渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

1978 TBCビッグロードレース Kenny Roberts / Christian Sarron

2016年07月23日 | スポーツ・武道など

1978 TBCビッグロードレース Kenny Roberts / Christian Sarron


とんでもなく貴重な映像。
1978年の菅生サーキットでのTBCビッグロードレースだ。
海外の世界GP選手が日本にやって来た記念すべきレース
の映像である。タイトルとは無縁のYAMAHAを中心とした
エキジビションレースだが、国際レースであることが貴重である。
そして、なによりも、安全性への配慮から、このレースは押しがけ
スタートではなくエンジンスタートにしている。
世界GPでは、1986年に平忠彦選手が押しがけスタートで重大な
事故を起こしたため、翌1987年からエンジンスタートが導入された。
ヤマハTBCロードレースはその9年も前にすでに押しがけスタート
をレースで廃止していたのである。そうしたことも判る貴重な映像
といえる。


ヤマハの金谷秀夫さんは世界GP500ccでランキングトップで
確実に日本人初の500ccでの世界チャンピオンになる男だった。
日本国内では圧倒的な速さで敵なし。世界戦に挑戦した1972年
の西ドイツGPでは初参戦初優勝の快挙を成した。1975年には
イタリアのアゴスチーニのサポートとしてWGPの500ccと350cc
に参戦し、第2戦オーストリアGPでは500ccと350ccで優勝した。
第5戦が終わった時点で金谷はランキングトップで、このまま行けば
日本人初の世界チャンピオンが誕生する予定だった。
しかし、ヤマハは何故か突然金谷のWGP参加を中止し帰国させた。
ワークス第一席のアゴスチーニより速いことが問題で、アゴスチー
ニをチャンピオンにさせるため金谷を下したとの噂が流れた。
結局5戦しか戦わなかったが、金谷は1975年の世界ランキング
3位となった。だが、それ以降、世界GPへの参戦はせず、ワークス
マシンの開発者となっている。
その後日本人チャンピオンは何人か出たが、最高峰500ccおよび
MOTO GPクラスではチャンピオンは出ていない。ロードレースの
歴史の中でもっとも速かった日本のライダーはというと、間違いなく
金谷氏
その人だ。世界の中でも突き抜けていた。金谷さんは「世界
の金谷」と呼ばれていた。
当時、日本人ライダーで世界を狙える人は何人かいたが、いろいろ
な障壁があり、ワークスライダーとしては世界戦にフル参戦して世界
チャンピオンを狙うことができなかった。国内選手権でもワークスマシン
にはポイントを与えないというレギュレーションだった。これでは世界
戦をメーカーという企業のバックアップで戦う土壌はできない。世界戦
への切符は、インターレースでの成績が大きな評定となるからだ。
ゆえに、片山敬済氏はワークスではなくプライベーターとして強引に
世界戦に参戦し、1977年に350ccと250ccのダブルエントリーでは
350ccで世界チャンピオンになるという記録を作った。
プライベーターが世界王者になるということは、片山氏以降はどの
クラスにおいても実現していない。世界チャンピオン片山氏も金谷
さんをとても慕っていた。金谷さんはただ世界一速いだけでなく、
気取らないざっくばらんとした人柄も多くの人から愛されていた。

金谷さんは2013年12月に惜しまれながら病没した。
金谷秀夫(かなやひでお)。1945年2月13日兵庫県神戸市生まれ。
2013年12月19日永眠。まだ68歳だった。

1973年


晩年の金谷さん





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邦画「トップドック」

2016年07月23日 | スポーツ・武道など

邦画「トップドック」(1987)


1983年、1985年の天才世界チャンピオン、フレディ・
スペンサー(No.19)が悩んだ1987年。

スウェーデングランプリ500ccの予選結果がこれである。


アメリカ、イギリス、オーストラリア。圧倒的に英語圏のライダー
が世界グランプリを席巻したのが1980年代
だった。
元々はイタリア人と英国人が速かったが、イタリアンが最高峰
クラスでの活躍に復帰するのは1990年代に入ってからだった。
日本人では80年代中盤は平忠彦選手が一人気を吐いていた。
ただ、気になるのは、ロスマンズホンダのワークスサポートを
受けていたはずのフレディ・スペンサーだが、この1987年の
マシンカラーは赤白テラカラーのインターカラーであることだ。

No.19フレディ・スペンサーとNo.21平忠彦

スタート直前にライダーが腕を組むのは威張るためではない。
ダランと力を抜いてスタートでの瞬発力に備えているのだ。

平選手の奥さんか?


奥さんか?


