剣。
ベルクロでグレート・タイガー(略してGT)ジャケット
の腕に貼る刺繍ワッペンのデザインをした。


こういうデザインというのは練って生まれるものでは
なく、作詞作曲と同じく、突然フワッと頭の中に浮かん
でくるものだ。俳句程にもひねらない(笑

ちなみに、私の自作曲は歌詞と音階が同時に浮かぶ。
それを譜面に書き落とすのだが、さすがに歌詞の二番は
考える。
プロでもアマでもシンガーソングライターや作曲あるいは
作詞専門家の楽曲作り
は、先に曲があって歌詞を後から付け
るというのが多い
らしい。いわゆる曲を先に作るのが曲先
(きょくせん)というものだが、
歌詞の言葉には独特の符牒
やリズムがあるので、曲が下敷きにあると、そのリズムは
拍子に乗る言葉を探すだけなのでやりやすいからかもしれ
ない。古来からある即興の替え唄などもこれに類するもの
だろう。
先に歌詞があると、日本語の場合には外国語の曲とは異なり、
一音符で一音発声なので、五七調などを守った歌詞を作らない
と、あとからの曲付けが困難を伴う。
さらに、標準語であるならば音階と歌詞は厳密に合致して
いないと曲に違和感が生まれる。「雨」と「飴」は音階の
並びが異なるのだし、「箸」と「橋」は事なるが、「橋」と
「端」は同じ音階音律である。
逆に歌詞が関西弁の表現であるならば、音階もそのイントネー
ションに符合する音階で曲を作らないと、これまた異和感
ある曲になってしまうだろう。
こうしたことには厳格になったほうが広く親しまれる曲の
作りこみとしてはよいだろう。
ただし、ラップを日本語の歌詞(即興が多い)で作っても、
やはり、ラッパーたちは韻を踏みながら隠し言葉を置くという
日本古来の和歌の技法を導入している。
つまり、歌詞付きの楽曲作りは、日本語に関する鋭敏な慣性を
持っていないと成し得ない。
(日本初のラッパーは吉幾三のような気もするが・・・)

プロのシンガーソングライターの曲には意外な共通項がある。
それは、
一番の歌詞はインパクト主体が多いが、曲の中では
二番の
歌詞が良い詩となっていることがよく見られるという
ことだ。
あれは一体何であるのか?
大抵は曲に付ける歌詞という詩は、起承転結があって二番の
歌詞で本題にスッと触れるから、二番の歌詞が心に迫る
歌詞を
構成する曲が多いのかもしれない。

元々日本人は和歌をうたい詠む人々であり、自分でも歌を
作り詠んだりする。
そういう創作性は、創意工夫という物理的な事象としてのみ
ならず、脳内の働きとしても、日本人独特の性質を特徴づける
もののようだ。
きっと、外国人とは異なる日本人固有の特異な右脳の働きに
よるものと云われている。
外国人は、虫の声を聴いても、ただのノイズにしか聴こえない
らしい。秋の虫の音も「うるさい」としか思わないのだろう。
感受性そのものが日本人と外国人(日本以外のアジアも含む)
では、まったく別物のようだ。


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刀剣ミステリー小説

2016年11月25日 | 文学・歴史・文化


雪国の温泉に浸かってから、これを読む。

雪は、無い(笑

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英国のベレー

2016年11月18日 | 文学・歴史・文化



英軍の Crap Hat’, Berets & Peak Caps というサイトページを
読んでみたが、ミリタリーベレーの歴史や各国のベレーとの関係
等について概要が記載されており、大変勉強に
なった。
文章も平易で、中学生くらいの読解力があれば読める。


大雑把に分けると、英軍のベレー種分けはこのようになるようだ。
(分かりやすく線を一部引き直した)


単純に「グリーンベレー」といっても、各部隊ですべて色が異なる
ことが判るだろう。
ここには深緑の「ライフルグリーン」が載せられていないことから
も、この図はほんのごく一部であるということも読み取れる。
ライフルグリーンは英軍やローデシアや米軍が採用していたグリーン
で、それの少し明るい色を日本の陸上自衛隊が採用している。
またこの図には黒色のベレーも載っていない。General Service と
あるベレーは濃紺のベレーである。
また、SASなどのサンドカラーも載っていない。

