渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

年越し蕎麦と一年の総括

2015年12月31日 | 風情・季節・地球



頂き物の年越し蕎麦を食べる。
げ。汁が少なすぎた。美味そうに見えない・・・。
が、実に美味い。埼玉の蕎麦、結構いけるぞ。

二敗目。ツユは薄く見えるが、結構出汁が効いている。
いい感じだぞ、かーちゃん(妻)。



美味し。


<今年の私的な主な出来事>
・数年前から企画していた斬鉄剣小林康宏作刀プロジェクトが始動し、
 正式募集前から注文希望者が殺到していたが、本年から刀工が
 作刀復活し、製作を開始して随時納品が始まったこと。これは一番嬉しい。
 現在、第三次希望者枠だが、現在までで希望者は数十名になるので、
 研ぎ上がり完成品お渡しは2年後の予定。刀工も職方も精一杯仕上げ
 ますので、どうぞお楽しみに。


・江戸刃物師の左久作氏と昵懇になれたこと。これは刀工小林康宏が
 引き合わせてくれた。
 80年代から左久作は私の中で神聖領域だったのだが、四半世紀の
 付き合いになる康宏が左久作と昵懇だとはまったく知らなかった。

・稀代の日本刀剣士町井勲氏とは数年前から交流があったが、実質的に
 かなり懇意になったこと。

 日本刀と武術に関する見解についてほぼ100%視点が重なる。これは
 ありそうでないことで、いろいろ勉強させていただいている。私とは同系
 別流派だが、つきつめると
術技は流派を超える、ということを氏から学ぶ。
 共に語る日本刀談義がとても
楽しい時間であり、生活の中で常に自己
 検証の刺激を受けている。


・多くの方に私の記述が読まれているという事実を知ったこと。
 斬鉄剣作者である刀工藤安将平氏、日本刀研究者土子民夫氏も読者と
 知り驚く。また藤安先生も土子先生も私と会ってみたいとおっしゃっている
 とのことで、これまた驚く。
 頭文字Dのかの作家スタジオのチーフも私の記述の読者で、知己となり
 懇意にさせてもらっている。


・日本刀を通じて、まだお会いしていないが、東北の武術家に知己を得たこと。
 求め合う者たちはどこかでつながる、ということを知る。

・ヤマハから私に関するバイクXSR700が本年11月に英国で発売されたこと。
 このモデルは開発当初から私の日記に「多くのヒントと刺激を受けた」との
 ことで、このモデルを作ったイタリア在住の開発チームのヤマハ発動機の
 総責任者から
連絡をいただき、帰国の際にはぜひ会っていろいろ話を聞か
 せてほしいと申し入れられたこと。
 マシンの開発コンセプトを知り、邦訳すると「ヤマハのより速い息子たちへ」と
 いう、世代継承文化としてのオートバイという趣旨にいたく共感する。

 これは、16歳の時からバイクに乗り、個人的にもヤマハのマシンで大昔に
 レース活動をし、街乗りでもヤマハ
を愛車としていた私にとっては個人史では
 驚愕の歴史的出来事
になる。国内販売時期は公式には未発表だが、これは
 このマシンに乗らず
にはおれない。


他にもいろいろな方にお世話になりました。
社会情勢的には良いことも悪いことも多くありましたが、あえて個人的な
ことにとどめさせていただきます。

みなさまにおかれましては、これからも幸せな時間が流れることを、わたくし
心より願っております。

どうぞ良いお年をお迎えください。
今年もあと1時間となりました。
来年もよろしくお願い申し上げます。



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研ぎ納め

2015年12月31日 | 刃物



一年の研ぎ納めは、ブローニング141フォルダーだった。
いつも使う前に研ぎ、使った後にメンテナンスをするのだが、
ペーパー
試斬試験での切り味が気に入らないので、研ぎ上げた。

東京のイトコ姉からの研ぎ依頼の包丁はすべて研ぎ上げているが、
年末年始不在とのことで、発送は来年となった。

このモデルは本当に使いやすい。ただ、デスクナイフとしては大きいし、
アウトドアでのヘビーデューティーな使用には耐えられないライナー
ロックであるので、やはり軽登山やトレッキングナイフとしての使用
設定が良いかもしれない。簡単なデイキャンプなどではとても活躍
する。
包丁は自分で研げない人は研ぎに出すことがあっても、ナイフは、
アウトドアの基本である「自分でやる」というのが大前提の基本なので、
ナイフは自分で研いで使う
物だ。切れ味については自分の研ぎ次第。
すべての責任は自分にかかる、という点で、ナイフは人任せでなく
自立的に生きるということの大切さを教えてくれる。

透かし彫りされている銃器メーカーブローニングのマークは鹿である。




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鐵の歴史性

2015年12月31日 | 文学・歴史・文化



数日前、仕事で作州国津山に行く途中で備中国総社に寄った。
どちらも古代から中世・近世までは「吉備国(きびのくに)」だった場所だ。
「まがね吹く吉備の中山」とは云うが、吉備国のうち産鉄地域は備後・備中・
作州がメインで、備前は産鉄直下ではなく原料を移送
させていたフシがある。
そして、古墳あるところ、鐵あり、という。
ここ備中国は有名な「桃太郎伝説」の土地だ。
だが、あの伝説で云われるところの「鬼」とは、半島系産鉄民だったことだろう。
岡山県総社市に残る古代城の「鬼ノ城」は朝鮮式城郭であるが、倭人(もともとは
外来人種)であるヤマト勢力の古代城にも朝鮮式のものが見られる。
ただ、この吉備国にはいつの頃からか、製鉄技術があった。
それを征圧して後に製鉄技術をヤマトが掌握する。

元々はここ吉備国は出雲の掌中にあったところ、記紀によると、半島から侵略
してきたヒボコ一族に制圧されてしまい、出雲王権は敗戦に
つぐ敗戦で吉備国
統治権を失って出雲に撤退を余儀なくされたとある。

その時に半島人に吉備国は支配されてどんどん混血化も進むのだが、その
半島人が列島に上陸侵略占領統治した際に渡来したのがこの地の製鉄技術
だったことだろう。

それを狙って列島側の倭人である海部一族が攻め込み、別ルートからは
畿内のヤマトが侵攻して
結果的には吉備国はヤマト支配下に置かれた。

日本刀の刀鍛冶の発生場所は、結局は古墳時代以前からの産鉄地が
そのまま刀鍛冶の発生地となっていることがほとんどだ。
ここ備中国もそうであり、吉備国(備前国・備中国・備後国、後に備前が
二つに分割されて美作国が加わる)は全域に渡って中世には刀工が
群居した土地であった。
日本刀誕生の初期〜中期においては、近世の「たたら吹き」とは異なる
「たたら
製鉄」によって、砂鉄のみならず、岩石系、褐鉄鉱系の原料も
産鉄に多く使われたことだろう。

