渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

ナイフ研ぎ

2014年04月29日 | 刃物

朝5時に起きてナイフを研いだ。
料理は毎日するものだから、包丁は本来は料理人と同じく毎日研ぐ
べきものだろう。しかし、家庭料理は料理人とは包丁の使用頻度

異なるので、数日に1回ほどでよいのではなかろうか。

それほど研いでも包丁は大切に使えば数十年は使える。
事実、うちのメインの包丁は30年選手で現役だ。まだいける。

けさ研いだナイフは、一番気に入っている物で、これは数ある道具の
中の一つというよりも、「これなくば」という必要不可欠の
存在のような
物だ。刀に例えると信頼する差し料の一刀という
感じだろうか。

ブレードデザインはケーパーである。






全長は20センチほど。


力要らずでシャコシャコ切れるから、刃付けは良しとしよう。




「これなくば」というのは、古女房みたいな感覚だろうか(^^)

伴侶というのはいいものだね。
初めて知り合ったのは俺が19で彼女が18だった。
ただの友だちだったが、30歳過ぎて気付くと夫婦になっていた。
大恋愛はしていない。「そこにいるのが当たり前」というような空気みたいな
存在だ。だが空気なくば人は生きられない。
今、娘がちょうど私が家内と知り合った歳だと考えると、なんだか感慨
深いものがある(笑

きょうはこれから沐浴し体を浄め、紋付を着て昼からの備後地区剣道大会
での居合演武に臨む。


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未来のバイク ~カワサキ~

2014年04月28日 | バイク・車



2013年東京モーターショーでのカワサキの出展車。
未来のモーターサイクルだ。


こういうマシンが通常運行する時代にはもちろん私は生きてはいないが、
仮に生きていたとしても、こういうバイクは乗る気が起きないないなぁ・・・。
やはりフルバンクしたときに膝すりができないと(違

しかし、カワサキというのは、たぶん未来においても、独自路線の
マシンを作っていくように思える。
なんかすごいね、カワサキというメーカーは。
カワサキが世界に名を知らしめたのは1969年に発表されたSS500
通称マッハIIIだった。


世界最速のこのマシンは「自殺専用車」とまで呼ばれた。
スピードは最速なのだが「止まらない」「曲がらない」という車だったからだ。
それでもこのSSは1976年まで作られ、それ以降は呼称をKHと変えて
販売された。
私も「土曜の夜の天使」になる時には、ヨンフォアではなくKH400だった(笑
私のマッハの原風景は、中一の時に、同級生の兄貴のケツに乗せて
もらった時だ。あまりの加速にぶったまげた。
しかし、中学生だった当時は、ヤマハのミニトレは乗っても、2ストロード
スポーツの操縦の魅力を知らなかったので、ホンダのパラレルフォーに
興味が行った。
だが、初めて所有した自分のバイクはカワサキのMS90だった。
同クラス最速のバイクで、これは今神戸に住んでいるイトコの兄貴が
ブルーのMS90を俺にくれた。

(MS90)

だが、依然ホンダの4ストに興味が引かれていた。
それががらりと変わるのは、サタディナイト・ハイウェイ・ダンサーも卒業して
サーキットに行くようになってからだ。同級生で後に国際A級になった奴が
ヤマハ2スト2気筒に乗っていたのにも影響を受けた。コースではホンダの
MT125だったけどね。

(
MT125)

筑波がメインだったが、FISCOにもよく通った。高2の頃は鈴鹿にも遠征した。
鈴鹿ってね、あんな山の上なのに、ストレートを下ると、1コーナーの遥か先に
海が見えるんだよ。後年『バリバリ伝説』でそのシーンが出た時、これこれ!と
思った。大雨の鈴鹿では直線で車が横にゆっくり流れるのも知った。
通称ゴキブリ(現在でいうS字コーナー)では公道などとは次元の違う高速切り
返しの難しさも知った。スプーン手前のまっちゃんコーナーは130Rよりも難しい
と感じた。まだシケインは存在しなかった。
しかし、後にホンダからヤマハに乗るようになってからも、カワサキへの憧憬と
いうものは、常に心の中にあった。
それは、初めてバイクの加速を体感したのがカワサキのマッハであり、自分の
初めて所有したバイクがカワサキだったというのが心の片隅にあるからかも
知れない。

という話を人づてに聞いたことがある。


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ニッスイのネット広告

2014年04月27日 | アート

私のメーラーの企業広告に日本水産の健康食品の広告があった。



いや、ゴクゴク飲めるのはいいんですけどね。
このイラストが縛り首されてる魚みたいで気持ち悪いよ(笑
イラストに笑った。
このイラスト担当者というか、広告企画にGOを出した会社の
担当者、どういうセンスなんだか(^^;

結構、面白そうな人だとは思うけど、健康食品の広告としては
どうなのかなぁ(笑
残業、外食続きで走る時間もない人たちと材料の魚とを重ねた
暗喩のイラストデザインなのだろうけど、かなりシュールで苦笑した。

煮干しだそうです(^^;


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オートバイ

2014年04月27日 | バイク・車

3年前のミラノショーで発表されたMVアグスタのF3 675、めっちゃカッコいい。

めっちゃいいね~。ドストラックだよ。おねーちゃんが(違

排気量が小さくなって3気筒になったからか本体価格が400万円ほど
下がった。車両本体価格150万円。

う~ん、カコイイ。


こちらは限定車。300ン十万円。


いいね~。ま、ブレンボは標準装備だよな。


シビレル!タンデムステップなんていらねーよ。


他モデルもめちゃくちゃカコイイよ!


