渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

仁義礼智信

2016年08月29日 | 文学・歴史・文化

          


武道武術をやるにあたり、私は仁・義・礼・智・信の五徳を忘失しては
ならないと思っている。
さらに、この五徳に忠・孝・悌が加わり八徳となる。
八徳を忘れた者は「忘八」と呼ばれ、旧来より日本においては、いわゆる
外道のやくざ者であるとされた。
五徳、八徳の大事は、
実はこれは武道武術に限らず、日本人としての
日本人固有の資質の
問題であると個人的には思っている。

私がこれまで習った武芸流派においては、道場に入る前に一礼(立礼)を
する。
稽古開始前に整列し、正面(上席、神座)、先生に礼をし門人同士で
礼をする。
稽古後にも正面(上席、神座)、先生、門人と礼をする。
道場を退出する際には一礼をする。
入退場以外はすべて坐礼の合手礼を行なう。
これは子どもの頃に通った柔道場、剣道場、中学の剣道、高校の剣道、
成人後の自分の属する居合道場、他流派の剣術居合道場、すべてが
このよう
にしていた。私だけではなく皆がこのようにしていた(いる)。

現在通う居合道場では、そこに稽古開始と終了後に整列して「黙想」が
ある。
稽古後に着替え終わったりして、屋内であるならば、先生が帰られる際
には正座して両手をついて稽古教導の御礼を申し述べる。
こういうことは、ごくごく当たり前のことだと思っている。私が幼い頃
より経験
したありとあらゆる武術武道の場面ではそれが「普通」だった
からだ。

さらに、私は居合剣術稽古の場だけではなく、日常的にも同様の心構え
にて礼を行なう。
廊下などで目上の人が向こうから来た場合には、すれ違いで通過する
ことはせずに、立ち止まって端に寄り草礼をする。これは職場でも居合
大会場でも。職場においては、社会人になってからずっとそうしている。
理由は、私が日本人であり、社会人であるからだ。


徳なき武道は武道に非ず。また武術も然り。況や武芸においてをや。
なお、五徳、八徳を無視する武士は日本にはいなかった。


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さかなや

2016年08月26日 | 文学・歴史・文化



げひょーん!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

江戸時代には「さかなや」という呼び方はなかったそうです。
魚類のことは平安から江戸時代までに「いお」→「うを」→「うお」と変化
したが、漢語読みで「ぎょ」はあったにせよ、「さかな」とは読まなかった。
魚肉を酒の肴として多く食したので酒のつまみ=酒菜として魚類を「さかな」と
呼ぶ呼び方が発生したが、魚をさかなと呼ぶのは一般的ではなく、
「うおや」を「さかなや」と読むようになったのは明治末期以降らしい。
あたしの母方の祖父の妹は、地方ではあるが城下筆頭大手の魚屋に嫁いだ
のだが、そこは元々は「うおや」だったということか。知らなかった。
ほげ〜。歴史的なことは調べてみるもんですなあ。
時代劇とかって嘘多いからね〜。
ただ、大切なことは歴史の真実であって、歴史的な事実の有無をねつ造して
人を騙して利益を自己誘導するのは悪業であるとどれほどの人が嚙みしめる
真摯さを持っているのだろうか。
詐欺ペテンが正義の筈がない。
時代劇は活劇であってファンタジーだからよいけど、現実世界では古流武芸
流派を僭称して大衆を騙してるニセ壺売り霊感商法みたいなカルトがいるから
始末悪いんだけどね。
いくら猫抱いてほのぼのムーミン系を装っていても、魚の腐った目みたいなのを
見れば詐欺師の顔だと知れる。
歴代魚の腐った目というのはなかなかない。
まあ、江戸っ子祭りだワッチョイ!やる気もないすけどね。

そりゃそうと、さかなや新ちゃんと呼ぶのは時代劇としては間違いで、本当は
うをや新ちゃんだったのですか。
洗濯屋けんちゃんの仲間みたいにこれまでは間違って呼んでたのですね。
でも、裏は裏でもねつ造はねつ造でつから。本当にあった裏物と本当は存在
しなかった裏何とかというのも世の中あるようでして。
まあ、どちらも裏筋物でしょうけど。
裏筋迷彩としては、昔、麻雀を知らない素人相手に「ロン!カンチャンずっぽし
ヤマイモでんでん!満貫!」と8000点奪った奴が私の下家にいましたけどね。
素人さん騙して掠め盗るってのはそういうことですね。素人相手だから迷彩偽装
など必要ないようにも思えますが、何というか、まあ汚れた心でないと金儲けな
んてできないですものね。正統面を装って。
わかります。