(余談だが、「たたら吹き」と「たたら製鉄」の区別が一つもついていないまま
製鉄論を述べたがる
自称古代製鉄研究家が多くて閉口する。大抵は刀工
などが行なう「卸鉄(おろしがね)」についても、銑(ずく)おろしのことのみで、
抵炭素状態を適正炭素量に浸炭させる工程もまた「おろしがね」ということを
知らないまま「おろしがね=銑おろし」と一面的に誤認を根拠に自論を言い
張る人間に「たたら吹き」と「たたら製鉄」が弁別できていない人間が多い。
多分、識別能力と認識能力が著しく乏しいのだろう。そうした者は大概は
古刀と新刀の鉄の色の区別もつかなかったりする)

日本刀の発生は平安時代最末期の「湾刀の登場」を以って日本刀のはじまり
としているが、古墳出土鉄剣や鉄刀、「上代」と呼ばる直刀時代からの鍛冶職
の技術がそのまま平安時代の刀剣鍛冶に引き継がれたことは想像に難く
ない。突然湾刀製作技術が天から降って下りることなどはあり得ない。
いわゆる「日本刀」の鍛冶職のルーツは、奈良・大和・飛鳥と遡り、古墳時代
から更に弥生時代へとさかのぼることだろう。
そこには必ず倭鍛冶(やまとかぬち)と韓鍛冶(からかぬち)の技術的な
拮抗や合流、あるいは統合という歴史があった筈だ。

とりわけ、砂鉄製鉄という効率の良い製鉄方法は、半島系技術集団が
もたらし、列島内においてさらに技術が純化されて行ったことだろう。
鉄鉱石は、それこそ犬でも連れて「ここ掘れワンワン」で空海の鉄山探索の
ように探し回らなければならないが(そのため各地から温泉が噴出)、
いくら鉄資源が埋蔵されている山岳にはカネクサが植生としてみられて
目印になるとはいえ、効率が悪すぎる。

(三原の山のカネクサ)


(超古代製鉄原料と思われる三原の赤土。古代山陽道沿いの場所にて)


(湧水誘導路には今でもソブが観察される)


鉄器の大量需要に応えるためには、効率の良い製鉄原料でないとならない。
製鉄原初材料ともいえる赤土では低炭素鉄しかできないために効率が悪く、
鉄鉱石の磁鉄鉱のほうが量産には向いている。

(鉄分を含む赤土は焼くとベンガラとなり、古代の「赤色の文化」を形成した
ことだろう。神社に使用される赤色と白色は、製鉄材料とそれを基盤とする
部族間の技術体系の違いによる「赤と白」がそのまま文化の一面を形成
したと思われる。このことは赤系は稲荷神などの外来系の神を祀り、それが
「非ヤマト系」であることと密接な関係にあるのではなかろうか。
ヤマトの軍門に下って国までヤマトに献上したた出雲は砂鉄主体なので
キラキラと白く光り輝く院覆韻蕁砲できるように鳥居は白だ。伊勢神宮も白
である。つきつめると、国津神と天津神系も複雑に絡んでくるのだが、実は
もっと古くから根が深く、赤白の別は産鉄の手法と文化性によるものと私は
踏んでいる。それはとりもなおさず、「鐵の歴史」そのものの象徴のように
思える。ちなみに、稲荷といえば狐、狐といえば鍛冶である)

では、赤土からの古代製鉄よりも、もっと良い材料はないかと探していた
ところ磁鉄鉱の存在をなにゆえか知り、鉄鉱石の塊を新工法として倭人も
使用しはじめた。
だが、そんな鉄鉱石のある山を山師に頼って探すなどという非効率的なことは
やっていられない。

土砂を大量に流して砂金採りのように比重選別で砂鉄を採取する方法は、
広範な砂鉄鉱脈地域さえ確保できれば川さえあれば鉄資源を採取できる。
鉄鉱石よりも鋼が発生する歩止まりは悪いが、なにしろ山探しよりも採取が
簡単だ。

砂鉄製鉄は超革命的な産鉄技術だったことだろう。
だが、それは単独山探りでの鉱脈探しという方法ではなく、「山を押さえる」と
いう権力の保持を伴っていなければ成し得ないことだった。
採取方法として簡便な、山の土砂を崩して流す砂鉄採取は、権力を掌握した
者が同時に鉄生産をも掌中に納めることに繋がった。

しかし、その土砂流し(鉄穴流し=かんなながし、かんながし)のために河川
の汚染は甚だしく、農民たる「オホミタカラ」たちと産鉄民は必然的
に対立せ
ざるを得なかったことだろう。
しかるに、砂鉄採取と製鉄は農繁期を避けて冬季に
行なうことしか地元農民
との確執を避ける手はなかった。

各地に残る「鬼」伝説や、風土記にみられる「鹿」、「竜」、「悪」、「蛇」、「百足」
等の伝承は産鉄民たる山の民を意図的に貶めた臣民たるオホミタカラに
支えられた勢力がフレームアップした伝説であるとみることができる。
吉備国「桃太郎」や山陰の「ダイタラボッチ」や「オロチ」などの伝説は、すべて
産鉄民とその他の民との確執を語る物語であり、こうした伝説奇譚に依る風習
は、東北の「まつろわぬ民」たちを伝えるねぶた、その他各地にある「形代」と
しての「流し雛」や「チマキ(王権に従わぬ者を血だるまに殴り殺してスマキに
してしまうことから)」、製鉄と深く関係する「とんど」など、日本各地にみられる。
日本人が一番よく知っている鍛冶悲譚として無意識ながら現代でも継続して
行なっている慣習としては節分の際の「豆まき」がある。
あれはなぜ「鬼は外」で「フクは内」であるのか。フクとは「真金(まがね)吹く」の
フクである。投げる豆は小型炉で生成する小粒鐵もしくは小さな餅鉄の代用で
あろう。
餅つきの杵は最初は大きな独鈷型だったが、後年に製鉄鍛冶鎚とまったく
同形に変化した。
あれが
鍛冶鎚からの転用であると、どれ程の人が気付いているのだろうか。

こうした屋外炉でさえ、石舞台のような古墳石室は、古代炉からの転用では
なかろうかとさえ思えるのである。




ちなみに、現在の朝鮮人、昔の日本人が非常に「竈(かまど)の神」を
神聖重要視するのは、製鉄鍛冶技術への信仰が底辺にあるように
思われる。
だが、古代製鉄を意識しないまでも、現代においても、火を扱う産業
従事者は、近代工場においても「吹子祭り」を行なっている。
豆まきはねぶたと同じく古代における極めて政治的な排外主義的な
事柄が発生の原初だろうが、吹子祭りは製鉄を掌握した権力という
よりも、製鉄そのものの始祖を称える祭りであるともいえる。
その吹子祭りが、鍛冶職のみだけでなく、現代でも細々とでも工業界の
企業体などでも継承されているのを見て厳粛な気持ちになる時、私は
自分が日本人であり、日本の産業に従事している者であることを強く
意識するのだ。

これは神事としての吹子祭り。全国各地で吹子祭りは行なわれている。







 