ちびりそう・・・。


買わない・・・んじゃなくて、買えないけど(笑

おお~!


カッケ~!


こちらはレーサー。


うお~!てか、ポジションせますぎね?おっさんがでけーのか?


サーキットより街のほうが似合いそうだ。


お・・・おおお。


名門MVアグスタは業績不振で、鍛冶場、いやカジバが企業買収して
カジバの名を捨てて「MV アグスタ」にしたんだよね。アグとかいう
響きが何故だか無性にムカつくけど。気持ち悪くなるくらいに(笑
クズみてえなイメージあるよ、うん。実際にクズだし。嫌いだね。
ホンダNSRのテラカラーも絶対に乗らない。裏切りそうでゲンが悪いよ。

フィギュアはこっちもいいけどね(笑


だけど、バイクは日本製が一番なんだよなぁ。特にカワサキが。


バイクはいいよなぁ。


俺は横浜ケンタの大将の入れ知恵で人間は二種類あると思っている。
それは「オートバイに乗る人間と乗らない人間」だ。



(『ケンタウロスの伝説』より)

への字の看板背負ってるのは100名を超えたらしい。
へ~(笑

「生命を超えて結び合う 魂だけが真実だ」(横浜ケンタウロス)


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モッコウバラの咲く季節

2014年04月27日 | 風情・季節・地球

東京にいるイトコの姉からメールで写真が届いた。
挿し木で分けてあげたモッコウバラが、都会のマンションのベランダで花を咲かせたのだ。

(この画像はネットから)
敷地内にはスポーツセンターがあり、エレベーターが2部屋につき1台で、
敷地周辺に小川が流れ、景観の良い大きなリバーサイドという立地で、
中庭には大規模な噴水がある。いわゆる億ションだね。おれが買ったしけた
分譲
長屋とは大違いでやんす。
イトコ姉はNYで新聞記者やっていたが、向こうで結婚し、帰国してからこの
マンションに住んだ。画像はイトコの家とはちょっと違うけどとても似た物件と
いうことで(笑
(イトコ姉の家で咲いた花の画像はのちほど)


このモッコウバラを分けてあげた。


家の入口にアーチ状にしたのは俺のアイデアだ。




景色がイナカ~ン。

バラのアーチをくぐると、ほどなく玄関。正面は捜索不能倉庫(笑


ワンコは10メートルほど自由に動けるようにしています。
風のフジ丸。いや、渓流のフジ丸。忍者犬になりそこねた和犬なり。
(風んちの犬は、なぎ-くるみ-茶でした)



家の周りには花だらけなのですが、今ちょうどチューリップが咲いたところです。


紫色のチューリップというのは珍しいのか。


真っ赤なバラと白いパンジー 仔犬の横にはあなた~(by 小坂明子)。
って、バラは黄色で犬は老犬だがや(笑



この花を見ると、頭の中でスパニッシュハーレムが鳴り響いて、涙が出そうになる。
「マーガレッ!ステァンバァイ!」
「ハリー!! ザ・スーポブ・ブレックファストゥル・ゲッ・コールド!」

(画像と本文は一切関係ありません)


このモッコウバラは神戸のイトコ兄の家にも挿し木を分けようと思っている。
日当たりのよい家らしい。根付いてくれて、花が咲いてくれるといいのだが。


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買っちまったぜ。シリーズ第○○段

2014年04月27日 | バイク・車

買っちまったぜ。(「風の日記。」)

ぬぁんだとぉお~~~!
500Eはじめマニアックなベンツ数台持っているのに、またもやエンスーな車を
買ったんけ?(◎。◎)


もはや所さんの初期状態・・・。

車の全容、詳細はまだ明らかになっていないが、もしかしてこれだろうか。
ディムラー ダブルシックス 12気筒。
(あやうく変換学習機能で気筒を亀・・・祈祷で誤変換しそうになった。
普段何を書いとるのか、俺は)



(この画像はネットから)

なんとなく同一個体のような気がする。

ちょ!
俺が買う予定だったのに(嘘


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人の命について

2014年04月27日 | 時事放談




「お兄ちゃんが、(救命胴衣を)脱いで、着せてくれたの」。
涙が出てくる。
船長が真の「海の男」であったなら・・・。
乗組員が真の「船乗り」であったなら・・・。
乗客を守るという適正な行動を取っていたら、かなりの数の命が救えたかと
思うと、涙が出てくる。
乗客を見捨てて真っ先に逃げた船長やクルーとは別に、文字通り命をかけて
命を捨ててでも人を助けた韓国人が大勢いる。


韓国人だからとして、茶化したり揶揄したり非難をしている日本人もいるよう
だが、人の不幸の際に、今の今、これみよがしに民族排外主義的に「それ
見たことか」のように非難するのはどうかやめてほしい。

たとえ、韓国政府が日本政府からの救助支援の申し入れを断っていたと
してもだ。
ネット掲示板などでは、今回のセウォル号沈没事故について「チョンだから
別に(死んでも)いいじゃん」というような心無い書き込みが溢れている。
韓国人の非道を非難している日本人の非道がそこにある。
まるで、人を見捨てて逃げた船長のように。


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刃筋の大事 ~真剣刀法~

2014年04月27日 | スポーツ・武道など


上:樋なし 下:樋あり

刀にある樋(ひ)は何のため?
それは軽量化のためです。とされています。
歴史的には、鎌倉期の元寇以降の日本刀は、それまでの華奢な体配ではなく
豪壮な形状に発展変化しました。
これは一説にはそれまでの太刀では蒙古軍の革胴を切れなかったからだとも
言われています