ここは騙しはありません。
暖簾口上はあくまで洒落。洒落にならないことはしません。



余談であるが、「捏造」という単語は現代では「ねつぞう」と誤読が慣用読みで
なされている。
元来の正しい日本語の読みは「でつぞう」である。
こうした読みの誤読による一般社会への定着は多くみられる。情緒という語も
元来「じょうしょ」が本来の読みであったのが誤読の「じょうちょ」が一般化
してしまった。
捏造という語は、まさに「ねつぞう」が捏造されてしまい、それが定着した。
嘘もつき続ければ本物に取って代わるという悲しき日本の歴史これあり。
捏造は本当は「でつぞう」だったのでつぞう〜。

但し、言葉は世につれ変化するが、歴史的事実は真実しか存在しない。
本当は存在しなかった人物や事象を作り上げるのは新規創作であり、歴史の
真実ではない。
何の文献的根拠も示さずに「伝わっている」ですべて済ませて新規の思いつき
創作を歴史事実のように公言することが如何にこの国の歴史とこの国の人々を
愚弄することであるか。
仮に私が「私の先祖は卑弥呼である。これは当家に伝わっている」と言ったら
常識的な人々からは一笑に付されることだろう。
それは嘘であり創作ねつ造だから当然だ。
だが、そうしたことを真顔で公言する族が自称武芸者には多すぎる。
中には千葉県内の高校卒業なのに千葉大医学部出身で医師であったなどと
大嘘を経歴としてネットで公表している詐称者さえいる。
また、流派についても大嘘デタラメの剽窃と盗用を繰り返しながら、江戸初期
からの伝統流派であると僭称している一派もある。

それらのすべては「自分の利益のため」のみの目的で言動が実行されている。


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鳳凰

2016年08月26日 | 文学・歴史・文化



この図柄はかなり好きである。
火の鳥みたい(笑

鳳凰は龍と同じく架空の霊獣だが、私は好きだ。
うちの昔の紋が鳳凰だったからということでもなく、鳳凰は好きである。


ただ、家紋は幾つかあり、笹竜胆だけでなく、ワイルド・ギースも家紋だった。


鳳凰については、こういうコミカルなピヨピヨ系だったら喜んで付けるの
だけどなあ(笑


私の差料の鍔は鳳凰だ。


ことのほか気に入っている。桃山時代の作。紙付き。

しかし、この図柄は実は鳳凰ではなくヤッタランなのである。



松本零士先生が描くキャラのヤッタランのモデルは、アシスタント時代の
新谷かおるせんせいなのだ。


いや〜、クリソツ!
いいね〜!(^。^)

外国人に鳳凰についてきかれた時、説明がめんどっちのでフェニックス
だと言っておいた。ほんとは鳳凰とフェニックスは別物なんだけどね。

と、当流では伝わっております(笑)。


こちらは私が一からデザインしたオリジナル・ベレー・バッヂ。
リボンの文字はラテン語。(製作:北海道の友人)


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モスラのモデル

2016年08月24日 | 文学・歴史・文化


(ネットの珍獣図鑑から)

モスラが1961年7月30日に初めて東京に登場した時、
モスラは東京タワーを破壊してしまった。


その後のモスラは、他の怪獣に比べて「平和の使者」のような
扱いで描かれることが多かった。
映画『南海の大決闘』などはその描かれ方の典型例だった。

(『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(ゴジラ・エビラ・モスラ
なんかいのだいけっとう)は、1966年(昭和41年)12月17日に
に公開された日本映画で、「ゴジラシリーズ」の第7作である。
初回興行時の観客動員数は345万人。製作は東宝、併映は
『これが青春だ!』/ウィキペディアより)



この南海の大決闘はタイムリーに映画館に観に行きましたね~。
もうワクワクでした。
それよりも、『これが青春だ!』の岡田可愛さんにドッキューンで
したけど(笑



大口開けてるのが岡田可愛さん。私の12歳年上。この時18歳。
ホントはその横の豊浦美子さんのほうがウルトラ好みだったが、
岡田さんのはつらつキャラに幼稚園児の私はやられた(笑
実はウルトラセブンのアンヌ隊員役は豊浦さんが演じる筈だったが
急きょ降板でひし美ゆり子さんが大抜擢となったのだった。

