渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

Top 10 Samurai Movies

2016年09月23日 | 映画・ドラマ

Top 10 Samurai Movies


いいね。これは。
外国人も好きだね~。

というか、日本人よりも良い映画をきっかりと選んでいる。
作品鑑識眼は欧米人にはきちんとあるように思える。

日本人では「映画識者」を自称する人で『七人の侍』を観て
いない人が結構いたりして・・・。
それって、箸使わずに手づかみで米食って「食事作法を
私は知悉している」とか言っくてるようなもの。
あまり、物は言わないほうがいい。

まあ、もっとも、日本人はきちんとしたお辞儀さえも忘れてしまったけどな。

 


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映画 『たたら侍』

2016年09月17日 | 映画・ドラマ



この映画は俺は観に行くね。
どの役をやっても同じキャラしか演じられないクソ大根のくせに
偉そう大将ぶっこいてる日本一嫌いな俳優津川雅彦が出ている
のだけはゲボが
出そうだが、とりあえず劇場に作品は観に行く。

公式サイト⇒ たたら侍



非常に巧い「嘘がない」ような書き方をしている。
これが、「1300年前から連綿と続いて古より奥出雲に伝わる
『たたら吹き』という日本独自の製鉄技術で・・・」と記載して
いたら、それは嘘になる。
古代たたら製鉄とたたら吹きは異なる物だからだ。
ただ、前段で「1300年、奥出雲に継承される日本独自の製鉄技術。」
と記載しているところは、限りなくきわどい表現だ。1300年前は
716年(霊亀2年)の時代だ。この時代から出雲で製鉄があったと
しても、高殿や永代たたらは存在しない。たたら吹きという直接製鋼
が1300年前に果たして出雲に存在していたのか。(時期的には
砂鉄原料による直接製鋼の鉧(ケラ)押しはあったかもしれない)
ただし、716年頃は野だたらの時代であり、そこで行なわれたのは
鉧(けら)押しであったかどうか。出雲がどうしても欲しかったヤマト
の動きから見て、出雲において革命的な新技術=砂鉄を原料とする
直接製鋼法があっただろうことは疑う余地がないが、仮に新工法が
出雲に定着していたとしても、後世の永代たたらや高殿のような施設
はまだない。

鉄を作り出すのは製鉄炉で鉄原料を還元させるしか方法はない
ので、それがたたらであろうと、近世の反射炉であろうと、炉は炉
である。炉なくば鉄はできない。
ただ、高殿のある永代たたらと呼ばれる物ではない方法で作られ
た鉄(銑=ズクや鋼も含む)も古代にはある訳で、出雲の砂鉄製
のみが日本刀の唯一絶対の材料であるとするのは明らかな
間違い
である。真砂砂鉄を原料とする出雲鉄以外で造られた日本の刀剣
は確固たるものとして全国各地に存在しているからだ。備前などは
赤目砂鉄(主としてズク押し製鉄に使われる)を原料とする備中鉄で
出来ている。
また、東北や九州は地場製鉄で刀剣が製作されていたことは論を
俟たない。しかも、原料は砂鉄のみとは限らない。
鉄生成比率が高かった餅鉄などは東北では多く使われたことだろう。
(ただし、大量土砂から採取する大規模創業でガバッと得られる砂鉄
と違い、餅鉄は生産量に見合った原料の採取確保が困難だったこと
だろう)

砂鉄製鉄のたたら吹きの前に、岩鉄、餅鉄を用いたたたら製鉄
あり。
そして、
出雲以前にわが国に製鉄あり。
とりわけ、北においても鉄はあり。
とてつもない殺傷力を持つ刀剣は北にあり。
だが日本の「公式」歴史はそれらを抹殺しようとしたがっている。
有力武器と武装勢力が存在したが
ゆえに、坂上田村麻呂は東北
攻撃で難渋したし、また平将門を
攻撃した軍は将門が地場生産
した新兵器=湾刀(日本刀の出現)
により苦労した。
また、さらに古い時代には、王権あるところには必ず鉄ありで、武器
や農具を含む国内鉄器すべてが海外からの輸入でまかなって
いた
とは考え難い。

「出雲たたらが日本の鉄のすべて」としたがる視点は、大和朝廷
以前にはこの国無し、とするが如き視点であり、こうした皇国史観
に基づいて、日本の歴史教科書などでは「日本の製鉄は5世紀頃
から」とされてしまっている。では5世紀以前には日本では鉄を製造
していなかったのか。

それは学術的にも、多角的にみて限りなく可能性が低い。
ただ、5世紀以前には遺跡が良好状態で残存し難い形状の小型製鉄
炉、あるいは砂鉄や鉄鉱石ではない原料を用いる小型製鉄炉、という
視点は学術は一部の研究者を除いてあまり持たないようで、そこに出土
がすべてという考古学の実証主義の限界がある。

ただ、「出雲製鉄絶体主義」というものは、科学的立証不能(今のところ)
の事柄を根拠に一部にはびこっているのは確かだ。
そもそも、「玉鋼」という明治新政府成立以降に登場した新語があたか
も古代からの我が国のたたら吹きやたたら製鉄から生まれた鋼の代
名詞であるかのように喧伝していること自体が極めて恣意的だ。
これは明治新政府以降の国策に準じた発想を体現していることに外
ならない。

出雲を下し、地方王権を中央政権に取り込んだことを積極支持する
勢力は、「勝者
が歴史を書き換える」ということを地で行ってる感が
現在もある。

出雲以外にも、東北にも鉄あり、なのにだ。
その出雲でさえ、「出雲王権などは存在しなかった」と、つい先ごろ
まで中央勢力の「公式見解」としては言われ続けてきたのである。
だが、歴史の真実は異なった。出雲からの巨大支柱の出土がそれまで
の恣意的な学説を覆した。


ただ、最終的に砂鉄製鉄技術を独占支配したのは、古代王権連合政権
から朝廷として成立した頃のヤマトであったことだけは確かだろう。
ヤマトを愛する人々は、ヤマト中央以外の国内地方や部族を「外敵」と
して
今でも扱う心根が残っている。
外国人に向けては「大和魂」なる架空の情念をねつ造して排外主義に
走るが、実は内に向けても同じ日本人なのに地方や出身地域により
中央以外には不利益を与えてもよしとする心根が強く今も日本人には
存在している。