ベレーの色分けで世界的に傾向性がみられることとして、同色系で
同じ傾向の部隊色を示すということがある。
例えば、マルーンベレーはほぼどの国でも空挺部隊がかぶることが
多い。黒といえば戦車部隊が黒ベレーだ。また、グリーンは陸軍部隊
が多い。
ちなみに、日本の自衛隊工科学校では、マルーンベレーとブラック
ベレーを制帽として採用している。通常の軍ならば空挺と戦車兵と
いうところだが、高校に相当する生徒がそうしたベレーを日本では
かぶっている。

こちらは英軍独立131コマンドゥでのベレー授与式。
過酷な訓練をクリアした者だけが英軍ではコマンドゥになれる。








英軍コマンドゥのみで編成された部隊に王室海兵隊があるが、
英国陸軍にもエリート部隊としてコマンドゥ部隊がある。
指揮系統は異なるが編成は同系という複雑な構造(さらに所有
系統は各貴族に属するという複雑怪奇な仕組み)となっており、
ベレー授与式等は海兵隊コマンドゥと陸軍コマンドゥが一緒に
行なわれたりしているようだ。

英軍コマンドゥのベレーの色は、全世界で英軍コマンドゥしか
採用していない独特のエメラルドがかったグリーン色である。
英軍コマンドゥの中でも海兵隊の中にあるSBS(旧スペシャル・
ボート・スコードロン、現スペシャル・ボート・サービス)は、
エリートの中のエリートとされ、兵士の練度と身体能力は世界
最高峰といわれている。
ただの机上の勉強だけができて難関大学に入って官庁の官僚に
なることだけがエリートだと勘違いしている日本人には理解が
し難いことだろう。体力も知力も、全方位的に人間のあらゆる
能力が突き抜けて秀でているのがコマンドゥの隊員なのだ。
世界トップのオリンピック選手の「人間種目」の選抜選手ような
者たちだけがコマンドゥになれる。
日本の自衛隊でも幹部級以上は理知的な者も多いが、脳味噌の
働きも含めて、すべての能力が優秀でないと隊員になれないのが
英軍コマンドゥでもある。戦闘能力だけが高くても駄目なのだ。



だが、オバカピーなこともやったりする。
どうだ。日本の官僚エリートにこれができるか。


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『飛葉』望月三起也作

2016年11月17日 | 文学・歴史・文化



名作『ワイルド7』の続編として『飛葉』という作品がある。
記憶を無くしたワイルド7リーダーの飛葉大陸(だいろく)が
中米で活躍するストーリーなのだが、作者の故望月三起也先生
はさらりとニクい演出を見せている。

ある作戦のために、ヒバの昔の仕事仲間が傭兵を募集する。
作戦を立案した31歳になった飛葉もその傭兵部隊に加わるのだが、
指揮官で
ある者が、傭兵募集テストを終えてから、身づくろいを
兵士の
いでたちに改めて出てくるシーンがある。
そこでかぶるベレーは、アフリカ戦線での傭兵たちを主人公に
した望月先生の作品『夜明けのマッキー』の傭兵外人部隊「牙」
のベレー徽章であるのだ。
サラッと描いているが、なかなか心憎いスターシステムのような
表現のコマとなっている。さすがワイルド7、いや、望月先生!
「ぐずぐず すなっ」とはこの登場人物、広島出身なのだろうか(笑)。



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日本刀研磨師および刃物研ぎ師の江戸期の呼称

2016年11月07日 | 文学・歴史・文化



『守貞漫稿』(喜田川守貞/天保8年-1837年-から執筆)の生業
(巻之五~六)
という江戸末期の種々の商業の解説書に、日本刀
研磨および一般研ぎ屋に
ついて上掲のような記載がある。