事の真相は定かではありませんが、日本刀の形状が長大・豪壮になった歴史
は事実としてある。
ところが質量を増やすと重くなりますから、それほど強度を下げないままで
軽量化を図るために作られたのが樋(ひ)という溝だとされています。
したがって、鎌倉末期~南北朝期の豪壮な日本刀には樋を掻いた物が多い。
私は棒樋そのものは宗教的な意味合いの彫り物の発展系だろうと解釈してい
ますが、
樋を掻くことによって物理的に刀身の重量が減ることは確かです。
鎌倉・南北朝・室町期の健全な日本刀というのは「え?」と思うくらいに重ねが
厚いものです。鍔元で1センチくらいある。現代刀の4~5割増し程の厚みです。
甲冑着用時代の刀剣ですから、頑丈さが求められたため、9ミリ超くらいの厚み
というのは当時の常識だったのでしょう。現在は6ミリ~7ミリ程度の厚みです。

現在残っている使用された古刀などが薄い物が多いのは、あれは使用による
研ぎ減りで
あろうことが想像できます。
かといって、重ねが9ミリある刀が切れ味で劣るかというとまったくそういうことは
ありません。畳表でも竹でもスッパスパに切れます。むしろ新刀のような素肌
用の薄い刀よりも重量で大切れするようにスパッと切れます。新刀は剣術用
ですので、切れ味云々で形状が変化したのではなく、剣術に見合った重ねや
形状に進化したのだと考えられます。実際に刀を武器として実戦使用しだした
幕末には形状は南北朝のような形態に戻っていることがそれを証明しています。
武器として見た場合、日本刀の理想形は、鎌倉末期~南北朝、慶長新刀、
幕末刀の形状ではなかろうかと個人的には思います(好みは別として)。
個人的には、寛永以降元禄頃までの鳥居反りの刀が形状としては好きです。

鎬造り樋なし刀身(日本刀はこれが一番多い)。私の新刀。時代延宝・
貞享頃か。新刀備中水田山城大掾源国重と同世代頃と思われる。
加州新刀もしくは藤原高田あるいは石堂作あたりか。鉄は古く見える。
刀身中に蛙子丁子から互の目、直刃、皆焼まであり、刀工の研究作で
ある可能性も否定できない。面白い作だ。銘は消されて無銘にされている。

しかし、頑丈さの面からのみ言うと、樋を掻いた刀は、いくらレール理論が云々
はいっても、相対的質量が下げられていますので、樋なしの刀より丈夫さでは
劣ります。構造物の強度は体積の三乗に比例するからです。

現代居合では、ほぼ100%近くの剣士が樋ありの刀を使っています。
これの理由は定かではありませんが、多分「判断しやすさ」が存在している
ためだと思います。勿論ピュウピュウ音を出して格好つけたり威嚇したりする
ためではありません。
どのような判断かというと、真剣刀法で非常に重要な「刃筋」というものが立って
いるかどうかが、樋から発する風切音で判断がつくのです。

本物の剣戟においては樋なしの刀剣のほうが武器としては適していますが、
稽古段階では
樋ありで稽古したほうが刃筋の立ち具合がよく判ります。
また、刀を振ったどの位置で音がするかを確かめるのも、実際に「切れる刀法」
なっているかを判断する材料となります。

結論から言うと、樋のある刀を振った時に、音がしないのは論外ですが、
「ブ~ン」と長い音がするのは、斬りの冴えが出ていません。
敵に刀身が食い込む寸前の位置で短く「ビシュッ」と鳴る音が本来の有効な
斬りつけでの樋音です。しかも音は音量の小さい音からだんだん大きな音に
変化して鳴る。ピュウとかブ~ンとかいう音は駄目です。ビシューッもしくは
ビシュッという音が望ましい。音で手筋の冴えの具合が判断できるのです。

そして、樋音は刃筋が立っていれば、片手抜きつけの時でも、両手真横切りの
時でも音がします。逆に音が鳴らなければ嘘。
片手と両手では音量の大小はありますが、刃筋が立っていれば鳴るのが
道理です。
極端な話、棟の頂点から刃先まで運刀の刃筋が立っていれば、刀を逆に
早く振った時にも音が出ます。納刀の時も、回し納刀で早く振ると音が出ます。
これは樋のない刀でも空気を裂く風切音がします。

この刀は樋なし鞘払い1.2Kgの刀ですが、軽い竹光などでやると、棟側に
旋回させても音が鳴ることがよく判ります。(動画は全剣連二段の頃、居合
を始めて2年目。映っている刀4口はすべて康宏作)


全剣連居合の五本目「袈裟切り」での右からの左袈裟(勘違いしている人多い。
切り手の右側から敵の左袈裟を切るのが「左袈裟」です。右袈裟ではありません)を
切る際に、全剣連居合では真向切りが多いので刃筋を立てにくいのか樋音が
鳴らない人をときどき見かけます。
また、十一本目の「総切り」において、左右の連続袈裟切りで音が違ったり、
敵の「腰腹部」を横切りにする切りで樋音が鳴らなかったりする人も見かけます。
切れていません。それは切れていません。
居合はエア居合ですので、切れていなくとも形(かたち)を居合業のようにやって
いれば居合のように見えてしまいますが、樋のある刀での切り下しで樋音が
しないのは、それは切れてはいないのです。刀身が寝ている。
刀身が寝ていると、切りではなく叩きになるので切れません。
そして、まず確実に刀を曲げます。

