ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

地域の小、中、高校で学ぶ障害をもつ当事者のみなさん

2009年03月26日 01時21分08秒 | 障害者の自立
 DPI日本会議からの協力依頼です。
是非、皆様のご協力をお願い致します。

アンケートへの回答、ご協力お願いします!
http://www.dpi-japan.org/enq/start.php

アンケート回答期限は延長されております。
広く転載してください。

 浦和大学短期大学部介護福祉科教員の南舘こずえさんが、
「障害をもつ子どもの就学の際に必要となる支援に関する
実態調査」を実施しています。

 DPI日本会議は、特別支援教育ではなく、障害者権利条約で
謳われているインクルーシブな教育制度の確立が急務であると
考えております。そのためには、地域での就学を障害を理由に
拒否されないこと、当事者の望む合理的配慮が提供されることが
重要であると考えています。本調査は、地域の学校で学ぶ支援の
実態を調査しようとの意図で企画されています。この調査の
趣旨を理解し、協力することとしました。一人でも多くの方々の
ご協力を呼びかけたいと思っています。

アンケートはDPI日本会議のウェブサイトに掲載されています。
http://www.dpi-japan.org/enq/start.php

障害者スポーツクラブ紹介 取材を終えて 簡単そう、でも難しい /香川

2009年03月26日 00時57分12秒 | 障害者の自立
 ◇「相手の立場になって行動する」
 障害者たちのスポーツ活動を知りたいと昨年6月から第3地域面で連載してきた「障害者スポーツクラブ紹介 私らしく」は25日付が最終回となった。これまで26チームを取材した中で、考えたことを伝えたい。【矢島弓枝】

 一番教えられたのは「相手の立場になって行動する」こと。言葉にすると簡単そうだが、実際は難しい。

 例えば、聴覚障害者への取材。「後ろから話しかけないで下さい」と、手話通訳者に注意された。視力を頼りにしている聴覚障害者にとって、後ろから近付いて肩をたたかれるのは、いきなり脅されるのと同じようなことなのだという。目の前に回り込み、相手が気付いたのを確認してから話をするのが礼儀なのだ。

 紙面に掲載する連絡先を確認した時のこと。聴覚障害者の方に「ファクス番号は入れないのですか?」と言われ、はっとした。確かに耳が聞こえない人が、電話で連絡を取り合うのは困難だ。少し想像すれば分かるのに、いつも通りの感覚でいると気が付かない。記事にはファクス番号を掲載した。

 ◆競技も工夫次第

 日常のコミュニケーションだけでなく、スポーツも、少しの想像力と工夫があれば、ずいぶん障害の壁は取り除けるのではないか。 ピンポン球に金属を入れたり、風船の中に鈴を入れれば、目が見えない視覚障害者も耳を頼りに競技に参加できる。普通のバスケットゴールより低い位置にもう一つゴールを作れば、重度障害者もバスケット競技を楽しめる--。障害者スポーツ競技は、バリアフリーのための知恵がたくさん詰まっている。もちろん健常者も一緒に楽しめる(私もいくつか参加した)。

 ◆金銭面など壁

 一方で、障害者がスポーツをする難しさをいくつも見た。スポーツ競技用の車椅子は値段が高く「軽乗用車が買えるほど」と何度も聞いた。知的障害者の団体では「指導者がいない。事故を恐れて活動させてくれる施設も少ない」と嘆く声が聞かれた。一般的に障害を持つ人が社会に出てスポーツ活動をするのは、自分の障害をさらけ出すことになり、相当勇気がいることだ。「それでも参加したい」という人々のための受け皿が、あまりにも少なく、残念に思った。

知的障害者を積極雇用

2009年03月26日 00時52分59秒 | 障害者の自立
仙台市 民間にも促す
 仙台市は来年度、3人の知的障害者を非常勤職員として初めて採用する。市が率先して実績を重ね、民間企業にも受け入れを促す考え。市によると、知的障害者の枠を設けて積極的に雇い入れるのは県内自治体で初めてという。

 知的障害者は作業内容が限定されがちで、設備を改善すれば一定の就業環境が整う身体障害者に比べ、雇用が進んでいない。そこで市は、まず職場の雰囲気をつかみ、自分の能力を見極められるよう、非常勤雇用とした。

