渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

博多 一風堂

2014年01月30日 | 外出・旅







来たぜ!

お茶がメチャうま(笑

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ナイフの好み

2014年01月29日 | 刃物

ナイフというのは実用刃物だが、カスタムラインのナイフは
コレクションアイテムとしても好まれている。
私の場合もやはり使わないで取っておきたいナイフという
物はあるが、基本的にはすべて使う。

ナイフは実用刃物であるので、使用用途によってブレードの
形状が異なり、それぞれ名称がついている。

トヨクニナイフさんの資料から)

キャンプなどで汎用性が高く、日本でも一般的になったのはボブ・ラブレス
がデザインしたセミスキナーだった。


なんという美しいシルエット。それでいてこのブレードラインは
使い勝手がすこぶる良い。今は1本で日本刀買えちゃうけど(^^;


私が個人的に一番使用するのはセミスキナーでなくこのタイプだ。

これは分類でいくとケーパーですね。

しかし、実用に供しないとしても、シルエットとして一番惹かれるのは
スキナーである。
こういうブレードのシルエット。


スキナーナイフというのはどういうことに使用するかというと、読んで字の
ごとく「皮はぎ」です。


最近日本に来ているケネディ大使が何か言って騒ぎになってるけど、
イルカさんは殺してはいけないけど、イノシシさんだったらいいのか
という気が個人的にはすごくするのだが・・・。
なら牛さんや豚さんや鶏さんはどうなのよ?とも思う。
無制限捕獲は問題だろうけど、そもそも米国自体が世界最大の
捕鯨大国だったのに、それ棚に上げて鯨についてどうのこうの言う
のが気に入らない。

食肉については、日本人でも、スーパーに行けば肉を買えると思って
いる人がほとんどで、食肉牛や豚や鶏を育てる人、それらを解体して
精肉にする人、運ぶ人、店頭で販売する人、多くの人が携わってやっと
我々の食卓に肉が並ぶということを忘れがちだ。(あと料理を作る人ね)
金さえ払えば何でも揃うと思っている。そう思わなくとも、自分が手を
下さずとも金を払えば食肉を「購入」できると思っている。でもって、肉を
食うくせにともすれば
精肉業を嫌ったりする。
だったら、自分で牛や豚を育てて
自分で殺して、自分で皮はいで、自分で
精肉にしろや、と俺などは思う。

普段、肉を食して、その恩恵を享受しながらも、製造過程やその仕事をする
人を嫌ったりする、
そういう思考回路の組み立てが私自身は好きではない。



で、アメリカ人はこのように教育の一環としても、動物の皮はぎ(スキニング)
をして解体して食肉にすることをしたりする。
けれども鯨は頭がいいから殺して食うのはかわいそうなのだそうだ。
だったら、牛や豚は馬鹿だから殺してもいいというのか、という疑問を持たないの
だろうかと思ったりするのだが・・・。
とにかく、世界最大の捕鯨国だった国の国民が捕鯨を嫌って捕鯨を非難し、
このようにきちんと食肉文化を若い子にも伝えているのに、「鯨は駄目」と
いうのはなんだかよく解らない。
犬食は中国と朝鮮と日本で盛ん(日本は
江戸期も)だったが、もう犬を食う
なんてのは英米人にしてみたらとんでもない
非道なことなんだろうなぁ。
そのくせ可愛いウサギさんは彼らは平気で食う。七面鳥なんて好んで食う。

なんだかね〜、正直いっておかしいよ。
だったら、魚はどうなのよ?
とか思うけどね。
霞でも食って能書きたれろや、と。


話をナイフに戻す。

スキナーは実際に皮はぎ用なので、動物を解体しないのならば持っていても
意味ないかというと、そうでもなくて、あまり反りが強くないタイプは結構汎用的
使える。
でも、やはりセミスキナーくらいの物のほうが使いやすい。

このセミスキナーぽいドロップポイントなんかは個人的にはとてもいい感じに思える。


お気づきかもしれないが、これはシース(鞘)が刀のようにナイフ自体を
斜めに差せる構造にしてあるのがまたいいよ。


こんな構造になっている。これは使い勝手がいいぞお。


以前から思っていたが、ナイフの切先を真下に向けてシースを
ベルトに吊るすのって、個人的にはとても使い勝手が悪い。
ほとんどの「ナイフ取扱い」では真下に吊るすように日本のナイフ
ショップやユーザー解説本でも説明しているけどね。私個人は
それは使いづらい。

こういう感じの装着方法が私自身は一番使い勝手がよい。
ジョン・ウェイン

で、上のセミスキナーのシースに行くわけだ。
アメリカではこういうタイプのシースがあるけど、日本では一般的
ではないんだよね。ベルトに通して刀のように装着できるシースが
ほぼ日本国内では皆無。カスタムで注文生産するしかない。
なんでもかんでも腰から真下向けで吊るしてるのって、なんだなかぁ。
アメリカンテイストのナイフなんだからアメリカの良いとこは参考に
すればいいのに、と思う。
アメリカ人のほうがナイフに関しては「固定観念」を持っていない
ところが、ナイフが生活に密着していた開拓魂を感じるよ。
鯨については固定観念持ちすぎだけどね(苦笑
日本人の場合は、ナイフというと「え?危ない人?」とかの大タワケの
固定観念があるけどね(苦笑
包丁も英語ではナイフだ、タワケ。どの家庭でも毎日ナイフ使ってる
だろうが。とか言ってみたくもなりますよ、と。

アメリカにはこのようなサイド・ドロウ・シースや傾きのあるシースも
ごく普通に存在する。日本、遅れてるっす。
 


実用主義優先!カッコイイ〜!