私は低段者の頃から樋音だけはどういうわけかビュッビュと鳴っていました。
多分力を入れないからだと思います。
力を入れたら刃筋は立たないし、手の内の冴えは出せないし、第一切れません。

よく抜刀道だけをやっている人で刀を曲げる人がいますが、あれは樋のある刀を
使っての
充分な手の内の冴えと適正な振りの学習がおろそかになっているから
ではないでしょうか。
樋のない刀は樋音ではなく刃音がしますが、樋ありに比べて非常に小さい音
ですので(しかも高音)、刃筋の微妙なずれについて自分で判断がしにくいという
欠点があります。
その点、樋ありは武器としての実際の斬り合いには向きませんが、稽古としては
自分の手筋がいかなるものかを判断する重要なバロメーターとなります。
どんな角度からどんな刀線で刀を振っても、樋がある刀では音が鳴らないと
いけません。

樋のある刀で充分に稽古を積めば、樋なしの刀で物を切っても刀を曲げる確率が
大幅に減ります。
私は居合の稽古には樋ありの刀をおすすめします。
居合だけでなく、抜刀道の方も、素振り等は樋ありで十二分に稽古されたら、
今よりもずっと技の冴えが発揮できるのではないでしょうか。

腕がついてきて段位が進み、どんな振りであっても確実に刃筋が立てられる
ことが当たり前の手筋となったならば、居合そのものも樋なしでも構わないと
私個人は思っています。
私自身、初段~三段の頃まで樋なしの刀も試合で多く使いましたが、それでも優勝
したり、大きな北国の大会でも三位に入賞したりできたのですから、樋なしが試合に
不利に働くというのは本当はないと思います。
先先代の全剣連居合道委員長は私もよくご指導いただいた神奈川の田宮流の
先生でしたが、ずっと樋なしの刀を愛用されていましたし、中山博道先生も樋なしを
愛用されていました。
全日本大会でも試合で大きな音を出すために樋を深く掻いたりした特注「居合専用
真剣=居合刀」を使用する人がいるようですが、居合人ではなく試合人のように
私には思えます。
低段者や居合人ではない試合人に勘違いされている人が多いのですが、試合で
勝つために樋があると思うのは、発想からして道を外しています。
あと、手さばきよくするためにペランペランの薄い刀に研ぎ減らして軽くしたりとかね。
そういうのって、絶対に道筋が違うよ(^^;

私は一時期、居合で使う刀と斬術の物斬りで使う刀を区別せず同じ刀を使って
いたけど、そのことを否定する先生が私の指導者にはいなかったことが幸いだった。
中には「それでは試合に勝てない」と「適切(?)」なアドバイスをくれた先生もいたが、
直接の私が師事した先生ではそのようなことを言う方はいなかった。
私の刀に対する思考法で、道は外してはいないと思います。
第一、試合のために刀を研ぎ減らすなんて・・・ひい~~。俺はできないよ、そんなこと。
大切なことは何であるのか間違っているように思える。



私が居合で使っている刀(樋あり)


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かかと ~居合~

2014年04月26日 | スポーツ・武道など

初段受験前の人から全日本剣道連盟の制定居合について質問を受けた。
「後ろ足のかかとが床にペタリと着くのを『違う』と先生から指摘される」との
ことで、なぜだろうということだった。

え~とですね、正規の足運びにおいては後ろ足(フット)のかかとが床に
ぺたんと着いて居つくことはありません。

外見上着いているように見えても、接地するかしないかのところで浮いて
います。でないと、ぺたんとかかとを地面に着けていてはかかりを繰り出せ
ないから。歩行の際にかかとを床に接地するのと構えを取った時の応じる
体勢では足が異なります。
構えを取ってから応じるのは居合ではなく剣術なので、剣術は剣術なりの
古人が苦労して編み出したいろいろな術技があって、それの一つとして
剣道系の剣術ではかかとを着けないというものがあります。

ところが竹刀を使う剣道と真剣を使う居合では、根っこは一緒ですが、末葉の
部分での身体運用が結構違うことがある。
「後ろ足で斬って勝つ」というのが真剣刀法の基本で、踏み込んで切る場合も、
後ろ足で地面を蹴って斬り込むのですが、前足を出して後ろ足を引きずる
ような斬り方では「後ろ足で勝つ」ということにはなりません。
ところが、竹刀剣道ではほぼ全員が飛び込み面などでは後ろ足で蹴る
ところまでは一緒ですが、前足が接地してからは後ろ足は上に跳ね上がって
いる。これは全日本選手権の選手でも全員がそうです。そうではない、と言っても
事実、動画などを精査するとすべての選手がそうしている。
このことはスポーツ化した現代剣道の体運びがそうさせていると思われるの
ですが、同じ剣道連盟でも居合の体運びのほうが古い真剣刀法の身体操作の
様式を運用していると
いえると思われます。
しかし、居合でも剣道でも、上段に取った時に後ろ足のかかとがぺたんと床に
着いて居ついてしまう「死に足」になることはありません。


平成20年(2008年) 第56回全日本選手権剣道大会決勝 (白が面で優勝)
外見上は見えなくとも、剣士の後ろ足のかかとは浮いている。


居合というのは抜きつけの一刀こそが命で、「抜きながら切る」のが居合です。
ですので、抜いてから構えて切るのはすべて剣術の範疇に入ります。
よく試斬のことを「居合」と称している人がいますが、誤りです。
刀を抜いて、構えて、エイヤッと切るのは居合ではありません。抜刀しながら切る
のがあくまで居合です。
今動画が見つかりませんが、以前、修心流居合術兵法の町井館長が、正座から
竹を抜き打ちに横一文字で真横にスコンスコンと切っていましたが(切断)、
あれが居合です。

