渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀の長さ

2016年06月22日 | スポーツ・武道など



尾道道場に三尺刀の真剣を土佐系居合で日常使っている人がいる。
私は二尺三寸四分から二尺四寸までのいわゆる「定寸」を常用している。

昨日、八段の先生が講習の中で非常に良いことをおっしゃった。
長い刀を使う利、短い刀を使う利、それぞれの剣法としての着眼点について
だ。
そして、実際に具体的に指し示して分かりやすく解説してくれた。
こうしたことは「口伝」に入るもので、とても貴重なことである。
得物の長短は、単に物理的な長短にとらわれていては剣技の要諦を見失う。
やはり、教えを請うには理論派の先生に私は学びたいと思った。
オカルティックであったり、理知の不在を感じる場所では私は学びたくない。
私は今でも神奈川の川崎の道場の師匠の直門下生であるが、現居住地により
連盟所属は広島県籍に移籍しても、こと尾道の先生に就いて学べることは
幸せだ。
単なる技術ではない、多くの深いことを伝えてくださる。
私は伝え教えられたことをまとめた誰にも見せない「口伝集」を平成2年
から綴っているが、昨夜のことも帰宅後にまとめて記載した。
この口伝集は私のためだけのものなので非公開だが、居合剣法に関して、
何年何月何日にどこで誰がどんなことを遺し伝えたかを記載してある。
また、なんでもかんでもではなく、私が「必須」と思ったことのみ記述して
ある。
こうしたことの蓄積が自分自身の財産となっている。


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模擬刀

2016年06月22日 | スポーツ・武道など

 

昨日は27年ぶりに模擬刀を使って最初から最後まで居合の稽古してみた
けれど、やはり真剣のほうが
何十倍も使いやすい。
重さとかじゃないんだよな。バランス。
鍔を重たい物に替えて手元バランスにしてはみたが、やはり本気の居合
稽古には使えない。
本気の稽古といっても、体転や気攻めや抜刀・納刀には使えるが、肝心の
斬撃の面において、居合研究の上での高度な考察には向かない。
本物の刀で切ることを知っているので、なおさら「使えない」
というのを空気を切っただけで感知できる。模擬刀は代用品として、
あるいはラケットや素振り用バットのようにスポーツ道具として
なら使えるだろう。
否、ラケットやバットも真のプレーヤーならばありきたりの既製品には
不満を持つことだろう。
やはり模擬刀は模擬であり、刀と名がついていても刀ではない。
ラケットやバットはたとえ既製品でも本物であるので、模擬刀など
よりも遥かに立ち位置がクリアだ。
模擬刀は本物と似て非なるモデルガンに似ている。

いくら本物に似せて自分で刃取りをしても、ナンチャッテはどこまで
行ってもナンチャッテだと痛感した。

そもそも初段取得直前から真剣日本刀にスイッチして以来、ずぅ~っと
真剣
しか使っていないのだから、深いところでは本歌の世界以外には戻れ
ない。

やはり本物を知っちゃうとね・・・・。
模擬刀の唯一の良さは、錆びないことかな。


でも尾道の道場では結構ウケてた。
少し遠目からだと真剣に見えるように模擬刀の刀身を私が研ぎで改造して
いた
からだ。

(私の模擬刀)


休憩時間に私が「この模擬刀・・・」と呟くと、「えっ?それ模擬刀なの?」と
道場の仲間たちが寄って来た。
八段の先生も「はぁ?」といった感じでもの珍しそうに「ちょっと見せて」と
御手に取って観ていらしただすよ(^0^)

魔改造でドッキリ成功!イェ~イ!(だから違うってば)

どちらかというと、遠目では分からず、近くに寄ると本当の姿が見えるという
江戸小紋に通じる粋ってやつだな。(それも違うから>俺)

面白かったのが家内だ。
帰宅後、模擬刀を持たせてみた。
すると、「何これ?おっもたい・・・」と言う。
私の居合で使う真剣の拵付きを2つ持たせた。「こっちのほうが全然軽い」と言う。
真剣と模擬刀を秤に載せてみた。
すると、「え?」とか言っていた。
私の居合で使う真剣は鞘を払って960グラム前後の一般日本刀からしたら
軽い物だ。

昨日使用した模擬刀はそれよりもさらに30グラムほど軽い。なのに妻は重く
感じた。
重さじゃないのだ。
要するに、バランスだ。
反り・元先の身幅の差・重ねの漸次的変化等々・・・他にもいろいろな
要素が複合的に合わさって、模擬刀はバランスの悪さを構成している。

