渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

拝一刀 胴太貫(どうたぬき) ~現実と空想活劇の虚実~

2016年06月25日 | 映画・ドラマ



拝一刀(おがみ いっとう)。公儀介錯人。
架空の物語の架空の人物である。
そもそも「公儀介錯人」という役職は歴史上存在しない。
「公儀刺客人」という役職も無ければ当然「裏柳生」も存在しない。
また、劇画・ドラマ・映画の中に出てくる裏柳生の分家の「喰代柳生」
も存在しない。
すべてが作り事の架空の物語なのである。
創作物語は、「作品」として楽しむものであり、現実に存在した歴史事実
と混同してはならない。(あたりまえのことだけど)
スーパーマンやウルトラマンは現実世界には存在しない。

劇画・ドラマ・映画の『子連れ狼』は、大名の介錯をする公儀介錯人の
地位を狙う公儀刺客人の柳生家が公儀介錯人拝一刀を抹殺せんとし、
一刀の妻、一族郎党を皆殺しにする。そして、かろうじて生き残った一子
大五郎と共に拝一刀は子連れの刺客となり、柳生に対して恨みを晴らす
旅に出るというストーリーだ。

拝一刀の差料は「胴太貫(どうたぬき)」といって、これも原作者が考案した
架空の刀である。
肥後菊池の同田貫(どうだぬき)とはまったく関係がない。
(ただし、原作劇画第二シリーズでは内容が大きく変換され、一刀の刀は
肥後菊池の同田貫とされてしまい、一刀から数十年昔にいた東郷重位が
遺子大五郎を育てるという脳細胞爆裂展開になってしまった)

中村錦之助が萬屋錦之介と芸名を変えて臨んだ意欲作のTVドラマ『子連れ狼』
では原作通りに「ドウタヌキ」という刀を使っている。
ドラマでは撮影上の都合から、何口(なんふり)かの別物の殺陣用のドウタヌキが
出てくるが、こういうのは映像作品製作ではよくあることでいたしかたない。





萬屋先生はこのドラマ主演を期に現実の肥後国同田貫作の大ファンと
なったらしく、「同田貫」であればどんな物でも買い取ると刀剣商に触れ
を出し、同田貫を収集した。
そのため、ドラマ『子連れ狼』が放映される前までは、美術刀剣界では
位が低いとされて低価格だった同田貫(2005年頃までの軍刀のような
扱いで実用品の品位の低い刀とされていた)だが、萬屋先生の買い占め
によって一気に価格が数倍に高騰した。市場に品薄になったからだ。
萬屋先生は同田貫だけで数百口を収集していた。かつて1970年代中期
に放送されたテレビ番組の取材で「これ、来たばかりの同田貫。これで
○○○本目くらいかなぁ」とおっしゃっていた。
当然ご自宅では保管しきれず、別に管理の行き届いた倉庫を借りて
保管しているとのことだった。

萬屋先生のご趣味のおかげで、世間では次の3つの現象が起きた。

・同田貫(どうだぬき)をドウタヌキと発音することが広まったこと
・買い占めにより肥後同田貫が市場から消え、経済原理で一気に価格が
 暴騰したこと(通常の刀剣では考えられない秀吉の正宗名刀工作依頼
 の現象)
・ドウタヌキは同田貫であると思い込み、架空の刀剣胴太貫と同一で
 あると誤認する人が大量に増えたこと

原作の第一シリーズの劇画も萬屋版のドラマも珠玉の名作だが、この
拝一刀の愛刀の架空刀の「胴太貫」には隠されたとんでもないカラクリの
事実がある。
こちら → 消された画
こちらも → 刀工の交流と茎の形状

現在でも実在の肥後国菊池の同田貫をドウタヌキと呼ぶようなことが
一般化されてしまっているが、同田貫はドウダヌキである。
これは幕末の名工源清麿をキヨマロと読む誤伝が一般化したのと
同じ現象ともいえる。(清麿は本来はスガマロ。兄の真雄はマサオでは
なくサネオ)
こうしたことは、長船長義を「チョウギ」と呼びならわす便法的使用法とは
異なり、おそらく誤伝がそのまま多くの人に真実として誤認されたまま
一般化して普及した類のものだろう。
世間の多くの人は歴史事実をよく精査せずに思い込みで鵜呑みにする
傾向が強い。
江戸城の天守は二度築城されたが、振袖火事と呼ばれた明暦の大火
以降は建造されていない。
それなのに『暴れん坊将軍』の八代将軍徳川吉宗の時代に江戸城天主
を堂々と出しているような時代劇が非常に多く、大衆はそれを観て現実
かと固く誤信する。
ドラマの世界ならば害はない。
だが、本当の歴史上の事実と架空創作物を区別しようとはしない傾向が
大衆にあることを狙って、大ねつ造を繰り返して集客して金員を得ようと
する族(やから)は世の中に多いので注意が必要だ。
精査すれば嘘まみれであることは判明するのだが、一般的には大衆が
見抜こうとする力を上回る巧妙なやり口で欺罔(ぎもう)するので、人は
騙されてしまう。つまり、それらの目的は虚偽を基にした集客による金員
集めであり、詐欺行為であるのだ。
これは自称武術流派などだけでなく、刀剣関係者でも多くいる。
例えば一例としては、刀工二代目小林康宏と会ったこともない人間が「私は
刀匠小林康宏と懇意にしている。名刺も持っている」として周囲に振れまわっ
てそれによって何らかの利益を得ようとしている人間もいたりした。
事実は康宏は一度もその人間に会ったこともない。
そうした人物がある剣術居合流派の「代表」と自称したりしている。
何も知らない人は騙されるだろう。

私はふと、武術を学ぶ根幹は、強いか弱いとかよりも、「真実を見抜く事」では
なかろうかと思う。
武技においても、虚実の虚に惑わされて騙されては命を失う。それが武術
なのではなかろうか。

映像作品などは「作品」であり、あくまで創作物だ。ドキュメンタリーフィルム
ではないのだから。



ドラマ『子連れ狼』に出てくる拝一刀の携帯武器は多くある。
代表的な物を列挙すると以下だ。
 ・大刀=胴太貫(ドウタヌキ)
 ・長巻
 ・槍
 ・手裏剣
 ・短刀
 ・斉発銃

