アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

私立ならPTA問題が存在しない、わけではないけど。

2016年05月27日 | 中学生活
数日前に、「PTAって何なんだろう」という記事を書いたときに、

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PTAに悩まされた歴として
保育園生活は13年間、小学校生活は13年間、そして(公立)中学校生活は3年間(またろう分のみ)
と書いたのですが、これはつまり、こじろうの中学生以降、およびはなひめの中学生以降、私の頭の中からその類の悩みが消え去ったから自然とこのように書きたくなったのです。

けれど、考えてみれば、別にこの問題が自動的に消滅するわけではなくて、こじろうの学校にも、はなひめの学校にも、(保護者会とかPTAとか名称はともかく)そのような活動があります。

ただ、委員をやるにせよ、やらないにせよ、不快な思いをしたことがほぼない、ということに尽きます。

…そういうもんだと思ってました…

なので、今回記事を書くきっかけとなったニュースはほんとに衝撃的で、私学の中高一貫校で!? 退会?? 提訴!? とびっくりしました。

私がなぜ、私学なら悩みから解放される、ぱららぁ〜♪と勝手に思っていたかというと、

その学校が好きで選んで入るのだし、子どもも楽しんで通って、充実した学校生活を過ごせているので、学校のことで何かできることがあったら協力したい、という素直な気持ちがこちらにあるところがまずスタートから違うんで、比べてもしょうがないくらい違うんですけど(^^;;

・入る入らない、払う払わないといってゴネる人はいない。
・委員決めのときも、スムーズに立候補が出る率が断然高い。
・活動中、学校から納得できない理不尽なことを押しつけられたりしない。
・委員同士、話のノリが合うので、活動しててもランチしても楽しい。
・委員をやっても、負担が少ない。(活動が土曜日でもよい、活動方法を合理化できるなど)

このくらい違う。

けど、考えてみればこれは「必然」ではないわけで、確かに私学ならこうなりやすい(ほかの親も私の気分と同様、ポジティブな人が多いだろうしお金に困ってる人も少ないから)とはいえるけれど、必ずこうなる、とまではいえない。

くだんのお父さんの場合、別にお金の問題ではなくて(PTA会費を踏み倒したいというような)、手間の問題でもなくて(裁判やるよりは委員やるほうが楽でしょう)、何かものすごーーく納得できないことがあったんでしょうね。

そういうこともあるんだ!! ということを考えると、公立と私立で何が違うかといえば、私立ならば嫌ならやめるという選択肢があることくらいでしょうか(さすがにPTA問題でこじれたからといって、学校側からやめていただくという選択肢はないでしょうけど)。

この事例の場合に、お父さん側と保護者会もしくは学校側とどちらにどれくらい問題アリなのかはニュースを見ててもわかりませんけど、親も子も快適で充実した学校生活でないんじゃ、私学に通ってる意味がないよね…

なんか巨大なもったいなさを感じる。この学校に何か気に入っているところがあって、プラマイ考えてもやっぱり通わせるというなら、活動はしないまでも退会はしないでそっとしておくとか、あるいは退会してコサージュ来なくてもそっとしておく(なしで済ますか、別のコサージュつける)とかするほうが絶対得。学校側(保護者会側)だって、退会者の子どもにも同じ扱いしておいて提訴なんかされないほうが絶対得。どこからここまでこじれちゃったんだろうねぇ。。

