渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

WBC 準決勝 対アメリカ戦

2017年03月22日 | スポーツ・武道など



本気を出してフルメンバーを投入して来て初めての決勝進出を狙う
アメリカ合衆国に日本は勝てるのか。
アメリカチーム出場選手の年棒を合わせると110億円らしい(笑

なんでもかんでも日本人ならば侍とするのは違うとは思うが・・・(^^;
まあ、戦意高揚のためなのでしょうね。女でも侍なのだそうで・・・。


U-12代表の選手の子は、名作漫画『キャプテン』の第三代キャプテン
のイガラシに似ている!サルみたいで、かわい(笑


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キューの切れ味よく玉を撞くということ

2017年03月18日 | スポーツ・武道など

JPBA 湯山功プロのビリヤード曲球集 DVD 極ポジ


この撞き方は私も時々ショットしたりする。てか、これって・・・(笑


ある試合の時にもこの黒線の出しをしたら、それを見ていた某
SAは「かっこいー」
とか言ってたが、その試合負けたので結果
ドボンでシオシオの
パァ~なのである。途中経過は関係ない。
最後のスコアこそが勝負の
結果である(笑

実は湯山プロに「この撞き方知ってる?」と私があるショットに
ついて尋ねたら知らない
とのことなので、やって見せたら、
「それ曲玉に使おう」と
言われたことがある(苦笑)。
私のオリジナルではなく、戦前の撞球映像などにはよくある。
ウイリー・モスコーニなどもやっていた。

(なんだか新陰流の毛利先生のような眼光だ)























上図では黒線が湯山氏のラインで、赤線が私がやって見せた
ラインだ。

私の切りは、一度的玉を入れてさらにマッセのように手玉が
戻ってから今度は押しのように手玉が進んで別な的玉を入れる
というものだ。それを平撞きでそのようにマッセのような動きを
させるショットだ。撞球会の人などは、私がよく見せていたので
何度も見知った手玉のトリッキーな動きのショットである。勢い
ありすぎて第二的玉を入れてから手玉スクラッチも結構あった
のだが(笑
あえて名を付けるならば「モスコーニ・アーチ」とでも言おうか。
キューの切れと入れの穴振りを少し調節すれば黒線軌跡となり、
手玉のネクスト出しにかなり実戦的に使える。
こうしたクッション利用の押しによる逆スピンの押し切りの止めは
一般的にもよく使われるショットであり、特別なものではない。
あとは切り方をどう調節してコントロールするかだ。
撞球は玉を「撞く」のであり、ゲートボールのように転がし玉で
キューをただコツンと当てて玉を転がして置きに行くような撞き
方は、ほぼしない。殺し玉も走り玉も、すべてはキューを「切って」
行くのである。ほんの10センチ手玉を動かす場合にもキューは
「切って」行くのだ。


昔、試合中のスコアを彼女が取ってくれていたことがある。
スコアの記載方法は私が考え出したもので、野球の投球
スコアのように克明にゲームの流れが分かる方式だ。
そのスコアとは別に、試合中に私が使ったというショットに
ついての記録もある。試合結果よりも、エンターテイメント
性を重視して会場を沸かせていた理由が今さらながら自分
でも解ったような気もする(苦笑)。
勝ち負けよりもそちらにこだわっていた時点で競技者としては
負けなのだが。
私は人前ではアガったことがない。1万人の前での演説でもだ。
だが、プロのツアー試合でマスワリ7連続で優勝した唯一一人
尊敬する戸田プロが私の撞球試合の時にプレーする私の選手席
の真後ろの観客席に陣取って、私が撞くたびに「ふむ」とか「う~む」
とか「ほぉ~」とか声を出していた時には、人生始まって以来の
緊張をした。目立つ玉撞きをしてイベントオープン戦で勝ち進んで
いたから戸田プロは近くに来て観戦したのだろう。教え方が教授の
ような大橋プロまで一緒に途中から観戦し始めた。「こいつ・・・おも
ろい玉撞くな」といった感じだったのだろうか。とにかく注目された。
というか目をつけられた。
レイズと撞いても心境変らずだった私がド緊張した(笑)。はい。
もろチキンになってしまいやした、あたしは。
さらに試合後に戸田プロから話しかけられてきたときにはチビり
そうなくらいに震えた(笑)。おいら直立不動(^^;
私にとって、戸田プロはレイズ以上に「神」だったからだ。
そこに大橋プロも寄ってきて、いろいろ「指導」を受けた。主として
精神論だったが、まるで居合の大会後に多くの先生方から声をかけ
られた時のような感じだった。
戸田プロに言われた時にはビビった。
「あなた、何かあって一度玉撞きやめてたでしょう?」
ゲヒョ~~~ン!(◎_◎)
千里眼の撞球師、おそるべし。