キャンプに行く時にナイフは忘れずに。


そうだ。俺、「焚火派」だったんだ。ここ10年忘れてたよ(笑


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一つの教え 〜無双直伝英信流〜

2014年01月28日 | スポーツ・武道など


(故春名松男先生)

岡山県の春名先生の残された写真から、英信流の一つの教えが
読みとれる。
春名先生は無双直伝英信流皆伝者山本晴介先生直門の
山渋吉数先生(岡山県)の直弟子だった。春名先生は私とは同門
同系列の先生で、全日本大会で
日本一になられたこともある。
お元気だった頃、何度も演武を拝見した。枯淡の中に煌めく動あり、
素晴らしい居合だった。

英信流教えの一つ、それは、納刀の際にはこのようにしっかりと
鯉口を隠す。隠すのもペタンと上から掌で塞ぐように隠すのではなく、
このように「龍の口」で
隠す。
この所作は私も私の師匠(晴介先生直門)からきつく言われ続けた。
さらに私の師匠は、抜刀の際も鯉口を見せないようにしていた。
それらには流派の「理」がある。


師匠。鯉口は隠している。3年前、81歳の時。
今年84歳だが、剣勢変わらぬ居合を抜く。
但し、師匠のこの山本晴介系列の抜き付けが、「英信流に
鞘引きなし」、「蝦蟇口」という谷村派(大江系)の基本事項
との整合性において、どうであるのかについては、口伝あり。
非公開。

私も納刀は「龍の口」にして完全に鯉口を塞ぎ、納刀中も刀身が
鞘内で揺れないように制御下に置き、また、火急の事態の際
には
即座に抜刀斬りつけができるようにしている。


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刀の好み

2014年01月28日 | 日本刀


(脇差 芸州住出雲大掾正光)

好みにもよるだろうが、脇差ならば私個人はこのような作が好きだ。
ごつい造りの薙刀直しのような鵜の首造。これは広島藩工だった
石橋さん
の作で、普通は直刃ばかりなのに、珍しく乱れ刃を焼いている。
末裔はフライフィッシング仲間だったが、モデルみたいに
めっちゃ男前
なのよ(笑
今大岡越前やってる東山君に似ていたよ。


かつて私の先輩がこのような造りで二代目康宏に大刀を注文打ちして
いた。
いや〜。大刀でこれはごつすぎて私などは振らしてもらっても使えなかった。
鞘払って
1.5キロくらいあったし。片手で振り回せなかった。
ただ、そのごつい体配でもヒュンヒュン使えちゃう人もいるんだよなぁ・・・。
滝田栄さんやライダー1号もそうだけど。
わしゃ重たすぎて使えん(笑
柄なんて、ああた、太すぎて、野球のバットの中ほどを持ってる感じだったよ。


これは滝田さんやライダー1号の刀も作った初代康宏だが、滝田さんのとは
刃文が
異なるから滝田氏向け注文打ちではないと思う。逆がかった丁子ですね、
これは。滝田さんのは手元が数珠刃で中から先は直刃、物打がまた数珠刃。



俺は鵜の首造は脇差までだなぁ・・・。
現物見たら、むっちゃくちゃごついもん(^^;

身幅一寸、長さ二尺三寸五分、反り六分の尋常な刀が俺はいいのさ。
尋常タイプでも二代目康宏は「かなり」丈夫だし(^^
もう斬らないけど(笑


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井の頭公園 30年ぶりに水を入れ替え 〜東京〜

2014年01月27日 | 時事放談



(フジNEWSより抜粋)

東京・井の頭恩賜公園の池の浄化作業を取材しました。


水質浄化のために水を抜いた池から、1メートルを超える巨大な
外来種の魚などが、次から次へと捕獲されました。東京の多摩地区、
吉祥寺駅の近くにある井の頭恩賜公園。普段は、お花見やボート
遊びでにぎわうことで知られています。その中にある池で行われた
浄化作業を取材しました。


おけいっぱいに入った巨大魚を運ぶ人たち。
これは、井の頭公園の浄化作戦の一環。
井の頭池では20日から、水質浄化を目的に、水抜き作業が行われた。
25日朝、池の魚の捕獲が始まった。
次から次へと陸揚げされる魚。
その9割が、外来種だという。
この水抜き作業は「かいぼり」と呼ばれ、外来種の駆除、水質浄化を
目的に、池の底を天日干しにしようというもの。

池の底には、大量の泥があり、その作業は重労働。
水揚げされた魚は、午前中だけで、およそ1,900匹。
そのうち、ブルーギルやそう魚などの外来種を駆除する。
池に戻す魚は、1つだけ水を残した池に戻す。
今回の浄化作業に集まったボランティアは、午前中だけで、およそ120人。
この指揮を執った、東京都西部公園緑地事務所の大道和彦工事課長
は「池の水がきれいになって、昔のような水草がゆらゆら揺れている池
を実現するために、少し時間はかかるかとは思いますけれども、活動を
続けていきたい」と話した。

池に水を戻すのは、お花見シーズンの3月の予定だという。
(01/25 18:16)


このフジのNEWS原稿を書いたのは、女だな(苦笑
まず間違いない。


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広島県の歴史

2014年01月27日 | 文学・歴史・文化



中世、刀工よりも栄えた三原の鋳物師は、古代青銅器鋳造技術集団との
つながりはあるのだろうか。

広島県の三原には弥生時代の遺跡が多くある。



だが、青銅器はどうなのだろう・・・と思っていたら、三原の北部の世羅町
から銅鐸が出土していた。

広島県の歴史について、三次歴史民俗資料館展示のパネルを表示します。

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映画『Wの悲劇』

2014年01月26日 | 映画・ドラマ



BSで『Wの悲劇』(1984角川)を観た。


いや〜、まさに、ちょっきり30年ぶりに観たよ。
すごい映画だ。
劇場公開の時は、大学の後輩と観に行った。
今改めてじっくり観ると、かなりの作品だ。
三田佳子が怖いよお〜(笑
凄い演技力です。
でも、なぜか松田聖子さんの歩みと聖子自身に三田さんの役どころが
重なってしまう(笑

気付いたこと。
劇中でストーリーのターニングポイントとなる問題の静香(薬師丸ひろ子)の
記者会見のシーンで来ていた服とあのラストシーンで来ていた服はあえて
似た同系の服なんですね。
記者会見に至る含みの出来事は、劇中劇と重なる伏線となります。
まさに「W」なわけです。
そして、最後の服はターニングポイントの記者会見の時点と似ているけれども
違うという
この微妙な演出の機微。これにはやられましたわ。細かい。

(静香の記者会見)

(昭夫(世良正則)と別れるラストシーン)

薬師丸さんも名演でした。


これDVD買おうっと(^^;
いいわ、これ。

だけど、薬師丸って、こんな可愛かったけ?


演技力をストーリーの中で変えていくという演技が見事でした。
この作品は、役者がすべて役者をしっかりとやっています。
こういうのは良い映画だと思う。
特筆ものはやはり三田佳子さんで、観ていると怖くなるくらい。
すごい・・・。


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柴犬が生まれた

2014年01月26日 | ポチたま

神戸のイトコんちで柴犬が生まれた。
ブログ 風の日記。

めんこいす(^^)


母は偉大なり!