ちなみに体感することで物理的な重量を私は感知できる。以前、刀屋で知り
合いが拵付刀剣を買おうとしていて、私に持たせてくれた。「あ、これ1200
グラム」と私が言ったら、ドンピシャで1200グラムだった。本記事で述べて
いる「バランスによる重さ」とは別な知覚で「総重量」を感知することは可能
である。要は「総合重量」と「バランスから来る錯覚」を弁別できる知覚を武術
修養の中で養えるか否かだと私は思う。鈍感であることが武術に役に立つと
いう場面は一つもない。武術においては鈍磨でなく鋭敏に感覚は研ぎ澄まさ
ないとならない。特に居合などは「気」や「機」を察知する能力を要求される
ので、なおさら愚鈍ではやっていけないのである。健康体操と捉えているの
であるなら話は別。

昔、私の軍刀を持って「バランス悪いっ!なんだこれ」と言った全日本の選手
がいた。全日本居合道大会準優勝者だった。
私の軍刀は元重ね9ミリ、先重ね6.5ミリ、長さ二尺二寸三分だった。
「物を知らないな」と思った。その軍刀は空気切りの形居合のための道具では
ない。両手立技刀法で振るには最高のバランスだった。目的がそもそも異なる。
明らかに「指揮装備」として造られた物ではない。どうやらそこに理解が及ばな
かったことはすぐに看破できた。
刀は振ってみないと真のバランスは解らない。
バランスとは、棒を立ててその上に真っ直ぐな長い棒を左右で均衡がとれる
ように置いた場合に、ほんの1グラム片端に錘を乗せただけで崩れるほどに
微妙なものだ。傾斜もそうで、下敷きの上にパチンコ玉を載せて下敷きを傾けて
いくと摩擦係数がパチンコ玉を支えきれなくなる角度になると球は転がりだす。
それはほんの微細な傾斜で転がり出す。
バランスも同じで、ほんの些細な重量配分のポイントで動性が大きく変わる。
だから、レーシングマシンなどは、マシン開発においてマスの集中と分散に
人間は頭脳をフル稼働させて車造りをしているのだ。
刀も然りなのである。
ただ、模擬刀は「キャスティング」による型押し金属を適当に刀らしく削った
だけなので、本物の日本刀が持つ、三次元的な繊細な設計思想を表現でき
切ってはいない。これは断言できる。


さらに、模擬刀はどうしてもノッペリとしている。
私が居合剣法で使う真剣は形居合用に造られた現代刀ではなく、天文古刀と
天正古刀、それに初期新刀なのだが、古刀2口は戦闘に使用された痕跡が
いくつも残っていながら松葉はしっかりと張っている。

模擬刀は先が松葉もノッペリでツンツルテンなのに先重りがしてバランスが
悪い。

また、バランスの悪さは先重りすることだけから来るものではではないよう
にも思える。

そして、模擬刀で「手さばきを良く」するための居合用模擬刀は、製品として
重量をかなり軽く
して対応している。
私はそれは、「物作り」の方向性が違うように思える。
また、「居合用」として、超軽量の真剣現代刀が拵付き吊るしで販売されて
いるが、
私はそれも何だか武具として方向性が大きく違うように思える。
鞘を払って600グラム代の物を「選手」たちは試合用と称して使っている
ようだ。
それもまた、なんなのだろうなあと思ったりもする。
だって、「形居合用」、「試合用」の超軽量の日本刀なんて本来は存在しない
もの。


かといって、バランスではなく総重量に関して言及するなら、バランス
が良かった私の康宏が鞘払い1200グラムで、それをヒュンヒュン
片手で振っていたとはいえ、あれは筋力ではなく術で振っていた。
重力と慣性と物理法則を最大限に利用するのが術で、それなくば
柔術や合気は存在しない。熊のような巨漢でなくば勝てない現代柔道などは、
術を離れて道となってから道を外した。だから、競技のためには体重制
にしてスポーツとするしか柔道は延命の手はなかった。剣道も
当てっこ競技となってからは、同系統の行く末になってしまっている。

ただし、試合競技はすべて駄目かというとそうでもない。自己検証
としてそこから得るものもある。
私は康宏を形居合の試合で使用したら、それまでバンバンいけいけ
ドンドンだったのが、いっぺんに勝てなくなった時期があった。

鞘払い1050グラムの刀に替えたらまた以前のように勝てた。
居合の試合の勝ち負けには私個人はこだわらないが、それを契機にその頃
から自分の
使える刀の重さが大体判ってきた。試合で負けが続いたのはよい
経験だった。
私の場合、鞘払い1100グラムまでが
有効的な形居合での斬りができる
手さばきの総合重量の限界ラインだ。

