渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

全剣連居合道講習会 ~広島県~

2013年06月30日 | スポーツ・武道など

朝9時半~夕方4時半まで、東広島市の志和中学体育館にて全日本剣道連盟
居合道委員の範士八段河口俊彦先生(山口県)を講師にお招きしての居合道
講習会が開催された。

全日程は土日の二日間なのだが、土曜日は高段者のみの講習であり、中段者
である五段の私は本日の講習のみ参加した。尾道道場からの参加者は10名

だった。

<本日の講習(座学)のポイント>
1.「目的」と「目標」の差異を理解すること
2.刀剣の部位、名称について
3.刃筋と刃並について

座学後、まず参加者(約60名)全員が木刀を持ち、打太刀と仕太刀の相方を決めて、
木刀による稽古が行われた。

かなり濃い内容だった。
昔、都剣連に属した頃の道場での太刀打ちの位や日本剣道形の稽古を思い出す。

その後、全剣連居合十二本について解説されながら稽古。
この居合稽古は、時間を区切って各種形態の稽古がみっちりと行なわれ、実に有意義
だった。ハードかつ濃い講習会だった。
講師の河口先生、企画準備等でご尽力された広島剣連の先生方、ありがとうござい
ました。




体育館を退出の前には、新品刀剣油で洗うように手脂を拭い取ったが、
家に帰ってきてから安め鞘から内壁をこすらないようにソッと取り出すと、
肉眼では見えないが、何だかいつもの嫌な予感が。
新しい油をティッシュに着けて刀身を拭うと、すでに赤錆が発生していた。
稽古中は汗ダクダクで、その手に常に刀身が納刀の際には接触しているの
である。さらに「添え手突き」などの業では、刀身中央を左手で挟み込んで
突いたりする。刀身にもろに汗まみれの左手が接触する。居合の稽古では
日本刀が常に過酷な状態に置かれるのだ。
稽古途中と稽古終了後には保存用の刀剣柴田の刀剣油(太田氏製)とは
別な楽器用の防錆油(YAMAHA)で徹底的に洗浄した。
しかし、鑑賞刀と違い、表面に保護被膜ができていないので、居合用真剣は
常に防錆上過酷な条件に晒される。錆は必ず出る。100%出る。
このあたりは
メンテナンスフリーの模擬刀と真剣日本刀は大きく異なる。
今からは半日ごとに刀身に新しい油で拭いをかける必要がある。
そして、だんだんと赤錆が出なくなったらOKなのだが、週一の稽古だとしても
酸化物被膜による不動態は形成されないので、結局は錆びる。

うっすらと赤く錆びたら(肉眼で錆びたように見えなくとも、油を着けたティッシュ
等で刀身を拭うとティッシュが赤く錆び色になる)、油で毎日拭い倒して除去する
しかない
のである。

きょうの全剣連講習の行き帰りは、高速山陽道の志和インターで降りた。
実は私のこの愛刀は、天正八年(1580年)にこの志和インターのごく付近で作ら
れた刀だ。作風は三原もしくは二王に似ている。
天正八年から実に433年ぶりに鍛刀地のごく近所に半日ほど里帰りしたことになる。





またいつものようにふと思ったが、この宗重(俗名延道彦三郎)さんが
「人」の字に「仁」を充てているのは、もしかしたら周防国二王(仁王)との
関連があるのだろうか。作柄、ソックリですよ。三原よりも大和気質が強い
ところなども。二王が安芸国広島に入ったような記録もあるし、この四代
宗重が二王もしくは三原鍛冶と技術的交流があっただろうことは想像に
難くない。
地鉄板目流れて肌立ちところどころ杢交じり、刃文は古雅な小乱れが
直刃調に凛として伸びている。小沸(こにえ)出来。鉄味は良い。


絶対に末代まで残すつもりの一刀だ。
ただし、私の差し料だった物として。

 


 


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タップ交換 ~斬~

2013年06月29日 | ビリヤード









尾道テラットのマスターのすすめで「斬」タップに交換してみた。
(公式サイトはこちら。ページがフラッシュですのでPCからでないと表示が反映されません)


カッターで桂剥きしていて感じた。
革の質がかなり良い。
そして、特筆すべきことは、シャフトに装着してから家のベランダのコンクリ部分に
真下に向けて自重落下させて音を確かめたら、スキューンという象牙先角の透き
通る音がきちんと出たことだ。
これは実はモーリでは一切ない。モーリはペシペシ、ボンボンという音がする。
私個人はモーリは打感も音(これがかなり大切)も好きではないのだが、この
「斬」タップはいけそうな予感がする。
カムイがかなりよかったけどね。モーリと同じ積層なのにサウンドも澄んでいた。
この「斬」タップはカムイのテスターだった広島県の湯山プロが開発した新ブランド
だが、
すでに何名かのトッププロが契約を結んでいる。
プロデュース形態の如何、宣伝の如何に拘わらず、まずカッターで切ってみて革の
質性が大体判る。

そして着けて撞いてみるとなおさら判る。
私の場合、どう逆立ちしてもモーリは自分の撞き方と感覚に
合わない。合うだろうと
いう期待を込めて、これまで6回以上着けては気に入らずに
廃棄を繰り返してきた。
最新のVタップという商品の評判が玉仲間内でも「結構
いいよ」とのことだったので
先日着けたが、やはり気に入らずすぐに翌日に除去した。7回目。もう今後は永遠に
モーリを着けることはないだろう。
ボンボン、ペシペシの音が耐えられないのだ。
私のキューは、アダムもリチャード・
ブラックもショーンもタッドもポール・モッティも
オリジナル・ハカランダカスタムも
すべてが「スキューン」という抜けるような澄んだ
サウンドを奏でるキューだった。それらの音はカムイを除いて積層タップでは出る
ことはなかった。一枚革のタップにおいても、種類によっては快音はしなかった。
(意外にも氏橋10トン締めブルーは澄んだ良音を発していた)

そういう澄んだ高い音がするキューでないと嫌なのである。濁音系のキューは玉を
撞きたくもなくなる。

ギターは楽器だから、音質と鳴りの差で個体を選ぶのは当たり前のことだが、
ビリヤードプレーヤーは一般的にはサウンドを第一義には置かない。打球性能だろう。
だが、私はプロでもその道で生活してる者でもないので、私の嗜好を優先させたい。
キューが醸し出す透き通ったサウンドは私にとってはゴスペルであるので、絶対にベシベシ
した音やボヨンボヨンした音しか出ないキューやタップは嫌なので
ある。どんなに打球
性能が良くとも、濁った音や乾いたカラカランという枯れ竹のような音
しかしないキュー
は嫌なのだ。木琴のような、あるいはビブラフォンのような芯のあるそれでいて澄んだ
音響を発する
ことができるキューでないと、つまり「キューが好きになれない」のである。
キューが好きになれなければ、玉を撞く気持ちも湧かないというのが本音なのだ。

カフェ・テラットの店員さんがソリッド・ノーマルではないハイテク・シャフトに「斬」タップ
を着けていて「スピーン」という透明感のある音をさせていた。
また常連さんもマスターもそのような音をさせていた。(キューとタップの音は、バンキング
の時に一番よく判る)
通常、ハイテク・シャフトはあまり抜けるような透明感のある音がしない。まして、そこに
モーリなどの積層を着けるからなおさら音が濁って曇る。

尾道テラットで注目して耳を傾けていたが、打球性能向上にも効果が高い内容でプロが
開発を
熟成させたらしいタップなので、今回チャンピオン・タップを除去して装着してみた
次第だ。

果たして、撞き味はいかに。

別に侍マニアだから「斬」という名のタップにしたわけじゃないんだけどね(笑
俺、侍オタクでも侍マニアでもないし。

ビリヤードのキューは、作り手の魂や作品の立ち位置が日本刀に似ている部分がある
と私は思う。そういう意味では
「斬」というネーミングは結構いいかも。今までなかったのが
不思議なくらいだ。