父母ともに凄い血統なのに、柴を可愛がってくれる人に全部無償で譲るんだって。
業者じゃないし、本当に大切に育ててくれる人に分けたいんですと。

それまた凄いような・・・。
犬舎名は「有馬和風荘」です。「和みの風」という意味でつけたらしい。
イトコんちのワンコは各種コンテストでは何度も入賞をしている柴が3頭いて、
この母犬は家庭名を「茶」といいます。
いつもコンテスト出ると名を呼ばれるたびに会場がクスクスとなるそうで(笑
仔犬が生まれた日は1月23日で1・2・3で縁起がいいね。
今、茶はしっかりと母親をしている模様。

おいら猫も好きだけど、ワンコっていいわあ〜。

これはうちの4代目キャバ嬢・・・ではなくキャバリア。騎士という名の犬ですね。
目が開いた頃。2012年5月12日生まれ。


今では立派なヘタレ犬になりましたあ〜。


他のうちの歴代キャバは、1頭目を除き、みんな天寿を全うしました。
命果てるその日まで、責任もって一緒に暮らしましょう。

犬猫を捨てるなよ!


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浅香光代

2014年01月26日 | 内的独白

S氏とは佐藤栄作だろうか・・・。


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那覇上空に謎の光

2014年01月26日 | 時事放談



那覇上空に謎の光


来たね〜、これ。
まあ、なんつーか、未確認飛行物体なのだから「アナイデンティファイド・
フライング・オブジェクト=UFO」であることは間違いない。

ユーエフオーがエイリアンクラフトかどうかは意見の分かれるところだが、
先ごろ米国もエリア51について認めたし、フランスなどは国家がUFOの
存在を認めている。
というか、先進首脳国は本当はもう実態はつかんでどう対処するかは
協議しているだろうね。
シビリアンコントロールが効かなくなる国は不用意に情報を開示していない
けど、日本でも時々政府首脳が「漏らしたり」してるよね。初めてUFOに
ついて政府として云々を言ったのは海部総理だったが。
エイリアンクラフトだろうね、たぶん。
一昨年だかその前だかに、国連で大使が任命されたよね。何の大使って、
「異星人と正式にコンタクトをする地球人代表の大使」というのだから(笑
それを国連が正式に任命するくらいだから、なんというか、先進首脳諸国の
首脳はもうすでに異星人とコンタクトを取っているだろうという想像もつく。

なんだか訳わからない飛行物体が地球上を飛行しているのは各国空軍も
機影を捕捉しているし、地球外では国際宇宙ステーションや米国のシャトルや
NASAの衛星カメラにもばんばん写っている。
日本の政府首脳がUFO問題についてコメントした時に、あるTV局の女子アナが
「そんなふざけたことよりも税金問題どうするのか真面目に取り組んでほしい
ものです」とNEWSで発言していたが、アホやなあと思った。
その時は国防問題と絡めて政府首脳は発言していたのだが、国民の身の安全
よりも目先のトイレットペーパーかよ、とその時はその女子アナの「ハイソな見識
ぶり」に呆れた。
UFOはお化けじゃなくて、現実に飛んでいるのだから、いることさえも認めない
のはさすがにどうかと思った。

エイリアンクラフトかどうかは意見が分かれるところだが、各国首脳や軍部の対応
という状況証拠からすると、未知の飛行物体であり異星人が関与していることは
濃厚(というかほぼガチ)だろう。

地球の紛争地域や原発事故などの上空に飛来するのは常だが、今回の沖縄上空も
何らかの調査のためではなかろうか。
沖縄で今、国民が知らないことで何が起きている。
知っているところでは普天間とオスプレーだが。
日本国民に知られざる動きが米軍に何かあったかな。


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日本刀の研ぎ

2014年01月26日 | 日本刀



先週の火曜日の夜、尾道の道場の居合メンバーのご自宅に招かれて、
蔵の中で蔵刀を拝見した。

その中で、拵は良かったが、抜いてみて「あれ?」と思う刀があった。
所有者も私のその無言の表情を見取ったのか、「研ぎがよくないじゃろ?」
と言った。
確かに研ぎが良くない。だが、研ぎではなく刀を見ようとしたら、見えてくる。
出来はすこぶる良い。だが、研ぎで刀を殺してしまっている。
「研ぎから返ってきて驚いた。そのようにテカテカにされてしまった」と
所有者は言う。
いわゆるよくある現代研ぎだ。しっとり感がまるでなく、平地も磨き棒で磨いた
ようにテラッとさせている。そのくせ刃の刃取りは異様に白く品なくこすり出して
いる。素人向けの研ぎか、これは?
最近多い。地をただ黒く、刃をただ白くこするだけが「良い研ぎ」と考えている
手法が。
多く受け入れられるからそういう研ぎが流行るのだろう。
研ぎに出した先はここでは伏せるが、そこに私は自分の刀を出すのはためら
われる。
こういう研ぎの味は、上手下手の問題以前にセンスだと思う。
先日県北の歴史民俗資料館で見た赤羽刀は見事な研ぎが施されていた。
赤羽刀の分与については「郷土刀に限る」という条件があったのだというが、
研ぎについても刀剣保存の観点からも生半可な研ぎではないことも条件に
付加されていたのではなかろうか。見事な研ぎだった。平井千葉のような
手技が見られた作もあった。(平井流の研ぎを見分ける方法がある)

尾道の居合メンバーから見せてもらった蔵刀のうち、その一口は所有者ご本人
が言うように、非常に残念な研ぎ上がりだった。
その人が高校時代の友人の研ぎ師に友だち価格で研いでもらったという別の
刀の研ぎのほうが何倍も良い研ぎ上がりだった。
ギラギラ刀のほうは、光に透かして見たが、ラインと面にブレはない。
仕上げのセンスの問題のように思えた。
とにかくテラッている。それに、テラッていながら妙に肌を起こそうとしている。
いわゆる品がない。
刀が良い鍛えだけに、実に残念だった。研ぎの値段の問題ではないように思えた。
「錆が出たので研ぎを依頼したら、こんな刀にされてしもうた」と所有者は
言っていた。あの研ぎではそうも言いたくなるのがよく分る。気の毒に思えた。
どう言ったらよいのか、地鉄はテラッとさせられているのに肌を無理に薬品で
エッチングして出させたような研ぎなのだ。薬品の使い方間違ってない?
まるでダマスカスとかいうナイフのような刀にされてしまっている。
これでは「騙す滓」だ。