平選手がどん底から復活して3位に入り、喜んでピョンピョン跳ねてる。かわい(^。^)




映画でカメラがこれだけ寄るというのは、平選手の奥さんでしょうね。



だが・・・。



No.19フレディ・スペンサーのホンダNSRおよびTカー


このフレディのカラーリングはなぜそうだったのか記憶にない。
1983年や1984、1985年のような「フレディの為だけのマシン」
ではない車だったのだろうか。
1985年の500ccと250ccのダブルタイトルを獲得したフレディ
の車は、彼の為だけに作られたスペシャルマシンだった。
特に85年の彼の250ccマシンは、レギュレーションの関係から
ワークス名称のNSRという名は呼称せずに市販レーサーのRSを
冠したRS250RWという名称だったが、実質はホンダのスペシャル
ワークスマシンといえる車だった。

開発費まで含めて、これ1台3億円といわれていた。
シーズン途中でもどんどん仕様は進化させていた。

なぜ1980年代~1990年代の世界グランプリシーンが面白かったか。
とりわけ1980年代がなぜあそこまで熱かったか。
それはレーシングライダーのモチベーションもさることながら、
マシンの戦闘力を究極まで開発することができる環境があったからだ
と私は思う。
そして、一般市販車はともかく、レースという競争の世界では、
間違いなく世界一軽くて早くて安全な車は2ストロークエンジンを
搭載したマシンだった。
2ストロークエンジンは技術的に理論上の方程式が導き出せず、トライ・
アンド・エラーで開発への挑戦と技術の蓄積が重要だった。
無限の可能性が広がっているのが2ストロークエンジンだった。
米国が主導して2ストロークエンジンを地球上から消滅させようと
1970年代中期に圧力をかけたが、それをモータースポーツの世界で
力技でねじ伏せて、以降四半世紀にわたって2ストローク車を時代の
表顔にさせたのは、何を隠そう日本の二輪メーカーだった。

本当は2ストロークエンジンでも十分に現行の環境排ガス規制に対応
できる車は発売できるのだ。
ただ、環境基準をクリアさせるだけの開発費を投じることが不能に
なってきているので、それを日本メーカーが実行しないだけである。
何も4ストロークが地球環境に適合しており、2ストロークが公害車
であるということではない。(ここ大切)
それは「ディーゼル車は公害車」というキャンペーンにも似ている。
実際のところは大気汚染と温暖化の問題にしても、ディーゼルが地球
環境に悪影響を及ぼし、ガソリン車が良好だという単純な図式では
ない。軽油燃料を主とするディーゼルのほうが計測基準の目を別に
すれば環境に対しクリーンであることもある。
「ディーゼル=悪」という図式は、それが虚構であることを示すように
物流作業車であるトラックを全面排除する訳にいかないことからメーカー
も排ガス規制をクリアする開発費を投じてシャシNo.もポスト新長期、
ポストポスト新長期の車を開発発表できている。現実に規制をクリア
できることを自ら証明している。(しかし規制は今後も米国主導で
さらに強められる。それは何故か)
2スト排除の方式が貫徹されてしまったのは、産業車両として2スト
エンジン搭載車の二輪車が存在していなかったからというだけのこと
であり、ディーゼルエンジン四輪車の規制とそれへの対応とは異なる
図式が展開されただけのことだ。
極言するならば、本質的に石油を燃焼させる内燃機関は、地球環境に
対してどれもが良い影響を与えはしない。
水素にしても、これもかなり欺瞞的で、燃料としての水素を作り出す
にあたってどれだけの石油を必要とすることか。
完全なるソーラーカーあたりが実用化されない限り、内燃機関搭載の
車両は大なり小なり地球環境には悪影響を与えている。
着目すべきは、「どのような外的圧力によってそうした規制が何の為
に何度も敷かれているのか」というその世界規模の政治的カラクリ
についてだ。
だが、ここを突くモータージャーナリストはいない。理由はポチで
なくなるとオマンマ食い上げだからだ(それだけ産業経済界から
圧力がかかる)。
ゆえに、モーターリゼーションに携わる関係者において、真のジャー
ナリズムに自らを投じる者は少なくとも日本にはいない。大本営発表
に追従するモノカキたちがジャーナリストを自称しているのが日本
国内の自動車産業周辺の現状なのである。

世界の趨勢は米国主導で作られている。京都議定書に調印しないような
国によってだ。
本当は「地球環境のため」でない力が大きく世界のモーター産業に
働いていることが容易に見て取れる。
しかし、裸の王様が裸であることを言ってはならないという不文律
が不動のパワーとしてこの国を牛耳っている。

私は、恣意的に造り上げられた欺瞞に満ちた「エコ」を信じない。
「クリーンエネルギー」キャンペーンにガッポシとかつて我々は
騙されたことを日本人はもっと胸に手をあてて思い出すべきでは
なかろうか。


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修心流居合術兵法 中国北京支部道場稽古の段

2016年07月19日 | スポーツ・武道など

修心流居合術兵法 中国北京支部道場 五輪館 町井勲館長直伝講習


木刀が数本折れたそうだ。
別流派の人の話でも、太刀打稽古で木刀が折れることは
よくあるらしい。

それと動画を見ていてふと思ったが、抜刀からの太刀打
稽古というものは古流流派においても袋しないなどでは
行なわれていない。
抜刀には「鞘の理」があるので、真剣程ではないにしろ
抜刀技術が効果的に行使できる薄い刀剣状の竹刀(あるい
は竹に代わる新素材)が発明されたら非常に便利なのでは
なかろうか
と思う。
江戸初期の袋しないと幕末の竹材四分割竹刀の考案は、実際
対人斬撃稽古に革命をもたらしたが、さらに未来の展望と
しては、抜刀納刀が可能な鞘木刀よりも精巧な打突用具が
開発できないものだろうかと、ふと個人的には思う。安全
かつ精巧な稽古武具として。