磨師
挿刀包丁小刀等ヲ磨ス 又 鋸ノ歯ヲモ磨ス

蓋(けだし)刀剣ハ磨スル事ヲ得ズ 別ニ刀磨工アリ
俗ニ比徒ヲ トギヤトモ
トギ師ハ自刀剣研磨(合体字)ノ事トス」

現在、「研ぎ師」「研ぎ屋」とはいうが、江戸期には江戸・
大坂・京の三都では、一般刃物研ぎ職は「磨師」と呼ばれて
いたようだ。
一方、一般の刃物の研ぎ職を俗に「研ぎ屋」とも呼ぶが、
「研ぎ師」というのは自らを「刀剣研磨」専門職限定で
呼んでいるというのだという。

このことからも、現在と同じく、一般刃物研ぎと日本刀研磨
では職方の棲み分けがあったことが判明する。
また呼称においても、「研ぎ師」は「刀剣研磨」を専らとする
職であることが判る。「研ぎ屋」とは一般刃物「磨師」の俗称
であったことも判明する。

こうした江戸時代の事実の把握はとても大切で、時代劇や時代
小説の歴史考証のみならず、日本刀愛好者としても、江戸期の
天保頃には今でいう日本刀研磨師が一般研ぎとは別個に確立し
ていたことを知ることができる。

なお、当該ページには、行商鍋釜修理人である「鋳かけ屋」も
「磨師」も「下駄歯入れ」も形相が似ているので、磨師の図は
省略するとの旨の記載がある。

<鋳カケ>


この『守貞漫稿』に出てくる商業人たちの業種のほとんどは
いわゆる被差別賎民階級によって担われていた生業である。
古くは刀剣鍛冶職=刀鍛冶も賎民階級であったのだが、いつの
頃からか
歌舞伎役者のように脱賎したようだ。
歌舞伎役者は芸能興業であるので、エタ系ではなく非人系の
賎民(所属はエタ頭浅草弾左衛門支配下)だったが、脱賎を
訴える裁判により、賎民階級からいわゆる平民階級に転化した。
それを祝って上演された演目が『助六』であり、十八番目の
演目として箱に入れられ保管された。それゆえ十八番を「御箱
(おはこ)」と呼ぶ。
その舞台では、台詞に「シニン(江戸訛りで非人のこと)と
呼ばれて差別され」という部分があったが、現在は諸般の事情
から、公開の場では社会的通念上使用を忌避するべき言語として
「非人」という単語があるため、その文言は上演の際にはカット
されている。差別を支える行政構造は改革できても、人々の心の
中に部落差別意識がある限り、絶対に差別は無くならない。

中世から江戸期の職人等の仕事びとたちを見ると、実に多くの
商業活動・工業活動に従事して国内産業を支えて来た人たちが
ほぼいわゆる「賎民階級」に属していたことが理解できる。
日本の産業を支えてきたのは百姓の中の一職種である農民では
ない。身分的には賎民階級に属する人たちによって確かに支え
られてきた歴史がある。
なぜ、こうしたことに光を当てて、ちゃんと正しい歴史教育を
しないのだろうかと思う。
また、いわゆる被差別部落民が貧困にあえぐようになるのは
明治の国策改変以降であり、江戸期には産業の独占と各種興業
権、版元としての出版権、都市部での生活用品一切のリサイクル
取り扱い権の独占等で、身分的には「賎民階級」とされながらも、
経済的状況はかなり裕福だった。
そうした独占権益を一気に完全消滅させたのが明治維新だった
のであり、明治以降は江戸期からの賎民階級に属した層は軒並み
超絶貧困にあえぐこととなり、更には江戸期に任務として業務を
こなしてきたそれまでの下級警察官吏(辻番所の番、岡っ引き、
下っ引き、横目等の監視役、忍び、捕縛吏、罪刑執行人、木戸
門番等、現代に例えると現場警察官・特別捜査官・刑務官等の
仕事はすべて賎民階級の役務だった)としての仕事への恨みを