その時点から10年ほど前のいくつかのショットを残された記録
から紹介する。これらは引き玉系。








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レーサー試乗記

2017年03月16日 | スポーツ・武道など







これおもろいよ。
こちら ⇒ レーサー(TZ250)試乗記

メインブログは ⇒ こちら


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世界一名人の手筋

2017年03月14日 | スポーツ・武道など

Why Is Efren Bata Reyes Always The Legend?
Here Is The Answer

不世出の名人、フィリピンのエフレン・レイアス。
6:40から、手玉で的玉を入れながらブロック塊を
引き割って行く技の
逆配置バージョンで、手の内の
冴えを見せている。
これ、私も結構使う。


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まずは写しから

2017年03月12日 | スポーツ・武道など



どの世界でも創作描写および表現は「写し」から入ることが多い。
例えば、漫画にしても、好きな作家のタッチを真似て模写を
していると、このように本物に肉迫する物が描けることになる。
漫画はネームが命だが、画力がないと話にならない。

(描き手:私)

この上の四コマ漫画は単なる不二子先生タッチの真似だが、模写
というものは表現力について
一つのお手本となるという面において
は、大いにインスパイアを
体現することは悪いことではない。
居合や武術も同じで、とにかく師と同じことをすることから始め
るのであるが、いつまでも師と同じことをしていては師を超える
ことは絶対にない。道統や師伝保存と己の術技の開眼や会得は
密接ながらもまったく別物としてある。
日本には「出藍の誉れ」という言葉と思想がある。
まさに青は藍より出でて藍より青しを体現するのは己自身だ。


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ギネス達成から技法を読み取る ~町井勲氏~

2017年03月08日 | スポーツ・武道など

Martial arts master attempts katana world record - Japan Tour


祝ギネス達成。

「ギネス記録かぁ」とただボーッと観るだけでは意味がない。
刀を使って畳表を切ることをやる剣士ならば、何かしらを
見取りしないと、人の技を見る意味がない。


ある刀法を使っていることが読み取れる。


同じ刀法を使っている(私)。

これは左からの右袈裟斬り。




同じ刀法を使っている(私)。


刀法の選択には理由がある。

世の中、埒も無く貶すだけを旨としたがる人たちが多いが、

物事が見えていないのだろうと思う。
何がどうなってどうやってどうしてそうなっているのかを。

切先真下下げのスイングマンには決して理解不能な刀法の
理がある。
これは剣戟において必要か否かにより選択する。

とは言っても、理解不能な者はずっと理解不能であろう。


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手の内のキモ

2017年03月07日 | スポーツ・武道など



私の神奈川の師匠からも、尾道の先生からも特に厳しく
教えられている事。
それは「刀は柄を握らない」ということ。
握らないとは握り締めないということ。
この画像でも、「軽く締める」ことはしても握り込んで
はいない。

ただ、流派の教えで、これとは別法もいろいろある。
たとえば、試刀術の山田流には「つよく握る」とあるし、
別な著名流派でも「かたく握る」という教えもある。
ただ、土佐居合系では、握り締める柄手使いはほとんど
使わない(土壇などでは別理論がある)。
特に土佐系でも無双直伝英信流では「刀の重みと速度で斬る」
という教えと同時に「浅ク斬リテ後足ニテ勝ツ」という教え
がある。
両者は別物の教えだが、密接不可分なことであり、とりも
なおさず、「刀法」についての口伝の一つとなっている。
刀線も円弧を描く場合と、楕円を描いて真下にギロチンの
ように切り落とす場合とがあり、これは適宜使い分ける。
「常にどのような場合でも同じ」という概念は土佐居合には
ほとんど無い。臨機応変に居て合わせて行く。