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ラジオ体操 第1 ジャズバージョン

2015年12月31日 | 音楽

ラジオ体操 第1 ジャズバージョン


笑った。これはいい(^0^
というか、もう亡くなってしまった銀座西五番街のおかまのマユミさんの
ピアノがこういう感じだった。

これはいやだ〜。葬送曲みたい(笑
ラジオ体操第一を短調にしてみた【sm2504090】

これががいい感じ。
ラジオ体操 第1 サンババージョン


いろいろな人がやっているyoutubeのこの「もしも〜」シリーズは
面白いよ。

こういうキテレツなことも実力があるからできる。おもれ〜。
ひたすら移調しながらトルコ行進曲を弾いてみた


最高!
モーツァルトにポニョを弾いてもらった


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牡蠣

2015年12月31日 | 風情・季節・地球



殻つき牡蠣食べた。

カキフリャーも作ってみたがや。


三陸、広島、北九州と、牡蠣の生産地はいろいろあれど、
全部
味が違う。
広島牡蠣も場所によって味が違う。
広島牡蠣では安芸津の牡蠣がおすすめ。

ここ。


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魂鋼(たまはがね)

2015年12月30日 | 日本刀

昨日、町井勲氏から連絡があり、斬鉄剣刀工である藤安将平師が、ぜひとも
私と会って話がしたいので、3人で会って刀剣について対談する場を一席
もうけてくれと町井氏に頼んだとのことだ。
一般的には販売をしない超貴重な明治期の刀剣用鋼を大量に入手した
藤安刀匠と町井勲氏(藤安刀匠のお弟子)には、その貴重な鋼を一部特別
に刀工小林康宏に分けてもらうという格別のご厚意をいただいている。
大変感謝しているし、康宏日本刀鍛錬場はもう手に入らない和鋼を特別に
個人的に分けてもらえるということで刀工も弟子も色めき立っている。
ご高配に厚く御礼申し上げるとともに、藤安刀匠とお弟子さんの町井氏には
恐縮のいたりなのだが、私はあくまで日本刀については素人なので、人間
国宝の刀鍛冶のお弟子さんで本物の刀を打つ本職の刀匠の方と日本刀に
ついての対談など、畏れ多くてとんでもないことだ。
しかし、私の日本刀に対する知見について、実力刀工がある程度認めて
くれているという事実を知って、驚くと同時に光栄の至りである。
「渓流詩人が言ってるのは所詮はチャンバラ屋のたわごと」とかフェイスなどに
書いて貶している刀工さんもいるくらいなので(苦笑
小林康宏師匠などは「素人さんとあしらって人の話を聞こうとしない
刀鍛冶なんてのは駄目。だから、あぁた、刀のことあたしにどんどん
教えてね」なんて言ってますが(^^;

(刀工修行中の町井勲氏と師匠刀工藤安将平氏)



のんきなうちの先生(^0^)

刀工二代目小林康宏(撮影私)


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日本刀のベースは太刀と短刀 〜日本刀の変遷〜 

2015年12月30日 | 日本刀

日本刀のことを全般的に「刀=かたな」と呼ぶ。
この言葉の概念には凡そ「槍」、「薙刀」、「長巻」は含まれない。
日本刀という呼び方は明治以降の呼称だが、現在では一般的
には日本古来の刀剣のことを「日本刀」と呼ぶ。
一方、「刀」は太刀・打刀・脇差・短刀等を網羅する概念として
使われている。槍を刀とは呼ばないが、太刀などはカタナと呼ぶ。
要するに刀剣そのものも含むが、緩やかな狭義としては「打ち物」系
の刀剣のことを我々現代日本人はカタナと呼んでいるようだ。


結構知らなかったり間違えている方がいるようなので、日本刀の
変遷について図を作ってみた。
一般的に、太刀とは刃を下に向けて紐で吊るして佩く(佩用)するが、
狭義の意味での刀(打刀=うちがたな)は刃を上に向けて帯に差す
(=帯刀)。
だが、刀とは太刀の短い物と思っている人が多いようだが、太刀と
刀は形状は似ていてもルーツがまったく異なるのである。
太刀は最後まで太刀であり、刀は短刀の末裔なのである。短刀が
「刺刀(さすが)」となり、それが「脇差(小刀=しょうとう)」と「刀(打刀=
うちがたな)、大刀=だいとう)」と「鎧通し(よろいどおし)」に進化した。



では、いわゆる俗に「小太刀(こだち)」と呼ばれる長めの脇差=短めの刀
はどれから発展したのかというと、刀剣界でも諸説あり、見解が統一されて
いない。

ただいえるのは、「刀は太刀とは別物」ということである。
例外として、戦国期に太刀を短く磨り上げて刀として使用した例が見られる。
とりわけ南北朝時代の長大な太刀を磨り上げて打刀と同程度の寸法に
切り詰めることが多く見られたが、この形状はやがて桃山期末期〜江戸期
の慶長年間に、最初からその磨り上げ形状の打刀が多く製作された。
(刀剣界の歴史区分は歴史学的日本史の江戸期初期までを「桃山期」と
する独自の歴史区分をしている)
江戸後期にその桃山末期の刀は「慶長新刀」と新たに名づけられた。
だが、戦国末期から江戸幕府成立期にまたがる慶長年間に造られた刀は
現用当時は慶長新刀などとは呼ばれてはおらず、そのような概念も存在
しなかった。
慶長年間を「端境期」とする見方は刀剣界に根強いが、日本刀の鋼の鉄質が
大幅に変化するのは慶長年間よりももっとずっと後代のことで、江戸期の
幕藩体制が強固盤石になる頃である。
また、中央政都から遠ざかった遠隔地においては、刀の鉄質に変化が
みられるのは延宝〜元禄期まで待たねばならず、こうした現実を鑑みるに
「慶長年間」を以って日本刀の材料に激変が見られたとする見解は、あまり
にも日本刀の数を見ていなさすぎと断じざるを得ない。
材料としての鋼の変化は、決して革命のように一気に一夜で激変したもの
ではなく、弾力的に緩慢に変化していった。
但し、新刀初期の江戸期工法は、戦国末期の工法を踏襲したものだったと
思われるが、実はその工法と幕末に水心子正秀が研究した現代に繋がる
工法に継続性があるかというと、それを実証する文献は一切ない。
実際のところは、江戸中期の太平時代にほとんど新作刀の注文が途切れた
時期が数十年存在し、その時に日本刀の製法というものは全般として相対的
には失伝したと思われる。
現在の現代刀の製法は、現代刀工の親方ルーツをたどればすべてが水心子
正秀に繋がるように、現代の刀作りは「水心子伝」をやっているのであり、
それが平安〜鎌倉〜南北朝〜室町・戦国〜江戸初期まで連綿と続いた日本刀
の工法であるという確証は一切存在しない。
ただし、現工法が「水心子伝」であることはまず間違いがない。

鋼の質性の変化は江戸初期の末期(元禄初頭頃)とそれ以降では、総体と
してはまるで
異なるということは日本刀に多く接すればそのことが観察される。
戦国末期までの質性と似ていた江戸初期とそれ以降の鋼の質が異なるのは、
明らかに物流・産業の構造がそれまでと別構造になったからだろう。
材料の中身が異なれば、当然工法も変ってくる。

