[ 倚りかからず ]
もはや できあいの思想には 倚りかかりたくない もはや 出来合いの宗教には 倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には 倚りかかりたくない もはや いかなる権威にも 倚りかかりたくない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本足のみで立っていて なに 不都合のことや ある
倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ
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山根甚世さんが「あとがき」を寄せている。それは、ありきたりの「あとがき」に終わらず、彼女が現役のアナウンサーだった頃、憧れていた茨木氏のインタヴューが叶い、まじかで話を聞けた喜びと感動を織り交ぜ、詩人の魅力を伝えて余りある。
中でも同感するのは、先に紹介した[ 行方不明の時間 ]の最後の行にあった<その折は あらゆる約束ごとも すべては チャラよ >と同じで、上の詩の最後も<倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ>という具合に茶化すところ。これが生真面目な流れを軽くするユーモアであると同時に、詩の奥行を出す、と山根さんは語る。私には、この肩すかし的に茶化すのが、女性の語り口で来たからこそ、余計に軽くなっているように思える。男性だってヒョイとかわす詩人/エッセイストは多く居るが、ちょっと趣が違う。
もうひとつ「あとがき」に記されていることで考えさせられるものがあった。それはドイツ留学を経験した茨木氏の父が<自分自身の苦い体験から、日本人の依頼心・依存心の強さを問題だと考え、親子兄弟といえども独立独歩で行くべきだと常々話していた>ことが、茨木氏の凛とした言葉の香りに漂うもとになった、との観察である。父君が外国でどういう体験をされたのか不詳だが、全体主義に覆われゆく昭和初年、そう娘に説いた父の偉さを思う。
[ 自分の感受性くらい ][ わたしが一番きれいだったとき ] この代表的な二つの詩にも、自立する人間になれと育てられ、戦後を生きてゆこうと仁王立ちする茨木のり子が居る。 改めて写真をみると「ああ、こういうキリッとした顔立ちの人が 男も女も自分の幼い頃は沢山いたな」と想いだした。 ≪ おわり ≫