ただし、物理現象としては、刀の柄を固く握りしめていては、
フラップ効果とレーキやピッチの関係から、一度刃筋が狂った
軌道に乗せてしまうとどんどんズレが生じたまま打ち込む
ことになり、結果として刀身を曲げ、戦闘不能になる可能性
が高い。平打ちしたならば、どんな刀でも曲がるのは当然で
あるし、鍛えが良くない刀の場合、下手したら折損にも繋がり
かねない。
刀剣は多少曲がるのはどうにか戦闘が続行できるが、刃こぼれ
や、刃切れから折損に至った場合には致命傷を惹起しかねない。
刃こぼれよりはまくれ、折れよりは曲がりのほうがよい。
刀剣要件でよく言われる「折れず、曲がらず、よく切れる」と
いうのは、武器としては「折れず>曲がらず>よくきれる」と
いう順列として必要要件を述べているのである。
切先なども欠けて欠損する鍛えよりは、曲がっても刀身が残存
している造り込みのほうがよい。

切れ味の良さを決定づけるのは、金属学的には高硬度に限る。
だが、日本刀という形状にした場合、単に高硬度にしただけ
ではない別なファクターが作用して切れ味の方向性を決定する。
それは全体の姿、重ねと断面形状であったり、地刃のバランス
であったり、衝撃緩衝をどのように処理する刀身かであったり
する。
キンキンにピンと張っただけの刀身では折れやすい。
かといって、ベナンベナンの金属メジャーのような刀身でも
使い物にならない。
適度にしなりを持ちつつ腰があってピンと張っている刀身こそが
理想的で、衝撃に関しても、刀身内部で衝撃を完全に吸収解消
できるような構造体でないとならない。
専門的な話をすると、鎬の在り方、鎬と鎬地と平地の肉(しし)の
在り方はかなり刀身にとって重要な結節幹となる部分であり、
これの持って生き方で切れ味や耐久性に影響が出る。少し変えると
大きく結果が異なったりする。

遣い手の側の問題としては、やはりギューッと柄を握り締めて
握り込んで力任せに刀身を振り抜くような扱い方をしたならば、
どんな刀身であっても、刃筋が狂えば不具合を生じることだろう。
また、対人戦闘行為においては、そうした刀の使い方は、次の
場面の瞬間に対応できない用法だと思われる。
警棒のようなぶった叩き棒ではないのだから、刀という薄い鋼の
刀剣には刀なりの用法で適切に扱う必要があるのは当然の理だ。
一にも二にも、私はその要諦は「手の内」にこそあると私は考える。
師も、現在教えを乞う先生も、まったく同様なことを伝えている
ので、これはまず間違いのないことであると思うし、私自身が
自分の経験則から、同様の用法を操刀法として用いている。
結論として、私は刀を曲げない。

刀が一度刃道がプロペラ型によじれると、それで切りつづけたら
どんどん曲がる。実際にこれは軍刀だろうと戦国古刀だろうと
曲がる。
一度、「どう切っても曲がるのだが、これで切って見せてくれ」と
頼まれた刀があった。
刃道はプロペラ型によじれている。これは駄目だと思った。
親指で刀身をギュッと押してみた。いとも簡単に曲がる。
切る手を見せてほしいと言われたが断った。その刀では誰が切って
も曲がるからだ。大銘の薩摩偽名刀だった。
その所有者に私の刀を使って畳表を切ってもらった。
まったく曲げない。
つまり切り手の在り様で刀が曲がったのではなく、刀なりに腰が
抜けた刀だったので簡単に曲がったのである。

日本刀はどんなことをしても折れない、曲がらない、という刀は
存在しない。
昨今の疑似日本刀ブームで、刀が万能の武器のように脳内で思い
込んでいる病的な妄想族が増えているようだが、恐ろしいことだ。
実は昔の実戦においては、折れやすく曲がりやすいのが刀であった
からこそ「折れず、曲がらず」が求められたのだ。
どんなことをしても折れず曲がらずよく切れる刀だらけだったら
あえて「折れず曲がらずよく切れる」ということなどは言われは
しない。
刀は折れやすく曲がりやすい。だからこそ操刀法が武技の中に
必ず組み込まれている。棒での叩き合いならば、対人動作のみを
磨けばよいが、こと日本刀は平べったい鋼の打ち刃物であるので、
専用の用法(しかもかなり難しい技法)を身につけないと、刀は
扱えないのである。

理こそ刀を扱う武技のすべてなり。
理を解さない者は、刀術という武技さえも解さないことだろう。
刀術はすべて理(り)なり。それが剣の理(ことわり)である。
理の字の原意は、玉の中に走る道筋を意味する。
まさに筋こそが理であり、剣においては筋道こそが理なのである。
理を理解できない者に剣の道筋は見えない。


