ゴエモンのつぶやき

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パラリンピックは<感動ポルノ>か? リハビリが原点となった<障害者スポーツ>の歴史

2016年09月13日 03時28分30秒 | 障害者の自立

 9月8日、リオデジャネイロ・パラリンピックが開幕した。それに伴い、各メディアは「パラアスリート(障害者スポーツの選手)」や、スポーツに取り組む障害者の姿にスポットを当て、テレビ番組もにわかに特集している。

 先日、NHK教育テレビジョン(Eテレ)の『バリバラ』が、『24時間テレビ』(日本テレビ系)の裏で「障害者=感動」を<感動ポルノ>という視点でタブーに切り込んだ。はたして、<感動・頑張る障害者>のイメージが結びつきやすいパラリンピックも<感動ポルノ>となるのだろうか?

 一般的には、「障害者は生活全般が困難」と思われがちだ。もちろん、抱えている障害によって、健常者と同じようにはいかないこともある。だが、それぞれ生活スタイルを確立し、仲間との交流や趣味活動などをもって、生活を充実させている人は少なくない。

 そうした活動のひとつに、スポーツがある。身体能力の維持や向上を目的とする人もいれば、気分的にリフレッシュしたいという人もいる。それは、健常者と変わらない。

 なかには、以前からたしなんでいたスポーツを再開する中途障害者もいるが、「障害者スポーツ」との新たな出会いを楽しむ人は多い。

エクササイズやレクリエーションにとどまらない効果

 そこには「障害」とされる部分をプレイヤーの「機能」として捉えた、障害者スポーツならではの独特な魅力がある。実によく研究され、ルールやツールも精査され、柔軟に改善なされる。

 障害者スポーツは、リハビリテーションに通ずる点が多い。素材や構造を追求したスポーツ用具も、実は福祉用具に似通う点が多い。医療と福祉、どちらの分野にも共通項がある。単なるエクササイズやレクリエーションにとどまらないのだ。

 実際に、医療現場で取り入れられている障害者スポーツもある。たとえば「乗馬」だ。今回のパラリンピックに「馬術競技」がある。対象者は、肢体不自由あるいは視覚障害の選手だ。

 障害者乗馬の歴史は、肢体不自由者のリハビリに始まる。古くは古代ギリシャで、リハビリ目的の乗馬があったようだ。1900年代のイギリスで、第一次大戦の負傷兵たちの機能回復に乗馬を取り入れたのが、近年の障害者乗馬の源といわれる。

ドイツではリハビリ目的の乗馬が保険適用

  馬は、ただ乗っているだけでも、馬の歩行の揺れやリズムが良い刺激となる。自分では動かせない筋肉も、馬上では自然と動かされる。

 先天性障害で歩行困難な人は、そもそも足の筋肉が「歩く感覚」を知らないが、馬上だと人の歩行運動によく似た足の「動かし方」になる。足の筋肉が「歩く感覚」を学習し、リハビリ効果がぐんと高まる。

 そして、馬の平均体温は37〜38度と温かく、馬体にまたがると筋肉がほぐされ、リハビリ効果を高める。馬上では、体のバランスを保つ必要があるため、平衡感覚が養われる。もちろん、体を支えるための腹筋や背筋も鍛えられる。

 たとえば、自力で上半身を起こせなかった側湾症の患者も、乗馬を始めて回を重ねていくと、体が起立できるようになる。

 こうした乗馬のリハビリ効果は、ヨーロッパ各国では広く認められている。ドイツやスイスでは、医療保険も適用される。医師の指示(処方箋)のもと、理学療法士などの医療専門職が立ち会って、計画的にリハビリ乗馬(療法的乗馬などと呼ばれる)が展開されるのだ。

 乗馬療法士という資格職も存在する。馬文化が根づいているので、乗馬に親しんでいる医療従事者が多いのも、日本との大きな違いだろう。

2016.09.12   ヘルスプレス

家族会が建て替え要望へ、相模原 殺傷事件の障害者施設

2016年09月13日 03時25分33秒 | 障害者の自立

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が刺殺され27人が負傷した事件で、入所者の家族会は11日、会合を開き、施設の建て替えを県に要望することを決めた。施設関係者への取材で分かった。