差し料は人の物ではない自分個人の武器なので、各人で各々自己判断で
選択するべきもので、人から「この刀にしろ」
と指図されるべきものではない。
それぞれが自分の見識で自分の武器も武具も
選択する。この文化は江戸期
から続いている。自分の物は自分で選ぶ。雑兵のための城備え刀や中間
奉公人たちの着物は別として。(それを「お仕着せ」という)

それぞれ、各人、刀選びにはいろいろ判断基準のモノサシがあることだろう。
私の場合は、総合重量では、斬術まで含めると鞘払い1200グラムまでだ。
形居合では、どんなに重たくとも1100グラムまでだ。
鞘払い1キロを切ると、私の場合は極端に手さばきが良く感じるが、900グラム
を割るとジュラルミンの刀身を振っているような感覚になってしまう。
その現実的に物理的に軽い刀身を「重々しく見せる」という見世物居合は私は
やりたく
ない。
「重い刀を軽く、軽い刀を重く」という居合の教えは、「見せる」という部分では
なく、もっと深い、術技の要諦、無論「武」と結びついた何らかの「刀法」の教え
の部分で
あると感じているからだ。

本当の本音は、私は「樋のない刀」を使いたい。
ただし、樋が彫ってある刀は、それはそれで最良の居合の稽古にはなる。
音色で刃筋の良し悪しが自分で判断できるからだ。
音の大きさではなく、どの刀線の軌跡の部分でどのような音が出ているかが
重要で、音が出ることは最低限の大前提だが、ポイントは「どのような音が、
どのような間隔で、どの位置で鳴っているか」ということだろう。

とりあえず、模擬刀でも、何か得ることがあるかもしれないので、もうしばらく
もう一本の模擬刀と併用して使用してみようと思っている。
模擬刀は「真剣に移行するまでの初心者用」というのではない、何らかの
使い道があるような予感がする。
ただ、使用感は真剣とは雲泥の差であることは、これはどうしても否めない。

日本剣道形をやる時は、真剣刃引きでの打ち合いはさすがに文化遺産
損傷のようにも思えるので、頑丈な模擬刀が必要なように思える。
ただ、「頑丈な模擬刀」というのは、それは銃刀法と政令の主旨に反する
面もあるので、政令で定められたブリネル値と実用強度の設定のすり合せ
が非常にシビアではあるのだが。
しかし、模擬刀は模擬刀で、使い道はある。無いわけがない。無ければ私は
自分で見つける。


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小麦色のマーメイド

2016年06月12日 | スポーツ・武道など

ハピネスダンサーを応援しています(笑

って、マーメイドステークス、勝てなかったやん!(^^;
でも、綺麗。


おれねぇ、ヤエノムテキが一番好きだったんだよ。
ヤンチャな性格だけど、芝2000の馬鹿っぱやのブッチギリ。
大好きだった。自己主張と個性の塊だった。一目ぼれの雌馬
が通ったら目を離さずそこからテコでも動かなかったりとかさ。
人間のいうことなどきかないところが、馬よりも人間みたいで
おもしろかった(笑)。「馬耳東風だ、バーロー」みたいな感じで。


もっと長生きしてほしかった。死ぬ前のシンザンはよぼよぼで
ロバのようになっていたが、そうなってでもヤエノムテキも生きて
いてほしかった。




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祝!居合道七段合格

2016年06月10日 | スポーツ・武道など

小学生の時から知っている親子ほど年下の私の「兄弟子(あにでし)」
(師匠の一番弟子)からラインでメールが来た。
全剣連居合道七段一発合格だったとの吉報である。
六段の時には最年少合格記録だった(29才時)。
全剣連の段位審査は六段からが全国審査で、その門は非常
に狭い。
また全剣連は受験資格に修業年限があり、五段受験資格は
居合道を始めてから10年経たないと受験資格がない。
六段はそこからさらに5年。七段は六段合格後6年修行を
積まないと受験資格が発生しない。
受験すれば受かるかというと、かなり厳しい審査試験なので
相当に難しい。

以下、今夜の私と彼とのやりとり。
左が彼、右が私。なにはともあれ、おめでとう♪






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見極め ~鍔の緩み~

2016年06月10日 | スポーツ・武道など



私はギッチギチに切羽を詰め、鍔は責金を打ち、目釘
は常に新しい物をカチカチに打ちこみ、柄前は微塵たり
とも緩みがないようにしている。

これはそれが武用たる刀の在り様である、刀はそのように
するものだと先達から習った
からだ。柄前は一つも緩みや
隙があってはならない。武人の差料とはそうである、と。

このことは、戦闘武器・護身武器としての日本刀であるから
という点からすると往古の時代にあっては刀を所持する者の
心構えとして大前提であるのだが、現代においては演武や
稽古の際に周囲に対する安全配慮として、とても大切なこと
なのである。
鍔鳴りは大抵は目釘に何らかの問題を抱えており、目釘に
損傷があったり折れ抜けたりした時に刀を振ったならば刀身が
抜けて飛び出したりしかねない。
実際にそうした事故による死傷事故も起きている。