それは直截に東北や沖縄に危険負担を負わせたり、不利益を与えたり
すること(これは現状もやられている)だけではなく、性根の奥底にも
ヤマト中心主義=中央集権的排外主義=日本版中華思想が日本人には
根強く
定着していることの表れだ。
中央権力に抗して敗れて支配されたまつろわぬ古代の列島の倭国各地
の地元勢力をマツる
祭りは、現在も日本全国各地に多く残っている。
弘前のねぷたや青森のねぶた、また九州地方にも同種同系のルーツを
持つ祭りが多くある。
大和政権の直近勢力圏内だった近畿地区には征圧した部民の反抗を
恐れての「鎮め」の祭りが多く今でも残っている。
すべては、中央権力とそれに抗して圧殺された人の血の歴史、中央権力
に恭順した人の歴史の形骸化した伝承譚としてマツリはある。チマキは
血巻きであり、流し雛や、とんど、恵方巻き、豆まき等々もすべて製鉄に
関与した産鉄民および地方地場勢力と古代中央権力との血の歴史の
産物であるといえる。
祭りはただの大騒ぎカーニバルではないのだ(カーニバル的祭りは中世
~近世に登場した祭りに多い。阿波踊り等)。
祭りの際の各戸を結ぶ白い紙ひらひらの縄は、あれは中央王権への
恭順を示す家であるという標識の意思表示だったのである。

定理は、王がいるから最下層までの階級社会が存在する。
これは人類世界共通の定理である。
王制は、「王とそれ以外の平等な民全員」という世界にはならない。
最下層までの階級制を構成するのが王政だ。「一人と他の平等な人たち」
という神と人間との関係のようにはならない。王は人間であり、人間は
人間の下に人間を作りだすことで己の安寧を図ろうとする社会構造に頼り
たがる悪弊がある。これは原罪とは別に、悪癖として。
日本人もそうだ。
「人権なき人と家」を設えることにより、心の安寧を得たような気になる。
自分自身の意思さえも自分のものではないという「存在」を作っておき
ながら、日本人はその「存在」に敬愛を装って神輿として利用しつくして
きた。
それこそ大逆だろうに。

皇室カレンダーというものがある。
あれを多くの(一部かもしれない)日本人はありがたがって購入する。
暦が過ぎた月の御真影はどうしていますか?
破り捨てたり、メモ紙にしたりしていませんか?
どうしているのですか?
多くの人々は皇室に対し賛辞を表するようなことを装いながら、
天皇陛下と皇室の方々の写真が印刷された暦を月が過ぎたら破り、
そして捨てていることだろう。ただの紙として。
そこに皇室を敬うと自ら言う心に嘘はないのですか?

また、皇室を賛美すると自認する人々に限って、陛下の意思や皇室の
方々の意思などは無視して、皇位継承についても自論を述べたがる。
中にはデヴィのように親王妃に対しても「妃をやめるべき」などという
とんでもないことを勝手に言い出して正論ぶっている族もいる。
皇室賛美を口にしていながら彼らがやることは一民間人のくせに勝手
に皇室をいじくりたおそうとする発言をする。
こういうのは彼らのモノサシからしても「不遜」にはあたらないのか。
いわゆる右翼や保守などと呼ばれる人たちは、実は天皇を自分の主張
のために利用したいだけで、天皇に対する真の敬意は私には一切感じ
られない。

嘘ものたちが言うことは嘘ものであるとしか私には思えない。
「出雲に 本物あり。」というキャンペーンが現在島根県で行われている。
一体、どんな本物がそこにあるのだろうか。
ネット情報だけでは分らないので、私は見てくる。


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名作と駄作の違い

2016年09月13日 | 映画・ドラマ

椿三十郎(1961年)



椿三十郎 (2007年)






コピーのカバー映画のほうは、この配置とキャメラワーク
観ただけでダメダメであることがよく判る。
クロサワのような計算されつくした配置ではなく、真似
の劣化版であること明白。
親指を出してんなよ、織田裕二(^^;
クロサワ映画の場合は、映像トリックで、椿三十郎と室戸
半兵衛を正対させておらず、カメラのほうにほんの少しだけ
軸線を向けて撮影されているのがおわかりになるだろうか。
これはクロサワの指示である。それとは分からずに、しかし
カメラ効果が最大限出せる配置に黒澤明は持って行く。
後ろの若侍たちの配置をクロサワが「2-4-3」としたのも、
緊張感を出すための変則配置を計算してのことであり、単純に
「3-3-3」の安定配置にした劣化版はクロサワ映画の意味が
解っておらず、スカ。
しかも、クロサワ作品のほうは、肉薄感を出すために、遠近
がつかないように超望遠で撮影して、対峙する二人の後ろの
若侍たちも大写しになるように計算して撮影している。
ところが、劣化版ではそこを理解していないから、普通の
カメラワークで撮影してしまい、かなり後ろの若侍たちが
遠方に写ってしまっている。実際の距離が問題なのではない。
カメラによる撮影技法をどのように緻密に計算して監督して
いるかの違いがこのクライマックスシーンで如実に出ている
のである。一言で言うと、腕の違い、映画監督としての技量
の圧倒的な、絶望的なほどの違いが映像に現れているのである。
世界中の映画監督が影響を受けたのは、そうしたクロサワの
緻密な撮影計算と映像表現手腕だ。
スピルバーグもルーカスも、クロサワがいたから映画監督に
なったと明言している。
こうしたことの実相は、実際にクロサワ映画を実見しないと
見えてこない。

超望遠を使うと、新宿のすぐ向こうに富士山があるような
迫力ある絵となる。


また、リメイク真似物のほうのシナリオは黒澤明オリジナル
を使っている筈だが、細かいところのセリフを三十郎
役の
織田がアドリブなのかセリフを覚えられないのか変更
して
しまっている。一方豊川悦司は原作に忠実で、よく
室戸半
兵衛の味を出している。