日本刀の研ぎは、目的がいろいろあるとは思うが、美術研ぎの場合、作品の
持ち味を最大限に出して、欠点を伏せてやるのが研ぎの使命のように私個人
は感じている。
どんな刀でも、同じように一律に研ぎ上げてしまうのは、なんだか大きく違う
ように思える。
斬り用の研ぎは基本的に美術研ぎとは異なるが、いわゆる「居合研ぎ」なども
一様に画一的な研ぎ方が蔓延している。居合に使う刀だからとそれでいいの
だろうか・・・。
現実に、「居合用」として拵付で売られているツルシの現代刀は、鞘を払うと
どれもが同じ刀のように見える。鋼の問題ではなく、研ぎが同じような研ぎ
なのだ。
正直言って、申し訳ないが、つまらん。
みんな金太郎飴のような刀にされてしまっている。
居合用だからとそれでいいのか。
私は居合用に作られた刀を所有したことがないのでよく分らないが、なんだか
つまらない。みんなギンギンギラギラで刃(というか刃取り)がまっちろけ。
湯上りの若い女性(にょしょう)のようなしっとりとした肌合いを映し出すような
研ぎは見たことがない。肌を伏せすぎてぺったんこか、あるいは異様に作為的に
肌を起こし過ぎたりする。総体としては薄っぺらのテンテラテン研ぎが多数を占める。
刃取りも、ほんのりとまだ早い春の朝霧が起ち上るような、あるいは見ているだけで
蝉の声が聞こえてきそうな真夏の青い空に広がる力強い雲を感じさせるような、
そんな「景色」と「季節」を感じさせる刃取りには遠く及ばないような刃取りばかりだ。
ふんわりとした水墨画ではなく、白ペンキか白マジックペンでべったりと塗り引いた
ような刃取りばかりだ。
刃取りで気づくのが、ふんわりと山と谷を描くのではなく、カクカクと谷がぶつかり、
角が立つような刃取りが多く見られる。
また、乱れをきちんと刃取らずに、直刃のように真っ直ぐにただ白くするだけの
研ぎも多い。そんなことをするならば、刃など取らずに拭いっぱなしのほうがまだ
ましだ。とにかく一言でいうと「ひどい」に尽きる。
これらも、研ぎの値段の問題ではないように思える。

かといって、見事な研ぎをする入選研ぎ師に依頼しても、刃こぼれをまったく除去
できずに表面を美術品のように研磨しただけ、という問題も起きたりする。
刃を立てられない刃こぼれしやすい現代新作刀でなく、古い刀でこれをされたら、
「美術刀剣研ぎはあくまで美術刀剣研ぎなのだ。日本刀の研ぎではなく、見た目
限定のコンクール専用の研ぎなのだ」と痛感せざるを得ない。
美術研磨とはいえ、ティッシュを当てたらサックリと無抵抗で切れ込んでスパーッと
剃刀のように切れる程に刃を立てて研ぐのが日本刀研ぎの基本だと私は思っている。

とにかく、個人的に思うのは、たとえ肌が荒い作でも、均んだ作でも、それなりの
砥石と技法を刀ごとに選別選択して、共通項としては「しっとり感」を出す研ぎで
なければ駄目なような気がする。

この人の研ぎは、私自身は結構気に入っている。

備中水田住 山城大掾源国重(家伝)

とりわけての上手とは言えない。しかし、若手にしてはセンスを感じる。
平地も刃取りも私の判断基準の中では及第点をクリアしている。
そして、観ることにも合格であるし、なによりも、そうした研ぎをしながらも、丸めて
軽く当てたティッシュは、ティッシュを持つ手まで切れそうなくらいにスパーッと切れる。
私が求めている研ぎは、これだ。
ただ、この研ぎ師は、現在は某店の専属研ぎ師的な立場なので、一般の研ぎ依頼
を受け付けていない。
私はこの研ぎ上がりは満足している。

よく刀剣関係で陥りがちな誤解に「高額だから良い」とする判断軸がある。
それは間違っている。
高い物だから良いのではなく、良いから高いのであり、高くとも良くない物もある
のである。逆もまた然りだ。
従って、「〜万円以上の刀・拵でなくば刀として恥ずかしい」などという感覚は、そういう
感覚が誤認であることを認識していないままそういう発言をすること自体が恥ずかしい
のであって、「世界に暗いな」と私などは思ってしまう。暗く、そして狭い。
見識眼というのに値段はつけられないが、狭い了見というのは決して高価高級な類
ではないね、と私は思う次第。


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ハヤトの蛇行剣

2014年01月25日 | 文学・歴史・文化

日本列島の古代先住民の剣に「蛇行剣」というものがある。
ヤマトと対立した南部九州にいたハヤト族(一説にクマソ族と同族とされる)の
「蛇行剣」が有名だ。

しかし、蛇行剣は九州南部だけでなく、時代が下った各地の古墳からも
出土される。



こういう鉄剣を見ていると、韓鍛冶(からかぬち)がもたらした直刀はかなり
「新しい」実用的な側面を重視した武器特化技術のように思える。

この蛇行剣は南方インドネシアのクリス剣の影響との説を示した学者が
いたが、その後、別な者により、「蛇行剣は倭国固有の武器」なる説が
発表され、現在はそちらが有力視されている。クリスとそっくりであるのだが、
国外の鉄剣との関係性は無視されるに至った。

「タタラ+砂鉄」と一緒である。どうしても日本固有の物としたい視点からは、
まるで「なんでも韓国起源説」に通じる「大和民族大亜細亜盟主論」的な
現代の一部の韓国人のような小中華思想を感じざるをえない。偏狭である。

蛇行剣が低炭素鋼であるのは、あえて蛇行させるために低炭素にしたの
ではなく高炭素足り得ない原料と製法だったからで、低炭素というのは後付け
の理由だろうと私は思量する。この原初的な鉄器の一類である蛇行剣が
低炭素であるのは、製法上のことではなく、材料の原質そのものがたたら製鉄
によるものではないからではないか。