ただ、私が習っている古流においては、「鍔をカチャカチャ
緩んだままで居合をしろ」という教えは伝わってこなかった。
それはいけないことという教えがあった。
だが緩み鍔にどんな理由をつけようと、鍔緩みはそのまま刀を
使えばどんどんクリアランスが大きくなる。鍔鳴りは目釘抜けに
繋がる前兆だ。危険信号を刀が発して我々に知らせているのだ。
周囲の安全確保のためにも、是非とも、鍔の緩みはすぐに直して
ほしい。



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筑波サーキットC2 TZR250(1KT)オンボード

2016年06月10日 | スポーツ・武道など

20151219 筑波サーキットC2 TZR250(1KT)オンボード

2015/12/20 に公開

街乗りノーマル号を初めて持ち込んでみるの巻
冬でガチガチに寒いしこけたくないし頑張る理由もないので楽しんで
帰りましたとさ
11秒切れず
3年前のボロいバイアスでも問題ナッシング

さらっと言ってるけどね、この人、1986年の一般公道市販車の
ヤマハTZR250(1KT)で、はっちゃきにならずにさらりと流して
筑波新コースで11秒だからね。
まあ、純レーサーのTZ250などのGPマシンからしたらツーリング
のようなタイムではあるのだが、それでも走りの内容をつぶさに
見ていると、この人、乗れてるよ。
つか、レーシングライダー(もしくはだった人)でしょ?この人。

しかし、よく整備された車だなぁ。もう30年間の車体だよ。
エンジンもかなりメンテされているようで、すこぶる良く回るし快調だ。
今となってはガスタンクの錆がトホホな1KTだが、手を入れて可愛
がってやれば、まだまだこんなに走るということだよね。
でも、新品パーツ供給がほとんどないから、整備とか大変そう。
この動画のTZRはオートルーブのまま走ってるのかなぁ。
おいらガンマを混合にせずに分離給油のまま冬の富士を全開ブッチで
走ってたら、エンジン焼きついて最終コーナー進入で飛んじゃったよ(笑
レッカーってのは何度乗っても気分がいいもんじゃないね(笑

富士のピットで全開時のポジション合わせのおいら。
これはヤマハFZR400のF3マシンだ。SPタダオのフルチューン。
うしろはパララ~ン、ペーンペケペケと鳴くガンモ(笑


ヤマハTZR250(1KT)

1986年発売。これは出来の良い車だった。
RZに次ぐ名車だと思う。1988年にファクトリーレーサーを市販モデル化
した掟破りのホンダNSR(MC18)に撃墜されたが、ハンドリングやトー
タルバランスは圧倒的にTZRのほうが上だった。ただ、ホンダはある
電装プラグを外したら市販レーサーに匹敵する馬力を出せる車を一般
公道用モデルとして販売するというウルトラCをやり、1980年代末期から
1990年代初頭にかけては、市販車改造のプロダクションレースでは
ホンダNSR一色になってしまった。

車はパワーがまずありきという面は確かにある。
今の環境基準に適さないことも分かるよ、私も。
ただ、二輪車は特に、ガソリンの混合気をシリンダーにぶっ放した時点で
ドカーンとパワーが出ない車などには、私個人は乗りたくはない。
トロいバイクなどはバイクではない。
それ、ただの場所移動のための移動機械でしょ。
バイクの魅力は「走って、曲がって、止まる」これに尽きる。
走らないバイクはバイクではなく、ただの場所移動のための乗り物でしか
ない。
それには何もバイクでなくともよい。
ファミリーカーのようなほのぼの系四輪車でもいいし、電車でもバスでも
徒歩でもいい。
何故バイクなのか。
それは他のどの地上乗り物にも存在しない圧倒的な加速力と旋回力と、
下手にブレーキかけたら体がすっ飛ばされるようなストップパワーにこそ
バイクのバイクたる魅力がある。バイクの本能、というような。
それがバイクだ。だからバイクは乗ること自体がスポーツなのである。
少なくとも、私は、スクーターで場所移動のようなことをバイクには求め
ない。あくまで私は、ね。

(よくネットでも私は非難されるが、私は私自身の選択肢を書いている
のに、それが世間一般に強要しているかのように被害妄想で勘違い
して私を揶揄する連中多すぎ。「あくまで私は」と私は書いている。
主体性がないのに限って、きちんと自他の区別つけられずに、表層
だけをつまみ喰いのように斜め読みして人を非難するんだよなぁ。
病んでるのかね)