 家族会の会長は同日、「園の再生に向けて大きな決断をした。後日、県に家族会の総意として届けたい」とのコメントを出した。

 県はこれまで、事件が起きた施設で生活やケアを続けるのは困難として、建て替えか大規模改修を検討してきた。施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の理事長も2日の県議会厚生常任委員会で「建て替えをお願いするのが妥当」と発言していた。

2016年9月11日   中日新聞


相模原の殺傷事件に向き合うために……いま読むことに意味がある、脳性マヒ障害者・横田弘の『障害者殺しの思想』

2016年09月13日 03時15分48秒 | 障害者の自立

はっきり言おう。
障害児は生きてはいけないのである。
障害児は殺されなければならないのである。

 この、あまりに凄惨な文章の書き手は横田弘(1933〜2013)。脳性マヒ(CP)の障害を持ち、CP者の団体「青い芝の会神奈川県連合会」の一員として、バス乗車拒否に対する闘争を繰り広げ、優生保護法改定や養護学校義務化にも反対。障害者の生存権確立運動を展開した人物だ。
 引用した上の文章が収録されている本は『障害者殺しの思想 増補新装版』(現代書館)。1970年に障害児を殺害した母親への減刑嘆願が起こったときに、それに異議を申し立てた文章だ。横田が言いたいことは、以下のようなことである。

 マスコミは障害児を抱えた家庭を「不幸」であるように報じていること。その「不幸」を報じることで世間に生まれるのは、自分の隣にいるかもしれない障害児への想いではなく、「自分が障害児を生まなかったことへの『しあわせ』」であるということ。その報じ方の中に、障害者を抹殺していく論理が隠されていること。障害児を持つ家族が社会から疎外され、それが障害児殺しにつながったのではないか、ということ。障害児殺しの事件が起きてから減刑運動をはじめ、それが善いことであるように振る舞う人がいるが、なぜ事件が起きる前に、障害児とその家族が穏やかな生活を送れるような温かい態度がとれなかったのか……ということ。

 横田弘は運動に関わる以前から詩作をしていた人物でもあり、ときには逆説的な言葉や、健全者・障害者を挑発するような言葉も使う。本書の表紙で、裸一貫で路上に座っている男が彼本人だが、むき出しの怒りや悲しみを言葉に乗せて、読者の心へと迫ってくるのが彼の文章だ。

 また本書には、先の相模原障害者施設の殺傷事件を連想する文章も多い。たとえば以下の2つの文章などは、逮捕された容疑者が手紙に記していた思想を思い出してしまう。

日本的資本主義の下にあっては、物を作り出すことができる者、物を作り出して資本家を喜ばせる力を持っている者だけが正しい存在であり、その力の無い者は「悪」だとされる。

「正義」とは絶対多数者の論理であり、「抹殺する側」が「抹殺される側」の論理を屈服させる為に用いる名目である。現代社会にあっては「健全者」は絶対多数であり、その絶対多数の思想と論理こそ「正義」と名付けるのである。

 なお昨年には、青い芝の会神奈川県連合会の人々の生活・思想をカメラに収めた原一男監督のドキュメンタリー映画『さようならCP』もDVD化。横田弘の障害や思想については『われらは愛と正義を否定する——脳性マヒ者 横田弘と「青い芝」』(横田弘, 立岩真也, 臼井正樹/生活書院)という本も今年3月に刊行されている。

『われらは愛と正義を否定する』の中で横田は、自分が生きていることで年間600〜800万円の経済的負担を生み出していることを述べ、対談相手に「経済的にみても、社会にとって障害者の存在っていうのはやっぱり迷惑ではないですか。どう思います?」と問いかけている。

