礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

津村秀夫、『カサブランカ』を語る(1947)

2014-03-07 06:11:00 | 日記

◎津村秀夫、『カサブランカ』を語る(1947)

 映画評論家・津村秀夫の『映画の美』(光風館、一九四七年六月)という本については、以前、このコラムで触れたことがある。本日は、そこにあった『カサブランカ』についての映画評を紹介する。
 映画『カサブランカ』は、アメリカでは一九四二年一一月に公開されたが、日本公開は、戦後の一九四六年六月。津村の映画評の初出は、確認していない。

 カサブランカ
 一九四二年、カサブランカで連合軍首脳者の会談が行はれた時、米国ワオーナア・ブラザアス社は、逸早く「カサブランカ」を作つたが、このメロドラマは会談には何んの関係もない。いはば恋の三角関係を織込み幾分胡椒の利いた通俗映画だが、計らずもその歳のアカデミイ賞(モオシヨン・ピクチユア・アカデミイ・オブ・アーツ・エンド・サイエンシズ)の作品賞を獲得した。大戦中の、アメリカでヒツトした有名な映画の一つだが、監督のマイケル・カアテイヅも雌伏十年の労苦酬ゐられてこれで監督賞をもらつてゐる。主演のハムフリイ・ボガアトもその年の主演男優演技賞を授けられたといふ曰く附きの映画である。マイケル・カアテイヅといへば、戦前のアメリカ映画を見慣れた日本人には馴染みがあらうが、蓋し彼の名前が記憶されるとせばそれは当時のワオーナア社きつての働き手で「何でも屋さん」の精力家であるにも拘らず、才能は一向に凡庸の線を出でなかつたことだらう。オースタリイ生れだといはれるが、渡米後何十本作つたことかわからぬ位である。何れにしてもマイケル・カアテイヅは代表作に之といふもののない哀れさで、彼の致命的な弱点は個性のないことだつた。たとへば「ロビンフツドの冒険」(ウイリヤム・カイリイ監督協作の色彩映画)や、「汚れた顔の天使」を想起してみてもよい。ワオーナア社といへばロイド・ベイコンもゐたが、彼は名作「四十二番街」を持ち、当時の若造たりしW・カイリイですら「Gメン」を作てゐた。独り熟練工のカアテイヅは何も宝を持つてゐなかつたのである。……
 しかし彼の「カサブランカ」は第一に映画の神経に満ちてゐる。さうしてこれはメロドラマを描かした場合の彼の旧来の武器であり唯一の唯一の取柄でもあつたわけだが、それがこれほどまで見事にピンと張り切つたことは曽てないことであらう。そのワン・カツト、ワン・カツトに見る彼の神経、それらの堆積と構成に見る鮮やかな呼吸。たとへば最初にイングリツド・ベルクマンがカフエに登場する際の息もつかせぬサスペンスの旨さを見よ。これこそはアメリカ映画独得の神経でもあらうか。第二に最初の出から前半にかけてのカサブランカの妖しげな植民地的雰囲気。殊にあの第二次大戦のただなかにおける反独的な国際情勢を反映した空気。そこには何か容易ならぬ事件の発生を予期せしめる滑らかなテムポの快調がある。その緊迫した空気の割にはスリリングな事件のないのは物足らないが、しかしハムフリイ・ボガアト(カフエの持主)の冷めたく凄味のある演技は光つてゐる。そしてボガアトのニヒリズムは確実にこの作を独りで突張つてゐるといへるし、なるほど「デツド・エンド」の彼以上である。【以下は次回】

 本日は前半のみ。ここまでは、一応ほめているが、後半からは辛口になる。

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