渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

戸田奈津子の害悪たる翻訳

2018年02月02日 | 映画・ドラマ・コミック


『グリーン・ゾーン』(2010米/主演:マット・デイモン)

字幕は映画界の害悪、戸田奈津子だ。
戸田は数々のトンデモ翻訳を行なうので映画作品を駄目にしてしまう翻訳者だ。
よせばいいのに、それが業界では「映画翻訳の女王」として君臨している。
あまりに原作の台詞をないがしろにしてしまうので、映画『ロード・オブ・ザ・リング』
においてはファンから強烈なクレームがつき、戸田を下ろせ運動にまで発展する
騒動となった。戸田本人は自分の行動について一切顧みることはしない。

戸田のデタラメ翻訳は枚挙に暇がない。
戸田の最大の害悪的行為は、ただの意訳や誤訳ではなく、まったく別な言語を
持って来て適当に日本語を並べる翻訳(?)を設えてしまうところだ。
それは「15回も世界チャンピオンを獲得した」全米プロ撞球者王者のウイリー・
モスコーニのことを「第15回大会チャンピオン」としたり、アポロ宇宙船の一番
重要なシーンでスイッチを逆の意味で日本語にしたり、頓珍漢を通り越して、
物語そのものを駄目にするようなぶち壊し日本語を並べて翻訳でございとする
のが戸田の行なう「仕事」なのである。
個人的にトム・クルーズが好きなようだが、あのおばはんは、トムが来日した時
の同時通訳的翻訳でも超デタラメの翻訳をインタビューの場でしていた。
脳内妄想を抱くのは個人の自由だが、こと表現作品である映画という物語の
場合、言葉選びはとても重要で、専門用語や出演者の役柄の背景等について
十二分に調査して齟齬のないように翻訳するのは翻訳者の責務だ。
表現の問題や語句の長短の問題があるからと、デタラメな単語を並べてそれで
善しとするのは絶対にやってはならないのである。

映画『グリーン・ゾーン』でも戸田はやらかしている。
最初、翻訳者のテロップを見ないでDVDを観たら、「あ」と思った。「もしかして
戸田のハズレくじを引いたか?」と。

『グリーンゾーン』はアメリカの闇を描き出した映画作品で、大量破壊兵器
押収するために米軍はイラクに軍事侵攻したと公的には発表されたが、
実はそれは米国国家の中東侵攻のための口実で、実際には大量破壊兵器
などどこにもなかったという歴史の真実を描い
た作品である。
オープニングからほどなく、マット・デイモン演じるデルタフォースのミラー
准尉は
自部隊を率いてハンビーでグリーンゾーンと呼ばれる危険地帯に
乗り付け、混乱する
現場で指揮官を探す。「指揮官はどこだー?」と叫び
ながら。


現場指揮官を探す准尉の問いに対し、現場指揮官は数メートル離れた
場所から答える。

准尉「おい。誰が担当者なんだ?」
中尉「ここだ。アシーラ中尉だ」


ところが戸田の翻訳ではこの部分は一切無視される。字幕無し。


マット・デイモンが演じるミラー准尉(Chief)は所属部隊と階級と名を名乗る。
「ミラー准尉です。MET-デルタの」


ところが戸田翻訳ではここで「MET隊のミラー隊長だ」としてしまうのだ。


その後のこの現場での現場指揮官の中尉と特殊部隊の准尉のやり取り
は、戸田の翻訳字幕では
中尉が准尉に敬語を使い、准尉が中尉に命令
調の口調で話すなどと
いうトンデモの頓珍漢な字幕スーパーが続くので
ある。

多分、全く専門的なことを一切調べない戸田のことだから、 Chief という
英単語が「准尉」という階級であることを知らないのだろう。いや、知ろう
ともしないのだろう。
軍役において階級の上下を逆転させるようなことを物語の中でやって
しまうとどうなるというのか。
会社物語で、課長が部長に対して「君、これをやってくれたまえ」と言い、
部長が「はい。承知しました」とか言うのか?
戸田にかかると、そういうことをやってしまうのだ。
誤訳ではなく完全なるドとんちきを戸田は毎度毎回どの作品でもやって
いながら、平気の平左で「女王」として英語翻訳者として映画界に君臨
しているのである。

DVDはまだいい。日本語吹替えで聴くことができるからだ。
実は日本語吹替えのほうが日本
語翻訳字幕よりもずっと正確な台詞と作品
のニュアンスを伝えていることも
多い。
一番良いのは洋画は字幕無しでの観賞だが、英語ならば日本人は高校まで
行けば最低6年、大学まで進めば8年間英語を勉強しているので、どうにか
しようと思えばどうにかはなる。「Are you OK?」くらいならば誰でも意味は
分かることだろう。
しかし、フランス語やイタリア語にまで堪能でないとフランス
映画やイタリア
映画が観れないことにもなる。言語唯一主義で日本語吹替え
を批判的に
否定する人たちもいるが、私は日本語吹替えの実態を見ていて
実はかなり
正確な台詞に置換していること、そして、声優たちが俳優として
声の演技を
しているもう一つの表現描写が加味されているという点において、私個人は
日本語吹替えでの観賞も推奨している。無論原語での観賞にプラスとしてだ。

DVDはそれができるシステムになっているメディアが多い。
しかし、映画館でお目当ての洋画を観に行って、それの翻訳が戸田奈津子
だとしたら?
もうこれは、地雷を踏んだかドツボの野壺の糞壺落とし穴にハマったように
足を誤って踏み込んでしまったとして諦めるしかない。
それほどに「作品をめちゃくちゃにしてしまう」のが戸田奈津子の翻訳である
のだ。

