渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『マイ・バック・ページ』予告編

2014年01月01日 | open

映画『マイ・バック・ページ』予告編


知らぬ仲ではない元朝日ジャーナルの川本さんが書いた原作でもあるし、
昔、四半世紀以上前、前職でいろいろ当該事件の裁判書面を詳細に読まざるを
得なかった
ので、今でも生々しすぎて見る気はなかったが、少し時間が過ぎて
「観てみよう
かな」という気になっている。
ただし、相当な決意をもって観た立松や若松(ダブル松やな)が描いた「映像」も、
私が知る現実とはかなりのズレが
あった。やはり現実に起きたこと(それは
裁判調書においてすべて明らかに
なっている)と、「映像作品」は大きく異なる。
ただ、この手の映画作品は、
感想としては立松よりは若松は肉薄していたし、
佐々のはいつもの調子の極めてアホチックな
独善的な自分自慢で映像作品と
してもノンフィクションとしても論外、という感じだった。

この『マイ・バック・ページ』で描かれている(だろう)事件は連赤とは違い、
かなり実体としてはキクイにしろアオトにしろ、現実世界での関係者に虚飾性、
虚言性が強いことを
知っているので、観賞後に現実とのギャップに苦しまな
ければよいのだが・・・。


公開時、友人に誘われたが、劇場に観に行くことを拒否していた。
このような映画は、同時代感覚を有しない人間と一緒に観ても、作品が
どうか以前に、その同行者に対して不愉快になるのがオチだからだ。
どうせわけわからぬトンチンカンな感想(しかも憤慨ぎみに)を為すのは
目に見えている。

一年以上経った今、一人で観てみようかという気になっている。

『マイ・バック・ページ』オフィシャルサイト

予告編で彼は言う。
「我々は、今度の決起でようやく三島由起夫に追いついたんです」と。
そして、別な彼は言う。
「教えてくれよ。君らが目指したものってなんなんだ」と。
本来、この時代にあって「君ら」ではないだろう。
総体としての「我々」だろう。
「我々」とは「わが一派」という意味では勿論本来ない。
だが、多くの「彼ら」は「我々」を「わが一派」としたがっていた。
過激なことをやればやったもの勝ち、という感性が確かにあった。
それは右も左もそうだった。
ここにこそ、自己閉塞と大衆からの乖離という大きな落とし穴があったと
いうのに。

(ちょっと・・・かなり脱線するが、『マイ・バック・ページ』オフィシャルサイトのメイキング
動画にこういうシーンがあった。



各派の兜の字体はリアリティがないが、色分け等はどうにか再現している。
だが、反帝学評=青解の被り物が水色なのが解せない。本来は紺色に近い青で
ある。これは、映像動画等で残っている光度を上げて白んだ資料を参考に小道具
さんが色を塗ったからであろうことが想像できる。さらにゲバ字フォントは68年東大
以降には、字を見ればすぐに何派か判別がつくほどにすでに各派の独特の字体=
個性が出来上がっていたので、それを再現しないのはおかしい。その点、かわぐち
かいじの劇画『メデューサ』はウルトラリアルである。

そして、銀兜が手斧持ってないじゃないか。ふざけんなよ。リアルに描けってんだ。
銀は手斧だよ、手斧。中核や青解とやるときも右翼相手でもこれだよ。これで神大でも
明学でも
全戦全勝だったんだよ。法政からは白に叩きだされたけど。その後は、鉄パイプ
なんて
甘っちょろい物はメットで弾かれるから、鉄板3段溶接の獲物を発明したのも銀帽だよ。
これだとゲバの時にメットに一撃で沈み込むから。それに、銀は兜の被り方も厳しくて、
ちゃんと機能するように目深に被るんだよ。一人「女の子被り」してるのがいるが、
これは銀に限ってはあり得ない。  (と古い大学OBから聞いたことがある。私は60年
生まれなのでタイムリーにはよく知らない。ただ、同世代の小峯隆生が言うように、都内
首都圏は「準内戦状態」だったことはよく覚えている)



ただし、総体として、1970年前後に変革と解放を求める巨大なうねりが、
日本だけでなく全世界であったことだけは揺るぎない歴史的事実である。

(日本の1968年)


(68年の神田カルチェラタン)


(都心での投石戦。一般市民も投石に参加した)


(機動隊は捕えた学生たちを防石盾の前に立てて自分らを守る人柱とした。
当然、権力の捕虜となった学生はズタボロに警官によって半殺しの目に遭い、
さらに警察によりこのような扱いを受けた。やがて人柱の学生はぐったりとして
動かなくなる。投石は学生市民だけでなく、機動隊もガス銃や劇性化学物質入り
の放水だけに留まらず積極的に学生市民に対して石を投げた。この神田の一戦
において、当時日大生だったテリー伊藤氏は眼球を深く負傷した。石は人類が
最初に手にした武器である。投石用の石は歩道の敷石をはがして割って作った。
それを前線まで運搬するのは主に女子学生の役目だった。男女の差なく、女子
学生も多く反戦闘争に参加した)



(丸太を抱えて肉団勇士となるべく中央大学を出撃する学生)


(主要幹線道路は人々で埋め尽くされた。60年代末期の街の陽炎)

(アメリカ合衆国)
 ウッドストックも単なる音楽祭ではなかった。


(1968年フランス)


(特にフランスのパリのソルボンヌ大学ナンテール分校から始まった学生反乱は
フランス全土に飛び火し、フランス教職員組合はゼネストを呼びかけ、労働者
総決起となってフランス五月革命となった。市街地カルチェラタンは道路封鎖
され、敷石がはがされ、労働者・学生の投石により機動隊と激しい闘いがくり
ひろげられた。フランス第二革命の一歩手前まで進んだが、労働者学生側が
敗北。しかし翌年ドゴールを退陣に追い込んだ)