青春ドラマ常連だった岡田さんはその後『サインはV』で大ブレイクする。




これはですね、1960年代に少年少女だった人たちは、家にテレビ
があれば、まず誰もが観てた番組だったと思います。
原作漫画と異なり、武蔵が大和になっていたりしたのはご愛嬌。
魔のサーブである「稲妻落とし」やジュン・サンダースとの「X攻撃」
などは少女だけでなく少年たちの心も熱くした。『サインはV』は日本
のスポコンドラマの嚆矢である。

歳を感じさせない今の岡田さん。化け物・・・でしゅか?(^^;


私の「好みの顔ではないのに好きなタイプ」の原点は岡田さんだった
ようにも思える。だからプリプリの奥居などがとっても好きだったの
だろう。赤坂小町の頃よりもプリプリになってからがいい。
しかし、好みのタイプでいえば、岡田さんではなく断然豊浦さんであり、
ひし美ゆり子さんだ。

私は1989年に「〇〇さん、よろしくお願いしますね。これは私からの
オゴリ」と言われながら紹興酒をひし美さんからお酌してもらったこと
がある。
とんでもない美人だった。
ひし美さんのご主人は新宿南口繁華街(現在は撤去で広場に)で
「北京飯店」という中華料理店を経営していた。私は、ひし美さんとは
知らずに前職の仕事で訪問し、「なんだか突き抜けた美人がおかみ
さんでいるなぁ」と思っていたが、後にそれがひし美ゆり子さんである
ことを知ったのだった。
ご主人は映画『新宿鮫』(主演:真田広之)のワンシーンで、新宿
南口で主人公鮫島が格闘する場面でちらりと「何だ?」という風に
お店から覗き出てくるのが映画に映っている。映画館で『新宿鮫』を
観た初見で私は即チェック(笑


その頃のひし美さん。


『ウルトラセブン』の頃のひし美さん。


やっぱ、ひし美ゆり子さんだな(笑)。



19~20歳の頃の『ウルトラセブン』でのひし美さん。


私の13歳上。学生ウンドが最高潮の1967~68年当時の若者世代だ。
このワンカットはその当時の学生や若者たちの雰囲気がよく出ている。
この写真はいいね~。撮影は誰だろう。





元祖離れ目アイドルに栄光あれ!!

ただの離れ目だけじゃだめなのよ。離れ目+オバQ口ね。
今の作り物のわざとらしい「アヒル口」なんてのはスカ。
顔面改造なく天然でオバQ口に限る。


離れ目よ!永遠に!(by 全日本離れ目女子愛好協会会長)


あれ?
モスラの話はどこ行った?


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地蛸料理の店 ~三原 登喜将~

2016年08月21日 | 文学・歴史・文化



和食が好きである。
しかも、ナンチャッテではなく、本物の和食が好きである。

先週末、気の置けない友人と二人で三原市城町にある「登喜将(ときしょう)」
で昼食を食べながら歓談した。
つきあいは長いのだが、二人きりで食事するのはかなり久しぶりなので、
ちょいと美味いもんでも食うか、ということになり、たこコースを食べた。
うまし!



すべてが美味しい。
地蛸と称して海外産の蛸を出す店が三原には多いのだが、ここ登喜将
は本物の三原の蛸を出す。
何しろ、亡くなった先代が「たこの町三原」の仕掛け人だったから、この
お店が本家本元なのだ。
素材が良いだけでなく、板場の包丁人の腕がよい。ここの料理は実に
美味い。必要以上の御愛想を振りまきもしないが、お店の人の気立ては
いい。私はとても気に入って贔屓にしている。

