ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「障害者を理解する」より「困ってる人に声をかける」がちょうどいい

2017年03月11日 12時43分30秒 | 障害者の自立

 生まれてからの31年間、両足が不自由な私は障害者としてベテランの域にさしかかってきた。

 「僕、足が不自由なんですよ」
 「じゃあ歩くの大変でしょう」
 「生まれながらにこの足なんで今さら歩くのがしんどいとは思わないですね」

 そう切り返すと、キョトンとされる。「足が不自由なら歩くのは大変」というのはひとつの思い込みであって、ひとつの偏見である。もちろん、足が不自由だから歩くことが大変なひとはたくさんいる。車いすユーザーだと「歩く」ではなく「移動する」という言葉に変換されるかもしれない。でも、私個人はそう思っていない。正確には、もう思っていない。おそらく、足が不自由というマイノリティの中のマイノリティなのだろう。

 昨日、たまたま自分自身のことを30名ほどの前でプレゼンする機会があった。「足が不自由な僕が困ることはセックスとファッションですね」と話すと、ほぼ全員の頭に?マークが灯っていた。分からない「え?」というより、困惑気味の「は?」のような。

 人間の思い込みというのは、本人と他者の間にはズレがあるのにズレがないと信じ切っていて、そのうえで自分のほうが正しいと思っているから厄介である。白昼堂々「セックス」と言ったことに対する「空気を読め」的な苛立ちがあったのかもしれないが。

 31年も障害者生活を送っていれば、

 「今まで大変だったでしょう?」
 「どうやって障害を乗り越えてきたんですか?」
 「家族や友人との感動的なエピソードとかありますか?」

 というような質問を受けたことは一度や二度ではない。今、個人的に大変だと感じるのは「障害は乗り越えるもの、感動エピソードをもっているはずという前提で話しかけてくるあなたとコミュニケーションをとらなくてはいけないこと」だ。

 障害は乗り越えるものではなく、気づいたらそこにあったものであり、受け容れざるを得なかったものである。自分で用意したわけでもない。自分で用意したならば、感動的な何かを仕込んだかもしれない。ただ、残念ながら、私にはない。

 もちろん、障害は乗り越えるものと考えているひともいると思うし、乗り越えたひともいるだろう。それは、言葉のチョイスや考え方、解釈が違うだけなのかもしれない。捉え方ひとつに本人の価値観が表れる。

 感動的なエピソードをたくさん持っているひとは単純にうらやましい。その点、私の周りが「障害」を特別扱いしない環境だったことに、とても感謝している。

愛は地球を救うのか。

 「障害者の理解啓発」的なニュアンスがとても嫌い。「障害者のことを理解しよう」みたいなメッセージを見て、そこに私も含まれるのかと思うと、気持ちが沈む。「理解しよう」という言葉にある、社会から手を差し伸べられるべき存在かのような対象の中に含まれると思うと、吐き気がする。たぶん言わないだけで、同じように思っている障害者はそこそこいるんじゃなかろうか。

 障害者と一括りにするのは簡単だが、同じ障害の種類のひとはいても、障害を負った背景や生活状況、困りごとまで同じというひとは稀。みんな違う。自分のことを理解してほしいと発信するひともいれば、そこに不満がないひともいる。価値観もバラバラ。それらを一括りにしたメッセージは「みんなちがって、みんないい」というような風潮が好きな割に、画一的だなと感じてしまう。

 また「障害者のことを理解しよう」というメッセージは、障害者である私自身の障害者理解に対しても言及している。例えば、統合失調症、アスペルガー、エイズのような、私にはない障害に対しての理解に、だ。障害者自身は自分の障害についてよく知っていたとしても、他の障害なんて知らないし、基本的には興味がない。そこは健常者と同じ水準である。今のような仕事をしていなければ、そんなことに時間を割くなんてもったいないと感じていてもおかしくはない。