私は個人的な勝手な憶測では、この長巻も「胴太貫(ドウタヌキ)」の清水
甚之進信高の作だったら面白いなと思う。

拝一刀の仕込み長巻。


仕込み槍。


手裏剣。


これらも全部同作者だという設定だったら面白かっただろうとは思うが、
原作でもドラマでもそうしたプロットは用意されていなかった。
もともとが齟齬というか(もしくは仕組まれた裏のカラクリだったかも
しれない)、架空刀である胴太貫(ドウタヌキ)の作者を原作では実在の
刀工(肥後同田貫ではなく尾張の刀工)をあてこんでいるという変則業
をやっているので、かなり複雑な仕立て味となっている。
だが、その仕掛けを見抜くと、数倍『子連れ狼』を楽しめる。

敵の刀はもとより、石仏だろうが鉄棒だろうが何でも斬ってしまう斬鉄剣の
胴太貫だが、堺の鉄砲鍛冶の斉発銃だけは切れなかった。




こういうところは妙に取ってつけたようにリアル(笑)。

現代刀工小林康宏(二代目)の刀は斬鉄できることは確かだ。
現に3.2ミリの鉄板をも私は斬っている。(極薄鉄板は逆に摩擦熱
で刃先が溶けることがあり、切断は容易だが刀が傷む)
しかし、小林康宏絶対論みたいに脳内で妄想して作刀を希望する
人が後を絶たず、かなり困惑している。
二代目小林康宏が作る刀は斬鉄できる斬鉄剣とはいえ、まっとうに
鍛え造った刀であれば他の刀工の作でも鉄は截断(せつだん)できる。
軟鉄の釘あたりは一般古刀や新刀(一部)でも切断できる。
二代目小林康宏が現代刀の中では頑丈さにおいて突出していること
は確かな事実ではあるが、宮入一門の藤安将平師の刀も斬鉄が
できる斬鉄剣であるし、東北にも斬鉄剣を作る作者はいる。
(専門的なことを少し述べると、材料如何よりも工法にこそ堅牢な刀身
を作るキモがある。康宏と同じ材料を使おうとも、将平と同じ材料を
使おうとも、出来ない作者は出来ないし、出来る作者は出来る。鋼を
どのような方向に持って行くかが最大の要点だ)

小林康宏の刀が人気が出るのは私は作刀スタッフなのでファンの方々の
気持ちを嬉しく思うが、独り歩きした伝説化の風潮にはいささか康宏本人
ともども困惑している。
康宏の刀ならば何でも斬れると思い込んで、それに基づいて作刀依頼を
してくる人がかなり多いからだ。(その手の希望者はすべてお断りしている)
康宏作とて、硬物に棟打ちしたら折れるし、平に置いてそこを斬撃すれば
折れる。
ただし、通常の使い方の場合は著しい強靭性を示すというだけで、康宏作
だから何でも斬れるということではない。学校の鉄棒などは康宏でも切断
などできない。
現実と夢想・妄想の区別は大切なことだと私は思う。
そして、刀剣としての作位というか、美術性などは同じ斬鉄剣を作る藤安
将平刀匠のほうが康宏よりもずっと上である。
ただ、藤安刀匠の新作注文を一手に引き受けている町井勲氏(藤安刀工の
弟子)によると、「康宏さんは上手ですよ」とのことだ。
町井氏は二代目康宏作刀復活の際にまず最初に注文希望の手を挙げた
人だし、現実に打ち上がった二代目康宏の注文作を所有している。
ご自身の差料の一つの二代目康宏の他にも二代目康宏作を現実にご覧に
なって、刀剣商・日本刀研磨師・刀工修行者・兵法者の厳しい目からみて
康宏のことを「上手」と言う。私が「本人も言ってますが下手ですから」と
謙遜ではなく本気で町井氏に言うと、町井氏はお世辞ではなくやはり本気で
それを否定して「いや、上手ですよ」と所見を述べる。
しかし、ナカゴ仕立て、上(かみ)の美術性と多様性、作刀の総合的な技術力
においては小林康宏よりも藤安将平のほうがずっと技量が上である。
ただ、二代目康宏は二代目康宏以外にはまず造れない刀を造る。
実際に二代目康宏に倣って作刀した作などは、やはり二代目康宏とは出来
上がりの様態が異なる結果を示したりしている。
(15センチ以下の合法品小物に関しては私が造る物が一番二代目康宏に
近似かと思うが、これは思い込みではなく、実際にその評価を専門家らから
得ている。私の合法作が別作者の刀工銘を切られ刀剣商に売却目的で持ち
込まれたという笑えない現実も過去にあった。ちなみに私の作はすべて斬鉄
テストをしている。このテストに関しては、互いに別作者ながらも斬鉄剣受付
窓口という盟友である町井氏は否定的だ。ただ、それは「売り物」の場合には
私も首肯できる。だが、私の作は一口も売ったことはない。すべて進呈品だ)

まっとうな刀ならば細く薄い鉄などは裁断できます。
小林康宏に対して、架空妄想的なところで作刀依頼をされても、そのご希望に
沿う刀をつくることなどはできません。
最近、「るろ剣の逆刃刀を造ってくれ」という依頼があり、さすがに丁重にお断り
しました。ファンタジーに脳内の立ち位置がある方のご希望には沿えません。
たしかに、「斬鉄剣」という呼称は、1970年代初期に東京地方の斬術者たちが
初代小林康宏の刀を指してそう仲間内で呼称し始めて名が知れ、それが某
漫画がアニメ化の時に、途中からアニメに現実世界の呼称が流用されたという
のが歴史の事実であり(原作では「流星」、アニメも最初の頃は斬鉄剣という
呼び方ではなかった)、小林康宏こそが「元祖斬鉄剣」なのですが、アニメの
ようにコンニャク以外何でも斬れる刀を小林康宏は造っている訳ではありません。
どうか、現実と空想架空妄想をごっちゃにしないように重ねてお願い申し上げ
ます。