10数年前、あるテレビ番組製作において某若手翻訳者から私に連絡が
あった。銃器とアモについての翻訳に関する専門的な呼称の問い合わせ
だった。

本人とのやりとりで、その本職翻訳家は戸田翻訳に対して非常に憤りを
感じていることを私は知った。その人は戸田の行為が映画映像作品を
根本から駄目にしてしまうことをしている件について、同業者として非常
に許容できないものを感じていたようだ。その意に大いに賛同できたので、
私は私のできる範囲で最大限に協力した。英会話は堪能ではないが、
銃器の表現ならば少しは分かる。


ファックという公共放送では放送できないような単語はアメリカ映画では
しょっちゅう出て
来る。それを別な吐き捨てるような単語にするならば、
それはまだいいが、戸田
の場合は、それを「シュークリーム」としたり、
「素敵だね」とか「すばらしい」と
したりするようなことをやらかすのだ。
それでいて本人はとぼけた顔して「何がいけないの?」といった然なの
である。


映画作品で翻訳者が戸田奈津子と記載されていたら、かなり視聴者は
ある程度のことを割り引いて映画を観なければならないという不利益に
遭遇することになる。
映画を観ていて、字幕を読んで「どうも辻褄が合わないなぁ」とか感じたら、
それがDVDであるならば、翻訳者を確認するとよい。大抵は戸田だった
りする(苦笑)。
映画館だった場合は・・・、もうどうしようもないですね(笑)。音と映像を
楽しみましょう(笑)。ストーリーが滅茶苦茶なことにされてしまってます
から。
ただいえることは、
視聴者の側にも「観る力」が問われる時代になったと
いうことだろう。
ただねぇ・・・。鹿を見て馬だ馬だというのは馬鹿っていうのよね、世の
中は。でも正直に鹿だと答えた者は始皇帝二世に殺されてしまったから、
嘘ついてでも、権威にはひれ伏してカラスは白いとか言うのが生き残り
の術かもね。
嘘つきやデタラメだけが生き残る世の中。それはなんだかねえ。
「わが流には大名もひれ伏した」とか嘘をついて人に胸張ろうとしている
のが世の中にはいるみたいだけど、そもそもが、嘘は嘘だから(笑)。
「本物の嘘」というのがあるという嘘みたいな話だけどさ。
戸田さんも、でっち上げはよくないよ。

戸田奈津子についてはこちらもどうぞ 
⇒ 『ロード・オブ・ザ・リング』字幕問題について


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ジオストーム

2018年01月25日 | 映画・ドラマ・コミック


昨夜、劇場レイトショーで観た。
なかなか面白かった。
単純なオハナシをよくここまで引っ張ったなあというのはあるが、
総合的には良く出来てる。
子役の13歳の女の子の演技が上手すぎで、劇団ひまわりの泣けない
メロドラマみたいで興ざめだった。
芦田愛菜も安達祐実も、演技が卓越し過ぎているゆえ人を泣かすことは
できない。あれで泣けるとしたら、韓流観ても泣くような人だろう。
お芝居が上手い取って付けたような演技には人は惹かれない。

今回、英語を介さない漢字が読めない外国人と行ったので日本語吹き替え
版を観たが、ブルゾンちえみを吹き替え者に選んだプロデューサーは
ヴァカか?
あれほどまでにひどすぎる棒読みの吹き替えは初めて聴いた。
声優は声の俳優である。声一つで演技をこなす俳優であり、ある意味
一般俳優よりも演技力が必要となる。
お笑い芸人でいえば友近がネタでやるキャシーなどは、本当にアメリカ
テレビドラマの吹き替えの空気をモノマネしているのだが、超絶技法で
丸コピーで演じている。
ブルゾンちえみは何ができるのか?
しかし、あの吹き替えはひどすぎる。学芸会以下。

吹き替えで秀逸なのは『荒野の決闘』のあるバージョンで、これは
まるで舞台演劇のような吹き替えシナリオもさることながら、声優たち
もとても格調高い台詞回しで劇を盛り立てている。
吹き替えを否定するのは、声優という職業を否定する事であり、それは
声の声優の存在を認めないことに繋がる。
私は吹き替えバージョンも、作り手には大いに敬意を抱いている。
そして、声優がその台詞をどうこなして表現するのかも楽しんでいる。
特にDVDなどは、ボーナストラックや日本語吹き替えが収録されて
いる作品も多く、そこでの声優陣の活躍が聴かれるのも嬉しく思う。
原語で視聴する事が殆どだが、日本語吹き替えバージョンがあるDVD
は必ずそちらも私は観る。

いや〜。
今回のブルゾンちえみてのは、史上稀に見る棒読みだよ。
しかも、主人公の彼女にして凄腕のシークレットサービスのいい女の役。
「台無し」てのは、まさにこのこと。
映像を観て台詞を聴いていて、「てめ!ざけんなよ!」と何度も
思った( ´θ`)

世の中、ダメなもんはダメっす。

黒人女性情報処理官役の吹き替え声優が上手かった。作品の中で
一番良い。

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こち亀のような西部劇

2017年12月09日 | 映画・ドラマ・コミック



昼、近所の喫茶店にてこれを読む。
秋本治先生の新連載だ。
シリアスな西部劇なのだが、どうしても『こち亀』風味になってしまう。
一切ギャグはないのにだ(笑)。
完璧に趣味で描いているようなのが伝わるのだが、銃に関しては
かなり正確かつ大胆なアレンジでの描きこみで、それもまた両さん
のマニアックぶりに似ていて面白い。
しかし、シリアスな作品だ。