ただ、鋼の質性の変化は、平安〜応永あたりまでとそれ以降でもかなり
異なる。
私個人の私見としては、この応永期端境の鉄質の変化と江戸期の鉄質の
変化はかなり別な要因が原因のように思える。
そのことについての考察と研究は今後もライフワークとして進めても、まだ
立証データが少なすぎる
ので、明確には所見を述べる段階ではないが、
大体のアタリ(だが核心部分の推定)は「そうではなかろうか」
という部分は
持っている。


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映画はモニターでなくスクリーンで 〜映画『汚れた英雄』(1982年角川)〜 

2015年12月30日 | 映画・ドラマ


角川映画『汚れた英雄』(1982年)

映画館では6回観た。
ビデオは擦り切れるほど観た。
DVDでは数回しか観ていない。

DVD版では残念なことになっている。
それは、この映画は初めて独特なブルーに発色するフィルムを
使って撮影された角川春樹初監督の映画作品で、劇場で観た
時の夜や夜明けのシーンでのブルーは瞼に焼きつくほどに
美しかった。
それはビデオにおいても再現されていた。
だが、DVDのデジタル映像となってからは、そのブルーがクリア
すぎて、ぼうっとしたあの幻想的な表現タッチがすべて消滅して
しまっているのだ。
たけしが映画を撮って「北野ブルー」などと呼ばれているが、初めて
ブルー感光のフィルムを効果的に使ったのはこの映画作品での角川
春樹であって、たけしがさもブルー表現の先駆者であるように呼ばれる
のは歴史事実と異なるので、全く首肯できない。

また、映画は映画館で観るものだとこの『汚れた英雄』をDVDで観て
いると強く感じる。
いくら大きなTVモニターであっても、1982年当時の映画館での超大画面
でのド迫力には及ばない。こじんまりとしすぎてしまうのである。
この作品は音楽と映像の色彩とシーンのカット割りを楽しむ化粧品CMの
ような映画なので、大スクリーンでないと作品の表現効果が激減する。
プロモCM的ではあるが、役者たち(とりわけ草刈正雄が良い)はおぼ
つかない演技ながらも、悲哀感はよく表現されている。
デビュー6年目の若いお母さん役の浅野温子も可愛かった。



極端に台詞をカットしたシナリオなのだが、言葉ではない部分での演技
というものはかなり難しかったのではなかろうか。
そうした微細な役者の動きも、大画面でないと伝わらない。

特にレースシーンなどでの車載カメラなどは1982年当時には一般的
ではなく(ほぼ皆無)、この最新の撮影技法に映画館では唸らされた。
撮影技法と色使いは劇場大スクリーンでこそ感じ取れる。
とりわけ、主人公北野晶夫が豪邸の自宅でプールからあがり、近代建築
の階段をあがってライムペリエを飲み、広大なクローゼットで服を選んで
パーティーに出かける支度をするシーンでは、映画館の大画面
とTVモニター
とではまるっきり印象が異なる。

「映画館で観なければ解らない作品」という映画というものはあるものだ。
DVDなどはお手軽で便利だが、やはり映画は映画館で観るものだと
この『汚れた英雄』をDVDで観ているとつくづく感じる。
DVDはそれでもまだ良いが、絶対に動画サイトなどで観るべきではない
作品であることは確かだ。


主人公北野晶夫(草刈正雄)の愛車はBMW E21 ALPINA C1(323ベース)


北野晶夫(草刈正雄) 1982年


おれ(痛) 2012年






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名著『焚き火大全』

2015年12月30日 | 刃物



これを書棚から引っ張り出してまた読んでいる。
10数年前に購入した単行本で、かな〜り内容が濃い。

まあ、焚書はよくないが焚火というのはいいよな。
と、趣味者同盟焚火派(たきびは)だったあちきは思うのである。


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木こりの仕事

2015年12月29日 | 風情・季節・地球

木こりの仕事


スケールありすぎて映画みたい(◎。◎)

こちらもすげ〜。
日本にはない技だね。
「力を使わない」というところは、刀遣いも大いに見習いたい。
木こり世界チャンピオンの技 part1


木こり世界チャンピオンの技 part2


放送できない発言が一部観客にありましたが(笑
「ヒュンてなった」んですか?(^^;

昔、実話でこういうのがありました。
フジテレビの児童番組「ママと遊ぼう!ピンポンパン」(生放送)でのこと。
先生「では、しりとりをしましょう。まず最初に『き』です」
園児A「はい!キンタマ!」
先生「もっときれいなものを言いましょうね」
園児A「はーい!きれいなキンタマ!」
すぐにカメラがパンして別なところを映し、カメラが戻った時には、
その子はいなくて、席には熊さんのぬいぐるみが置かれていた。

これはうちのガッコの落研のやつが面白く話すので、合宿時には
大うけだった。

下品でしーません。


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薪割り作業すご業

2015年12月29日 | アウトドア

薪割り作業すご業


薪割り最強の手持ち道具は斧であるのは疑いないが、このおっちゃん
なんやねん(^^;

すげ〜。

「薪割り流を少々」と言ってた七人の侍の平八よりもすげーぞ。


ところで、名作映画『七人の侍』(1954年)は世界初の傭兵映画作品
なのだが、登場する七人の傭兵はリーダー以外全員名前が数字と
関係してるって知ってた?
これはクロサワの作戦のような気がするよ(笑
4から命名したのは、三船が3だからのような気がする。
そしてその三船の役名に千を持って来たの場所は、千秋実からだった
りして。
それくらいのカラクリはクロサワならば組み込みそうだ。

・島田勘兵衛・・・・・リーダー
・菊千代(三船敏郎)・・・・・・・・・1000
・岡本勝四郎・・・・・4
・片山五郎兵衛・・・5
・七郎次・・・・・・・・・7
・林田平八(千秋実)・・・・・・・8
・久蔵・・・・・・・・・・・9


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ブッシュクラフトナイフ 〜刃物考〜

2015年12月29日 | 刃物



バトニングというナイフを使って薪を割る特殊使用法においては、日本
の片刃の鉈(なた)はとても使いにくい。

少し考えれば分かる。片刃鉈は枝打ち用だからだ。
切断物がブレード左右均等に外に開く力は無く、片刃による摩擦係数の
違いを利用してどんどん片方に切れ込んで行く作用が出る刃物だからだ。
切り出し小刀やノミや和包丁などもこの理論に基づいて作られている。
「割り」ではなく、刃が片側にどんどん食い込んで行くのである。