蛇行剣については『播磨国風土記』に小野氏の遠祖ワニ族の部の民の逸話が出て
くるので私は個人的に興味はある。
だが、無論、考古学者は歴史学者や民俗学者と連携することは拒否しているので、
そのような逸話や民話や伝承譚はせせら笑うように無視する。しかし、そのくせ、
皇国史観の文献史学者以上に非科学的に「日本固有」に拘泥し、俯瞰的見地
を見せずに視野狭窄を見せるのが古代史に関与する学者連中の特徴だ。
そして、時に「捏造」を繰り返す。石器埋蔵だけでなく、その他にも本気で捏造して
くるのだから「学術界」というのは恐ろしいものがある。バレたら尻尾切りで事なかれ
を貫く。


日本国内で出土する蛇行剣はクリスの影響と全く無縁であるとは思えないが、
日本の鍛冶技術そのものが半島系の韓鍛冶だけでなく、南方系の技術との
関連性は見逃せないと思われる。

(クリス)


しかし、学術界というのは頭が良いのかまるでバカなのかわからない
ことを時々見せてくれる。

例えば、兵庫県の三田市の三輪・宮ノ越遺跡からは次のような物が
出土している。

これと同様のものが播磨地域(兵庫県加東市社町)でも出土しており、
丹波篠山でも3点出土している。

ところが、学術界ではこの物品を「用途不明」としている。
本当はうすうす気づいているし、もしかすると確信も持っているのだろう
が、それとは告げない。そういうことは「天皇陵」を発掘調査して、とん
でもないことが公に判明してしまうことに等しいからだ。とにかく、歪んだ
国粋主義に追従していれば学問の世界など安泰、というわけだ。
この出土物についても「はて、なんでしょう」で済まそうとしているので
ある。


この日本国内での出土物は実はインドの製鉄窯に酷似している。
(インドの製鉄)




低温還元できる原料の場合、「たたら」方式の製鉄炉は必要としない。
日本の「たたら」製鉄以前の古代製鉄の姿がここにあると思える。
さらに以前は皿型に近い椀形の「炉」で製鉄したのではなかろうか。
そのような炉は残りようがない。たたらのような大型炉を脳内想定
して動かそうとしないから、本当の古代炉を見逃がしているのでは
なかろうか。とりあえず鉄滓(カナクソ)が廃棄されている場所付近
には製鉄活動があったはずだ。
それを鉄滓の存在を現認しながらも「炉が発見されていないから」と
して「古代製鉄はここでは行なわれていない」とするのは恣意的だ。
たぶんそれは、「たたら」が発見されないからイコール製鉄はなかった、
としたい御用学者たちの常套なのだろう。
現在主流の日本の学説は、日本国内での製鉄は6世紀(苦笑)の古墳
時代からで、それは砂鉄還元のたたら製鉄によって始められたとしている。
だから古墳時代の製鉄の説明に箱フイゴを登場させたりする。
バカバカしい。二重三重にバカバカしい。
そのうち古墳時代の人々に軒並みチョンマゲも結わせそうだ。
葛飾柴又生まれの奴が「江戸っ子」を名乗り出すことくらいおかしいことが
まかり通る世界が「学術」だとしたら、学問の真実である「真理探究」は
すでに大きく意図的に阻害されている。

学問の世界は素晴らしいが、少し知ると、学問は素晴らしくとも、学問を
専門でやっている連中は極めてつまらん人間ばかりであることを強く
感じさせられるのである。



ちなみに、なぜ御用学者たちがタタラに拘るかというと、それはヤマトの象徴だからだ。
ハヤト、クマソ、エミシ、ツチグモたちの存在は彼らにとって忌まわしく抹殺されるべき
対象だからだ。
ヤマトを賞賛することが己の立場の安寧につながる。
そうしたヤマト以外を抹殺したがる偏狭な国粋主義史観に阿るタタラ絶対主義勢力が、
国粋主義の象徴である先の大戦中の軍刀を積極的にまるでハヤトやエゾのように
抹殺対象としたがる矛盾は、もはやお笑い草でしかない。
推参にして拙劣なり。
制圧してヤマト勢力が鬼と貶めた俘囚の剣なくば、日本刀など存在し得なかった。
せいぜい、青銅器で八岐の大蛇の尻尾を切るのが関の山だ。
尤も、尻尾切りはヤマト建国の時代からお手の物だったようだが。
なんというか、ジャイアンにへつらうスネ夫みたいなのばかりが多数派を占めているのが
日本刀と古代製鉄関連の世界とみて間違いないのが、いやはやなんとも。


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林邦史朗『武劇』

2014年01月25日 | 文学・歴史・文化



「武劇」というものがあります。
これは武術家で殺陣師の林邦史朗氏が主宰する武劇館と劇団若駒の
方々が公演している武術と演劇を合体させた舞台劇です。

林先生は殺陣師であるだけでなく、多くの武術を研究研鑽された方で、
私の斬術の師でもありました。
渓流居合剣法は、土佐英信流居合と林流真剣刀法の合体系です。

ご自宅に何度か泊めていただいたこともありますが、素顔は気取らず
洒落と粋で自然に振る舞う、侍というよりも下町の兄貴、遠山の金さん
みたいな感じの方です。奥様は伍代夏子さんによく似た美しい方で、昔、
林先生が演劇を志した若い頃に一緒の劇団にいた大部屋の元女優さんで、
笑顔がとても素敵な方でした。
邦史朗先生とはプライベートでもいろいろおつきあいをさせて頂いて
おりました。熱烈な競馬ファンなんですよね(^^)
邦史朗先生の愛車はスズキのバンディットでした。当時はカウル付バイクが
一般的でまだカウルなしのネイキッドタイプが珍しい時代で、「これが手軽で
一番」と先生は仰ってました。ゲタ代りにスポーツバイクで都内を軽快に
走っていたようです。
ご自宅の屋敷の半地下部分に広い稽古場兼道場があり、また最上階の
武具処には所狭しと真剣日本刀と多くの武具が収納されています。
私などにとっては例えようのない「くつろぎ空間」でした。
邦史朗先生は典型的な純粋生粋のネイティヴ江戸っ子ですので、話して
いると日比谷公園が「しびやこうえん」に、「朝日新聞」が「あさししんぶん」
になってしまいます(^^;
刀工二代目小林康宏も「火加減」が「しかげん」になるけど(^^)
康宏刀工は自分の刀工銘「やすひろ」というのを発音できない。ご本人は
「やすひろ」と発音しているつもりでしょうが、どう聴いても「やっしろ」に
聴こえます(^^)
江戸弁というのは関西弁のようにイントネーションの山谷がなだらかに
繋がるのではなく山と谷が急峻なようにパッパと声勢が立つので、ゆっくり
と口を横に広げて発声しないと発音できない「ひ」を口をとがらせて気忙しく
発声するから「し」になってしまうのではなかろうか。(正確には江戸弁の
それは「し」ではなく「し」と「ひ」の中間音で「しゅぃ」に近い)
東京出身でない落語家が古典落語をやるときに、江戸弁を「し」と発音して
いるのを見かけますが、ネイティヴからすると奇異に感じるのではないで
しょうか。本当は明瞭な「し」ではなく、「し」と「ひ」の合体した微妙な中間音
ですので。
また、江戸弁はたんに単音が変化するだけでなく、前後の子音も場合に
よって変化します。
古典落語で『井戸の茶碗』は名人五代目志ん生の高座では「身貧で」を
「にしんで」と聴こえる発音の正調江戸弁で演っていましたが、息子の志ん朝
は時代の移り変わりと共に通じないと思ったのか「困窮して」と言葉そのもの
を変更していました。