スリー・クッションで数度世界チャンピオンに輝いた小林伸明プロは、「キューは武士の
刀と同じだ。だから私は店に置きキューはしない」とかつて語っていた。
小林プロはビリヤードで世界一になったが、彼は居合剣士でもあった。


(小林伸明プロ)

私はこの小林プロの言葉に感化されて、店に置きキューをずっとしなかった。
置きキューをするようになったのは、東京から広島に引っ越して7年後に自分らの
部屋である撞球室ができて
以降のことである。
私は小林プロの自筆サイン(画像左下のロゴ)入りの本人が使っていたスリー用の
キューを
一時所有していた(請われて人に譲り渡し)。金色マジックペンでの手書き
だった(^-^)

元々私は四つ玉をやっていて、その後スリークッション、そしてポケットに転向した
のである。
だから性格と同じく撞球もヒネくれたヒネラーなんす。スリークッションは当たらず、
ポケットは入らない(笑

 


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カフェ・テラット ~尾道~

2013年06月28日 | ビリヤード



(お店のパソコンを借りてタイムリーにお知らせしております)

今宵も尾道のテラットで食事してます。
「第二の嫁募集中」(マスター弟)だそうです(^0^)

マスター(弟)が珍しいキューを見せてくれた。
1970年代初期のアーリー・アダムカスタムだ。

リペアに出す前の状態。頂き物だそうだ。
いや~。これは貴重!たぶんアダム本社にもないぞ、これ。
資料的にも価値が高い。バッコシとブラジリアン・ローズウッド使ってますね。
いわゆるハカランダという現在では国際条約で輸入できなくなった銘木です。




リチャード・ブラックやタッド・コハラたちが埼玉のアダムカスタム本社(社長ヘルムス
テッター氏)にハギの製作方法を学びに来た頃のアダムの作品だ。子持ち8剣の
入魂の本ハギだ。というか、タッド定番のデザインというのは、もしかしたら日本の
アダムカスタム(当時社長はアメリカ人)のデザインを参考にしているのかも?
このキューはジョージ・バラブシュカもアダムのハギをブランクに使った(アダム現社長談)
とされる頃のアダムの作品で、多分1973年頃の作ではなかろうか。
「しっかりとしたリペアに出してあげて大切に保管したい」とマスターは言っていた。
老齢の撞球師から進呈されたキューだそうで、こういう物は進呈者の気持ちとともに
大切にしていってほしいと思う。
ひと撞きだけさせてもらったら、スキューンと透き通る音がした。できる。

マスターが特別サービスでフレッシュ・オレンジジュースを作ってくれた。

飲みかけてからあわてて撮影(笑)
1杯あたり、大きなネーブルを2個潰して作るフレッシュ・ジュースどす。

店を上がる時にも「じゃあもう一杯ごちそうしますよ」とサービスしてくれた。
うれしいのぉ~。遠慮なくいただいた。めちゃくちゃ美味しい。

マスター兄弟が撞球会の頃からの友人だからというのを差し引いても、
掛け値なしにくつろげるいい店だと思います。食べ物が美味いんだ、ほんとに。
お近くの方はぜひ行ってみてちょ。
2階はいつもダーツのお客さんでにぎわってます。女性客が多い~。
1階ではカウンターとボックス席が二つで、落ち着いて料理や会話が楽しめます。
来年6月には尾道駅近くにマスター(兄)別店舗を出す予定なので、こちらも
尾道観光などの時には注目してね。

食べログ広島 <カフェ・テラット>

カフェ・テラット<公式サイト>



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渓流詩人の徒然日記

2013年06月28日 | 内的独白




昨日の来訪者は普段より400名ほど増えている。
またどこかの大通りにリンク貼られたかな?(^^


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本物とインスパイアモデル

2013年06月28日 | ビリヤード

俺のハチロク・ナイン。世界に一本しかないブラジリアン・ローズウッドのカスタムだ。
ハギ部分はブランクとしてアダムの名品と呼ばれる86シリーズの86-9Sモデルを使っている。

そういえば、キューはナンチャッテだけど、ジョイントキャップは本物のタッド製を
使ってるのよ(笑
デルリン製ですね。18山です。
デルリンというと、ギターピックやバイクのレースの膝スライドパットでも使われて
いるので、私個人にとってはなじみ深い化学素材だ。元々は軸受け構造材として
開発された。純白で透き通るような透明感がある。

こちらはお尻がデルリン。






一昨夜はBシャフトを一晩使ったが、昨夜は秘蔵Aシャフトを使ってみたらあまりにも
玉が入らなかったので、気分転換に Schön を使ってみた。
1980年代前半製作の
ロバード・ランデ・モデルだ。
カンディアン・バーズアイ・メープルのフォアアームに黒ベニア+
チューリップウッドの
インレイハギ、チューリップウッドのバットスリーブに黒檀と象牙ダイヤのインレイだ。
アクセントをつけるために、エンドキャップとバットスリーブの間に真黒な黒檀の細い
リングをスッとひと挿し入れているところにボブ・ランデの美的センスを感じる。
先角はAシャフトがマイカルタ、Bシャフトが象牙である。

このキューに替えて撞いてみるとアラ不思議。今まで外していた玉がビシバシ入る
ではないか。

スピーンという透き通った音と共に玉離れが速いのが心地よい。打感も最高だ。
このSchönを使うと、あの1980代末期が脳裏に蘇り「これ!これだよ!」という
気持ちになる。やはり心の拠り所のようなキューだ。絶対にこれは手放せない。

その後、メインキューのハチロク・ハカランダ・カスタムの淡路亭Aシャフトに戻して
暫くすると調子が復活していた。

これまた妙だ。
結局気分の問題か。いや、そんなことはない。精神に何らかの作用があると
したら、物理的な現象が起因している筈だ。その物理的な原因を把握しないと
問題の解決はできない。

ハカランダ・カスタムの淡路亭Aシャフトのタップをチャンピオンに交換してからは
あまり撞いておらず、撞き締めが済んでいなかったが、昨夜撞きこんで行ったら
特性変化が落ち着いてきた。
以降、ショットも安定するようになった。
タップ先端のRをヤスリで作っても、撞くとどんどん形崩れしていたので、それによって
手玉離れの変化(トビやズレ含む)が大きかったようだ。
撞き締めで強く撞いて、さらにヤスリで何度も叩いたら、ようやく、普段の尖がりR
に形造ってもショットによるタップ先端の凹みが少ないようになった。

タッチは大切です。特にシャフトとタップの選択や状態はバットの振動収束と一体
となってショットに大きな影響を及ぼすから。
その点、ハイテクシャフトというのは、よく設計されていると思うよ。欲しい特性の
傾向性ごとに製品が揃っているから、かつてのように「シャフト探しの旅」をしなくても
よい。あれは凄いね。真にビリヤードの歴史の上で、チョークとタップに続く革命的な
発明と言っていいと思う。

引き上げ間際、マスターがサービスでピザとウーロン茶を出してくれた。
しばし雑談-
世の中おどろきの繋がりはあるものだシリーズ・・・
驚いた。エアソフト・フィールドゲーム仲間のドイツ人のミルピックの仕事上の
相方はマスターの彼女だった。ミルピックもこの店に何度も来てビリヤードを
やったことがあるという。
「なんで彼を知ってるんですか?!」と言ってたが、「だって友だちだもの」と
言うと驚いていた。ゼアラーパテシエ。


そういえば、アメリカ国内ではボブ・ランデがショーン社にいた頃のアーリー・ランデ・
モデルを探し求めている人が現在多いようだ。ランデはCNCを早期に導入して
1980年代中頃からは本ハギではなくインレイ・ハギに完全シフトした。
私のR-21モデルはインレイ・ハギ移行のごく初期の物だ。型番などではRシリーズ
でも、80年代中期の過渡期には、例えばR-6などの同じ型番同じデザインでも
本ハギとインレイ・ハギの両方がある。
そして、ランデは本ハギの頃には、私のハカランダ・カスタムと同じようなデザインの
キューも作っていた。
-ボブ・ランデの1980年代初期作品-

