静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

書評49-03 <終>   『茨木のり子の世界』 詩集≪ 倚りかからず ≫ ちくま文庫

2015-10-04 14:07:47 | 書評
                   
                                 [ 倚りかからず ]

         もはや  できあいの思想には 倚りかかりたくない  もはや  出来合いの宗教には  倚りかかりたくない
         もはや  できあいの学問には 倚りかかりたくない  もはや  いかなる権威にも  倚りかかりたくない
         ながく生きて  心底学んだのはそれぐらい  

         じぶんの耳目  じぶんの二本足のみで立っていて  なに 不都合のことや ある
         倚りかかるとすれば  それは 椅子の背もたれだけ  
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 山根甚世さんが「あとがき」を寄せている。それは、ありきたりの「あとがき」に終わらず、彼女が現役のアナウンサーだった頃、憧れていた茨木氏のインタヴューが叶い、まじかで話を聞けた喜びと感動を織り交ぜ、詩人の魅力を伝えて余りある。
  中でも同感するのは、先に紹介した[ 行方不明の時間 ]の最後の行にあった<その折は  あらゆる約束ごとも  すべては  チャラよ  >と同じで、上の詩の最後も<倚りかかるとすれば  それは 椅子の背もたれだけ>という具合に茶化すところ。これが生真面目な流れを軽くするユーモアであると同時に、詩の奥行を出す、と山根さんは語る。私には、この肩すかし的に茶化すのが、女性の語り口で来たからこそ、余計に軽くなっているように思える。男性だってヒョイとかわす詩人/エッセイストは多く居るが、ちょっと趣が違う。

もうひとつ「あとがき」に記されていることで考えさせられるものがあった。それはドイツ留学を経験した茨木氏の父が<自分自身の苦い体験から、日本人の依頼心・依存心の強さを問題だと考え、親子兄弟といえども独立独歩で行くべきだと常々話していた>ことが、茨木氏の凛とした言葉の香りに漂うもとになった、との観察である。父君が外国でどういう体験をされたのか不詳だが、全体主義に覆われゆく昭和初年、そう娘に説いた父の偉さを思う。
  [ 自分の感受性くらい ][ わたしが一番きれいだったとき ] この代表的な二つの詩にも、自立する人間になれと育てられ、戦後を生きてゆこうと仁王立ちする茨木のり子が居る。 改めて写真をみると「ああ、こういうキリッとした顔立ちの人が 男も女も自分の幼い頃は沢山いたな」と想いだした。 ≪ おわり ≫
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書評050-1  『織田 作之助 (1913~1947)』  ちくま日本文学 035   2009年 第1刷

2015-10-04 09:47:22 | 書評
 大阪へ来月行く所用があり、それが意識下にあったのか、ふと図書館の書架で眼に留まった。以前、ちゃんと読んだのは「夫婦善哉」だけ。
森繁久弥/淡島千景の名コンビで映画化されたのは何度も観た(1955年)。オダサクの代表作のひとつとされるのも当然。大阪文化に疎い地方で育った人にさえ其の魅力は伝わるのだろう。 私には、何度もみたい作品のひとつになっている。 
 ・・・余談だが、東京育ちの先妻と結婚したとき、その母親が「夫婦善哉」の名を出し、「あなたも・・あんな風な亭主になるのかしらね」などと真顔で若き日の私を心配そうにみたものだ。ご冗談でしょ、少年時代を過ごしたとはいえ、私は生粋の大阪育ちではなかったので心外であった。だが、今ほど日本の東と西が近くなかった40年前、このような会話は冗談でも何でもなかった・・・。
 話が逸れたが、此のコンビを超える配役に恵まれないのか、監督他に恵まれないのか、違う組み合わせで再映画化されていない。TVではNHKが尾野真知子/森山未来コンビでドラマ化した(2013年)。私の記憶では、残念だが、時間的制約もあり、やはり映画作品の奥行に及ぶべくもない。