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援用 ~刀法~

2016年06月08日 | スポーツ・武道など



先日、地元の友人に私の肥後守を振ってもらい、面白いことに気づいた。
それは彼が剣術を一切やらないのに、刃筋を立てて、しかも空中保持の
紙の角を振り幅5センチ位で片手切りで振るのみでシャコシャコと切った
ことだ。

以前、同じく剣法をやらない人2人に三原で全く同じことをやってもらったら、
全然
切れない。
また、抜刀系の有段者剣士に同じことを福岡でやってもらったら、全く切れ
なかった。


これは何故か。
理由は、「手の内の冴え」があるかないかだ。
刀法が使えない人は、刀やナイフでも刀身を振るのは力だと思ってしまう。
実際の剣法では、刀を力で振って力でピタリと止めるということはほとんど
ない。逆に力を使ったらピタリと刀は止まらないし、刀線の伸びもない。
よく剣法を知らない者は、無駄な筋トレをしたり、力任せに振り回したり刀身を
止めようとしたりする。
そして、大抵は柄をギュッと強く握り込んだりしている。
だから、手に豆ができたりする。
本当のところ、達人剣士の掌はプニョプニョである。軟らかい。豆などはどこにも
ない。
なぜか。
それは「柄を握る(=力任せに握りしめる)」ということを一切していないからだ。
ムチのようにしなやかに刀は振るからこそ最大速度が出る。

考えてもみてほしい。
野球のピッチャーの投球において、肩肘腕に力を目いっぱい込めてボールを
強く握りしめて投球ができるだろうか。
遠投にしろ速球にしろ、力んで体に力を込めて投球などは一切できない。
刀の振り様も野球の投球とまったく同じである。
レーザービーム投法はしなやかだからこそできるのである。
投法は刀法に通じるのである。


件の地元の友人が、初体験でスパスパと紙を肥後守で切断できたのは、
それは彼が上級の撞球者であったからである。
ビリヤードにおいても、キューをギュッと硬く握りしめていては一切キューが
切れない。(キューの撞球効果を最大に活かす撞き方を「キュー切れ」と呼ぶ)
彼は押し玉も引き玉ももちろんできるし、手玉のどの撞点を撞いても手玉と
的玉をコントロールする。
それができるには、キューが使いこなせないとならない。
キューを使いこなすには、「手の内の冴え」がないと無理だ。
彼の愛キューは、私が進呈したポール・モッティ作のガス・ザンボッティ・モデル
である。値段が軽自動車が買えてしまう程高級とかそういうことではなく、モッティ
の作品は仕上げが一級であるだけでなく、打球性能がことのほか優れている。
だから、コレクターズアイテムではなくプレーキューとして存分に使用できる。
モッティは引退したので、もう新作が手に入ることはない。

(私が10年ほど前に友人に進呈したガス・ザンボッティ・モデル)



(モッティ作のオリジナルシャフト2本に特注バディ藤田製スペアシャフト)

(リングはAとBがモッティオリジナル。Cがバディ藤田製)

剣法における刀法の手の内は、キューという得物を扱う撞球とも
通じるものがある。要するに力任せに握りしめたり、力を入れたり
するところは一切ない。力を入れたら刀もキューもまったく切れない。

そういえば、かつてビリヤードのスリークッション種目の世界チャン
ピオンだった
日本人小林伸明プロは、居合剣士でもあった。



私は最近玉を撞いてないが、今は何十万もするキューはほとんど使わない。
撞球場で店長から「それほどお気に召したなら差し上げますよ」とただで
頂いた
このハウスキューで充分だ。充分というか、これ、かなり使える。


その実勢価格3,000円程のキューで、私はこういうこともやる。






まあ、腕ではあるのだが、キューにもよる。
値段に関係なく、てんで駄目キューというのは確実にあるから。
ただいえることは、刀と全く同じで、性能の良し悪しは金額ではない。
数百万する日本刀でも、デコピンしただけで刃こぼれするようなの
では、てんでお話にならない。

以前、あるキュー切れ大魔王みたいなプロと相撞きする時、「全部
撞かせてよ」というので、私の所有キューすべて持って行ったことが
あった。
私のキュー全部を撞いたプロの感想がおかしかった。
「なんだろ。所有しているキューが全部同じような傾向で同じような
性能のキューに感じる」
だって、集まってるのはそういうのばかりだもの(笑
刀でも、手元に置くのは直刃が主体となる。

太刀魚専門鮮魚店うを新の販売刀が面白い。
これは店に行ってみればネットにも載せていない刀が沢山あるが、
あることに気づく。
傾向が似た刀剣ばかりなのだ。
あれ、絶対に商売第一ではなく、自分好みの刀を仕入れてるよ(^^;



