◎谷川健一さんは「封建遺制」をどう捉えたか
先月二四日に民俗学者の谷川健一さんが亡くなった。谷川さんには、一度だけお目にかかったことがある。河出書房新社の西口徹さんのお誘いで、「対談」することになったのである。二〇〇五年四月一八日のことであった。
このときの対談の模様は、KAWADE道の手帖『サンカ 幻の漂泊民を探して』(河出書房新社、二〇〇五)に収められている。
谷川健一さんの業績は、きわめて厖大なものがあり、また多岐にわたっている。谷川さんの業績は、多くの研究者や関係者によって、それぞれの立場から語られてきた。また今後も、語り継がれてゆくであろう。そうした中で本日、私は、あまり注目されないであろう谷川さんのひとつの「業績」について紹介したいと思う。
その業績とは、歴史学者の中村吉治が『日本の村落共同体』(日本評論社、一九五七)で打ち出している視点を高く評価したことである。谷川さんが、この『日本の村落共同体』という本を再評価したのは、一九七〇年代後半のことだったようだが、今、具体的なことはわからない。ともかく、この再評価によって、同書は、「新民俗文化叢書」の第四巻として、復刊されることになった(ジャパンパブリッシャーズ、一九七七)。
今、手元に、そのジャパンパブリッシャーズ版の『日本の村落共同体』がある。巻末には、谷川健一さんによる「解説」がある。非常にすぐれた解説である。
故人を偲び、その前半部分を引用させていただく。
今から二十年前、日本の学会や論壇を近代主義者たちがリードしていた頃、封建遺制という言葉がよく使われていた。日本の近代が未熟であり跛行的であるのは、封建遺制のためであり、近代社会の諸悪の根源は封建遺制にあるという云い方が、何のためらいもなく横行していた。私は、近代の悪を封建遺制に求めるということがどうしても納得ゆかなかった。
たとい日本の近代に封建的とみられる要素がまじっていたとしても、それは封建的因習が残留したと見るべきではなく、日本の近代自体のこととしてそれを受けとめねばならない。それにもかかわらず、進歩的な学者、近代主義的思想家は、封建遺制として片付けることで、近代に生きる自分たちの責任を免除しているではないか、というのが私のひそかな主張であった。しかし私の主張は声にはならなかった。今日では想像もしかねることであるが、そうした言い方は冷笑され、黙殺されるのが落ちであるという風潮に支配された時代であった。
私はそうしたとき本書を偶然手にとった。そうして私は本書によって、自分の考えが正しいことを知ったのである。本書の最終部分に言及されているが、明治以降の共同体は擬似的な共同体であって、生産を基盤としたかつての真の共同体ではない。生産の単位は、近代になって共同体から各戸へと分解する。だが祭りをおこなったり、学校をたてたり、用水路をつくったり、という公共的な場での共同体的規制は残存する。その規制意識は、地主や有力者の手中ににぎられている。そこでは公共的営為が支配階級の利益になるような回路が仕組まれている。もしそれに反対するならば、共同社会に協力しないという理由をもって村八分にあわされる。本書は一見封建遺制と思われる村八分が、じつは共同体の分解過程にかえって多発することを強調する。なぜなら生産共同体では共同作業の仲間から労働力をはずすことはたやすくできないからである。
飛騨の白川村は大家族制度で知られたところであるが、そこでは、女でも男でも家をはなれることは絶対に禁じられていた。というのも山の頂きまで焼畑をつくって稗をまかねばならぬ経営であったからであり、また分家をするほどの耕地がなかったせいである、と江馬三枝子は云っている。それは本書で、真の共同体は「一人が欠けても、一人が多すぎてもならぬ。不分割〈インディヴィデュアル〉な一体なのである。そしてそれは、生産手段もまた不分割であること、分割してもしようがなく、分割する要もなく、分割できぬものであることと対応している」と述べていることと一致する。また速水保孝は「憑きもの持ち迷信」の中で、江戸時代の中期以降、自然経済の農村体制を、貨幣経済がうちこわしていく過程に狐持ち迷信が発生することを強調し、明治になっていっそう盛行する事実を指摘している。狐持ちだけでなく、親子心中などもそうであって、明治、大正、昭和と飛躍的に増加し、終戦後の社会にもそれが頻発している。前近代とか封建遺制とか題目をとなえておれば、それだけで近代が免罪されるとおもったらまちがいなのである。【後略】
中村吉治『日本の村落共同体』における最も本質的な部分を抉っている。と同時に、谷川さん自身の発想あるいは問題意識を、明確に提示した注目すべき文章であると思う。
今日の名言 2013・9・4
◎封建遺制と思われる村八分が、じつは共同体の分解過程にかえって多発する
民俗学者の谷川健一さんの言葉。中村吉治『日本の村落共同体』(ジャパンパブリッシャーズ、1977)の「解説」に出てくる。ただしこれは、谷川さんが、中村の主張のポイントを紹介した言葉である。上記コラム参照。