「ここは住宅が密集し、地盤も悪い。阪神大震災は人ごとではなかった」。富士見市水谷東三丁目の町会長清水実さん(72)は振り返る。
水谷東地区は、もともと新河岸川と柳瀬川に挟まれた水田や沼地だったが、一九六〇年代から宅地開発が急激に進み、狭い道の両脇に木造住宅が密集。八五年、三丁目で十二棟を焼く火事が発生したほか、排水設備などが整った九一年までは、毎年のように水害に見舞われていた。
清水さんら地区住民有志は九六年、震災で壊滅的被害を受けた神戸市長田区で、住民の自治組織が一小学校区単位で救出や食糧分配、避難所運営から復興までに取り組んだ真野地区を視察。その後、市立水谷東小学校区の四町会に自主防災会ができた。四防災会は連絡会を組織し、九七年から五百人規模の合同防災訓練を毎年行っている。
住民たちは「行政がやらないなら自分たちがやる」と二〇〇六年から、市に先駆けて高齢者や障害者ら自力で避難できない「災害時要援護者」の名簿作りにも取り組んだ。昨年の3・11では、民生委員が要援護者の自宅を回って全員の無事を確認。名簿が初めて活用された。清水さんは「登録者からは『気にかけてもらっていたことが分かって安心した』という声が寄せられた」と話す。要援護者の自宅を赤で色分け表示した住宅地図は、町会長と民生委員が保管する。
清水さんは「国のガイドラインでは、要援護者をあらかじめ登録した支援者が助けることになっているが、支援者が帰宅困難者になったらどうするのか」と疑問に思っている。清水さんの腹案はこうだ。「地域で家族の安全を確認した人から集会所に集まる。そこで地図を開いて『あなたはここに行ってくれ』と指示する。その方が合理的だし、現実的じゃないですか」
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昨年十月二十二日夜、鶴ケ島市立鶴ケ島第二小学校の体育館で避難所宿泊訓練が行われた。参加したのは同校区内の障害者を含む住民約百人。救急医療訓練などの後、電気、ガス、水道が使えない避難所を想定した体育館で、参加者はランタンの明かりを頼りに炊き出しのカレーライスを食べ、六十五人が宿泊した。
「行政の訓練では、住民は動員されるだけ。より実際の災害に即した訓練をしたい」と、訓練の中心になった「鶴ケ島第二小学校区地域支え合い協議会」会長の柴崎光生さん(69)は言う。
同協議会は四年前、柴崎さんが同校区内の十自治会に呼び掛けて立ち上げた「避難所運営委員会」を母体にして、市が昨年七月、「地域の課題を地域で解決するプロジェクト」として発足させた。防災のほか、高齢世帯の見守り、子育てサロンなどの事業も展開していく。
学校側も協議会に全面協力し、教室の窓ガラスに「上広谷第2」などと通学班を大きく書いた紙を張り、災害時には地域住民も通学班ごとに教室に集まり、名簿に名前を書いて安否確認をしやすくしている。
水谷東、鶴ケ島第二ともに共通しているのは、祭りや体育祭、文化祭などの地域活動が活発なところだ。
清水さんは「防災だけに特化してはだめ。ふだんの行事を活発に行えば、延長線上に災害に強い地域ができる」と強調した。
<自主防災組織> 1995年の阪神大震災では、倒壊した建物から自力で脱出したり、近隣住民らに救助されたケースが98%に上り、消防隊などに助けられた人が1.7%だったという調査結果があり、大規模災害では消防隊などが到着する前の自主防災組織による救出・救護活動の重要性が再認識された。全世帯に占める自主防災組織の組織率は上がり続け、全国平均で95年の43.1%から2011年(4月1日現在)は75.8%になった。県内の組織率は81.5%。
2012年3月7日