なお、袋しないおよび幕末=現行竹刀や鞘付木刀を使っての
稽古では
小剣を帯びることはしない。剣道においても、古流
居合や剣術の形稽古や太刀打稽古においても。
それは、稽古だから当然だ。
居合も真剣を使用している場合
にあっても、稽古なので一刀のみを帯びる。
居合剣法においては、
着る物も稽古着を着る。通常の江戸期の
武士の登城勤務の服装で居合や
剣術の稽古などはしない。
一刀帯びも当然にしてさることながら、稽古は稽古仕様となる。
登城勤務のフォーマルウェアと稽古装束や装具を混同しては
歴史を読み違えると私個人は感じている。



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槍の伝道師

2016年07月12日 | スポーツ・武道など

槍の伝道師

2013/08/19 に公開
今から約450年前、奈良 興福寺の子院である宝蔵院の僧、

胤栄(いんえい)氏が始めた"宝蔵院流槍術"。 ドイツ人の
"ゼーベック"さんは、この古武道を学び、母国で道場まで開設。
 宝蔵院流槍術の魅力を語ってもらいました。

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抜重メソッド ~刀法~

2016年07月08日 | スポーツ・武道など




斬り終えた段階から一切刀身は動いていない。
刀の「止め」は、サーキットでレーシングバイクを駆る時に直線の
後の第一コーナー突っ込みでフルブレーキングをしながらGを抜く
「抜重」に似ている。レースでも公道でもフルブレーキングの際には
ステアリングに体重が一切かからないように抜重させる。
刀法におけるこの援用を私は「抜重メソッド」と呼んでいる。

何故、勢いよく振った刀が止まるのか。
それは力技で刀を振っていないからだ。
力を抜いているのではない。慣性力をどう処理するかという
「抜重メソッド」を使っているから刀身が任意の位置で止まる。
この「抜重メソッド」は非常に効果的で、それについて
詳細に私がメソッドの理屈と方法を解説したデジタルデータ
がある。
それを読んだ人は一様に「!」となるようだ。
特に刀法を知っている人ほどそうなる。
そして、私の「抜重メソッド」を導入すると、ビタリと刀身は
止まる。敵に対し隙は作らない。
いくら腕力や筋力で勢いのついた刀身を止めようとしても無理
なのである。

人差し指一本で寺の鐘楼の釣り鐘を振り子のように揺らすことが
できる。
それの原理に近い、物理法則を援用させたものが「抜重メソッド」
なのである。
実は居合剣士などの練達の士は、無意識のうちにこのメソッドを
使って刀身をビタリ!と止めている。一切力は使っておらず、肘
にも何らの負担もかからない。

ただし、刀法の物理原則に暗いうちの修業年限が浅い人たちは
「力技」という物に頼ろうとする大外外しの道に踏み間違えて
進もうとしてしまう危険をはらんでいる。
力技を専らとするのであれば、武器などを使用するファイティング
ノウハウは成立しないし、無視される。力の弱い者でも力の強い
者に勝てるというのが武器の武器たる所以である。
そして、武器もどの武器が強力かという単純なことではない。
これは巨人兵であるゴリアテに対峙して勝利したダビデがゴリアテに
対し言った言葉「お前は剣と槍を頼りに戦うが、私はお前がなぶった
イスラエルの戦列の神、万軍の主の名を頼りに戦う。戦いは剣と槍の
力で決するものではないことを人々は知ることになるだろう。これは
イスラエルの神の戦いである」(「旧約聖書」第一サムエル記17章)
が顕著な教訓として思い出せる。
しかし、武器を使用する用法は弱者に戦闘力を付与させるためにも
あるという一面は絶対に武器成立論として否定できない。
ダビデとて、たった一つの石を巧みに投石する技なくばゴリアテを
倒せなかっただろうし、ゴリアテが昏倒した後には、ダビデはゴリ
アテの剣にてゴリアテの首を刎ねている。

そして、剣戟とはこん棒でぶん殴る事ではない。薄い鋼の戦闘刃物
である日本刀を縦横無尽に駆使する争闘方法が剣法であり、技法と
しては、斬術においては刀法が軸となって体術と心法がそれに合体
して「術」が発揮される。
一般的に居合剣法総体の主軸は体術であり、それに居合剣術と居合
斬術が三位一体となって居合剣法を構成している(まさに合体。
鼎立ではない)と捉えるのが私の流儀「早月(さつき)流」(笑)の思想
であるが、斬術においては操刀法の未達は剣戟において致命的に
なるという現実が真面目な話、ある。
そのマイナス要素を払拭させるための一つが「力を使わないで斬る」
という刀術の主眼を実現させることであり(抜重は脱力ではないの
で要注意。また、日本刀は力を使うと切れない)、刀身の切先は
斬り終えた後も明後日の方向を向いたりして隙を作ることがない
ようにする。
そのためには斬撃の後に刀身をビタリと任意の位置に自在に止める
技術が必要だ。
その刀身の制御を自在に行なうのが「抜重メソッド」なのである。
なお、「抜重メソッド」は物理的な理論に基づいており、「脱力
メソッド」ではない。