買い、とてつもない物理的差別を受けることになったのが明治
以降の歴史だ。
こうしたことも、日本の学校の歴史教科書では一切教えない。
アメリカに渡った咸臨丸を操船した水夫は「カコ」という名称の
賎民階級であったことなども学校の教科書には一切出てこない。
また、江戸文化が花開いた際の出版物の版元や職人元締めたち
の活躍は、彼ら賎民階級の活躍だったということも教科書には
出てこない。
教えないどころかどんどん隠ぺいしようとしている。
今では「八百屋」や「魚屋」という言葉は「差別にあたる」と
して放送禁止用語になっている。
八百屋のことは「青果店」、魚屋のことは「鮮魚店」、酒屋を
酒屋とも呼んではならず、「酒店」と呼ぶことにされている。
こんな言葉狩りをしていては、いつまで経っても差別は無くな
りっこない。

差別は、口先だけで「差別反対」を唱えるだけでも無くならないし、
また、かつて行なわれていた行政的な物理的制度による部落差別
的状況を打開しただけでも無くならない。
ましてや、何もかも隠ぺいして、「無かった事」であるかのよう
「寝た子を起こすな」的に振舞うことが部落差別廃絶になるとも
到底私には思えない。

戦後の昭和23(1948)年。ようやく日本における旧武士階級や
旧貴族の公式表示が消滅した。また、同時に平民階級表示も消滅
した。戦時中までは公式文書に自分の階級身分を氏名の前に書く
ことが為されていたのであるから、今からするととんでもない
差別的で階級構造是認の世の中だった。
だが、日本人は、日本人自らの手で、明治以降も残存していた
そうした厳然とした物理的な公的身分を消滅させることはでき
なかった。
すべて敗戦による民主化によってもたらされたものなのである。
それ一つとっても、私は戦前戦時中よりも戦後社会のほうが
ずっと遥かに素晴らしい世の中だと思う。

ただ、そうした外のガワが無くなったとしても、戦後も部落差別
は続き、今でも温存されている。
温存されているどころか、ネット界などでは、部落差別や外国人
差別排外や障がい者差別を積極的に行なうことが日本人の義務
国是であるかのようにふるまっているいわゆるネトウヨが大手を
振ってばっこしている。

インターネットが普及して私には見えたことが一つある。
それは、「この国の国民というのは、かなりの程度で馬鹿だった
のね」ということだ。
あるいは、人が苦しむのをよろこぶマゾみたいなのばかりが大挙
してインターネット上には登場している。
この国は、やはり助からないのでは。


加賀の国の刀工に遠祖を備前鍛冶とする清光という刀工がいた。
刀剣需要が一挙的に激減した社会情勢下と大飢饉が重なり、食う
に食えない状況となった。やむなく清光は加賀藩主の施行した
救済所であるお救い小屋(今でいう屋外テント村避難所)に住す
ることにした。一切の免税措置および生活救済福祉エリアの避難
所である。清光の家系はその後ずっとここで起居した。
そこはきっと、『あしたのジョー』の矢吹丈がやってきた下町
のドヤ街のような息吹の所だったことだろう。
清光はやがて「非人清光」と呼ばれた。
現行「非人」という単語を忌避して「乞食清光」などと置換して
呼ぶ者がいるが、誤りだ。清光が乞食稼業をしたという記録は
ない。清光は身分的に非人となり、職業的には刀鍛冶であり、
乞食という職業ではなかった。
「乞食」という業は誰でもやっていいものではなく、賎民階級の
独占物であり、さらにそれを取り仕切って差配したのがエタ頭
だった。許可なくば乞食など誰でもできなかったのである。
(明治以降に軽犯罪法で「乞食」の行為は禁じられた)
エタとは血脈主義的に先祖も末孫もずっとエタという賎民階級に
属する層で、非人とは一般平民も納税できなかったり犯罪で捕縛
されたりした場合には非人階級に落とされた。これは元武士階級
であっても、行状により非人にされたりした。非人が平民に戻る
ことはあっても、エタのみは固定血脈として脱賎は認められなか
った。