【追記】ブログへのコメントとして、こんな記述を見つけました。
-----
当方も長女の入学と同時にPTAへ自動参加となり、他に人がいなかった為かクラス役員を依頼されました。
しかし活動の中でPTAの運営方針に疑問を持ち、学校を通じてPTAの議事録開示を求めたところ拒否され、会計簿すら見せてもらうことは出来ませんでした。
その後話し合いもありましたが 、説明や方針に全く納得できず、やむを得ずPTAの退会と、今後PTA費用により学校行事等で全体配布されるものがあれば実費負担する旨申し出たところ、これも拒否されました(単価計算が出来ないというよく分からない理由でした)。その為、退会の確認と会費の返還を求める訴訟(堺簡裁H26(ハ)632)をやむを得ず起こし、やっと退会の確認を得ることが出来ました。
この訴訟の中で、PTA会長は、個別の実費負担について全保護者に諮るとしながら(その方法は非常に脅迫めいた内容を述べていましたが)、結果1年以上放置され、今年3月に長女が卒業する際、PTAがこれまで行っていなかった、卒業式で使用する胸花と生花の寄付が行われ、当方の子のみ胸花・生花を貰えないという事態に至りました。
改めて学校を通じ、実費負担するので同じものを用意して頂くよう依頼しましたが、案の定拒否されました。
学校という、思想・信条により差別やいじめを行わないことを最も重視する場で、このような事態が起こること自体、「PTAは任意団体であり、参加は自由である以上、全体を見渡した運営が必要」という意識が全く浸透していないことを痛感させられました。
また、親の思想・信条を理由に、子に対しての嫌がらせを行うなどということがまかり通ることに憤りを感じます。
よって、上記卒業式の件に関連し、再度PTAを提訴しました(堺簡裁H28(ハ)310)。
尚、監督官庁である大阪府私学大学課に上記事例(卒業式の件)を問いあわせたところ、最終的には学校・団体が判断することではあるが適切ではないとの見解を頂きました。
2016年04月15日 19:11
-----
これはまさにこのニュースになったお父さんでしょう。この内容が事実とするとかなりヤバイ学校ですね。

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「ミスタッチしないゆっくりテンポから練習」するのの何が問題?

2016年05月26日 | ピアノ
間に別の話がいろいろ挟まりましたが、
「ミスタッチを恐れるな」(ウィリアム・ウェストニー)
という本の話に戻ります。

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この本のオビにはこうあります:
-----------
「一度もまちがえないように、ゆっくりしたテンポで練習しなさい」
…その教え方、本当に正しいですか?
-----------

この「ゆっくりテンポから練習」というのはわりと一般的に流布している考え方だと思うのですが、
要するにミスして弾くとそのミスを学習してしまうというか、間違った動きが手に染みついてしまってまたいつでもそのように間違えるようになる、ということです。

一度も間違わないようなゆっくりしたテンポから丁寧に練習することで、手や頭にミスの癖がつくことを避けて、いわば
「キレイなままで」
練習することができるというわけですね。

癖というか、なんかおんなじように間違えちゃうってことありますから、それを無批判に繰り返してもその間違った動きが身についちゃうだけで、それはマズそうですよね。説得力ある練習法だと思います。

でも、この本は、タイトルでこの考え方に真っ向から異議を唱えているのです。何がいけないのでしょうか。

無理ないテンポでまず練習すること自体は別によいとして、そこで「一度も間違えちゃいけない」というような枷を自分にはめることがおそらくは問題です。ミスは絶対に起こしてはならない大惨事であるかのような扱いに、緊張する、恐れる、過剰なコントロール、生気のない演奏。

もし、話がスキーの初心者、自転車に乗ろうとする子どもについてであれば、転びながら上手になっていくのはみんな了解してます。転んじゃったからもう転ぶ癖が染み付いて、いくら練習しても転び続けるだけだとは誰もいいません。離乳食を自分のスプーンで口に運び始めた子が、最初はだらだらべちゃべちゃこぼしてますが、そんなことをしたら何年でもべちゃべちゃこぼすのでしょうか? そんなことはなく、速やかに学習していって上手に食べられるようになりますね。こぼさせちゃいかんという人はいません。

そこでこの本は、集中して、でもリラックスして、生き生きと「ミスを恐れずに」弾いてみて、どこでミスが起こるかを手掛かりに、考察や修正を行い、弾けるようになったら、繰り返し練習して定着させる。しっくりくるようになったら、さて次の個所、という練習方法を勧めているのです。

この考え方についてどう思いますか?

見た目、ものすごく真逆なような、それでいてどっちもそれなりに説得力があるような、不思議な感覚があるのですが…

実は、見た目ほど違わないような気がするんです。

「ミスを恐れない派」とはいっても、あまり出鱈目に弾けちゃうようでは、いくら正直なミスでも分析しようがありませんから、実はだいたい弾けてちょっとミスする程度を想定してると思うんです。つまり、無理のないテンポと範囲で区切って、弾いてみる…ちょっとミスする…改善する…定着させる…そして次。