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操刀法

2016年07月05日 | スポーツ・武道など



きちんとした操作をしないと、射撃の際のフリンチングと同じ現象が
日本刀にも起きる。
結果、まったく切れない。
ではどうするか。どのような用法が操刀法では適切なのか。
今まで一般的に「正しい」とされてきた操作法には、多くの非現実的
な用法も含まれていることもある。
では、「正しい」とは何か。
それは、適切な結果が得られる方法であることだ。
刀法におけるフリンチングの防止とはいかなるものなのか。

お考えください。


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柳生新陰流を学ぶ

2016年07月02日 | スポーツ・武道など

柳生新陰流を学ぶ


再掲。
土佐居合系とは異なる身体・操刀の運用が多いが、とても
勉強になる。

「皆さんが本当の新陰流をこれから後世に残してもらおうと
思います」という先生の言葉が心にしみる。
柳生の教えを現代に伝える。本物の柳生の剣。
学ぶことは多い。

ただし、私もそうだったが、非常に困ることも出てくる。

私の剣友は、私と同じ林崎系の居合と古流某剣術を併習
しているが、運刀や操刀理論がまるで異なる流派理論同士
なので、かなり混同困惑するという。柄の手の在り方から
して異なる。
私の場合も、自分の昔の足さばきの画像や動画を見ると、
英信流の稽古や演武の時もやはり英信流ではない足さばき
となっていることが多い。(足の親指が上がっている等)
自派しか知らないことの偏狭とは別に、複数流派研修は別
な意味で弊害が出てくる面もあるように私自身は思える。

だが、本物に触れることは、そこから必ずや武術として
得るものがあると私は思う。



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刀の差し位置

2016年07月02日 | スポーツ・武道など

5年ほど前になるだろうか、かなり前にしばらくアップしていて、
思うところあり最近取り下げて
いた記事を以下再アップする。
どうせどんなことしても悪用する者は悪用するのだし、それならば
公開して少しでも心ある剣士の方々に、日本刀についての「技法に
関する作法」として江戸期から伝承された本物の武家様式の一端を
知ってもらったほうがよいと判断したからである。
また、最近多くの方々から居合技法や作法について結構問合せ連絡を
頂いており、都度個別に技法や作法についてご説明していたのだが、
一気にマスプロ的に公開したほうがより多くの方の参考になると思い、
過去記事を再投稿することにした。


(以下、過去記事再掲載)

古流無双直伝英信流と全剣連居合の場合、帯刀した際の柄頭
の位置が
異なります。
私は、古流居合と全剣連居合を両方抜く場合は、この位置に
差します。




これは「鍔をへそ前に」という全剣連の帯刀規定と英信流古流の差し
方の
折衷タイプとしてこうしているのです。
なぜならば、全剣連剣士の場合、演武では「古流○本+制定居合○本」と
いうことが多く、一々刀を両方の差し位置に戻すことは武術的には
「無駄」な動きになるからです。違反とはならない互いの公約数的
交差点があるならば、その交差点に立つのが合理的であり妥当性を
有すると私は判断しています。

全剣連の規定は「鍔のどの部分をへそ前か」ということは規定して
いません。
大刀の鍔の直径は横方向におよそ70ミリ~80ミリほどです。つまり
7センチほどの横方向への幅がある。かなり大きい。

「鍔の中心をへそ前に」と規定されていない限り、鍔の端がへそ前でも
規定違反にはならない。
この画像の私の差し方では古流英信流の抜きつけ「鳥刺し」もできるし、
全剣連の「鞘なり」の抜きつけもできます。どちらも無駄なオーバーアク
ション
を最小限に抑えることができるのです。
鍔の位置によっては、古流英信流を抜こうとする場合、一度柄を左外に
振らないと正規の英信流抜きつけにならない場合があるので、注意が
必要になります。
江戸期には平時には大小二本を差したので、大刀は脇差との干渉を避け
るために「前半(まえはん)」で差す必要がありました。一本差しの
現代居合よりはかなり大刀が前に出る形になります。帯からの距離、
栗形と帯の間に一拳半ほどが英信流居合の目安ですが、「昔はもっと
出した」と私は師匠の師匠から直に習いました。昔の幕府法律で定め
られた刀は短かったこともあるでしょうが、両刀差しの武士たちは鞘の
半分=中央部近くまで大刀を前に出して差したのでした。これは現在でも
新陰流においても伝承されており、半分近くまで出すから「前半」と
江戸期から呼ばれていたのです。