だが、時代設定は「南北戦争直後」ではない。
南軍政府北軍政府という時代の設定であるのだが、1896年以降
に登場する銃器が出てくる。しかも、適当ではなく、その時代設定と
して作者は描いている。
ちょうど、西部劇映画『バッド・ガール』の時代設定と同じ頃か。
世界初のオートマティックピストルのボーチャードもドイツ語読みで
マニアックに描かれて登場する。
ガンマニアの心をくすぐる面白い作品となっている。

巻末付録の『アリィよ銃を撃て!』のほうが面白かったというオチ(≧▽≦)
これが、実は『ブラック ティガー』の元ネタになっている。
それはまるで『バリバリ伝説』に同作者の伝説の先行作『◎◎◎◎
△△△△』という作品があるようなものだ。




しかし、この『アリィよ銃を撃て!』は題名は勿論「アニーよ銃をとれ!」の
オマージュだが、作品内容も『クイック・アンド・デッド』の影響を多分に
受けている。
西部劇マニアがニヤリとするような作品になっている。

秋本先生、完璧に趣味で作ってますね(笑)
お昼の喫茶店にはぴったりのマンガ作品でした。


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映画『おっぱいバレー』

2017年12月05日 | 映画・ドラマ・コミック


『おっぱいバレー』(2008/ワーナー・ブラザース/東映)

謎の傭兵旅団ハチコマメンバーにDVDを貸した。
本日観たと連絡あり。
面白かったとのこと。

うむ。あたしも普通に面白かった。
時代劇(笑)なのだが、ところどころ作り込みが甘い時代考証も
あったが、まあ、努力賞ものの作品で、爽やかだった。





ナイスおっぱい!
なんという爽やかな(笑)

漱石先生の『坊ちゃん』は、いかにも東京人が四国松山で嫌で不愉快
な思いをしたかという物語だった。
坊ちゃんは最後は不愉快な連中に鉄拳を食らわして学校教師を辞めた。
徹底的にイナカモンの因習めいた理不尽に対して怒り心頭で爆発した
最後だったが、この坊ちゃんの来歴は漱石と重ねたのかは知らぬが、
子どもの頃からの無鉄砲ぶりや周囲の環境はなんだかとても私に
似ていて他人事とは思えない。
漱石『坊ちゃん』の書き出しの二節目の冒頭はこうだ。

ぶうと云(い)って汽船がとまると、艀(はしけ)が岸を離(はな)れて、
漕(こ)ぎ寄せて来た。船頭は真(ま)っ裸(ぱだか)に赤ふんどしを
しめている。野蛮(やばん)な所だ。もっともこの熱さでは着物はきら
れまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼(め)がくらむ。
事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは
大森(おおもり)ぐらいな漁村だ。人を馬鹿(ばか)にしていらあ、こんな
所に我慢(がまん)が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢(いせい)
よく一番に飛び込んだ。

(中略)

道中(どうちゅう)をしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代を
やらないと粗末(そまつ)に取り扱われると聞いていた。こんな、
狭(せま)くて暗い部屋へ押(お)し込めるのも茶代をやらないせい
だろう。見すぼらしい服装(なり)をして、ズックの革鞄と毛繻子(け
じゅす)の蝙蝠傘(こうもり)を提げてるからだろう。田舎者の癖に
人を見括(みくび)ったな。一番茶代をやって驚(おどろ)かしてや
ろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほど懐(ふところ)に
入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引
いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給を貰
(もら)うんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやれ
ば驚(おど)ろいて眼を廻(まわ)すに極(きま)っている。どうするか
見ろと済(すま)して顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの
下女が膳を持って来た。盆(ぼん)を持って給仕をしながら、やに
にやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまい
し。これでもこの下女の面(つら)よりよっぽど上等だ。飯を済まして
からにしようと思っていたが、癪(しゃく)に障(さわ)ったから、中途
(ちゅうと)で五円札(さつ)を一枚(まい)出して、あとでこれを帳場へ
持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ま
してすぐ学校へ出懸(でか)けた。靴(くつ)は磨(みが)いてなかった。


坊ちゃんの人となりが最初からフルスロットル全開だ。横柄でいかにも
俺様大将的な東京山手住まい人の独特な感性で自己中心的に感情
の吐露が連続して行く。
松山の水はとことん坊ちゃんには合わなかった。最初から合わなかった。

徹底的に松山を睥睨するのではなく、素からどうしようもないところだな、
ここあ、田舎者のくせに俺を見くびりやがって、という視点を坊ちゃんは
貫徹させていた。

それなのにだ。松山道後あたりでは、坊ちゃんは松山を好きにはなれない
場所としてとことん独白していたのに、今では松山の人たちは「坊ちゃん」
を観光
名所の一節のネタとして設定している。
そういうところを坊ちゃんは嫌ったのだろうに・・・。
漱石『坊ちゃん』は、文体が見せる業物の小説といえる。描かれている
のは、東京人でなくば理解が難しい独特の琴線の心情世界だ。
東京人からしたら「愉快痛快奇々怪々」(明治大時代風にいうならば)
なのであるのだが、客観視して俯瞰すると、なんとも不快感のような世界
も感じ取ることができる。
きよの心根のひたむきさと別に、マイロード一直線の坊ちゃんは、果たして
万人に愛されるキャラだろうか。否、であろう。
第一、坊ちゃんは松山を一つも愛していない。また、松山の人たちも坊ちゃん
を愛そうとはしなかった。そこで描かれるのは、橋のない川の流れだったのだ。