さて、中国の京劇や日本の歌舞伎は台詞まわしにこそ醍醐味がありますが、
この林先生が作った新演劇である「武劇」は日本の侍武闘と演劇を
合体させたもので、「動き」を見せることがメインとなり、たいへん見応え
のあるものです。ときおり、コメディタッチの演出も採り入れ、観る者を
飽きさせません。
ただし、使用している刀は、通常の殺陣は刀の形に薄く成形した木刀
に銀箔を貼った物ですが、「武劇」では演劇世界でいうところの「鉄身」
という刀身を使い、「本身」と呼ばれる研いだ真剣も使用します。
十分に武術と殺陣の訓練を積んだ俳優さんが演じているので安心して
観ていられますが、剣術・抜刀術という武術の稽古をしていない一般の
時代劇俳優さんや若手俳優さんでは危険すぎて演技できない舞台劇です。

お近くの劇場で「武劇」の公演がある際は、是非とも一度ご覧になって
みてください。
楽しめますよ(^^)

林邦史朗『武劇〜侍の戦いから無刀取まで〜』

一番最後に見せている切り下ろしは一刀流の「切り落とし」です。


武劇館公式サイト


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三原市の古墳 〜広島県三原市〜

2014年01月24日 | 文学・歴史・文化



(←クリックで拡大)


三原には古墳が多い。めったやたらに多い。

前方後円墳もみられることから、ヤマト王権と芸備(安芸・吉備)の
強い関係もうかがえる。





どれくらい三原に古墳があるかというと、発見されているだけでこんだけ(広島県資料から)。
どんだけあんねん(笑

古墳とは指定されてないけど、位置関係や等高線が引いてある地図上の
地形からみて、これなんかも古墳だと思うよぉ。見発掘の様子。
私の先祖筋のじいさんが小学校の校長やっている頃に、この付近の単なる
小山においてそこが古墳であることを発見した。埴輪列、葺石、形象埴輪片、
須恵器、鉄鎌等が出土し、県史跡に指定された。この小山も古墳なんじゃない
のかなぁ・・・。



さて、縄文→弥生→古墳時代と人々が暮らして来た現三原西部地区
(厳密には古代律令以降は安芸国と備後国)の芸備地区だが、古墳時代
以降は
屯倉(みやけ)が多く近隣地域には設置された。
屯倉とは大王の料地である。屯倉は古墳造営と密接な関係にあった。
部民(べのたみ)にみられる人民統治機構と共に屯倉は重要な位置を
占めたが、屯倉は大化の改新で廃止され、全人民を戸籍制により統括
するように
なった。
屯倉は料地のことであるが、土地支配というよりも地域民衆の直接支配の
形態という側面が強かった。
屯倉は全国各地に設置された訳ではなく、九州・播磨・畿内と限定的な
地域の支配として設置されている。筑紫磐井の乱以降急速に増えた。

芸備の屯倉としては、安閑天皇元年(532年)に過戸廬城部(あまるべの
いほきべ)屯倉が安芸に設置された。
翌年安閑天皇二年(533年)には備州(備中備後)に後城(しつき)・多禰(たね)
・来履(くくつ)・葉稚(はわか)・河音(かわと)の各屯倉が設置された。
婀娜国(あなのくに。『日本書紀』広国押武金日天皇二年5月9日(535年
6月24日)条に「婀娜国」とある。後の備後国のこと
)に膽殖(いにえ)・

膽年(いとし)部屯倉が設置された。
『日本書紀』などに見られるこの地域の屯倉は以下の通り。

【備後国・備中国】
 ・後城屯倉
 ・多禰屯倉
 ・来履屯倉
 ・葉稚屯倉
 ・河音屯倉

【婀娜国】
 ・胆殖屯倉
 ・胆年部屯倉

【安芸】
 ・過戸廬城部屯倉


何度か紹介しているが、現三原市街地区は中世戦国末期までは海だった。
現三原市内にある広島空港の麓の山あいまで奥深い入り江になっていた。
縄文時代は縄文海進があったので、さらに奥地まで海だったことだろう。
しかし、弥生時代以降、なぜか現在の三原市西部に人々の一群が居住
した。
考古学界では正式認容されてはいないが、三原市内で発見された弥生時代
の炉には製鉄もしくは精錬の痕跡が認められる。仮にこれが製鉄炉であると
すれば、国内最古級の製鉄炉は芸備のうち三原地区にあったことになる。

三原市中を流れる沼田川(ぬたがわ)。古くは渟田と記した。
この画像は船木と呼ばれる中流域だが、戦国時代末期まではこのあたりが
河口付近だった。この沼田川流域に古墳群が広がる。流域上流部には
弥生時代の遺跡が集中している。

私はこの流れの中に餅鉄が眠っていると踏んでいる。

いくつかの支流がこの沼田川に注ぐが、この滝もその一つだ。瀑雪の滝。


なぜ石が赤い。それはそこに鉄があるから。

リモナイト=ベンガラこそが古代製鉄と王権支配体制との密接な関係にあった
だろう。赤色の埋葬文化はリモナイト製鉄の古代製鉄に関与した全世界で
見られる傾向だ。赤色埋葬文化は日本だけではない。
リモナイトは
低温還元で製鉄できるから、炉は壁のあるオープン炉や炉に屋根
のある密封炉でなく、野焼き炉のようなお椀の炉
でも還元できたことだろう。当然、
炉は残らないことだろう。遺跡が発見されていないので、
「古代炉は存在しない」
とする学術上の見識が蔓延している。「いきなり砂鉄」、そして「タタラ」という図式を
斯界は取りたがる。当然弥生時代の製鉄は否定し、国内製鉄はヤマト王権ができて
以降としたがる。ねじれた国粋主義の発露をそこに見る。