土佐居合の英信流と全剣連制定居合の大刀の差し方の違いは以下。


なお、私が大小二刀を帯びる場合はこんな感じ。

(大刀の下げ緒は短い物を鞘掛けして後ろに垂らしているのみ)
ただし、全剣連では一本差し居合規定なので、この両刀帯びで演武する
ことは
ありません。江戸期も一般稽古は大刀一本差しでの稽古でした。
これは防具稽古が竹刀一本であることと同じです。稽古は稽古。
江戸期においてもそもそもが登城差しで居合の稽古などはしないのと
同義にあります。稽古着が筒袖(つつそで/つっぽ)であるのも、
袖付の場合には必ず襷掛けをした江戸期の着装から派生したもので、
実用的な面で江戸期の防具稽古などに採用されたことからきています。
留め袖を着ての稽古では襷を掛けるのが江戸期様式でした。


このままでは脇差が邪魔になって柄に右手がかけられないのですが、
それゆえ土佐居合では「柄がかりは下から」という教えがあるのです。
斬り合いをする場合は、脇差の柄頭を上にあげて落とし差しにするか、
思いっきり脇差刀身を水平にして柄頭を右方向に持って行くと(旗本に
多かった差し方)、大刀を自在に振っても邪魔にならない。中途半端
が一番干渉します。脇差の柄は真っ平ら右向きか真上かのどちらかに
します。
私の場合は二本差しでの大刀刀法の前には脇差を落とし差しにして
脇差の柄を腹から胸に当たるくらいに位置決めすることもあります。
特に長脇差などの場合はそうします。
この方法は林邦史朗先生から解説ビデオが発売される以前に直に教えて
いただいた林流真剣刀法のやり方ですが、これは実に実用的で、この
大小の位置関係だと大刀操作で一切脇差が干渉しない。実際にやってみる
とかなり有効な差し方であることが判ります。
なお両刀差しには江戸期からの伝承では「大小違え差し」等々いくつか
の帯刀方法がありますが、ここでは割愛します。


正面からの私の帯刀画像を全剣連英信流の人に見せて、「英信流と
全剣連の
どちらの定めにも外れない位置で、ミックスなのわかる?」
と尋ねたら、
「わかるわけない」との返事が来た。
オッケー(笑)。

刀の差し方には深い意味があります。なぜならば、差すのは抜くためでも
あるから。抜かないに越したことはないのですが。
英信流の抜刀の要諦は「トリサシ」、これに尽きます。
鞘なりに抜いたら柄頭が右方向に行くようには帯刀しないのが古流無双
直伝英信流、土佐居合の帯刀方法であり、抜刀方向との兼ね合いを考慮
した刀の帯び方なのです。
柄頭が相手の目線方向に真っ直ぐに進行するのが「トリサシ」ですので、
極めて合理的な武技用法に基づく帯刀法であったわけです。

鳥刺しの原理


竿の先に着けたトリモチを使って鳥を捕獲するとき、竿を横に振って
しまうと竿の横面が見えて鳥に察知され逃げられてしまう。

モリで突くように一直線にスーッと突けば、鳥にはモチしか見えず
容易に捕捉できる。
この前面投影面積を最小限に抑える原理は、土佐居合の居合抜刀術
の要諦でもある。敵に間合いを計らせないまま刀の
柄頭と敵を結ぶ
ラインから外れないように、柄頭を敵の方向に
向けた軌道で刀を抜刀
しながら最短距離で切るのが土佐居合の
基本中の基本だ。袈裟に抜き
打ちで切り下ろす時は、敵の目を
柄頭で攻めながら抜き打ちし、横払
いのときは柄で押すよう
に最短距離で抜刀しながら切る。
横に刀を振ってから勢いをつけて横抜き抜刀するのは居合の本旨から
は外れる。また、一度抜刀してから切先を後ろに振って勢いをつける
ような刀法は居合でも「抜きつけ」でもない。土佐居合は「抜きなが
ら切る」のである。


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2004年型 ヤマハ YZR-M1

2016年07月01日 | スポーツ・武道など



2004年型ヤマハYZR-M1。
人間の英知を感じさせるとてつもない発想が投入された

エンジンを搭載している。
詳しくはこちら ⇒ ビッグバン仮説
解説がたいへん興味深く、とても面白い。
非常に解りやすい平易な文章表現も秀逸だし、説得力の
ある仮説だ。
そして、私がこの人の思考方法に惹かれるのは、常に視座
には「人」が介在しているからだ。人間不在のところで
自論を展開する手法は採らない。

人はヒトであるがゆえオートバイに乗る。
そして腕を磨いて人と駆けっこで腕比べをする。
まさにヒューマン・イノベーションを追求する。
ビバ!ピュアスポーツ!モーターサイクルロードレース。
素晴らしい。





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1983年全日本ロードレース選手権第7戦筑波ノービス125決勝

2016年07月01日 | スポーツ・武道など

1983年全日本ロードレース選手権第7戦筑波ノービス125決勝

2016/05/29 に公開

1983年6月26日に開催された全日本ロードレース選手権
シリーズ第7戦 筑波ロードレース大会 ノービス125の決勝
レースの模様です。

これは懐かしい。
後に国際A級になった高校の時のクラスメートが走っている。
私はこの時はピットではなく観客席にいた。
このレースの一カ月程前、GPクラスのレーサーではなく市販車
改造クラスのF3マシンを2台ここ筑波に持ちこんでテストした。
F3マシンがGPマシンよりもたまに速くなるという現象が起きる
のは1985年あたりからだ。それまでは圧倒的にGPマシンのほうが
速かった。