このリメイク劣化版は織田裕二の役者史上まれにみる演技
の下手ぶりが際立った作となっている。
どの役をやっても同じキャラしか演じられない役者を大根
という。大根は白い⇒ド素人、ということだが、この作品
の織田がまさにそれだ。どう見ても湾岸署の青島である。
とてつもなく残念というか、実力なき役者の限界を記録に
とどめる映画となっている。

また、リメイク劣化版の最大の大外しは、ラストシーンの
決闘描写のシナリオを大幅変更してしまったことだ。
あんなにもつれる決闘は原作シナリオには存在しない。
台無し。文字通りの台本無しの台無しである。
さらに、黒澤明は、出演者に刀を軽く扱わないように、
実際の重みと使い方を体感させるために、俳優たちに
巻き藁(畳表巻きはまだ存在していない。すべて本物の
藁束を巻いた物)斬りを真剣を用いて体験させた。
すべては映画作品作りのためだ。
これは名作『七人の侍』でも、黒澤明は真剣を用いての
刀法を指導者をつけて役者たちに稽古させたのだが、ただ
の映像殺陣では越えられない一線を飛び越えて、黒澤明
は映像とリアルを高次に融合させようとしていた。
ただ単純にリアル映像を撮るのは映画ではない。それは
ドキュメンタリーだ。活劇映像である映画の世界で、どう
やって非現実を現実と感じさせるかに表現手腕がかかって
くる。
それには、小国英雄と菊島隆三という共同シナリオ執筆者
と黒澤が旅館に缶詰で熾烈な口論をしながらも台本を共同
で書き上げることにはじまり、映像描写においても撮影に
一切の妥協を許さない監督黒澤明の姿勢があったからこそ、
世界中から「不朽の名作」と評価を受ける作品を作り得た
のである。
ゆえに黒澤明は「世界のクロサワ」となった。
一切のヌルさは存在しないのがクロサワ作品なのである。
一挙手一投足の動き、配置、セリフ、セリフ回しに至る
まで、すべて計算されつくしたものとして撮影が続けられ
るのがクロサワ作品だ。当然役者にも、それをこなすプロ
としての技量を要求する。
妥協なき作品として撮影されるからこそ、黒澤映画はクロ
サワ映画となるのである。(失敗作もある)

さて、椿三十郎がラストで見せた逆手片手抜き打ちは、西南
戦争
後に工夫して発生した弧刀影裡流(ことえりりゅう)
居合
術の「逆抜き不意打ち斬り」という技を改造した抜刀
斬り
を使っている。
これは同流からヒントを得た殺陣師久世龍
が発案した技で、
抜刀しやすいように三船敏郎は15センチ
短い殺陣刀を使用
したという。




左腰にある剣を左手で抜く業は新陰流居合(柳生厳長の
創作居合。上泉柳生新陰流に残る抜刀術ではない昭和
新派居合)には「左剣(ひだりけん)」という業名で
存在する。
これは純手で左手で左腰の大刀を抜いて純手のまま斬る
業であり、厳長新陰流居合においても奥域の部類に入る。
ただ左手で左腰にある刀を抜くのは、長い刀では物理的
に無理で、創作新陰流居合といえども、「定寸二尺二寸」
の定めがあるので可能な業と思える。

この映画三船版『椿三十郎』は、明治以降に発生した新流派
の業を参考にして発案した創作業であるが、クロサワによる
過剰演出によって全世界に深い印象を残した。
まさに出血大サービスだった(^^;
斬られ役を演じた仲大達也が、その血液の噴出量にびっくら
したくらいで。
あれは実は演出ではなく、撮影当時の気温が関係して、ポンプ
から大量疑似血液が一気に噴出した実は「失敗」だったのだが、
あまりの迫力にそのままOKテイクとなったようだ。
ビデオだけでは知り得ない当時の関係者談話などが収められて
いるから、DVDやブルーレイというのは、映像作品を納める
メディアとしては非常に良い面があると思える。
実際、劇場での映画鑑賞とは別な面がDVDやブルーレイでは
楽しめる。ボーナストラックが入っているDVD・ブルーレイ
は映画ファンにはたまらない特典だと私は思う。


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『君の名は』の特異性

2016年09月07日 | 映画・ドラマ



光と影のマジック。
異様なまでの色彩の美しさ。
これは、事件だ。







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日活映画を語る

2016年08月31日 | 映画・ドラマ

蔵原惟繕監督日活映画を語る


面白い!


井上梅次日活を語る


うむっ!


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柳生十兵衛五十人斬り

2016年08月30日 | 映画・ドラマ

柳生武芸帳Ⅱ


これタイムリーに放送時にも見たが、今見てもひどい殺陣だ。
(15分40秒から)

長回しのワンショットはよいとして、最初から足元ヨタヨタ
だし、脇差なんて途中で落っこちちゃってるしよ~(´ー`)

やはり、古今東西、最高の殺陣は若山富三郎か。
彼を超える殺陣を彼の先にも後にも見たことがない。


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あとからくる味

2016年08月29日 | 映画・ドラマ



やっべ。
ターミネーターでサラ・コナー役のときはそうでもなかった。
「あ、可愛いな」くらいにしか思わなかった。





ところが、じわじわきてる。エミリア・クラークかわいい。






美人はすっぴんでも綺麗だす。


もちろん、メイクを決めるとモデルみたいになる。よい。


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世にも奇妙な物語 死後の苦労 Tales of the Unusual

2016年08月14日 | 映画・ドラマ

世にも奇妙な物語 死後の苦労 Tales of the Unusual


ゆうゆもリカコもそのまんま東も若い!
また、劇中、1980年代末期の東京の街と人が出てくる。
これまたなつかしい!

この無敵最終兵器のような歌唱力を聴け!(≧∇≦)
これでも一切口パクで誤魔化さないド根性!
そう。80年代は正直者が市民権を得ていた世の中だったのだぁ~!
ゆうゆ with おニャン子クラブ 天使のボディガード 夕ニャン


今の世の中、口パク、整形、ねつ造あたり前。
1980年代世代からするとスットコドッコイなんだよね。
嘘つきが大手を振ってまかり通る世の中ってやつは。

このおニャン子の振付師は三浦亨だ。この「天使のボディーガード」の
13年前に天地真理「恋する夏の日」で一躍躍り出た。
日大芸術学部出身。


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世にも奇妙な物語 携帯忠臣藏

2016年08月07日 | 映画・ドラマ

世にも奇妙な物語 携帯忠臣蔵


やっぱこれだな(笑

遊女役の吉村美紀さんはめちゃくちゃ好みです(笑


離れ目、万歳!


