趣味と節約と時に妄想の記録

節約を通して未来を創造するブログです。
時に妄想も書いたりします。時々趣味の写真もUPします。

貝の話題を見つけたが・・・

2017年11月11日 10時33分28秒 | 環境に関する話題
天気予報通りの雨。今現在は、雨は止んだが北風が強まって来ている。これも予報通り。一段と秋は深まった行くようだ。

しかし、今年ほど秋の感覚が短い年は無い気がする。 秋というよりも、晩夏からいきなり冬の初めの様な感覚に襲われ、その後の台風襲来やら・・・そうそう、雨の10月が原因だな。

秋と言えばやはり10月。 晴れ渡る空に色付く里山・・・今年はその里山でさえも10月は殆ど雨か曇りだった・・・。名古屋祭りでさえも中止になったなぁ・・・(22日)。 そう、だから自分の感覚の中で秋が抜け落ちている。10月の晴れが少なかったから。

さて今日のタイトルですが、今なんだか中国産のアサリの安全性がネットでも話題になっているようで。

正直、何を今更?って感じである。 ある意味40年経っても何も変わっていないんだなという感覚だ。

そもそもアサリは綺麗な海では育たない。僕は専門家ではないのであくまでも経験からこの記事を書きますよ。

僕の育った実家のある場所は海辺で、母がその場所に移り住んだ頃、昭和30年代前半はまだタツノオトシゴが海に泳いでいた時代だ。もちろん日本の話ね。

タツノオトシゴだよ。何せ田んぼの中の一軒家。周りは田んぼだらけ。 時は少し進み、昭和も40年代になると海水浴まっさかり。

一帯は一時海水浴客で賑わう。しかし、海水浴だけでは生計が成り立たない。そこで漁協がアサリの養殖を始める。もちろん海水浴の無いオフシーズン。

始めは、何十年何百年と海の土の中に蓄えられていた良質なミネラル分でアサリは柔らかくこの世の物で無い位に美味しかったそうだ。絶品だったそうだ。

当然、盗掘真盛りとなる。 そこで漁協は組合員に強制的に浜の見張りを要求する。これがまた大変・・・。田んぼや畑を所有している家庭に強制だ! 

僕も母に背負われて寒い冬を吹きさらしの海小屋で過ごした記憶が心の片隅に残っている。何回高熱を出した事か・・・。

当然母に背負われながら、盗掘者に注意に行くわけだが・・・子供心に、人間の醜さを沢山見せ付けられた・・・。

時は進む。僕も小学生の低学年になり、自分の家の周りにもポツポツと家が建ち並ぶ。 この頃になると海水浴も下火になる。

綺麗だった砂浜も、アサリの大量の死骸が増えて異臭を放つように変貌する。 原因はいろいろあるが、やはり工場の廃液だろう。

某大きな工場が幅を利かせ、町は一変した。そして、美しい海は海水浴からアサリの養殖一本へ舵を切ったのだろう。

病弱な母の替わりに、何度か浜の監視に行った記憶もある。 浪打際には大量のアサリの死骸。 今思えばあの大量の死骸にもっと疑問を持つべきだったのだろうか・・・。

兎に角夏は異臭だ・・・。母にあの死骸は何?と聞くも、子供には関係ないから勉強しなさい!で終わりだった・・・。

時は進み、僕も中学になれば海などを散歩する時間など無い。 自分の病の発病などが重なって、海どころでは無くなった。

そこで記憶が途絶えている・・・・。

今はどうなっているか? 堤防沿いに長く存在していた波打ち際には堤防の強化の為に大量のテトラポットが置かれ、砂浜を見る事は出来ない。

今も別の地域でアサリの養殖が行われているようだが、種はすべて外国産だ。
 

この記事を書きながらフト浮かんだのだが、アサリはその浜辺の健康バロメーター的な役割を担っているとね。

アサリの味が落ちれば、その海域のミネラル分(魚介類にとっての)が不足している可能性が高いし、危険な物質が増えれば当然アサリが真っ先に体内に取り込む訳ですね。

今話題になっている記事のアサリですが、除草剤を海に直接蒔くって・・・もしかすると子供の頃に見た大量のアサリの死骸は・・・

ちなみですが、母も未だに地元に住んでいる兄貴の子供もアサリは食べないですよ。 皆見てますからね現実を。

実際に、母もアサリを食べると普通に下痢します。 僕くらいかなぁ~たま~に、スーパーで買って食べますけどね。

それでも、3日~4日は人口塩水に漬けて完全に砂出しと毒だしをしてからしか食べられません。

そんな所です。 ですから、今に始まった事では無いです。もう純国産(種から)のアサリなんて存在しないはずですし、仮に存在してもアサリが普通に育つ海水が無い・・・。

タツノオトシゴが泳ぎ、しかも、海水に透明度があり、アサリが成育するのに十分なミネラル分が存在する砂浜・・・こんな条件を満たす砂浜は本土には無いはずです。

調理する側も、3日も砂だししてって・・・そこまでしてきちっと調理をしている現場ってあるのだろうか? まず経費かかるからやらないでしょうね。

なので食べたければ、自分でしっかり処理をして調理する。それしか方法はないでしょうね。

40年経っても50年経っても、人は場所を変えて同じ事を繰り返す。 

現在の消費・経済第一主義文明が誤りである事を認めなければ(認めても180度切り替えなければ無意味)、場所を変え地域を変え(発展する地域が変わるだけ)復興するだけで何も変わらない。

地球が滅びるまで続くだろう。
コメント
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