さて、映像作品には齟齬やちぐはぐな間違い、手違いというものは多くある。
ドラマ『子連れ狼』において、最大の事件はこれだ。

裏柳生の総裁である柳生烈堂(これも本当は列堂が実在人物の名)は拝一刀に
矢を目に刺されて失明する。


だが、第二部シリーズになったら、刺されて失明したのは右目ではなく
左目になってしまっている(笑)。


こういうのはですね、大五郎が男の子ではなく、第二シリーズから女の子に
なるようなもので、やってはいかんミスというか大雑把過ぎる映像表現だと
思うのですよね(苦笑

さらに細かいことをいうと、ドラマ『子連れ狼』は、第一部、第二部、第三部と
放送されて、第三部からは大五郎役が交代したのだが、それよりも大きく
異なる事象が見られる。
それは、第一部、第二部においては、刀のアップシーンなどでは真剣が
多用されていたが、第三部ではまったくすべて全編においてお土産屋で
売っているような模造刀が撮影に使われているのだ。
これは何らかの当局からの指導あるいはスポンサーかプロデューサーから
の示唆があったものだろうと思われる。
そして、アップのみならず殺陣で使われる刀も、第一部、第二部での拝一刀
のドウタヌキの特徴であった「二筋樋」ではなく、第三部ではただの棒樋と
なってしまっている。



正直申し上げて、第三部は刀剣に関しては映像作品の作り込みがぞんざいで
とてつもなくいただけない。
但し!
役者の演技は第三部が一番いい。

斬鉄剣ドウタヌキが裏柳生の策略により折れて茫然自失の拝一刀。
なぜか刀身の樋は第一部、第二部の二筋樋から棒樋になっている。


映像はあくまで創作物の映像作品としてお楽しみください。
ファンタジーを現実社会に持ち込むのは、常識的社会では通用しません。

柄、なっげ~!でも、これは現実社会でも武具として多く存在しました。


ここらあたりの「現実と空想活劇の境目」は、きっちりと見抜いてほしいと、
この日記を読まれている読者の方々にはお願いしたいと思います。




 


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虚像の中の真実 ~時代劇などの素顔~

2016年06月15日 | 映画・ドラマ

修心流のサイト記事にこんなのがあった。

→ 子供の発想は凄い ~暴れん坊将軍を見て放った一言~

なるほど、そりゃそーだ(^^;

昔、高橋版『桃太郎侍』を見ていて、ふと思ったことがある。
高橋桃太郎は1回の放送で約20~25人切り殺す。
高校生の時、番組を見ながら「そうか~。年に1100人以上斬るから、
これで江戸の人口増加抑制してたんだな。この先、放送が続いたら
いってえ、どんくらい江戸人口を減らすんでい」とイトコ兄と言い合って
笑った
記憶がある。
『桃太郎侍』は高橋英樹版は1976年10月から1981年9月まで放送
された。
全258回である。
そこで数えてみると全話258回であるから、1話で23人と見積もって
全話で
5934人を斬り殺していることになる。(スペシャルを除く)
古今東西、これほど人を斬り殺した「剣豪」はいない(笑



ところが、実際のところ、ある記録の計算によると、江戸期の死刑執行
数は
年間1500名近くになる。1日平均約4名が死刑を執行されていた。
10両盗めば斬首確定の時代だった。1両は時代によりレートが異なるが
現代貨幣価値換算で1両12万~3万に相当する。
心中で生き残っても死刑。不義密通も死刑である。不倫・浮気?とんでも
ござんせん、てな世の中だった(建前上は)。「間男首代五両」とか言わ
れていたが、不義密通はいつの時代も多かったのだろう。(ある調査に
よると、日本においては現代主婦の6割が浮気経験がある、という結果
が出ている。フランスほど大乱れ丁子刃文百花繚乱でなくとも、日本人も
かなり淫放だ)

江戸時代は司法と行政が分離していなかったので、疑わしきはまず
しょっ引く。牢屋は未決拘留の場所であり、裁判による「刑の言い渡し」
は最終審判だった。
現代は司法制度が全く異なるのに、「警察に逮捕されたのは悪い人」と
一般人の中に強い概念が残っているのも、この江戸期の意識の延長に
ある。無実であろうが、しょっぴかれたら「悪人だろう」という発想だ。
また、実際も「とりあえずガラ取っとけ」という発想が警察にも根強くある
ので、自白強要や冤罪事件も後を絶たない。

江戸期の極刑には以下がある。

 死罪・・・・斬首刑。財産没収の上、死体は様(ためし)に使われる。
 磔(はりつけ)・・・屋外で立木に縛り付け、執行者が槍で何度も串刺しにする。
 獄門・・・斬首の後、首を獄門台の上に晒して見せしめにする。
 鋸挽(のこびき)・・・竹のノコギリで罪人の首を引き切る刑。罪人を穴埋めに
  して晒しものにし、一般通行人にノコギリを引かせた。
 火罪・・・火あぶり。放火犯に対して適用。
 下手人・・・・一般殺人罪に適用。財産没収、様なし。死刑で一番軽い刑。

これらは町人に対するもので、武士は「斬首」と「切腹」しかない。また、
死体は刀の様(ためし)に使われることもなかった。

幕末から明治初期にかけての死刑執行数はネット百科によると以下の通りだ。

 1869年(明治2年) 480以上
 1870年(明治3年) 1080以上
 1871年(明治4年) 1246以上
 1872年(明治5年) 1128以上
 1873年(明治6年) 970 近代刑法参考の律令による執行
 1874年(明治7年) 750 斬首刑廃止。絞首刑採用。

江戸期の死刑についてはこちらが参考になります。 → こちら



昔、前職の時に、法制史の史料を調べるために国立公文書館と国会図書館
に行った時、江戸期の極刑についての史料を見た。
グゲゲゲのチョンワチョンワでエグかったわぁ(^^;
死刑よりも拷問が凄くグロかった。
基本的には江戸期は「とりあえずなんでもしょっぴけ」で、下級警察官吏の
下っぴきや岡っ引きの十手持ちが容疑者を番所にしょっ引いて、それを下級
武士の同心あるいは
与力が軽く嫌疑を調べて牢にぶち込む。そして拷問に
よって「自白」させる。

犯罪の真偽などはどうでもいい。とにかく自白によってやっていないことも
「あたしがやりました」と言わせるような熾烈な拷問をする。
これは戦時中の特高警察などもそのやり口を引き継いでいた。

映画・ドラマの世界は、空想活劇の世界なので、直に現実世界の事象
には繋がらないが、部分的に真実の現実世界のことも描かれたりして
いるので、「虚像の中の真実」を見極めるのは難しい。
それでなくとも、最近はファンタジー脳が大流行なのか、時代物作品が
現代でも存在するとか思いこんでる人がいるようだし。
われらは裏柳生である、とかさ(^^;
もうね、まじで奇天烈ゼッコーチョー!てな感じで楽しませてくれる。
飛天御剣流も実在したらしいしなぁ。