「ミスを混ぜたらいかん派」とはいっても、メトロノームを超ゆっくりにしたのにやっぱり間違えたりとか(爆)あるよね? 私は、この本を読む前、たとえばラフマ二台のロマンスを練習したときのように、難しすぎる曲をなんとか手に当てる時には、超ゆっくりからメトロノームを使って、しっくり弾けるようになったら次、という方法をとり、主観的には「ミスを混ぜたらいかん派」の説にきちんと従って練習しているつもりではあったのですが、実際のところ…

けっこうミスしてました(^^;;

弾いてみる…ミスする…修正する…何度も弾く…しっくりくる…次へ(次の個所もしくは一段テンポアップ)。

なんだおんなじじゃん(笑)

つまり根がいいかげんな人が「一度もまちがえないように、ゆっくりしたテンポで練習しなさい」という練習方法を採用すると(採用したつもりになると)実はあまりミスを恐れないで弾いていて、萎縮もしないし、なんかこの本の著者が推奨する方法にかなり近いのです。練習時間もたいして取れないから、この本でいうように、疲れていない状態でリラックスして練習するという条件も満たしていましたしね。

「ミスを混ぜちゃいけない」「染み付く」
ということを、真面目に、ストイックに、あまりにも長時間練習できちゃう人は「萎縮する」というようなマイナス面も取り込んでしまうのかもしれない。そして、そういうタイプの人のほうがピアノうまくなって、音大に行ったり先生になったりするものだから、この本の著者としてはそういう人のほうがたくさん目について気になるのかもしれないな、と思った次第です。

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トラップ一家、映画と現実の間

2016年05月25日 | 生活
先日は「Climb Every Mountain」の伴奏させてもらったりしましたが、そのずっとずっと前からサウンド・オブ・ミュージックは大好きで、何度見たかわかりません。

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曲もいいし子どもたちはかわいいし、わくわくはらはらどきどき、映画の「お約束」もバランスよく詰まってて、最後はスリリングな脱出劇。

見て楽しむ立場からいえば、映画として出来がよければ中身がフィクションでもちっとも構わないわけですが、このミュージカル映画は「元(現実のトラップ一家)」がいると聞いてへーそりゃすごいなと思っていました。自分がコドモのころは、元がいるといってもそりゃ映画上の都合で作り事がいろいろ盛られているであろうことには特に関心がなかったわけですが、大人になるにつれて、いくらなんでもこれは現実と違うんだろうというところはいくつか気づいてきますよね。

たとえば、修道院に一時かくまってもらってから一家が逃げていくとき、追手が発車できないように修道女さんたちが車の部品をぶっこぬいているとか(!) マリアが来てから歌を教えてみんないきなり上手とか(^^;; そりゃありえん

ちょいとぐぐれば、最後あのような脱出劇はなくて、国境は列車で越えたとかいうことはわかります。でももっと詳細を知りたいなぁと思ってたので図書館で見つけて
「わたしのサウンド・オブ・ミュージック」(アガーテ・フォン・トラップ(*)、東洋書林)
(注、アガーテはトラップ一家の長女)
を借りてみました。

すると、ナチの青年とトラップ一家の長女との淡い恋愛がそもそもなかったとか…映画では時間が縮められて新婚旅行から帰ってきて即逃げたみたいな話になってますが実際にはその間に何年も経ってて子どもも二人新たに生まれているとか…まぁいろいろ違います。けどそのあたりは映画でありがちな整理もしくは脚色として、見るほうだって信用しないで(笑)見ていますよね。

むしろ、私はこの本を読んで、思った以上にちゃんと元ネタがあったというか、事実は小説より奇なりというふうに感じました。

二人目のお母さん(マリア)が家庭教師として修道院から派遣されたことは事実、到着時、彼女が珍妙な服装をしていて鞄とギターを持っていたことも事実、彼女が修道院で「問題児」だったことも事実、もうひとつ驚いたことには、お父さんが呼笛で子どもたちを集めたのも事実でした!!