 相模原の事件後に、この質問の重さに気付かされるのも本当に情けない話だが、この問いについて考え、答えることは誰しもに求められることだろう。横田は「障害者と健全者との関り合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないのだろうか」と書いている。彼の文章と闘い、社会と障害者の関わりについて考えることが今こそ必要だ。

 

『障害者殺しの思想 増補新装版』(現代書館)

ダ・ヴィンチニュース  9月12日


石川悠加さん(1)全国から患者が集まる「駆け込み寺」に

2016年09月13日 02時58分54秒 | 障害者の自立

神経筋難病患者の生活を支える医師 石川悠加さん

 函館市から北へ約100キロメートル。周辺には牧場や海が広がる北海道南部の片田舎に、全国から呼吸が困難な患者が救いを求めてやってくる病院がある。筋ジストロフィーの専門病棟がある「国立病院機構八雲病院」(北海道八雲町)だ。「気管切開をしたくない」「体に合った車いすや生活用品を作りたい」――。そんな患者の声に応え、同病院診療部長の石川悠加(ゆか)さん(56)は、体の負担が少ない人工呼吸療法を広め、重い障害があっても充実して生きられる診療態勢を約30年かけて創り続けてきた。難病患者や障害者に限らず、いつかは誰もが病気になり、年を取って体が不自由になる。相模原事件が起きた今こそ、石川さんに生活を支える医療について話を聞きたいと思った。

 筋ジストロフィー病棟が120床、重度心身障害者病棟が120床、筋ジストロフィーの患者のほとんどは人工呼吸器をつけている病院というと、読者の皆さんはどのような雰囲気を想像するだろうか。

 併設の養護学校に通う子どもは水泳を楽しみ、若者は室内ホッケーで盛り上がり、口から食事を味わい、東京の大学とインターネット会議で議論する女性もいて、どこもかしこも活気がある。気管切開の必要がない人工呼吸療法を選び、水や食事にむせても素早く吸引できる機械を準備し、車いすやパソコン機器をひとりひとりに合わせて改造するなど、石川さんがスタッフと共に培ってきた様々な医療やケアがあって実現している日常だ。

  「iPS細胞などの技術で治療薬の開発も期待できるようになりましたが、『治る』という方向にばかり目が行ってしまうと、今ある生活を肯定できなくなってしまう方もいます。治る希望は持ち、どんどん実現が近づいている治療法を待ちながらも、同時に『今のあなたの生活と命をどうやったらより良くできるかという工夫を、今、一生懸命考えようよ』と伝えたいのです。がんのような病気では、治療法の開発と並行して、最後までより良く生きるための医療や社会政策が考えられ、患者は両輪で進めるのに、神経筋難病の場合は片輪ばかりに注目が行きがちではないかと気になります。ただ、私たち医療者も、どのような方法で生活を充実させたらいいのかよくわからないので、『一緒に考えて、一緒に創っていこうよ』と、“うちの子たち”と試行錯誤しています」

 「うちの子たち」と患者を呼ぶ、病院の「肝っ玉母さん役」の石川さんは、1990年の赴任以来、現在院長を務める夫と敷地内の官舎で暮らし、夜中でも患者のもとに駆けつける生活を続けている。専門に診る筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症などの神経筋難病は、徐々に全身の筋肉が衰えて、自力での呼吸も難しくなる病気。いずれ人工呼吸器が必要となることが多いが、石川さんはその中でも「NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)」という気管切開が必要ない人工呼吸療法を普及させる活動で、世界的にその名を知られている。石川さんらが書いたNPPVマニュアルは英語、イタリア語、スペイン語に訳され、石川さんらの報告を受けて、イタリアでは気管切開からNPPVへの転換を進めていくことが宣言された。

  NPPVは、鼻マスクや、鼻の穴に浅く差し込む鼻プラグ、マウスピースをくわえる方法など様々な形=図=で空気を取り込む方法があり、喉に穴を開けたり、気管に管を直接差し込む必要がない。石川さんは1991年に初めてこの方法に成功して以来、人工呼吸器が必要なすべての患者にまずこの方法を選ぶようになった。