リペアのためにニスを剥がした状態だろうか。
ハギと銘木の配置と全体の雰囲気など私のハカランダ・カスタムと構成が
そっくりだ。
というよりも、私のオリジナル・カスタム・キューがバラブシュカなどの伝統的な
デザインに則って製作し、タッドタイプのデルリンお尻を着けただけなのだが。
いわゆるこのようなキューがアメリカのトラディショナル・スタイルである。
洗練されて後世にまで残ってきた伝統というものは美しいものだと私は感じる。

初期ショーン(ランデ作)。ローズウッド+ベニア(赤オレンジ+ブラウン+ブラック)


私のアダム86-9(粕谷作)。ローズウッド+ベニア(オレンジ+ブラウン+ブラック)

俺は four prong full spliced veneers と呼ばれる4剣ハギが好きだ。
現在、日本ではほとんどプレーキューでは4剣を見かけなくなったところがまた良い。
現在日本でプレーヤーに流行りのデザインというのは、合衆国の伝統や本物の
キュー職人たちへのインスパイアというものとは別次元の嗜好に基づいて普及
しているからだ。
4剣を持つ時、いにしえのアメリカのキュー職人の心に思いを馳せつつ、新品と同じ
状態で古い物を活かせてやれるのが私は嬉しい。
それはまるで、あえてW126を選んで大切に乗り続けるのに似ている。


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マイ・バディ

2013年06月27日 | ビリヤード


ケースだけはいいんだよ(笑

でも、出てくるキューは・・・

タッドではないタッドのようなオリジナルキュー(*゜▽゜*)


それでも案外綺麗な出来だと思うよ。

 

オレンジ色のニクイ奴(それは夕刊フジだ)。
これはジャイアンツカラーだね(笑



帰りしな、店のカウンターでマスターとしばし話した。
今は「玉屋=ビリヤード場」でビリヤードをやり始める若い人がいなくなっちゃったん
だって。

簡単・お手軽・廉価なネットカフェに行くらしい。

本格的に玉を撞きたいなら本物のビリヤード場へ。


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広島県福山市のビリヤード事情

2013年06月26日 | ビリヤード

人口10万人の三原市にはビリヤード場がない。
一番近い玉屋までは18Kmの距離がある。車でバイパス使って30分。

都内の玉屋密度と比べると地方はお寒い限りなのだが、広島県では
三原の隣りの尾道の隣りの福山市内に撞球場が多少点在している。
だが、どこも経営難で店舗閉鎖が相次いでいる。
広島に引っ越してきて15年経ったが、福山市のビリヤード事情を簡潔に
レポートする。




1.ゆう遊空間(ネットカフェ) 閉店
→黄色い看板。ネカフェなりの店だった。常連に撞球師なし。

2.Cafe-ter@
→「カフェ・テラット」と読む。友人の寺岡兄弟が経営するダーツ&プールバー。
 三原から一番近い玉屋はここである。尾道市と福山市の境にある。
 ブランズウィック2台。ダーツが盛況だ。

 この店の特筆は、食事がめちゃくちゃ美味しい。飯食うだけでも行きたい店。
 自家製の燻製などは絶品だし、定食類もかなりウマい。

 華台は穴1.8で、まあまあ渋くて良い感じ。常連にA級いる。
 よい店だが唯一の難点はチョークの手入れがゼロ。自分のチョークは必携である。


3.eas 西福山店(ネットカフェ)
→啓文社という書店が経営するネットカフェ。
 1台のみ1.8穴台があるもネカフェなので状態悪し。料金は安い。
 A級はいないと思われる。

4.Sun Cafe 松永店(ネットカフェ)
→ネットカフェ。クッションがビヨンビヨン(笑)

5.キャノンショット 閉店
→A級が集っていた昔風の玉屋。ただし台の掃除が行き届いて
 おらず、クッション下にはホコリが山積していた。

6.ビリヤードオレンジ 閉店
→地図上には掲載していないが、ビリヤード「ともしび」の近くの店。

7.G-
→「ジーボー」と読む。店名の由来はボウラードでガーター+ミスのこと。
 常連もSA~A級が多い。ブラ3台、ガリオン2台。 華台は1.9穴。オーナーとは
 長いつきあいで私はここをホームにしている。開店9年目。
マスター(共同経営者)も
 いい人だ。行けば誰かと必ず相撞きができるというのが正統派の玉屋らしい。
 事情により愛知に移住したSA級の元マスターとかどうしているだろう。いい奴
 だった。この前の都道府県対抗戦では愛知県代表で出てたみたい。
 台、ボール、チョークの手入れ等にぬかりはない。当たり前のことだが、この
 当たり前のことを出来ている玉屋が少ない。貴重な本格派の店だ。

8.ビリヤードライフ 閉店
→広い店だった。都内によくある大型ビリヤード場のような感じ。

9.ブレイクゾーン2 閉店
→元プロの吉永氏が経営していたが閉店。駅前店舗という都内にはよくある
 パターンだが、地方では駐車場がないのはきつい。流行っていたが
閉店。
 吉永氏とは気が合ったので仲良くしていた。三原の撞球会の大会にも
来てくれた。
 初めて店に行った時、「お近づきの記しに」と俺はスパッと気持ちよく店で販売していた
 キューを買った。そのキューは北海道に転勤した仕事仲間に進呈した。十分にプレー
 ユースに使えるクラスのキューだった。

 こういう付き合いというのは大切で、広島市内の店では逆に「初回から20時間撞きの
 スタンプでキューをプレゼント」という店があったので、友人と二人で土日の二日間で
 20時間を撞き切って4剣本ハギのキューをもらった。当時店のボーイさんだった人は
 現在はプロになっている。
 そのキューは自分なりにいろいろ改造して可愛がっていた。フォアアームにサインで
 Luke Landwalker と入れていた。

10.ブレイクゾーン 閉店
→吉永氏の店。吉永ジュニアの父は今はインドネシア人になった国内最強だった
 小杉プロをサポートしていた。小杉プロは「小杉出し」という得意の出し玉があり、
 5-9(ゴック)という賭け玉では効果を発揮した。私も東京時代には多用した。
 要は9をサイド倍点数狙いでの引きの箱玉のことで、手玉を次回ブレークゾーンに出す。
 この店は駅から徒歩1分という好立地だったが、駐車場がないため長時間撞く客
 にとっては難儀だった。

11.CAFE WABISABI
→不知。湯山プロの店らしい。撞球台は2台で、メインはカジノの店。

12.コットンクラブ 閉店
→1980年代テイスト満載のプール・バーだった。ちょっと気に入っていたが
 今世紀入る前頃に閉店した。

13.Billiards Gusto
→元の名称は曙ビリヤード→Sekito。
 常連客最高、店主最悪の店だった。現在は経営者が完全に代わっている。
 元の店主はTADキューの存在を知らなかった。また出鱈目な対応に泣か
 された客も多かった。俺の友人にひどいことしたので「二度と来るか」と
 店を出た。元店主は女子中学生にわいせつ行為で逮捕。

 オールドガリオン台の手入れは良かった。現在はバーコーナーもある。
 経営者も完全に代わり、店の雰囲気は現在は良い。

14.自遊空間 福山店(ネットカフェ)
→いわゆるネットカフェ。

15.珈琲屋南蔵王店 閉店
→吉永氏の店。明るい店だったが残念ながら閉店。

16.ビリヤード BIG 閉店
→映画館施設などの総合レジャーエリアの大観覧車の横に開店した店。
 テーブルが変わった台を置いていた。

17.五番街(珈琲屋)
→吉永氏の大型店。小杉プロもここで練習したりしていた。俺はハウストーナメントで
 準優勝
したことがあり、入り口に彫り込みの光る名板プレートが掲げられていた。
 バブルが
弾けた後もバブリーな店だった。俺が出た次の大会では確かルワットが
 3位に
入っていたような記憶がある。