さて、刀工清光は免税措置と食糧等の給付によってお救い小屋で
身分的には非人となった。
だが、ここで注目すべきは、清光の打つ刀は多くの武士に愛用さ
れたということだ。
このことは、江戸における刀剣試しには絶対にエタ・非人たちの
協力なくしては実現しなかったという事実等と併せて、着目に値
する。
また、エタ・非人階級は出産や祝い事や葬儀などにも深く関わり、
実際の業務などに携わって来た。
医療分野においてもそうであった。
医療だけでなく社会福祉分野では、古代から近世まで、いわゆる
賎民階級の働きなしには成立しなかった。古代の四箇院である
悲田院に敬田院・施薬院・療病院のうち療病院の名は現代において
も「病院」という名称で使われている。
江戸期においても、身分統制上は徹底的に(特に農民たちから)
差別的扱いを受けた賎民階級(だが、下級官吏として捜査や捕縛、
刑罰の執行などに携わった)だったが、賎民階級の中でも工業的
生産物に関しては、多くの人々がそれを是として享受していた事実
が見られる。
蓑や笠や傘や竹細工の日用品がそうであり、履物がそうであり、
そして、加賀清光にみられる刀剣や刃物研ぎがそうであった。
物品は上出来物が多いので大いに賞玩しつつ、身分的には差別を
行なうという実に歪んだ構造の中に近世の日本人は生きていた。
更に明治以降は、そうした(明治以降でいうところの)被差別部落
産業の独占が一気にはく奪消滅させられたので、残ったのは人々の
差別心だけだった。
江戸期よりも差別的行動が極限化した理由は、そうした物理的恩恵
を賎民階級から受けることが無くなった以上、徹底的に差別して踏み
つけるという人々のあさましい心根だけが残ったのだろう。
そして、行政や明治教育等がそれをさらに助長し、明治新政府なる
文明を標榜する政府が掲げる「四民平等」などというものが、実は
大嘘の大ペテンであったことが白日のもとにさらされたのであった。
それまでの旧幕時代に国内産業を支えて来たのに、明治の「御一新」
で一気に権利をはく奪された旧賎民階級に属した人々が自らの真の
解放を求める残る手は、団結しかなかったのである。

清光の刀はとても品が良い。
非人という身分になった刀工清光が作る刀は清らかだった。
これは「はて、非人という身分階級は果たして『穢れ』ていると
いえるのか?」という最重要の視点を私たちに問いかけているよう
にも私には思える。

しかし、現代人の多くは、肉を食い、革靴をはき、多くの革製品を
愛用し、染物を着ていたりするのに、被差別部落民を差別する。
益を享受していながら、それをもたらしてくれた人たちを差別する。
さて、「良民」ぶりながらそうした心根を心底に持つことこそが、
あさましく、いやしく、穢れているのではなかろうか。
私はそう思う。


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子子子子子子(ねこのこ こねこ)

2016年11月07日 | 文学・歴史・文化



身長188センチ、学者にして歌人、眉目秀麗にて弓馬の術に秀で、
「汝は武士にでもなるつもりか」と嵯峨天皇に嘆かれ、内裏に何者
かによって立てられた高札に書かれた「無悪善」の文字を「さが
(嵯峨天皇)なくばよからむ」と読んで天皇の怒りを買い、遣唐使の
副使に任命されるも、正使藤原某に「ざけんじゃねーよ」と反抗して
隠岐に流
された。後に中央に戻り参議。その徹底した反骨精神から
「野狂」
と称された。洛中の珍皇寺の井戸から魔界に自由に出入りし、
閻魔
大王と親交ありとされる。

まあ、後世の作り事が多いのだろうが、火のないところに煙は立たず。
多分、存命当時から制御不能のやりたい放題、言いたい放題、舌禍
全開の、当時としては「怪物」みたいな、人は食うが本人は食えない
おっちゃんだったのだろう。


このおっちゃんが佩いている剣は、時代からして直刀であることは
間違いないのだが、一体どのような剣を履いていたのかが、小野が
末葉の一人としてはとても気になる。
私とおない歳の冬木亮子が書いたファンタジーでは七星剣とされて
いるが、んな馬鹿な(笑

しかし、この木造は鎌倉頃だろうか?
漆塗りたくりの為か傷みが妙に少ない。
だけど、面構えが悪いね~、この木造のおっちゃんは。腹に含むとこ
ありの柳生但馬みたいな面をしている。顔の相がよくないよ(苦笑)。


