“わけあり人材”よ、本気を出せ-。これからの日本は障害、親の介護、子育て、闘病などの「わけ」がありながら働く人が増える。すると、企業はこうした人たちが仕事を続け、力を発揮する仕組みをつくっておかないと、次々と人材を失う危機に直面する。障害者雇用は福祉のみの問題でなく、企業の生き残り戦略でもある。障害がある人が欠かせない戦力となっている会社を訪ねた。
「社長のいす」は、長さ二メートル少々のベッドだった。脇には打ち合わせ用のテーブルが。頭上には20インチのパソコンモニターが下向きに設置されている。来意を告げると、寝台の主は言った。
「ええ。私が仙拓社長の佐藤仙務(ひさむ)です」。介助者が渡してくれた名刺には、「寝たきり社長」のニックネームの通り、片手を枕のようにして横になる佐藤さんのイラストがあしらわれていた。
仙拓は愛知県東海市にあるホームページ制作、名刺デザイン、オリジナルのスマートフォンカバーの製作などを手掛ける株式会社だ。同県知多市におく社長の執務室といえど、アパートの一室。佐藤さんは現在二十六歳で社員六人を束ねる。佐藤さんを含めて七人のうち五人が重度障害者だ。
佐藤さんは生後十カ月で「脊髄性筋萎縮症」と診断された。筋肉が動かせない病だ。ほとんど寝たきり。動かせるのは両手の親指を左右に一センチほど。改良を加えたマウスの上に右手をのせ、寝台の上のモニターを見上げながらパソコンを操作する。キーボードが使えないので、文字入力もマウスだ。最新の視線入力を使うこともある。
会社を立ち上げたのは十九歳の時。県立港特別支援学校を卒業したが、自分に合う仕事はなかった。仕事で求められる知識や能力は十分にあっても、通勤やトイレを含む職場環境などがハードルとなった。「確かに身体的なハンディはある。でも、仕事の面で劣ると感じたことはない」。悔しかった。
ひらめいたのはその時だ。「それなら僕らで会社を立ち上げよう」。デザインの才能がありながら、同じ病気で悩む先輩に声をかけた。「じゃあ、営業とか手続きは頼むね」。先輩も乗り気。資金も自分たちで工面した。会社の名前は自分と先輩から一字ずつ取って「仙拓」とした。
そのとき、意味を調べて驚いた。「仙」には「誰も知らない世界」との意味があった。図らずも社名は「誰も知らない世界を切り拓(ひら)く」という意味になった。
佐藤さんは言う。「僕ら障害がある人も、ない人も、一緒に新しい世界を切り拓いていこうという意味だと思ったのです」と。
佐藤さんの夢は、仙拓を上場企業にすることだ。障害者が大半で、社長も障害者。「上場できたら、社会的インパクトは大きい。障害者は使えないという見方が一気に変わる」。税制上で有利なNPOではなく、株式会社にしたことが決意を裏付ける。
ところで、他の社員が出てくる気配はない。社長と介助者がいるのみ。「皆さん、在宅で仕事をしてますので」。スタッフは、西は大阪、東は埼玉まで各地にいるという。まずは会社に行くことが仕事だと刷り込まれた身には興味津々だ。佐藤さんから紹介してもらい訪ねることになった。
昨年は障害がある人の暮らしを「いのちの響き」として追ってきました。今年は「ともに」として、障害がある人の暮らしや取り巻く社会について考えていきます。「『弱者』を戦力に」(中)は十五日掲載です。
<さとう・ひさむ> 1991年生まれ、愛知県出身。92年、脊髄性筋萎縮症と診断される。現在、株式会社仙拓代表取締役社長。2017年11月、サッカーFC岐阜元社長で筋萎縮性側索硬化症と闘う恩田聖敬氏との対談集「2人の障がい者社長が語る 絶望への処方箋」(左右社)を出版。
頭上のモニターを見ながら、各地のスタッフに指示を飛ばす佐藤仙務社長
2018年1月8日 中日新聞