それにしても、あれだけ人を殺して、桃太郎侍さんはなぜ捕まらなかったの
だろうか。
まあ、武士の悪者を取り締まるのは所轄が違うからね。一般町人は
町奉行所管轄だが、武士には町奉行は手を出せない。武士を取り締まる
のは目付・大目付の出番なのだが、まあ、言ってみれば、泥棒の親分に
泥棒を取り締まらせるようなものなので、まったく取り締まりにはならない。
今の権力者のワルモノが大手を振ってまかり通っているのとまったく同じと
いうこと。

 


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【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM

2016年06月12日 | 映画・ドラマ

【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM


作り物だと分かってはいても、最初と二本目のトヨタのCMは
いいなとか思ってしまう自分がいる。
娘の反抗期とかよくわかるよ。ほんとにこんな感じ。
二本目はまったく一本目と同じシチュエーションですべて娘の側からの
目線がカメラの映像としている。パパがひげ剃ってる時の湘南電車の
進行方向が逆だけど(^^;
これはわざとの裏技的な隠し演出だろう。

全体の作りはやらせである完全な「狙った」作り話ではあるのだが、
現実としては
私などは(今のところ途中までは)重なる部分もあり、トヨタ
CMは感慨深く観る
ことができる。


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実写とCGの組み合わせ 『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』

2016年06月11日 | 映画・ドラマ

実写とCGと合成すると実写にしか見えない。
現代映画では多くがその手法が採り入れられている。

乗れているトム・クルーズ。
映画『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』より。
ローグ・ネイションとは「悪党」という意味です。

悪の組織「シンジケート」を追うイーサン・ハント(トム・クルーズ)。
フォームは決まってます。これだけ見れば「乗れてる」というのが
判ります。ステップに乗せるフットも親指の付け根をステップに
かけています。右手の指の第一関節はCGですが。



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逃げる英国美人エージェントはバイクの達人だった。

だが、これは実写とCGの組み合わせです。タイヤの下半分はCGで
合成している。色調の違いからそれが判別できる。実物バイクを
スタジオで機械に搭載してバンクさせて撮影し、高速走行で撮影
した実走背景と組み合わせ、タイヤ下半分をCGで描いたのでしょう。
影もCGなのか、不自然ですね。

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バンク角と体の状態から、完全に実走ではないことが判る。
フォームはヨーロッパ系を表現しており、芸は細かい。


彼女を追うシンジケートの後ろをイーサンが追う。


彼も実写とCGの合成。ただ、トムは本当にバイクに乗れるのだろう。
フォームはとても決まっている。これはケニー・ロバーツやエディ・ローソン、
ウェイン・レイニーなどに代表される典型的なアメリカン・グランプリ・ライダー
の乗り方を表現している。これも芸が細かい。
また、この時のイーサンは、まるで劇画『バリバリ伝説』に出てきたアメリカ
グランプリ・ライダーのラルフ・アンダーソンのようだ。



高速ハイウェイから山岳地帯に入り、さらにチェイスは激しくなる。
ただし、実写部分は低速走行で撮影されていることがよく判る。
実際の効果音とタコメーターは連動しておらず、また、バンクを
無理やり寝かせでやっているので、コーナーから立ち上がりが
とても不自然だ。実際の峠での高速走行ではあり得ない挙動
となってしまっている。この最後尾のイーサンのバイクの状態を
見てもそれが読み取れる。


必死に逃げる美人英国エージェントを追う悪の組織の殺し屋。

その殺し屋を追うイーサン・ハント。スタジオCG合成。


影の縁にCG処理ミスでボヤケ発生。


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これも体の一部はCG合成ですね。右手中指に注目。これは編集ミスでしょう。
関節いくつあるんだよ(笑

クリックで拡大

本物のトム・クルーズの指の長さ比較。(人差し指と中指の長さに注目)


悪党に追いついたイーサンはコーナーのイン側から体当たりをくれます。

悪党すっとぶ。


死亡確定!エイメン。


ということで、この作品の中では街中での車とバイクのカーチェイス
シーンと並んで、かなり見応えのある追走劇のシーンでした。
よくできたシーンですが、実際のバイク乗りからすると、実走ではない
というのがたちどころに判ってしまいます。

映画はエンターテイメントですので、細かいところは気にせず楽しむ
ものでしょうが、非現実的なことは見抜かれてしまいます。
まして、齟齬や錯誤やミスはたちどころに初見で見抜ける。
こうしたことは、映画・ドラマのみならず、武術などの演武を見る場合
でも、目を養えば「何がどうなのか」ということは見抜けます。

映像を見る時にも、「見取り稽古」することに関して、ご紹介まで。

こうした初見で「見抜く」ことは、特殊戦技訓練教程の「キムのゲーム」で
訓練された者には簡単なことなのです。
また、本物の戦闘訓練を受けた者だけでなく、別ジャンルでも訓練を
積んだ者は「利き酒」ができたり、「調香師」のように細かい臭いが嗅ぎ
分けられたり、微細な音の違いを感知したり、そういうことが可能になり
ます。要は訓練です。そしてそれを高次に先鋭化させられるほんの
少しの才能が人間の眠った力を開かせます。
人間の能力はコンピュータよりも勝っていることが多くあります。
眠らせずに開花させましょう。五感を研ぎ澄ませて。
そのためには、野性を取り戻さないとなりません。常に生死の帰趨は
いつでも身近にあるのだということを心に置いて。
ファンタジー脳は、死への近道切符でしかないことを御理解ください。
特に今の時代、ニセを本物と思いこませて利を得ようとする悪事を働く
事象が多すぎますので、自分を守るためには「見極める力」が大切
です。



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おそ松さん

2016年06月06日 | 映画・ドラマ


向こうの部屋で、かみさんがゲラゲラ笑ってるから「どうしたの?」と
尋ねたら『おそ松さん』を観ていた。
人気があるのだという。
おいらも観たら、面白かった(≧∇≦)
ちょっとシュールだけど。

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『映画 日本刀 ~刀剣の世界~』予告

2016年05月10日 | 映画・ドラマ

『映画 日本刀 ~刀剣の世界~』予告

2016/04/28 に公開
映画史上初の刀剣ドキュメンタリー。それは、名刀と匠の共演乱舞―。
『映画 日本刀 ~刀剣の世界~』
5月下旬 TOHOシネマズ日本橋にて公開