1983年シリーズではこのビデオも面白かった。
平忠彦選手だけでなく、250cc日本チャンピオンだった福田照男
選手も転んでいる。ここでも転倒車回避でクラスメートが映って
いる(笑)。あいつ、うまいこと棚ぼたでポンポンとポイント
取って国際A級になったんだよなぁ。激戦時代に。俺はノービス
で埋もれて沈んだが。奴は後にイギリスのマン島を走った。
1983年全日本ロードレース選手権シリーズ ザ・転倒



こちらはよそ様の動画だが、1983年当時のサーキットパドックの
様子がよくわかる動画。こんな感じだった。カストロオイルが焼けた
パンケーキの香りがサーキットには漂っていた。甘く美味しそうな
匂いだ。不思議なことに国道17号線志村坂上は同じ匂いがした。
つか、よそ様の動画だけど、向こうのほうに俺映ってるし(笑)。

市販レーサー ヤマハTZ250('81年&'83年製)

2013/10/20 に公開

1983年 筑波サーキット スポーツ走行の映像(2月27日)
チーム・ロードテクニック 3台のヤマハTZ250(1台は新車)
今回のスポーツ走行はエンジンならし ベータビデオカメラで撮影

これは最近撮影されたヤマハTZ250のオンボードカメラ。
流しているだけなのでスポーツ走行のナラシ運転かセッティング出し
の試しかなにかだと思う。
Team Razee Rider on board TZ250 at Thompson Speedway


ヤマハ市販レーサーTZ250が本当の意味での純レーサーに
なったのは1981年のクランク専用設計とエンジン新設計から。
それまではレーサーとはいっても、市販ロードモデルと共通
パーツが多かった。純粋レーサーとしてヤマハTZ250が格段に
進化したのは世界戦で350ccが廃止されることが決まった1981年
からである。
そして、世界グランプリのGPクラスのカテゴリーは50ccや80cc
も廃止され、125cc、250cc、500ccの3種に再編統合され、
これが20年後のMOTO GPまで継続する。
西暦2000年あたりまで続いたモーターサイクル・ロードレースの
地球規模での黄金期の開始は1981年だった。
あの20年間のマシンの進化速度と人々の熱気は、もう二度と蘇ら
ないだろう。今のレースはエコを競うレースだからだ。一応速度
は競うが、車の耐久性などを競うレースとなってしまった。
速度と安全性について無限の進化を目指す、ということを時代は
許さなくなってしまった。


ただ、今は電子機器が発達して簡単にオンボード撮影ができるよう
になった
からいいよね。
1980年代はロケット砲のようなカメラしかなかったので、オンボード
撮影などは稀有だった。カメラ積むと伏せれないし(笑)。

直線ではこれくらい伏せるから。
ポジションセットは伏せ状態でポジションを調整する。

おれ

1977年350cc世界チャンピオン片山敬済さん。ポジション合わせはかなり大切。





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2016年全日本ロードレース開幕戦筑波大会

2016年06月30日 | スポーツ・武道など

2016年全日本ロードレース開幕戦筑波大会
ポールポジション:中山真太郎選手。

レーシングライダー本人の解説付き筑波選手権。
めっちゃ面白いです。


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宝塚は女性歌劇団

2016年06月27日 | スポーツ・武道など



♪マリア~(ウエストサイドストーリーより)

だから、宝塚なんだから女の子買っとけというんだよな。
女の子買ったらダメだけど、勝ち馬投票券牝馬入れとけって(笑

2016年宝塚記念のレース結果は、マリアライト(海老名)-
ドゥラメンテ(デムーロ)-キタサンブラック(武豊)だった。
キタサンブラックはご存知の通り北島三郎先生の馬ね。


私は、ドゥラメンテ(デムーロ)-キタサンブラック(武豊)-
ステファノス(戸崎)と選んだが、家内の予想は違った。
(私は熱烈戸崎ファンです。地方競馬から中央に転身して
中央競馬を席巻という経歴がすごく好き)

結果、買ってたとしたら家内は全スカ、私は3000円買って▲500円
という結果だった。(ヒヨって三連複ね)

「買っていれば」というのは、実は家の近所に出来たばかりの
場外馬券場に馬券買いに行ったら、なんだかほのぼのしてるの
よね。場内が。ほえ~、ここは雰囲気いいねぇ、牧歌的、とか
思ったのよ。

そうしたら、地方競馬しか扱っていない場所だったというオチ(笑)。
(田舎は20km圏内は近所と言います。ま、東京虎ノ門から横浜鶴見
あたりまで?それくらいは「ほんのすぐそこ」という感覚です)


家内は東京時代にゼネコンに勤めていた時以来の競馬ファンだ。
前職では、社内の新年会は正装して、社長が持つ馬が出走する
金杯にVIP席で観戦するのが年始の行事だったそうだ。
家内は一切馬券を買わないが、テレビの競馬中継は毎週土日に
かじりつきで
観ている(笑)。
かみさん、競馬に異様に詳しい(笑)。