あんなのこそ、映画的な脚色だと思ってしまいますけど…

もっとも、呼笛は映画で描かれていたような意味合いはなくて、お父さんは変に厳格な人だったりするわけじゃなくてちゃんと慕われていたし、音楽も教えてくれた(いっしょに楽しんでくれた)人なんですよね。ただ屋敷が広いからどなって呼ぶわけにもいかないってことで。

それと、映画では一家が屋敷から逃げ出すときに、執事が密告していたような雰囲気になっていますけど、これがまたびっくりすることに、長年いた執事はナチ党員だったのです。ただし、オーストリアが「併合」されたときに早速彼はトラップ一家に、自分はナチ党員であるから聞いたことは密告しなけりゃいけないので、食事のときの会話には留意するようにと伝えてくれたばかりか(←そんなのあり??)、いよいよ危なくなってきたときには、もう逃げないと本当にマズいということを教えてくれたのです。その結果、スレスレで国境封鎖前に脱出できたのですから、むしろ命の恩人ですね。

思うに、映画を作るときというのは、事実から最大限いろんなピースを借りてきて、それを自在につなぎ合わせて追加のフレーバー(ロマンスとかスリルとか)をトッピングするというのがセオリーなのでしょう。そういう意味でよくできた作品ですし、脚色があることくらいは一家も承知だったでしょうが…

この映画のことはとても嫌がっていたということです。国境を徒歩で越えたような演出などはともかくとして、最大の問題点はお父さんの描かれ方がダメダメだったことでしょう。それはとりわけ許せないことであったに違いありません。

この本の中には、そのあたりについてこのように書かれています。
「実名が使われているのに、わたしたちの生き様が正しく描かれていないのがわかったとき、わたしはミュージカルも映画も一度見たらもう、二度と見る気になれませんでした。わたしの大切な思い出を奪われたくなかったのです。」

ただし、このようにも書かれています。
「長年の間、わたしは多くの人々から、あのミュージカルや映画がどんなにすばらしい喜びや刺激を与えてくれたかを聞かされてきました。そしてやっと今、わたしは『サウンド・オブ・ミュージック』と仲直りすることができました。
「この映画を批判するわたしはいったい何様だというのだろう?」
長いこと、心の中にもやもやしたものをかかえてきましたが、わたしはやっと、映画の物語と自分の大切な思い出とを別々に考えられるようになったのです。細かいことは事実と異なっているとはいえ、『サウンド・オブ・ミュージック』の制作者は、わたしたち家族の人生を貫く精神には忠実でした。」

つまりこの映画がもたらしたものはマイナスにもプラスにも大きく、けれどマイナスというのは当事者に。プラスというのは全世界に。しかしこういうことはトータルプラスならよいって話ではないとすれば、ほんとに何といってよいかわかりませんが、全員ではないにせよトラップ一家の一部の人が、そのような気持ちの雪解けまで至ってくれたことはよかったなと思います。私としてはただこの映画との出会いに、そして国境封鎖前にトラップ一家が脱出できたことに感謝します。


(*) このアガーテさんは歌えて絵が描けて衣装が縫える多彩な人なのですが、語学の才能がありそうだということで、フランス留学の話が進められていたのです。ところが滞在先の都合でぽしゃり、その代わりに英語の通訳コースに通い、優秀な成績を修めたのでした。そののちアメリカへ逃げるのですから、これはほんとにすばらしい偶然でしたね。

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PTAって何なんだろう

2016年05月24日 | 生活
お子さんをお持ちの方はたいてい、学年最初の保護者会でのあのイヤ〜な沈黙の時間についていろいろと思うところがおありかと思うんですが…

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私もあります(-_-;;

保育園生活は13年間、小学校生活は13年間、そして(公立)中学校生活は3年間(またろう分のみ)、
この間はいつも「いつ委員をやっておくか?」というのはけっこう重要なポイントでした。
誰かが受験の年は避けたい、とか
団地の役員とかぶる年はマズい、とか
育休とるならその年に合わせ技で!!(←赤ん坊おるけどな)、とか
まぁそういうことを考え合わせるわけです。

保育園ならば働く人前提なので土曜日などでコトがほぼ済みますが
小学校は平日の10:00〜14:00とか、幼稚園の送迎前提に組まれていることが多くて大ゴトです。

とりあえず、ある子どもが入学して卒業するまでやらずに逃げ続けたことはないです。それは、最後に逃げ損ねて都合の悪い年に押し付けられるよりは先手を取って「比較的」自分の都合のいいときに済ませたいとか、あといちおうは足を引っ張らない程度にはお役に立ちたいとかいう理由から。崇高なボランティア精神というほどのものは持ち合わせていないんだけど、まぁ子どものいる学校(保育園)のことだし…