 業務内容は郵便物の封入や書類の仕分け、コピーなどの事務作業。作文や面接試験などを経て、6月にも採用を決める。3人の職場には市障害者就労支援センターの「ジョブコーチ」が1人付き添い、仕事の手順などを説明したり、円滑なコミュニケーションを支援したりする。自治体の雇用が障害者の仕事の能力を保証する形になり、一定期間後は市や公共職業安定所(ハローワーク)を通じて民間企業の就職につながるとの期待もある。

 厚生労働省によると、障害者雇用は官公庁や企業で定着しているが、採用枠は身体障害者だけを対象とするケースが大半。知的障害者の雇用は遅れているのが実情だ。07年度から知的障害者100人の非正規職員を最長で3年間雇い入れている厚労省は、他省庁や自治体にも積極雇用を呼びかけている。

 市は関連経費として来年度当初予算に800万円を計上した。市障害企画課は「雇用に消極的だった企業にアピールしていきたい」と話している。


09年知事選を前に/5止 障害者福祉 /秋田

2009年03月26日 00時48分37秒 | 障害者の自立
◇不況で一番に影響 法定雇用率を下回る
 花輪線の鹿角花輪駅(鹿角市)から車で北に5分ほど行くと、国道に面した建物の2階に精神障害者らの就労事業所がある。

 名前は「ひなたぼっこ」。その名の通り大きな窓がある日当たりのいい部屋に、スタッフの声が響いた。

 「はーい、みなさん。ミーティングをしますよ」

 利用者約20人は、一日の過ごし方や仕事の報告をする。メール便の配達やまき作り・販売など、その日によって仕事はさまざまだ。

    ◇   ◇ 

 事業所を運営しているのは、鹿角市や小坂町の精神障害者らの家族らによるNPO法人「鹿角親交会」。元々は障害者が共同生活するグループホームを運営していたが、「生活の場だけでなく、生きがいも提供したい」と働く場づくりに乗り出した。

 まず04年に手掛けたのが、家庭で不要になった日用雑貨を集めて地元の定期市で販売する「いっぷく堂」。だが当初はみんな尻込みして、店番に入ってくれる人はほとんどなかった。

    ◇   ◇ 

 そんなとき、一人の男性が協力してくれるようになったことを、同会の西文雄理事(59)はよく覚えている。

 幻聴や幻覚があり、日中はなかなか出歩けず、引きこもり状態。それでも、なぜか店には手伝いに来てくれた。自転車を一生懸命にこいで通い、開店1時間前から店が開くのをたばこをふかしながら「じっと」待っていた。

 それに呼応するように、「手伝おうかな」と言って働く人も増えていった。今ではお茶を製造・販売し、売り上げは年間30万円に。近くの玉川温泉の湯治客でおなじみさんもできた。

 「店が居場所だったんでしょうね。大好きでした」。西さんは、すでに亡くなったその男性のことをこう思い返す。

    ◇   ◇ 

 障害のある人とない人が共に暮らし、働くという環境づくりや意識が、なかなか浸透していない現実がある。

 障害者雇用促進法で労働者全体に障害者が占める法定雇用率は1・8%以上と定められている。だが08年6月1日時点の県内の雇用率は1・51%にとどまり、前年同期より0・04ポイント減少した。

 この時点ではまだ雇用環境は悪くなかったが、その後景気が急激に悪化している。

 2月に秋田市で開かれ126人が参加した障害者向けの就職面接会では「就職が難しくなった」との声が上がった。会場で、ある精神障害の男性は嘆いた。「不況になって、障害者雇用の場が少なくなった。苦しい時は、弱い立場に一番影響が出るんだ」

 西さんは家業のクリーニング店で障害者に働いてもらっている。「安く使って甘い汁を吸っている」と陰口を言われたこともある。だから、企業側が人目を気にして雇うのに勇気がいることも分かる。ただ、それでもと思わずにはいられない。

 「あるお坊さんの言葉では、生きるというのは食う寝るのほか人とつながるという意味もあるとのこと。就労する場は、まさに人と交流し、どう生きるかを提供する場所なんです」