ある種の痛快感と共に、一種の不快感も発生するのが漱石『坊ちゃん』
であると私は思った。私が思ったのであり、他の人がどう思うかは私は
知らない。
ただ、映画『おっぱいバレー』は、そのような坊ちゃんにみられるある種複雑
で背反する感情の不協和音的な同居、という精神状況は鑑賞後には発生
しない。
すんなりと、文字通り、すんなりと爽やかなのである。
私は、こうした読後鑑賞後に人に一筋の清涼感を与える作品は「良作」で
あると思っている。

ナイスおっぱい!


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プロハンターエンディング

2017年12月03日 | 映画・ドラマ・コミック

プロハンターエンディング(1981)


1981。タイムリーに横浜!
いいね。ハマの風。

若駒!!
知らなかった~。


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『ダイ・ハード 2』

2017年12月03日 | 映画・ドラマ・コミック


『ダイハード 2』(1990/米)







嘘ばっか。
吹き替えでは「グロック・セブン」とも言っていた。
テロリストが持っている銃は、西ドイツ製ではなく、オーストリア製の
グロック17である。
しかも、X線にはスライド含めて金属パーツがしっかり映り込む。

こうしたテケトンは宜しくない。
望月三起也『ワイルド7』において、「爆破105」の編にて、ベトナム
還りの傭兵が墜落旅客機の生存者を殺戮するために山陰の山中に
派遣される
シーンがあった。
そこで、たまたま居合わせたワイルド飛葉と対決するのだが、M16
についての国内情報が少なかったためか、「水に浮く銃」という最新
型の自動小銃としてM16が登場させられていた。
実際に「銃を捨てろ」と言われて、兵士は川に小銃を捨てて、それが
すぐにプカプカと
浮いて下流に流れて来たところをキャッチして反撃
する。

そんなM16は地球上に存在しない(笑)。
これについては、望月三起也先生自身が後年「月刊望月三起也」
にて、いい加減なことを描いてしまい多くの人に誤解を与えて申し訳
ない、という旨を述べている。
グロックについては、空港のX線ゲートで反応しない機内持ち込み可能
な透明銃のようにこの『ダイ・ハード 2』のこの
シーンにより広まってしまっ
た。現実には
あり得ないファンタジー過ぎるファンタジーだ。

あと、持っていたのはグロック・セブンではなくグロック17だから。
ファーストジェネレーションの。
それと、オーストリアを勝手に西ドイツに併合させてはいけない。


ただ、創作モノガタリのファンタジーはファンタジーとして正しく認識
できない人も世の中にはいるので、創作物の作者や映画製作者も
充分に気をつけない
とならない。
バイク劇画『バリバリ伝説』で出て来た「ガードレール・キック・ターン」
を実際にやって脚を骨折した人間を私は知っている。
アホやで、と一蹴するのは簡単だが、漫画の世界を現実と勘違いして
峠族が流行し、多くの若者が救急車が到着するまで何十分もかかる
ような峠で命を散らした。
自爆した人間だけに責を求めることはできないという面もある。
だが、世の中は、我らは裏柳生みたいな存在で将軍お墨付きの板切れ
を見せたら大名もひれ伏したとか、将軍に武蔵が内密に面会したとか、
我ら旗本七つ紋、武士は黒服を着ない、着るのは百姓、百姓は不貞
鮮人と共に無礼
打ちだ(ママ)、などと真顔で言い続けている病的な
妄想者が大手を振っている。

これらをファンタジーの創作話ときちんと捉えられずに、現実と空想の
区別がつかない者たちも発生している。
誤認による情報発信や創作劇ならばまだ悪意はない。だが、世迷言
を自ら意図的に「確信しているかのように」「歴史的事実として」吹聴
して集客して集金しようとしている集団も存在することは確かなのだ。
愚かな歴史はなおも継続しているのである。


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映画『ダイ・ハード』

2017年12月03日 | 映画・ドラマ・コミック


『ダイ・ハード』(1988/米)

1989年2月に渋谷の劇場で観て以来の観賞だ。
テレビではこれまで10数回も放送された人気作だが、テレビ版では観た
ことがなかった。

オープニングは、絵柄が『ワイルド・ギース』(1978/英)を彷彿とさせる
始まりだ。今となっては懐かしきボーイング747である。



劇場で観た時に「あれ?変なの」と思ったところが確認できた。
主人公のNYの刑事ジョン・マクレーン(ブルース・ウイリス)はオフタイム
LAに来ていたが、そのパーティーでテロリストが大量の人質を取って
ビルを占拠した。ジョンはそれに巻き込まれる。

部屋で寛いでいたジョンは着のみ着のままでテロリストたちと対決するの
だが、休息中だったために裸足のままの銃撃戦と
なる。足は割れ散った
ガラスなどで血だらけで歩くのさえも
ままならなくなる。だが、不死身の
ジョンはテロリストたちと敢然と戦う。


途中、ヘリに乗り込んだFBIエージェントが、屋上にいたジョンをテロリスト
と誤認してサブマシンガンで銃撃する。

問題はそのシーン。


裸足じゃないのよ(笑)