有人と舌鼓を打って食事しながら、地元名産品の話になった。
彼は三原出身で高校は合衆国、大学は東日本で学んだが、手前味噌的
な妙な地元贔屓は一切しない。
その彼が言う。
三原の蛸は名産だし美味いが、それは三原市民の誇りとかではない。
蛸はただそこの海にいるだけだからだ、と。
この視点には私は全面同意だ。
よく、地元の山や川や海などの風光明媚な風景、新鮮な魚介類を誇りに
思ってか自慢しまくる人がいるが、私自身はそれは大きな勘違いだと
思っている。
自然があったり、そこに多くの魚介類がいることは、それはそこに住む
人の手柄なのかと。
農作物は大地を耕して育てた人の努力がある。
魚介類も漁業に従事している人の努力があって水揚げがある。
だが、山野風光やその地元に魚介類がいることをまるで自分の手柄で
あるかのように語る人たちは、私は大きな心得違いをしていると日ごろから
感じているのだ。
友人のその視点は私も100%まったく同意だ。
たまたま自分が生まれた場所、うまれた環境はそれは天が与えた偶然
であって、生まれた場所や国やその場所に棲息する生物などを誇りに思う
感覚が私にはよく理解できない。
「それは貴方の努力の結果得られたものなのですか?」と。
特に魚介類などもそれにあたる。

ところが、料理は人が成すものだ。
食材となる魚介類をまず漁労により獲った人間がいる。
ここで、人の努力が入る。
そして運搬し、卸し、それを食材として料理する人がいる。
その結果が人に笑顔をもたらすものであったとしたら、私はそれは大いに
誇れることだと思う。
よく解らないのが「日本人に生まれたことを誇りに思う」とか「~で生まれた
ことを誇りに思う」とか「~山~海があることを誇りに思う」とかいう人たちで、
まるっきりただの偶然で自分の意思ではどうにもできないことがたまたま
自分の身に起きたことを誇りにするというその神経が私には理解できない。
「では君は何をしたのか」と。
こうした日本人の「確固たる個としての自立性の欠如」は、ある種の勢力に
よって「自分の頭で考えることをしない付和雷同の従う者たち」として利用
され動員されて行く。そういうケースが非常に多い。
私はそれを拒否する。

三原には「登喜将」がある。
これは私にとっては僥倖だった。
ただの一軒でも、地元に本物の地元食材、本物の和食を良い味で出して
くれる店があるというのは、とてもラッキーなことだと思う。
私の努力によるものではないので、私の誇りとはならないが、三原にこうした
店が存在するということは、たまたまとはいえ、本当に幸運だと思うのである。
(嘘んこ店がかなり多いし)

「いや、本当に美味しい」と箸をすすめながら地元出身の友人さえもが言う。
彼はアメリカ育ちだからか、お為ごかしやおべっかなどは一切言わない男だ。
失礼無礼の類をとても嫌うと同時に、スマートに嫌味なく物事を冷静に客観的
に評価する。人としての「知」を感じる。自分自身さえも客観視できるからだ。
彼のためにはでき得ることは何でもしたいと私も思うし、彼も私のために
一肌も二肌も脱いでくれることが多い。
そこには打算や駆け引きや胸算用などは一切ない。
こういうのは、本当の人と人の付き合いのように感じる。
私と彼の共通項は、「人には己を強制しない」というところだろうか。

腕の良い料理人が腕をふるった料理を気の合う友と食する。
これこそが、魯山人が言った「美味しい物を食べるのではなく、美味しく
食べる」ということの体現なのではなかろうかと私は思う。

おいしゅうございました。

三原にお越しの際には、ぜひ「和食 登喜将(ときしょう)」をご利用ください。

公式サイト ⇒ 登喜将(ときしょう)


私は会社の上司や後輩が来た時、取引先の仕事仲間、友人、家族たち
とよく利用しています。
東京の人たちは大喜びで帰って行きます。
「なんですか?この美味さは」と。
以前、仕事でいらした岡山県の方をお連れしたら、いたくお気に召した
ようで、遠く津山や岡山市内からもわざわざご家族で登喜将の料理を
食べよう!家族ツアーを組んでいらしたりしたそうです。
この店、本当におすすめです。

幕末の京都などは、こういう店がわんさかとあって、志士たちはそこで
毎晩のように飲み食いして語り合っていたのだろうなぁ・・・。


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消防大会

2016年08月21日 | 文学・歴史・文化



太刀魚専門店の魚屋うを志んは、いなせな町火消でもある。
その火消衆の大会があったらしい。



消防は昔から都市防災の重要な仕事だった。
だが、私などはすぐに火つけ盗賊改めの取締り対象になって
いたことだろう。

なぜならば、火をつけ盗んでいたからだ。
クラリスの心を(痛


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宇宙の時代

2016年08月21日 | 文学・歴史・文化

NASA | Earthrise: The 45th Anniversary


私が小学生の時代。
それは宇宙の時代だった。

それ以前、このような写真を人類が見ることはなかった。


なぜ、各国が月面有人探査を停止したのかは謎。
たぶん、「やっぱりやめといたほうがいいね」という理由を現実的に
確認したのだろう。



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ペナント

2016年08月19日 | 文学・歴史・文化

仲間内のグッズアイテムとしては「タオルではなくペナント希望」
と釣り仲間のお笑いファンから連絡あり。


ペナント!
ほとんど「こち亀」ネタか、ぐっさんの「新人トミィ」ネタだよ、
それ(≧∇≦)

ペナントなんて俺が高校生の時にすでに死滅していたよ。
もう40年くらい見たことない!