そしていざ委員になってみると、保護者の話し合いの中で「引き受け手がないからやめたい」「やり方を合理化したい」「これってやる必要あるの?」とかいう話になってもとにかく学校側が強制してくるとか、事務能力もコミュ力もないおじさんが会長にまつりあげられててその話が長くで邪魔(笑)とか、いろいろと納得のいかないことがあるのですが改善(*)することも結局できなくて次の年の人に押し付けて引き継いで、はぁ〜済んだからまぁいいや、みたいな。

大変でも役に立ってるって実感があればがんばれる人は多いと思うんだけど、大変なのは実動じゃなくてしがらみだったりするとマジやる気なくすので、「また今年もやりましょう」なんて気にはなかなかならなくて、ノルマ(児童ひとり一回)こなしたらおしまい。すると、絶対引き受けたくない人は最後くじ引きで押し付けられ、そのあげく一度も学校来なかったなんて人までいる始末。「平等」なんて実現不可能なんですよね。何が「平等」なのかもよくわかんないけど(いろんな事情の人がいるだろうし)。

そんなこんなで、これだけ長いキャリアを積みつつもどうも消化不良のまま、こういったごたごたとはお別れして今じゃ平和に暮らしているのだが、けど先日ちょっとびっくりなニュース(**)があって、それきっかけでいろいろ調べていたらば、そもそもPTAというのは任意加入であり、そして一部の人しか加入していなくてもその学校の子ども全員に対して活動(配布なども含め)を行うことなどがきちんと決められていることを知りました。

たとえばこことかわかりやすい→「どこからがアウト? 法律からみたPTA――憲法学者・木村草太さんに聞く

ということはですよ、子どもが入学しただけで意思確認もなくハイ会費といって徴収されていた(その徴収作業のための名簿は当然のように学校から委員(保護者)に横流しされていた)とか、活動内容や方法も学校が押し付けてくるとかもう、いろいろとアウトでしたよね。

そもそも、表面化していた問題は委員・役員を誰がやるかだけの話で、
「退会する」というウルトラC技を思いついた人は一人もいなかったし、よって、非会員の子どもがいるのに全員に配布するのかなんて問題も発生しなかった。けどそれは、任意加入であることをみんな知らなかっただけのことで…

筋としては、任意加入であることとか、加入しなくても不利益はないこととかを周知するってことだろうけどそれでは今までのような学校からの業務押し付け(市のえらいさんにお茶出しさせるとか)って成り立たないと思うし、活動のあり方もこれまでの延長ではどうにも実行不可能だろうね。

前に「劇的ビフォーアフター」みてたら保育園の園庭に遊具いっぱい作るのがあって、お父さんたちがその工事に何人もボランティアで協力してたの。それは一部の人しか参加しないことなので当然ながらやりたい人だけがそれぞれの特技を生かしてやれることをやっていて、もちろん自分の子どもがそれで遊ぶことを想像して頑張るんだけど、でも手伝いに来なかった人の子どもも使うんじゃ損だみたいな発想はハナっからなくて。保護者パワーがほんとにプラスに働くのってこういうときなんだよなぁって思いました。

一度まっさらに戻して、やりたい人がいたら、それによって成立する分のプロジェクトだけやるとかどうなんだろう。「○年△組の保護者懇親会やりたいです!!」「じゃ私も、手伝います!」とかさ。ベルマークなんて毎年集めなくったって死にゃしないんだし。と思ったらそういう壮大な実験してる人がいた→「PTAがなくなったら、学校は本当に困るのか?」おもしろい〜


(*) 小さいことならいくつか改善できたことはあった。(1) なんかの講演会のサクラを廃止…指定された頭数出して座ってて拍手するやつは次の年からなしにした (2) 不審者情報連絡網のメール送信…電話連絡網で流すことになってたけどそうすると平日昼間なんかほとんどつかまらないので、会社の会議室に隠れて延々と「男は砂場にいた女児二名におし○こをかけたあと逃走、30代くらい、黒いパーカーにグレーのスエットズボン…」なんて内容を留守電に向かって何度も吹き込み続けなくてはいけない。メールで送信させてくれといったら学校側はメールない人もいるからダメと最初は言ってたがそれならもう私は流しません!! とゴネたら、メールNGの人の列をひとつにまとめて、そこ以外は一斉送信でいいことになった。