しかし、その学術界においても、古墳時代の製鉄説明で箱フイゴを示したりして
いるくらいなので、いかに定見を欠くものかは推して知るべし、なり。
だが、私のような民間研究者の発言などは、象牙の塔の学者たちにとっては
「たわごと」でしかないのである。尤も、学会に属して学術論文を発表する
気などさらさらないが。
ただ、古代製鉄と日本刀を研究している同志は、学術界に食い込み、アプローチ
を開始している。複数の現代刀工もこれに関与し、現場の冶金の目からの
フォローも行なえる体制ができつつある。砂鉄ではない褐鉄鉱の還元により
得た鉄から鉄剣を造る試みが始動している。


三原にはもうひとつ、山間部に不思議な風景が残されている。
それは「岩海(がんかい)」と呼ばれる場所だ。


どう見ても河原の石である。水流に洗われなければこのような丸い
石にはならない。しかもかなりの巨大石だ。(国指定天然記念物)
三原市の説明によると、
「岩海の成因は、基盤の岩石に霜の作用ではく離してできた方状
の割れ目から空気や水が入り、その作用により周辺が風化して
岩塊ができました。そして、長期間にわたって豪雨のたびに土砂が
洗い流され、地表部の玉石が重なりあってゆるい傾斜の谷に残った
のです。」
とのことである。

この丸い石、そそられる(笑
ただし、天然記念物に指定されているので、入会権(いりあいけん)は
及ばないだろう。
そこらの河原のように勝手に探査して石や砂鉄を持ち帰ることはできない。

古代製鉄は古墳時代、さらに弥生時代の製鉄に目が行きがちだが、
世界最古の土器である日本の縄文式土器の製法をどうやって古代の
列島人は発明
したのか。
土器文化と鉄器製造は燃料と窯≒炉において技術的共通項がある。
当然、古代製鉄に関しては縄文時代への視点も欠かせないように
個人的には思える。


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折れる刀 折れない刀

2014年01月24日 | 日本刀

何日か前、ネット上で公開されていた試斬で日本刀が折れ飛ぶ動画を
紹介した。

知人から連絡があり、「なぜ芯鉄を入れているのに折れるのか。
意味がわからない」という質問が来た。

芯鉄を入れていようが無垢だろうが、折れる刀は折れるし、造り込み
如何に拘わらず折れない刀は折れない。
また、どんなことをしても折れないという日本刀は存在しない。





それでも知人は「軟鋼を芯に入れているのに・・・」と言う。
極軟鋼はそれは折れにくいだろう。破断という意味で。
ところが折れにくい釘なども、プライヤーやニッパーで切れ込みを入れて何度も
折り曲げれば折損する。
さらに、日本刀の芯鉄は極軟鉄ではない。

そして、「芯鉄を入れたから折れにくい」という認識自体が根本から間違っている。
それは「無垢造だから丈夫だ」というのと同じくらいに間違っている。
芯鉄のあるなしに関係なく、折れやすい物とそうでない物があるのだ。
芯鉄などはもともとは増量剤だっただろう。吉原義人刀匠が認めているように。
ただし、新刀特伝になってからは、手間をかけて芯鉄を別工程で作るのが
一般的になった。

古刀でも新刀でも、丈夫な刀は丈夫だし、折れやすい刀は折れやすい。
それに、同一刀工の作でもばらつきがあるので、一口一口すべて鋼の
状態は異なる。
折れにくいというのは、炭素の遷移偏移の問題とカーバイトの状態如何と残存
介在物によるツナギ効果と刀身の弾力性による衝撃吸収力によるとは
思うが、
そんなことが科学的に判っても、日本刀製作は工業製品ではないので、
その
科学的数値を画一的に作品上に作出することなどできない。

だからこそ、山田浅右衛門が幕末に業物位列(切れ味を主とするが、耐久性も
考慮して
いる)で、「10本中何本の刀が実用合格の作を造ることができる刀工か」
という
スタンスで品質クオリティについてデータをまとめて書物にしたのである。
「この作者だから作品はすべて頑丈」ということでは決してない。
頑丈な作を造れる作者でも、出来により沸(にえ)や匂いのつきかたも、カーバイト
状態も異なるからだ。日本刀は、一作一作すべて異なる。

ただし、実用性に富んだ作を造る刀鍛冶は、トータルでいうと作品総数では
実用性の面で合格する作品を多く造ることができる可能性が高い、ということは
いえる。また、その系統の弟子はやはり師伝を受け継いでいるならば同様に
実用的に優秀な結果を残すだろう。典型例が初代虎徹の興里と二代目虎徹の
興正だ。

そして、ネットを俯瞰すると、古刀についても勘違いしている人が多い。
「古刀だから新刀より丈夫で実用的なのだ」という事実は存在しない。
古刀でも戦乱後には夥しい数の刀剣が折損している。信長だか秀吉だかが
折れ刀を集めさせたが、折損日本刀(もちろん古刀しかない時代)を積み上げたら
山のようになったという。
新刀期に鍵屋の辻で決闘をした荒木又右衛門は愛刀伊賀守金道がぽっきりと
折れ、長い脇差で窮地を脱したが、「新刃(あらみ=今でいう新刀、当時の現代刀の
こと)など持つから遅れを取った」などと武士たちに批判された。
しかし、新刀だから折れやすい、古刀だから折れにくいという一元的な図式はない。

ではなぜ「古刀が丈夫」と言い切れるのか。
それは、新刀期だろうと現在だろうと、残存する古刀はバトルタイムプルーフを経て
いるからなのである。

古刀でも夥しい数が折損したのは現実に起きたことだった。
折れるべくして折れた刀は廃棄され、戦乱を乗り越えて折れずに残った刀だけが
後世まで残っているのである。
つまり、イクサで使用された古刀は、実戦の中で荒試し済みの刀のみが残っている
ということになる。新刀はいわば現代でいうところの現代刀なので、実戦経験がなく、
折れるか折れないか、切れるか切れないかがまったく判断できなかった。
だからこそ、性能試験としての「様(ためし)」・「試し」が存在したのである。
古刀については、イクサの時には何口も刀剣を運ばせたのは、「日本刀は折れる
ことがある」という前提で、折損=使用不能になった武器の補給としてあったことだろう。