18.ボンゾ
→周辺のシチュエーションは最高だ。坂の途中にあり、店の雰囲気もお洒落だ。
 マスターは元料理人なのでメニューの料理が美味しい。台の手入れも良い。

19.シミズビリヤード 閉店
→元々は国道沿いにあった福山の老舗。いわゆる昔風味の玉屋だが、店内の
 造りは新しかった。

20.旭ビリヤード 閉店
→ここは凄かった。戦前からやっていそうな建物、床は板張りで靴を脱いで上がる。
 店は急坂(俺のミニは腹をこすって店の敷地に入れなかった)の途中にあり、
 大雪が降ったらジープか何かでないと絶対に普通車では行けないような店
 だった。マスターは老齢のおじいちゃんで、三味線弾いたりしていた。
 昭和レトロ全開の店だった。福山市内で唯一四つ玉台が置いてあり、ときどき
 私は四つ玉を撞かせてもらった。


上記以外にも数店舗あるが割愛する。
こうやってみると、実に12店舗が閉店している。(他にも閉店はある)
ネットカフェなどのアミューズメントを除けば、本格的な玉屋は福山には
ジーボーとボンゾとガストの3店舗しか現在は存在しないことになる。
そりゃあ、経営厳しいけどビリ玉命のG-経営者で本職塾講師のダースーや
高さんも玉屋の灯を消すまいと必死なの分かるなぁ・・・。

玉台を1台置くのには約30畳が必要になる。当然、数代置くなら大空間が
用意できないとならない。しかも代金は1時間当たり一人500円前後。
夏にはクーラーも利かさないとならないし、光熱費もばかにならない。
玉屋は費用対効果が低いので、儲からない。1987年の空前のビリヤードブーム
でさえ、そのブームは1年で去り、1988年中半時点ですでにバブル後のお寒い
状態を予感させるような閑古鳥だった。1987年は狂乱ブームで、玉を撞くのに
都内では5時間待ちが当たり前の時代だった。なんだったんだ、あれは(笑
撞けなくて困ったよ。まあ、混雑なりに完全予約制の所が多かったので、
どうにか時間調整はできたが。
1988年は十分に撞けたので大いに練習できたが、性根入れたのは1987年だった。
あの頃は撞いたねぇ~・・・。玉屋から朝職場に出勤していたもんな(笑
テーブルの上で寝るんだよ。スーツのジャケットを羽織ってキューケースを枕に。
マスターはソファーで寝ていた。そういう時代だった。一年間の時間のほとんどを
玉屋で過ごした。

てか、かみさんのマンションもホームの玉屋のごくそばだったのだけどね(^-^)
お風呂と晩飯は世話になった。

「うちはホテルじゃないーっ!」とよく怒ってたっけ。
まあ、撞球師なんてのはロクデナシだよ。

ということで日記書いたので、ちょいとサクッと玉撞きに行ってくる。じゃあな。

そうそう、東京の玉屋で面白かったのは、撞球場の壁には木の板の名札を掲げる
場所が
あるんだよ。そして、自分の持ち点の所に名札が掲げられて常設している。
あれはまるで道場だね。
今は、そういう店はほとんどない。


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日本刀について思うこと

2013年06月26日 | 日本刀

刀工小林直紀康宏から数日前に電話があった。
私がある人を小林康宏師に紹介したら、ある刀屋さんの提案で直紀刀工や
工房の人たちと面談することになったらしいのだが、「大切な人が会いたいとの
ことなので宜しく」と私が直紀師に連絡したその件についてだった。
直紀師曰く「あなた(東京方言で「あぁた」と言う)からの紹介なので、あなたが困ったり、
あなたに迷惑かけたりすることは私は絶対にしない」と言い切っていた。
当初、皆さんの都合がつかなかったところ、康宏師は「私一人でもよければ、都内なら
どこにでも出向いてその方にお会いする」と言ってたし、現実的に結果としてはその紹介
した人は日曜日に無事工房の人たちや康宏試斬会の人たちとも会えたようだ。(康宏師と
当人から連絡あり)
私も康宏師に電話して御礼申し上げた。時間を作って頂いた皆さんにもよろしくお伝えください
と申し添えて。

思うに、私が小林直紀康宏と知り合って20年来、惹かれているのは、その造る刀の作刀
姿勢もさることながら、「人柄」というものも大きいと思う。康宏師は鉄を愛してやまない。
また、義を重んじる。そこには日本刀とは切っても切れない日本人としての心を感じる。


お会いしたことがない方のことについて感想を述べるのは甚だ僭越であることは承知
した上で、私はかねてよりその作刀姿勢と考え方(刀鍛冶としての思想)に惹かれている
刀工がいる。
備前長船に住する土佐の男、上田(うえた)祐定刀工だ。
「刀匠」という呼び名を煙たがり「自分は刀鍛冶である」として作家呼称を好まないのも
康宏師と同じ思想的立脚点のようだ。
上田刀工が毎日書き続けている「刀鍛冶の日々」は楽しみに拝読している。
昨日の記事が興味深く読めたので紹介したい。(無断転載ご容赦ください)

 

卸し金である。
鋼は小鍛冶である刀鍛冶が自身の作業工程の中で「育て」て行く。
鋼を生かすも殺すも鍛冶次第なのだ。
鉄に吸炭(浸炭)で炭素を吹き込み、あるいは高炭素の銑(ずく)の炭素量を
下降させて調節し、適切な「鋼」にしていくのも小鍛冶である刀鍛冶の仕事だ。
日本刀の製作は、適切な材料として「卸し金」という作業工程がひとつの重要な
キーワードのような気がする。
上田刀匠が用いる「玉鋼」という単語は、単に「日本刀の材料としての鋼」と
いう意味であり、いわゆる昭和に命名された「玉鋼」というたたら鋼のことを
指すのではないので注意が必要だ。
本来江戸期から明治までは「玉鋼」という単語は存在せず、単に「鋼」と
呼んだ。和鉄・洋鉄の区別もなく、刀の材料に使える炭素鋼をすべて「鋼」と
総称していた。
それが崩れたのは近代に入ってからで、当時農具用の低級鋼に「玉鋼」
という商品があったため、玉鋼という単語を普及させようとした当初は
旧来からの刀鍛冶たちは嫌がり「鋼」と言い続けたりしたという記録がある。
現在「玉鋼」というと日本美術刀剣保存協会の島根県のタタラ製鉄で
造られたいわゆる「日刀保玉鋼」(別称協会鋼)のことを指すが、上田刀工の
場合はご自身が自家製鉄で餅鉄を原料に吹いた鋼も「玉鋼」とあえて呼称して
いるので、日刀保の協会鋼と同名称だが、読者は明確に弁別して認識する
必要がある。
上田刀工の玉鋼呼称はオリジナリティあるもので、日刀保の玉鋼とは
呼称方法も鋼の質もまったく同じ位相にあるものではない。


私が上田刀匠の思想性に惹かれるのは、確固たるアイデンティティがある
からである。それは精神的に独立した日本人としての克己心と呼んでもよい
かもしれない。
愛国心などと呼ぶと巷間あふれる物事を一面的にしか捉えられない偏狭なニセ
右翼や民族主義者を想像しがちだが、自国への帰属意識や属性について真の
独立心を獲得
している日本人は、偏狭で偏頗な硬直した思想性は有していない。
確固たる日本の
歴史を背景にした日本人としての自立の思想が己にあるから、
ことさらに
右翼のような偏狭な民族主義を強調主張して排外主義を自演する
必要など
ひとつもないからである。
だからこそ、外国語にも精通し、外国文化のことも知悉する。国際社会の中で
自分が日本人であるという確固たる意識がある者は、ことさらに日本を偏った
観点から主張したりはしない。己に独立心と自信があればそんなことはしない。

上田刀工はご自身では「右翼ではない」とおっしゃっているが、まさに本質は
その通りであり、
憂国の士であることと巷によくいる暴力集団のような右翼とは
明らかに一線を
画するものである。
こうした確固たる独立心を備えた日本人は、一見硬直した偏狭右翼のように
見られがち
だが、内実としては全く別次元の立ち位置にいて、発想自体が柔軟で
ある。