東京日本橋限定かいっ!(^^;


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映像に見る風景と台詞まわし 『その小さき手に』 ~子連れ狼~

2016年04月13日 | 映画・ドラマ

子連れ狼 Lone Wolf & Cub: Final Conflict (1993) Resisting Arrest


原作者の方はこの1993年田村正和版の子連れ狼が一番
原作のイメージに合っていて好きなのだという。
実は数ある子連れ狼シリーズで、私もこの作品が一番好きだ。
一番最初の若山富三郎先生版は生々しすぎでグロだし、劇画
原作に最も忠実な萬屋錦之介版は、安定感はあるが、動きが
もっさりしている。
ソフトバンクの白い犬のお父さん版は、ただの毎週放送の老人
向け時代劇になり下がっていて最低以下の出来だった。なんと
いうか素浪人天下御免の向こう傷カーッ!みたいな実に陳腐な
拝一刀になり下がっていて、史上最悪の出来だった。

この『その小さき手に』は、原作劇画とはかなり表現描写が異なる。
だが、私は惹かれる。
まるで舞台劇のような現実離れした美しすぎる田村正和の立ち
回り(殺陣における剣劇シーンのことを「立ち回り」と呼ぶ)なのだが、
肉親を殺された時の悲哀感などは田村氏が一番飛び抜けて演技
できているように感じた。他の方の演技は、原作をなぞるか、直截
過ぎる感じであり、「唇を知らずに噛みしめて血が流れる」ような感情
の表現は、田村さんが図抜けている。
比較するべきものでもなく、「田村正和は田村正和なり」と私は思う。

ところで、公儀介錯人旗本拝一刀は、公儀介錯人の地位を狙う
裏柳生の謀略により、登城出仕後に屋敷に帰宅すると、一族郎党と
妻「あざみ」が殺害されていた。
このyoutube動画はそのシーンだが、これはどの作品でも出てくる。
ここから拝一刀は刺客の道に入るからだ。
拝一刀が刺客道に入った
理由は拝家再興ではなく、ただ柳生に恨みを
晴らすためである。

刺客一殺五百両の報酬は、剣で柳生に立ち向かえない幼い一子
大五郎に南蛮渡来の投擲雷(とうてきらい。手榴弾)を与えるため
の資金だった。亡き妻あざみの従者だった「竹阿弥」が毎回送り届け
られる金子を溶かして竹の中に秘蔵した。
竹阿弥は明らかに忍びの者であり、あざみは柳生の娘であるかのような
ニュアンスを匂わせるシーンも原作には出てくる。
さすれば、最後のシーンで、柳生烈堂が大五郎を抱きしめて「わが孫よ」
と呟き、大五郎が「?」となるシーンのつじつまも合うのだが、大五郎が
柳生烈堂の実孫であるという見解は原作者が自ら後年否定している。


この柳生が自宅に乗り込んでくるシーンでは、どの作品でも、拝一刀は
邸内から走り出て、邸宅脇の水辺に柳生の一群を誘いこむ。
拝一刀と柳生烈堂が死亡したのは、原作からの類推では1702年の
元禄15年であるのだが、当時の江戸は、市内からちょっと出ると
山林原野のような地域が広がっていた。徳川実紀にも、江戸付近で
鹿狩りで鹿が大量に獲れたことが記録されており、現在の都心港区にも
「狸穴(まみあな)」という地名が残っているように、タヌキが棲むところ
であり、今でいうと、地方都市を想像してもらえばよいだろう。
ただし、「狸穴(まみあな)」という地名は馴染みが時代と共に薄れた
ためか、ロスインディオスの『別れても好きな人』では、最初は「歩きたいのよ
狸穴 灯りが揺れてるタワー」と歌っていたのに、後年のロスインディオス
&シルビア版では「歩きたいのよ高輪 灯りが揺れてるタワー」に歌詞を
変えている。実はロシア大使館の坂下の狸穴からはタワーがよく見えるが、
高輪からはタワーはあまりよく見えないのではあるが、イメージ的にマミアナ
よりも高輪のほうが時代的にオサレだったからだろう。高輪プリンスホテル
全盛期の頃に歌詞は変更された。
『別れても好きな人』では、本当は高輪ではなく狸穴から赤坂に歩く。
「ちょっぴり寂しい乃木坂 いつもの一ツ木通り ここでさよならするわ
雨の夜だから」となる。高輪となると、高輪から赤坂まで歩いたのか?と
すごく不自然になる。高輪というのはJR品川から丘を登ったところで、赤穂
浪士の墓がある泉岳寺のある場所だ。そこから赤坂まで歩くというのは、
かなり無理がある。
そして、初回盤の歌詞のほうが情景が豊かだ。なぜならば、ロシア大使館
あたりの狸穴を歩いて二人で赤坂まで一緒に行くという情景が浮かぶ
からだ。距離的にも無理はない。別れた後に二人が偶然再会して「恋の
いたずらね」となり、原宿や赤坂でまた会う。恋人同士にかえってグラスを
傾けた二人だったが、東京タワー近くの狸穴を一緒に歩き、赤坂乃木坂、
一ツ木通りのあたりで再びまた別れることにするのだ。雨の夜だから。
そうした『別れても好きな人』の歌詞で、高輪がリメイク版でとってつけたように
登場したのは、原詩の流れや情景からすると、とても不自然なのだ。
これはタワー狸穴あたりと赤坂六本木と高輪を知っている人からすると
リメイク版で歌詞が変更された時、「あれ?」と思った事だろう。
(ちなみに東京タワー下の直角コーナーは膝擦りコーナーで攻め所であった。
下りはすぐに信号があるので攻められないが、慶應大学方面に向かう上りは
タワー下コーナーを抜けてから続く高速S字も楽しめた)


閑話休題-

三原市などは、今でも城から数百メートルの地点でイノシシやタヌキ、
キツネやテンなどが出る。城下町の市内の山ぎわを大型イノシシが
歩いている姿を想像できるだろうか。
まさに江戸時代の江戸シティがそのような感じだっただろう。