  「口や鼻から気管内に管を通す気管挿管や、喉に開けた穴から管を気管に通す気管切開と違い、感染の危険も減りますし、痰(たん)を吸引する必要もなく、介助者の負担もかなり軽くなります。発声にも影響がないので、コミュニケーションに特別な手段を必要とすることもありません。子どもの場合、多少ぶつかってマスクなどがずれてもすぐに戻せて、きょうだいや友達との遊びやスポーツも制限が減りますから、孤立も防げる。医療的なメリットはもちろん、気管切開よりも生活の制限が少なく、社会参加もしやすくなる人工呼吸療法なんです」

 だが、NPPVにも欠点はある。咳(せき)が弱くなり、自力でうまく痰や詰まったものを出せない場合は、窒息の危険もある。介助者が手で胸を圧迫したり、空気を吸引する機械を使ったりして、咳を介助する技術が必要だ。さらに圧力、空気量などの設定やマスクが合っていないと、空気漏れや体調不良の原因にもなり、医療者のコツやこまやかなケアが鍵を握る。そして、一番の問題は、全国どこの病院でもNPPVが付けられるわけではないということだ。

  「私たちは、福岡、名古屋、大阪、京都、東京、福島など、全国から患者を受け入れていますが、遠くから来る場合は、『気管切開をしたくない』という動機が一番多いです。東京の病院の集中治療室(ICU)から挿管チューブを気管に挿したまま、飛行機に乗ってうちに来た患者もいました。『命を助けるには気管切開しかないと言われましたが、避けられる技術があるのならば避けたい』と、ご主人が電話で問い合わせてきたのです。ICUの医師は当然、付き添おうとしたのですが、その上司から『そんな勝手なことをする患者には付き添わなくていい』と言われたそうで、私と院長が東京まで迎えに行きました。転院を希望する患者の搬送の付き添いを拒否する病院に迎えに行ったことは何回かありますね」

  その患者はポリオの後遺症で呼吸が弱くなった60代の女性で、アジアの障害者運動に関わり、英語で司会をする役割も果たしていたため、気管切開で声が出しにくくなるのを恐れていた。八雲病院でNPPVをつけ、夜間に呼吸を補助するようになって体調が回復。今も障害者運動のために海外に出かけたり、本を執筆したりして積極的に社会活動を続けているという。

  わざわざリスクを冒してでも遠方まで来るのは、いまだにNPPVに消極的な医療者や病院があるからだ。石川さんが「生涯NPPVで生きられる」というデュシェンヌ型筋ジストロフィーでも、いまだに4割は気管切開による人工呼吸器をつける。なぜそんな医療格差が生まれるのだろう。

  「あまり慣れていない方法を試みることで、患者に危険を及ぼしてはいけないという判断も働いているのかもしれません。大病院や地域の基幹病院では、気管切開は少なくとも技術的に慣れているし、患者が安全に、安心して暮らせるのではないかと考えて、新しい取り組みにGOサインが出ないということもあるのでしょう。しかし、患者さんからすれば、切実な思いがあっての訴えですから、できるだけくみ取りたいですよね。ボストンで人工呼吸器の状況を調べた研究では、NPPVの成功率が100%に近づいている病院と0%の病院の二極化が進んでいました。最初からやりたがらないところもあるでしょうし、1例目がうまくいかなくて断念したところもあるのでしょう」

  NPPVは、唾液が気管に流れていかないくらいの喉の機能が残っていることが最も重要な条件となり、一度気管切開をした患者も、手術でふさいでNPPVにつけ替えられる場合もある。

  「気道の中の粘膜が切開で損なわれているので、ふさぐのは大変で、一時的にそこに痰が引っかかったり、不具合があったりすることもあるのですが、それを乗り越えてでもやりたいという意欲の強い人には行うこともあります。ある付け替えた患者は、『気管切開したところの痛みは死の恐怖と結びつき、出血したりはずれたりしたら死んでしまうのだということを自分に常に思い出させていた。でも今、人工呼吸器をつけていることさえ忘れることがある。死を意識しなくなったことが一番大きい』という言葉で喜んでくれました」

