礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

熊に逢ったら河原へ逃げろ(「横川山野話」より)

2018-04-09 02:11:40 | コラムと名言

◎熊に逢ったら河原へ逃げろ(「横川山野話」より)

 先日、某古書店の百円均一の棚に、雑誌『蕗原』の合本があるのを見つけた。これは珍しいと思って購入した。『蕗原』は、民俗研究会(長野県伊奈富小学校内)の機関誌で、今回、入手したのは、第二巻第一号から同第三号までの計三号分を合綴したものである。三号とも謄写版(ガリ版)印刷である。
 その第二巻第二号「山の生活号」(一九三三年一二月)に、竹内利美「横川山野話―上伊那郡川島村―」という文章が載っている。竹内利美〈トシミ〉といえば、村落社会の研究で知られる民俗学者である(一九〇九~二〇〇一)。一九六二年に文学博士、一九七二年には東北大学名誉教授となったが、その振り出しは、長野県上伊奈郡川島村小学校教諭だという。前記の「横川山野話」は、竹内が、その川島村小学校に勤めていたころの文章である。
 本日は、この文章を紹介してみたい。なお、「すっかり」などの「っ」は、原文のまま。また、原文で傍点が施されている箇所は、太字で代用しておいた。

 横 川 山 野 話 
   ―上伊那郡川島村―  竹 内 利 美
     ○
八月三十一日の夜、川島小学校に於て、仁科校長の肝煎り〈キモイリ〉で、横川の猟師小澤清晴氏を中心として山の話を聞くことが出来ました。永い間深山の鳥獣を相手に暮して来た氏の豊かな経験談は夜半に及んでもなほ尽き様としませんでした。一同はその息をも継がせぬ面白さに時の移るのを忘れ、自動車の迎〈ムカエ〉に名残惜しくも散会したのはもう十二時を廻った頃でありました。以下はその夜の話を基にして書いたものでありますが筆者不敏にして、充分にその生彩ある話の俤〈オモカゲ〉を伝へることが出来ないことをお詫びしておきます。
     ○
 一、熊の穴
 二、ぢどりの事
 三、冬熊の獲り方
 四、秋熊の話
 五、熊の産
 六、人にかゝる時
 七、熊に喰はれた話
 八、射ち損ねた熊
 九、仔連れの熊にかゝられた話
一〇、散弾で三つの熊を
一一、獲物の分配
一二、熊の値段
一三、熊の胆、熊の皮
一四、えんこ(猿)の群
一五、えんこの川干し 
一六、えんこの餌
一七、猿の脳味噌
一八、むじ(狢)の話
一九、てんばんどりおこじよ(山の神)
二〇、猪、鹿、狼
二一、鷲と鷹の話
二二、蛇と山鳥
二三、山仕度
二四、山の宿り
二五、山中の快音
二六、銀玉、鉄玉

  一、熊の穴
 熊のからむのは山の七八合目の日当りのいゝ場所に限るといふ。永年山あるきをしてゐる猟師達には、かうした場所て所はすぐ勘でわかるさうである。山膚がすっかり落葉に埋もれてしまって雪が舞ひ出す頃になると、そろそろ熊は冬籠りの穴を探しだす。穴は岩の隙間や木うろが主で雪解けの水が廻って来ないやうな横穴を択ぶ。前に一度熊の籠った事のある穴へはその臭を嫌って中々入らない。さてかうして一冬を過すべき穴を探しあてゝも直ぐにはそれに入らぬといふ。十日程は穴のまはり二三百間〈ケン〉位の所にある見晴しの利く小高い場所に陣取ってじっとあたりの気配を窺ってゐるさうだ。そして又一方その間に、周囲の檜〈ヒノキ〉や椹〈サワラ〉の皮をたくって来ては穴へ持込んで寝床を作る。冬山に入ると、石のあらけて来そうもないやうな所に生々しい木膚の傷を見ることがあるが、之は皆熊の仕事であって、これが又熊のからむ場所を見附る手掛りにもなるのだと云ふ。
 熊が穴籠りするのは必ず大雪の降る前日ださうである。それ迄はじっとかうした天候の来るのを待受けてゐるといふ。爪は熊の一番大切な武器であるからそれを大事にすること甚だしい。「熊に逢ったら河原へ逃げろ」と云はれてゐる位で、普通の時は決して河原などには下りては来ないさうだが、この時にはわざわざ河原の石を渡り木から木を伝って足跡を地に残さぬやうに注意して穴へ籠る。さうして翌日の大雪は山膚を一面に覆い隠して穴も何もわからなくさせて了ふ。十二月の半ば頃から翌年の四月末までの永い冬の間を、熊はこの雪の下に眠り続けてゐるのである。【以下、次回】

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