雪の日に私の家の駐車場横に出たタヌキ。城から300メートル地点。




そこで、拝一刀が邸宅から自宅脇の水辺に柳生を誘いこむシーンなのだが・・・
こうした風景は江戸府内としてもあったかも知れない。


だが、こうなると、後ろに明らかに「山」があり、これは愛宕山で
あるとしてもかなり無理がある。


一方、大人気高視聴率だった萬屋版では、拝一刀は邸宅を出て
すぐ横の川に柳生を誘いこむ。


気になるのは、かなり上流の渓流であること。


やはり山が映り込んでしまっている。
CGも存在しなかった時代、撮影場所がないから仕方ないが。


水鴎流(すいおうりゅう)波切りの太刀。




ただ、萬屋版は、屋敷のすぐ脇が川というところが原作に忠実である。


萬屋先生は、台詞回しが歌舞伎っぽいが、そこがまたよかったりもする。
特徴としては、早く言うところとゆっくり言うところの強弱をつけるのと、
文節の切り方が独特なところだ。
通常、「○は△であった。それが□である。」と言うところ、萬屋先生は
「○は△であったそれが、、、□である」というような文節の区切り方で
よく台詞回しを表現する。前段は素早くしゃべり、「□である」のところは
極めてゆっくりと言う。これが萬屋錦之介の台詞回しの特徴だ。

若山富三郎版の同シーン。


若山富三郎先生は何を言ってるのかよく判らない(^^;

田村正和は昔よくモノマネされたが、そのモノマネのデフォルメと同じ
ように、抑揚なく台詞をしゃべる。だが、それが棒読みとはなっていない
ところが特徴だ。感情を抑えた台詞回しが特徴だったが、この『この小さき
手に』では激情で叫ぶような感情も表現している。役者田村の「堪え」と
「発奮」の二面性の演技がこの『この小さき手に』では見られて面白い。

田村正和版では、川ではなくどこかの止水で撮影されたようだ。
止水といえば思い浮かぶのが虎ノ門から赤坂にかけての「溜池」だ。
現在は完全に埋め立てられて地下鉄が通っている。



明治初年の赤坂溜池






江戸期の溜池の地図。虎ノ門から赤坂に向かう途中にある。


旧田村町(現内幸町)から虎ノ門方面を見る。正面が日本初の
高層ビルである霞ヶ関ビルだ。ここらあたりに私の前職の職場が
あり、刀工小林康宏はここ田村町で生まれ育ち、中学の時に
高輪に引っ越した。東京の道割りは江戸時代から変っていない。
正面の霞ヶ関ビルの向こうに溜池があった。今は地名のみが残る。


私は、原作劇画から拝一刀の屋敷所在地を割り出そうとしたが
できなかった。
それは、現実世界の江戸の地形と、原作劇画の屋敷付近の地形が
合致しないからだ。架空の中の架空の場所として原作では描かれて
いる。
これが、同原作者同劇画家の作品の幕府御様(おためし)御用の
山田浅右衛門を主人公とした『首切り朝』では、かなり現実の江戸
市中がリアルに描かれている。

この切絵図は劇画『首切り朝』の中でも使われた。



時代劇を観る楽しさに屋外でのロケがある。

最近では時代劇の撮影場所が激減してロケハン(ロケ地ハン
ティング=ロケ地探し)も大変であることだろう。
だから最近は時代劇でもCGが多用されるのだろうが、なんだか
やはり味気ない。
萬屋版の面白さの一つは、スタジオ撮影がほとんどなく、刺客と
なって野外を放浪する拝一刀の姿が自然風景とマッチしていたから
というところもあるのではなかろうか。

そして、都市である江戸をはじめとする城下町は、戦後の高度
経済成長が訪れる以前の日本の地方都市の風景に似ていた。
私が生まれて初めて岡山市を訪れた時(1997年)に、なぜか
郷愁に似たものを感じたが、それは岡山市内には高いビルが
なく、歩道にガードレールが存在せず、市内を路面電車が走って
いたからだった。
それは、まさしく昭和40年代中期までの東京の風景に似ていた
のである。
時代劇が私の世代まで人気が高かったのは、劇中に見られる
風景に、多くの人が郷愁に似た感覚を無意識に抱くからかも
しれない。
同じような例として、なぜ韓流ドラマが中高年層にウケるのか
ということがある。
それは韓流ドラマで描かれる創作物が、失われた日本のかつての
情愛を描いた作品と重なるからではなかろうか。赤いシリーズや
もっと古くは「愛染かつら」のように。
私は、韓流ドラマの吹き替えがアニメのようにわざとらしくあざとく
思えて耳触りなので、韓流ドラマは観ないのだが。
洋画の吹き替えも似たようなところがある。

友近さんが日本語吹き替えの洋画ドラマのわざとらしさをネタにした
絶品モノマネがある。プロの職人技だ。
友近 「キャサリン」




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若山富三郎の殺陣(たて)

2016年04月12日 | 映画・ドラマ

子連れ狼(若山富三郎)


歌はよくないが、殺陣は若山富三郎先生が一番だと私は思う。
これには妻も同じ意見で、「最高よ」と言う。

爆笑!柳沢慎吾「 若山富三郎」


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殺陣(たて)と現実の違い

2016年04月12日 | 映画・ドラマ



倒れ込んだ拝一刀に刀を突き立てる柳生烈堂。
でも死なない拝一刀!

活劇ですから(^^;
現実ならば死にます。
しかも刺してからグリグリやられてるし。

それどころか、背中からわき腹(肝臓の辺り)にも刀を
刺されてしまっています。


死にますから(^^;
でも、一刀は死なな~い。

活劇の殺陣(たて)は現実とは違うのだと、当たり前のことですが、
どうか理解してください。

良い子は真似しないように。

lone wolf & cub
- how to kill an angry looking weirdo with white hair + a lot of ninjas


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いつか君と僕は同じ一線で結ばれた優しい放浪者だった

2016年04月10日 | 映画・ドラマ



「いつか君と僕は同じ一線で結ばれた優しい放浪者だった」

ドラマ『高校教師』(1993年。全11話)。

私の中で、この作品がここ四半世紀で一番のドラマだ。
作品の作りと撮影が物凄く丁寧ということを言うと陳腐になる。
原作者野島伸司はこのドラマを「ギリシャ神話のようにしたい」とのことで
脚本を書いた。
多くの俳優に出演を断られた。それはあまりにもタブーとそれを超える
愛をテーマにした作品だったからだ。
ようやく決まった主人公の女子高生の一人二宮繭(まゆ)は桜井幸子が
演じた。
また、多くの女優が断った繭(まゆ)の親友相沢直子役は持田真樹が
演じたが、鬼気迫る教師藤村(京本政樹)の演技によって、本当に
京本を持田は嫌いになってしまったそうだ。(20数年後に和解)
主人公の教師羽村は真田広之が演じきっている。