ブッシュクラフトなどの野外活動で使える刃物について若干考えてみたい。

まず、刃物と一括りにする前に、日本と海外では「キャンピングナイフ」と
いうものの概念がまるで異なるということがあることを知っておきたい。


日本の場合↓


英語圏の場合↓


概念の違いが一目瞭然だと思う。
なぜ日本のキャンピングナイフは身幅が狭く、海外のナイフは身幅が広いのか。
それは、理由が二つ考えられる。
まず第一に、日本国内ではキャンピングの際には「バトニング」というナイフを
使った特殊方法で薪を割るようなことはしないということ。最近ようやく一般化
してきたが、海外では昔からバトニングはあった。
第二に、海外には和式刃物の「剣鉈」のような物が存在しないこと。
だからごく普通に幅広ナイフがブッシュクラフトなどの森作業において海外では
必要とされている。

日本の剣鉈は山仕事の人などは使わないが(バトニングなどしないため)、
汎用アウトドアナイフとしては日本の剣鉈は最強だ。
枝打ち用の片刃鉈は薪割りには向かない(実際にやってみれば即断できる)
ことは上述したが、剣鉈は両刃蛤なので斧と同じような使用法に応じることが
できる。つまり、使える。汎用野外ナイフとしては剣鉈は非常に優れている。

日本が誇る伝統和式刃物の剣鉈。


ただ、日本にもバトニングとまではいかないが、「割り」専門の刃物が存在した。
それが「竹割り」である。蛤刃ではなく、鎬が設置されている。これにより、
刀身のある一定部位が被切断物を通過する際に一気にクサビ効果を発揮
させて叩き割る。






私は庭の樹木の剪定においても、カナディアンメープルの木に登って枝打ち
する際にはこれを使用する。
ただ、以前にも何度か書いたが、私はナイフでも数センチの距離から片手
打ちで薔薇の枝等を切断できるのだが、何人にもやってもらったところ、
どなたも薔薇の枝が切断できない。
これは戸山流居合をやっている有段者においても、ナイフで笹の茎を切断
することができなかった。私は難なく短距離で切断し、刀身を止めることが
できる。
こうなると、一般的には片手打ちで何かを切断するということは案外困難な
ことで、私自体の手技が一般的ではないのかと思ってしまう。
ただ、片手斬りは居合の根幹、根源部分であるので、どんな刃物を使っても
最大限の切りを発揮できないと嘘だと私は常々思っており、その信念で
工夫しながら居合を稽古してきた。
その結果が、まさしく結果として他の人との差となっているのかも知れない。
実際のところ、この「竹割り」のような鎬のある両刃刃物でも、木に登り、
太い枝まで一刀でスパッと切っている。実際に切れ込みの良い片刃に
頼らずに両刃刃物で切っているのだから、それは一つの現実として、その
ことは「技」に依拠するものだと捉えても外れていないのではないかと思う。
物斬りのセンスとかではなく、理論と理合(りあい)を正しく脳で理解して、
その理解を実践すべく工夫して斬術稽古してきた結果、今私が簡単に
スパスパと斬れるという現実がある。稽古だ。こういうのは訓練しかない。

さて、ナイフを使ったバトニングでは、本来アックス=斧(おの/よき)で
薪は割るべきところ、ナイフを代用品として使うので、非常にナイフに負担
がかかる。本来ナイフは薪を割るために造られた刃物ではないからだ。

だから、バトニングでナイフを使用すると、このようなことも起きてしまうという
危険性がいつも伴うので注意が必要だ。








これは強烈。日本刀でも現代刀ではこのような欠けかたが多くある。


ナイフだけではない。斧でもこのようなことが起きる。


そうした中、バトニング専用とも思える、「切断割り専用」のナイフが海外にはある。

偶然にも、昨日私が提唱した「ハイブリッド・ホロー」の断面形状に極めて近い。

こちらはフラットグラインドだ。


見てもらうとお気づきになるだろうが、日本の「鉈」に形状が非常に
似ている。

軍用銃もそうだが、実用性をどんどんつきつめていくと、どこの国、
どこの民族が作っても、同じような形になっていく。

ブッシュクラフトなどでは最近はバークリバーが人気が高いようだが、
バークリバーのブラボー1などは、その名が示す通り、USマリンコープ
が捜索上陸や偵察の際に携帯するために開発された堅牢さ第一の
ナイフで、日本の剣鉈のように幅広ブレードで蛤刃となっている。
これはあらゆる刃物をトライアルの中で検証していく過程で、いきつく
ところが「剣鉈型」となった典型だろうと思う。

ただし、洋式ナイフには決定的なネックがあって、それは現代鋼を使用
しているので、鋼材如何で性能が限定されることと、それと、熱処理は
専門業者に外注で出すために、熱処理によってマルテンサイト化された
状態をナイフ生産者自身がチェックできないことだ。
だから、このようなことが起きてしまう。

折れる刃物の典型で、粒子が荒すぎる。
これは、一枚鋼材だとしても、温度処理の際に高温過ぎる場合に
すべての炭素鋼に生じる現象だ。硬くとも粘る鋼は、変態点ぎりぎり
の低温熱処理が施されて粒子が非常に細かくなり、粘りが出る。
日本の「現代刀」が簡単に刃こぼれしたり刀身自体が折損したりする
のはごく当たり前のことで、心金構造などは強度に一切関係がない。
「現代刀」が折れ欠けし易いのは、それは「見た目重視」のために、極度に

高温処理をしているからだ。鍛造の際のガス抜きのためにも超高温
処理で鍛練したほうが製作が簡単であるし、疵やフクレが出にくいことと、
「冴え」なるものも出るので、切ることをまったく考慮しない「見た目重視」
(重視というよりも見た目だけが存在価値)の「現代刀」においては、高温
処理は適した方法ともいえる。
だが、そうして作られた「現代刀」は折損事故
が起きる可能性が極めて
高い危険な物体のため一切使えないし、
戦闘刃物では全くないことは
論を俟たない。「現代刀」は「日本刀の形を模した模型」であると
断言
できる。事実、ほぼすべての「現代刀」造形作家たちはそのようにして
作っている。「現代刀」作家は日本刀は一切
作っていない。「美術刀剣」を
作っているのである。手間をかけて日本刀に形が似た鋼の焼き物芸術
作品をオブジェとして造っているのであり、見た目だけに存在意義を見出す
造形作家が手掛けるオブジェ作品を便宜上「現代刀」とは呼んでいるが、
日本に数百年続いて存在した日本刀というジャンルに属する物ではない。
「現代刀」作品は観賞のみが目的の鋼の焼き物であるのだ。日本刀とは
歴史的な存在意義そのものが異なる別物なのである。これは事実なので
致し方ない。