私は2009年、第48回宝塚記念でアドマイヤムーン(岩田)-
メイショウサムソン(石橋)-ポップロック(武豊)をドカンと
男は根性!の三連単1000円、馬連1000円買って187,500円取って
以降
ドーンと来たのはなかったので(てか買ってない)、久しぶりに
馬券買おうかと(家内は20数年
ぶり)いうことで私が場外馬券売り場
まで行ったのだった。
地方競馬専門の場外売り場と知らずに(笑)。
結局ですね、田舎なので、広島市内か高速道路と瀬戸大橋渡って
高松市内まで行かなければ馬券売り場で中央競馬の馬券は買えない
という環境なのよ。
都内ならばあちこちに場外馬券売り場はあったのだけどね。
府中も大井もあったしよ~。浦和も船橋も。
馬券は買っても3000円までと決めているが、第57回東京優駿=日本
ダービー(1990年)はアイネスフウジン中野は期待を裏切らなかった。
まさに蘇る汚れた英雄だった。
競馬場で北野アキオコールならぬ中野コールが起きた。
あれは当然映画『汚れた英雄』のアキオコールを8年後に真似た自然
発生的なものだったのだが。

最終戦で優勝し国内チャンピオンとなった北野晶夫(草刈正雄)。
(映画『汚れた英雄』1982年/角川)


隣の隣町の福山には福山競馬があったけれど、ついに廃止になった。
基本的にレースというのは私は大好きだ。
特にバイクのレースと、馬の駆けっこだな。競馬はまったく馬券を
買わずとも家内ともども楽しめる。
博打がやりたいのではなく、好きな馬が懸命に走るのが嬉しいから。
馬かわいいし♪(^0^)

競馬観戦は正装してではなくとも、なかなか楽しいよ。
日本人は維新後に英国の影響受けていなくとも、公営競馬をやって
いたのではなかろうか。
元々、日本人は馬が好きだし、比べ馬などで追い合うことも好き
だった。

(廃止直前の福山競馬。馬って本当に美しい)



日本の伝統的な競馬。
福島県南相馬市の相馬の馬追(うまおい)。カッコイイ!!
レースはいつの時代も面白い!
いま甦る壮大な戦国絵巻 -南相馬市 相馬野馬追-



なんだって?
お手手つないでゴールだと?それが今の小学校の徒競争だと?
競争じゃないじゃん(苦笑
勝っても負けても、互いに相手の努力を称え合うという精神を
子どもたちに教えろよ!
教育者たち。教育放棄してないで。
相互エールの精神を幼いころから教えずに、「競争ごとは争いごと
だから駄目」なんてトンデモとんちきを決め込んでいるから陰湿な
イジメなんかが起こるんとちゃいますか?

競争はいいことだ。
ただし、勝っても負けても互いに奮闘を称える精神なくば競争はただの
ケモノの早喰い競争になる。他者より早く喰ったからと偉くはない。
最近、勝った奴が負けた奴を足蹴にするような心や態度になること
蔓延してるのはどういうことだい?

まあ、大人が悪いんだよな。大人がそうなのだから。
学歴・経済力ヒエラルヒー(私は「ヒエラルキー」とは呼ばない)を
是認してその尻尾にすがろうとする父母だらけだから。

剣道や相撲でガッツポーズを禁止しているのは、私は大賛成だ。
汝、驕ることなかれ、だ。






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ロードレース オランダGP 日本人優勝

2016年06月27日 | スポーツ・武道など



2016.06.26
日本人ライダー中上貴晶がMoto2クラス史上初優勝
RIDINGSPORT

 MotoGP第8戦オランダGP、Moto2クラスは、オランダのアッセンで決勝
レースを行い、中上貴晶(カレックス)が優勝した。

 Moto2クラスの決勝レースは周回数24周、ドライコンディションでスター
トしたが、残り2周で雨により赤旗が掲示され、21周通過時点の順位でレース
成立となった。

 中上は序盤からトップ集団につけ、積極的に前に出るレースを展開。9周目
にフランコ・モルビデリ(カレックス)を交わしてトップに立つが、モル
ビデリもすぐにトップを奪還。

 しかし、中上は続く10周目に再びトップに立つと、その後、後続とのリー
ドを広げていく。レース終盤の15周目になるとその差は約3秒まで広がった
が、20周目に雨が落ち始めたことを示すレッドクロス旗が掲示される。

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日本からのエントリーでの世界戦の総合チャンピオンは1977年の350cc片山
敬済(250ccクラスでは2位)、日本人初の世界GP世界チャンピオンは1993年の
250cc原田哲也、それ以降最高峰排気量クラス以外では日本人の世界チャン
ピオンが続出したのが1990年代だった。

しかし、日本国内でバイクブームも去り、モータースポーツでも国内の選手
層が薄くなった現在、なかなか世界戦での単発優勝さえ日本人の名が登場
することは久しく無かった。
ただ、MOTO 2の2スト250ccクラスでは、日本人青山博一が2009年に歴史上
最後の250cc世界チャンピオンになっている。