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謎の円盤UFO 第1話 宇宙人捕虜第1号

2016年08月04日 | 映画・ドラマ




謎の円盤UFO 第1話 宇宙人捕虜第1号



カップ麺U.F.Oが発売される1976年以前までは
日本人はきちんと「ユーエフオー」と呼んでいた。
ただし、重大な事実がこの1970年のTV映画から
発覚した。
地球防衛組織シャドーのストレイカー司令官は英語
原語部分で「ユーフォー」と発音しているのだ。
これはかなり衝撃的!
飛行物体単体を指す際には「ユーエフオー」と呼び、
「UFOの~」と言う場合には「ユーフォーズ~」と
呼んでいる。これは1970年以来発見した新事実だ。
(44分50秒)

劇中、月面基地からインタセプターでUFO迎撃に
向かう時のBGMがサンダーバードの音楽というのが
泣かせる。


1970年。あたしゃこの英国ドラマが大好きで、
わくわくしながら観ていた。

特にエリス中尉を(^^;)




実際の1970年の10年後の1980年、すでに人類は地球
防衛組織
シャドーを結成するのを諦めていた(笑)。



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007 スペクター

2016年08月01日 | 映画・ドラマ



『007 スペクター』の冒頭に出てくるボンドの銃のかっこいい
こと。

Glock 17(FAB Difence KPOS Glock to Carbine Conversion/実銃)。
コンバージョンおたくにはたまらない。この実銃画像よりもボンドが
使用しているバージョンのほうがずっと洗練されていてかっこいい。



1960年代、世界初の日本のモデルガンメーカーが自社直営店を
「MGC ボンドショップ」と名付けて自社製品のカスタムアップを
していた中心コンセプトは、このようなアタッチメント装着による
コンシールド性の高いエクステリアカスタムが思想の中心だった。
その思想は当時世界中でブームとなっており、『0011 ナポレオン
ソロ』なども外付けアタッチメントのカスタム銃を使用し、日本の
劇画『秘密探偵JA』などでもコンパクトガンのカスタムウッズマン
にアタッチメントを装着する仕様となっていた。
挙句の果てには西部劇(マカロニウエスタン)でもリーヴァンク
リーフがアタッチメント装着カスタムガンで敵をしとめるシーン
まで出てきた。
世界中のコンパクトガンに伸縮アタッチメント等を装着することの
流行の先鞭をつけたのが『007』シリーズであり、実銃の小銃など
でそうしたことを現実の世界で実現させたのは米国AR15の特殊部隊
用小銃の非正規採用モデルXM177小銃の伸縮ストックであった。


私は最新式の銃というのはあまり好きではいが、この手の銃の
傾向性については別格だ。

基本的に短い銃が好きである。
また短く小型の銃はアクション映画の重要なシーンでも
多く使用されている。

『ブラッドダイヤモンド』AR15/M733(プロップ)


『ブラッドダイヤモンド』グロック36(プロップ)


『ブラッドダイヤモンド』USPコンパクト(プロップ)


『007シリーズ』ワルサーPPK(プロップ)




劇画『ワイルド7』コルトウッズマンカスタム(実銃)




基本的に小さいながらも十分な活躍をする銃が好きなのである。
ハッタリ観てくれ体感巨乳、いや大艦巨砲主義は好きではない。
でかけりゃいいというものではない。形だ(笑

私のAR。もはや小銃とは呼べないほどのコンパクトさだ。

しかし、これがまたゲームなどではよく働く。しかし現実
世界ではストックが短すぎて頬付けができないのでこのような
観てくれカスタムは自分自身疑問だ。
実銃バージョンならば、リュングマンではなくガスピストン
方式のデバイスに改造変更し、ストックはXM=M4タイプの
伸縮式を装着してしっかりと頬付けできるようにすることが
望ましいだろう。これは旧5.56だろうがグリーンチップだろう
が、関係なく必要な基本事項だと思う。

ただし、現実世界はファンタジーのお花畑世界とは異なる。
実際の世界では、正規軍であろうと非正規軍の傭兵であろうと、
銃は「支給された銃」を使いこなすのが本道である。
そして、本物の戦闘者は武器にはこだわらない。
どんな武器であろう
とも「目的」のために使いこなす。

とりわけ、越境を普通に行なう「国際犯罪者」である1980年代
初期までの傭兵たちは、状況に応じていつでも武器を捨てる。
そもそもが「傭兵を禁止する国際条約」批准以前の時代にあっても
旅券法違反等、国際犯罪に該当する傭兵の行為は、「犯罪」の上に
成り立っていた。
仮に日本人が国外で戦闘行為における殺人等の行為を「私兵」たる
傭兵で行なっていた場合、時効の問題があるにせよ、殺人という
犯罪を犯したという事実は死ぬまで消えない。現在検挙されているか
いないかだけのことであり、殺人に対する自戒なり贖罪なり呵責なり
が不在の人間は私は一切信用しない。外地での過去の戦歴を公の場で
公開している者などは論外だと私自身は確信している。
「義勇兵」などは真の意味では存在しない。戦闘者は戦闘者でしかない。
そもそも、よその国の独立戦争だろうがどんな戦争であろうが、外国人
が出かけて行ってその国の戦闘に参加して「義勇」であると自己認識
している時点で私から言わせるとおこがましい。
1980年代初期の時点で外地での私的戦闘参加の日本人は200名ほど
いたが、ほぼすべてがその事実を家族にまで秘匿して墓にまで持って
行くつもりでいるし、現実的にそうしている。
過去の経歴を売り物にするペラ男どもは口をつむれ。たわけ。


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発見! 武技に関する雑感

2016年07月20日 | 映画・ドラマ



胴太貫を使った公儀介錯人拝一刀の必殺技「水鴎流 波切りの太刀」は
カムイの「変移抜刀霞斬り」と原理が同じであることを発見した!(笑)