まあ、俳優さんが怪我したらいけないからだろうけど、CGが未発達の
時代の作品とはいえ、こういうのは明らかな撮影上のミスだと思う。
これは一緒に見に行った職場の同僚も気づいていて、「裸足じゃねーし」
みたいなことを観客席で呟いていた(笑)。

次のシーンのこのカットではしっかりと裸足に戻っている。


『ダイ・ハード』は不完全燃焼的な印象が個人的には強かった。
アクションを全面に出しているのだが、演出の詰めが甘い点も非常に多い。
ビルのオフィス内での銃撃戦では、ドイツMP-5サブマシンガンの9mm
拳銃弾と5.56mmNATOライフル弾のオーストリア製
ステア自動小銃で
撃ち合う。

デスクやスチールロッカーの陰に隠れたら弾がチュンチュン跳ねて中らない
のだが、火花が散るだけで、一切デスクやロッカーに
穴が一つも開かない
のだ。

BB弾のサバゲやってんじゃねーんだからよ~(≧▽≦)

サバゲといえば、劇中「銃を撃ったことあるか?」とジョンがハンスに尋ねて、
「毎週
末にコンバットゲームはやっていた。ペイントボールを撃つあれだ」
いうシーンがある。

いわゆる日本にも83年に入ってきたサバイバルゲームだ。
アメリカが本場だったが、この映画が撮影された1988年当時は日本では
日本式トイガンとルールでのゲームが大流行だった。

この映画の撮影当時は、アメリカではまだペイントボールのCO2ガスガンで
ゲーム
を行なっていたことが読み取れる。
その後、沖縄在日米軍が訓練で日本製のトイガンのガスガンを強力化した
ものを近接訓練に使用するようになった。

日本式サバイバルゲームが「エアソフト」という名称で全世界に広まったのは、
もしかすると米軍在籍経験のある元兵士あたりのレジャーから
かもしれない。
現在では、地球規模で、紛争のない国に限ってエアソフトが大流行している。
アジアでは発信源である日本が35年来の大流行だが、返還前の
香港でも
かなり流行していた。軍装品も日本に入ってくる英軍装備は香港
経由という
物が非常に多かった。

アヘン戦争で英国に分捕られた香港が英国から中華人民共和国に返還され
て以降の情報は私はよく知らない。

エアソフト(日本式サバイバルゲーム)は、日本や香港・台湾以外では白人
国家地域において大流行している。

一時期、「サバイバルゲーム」を「バトルゲーム」という呼称に変更しようと
することが雑誌において提言されたが、一切定着しなかった。
そうしている間に、日本以外の全世界では「エアソフト」という日本語の造語
が標準語となり、日本式ゲームが定着した。

日本人はいまだに「サバイバルゲーム」と呼ぶことが多い。
私個人はサバゲと略すこともあるが、「エアソフト」という呼称の新単語は
すんなりと違和感がない。エアソフトガンを使用するからだ。

1988年の『ダイ・ハード』では、主人公の刑事ジョンはイタリアのベレッタ
92Fを携帯している。
米軍の制式軍用拳銃がM1911A1からベレッタ92Fに変更されて米軍M9
として制式採用されたばかりの時代で、ベレッタ92Fは日本でもトイガンの
世界で大流行した時期だった。










その後、このベレッタ92F=M9はスライドの耐久性に問題が発覚し、
スライドの切欠き部に張りをもたせて強化対策したモデルが登場する。
M1911A1ガバメント.45オートがほぼ完成された状態で70年以上
米軍に採用されていたのに比べると、ベレッタ92Fは様々な不具合を
改良に次ぐ改良を行なうことで、現在に至るまでどんどん完成度が
高くなったという特徴の銃である。ある意味AR15自動小銃の発展
に似ている。

日本でも、東映Vシネマ『クライムハンター 怒りの銃弾』(1989年/日/
主演:世良公則)でベレッタ92Fが使用され、同作はシリーズ化して3作
作られた。
私個人は、ベレッタ92Fは好みではないのと、M1911が大好きだった
ことから、一切92Fのトイガンは持っていない。
米軍は35年間制式採用していたベレッタM9を引退させ、次期制式
拳銃はスイス(現ドイツ)のシグ ザウエル(英語読みザウアー)社の
P320を本年から採用する。

SIG SAUER P320


米軍の制式拳銃は、19世紀のコルトSAAを筆頭に長期使用されるのが
常だった。特にブローニング設計のM1911は1911年(明治44年)に米軍
の制式拳銃となり、1927年に改良版A1となって以降も1985年まで制式銃
として採用され、なお別モデルは現用軍用銃として運用されている。
この息の長さは驚異としかいいようがない。100年越しで現役なのである。

なぜ、1911ガバが息が長いのか。
それは、.45ACPのマンストッピングパワーの威力もあるが、デバイスが
完成されているからだろうと思う。
これはAR15が完成されたデバイスゆえに、汚れやすいガス直噴のリュング
マンシステムを廃した一般的ガス圧ピストン作動方式のクローンが現在多く
登場していながら、マガジンとグリップ
周辺はまったくARの形式形状を踏襲
しているように、「一つの完成形」という
姿をARも1911ガバも有しているから
ではなかろうかと思えるのである。


人類は時々こういう物を作り出す。出来た時からほぼ完成されている姿
という100%に近い物を。
最初の設計者の歴史の中での偉大さ、大仕事ぶりに今さらながら感じ入る
次第。