 「障害者のことを理解しよう」という言葉は、私にとって気持ちが沈むもので、手間がかかりそうなもの。好きではない。そもそも障害があろうとなかろうと他者を理解しよう、理解しますなんて、どこか上から目線的で、おこがましく、また難しい。

 障害者だけがしんどいわけでもなければ、生きづらいわけでもない。障害者だけが理解されればいいわけでもない。

 例えば、LGBTのようなセクシャルマイノリティの方を障害者は偏見なく受け容れ、理解することができるのだろうか。障害者ではない社会的弱者とカテゴライズされるひとの理解もまた進められるのだろうか。

 「障害者を理解しよう」ではなく「周りに困っているひとがいたら声をかけよう、手を差し伸べよう」くらいがちょうどいい。小学校で習うような。言う側も言われる側も、そりゃそうだよねと納得度は高い。

 障害者の中にも、困っているひともいれば、困っていないひともいる。全員が同じ状況ではないのにも関わらず「障害者」という言葉を使って解決しようとするから、敷居が高くなるし、メッセージの受け取り手は何をすればいいか分からなくなる。これは「障害者」に限らず、難病患者やLGBTなど他のカテゴリにも言える。

 社会に対して理解啓発を求める動きは必要である。「知らない」は時に凶器になり、傷にもなるからだ。ただ、そのエネルギーを周囲で困っているひとへの何気ない配慮やサポートにつなげたほうが、ずっといい。少なくとも私はそう思う。

 生きづらさを抱え、理解してほしいと願っているひとが、他者への配慮まで気が回るのか。それは難しい話だが、例えば、生きづらくて配慮まで気が回らなかった結果と、知らなくて配慮していない結果は、配慮の受け手からすれば「行動していない」という結果に変わりはない。できる/できない問わず、やってみればいいだけの話だ。

 困っているときはお互い様で、持ちつ持たれつ、譲り合いがある社会。これは理解啓発という言葉が目指す先と実は同じなのではないだろうか。

 今の縦割りのような◯◯理解という動きは、自分のカテゴリにとって理想的な社会になっても、結果的に他のカテゴリを排他してしまっている。それはもったいない。少なくとも、他のカテゴリと連携したほうがいい。ひとは皆、多様であり、それぞれがそれぞれに何かを抱えているという前提を疎かにしては、生きづらさなんてなくならない。

2017年03月10日   withnews(ウィズニュース)


被災者励ます手作り豆腐 障害者施設からプレゼント

2017年03月11日 11時17分05秒 | 障害者の自立

岩手県の被災地では、復興を後押ししようと障害者支援施設の職員らが仮設住宅を訪れ、手作りの豆腐などを被災者に贈りました。

 岩手県釜石市の仮設住宅を訪れたのは、岩手県奥州市にある障害者支援施設の職員や施設の利用者らです。手作りした豆腐70丁とおからを使ったドーナツやパン60袋を被災者に贈りました。釜石市では今もなお、市内で1370世帯約2800人が仮設住宅での生活を余儀なくされています。また、雪かき用のスコップを使って演奏するスコップ三味線も披露され、被災者らを和ませていました。

2017/03/09    テレビ朝日


視覚障害者  自立訓練の実施1割 指定福祉事業所

2017年03月11日 03時16分46秒 | 障害者の自立

 各地の社会福祉法人などが運営し、身体障害者の自立や就労訓練を行う「指定障害福祉サービス事業所」(2015年1月現在、全国185カ所)のうち、視覚障害者の自立訓練(機能訓練)を実施しているのは1割未満の16カ所にとどまることが厚生労働省の調査で分かった。生活圏と無関係な訓練場所で白杖(はくじょう)を使う歩行訓練を行うなど視覚障害者のニーズとずれていることが利用率の低さを招き、実施事業所の少なさにつながっているとみられる。厚労省は自立支援の不備を認め、改善を図る意向だ。