さらに先祖の和邇(わに。王仁とも)が王仁であるならば、オニとも
読み取れる。平安時代の『新撰姓氏録』によると皇系ともされるが、
それは創り事で、血脈が春日・和仁族であるならば、たぶん西暦
1世紀頃に太陽信仰を伴って鍛冶製鉄技術と共に日本海側に渡来
した一族だったことだろう。
その後数百年にわたり畿内にいたが、大和王権成立後は特に大陸
半島との外交役が異様に多かったのも何か根拠があったのだろう。
血脈のDNAは扶余族であったと私は踏んでいる。

でも妹子六代孫のタカムラはこんな小泉純一郎みたいなとぼけた顔
ではなかった
とは思うよ(笑)。知らんけど。


まあ、人を食うのは先祖伝来という気もしないでもない。

そういえば、一族の海老名氏系の先祖筋の一人には「二王」という名
の者がいた。刀の二王とはまったく関係がないだろうが、たまたまの
偶然としても興味を引く。まだ解明されていないが、周防の刀工二王
は発祥は大和かも知れないが、明らかに「三原」刀工群に影響を与え
ているだろう作風だからだ。備前鵜飼、雲派から備中を経て備後を抜け
周防に至る一連の「瀬戸内ベルト地帯」における作風の近似について
の根拠の解明は、今後の刀剣界での研究が俟たれる。
私の問題意識としては、日本における刀剣の分類は、後世に学習の
便宜上「五ヶ伝」に地域を縦割りにされたが(五ヶ伝というのは作刀
当時には概念上も存在せず、後世にまとめて理解する概念として
創られたものである)、包括的な刀工群把握としては、一度その五ヶ伝
の縦割りの概念を除去して、横同士の繋がりに解析の軸点を置いて
研究していかないと、刀工群間の関連性がなんら見えてこないと思う、
というものがある。
現在、その横つながりの説明としては、あたかも名家血脈における
「貴種降誕伝説」の類が日本刀の刀工群にも援用されており、これは
かなり科学的な確証を欠落させたものとなっている。
けだし、考古学的な科学的検証および文献史学のみならず、民俗学
も考慮せずば歴史解明は偏頗の感を払拭できないことは確かである
のだが、「貴種降誕奇譚」のようなものに依拠するその心根の大方が
「地元自慢」「己自慢」に依拠していることが多大であるので、そう
した人為的な邪な悪意とも取れる作意は、一切考慮せずに研究判断
材料からは捨象していくべきだろう。

そして、なぜかしら、真言宗の猛威とともに、中国地区には小野篁
の誕生地としての奇譚がある。
ただ、小野篁の生地が現広島県竹原であるとする仏閣があるのは、
なんとも創り事にも度が過ぎるようにも思える。

<広島県竹原市竹林寺/重要文化財>






仏閣というだけに、物凄い創り事をぶっかく事をしているように思える。 ⇒ 竹林寺観光案内

まあ、なんというか、各地にある河童伝説と同じ類という程度に考えて
いた
ほうがいいだろう。客寄せパンダになったタカムラ哀れ(笑)。
と、吉備の本間は思ったりする。


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閂差し ~帯刀法~

2016年11月06日 | 文学・歴史・文化


武家帯刀法の一、閂(かんぬき)差し。刀は床と真っ平ら。

閂とはこれ。(二条城)

武家帯刀法の一、鶺鴒(せきれい)。




セキレイが着地したときの尾の角度に差すから鶺鴒と呼ばれた。


武家帯刀法の一、落とし差し。




時代劇に見るこれも落とし差しではあるが、カブキ者のそれであり、
武家礼法に反駁する者が好んで表現したものであるので、これを
武家礼法とする誤認が無きように注意されたし。