別物に本物の性能を求めるのは酷というものだ。プラモの飛行機では
空を飛べない。
また、「現代新作刀は斬るための物ではない。そんなことに使ってもらって
は困る」と公言する「現代刀」の造形作家は多いが、これはごくまともな
ことを言っている。見る為だけの物だからそれで斬ってはならないのは
当たり前のことだ。
極言すると、武術などでたとえ空気斬りだけでも振ってもならない。
振ることなど前提として造られていないからだ。
「現代刀」は、刀掛けに載って博物館で見物したり、たまに手に取って
眺めるためだけの存在としてあり、そのために造られた物品なのである。
だからこそ、見た目競技の新作コンクールに現代造形作家たちは精魂
傾けているのだ。
ただ、「現代刀」はそうした造形物であっても、その存在価値は大きい。
その芸術作品を観て、心が幸せになれる人たちがいる限り、その作品の
存在価値はある。まるでヒストリカル戦争博物館で展示してある古い
航空機や戦闘機を眺めるように、それを観て心が和む人のためにとっては
「現代刀」は無くてはならないものだし、実際にそうした「視覚がもたらす
印象」をこそ第一義、存在価値そのものとして「現代刀」は設定している。
これは決して間違ったことではない。
ただし、それが日本刀であるかというと、それには甚だ疑義があるという
だけのことだ。まやかしなく、それは日本刀ではない。中身だけでなく、名称
も異なる。「現代刀」は「美術刀剣」なのである。刀剣ではない。つまり、
数百年この国に存在して存続してきた「日本刀」ではない。
日本刀ではないからこそ、造形作家がたまに武用に使う刀などを製作すると、
尋常体配では刃欠けや折損を生じたり大切れが叶わぬために、刀身を
歴史上存在しなかった超大幅にして肉厚も尋常ならざる厚みにしたりする。
そうしないと本物の刀が持っていたような「性能」を発揮できないし、鉄の
絶対量を増やさないと堅牢性が確保できないからだ。
これもまた、「日本刀」ではない。造形作家の苦肉の策で別刃物を作って
日本刀の性能を得ようとした姿といえる。
また、戦闘武器としての意味を体現できないからか、物体切断のみに特化
した平造りの大刀などを造って「切れ味が良い」としたりする。
包丁を見ても即断できるように、平造りが物体切断に適しているのは
当たり前の事だ。だが、日本の太刀・打刀は静止物体の切断目的のために
存在したのではない。刀槍と打ち合わせても折損しない強度を確保し、
斬切過程で「斬り」から「割る」という武器効果を如何なく発揮するために
鎬が存在する。
現代造形作家が日本刀の武器としての存在意義と形状構成の意味を無視
した結果が、「静止物体を切断するためだけの刃物」の登場であり、これは
「観る為だけの鑑賞刀」とまったく同一軸線上にある。それらは「日本刀」では
ないのだ。
日本刀とは、従来日本に存在した日本刀の形状でありながら従来存在した
日本刀の性能を具備したものである。それは製作時期の今昔を問わない。
本来の日本刀の性能を本来の日本刀の形で備えている物が、文字通り、
本来の日本刀なのである。



海外では自国産は洋式ナイフしかないことは当然なのであるが、斬り割る
という目的をどんどんつきつめていくと、ある形状にナイフも似てくる。
バークリバーが日本の剣鉈型に近似していったように、日本刀の形状に
似てくるナイフ
も存在する。
私がかねてより注目しているフィンランドのブッシュクラフトナイフにenzoと
いう
メーカーがあるがその形状は・・・。





つまり、つきつめると、どんどん日本刀の形に似てくる。
これは何もenzoが奇抜だったり優れているのではなく、形状を探求して
行くと、「斬り割る」刃物の断面形状は日本刀に近似してくるのである。
enzoはenzoで非常にカッコいいとは個人的に思うが。
バークリバーはUSマリンコの偵察部隊によって採用されたナイフで、その
民間バージョンは最近とても人気があり品薄だが、このブッシュクラフトナイフ
のenzoはかなりリーズナブルな価格設定だ。100ドル代。
私は持っていないが、ブレード形状から、これはブッシュクラフト全般にとても
使い勝手も良く、またバトニングにも最適な形状をしていると思える。


刃物は形が似てくるという点では、ブッシュクラフトのモデル地区ともいえる
北欧のナイフは、やはりどれもが日本刀と刀身形状が似ている。





フィンランドのナイフは、この日本の和式刃物とどれほど似ていることか。


松本零士の戦記漫画に出てくるセリフではないが、銃と同じく、「どの国が
作っても似たような物になる」という典型例だろう。
実用性をつきつめていくと、物体は国境と民族を凌駕する。
使うのは異星人ではなく、同じ地球に住む同族の同じ人類であるからだ。
そこに存在するのは国境など無い「人類」としての英知のみだ。
そうした人類の知恵による物の発達こそが健全で正しいと私は思うので
ある。
武器が同族殺傷のために生み出されたというのは人類史の不幸であり、
宇宙史から見たらダークサイドであることは確実なのだが、人間が生み出す
物の発達は進化を遂げるという点で人類の繁栄に寄与する面が確実にある。
だから私個人は、人類全般の繁栄に寄与せず、一部の資本家を太らせる
ためだけに多くの人間を危険にさらすニュクリア発電には断固反対して
いるのだ。これは1979年から私は反対し続けている。「脱原発」ではない。
「反原発」だ。人類が安全管理と処理ができない方式には人類は手を出す
べきではないと考えている。
原発は安全ではなく、フクシマで大嘘が白日の下に露見したのに、まだ安全
安全と言うのならば、原発推進者は核廃棄物を自宅邸内に貰い受けてほしい
と本気で私は思うのだ。いや、まじで。てんで安全ではないから廃棄物処理
に困っちゃってるんでしょう?それなのにまだ原発を稼働させようとしている。
原発が完全停止しても電力供給は可能であるということが判明しているのに
だ。つまり、原発稼働は電力供給とは別な目的があるからだ。
でもって、核廃棄物はどうするの?
今は廃棄物置き場があるからまだしも(全然良くはないのだが)、1980年代
などは日本は「よそならいいだろ」てなもんで、ドラム缶に核廃棄物を詰めて
南洋に海洋投棄していたんだから、とんでもない話だ。ただのゴミポイでは
ない。核廃棄物だよ、核。
また、フクシマで事故が起きている中継中にまだ安全だと主張し続けていた
赤眼鏡のにやけた学者あたりは、防護服など一切着用せずに、フク1の建屋
内に自ら入って事故処理について見学して来てほしいと願うのである。
技術や生産物の進化は、人類のためにこそあるべきで、人類を危険にさらす
ための技術開発は、決して望まれるべきことではない。核兵器などはその
最たるものだと断言できる。原発も廃炉が望ましい。今廃炉にしても、完全に
安全が確保されるのには気の遠くなるような年月が必要なのだが、今が
よければ自分の子孫たちの時代に人が苦労しようがそんなことは知ったこっ
ちゃねぇ、なんてのは赦されない。

話を戻す。

北欧でもフィンランドだけは第二次大戦中に日本を含む枢軸国側についた
ために「敗戦国」となった。戦前からフィンランドは親日国でもあった。

刀鍛冶小林康宏の山梨の鍛冶場付近かと見間違うが、これはフィンランド。寒い国だ。


ただ、刃物は刀剣であれナイフであれ、極寒の地においては非常に脆くなる。
日本の場合も北国物の日本刀が粘り強いのは、それはそれなりに使用地の
気象条件をクリアする性能を刀鍛冶が探求してきた歴史があるからだろう。
越前系などでは新刀では康継や長曾祢虎徹などが有名だが、やはり頑丈な
切れ物を作っている。
近代の例としては、満蒙の極寒地では、従来の日本刀に損壊不具合が多発
したため、その極寒地でも折損しない満鉄刀が開発された。
これは軍事機密だったため、製造方法は残されていないが、推定では、
鋼管の中に別な鋼を溶解注入させて鋼材を作り、それを打ち鍛えて日本刀
の形状にしたとの説もある。戦時中の使用者の言によると、鉄条網や鉄線なども
余裕で切断する斬鉄剣となっていたようだ。豚まで胴体真っ二つという記載も
見られる。