ということは、原作の劇画『カムイ外伝』(1965年/白土三平
作)のほうが
劇画『子連れ狼』(1970年9月/小池一夫原作)
よりもずっと古いのであるから、
『子連れ狼』のほうがパクリ
というか原理ネタ流用ということに
なる。白土三平先生すごい。
さらにこの『カムイ外伝』と同時期に連載された『ワタリ』
(1965年/白土三平作)において、この変移抜刀霞斬りと同じ
原理の印地技が出てくる。
技で使う投擲武器をムジンと呼んだが、実はこの技もまったく同じ
ものが『子連れ狼』に「御手玉の剣」という技名で柳生鞘香が使う
必殺技として登場する。
子連れ狼の原作者小池一夫先生は、結構やらかしてますなあ(^^;

それにしても、なぜ「変移抜刀霞斬り」が英語字幕スーパーでは
Double-Mutation Brush-Cut sword charge. になるのだろう。
直訳するならば、Variable Drawing-sword Haze Cut あたり
だろう。
なぜ brush としたのだろう?
もしかして、「霞」を「かする」と解釈した?
「かする」ならば brush という英単語を誤解で宛てたのも頷ける。
多分だが、「かすみぎり」ということの意味がわからず「かすって
斬る」と解釈したと私は推測する。
かすって斬るのと、霞のようにいずこからともなく立ちのぼる
のでは全く意味が違う。意味というか、要旨の次元が違う。
なぜそのような翻訳となったかというと、中途半端に日本語を
知っている米国人の聴き取り翻訳だろう。戸田奈津子の外人版か。
こういう日本語のセリフの英文への誤訳は結構ある。
それこそ萬屋版『子連れ狼』での英語字幕の誤訳などはひどい。

それについてのマニアック考察はこちらをご参照ください。 → 寒到来
オマケでこちらも → 子連れ狼の水鴎流について


戸田奈津子の字幕が、映画作品の意味を全く改ざんしてしまうほど
いいかげんな翻訳であることは世界的に有名で、『ロード・オブ・ザ・
リング』では原作者がカンカンに怒って戸田を下ろした。
戸田のトンデモ訳で日本人が誤解して覚えたことは多い。
有名どこでは『プラトーン』(1987年)で、「Lock and Load !
(装填しろ!)」を字幕で「ロックンロール!」と
やらかしたことだ。
おま、LとRだと発音全然違うだろに、英語翻訳の大家がなにやってん
だよ、と思う。実際に1987年の公開時に映画館で見た時の字幕を
見て私は「はぁ?」と思った。
その間違いをそのまま信じ込むことが当時の日本国内で流行り、
漫画『右向け左』においては、実弾を64式小銃の薬室に装填しながら
「ロックンロ~ル」とやるオタクが出てきた。
また、国内のサバゲシーンでも多くが「ロックンロール」と言って
ボルトを引くアクションをする者が多くいた。
アホかきさ~ん!とか思っていたが、あえて言わなかった。
そして、これも私は15年ほど前にそのプラトーンの誤訳をネット上
指摘していたのだが、それまではそうした指摘は国内では見られ
なかった。


嘘も続ければ本物になる?
ならないよ。嘘は嘘。間違いは間違い。
嘘は正義ではないが、正義が必ずしも力を持つかというと、そんな
ことはない人の世の定理これあり。
だが、個人的には捏造・詐欺は大嫌いである。
そして、インスパイアや参考などと剽窃・盗用は大きく次元が異なる。
盗用は読んで字のごとく、盗みなのだ。
盗泉の水は飲まぬとはいうが、そうではなく指摘されたら逆切れで
大騒ぎ、自分たちこそが被害者であるというような振る舞いをする
者は人の世に多い。自分が盗んでいながら盗まれた方を悪く言ったり
とかね。それを人の世では「盗人猛々しい」などと云われたりしている。
まあ、一言でいうと「さもしい」の一言。
偶然の一致というものはあるだろう。
ただし、それがすべて全領域においてだとしたら、それは偶然の一致
などとするのは苦しい。苦しく見苦しい。

表現芸術の世界ではさまざまな創作があるが、ことリアル世界の武技
に関しては剽窃・盗用と参考導入発展昇華はまったく別次元のことで
ある。

ということを、昨夜映画『カムイ外伝』を観ていてふと感じた。


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拝一刀 胴太貫(どうたぬき) ~現実と空想活劇の虚実~

2016年06月25日 | 映画・ドラマ



拝一刀(おがみ いっとう)。公儀介錯人。
架空の物語の架空の人物である。
そもそも「公儀介錯人」という役職は歴史上存在しない。
「公儀刺客人」という役職も無ければ当然「裏柳生」も存在しない。
また、劇画・ドラマ・映画の中に出てくる裏柳生の分家の「喰代柳生」
も存在しない。
すべてが作り事の架空の物語なのである。
創作物語は、「作品」として楽しむものであり、現実に存在した歴史事実
と混同してはならない。(あたりまえのことだけど)
スーパーマンやウルトラマンは現実世界には存在しない。

劇画・ドラマ・映画の『子連れ狼』は、大名の介錯をする公儀介錯人の
地位を狙う公儀刺客人の柳生家が公儀介錯人拝一刀を抹殺せんとし、
一刀の妻、一族郎党を皆殺しにする。そして、かろうじて生き残った一子
大五郎と共に拝一刀は子連れの刺客となり、柳生に対して恨みを晴らす
旅に出るというストーリーだ。

拝一刀の差料は「胴太貫(どうたぬき)」といって、これも原作者が考案した
架空の刀である。
肥後菊池の同田貫(どうだぬき)とはまったく関係がない。
(ただし、原作劇画第二シリーズでは内容が大きく変換され、一刀の刀は
肥後菊池の同田貫とされてしまい、一刀から数十年昔にいた東郷重位が
遺子大五郎を育てるという脳細胞爆裂展開になってしまった)

中村錦之助が萬屋錦之介と芸名を変えて臨んだ意欲作のTVドラマ『子連れ狼』
では原作通りに「ドウタヌキ」という刀を使っている。
ドラマでは撮影上の都合から、何口(なんふり)かの別物の殺陣用のドウタヌキが
出てくるが、こういうのは映像作品製作ではよくあることでいたしかたない。