でも、富士山の頂上にはペナントを売る店がある。
これ、文化遺産でしょう?(苦笑




それと、「バッヂ」ではなく「バッチ」ですから。ここ富士ショップでは。
コンピュータではなくコンピューターね。
ファストフードではなくファーストフードね。
Tシャツはティーシャツではなくテーシャツね。ボディはボデー。
当然、ディズニーランドではなくデズニーランドだ(笑

でも、ほんまのこと言うと、T字路に関しては「テー字路」で合って
るんだよ。正式名は「丁字路」なのだから。アルファベット
のTでは
ないのよ。




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さらしの柄巻きにみる日本の歴史

2016年08月19日 | 文学・歴史・文化


(大石内蔵助)

柄にさらしを巻いたというのは、滑り止めなのか柄の損壊防止
のためか、よく分からない。
ただ確実にいえることは、戦陣仕様の戦時拵である太刀の柄周
りと、江戸期平時の一般仕様の柄では、明らかに後者のほうが
実用性は低い。
いわば現代でいえば通勤用のスーツにネクタイでは戦場で軍事
行動が取れないのと同じことである。
江戸期の平常差しの刀剣外装は、あくまで「~らしく」という
仕様であり、戦闘のことなど前提とはしていない。
私は私見としては、その形式主義が柄の目貫の位置を太刀とは
逆の「指にあたって操刀がし難い位置」に刀の目貫を移動させた
と読んでいるが(太刀とは帯刀において表裏向きが逆である
のに、左表から見て同じ位置に目貫を刀は配したために結論的に
逆目貫が刀の正規位置となってしまった)、実際のところ、こうした
大昔のことはきちんとした伝承が殆ど残っていない。

現在、刀剣や武家作法について再現されているものは、ほぼすべてが
史料などによる復元である。伝書、解説書が連綿と残存していない武術
流派の自称「伝承」などはほぼ100%ねつ造である。「復元」なり「再現」
なりを明らかにすればよいのだが、一度ついた嘘は嘘で塗り固めない
とつじつまが合わないので、非常に研究調査力があるのに、その能力
を人騙しというダークサイドに利用している惜しい流派もある。
新派創立は何も恥でも悪い事でもない。それがわかっていない。
いにしえの流れを汲んで、新たに未来に向けての温故知新の技術を
構築していく、というまっとうなところに立てば公明正大で清々しい
のに、それをせずに過去の権威にすがってそれを利用し、虎の威
を借りるという卑怯なところに走る。
新派として表明すれば清らかで筋もスッと通るのに、まるで学歴詐称の
ニセ医者のようなことをしていながら人を騙す。また、見識のない騙さ
れる日本人や騙されやすい外国人ばかりを狙いうちに集客対象とする。
本当のところでは、これらは凄く恥ずかしい行為なのである。

結局のところ、日の本の本家本元を俯瞰すると、ありとあらゆる
「古流」において傍流亜流が我こそは正統と乱立している様には、
社会背景として理由がある。
それは「明治」によって、日本のあらゆる正統系譜は途絶させ
られたことによる。それは、日の本の根元部分においてさえ。
ねつ造はしてよいもの、ねつ造はねつ造としなければ正義となる、
ねつ造すればそれが既成事実となり、さも大昔からあったのかの
ように人に信じ込ませることが可能なのだ、ということが「明治」
からこの国で開始された。
その最大のものが、日本の根元部分において「明治」に創作された。

「明治」以前、「皇紀」なるものは制度として存在しなかったのである。
このことの真実としての意味は深い。






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商売

2016年08月18日 | 文学・歴史・文化

A「ぶっ。まじ?でもおまいさん、人の商売の邪魔したら駄目だよ」
B「だっておっさん自画像のスマホケース販売ですよ」
A「ショーバイだから(^^;) ネット利用のアイテム路線だろ」
B「会員には買わせるのだろうなぁ。次はTシャツにタオルがガチですね」
A「おお!エーちゃん路線。やるね~」
B「完全な洗脳商法」