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主軸差料決定

2017年03月07日 | スポーツ・武道など





エーこのたび、メインキューを、どのように選択するかと、
いう問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました
結果、本日の第4レース、本命はホタルノヒカリ。穴馬は
アッと驚く大三元という結論に達したのであります。
(美濃部都知事風走れコウタローアナウンサー)

ということで、ショーンはやっぱり保存モードにして、この
アダム・バラブシュカ・モデルで行くことにする。
同級生だったBuddy藤田さんに長年預けていて、大改造
のブランクとする予定だったが、彼が廃業したので改造途中
で戻ってきたキューだ。シャフトがこの世の物とも思えない位
にノーマル時には超極太だった。


ブランズウィック・タイトリストのハギを使った初期のバラブシュカ・
コンバージョン系をアダムがモデルアップしたものだが、バーズ
アイ&タイガーのメープルを使っている点は初期実物バラブシュカ・
コンバージョン・モデルよりも高級だ。
以下、私が業者に依頼して手を加えている。
 ・グリップ糸巻→バットグリップ部再ポリッシュ後TADリネンに巻き直し(Buddy's)
 ・先角→ノーマルからLBMに交換(Buddy's)
 ・シャフト→私の設計テーパーに削り込み(日本玉台中国産業)
 ・エンドキャップ→交換(滋賀の業者で失敗。いずれ別業者でデルリン®に交換)
 ・ウエイトボルト→重量調整(自分)

シャフトは質の良い虎目のメイプル。撞くと木琴のような音がする。
極太だった物を日本玉大中国産業の大坪社長自らの手で旋盤で時間を
かけて私の指定テーパーでシェイピングしてもらった。


先角はリネン・ベース・メラミンにして、打感にメリハリを持たせた。
タップはシャンディバートのチャンピオン。


ハギの色は湘南電車=東海道線だ。



松田聖子が歌った名曲『赤いスィートピー』に出てくる
「春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ」の汽車とは
湘南電車のことである。
昔は、山手線・根岸線・京浜東北線などの会社線のことを
電車と言い、東海道線や横須賀線のことは汽車と呼んだの
である。
なので、伊勢正三さんの『なごり雪』で出てくる汽車も、
それは蒸気機関車のことでもディーゼル機関車のことでも
ない。
「汽車を待つ君」は、「東京で見る雪はこれが最後ね」と
言うのだから。
この曲が出来た1973年に東京に蒸気機関車は走っていな
かった。

1950年に「湘南電車」という名称で運用が開始された80系。
戦後5年。まだ焼け野原からようやく復興の兆しが見えた
東京に乗り入れるこの車両は非常にハイカラで希望に満ちた
電車に見えたことだろう。そして、戦後の神奈川のベッドタウン
化はこの湘南電車と、昭和30年代当時は今の億ションのような
印象だった白亜の御殿とも呼ばれた西洋式文化住宅でもある、
公団の団地が庶民の憧れだった。なんたって、システムキッチン
と座る水洗トイレと内風呂完備の鉄筋住宅なのだから、戦後の
日本人にとっては公団団地での暮らしはハイカラそのものだった。


私が子どもの頃に神奈川で親しんだ湘南電車。


現行東海道線。


相模川鉄橋を渡る現在の東海道線。グリーン車の二階建部分
ではない一階部は座席間が狭いので乗らないことがおすすめ。
足をまったく伸ばせません。


私は春色のバラブシュカ・リイシューモデルのキューを
メインで使うことに決めた。
理由は、昨夜、聖子ちゃんの『赤いスィートピー』が突然
頭に浮かんだから。
東京から湘南に行くのには、小田急線ではなく、やはり
湘南電車を使ってほしいな、とか思ったりする。