そして、構えてからの試斬は、刀も持っていない、切りかかっても来ない人ではない
静止物体ですので、止まって構えてからいくら切れてもそれは
据え物斬りでしかなく、
居合術や抜刀術、剣術とはあまり関係のないことです。刀法の稽古の一環でしか
あり得ません。

ゴルフの打ちっぱなしは打ちっぱなしとしての練習の意味はありますが、打ちっぱなし
の練習だけでコースをラウンドできるわけではありません。
ビリヤードでもセンターショットだけで対戦競技ができるわけではありません。
剣の技術も、あくまで対戦における戦闘技術ですので、止まっている物体に向けて
いくら刀を振っても、それは単なる素振りや打ち込み稽古となんら変わらないことに
なります。刀法としての刀の運用と体の操作方法を会得して、心法と合わさって、
心法-体術-刀法が三位一体とならないと、剣を使っての剣戟という戦闘に
勝利は収められません。
真剣を用いる居合術というものは、現代においては絶対に実現してはならない
種に属する武術ですが、想定としては「仮想敵」を切ることを前提としています。
居合で抜く業は、あれは「形(かた。型ではない)」を演じているのではなく、
本当に人を切ってしまってはいけないのでたまたま仮想敵を切っているのです。
形(かた)を演武しているのではない。形は日本剣道形のようなものが形です。
そして、仮に空気を斬るようなエア居合であっても、仮想敵設定である限り、
切れたか切れていないかは、ある領域に達した見る人が見れば判別できます。
形(かたち)ばかりの形(かた)居合になってはいないか、本当に抜刀術としての
居合を抜いているかどうかは、見るべき人が見たら一目で判ってしまう。


後ろ足のかかとがぺたんと床に着くというのは、それはかなりの確率で後ろ足が
「撞木」になっているからだと推定できます。
剣道連盟の制定居合は剣道連盟の居合ですから、剣道と同じく、「撞木足(つま先が
両足とも前を向かないいわゆる外股の外足)」を
かなり嫌います。古流とは異なり、
前後方向の体の運用効率を純化させている
からです。
これは幕末の一刀流系の剣術の伝系の流れなのですが、とにかく撞木足
=カギ足を
嫌う。剣道連盟居合では、つま先は前足も後ろ足も基本は真っ直ぐに真ん前を向き
ます。

中段に構えた時、上段に構えた時、あるいはとりわけ踏み込んで切り下した時に
後ろ足のかかとが床にぺたんと着いているのは、これは後ろ足のつま先が大きく
外を向いている可能性が高い。
接地している部分も、足(フット)がまっ平らに床に着いてはおらず、土踏まずの
あたり、つまり足がねじれるように足の内側が床についているのではないでしょうか。
これは、相撲のような四股などのように、力が入る足ではありますが、剣術系の
軽快で俊敏な動きには適さない足運びです。ですから一刀流剣術の流れにある
剣道および剣道系居合では撞木足を嫌うのです。「居着き」になるからです。


そして、全日本剣道連盟居合の場合、切り下した時の後ろ足の膝裏はぴしりと
伸ばしてひかがみを張る必要があります。これも剣道の体の運用の援用でしょう。
古流居合ではそれほどひかがみを張ることを強調しませんが(大切なことでは
あります)、全剣連居合の場合は、ピシリと張ります。かといって力むわけではない。
力んで固まるのとはかなり違う状態を作る。
このあたりは身体操作の妙なので、勉強して研鑽して会得してもらうしかありません。
後ろ足の膝裏を伸ばして張る
際は上体は垂直に伸ばします。
これは新陰流にもある「突っ立ちたる身」で、
古くから古流剣術にも導入されてきた
身体運用の理論です。

なぜか。

よく、前傾姿勢になるといけないということの理由で「頭を前に出すと敵に斬られる
から」という人がいますが、それは嘘です。確かに斬られるのですが、物理的に
頭が敵に近くなるから斬られるのではない。
人間は頭が傾くと三半規管の働きに支障をきたし、次の動作に即応ができなく
なるからです。「前後不覚」というやつです。
従って、居合では業によって多少上体が前傾することがあっても、首から上まで

前に傾けることはありません。
合気道の上級者の動きを見ていると、常に上体は床と垂直で、氷の上を滑るが
如く体をさばいていますよね。あれです。

これはオートバイのロードレースでも同じで、コーナリングでマシンがどんなに
傾いていても、どんなに前傾姿勢だったり、ハングオフと呼ばれる半身を落とす
フォームでも、出来る限り頭は地面と垂直に保つようにします。フルバンクの際
は姿勢に無理があるので多少頭は傾きますが、それでも出来る限り頭のみは
垂直に取る。
これは、頭の傾きによる人間が持つ
運動能力の低下を阻止するためです。


武術である居合においても、人間が体を自在に使って動いて対処するという
「運動」の範疇に入りますので、武術ではない一般スポーツと共通する理論も
運動生理学的にあるわけです。
また、スポーツではないダンスなどの身体運動においても、身体操作という点で
共通する箇所がみられます。
剣術だけ、居合術だけを見ていては視野狭窄になります。
特に居合は刀術だけではなく、身体運用法がとても大切になるので、体術系の
武術を多く見て、見取り稽古をして、何かを得ることが大きな飛躍に繋がるかと
思います。

