礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大東亜共栄圏と法華経(『日本語の法華経』の自序を読む)

2012-12-05 05:42:36 | 日記

◎大東亜共栄圏と法華経(『日本語の法華経』の自序を読む)

 昨日に続き、本日は、江南文三『日本語の法華経』の自序の後半を紹介する。

 いのちを捨てなければなにをしても駄目だと言ふうことをお釈迦さまが特別はつきりと教へて入らつしやる薬王菩薩本事品のなかで、華徳菩薩と言ふ人に、この話しを閻浮提洲の人たちに伝へて、いつまでも人が忘れてしまはないやうにしてくれと頼んで入らつしやいますが、この閻浮提洲というのは、髪の毛と目の玉の黒い人たちの住んでいる大東亜共栄圏《アジア》の国国のことなのです。
 欧羅巴《ヨーロッパ(以下、同じ)》の人たちがいくら考えても想像のつかない生きかたと死にかたを、日本の人や支那《中国》の人には苦もなくしてのけることが出来ると言ふ、欧羅巴の人たちの眼から見ると、不思議としか思へないやうなことが、東洋人のなかに昔から絶えずおこつてゐて、それを、その国の人たちがひらけてゐないからだなどと、あつさり片づけて、自分たちの地獄のやうな一生は文明人には已むを得ないことだと、あきらめているうちに、いくら東洋がひらけて来てもこれだけはやまないで、それが今度の戦争になつて、ますますはつきりとあらわれて来ています。
 お釈迦さまがわざわざ閻浮提洲と仰つしやつたのは、これは、お釈迦さまがこの世に生きて入らしつた《いらしゃった》、今から二千四百年の昔から、大東亜共栄圏の人たち《アジア人たち》は、生きることや死ぬことをごまかさずに、ほんとう真面目な気持ちで生きたり死んだり出来るやうになれると言ふ、【ほかの人種に較べて段ちがひに】優れた生まれつきの性質があることを、お釈迦さまがご存知であつたからでせうし、また、多分、世間の人が誰れでも知つていたからでせう。また、そう言ふいのちを人に吹きこむ妙法蓮華経を日本人が《は》一番よく読んだと言ふことは、その当時から日本人には非常に優れた力が具つてゐたと言ふ証拠にもなることです。《一番よく読んできました。》
 この妙法蓮華経を現代の日本人にも、一刻も早く、出来るだけ大勢で読んで頂き、これを身に著けて《着けて》、あくまでも明るい朗らかな日本国を一刻も早く作り出して頂きたいと思つて、江南がそれを誰にもわかる日本語に直したのです。そして、一番しまいには、【いよいよ】欧羅巴の《世界中の》人人まで、生きがひのある生きかたをし、死にがひのある死にかたをし出したら、それこそ、世界ぢゆうがほんとうのいのちで動いて行くやうになり、世界ぢゆうが明るく朗らかなものになり、世界ぢゆうの人がこの世に生まれて来たかひがあるやうになるわけです。
 江南はそう言ふ大きなことを願つて、この「日本語の法華経」という本を書いたのです。
                                     江南文三合掌

 前半と同様、かなり戦時色が強い。そして、一九六八年版では、そうした部分を中心に、表現が言い直され、あるいは削除がおこなわれている。
 引用中に、「また、そう言ふいのちを人に吹きこむ妙法蓮華経を日本人が《は》一番よく読んだと言ふことは、その当時から日本人には非常に優れた力が具つてゐたと言ふ証拠にもなることです。《一番よく読んできました。》」としたところがあるが、これは、一九四四版に、「また、そう言ふいのちを人に吹きこむ妙法蓮華経を日本人が一番よく読んだと言ふことは、その当時から日本人には非常に優れた力が具つてゐたと言ふ証拠にもなることです。」とあったのが、一九六八年版では、「また、そう言ふいのちを人に吹きこむ妙法蓮華経を日本人は一番よく読んできました。」と直されていることを示す。
 同様に、引用中に、「【いよいよ】欧羅巴の《世界中の》人人まで」とあるのは、一九四四版に、「いよいよ欧羅巴の人人まで」とあったのが、一九六八年版では、「世界中の人人まで」と直されていることを示す。
 この江南文三の自序を読んで、いろいろと考えさせられた。戦前戦中において、「法華経」が、どのような意味を持っていたのかという問題について、私はこれまで、あまり考えてこなかったが、あきらかにここには、そうした問題の一端が見える。
 江南が、ここで示している立場は、「法華経」というテキストに依拠した「アジア主義」である。おそらく江南は、「法華経」によって「大東亜共栄圏」を根拠づけ、大東亜戦争を根拠づけたのではないだろうか。ここには、中国に対する蔑視は皆無であり、また日本民族至上主義もあまり目立たない。あくまでもアジア主義の立場から、ヨーロッパ思想に対抗し、ヨーロッパのアジア支配を否定しようとしているのである。
 二・二六事件の黒幕とされた北一輝は、日蓮宗の熱狂的な信者であった。満州事変を主導したとされる石原莞爾もまた田中智学の影響を受けた日蓮主義者であった。戦前戦中における日本陸軍の動向を考えるとき、日蓮宗や法華経について研究は、欠かすことができない。こんなことは、今さら言うまでもないことだが、今回、江南文三の自序を読んで、あらためてそのことを意識した。と同時に、江南文三はどういうキッカケで法華経に惹かれるようになったのについても、興味が湧いた次第である。

今日の名言 2012・12・5

◎あくまでも明るい朗らかな日本国を一刻も早く作り出して頂きたい

 江南文三の言葉。江南文三『日本語の法華経』(大成出版、1944)の「この本を書いたわけ」に出てくる。一見すると、戦時色は感じられないが、おそらく、ヨーロッパ文明の支配から脱して、という含みがあるのであろう。上記コラム参照。

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