 身体障害者対象の自立支援制度は、障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に基づき、厚労省が06年に告示した「障害者福祉サービス運用算定基準」に沿って実施されている。算定基準は視覚障害と他の障害を区別しておらず、指定障害福祉サービス事業所で自立訓練を担当する専門の生活支援員の定数基準を「障害者6人に付き最低1人」などと定める。

 国内最大の視覚障害者組織、日本盲人会連合(日盲連、会員約5万人)によると、視覚障害者の自立訓練は「生活支援員1対障害者1」が望ましい。(1)他人の行動を視認できないため、複数で同時に同一の訓練をすることが難しい(2)自宅、職場など生活圏が個人ごとに異なり、必要な訓練内容も違ってくる--などが理由だ。日盲連は長年、同省に制度見直しを求めてきたが、実現しなかった。藤井貢・日盲連組織部長は「実態に合わない訓練は受けず、『自己流』で歩いている人が多いのではないか」と指摘する。

 昨年8月、東京メトロ銀座線青山一丁目駅で盲導犬を連れた視覚障害者の男性がホームから転落し、電車にひかれて死亡した事故が発生。これを受け、厚労省は初めて、同事業所の訓練内容や利用率などの調査を始めた。厚労省障害保健福祉部は「これまでは現場のニーズを把握できていなかったが、今後は実態に即した制度に改めていきたい」としている。【高橋昌紀】

生活の自立支援、中途障害者多く

 指定障害福祉サービス事業所は身体障害者の自立支援のため、国や社会福祉法人などが運営する訓練施設。厚生労働省令に基づき都道府県や政令市などが指定し、障害者の身体機能の回復や、社会生活に必要な技術習得に向けた訓練などを行う。訓練内容により、国が報酬単価を設定し、障害者は原則1割を負担する。

 厚労省の調査などによると、視覚障害者の自立訓練を実施しているのは国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉)など16カ所。点字やパソコンなどの学習や、白杖を使った歩き方や入浴などの生活訓練を受ける。盲学校に通わなかった中途障害者の利用が多いという。

 これとは別に、独自の視覚障害者の自立支援事業を行っている地方自治体もあるが、自治体ごとに事業予算が異なるなど、居住地域によってサービスの格差が生じている。

毎日新聞   2017年3月9日


薬誤投与で入所者死亡か 北九州市の障害者施設

2017年03月11日 03時14分03秒 | 障害者の自立

 北九州市小倉南区の障害者施設「やまびこ学園」で2014年、入所者の40代男性が必要のない薬を投与され、約1年後に死亡したことが9日、市関係者らへの取材で分かった。福岡県警は、薬の誤投与が原因で死亡した可能性もあるとみて、業務上過失致死容疑を視野に死亡の経緯を調べている。

 市関係者らによると、入所者の男性は14年4月、薬を誤って投与され、直後に容体が急変した。北九州市内の病院に搬送され、15年4月に死亡した。死因は多臓器不全だった。

 北九州市は今年1月、施設を立ち入り調査し、再発防止などを指示した。

2017年03月09日   西日本新聞


県営住宅に住む障害者世帯の家賃を過徴収

2017年03月11日 03時09分12秒 | 障害者の自立

県営住宅に住む障害者世帯の、2016年4月から今年2月までの家賃について、県は、実際よりおよそ8万4000円多く徴収していたと発表しました。これは県が8日緊急会見を開き、明らかにしたものです。それによりますと、県営住宅に住む6世帯について2016年4月から今年2月までの家賃を実際より多く徴収し、総額は8万4200円です。県営住宅では一定の収入を超えた場合、家賃が増額されますが、障害者や高齢者、子育て世帯の一部は免除されます。今回、多く徴収されていたのはいずれも障害者世帯でしたが、増額された家賃のままとなっていました。県は、管理システムの入力やチェックに、ミスがあったと説明していて、今月分の家賃を減額して対応するとしています。

(3/8(水) 18:27)  OBS大分放送ニュース