★ 風知草:「政治的教養」って?=山田孝男 http://mainichi.jp/shimen/news/20151012ddm002070069000c.html?fm=mnm
・ 国際討論に堪える人材育成へディベート重視は理解できるが、法律の制約もあり、現実には当たり障りのない討論ごっこにならざるを得ないだろう。
それではいけないということもない。副教材が重視する「政治的教養」の中心は「選挙の知識」だ。そう割り切った方が混乱が少ないのではないか。
・ 政治とは権力を生み、権力を用いて利害を調整する営みだ。教養とは、学問や芸術によって培われるたしなみであり、実際的な知識や技術ではない。
では、政治的な教養とは? 「政治的な宣伝教育の呪縛にもかかわらず、われわれに暴虐の行ないを躊躇(ちゅうちょ)させる」何かであると哲学者の
田中美知太郎(1902〜85年)が言っている。(田中美知太郎全集第8巻「教養について」)。そういう資質は、政府の計画的指導とは無縁の、自由な
学びから生まれるものだろう。
★ フルスイングの余韻(山崎武司)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO92601530Y5A001C1000000/
・ ファンやチームが望む働きができなくなれば、野球選手は辞めないといけない。難しいのは、現役生活の長さと選手の達成感が一致するとは限らないことだ。
・ それなりの実績を残した選手にとって、大切なのは「自分で決める」というプロセスだ。引退するか続けるか。決断の内容はどちらでもいい。自分が選んだ
道であれば、それは正しい。
* これは野球に限らず、あらゆる職業スポーツ選手についていえよう。論旨としては文句ない、が。ファンの気持ちからは「辞め時」についてどうなのか?
此の視点、当の選手自身には無縁なものなのか? そういう素朴な疑問が湧く。
⇒ スポーツに限らず、俳優/歌手/その他人前に顔・姿を晒す職業。。。。 「痛々しいから、もう見たくない」とファンに思われる水準にまで衰えた場合、
その「想い出を壊さないでくれ」という声を 本人はどう考えているのだろうか?
・ 国際討論に堪える人材育成へディベート重視は理解できるが、法律の制約もあり、現実には当たり障りのない討論ごっこにならざるを得ないだろう。
それではいけないということもない。副教材が重視する「政治的教養」の中心は「選挙の知識」だ。そう割り切った方が混乱が少ないのではないか。
・ 政治とは権力を生み、権力を用いて利害を調整する営みだ。教養とは、学問や芸術によって培われるたしなみであり、実際的な知識や技術ではない。
では、政治的な教養とは? 「政治的な宣伝教育の呪縛にもかかわらず、われわれに暴虐の行ないを躊躇(ちゅうちょ)させる」何かであると哲学者の
田中美知太郎(1902〜85年)が言っている。(田中美知太郎全集第8巻「教養について」)。そういう資質は、政府の計画的指導とは無縁の、自由な
学びから生まれるものだろう。
★ フルスイングの余韻(山崎武司)http://www.nikkei.com/article/DGXMZO92601530Y5A001C1000000/
・ ファンやチームが望む働きができなくなれば、野球選手は辞めないといけない。難しいのは、現役生活の長さと選手の達成感が一致するとは限らないことだ。
・ それなりの実績を残した選手にとって、大切なのは「自分で決める」というプロセスだ。引退するか続けるか。決断の内容はどちらでもいい。自分が選んだ
道であれば、それは正しい。
* これは野球に限らず、あらゆる職業スポーツ選手についていえよう。論旨としては文句ない、が。ファンの気持ちからは「辞め時」についてどうなのか?
此の視点、当の選手自身には無縁なものなのか? そういう素朴な疑問が湧く。
⇒ スポーツに限らず、俳優/歌手/その他人前に顔・姿を晒す職業。。。。 「痛々しいから、もう見たくない」とファンに思われる水準にまで衰えた場合、
その「想い出を壊さないでくれ」という声を 本人はどう考えているのだろうか?