あっけなく逝っちゃいました。
実は、昨年の2月11日の昼ころに親愛なる老婆にお迎えが来ました。
先日、その1周忌と私の父親の33回忌を行ってきました。
その内に自分の番も来るんだとあらためて実感しています。
ただ良かったのは親よりも私が後になることが確実だってことです。
昨年の2月11日は大分から札幌に戻る途中でした。
前日の10日は大分市薬剤師会のお招きでセミナーのお声かけがあり、夜は美味しい20度の麦焼酎をロックでいただき、フグも堪能させていただきました。
通常は、早朝便で帰るのですが慣れない大分空港への行き方に不安があり、2便で東京経由の千歳空港に向かいました。
千歳空港に到着と同時に家内から「ばあちゃん、救急車で病院へ」とのメールが入り、急いで空港からタクシーに乗り病院に向かいました。
タクシー乗り場に移動している最中に「心臓マッサージ」と嫌なメッセージが届きました。
タクシーが動き出して10分ほどすると「亡くなりました」の知らせです。
病院に到着した時は既に老婆の永い休日が始まっていました。
あっけないものです。
今さらですが、けしてお金持ちでもない花屋の息子を薬科大学にまでやってくれた両親に感謝です。
そして1年が経過しました。
今日はお墓参りに行ってきます。
2年に1度の3月に行われる「北海道研修」では大好きなジンギスカンをほおばっていたのを思い出します。
参加者の皆さんが「先生のお母さんですか。いつもお世話になっています」とお声をかけてくれてありがとうございます。
何となく息子が偉くなったと勘違いして喜んでいました。
老婆の部屋からはメモ書きのようなノートが見つかりました。
私に対する恨みつらみが書かれています。
「何で東京で仕事しなければならないんだ」と寂しさを訴えています。
ゴメン!
仕方がないとしか言えません。
享年92歳