萬屋先生はこのドラマ主演を期に現実の肥後国同田貫作の大ファンと
なったらしく、「同田貫」であればどんな物でも買い取ると刀剣商に触れ
を出し、同田貫を収集した。
そのため、ドラマ『子連れ狼』が放映される前までは、美術刀剣界では
位が低いとされて低価格だった同田貫(2005年頃までの軍刀のような
扱いで実用品の品位の低い刀とされていた)だが、萬屋先生の買い占め
によって一気に価格が数倍に高騰した。市場に品薄になったからだ。
萬屋先生は同田貫だけで数百口を収集していた。かつて1970年代中期
に放送されたテレビ番組の取材で「これ、来たばかりの同田貫。これで
○○○本目くらいかなぁ」とおっしゃっていた。
当然ご自宅では保管しきれず、別に管理の行き届いた倉庫を借りて
保管しているとのことだった。

萬屋先生のご趣味のおかげで、世間では次の3つの現象が起きた。

・同田貫(どうだぬき)をドウタヌキと発音することが広まったこと
・買い占めにより肥後同田貫が市場から消え、経済原理で一気に価格が
 暴騰したこと(通常の刀剣では考えられない秀吉の正宗名刀工作依頼
 の現象)
・ドウタヌキは同田貫であると思い込み、架空の刀剣胴太貫と同一で
 あると誤認する人が大量に増えたこと

原作の第一シリーズの劇画も萬屋版のドラマも珠玉の名作だが、この
拝一刀の愛刀の架空刀の「胴太貫」には隠されたとんでもないカラクリの
事実がある。
こちら → 消された画
こちらも → 刀工の交流と茎の形状

現在でも実在の肥後国菊池の同田貫をドウタヌキと呼ぶようなことが
一般化されてしまっているが、同田貫はドウダヌキである。
これは幕末の名工源清麿をキヨマロと読む誤伝が一般化したのと
同じ現象ともいえる。(清麿は本来はスガマロ。兄の真雄はマサオでは
なくサネオ)
こうしたことは、長船長義を「チョウギ」と呼びならわす便法的使用法とは
異なり、おそらく誤伝がそのまま多くの人に真実として誤認されたまま
一般化して普及した類のものだろう。
世間の多くの人は歴史事実をよく精査せずに思い込みで鵜呑みにする
傾向が強い。
江戸城の天守は二度築城されたが、振袖火事と呼ばれた明暦の大火
以降は建造されていない。
それなのに『暴れん坊将軍』の八代将軍徳川吉宗の時代に江戸城天主
を堂々と出しているような時代劇が非常に多く、大衆はそれを観て現実
かと固く誤信する。
ドラマの世界ならば害はない。
だが、本当の歴史上の事実と架空創作物を区別しようとはしない傾向が
大衆にあることを狙って、大ねつ造を繰り返して集客して金員を得ようと
する族(やから)は世の中に多いので注意が必要だ。
精査すれば嘘まみれであることは判明するのだが、一般的には大衆が
見抜こうとする力を上回る巧妙なやり口で欺罔(ぎもう)するので、人は
騙されてしまう。つまり、それらの目的は虚偽を基にした集客による金員
集めであり、詐欺行為であるのだ。
これは自称武術流派などだけでなく、刀剣関係者でも多くいる。
例えば一例としては、刀工二代目小林康宏と会ったこともない人間が「私は
刀匠小林康宏と懇意にしている。名刺も持っている」として周囲に振れまわっ
てそれによって何らかの利益を得ようとしている人間もいたりした。
事実は康宏は一度もその人間に会ったこともない。
そうした人物がある剣術居合流派の「代表」と自称したりしている。
何も知らない人は騙されるだろう。

私はふと、武術を学ぶ根幹は、強いか弱いとかよりも、「真実を見抜く事」では
なかろうかと思う。
武技においても、虚実の虚に惑わされて騙されては命を失う。それが武術
なのではなかろうか。

映像作品などは「作品」であり、あくまで創作物だ。ドキュメンタリーフィルム
ではないのだから。



ドラマ『子連れ狼』に出てくる拝一刀の携帯武器は多くある。
代表的な物を列挙すると以下だ。
 ・大刀=胴太貫(ドウタヌキ)
 ・長巻
 ・槍
 ・手裏剣
 ・短刀
 ・斉発銃

私は個人的な勝手な憶測では、この長巻も「胴太貫(ドウタヌキ)」の清水
甚之進信高の作だったら面白いなと思う。

拝一刀の仕込み長巻。


仕込み槍。


手裏剣。


これらも全部同作者だという設定だったら面白かっただろうとは思うが、
原作でもドラマでもそうしたプロットは用意されていなかった。
もともとが齟齬というか(もしくは仕組まれた裏のカラクリだったかも
しれない)、架空刀である胴太貫(ドウタヌキ)の作者を原作では実在の
刀工(肥後同田貫ではなく尾張の刀工)をあてこんでいるという変則業
をやっているので、かなり複雑な仕立て味となっている。
だが、その仕掛けを見抜くと、数倍『子連れ狼』を楽しめる。

敵の刀はもとより、石仏だろうが鉄棒だろうが何でも斬ってしまう斬鉄剣の
胴太貫だが、堺の鉄砲鍛冶の斉発銃だけは切れなかった。




こういうところは妙に取ってつけたようにリアル(笑)。

現代刀工小林康宏(二代目)の刀は斬鉄できることは確かだ。
現に3.2ミリの鉄板をも私は斬っている。(極薄鉄板は逆に摩擦熱
で刃先が溶けることがあり、切断は容易だが刀が傷む)
しかし、小林康宏絶対論みたいに脳内で妄想して作刀を希望する
人が後を絶たず、かなり困惑している。
二代目小林康宏が作る刀は斬鉄できる斬鉄剣とはいえ、まっとうに
鍛え造った刀であれば他の刀工の作でも鉄は截断(せつだん)できる。
軟鉄の釘あたりは一般古刀や新刀(一部)でも切断できる。
二代目小林康宏が現代刀の中では頑丈さにおいて突出していること
は確かな事実ではあるが、宮入一門の藤安将平師の刀も斬鉄が
できる斬鉄剣であるし、東北にも斬鉄剣を作る作者はいる。
(専門的なことを少し述べると、材料如何よりも工法にこそ堅牢な刀身
を作るキモがある。康宏と同じ材料を使おうとも、将平と同じ材料を
使おうとも、出来ない作者は出来ないし、出来る作者は出来る。鋼を
どのような方向に持って行くかが最大の要点だ)