  昨年2月には、名古屋の病院から心臓の状態が悪化したデュシェンヌ型筋ジストロフィーの男性が運ばれてきた。10代半ばの時、中部地方の大学病院で、「心筋症が重症になっており、これ以上治療の手だてがないから、あとは家で好きに過ごしてください」と告げられていた。それから数年後、心臓が1日に何度も止まるようになり、救急搬送された別の病院の医師が、その地域の筋ジストロフィー専門病棟がある病院に相談したところ、「気管切開をすれば、良くなる」と言われたという。

  「そういう姿を見るとうれしいですよね。気管切開をしても訓練で声の出る方はいますが、彼女の場合、気管切開の吸引に必要なきれいな水が手に入りにくい開発途上国にも行くので、『もし気管切開したら、活動をあきらめざるを得なかった』と言っていました。また、脊髄損傷で夫も車いす生活だったので、『もし気管切開をしていたら、今の介助者の手を借りながら2人で暮らす生活を維持することが難しくなっていたと思う』とも話していました。NPPVも100%うまくいくわけではないし、遠くの病院への搬送はリスクを伴うことなので非常に緊張しますが、希望がかなえられて、患者さんが大事にしている生活を守ることができたなら、受け入れて良かったと思います」

 「その治療方針に疑問を持った医師に相談され、本人と家族の希望で、結局、八雲に搬送してもらうことになりました。体格のいい男性だったので、呼吸器の圧力を高めて、マスクも車いすも呼吸が楽になるように調整して、あらゆる面から心臓の負担を軽くして、血圧も安定したので本来使うべき心臓の薬も加えたところ、体調がとても良くなったのです。先日も体調チェックのため来院してくれたのですが、『元気になったので、今は老人ホームで読み聞かせをしています』と言っていました。一度は大学病院で命を見放され、専門病院では気管切開でしか助からないと言われた人が、声を使ったボランティア活動をしているのですよ。筋ジストロフィーをあまり診ていない病院だと、『20歳まで生きない』という昔のイメージが固定されて、やるべき治療をしていないこともあるようです。また、『手足が動かせなくなると、生活の質が保てない』と考えて、必要な治療を差し控える医療者がいまだに多いのも事実です」

  取材直前、相模原市の障害者施設で元施設職員が、「障害者なんていなくなればいいと思った」として、19人の入所者を殺害した事件が起きた。医療者や介護者からさえ、重い障害を持つ人の生活の質を低く見る言動が生み出されていることについて、石川さんはどう考えているのだろう。

  「私もあの事件にはハッとさせられました。私たちも、入院患者の平均年齢が7歳だった頃とほぼ同じ人数のスタッフで、24時間呼吸器をつけている子が4分の3いる病棟を診ています。スタッフも親代わりにいろいろやってあげたいけれど、マンパワーが絶対的に不足している中、生活介助もギリギリの状態です。そうすると当然、不満を訴える子も出てくる。こうした状況を何とかしたいけれど、自分も周りの人もどうにもできないという無力感の中で、動けなかったり意思疎通ができなかったりする人は生きる意味がないとしか思えなくなってしまったとすれば、そう思わなくてもいいように環境を変えなければいけません」

  「ここにお子さんを預けた親御さんたちの中には、来た当初に、『診断された時は、その後3か月ぐらい何をしたかも覚えていない』『この子と一緒に地下鉄に飛び込もうかと思った』などと言う方もいました。でも、もし診断の時でもその後でも、医療者や介護者が『こういうふうに工夫したら、こんな活動に取り組みやすいかもしれませんね』などと方法を示してあげられたら、不安をむやみに膨らませることがなくなるかもしれないと思うのです。マスクをつけて呼吸するのは、本来、煩雑でいやなことかもしれない。でも、これをつけることで元気になり、人工呼吸器をつけた後の人生もいろいろなことにチャレンジできると具体的に後押ししてあげられたら、前向きになれるかもしれない。そういう様子を家族や周りも見ることで、ケアの負担があっても貴重なものを得られると聞きます」