A「永ちゃんのタオルは1枚5000円だからなぁ・・・」
B「いや、あそこのタオルはきっと銭湯風」
A「こんなの?」


B「ぶっ。でも何だか可愛くないなぁ」
A「ならば、こういうタオルだな」


B「おお!これはいいすね!これ欲しい。洗脳されそう」
A「きっとその次に出すのはこりだっ!」


B「お、ケロッ子たん。かわゆすね。でもキツネじゃないとなぁ」
A「そっかぁ。じゃあ、きっと和風でこれを出すだろう。江戸時代
  から
伝来してましたってことで」


B「おお!これはいいですね」
A「俺もこれは欲しい(笑)」
B「一発洗脳されてポチッてみますか?」
A「それはせんのう」
B「トホホ。おやじすか。待っててください。もうしばらくしたら、
  多分砲術も出て来ますから」
A「お。昔銭湯でやったら叱られたやつな。お湯入れてピューッてやつ」
B「ここで最初の振り出しに戻る、てやつですか。銭湯=先頭という
  くらいで」
A「佐用に、いや左様に御座る」
B「俺も何かアイテム欲しいなぁ」
(ここで先頭に戻る)


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いざ三原へ!

2016年08月16日 | 文学・歴史・文化


なのだそうです。
来年築城450年だって。

コンビニのウインドに映る午後のおれ。


このゆるキャラ、ダサくない?( ̄▽ ̄)
「おタコくん」とかのかわいいキャラのほうがいいように思える。
おタコにeyをつけたらオタッキーか(≧∇≦)


「ダッコちゃん」みたいな「タッコちゃん」とかのキャラ作って、腕に抱き
つくミニ浮き輪とかタッコちゃんペンダントとかのキャラグッズのほうが
人気出そうに思えるけどね。
このやっさダルマンてのは、やっさダサマンぢゃろが(≧∇≦)
つまり、三原ダルマよりもタコのほうが全国的に日本人には馴染みが深い
訳。寿司ネタでもあるし。
そこを狙わずに何がNo.1か。
くまモンが大人気になったのは、くまモンの動きがユニークだったのも
あるが、クマさん自体が日本人誰でも知っているからというのが確実に
ある。
普段馴染みのある生き物がユニークなキャラクタとなるから人気が出る。
そういうのを読み切っての「仕込み」がないから、三原やっさダルマン
のようなダサキャラになっちまう。
なんだか、カッペ感覚とか飛び越して、大外し過ぎて、評定外だ。
何かを狙う時、そこには情勢と状況の分析がないと作戦は立てられない。
作戦、戦略、戦術なきレースなど、参加するだけ無駄なことだ。

と、俺が考えた意匠が今でも出身校の校章となっている俺は思う。
バッジの材質変わっちゃったけどな。
今はただの金属だが、第一期は七宝焼きだった。

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相武さん

2016年08月14日 | 文学・歴史・文化



最近の相武紗季さんが可愛い件。

離れ目万歳!

桃ちゃんだけは離れ目でなくても許せる。


でも、離れてないけど「やや」系かな(^^;



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侍の着装の謎

2016年08月14日 | 文学・歴史・文化



下げ緒は分かる。
でもこの膝上止めはどうやっているのだろう。
裃の下まで巻いちゃってるものなぁ。
動きやすいためなのだろうけど、やり方は知らない。

これね。こちらは武士に従っている徒士(かち)。

裸足だよ。石ころあったらいてーだろーなぁ。

こちらは岡山のある祭りにて。
刀は完全に前半、閂差しにしている。
着物と裃の裾のからげ方が上掲の画と異なる方式
のように見えるが、詳細は不明。


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古代製鉄炉

2016年08月13日 | 文学・歴史・文化



絶対にこれはムーピー。


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よしもと新喜劇20150714「すちこのどないしたん?ウエスタン!」

2016年08月12日 | 文学・歴史・文化

よしもと新喜劇20150714「すちこのどないしたん?ウエスタン!」


あほらしすぎるのが吉本の味(笑)

西部劇が大阪弁というだけでおもろいのに(^^;


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