1976年だったか、かぐや姫を解散した後の「風」が横浜
の関内でコンサートを開いた。
私はイトコ兄と観に行ったが(チケットようやく取れた)、
そのステージで伊勢さんは、「きょうは車で来ましたが、
いつもはあの紺色と薄い灰色のツートンの電車が好きです」
とか言っていた。
伊勢さんは大分県の人なので、横浜では根岸線(京浜東北線)
や東横線(昔はアオガエルではなく地元ではイモムシなどと
呼ばれていた。アオガエルはイモムシの聞こえが悪いので、
後から意図的に付与された東急東横線の呼称だ)が主流であり、
また、都内から横浜に戻る時には湘南電車を使うという地元の
人の気持ちを理解していなかったのだろうと思う。
おかしかったのが、その正やんのコメントの後、しばらく数秒
会場に沈黙があってから拍手が起きたことだ。
正やん、滑ってますってば(^^;
神奈川県民は湘南電車に対する思い入れがことのほか強い。
これは一種の信仰に近い程、「湘南電車」に対しての思いがある。
スカ線よりも湘南電車なんだよね。神奈川県民は。
たぶん伊勢正三さんは、その地元民の素肌感覚を知らなかった
のだと思う。

ということで、今後、メインキューは湘南電車を使うことにする。


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手の内

2017年03月05日 | スポーツ・武道など



世界最高峰のプールプレーヤーであるエフレン・レイアスの
手の内の絶妙さ。
日本刀もビリヤードのキューも、切れ味の鋭さを出すならば、
ギューッと握り締めることは一切しない。



エフレンの素顔。まるでバカボンのパパである。
これがひとたびキューを構えると、上のようなウルフの
ごとき引きしまった面持ちになる。まるで別人(笑)。






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撞球指南

2017年02月28日 | スポーツ・武道など


岡山への出張帰宅途中、22:30から師匠に1時間ほど撞球指南を乞う。
撞球における指南とは、すべて見取り稽古なり。1球たりとも撞き方と手玉
の動きを見逃さない。
実際にマスワリ連続されて、こちらは撞く暇がない。
たまに回ってきたら、同じような構想で同じ捌きでやってみる。
これの繰り返しと、あとは別な時間に一人稽古で精度を上げていく。
相対練習は勝ち負けではなく、学ぶべきことを吸収して学ぶ。勝負撞きは
対戦だが、相撞きの場合は上級者の手筋をすべて見て盗み取るように把握する。
今回も何点か新発見があった。
こちらが撞く回数は極度に少ない。現実には撞く番が回って来ることは殆ど
ないのだから、徹底的に集中して見逃さないように見抜く。撞球の場合は
フェイク撞きはまずない。相手のすべての配置で自分も瞬時にシュミレート
して、自分との撞き方の違いを把握する。
これ、かなり大切だ。待っている
時間も見取り稽古で、練習のうちなのである。
実際に私は自分の番では、取り切りが一度出ただけだった。よく外しもした。
なんだか、芯撞きでは手玉の1ミリほど右を撞いているようで、すべて
ロングの直球が外れる。
これは撞点だけ直してもダメで、フォーム、ストローク、すべてを
見直す必要がある。

師匠(この店の旧オーナー)の本業は英語の先生。尾道の人である。

華台の穴は広いが、コンディションは良い。


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柄手のこと

2017年02月28日 | スポーツ・武道など



四半世紀以上前頃のことになるが、年に数回尾張名古屋に新陰流
を習いに行っていた。これは「他流研究研鑽」とのことで道場
の有志と共に習った。
名古屋の先生方は歓待してくれて、伺うたびに恐縮だった。

新陰流を学んでみて驚いたのが、とことん理によって体系化
されていることだ。連也の功績も大きいと思う。

操刀の状況により、柄手は可変となしている。私がよく言う
「可変の手の内」というのは、新陰流の影響かも知れない。







通常、新陰流の入り口では「不変の手の内」を多用する。これと
歩き方は厳しく指導される。
ただし、奥義之太刀となると話は変わり、六本の勢法は不変の
手の内を崩す。崩さなくては遣えない勢法となる。
新陰流を学んでみて感服したのは、「新陰流を学ぶと、誰でも

ある一定程度の剣の遣い手にはなれる」という印象だった。
理路整然と極めて効率的に術技が体系化されている。
ただし、新陰流を身に着けたから強くなれるかというと、それは
まったく別物で、どの流派であろうと、戦闘者としての強弱は
流派に関係がない。とろい者はとろいし、俊敏で戦闘巧者は巧者
である。