私も偉そうなことを言えた義理ではないのですが、人に訊かれて説明することで
私もまた再確認して学んでいます。
初段の頃の私は質問魔でした(笑
まだまだ分からないことだらけですが、知ろうとする欲求なくば飛躍もないと
私は思っています。
共に学びましょう。

って言ってもねぇ・・・。
文字列という文章を読むことを嫌っていては、な~んにもならないんだけどね。
文字伝達という人類の英知を放棄したならば、実際の経験からしか物事が判断
できなくなる。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶということになってしまう。
文字を読むのを拒否したら、学校教育だけならず、あらゆる人間の社会活動をも
否定することになってしまう。
ソロバンはどうだか分らないが、読み書きできるのは必要だよ。
ということで、要は「よく読め」というやつだな。
人の言ってることに耳を傾けよ、人が書いていることを熟読して行間も読め、
ということだよ。
人の言ってることまったく聴いていなくて何度も同じ質問来ると「何度も言わせんじゃ
ねえ!さっき言ったこと聴いてねえのか」とか言いたくなったりもする。
俺は聖人君子じゃないからね。
咀嚼力がないならば、こちらの説明が悪いからどうにか理解できるようにさらに
噛み砕いて説明するけど、読まない、聴かないという人には何も言いたくなくなる。
俺なんて、居合の稽古の授業でも、先生が言ったこと一言一句漏らさずに集中して
聴いて、動作もつぶさに見逃さないように食い入るように集中して見てるよ。見の目で。
でないと学ぶ意味ないもの。
そして、習ったことは帰宅してからノートなり「口伝集」なりに書きとめて、復習する
ようにしている。俺は才能がないからね。人より努力しないと技術のレベルが維持
できない。それでなくとも居合なんて俺は下手っぺなんだから。
だから真剣に気を集中して講義を受ける。
うちの尾道の先生も言ったことがあるよ。先生が話して解説している講義中に道場で
私語あった時に、「そこ。話を聴かない、そういう人はいらないですから。帰って
ください」とズバリと言ったことが。そういうもんだと思う。稽古は仲良しおしゃべり
クラブ活動じゃないんだから。バーベキューで歓談しに行ってるのではないのだから。

全剣連制定居合には教科書があります。かなり整備されて術技を解説してある
教科書があります。
読む気が起きないからと教科書さえ読まずに質問されても、何を得たいのか整理
されてないから、質問の期待にはそえないんだよねえ・・・。
まず教科書を読んでください。

ラジオ体操の代わりにやるのでしたら別ですが、そうだとしたら刀を扱うのは
危険すぎますので、居合や剣術ではなく、別なことやったほうがいいと思う。
真剣を扱うのですから、真剣に取り組んでください。


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美しい歩き方

2014年04月26日 | 一般



汚いものの後には綺麗なものが見たくなる。

さて、この四半世紀前の女の子たち(ミポリンもいる)、なぜか
いいなぁと思えていた。
なぜだろうと考えたが、歩き方が非常に綺麗なのだ。



健康は美からとはよくいったもので、正しい姿勢を保つと血液循環も
適切になり健康が保てる。

「正しい姿勢」と称しながら、内実としては実に汚い歩き方をしている
ことが結構ある。

つま先を大外に振り向けながらフットをブランコブランコさせて、かかと
から
接地して歩くのは、脚(レッグ)の軸線の延長線上に足(フット)の
つま先が来ないで右に左に
大外を回りながらの軌道を描くので、歩き方
が非常に汚い。

また、かかとに重心を載せる立ち方なので、デレ~ンと尻は垂れ下って
しまう。猫背にもなる。キュッとしたとこがない。
美しさというのは、内面的なものまで含めて、深く自己を検証してみる
心を持つことから始まるのではないだろうか。
でも、言っても人の意見には耳を貸さず、判断や思考は独善のみで
客観性を理解しようとしなかったりすると何も改善はされない
それでも「私は美人で美しい」とべらぼーな勘違いしてるとしたら手の施し
ようがない。(いるいる)
しかし、汚い歩き方、汚い立ち方をしている女性に限って、自己を絶対視
して人の意見に耳を傾けない。だから汚い状態がいつまでも続いている
のに気づかないまま「なぜお尻が垂れるのだろう」などと言う。知るか!
「私はバリバリのキャリアウーマン」とか言ったりする丸ノ内OLくずれあたり
に多い。


美しさというのは、心を基点として人の内面から自然と出てくるものでして。
あとはそれに磨きをかけるだけでして。
整形してないにしろ整形みたいな取って着けたようなのは、どうしてもね。
心の整形したほうがいいのでは、とか思ったりして。

人間、面白いもので、二種類いるね。
絶対に人の意見を聴こうとしない人と、人の意見も素直に聴いて自己検証
してより良い状態に改善しようとする人と。
前者は『平気でうそをつく人たち』の著者で心理学者のM・スコット・ペックが
「邪悪な人たち」と呼称した。
この書が出版された当時は、まだ精神病領域の境界が確定されていなかった
頃で、現代だと境界例(ボーダー)患者がこれに当たると思われる。
「悪性のナルシズム」とペックが呼ぶこの人たちの特性は、
・どんな町にも住んでいる、ごく普通の人。
・自分には欠点がないと思い込んでいる。
・他者をスケープゴートにして、責任を転嫁する。
・自分への批判に対して過剰な拒否反応を示す。
ということ等が挙げられる。
そして、絶対に(絶対にである)人の意見を聴いて自己検証しようとはしない。
心理学者で精神医だったペックでさえも「お手上げ」であるのがこの人たちだ。
ペックは、この者たちが為すすべがない(=つける薬がない)人間たちであるので、
「邪悪な人たち」と仮に呼称した。精神病としての境界例のカテゴリーが確立される
前の時代の臨床結果だからだった。