ナイフにおいても、硬度こそが切れ味の決め手であるのは刀剣と同じだが、
硬く焼き絞めて出した硬さだけが刃物に求められる性能ではない。
板バネのようにしなやかながら張りのある粘りで折れない鋼の状態を確保
できなければ実用刃物としては使えないのだ。
そうした鋼は簡単に斬鉄できることだろう。

とはいっても、こういうことは良い子は真似しないように(笑


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新しい包丁 30年ぶり

2015年12月28日 | 刃物



上は先月末に30年ぶりに新たに仕入れた新潟県燕三条の包丁。
下は30年選手の東京の包丁。(今でもとてもよく切れる)

いや、しかしだなぁ〜、吉川くん。(俺は男だ!小林弘二風)


この包丁は一ヶ月も経つのに全く切れ味が落ちてないぞ。
どういうこったい!


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ヘネシー

2015年12月28日 | トイ

全色揃えたいが、なかなか売ってない(笑
価格千円ちょび。
中身はただの安いヘネシー。
正月に娘が帰って来たら全部飲まれそうな予感大。



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バトニングに適したナイフとは何か 〜答えは日本刀の歴史にあり〜

2015年12月28日 | アウトドア



山行きの装備は、何が無くても水と塩。
山行きの時には必ずこれらは持って行く。
水は1日行で4リットルを持って行く。この画像の先日の山行きにも
4リットルを携行した。まあ、実包アモを含めない自動小銃一丁と同じ
程度の重量だ。背負うので楽なもんだ。

現実的な外地での「現場」の状況下では、水筒の水は舐めるように
して口を湿らすだけだが、たとえ日帰り国内山行きとしても
水と塩と
糖分は必要最低限は携行する。

あと、欠かせないのがナイフだ。これは水、塩、糖分と重要度を比較
する
位置には置けない必需品となる。存在意義は栄養補給とは別な
ジャンルに属する。
ナイフは、
大型と小型の2丁を携帯するのが便利だが、汎用型としては
刃長10センチ程度の物が使いやすい。
先ごろまでの日本のナイフはホローグラインドが流行したが、私はフラット
もしくはコンベックスグラインドを一般的汎用型としては好む。




ただし、このコンベックスは曲者で、なんでもかんでも蛤刃であれば
頑丈で切れ味がよいとは限らない。
また、極度なコンベックスグラインドは薪割りには適してもバトニング
には適さない。
上記断面形状図の一番右は私が名づけた「ハイブリッドホロー」と
呼ぶもので、この形状が一番バトニングには優れている。
このことは国内ではまだ誰も提唱していない。以下簡単に序章を紹介
する。

ハイブリッド・ホローは、「切り裂く」ためではなく「切り割る」実に物理的
に理にかなった
形状であり、このことは日本刀の形状がなぜ「平造り→
切刃造り」と
なり、さらに初期湾刀の出現(大和伝)でしのぎが中央付近
にあった
物がどんどん棟側に鎬の頂点が移動していったのかという歴史
事実
とも合致する。
また、なぜ料理人は刺身を作る際に、垂直に刺身包丁を使わず、斜めに
スライスして、かつ「鎬」部分で細胞を破壊させない切り方をするのかと
いうことにも関わってくる。

日本刀の武器としての能力は、メスのような切り裂く「裂創」を与える
ことではなく、最初にスッと無抵抗に刀身が肉体に吸い込まれてから、
鎬を通過する段階に内部で破裂するような「割創」を与えてダメージを
大きくすることにある。
そのためには平造りによる切れ味頼りの二分割裂創ではなく、「刀身
が人体に入ったごく初期」段階までは切れ味鋭く入り込み、「ある段階
を過ぎたら一気に割き砕く」という構造を現出する現象が鎬によって
もたらされる必要が武器としては求められる。
平造りの蛤刃や切羽造りでは、割創をもたらす仕事をすべて刃先近辺
の狭い部位に追わせており、これでは効果が薄い。
刃先からある程度の刀身位置までは刃が十分に人体に斬り込むことが
必要で、そこから以降は一気に爆裂的に肉体を破断させる効果がある
のが望ましい。
鎬の発生は、L字アングル効果のように原初の発生においては刀身の
曲り防止のためだったかもしれない。それが切刃造りだ。
しかし、大和伝で鎬が棟側に寄り、時代と共に段々鎬地の幅が狭くなる。
日本刀の完成形においては、鎬は刀身中央部よりも棟側に寄るように
なった。すべての日本刀がである。
大和伝は独特の鎬幅が広い(鎬が刃先に近い)ために切れ味が悪い
ので、それを改良するために鎬地を滑り台のように棟にかけて肉を落とす
工夫が考案された。これにより、相対的に裂→割を確保しつつ、斬り込み
の悪さを抜けの良さで解消している。

こうした原理は、ナイフでバトニングしてみれば物理現象として観察できる。
現行、アウトドアの世界、キャンプの世界、日本ではブッシュクラフトと称
される日帰りレジャーにおいては、マイクロベベル(日本刀でいうところの
現代寝た刃合わせの小刃。包丁の世界でいうところの糸刃)を落として、
鎬位置を棟側に移動させたコンベックスグラインドの物がバトニングに
適していると云われている。

これはある一面では当たっている。
しかし、もっと深く探求した場合、これは全面的に正解とはいえない。
実際のバトニングにおいては、「最初刀身がスッと入り込み、その後鎬
部分に達した時に一気に割り割く力」がかかるのが最適なのだ。
これは硬木などでバトニングしてみれば明確に判別できる。
蛤刃=コンベックスグラインドでは、刃先から近い一点にすべての仕事を
負わせるので、絶大な叩く力が必要になり、バトニングには向かないので
ある。

ただし、斧のように、自重を用いて一気に薪を割る場合には蛤刃こそが
最適だろう。
それは、「刃を斬り込ませる」ということが必要ないからだ。斧での一気打ち
の薪割りは、「クサビ効果」を利用したもので、刃先の切味や刃味を有効
利用するものではない。
クサビ効果のみで薪を割るには、薄いナイフといえども、薪に切れ込みを
造り、そこに薪で作った本物のクサビを打ちこめば一気に薪を割ることが
できる。
こうしたことは「クサビ」そのものを利用することであり(斧も含める)、ナイフ
による断面形状が持つ効果を利用しての
バトニングの範疇には入らない。
(両者とも大別しての「薪割り」には当然属する)