 さて、この文庫には「夫婦善哉」を含め計10篇の短編・中編小説(9)と評論(1)が入っている。彼が作家キャリアの初めに発表していた戯曲作品は含まれていないし、芥川賞候補になった「俗臭」(1940年)、そして発禁処分を受けた「青春の逆説」(1941:昭16年)も含まれていない。原稿が散逸したのか知らないが、戯曲作品はさておき、この小説2篇を私は読みたかった。
 今回、これら10篇の中で私の印象に深く遺ったのは「世相」と「可能性の文学」だ。他の作品は、大阪人独特な<息を継がぬ喋りくち=文章の長さ><トーキー映画を思わせる場面展開の速さ><大阪弁固有の猥雑さ><東京とはまた違う下町風情>により、後の野坂昭如・開高健に連なる【大阪らしさ】の世界の先駆けだ。あとの二人が意識して真似たのかは不明だが、共通する”大阪体質”をオダサクは20年近く先に示したといえよう。
 この”大阪体質”ゆえか、織田作之助は同時代の先輩、例えば太宰治/坂口安吾とも明らかに<戦時下の頽廃:デカダンス>の色合い・方向が異なる。それは先行する先輩二人の作品と比べたら、たちどころに解る。そして「遅れてきた少年」たる野坂/開高に、当然のこと<戦時下のデカダンス>はない。 いま現在”大阪体質”を継承する作家は居るのか? すぐには思い浮かばない。存命なのは野坂だけだが、彼はもはや作家ではない。
 では、次回、小説「世相」をみてゆこう。                                       ≪ つづく ≫
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書評049-2  『茨木のり子の世界』  詩集< 倚りかからず > ちくま文庫

2015-10-04 08:11:50 | 書評
                               [ 行方不明の時間 ]

    人間には  行方不明の時間が 必要です  なぜかはわからないけれど  そんなふうに 囁くものがあるのです
    三十分であれ  一時間であれ  ポワンと一人  なにものからも離れて  うたたねにしろ  瞑想にしろ 不埒なことを  いたすにしろ
    遠野物語の寒戸(さむと)の婆のような  ながい不明は困るけど  ふっと自分の存在を掻き消す時間は  必要です

    所在  所業  時間帯  日々アリバイを作るいわれもないのに  着信音が鳴れば ただちに携帯を取る
    道を歩いているときも  バスや電車の中でさえ  <すぐに戻れ> や <今 どこ?> に答えるために
    遭難のとき助かる率は高いだろうが  電池が切れていたり  圏外であったりすれば 絶望は更に深まるだろう  シャツ一枚打ち振るよりも
    私は家に居てさえ  ときどき行方不明になる  ベルが鳴っても出ない  電話が鳴っても出ない  今は居ないのです

    目には見えないけれど  この世のいたる所に  透明な回転ドアが  設置されている
    無気味でもあり  素敵でもある  回転ドア
    うっかり押したり  あるいは  不意に吸い込まれたり  一回転すれば  あっという間に  あの世へとさまよい出る仕掛け
    さすれば  もはや完全なる  行方不明  残された一つの愉しみでもあって

    その折は  あらゆる約束ごとも  すべては  チャラよ 

* この詩は、昨日みた[苦しみの日々 哀しみの日々]とうってかわり、茨木氏ならではの軽み・少女の呟きのような夢見ごこちさえ感じられる。
  ますます速く忙しくなる現代人の生活。そんなリズムから時には抜け出て、どこかへ抜け出したい。誰もがもつ解放感への憧れ。
  
  この詩集が出されたのは1999年。バブル崩壊後、日本の政治も経済も「失われた20年」の真っただ中にあり、文字通り漂流していた。その漂流感覚は
  日本人が戦後初めて味わうものであり、誰もが言い表しようのない不安をまとっていた。不安からの脱走、どこかへ隠れてしまいたい、そんな気持ちを鋭敏に
  嗅ぎ取る詩人。さすがである。・・・・だが、この感覚、あるいは脱走願望、今も消えてはいないのでは? 
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