映画『ダイ・ハード』はその後シリーズ化され、1988年から2013年の25年
に亘り製作されている。個人的には「3」が結構物語の仕掛けが面白かった。
DIE HARD = 不死身野郎。ブルースが死ぬまで作り続けて欲しいと思う。





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ワイルド7 フィギュア

2017年12月02日 | 映画・ドラマ・コミック



なんだか、これすごくいいぞ(゜.゜)

飛葉の顔が少し精悍過ぎる感じがするが・・・。
原作の飛葉はもっとまろやかな印象もある。
わかった。
このフィギュアは眉毛が星飛雄馬になりすぎなんだ(笑)。
これでは最近流行のゴルゴ的目ヂカラ猫のLINEスタンプみたいだ。




原作のワイルド7の主人公飛葉の顔のキャラは望月作品でよく登場
する。
これはワイルド7の悪役でファンに人気の石川に似ている。
反政府学生運動過激派の石川キャラは望月先生もお気に入りの
ようで、『俺の新選組』で土方にさせたり、また日本の軍事大国化を
批判的に描いた問題作『ジャパッシュ』での主人公日向光の顔として
使用したり、他にも多くの作に見られる。
飛葉顔もしかり。

原作の『ワイルド7』は、ただのアクション空想娯楽作品ではなく、
『夜明けのマッキー』と同じく、人間社会の悲哀を描いた人間
ドラマだ。



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アンパブリッシュト ~DVD化されていない映画作品~

2017年12月02日 | 映画・ドラマ・コミック



昨夜、仕事帰りにツタヤとゲオに寄ったが、やはり『名のない男 破壊!』は
DVD化されていなかった。ビデオでリリースされたのみのVシネマだった。
もしやと思ったが、今どきビデオなど置いているレンタル屋さんはない(笑)。
残念。
古いビデオを買うしかないか・・・。

名のない男 破壊! 予告編(東映公式公開紹介動画)

Vシネマというのは、ビデオメディアが隆盛を見た頃に登場した新しい手法
の映画製作方法だが、低予算で撮影されることが多い。
それだけに、役者の演技如何で作品の出来不出来が決まってくるので、
そうした意味では一般的劇場映画よりも作品完成度を見る視点では見所
が具備された位置にある「映画」であるといえる。やたらめったら任侠物
ばかりというのがなんともしがたいのだが(笑)。

草刈正雄主演作品では、こちらはDVD化されているが、これはパロディ
コメディだ(^^;


草刈さん、ダサかっこいい。ズンドコベロンチョの三上部長みたい(笑)。
しかし、「世にも不思議な物語」も、タモリさんが一番お気に入りと公言
しているあの『ズンドコベロンチョ』が収録されている作だけはDVD化
もビデオ化もされていない。う~む。ウェブ動画ではなく、クリアな映像
で是非ともあのシュールな世界を堪能したいのだが、メディア化されない
理由は何かあるのだろう。名作『喧嘩屋右近』がDVD化されないように。

英国王室女王陛下の秘密諜報員0093草刈正雄(仮名)、かっこいい(笑)。
実は本当は女王陛下の秘密エージェントだったが、潜入捜査のために
「草刈正雄」という芸名を使って芸能活動をしているうちに、本来の本職
の英国諜報部員であることを忘れてしまっていたという設定の物語。
草刈さんは実娘との共演作品です。


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映画『名のない男 破壊!』(1991/東映)

2017年11月30日 | 映画・ドラマ・コミック





名のない男 破壊! 予告編



「カバじゃねーよ、ガバだよ、ガバ。
あーあ、おれのガバこんなにしちゃって」


「オーライ」


ベース:ゴールドカップナショナルマッチ
コルト1911の最高級フラッグシップモデルだ。


非常にガンエフェクトがよくできているVシネマだ。1991年作。
草刈正雄さん、世にも不思議なズンドコベロンチョの三上部長の
頃ですね(笑)。
「ほぉ~、出世したなー。バッジに拳銃か」
という台詞部分で、草刈さんが福岡県出身であることが判っちゃう。
たぶん福岡の人は気づかないだろうけど。まあ、なんてのかこれは
小倉弁。
この手はすぐにバレます。書き言葉でも。
ネイティヴというのはネイティヴエリア以外ではすぐに露見する。
一例として、身元隠してネットで大暴れの奴が提示した待ち合わせ
が「東京駅」。そんなハマの奴(自称)はいねーって(笑)。
天道あたりと勘違いしてんなよな(苦笑)。

この映画では、潜入刑事草刈正雄がカスタムガバのスライドを少し
引いて
薬室に装填されていることを確認するシーンがリアル。
これは非常にリアルなのだが、演出が凝り過ぎて墓穴掘ってる面も
ある。

というのも、実弾使用済み.45ACPカートを使って撮影しているの
だが、入手可能な発砲済みカートのために新品未使用実弾の薬莢
のように金ぴかではなく硝煙曇りが発生しているのが映像で
確認
できることだ。実弾の空薬莢を使っているのに、これは惜しい。
もしくは、暫く在庫で手入れしていない実包という想定かもしれない
が、そうなると、ただのただガバではなくカスタムされたガバを使用
する凄腕デカの想定とマッチしなくなってしまう。
いずれにせよ、細かいところに非常に凝ったガンエフェクトの秀作で
はあるのだが、細かいところに凝り過ぎてアラも発生している。


とかガバメンは思ったりするのよね。

考えてみると、Gメン75のGメンとはガバメントメンのことだよな(笑)
1911のガバで云うところの意味は違うが、大元の意味は同じだ。
そんなこというと、俺なんてのは性根から来歴から何から何まで
根っからのアンチGなんだけどね。
巨人軍好きじゃないしさ(笑)。