ナイフのバトニングにおいても、鎬部分が到来することによって一気にそこで
クサビ効果が発揮されてパカンと割れるように開き、ブレードがどんどん下(前)
に進む。つまり、ガンガンとブレードが食い込んで行って薪を斬り割る。
その推進力を最小打撃力で得られるのが、私が「ハイブリッド・ホロー」と名付けた
断面形状のナイフなのである。

ただし、この形状がいかに効果的であり、バトニングに適しているかという
検証は日本国内では一切考察も検証も私以外にはなされていないようだ。
そして、多くはいまだにコンベックスグラインドもしくはフラットグラインドが
ナイフ・バトニングに適していると思い込んでそのまま解説などを進めている。
確かに、コンベックスやフラットはホローなどよりは割り割く効果が高いが、
もっとずっと効果が高い断面形状が存在するのである。
それがハイブリッド・ホローの断面形状だ。
強度確保と
刃持ちの関係上、マイクロベベルを落としたりは絶対にしない。
フラットやセイバー(スカンジ)においても、極細の小刃を私は設置する。
これは私なりの経験則から得た結論だ。
セカンダリーエッジを落とすのは、ある種の「特化」された用途の為だけに純化
されるので汎用性を著しく失うことは確実で、まして堅牢性や刃持ちを著しく
低下させることが現実問題として存在する。それは無視できない。
何かとマイクロベベルを消滅させる自己流ベタ研ぎが最近妙に流行っているよう
だが、私はそれは否定する。ゲームの解体でもバトニングにでも食材切りにでも
何にでも使ってみればよい。すぐに判明する。屋外ナイフはオペのメスではない。
ナイフは堅牢性と汎用性が失われてはならないのである。とりわけ北欧ナイフ
などで小刃をやみくもに一部の流れに乗って落とすのは、愚挙であると私は
思量する次第なのである。

更に物理現象としては棟の形状がある。
実はバトニングに適しているのはフラットバックではない。
日本刀のような△形の棟形状が適している。
また、日本刀が初期には平棟や丸棟であったのが、なぜ後に庵棟が登場し、
それが定着したのかにも力学的な意味がある。
そして、鎬地が狭い備前刀はなぜ庵棟の背が低いのかにも意味がある。
すべて打撃力(斬撃の際に発生する外部からの圧力)による衝撃をどのように
分散拡散消滅させるか、という物理的な現象に基づいて日本刀の形状は
決定されている。「見た目が良いから云々」という事柄は日本刀の構造に
おいては一切存在しない。
この棟形状による衝撃拡散効果については、別の機会に仕組みを説明
したいと思う。

さて、日本刀の効力とバトニングに適したナイフについて少しばかり考察
してみる。
「最初抵抗なく刀身が吸い込まれ、ある位置まで達した時に一気に内部

爆裂するように被切物が粉砕されるように二つに割かれる(修復、縫合
措置不能。細胞破壊)」というのが日本刀の武器として求められる能力
であり、このことは奇しくも、ナイフによるバトニング理論と合致する。
日本刀の断面はいくら蛤刃といっても、刀身断面では鎬頂点が最大の
厚みがあり、そこから徐々に刃先にむけてRを描きながら刀身が薄く
なっていっている蛤刃であり、鎬頂点からフラットにある程度刃先に
進んでから落ち込むように丸まっていくという形状の日本刀はない。
またあったとしたら、斧のように叩き割りの威力しかもてず、「斬り裂いて
から二つに両断割きする」という日本刀の性能は発揮できない。
この日本刀の中心幹にある武器である戦闘刃物としての本質性能は、
バトニングに最適なナイフ構造の理論と一部合致するのである。



日本刀の断面とは異なるナイフのコンベックスグラインドは、バトニングの
際に接触面Aのみに仕事を負荷されることとなり、薪で刀身を叩く力に
過分な仕事量が必要となる。それに対し、最初薪に吸い込まれて行くような
刃による切れ味(打撃で補完)を得て、ある点=鎬通過の際にクサビ
効果が一気に発生する構造のナイフ断面形状は、薪をナイフで斬り割る
というバトニングにおいて最小限の薪による打撃力で最大効果を発揮
することができる。このことは、クサビ形状というものは、側面がフラットで
あることと大いに関係する。ハイブリッド・ホローは、刀身の薪への吸い
込み入刀の抵抗値を下げ、鎬通過段階で一気にクサビ効果を発生
させる理想的なバトニング断面形状であるといえる。実は分割力の高い
北欧の斧は、小型であってもこれに似た形状になっている。


日本刀の現代試斬においては、巻き畳表や巻き藁や竹を「切断」する
ためだけに行なわれていることが多く、このためには「切断しやすい」
だけの形状が好まれる。
切断だけならば平造りが最適なのだが、人と人との戦闘は物体切断
とは異なることが求められる。
切断した二つがくっつくような切断面では武器としては駄目なのだ。
貫通力高い弾丸が殺傷能力が低いように、弾丸は表面打撃力と
人体内への着弾以降体内をグチャグチャにかきまわして再起不能
にさせる現象を起こす造りでないとならない。
戦争においてフルメタルジャケットの使用が義務付けられているのは、
あれは人道主義でもなんでもなく、表面打撃力よりも、貫通力を選んで
いるからだ。小銃弾の目的においては、敵兵を死なせるよりも怪我を
させたほうが負傷兵の介護看護に敵兵がまわるので敵兵力を減少
させられる。

だが、完全殺傷目的ならば、弾頭先端をカットしたり(禁じられている)、
ダムダム弾のような炸裂弾頭を用いる方が効果的だ。
しかし、用兵思想が
小銃弾は「殺傷」ではないので、それを選択せずに
貫通力の高いフルメタル
ジャケットにしている。地球上の軍隊すべてが
そうしている。これは正規軍を前提にした軍事の法則といえる。
(ジュネーブ条約が適用されない革命戦争や、傭兵や義勇軍による非合法
戦争においては上記常識は適用できない)


日本刀の場合は、イグサや藁切り専用の道具刃物ではなく、武器である
ので、
静止物体の切断効果が高い物が日本刀として優れているのでは
ない。

刀で斬りつけたら再起不能になるという、細胞を破壊して、裂創ではない
割創で肉体を破壊するのが日本刀の武器としての目的なのである。
そのために、鎬は最大の効果を発揮する。
日本刀が古墳時代の平造りから上古時代の切り刃造りに変遷し、さらに
鎬が中央に寄り、その後どんどん棟側に寄って行ったのは、日本刀が
まさしく「武器」として最大効果を発揮すべく発展してきた「武器の発達史」
の縮図なのだといえる。

上記理論については、「ナイフと日本刀の断面形状は同一ではない」という
重要な前提を理解しないと、混同しがちであるので、両者に起きる現象を
弁別しつつ同一の物理作用が存在することも見て行かないと、この論の
中心部分は理解できないと思われる。
とりあえず、今回は、ナイフによる「バトニング」に限って、誰も言い出さない
ならば私が例によってまず国内初の着眼点をパスファインダーとして述べよう、
ということでサワリ
(あくまでサワリ)のみを説明した。
実践すれば判る。それが答えだ。






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