(**) 私学中高一貫校の保護者会で、運営方針に疑問を抱き退会した人がいて、退会者の子どもに保護者会からの配布物が配られなくて精神的苦痛を云々で保護者会と学校(の事務長)を提訴したというニュース。


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また会う日まで(歌のチカラ)

2016年05月23日 | ピアノ
あまた開催されるコンサートの、実際どれに足を運ぶかというのは、ほんとに「縁」だと思うわけです。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←合唱の伴奏ってしてみたい…

今日は午後半休とってアマチュア合唱団のコンサートを聞きに行きました。なぜそのコンサートに行ったかというと、その合唱団の指導や指揮をされている、そして独唱曲を歌う方というのが、私が学生時代に家庭教師をしていたときの生徒のお母様、なのです。

つまり、私が二十歳かそこら、それで高校受験指導をしていたわけで、そのお母様ですからそれなりの年齢なのですが、独唱でも堂々として味のある演奏を披露されてました。

というか、合唱団の方々も、そして聞きに来られている方々も、そこいらへんが中心年齢なようですが(私はめっさ若いほうの人!!)会場じゅうがイキイキした華やかな雰囲気に包まれています。特に合唱団の方々のやわらかくも凛としたオーラがすばらしい。

日本の歌や、フニクリ・フニクラ、ウィーンわが夢のまちなどの古くから馴染みの曲だけでなく、
ジブリやディズニーなどの新しい曲も取り交ぜて、
おおむね四部構成で歌われました。

ずっと歌ってるとたぶん疲れるので、間に独唱やピアノ連弾が挟まっています。

いろんな歌を聞きながら思ったのですが、
歌というものは…とりわけ、大勢で歌っている歌が、
丁寧に練習を積み重ねられ、
心をこめて歌われているとなると、

その合唱団のテクニックがプロ並みにすばらしいものでなくても、
それはしみじみと聞いているほうの心に届くような気がします。

もちろん、ピアノであっても、技術を越えてハートが伝わってくる演奏というものがないではないのですが、
思いがいくら深くても、ある程度の技術がなければそれが手に、音に伝わらないし、
なにかもうちょっとややこしいものだなと思います。

ともかく、歌の間じゅう、しみじみ楽しく、幸せな気持ちでした。

ところで「おおシャンゼリゼ」という曲、もちろんご存知ですよね。私はこれ子どものころ…子どもといっても中学生とか?? でわりと何度も聞いてたらしいんだけど、そんなことすっかり頭から抜けていました。

でも今日この曲を日本語の歌詞ですけど聞いたときに、突然、
「イリアトゥスクヴヴレ〜♪」みたいな響きが頭によみがえり、おぉ!! これはフランス語ではないか〜
「Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysees(シャンゼリゼには、あなたがほしいものがすべてある)」
…ということだったんですねコレは〜

というか、よく一片もわかるところがないのに言葉の響きだけ覚えていたなーというか、覚えていたことに気が付かなかったのに歌を聞くと呼び覚まされちゃうんだというか。

歌っておもしろいですよね。
人間の声だから?
歌詞がついているから?
いきなり奥のほうまで入り込んでくる感じです。理屈抜きで。

そして、アンコールというか締めくくりには、客席がいっしょに歌うのが二曲ありました。

歌詞はプログラムに書いてあるんですが、それと「前奏が一小節あります。あと間奏あります」という説明のみで始まったかと思うと、

「夏がくれば思い出す
はるかな尾瀬 遠い空…」

えっ客席めっちゃうま!! なんなのこの客層(団員のお友だちとそのお友だちとか?)
誰も出トチもなければ声もきれいで音程もあってて
さりげに二部合唱になってました(^^;;
(私も途中から下パート歌いました)

そして最後の最後が「今日の日はさようなら」

「いつまでも絶えることなく友だちでいよう…」
私も、歌があってコンサートがあるからこそ、家庭教師したあとン十年経ってもこうやってお目にかかる機会があるわけだし、歌のチカラってすごい。ということを、会場にいる100名ほどのみなさんも、おそらくはそれぞれ久しぶりのお友だちに会ったりして感じているのでしょう。

「今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで」←だいじなことなので二度いいました。

会場じゅうがひとつの歌に包まれていると、じわっときてしまいました。

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