モーターサイクル・レースにおいて世界戦に出場して世界戦を全戦戦い、
総合優勝=世界チャンピオンになるということは、各スポーツの中でも最高峰
級に難しいことだ。
四輪F1で世界チャンピオンになるのとほぼ同等に近い。
バイクブームが去った後なので、今のところ日本人最後の世界チャンピオン
である青山選手も、一般世間では名を知られてはいないが、とてつもない
偉業であるのだ。

レギュレーションが変更され、中型クラスとなるMOTO 2は2ストローク
250ccから4ストローク4気筒600cc(ホンダのワンメイク規定)となり、各
メーカーが究極のマシン開発にしのぎを削ることはなくなった。
現在は世界戦でもエンジン消耗率も勘案するエコレースとなっている。

それでも、2009年以来、日本人が新レギュレーションのレースで初めて単発
優勝をした。
これは歴史的なことだ。
世界戦は各国を転戦してまだまだ続くが、このオランダグランプリでは、
日本人中上選手が一番でゴールまで走った。つまり、日本人が世界最速だっ
たということである。
今後の中上選手の活躍に期待したい。


先進国におけるモーターリゼーションの発達具合とは、モータースポーツの
世界戦での選手層と戦績に比例するように思える。
かつてモーターサイクルスポーツの世界戦=世界グランプリでは、1970年
代から1990年代末期までアメリカ黄金時代があったが、当時までのロード
レース世界戦出場選手の主要国はイタリア、イギリス、フランス、アメリカ、
日本だった。
ただし、世界戦を戦ったマシンで、トップを占めたのはホンダ、ヤマハ、
スズキ、カワサキの日本製バイクだった。外国人の世界チャンピオンたちは
全員日本製バイクで世界王者になった。
車はイタリアやドイツが抜けているが、バイクは世界の中で日本製が接戦
でのトップではなくダントツに図抜けて4位以下メーカーをぶっちぎっていた。
日本車が世界の頂点を極めていたのである。
そして、80年代のバイクブームの時に子どもだったライダーたちが青年にな
って90年代に何人も世界チャンピオンになった。
少年時代にネタ番組でたけし軍団とミニバイクレースに出ていたようなまだ
年端もいかないチビンコたちが後に成人して世界選手権で世界チャンピオン
になったりしていた。
世界一というのは、地球で一番速い人ということだ。
この凄さ。

だが、やるからなれる。
やらなければ、なれない。





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居合道神奈川県大会

2016年06月27日 | スポーツ・武道など



SNSなどにもアップされていますが、本人からも直に連絡をいただきました。
刀工康宏友の会「游雲会」のメンバーでもあり、かつ、私と同門の居合道剣士です。
元々は京都の方でしたが、現在は神奈川県の私の師匠の門下となって居合道の
修行に励んでいます。

日本刀康宏作注文者で一番居合道の段位が高段であるのは私の居合の
師匠である全剣連範士八段ですが、この中野氏も居合道の遣い手です。
中野氏の斬鉄剣康宏は年内に打ち上がる予定です。
居合道の
段位は私より上ですが、段位を超えて普段からいろいろ刀のことや
居合術や古流武術の
ことについて忌憚なく意見交換をし、居合道について私も
いろいろ教えて頂いてます。

中野さん、県大会優勝おめでとう。
身体の怪我・故障だけは気をつけて、全日本大会に向けて頑張ってください。
応援します。(身内に対して応援というのも何だか変ですが)


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刀の長さ

2016年06月22日 | スポーツ・武道など



尾道道場に三尺刀の真剣を土佐系居合で日常使っている人がいる。
私は二尺三寸四分から二尺四寸までのいわゆる「定寸」を常用している。

昨日、八段の先生が講習の中で非常に良いことをおっしゃった。
長い刀を使う利、短い刀を使う利、それぞれの剣法としての着眼点について
だ。
そして、実際に具体的に指し示して分かりやすく解説してくれた。
こうしたことは「口伝」に入るもので、とても貴重なことである。
得物の長短は、単に物理的な長短にとらわれていては剣技の要諦を見失う。
やはり、教えを請うには理論派の先生に私は学びたいと思った。
オカルティックであったり、理知の不在を感じる場所では私は学びたくない。
私は今でも神奈川の川崎の道場の師匠の直門下生であるが、現居住地により
連盟所属は広島県籍に移籍しても、こと尾道の先生に就いて学べることは
幸せだ。
単なる技術ではない、多くの深いことを伝えてくださる。
私は伝え教えられたことをまとめた誰にも見せない「口伝集」を平成2年
から綴っているが、昨夜のことも帰宅後にまとめて記載した。
この口伝集は私のためだけのものなので非公開だが、居合剣法に関して、
何年何月何日にどこで誰がどんなことを遺し伝えたかを記載してある。
また、なんでもかんでもではなく、私が「必須」と思ったことのみ記述して
ある。
こうしたことの蓄積が自分自身の財産となっている。


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