日本の大学でも、10人いたら8人までが学生運動に参加した、そんな時代
だったのだ。高校生、中学生たちも参加した(麹町中全共闘だった保坂は今
選挙で選ばれて世田谷区長になっている。さらに、防衛庁長官だった自民党の
加藤はさらに古い時代の60年安保では東大ブント=共産主義者同盟だった)。
かつての左翼系学生運動経験者は、4学年と時代的積層を計算すると、日本国内
において数千万人いる勘定になるだろう。
「大衆的参加」の浮動層ではなく純然たる党派としても、中核派だけで今も2万人
いると誰が知ろうか。(私個人はチュン白はZや青と共に大嫌いだが)
それほど大きな「うねり」として「政治の季節」があった。活動家ではないにせよ誰でも
ベトナム反戦デモくらいは参加していた。北野たけしは、三宅ゆうじと同じく赤い兜で
デモに参加していた。三宅は落研なので「アンポ粉砕!インポなおせ!」とかデモ
コールしていたら指揮者に「こらー!そこ、まじめにやれ!」などと叱られたりした。
時同じくして青学の赤帽のキャップ-洒落じゃないよ-だった本名會泰通は、今は
物知り顔で詰まらない落語を円楽という高座名で演っている。その円楽と同じ派
だった早稲田出身のWは私の高2の時の担任だったが、今は何をトチ狂ったか
ほとんどが東大に進学するという都内有名私立高校の教頭なんぞをやらかしている。
現職がどうであれ、多くの人が社会的な運動に関わった。私の居合や剣術の先輩
たちの中にも運動に参加した人が多くいる。曰く「日本武術は右翼の所有物ではない」
とのことだ。

ことの善し悪しはどうであれ、1970年代頃までは、18歳で大学に入った若者
たちは、自己と政治と社会と世界との接点を密接に感じ取って何かに向かって
生きていたのだ。学生には社会問題を鋭敏に感じ取る若者特有の先駆性が
あったのである。そして、他人事で見て見ぬふりはせず、積極的に自分から
嵐の中に立とうとした。
いや、むしろ、プロレタリアートではないプチブル・インテリゲンチャである学生は、
階級ではなく「層」として、鋭敏な感性に基づき、情報発信源として労働者階級に
警鐘を乱打するその先駆性こそが唯一の拠り所だったのである。
その意味においてのみ、学生には労働者階級の「前衛」たりえる素地があったと
いえるだろう。
今の大学生さんは・・・中学生みたいね(しかも中1あたり)。
学生のことを「生徒」と間違えて呼んだり、教授陣や講師たちを小学校の教師
感覚で「先生」と捉えたり。
先日、「宿題忘れて先生におこられた」とか言っている大学生を見て、正直私は
唖然とした。
10代、20代前半なのに自分たちが世界を変えようとしていた、体を張って血を
流しても自分が社会の主人公になろうとしていた、というのは幕末志士の時代
から1970年代までで完全にストップしたような気がする。
そういや、最近、高校生もなんだか小学生みたいだもんなぁ・・・。
いい大人もジャーナリズム誌ではなく、美少女アニメやアイマスやAKBに
夢中なんだから、時代なりか。そして、ネトウヨ大集合、思考停止バンザ~イ、
てな感じでしかたないね、ニッポンは。
あの石原慎太郎でさえ、60年安保の時は安保条約に反対して安保闘争に
参加してたなんて、今となってはたれが知る(笑)

この手の映像作品で、現実とは遊離しながらも「作品」として当時の時代性を
的確に捉えて描いていた作品は宮崎あおい主演の『初恋』だった。
ストーリーとしてどうかではなく、「空気」としてかなりリアルで不気味だった。
あの作品で登場した小出恵介演じる主人公「岸」も藤村俊二演じる「バイク屋の
オヤジ」も、いわずもがな、「消された」のだろう。
こうしたことは、現実社会でも「よくあること」だ。
それが見えた時、あの『初恋』は、ヒタヒタと身近に姿を隠して迫る権力の恐怖の
現実味を帯びてくる。
権力にイデオロギーはない。ソ連も権力の権化だったし、民衆の利益とは反する
存在だった。
日本人はいつのまにか、現行権力にひれ伏すことが美徳のような感性を植え
つけられて、それが骨の髄まで沁み込んだ。

でもこんなジャパンでも、若い人たちは思考停止+差別排外主義者の
ネトウヨばかりではない。
今の原発問題でもそうだが、イデオロギーではなく、本当に未来への生存を
かけて懸命に訴えている若い子たちがいることを見ると目頭が熱くなる。
まだまだ、日本も捨てたもんじゃない。おれらおっちゃんたちもシャンとせんとな、
と思う。



画像はこちらのブログから無断拝借しました。 ブログテンプレが私と同じなのは
単なる偶然です。

それにつけても得意の掌返しで原発容認のハシモトは許し難し。
恥ずかしいことだなぁ。政治屋渡世とはいえ。
核廃絶無理発言にしてもアホかっつーの。
目標定めてそれに向かってなんとか人々が知恵を出し合って努力することを
放棄して、目先のことばかり追ってどうするのさ。
いつもやつは目先のことばかりを追っていろいろ言い回ってるけどね。コロコロと
主張を変えながら。
だから嫌いなんだよ、俺は。弁護士時代から。
それに「相続税100%」なんて、おま、それはなんぼなんでもアカンやろ。
日本人は全員が借家住まいの無産階級じゃないんだから。
維新の会、アウトやん。もっとも、死んでも橋下党には投票しないけどね、わしは。
政局は93年の再来だと思うので、どうなるかわからんけどな。