しかし、武士の倣いはそうした強弱にあるのではない。
主命を全うするには武技優越の腕がなくてはならないが、総体と
しての武士の本分は芸事が上達することではない。これは武芸で
あろうとも。無論必要最低限の腕はなくてはならないことではある
のだが。
また、士道と武士道も異なるので、それについても現代人は武士を
語る際には厳密に知悉している必要があるのだが、そうしたことも
単なる「知識」として備えているだけでは全く意味がない。
知識のコレクターは活きた学問ができないただの収集家でしかなく、
歴史や先達の轍から大切な事を学び取ることをしない。
いくら専門分野を知っていても中身がスカでダメダメということは、
そうした学ぶ者の厳然たる精神的立脚点に基づいている。
いくら勉強ができようが、物事を知っていようが、それが即人格的
なところには結びつかないのが社会の理であるように、スカタンは
性根がスカタンだからいつまで経ってもスカタンのままなのだ。
これ、結構真理だよ。

新陰流自体は素晴らしい。


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剣正弘心

2017年02月25日 | スポーツ・武道など



剣正弘心。
今夜で先生にお返しする御刀を眺めていて心から思う。

私の剣の師の範士八段のこの座右の銘は、私も心の礎としたいと思う。

いや、本当に心に邪(よこしま)なところが一つもない人なのよね。
普段は冗談ばかり言って、ダジャレが服着て歩いているような感じの
人だけど、心の在りかについては、いろいろ教えられています。
私はヒネ者なので、何ごとにも公明な先生のようにはなれないけど、
剣持つ者の心の良心を先生に見ています。
師に入門して本当に良かったと思っている。


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縄術

2017年02月24日 | スポーツ・武道など



先日私が日記に書いた下げ緒を使った投げ紐術は、「強法(ごうほう)」と
云う縄術ではなかろうかと、ご自身も武術を嗜む某雑誌副編集長から
直に昨日連絡を頂き教えてもらった。
柔術系の捕り縄も、遣える人は殆ど鬼籍に入ってしまっているらしい。

私の居合師匠への入門試験は棒手裏剣だった。なんで?(笑
師匠曰く、武的センスを見るため、とのことだった。
私は自己流だが、以前から千枚通しの長針(柄を外した針のみ)を打つ
稽古をしていたので、どうにか直打法で三打ともうまくいったが、同時
入門のほか二名はうまくいかなかった。
棒手裏剣というのも、あれもある程度掴むところを得ていないとうまくは
いかない。
まして、本式の打ちなどは、きちんと基本を習って研鑚をしないとまるで
駄目だろう。
縄術?
私などがやると、それなりになるのに何年かかるか分からない。
とにかく、私が体験したの時の印象は、「マジック?!」だったからだ。


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突きあり

2017年02月24日 | スポーツ・武道など



友人が稽古の時に、ふと私との会話を思い出してプと噴き出したら
その瞬間に猛烈な突きをくらったという。

未熟者め。集中しろよ。修行が足りんわい(笑

というか、私自身が「修行」という言葉も修行というものも実は大嫌い
なのであるが(^^;

「まじで喰えない」と彼がよく言う程、普段から薄らとぼけたことしか
あたしゃ言わないが、直近の会話での話はよほどウケたのか、突然
それが思い出されて噴き出したらズドン!だったそうだ。
集中しないと、怪我すっど~。


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絡め手

2017年02月23日 | スポーツ・武道など



昔、ある術者に下げ緒で術をかけられたことがある。
解いた下げ緒がスーッと宙を伸びてきて、私の手を絡め取るのだ。
「なんで?」と思った。

「どうやって防ぐか」と問われた。
「抜刀抜き打ちならば?あるいは抜刀後ならば?」と私が返すと、
「ではこれは?」と、今度は抜刀前に刀に紐を打たれて刀を瞬時に
抜き取られた。まるでマジック。
では抜刀後ならばと試すと、刀を持つ柄手ごと絡め取られる。
絡まる感じではなく、縛り首のように手に紐が丸く掛かってって絞め
上げ
られて自由が奪われるのだ。
最初から輪っかを作ってカウボーイのように投げるのではない。
一本の真っ直ぐな下げ緒がシューッと伸びてきて、途中で生きた
蛇のようにウネウネと動いてピシュッと手を絡め取るのである。


おそろしい術があるものだと思った。
ただし、何らかの応じ技というか、対策はあるだろう。
差し当たっては、パッと跳び退いて、ディスタンスをロングに変更
するしか無いように私には思えたが、そこに手裏剣を連続で打たれ
たらアウトのような気もした。
世の中、表には出てこなくとも、恐ろしい術を身に着けた人はいる
ものである。


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