  大人になった筋ジストロフィーの患者に「あなたたちの人生の選択肢を制限してきた張本人は誰だと思う?」と尋ねたら、返ってきた答えの多くは「医師と学校の先生と親」だった――。そんなエピソードを、石川さんは別の医師から聞いたことがある。

  「周りにいる一番サポート役になるべき人が、『この病気は大変だから、大それたことを目指さない方がいいよ』とか『できなかった時にショックだから、諦めた方がいい』と、守るつもりなのか言ってしまう。少し前に、海外から見学にいらした人が、『ロンドンでは電動車いすに乗った筋ジスの患者さんが素敵なレストランでウェイターをやっていますよ』と教えてくれたことがあります。車いすに台を付けておいて、お客さんは注文を紙に書いてその上に置き、ウェイターの彼はそれを調理場に運んで、できあがった料理を載せてもらって運んできて、お客さんに受け取ってもらうというのです。『ああ、そこまでの発想はなかったなあ』と驚かされました。私たちはまだまだ『筋ジスという病気はここまでしかできない。障害者はここまでしかできない』と心の中で根拠のない規定をしてしまっています。でも、もっともっと自由にいろいろなことを発想していけば、工夫できること、変えていけることはたくさんあるのではないかと思うのです」

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鼻プラグで人工呼吸療法を受けながら、食事も楽しめる 

2016年9月12日   読売新聞


車いすバスケ「東京」へ光 漫画きっかけ人気上昇…健常者巻き込み、競技の裾野広げる ...

2016年09月13日 02時48分01秒 | 障害者の自立

 リオデジャネイロ・パラリンピックで連日会場を沸かせているのが車いすバスケットだ。日本男子は決勝トーナメント進出を逃したが、11日(日本時間12日)のカナダ戦で初勝利を収めた。車いすバスケの人気は徐々に浸透し、支援も充実してきている。健常者を巻き込んだ裾野拡大の取り組みもみられ、4年後の東京大会を見据え、普及の動きも加速する。(リオデジャネイロ 川瀬充久)

 車いすバスケットは、競技を題材にした人気漫画「リアル」の影響で、障害者スポーツに詳しくない層にも知られるようになった。

 さらに、東京大会の開催決定でパラ競技への企業の関心が上昇。パラ代表チームには、サントリーや味の素、三菱電機などの大手企業から、スポンサーの申し出が相次いだ。

 サントリーの担当者は「競技人口も多く、健常者も体験しやすい競技だ」と魅力を語る。また、味の素は製品提供に加え、リオ大会にスタッフ3人を派遣し代表をサポートする。

 「日本車椅子バスケット連盟」の小瀧修専務理事(61)は「以前は考えられなかったことだ。東京大会後も支援を続けてもらえるように努力したい」と話す。

  ただ、人気を得てきた車いすバスケだが、競技人口は減少している。2000年のシドニー大会時、全国に約90チーム計約900人いた選手は約70チーム700人ほどになった。少子高齢化や交通事故の減少が背景にあり、シドニー大会で車いすバスケ日本代表を率いた高橋明さん(64)は「選手の発掘は難しいだろう」と指摘する。

 こうした中、健常者を巻き込んだ取り組みも始まっている。日本男子代表の村上直広(22)が所属する伊丹スーパーフェニックスはマネジャーらを含め男女約20人が在籍するが、チームでは健常者も一緒に練習に参加している。

 兵庫県伊丹市では今年、健常者も参加できる大会が同時開催された。チーム関係者は「若い選手は少なくなっている。選手の裾野を広げることが競技や障害者への理解につながる」と話している。

車イスバスケットで、カナダを相手に初勝利を飾った日本男子=リオデジャネイロ(共同)

日本男子=リオデジャネイロ(共同)

産経ニュース    平成28年9月12日