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映画『スペシャリスト』

2017年11月26日 | 映画・ドラマ・コミック


『スペシャリスト』(1994米/シルベスタ・スタローン、シャロン・ストーン)

もう23年も前の映画になるのかと、溜息もの(苦笑)。
シャロン・ストーンが一番良かった頃の作だ。
この1994年というのは映画の当たり年で、多くの良作が発表された年
だった。

この『THE SPECIALIST』では、冒頭、スタローンが実際には存在しない
ような迷彩服を着ているのが印象的だった。

この位置で見るとまるで陸上自衛隊の旧迷彩みたいだ。『野性の証明』
(1977)で出て来た陸自暗殺部隊「特殊工作隊」の迷彩(角川オリジナル)
にも似ている。


この位置だと日本の空自迷彩にも似ているように見える。


だが、キャメラが引くと、米軍ウッドランドに別途着色した撮影用パターン
タイプであることが判る。これはCIAの隠密特殊任務というシーンでの
演出のためだろう。見た目の迷彩服の隠伏性のみならず、着用者の存在
そのものを判別不能にさせる意味合いを持たせた演出であることがこの
冒頭シーンのさりげない映像表現から読み取れる。



でも、映画って、観るとこ、そういうとこじゃないすから(≧▽≦)
製作者の仕掛けを読み解くという意味では妥当性があるかも知れないが、
迷彩柄への興味という猟奇性のみに視点が行っては、作品の表現骨子を
見誤る。
さあ、作品を楽しもう。これからだ。

ところで、今回、日本語吹き替え版で観ていたが、シャロン・ストーンの
吹き替えの声優の「ありがとう」の一言で、「あ。愛知の人間」と看取できた。
声優を確認したらアラレちゃんの吹き替えをしていた小山茉美さんだった。
話す言葉だけでなく、書き言葉でもその地方の拭い去れない特徴を示して
しまうことがあるが、音に出す言葉はたった一言でも出身地区が露呈して
しまう。
特に文字にすると同じ文字列の並びであっても、発音やイントネーション
に出てしまう特徴というものは、たとえ「標準語」を本人が話しているつもり
でもまず完全に払拭はできない。また同時に本人はそれが至極「標準」で
あると誤認しているケースが非常に多い。
自分がどこの人間か隠蔽するケースにおいては、一般語学力とは異なる
そうした面での徹底訓練なくば、出身地はその手のプロにかかるとすぐに
露呈する。「黙して語らず」が最良であるのだが、隠伏性を帯びて何らかの
コンタクトを以って何らかのアクションをしなければならない場合、完全に
ネティヴな地の言葉なり「標準語」なりを完璧に使いこなせなければ任務は
遂行できない。「見抜かれる」からだ。見抜かれたならば、その手の特殊
任務はすでに失敗の序章が開始されているのである。
だが、こうしたことは、特殊訓練を受けた者にしか成就は適わない。
映画『イングロリアル・バスターズ』(2009/米)では、その言葉の特徴的な
発声や発音により、出身地方が特定され、ナチスに偽装したレジスタンス
闘士の工作員がゲシュタポに暴かれてしまい悲劇的な展開となるシーンが
あった。
たった一言の言葉やしぐさで身元が割れることがあるのである。
そして、悲劇は、それを本人が自覚していないということだ。
訓練を積んだ戦時特殊工作員でさえそうなのだ。
ましてや自作自演で陳腐な作り事の大嘘をネットに書き続けて他者への揶揄
中傷を繰り返すジキチン・テンチン両派などは、頭隠して尻隠さず以前に、
手法が下手(げて)過ぎて、文字通り「お里が知れる」というもので失笑せざる
をえない。
その地方独特の方言とかを書かずとも、表現の節々にどこの者であるかが
丸出しなのだ。また、無理矢理標準語を駆使しようとしていても、非常に無理
が丸見えなのである。
極限的な拙劣なり。
無論、工作員としての特殊任務を担うだけの力量も知力も無い。
そもそも「嘘を嘘と見抜けない者はここを使えない」という場所において、その
ようなバレバレの拙劣な嘘を重ねても、ただただ己の知力の低さを曝すだけだ。
ちうことで。映画一つとっても、たった一言の台詞からいろいろなことを学び取る
ことができる。


いや~。映画って、本当にファンタスティック!!


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TBS日曜劇場『陸王』

2017年11月12日 | 映画・ドラマ・コミック



めちゃくちゃ面白い。
いや、私は面白いと感じる。
熱い!

ただ、メーカー「オリンピア」の企業体質というものは、私も企業に
身を置いていて痛い程感じる。このドラマで描かれている世界は
現実に、ある。企業という物は、利益は愛するが、人は愛さない。
夢物語ではない。これは現実世界を焼き直したドラマだ。