ネットからいろいろ情報を探しまくって急場しのぎでデッチ上げして
捏造している贋物流派以外の古流派には正しく教えが伝わっている。


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最後の『ワイルド7』

2016年11月02日 | 文学・歴史・文化



今年4月3日に亡くなった故望月三起也先生の『ワイルド7』の
第一部は1969年から
1979年まで連載された大作だ。
まるで、映画のようなカット割りは漫画界に旋風を巻き起こした
歴史的な名作漫画だったといえる。
なので、今、初作シリーズを読んでも、まったく古臭さはない。
現在のアクション物劇画のカット割りの開拓者が望月先生の
『ワイルド7』だったからだ。望月なくして今の活劇漫画は無しと
いっても過言ではない。
今の若い人々は、「できあがった後」の物を見ているので、
それが普通だと思っているだろうが、携帯電話等の通信機器
にせよ、インターネットにせよ、存在しなかった時代にそれが
出てくるということは、とんでもなく画期的なことなのだ。
まるで飛行機が無かった時代に飛行機が登場した時のように。
まさしく、漫画の世界では、望月三起也先生が切り拓いた業績
は、たとえようがなく大きい。時代劇画では平田弘史先生と
とみ新蔵先生だろう。
『ワイルド7』は、初回シリーズが1979年に完結後
、スポット的
な短編を含めて続編がいくつか発表され
た。
そして、この画像で紹介する最後のシリーズが望月先生の遺作
となった。


内容的には、これ以前に発表された続編の『飛葉』のほうが
重厚なワイルド7の空気を出している作ともいえる。
ただ、『飛葉』は、舞台が海外であり、自動小銃なども飛葉が
多用する
傭兵物語のような作りになっている。
ただし、望月先生の名作『夜明けのマッキー』でも時間軸の
ズレがあるように、『ワイルド7』でも飛葉の年齢がパラレル
ワールドのようにズレている。
『夜明けのマッキー』の作品発表は1970年であり、コミック化
は1971年だった。作品の中では「1984年」と刻まれた東京
オリンピックの時の金メダルが出てきて、それを「7年前」と
言う台詞があるので、舞台設定は1970年から21年後の
1991年である未来が舞台となっていることが読み取れる。
実際に、現実世界では、1991年の時点では、アフリカは
1970年当時よりもワヤクチャなことになっており、傭兵禁止
条約にもかかわらず傭兵たちが暗躍していた。
ただ、『夜明けのマッキー』の中には、「親子丼が250円」で
高額すぎるから「200円のざるそば」にするというサラリー
マンが出てきたり、「外人部隊といえば、最近ではきちがい
ホーと呼ばれた隊長が率いるコマンド5というのが有名
らしい」(コンゴ動乱で活躍した実在の傭兵部隊第五コマンド、
ワイルドギースのマイク・ホア中佐のこと)というような台詞が
あり、時代は1960年代を反映していることが判る。ただし、
あくまでも戦場での物語想定は推定事項として1991年と
なっている。ちょうど今年の作に置き換えると、2037年の
ことを描いているようなものだ。だが、世相や物価などはSF
ではないので、その執筆した時代のことを出さざるを得ない。
こうした時代の時間軸の前後錯綜は、活劇の場合には結構
存在するので、そこは冒険娯楽活劇として読み流すところ
だろう。

この『ワイルド7』の最後のシリーズにおいては、雰囲気としては、
飛葉が
横浜の不良だった頃の時代に近い空気を出している。
しかし、舞台は京都に置いている。
また、ワイルド7隊長の草波にソックリな草波が出てくるが、
それは草波検事の息子という設定だ。
むろん、元祖ワイルド7での生き残りはリーダーだった飛葉
だけなので、新ワイルド(新新新ワイルド?)のメンバーは
すべて新しいキャラクタとなっている。(もしかすると旧メンバー
でテルだけは生存していたかもしれない)

望月先生は最期にすごいことを設定して描写した。
まるで飛葉が若い時のような若者を登場させて、新ワイルドの
プラス1のようなメンバーにしているのだ。



これはまるで飛葉大陸(だいろく)そのものだ。名前は大悟
(だいご)という。

かつての1970年代の飛葉ちゃんが蘇ったような感じだ。
実際に物語の中では、飛葉が「まるで俺を見ているようだ」
と言いながら、新世代の若者の突拍子もない発想や行動
に翻弄されて苦笑いする場面もあり、なかなかニクイ演出
を望月先生は採っている。