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定寸(じょうすん)

2016年06月08日 | スポーツ・武道など
銃による居合。
SLOW DRAW-COLT .45 SAA-



三尺三寸による刀術の技法は、それはそれで素晴らしいと思う。
英信流のルーツにおいても長寸刀にて近接戦に有利な短剣に勝つ技
としてその技法は重視された。
ただ、私が三寸三寸に食指が動かないのは、江戸期の登城では許され
なかった寸法の刀であるからという以前に、私が扱えないから、という
最大の理由がある。
「抜きながら斬る」ということができないのは、私の中では居合とは
位置づかない。
抜いてから撃つというのであれば、バントラインスペシャルでもドロウ
はできる。「抜きながら」ということが居合だと思っているので、
それが叶わないのは私にとってはドロウショットとはならない。
私にとっての居合とは、英信流奥伝にある「格を崩してでも瞬速に」という
教えのことであり、超高速抜刀斬りの実現のことだ。アルミ刀身ではなく
真剣で。
しかし、実際は横に「抜きながら斬る」ことをやってのける人もいる
ので、やはり、術の出来不出来の問題だろう。総括すれば、私は未熟なの
である。
せいぜい、ファーストドロウのような素早い抜き打ちは二尺四寸までの刀
しか私は扱えない。
日常的な常用は身長174にして二尺三寸四分である。
だが、短寸も極めればなんとかで、ほんの2ミリ刀身の長さが異なっても
違いを察知できる。
これはバイクのレーシングマシンのレバー角度が1度違っていても感知できる
のに似ている。また、バネレートや減衰力がリニアにどう変化してどう
なって仕事しているのかを瞬時に正確に察知することに近い。
さしあたっての私の目の前の目標は、ボールペンで書いた程の幅の線を
その線通りに切れるという正確性だ。
弓を引く人は、このあたりの私の言わんとしていることが理解できるのでは
なかろうか。
意外と居合の世界というのはアバウトで、全く正確に
切れて(振れて)いないのに「良い居合」などとされてしまうことが多い。
甘いと思う。
撞球の世界などでは、ほんの1ミリずれたら物理的敗北に繋がることが
全局面においてあるので、ピリッと緊張して精神集中力は極限にまで持って
行って勝負をする。
居合では真っ向が真っ向ではなく右眼の上から刀が振り下ろされようが、
横抜きつけで切先が上を向いてようが高段者だったら賛辞するという
くだらないことが常日頃行なわれている。
駄目なものは駄目だ。段位は関係ない。
切れていない居合は居合ではない。
それは、「健康体操より少しは居合ぽく見える運動」である。
刀法を行なう剣士は、天井から真下に垂らした糸を、真っ向ならば、100回
真っ直ぐに切り下ろしたら100回糸が縦に真っ二つにならないと嘘なので
ある。

例えば撞球のA級者は、台のセンターに的玉を置いて手玉ブレイクゾーンの
2ポイント以内からのセンターショットで1.6玉幅のポケットに的玉を50発なら
50発全て沈める。
また、一度フォームを取ったら、目隠ししてでも球をポケットに落とす。
私でもこれはできる。私は居合はC級だが撞球はA級だからだ。
このことは、ピンポイントで凝視しているのではなく、遠山の目付けで全体
を空間把握していることを示す。
人間はそれができるのである。
ウォッチではなくシーで空間を把握する。

居合も同じで、ぼうっと全体をぼんやり観ているのだが、細かいところも
把握している。
そして、切りについても、斬り込みの入刀点や切り抜け点をピンポイントで
見ることはしない。
目付けは敵の顔に付ける。
これは据物斬りでもそうだ。

そうした「空間の把握」を行使しながら正確にミリを外さずに切れるように
なるのが、目下の私の目標である。
換言するならば、「見たら切れない」のである。
刀法に人間の空間動体能力をシンクロさせる。
それを私は目指している。




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居合讃歌

2016年06月05日 | スポーツ・武道など



これは私が1990年に描いた居合の先輩の鉛筆画素描だ。
げ!もう四半世紀以上前だよ(^^;

先ほど先輩から電話をもらった。朝から気分が良い電話だった。
昨日の埼玉県での居合稽古に私の紹介者が参加したとのことで、その
ことでの報告の連絡だった。
物凄く筋が良い人なので本気できっちりやればかなり行く、と先輩は
言っていた。
いいね~。わが「日本刀探究苑 游雲会」メンバーの同志のことだよ(^0^)
神奈川の私の同門の実力剣士も游雲会メンバーだし、游雲会は物切り
部門だけでなく意外と居合剣士も多い。

