礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

稗田阿礼の役目は「訓み方」の誦習だった

2023-04-28 00:08:18 | コラムと名言

◎稗田阿礼の役目は「訓み方」の誦習だった

 三浦藤作の『古典の再検討 古事記と日本書紀』(日本経国社、一九四七)を紹介している。
 本日は、その六回目で、第二章第三節の〔二〕のところを紹介する。

「古事記」の撰録法 「古事記」は口述による古伝の筆録である。従つて、その内容を如何なる方針により如何に整理するかといふ問題はなかつたであらう。ただ誦習者が語る言葉のとほりに、文字をもつて書き表はすことには、撰録者の苦心があつたにちがひない。安萬侶の序に、
《謹みて詔旨に随ひ、子細に採り墌ひ〈ヒロイ〉ぬ。然るに、上古の時は、言意幷に〈ナラビニ〉朴にして、文を敷き句を構ふること、字に於ては即ち難し。已に〈スデニ〉訓に因りて述ぶれば、詞心に逮ばず〈オヨバズ〉。全く音を以て連ぬれば、事の趣旨に長し。是を以て、今或は一句の中に、音訓を交へ用ひ、或は一事の内に、全く訓を以て録せり。即ち辞理の見え叵【がた】きは、注を以て明らかにし、意況の解し易きは更に注せず。亦姓の日下【くさか】に玖沙河と謂ひ、名の帯【たらし】の字に多羅斯と謂ふ。此の如きの類は、本に随つて改めず。》
 とその苦心が述べてあるのは、如何にももつともの事と思はれる。しかし、苦心といつても程度の問題である。口伝を筆録するだけの仕事ではないか。仮名文字のやうな国字があつたら、何等の労苦も要せず、子どもでも出来る仕事である。当時はさうした国字がなかつたので、国語を表はすのに漢字の音訓を用ゐなければならなかつた。そこに多少の工夫をこらず苦心があつたといふだけに過ぎない。例へば「クラゲ」といふ物の名称はあつたが、それをあらはす文字がなかつたので、漢字の音を藉りて来て、「久羅下」と書いた。そんな事は、どれだけの難事でもなければ、また手柄でもなからう。漢字が日本に入つてから、何百年といふ長い歳月を経た後のことである。帰化人の数も少くはなかつた。漢文がかなり普及してゐたことは、想像するに難くない。国字がなく、漢字が普及すれば、漢字の音訓を藉りて国語を記すことは、自然の要求として一般に行はれてゐたものと、常識によつても考へられる。「クラゲ」に「久羅下」の文字を当てるやうなことが、安萬侶の新発見ではないであらう。「古事記」の文章を安萬侶の創造と見るのは没常識である。稗田阿礼が誦習したといふその誦習の意味を、訓み方の諳誦とすれば、それには別に文字によつて記した書類が出来てゐたにちがひない。安萬侶の序中にも、「日下」を「玖沙河」といひ、「帯」を「多羅斯」といひ、これらの類は本に随つて改めないと、それを暗示するやうなことが出てゐる。このところの記述も瞹眛としてゐて、意味の徹底しない点があるが、とにかく当時既に国語に漢字を当てること、漢字を国訓で読むことが盛んに行はれ、漢文や国訓を混じた変態的漢文で書いた文書が、いくらも在してゐたことは、甚だ明白である。天武天皇の時に出来上つた古伝が、文書にになつてゐない道理はない。それが普通の漢文で書いてあつたので、歳月を経る間に、おのづから国訓で読むことが困難になる。そこで記憶力の強い稗田阿礼が訓み方の誦習といふ役目を承はつたのであらう。普通の漢文で書いた原本があつたとすれば、それを参考にして、阿礼の口述を筆録するのであるから、仕事は尚ほ一さう容易になる。漢字の音訓を用ゐて国語を記すことも、既に久しく行はれてゐたとすれば、別に大して骨の折れることとも思はれない。「古事記」の撰録を大事業の如くにいひ、太安萬侶を大学者の如くにいふのは、古典を過大視する病弊のある国学者の買ひ被り〈カイカブリ〉か、故意の誇張張宣伝に過ぎなからう。「古事記」の撰録は、四ケ月で完成した。安萬侶は特に勤勉な学者であつたかも知れない。正体の判明しない昔の人物であるから、何とでも解釈はつく。しかし、緩慢に仕事をして多くの歳月を空費し、業績を誇大に吹聴するのは、昔も今も変りなき日本の御用学者の常態である。悠暢な古代の御用学者が四ケ月で完成したといふ事実によつて、「古事記」の撰録の如きは何程の労苦をも要しない極めて容易な事業だといふ常識上の推定が、よく證明せられてゐる。
 要するに、「古事記」の撰録には、国語を漢字によつて表現するといふ工夫に、若干の苦心があつたであらう。それは決して苦心といふほどの苦心とも思はれず、外に撰録の方法として考へられることはない。内容は口伝によれる古事の筆録である。歴史の編修法の如き問題は全然ない。

 三浦藤作は、ここで、「稗田阿礼が誦習したといふその誦習の意味を、訓み方の諳誦とすれば、それには別に文字によつて記した書類が出来てゐたにちがひない」と述べている。これは、ユニークな指摘だと思う。
 三浦のこの指摘は、「古事記」以前に、「普通の漢文」で書かれた古伝や、「漢文や国訓を混じた変態的漢文」で書かれた各種の文書が存在していたとする捉え方が前提になっている。おそらく、この捉え方は正しい。ただし、残念ながら、ここには「挙証」がない。それがあれば、説得力があったと思う。

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