小林康宏の刀が人気が出るのは私は作刀スタッフなのでファンの方々の
気持ちを嬉しく思うが、独り歩きした伝説化の風潮にはいささか康宏本人
ともども困惑している。
康宏の刀ならば何でも斬れると思い込んで、それに基づいて作刀依頼を
してくる人がかなり多いからだ。(その手の希望者はすべてお断りしている)
康宏作とて、硬物に棟打ちしたら折れるし、平に置いてそこを斬撃すれば
折れる。
ただし、通常の使い方の場合は著しい強靭性を示すというだけで、康宏作
だから何でも斬れるということではない。学校の鉄棒などは康宏でも切断
などできない。
現実と夢想・妄想の区別は大切なことだと私は思う。
そして、刀剣としての作位というか、美術性などは同じ斬鉄剣を作る藤安
将平刀匠のほうが康宏よりもずっと上である。
ただ、藤安刀匠の新作注文を一手に引き受けている町井勲氏(藤安刀工の
弟子)によると、「康宏さんは上手ですよ」とのことだ。
町井氏は二代目康宏作刀復活の際にまず最初に注文希望の手を挙げた
人だし、現実に打ち上がった二代目康宏の注文作を所有している。
ご自身の差料の一つの二代目康宏の他にも二代目康宏作を現実にご覧に
なって、刀剣商・日本刀研磨師・刀工修行者・兵法者の厳しい目からみて
康宏のことを「上手」と言う。私が「本人も言ってますが下手ですから」と
謙遜ではなく本気で町井氏に言うと、町井氏はお世辞ではなくやはり本気で
それを否定して「いや、上手ですよ」と所見を述べる。
しかし、ナカゴ仕立て、上(かみ)の美術性と多様性、作刀の総合的な技術力
においては小林康宏よりも藤安将平のほうがずっと技量が上である。
ただ、二代目康宏は二代目康宏以外にはまず造れない刀を造る。
実際に二代目康宏に倣って作刀した作などは、やはり二代目康宏とは出来
上がりの様態が異なる結果を示したりしている。
(15センチ以下の合法品小物に関しては私が造る物が一番二代目康宏に
近似かと思うが、これは思い込みではなく、実際にその評価を専門家らから
得ている。私の合法作が別作者の刀工銘を切られ刀剣商に売却目的で持ち
込まれたという笑えない現実も過去にあった。ちなみに私の作はすべて斬鉄
テストをしている。このテストに関しては、互いに別作者ながらも斬鉄剣受付
窓口という盟友である町井氏は否定的だ。ただ、それは「売り物」の場合には
私も首肯できる。だが、私の作は一口も売ったことはない。すべて進呈品だ)

まっとうな刀ならば細く薄い鉄などは裁断できます。
小林康宏に対して、架空妄想的なところで作刀依頼をされても、そのご希望に
沿う刀をつくることなどはできません。
最近、「るろ剣の逆刃刀を造ってくれ」という依頼があり、さすがに丁重にお断り
しました。ファンタジーに脳内の立ち位置がある方のご希望には沿えません。
たしかに、「斬鉄剣」という呼称は、1970年代初期に東京地方の斬術者たちが
初代小林康宏の刀を指してそう仲間内で呼称し始めて名が知れ、それが某
漫画がアニメ化の時に、途中からアニメに現実世界の呼称が流用されたという
のが歴史の事実であり(原作では「流星」、アニメも最初の頃は斬鉄剣という
呼び方ではなかった)、小林康宏こそが「元祖斬鉄剣」なのですが、アニメの
ようにコンニャク以外何でも斬れる刀を小林康宏は造っている訳ではありません。
どうか、現実と空想架空妄想をごっちゃにしないように重ねてお願い申し上げ
ます。


さて、映像作品には齟齬やちぐはぐな間違い、手違いというものは多くある。
ドラマ『子連れ狼』において、最大の事件はこれだ。

裏柳生の総裁である柳生烈堂(これも本当は列堂が実在人物の名)は拝一刀に
矢を目に刺されて失明する。


だが、第二部シリーズになったら、刺されて失明したのは右目ではなく
左目になってしまっている(笑)。


こういうのはですね、大五郎が男の子ではなく、第二シリーズから女の子に
なるようなもので、やってはいかんミスというか大雑把過ぎる映像表現だと
思うのですよね(苦笑

さらに細かいことをいうと、ドラマ『子連れ狼』は、第一部、第二部、第三部と
放送されて、第三部からは大五郎役が交代したのだが、それよりも大きく
異なる事象が見られる。
それは、第一部、第二部においては、刀のアップシーンなどでは真剣が
多用されていたが、第三部ではまったくすべて全編においてお土産屋で
売っているような模造刀が撮影に使われているのだ。
これは何らかの当局からの指導あるいはスポンサーかプロデューサーから
の示唆があったものだろうと思われる。
そして、アップのみならず殺陣で使われる刀も、第一部、第二部での拝一刀
のドウタヌキの特徴であった「二筋樋」ではなく、第三部ではただの棒樋と
なってしまっている。



正直申し上げて、第三部は刀剣に関しては映像作品の作り込みがぞんざいで
とてつもなくいただけない。
但し!
役者の演技は第三部が一番いい。

斬鉄剣ドウタヌキが裏柳生の策略により折れて茫然自失の拝一刀。
なぜか刀身の樋は第一部、第二部の二筋樋から棒樋になっている。


映像はあくまで創作物の映像作品としてお楽しみください。
ファンタジーを現実社会に持ち込むのは、常識的社会では通用しません。

柄、なっげ~!でも、これは現実社会でも武具として多く存在しました。


ここらあたりの「現実と空想活劇の境目」は、きっちりと見抜いてほしいと、
この日記を読まれている読者の方々にはお願いしたいと思います。




 