このドラマはドラマとわかっていても、切なく悲しい。
悲しいだけでも切ないだけでもない。切なくて悲しいのだ。
第1話の段階で主人公の教師羽村のナレーションが過去形で述懐
する形で入る時点で、私は初回放送を観て「これはとんでもない不幸劇だ」と
感じたが、
実際にドラマは重く切なく哀しい展開になっていく。

役者の演技が物凄くいい。
これは役者の力量もあるだろうが、監督の手腕が大きいと思える。
特に主人公の二人、高校2年生二宮繭の桜井幸子とひ弱な新任教師
羽村の真田広之の演技が素晴らしくいい。
台詞まわし、そして台詞がなくとも表情や仕草で心象風景を十二分に
表現している。
桜井さんはこの作品で「燃え尽き症候群」になってしまったのか、クランクアップ
後に一年間
女優業を休業した。その後は静かに女優を続けたが、ひっそりと
芸能界
を引退した。
この作品が彼女の演じた作品群の最高峰だろう。とにかく、作品が良い。

劇中、多くの伏線と布石があり、サスペンス要素も多いのだが、見逃して
しまっている人も大勢いるのではなかろうか。
私はこれまで何度も何度も観たが、やはり全編の中で一番好きな登場
人物の表情のシーンは繭のこの表情だ。


これは、最終話の1話前の回で、羽村が公園で待つ繭を迎えに行った時、
繭が羽村に気付いて、公園の砂場で立ち上がって見せる表情である。
実はこの表情は、羽村が全く同じ面持ちで、似たようなシーンで見せる
回があった。どの回かは、ファンの方のお楽しみということで、全編を
ご覧になってみてください。
その時の羽村の表情は、この最終話前の繭の表情と対になっていたのだ。
この二宮繭のこの画像を私は初めて自宅用に購入したパソコンの待ち受け
画面にずっと設定していた。

だが、最終話前の回でとんでもない逆転が起きる。
それはなぜ。
理由は教師羽村が、それまではまだ「優しい放浪者」ではなかったからだ。
漂泊者の心は、心の漂泊を持つ者にしか理解はできない。
絶対に踏み越えられない、絶対に向こうには到達できない川が眼前に流れて
いる
のである。
だが、その川を超えれば、人はあちらにいる人の世界に行ける。

また、作品中、相沢をレイプした英語教師藤村(京本政樹)を体育教師の
新庄(赤井英和)が暴力で成敗して重傷を負わせる。だが理由は明かさない。
すべては相沢直子を守るためだった。
そして、新庄は免職となり女子高を去っていく。
この去りゆく時に、生徒たちは新庄を取り囲んで口々に罵声を浴びせる。
これはゴルゴダの丘に向かう救世主イェスを重ねて描いている。

全編を通して、目が離せない描写ばかりで、一つも倦怠感は感じさせない。
作品としても見事な仕上がりで、やはり日本ドラマの中での「不朽の名作」の
一つに数えられるだけはある。
ただ、このドラマは、「作り物」ということを感じさせない程に、観る者の心に
迫る。

劇中で役者が良い演技をしている=というよりも役そのもので演劇とは
感じさせない=という良い表情のシーンは多くあるのだが、その中でも
私の気に入ってるカットを数点のみ並べてみたい。
有名な悲しいラストシーンのカットはあえて挙げない。
女優桜井幸子は表情がめぐるましく変化するので、静止画像よりも、
絶対に作品の動く映像を観たほうが良い。
それにしても、この作品のスタッフは、とんでもない大仕事をしたものだ。
カメラさんと照明さんとかって・・・凄すぎ。

図書館でのシーン。この時の繭の人形での心の表現と、それを見る教師羽村
の心の変化を表現する表情の変化が凄い。台詞は一切無しの長回しである。


近づいてきた繭と言葉を交わす羽村。ここのシーンの心理描写も実に奥が深い。




屋上でのシーン。
この屋上でのやりとりは次のほんのひと時の幸せの時間への伏線となって
心と心がすれ違う切ないシーンとなっている。この時の二人の演技も凄すぎ。


繭と父の悲劇的な関係を知った羽村は、父親の下には繭を置いて
おけないと繭を強引に父親と住む家から
連れ出した。
これは、藤村に重傷を負わせた新庄が、殴り続けながら「教師の前に
人間じゃい!」と言ったこと、事件後の「俺が守らんで、誰が相沢を
守ってやるっちゅうんや」という言葉に羽村が衝き動かされてのこと
だった。繭を守る。守り抜く。
そうして羽村は父親の暴力に立ち向かいながらも繭を実家から連れ
出したのだった。

羽村は電車に乗ってビジネスホテルに泊まり、繭を部屋に保護する
日々が続く。
羽村の部屋で生活を始めた繭だったが、ある日、羽村が部屋に戻ると、
繭は姿を消していた。「ごめんなさい、ウチに帰ります」との書置きだけを
残して。
その2日前の夜、繭の父親二宮耕介(峰岸徹)は
深夜羽村の部屋に
やって来て繭を取り戻そうとした。泥酔して
窓ガラスを割り侵入しようと
したところを二宮は警察に逮捕される。
その後、その割られたガラスを繭が張り紙で修繕したカットが映る。

その絵は、何日か前に私鉄駅に羽村を送って行った繭が、電車のドア
越しに
羽村にキスをねだり、羽村がそっとガラス越しにキスをした時の
二人の図を猫に重ねて
繭が描いたものだった。
この絵も、実は最終話の最ラストシーンでの悲しすぎる結末の列車の
窓の曇りガラスに描いた絵の伏線であり、ラストカットとの
対表現と
なっている。絵柄が幸せそうであればあるほど、現実との乖離に悲しい
定めが浮かび上がる。



「こんな映画やドラマのようなことが現実にはある訳ないやろ、あり得へんわ」
などと軽く思ってはいけない。
現実世界でも私はこれとまったく同じシチュエーションはある。
二人の間にあるガラスは、姿が見えるのに直接は触れられないという象徴的な
存在としても二人の間に立っている。
そして、電車の時にはガラスの向こうの世界に相手がいた。割れた窓ガラスの
時には相手は向こう側に絵として描かれているが、実際に自分がいるのは体と
心はこちら側(羽村の部屋)であるつもりなのに、真実の「状態」は自分は外の
側にまだいたのだ。
こうした鏡に映るような相手と自分という姿が真実の現実であったことに、まだ
この時の二人は気づいていなかった。