考えてみたらそうだ。日本という国、我々の祖先は、元々この列島にあった物や
文化を保持しつつ、外来の文化や技術や物品を受容してそれを発展させてきた
民族の歴史を持つ。米や紙や火薬や製鉄技術がそうであるし、漢字や国を治めた
律令制がそうであったし、
仏教がそうである。近代にあっては、被服のみならず、
現代兵装においてもすべて洋式
である。そもそも和服自体が「呉服」と呼ばれるように
元来は外来の物を日本風に
アレンジして来た物だ。

こうしたことは日本の歴史の中で、多くの分野というか日本人そのものの背骨として
息づいてきたのであるが、日本刀という世界唯一の文化においても、元来はその
材料使用において柔軟に日本人は対応していた。
古墳時代の古代から始まり、舶載鉄や近代における洋鉄なども日本刀の材料に
用いられた。
良い物はどんどん使う、自分たちで加工してさらに良い物にする、と
いう文化は日本人
にとって抵抗なく行なって来た極めて合理的で伝統的な手法だった。

今でこそ、日本刀に関してはまるで偏狭な硬直脳のニセ右翼たちのように「日本刀の
材料は和鉄、玉鋼」などと上からの規制(規則としても考え方としても)をしようと
しているが、かなり無理がある。そうしたことを我々日本人は歴史の上でしてこなかった
からだ。洋鉄である戦艦三笠の砲身から造った刀も日本刀なのである。

むしろ、「日本の伝統」としては、外来の物さえも採り入れて飲み込み、それを自分
たちの為に活かしてきた歴史を日本は持っている。
日本人がつまらない自国唯一主義に固執するせこい了見だったらそんなことはでき
なかっただろう。
事実、日本刀の刀鍛冶は鋼を自在に加工する技術があったので、戦国から江戸期に
かけても「南蛮鉄」などの
舶載鉄も十分に活用した。
これは外国に阿ることではなく、確固たる克己心と技術の自信があればこそ成し得た
ことだったといえる。

だが、現在の日本刀を取り巻く世界では、そうした日本の歴史性や伝統を否定して
しまおうとする勢力が権力を握っている。
帝国主義を謳歌した明治から昭和まで、また一時戦況と共に極端なベクトルに振られた
昭和の日中戦争から敗戦までの一時期でさえそんな偏狭な発想は持ち得ていなかった
思われる硬直したニセ右翼脳のようなことを日本刀界は戦後から現在まで為している。
上田刀工は、日本の歴史の中で外国産の鉄を利用していたという事実をきちんと
「過去の遺物」ではなく作刀の現実として歴史事実として見据えている点、また、良質な
日本刀の製作のためには外国産の鉄鉱石(砂鉄も鉄鉱石の一種である)を使用する
ことにも着目している点において、極めて卓見であると私は思うのである。
しかし、こうしたことをズバリと本音で公言する刀鍛冶は極めて少ない。
なぜならば、ある方面から叩かれるからである。それでも言い続けると、徹底的に
排斥される。そういうケースを私は多く知っている。


それと、上田刀工とは直接は関係がないが、「軍刀」に関しては、是非とも近い将来には
登録を許可
してもらいたいものだ。
これは「美術刀剣」というカテゴリーではなくともよい。別カテゴリーを儲けてでも、
登録許可をして、大切な歴史遺産として「保存」してほしいと願う。
過日も知り合いが「きちんと鍛えられた」戦時中の刀剣を登録申請に持ち込んだら
「廃棄処分、没収」となった。
戦争中の日本刀には「美術的な価値」がある物とそうではないものが事実ある。
しかし、仮に「美術的な価値」がない物だとしても、戦争中には「くず鉄」を兵士に持た
せたり
したのだろうか。
もしそうであるなら、美術刀剣界の権威筋の刀匠先生が言った「日本刀は武器では
ない」という考えの本質こそ、逆説的に「刀は見るためだけの物」ということと繋がり、
大戦中に兵士に持たせたのは「日本刀ではなかった」ということになるではないか。
私個人は、こうした考え方こそ日本刀の発展の歴史(良くも悪くも)をないがしろにして、
日本刀を侮辱し、大戦中に戦った兵士たちを侮辱し、しいては当時の国家鎮護の
魂さえも侮辱するものだと思っている。
だから、現在の日本刀界の権威筋が主張する美術刀剣論というのはまったくもって
「過去の一時期の日本刀を否定する」という点において、その内実が「あれは刀ではない」
とする言と「これが日本刀である」という言と矛盾する。死んでいった兵士たちは
「日本刀ではない物」を持たされて死んでいったというのか。
百歩でも万歩でも譲ってもよい。
せめて、「美術刀剣」とは別の「歴史刀剣」というカテゴリーを儲けてでも、大戦中に
造られた刀たちを切断して廃棄処分にする愚行はやめて欲しいと切に私は願うの
である。

立法上の難しさはあるが、法律は時代に即して変えればよい。
ただ、日米安保および敗戦国日本と勝者アメリカの構造が存続する限りは「日本刀は
武器ではありません、美術品です」という日本側当局の戦後GHQに取った姿勢は
断固として変えないだろうなぁ。
「こちらの軍刀は武器でした。だから廃棄します。でもこちらの日本刀は大昔から美術品
であり、心の支え、象徴であったのです」という言い逃れはこの先も続くのだろう。
世界大戦というのは大きな大戦だね。
戦後70年経とうとも、姿勢を変えようとはしない。
アヘン戦争で英帝にぶんどられた香港だって155年経って返還されたが、日本は
この先もずっと米国の基地はあるだろうし、自主独立国家としては将来性も難しい
のだろうね。
(アヘン戦争により香港が英国に「永久割譲」となった時点で、英帝国主義の本質が
見える。資本主義が高度に発達して帝国主義段階に入ると、このような国際的強盗
システムを駆使しないと経済的にやっていけない。しかし、今世紀前後から、資本
主義政治システムとは別枠で擬似社会主義国家も軍事覇権主義を拡張しており、
100年200年スパンで世界情勢を見た場合、もはやマルクスの理論は完全に「古典」と
なりつつある。あれはやはり19世紀・20世紀の一時代を規定した分析だったであろう。
なぜならば、本質において、経済的下部構造が政治的上部構造を規定するということ
自体が、失敗
したモデルケースである「社会主義」国家群で崩壊してきたからだ。
下部構造の如何に拘わらず上部構造は勝手に動き出して軍事的覇権主義は台頭
する、という歴史を今我々はタイムリーに見ている)

かといって、中国朝鮮が今のような軍事大国になったから、今の日本のシステムでは
日本の中立と独立というのは軍事的にも難しくなってきた。
というか・・・考えたら、地図見たら、日本以外、日本の周りは「戦勝国」だけじゃん。
国のトップが尻尾振りのポチでもしかたないか(苦笑
トップは米に尻尾振り、野党は中朝に尻尾振る(笑
どっちにしても未来暗いなぁ・・・。
英米列強もソ連も中国も戦勝国。だけどその後には戦勝国同士で仲間割れ。
ソ連と米国、ソ連と中国。朝鮮なんて仲間割れの代理戦争で国が二分されちゃった。
そしてその後日本は元敵だった片方のお先棒担ぎ。
本当は戦勝国同士の仲間割れなんて知ったこっちゃないんだけどね。
そうは言っても、日本こそが戦争当事者だったから適当な身の振り方はできない。