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映画『タップス』

2017年11月11日 | 映画・ドラマ・コミック



映画『タップス』(1981)は台詞がよく利いた作品だ。
小学校から高校までに相当する寄宿校である陸軍幼年学校が時代の
流れに逆らえず廃校が突如決定された。
街の若いチンピラたちが宿舎門前で無礼を働き、生徒ともみあいになった。
それを止めに入った校長の腰から拳銃を奪ったチンピラが仲間を撃ち殺して
しまう。撃ったのは校長とされてしまい、校長は警察に逮捕された。
そして、一年後の予定だった廃校日が即座に廃校となってしまった。
1981年。時代はアメリカ合衆国にあっても「軍隊を嫌う時代」となっていた。
長く続いたベトナム戦争の影響で、国内には嫌戦ムードが広がり、マスコミ
も行政も、そして軍までもが古い伝統を守ってきた軍学校を「過去の遺物」、
「アナクロで時代遅れの『名誉』を校是とする馬鹿者の学校」「危険で凶暴
な暴力の象徴」という意識が
蔓延していた。
ティーンの生徒たちは、小学校低学年相当の生徒から高校3年相当の
生徒まで、学校の即時廃校決定に抗議して全員が決起した。警察と行政
と教育機関の査察で回収されようとして
いた大量の武器を押収し、陸軍
学校を占拠して武装蜂起したのだ。

理由は一つ、学校の存続の要求である。
そして、彼らは、殺人の事故の罪で警察に拘束された校長が言い残した
「名誉」
のために団結して決起し、警察、州軍を相手に闘うのである。

警察はマスコミに「一部の叛乱生徒が多くの生徒を人質に取って立て
こもっている」とインタビューで答える。
だが、実際は全員が心を一つにしていた。
裏切りは悪行であり、「名誉」こそが仲間を繋ぐ心の結節幹であり、その
心の繋がりを持つ者同士の絆こそが「名誉」であると校長の教えをかたく
彼ら生徒は年齢に関係なく信じ、それを体現しようとしていた。
真の漢たちがそこにいた。

生徒隊長は、国旗掲揚の後、全員を広場に整列させ、問う。
「去るのは自由である。自分の意思を大切にせよ。去りたいものは一歩
前に出よ」と。
誰も前に出る者はいなかった。全学の皆が顔を見合わせて微笑み合う。

夜、生徒隊長は各部屋を廻り、同期の僚友の部屋を訪ねて言う。






感じ入る。
この境地、どれほどの当時の人が感じ取ることができたか。
また、今現在、どれほどの人がこの言葉の重みを噛みしめる
ことができるのか。

映画は1981年の作品だ。
撮影時20才だったショーン・ペンも若いが、18才だったトム・クルーズ
がとても若い。まあ、1981年だったのだから若いのは当然なのだが。
歳を取れば肉体は老いる。歳が若ければ肉体も心も若く活き活きと
している。これはごくごく当然のことだ。



学園を武装占拠した軍学校の生徒たちは3つの要求を掲げた。
(軍関係の学校のスチューデントは
学生とは呼ばない。生徒である。
高校生まで含めて「学割」等の言葉はあるが、一般的には大学生の
ことは「生徒」ではなく「学生」と呼ぶのは日本独自の文化か。なお
日本の旧陸軍士官学校においては、校長のことを「生徒隊長」と呼称
していた)

決して武力衝突や内戦を行なうのが目的ではない。
だが彼らは学校を武装占拠し、武装蜂起した。

今の現代日本人たちに、この彼らの感覚が果たして理解できるだろうか。
「名誉はすり切れても友人を見捨てはしない」
この意味が解かるだろうか。

彼らの思いは成就しなかった。
硬直状態が続く中、ついに軍隊は戦車までも投入し、両親たちによる
投降呼びかけ放送までされ始めた。
脱落者が続出した。
仲間割れも起こった。
立てこもる学校設備には、給水が止められ、電気も止められた。

そして、深く悲しい不幸が待っていた。
だが、誰が彼らを「浅はかな馬鹿者」と罵ることができようか。 
彼らの心を誰が踏みにじることができるのか。
否、踏みにじるのは一体誰であるのか。

 


 


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ルーズベルトの格言 映画『タップス』から

2017年11月11日 | 映画・ドラマ・コミック





















映画『タップス』(1981)から。
ジョージ・C・スコット。
映画『ハスラー』(1961)では、プールプレーヤーを操りシカゴの
暗黒街
を牛耳る博打胴元の役を怪演したのが印象的だった。

ルーズベルトの言葉は、名言だと私は思う。


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謎の円盤UFO (HD日本語版)_02/03

2017年11月04日 | 映画・ドラマ・コミック

謎の円盤UFO (HD日本語版)_02/03

1970年第2話

インターセプター出撃の際のBGMがサンダーバードと同じだ(^^;
これは1970年当時にもクラスで話題になったはずだが、記憶にない。

しかし、なぜUFOやインターセプターが飛ぶ時には、真空の宇宙空間
なのに飛行音がするのでしょうね(≧▽≦)

カッコいいな~と思っていたのはコンピューター衛星のシドね。
これはカッコよかった。ただ、プラモとかで作ったのはスカイダイバー
だった(笑)。
47年前のイギリスのテレビ映画のオハナシ。

1970年。この頃はまだ日本人はきちんと英語読みで「ユーエフオー」と
言っていた。
それが「ユーフォー」となったのは、その7年後、ピンクレディーが「UFO」
という単語を「ユーフォー」と歌って大ヒットしてからだ(オリコン年間1位、
77年レコード大賞)。
それまでは日本人は英語読みで「ユーエフオー」と呼んでいた。
英語でも「ユーフォー」読みがあるにはあったが圧倒的なマイノリティだった。
AKBをアクブとは読まないように、UFOはユーエフオーと読まれるのが英語
圏では一般的みたい(現在も)。

だが、SIDはエスアイディーではなくシドと読む。
この番組によって私はアルファベットに興味を持った(笑)。

SID(シド)

 


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