先輩のとこは1週間のうちほとんど毎日稽古日があるから、練習は
自分の都合に合わせて通えるす。
それに、自宅邸内の庭で斬術稽古もするからなぁ。
今は10人ほどで、1日で200本くらい切るそうです。
昔は2~3人で200本ほど切っていたから、少しだけ一人分の切り数が
減ってるけど、まあ一般的な物切り稽古のところよりは切らせてもらえる
でしょう。
今は切りくずを廃品業者に5000円で持って行ってもらっているから、
頭割りで一人500円が据え物畳表切りの稽古の参加費の模様。
昔はすべて先輩が負担して、参加費タダで稽古させてもらっていた。
先輩曰く、「生業でやってるのではないから金は取らない」とのことで、
これは小笠原流の教えにも通じる。武芸を売って生活してはならないのだ。
先輩も生業は別に持つ。普段は会社の経営者で会長職にある。

私も昔はほんとに数を多く切った。もうお腹一杯というくらいに。
今はほとんど切らない。



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イタリアの星

2016年05月31日 | スポーツ・武道など


かつて、1990年代に10代半ばで紅顔の美少年の世界チャンピオンになり、
世界タイトル獲得数においても現在進行形で記録を塗り替えている史上最強
のロードレース世界王者が、どんどんルパァ~ン三世になってる件(≧∇≦)

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優駿

2016年05月29日 | スポーツ・武道など



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「ダービー見ずに死ねるか!」と言ったのは誰だったか忘れたが、
こんなガッチガチのダービー見たくないっ(^^;
1-2-3人気が3-2-1で入着。3連単でも4,600円だってさ。
馬券買ってないけど(^^;
ああ、アイネスフウジン中野ちゃんが懐かしい。
あの「中野コール」は、ぜってー「汚れた英雄」の北野晶夫コールの
再現だよな。不死鳥のように蘇った中野選手に対しての賞賛という
ところで。あれが競馬界では初めての観客群衆コールだった。

というか、やっぱ、ダービーといえばラッキールーラだな(違





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東北日本居合道大会

2016年05月29日 | スポーツ・武道など



本日、新潟で「東北日本居合道大会」が開催されている。
刀工康宏友の会「游雲会」のメンバー数名が参加の模様(^^)v

私は何をする人ぞといえば、本日0530から出勤し、事務処理してる(^^;
先程、息抜きのコーヒーブレイクで、ドリルを削ったタガネを手慰みに
走らせて「康清」の銘を切ってみた。
これは偽銘ではありません。
おいらが切ったおいらの銘だから、これこそ文字通りの正真正銘(^0^)



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古流実戦剣術研究会

2016年05月25日 | スポーツ・武道など



時代劇画家のとみ新蔵先生の古流実戦剣術研究会の
ウェブサイトが開設されたそうです。

こちら → 古流実戦剣術研究会

とみ新蔵先生は、1960年代末期の革命と戦争準備の時代の中で
砦の上に我らが世界をと叛乱に生きた新左翼系全学連の当時の
若者たちを「過激派」とは呼ばない。「闘士」と呼ぶ。
その一点だけで、私は個人的に信用している。

そして、先生のこの言葉も。
「『出自を以て他者を蔑視するなど、自身が卑しい人間であるとの公言』
その通りです。
今だに、そがいな人はとっても恥ずかしい事です。
大切なのは「出自」などではなく、その人の「行為」と「精神」のみです。 」


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着崩れしない袴のはき方

2016年05月18日 | スポーツ・武道など

全公開は避けるが、私は一部に特殊な着用法を用いて
袴を着用している。
私の袴の着付け方だと、少なくとも私は着崩れしない。

一部公開する。これは知っている人は誰もがやっていること
だからだ。ただし、私のオリジナル部分は非公開。

まず、帯は私は稽古では逆神田に結ぶ。これは私式だ。
神田の逆だから松田とでも名付けるか。いや蒲池か(笑
稽古用では幅が狭い化繊の二寸三分帯にしている。



こちらは絹の角帯、博多献上を一文字巻きしたときの画像。
紋付の演武などの時にはこのように正絹角帯で一文字に箱結びに
縞帯を結ぶ。「稽古着」で「晴れ」の場で演武するというのは失礼に
あたると私は考えている。「ハレ」と「ケ」については厳格に意識する
必要が日本人ならばあると私個人は考えている。


前紐を後でバッテンにして結ぶのも一般と同じ。
その後は、こうやって、袴の後紐を一旦袴の前紐の最上部に
通して袴板の位置をギチッとキメちゃうの。
献上模様の帯には上下があるが、この帯は作り込みによる刀の
据わりを考えて上下はこの向きにしている。