試しなどが何百年もにわたり存在したということは、とりもなおさず、日本刀というのは
見ただけで耐久性や切れ味などというものを全く判断できないということを示している。
個体ごとにすべて性能が異なるのだ。
これは定理だ。
チューンナップされたレーシングマシンにしても、外見上からはエンジン出力がどれ
くらい出ているかとかコーナーリング性能がどうだとか、ブレーキ性能がどうだ、シャシ・
フレーム・サスのタイヤとのマッチングや相対的よじれはどうかとか、そうしたことは
一切判断できない。見た目では全く判らないのだ。乗ってみないと判らない。また、
エンジン出力もベンチでテストしてみないと判らない。こういうのは定理なのだ。
日本刀も同じである。見た目から耐久性や切れ味は一切判断できない。
重ねが厚くて丈夫だろうと思う刀身がポッキリ物だったり、薄くてペラペラな作なのに
耐久性もあって切れ味も抜群ということも現実にある。
また、沸(にえ)と匂いのうち、沸物のほうが折れやすいという傾向性についての
指摘が古来からあるが、これも一概にそうとはいえない。沸物の作でも抜群の
耐久性を示すのは虎徹だけでなく幕末の清麿の兄の真雄も実際に耐久試験で
他の刀鍛冶たちの作よりも頭抜けた成績を残している。

折れにくい刀・折れやすい刀について要約すると以下の通りだ。

・古刀だからすべてが折れにくいということはない(個体による)。
・新刀だからすべてが折れやすいということはない(個体による)。
・造り込みは耐久性とは関係がない。
・刀は見た目から耐久性と切れ味を判断することは絶対にできない。
・古刀が「折れにくい」のは、実戦投入で使用されてそれでも残存した個体が
 多いからである(試験済みということ)。

無垢でも折れやすい作もあれば、比類なき靱性と切れ味を示す作もあるし、
芯鉄構造でも同様に両者が存在する。

ではなぜ折れにくい刀=実用的に信頼が置ける刀ができるのか。
また、その逆はなぜ?
それが判れば刀鍛冶たちは苦労はしない。

ただ、言いたいのは、折損という耐久性に関しては、造り込みによって
担保されるということではないということだ。ここ大切。
だから、「芯鉄を包む造り込みだから日本刀は折れない」なんてのは嘘
なのよ。
私の話のほうが嘘だと思うなら試してみればいい。鉄板のひとつも斬って
みればいい。
芯鉄入れたから折れず曲がらずよく切れるというのならば、
試せばいい。

でも試さない。
現代刀は美術品だから。
それはそれでもいい。
でも、嘘はいかんと思うよ。

炭素の遷移についても説明したりしないでしょ?
じゃあ炭素の遷移が云々でどうだというのが解っても、出来上がった作は
一本一本すべて異なるのだから、試さずに「この刀はどうだ」とは絶対に
言えない。
一流の料理人が作る料理だって料理人は味見をする。
それでも、美味い料理を作る料理人は、おしなべて総体として美味い料理を
作ることができる。
刀剣も実は同じことがいえて、ある程度「これか」とキモを押さえた刀工は
耐久性に関しては上々の作を作ることができると思う。現代刀でも。
過去の刀鍛冶たちがそうだったように。

美術品はその限りにあらず。
見た目が勝負だから、中のカーバイトがどうだとか、トルースタイトがどういう
状態
だとか、そういうのは関係ない。そういう分析は「なぜ丈夫か。なぜ切れ
るか」に
ついて寄与するための分析だったのであって、見た目だけを作出する
製造技術は
すでに古刀を超えている(作が古刀そのものを超えているのではなく、
技術としての工法が)。

ただ違うのは、「日本刀であるか、折れにくさや切れ味と無縁の美術品であるか」の
違いだ。
美術的にはとても美しい作は現代刀で既にもう出来ている。かなり前に。
鉄の潤いという点で古刀に見劣りはしても、製作技術はとうに古刀や新刀を
凌駕している。(新刀工法だが)
ただ、現代の新作「美術刀剣」は「斬る」ための物ではないので、耐久性や焼刃の
非欠損性
などは必要ではない。
それだけの話だ。

「折れず曲がらず」というのであれば、論より証拠、試せばよい。
それだけの話である。

本当のことを言うと、多くの現代刀工が「折れず曲がらずよく切れる」という刀を
作ることができると思うよ。昔の刀鍛冶ができていたのだから。同じ人間なんだし。
でも、あえてやらないんだよ。
なぜならば、そんなことは「現代美術刀剣」には求められていないから。
だから、今の現代刀工はそれなりに、美術の世界で筋の通ったことをやっているのさ。
ただ、「折れず曲がらずよく切れます」と口にするのはやめたほうがいいなあ。
試してないのだから。
現代刀の宣伝文句は味見もしないで「私の料理は美味しい」と言っているような
もので、実は塩っ辛くて食えないかもしれないし、砂糖使いすぎでとてもじゃないが
料理になっていない物かもしれない。見た目は高級料亭の一流料理人の料理と
変わらない。ただ、料理人は自分で責任もって味見をします。現代の刀鍛冶の多くは
それをしない。ただそれだけのことです。料理そのものではなく見本用の蝋のディス
プレイを作っているのだから味見などできません。食べるための物ではなく、見せる
ためだけの物だから。
見た目だけの蝋のディスプレイを食ったら体壊すのと同じで、ディスプレイ用の「美術
刀剣」で物斬りや武術稽古などをやったら大怪我をする。これ当たり前のことで、驚く
ことでもない。

本当は本物を作れるけれども作らない。
折れず曲がらずよく切れるという日本刀などよりも、守りたいものがあるからね。
先生先生と呼ばれる作家の立場は捨てたくないでしょう。
誰が好き好んで今さら折れない切れ物造りを求道する一刀鍛冶なんて、ね(苦笑
武士なんて一人もいない時代なのだから、現代刀はそれでもいいんじゃないかな。
昔の侍時代の刀のような折れず曲がらずの刀を本気で目指そうとしている反骨の
士ともいえる刀鍛冶たちは全員が斯界権威筋から厄介者扱いされてるよね。
それが世の中なんであるのかを如実に表しています。
そんだけのこと。


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