「邪悪な人たち」=「平気でうそをつく人たち」は、そこらへんにうじゃうじゃいる。
ここでの嘘とは虚言のことではなくて、自己絶対化のために自分にも嘘をついて
客観的事実を一切見ようとしない心の働きと言動のことを言う。

ええとですね。
残念ながらこうした人々は精神疾患であるのでしょうが、治りません。
でも沢山いる。
こういう例えがあります。
「人間が7人いれば精神病者が必ずいる。もし、貴方の周りを一人一人思い
起こして6人も該当者がいないのであれば、最後のあなたが精神病者だ」

自己検証をして「改善」という精神的自浄能力が欠落している人は病魔に
冒されていると思ったほうがいいでしょう。
もっとも、そうした人は、自分の悪しき面などは一切認めませんから自分では
自覚ができませんが。
病気に罹患して健康を取り戻すことさえも放棄する心の病だとしたら、
やはり怖いことです。待つのは朽ちての死滅のみですから。

なお、「邪悪な人」とは本物の対話が一切成立しません。
「邪悪な人」は自分のことだけが可愛く、自分のことだけが大切で、自分の
欲求のみに忠実で、絶対に人の意見を認めないからです。
そうした人間と心の繋がりを得ることは、絶対に不能なのです。

Amazon 『平気でうそをつく人たち』


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最新マロ情報

2014年04月26日 | 時事放談


倉益榮二

一人称の自称が麿こと倉益榮二は、FBでとんでもないことを全世界に発信しました。

麿の回りに…二重スパイを感じる…麿は、睡眠不足で、 切れぎみ…しかし…
江崎…逆恨みで事件沙汰をするなよ…捕まったら…おりの
なかで、地獄見せる
からな


発…麿、各各各…停戦…停戦…麿の停戦にさかむくもの は、軍旗にかけて
許さず…如何せん寄せられた時は…麿の軍旗と、寛仁親王よ
り預かりし逆賊
討伐のせんじにしたがい、兵を挙げる…麿は、其ま
で某メディア…新聞社と、
話を詰める…一切麿の恥を無駄にするこ
となかれ、武士は…武士 に太刀抜く
モノノフ…国体にさかむくものに戦するもの、武士美徳
は抜かぬもの、神州に
さかむくものは、討伐するが、いざ、その様
に追い詰められたら、素手でじゅう ぶん、

停戦いっほうてきにいたす、
国体護持の剣なり…
麿の直参、友好武道繋がりには…此 の件厳しいく申し置く
他は麿の預かり知らぬ…
神州万歳…
すめらみこといやさか

誤字だらけ、てにをは面妖にて、文その意を得ずというのは相変わらずですが、
問題はそこではない。
倉益榮二は、一昨年お隠れになった宮様の御尊名まで勝手に出して宣旨を
受けたと騙り始めました。

これはさすがに、とんでもないことでございます。
ニセ国粋主義者の国賊倉益榮二、本物の右翼に刺されたりはしないだろうか。
このままだとマロは
今上陛下の落胤であるとか言い出しかねない。
こんな人間が実社会にいて、全世界にこうした発言を発信していて赦されるのか。
「すめらみこといやさか(天皇陛下万歳)」と宣していることは、
今上陛下のことも私的に利用するために持ち出している。赦されるのか。
如何か。真の国粋主義者の諸君!


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成せば成る ~一人暮らしの春~

2014年04月26日 | 風情・季節・地球

私は親と別居して東京に残り、高校に通いながら神田神保町の
喫茶店でバイトして高1でバイクの免許を取り、バイクも自分で
購入した。
喫茶店では主にカウンター担当だった。今はもうないが神田神保町
の地下鉄の階段を上がってすぐの「ローラン」という店だった。
とても忙しい喫茶店で、最初は洗い場担当だったが、そのうち
作るほうも任されだした。
自分ひとりで包丁を持つことを任され、飲み物だけでなく軽食も
作った。
包丁の扱いは店のマスターやサブマスターから教わったわけではない。
小学校の時に家庭科あったでしょ?あれで習った通りやっただけだ。
(私は小学校の時は家庭科含め通信簿は5がほとんどだった。算数
のみは苦手で4だった。だからオール5は一度もない)
学校の勉強も絵を描くのも包丁を使うのも、習った通りにやればよい。
絵は詩歌と同じくセンスだけどね。

ただ、1960年代は嘘も教えてたよなぁ~。野菜なんて中性洗剤で
洗うように、なんて習ってた。今考えると恐ろしいですねぇ~。
体育なんてウサギ跳びなんかを普通にやっていたし、運動しても水
飲んではいけない、とかのトンデモを教えていた。よく体壊さなかったよ。
私自身の学校の成績のほうは、高校の時のバイクとギターと彼女との
ロケンローな人生で一気に学力偏差値が15ほど下落した。
たいしたもんだ。潔い。
スカッと気持ちいいなぁ~。男はこれくらいの元気がねぇとな。