これは実は私が習った頃の剣道の袴のはき方で、私は大昔からこれにしていた。



撮影の為片手だが、両手でピンピンと引っ張ってテンション掛けて
袴板をバシッと帯の結びより上方に乗せて背中に密着させる。たとえ
稽古着の袴だろうと、帯を締めているのだから、袴板の下は小さな太鼓
状になるように着る。これは絹製帯と絹製袴の場合さらに登城着装のように
シャキッと太鼓ができる。袴板から真下にデレンと袴が下がるようには
稽古時でもしない。



太鼓とはこのような袴の後ろの状態。これが武家の袴のつけかた。
そして、殿中小さ刀は大刀の代わりなのでまっすぐに閂に差す。
厳密にいうと、やや閂ぎみの鶺鴒差し。


鶺鴒差しとはこれ。武家の登城時の礼装での刀(小さ刀=大刀の代わり)
の差し方。落とし差しと完全閂差しの中間よりもやや閂ぎみの角度。

セキレイ






セキレイを観察すればすぐに判るが、尾は45度ではない。
やや閂(地面と水平)ぎみの斜めの角度である。
「鶺鴒差し」と呼ばれるからには、45度ではなく、鶺鴒の尾の角度で
あることに言われの所以がある。
鶺鴒は地面や岩場に着地して尾をクイックイッと上げる。それが鶺鴒
の特徴であり、その様子を採った正眼は鶺鴒の構えなどと云われたり
している。
鶺鴒を実際に観察すれば即断できるが、これが鶺鴒の特徴であり、突起
場所に飛来して尾を下げた鶺鴒は他の鳥と同じ45度角度となるので、
あえて鶺鴒差しと呼ぶことは惹起されない。45度角度になるならば、
オナガや鷹でもよいのであり、鶺鴒差しが鶺鴒と呼ばれるのには、
鶺鴒たる特徴の写しという行為があるからだ。
それをきちんと知悉していないと、誤った方式を思い込みで誤伝拡散
することになるので厳重注意が必要だ。
尾を45度に傾けられるイレギュラーな鶺鴒の着地状態を引用して鶺鴒
差しについて説明するのは明らかな誤謬である。



ここから先が私の(というか私が通った道場の)オリジナルの方法で
袴紐がずれないように特殊な方法で締めるのだが、
それは非公開。

あとは一般着付けと同じく、東京豊島岡女子高(頭良くてかわいい子が
多かった)の制服の通称「コロッケ」を作る。





できあがり。角帯の真下にコロッケが来る感じ。本当は小笠原流武家
礼法で十文字にする。稽古の時は豊島岡女子クリームコロッケ。(この
画像は強調するためにあえてやや下にコロッケを作った)



なお、袴紐の前紐と後紐は、現在は後紐を前紐の下にくぐらせる
方式が正式かのように着付けることが一部で見られるが、江戸期の
武士の古写真を観察しても、上部に後紐がくるのが幕藩時代の
正式な結び方と思われる。


鍋島家の裃


刀を閂ぎみの鶺鴒に差すとこうなる。袴紐の一番下段は刀の下になる。
(コロッケは正規の位置にした)


鶺鴒差し。水流しとも呼ぶ。

二本差しの時にはこんな感じをお手本に。大刀は「前半」に。
そして、これはコロッケを作らないいわゆる剣道のように袴紐の
端を絡めるやり方。袴は「後上がり前下がり」にはく。



脇差は切り合いの際には落とし差しにするが、通常は閂に差す。
これは幕臣旗本の外国人要人警固部隊。当時のSPだな。脇差は
閂に差している。垢ぬけた絽の羽織を着ているので夏ですね。
後ろ右側は斎藤大之進殿ではなかろうか。



脇差とダブル閂だとこんな感じ。幕臣系に多い。


ダブル閂差しの前差しバージョン。


袴は後ろ下がりには絶対にはかないのは一般和服の着付けと同じだ。
私も右横の先輩もここでの刀の差し方は鶺鴒差しの前半(1992年)。



ということで、私の着付けではこうなります。



土佐居合では落とし差しはダメあるよ。(父方実家庭にてハタチの時の俺。笑)

私は居合の師匠から刀の差し方を習ったが、私の師匠の先祖は福岡藩黒田
家の家老だった。師匠は福岡藩伝新陰流の目録を允可されていた。黒田藩
新陰流は「落とし差し」に刀を差す。それにはその藩なりの歴史的な理が
ある。
その師匠がやって見せて教え残した「落とし差し」とはこの角度である。
これは鶺鴒差しとは呼ばない。武士の系譜の剣技を嗜むならば、知っていて
然るべきことの一つであろうと思われる。


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居合の稽古 ~尾道~

2016年05月18日 | スポーツ・武道など



昨日のリファレンス・ポイント

攻めの無い俺 体操居合

駄目じゃん(^^;


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