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虚像の中の真実 ~時代劇などの素顔~

2016年06月15日 | 映画・ドラマ

修心流のサイト記事にこんなのがあった。

→ 子供の発想は凄い ~暴れん坊将軍を見て放った一言~

なるほど、そりゃそーだ(^^;

昔、高橋版『桃太郎侍』を見ていて、ふと思ったことがある。
高橋桃太郎は1回の放送で約20~25人切り殺す。
高校生の時、番組を見ながら「そうか~。年に1100人以上斬るから、
これで江戸の人口増加抑制してたんだな。この先、放送が続いたら
いってえ、どんくらい江戸人口を減らすんでい」とイトコ兄と言い合って
笑った
記憶がある。
『桃太郎侍』は高橋英樹版は1976年10月から1981年9月まで放送
された。
全258回である。
そこで数えてみると全話258回であるから、1話で23人と見積もって
全話で
5934人を斬り殺していることになる。(スペシャルを除く)
古今東西、これほど人を斬り殺した「剣豪」はいない(笑



ところが、実際のところ、ある記録の計算によると、江戸期の死刑執行
数は
年間1500名近くになる。1日平均約4名が死刑を執行されていた。
10両盗めば斬首確定の時代だった。1両は時代によりレートが異なるが
現代貨幣価値換算で1両12万~3万に相当する。
心中で生き残っても死刑。不義密通も死刑である。不倫・浮気?とんでも
ござんせん、てな世の中だった(建前上は)。「間男首代五両」とか言わ
れていたが、不義密通はいつの時代も多かったのだろう。(ある調査に
よると、日本においては現代主婦の6割が浮気経験がある、という結果
が出ている。フランスほど大乱れ丁子刃文百花繚乱でなくとも、日本人も
かなり淫放だ)

江戸時代は司法と行政が分離していなかったので、疑わしきはまず
しょっ引く。牢屋は未決拘留の場所であり、裁判による「刑の言い渡し」
は最終審判だった。
現代は司法制度が全く異なるのに、「警察に逮捕されたのは悪い人」と
一般人の中に強い概念が残っているのも、この江戸期の意識の延長に
ある。無実であろうが、しょっぴかれたら「悪人だろう」という発想だ。
また、実際も「とりあえずガラ取っとけ」という発想が警察にも根強くある
ので、自白強要や冤罪事件も後を絶たない。

江戸期の極刑には以下がある。

 死罪・・・・斬首刑。財産没収の上、死体は様(ためし)に使われる。
 磔(はりつけ)・・・屋外で立木に縛り付け、執行者が槍で何度も串刺しにする。
 獄門・・・斬首の後、首を獄門台の上に晒して見せしめにする。
 鋸挽(のこびき)・・・竹のノコギリで罪人の首を引き切る刑。罪人を穴埋めに
  して晒しものにし、一般通行人にノコギリを引かせた。
 火罪・・・火あぶり。放火犯に対して適用。
 下手人・・・・一般殺人罪に適用。財産没収、様なし。死刑で一番軽い刑。

これらは町人に対するもので、武士は「斬首」と「切腹」しかない。また、
死体は刀の様(ためし)に使われることもなかった。

幕末から明治初期にかけての死刑執行数はネット百科によると以下の通りだ。

 1869年(明治2年) 480以上
 1870年(明治3年) 1080以上
 1871年(明治4年) 1246以上
 1872年(明治5年) 1128以上
 1873年(明治6年) 970 近代刑法参考の律令による執行
 1874年(明治7年) 750 斬首刑廃止。絞首刑採用。

江戸期の死刑についてはこちらが参考になります。 → こちら



昔、前職の時に、法制史の史料を調べるために国立公文書館と国会図書館
に行った時、江戸期の極刑についての史料を見た。
グゲゲゲのチョンワチョンワでエグかったわぁ(^^;
死刑よりも拷問が凄くグロかった。
基本的には江戸期は「とりあえずなんでもしょっぴけ」で、下級警察官吏の
下っぴきや岡っ引きの十手持ちが容疑者を番所にしょっ引いて、それを下級
武士の同心あるいは
与力が軽く嫌疑を調べて牢にぶち込む。そして拷問に
よって「自白」させる。

犯罪の真偽などはどうでもいい。とにかく自白によってやっていないことも
「あたしがやりました」と言わせるような熾烈な拷問をする。
これは戦時中の特高警察などもそのやり口を引き継いでいた。

映画・ドラマの世界は、空想活劇の世界なので、直に現実世界の事象
には繋がらないが、部分的に真実の現実世界のことも描かれたりして
いるので、「虚像の中の真実」を見極めるのは難しい。
それでなくとも、最近はファンタジー脳が大流行なのか、時代物作品が
現代でも存在するとか思いこんでる人がいるようだし。
われらは裏柳生である、とかさ(^^;
もうね、まじで奇天烈ゼッコーチョー!てな感じで楽しませてくれる。
飛天御剣流も実在したらしいしなぁ。

それにしても、あれだけ人を殺して、桃太郎侍さんはなぜ捕まらなかったの
だろうか。
まあ、武士の悪者を取り締まるのは所轄が違うからね。一般町人は
町奉行所管轄だが、武士には町奉行は手を出せない。武士を取り締まる
のは目付・大目付の出番なのだが、まあ、言ってみれば、泥棒の親分に
泥棒を取り締まらせるようなものなので、まったく取り締まりにはならない。
今の権力者のワルモノが大手を振ってまかり通っているのとまったく同じと
いうこと。

 


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【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM

2016年06月12日 | 映画・ドラマ

【車の傑作CMまとめ】感動のトヨタCM、セクシーなスバルCM、犬の恩返しCM


作り物だと分かってはいても、最初と二本目のトヨタのCMは
いいなとか思ってしまう自分がいる。
娘の反抗期とかよくわかるよ。ほんとにこんな感じ。
二本目はまったく一本目と同じシチュエーションですべて娘の側からの
目線がカメラの映像としている。パパがひげ剃ってる時の湘南電車の
進行方向が逆だけど(^^;
これはわざとの裏技的な隠し演出だろう。

全体の作りはやらせである完全な「狙った」作り話ではあるのだが、
現実としては
私などは(今のところ途中までは)重なる部分もあり、トヨタ
CMは感慨深く観る
ことができる。


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