料理に関しては、そうした高校時代の厨房での経験があったからか、
大学に入ってからも
自炊は全然苦ではなかった。
考えてみたら、小学校の頃から、やたらキャンプに行っていたが、
そこでの飯盒炊飯なども手際よく楽しくやれた。

私の娘は竹刀とペンしか持ったことがなく、高校の料理実習の前夜には
家のキッチンで母親に指導を受けながら予習していたが、台所からは
「ウォオオ~」とか「キョエ~~」とかいう叫びが響いていた。
出来上がった料理は見られたものではなかった。
翌日の調理実習では娘の班が優秀賞だったらしい。
娘は・・・自分では一切手を出さずに取り仕切って「はい、あんたはこれ、
君はそれ」と指図していたという・・・( ̄_ ̄)
そういえば3歳の時から、プール教室でも仕切り屋だった・・・。
まあ、扇動者であった父に似て、か。

娘は、大学が決まってからは、どうしたことか「玉子焼きのプロになる」と、
毎晩玉子焼きの猛特訓をしていた。毎晩だ。試食役は私と家内だった。
あと数日で東京入りという頃、どうにか美味くできるようになっていた。

今一人暮らしの娘は、大学から帰ったら、毎日マンションの自室で自炊
しているという。
あれだけ何もできなかったのに、なんとかなるもんだなと思った。
物事、成せば成る。

(娘が送って来た画像。レトルトではありません)


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一年前のきょう

2014年04月25日 | スポーツ・武道など
 
試斬台 自作
仕事が終わって、簡易的な試斬用切り台を作った。要点は、角材の高さが600ミリ、心棒の突出が170ミリ。これは抜刀道などでも基準とされる寸法なので、これを踏襲する。あとは、超お手軽な...
 

おお。一年前のちょうどきょう、何をしてたかというと、簡易試斬台を
サクサクッと作ってたよ。(「続きを読む」をクリックで製作記へ)

そんでもって、その台使って、大阪でライダー1号改の変身ポーズ
したんだよな。


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お好み焼 「さっちゃん」 ~広島県三原市~

2014年04月25日 | 外出・旅



わしぢゃ!(木の葉のこ風)
わはは。

1週間のうち3回、ここ「お好み焼 さっちゃん」に行ってる(^^;

きょうは大阪人のツレと行った。
「モモちゃんがぁ」とか俺が言ったら「誰や?モモちゃんて」と言う。
俺らの世代でモモちゃんといったら菊池桃子様しかいないだろがっ!
ももクロのレッドとはちゃうで。

どうやら自分の興味ないこと以外には興味を示さないらしく(日本語変?)、
おニャン子が大好きだったくせに、おニャン子の1985年の時にモモちゃんを
知らない時点で何か変だよ(苦笑
パラノってるのか(笑
ツレ曰く、
昔からおばさん好みだったそうです。多岐川裕美さんが好き
だったらしいが、それは俺も同意する(笑
オバQ口の離れ目万歳!
1970年代の多岐川さんは、それはもうかわいかった。


そういえば、この三原のお好み焼「さっちゃん」には菊池桃子さんも
来店してます。
なぜ?こんな田舎の汚い(すまん)店に?お好みは美味いけど。



平成20年4月8日に、元ご主人と来店してます。
2008年の4月8日かぁ・・・。
ちょっ!俺、その日の火曜は出張だったわ。

え~と、菊池桃子さんは、まったく好みではないのですが、
私はなぜだかとても好きなのです。醸しだす空気かなぁ・・・。
なんというか、あの雰囲気が理想だわ。
雑誌BOMB(ボム)って一時期凄かったよね。まるで菊池桃子
広報誌のようだった。

今の桃子さんは法政大の大学院を出て、現在戸板女子短の
教授もしてるよね。
桑田真澄さんは今年から東大の大学院に進むし、一度社会人
になってからまた学問の道に進むのって、なんだか気合い入って
るよなぁ・・・。

モモちゃんはですね、実は康宏刀のユーザーでもあるのです。
二代目直紀康宏の作ね。
「これで大根切れるかなぁ」とか言ってたけど、やめれ(笑

モモちゃん、好きっす(^^;


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タマネギの季節

2014年04月25日 | 風情・季節・地球

借りている近所の畑の家庭菜園でタマネギが採れた。
農地ではなく、パイロットで東京に住む人が持っている住宅街の
中の空き地を共同で耕して畑にした場所だ。「草を生やさないでくれれば
耕地として利用してもらって構わない」とのことで、10数年前から数名で
借りている。大根、ラッキョ、ネギ、トマト等を植えて育てている。収穫の
時はいつも楽しみだ。

タマネギはつい数日前にも食したがとても美味い。
ただ、淡路島の天下一品のタマネギのほうがずっと上だが。
あれはタマネギにかぶりついても甘くてシャキシャキで別物だ。
土が違うのか、種が違うのか、とにかく淡路のタマネギは美味い。

これはうちのタマネギ。けさ採れたて。(青ネギ部分は食に適さず)


暫く吊るすと、きつね色に外皮が変色する。



昔はタマネギではなかったようだ。


わははは。これはシャレだろう(^^;



昨日、三原市内のお好み焼屋でお客さんの話を聴いていたら、
収穫前の家のサトイモをごっそりと盗まれたらしい。
うちもハッサクが全部(80個以上)、レモンもごっそり盗まれたが、
どうやら作物泥棒が「普通」に三原城下には頻繁に出るらしい。
どうなっちゅうがぜよ、おま~ん。

でもね、最近だんだん解って来た。
世の中、人間が10人いたら、大体7~8人くらいは良人ではないね。


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