礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『古事記伝』は本居宣長の功績を表彰した記念塔

2023-04-30 01:02:08 | コラムと名言

◎『古事記伝』は本居宣長の功績を表彰した記念塔

 三浦藤作の『古典の再検討 古事記と日本書紀』(日本経国社、一九四七)を紹介している。
 本日は、その八回目で、第二章第四節の〔四〕のところを紹介する。ただし、ここは、かなり長いので、一部のみの紹介ということになろう。

「古事記」の註釈書 「古事記」の註釈書は、その数が甚だ多く、悉くこれを列挙し解説すれば浩瀚〈コウカン〉な一巻となるであらう。井上頼圀〈ヨリクニ〉の「古事記考」に出づるものの外、その後の出版だけでも少からぬ数に上つてゐる。註釈書のうちには、刊本となつたものもあり、写本のままに遺れるものもある。内容の上から観れば、「古事記」の全体に亘れる通釈もあり、上巻神代の巻だけの解辟もあり、特殊の事項のみを説明し考證したものもある。また形式の上から観れば、分節して一節毎〈ゴト〉に字句を解し大意を述べた講義風のものもあり、頭註を施しただけのものもある。その他「古事記」を中心として古代を研究したもの、「古事記」の内容から取材して、全くこれを書き改め、大衆の読物並に少年の読物としたものもあり、その種類が非常に雜多である。
【中略】
〔古事記伝〕「古事記」の註釈書中、最も著名なものは、本居宣長〈モトオリ・ノリナガ〉の「古事記伝」である。これに匹敵する詳細な「古事記」の解釈は、前にも後にもない。前にも述べたとほり、本居宣長は、伊勢国松坂の人、古今を通ずる最大の国学者として、今なほ無条件に崇拝してゐる者が少くないほど、名声の高い人物であるから、ここにその経歴や業績を喋々する必要もなからう。多くの著書のうちでも、この「古事記伝」は、畢生〈ヒッセイ〉の大著であつた。宣長といへば、誰もみな「古事記伝」を連想する。「古事記伝」は宣長の功績を表彰した記念塔ともいふべきものであつた。
【中略】
 ……一般人のうちには、「古事記伝」にどんなことが書いてあるか、少しも知らず、ただ三十五年かかつて完成した古書と聞いて、その著者の努力に敬服し本居宣長を非常に偉い学者の如く偶像視してゐる者が多からう。学問の分野が広くなり、重要な研究部門が甚だ増加してゐる今日、こんな古本の精読は、一般人に何の意義もなければ価値もなく、多数の人々が無益な読書に時間を空費してゐたならば、人類の進歩に必要な新知識を収得することが出来ず、世界文化の落伍者となるのは、火を睹る〈ミル〉よりも明らかである。しかし、今、厳正な批判的態度をもつて、この「古事記伝」を通読する者があつたら、同意し難く承認し難いことが、書中に甚だ多いことを感ずるであらう。江戸時代に於ても、富士谷御杖〈フジタニ・ミツエ〉は「古事記燈」を著はし、橘守部〈タチバナ・モリベ〉は「難古事記伝」を著はして、異論を発表した。国学者の異論は烏の雌雄を争ふの類に過ぎないとして、しばらく不問に附する。今日では他の方面から重大な意味を含んだ異論の矢を放たなければならなくなつた。本居宣長は峻烈に漢意〈カラゴコロ〉を排して古語を解釈し、皇国の道を明らかにすることを、学問の大宗〈タイソウ〉とした。漢学心酔の学界に大きな衝撃を与へた文化運動として、無意義なことではなかつた。学問に対する独自の見解を立て、「古事記伝」の大著を完成した見識と努力とは、敬服し讃仰〈サンギョウ〉せざるを得ない。しかし、その結論として世に提唱したものは何であつたか。神話を歴史に結びつけて、日本の国を神の国とし、万国に類なき国と誇示せる偏狭な国粋主義ではなかつたか。一之巻の「直毘霊〈ナオビノミタマ〉」のはじめに、「皇大御国は、掛まも可畏き神御祖天照大御神の、御生坐【みあれませ】る大御国にして、萬〈ヨロズ〉ノ国に勝れたる所由〈ユエン〉は、先ヅこゝにいちじるし。国といふ国は、此ノ大御神の大御徳かゞふらぬ国ない。」といつてゐる。これを冷静に反読して見ると、如何にも気ちがひじみた神秘思想だといふ感が湧いて来る。天照大御神といふのは神話の中に伝へられてゐる神の名である。神話と歴史とは性格を異にしてゐる。神話の内容を歴史上の事実と認めることは絶対に出来ない。それは拙著「日本古代史」中に概論したとほりである。約千年も甲から乙へ、乙から丙へと転写せられ、正体さへも既に朦朧としてゐる「古事記」・「日本書紀」等の古本に、たまたま天照大御神といふ神の話が出てゐるからとて、それを歴史上の事実と認めることは出来ない。第一にその神話を伝へた古典に絶対の信頼をおき難く、第二に神話は歴史上の事実にあらずといふ二重の障壁を飛び越して、「天照大御神の御生坐る大御国」といひ、これを万国にすぐれたる国と断定したのみならず、国といふ国にこの大御神の御徳を蒙らぬ国はないといつてゐる。これほど論理の通らぬ独断論はない。気ちがひじみた神秘思想といふより外はないであらう。【以下、次回】

 文中、拙著「日本古代史」とあるのは、原文のまま。三浦藤作には、『科学的検討 日本古代史観』という著書があるので、あるいは、それを指すか。ただし、その本が出たのは、『古典の再検討 古事記と日本書紀』よりも後である。『古事記と日本書紀』は、一九四七年六月一五日発行、『日本古代史観』は、同年一二月一五日発行である。発行所は、ともに日本経国社。

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