認識甘さ 次々認め 高桑理事長 渋川・老人施設火災で初会見 『賠償の金銭ない』

2009年03月26日 00時44分00秒 | 障害者の自立
 入所者十人が死亡した渋川市の老人施設「静養ホームたまゆら」の火災で、二十四日に火災後初めて記者会見した運営母体の特定非営利活動法人(NPO法人)「彩経会」の高桑五郎理事長(84)。二時間近くもの質疑で陳謝を繰り返しながら、防火や施設運営に対する認識の甘さを次々と認めた。違法建築や禁煙の不徹底-。福祉への理想を語りながらも実態はその言葉とは懸け離れていた。 

 「勝手に自分なりの理想を持っていた。県の規格には合っていなかった」。高桑理事長は声を絞り出すように語った。入所者の介護が不十分との指摘を受けてきたことも「いろいろ指摘されながら対策をしなかった」とうなだれた。理事長によると、施設の泊まり勤務をする職員は三人しかおらず、一カ月のうち二十日間は二人、十日間は一人で宿直。火災は一人の時に発生し「増員しようとした直後だった」と話した。

 七人が遺体で見つかった北側別館では二月、入所者の徘徊(はいかい)防止策として食堂と居室につながる引き戸につっかい棒をしていたことを明らかにしたが、「簡単に取り外しできるようなものであればと職員に指示したが、確認していない」と話した。

 火元とみられる北側別館の居室に住んでいた男性に「喫煙していたので注意していた。寝たばこもしており、ライターを(火災の)三日前に取り上げた」と説明。禁煙の不徹底と施設の違法な増改築が、今回の惨事につながったとの見方を示した。

 建築の知識がないのに自ら工事に参加し、耐火用資材を使わなかったことも明らかに。火災保険にも未加入で、「遺族などに賠償する金銭はほとんどない」と言葉を濁した。「自分勝手な(事業の)進め方だった。万一にどう対応するのか認識が甘く安全知識が欠けていた。後の祭りです」と後悔の念を述べた。

◆語気を強める場面も
 施設近くの小さなプレハブの事務所で記者会見した高桑五郎理事長は午前十時半すぎ、グレーのスーツにネクタイ姿で頭を下げながら会場に姿を見せた。

 「すべて私の責任です。申し訳ありません」-。詰め掛けた五十人以上の報道陣を前に立ったまま神妙な面持ちで謝罪。施設の内部構造などについて聞かれると、身ぶり手ぶりを交えて丁寧に答えたが、施錠の状況など捜査の重要部分はあいまいな回答で、語気を強める場面もあった。

 二時間近くにも及ぶ会見が終了すると、直立してカメラの前で三十秒ほど同じ姿勢で頭を下げ続け、「申し訳ない」という言葉を何度も繰り返した。この後、警察官に護衛されながら、近くの関連施設の中に入った。

◆『福祉に理想追い 汚点残し失格者』
 「この二十年、理想を追って福祉に取り組んだが、汚点を残し、失格者と認識」-。高桑五郎理事長は半生を振り返り福祉への熱意を語ったが、施設を運営する特定非営利活動法人(NPO法人)は近く解散するという。

 高桑理事長によると、最初に事業を起こしたのは一九五二(昭和二十七)年ごろ。織物業から始め、服飾加工を手掛けた。当時、布切れを母子家庭に配る中で、障害者に接する機会があったという。

 八九年、現在の施設がある場所に移り、障害者三、四人を雇って共同作業所を開設。その後、老人ホームの開設にかかわるなど事業を広げてきた。

 「家族からも自分の運営手腕や能力を疑問視されている」と力なく語ったが、今後も近隣の別館で後継者による事業継続へ期待を示すなど、関係者への配慮に欠けた発言もあった。

◆『たまゆら』をめぐる問題点と理事長の回答
(1)有料老人ホームとして届け出る施設 ○

(2)施設内は禁煙 ○

(3)入所者の禁煙の不徹底 ○

(4)火災発生の恐れを認識 ○

(5)宿直は1人で不十分 ○

(6)県に申請せずに北別館を増改築 ○

(7)つっかい棒の設置を職員に指示 △

(○=認める、△=一部認める)