ただ、日本刀に関してはこの歪んだ「捏造へつらい」を払拭しないと、本当に
現代日本刀の未来もないと思う。
日本の伝統武芸である居合や剣術の形(型ではないので注意。誤認している人多し)
稽古に真剣日本刀を「武用」として使用推進すべきだと思うよ。
現況見てみると明らかだよね。
美術刀剣主義者(現在の日本刀剣界の中心)たちは、「日本刀は見るための物です」
という主張が主軸で、伝統武芸にさえ使える日本刀を作れやしない。見せるための
技術はあっても、日本刀の本来の技術を残そうとはしていないから。
つまり、日本の伝統文化保存とはどんどん離れて行こうとしている。
武芸と密着していた日本刀、モノノフの魂としての日本刀という世界からどんどん
乖離して、日本にサヨナラをしようとしている。言葉上は「伝統」という嘘のコートを
羽織って。
だから、竹を切ったりしただけで折れ欠けする「美術刀剣」ばかり造るし、言い訳は
「刀は見るための物」となる。
形居合というエア居合でも侮ってはいけなくて、定寸の居合用の刀(結構バランスや
ナカゴの形状などが重要)を美術刀剣の刀匠たちは造れない。造らない、ではなく
造れない。技術がないの。見せかけが第一だから。1/1プラモみたいな日本刀の
模造品を造ることがまるで本旨のようにすり替えられているから。
試斬や組み太刀に耐えうる刀や居合用の刀や薙刀や槍が造れてはじめて刀鍛冶
だと私は思うけど、この私の言は間違ったこと言ってないと思うよ。

そして、現今の現代刀の需要は圧倒的に居合・試斬といった伝統武芸に供する物と
してが大多数を占める。
居合で使える刀を造れないと、絵画彫刻集めのパトロンばかりが現代日本刀愛好家
ではないから、そうそう続かない。先細りになって需要が冷え込むのは見えている。
特に景気状況にも左右される。景気が悪けりゃ刀の値段は下がって、特に美術刀は
売れなくなる。
売れなくなれば、注文は来ない。
注文来なければ、さらに刀工は価格を上げる。月産2本という規制値さえも満たせ
なくなるからだ。
しかし、価格を上げればさらに売れなくなる。
結果として注文がストップし、刀鍛冶は刀鍛冶では生活ができなくなる。
(もっとも、売れっ子だとしても、月産2本という一方的規制では暮らしてはいけない)
現代刀工は居合武用刀を造れないと生き残れないと思うよ。
それはある意味で、「武の体現」という日本刀の本質にも寄り添う方向性だと私は思う。

美術刀としての最大の存在価値は「御守り刀」というジャンルだろう。
これは、人を切ったことがある過去の刀ではなく、新規の真っ更無垢の新作刀を
娘には持たせたい。これこそ、まさに象徴的で形而上的な「心の支え」だよね。
だけど、打ち刀・脇差については武用に耐える刀を造ってもその実用に供する場を
幸いにしてわれわれ日本人は「伝統武芸」として保有しているのだから、そこで真剣
日本刀を活かさない手はない。活かせる場があるのだから。
そして、居合用の刀は、「売れる」。確実に「売れる」。注文も続けて来る。
「居合用なんて」という上から目線で馬鹿にしてるから、ボタンをかけ違えてどんどん
経済的窮地に陥るんだよ。それに、刀を造っていながら武芸を否定するのは、根本的に
心得違いをしているよ、鋼の焼き物作家先生たちは。
業界御大の吉原刀匠でさえ、兄弟で居合武術をずっと学んでいたんだよ。「刀を造る上で
必要不可欠だ」として。

先々月、生まれて初めて知覧に行った時、博物館の中で無残に切断されて展示されて
いる戦時中の軍陣刀の姿を見て涙が出た。
爆弾積んで飛んで行った彼らは、「日本刀ではない物」を持たされたのだと未来において
規定されるとは、夢にも思わなかったことだろう。
いくら英霊としてまつりあげられて「靖国」に納められても、彼ら戦士の魂はこれでは
浮かばれない。


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ナイフの切れ味

2013年06月26日 | 日本刀



Svord? Peasant??


研ぎ上げたナイフはこれくらい切れて当然だと思う。
これはコンベックス・グラインドという日本語で言えば蛤刃(はまぐりば)に
あたる研ぎにしている。ようするに日本刀やナタのような平肉をつける
硬物切り用の研ぎ方だ。
それでもこれくらいに切れる。

ただし、刃先が付く鋼(含むステンレス・スティール)でないとキンキンに
刃を立てる研ぎはできない。
残念ながら、現代日本刀の圧倒的大多数は刃先をつけられない。
砥石を当てると刃こぼれする刀が多いのである。コンクールでの見た目の
「冴え」ばかりを狙うために、温度を高く上げ過ぎて鋼に死刑宣告している
ような「刀(みたいな物)」ばかりだからだ。

和鋼は現代の特殊合金よりも強靭性において劣ることは確かなのであるが、
日本刀原料の玉鋼が「良質で最良の物」と宣伝している人たちは、その最良の
玉鋼を使った日本刀で現代特殊鋼製のナイフなどの刃物を凌駕する物を造って
ほしいと思う。

日本刀は武器だった。
どんなに権威ある刀匠先生が「武器ではなかった。心の支えだった」と強調しても、
個人の希望的発言とは無関係に、日本刀は武器だった。武器であるからこそ、
武器であるというところを超えて武人の心の支えにもなった。絵画や彫刻を携えて
戦場には赴かない。
過去の事象について、歴史的事実を捏造したり歪曲したり矮小化したり、あるいは
一面的な部分のみを取り上げて存在意義を語る権利は後世の人間にはないと
私は思っている。
日本刀は美しい。
だが、日本刀の美術性のみを抽出してそれがあたかも遠い過去からの歴史の
定式であったとする権威筋の主張は、明らかに大きな齟齬がある。
日本刀は武器であり(歴史的事実)、そして美しい(主観。ただし歴史上、美術的
にも厚く賞がんされた事実がある)というのが真実の姿だ。


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アメリカのお笑いホームドラマ

2013年06月26日 | 映画・ドラマ

Full House Moments - Danny Hustles Jesse at Pool


アメリカのドラマから。
めちゃくちゃ笑った。
完ぺきに映画『ハスラー』と『ハスラー2』のパロディである。
ハスラーとは、調子こいている相手に対して下手を装って勝負に引きずり
込んで、
賭け金をアップして巻きあげるゴト師のことをいう。ハスラーとは
英語では
ビリヤードプレーヤーのことではない。詐欺師のことだ。
ハッスルというのは頑張ることではなく、隠語では詐欺をかますことを指す。

日本語で誤用している「ハスラー」にあたる英単語は「プール・シャーク」と言う。
このドラマのこのシーンが面白いのは、設定や台詞やショットまでもが
映画『ハスラー』『ハスラー2』に出てきたものを再現しているところだ。
そして、「ミネソタ・ファッツ(ミネソタのデブ)」と言う代わりに「ミネソタ・スキニー
(ミネソタのやせっぽち)」
と言っている。
劇中、観客が笑っているのは、当然『ハスラー』と『ハスラー2』をほとんどの
人が観ているからだ。
ビリヤード・スカラーシップ(撞球奨学生)経歴の撞球師にハスラーかまされて
勝てる訳がない(苦笑


作品としては、映画『ハスラー』が特に良い。濃いよ、とても。
残念ながら公開の年は『ウエストサイドストーリー』にオスカーを持って行かれ
たが、映画としても名作と呼べるだろう。

日本人でも玉撞く人で『道頓堀川』は観ていなくても、『ハスラー』は観たこと
ない人いない・・・・てか、沢山いるか(笑
申し訳ないが、観てない人はこのホーム・ドラマのパロの面白さは解らない。
日本では巌流島の決闘のパロをドリフあたりがやったら誰でも理解できる
だろう。それと同じで、こうした米国でポピュラーなお笑いは向うでは普通に通じる。
そして、日本人の映画ファンや撞球師の中でもいろんな映画を観る人には
通じる。
「マサオ。玉撞きはバクチや。バクチや言うた筈やぞ。どけ。どかんかい。」ってね。