良い作品は何度観ても良い。
この作品こそ、映画という短い時間では表現しきれないことまでをすべて表現
できる時間的余裕があるというドラマの
特性を十二分に発揮したザ・ドラマだと
思う。
なぜこのような作品が生まれたか。
それは、この作品は、一般的なドラマとは異なり、撮影開始前までに最終話まで
のシナリオ脚本が完成していたことが要因のひとつとして挙げられる。通常、
映画のようなそういったドラマはほとんど存在しない。
それゆえ、役者は役柄の心情、心象風景、感情の起伏を充分に読み込んで
演技をすることができた。
だから、この作品における役者の演技は飛び抜けて光っているのであると
いえる。

機会があれば、ぜひご覧ください。
15分ごとに止めて別なことする、というような形ではなく、正面から作品と向き
合う形で。



ああ、凄かった・・・。
結末知ってるだけに、何度観ても、最初の出会いのシーンから泣けてしまう。
悲しい運命・・・。命運は変えられないが、運命って変えられる筈なのに。
繭も羽村も悲しすぎる。
結局最後は一つになれたのだけど・・・。

途中のシーンでとても気になるシーンがある。
繭が歩道橋の上でクラスメートの相沢直子のように嘔吐するのだ。
それを何も事情を知らない羽村が横で介抱して抱きしめるのだが、
繭は羽村に
「死にたくない。先生!あたし、死にたくない!」と言うのだ。
この時、繭は妊娠していたのではなかろうか。
その後の展開ではそれを窺わせる表現描写はしていないが、物語の
展開からして、私にはそうした暗喩表現としか思えない。
繭が死にたくないと言ったのは、自分のことだけではなく、「命」そのものが
何かによって絶たれることへの恐れだったのではなかろうか。
命という直截なことよりも、「存在」そのものの消去を彼女は一番恐れたの
ではなかったか。


そして、繭と羽村は、いつか同じ一線で結ばれた優しい放浪者と
なるのだった。
「永遠」を手に入れるためのあまりにも悲しすぎる結末によって。
だが、人は人を本気で真剣に好きになることから始めないと、人と人は
決して理解できない。
そして、真実の愛とは、求めるものではなくすべての外皮を取りはらって
身を挺するものだと、この作品は私たちに教えてくれる。
というと言わずもがなだが、人には人それぞれの愛がある。人を愛する愛
なき「愛」もある。それも本作品ではしっかりと描かれている。
ご堪能ください。

最終回「永遠の眠りの中で」視聴率33.0%


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正しい青春映画 五十嵐いづみ

2016年04月10日 | 映画・ドラマ



風、スローダウン Trailer


刀工康宏友の会「游雲会」の新メンバーとメールをやりとりしていて
意見が合った。

五十嵐いづみはドストライクである(笑
特にこの『風スローダウン』でのレーシングチームメンバー時代の
五十嵐さんがいい!


おいらの場合はね、ピットにいたかみさんと結婚できたからよかった
けど、この映画は
切ない映画だったね・・・。
悲しくはない。とても切ない映画だった。

うちもこのパンかじってる画像のようなこんな時代があったのだけどね。
着てるもんもよく似てる。まあ、この世代だからというのもあるけど、
シチュエーションもよく似てる。
かみさんは、レースのことはあまり話したがらない。
いい思い出はないから。
バリ伝の歩惟ちゃんのようにはなれなかったし。
そして俺は、よくいた「サーキットにいるボロ雑巾のような亡霊」だった。


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短編映画 『勿忘草』予告編

2016年04月02日 | 映画・ドラマ

短編映画 『勿忘草』予告編


内野未来さんのブログにリンクがあったので紹介します。
う~ん。青春!(^^;

ただ、この作品が超非現実的なのは・・・・
こんなかわいい子ばっかしの学校なんて、ねえぇええーー!(笑

しかし、内野さん、本当に引退しちゃったなぁ・・・。
ブログ と ツイッター は1ヶ月くらい残しておくそうですが、もう二度と
メディアなどでは内野さんの活躍が見られないのが残念です。

まじかわいかった(^0^)






いつか綺麗な奥様、お母さんになってください。陰ながらいつまでも
応援しています。
ほんま、わすれなぐさ、だわ。
私が通った道場があった多摩動物公園駅で、ふと出会いたかったな(^。^)


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オペレーション ジェリコ ~ミリタリーアクションショート~

2016年03月19日 | 映画・ドラマ

Operation Jericho - Military Action Short


最近は動画サイトが隆盛なおかげで、ショートムービー製作も
流行っている。
このショートムービーは、米軍特殊部隊がロシア国内に潜入して
ロシア独立反乱軍(?笑)を排除してダムを破壊する任務につく
ものだ。
ロシア軍はどうしたんだよ(笑
というか、最初から航空機で爆撃すりゃいいじゃん。
てか、設定があり得なすぎて荒唐無稽。
まあ、昔の「日活無国籍映画」のように楽しむ動画ですね(^^;

マルチカム系の新迷彩(すでに古いが)は、このような植生の
土地でも結構迷彩効果が高いことが判る。
ただ・・・こんなショボイ接近戦、ありえねー(笑
サバゲじゃねーんだからよ。
そんなもんじゃない?
よく知らんけど。

映画だなぁ、とは思う。

本物とはこういうの。
Mike Hoare's The 5th Commando


ホアー少佐、わっけー!




マイク・ホアー氏(これはだいぶ後年)




映画『ワイルド・ギース』(1978年)ではリチャード・バートンがマイク・
ホアーをモデルにした傭兵部隊隊長のアレン・フォークナーを演じた。


ホアー氏は今も生きているならば、100歳近くになる。


傭兵たち。


これはあくまでコスプレな。俺だから(笑


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中村主水

2016年03月14日 | 映画・ドラマ

激闘・中村主水 a hot fight by Mondo Nakamura


むこ殿がなかなかできる件。

それにしても、浜畑賢吉がわっけ~!



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STAR WARS

2016年02月22日 | 映画・ドラマ



観ないうちに終わったか、と思ってたらまだやってた(笑


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