漫画ファンの方は、是非とも『ワイルド7』を一度ご覧になって
みてください。
日活無国籍映画の名作や1950年代の映画でも傑作は、
今観ても面白いよ。
映画ならば、映画ファンで『七人の侍』を観ていないのに
映画ファンだとか映画好きだとかは自称しないでね(^^;
活劇漫画はワイルド7。これに尽きる。
できれば、初回シリーズをお読みください。
個人的なお薦めは、『緑の墓』と『地獄の神話』の編です。

<ワイルド7の作品名>
1.野性の七人(単行本1、2巻)
2.バイク騎士事件(単行本3、4巻)
3.誘拐のおきて(単行本5、6巻)
4.コンクリート・ゲリラ(単行本7、8巻)
5.千金のロード(単行本9、10巻)
6.灰のとりで(単行本10巻)
7.爆破105(単行本11、12巻)
8.黄金の新幹線(単行本13巻)
9.緑の墓(単行本14~16巻)
10.首にロープ(単行本17、18巻)
11.谷間のユリは鐘に散る(単行本19、20巻)
12.死神を処刑(単行本20巻)
13.地獄の神話(単行本21~25巻)
14.運命の七星 序章-棺桶七つ-(単行本26巻)
15.運命の七星(単行本26~29巻)
16.熱砂の帝王(単行本30~32巻)
17.超高層の対決(単行本32巻)
18.朝食に死を(単行本33巻)
19.灰になるまで(単行本34、35巻)
20.ガラスの城(単行本36~39巻)
21.魔像の十字路(単行本40~48巻)

<続編>
1.優しい鷲(短編)
2.新ワイルド7-野獣伝説
3.続・新ワイルド7-野獣の紋章
4.飛葉-もうひとつのワイルド7
5.ロゼ・サンク(短編スピンアウト)
6.ワイルド7 悪魔教編(超短編4頁 非売品)
7.W7-新世紀ワイルド7(電子版、前頁カラー連載)
8.ワイルド7R(リターンズ)


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おにぎり

2016年10月30日 | 文学・歴史・文化



おにぎりは、たぶん米飯が倭国に入ってきた頃からあったの
ではとは思うが、出土遺跡からは弥生時代のおにぎりらしき
ものが発見されている。
米を丸めて固めてというのは簡単に思いつきそうだ。

ただ、これがただギュッギュと固めるだけではないところが
あったりするんだよな。
画像は現在のあるおにぎり屋さんのおにぎりだが、高校時代
に毎日作ってくれたおにぎりはもっと固めてあった(笑)。
それが、外側が硬く、噛むと口の中でほぐれるというような
絶妙の握り方で、人生16年の人がよくこんな握り方ができる
なぁと毎日感謝しながらありがたく頂いた。
この中の具が分るのは、プロとなった今の一つの工夫だろう。

最近ではコンビニのおにぎりが一般化したが、あれは機械で
押しているので、まあなんというか、人が握ったような絶妙さ
は出ていない。
私が勤務する会社の目黒の本社のそばにもおにぎり屋さん
があるのだが、試しに買って食べてみたら、これがまたことの
ほか美味い。
コンビニおにぎりとは違うんだなぁ。
握り寿司でもてき面だものね。寿司職人が握った握り寿司と
機械で型押ししたのではまるで味が異なる。

さしあたって、おにぎりは今でも日本の馴染み深い携行食料
なので、もしかしたら、現在まで続く日本で一番古い歴史を持つ
食べ物かもしれない。

ということで、先ほど、5kmほど歩いて来たので、いまから
おにぎりを食べることにする。
コンビニのだけど(^^;
おにぎり食べるたびに高校時代を思い出すとは、これは一生
記憶から離れないということだね(笑)。
今はもうほぼ食べることができなくなった絶滅寸前の宮城米
ササニシキがコシヒカリよりも美味いと知ったのは、その米屋
(後におにぎり屋)の子のおかげだった。
ササニシキは本当に美味かった。
お米を愛するおにぎり屋さんよ、永遠に。


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