『道頓堀川』は映画としても、原作を逸脱し過ぎている点からも、作品性としては
失敗かもしれないが、あれはあれであんなロクデナシな話はない、というところで
あれも映画としてアリだと私は思う。
15年生きて死んだうちの犬は「小太郎」という名前にしていた。『道頓堀川』に
出てきた犬の名だ。見た目もよく似ていた。
映画『道頓堀川』に憧れて、生まれて初めて道頓堀に行った時、それらしき
ビリヤード場はなかった。
後年DVDを買って観てみたら、あの映画の屋内シーンはすべて調布のセットだった
と知って、愕然とした記憶がある。
映画『ハスラー』については、80年代末期に何百回と観たので、ほとんど台詞を
覚えている(笑
だが、俺だけがマニィのではない。俺の玉撞き仲間もまた店のマスターもそうだった。
だから、店に入った時は相棒がまず「クワィエット。」と呟く。そして俺が「ヤァ。ライク 
ア チャーチ。チャーチ オブ ザ グッド ハスラー」と言う。
さらにマスターの所に行き、「エニー テーボー?」と訊くようにしていた。
マスターはすかさず「エニー テーボー。」と答える。そこで俺が「ノー バー?」と
訊く。するとマスターは「ノー バー、ノー ピンボールマシーンズ、ノー ボゥリング
アレィズ、ジャスト プール。ナッティング エルス。ディス イズ エイムス、ミスター。」
と答えるのである。
そして俺は相方に「ディス イズ エイムス ミスター。」と呟くのである。
そこから夜が始まる(苦笑

まあ、話がマニィ(マニアックな)内容ですまん。
解る人にしか解らない。
まあ、『ハスラー2』の原題は『ザ カラー オブ マニィ』というくらいでして。



くわえ煙草は現在は厳禁だが、1980年代初期あたりまではアメリカでは平気でやってた。
エフレン・レイアスでさえ、くわえ煙草で試合をやったりしていた。


今は全世界的にくわえ煙草は禁止ですから、夜露死苦。
てか、プール(ポケット)ではやってたけど、キャロム(ビリヤード)では
禁止だったんだけどね、大昔から。
プール業界はバクチの世界だったので、行儀が悪かった。


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ザ・かみさんキュー

2013年06月25日 | ビリヤード



かみさんのキューである。
1980年代当時、女性用のキューというものはなく、背の低い女性は男性用のキューで
苦労していた。今でこそ女性用のキューというものがあるが、80年代にはなかった。
このキューは台湾製だが、シャフトを若干切り詰めてかみさんの身長に合わせている。
1980年代中期製で、先角はトビが少ないように淡路亭で柔らかい樹脂の物を着けて
もらった。安いキューだが入れは強い。
元々は、杉並の某ビリヤード場のハウスキューで、その中でタッチのよい個体を
マスターに格安で譲ってもらった物だ。


数年前、糸巻きを最高級カンガルーの革巻きに交換した。革は東京のギター仲間が
まとまった量をくれた。手触りは良い。



かみさんは素人なのにこのキューでポンポン入れていた。筋は悪くなかった。
15年前に広島に引っ越してきたばかりの時も、何回か三原の店に一緒に行ったなぁ。
赤ちゃん連れで(笑)。
プールの世界は「家族的」という雰囲気とは異なる勝負世界のような気もするが、
家族で玉撞きするのもそこそこ面白いよ。兄弟とか姉妹とかってのはいいかもな。
俺も父親と一緒に目黒で玉撞いた時は楽しかったよ。
親父はその店ではカウンターで飲む方がメインだったが、空いた玉台を横にして
「よし。腹ごなしに撞くか」と言って俺と一緒に撞いた。家族で楽しむレジャー・
ビリヤードもたまにはいいもんだ。


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街の風景

2013年06月24日 | バイク・車


広島県のとある地方都市の街の風景に溶け込むバイク。
今はもう都内ではまず見られなくなった風景だ。
都心部は歩道に停めておくのさえも全面的な駐車禁止となったからだ。
ほんの少し前までは、このように歩行者の邪魔にならないように
バイクを停めておいても問題はなかった。
1980年代の某大学の前の歩道にはなぜか建設省が「駐車禁止」のバリケードを
張っていたりしたが(笑
1980年代の某大学はバイク通学もOKだったし、狭いながらも駐輪場もあった。
バイク・サークル「井戸端会議」が学内でバイク通学許可の運動をしたから
認可されたのだ。
現在は一切バイク通学禁止となっている。
リベラルな学風かと思っていたが、世の中と一緒でつまらん大学になったもんだ。
だいたい学生が自分らのこと「生徒」と呼ぶくらいだから、「生徒」たちにも問題がある。




しかし、このRGV250ガンマ、なんだか映えるなぁ。カコイイ!
喫茶店の前に停めて、窓から街とバイクを見ながらコーヒーなんて
最高だね。もう東京ではできなくなったけど。


原宿表参道はまだいいよ。専用駐輪場が参道にできたから。
でも、都内ではバイク専用駐輪場は圧倒的に少ないし増える気配もない。
バイクが売れなくなったのは、実はバイクに乗りたい若者が減ったのではなく、
どこに行ってもバイクを停められる場所がなくなったからではなかろうか。
そのくせ、駐車禁止でバンバン警察に取り締まられるしね、今の時代。
じゃあ、どこに停めるあるか?
おせーてほしい。
たまにバイク駐輪場があったとしても、そこから数百メートル歩かないと
目的地に行けないというのでは・・・誰もバイクに乗らなくなるよなぁ。
世界中で断トツトップの性能と生産量を誇った日本のバイクだったが、現在の
日本のモーターサイクル事情は、今明らかに後進国のそれとなり果てたようです。
「箱物行政を改革する」なんて美辞麗句言ってる前に、現実的な受け皿という
設備を整えないと八方ふさがりで日本の産業がどんどん終息していくのに。
このバイク事情の最悪状態に関しては、完全に政治と行政のせいだね。
乗れない環境ならば人は乗らないし買わない。買わなければ売れないから
国内4社はどんどん生産量が下落していく。会社経営もおぼつかない。
川崎重工のように「バイク部門やめちまおうか」という企業まで出てくる。
橋下君にしたって、「俺はハーレー乗りだ」と息まいていたのに、大阪では
バイク事情を改善する行政手腕はついにみられなかったしね(笑
石原爺にしても、八丈島でロードレース開催を企画したりするくらいなら、
都内のバイク環境についてどうにか手立てを考えればよかったのに、
まったくノータッチだったし。
今、日本ではモーターサイクルではない二輪車が流行しているけど、オランダ
あたりから真剣に学ばないと、そろそろとんでもない状況になると思うよ。
日本は明らかにヨーロッパよりも80年以上は行政側のバイク(モーターと人力両方)
事情は遅れているのだから。

というか、二輪車の性能は世界最高峰であるのに、それを作っている国自体の
道路事情や環境がお寒い限りという状態なんだよな。日本はモーターリゼーションを
真剣に捉えていなかったフシがある。急激な高度経済成長化で。
今、当時のトンネルが剥げ落ちたり、ビルがオワタ状態になったりアスベストで
失敗など、いろいろな当時の膿がでてきている。
ただ、ほとんど、バイクを取り巻く環境は最悪のままで進歩しない。
世界に冠たるオートバイ立国のような日本国内で、公立高校が地方自治体と一体と
なってバイクの3ない運動やっているのだから世も末だ。
3ない運動とは「バイクの免許取らない、取らせない、バイク乗らない」というものだ。
以前からこうした法律違反の弾圧行為は私立高校においてはみられたが、以前は多少
トーンが違っていた。昔のは
「3ない運動=バイク乗らない、買わない、買わせない」
だった。免許取るのは16才以上なら誰でも取れるという法律があるので、その法律
までを犯そうとはしてなかったが、最近は法律なんて関係ないという違法行為を10代に
教育側が押しつけてくる。
教育者側がこれなのだから、これでは若者に「法律を守る」という精神が育つ訳がない。
バイク環境を見ると、この国はほとほと駄目だなというのがよく解る。
良い面も沢山あるのだけどね。災害救助とか。
だけど、ことバイクに関してはまったくボツです、日本。


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素肌感覚=体内スケール ~ 刀の長さ ~

2013年06月24日 | 日本刀



今年5月初旬に、久しぶりに切り稽古をした。
その際、初段の頃に居合や斬術で愛用していた刀を使用した。
私の中で一番愛着がある古い刀だ。
切れ味のみならず強靭性においても絶対的な信頼を置いている。

5月のその日、抜刀する時にすぐに気付いたことがある。
普段居合で使用している古刀は二尺三寸三分六厘だが、この日に使った
古刀は二尺三寸四分だ。その差は刃わたりで四厘しかない。
1厘は0.303ミリだから、差は約1.2ミリしか違わないことになる。
しかし、刀の長さというのは刃わたり数値だけでは表せない。
事実、この懐かしい古刀を抜刀・納刀した時、「普段の刀よりも長い」と
感じた。感覚的には磨り上げ前の二尺三寸六分の二代目康宏と同じ
長さに感じた。

人間の感覚というものはかなり正確だ。
例えば、レーシングマシンなどではほんの3ミリ~5ミリほどブレーキ
レバーやクラッチレバーの角度が変わっていてもすぐに察知できる。

レーサーTZ250。ステアリングとステップのポジション合わせは重要だ。


一般公道用市販車。


レーサーの場合、転倒に対処するためと、すぐにポジション合わせができるように
左右のレバーはネジをガチガチに締め込んで固定することをしない。
両手でレバーを持ってグイッとひねれば上下にじわりと動く程度の締め込みトルク
にする。
私は一般公道用の車もこのようにしていた。転倒して外圧が最初にかかるのは
レバーだからだ。ブレーキもしくはクラッチのレバーが折れたら走行不能となる。多少
曲がる程度なら操縦には支障がない。従って、レースを経験したライダーは必ず
レバーをガチガチには締め込まないセッティングにしている。
そして、自分のいつものベストポジションは自分で把握している。数ミリずれても
それが分かる。

My TZ250


刀の話に戻す。
私が短いはずの刀を使って「長いな」と体感したのは、あてずっぽうではない。
そもそも居合をやっている人間は、レーシングライダーの感覚と同じで、ほんの
数ミリの刀の長さの違いを即座に感知する。特に納刀などは自分が普段使う刀の
長さが体に染み込んでいる。
そして、私のケースでは、二尺三寸四分で「短い」はずの刀をなぜ二尺三寸六分と
同じと感じたのか。
それは、刀の刀身は「鎺(はばき)」という金具によって固定されているため、
その金具の背丈と「飲み込み」と呼ばれる凹部の深さによって事実上刀の刃の
長さが変わるということがあるからだ。

鎺(はばき)。自作。



凹部分がいわゆるノミコミである。

そして、5月初めに切り稽古した刀の鎺を見ると、通常の刀の鎺よりも6ミリほど長い。

ノミコミ部分含めて測ったら、ちょうど通常寸法の鎺に抱かれた二尺三寸六分の
二代目康宏と右手操作部分を基点としてで同じ刃わたりになるのである。
体で感じた感覚=体内スケールは正しかった。

普段居合で使っている刀の鎺。これは一般的な高さ(画像左右方向)だ。


こちらは江戸初期新刀に装着している二重鎺。これも一般的な高さだ。


よく、自分の差し料の寸法を人に言うものではないとする人もいるが、私は
一向にいとわない。
なぜならば、私は柄握りは特定個所を握らず、状況によってビリヤードのキュー
のハンドリングのように可変させるからだ。
それに今の時代に刀の切り合いはないが、仮にやりあう状況の場合、私なら
刀は長脇差だけで、メインの得物には長大な木刀を持って行く。(この手の脳内
瞑想に基づく想定は非現実的なので実にくだらないことである。刀は銃に勝て
ない。これは軍事戦闘や個人的な争闘における常識だ。刀を使った「実戦」や
「実戦的」な発想などは、現代戦とはまったく別次元の時代劇設定でのオハナシ
の類に属するコトガラである。古流剣術居合を学ぶのは、「先人の工夫」という
もっと別なことを学ぶためにある)
さらに、私は通常の際も、他の人よりも鍔からやや離れた場所を右手で握って
いる(握らないけど。柄は軽く指で押さえるだけ)ので、あまり刀身の長さは気に
しない。これは剣法における「一分の利」を十分知悉した上でのことだ。
私の場合、柄握りの変則的な位置により、実質的な刀の長さは二尺四寸超えの
人と同じ程度の間合いが通常時でも取れている。(切りにおいて右手が鍔に触れる
ことはまったくない)。私は普通の人よりも巻き菱ひとつ分くらい下を持っているの
ではなかろうか。可変の手の内を多用するため、居合用の真剣の柄の目貫は
表裏とも中央にセットしてある。
さらに、両手切りの際には、間合いによって右手を左手近くにやや寄せたりもする。
ある人が私の刀の振りを見て「刀が長く見えたり短く見えたりする」と言ったが、よく
見ていると思う。(エア居合の場合、間合いが近過ぎると指導を受けることがよく
ある。これは、二刀目を近間で切り過ぎる私の悪い癖で、その業の理合に合致して
いないとの指摘だろう。モノウチで切ろうとするとどうしても刀身中央部分で切り
下げる悪癖がついている。一刀目の場合は間合いが取れているので、二刀目が
近過ぎるのはまさに悪癖だろう。未熟である)

刀の柄は長い。両手握りの際に一ヶ所に固定して刀を操作するという固着した
発想はやめたほうがよい。「刀法」の領域を狭めるからだ。タツノクチなどの基本は
あるにせよ、何事も「臨機応変」だ。
刀など重くとも軽くとも振り下ろして水平に止めることなど容易だ。力を使わな
ければよい。切った直後に慣性を抜重減衰させるのだ。力でなどでは止まらない。
こればかりは言葉で言っても理解も体得もできないと思う。
理論だけ理解しても実現できない領域のことだからだ。
こういう「感覚」が大切なのだろう。
数ミリほど位置がずれていただけで人間というものは感知できるのだから。
昨日「宝塚記念」でゴールドシップに騎乗して感動的な復活優勝を遂げた内田騎手が
「馬も人間も生き物だ。ロボットではない。どうやって折り合っていくかだ」と述べていた。
その通りだと思う。
武術やロードレースやスポーツ等、「技術」を要するものについては、人間には
人間の特性に合った技術体系とプロセスを深く理解していく必要があると私は
思う。
「こういうものだ」という固着概念は捨てるに限る、と私は思うのである。


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ハギ ~ ビリヤード・キュー職人の技術 ~

2013年06月23日 | ビリヤード

本ハギでないインレイハギといっても、かなりの手間と相当な技術が
ないとできないと思うよ。

べニアとハギの製作工程






























バット部分のフォアアームのブランクが完成。
これからさらに吊ってずっと寝かせて乾燥させる。

気が遠くなる。
シャフトだけでも、製材されて最低10年以上乾燥されたハード・メイプルを
少しずつ削っては寝かしを繰り返し10ヶ月くらいかけて作る。
誂え物の高級家具のように手間と時間がかかっているのではなかろうか。


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タッド・コハラ

2013年06月23日 | 文学・歴史・文化

Aca Hall Of Fame Award Tad Kohara


タッド・コハラが一昨年前にキューメーカーの殿堂入りを果たした。
現在は高齢で歩けなくなって車椅子での移動だが、まだ元気だ。
タッド・コハラは間違いなく歴史に名を残したキュー職人といえる。



オヤジ、いい顔している。
娘さんから「お父さん、笑って」と言われてもはにかむだけのオヤジ。

これはオヤジが作ったタッド・キュー。1995年頃の作か。


2年前リフィニッシュされて戻ってきたばかりの時の写真。
今も状態はこの時の輝きを保っている。








オヤジが作ったこのキューは、愛刀と同じく、私の宝物である。
カスタムキューは作者の顔が見えるのが良い。
プレーする時には、精魂込めてこれを作った作者と共にある、
という感慨がある。
これは日本刀にとてもよく似た感覚だ。
作品には作者の心が映し出されている。
カスタムキューと日本刀は本当によく似ている。


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